越谷オサム 『ボーナス・トラック』
2012年2月1日 読書
手もとにあるのは、創元推理文庫版(2010.7)。単行本は、2004年に新潮社から出ている模様。ふつうに面白かったけれど、でも、ちょっと長く感じたかな(3割くらいカットしても大丈夫そうな?)。最初のへんを読んでいて、すぐに思ったことだけれど、(いわゆる“意識の流れ”ほどではないにしても)登場人物の目に映ったり、頭の中で考えたりしていることが時系列に書かれていて――そういう形式だと必然、ちょっと長くもなるよね。あと、これも最初のあたり(3人称で書かれているところ)で思ったことだけれど、なんていうか、読みやすい端正な文章だな、とは思った。1文がやや長めな感じで、ちょっと説明的な?(観察・報告的?)。あ、仕事の内容がわりと詳しめに描写されている“お仕事小説”にはふさわしい文体かも(よくわからないけれど)。えーと、ミステリといえばミステリだし、※以下、いつものようにネタバレ注意です。
<草野哲也は、雨降る深夜の仕事からの帰り道、轢き逃げ事故を目撃する。雨にさらされ、濡れた服のまま警察からの事情聴取を受けた草野は、風をひき熱まで出てきた。事故で死んだ青年の姿が見えるなんて、かなりの重症だ……。幽霊との凸凹コンビで、ひき逃げ犯を追う主人公の姿を、ユーモアたっぷりの筆致で描く、第16回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞の著者のデビュー作。>(表紙カバーより)
草野は大学卒業後、某大手ハンバーガー・チェーン(「M」のマーク)に入社して2年ちょっと(3年目)。10月生まれの25歳。現在、勤務している店舗は、東京の郊外(というか埼玉だっけ…の交通量の多いバイパス沿い)にあって、ワンルームマンションからは自動車で通勤している。仕事(本人いわく肉体労働)は残業も多くて(店の社員のなかではいちばん下っ端)、家にはほとんど寝に帰っているような状態(休日もほとんど寝ているらしい)。そんなある日(雨の降る6月)深夜の帰宅途中で――。一方、クサレ暴走車(バカ車)によるひき逃げ被害にあってしまうのは、「燃える闘魂」を静めるためにレンタルビデオ屋へと歩を進めていた「おれ」=横井亮太・大学2年生(20歳前)。通っている(というか通っていた)大学@埼玉(=武蔵学院大)は、2流でも3流でもなく2流半の私大で、教授にも学生にもやる気がないところらしい(その“おバカ大学”でタイヤ切り裂き魔の被害にあったため、自転車ではなくて徒歩でビデオ屋へと。自転車移動でも同じ目にあった可能性はあるだろうけど)。都落ち…とはいわないかな、行きたかった東京の大学には落ちて、不況下、経済的に(家計的に)浪人するのは無理だったらしい。轢かれたとき(@道を横断中)には空中で2回転半ひねりしたそうだ。――後ろの「解説」(小池啓介)を読んでいて思ったのだけれど、この作者は、けっこうキー・ワードをタイトル(書名)に使う人?(私は今回初めて読んだのでよくわからないけれど)。『階段途中のビッグ・ノイズ』、『金曜日のバカ』、『空色メモリ』――「途中」や「~半」だけでなく、「バカ」とか「メモリ」(記録、記憶)なんかもキー・ワードっぽいな。
亮太くん、ジェントル・ゴーストというよりは、“お茶の間幽霊”? 草野氏が亮太を(「幻覚」ではなくて)幽霊であると受け入れてからは、いっしょにTVゲーム(プロレスの)をやったりしている(荻原浩「押入れのちよ」では勝手にTVを見ているだけだったけれど)。お金も手間もいらない居候(サイズは大きめでも、理想的なペット? …違うか)、しかも話し相手としては人間並みというか、人と同等な存在…。アルバイト(といってもベテランの<Sスタッフ>)の南浩人によれば、波長、周波数(のようなもの)が合う幽霊だけ見えるらしく、そういう意味では、亮太しか見えない草野さんにとっては、亮太は(幽霊の中では)ベスト・パートナーである、と言える。横にいる横井――駄じゃれはともかく、家庭用のゲーム機(といってもいろいろあるかもしれないけれど)で築かれる人間関係(友人関係)って、なんていうか“横並び”な感じになりやすい?(作者は1971年生まれらしいけれど、長嶋有=ブルボン小林って何年生まれだっけ? …1972年か。やっぱり近いな)。あ、家の中だけでなく、車でも2人で乗っているときは、たいてい助手席・運転席で“横並び”になるけれど。そういえば(話が逸れてしまうけれど…というか逸れっぱなしだけれど)けっこう“自動車小説”でもあったかな。轢き逃げ事件が車がらみなのはもちろん、移動できる亮太とは違って“重い”地縛霊も出てくるのだけれど、いる場所が、複合ショッピング・センター(ハンバーガー屋にわりと近い)の立体駐車場だったり、パチンコ屋の駐車場(に置かれた車の中)だったり…。最後、草野さんは一時的に自分の自動車を手放してもいる。要するに全体的に“自動車=悪”?
