阿部牧郎 『それぞれの終楽章』
2011年11月20日 読書
講談社、1987/講談社文庫、1991。手もとにあるのは文庫版。この作者の講談社文庫6冊目らしいけれど、文庫カバーの折り返しを見ると、5冊目までぜんぶ『誘惑なんとか』(汗)。※以下いちおうネタバレ注意です。なんとなく“明るい青春音楽小説”みたいなものを想像して読み始めたのだけれど、ぜんぜん違った(汗)。タイトルはよく考えてみれば(というかよく考えなくても)それぞれの人の人生の終楽章、みたいな意味だよね。
<自殺した同級生の葬儀に故郷秋田を訪れた作家がふりかえる自らの生の軌跡。友と聴いたクラシック、仲間と励んだ雪の中の野球……万引事件や生家の破産を越えて胸に迫るのは懐かしい思い出の数々。人生の終楽章を迎えて、自分を支えてくれた友人、父の愛、妻の献身の気づく。胸を打つ感動的な直木賞受賞作。>(表紙カバー背より、後ろの「解説」は常盤新平)
50歳をすぎた小説家の矢部宏(昭和8年=1933年生まれ)は、自殺した中学高校のときの同級生(中学3年で同じクラスになって親しくなって、宏が高校1年のときレコードの万引きで捕まったのをきっかけに転校するまでは同じ学校)・森山隆之(税理士)の通夜や葬儀に参列するために帰郷する。人が亡くなっているし、明るい小説ではないのは当たり前か(汗)。矢部の実家はH町のほうにあって、それ以前の里帰りでは“恥”の多いO市は、たいてい素通りしていたけれど、今回はそんなわけにもいかず、滞在中にはそうした過去のことも思い出したり…。森山から影響された音楽(クラシック)とか文学とか(森山はしなかったけれど)野球とか――そうしたものから、何か1つ取りあげて詳しく描いている小説ではなくて、あれこれ満遍なくという感じ? あと、森山の愛人(とその子ども)を訪ねて話を聞いたり、記憶喪失で入院(ではなくて自宅療養)している元同級生の1人・斎藤謙一を訪ねたりもしている。このへんも、推理小説的な(?)関心で読んでもあまり面白くないかも。お金に困っていた森山が、最後まで矢部を頼らなかった理由もはっきりとはわからないまま。
そう、旧制中学や、新制になってからの昔の高校は、いまよりも(?)ずっとたくさんの応援歌があったの? 部活などの対外試合の前後で歌われたりするものが? 自分が高校生のときには、校歌ともう1曲(凱旋歌?)くらいしかなかったような…。体調にも異変が訪れたりする50歳を過ぎた自分への応援歌――いいのか悪いのか、このままでは私の場合、J-POPの何かになっちゃいそうだな(汗)。自分もこのまま生きていれば50歳なんて、もうすぐ、あっという間に来るな、とは思うけれど、私の場合いまだに定職についていないからね…、五十前に野たれ死にしそう。悲しい話(?)は措いておいて、この小説の文字どおりの終楽章というか、最終章である「第四章」では、お父さんのこと(父親に対する愛憎というか)が詳しく語られている。お父さん、東京帝大卒でかつて高等文官試験にも通っているけれど、没落系の人というか。さらに矢部の作家としての(もちろん作中での話だけれど)これからはこうする、みたいな決意表明も見られる(このへんが直木賞受賞の決め手に?)。あ、「それぞれの…」だから、もっと元同級生たちについて触れたほうがいいかも。そう、かつて宏は野球では、ファーストを守っていて(左利き)、チームメイトそれぞれが投げてくる球のくせなんかも把握している。違いが強調されているわけではないけれど、生まれも育ちも、現在在住も地方(の市)である人たちと、大学は京都で就職は東京で、現在の在住地は大阪で…みたいな人とでは、ものの考え方が違ったりするようだ(当たり前か…、だからこそ小説で人間が描ける?)。受験がらみでは、家の時計店を継いでいる芦田昌雄の話がちょっと悲しいかな…。通っていたのは宏と同じO高校だけれど、定時制だったらしい。
