南英男 『ミッドナイト・ラブ』
2012年5月1日 読書
集英社文庫コバルト・シリーズ、1984。貴重(というか希少)な浪人生が主人公の長篇小説――でも、うーん…、微妙といえば微妙な小説だったかな(今日も煮え切らない発言(涙))。内容と合っているのか合っていないのか(という問いを超えている気もするけれど)イラストがちょっとハードボイルド?(違うか)。内容はもっと若い感じの“青春小説”だと思う。ただ、やっぱりおっさんくさくもあるし、例えば主人公はお母さんに頼まれて、父親の浮気調査(=探偵のまねごと)をしたりはしていて(その後、好きになった年上の女性のあともつけているし)――ソフトボイルドくらいな感じ?(わからないけれど)。文体も、読む前はなんとなくもっと癖がある感じを想像していたら、それほどでもなかったです。けっこう読みやすい。作者は1944年生まれで、コバルト文庫でいえば、片岡義男や落合恵子と同じくらいの世代? えーと、ミステリ小説ではないですが、※以下いちおうネタバレ注意です。
<受験に失敗した心の動揺から、不意に訪れた欲情に身を任せ、妹の親友未樹と取り返しのつかない関係になってしまった俊介。両親の進学への過剰な期待とともに、それは彼の心に重くのしかかっていた。親友早坂との束の間の遊戯も、救いにはならない。だが、ある日ふとしたきっかけから、年上の美しい女を見かける。その女の名は、神崎亜矢子。俊介の胸の奥に、何かが芽ばえようとしていた。>(「女」には「ひと」とルビ、表紙カバー折り返しより)
冒頭がベタかな。季節は5月、浪人中の「ぼく」(=鳴海俊介)が公園(家からさほど遠くないところにある「世田谷公園」)のベンチに座って悩んでいる場面。早々に“妊娠小説”か! ってな感じだけれど(よく知らないけれど、現在のライトノベルならありえない?)、「ぼく」(の回想)によれば、W大とK大に続いて、最後の頼みだったG大にも落ちて、高校生の妹・優子の親友、友永未樹を電話で呼び出していっしょに飲んで、その流れでうんぬん…みたいな。受験に失敗→酒&女、というのはたぶん小説ではお約束。そう、未樹に電話する前に新宿を<やみくもに歩き回って>(p.11)もいたらしい。受験失敗→街を彷徨、というのもたぶんお約束のパターン。
“浪人生小説”としては、えーと…、「ぼく」や、高校のときからの悪友・早坂久雄が通っているのは、代々木の「Yゼミナール」とのことだけれど、実際の(現実の)Yゼミ生/元Yゼミ生には、あまりお薦めできない小説かもしれないな(汗)。<束の間の遊戯>の1つに当たるのか、「ぼく」たちは、路上駐車していたトラックに積まれていたマネキン(女体)を1つ盗んで、予備校の入り口あたりに置く…みたいな悪戯をしている。早坂くんが局部にリアリズムな絵を描いて、さらに胸部には、
<ぼくは、マネキン人形を見た。肌色の乳房のあたりに金釘流で、<浪人さん、お勉強ばかりじゃ、体に毒よ。たまには、私を愛してね>と書きそえられてあった。/「おまえも閑人だねえ」/ぼくは、鼻を鳴らした。/「ばか、これはパロディーじゃねえか。禁欲生活を強いられている受験生の従順さを皮肉ってるんだよ。/「それで、パロってるつもりかよ。低級だねえ」/「ちぇっ。……さ、行くか」>(p.69)
予備校に対する営業妨害…というか、少なくともまじめに勉強している浪人生をからかうのはよくないよね。何かもっと瞬間的に笑えて、あとを残さないようないたずらであれば、逆に歓迎されそうな気もするけれど。自分たちだけは違う、みたいな考え方にも、個人的にはあまり共感ができない。そのほかの<悪戯>としては、2人はナンパをしたり、ス●リップを見に行ったりもしている。早坂くん発のものが多いらしいけれど、「ぼく」も高校2年のときからスト●ップを見ていたらしく、見慣れてもいる感じで、
