「青空文庫」でも読めるけれど(というかそのサイトで存在を知ったのだけれど)、図書館で『豊島与志雄著作集 第二巻』という本(未来社、1965)を借りてきて読んだ(pp.379-398)。初出情報などは、最終巻の『~ 第六巻』にまとめて書かれているようだけれど(あと1巻、わざわざ借りてくる気がしない(涙))、たまたま手もとにあった別の本(2年くらい前に地元ブッ○オフで購入、105円の値札が付いたまま)=『日本現代文學全集・講談社版62 豊島與志雄・岸田國士・芹沢光治良』(講談社、1965)に載っている「年譜」を見ると、大正14年(1925年)のところに<(略)、三月、「狐火」を「文藝春秋」、「香奠」を「時流」、四月、(略)>と書かれている(p.424)。

ネットでも読めるから(あまり長くない短篇小説だし)私が下手な説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、えーと…、いちおう“書簡体小説”というかで、東京で暮らしている「私」(家には妻子とお手伝いさん、職業は、法科大学を卒業して会社勤め)が、郷里(九州)の母親に宛てた手紙の中身――という形をとっている小説。繰り返し「母上」と呼びかけている。で、その内容はといえば、「私」を頼って郷里(の隣村)から上京してきていた受験生・平田伍三郎について。もう最初のへんで、<母上/平田伍三郎はほんとうに可哀そうなことになりました。(略)>(p.379、スラッシュは改行の意味、以下引用では同じ)と語っているし、そもそも題名が「香奠」(香典)だし、(少しネタバレになってしまうけれど)やっぱり死ぬことになる、平田くん。ちなみに死因は(これもネタバレになってしまうかな)脚気衝心。脚気(かっけ)というのは、昔は“都会病”だったのかな? この小説を読むと、都会暮らしは野菜不足になりやすい、みたいなことがわかる(でも、上京して1年もしないうちに死ぬほどに悪化するかな? …場所というか土地がらは関係ないのかも。あ、「脚気」と「脚気衝心」って別もの? 「~衝心」のほうは突然になるのかな?)。小説的というか物語的には、平田くん、都会に少し染まってしまったせいで(罰として?)死んでしまったのかな?(違うか)。そう、脚気の伏線…なのかどうかはわからないけれど、平田くんはよく歩いていたらしい。上京した日も駅から「私」の家まで歩いてきたらしいし、予備校にも歩いて通っていたらしい。要するに田舎者は植物を愛し、よく歩きもするし、散歩も好きだし?(うーん…)。子どもも好きで、愚直というか自分のやり方に固執して、同じことをし続ける…というのは、別に出身地は関係ないか。

私の場合、「田舎vs.都会(都市)」「地方vs.東京」であれば、基本的にほとんど迷わず、田舎/地方の味方をしてしまうので、そのせいかもしれないけれど、読んでいると、都会に染まりきった「私」の言い訳(平田くん死亡の件に関する)をずっと聞かされている気分になってくる。最後の最後も、個人的には「なんだよ、この終わり方は!」とか思ってしまった(汗)。…でも、どうなんだろう?(どう読めばいいんだろう?)。えーと、最後の最後だけれど、引用してしまうか。香典には平田くんの彼女(下宿の隣家の娘)のぶんとして10円余分に入れておいた、みたいな話のあと、

 <母上/私は今何だか新しい気持で生きてゆきたい気がしています。国許から東京へ出てくる青年があったら、どしどし云って寄来してください。世話は出来ませんが、親しく交際したいと思っています。>(p.398)

気持ちが改まっても、都会人のエゴ丸出し? 東京で暮らしていて頭も心もコチコチ(?)になっている会社員のおっさんに、風穴(?)を空けてやるために地方出身の若者たちが存在しているとでも言うのか?(別に↑にそういう含みはないか…)。とりあえず、自分のために人を利用するな! というか、「私」のほうが田舎(郷里)へ行って青年たちと交流しろ、って話だな。ついでに得体の知れない(脚気と同じくらい重い)風土病にでもかかってしまえばいいのに。って、よくないか(言い過ぎました、すみません)。

本題というか、以下、いつも書いているようなことを。2月の初めに突然、電報(「ヒラタユクタノム」)が「私」のもとに届いて、その翌々日にもう、平田伍三郎は上京している。「私」の家(当てにしていた)には、住まわせてもらえないのだけれど、えーと、どういう受験生かといえば、…引用したほうが早い。

 <彼は前年の春中学校を卒業して、将来の方針を立てるのに愚図ついてるうち、上の学校への入学期も過してしまった。そして兎も角農業をやってると、アメリカへ行ってる父と兄とから連名の手紙が、伯父宛に届いたのだった。内地で仕事をするにしてもまたはアメリカへ来るにしても、学問をしていなければ立身出世は出来ないと思うから、伍三郎には充分学問をさせてやってくれ、学費は入用なだけ送るから、とそういう文面だった。それで彼は、中学校の成績は余りよくなかったけれど、思い切って東京に出て勉強することになった。毎月五十円ずつ送って貰うことになった。そして徴兵検査の関係やなんかもあるので、どこかの予備校にはいって勉強した上、来年の春商科大学の入学試験を受けるつもりでいる。――とまあ大体そういった話でした。>(p.381)

