睦月影郎 『Gのカンバス』
2012年1月30日 読書
集英社、2002/講談社文庫、2011.9。手もとにあるのは、文庫版。「第二章」(全3章)の途中まで読んで読みかけだったのを、最後まで読んだ。※以下、いちおうネタバレ注意です。“ネタ”があるような小説ではないけれど。
<眼鏡美人の国語教師恵子先生、大人びた美少女白根桜子――。昭和四十六年、三崎高校一年の如月吾郎は、女神と崇める女体を想い、日夜、オナニー生活に明け暮れていた。放課後の部室でハイライトを燻らせつつ夢想する童貞喪失の日は、未だ遥かに遠いのであった。人気官能作家が綴る、99%自伝的青春小説。>(文庫カバーより)
高校があるのは、三浦半島な神奈川県。主人公の吾郎は高校に入学すると、なんだかんだで(?)誘われた美術部に入部。自慰ざんまい(?)なだけでなく、部活ではいろいろ制作があったり(ときどき友人たちと部室に泊り込んだり)、一方、漫画や小説を書いて投稿したり…な日々。家が引っ越したために電車での通学距離が長くなって(そうならなかった場合でも同じだったかもしれないけれど)小説などの本はかなり読んでいる感じ(作家の自伝的な小説だからそれがふつう?)。「第一章」が高校1・2年編、「第二章」が高校3年編、「第三章」がだいたい浪人1・2年編。国語の先生が学校を移ったあとは、保健室の先生(女性)が登場してきたり、美術部の顧問の先生も、2年からは理解がある感じの先生に替わったりしている。あと、人徳がある(?)物理の先生なんかも登場――ま、細かいことは措いておいて。で、これは、世の高校生や浪人生にお薦めしてもいい小説なのかな? うーん…、微妙というか、私には判断ができないな(汗)。オ●ニーをすることに罪悪感があったり、自分は性的に「変態」なのではないか、と思い悩んだりしている男子高校生とかは、読んでみれば、自分は(自分のほうが)普通だ! とは思えるかもしれない(わからないけれど)。そう、読んでいてちょっと思ったのは、ひとりエッ●をするのは(ある程度どんな場所であれ)本人の勝手かもしれないけれど、女子トイレや女子更衣室に忍び込んで、出したものが出しっぱなし…というのが、個人的にはちょっといただけないな(汗)。汚いやね? いや、もちろん私は男性なので、けがされた(?)女子トイレを利用したりはしないけれど。あ、でもこの小説は、全体的にその手の臭い(悪臭?)が漂ってこない感じで書かれている?(だから、繰り返されるオナ●ーの場面にも飽きにくい? …関係ないか)。そう、よくTVを見ているとお笑い芸人の人(男性)とかが、たまに小学生のときに好きな女の子の縦笛をなめたことがある、みたいなことを語っていることがあって。…どうなのかな? 個人的にはそんな話は聞きたくないな(小学生であっても器物破損とかで逮捕できないかな…。ぎりぎり可能?)。
えーと、別に全くの他人事として読んでいたわけではないけれど、自分の話(特に高校~浪人中の“G生活”)を、いまここで書く気はしないな(すみません)。代わりに当り障りのない話を…というか、ブログではもう2、3回書いた覚えがある話だけれど、ま、もう1度繰り返してみれば、自分、浪人中にピンクな電動なアレを拾ったことがあります(汗)。1浪目、予備校生ばかりのいるところで下宿していたのだけれど(あ、インターネットはまだ普及していない時代の話)その下宿先の近くで。拾って帰って――電池は入っていたんだっけな、それとも自分で入れたんだっけな、…思い出せないけれど、とにかく普通にぶるぶる…と動いて。そこにたまたまAくん(その下宿で唯一の同じ予備校・同じ校舎)がやって来たので、自慢というか、「見て見て、拾った!」と言って動かして見せたら、慌てられて「そんなもの、捨てて来なさい!」とか言われてしまって(涙)。ばっちぃでしょ、誰が使ったものだかわからないんだから! と。