<([ア●スを]完璧には隠しきれないストリッパーのほうが多いんだけど、いまの女はパーフェクトだな)/ぼくは、いたく感じ入っていた。>(p.130、[括弧]は引用者補足)
なんていうか、1980年代前半くらいの男子高校生/浪人生としては、ちょっとどうなのかな、これは? この小説で描かれているような若者もたくさんいた、とか言われれば、よく知らない自分としては、そうですかと思うしかないけれど。とりあえず“大人”に対して道徳的(倫理的)にちょっと挑発的な感じ?(あまり読んだことがないのだけれど、ハードボイルドって「体」も「金」もむき出し上等…?)。そう、もう少し言えば、少なくとも前半に関しては、真面目に勉強したり、働いたりしている人たちがあまり肯定されていないかもしれない(1人称小説だから「ぼく」目線の話。例えば最初のへん、喫茶店で働くウェイトレスの女の子に対してとか)。若いころってそういうもんなのかな?(…人にもよるか)。あ、その前に「ぼく」と早坂は、<ともに、三流都立高校の劣等生>(p.22)だったそうだ。2人とも予備校では同じ私立文系のクラス。友達としてはもう1人、W大生になっている佃圭一が出てくる。この佃くんは、ちょっと(というかかなり)可哀想なことになってしまうのだけれど、…それはそれとして(大学生は措いておいて)。
そういえば、冒頭では「ぼく」はけっこう長めに悩んでいるけれど、その後、たびたび悩みはするけれど、決断・行動までの時間がけっこう短いような…? 勉強が嫌いらしいけれど(ま、好きな人のほうが少ないかもしれないけれど)、あまりものを考えない性格なのかな?(そんなことはないか…、けっこう考えてはいるか)。あと、これもどうでもいいことかもしれないけれど、読んでいてこの小説、移動中を除いて、場面場面で何かを食べたり飲んだりしていることが多いな、とは思った。不合格後のやけ酒もはしごらしいし、尾行していた父親が不倫していなかったのがわかったあと、声をかけて一緒にご飯(天ぷら)を食べているし…。行為がちょっと“大人”的? そう、「ぼく」は、お父さん(キーパーソンでもあるのだけれど、苦労というか努力の人だそうで、現在は大手町にある二流商社の営業部長、W大卒)からは、<「運わるく来年も落ちたら、再来年に賭けてみるんだ」>(p.43)と言われている。小説では「2浪はさせん」的なお父さんのほうが多いような気がするけれど。でも、本人はそこまで頑張る気はないらしい(W大やK大ではなくても、R大やM大、G大くらいでいいと思っている)。――というか、今日はいつも以上にだらだらと書きすぎているかも(すみません)。
昔、<DJ喫茶>なるものが流行っていたことがあるの? 私はこの小説で初めて聞いた(目にした)気がする。「ぼく」とDJ喫茶のDJ・神崎亜矢子(4つ上の23歳、駆け出しの声優)が最初に言葉を交わす場面、
<「浪人さん?」/「ええ。よくわかりますねえ」/「ここのお客さんの大半は、予備校生でしょ?」/「そういえば、そうですね」/「それにあなた、何かお勉強してたみたいだから、そう見当をつけたのよ」/「ああ、それで」/(略)>(p.139)
浪人生小説ではたいてい「学生さん?」とか「高校生?」と言われることが多いのだけれど、なんと(?)直接、「浪人さん?」と訊かれている(汗)。やっぱり代々木、石を投げれば当たるくらいの量の浪人生が?(←すみません、勝手な推測です(汗))。最初のへんで「ぼく」&早坂が、いちおう2人の女の子のナン●に成功しているのだけれど、そのときも、<「あなたたち、Yゼミナールの人じゃない?」クレオパトラ・カットが、早坂に訊いた。>(p.29)というふうなことになっている。恐るべし、地の利?(というか、ナ●パをするならもっと遠くの場所でしたほうがいい? …そういう問題ではないか)。