中学卒業後にぐずぐず…か。暮らしている家が農業をやっているにしても、とりあえず、しばらくの間(定番の)小学校の代用教員をしよう、みたいなことは思わなかったのかな? あ、家には進学するのに十分なお金はあるから、外で稼いでくる必要はないのか。当時、高校や大学ではなくて「予備校」でも、「徴兵検査」は免除されたのかな?(そのへんのことが個人的にいまだによくわからない)。あと、当時の――作中年がわからないけれど、発表年=大正14年くらいであるとすれば――50円って、現在でいえばいくらくらいんなんだろう? 文脈的に50万円…では多すぎるか、半分の25万円…でも多すぎる? あ、香典には10円余計に入れている…。いずれにしても私にはよくわからんです(涙)。それはともかく、この平田くんは「浪人生」と言ってもいいのかな?(うーん…)。もちろん、中学校の“過年度卒業生”ではあるけれど。現在でいえば1年くらい家の仕事を手伝って、あるいはフリーターなどをしていて(理由は何にせよ)やっぱり進学しよう、みたいなケースかな。社会人の(再)受験…ともちょっと違うか。あ、卒業した時点(中学5年)ではたぶん健康だったわけで、病気で受験できなかったと語っている太宰治『パンドラの匣』よりは、(人生にあれこれ迷っていたにしても)ずっとのんきな感じはする。どうも個人的には(以前にも書いた気がするけれど)前年度に1度受験して、ちゃんと(?)落ちていない人を「浪人生」とは呼びたくないんだよね(うーん…)。――著作権が切れているからもっと引用してしまうか。上の箇所の続き、

 <「どうせ来年入学試験を受けるのなら、今年も受けてみたらどうです。」と私は勧めてみました。/「初めから通る通らないは眼中におかないで、来年の下稽古のつもりで受けてみたら、通らなくっても残念じゃないし、通ったら一年もうかるわけじゃないですか。」/然し彼はそれに断然反対するのです。/「今年は止めます。一年近く遊んどりましたから、何もかも忘れてしまって、とても通りゃしません。そして今年落第すると、気が折れていけません。一遍にすっと通らないようじゃあ、つまりませんから。」/「なるほど。」/「先生は昔落第なさったことがありますか。」/「さあ、一度もその覚えはないが。」/「そうでしょう。私もそんな風にゆきたいんです。」/思いつめたようなその言葉の調子に、私は快い微笑を禁じ得ませんでした。(略)>(pp.381-2)

自分も一瞬、「私」(何かの「先生」ではないけれど、平田からはそう呼ばれている)に賛同して、今年も受ければいいじゃない?(もう2月だけれど、願書などが間に合えば)とか思ったけれど、それは、都会的な効率主義的な考え方(“Time is money.”など)に毒されているから? 私は田舎者なので、ここやっぱり平田くんの愚直さ(?)のほうを応援しておきたい。あ、そういえば、自分が大学生のときにいたっけな、社会人入学みたいな人(もちろん私より歳上で、どうしても教師になりたくて教育学部に再入学)で、合格するのに2,3年かかるかと思って覚悟していたら、1年で受かった、みたいなことを語っていた人が。…それはともかく、若者とおっさん――ではどうかな? 意外と若い人のほうが損得勘定(というか目先の利益)で行動している気もするけれど、まぁそのへんは人にもよるか(でも、今年受かればもうけもの、と考える若者は多いかもしれない)。そう、(1年遅れても)1度も落ちたくない、というのは“浪人否定”でもあるのかな? であれば、この人を“浪人生”と呼ぶのはあまりよろしくないことかも。――予備校は定番中の定番(?)神田の某学校に通っている。

 <平田伍三郎が私の家にいたのは、二週間ばかりの間だったと覚えています。そして彼は、当にしていた私の家に長く居るわけにはゆかず、やがて一人で下宿へ移らなければならないことを、別に悲観した風もなく、四五日後には、神田の正則英語学校の受験科にはいって、英語の勉強を初めました。/「東京の学校は不親切ですね。」と彼は云いました。「鐘が鳴ると先生が教室にはいって来て、ぺらぺらぺらぺら、恐ろしい早口で饒舌り続けて、そしてぷいと出ていってしまいます。何にも分りはしません。質問する時間もありません。それに少し遅れていくと、もう坐る場所が無くなって、立っておらなければなりません。あんなに不親切であんなに繁昌するのはやっぱり東京ですね。」/その調子は、不平を感じているというよりも寧ろ感心しているという風でした。そして彼は毎日出かけてゆきました。その往き返りを、電車にも乗らず必ず徒歩でやるのです。/(略)>(p.384)

予備校というか“東京の”予備校として語られている。早口(せわしない?)、不親切(冷たい?)、人が多い…。あ、小説(フィクション)なので、当時のその予備校が、実際に上で言われている通りだったかは(私には)よくわからない。

ちなみに、最後のほうでわかるのだけれど、「私」の名前(苗字)は「水島」。あと、「私」の家は…どこだっけ?(見つからないな)、でも、東京駅から1里余りのところらしい。平田くんが見つけた下宿があるのは、「小石川の戸崎町」とのこと。

~・~・~・~・~・~・~・~・~
豊島与志雄には、ほかにも(ちゃんと調べたわけではないので、どんな小説を書いているのか、私には全体像(?)がわからないけれど、少なくとも)「人の国」(同じ『~ 第二巻』所収)という短い小説があって。大学教授=変わり者みたいな話かな? 個人的にはけっこう面白かったのだけれど、主人公の久保田さん(元大学教授)の長男=洋太郎が、高等学校の受験準備中、だそうだ。「現役」なのか「浪人」なのかはよくわからないけれど。(精読すればどこかに判断のヒントがあるかもしれないけれど。)
 

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