手もとにあるのはハルキ文庫版(2000年)。感想というかは、ふつうに面白かったかな。「青春」という言葉がけっこう使われていて、なんとなく想像していたよりも青春推理(青春ミステリ)でした。個人的に「青春小説」と言われると、男の子たちの群像劇、というイメージがあって、それにも合致する感じだけれど、ま、でも(?)、寮生活(いちおう全寮制)で寝食をともにしたり、もちろん授業で一緒に(同じ教室で)勉強していたり…もするわけで、自然とお互いに仲良くもなりそうだよね。もちろんみんながみんな仲がいい、という感じにはなっていないけれど。あと、天下の一高なので(?)面々が個性的であったりもするようだ(ほかの学校と比較できるわけではないけれど)。この学校出身者による自伝本(学生時代の回想を含むもの)は実際にたくさん出版されているだろうけれど、小説であると、なんていうか“動き”もあるから、生き生きとしていてよかったです。もちろん当時の学校生活、寮生活についても(雰囲気をともなって…というか、主観的な感じでも)ある程度、知ることができるし。(ただ、一高生たちの場合、それ=ある種の仲の良さが、将来における学閥というか、東大卒コネクションみたいなものに変わる可能性もあるから、なんの恩恵も受けていない無関係な人間(=私)としては、おえー、みたいな感想も言っておいたほうがいいのかもしれないけれど。)

 <時あたかも大東亜戦争を目前にしたある日、一高で発生した奇怪な人間消失事件――本館正面にそびえる時計台の中から一人の学生が忽然と姿を消したのだ。事件前日に彼を訪ねた一人の女と、一高生に扮した偽学生の影が見え隠れする中、事件は悲劇的な展開を見せはじめる……。暗い時代を背景に、名探偵・神津恭介の若き日を描いた表題作とその続篇にあたる『輓歌』、二つの本格ミステリーを収録した一冊。>(表紙カバーより)

“人間消失”に関しては、それほど派手ではなくて(?)真相を聞いてもああそうか、くらいな感じ(個人的には)。表題作の初出年は、昭和26年(1951年)でいい?(手もとの文庫本には「解説」も含め、その手の情報があまり書かれていない)。えーと、「私」=松下研三(あだ名は「ウルトラ」)によって、一高(=旧制第一高等学校、学制改革によっていまはもうない)時代の思い出(事件)が語られている。探偵役というかは、寮の同室者の神津恭介(かみづ・きょうすけ)。「私」からは「神津君」とか「ドクター」と呼ばれている。青春ミステリの語り手が食いしん坊…というか大食い、というのはちょっと面白いね。表題作は昭和13年(1938年)、「私」&神津恭介が2年生のときの話。併録作=続編のほうは、その翌年=昭和14年(1939年)の話で、落第した「私」はまだ2年生(2年の“裏”)、一方、天才の神津君(ピアノも弾ける)は3年(最終学年)に進学している。…あ、学校(寮も含む)は2年前=昭和10年(1935年)(の9月?)に本郷から駒場に引っ越している。一高の歴史において、昭和13年(~14年)は微妙な時代だったらしいというか、語り手によれば「過渡期」に当たるそうだ。そう、なんとなく学校の中だけで(事件が起こって犯人が逮捕されたりとかして)解決する話かな、と思っていたら、けっこう“外部”があったというか、敷地内に人が入ってくるだけでなく、一高生たちが外に出て行ったりもしている。

どうでもいいことだけれど、表題作のほうで、「浪人」という言葉が1箇所使われている。「私」が<渋谷道玄坂キネマ>で映画を見たあと<ビヤホール>に立ち寄ると、偶然、探していた謎の女がいて、一高生の格好をした男と話をしている…という場面。

 <だがどことなく、この男の格好には、一高の制服にそぐわぬものが感じられた。まるで借り物のような洋服、ぶきっちょなマントの着方、新入生だなと私は感じた。/しかし、それにしては、女に対する口のきき方が、えらく横柄なようにも思われる。これがもし、新入生だとしたならば、何年も浪人生活をつづけて、社会ですれきった人間に違いない。>(p.30)

「浪人(生)」ではなくて<浪人生活>だけれど。しかも、<社会(ですれきった…)>と言っているし、純粋な「受験浪人」(一高志望の万年受験生)という意味で使われている感じではない(ちょっと残念)。併録作のほうでは、<予備校>という言葉が使われている(p.177)けれど、これもどうでもいいか。(ときどき、旧制高校に対して、大学に入るための予備校(だった)と言う人がいる…ような気がするけれど、文字通り「予備の(予備的な)学校」、あるいはイギリスなどのプレップ・スクール(prep school)みたいなイメージなのかな? 少なくとも現在の大学受験予備校とはイメージ的には別ものだろう、旧制高校は。あ、歴史をさかのぼれば「大学予備門」というのもあったっけ。私はよく知らないけれど。)

~・~・~・~・~・~・~・~・~
関係ないけれど(なくはないか)、以前TVを見ていたら(Eテレ以前のNHK教育の番組)ナレーションで「いっこう」と発音していて。そのあと、私も(「知らなかった、そうだったのか!」と思って)しばらく頭の中でそう読んでいたのだけれど、この本では「いちこう」とルビが振ってある。――どちらが正しいの? 「一高」だけでなく、ほかのナンバースクール(の略称)の読み方も、誰か教えてほしいな(「八高」まであるんだっけ?)。以前、何かを読んでいたら(『本の雑誌』の“ご当地小説”がらみの記事だったかも)「四高」に「よんこう」とルビが振ってあったけれど、(よく覚えていないけれど)中公文庫版の井上靖『北の海』の解説では「しこう」と読む、と力説(?)されていたような記憶がある。そう、あと、高校浪人(中卒浪人)ではなくて大学浪人(高卒浪人)のことを「白線浪人」と言うらしいけれど、読み方は「はくせんろうにん」でいいの? 以前、何かを読んでいたら「白線」に「しろすじ」とルビが振ってあって。もしかして「白線浪人」は「しろすじろうにん」と読む?

あと、これもあまり関係のない話だけれど、去年(2011年)文庫化された齋藤愼爾『寂聴伝 良夜玲瓏』(新潮文庫、2011.5)という本を、買ったままいまだにほとんど読んでいない(単行本は2008年に白水社から出ているようだ)――あいかわらず、積ん読本がなかなか減っていかない(涙)。TVでもおなじみ(それほど出演しているわけでもないか)瀬戸内寂聴さんは、昔、東京女子大学に入るのに浪人はしていないけれど、高女(徳島高等女学校)の最後の年の冬休みに、上京して<道玄坂の裏通りの昭栄塾>(p.64)に通っていたらしい。通っていたというか、寄宿舎があったようだ(同頁)。この予備校の名前、私は初めて目にしたのだけれど、有名なところ? …それはともかく、ほとんど出歩かなかったのかな? 表通りまで(?)出歩いていれば、昭和14年(の12月下旬から翌年にかけて)だから、一高・(2回目の)2年生のウルトラ松下くん(映画好き?)とどこかですれ違っているかもしれない。…もちろん冗談です(汗)。
 

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