恋愛部分に関しては“歳上もの”つながりで――ちょうど10年後に出ているのか、村山由佳『天使の卵』(集英社、1994→集英社文庫)と比較してみてもいいかもしれない。そう、読んでいて、お父さんが本当に不倫していて、その相手が実は(「ぼく」が好きになった)亜矢子ではないか、みたいなベタな予想を私はしてしまったのだけれど、それはハズレでした(当たり前か)。「ぼく」には歳下の(妹の同級生の)未樹がいて、亜矢子には京都に別居中の夫がいて、…あ、やっぱり『天使の卵』とちょっと似ているかも(ま、どちらもけっこうベタな話だから似ていると感じるのかもしれないけれど。パズルのように設定をずらしていくと、もっと一致してくる? あ、いや、そもそも雰囲気がぜんぜん違う小説だけれど)。そう、また下ネタになってしまうけれど、「ぼく」が初めて(というか1回だけだけれど)亜矢子と寝たあと、
<「鳴海さんが童貞じゃなくて、よかった……」/(略)/「あれ、君づけはやめたの?」/「ええ」/「さんづけで呼んでもらうと、一人前になったようで嬉しいよ」/「これからは、ずっと鳴海さんって呼ぶわ」/「うん。それはそうと、なぜぼくが童貞じゃなくて、よかったの?」/「だって、きょうが初めてだったとしたら、わたし、へんな負い目を感じちゃうもの」/「ばかだなあ」>(p.284、「さん」には傍点)
という会話が交わされている。歳上の女性だからといって、ふつう「童貞じゃなくて、よかった」みたいなことを相手に言うかな? 「へんな負い目」というのは何? 結婚していて夫がいた、みたいなこととも関係する? というか、「ぼく」が初めてじゃないのは、歳下の未樹(高校生)のおかげじゃんか。…ま、どうでもいいか(汗)。で、「ぼく」は働くために(=働いている彼女と自分を釣り合わせるために?)予備校を辞めてしまう。大学受験ドロップアウト、進学放棄――小説ではありがちだけれど、個人的には例によってがっかり(“浪人生小説”だと思って読んでいたのに! …そんなやつは私だけか(汗))。
その前に早坂くんも(日本での受験をやめて)留学する、と言い出している。ハワイ大学で夏期講習(語学の)を受けて、その後、サンフランシスコ州立大学(の英語科の創作コース)に――って、作家の高橋三千綱と同じパターン?(当時、人気がある進学の方法だったのかな? あ、現在でも?)。でも、早坂は事情が変わって(?)ハワイ大学へは行かず、直接、アメリカ本土のほうへ。あ、家は荒物屋で、もともと大学に行く必要もないらしい。そう、お父さんにちょっと時代を感じるかな。アメリカには義理のお兄さん(お姉さんの旦那)の従弟がいるらしいのだけれど(頼っていくみたいだけれど)、お父さんは反対していて、その理由は<「(略)なにせオヤジは帝国海軍の少年兵だった男だから、いまだにアメリカを憎んでやがるんだ。(略)」>(p.123)とのこと。現在(2012年です)の高校生/浪人生のお父さんなら、ほとんどありえないケース? あ、いまはインターネットもあるしね(関係ないか)。
「ぼく」よりも早坂くんのほうが父親に対してちゃんとぶつかっている? ――で、小説の最後は、こんなところで終わってしまうのか、という感じだった。ちょっと欲求不満…。続編は(調べてみないとわからないけれど)たぶん出ていないよね? というか、いつも以上にぐちゃぐちゃな感想…。でも、書き直す気力がないです(すみません)。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
関係ないけれど、コバルト文庫つながりでは(というか、この話は以前にも書いたような気が。…調べてみると、やっぱり書いていないっぽいな)、だいぶ前から上条由紀『美しく燃える炎を見た』という本(小説)を探していて、いまだに見つからず(ま、ネット古書店で探せばあるかもしれないけれど)。ある別のコバルト文庫の後ろに載っている既刊書の広告によれば、
