志賀直哉 「佐々木の場合」
2012年5月15日 読書
「焚火」という作品が読みたくて、この前、新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』を購入。その最初に収録されていた1篇。初出は、後ろの解説(高田瑞穂)に書かれている一覧によれば、<『黒潮』大正六・六>であるらしい。ん? えーと…、久米正雄「受験生の手記」が『黒潮』大正7年(=1918年)3月なので、その1年近く前か。感想というかは、面白かったというより、よく出来ているな、とか思ってしまって…。(小説を書いてはいないし、偉そうなことが言える読み手ではないけれど(汗)。)内容はひと言でいえば、最後のほうは違うけれど、なんていうかお悩み相談の手紙のようになっている。読んでいて特に最後のほう、いろいろと考えさせられはしたかな(浅い考えかもしれないけれど)。冒頭は――引用してしまうか、
<君は覚えているかしら、僕が山田の家(うち)に書生をしていた事は。君が国の中学にいる頃だ。まあそれはどうでもいい。僕が山田の玄関番をしながら士官学校の入学準備をしている時だ。……僕はお嬢さんの守(もり)っ児(こ)と関係したんだ。僕より三つ位下だった。多分十六だったと思う。(略)>(丸括弧はルビ)
となっている。住み込みの「玄関番」であると、個人的には(頭の中にある)「書生」のイメージと合う感じ。以前にも書いたかもしれないけれど、昔の小説を読んでいると、「書生」の意味が広くてびっくりする…ことがある。たんに「書生」=「学生」だったりするし。それはともかく、「僕」(=佐々木)と「君」が友人どうしなのはいいとして、でも、2人はそもそもどういう関係? 16年前の話らしいけれど、「僕」は上京して受験準備、「君」は郷里で中学生…ということは、中学校の同級生ではないのかな?(うーん…)。ま、どうとでも考えられるか、年齢や学年が違っても友人であるとか、「君」のほうが落第(留年)しているとか。あ、ん? そもそも「僕」はどうして上京して住み込みの「書生」をする必要があったのかな?(「玄関番」であると、学校=予備校には通えないような?)。住み込みの書生って主人からお金(給料)がもらえたりするのかな?(私にはよくわからんです(涙)、歴史に疎い)。
この小説、内容(ストーリー)を書くとネタバレしてしまうんだよなぁ…。そういえば、この前、TVの(ワイドショー系の番組だけでなく)ニュース番組でも取りあげられていたけれど、AKB48リーダーの高橋みなみが、長かった髪を切ったという話(洋服を買い物中にアロマキャンドルから燃え移って、髪がちりちりに)は、大事に至らなくてよかったよね。アイドルだし、その前に女性だし。
で、この16年前の「僕」(事件というか事故が起こるのは歳の暮れ近く)は、「浪人生」認定してもいいのかな? うーん…、個人的にはいいような気もするけれど、でも、よくわからないな。「僕」は故郷に逃げ帰ったあと、士官学校(入試は翌年の3月くらい?)にはふつうに合格できたようだ。あ、16年前というのはいつごろ? ――作中年がわからないけれど、発表年=大正6年(1917年)くらいであるとすれば(仮定)、えーと…、明治34年(=1901年)くらいになるのか。佐々木くんは、明治30年代前半くらい(推定)の士官学校受験生。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
少し備忘メモ。「焚火」が読みたくなったのは、以前(だいぶ前か)『本の雑誌』の“ご当地小説”の特集で石田千が触れていたことと、以前、たまたま古本で買った『現代日本文學大系 62』(筑摩書房、1973)に犬養健「姉弟と新聞配達」という小説が収録されていて、読んでみたら、その姉弟の実家が前橋になっていて、さらに(本の)後ろの作者の年譜を見てみたら、大正4年(=1915年)・19歳のところに、<高等科二年の夏、沼津の遊泳演習ののち、鎌倉寺で参禅、ついでその頃赤城にいた志賀直哉を訪れ、その文学、その人間より大きな影響を受ける。(略)>(p.462)と書かれていたことと、が一応の理由。