<宏たちは入試をうけて旧制O中学へ入った。競争率は約二倍だった。芦田は試験に失敗して小学校の高等科へすすんだ。/途中、学制改革があった。宏たちはO高校併設中学の生徒となり、三年の課程を終えてO高校へすすんだ。芦田たち高等科の生徒は新制中学に横すべりした。/宏たちが高一にすすむとき、新制中学三年の希望者には高校の編入試験がおこなわれた。約五十名の者が新しく同級生になった。いつもいっしょに野球をやってきた芦田を、以前から宏は同級生のように思っていた。よその生徒だとは考えられない。編入試験があったのなら、当然合格だときめこんでいた。>(p.85)
宏が旧制O中学に入学したのは、終戦の翌年(昭和21年=1946年)。戦後の学制改革の複雑さは措いておいて(個人的には↑くらいの説明ならすごくわかりやすく感じるけれど)、要するに学制改革のおかげで(?)友人たちのいる新制O高校に進むチャンスがもう1度あったのに、それも逃してしまったようだ。ただ、でも、この芦田さんはいまでは息子がO高校の、しかも野球部でレギュラーになっている。かえるの子はかえるではなくて、その逆の江戸のかたきは長崎で……ではなくて、何かそんなような諺がなかったっけ?(まぁいいか)。仕事(時計の修理など)以外にも、自分の趣味(というか今後の生き甲斐というか)もちゃんと持てているし。そう、一方の主人公は、奥さんはいるけれど、子どもがいないので(下に兄弟は多くて、実家は弟の1人が守っているらしい)、作品(小説)が子どもみたいなものかもしれない。もちろん、本人は父親の子どもであって――というか、読み始めてつまらなく感じたとしても「第四章」までは読んだほうがいいのかもしれない、この小説。
そう、時間が前後してしまうけれど、主人公は、秋田にはもともと小学校のときに京都から疎開してきたそうで、学校での“疎開っ子いじめ”の話も少し出てくる。この人の場合、最後の学年の1年だけだったらしいけれど。筒井康隆がどこかで書いていた気がする、このテーマは小説家にとってなかなか書きにくいものらしい。(私は地デジ化以降、TVをほとんど見ていないので――ニュース番組もほとんど見ていないので、あまり知らないけれど、いま=2011年11月現在、福島県の子どもの2万人以上が県外に転校しているんだっけ? 過去のいじめの問題も、他人事ではない人も多いかもしれない。)逆に、故郷の秋田を離れるきっかけは、やっぱり(?)大学受験。宏は1年浪人して京都(生まれ故郷といえば生まれ故郷)の大学へ。もともと1浪は覚悟していたそうで(p.195)、浪人中の、浪人生だからどうのこうのみたいな話は書かれていない。でも、お父さんが東大卒だから――引用してもいい?(引用率が心配…)、
<入試は不合格だった。秋田へかえって、宏は報せをきいた。一浪は覚悟していたので、たいして落胆しなかった。家の奥座敷にこもって、来年の準備にとりかかった。/「ラカレキ大学はやめてけれや」/いくぶん得意そうに父はいった。布の端切れのことを村ではキレカラという。ひっくりかえして父は三流大学の総称にしていた。学歴を拠りどころにせざるを得ない父が宏は情けなかったが、嫌悪をおぼえるほどではなかった。息子として目標にすべき点をともかく一つ父に見出していた。>(p.195)
「ご覧のとおり、一流大学なんて出たってしようがない」みたいな自虐的なことを言われるよりだいぶまし?(世のお父さん、ふつうそんなことは言わないか)。関係ないけれど、「ラカレキ~」という言葉は「大学」以外でも使えるのかな?