<身寄りのない少女明美と浪人中の真二…/逆境にめげず、愛を信じて生きるふたり>
とのこと。浪人生が出てくる確率はかなり高い(準主人公?)。あと、以前(去年だったか今年になってからだったか)、正本ノン『前略、親不孝通りから』(1985)というのをタイトル買いしてみたけれど、主人公は浪人生ではなかったです。高校生。札幌というかススキノ(のはずれ)にも「親不孝通り」があるらしい。
<受験に失敗した心の動揺から、不意に訪れた欲情に身を任せ、妹の親友未樹と取り返しのつかない関係になってしまった俊介。両親の進学への過剰な期待とともに、それは彼の心に重くのしかかっていた。親友早坂との束の間の遊戯も、救いにはならない。だが、ある日ふとしたきっかけから、年上の美しい女を見かける。その女の名は、神崎亜矢子。俊介の胸の奥に、何かが芽ばえようとしていた。>(「女」には「ひと」とルビ、表紙カバー折り返しより)
冒頭がベタかな。季節は5月、浪人中の「ぼく」(=鳴海俊介)が公園(家からさほど遠くないところにある「世田谷公園」)のベンチに座って悩んでいる場面。早々に“妊娠小説”か! ってな感じだけれど(よく知らないけれど、現在のライトノベルならありえない?)、「ぼく」(の回想)によれば、W大とK大に続いて、最後の頼みだったG大にも落ちて、高校生の妹・優子の親友、友永未樹を電話で呼び出していっしょに飲んで、その流れでうんぬん…みたいな。受験に失敗→酒&女、というのはたぶん小説ではお約束。そう、未樹に電話する前に新宿を<やみくもに歩き回って>(p.11)もいたらしい。受験失敗→街を彷徨、というのもたぶんお約束のパターン。
“浪人生小説”としては、えーと…、「ぼく」や、高校のときからの悪友・早坂久雄が通っているのは、代々木の「Yゼミナール」とのことだけれど、実際の(現実の)Yゼミ生/元Yゼミ生には、あまりお薦めできない小説かもしれないな(汗)。<束の間の遊戯>の1つに当たるのか、「ぼく」たちは、路上駐車していたトラックに積まれていたマネキン(女体)を1つ盗んで、予備校の入り口あたりに置く…みたいな悪戯をしている。早坂くんが局部にリアリズムな絵を描いて、さらに胸部には、
<ぼくは、マネキン人形を見た。肌色の乳房のあたりに金釘流で、<浪人さん、お勉強ばかりじゃ、体に毒よ。たまには、私を愛してね>と書きそえられてあった。/「おまえも閑人だねえ」/ぼくは、鼻を鳴らした。/「ばか、これはパロディーじゃねえか。禁欲生活を強いられている受験生の従順さを皮肉ってるんだよ。/「それで、パロってるつもりかよ。低級だねえ」/「ちぇっ。……さ、行くか」>(p.69)
予備校に対する営業妨害…というか、少なくともまじめに勉強している浪人生をからかうのはよくないよね。何かもっと瞬間的に笑えて、あとを残さないようないたずらであれば、逆に歓迎されそうな気もするけれど。自分たちだけは違う、みたいな考え方にも、個人的にはあまり共感ができない。そのほかの<悪戯>としては、2人はナンパをしたり、ス●リップを見に行ったりもしている。早坂くん発のものが多いらしいけれど、「ぼく」も高校2年のときからスト●ップを見ていたらしく、見慣れてもいる感じで、
<([ア●スを]完璧には隠しきれないストリッパーのほうが多いんだけど、いまの女はパーフェクトだな)/ぼくは、いたく感じ入っていた。>(p.130、[括弧]は引用者補足)
