手もとにあるのは文庫本『第二怪奇小説集』(講談社文庫、1977)で、この本には単行本情報が書かれていない。初出は、『週刊小説』1972年2月とのこと(「週刊」なのに「日」が書かれていない)。全9篇中の8篇目。収録作中いちばん短い一篇。手もとの文庫本で本文は7ページ、短篇というより掌篇かもしれない。感想はといえば、けっこう面白かったです。([追記]1975年に講談社から『遠藤周作ミステリー小説集』というものが出ているようだから、単行本はこれかもしれない。[追記(2021.09.13)]角川文庫『怪奇小説集 共犯者』(2021.8、元本は講談社文庫『第二怪奇小説集』)の「解説」(日下三蔵)によれば、この一篇の初出は『週刊小説』1972年2月18日号らしい。あと同解説によれば『遠藤周作ミステリー小説集』と文庫『第二怪奇小説集』では収録作に異同があるらしい。)

まず「私」が熊本で中年の女性マッサージ師から(その友達の話として)聞いた話、みたいな外枠あって。で、内側は、マッサージ師である「女」のアパートの隣の部屋には、熊本大学志望の2浪の青年がいて、「女」が夜遅く仕事から帰ってくると、その部屋の灯りがついていたり、自分の部屋にいると隣から口笛が聞こえてきたりする、みたいな話。「女」には青年と同じ歳くらいの、家を出て行ったきり音沙汰のない弟がいて、その青年を弟のように心配し始める。移動焼きイモ屋から焼きイモを買ってあげて、渡したり。――「中年」といっても、30代くらいかな。そう考えないと20歳くらいの弟がいる、という設定がちょっとへん。ネタバレしてしまうけれど、オチ(というか)は、『ただいま浪人』や「ニセ学生」(『怪奇小説集』講談社文庫)と同じような感じかもしれない。前者は“リアル姉弟もの”(最初、弟が浪人生)なので、その意味でもこの作品とは似ている。

読んでいるときにけっこう既視感があったのだけれど、本の後ろの「解説」(権田萬治)で、この一篇について<オー・ヘンリー風な小品>(p.240)と書かれていて。もっと似ているものがあるかもしれないけれど、そう言われればそうかもしれない。――関係ないけれど(このブログではいちど書いたような気もするけれど)、自分、小学校のとき、担任の先生が道徳の時間に、あのパン屋さんの話を読み聞かせてくれて――道徳の授業だからそのあと何か話し合ったのかもしれないけれど――オチというかがあまりに残酷すぎて(?)その後、折に触れてたびたび思い出していたせいか、ずっと記憶に残っている(これは一種のトラウマ?)。ちなみにそれがオー・ヘンリーの作品だとわかったのは、30歳をすぎて、たまたまある本を読んでいたとき。文学作品恐るべし? あ、この短篇=「口笛を吹く男」はそれほど残酷なオチではないです(たぶん)。それにしても(これもネタバレしてしまうけれど)遠藤周作の小説に出てくる浪人生は、ほんと大学に受かることがないよね(汗)。

~・~・~・~・~・~・~・~・~
上の小説とは関係のない話。北杜夫との対談の一部を引用したいのだけれど――「狐狸庵VSマンボウ くたばれ!受験」というもの。何かに収録されているかもしれないけれど、いま手もとにあるのは、小説家のエッセイなどがあれこれ詰め込まれている(去年=2010年の夏ごろに古本屋にて購入)『教育読本 入学試験』(河出書房新社、1983)という雑誌のような本。初出は『週刊読売』1976年2月7日号らしい。対談ってちょっと引用しづらいんだよね…、まぁしかたがない。

  遠藤さんは、塾とかなにか行ったことないですか。
 遠藤 行かない。僕は、赤尾好夫信じて浪人三年しちゃった。保坂(弘司氏)の「古文の総合研究」とかやね。
  僕が記憶しているのは、「螢雪時代」。
 遠藤 それは「受験旬報」のあとね。
  よく、一高に合格した人の手記で、「すばらしい寮生活」とか出ていましたね。
 遠藤 受験生の小説が載っていて、僕も投稿したことがあるけど、山田風太郎さんや小島信夫さんもよく出してましたね。試験問題の勉強せずに、そちらのほうばかり読んでいた。
 (pp.58-9)