~・~・~・~・~・~・~・~・~
この前(というかけっこう前かな)荒巻義雄(昭和8年生まれ)の『柔らかい時計』(徳間文庫)の後ろのへんに収録されている「自筆個人年譜」を眺めていたら、高校1年のところ(1949年・16歳)に、<同級に渡辺淳一氏在学>とあって。ああそうなんだ、とか思って、なんとなく渡辺淳一『白夜』の最初の巻(手もとにあるのは新潮文庫版、主人公は北海道の大学生)を取り出して最初のへんを、ぱらぱらと読み返していたら、<[倉田は]一浪しただけだというが、どういうわけか伸夫の二つ年上で>(p.8)とか、<[中馬は]どこで足踏みしたのか伸夫より二つ年上だった>(p.44)とか書かれていた(のをいま思い出してまたその本を取り出して、引用)。『それぞれの~』には、宏が旧制中学に入学したとき、<クラスに五、六人は年上の者がいた>(p.130)とある。ひとクラスの平均人数がわからないけれど、どこの学校でもこれくらいが(5, 6人いたくらいが)普通? であれば(仮の話)、中学・高校時代にも、ふつうにまわりに何人かはいたのではないか、なんで『白夜』のほうは大学生以降、年齢に関して(「どういうわけか」とか「どこで~か」とか)いちいち不思議がっているのかな?(中学・高校時代に、周囲の人たちとあまり年齢の話をしなかったのか、渡辺淳一?)。
<自殺した同級生の葬儀に故郷秋田を訪れた作家がふりかえる自らの生の軌跡。友と聴いたクラシック、仲間と励んだ雪の中の野球……万引事件や生家の破産を越えて胸に迫るのは懐かしい思い出の数々。人生の終楽章を迎えて、自分を支えてくれた友人、父の愛、妻の献身の気づく。胸を打つ感動的な直木賞受賞作。>(表紙カバー背より、後ろの「解説」は常盤新平)
50歳をすぎた小説家の矢部宏(昭和8年=1933年生まれ)は、自殺した中学高校のときの同級生(中学3年で同じクラスになって親しくなって、宏が高校1年のときレコードの万引きで捕まったのをきっかけに転校するまでは同じ学校)・森山隆之(税理士)の通夜や葬儀に参列するために帰郷する。人が亡くなっているし、明るい小説ではないのは当たり前か(汗)。矢部の実家はH町のほうにあって、それ以前の里帰りでは“恥”の多いO市は、たいてい素通りしていたけれど、今回はそんなわけにもいかず、滞在中にはそうした過去のことも思い出したり…。森山から影響された音楽(クラシック)とか文学とか(森山はしなかったけれど)野球とか――そうしたものから、何か1つ取りあげて詳しく描いている小説ではなくて、あれこれ満遍なくという感じ? あと、森山の愛人(とその子ども)を訪ねて話を聞いたり、記憶喪失で入院(ではなくて自宅療養)している元同級生の1人・斎藤謙一を訪ねたりもしている。このへんも、推理小説的な(?)関心で読んでもあまり面白くないかも。お金に困っていた森山が、最後まで矢部を頼らなかった理由もはっきりとはわからないまま。
そう、旧制中学や、新制になってからの昔の高校は、いまよりも(?)ずっとたくさんの応援歌があったの? 部活などの対外試合の前後で歌われたりするものが? 自分が高校生のときには、校歌ともう1曲(凱旋歌?)くらいしかなかったような…。体調にも異変が訪れたりする50歳を過ぎた自分への応援歌――いいのか悪いのか、このままでは私の場合、J-POPの何かになっちゃいそうだな(汗)。自分もこのまま生きていれば50歳なんて、もうすぐ、あっという間に来るな、とは思うけれど、私の場合いまだに定職についていないからね…、五十前に野たれ死にしそう。悲しい話(?)は措いておいて、この小説の文字どおりの終楽章というか、最終章である「第四章」では、お父さんのこと(父親に対する愛憎というか)が詳しく語られている。お父さん、東京帝大卒でかつて高等文官試験にも通っているけれど、没落系の人というか。さらに矢部の作家としての(もちろん作中での話だけれど)これからはこうする、みたいな決意表明も見られる(このへんが直木賞受賞の決め手に?)。あ、「それぞれの…」だから、もっと元同級生たちについて触れたほうがいいかも。そう、かつて宏は野球では、ファーストを守っていて(左利き)、チームメイトそれぞれが投げてくる球のくせなんかも把握している。違いが強調されているわけではないけれど、生まれも育ちも、現在在住も地方(の市)である人たちと、大学は京都で就職は東京で、現在の在住地は大阪で…みたいな人とでは、ものの考え方が違ったりするようだ(当たり前か…、だからこそ小説で人間が描ける?)。受験がらみでは、家の時計店を継いでいる芦田昌雄の話がちょっと悲しいかな…。通っていたのは宏と同じO高校だけれど、定時制だったらしい。