あと、同じ本(=新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』)には「流行感冒」(初出は『白樺』大正八・四)という作品も収録されている。これは、この前、読んだ川端康成「伊豆の踊子」(1926)の最後のほうにちらっと出てくる「流行性感冒」と同じ?(自分、あいかわらず歴史が苦手(涙))。読んだことがないけれど(この前、ある本を読み返していたら書かれていた)武者小路実篤『愛と死』(1939)の「流行性感冒」も、それらと同じときの?(というか、そもそも普通名詞ではなくて固有名詞?)。私にはよくわからないけれど、小説ではけっこう描かれているのかもしれない。
<君は覚えているかしら、僕が山田の家(うち)に書生をしていた事は。君が国の中学にいる頃だ。まあそれはどうでもいい。僕が山田の玄関番をしながら士官学校の入学準備をしている時だ。……僕はお嬢さんの守(もり)っ児(こ)と関係したんだ。僕より三つ位下だった。多分十六だったと思う。(略)>(丸括弧はルビ)
となっている。住み込みの「玄関番」であると、個人的には(頭の中にある)「書生」のイメージと合う感じ。以前にも書いたかもしれないけれど、昔の小説を読んでいると、「書生」の意味が広くてびっくりする…ことがある。たんに「書生」=「学生」だったりするし。それはともかく、「僕」(=佐々木)と「君」が友人どうしなのはいいとして、でも、2人はそもそもどういう関係? 16年前の話らしいけれど、「僕」は上京して受験準備、「君」は郷里で中学生…ということは、中学校の同級生ではないのかな?(うーん…)。ま、どうとでも考えられるか、年齢や学年が違っても友人であるとか、「君」のほうが落第(留年)しているとか。あ、ん? そもそも「僕」はどうして上京して住み込みの「書生」をする必要があったのかな?(「玄関番」であると、学校=予備校には通えないような?)。住み込みの書生って主人からお金(給料)がもらえたりするのかな?(私にはよくわからんです(涙)、歴史に疎い)。
この小説、内容(ストーリー)を書くとネタバレしてしまうんだよなぁ…。そういえば、この前、TVの(ワイドショー系の番組だけでなく)ニュース番組でも取りあげられていたけれど、AKB48リーダーの高橋みなみが、長かった髪を切ったという話(洋服を買い物中にアロマキャンドルから燃え移って、髪がちりちりに)は、大事に至らなくてよかったよね。アイドルだし、その前に女性だし。
で、この16年前の「僕」(事件というか事故が起こるのは歳の暮れ近く)は、「浪人生」認定してもいいのかな? うーん…、個人的にはいいような気もするけれど、でも、よくわからないな。「僕」は故郷に逃げ帰ったあと、士官学校(入試は翌年の3月くらい?)にはふつうに合格できたようだ。あ、16年前というのはいつごろ? ――作中年がわからないけれど、発表年=大正6年(1917年)くらいであるとすれば(仮定)、えーと…、明治34年(=1901年)くらいになるのか。佐々木くんは、明治30年代前半くらい(推定)の士官学校受験生。
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少し備忘メモ。「焚火」が読みたくなったのは、以前(だいぶ前か)『本の雑誌』の“ご当地小説”の特集で石田千が触れていたことと、以前、たまたま古本で買った『現代日本文學大系 62』(筑摩書房、1973)に犬養健「姉弟と新聞配達」という小説が収録されていて、読んでみたら、その姉弟の実家が前橋になっていて、さらに(本の)後ろの作者の年譜を見てみたら、大正4年(=1915年)・19歳のところに、<高等科二年の夏、沼津の遊泳演習ののち、鎌倉寺で参禅、ついでその頃赤城にいた志賀直哉を訪れ、その文学、その人間より大きな影響を受ける。(略)>(p.462)と書かれていたことと、が一応の理由。
あと、同じ本(=新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』)には「流行感冒」(初出は『白樺』大正八・四)という作品も収録されている。これは、この前、読んだ川端康成「伊豆の踊子」(1926)の最後のほうにちらっと出てくる「流行性感冒」と同じ?(自分、あいかわらず歴史が苦手(涙))。読んだことがないけれど(この前、ある本を読み返していたら書かれていた)武者小路実篤『愛と死』(1939)の「流行性感冒」も、それらと同じときの?(というか、そもそも普通名詞ではなくて固有名詞?)。私にはよくわからないけれど、小説ではけっこう描かれているのかもしれない。
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