遠藤周作は『わが青春に悔いあり』(角川文庫ほか)というエッセイ集で、研数学館(という名前の予備校)に通っていた、みたいなことを書いているけれど、たぶん上の発言のほうが本当だと思う。要するに塾にも予備校にも通っていない。あと、↑いま読むとけっこう註が必要な感じ? 赤尾好夫は旺文社の創業者(初代社長)で、受験生にとっての(いま風にいえば)カリスマ的な存在。初めて聞いたけれど(調べていないけれど)、『古文の総合研究』という参考書は、たぶん旺文社から出ているもの。受験雑誌『螢雪時代』(旺文社)は、現在でも、売っている本屋さんには売っているからいいとして(?)、えーと、『受験旬報』が『螢雪時代』と名前を変えたのは、1941年10月号かららしい。当時すでに「旬刊」ではなく月刊になっていたから、だけでなく、覚え方は「戦争に行く用意(1941)」? とりあえず、書名から受験色を排したのかな? ――遠藤周作は(安岡章太郎と違って)中学4年のときも旧制高校を受験して落ちている、らしいのだけれど、とりあえず4年になるのは、1938年(=昭和13年)のことらしい。

  1938年 中学4年
  1939年 中学5年
  1940年 浪人1年目
  1941年 浪人2年目(いったん上智大学予科に)
  1942年 浪人3年目
  1943年 慶應義塾大学予科

山田風太郎が、私にはよくわからないのだけれど、中学校を卒業したのが1940年(=昭和15年)の3月? あ、遠藤周作と同じなのか。でも、この人はなんだかんだで3浪どころか4浪?(→東京医学専門学校=いまの東京医科大学)。とりあえず、遠藤周作はリアルタイムで、山田風太郎の『受験旬報』に掲載された“受験小説”を読んでいた可能性がある。遠藤自身が投稿していたという発言は、ちょっと真偽がわからない。ちなみに安岡章太郎は、1940年にはもう浪人3年目(→慶応予科)。小島信夫はもう少し歳が上で、1932年(=昭和7)年に中学卒業、3浪(→一高)。本人が書いているものによれば、投稿(応募)していたのは、受験雑誌『考へ方』(考へ方研究社)。『受験旬報』に投稿していたかどうかはわからない。――ん? あ、あと北杜夫がいたか(忘れていた)。手短にいえば、1944年(中学4年で)松本高校不合格。で、いったん医専(医大)に入るも、松高が諦めきれずに中学5年に復学。翌年=1945年、松本高校合格。――こんな感じかな。要するに一応、浪人はしていない。

そう、関係ないけれど、北村薫・宮部みゆき編『とっておき名短篇』(ちくま文庫、2011)というアンソロジーに、北杜夫の「異形」という小説が収録されていて(いちばん最後に)。編者2人よる巻末の「解説対談」を読んでいてちょっと思ったのだけれど、時代が戦後すぐのこの小説、「食べ物」とか「男と女の関係」とかよりも、旧制高校に対する強い憧れのほうが、若い人がいま読むとかなり「?」な感じかもしれない(そんなこともない?)。
 
 
[追記(2017.09.11)]「保坂弘司」という人。Wikipediaに項目があって(※今日現在)、それを見ると1906年生まれ(1983年没)で、「国文学者、学燈社社長、昭和女子大学名誉教授。新潟県生まれ。早稲田大学国文科卒。欧文社(旺文社)に勤務、国語漢文部長。1948年學燈社を創業、受験雑誌『学燈』を創刊し、自著のほか、(略)」などと書かれている。學燈社って旺文社から枝分かれした出版社なの?(知らなかった...)。あと、このWikipediaには書かれていないけど(※今日現在)『若人』(のち『若い人』)という雑誌も創刊しているらしくて(1955年創刊らしい)、『若人』といえば、旺文社の赤尾好夫に『若人におくることば』という著書があるから(一応持っているけど、未読です。旺文社文庫の)何か関係があるのかな? ま、若者向けの雑誌の名前として『若人』ってそのままだから、普通に思い付くだろうけど。(国語系というか、小説家の遠藤周作がこの人の名前をあげている理由もなんとなくわかるような気が。『古文の総合研究』という参考書、検索しても出てこないから、うろ覚えというか、......なんかそれも遠藤周作らしいけど(汗)。)
 

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