自分も、それもそうだな、と思い直して、しょんぼり捨てられていた場所にまた捨てに行って。んで、部屋に戻ったら今度はKくん(別の予備校)が現われたので、かくかくしかじかなことが…と愚痴ったら、逆に目を輝かせて「オレも見たい!」とか言われてしまって(汗)。しかたがないから(?)またとぼとぼと同じ場所に拾いに行って――みたら、もう影も形もなかった(涙)。何往復? とにかくそのときは疲れました(主に精神的に)。というか、何をやっていたんだろう、浪人中の自分は(涙)。実は(Aくんには言わなかったかもしれないけれど)、ピンクロ●ターといっしょに空気が抜かれたダッ●ワイフも不法投棄(?)されていて。さすがにそれには、私も触れなかったけれど。(いま考えてみると、組み合わせとしてちょっと変? 捨てた人には人間の相手がいるのやら、いないのやら?(風船人形におもちゃを使うことに意味はありやなしや?)。あ、でも、両方とも捨ててしまったのか。…意味がわからないな(汗)。)
一般に自伝的な小説は、読んでいて(ノスタルジー的に?)時代背景が楽しめることが多い? この小説でも、けっこうそうかもしれない。具体的には、1971年から1975年くらいか。同じ時代を過ごしたことがある人には、ちょっと懐かしいかもしれない。――例えば(といっても、これは1970年代前半限定の話ではないけれど)、吾郎はラジオ講座を聴いたりしている。高校時代から聴いているのだけれど、浪人になってからも、予備校には通わずいわゆる宅浪(自宅浪人)になっていて、聴いている。
<やがて、ようやく[オ●ニーの]興奮を静めてから吾郎は嫌々ラジオ講座に向かった。ラジオから流れる西尾先生の「受験勉強が、一生の教養の基礎となるよう心がけるべし」という言葉を噛み締めた。>(p.371、[括弧]は引用者補足)
1975年・2浪目の箇所。吾郎は私立文系志望で、英語・国語・倫理社会の3科目で受験。そのなかでは英語がいちばん苦手らしい。↑の講師は、なかなかいいことを言っている? というか、「西尾先生」(という名前)が出てくる小説は、個人的には今回初めて読んだかもしれない(私は読書量が少ないので、探せばたくさん出てくるかもしれないけれど)。旺文社のラ講といえば、やっぱりいちばん有名なのは、西尾孝だよね?(そうでもないのかな…、というか、誰に訊いてみればいいのやら?(汗))。本がどこかに行ってしまって、いま確認できないけれど、姫野カオルコ『終業式』(『ラブレター』光文社、1996改題/文庫は集英社文庫ほか。1975年・高校2年から始まっている小説)には、古文の先生の名前が出てきていた覚えがある(ものすごくうろ覚え)。あと、北村薫(1949年生まれ)の『スキップ』(新潮社、1995→新潮文庫)には、『水準表』(たぶん西尾孝の参考書)が出てくる。そう、吾郎は、模擬テストも今はなき旺文社のものを受けている。
主人公が現役・1浪での受験に失敗するのは、まぁ納得できるけれど(要するに勉強不足だろう)、美術部の部長(だっけ?)の女の子は、石膏デッサンとかを頑張っていた感じなのに、どうして美大受験で2浪もしているのかな?(いや、純粋な疑問。敗因というか落ちた理由がちょっと知りたい)。あと、吾郎は浪人中、アルバイトをしている。1浪目は父親が勤めている会社、の工場で。4ヶ月の約束だったらしいけれど、ほかの従業員(周りの大人たち)がやる気がない感じだったりして、1ヶ月早くやめている。2浪目は、「AFC(アイダホ・フライドチキン)」の腰越店(@江ノ島の見える腰越海岸)で。ここは吾郎にとって“当たり”だったようだ。社員の人たちやバイト仲間に恵まれていたり…。大学は結局(東京のではなく)平塚にある大学に入ったらしいけれど、すぐに(1年足らずで)やめてしまったらしい。