<宏たちは入試をうけて旧制O中学へ入った。競争率は約二倍だった。芦田は試験に失敗して小学校の高等科へすすんだ。/途中、学制改革があった。宏たちはO高校併設中学の生徒となり、三年の課程を終えてO高校へすすんだ。芦田たち高等科の生徒は新制中学に横すべりした。/宏たちが高一にすすむとき、新制中学三年の希望者には高校の編入試験がおこなわれた。約五十名の者が新しく同級生になった。いつもいっしょに野球をやってきた芦田を、以前から宏は同級生のように思っていた。よその生徒だとは考えられない。編入試験があったのなら、当然合格だときめこんでいた。>(p.85)
宏が旧制O中学に入学したのは、終戦の翌年(昭和21年=1946年)。戦後の学制改革の複雑さは措いておいて(個人的には↑くらいの説明ならすごくわかりやすく感じるけれど)、要するに学制改革のおかげで(?)友人たちのいる新制O高校に進むチャンスがもう1度あったのに、それも逃してしまったようだ。ただ、でも、この芦田さんはいまでは息子がO高校の、しかも野球部でレギュラーになっている。かえるの子はかえるではなくて、その逆の江戸のかたきは長崎で……ではなくて、何かそんなような諺がなかったっけ?(まぁいいか)。仕事(時計の修理など)以外にも、自分の趣味(というか今後の生き甲斐というか)もちゃんと持てているし。そう、一方の主人公は、奥さんはいるけれど、子どもがいないので(下に兄弟は多くて、実家は弟の1人が守っているらしい)、作品(小説)が子どもみたいなものかもしれない。もちろん、本人は父親の子どもであって――というか、読み始めてつまらなく感じたとしても「第四章」までは読んだほうがいいのかもしれない、この小説。
そう、時間が前後してしまうけれど、主人公は、秋田にはもともと小学校のときに京都から疎開してきたそうで、学校での“疎開っ子いじめ”の話も少し出てくる。この人の場合、最後の学年の1年だけだったらしいけれど。筒井康隆がどこかで書いていた気がする、このテーマは小説家にとってなかなか書きにくいものらしい。(私は地デジ化以降、TVをほとんど見ていないので――ニュース番組もほとんど見ていないので、あまり知らないけれど、いま=2011年11月現在、福島県の子どもの2万人以上が県外に転校しているんだっけ? 過去のいじめの問題も、他人事ではない人も多いかもしれない。)逆に、故郷の秋田を離れるきっかけは、やっぱり(?)大学受験。宏は1年浪人して京都(生まれ故郷といえば生まれ故郷)の大学へ。もともと1浪は覚悟していたそうで(p.195)、浪人中の、浪人生だからどうのこうのみたいな話は書かれていない。でも、お父さんが東大卒だから――引用してもいい?(引用率が心配…)、
<入試は不合格だった。秋田へかえって、宏は報せをきいた。一浪は覚悟していたので、たいして落胆しなかった。家の奥座敷にこもって、来年の準備にとりかかった。/「ラカレキ大学はやめてけれや」/いくぶん得意そうに父はいった。布の端切れのことを村ではキレカラという。ひっくりかえして父は三流大学の総称にしていた。学歴を拠りどころにせざるを得ない父が宏は情けなかったが、嫌悪をおぼえるほどではなかった。息子として目標にすべき点をともかく一つ父に見出していた。>(p.195)
「ご覧のとおり、一流大学なんて出たってしようがない」みたいな自虐的なことを言われるよりだいぶまし?(世のお父さん、ふつうそんなことは言わないか)。関係ないけれど、「ラカレキ~」という言葉は「大学」以外でも使えるのかな?
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この前(というかけっこう前かな)荒巻義雄(昭和8年生まれ)の『柔らかい時計』(徳間文庫)の後ろのへんに収録されている「自筆個人年譜」を眺めていたら、高校1年のところ(1949年・16歳)に、<同級に渡辺淳一氏在学>とあって。ああそうなんだ、とか思って、なんとなく渡辺淳一『白夜』の最初の巻(手もとにあるのは新潮文庫版、主人公は北海道の大学生)を取り出して最初のへんを、ぱらぱらと読み返していたら、<[倉田は]一浪しただけだというが、どういうわけか伸夫の二つ年上で>(p.8)とか、<[中馬は]どこで足踏みしたのか伸夫より二つ年上だった>(p.44)とか書かれていた(のをいま思い出してまたその本を取り出して、引用)。『それぞれの~』には、宏が旧制中学に入学したとき、<クラスに五、六人は年上の者がいた>(p.130)とある。ひとクラスの平均人数がわからないけれど、どこの学校でもこれくらいが(5, 6人いたくらいが)普通? であれば(仮の話)、中学・高校時代にも、ふつうにまわりに何人かはいたのではないか、なんで『白夜』のほうは大学生以降、年齢に関して(「どういうわけか」とか「どこで~か」とか)いちいち不思議がっているのかな?(中学・高校時代に、周囲の人たちとあまり年齢の話をしなかったのか、渡辺淳一?)。
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