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横溝正史 「汁粉屋の娘」
2013年4月16日 読書
『双生児は囁く』(カドカワ・エンタテインメント、1999/角川文庫、2005)所収、7篇中の1篇目。手もとにあるのは文庫版。単行本(ノベルス?)のほうは、書名に副題が入っているっぽいけれど、…細かいことはいいか。この1篇の初出は、博文館から出ていた月刊誌『ポケット』の大正10年=1921年11月号とのこと。初期の投稿時代の作品らしい。というか、こんな小説(横溝作品、しかも古い)があったのか、ぜんぜん知らなかった(汗)。
自分、昔の(?)基本的なことが、かなりわかっていないかもしれない。「汁粉(しるこ)」ってなんだっけ? とか(涙)。いや、知っているつもりだったけれど、汁粉屋(=「都庵」)で「鍋焼(なべやき)」を頼んでいるから。甘味処ではなくて食事処っぽいし、あの小豆を煮て作った甘い汁にお餅が入っているのとかではなくて、うどんか何か(粉もの)のこと? ほかにも、主人公というか視点人物になっている敬太郎は、今年、近藤(中学のときの同窓生、ぶらぶらしていて出くわす)といっしょに高商を受けて、自分のほうだけ落ちたらしいけれど、この「高商」って…? 作者の横溝正史は神戸市生まれで、1921年(の3月?)に「神戸ニ中」を卒業しているらしいから、この小説は神戸が舞台で「高商」というのは、「神戸高商」のこと?(現在でいえば神戸大学?)。私にはわからない(涙)。[訂正]中学校の卒業年は1921年ではなくて1920年(大正9年)らしい。
全体的に敬太郎くんの感情の動きというか、何を考えているかもちょっとわかりにくいかもしれない。けっこう冷静? 「都庵」の美人姉妹のうちの姉=お美代さんが死体で見つかって、近藤が疑われて(お美代さんが近藤の時計を持っていたから)逮捕されたときには、驚いて近藤の家に行ったりはしているけれど、そのあとは、事件の経過はすべて新聞記事を読んでたどるだけ。自分の足で調べたり…みたいなことはしていない。この人の場合、時間は十分にありそうだけれど、ま、そのほうが(何もしないほうが)世間的にはふつうか。そう、全体的に意外と“学生小説”という感じだったかな…。学生小説というか、学生がらみな小説というか。高商浪人――という言葉はないのかな? 来年も受験するらしい敬太郎くんの勉強状況はといえば、事件が解決したあとはこれで落ち着いて勉強できるようになった、みたいなことが書かれているけれど、それ以前はやっぱりあまり勉強していない感じ。小説の冒頭は、
<晩飯を済せて一通り其の日の夕刊に目を通して了うと、敬太郎は又ぶらりと家を出た。>(p.7)
となっている。「又(また)」って、この浪人生の1日のスケジュールはどうなっているんだろう?(昼間ぶらぶら、夕食後もぶらぶら?)。次の箇所は、近藤と出くわして言葉を交わしている場面、
<「相変らず勉強かい。」/と、近藤が聞いた。/「うん、やっている事はやっているが、何うも熱心になれないでね、此の調子じゃ来年も亦駄目らしいよ。」>(p.9)
なんだろう、俗に言う神経衰弱(受験ノイローゼ)気味というか、ちょっと無気力っぽくなっている? 少なくとも勉強している感じはしない。でも、この場面(あ、季節は秋です)、現在でいえば先に大学生になっている高校の同級生が、浪人生に対して「あいかわらず勉強?」みたいなセリフを――私が浪人生だったらちょっとキレるかも(汗)。あ、ミステリー部分についてぜんぜん触れていないや(汗)。ちょっとネタバレしてしまうかもしれないけれど、飛び道具というか、意外性はあったかも。
この作品、浪人中に書かれた小説、と考えてはいけないのかな? 作者の横溝正史(1902-1981)は、本の後ろの解説(山前譲)によれば――引用させてもらうと、
<探偵小説のデビュー作は、大正10(1921)年4月、『新青年』に発表した「恐ろしき四月馬鹿」だから、まだ満18歳の若さだった。当時、神戸ニ中を卒業して銀行に勤務していたが、大阪薬学専門学校に入り直し、大正13年、神戸で家業の薬局を継いだ。大正15年、(略)>(p.355、「四月馬鹿」は「エイプリル・フール」と読む。漢数字はアラビア数字に直した、以下同様)