なんていうか、1980年代前半くらいの男子高校生/浪人生としては、ちょっとどうなのかな、これは? この小説で描かれているような若者もたくさんいた、とか言われれば、よく知らない自分としては、そうですかと思うしかないけれど。とりあえず“大人”に対して道徳的(倫理的)にちょっと挑発的な感じ?(あまり読んだことがないのだけれど、ハードボイルドって「体」も「金」もむき出し上等…?)。そう、もう少し言えば、少なくとも前半に関しては、真面目に勉強したり、働いたりしている人たちがあまり肯定されていないかもしれない(1人称小説だから「ぼく」目線の話。例えば最初のへん、喫茶店で働くウェイトレスの女の子に対してとか)。若いころってそういうもんなのかな?(…人にもよるか)。あ、その前に「ぼく」と早坂は、<ともに、三流都立高校の劣等生>(p.22)だったそうだ。2人とも予備校では同じ私立文系のクラス。友達としてはもう1人、W大生になっている佃圭一が出てくる。この佃くんは、ちょっと(というかかなり)可哀想なことになってしまうのだけれど、…それはそれとして(大学生は措いておいて)。
そういえば、冒頭では「ぼく」はけっこう長めに悩んでいるけれど、その後、たびたび悩みはするけれど、決断・行動までの時間がけっこう短いような…? 勉強が嫌いらしいけれど(ま、好きな人のほうが少ないかもしれないけれど)、あまりものを考えない性格なのかな?(そんなことはないか…、けっこう考えてはいるか)。あと、これもどうでもいいことかもしれないけれど、読んでいてこの小説、移動中を除いて、場面場面で何かを食べたり飲んだりしていることが多いな、とは思った。不合格後のやけ酒もはしごらしいし、尾行していた父親が不倫していなかったのがわかったあと、声をかけて一緒にご飯(天ぷら)を食べているし…。行為がちょっと“大人”的? そう、「ぼく」は、お父さん(キーパーソンでもあるのだけれど、苦労というか努力の人だそうで、現在は大手町にある二流商社の営業部長、W大卒)からは、<「運わるく来年も落ちたら、再来年に賭けてみるんだ」>(p.43)と言われている。小説では「2浪はさせん」的なお父さんのほうが多いような気がするけれど。でも、本人はそこまで頑張る気はないらしい(W大やK大ではなくても、R大やM大、G大くらいでいいと思っている)。――というか、今日はいつも以上にだらだらと書きすぎているかも(すみません)。
昔、<DJ喫茶>なるものが流行っていたことがあるの? 私はこの小説で初めて聞いた(目にした)気がする。「ぼく」とDJ喫茶のDJ・神崎亜矢子(4つ上の23歳、駆け出しの声優)が最初に言葉を交わす場面、
<「浪人さん?」/「ええ。よくわかりますねえ」/「ここのお客さんの大半は、予備校生でしょ?」/「そういえば、そうですね」/「それにあなた、何かお勉強してたみたいだから、そう見当をつけたのよ」/「ああ、それで」/(略)>(p.139)
浪人生小説ではたいてい「学生さん?」とか「高校生?」と言われることが多いのだけれど、なんと(?)直接、「浪人さん?」と訊かれている(汗)。やっぱり代々木、石を投げれば当たるくらいの量の浪人生が?(←すみません、勝手な推測です(汗))。最初のへんで「ぼく」&早坂が、いちおう2人の女の子のナン●に成功しているのだけれど、そのときも、<「あなたたち、Yゼミナールの人じゃない?」クレオパトラ・カットが、早坂に訊いた。>(p.29)というふうなことになっている。恐るべし、地の利?(というか、ナ●パをするならもっと遠くの場所でしたほうがいい? …そういう問題ではないか)。
恋愛部分に関しては“歳上もの”つながりで――ちょうど10年後に出ているのか、村山由佳『天使の卵』(集英社、1994→集英社文庫)と比較してみてもいいかもしれない。そう、読んでいて、お父さんが本当に不倫していて、その相手が実は(「ぼく」が好きになった)亜矢子ではないか、みたいなベタな予想を私はしてしまったのだけれど、それはハズレでした(当たり前か)。「ぼく」には歳下の(妹の同級生の)未樹がいて、亜矢子には京都に別居中の夫がいて、…あ、やっぱり『天使の卵』とちょっと似ているかも(ま、どちらもけっこうベタな話だから似ていると感じるのかもしれないけれど。パズルのように設定をずらしていくと、もっと一致してくる? あ、いや、そもそも雰囲気がぜんぜん違う小説だけれど)。そう、また下ネタになってしまうけれど、「ぼく」が初めて(というか1回だけだけれど)亜矢子と寝たあと、