そう、亮太幽霊は、ハンバーガー屋のアルバイト・2人組の女子高校生のうちの1人(「しょうちゃん」ではないほうの子)に「首コキコキ」とあだ名を付けている、のだけれど、個人的には首を鳴らす動作ではなくて、その言葉じたいが若干、怖い(汗)。ちょっとホラーな?(そう思うのは私だけかな)。「首ポキポキ」――もっと怖いな(汗)。あと(これは書いておかないと)よくわからないけれど、草野さんは1年浪人しているようだ。
<(略)予備校から大学までの五年間で揃えたCDの枚数は百を超えていた。レンタルや友達から借りた分を含めれば、その数字はさらに倍以上になる>(p.9)
なぜ予備校のときから?(高校時代にはあまりCDは買わなかったのかな?)。5年間で100枚以上って、別にそれほど多くもないような…。1年は12ヶ月で、5年ということは、60ヶ月? 月に平均2枚買えば、120枚にはなる(シングルではなくてすべてアルバムだとしても、中古で買えば、それほどの出費にはならないかも)。
あと、個人的にどうも“幽霊”の設定が気になってしまって。亮太くんが物を手に取ったりすると、それが(亮太が見える人には)“二重化”して見える――幽霊は現実に対しては影響を及ぼさない、みたいなことはいいけれど、物は通り抜けられない一方、人は(例えば触ろうとしても)通り抜けてしまう、というのがちょっと…。でも、疑問点はとりあえず1つかな、服はどうなのか? ということ。人が着ている服は、私には物であるとしか思えない。――仮に服は(物であって)通り抜けられないとしたら、人間のほうが例えば手袋をしてくれれば、幽霊くんは(幽霊くん目線では)その人とは握手が可能なのではないか? …ん? あ、やっぱり無理か、手袋を握ると内側にへこんでしまう?(ように幽霊側には見える?)。例えば、エロ男子の幽霊が水着を着ている女性を、水着の上から触ったとしても同様に(その幽霊目線では)内側にへこんでしまうだけ? あ、そうだ、もし握手したければ(誰か幽霊が見える人間に協力してもらって)握手したい相手の手の型をとって、マネキンとかフィギュアの手みたいなもの(石膏でもいいけれど)を作っておいて、それを握れば――なんか違うな、そういうことじゃない気が(汗)。飛躍するけれど、結論、服はやっぱり通り抜けられたほうがいいのかもしれない。
<草野哲也は、雨降る深夜の仕事からの帰り道、轢き逃げ事故を目撃する。雨にさらされ、濡れた服のまま警察からの事情聴取を受けた草野は、風をひき熱まで出てきた。事故で死んだ青年の姿が見えるなんて、かなりの重症だ……。幽霊との凸凹コンビで、ひき逃げ犯を追う主人公の姿を、ユーモアたっぷりの筆致で描く、第16回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞の著者のデビュー作。>(表紙カバーより)
草野は大学卒業後、某大手ハンバーガー・チェーン(「M」のマーク)に入社して2年ちょっと(3年目)。10月生まれの25歳。現在、勤務している店舗は、東京の郊外(というか埼玉だっけ…の交通量の多いバイパス沿い)にあって、ワンルームマンションからは自動車で通勤している。仕事(本人いわく肉体労働)は残業も多くて(店の社員のなかではいちばん下っ端)、家にはほとんど寝に帰っているような状態(休日もほとんど寝ているらしい)。そんなある日(雨の降る6月)深夜の帰宅途中で――。一方、クサレ暴走車(バカ車)によるひき逃げ被害にあってしまうのは、「燃える闘魂」を静めるためにレンタルビデオ屋へと歩を進めていた「おれ」=横井亮太・大学2年生(20歳前)。通っている(というか通っていた)大学@埼玉(=武蔵学院大)は、2流でも3流でもなく2流半の私大で、教授にも学生にもやる気がないところらしい(その“おバカ大学”でタイヤ切り裂き魔の被害にあったため、自転車ではなくて徒歩でビデオ屋へと。自転車移動でも同じ目にあった可能性はあるだろうけど)。都落ち…とはいわないかな、行きたかった東京の大学には落ちて、不況下、経済的に(家計的に)浪人するのは無理だったらしい。轢かれたとき(@道を横断中)には空中で2回転半ひねりしたそうだ。――後ろの「解説」(小池啓介)を読んでいて思ったのだけれど、この作者は、けっこうキー・ワードをタイトル(書名)に使う人?(私は今回初めて読んだのでよくわからないけれど)。『階段途中のビッグ・ノイズ』、『金曜日のバカ』、『空色メモリ』――「途中」や「~半」だけでなく、「バカ」とか「メモリ」(記録、記憶)なんかもキー・ワードっぽいな。