という感じ。現役(中学4年、5年)のときには、受験はぜんぜんしなかったのかな? 大阪薬専に入ったのは大正12年=1922年? 進学に必要なお金を貯めるために働いていた(アルバイトをしていた)とかではなくて、いったん就職したけれど、理由があって辞めて、やっぱり進学……みたいなケース?(あー、横溝正史のエッセイ集とか、伝記とかが読みたくなって来た(汗))。そう、あと、同じ解説に<(略)大正11年2月の『中学世界』に「破れし便箋」を改題した「化学教室の怪火」を発表した(略)>(p.358)とあって、――ちょっと読んでみたいな(「~教室」と言っている時点で、浪人生は関係ないと思うけれど)。ちなみに、一高受験浪人が主人公の久米正雄「受験生の手記」(『学生時代』新潮文庫ほか所収)の初出は、『黒潮』大正7年=1918年3月らしいので、「汁粉屋の娘」はその3年あとのもの、ということになる(『学生時代』は文庫3種類すべて絶版なのに、角川文庫『双生児は囁く』はふつうに書店の棚に置かれていて買えた(汗))。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ぜんぜん関係ないけれど(なんとなく昔つながり)、以前、新聞に出ていた広告を見て、読みたい記事があったので、本屋に行って某週刊誌を買って来てしまったのだけれど、――えーと、だから具体的には、
「発掘!100年前の東大入試問題 前編(大正時代~昭和初期)」(『週刊朝日』2013年2月22日号、pp.38-42)
「発掘!100年前の東大入試問題 後編(太平洋戦争直前~戦後)」(『週刊朝日』2013年3月1日号、pp.131-4)
という2週に渡って掲載された記事。目次では「発掘」のあとに「スクープ」と入っている。“受験”というのも、季節の風物詩みたいなもの? 1月から3月くらいまでは受験関係の記事って増えるよね、新聞や週刊誌などでは。――で、自分、基本的にものを知らないので(昔のこととか)、読んでいて知識的に「へぇ~」と思ったり、かなりちゃんとまとまっているなぁ、とか思ったりしたけれど、でも、うーん…、なんか気に入らないんだよね(汗)。入試問題が時代(政治や社会状況など)に左右されるのは、当たり前といえば当たり前のことだろうし(最近もTVのニュースで、新しい教科書には東日本大震災関連の記述が…などと言っていたし)、そうしたことを述べるのに対象を「東大」の入試問題に限定する必要があるとは思えないし…。あ、大衆週刊誌的には「東大」と付いているほうが売れるのかもしれないけれど。
ほかにも、以前、別の本を読んでいたときにも思ったけれど、旧制の東大(帝大)の入試問題と新制の(現在の)東大の入試問題とを一緒にしていいのか、とも思ってしまう。記事のなかでも、大正13年(=1923年)の東京帝大の国語の問題を解かされたS台のある古文講師は、<「(略)戦後の昭和時代、大学生の期末試験が、一般的にこのようなスタイルでしたね」>(p.40、前編)と口にしている。そう思うのも当然だろう、という気が。現在の(新制になってからの)大学院の入試問題ともまた違うだろうけれど、旧制帝大の入試問題が新制の(現在の)大学生に対して出題されるような問題(形式)になっていても、別に不思議はないというか。あ、このブログでは何度も書いているけれど、私は(私も?)旧制の学校制度についてよくわかっていないです(涙)。偉そうなことが言えるわけではない。
そもそも何が「発掘」されているかというと、――ネタバレしてしまうけれど、引用させてもらうと、
<編集部で東大や予備校など各方面に問い合わせた結果、見つけた最も古い問題は、『大正二年度 諸官立学校入学試験問題答案詳解』という本に収められていた「東京帝国大学農科大学実科」の入試問題だった(当時は「農学部」ではなく、「農科大学」と称していた)。>(pp.38-9、前編)
