村上龍 『村上龍映画小説集』
2012年8月19日 読書
講談社、1995/講談社文庫、1998。手もとにあるのは文庫版。連作短篇集(全12篇)。2,3ヶ月くらい前に読み終わっていて、感想を書かずにいたら、もうほとんど内容を覚えていない(涙)。例によって付箋は貼りすぎで意味がないし、メモも取っていないし…。あ、でも、主人公がけっこうクールだった記憶が…。
<ラストシーンを憶えてる? もちろんと僕は答える。あのラストシーンが好きなのとヨーコは言う、どこにも行かなくて済むっていうものを見つけなさい。基地の街から出てきた東京はひどく退屈で、麻薬とセックスと音楽に明け暮れる中で、映画だけは強烈な魅力にあふれていたのだ――。平林たい子賞受賞作。>(表紙カバーより)
各篇、タイトルには映画のタイトルが付けられている(「甘い生活」から、最後「ワイルド・エンジェル」)。本文では「僕」ではなくて「私」、「ヨーコ」ではなくて「ヨウコ」。ヨウコともう1人、重要な女性としては「キミコ」という人が出てくる。24年くらい前のことが回想的に書かれていて(だからクールな感じ?)、麻●にしてもセッ●スにしても、その最中のことが生々しく描かれているわけではない。描かれている時期は、1970年に高校を卒業して上京してからの約2年の間。最初の1篇だけ、2年後に大学(美大)に入学したあとの話も書かれている。だから(?)作者の経歴に沿っていえば、高校3年生小説『69 sixty nine』の続編にあたる。「私」の名前は…、えーと、ぶれている気もするけれど、あ、「ヤザキ」と呼ばれたりもしている。それなら『69』と同じ。あくまで小説(フィクション)だけれど、作者が高校卒業後、どうしていたかが(間接的に)わかる、かもしれない。
作者というか村上龍(1952年早生まれ)の自筆年譜を見ると、高校卒業後、上京して<現代思潮社の美学校のシルクスクリーン科に入学、半年で除籍>とある。この学校は美大予備校ではないらしい(ここに通っていた作家にはほかに服部まゆみがいる。先輩に当たるのかな?)。で、<同年[=1970年]10月より昭和47年2月まで、東京都下の福生に住む>とある。それで、翌年=1972年のところには、
<4月、武蔵野美術大学入学。この頃から福生での体験をもとに「限りなく透明に近いブルー」第1稿を書き始める。(略)>
と書かれている(引用はすべて講談社文庫『限りなく透明に近いブルー』の年譜から。[括弧]は引用者、漢数字は改めた)。つまり、大学入学までの時期を「浪人中」と言ってよければ、村上龍のデビュー作&芥川賞受賞作(&ベストセラー作品)は、もともと浪人中の体験がもとになっている(いた)、と言える。――だからどうした? と言われても困るけれど(汗)。
[追記(2012/10)]書こうと思っていて忘れていた。カリヤ&オオヤマという若いフリーター(というか求職者というか)の2人と「私」は知り合う。主人公よりも5つ上、高校の同級生どうしで、早稲田を受験するために(予備校に通うために?)上京。でも、<予備校にも飛び火していた学園紛争の中で羽田や三里塚でのデモに参加するうちに何となく年をとり、…>という感じに(p.145)。当時としては珍しくない、とのことだけれど、こういう浪人(大学受験)ドロップアウト組みは、いま現在どうしているのかな? あ、会社とかにちゃんと勤めていても、もう定年退職しているか。主人公は1951年か早生まれなら1952年生まれ。5つ上というと、1946年か1947年生まれ? 2人は和歌山出身なので、なんとなく中上健次(1946年生まれ)を思い出すけれど、…あまり関係はないか。
<ラストシーンを憶えてる? もちろんと僕は答える。あのラストシーンが好きなのとヨーコは言う、どこにも行かなくて済むっていうものを見つけなさい。基地の街から出てきた東京はひどく退屈で、麻薬とセックスと音楽に明け暮れる中で、映画だけは強烈な魅力にあふれていたのだ――。平林たい子賞受賞作。>(表紙カバーより)
各篇、タイトルには映画のタイトルが付けられている(「甘い生活」から、最後「ワイルド・エンジェル」)。本文では「僕」ではなくて「私」、「ヨーコ」ではなくて「ヨウコ」。ヨウコともう1人、重要な女性としては「キミコ」という人が出てくる。24年くらい前のことが回想的に書かれていて(だからクールな感じ?)、麻●にしてもセッ●スにしても、その最中のことが生々しく描かれているわけではない。描かれている時期は、1970年に高校を卒業して上京してからの約2年の間。最初の1篇だけ、2年後に大学(美大)に入学したあとの話も書かれている。だから(?)作者の経歴に沿っていえば、高校3年生小説『69 sixty nine』の続編にあたる。「私」の名前は…、えーと、ぶれている気もするけれど、あ、「ヤザキ」と呼ばれたりもしている。それなら『69』と同じ。あくまで小説(フィクション)だけれど、作者が高校卒業後、どうしていたかが(間接的に)わかる、かもしれない。
作者というか村上龍(1952年早生まれ)の自筆年譜を見ると、高校卒業後、上京して<現代思潮社の美学校のシルクスクリーン科に入学、半年で除籍>とある。この学校は美大予備校ではないらしい(ここに通っていた作家にはほかに服部まゆみがいる。先輩に当たるのかな?)。で、<同年[=1970年]10月より昭和47年2月まで、東京都下の福生に住む>とある。それで、翌年=1972年のところには、
<4月、武蔵野美術大学入学。この頃から福生での体験をもとに「限りなく透明に近いブルー」第1稿を書き始める。(略)>
と書かれている(引用はすべて講談社文庫『限りなく透明に近いブルー』の年譜から。[括弧]は引用者、漢数字は改めた)。つまり、大学入学までの時期を「浪人中」と言ってよければ、村上龍のデビュー作&芥川賞受賞作(&ベストセラー作品)は、もともと浪人中の体験がもとになっている(いた)、と言える。――だからどうした? と言われても困るけれど(汗)。
[追記(2012/10)]書こうと思っていて忘れていた。カリヤ&オオヤマという若いフリーター(というか求職者というか)の2人と「私」は知り合う。主人公よりも5つ上、高校の同級生どうしで、早稲田を受験するために(予備校に通うために?)上京。でも、<予備校にも飛び火していた学園紛争の中で羽田や三里塚でのデモに参加するうちに何となく年をとり、…>という感じに(p.145)。当時としては珍しくない、とのことだけれど、こういう浪人(大学受験)ドロップアウト組みは、いま現在どうしているのかな? あ、会社とかにちゃんと勤めていても、もう定年退職しているか。主人公は1951年か早生まれなら1952年生まれ。5つ上というと、1946年か1947年生まれ? 2人は和歌山出身なので、なんとなく中上健次(1946年生まれ)を思い出すけれど、…あまり関係はないか。
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