<大学を辞めたのは、あまりにつまらなかったからだ。作家志望には何の役にも立たぬし、学費が勿体ない。それに周囲の連中は、文学部なのに夏目漱石の一冊も読んでいないどころか、漱石という漢字すら書けないバカばっかりで友人ができなかったのである。>(p.435)
私は「バカ」側なので(「漱」という漢字もかけないし、文学作品もほとんど読んだことがないし)あまり人のことが言えないけれど、えーと、主人公(&作者)は、文芸サークルとか創作サークルとか、読書サークルみたいなものには、入ってみなかったのかな? …まぁいいのか、大学中退でも。この人の場合、なんだかんだで(?)作家デビューできているわけだから。
書き忘れていたけれど、この小説の初出は『週刊プレイボーイ』(集英社)らしい。よくわからないけれど、その雑誌を読んでいる浪人生ってけっこう多いの? そういえば、去年、久しぶりに(新聞広告を見て、1つ読みたい記事があったので)近くのコンビニでその雑誌を買ったのだけれど、成人コーナーに並べられていて、ちょっとびっくり(新聞広告が出ているのに)。18歳未満であるたいていの高校生は買えない、ということ? 小説ではないけれど、集英社文庫から出ている人生相談本(?)開高健『風に訊け』、『風に訊け ザ・ラスト』の2冊は、どちらも浪人生の質問から始まっている。今東光の人生相談Q&A本でも、浪人生がけっこう質問しているし、初出はなんだろう(以前図書館で借りて読んで、持っていないのでわからないけれど)松浦理英子『おぼれる人生相談』(角川書店/文庫も出ている?)なんかも、最初の質問者は浪人生(女子)だったと思う(よく覚えていないけれど。1番目ではなくて2番目だったかも)。浪人生とは悩める者、しかも(にもかかわらず)質問内容はたいして深刻でないから最初のへんに?(違うか)。それはともかく、『週プレ』(と略すらしい)は男子浪人生の“おかず”としては、どうなのかな? いまでも人気が?(ま、いまはインターネットで無料なものがたくさんゲットできるかもしれないけれど)。
<眼鏡美人の国語教師恵子先生、大人びた美少女白根桜子――。昭和四十六年、三崎高校一年の如月吾郎は、女神と崇める女体を想い、日夜、オナニー生活に明け暮れていた。放課後の部室でハイライトを燻らせつつ夢想する童貞喪失の日は、未だ遥かに遠いのであった。人気官能作家が綴る、99%自伝的青春小説。>(文庫カバーより)
高校があるのは、三浦半島な神奈川県。主人公の吾郎は高校に入学すると、なんだかんだで(?)誘われた美術部に入部。自慰ざんまい(?)なだけでなく、部活ではいろいろ制作があったり(ときどき友人たちと部室に泊り込んだり)、一方、漫画や小説を書いて投稿したり…な日々。家が引っ越したために電車での通学距離が長くなって(そうならなかった場合でも同じだったかもしれないけれど)小説などの本はかなり読んでいる感じ(作家の自伝的な小説だからそれがふつう?)。「第一章」が高校1・2年編、「第二章」が高校3年編、「第三章」がだいたい浪人1・2年編。国語の先生が学校を移ったあとは、保健室の先生(女性)が登場してきたり、美術部の顧問の先生も、2年からは理解がある感じの先生に替わったりしている。あと、人徳がある(?)物理の先生なんかも登場――ま、細かいことは措いておいて。で、これは、世の高校生や浪人生にお薦めしてもいい小説なのかな? うーん…、微妙というか、私には判断ができないな(汗)。オ●ニーをすることに罪悪感があったり、自分は性的に「変態」なのではないか、と思い悩んだりしている男子高校生とかは、読んでみれば、自分は(自分のほうが)普通だ! とは思えるかもしれない(わからないけれど)。そう、読んでいてちょっと思ったのは、ひとりエッ●をするのは(ある程度どんな場所であれ)本人の勝手かもしれないけれど、女子トイレや女子更衣室に忍び込んで、出したものが出しっぱなし…というのが、個人的にはちょっといただけないな(汗)。