とのことで、さらに「実科」というのは、天野郁夫『大学の誕生』(中公新書)からの引用があるのだけれど(その本=上下巻、私も持っていたはずだけれど、例によってどこかに行っちゃたよ(涙)。…それはともかく)、入学資格は<尋常中学校卒業程度>で、<「専門学校」レベルの教育課程>らしい(p.39、前編)。要するに、その「~実科」へ入学は、ふつう(いちばん多いケースとしては)旧制中学校からの進学なわけで、その入試問題を、旧制高校からの進学のさいに受ける旧制大学の入試問題(例えば「大正13年文学部」の問題など)と同列に並べてもいいんだろうか? と思う。その「~実科」の入試問題と比べるなら、(旧制中学生が受験する)旧制の高校や専門学校、大学予科の入試問題などでないと。あ、ちゃんと問題(の内容)自体を比べたいなら、だけれど。なんていうか、要は「東大」と付いていればなんでもいいのかよ! みたいな文句(?)に聞こえるかもしれないけれど、――というか、人生負け組の私(三流大学卒、年長フリーター)がなんだかんだ言っても、ひたすら虚しいだけだな(涙)。学力的に(?)旧制中学5年生を現在の高校3年生に対応させれば、現在の東大の入試問題と「東京~実科」の入試問題を対応させても別にいいじゃないか、みたいなご意見もあるかもしれないけれど、――それはなんだろう…、2回間違って結局、正解みたいな?(意味不明か)。あ、あと、「100年前」という言葉にも情報価値(新鮮味)があるのかな? 旧制高校の入試問題なら、たぶんもっと前まで(明治まで)たどれるし、たいしたことではないと思う。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
そういえば(これも昔つながり)、NHK大河ドラマ『八重の桜』。気にはなっているのだけれど、いまだに1度も見ていない(汗)。ところで、野尻草雄(=大佛次郎)『一高ロマンス』(東亜堂、1918年、もともと『中学世界』で連載されていたもの)以外にも、『教育読本 入学試験』(河出書房新社、新版1983)という本(ムックというか)の後ろの参考文献には、『受験ロマンス』(松前三郎著、1918)というものが挙げられている(出版社は書かれていない)けれど、最近(といってもけっこう前かな)、太田雄三『英語と日本人』(講談社学術文庫、1995/単行本はTBSブリタニカ、1981)という本を読んでいたら、『同志社ローマンス』(松浦政泰編、警醒社書店、1918)という本(?)からの引用がある。
<(略)第百三十七節には、卒業生の英語学者村井知至の話に基づいて、「同志社の三特色」の一つとして、英語が挙げられ、次のように書かれている。/一つは英語である。同志社出身者に生命を与へ名を成さしめた所以は、英語と信ずる。(略)>(p.112)
寮生活とかが書かれている『一高ロマンス』とはぜんぜん違うタイプの本? それはともかく、たしか和田芳恵『暗い流れ』という小説(たぶん自伝的な小説)に、上京している主人公が「第一外国語学校」の夏期講習に通う場面があったと思うけれど、大正12年(=1923年)にその学校(「予備校」と言いきってもいいの?)を創設したのが、村井知至(ともよし)という人。あ、著作権は切れているのか(生没年は1869-1944)、もう少し(最後まで)引用してもよかったかな…(孫引きだけれど)。有名な受験参考書も出していて――詳しくは江利川春雄『受験英語と日本人 入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社、2011)を参照です。それで、えーと、何が言いたかったんだっけ? あ、だから「ロ(ー)マンス」っていったい何? という話。当時(大正半ば)言葉として流行していたのかな? ほかにもたくさんあったのかな、『なんとかロ(ー)マンス』本。「流星ミラクル」――それはいきものがかり(汗)。「星屑ロンリネス」――もうどうでもいいや(涙)。
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もう1つ、ちょっと前に新聞に広告が載っていたけれど(2013年4月14日)、星野華水『チャート式 幾何学』の「復刻版」が出たらしい(“チャート式”だから出版社はもちろん数研出版)。何版の復刻なのかわからないけれど、初版は昭和4年(=1929年)に出ているらしい。ちょっと欲しいけれど、いまさら数学かぁ…、ちょっと迷うな。値段もかなり高いし。税込3,675円――受験参考書の値段じゃないよね?(涙)。でも、チャート式のご本尊(?)、定番の青チャートとかで勉強している受験生は、書店で見かけたら拝んでおけば、何かご利益でもあるんじゃない?(わからないけれど)。数学の参考書で有名な人ってほかに誰がいたっけ? 藤森、岩切、えーと、あと森繁? ――もう限界、私にはそれくらいしか挙げられない(汗)。自分が高校生のとき(1990年代前半)に持っていたのは、矢野健太郎の『解法のテクニック』シリーズ(全部ではなくて3、4冊かな)だったけれど、ただ持っていたというだけ、ぜんぜん使えなかった(涙)。あ、旺文社は寺田(の鉄則)だよね。記憶がほとんどないけれど、各社、ハードカバーのものが出ていたような。