<「鳴海さんが童貞じゃなくて、よかった……」/(略)/「あれ、君づけはやめたの?」/「ええ」/「さんづけで呼んでもらうと、一人前になったようで嬉しいよ」/「これからは、ずっと鳴海さんって呼ぶわ」/「うん。それはそうと、なぜぼくが童貞じゃなくて、よかったの?」/「だって、きょうが初めてだったとしたら、わたし、へんな負い目を感じちゃうもの」/「ばかだなあ」>(p.284、「さん」には傍点)
という会話が交わされている。歳上の女性だからといって、ふつう「童貞じゃなくて、よかった」みたいなことを相手に言うかな? 「へんな負い目」というのは何? 結婚していて夫がいた、みたいなこととも関係する? というか、「ぼく」が初めてじゃないのは、歳下の未樹(高校生)のおかげじゃんか。…ま、どうでもいいか(汗)。で、「ぼく」は働くために(=働いている彼女と自分を釣り合わせるために?)予備校を辞めてしまう。大学受験ドロップアウト、進学放棄――小説ではありがちだけれど、個人的には例によってがっかり(“浪人生小説”だと思って読んでいたのに! …そんなやつは私だけか(汗))。
その前に早坂くんも(日本での受験をやめて)留学する、と言い出している。ハワイ大学で夏期講習(語学の)を受けて、その後、サンフランシスコ州立大学(の英語科の創作コース)に――って、作家の高橋三千綱と同じパターン?(当時、人気がある進学の方法だったのかな? あ、現在でも?)。でも、早坂は事情が変わって(?)ハワイ大学へは行かず、直接、アメリカ本土のほうへ。あ、家は荒物屋で、もともと大学に行く必要もないらしい。そう、お父さんにちょっと時代を感じるかな。アメリカには義理のお兄さん(お姉さんの旦那)の従弟がいるらしいのだけれど(頼っていくみたいだけれど)、お父さんは反対していて、その理由は<「(略)なにせオヤジは帝国海軍の少年兵だった男だから、いまだにアメリカを憎んでやがるんだ。(略)」>(p.123)とのこと。現在(2012年です)の高校生/浪人生のお父さんなら、ほとんどありえないケース? あ、いまはインターネットもあるしね(関係ないか)。
「ぼく」よりも早坂くんのほうが父親に対してちゃんとぶつかっている? ――で、小説の最後は、こんなところで終わってしまうのか、という感じだった。ちょっと欲求不満…。続編は(調べてみないとわからないけれど)たぶん出ていないよね? というか、いつも以上にぐちゃぐちゃな感想…。でも、書き直す気力がないです(すみません)。
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関係ないけれど、コバルト文庫つながりでは(というか、この話は以前にも書いたような気が。…調べてみると、やっぱり書いていないっぽいな)、だいぶ前から上条由紀『美しく燃える炎を見た』という本(小説)を探していて、いまだに見つからず(ま、ネット古書店で探せばあるかもしれないけれど)。ある別のコバルト文庫の後ろに載っている既刊書の広告によれば、
<身寄りのない少女明美と浪人中の真二…/逆境にめげず、愛を信じて生きるふたり>
とのこと。浪人生が出てくる確率はかなり高い(準主人公?)。あと、以前(去年だったか今年になってからだったか)、正本ノン『前略、親不孝通りから』(1985)というのをタイトル買いしてみたけれど、主人公は浪人生ではなかったです。高校生。札幌というかススキノ(のはずれ)にも「親不孝通り」があるらしい。
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