汚いやね? いや、もちろん私は男性なので、けがされた(?)女子トイレを利用したりはしないけれど。あ、でもこの小説は、全体的にその手の臭い(悪臭?)が漂ってこない感じで書かれている?(だから、繰り返されるオナ●ーの場面にも飽きにくい? …関係ないか)。そう、よくTVを見ているとお笑い芸人の人(男性)とかが、たまに小学生のときに好きな女の子の縦笛をなめたことがある、みたいなことを語っていることがあって。…どうなのかな? 個人的にはそんな話は聞きたくないな(小学生であっても器物破損とかで逮捕できないかな…。ぎりぎり可能?)。
えーと、別に全くの他人事として読んでいたわけではないけれど、自分の話(特に高校~浪人中の“G生活”)を、いまここで書く気はしないな(すみません)。代わりに当り障りのない話を…というか、ブログではもう2、3回書いた覚えがある話だけれど、ま、もう1度繰り返してみれば、自分、浪人中にピンクな電動なアレを拾ったことがあります(汗)。1浪目、予備校生ばかりのいるところで下宿していたのだけれど(あ、インターネットはまだ普及していない時代の話)その下宿先の近くで。拾って帰って――電池は入っていたんだっけな、それとも自分で入れたんだっけな、…思い出せないけれど、とにかく普通にぶるぶる…と動いて。そこにたまたまAくん(その下宿で唯一の同じ予備校・同じ校舎)がやって来たので、自慢というか、「見て見て、拾った!」と言って動かして見せたら、慌てられて「そんなもの、捨てて来なさい!」とか言われてしまって(涙)。ばっちぃでしょ、誰が使ったものだかわからないんだから! と。自分も、それもそうだな、と思い直して、しょんぼり捨てられていた場所にまた捨てに行って。んで、部屋に戻ったら今度はKくん(別の予備校)が現われたので、かくかくしかじかなことが…と愚痴ったら、逆に目を輝かせて「オレも見たい!」とか言われてしまって(汗)。しかたがないから(?)またとぼとぼと同じ場所に拾いに行って――みたら、もう影も形もなかった(涙)。何往復? とにかくそのときは疲れました(主に精神的に)。というか、何をやっていたんだろう、浪人中の自分は(涙)。実は(Aくんには言わなかったかもしれないけれど)、ピンクロ●ターといっしょに空気が抜かれたダッ●ワイフも不法投棄(?)されていて。さすがにそれには、私も触れなかったけれど。(いま考えてみると、組み合わせとしてちょっと変? 捨てた人には人間の相手がいるのやら、いないのやら?(風船人形におもちゃを使うことに意味はありやなしや?)。あ、でも、両方とも捨ててしまったのか。…意味がわからないな(汗)。)
一般に自伝的な小説は、読んでいて(ノスタルジー的に?)時代背景が楽しめることが多い? この小説でも、けっこうそうかもしれない。具体的には、1971年から1975年くらいか。同じ時代を過ごしたことがある人には、ちょっと懐かしいかもしれない。――例えば(といっても、これは1970年代前半限定の話ではないけれど)、吾郎はラジオ講座を聴いたりしている。高校時代から聴いているのだけれど、浪人になってからも、予備校には通わずいわゆる宅浪(自宅浪人)になっていて、聴いている。
<やがて、ようやく[オ●ニーの]興奮を静めてから吾郎は嫌々ラジオ講座に向かった。ラジオから流れる西尾先生の「受験勉強が、一生の教養の基礎となるよう心がけるべし」という言葉を噛み締めた。>(p.371、[括弧]は引用者補足)