自分、昔の(?)基本的なことが、かなりわかっていないかもしれない。「汁粉(しるこ)」ってなんだっけ? とか(涙)。いや、知っているつもりだったけれど、汁粉屋(=「都庵」)で「鍋焼(なべやき)」を頼んでいるから。甘味処ではなくて食事処っぽいし、あの小豆を煮て作った甘い汁にお餅が入っているのとかではなくて、うどんか何か(粉もの)のこと? ほかにも、主人公というか視点人物になっている敬太郎は、今年、近藤(中学のときの同窓生、ぶらぶらしていて出くわす)といっしょに高商を受けて、自分のほうだけ落ちたらしいけれど、この「高商」って…? 作者の横溝正史は神戸市生まれで、1921年(の3月?)に「神戸ニ中」を卒業しているらしいから、この小説は神戸が舞台で「高商」というのは、「神戸高商」のこと?(現在でいえば神戸大学?)。私にはわからない(涙)。[訂正]中学校の卒業年は1921年ではなくて1920年(大正9年)らしい。
全体的に敬太郎くんの感情の動きというか、何を考えているかもちょっとわかりにくいかもしれない。けっこう冷静? 「都庵」の美人姉妹のうちの姉=お美代さんが死体で見つかって、近藤が疑われて(お美代さんが近藤の時計を持っていたから)逮捕されたときには、驚いて近藤の家に行ったりはしているけれど、そのあとは、事件の経過はすべて新聞記事を読んでたどるだけ。自分の足で調べたり…みたいなことはしていない。この人の場合、時間は十分にありそうだけれど、ま、そのほうが(何もしないほうが)世間的にはふつうか。そう、全体的に意外と“学生小説”という感じだったかな…。学生小説というか、学生がらみな小説というか。高商浪人――という言葉はないのかな? 来年も受験するらしい敬太郎くんの勉強状況はといえば、事件が解決したあとはこれで落ち着いて勉強できるようになった、みたいなことが書かれているけれど、それ以前はやっぱりあまり勉強していない感じ。小説の冒頭は、
<晩飯を済せて一通り其の日の夕刊に目を通して了うと、敬太郎は又ぶらりと家を出た。>(p.7)
となっている。「又(また)」って、この浪人生の1日のスケジュールはどうなっているんだろう?(昼間ぶらぶら、夕食後もぶらぶら?)。次の箇所は、近藤と出くわして言葉を交わしている場面、
<「相変らず勉強かい。」/と、近藤が聞いた。/「うん、やっている事はやっているが、何うも熱心になれないでね、此の調子じゃ来年も亦駄目らしいよ。」>(p.9)
なんだろう、俗に言う神経衰弱(受験ノイローゼ)気味というか、ちょっと無気力っぽくなっている? 少なくとも勉強している感じはしない。でも、この場面(あ、季節は秋です)、現在でいえば先に大学生になっている高校の同級生が、浪人生に対して「あいかわらず勉強?」みたいなセリフを――私が浪人生だったらちょっとキレるかも(汗)。あ、ミステリー部分についてぜんぜん触れていないや(汗)。ちょっとネタバレしてしまうかもしれないけれど、飛び道具というか、意外性はあったかも。
この作品、浪人中に書かれた小説、と考えてはいけないのかな? 作者の横溝正史(1902-1981)は、本の後ろの解説(山前譲)によれば――引用させてもらうと、
<探偵小説のデビュー作は、大正10(1921)年4月、『新青年』に発表した「恐ろしき四月馬鹿」だから、まだ満18歳の若さだった。当時、神戸ニ中を卒業して銀行に勤務していたが、大阪薬学専門学校に入り直し、大正13年、神戸で家業の薬局を継いだ。大正15年、(略)>(p.355、「四月馬鹿」は「エイプリル・フール」と読む。漢数字はアラビア数字に直した、以下同様)