亮太くん、ジェントル・ゴーストというよりは、“お茶の間幽霊”? 草野氏が亮太を(「幻覚」ではなくて)幽霊であると受け入れてからは、いっしょにTVゲーム(プロレスの)をやったりしている(荻原浩「押入れのちよ」では勝手にTVを見ているだけだったけれど)。お金も手間もいらない居候(サイズは大きめでも、理想的なペット? …違うか)、しかも話し相手としては人間並みというか、人と同等な存在…。アルバイト(といってもベテランの<Sスタッフ>)の南浩人によれば、波長、周波数(のようなもの)が合う幽霊だけ見えるらしく、そういう意味では、亮太しか見えない草野さんにとっては、亮太は(幽霊の中では)ベスト・パートナーである、と言える。横にいる横井――駄じゃれはともかく、家庭用のゲーム機(といってもいろいろあるかもしれないけれど)で築かれる人間関係(友人関係)って、なんていうか“横並び”な感じになりやすい?(作者は1971年生まれらしいけれど、長嶋有=ブルボン小林って何年生まれだっけ? …1972年か。やっぱり近いな)。あ、家の中だけでなく、車でも2人で乗っているときは、たいてい助手席・運転席で“横並び”になるけれど。そういえば(話が逸れてしまうけれど…というか逸れっぱなしだけれど)けっこう“自動車小説”でもあったかな。轢き逃げ事件が車がらみなのはもちろん、移動できる亮太とは違って“重い”地縛霊も出てくるのだけれど、いる場所が、複合ショッピング・センター(ハンバーガー屋にわりと近い)の立体駐車場だったり、パチンコ屋の駐車場(に置かれた車の中)だったり…。最後、草野さんは一時的に自分の自動車を手放してもいる。要するに全体的に“自動車=悪”?
そう、亮太幽霊は、ハンバーガー屋のアルバイト・2人組の女子高校生のうちの1人(「しょうちゃん」ではないほうの子)に「首コキコキ」とあだ名を付けている、のだけれど、個人的には首を鳴らす動作ではなくて、その言葉じたいが若干、怖い(汗)。ちょっとホラーな?(そう思うのは私だけかな)。「首ポキポキ」――もっと怖いな(汗)。あと(これは書いておかないと)よくわからないけれど、草野さんは1年浪人しているようだ。
<(略)予備校から大学までの五年間で揃えたCDの枚数は百を超えていた。レンタルや友達から借りた分を含めれば、その数字はさらに倍以上になる>(p.9)
なぜ予備校のときから?(高校時代にはあまりCDは買わなかったのかな?)。5年間で100枚以上って、別にそれほど多くもないような…。1年は12ヶ月で、5年ということは、60ヶ月? 月に平均2枚買えば、120枚にはなる(シングルではなくてすべてアルバムだとしても、中古で買えば、それほどの出費にはならないかも)。
あと、個人的にどうも“幽霊”の設定が気になってしまって。亮太くんが物を手に取ったりすると、それが(亮太が見える人には)“二重化”して見える――幽霊は現実に対しては影響を及ぼさない、みたいなことはいいけれど、物は通り抜けられない一方、人は(例えば触ろうとしても)通り抜けてしまう、というのがちょっと…。でも、疑問点はとりあえず1つかな、服はどうなのか? ということ。人が着ている服は、私には物であるとしか思えない。――仮に服は(物であって)通り抜けられないとしたら、人間のほうが例えば手袋をしてくれれば、幽霊くんは(幽霊くん目線では)その人とは握手が可能なのではないか? …ん? あ、やっぱり無理か、手袋を握ると内側にへこんでしまう?(ように幽霊側には見える?)。例えば、エロ男子の幽霊が水着を着ている女性を、水着の上から触ったとしても同様に(その幽霊目線では)内側にへこんでしまうだけ? あ、そうだ、もし握手したければ(誰か幽霊が見える人間に協力してもらって)握手したい相手の手の型をとって、マネキンとかフィギュアの手みたいなもの(石膏でもいいけれど)を作っておいて、それを握れば――なんか違うな、そういうことじゃない気が(汗)。飛躍するけれど、結論、服はやっぱり通り抜けられたほうがいいのかもしれない。
コメント