1975年・2浪目の箇所。吾郎は私立文系志望で、英語・国語・倫理社会の3科目で受験。そのなかでは英語がいちばん苦手らしい。↑の講師は、なかなかいいことを言っている? というか、「西尾先生」(という名前)が出てくる小説は、個人的には今回初めて読んだかもしれない(私は読書量が少ないので、探せばたくさん出てくるかもしれないけれど)。旺文社のラ講といえば、やっぱりいちばん有名なのは、西尾孝だよね?(そうでもないのかな…、というか、誰に訊いてみればいいのやら?(汗))。本がどこかに行ってしまって、いま確認できないけれど、姫野カオルコ『終業式』(『ラブレター』光文社、1996改題/文庫は集英社文庫ほか。1975年・高校2年から始まっている小説)には、古文の先生の名前が出てきていた覚えがある(ものすごくうろ覚え)。あと、北村薫(1949年生まれ)の『スキップ』(新潮社、1995→新潮文庫)には、『水準表』(たぶん西尾孝の参考書)が出てくる。そう、吾郎は、模擬テストも今はなき旺文社のものを受けている。
主人公が現役・1浪での受験に失敗するのは、まぁ納得できるけれど(要するに勉強不足だろう)、美術部の部長(だっけ?)の女の子は、石膏デッサンとかを頑張っていた感じなのに、どうして美大受験で2浪もしているのかな?(いや、純粋な疑問。敗因というか落ちた理由がちょっと知りたい)。あと、吾郎は浪人中、アルバイトをしている。1浪目は父親が勤めている会社、の工場で。4ヶ月の約束だったらしいけれど、ほかの従業員(周りの大人たち)がやる気がない感じだったりして、1ヶ月早くやめている。2浪目は、「AFC(アイダホ・フライドチキン)」の腰越店(@江ノ島の見える腰越海岸)で。ここは吾郎にとって“当たり”だったようだ。社員の人たちやバイト仲間に恵まれていたり…。大学は結局(東京のではなく)平塚にある大学に入ったらしいけれど、すぐに(1年足らずで)やめてしまったらしい。
<大学を辞めたのは、あまりにつまらなかったからだ。作家志望には何の役にも立たぬし、学費が勿体ない。それに周囲の連中は、文学部なのに夏目漱石の一冊も読んでいないどころか、漱石という漢字すら書けないバカばっかりで友人ができなかったのである。>(p.435)
私は「バカ」側なので(「漱」という漢字もかけないし、文学作品もほとんど読んだことがないし)あまり人のことが言えないけれど、えーと、主人公(&作者)は、文芸サークルとか創作サークルとか、読書サークルみたいなものには、入ってみなかったのかな? …まぁいいのか、大学中退でも。この人の場合、なんだかんだで(?)作家デビューできているわけだから。
書き忘れていたけれど、この小説の初出は『週刊プレイボーイ』(集英社)らしい。よくわからないけれど、その雑誌を読んでいる浪人生ってけっこう多いの? そういえば、去年、久しぶりに(新聞広告を見て、1つ読みたい記事があったので)近くのコンビニでその雑誌を買ったのだけれど、成人コーナーに並べられていて、ちょっとびっくり(新聞広告が出ているのに)。18歳未満であるたいていの高校生は買えない、ということ? 小説ではないけれど、集英社文庫から出ている人生相談本(?)開高健『風に訊け』、『風に訊け ザ・ラスト』の2冊は、どちらも浪人生の質問から始まっている。今東光の人生相談Q&A本でも、浪人生がけっこう質問しているし、初出はなんだろう(以前図書館で借りて読んで、持っていないのでわからないけれど)松浦理英子『おぼれる人生相談』(角川書店/文庫も出ている?)なんかも、最初の質問者は浪人生(女子)だったと思う(よく覚えていないけれど。1番目ではなくて2番目だったかも)。浪人生とは悩める者、しかも(にもかかわらず)質問内容はたいして深刻でないから最初のへんに?(違うか)。それはともかく、『週プレ』(と略すらしい)は男子浪人生の“おかず”としては、どうなのかな? いまでも人気が?(ま、いまはインターネットで無料なものがたくさんゲットできるかもしれないけれど)。
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