という感じ。現役(中学4年、5年)のときには、受験はぜんぜんしなかったのかな? 大阪薬専に入ったのは大正12年=1922年? 進学に必要なお金を貯めるために働いていた(アルバイトをしていた)とかではなくて、いったん就職したけれど、理由があって辞めて、やっぱり進学……みたいなケース?(あー、横溝正史のエッセイ集とか、伝記とかが読みたくなって来た(汗))。そう、あと、同じ解説に<(略)大正11年2月の『中学世界』に「破れし便箋」を改題した「化学教室の怪火」を発表した(略)>(p.358)とあって、――ちょっと読んでみたいな(「~教室」と言っている時点で、浪人生は関係ないと思うけれど)。ちなみに、一高受験浪人が主人公の久米正雄「受験生の手記」(『学生時代』新潮文庫ほか所収)の初出は、『黒潮』大正7年=1918年3月らしいので、「汁粉屋の娘」はその3年あとのもの、ということになる(『学生時代』は文庫3種類すべて絶版なのに、角川文庫『双生児は囁く』はふつうに書店の棚に置かれていて買えた(汗))。
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ぜんぜん関係ないけれど(なんとなく昔つながり)、以前、新聞に出ていた広告を見て、読みたい記事があったので、本屋に行って某週刊誌を買って来てしまったのだけれど、――えーと、だから具体的には、
「発掘!100年前の東大入試問題 前編(大正時代~昭和初期)」(『週刊朝日』2013年2月22日号、pp.38-42)
「発掘!100年前の東大入試問題 後編(太平洋戦争直前~戦後)」(『週刊朝日』2013年3月1日号、pp.131-4)
という2週に渡って掲載された記事。目次では「発掘」のあとに「スクープ」と入っている。“受験”というのも、季節の風物詩みたいなもの? 1月から3月くらいまでは受験関係の記事って増えるよね、新聞や週刊誌などでは。――で、自分、基本的にものを知らないので(昔のこととか)、読んでいて知識的に「へぇ~」と思ったり、かなりちゃんとまとまっているなぁ、とか思ったりしたけれど、でも、うーん…、なんか気に入らないんだよね(汗)。入試問題が時代(政治や社会状況など)に左右されるのは、当たり前といえば当たり前のことだろうし(最近もTVのニュースで、新しい教科書には東日本大震災関連の記述が…などと言っていたし)、そうしたことを述べるのに対象を「東大」の入試問題に限定する必要があるとは思えないし…。あ、大衆週刊誌的には「東大」と付いているほうが売れるのかもしれないけれど。
ほかにも、以前、別の本を読んでいたときにも思ったけれど、旧制の東大(帝大)の入試問題と新制の(現在の)東大の入試問題とを一緒にしていいのか、とも思ってしまう。記事のなかでも、大正13年(=1923年)の東京帝大の国語の問題を解かされたS台のある古文講師は、<「(略)戦後の昭和時代、大学生の期末試験が、一般的にこのようなスタイルでしたね」>(p.40、前編)と口にしている。そう思うのも当然だろう、という気が。現在の(新制になってからの)大学院の入試問題ともまた違うだろうけれど、旧制帝大の入試問題が新制の(現在の)大学生に対して出題されるような問題(形式)になっていても、別に不思議はないというか。あ、このブログでは何度も書いているけれど、私は(私も?)旧制の学校制度についてよくわかっていないです(涙)。偉そうなことが言えるわけではない。
そもそも何が「発掘」されているかというと、――ネタバレしてしまうけれど、引用させてもらうと、
<編集部で東大や予備校など各方面に問い合わせた結果、見つけた最も古い問題は、『大正二年度 諸官立学校入学試験問題答案詳解』という本に収められていた「東京帝国大学農科大学実科」の入試問題だった(当時は「農学部」ではなく、「農科大学」と称していた)。>(pp.38-9、前編)
とのことで、さらに「実科」というのは、天野郁夫『大学の誕生』(中公新書)からの引用があるのだけれど(その本=上下巻、私も持っていたはずだけれど、例によってどこかに行っちゃたよ(涙)。…それはともかく)、入学資格は<尋常中学校卒業程度>で、<「専門学校」レベルの教育課程>らしい(p.39、前編)。要するに、その「~実科」へ入学は、ふつう(いちばん多いケースとしては)旧制中学校からの進学なわけで、その入試問題を、旧制高校からの進学のさいに受ける旧制大学の入試問題(例えば「大正13年文学部」の問題など)と同列に並べてもいいんだろうか? と思う。その「~実科」の入試問題と比べるなら、(旧制中学生が受験する)旧制の高校や専門学校、大学予科の入試問題などでないと。あ、ちゃんと問題(の内容)自体を比べたいなら、だけれど。なんていうか、要は「東大」と付いていればなんでもいいのかよ! みたいな文句(?)に聞こえるかもしれないけれど、――というか、人生負け組の私(三流大学卒、年長フリーター)がなんだかんだ言っても、ひたすら虚しいだけだな(涙)。学力的に(?)旧制中学5年生を現在の高校3年生に対応させれば、現在の東大の入試問題と「東京~実科」の入試問題を対応させても別にいいじゃないか、みたいなご意見もあるかもしれないけれど、――それはなんだろう…、2回間違って結局、正解みたいな?(意味不明か)。あ、あと、「100年前」という言葉にも情報価値(新鮮味)があるのかな? 旧制高校の入試問題なら、たぶんもっと前まで(明治まで)たどれるし、たいしたことではないと思う。
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そういえば(これも昔つながり)、NHK大河ドラマ『八重の桜』。気にはなっているのだけれど、いまだに1度も見ていない(汗)。ところで、野尻草雄(=大佛次郎)『一高ロマンス』(東亜堂、1918年、もともと『中学世界』で連載されていたもの)以外にも、『教育読本 入学試験』(河出書房新社、新版1983)という本(ムックというか)の後ろの参考文献には、『受験ロマンス』(松前三郎著、1918)というものが挙げられている(出版社は書かれていない)けれど、最近(といってもけっこう前かな)、太田雄三『英語と日本人』(講談社学術文庫、1995/単行本はTBSブリタニカ、1981)という本を読んでいたら、『同志社ローマンス』(松浦政泰編、警醒社書店、1918)という本(?)からの引用がある。
<(略)第百三十七節には、卒業生の英語学者村井知至の話に基づいて、「同志社の三特色」の一つとして、英語が挙げられ、次のように書かれている。/一つは英語である。同志社出身者に生命を与へ名を成さしめた所以は、英語と信ずる。(略)>(p.112)
寮生活とかが書かれている『一高ロマンス』とはぜんぜん違うタイプの本? それはともかく、たしか和田芳恵『暗い流れ』という小説(たぶん自伝的な小説)に、上京している主人公が「第一外国語学校」の夏期講習に通う場面があったと思うけれど、大正12年(=1923年)にその学校(「予備校」と言いきってもいいの?)を創設したのが、村井知至(ともよし)という人。あ、著作権は切れているのか(生没年は1869-1944)、もう少し(最後まで)引用してもよかったかな…(孫引きだけれど)。有名な受験参考書も出していて――詳しくは江利川春雄『受験英語と日本人 入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社、2011)を参照です。それで、えーと、何が言いたかったんだっけ? あ、だから「ロ(ー)マンス」っていったい何? という話。当時(大正半ば)言葉として流行していたのかな? ほかにもたくさんあったのかな、『なんとかロ(ー)マンス』本。「流星ミラクル」――それはいきものがかり(汗)。「星屑ロンリネス」――もうどうでもいいや(涙)。
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もう1つ、ちょっと前に新聞に広告が載っていたけれど(2013年4月14日)、星野華水『チャート式 幾何学』の「復刻版」が出たらしい(“チャート式”だから出版社はもちろん数研出版)。何版の復刻なのかわからないけれど、初版は昭和4年(=1929年)に出ているらしい。ちょっと欲しいけれど、いまさら数学かぁ…、ちょっと迷うな。値段もかなり高いし。税込3,675円――受験参考書の値段じゃないよね?(涙)。でも、チャート式のご本尊(?)、定番の青チャートとかで勉強している受験生は、書店で見かけたら拝んでおけば、何かご利益でもあるんじゃない?(わからないけれど)。数学の参考書で有名な人ってほかに誰がいたっけ? 藤森、岩切、えーと、あと森繁? ――もう限界、私にはそれくらいしか挙げられない(汗)。自分が高校生のとき(1990年代前半)に持っていたのは、矢野健太郎の『解法のテクニック』シリーズ(全部ではなくて3、4冊かな)だったけれど、ただ持っていたというだけ、ぜんぜん使えなかった(涙)。あ、旺文社は寺田(の鉄則)だよね。記憶がほとんどないけれど、各社、ハードカバーのものが出ていたような。
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