「浪人」は関係ないけれど、まぁいいか。

原田宗典「失透」
『処女』(幻冬舎、1997/幻冬舎文庫、1999)所収。同書に収録されている「「失透」の頃」」(<自作解説>)によれば、<これは十六歳、つまり高校二年の頃に書き上げ、翌年学研の学生小説賞に応募したところ、運好く賞を得たものである。>(p.33、文庫版)とのこと。作者は、1959年の早生まれ。「翌年」というのは、1976年? 収録雑誌・号数も書かれていないけれど、学研(学習研究社)の『高2コース』か『高3コース』か、そのへんになるのかな?(よくわからんです)。――両親は教育者、受験勉強(だけ)をしすぎたせいか、「ぼく」はだんだんと精神的におかしくなっていく、みたいな話。ちょっと既視感があったけれど、意外に面白かったです。そう、関係ないけれど、奥野健男の文芸時評集を読むと(だいぶ前に図書館で借りて読んだので書名が思い出せない)、文学の新人賞を誰か若い作家が受賞するたびに、毎度、僕は学研の文学賞(「学研コース文学賞」)の選考をしていて……みたいなことを言い出していて、ちょっと面白い。

盛田隆二「糠星」
『あなたのことが、いちばんだいじ』(光文社文庫、2010)所収。単行本(光文社、2005)と文庫とで収録作に異同があるらしいけれど、単行本のほうは未確認。初出は、旺文社の『高二時代』1971年12月号であるらしい。作者は、1954年生まれ。――原田宗典「失透」と同様、これも冒頭に“広辞苑攻撃”が(汗)。題名に使われた言葉の意味が引用されている。感想というかは、小説家デビュー以前の、しかも高校生が書いている小説なのでしかたがないかもしれないけれど、個人的には、面白いか面白くないか以前に読んでいて読みにくく感じるし、何を言っているのかよくわからない箇所もけっこうあった。季節は梅雨どきの6月、図書館で受験勉強をしている純一(苗字は守田)が、昨年=1970年、高校2年のときの出来事を思い出している。純一は、自分と似たような部分がある和泉(下の名前は逍)と親しくなる。和泉はクラスメイトだけれど、昨年(=1969年)デモに参加して逮捕されていて1年遅れている。で、なんていうか要するに学校からイエローカードを1枚もらっている状態にある(もう1枚で退学に)。しかし2人が通っている「K高校」にも、学生運動の波が押し寄せてきていて――和泉くんはどう出るか、どうなるか? みたいな話(というか、毎度、説明が下手で申し訳ない(涙))。

南木佳士「病院風景」
『臆病な医者』(朝日新聞社、1999/朝日文庫、2005)に収録されているエッセイ「三十年ぶりの再会」に全文が引用されている。手もとの文庫版で2ページにも満たない短いもの。初出は『高一時代』1967年12月号であるらしい。作者は、1951年生まれ。そういえば、南木佳士も盛田隆二と同じで、中学だか高校だかのときはサッカー部…だったっけ?(何で知ったのか思い出せないや(涙))。――内容は、題名そのままで、診察を待っている患者など、病院の風景が描かれている。最後は「僕」(霜田)が看護婦に名前を呼ばれて、終わり。

関係ないけれど、浅田次郎「銀色の雨」(『月のしずく』文藝春秋、1997/文春文庫、2000)の冒頭のへんには、次のような箇所がある。

 <つい二月前までの和也は、奨学金を受けて新聞販売店に勤める、青少年の鑑のような勤労学生だった。「青少年の鑑」という古くさい言葉は、去年の秋に「高一時代」の記事にとり上げられたとき、取材にきた記者が勝手につけたタイトルだ。(略)/肩から朝刊の束を提げて、夜明け前のアーケードを走る姿がグラビアにまでなった。(略)>(p.121、文庫版)

ヤ○ザの出てくる“任侠小説”というか、そんな感じの話なのだけれど、それはともかく。↑いま風にいえば、読モ(読者モデル)? 違うか(汗)。昔は、東大の合格発表を見に行くと、写真を撮られて『螢雪時代』や週刊誌(の表紙とかグラビアとか)に載って、親とかに見せると喜ぶ(?)みたいなことがあったらしいけれど。いまもそういう現象(?)はあるのかな? そう、あまり観たことがないけれど、TVのワイドショー番組のクルーが取材に来てそうだよね(東大に受かった勉強方法とか生活習慣とか、親の職業とか年収とかをずかずかと訊かれちゃうんでしょう? …ま、答えたくなければ答えなければいいだけか(汗))。言い忘れていたけれど、浅田次郎は、南木佳士と同じ1951年生まれ。

黒井千次「歩道」
武藤康史『文学鶴亀』(国書刊行会、2008)を読んで以来、読んでみたいと思っていた小説。最近になって『占領期雑誌資料大系 文学編Ⅳ 「戦後」的問題系と文学 1948・8-1949・12』(岩波書店、2010)という本に収録されていることを知る。初出は『螢雪時代』1949年5月号らしい。作者は1932年生まれで、投稿(というか懸賞小説への応募)をしたときは高校1年生、掲載されたのは2年生のときになるらしい(あ、まだ『高一時代』も『高二時代』も出ていない時代です)。で、普通というか、特に感想もないな(汗)。確かに広い意味でBLといえばBLなのかもしれない。「俺」(澄田)はクラスメイトで、一緒に帰ったりしている黒崎のことが好き。その彼から石鹸を売るアルバイトをしないかと誘われて、もちろん(?)一緒にする約束をする。でもそんなおり(?)「俺」は、黒崎がほかの同級生と親しくしているのを見て嫉妬したり。で、日にちが経って2人で石鹸を売り歩く日に……。戦後4年目? なかなか売れないようだ、石鹸。小説の最後、なんていうか「俺」は幻滅しているというか、黒崎くんへの愛情が無くなっただけでなく、人はみな孤独だ、みたいなことを語っている(…説明、下手ですみません(涙))。ちなみに選者は、南木佳士のほうは石森延男だったらしいけれど、こちらは(武藤本によれば)木村毅だったようだ。

関係ないけれど、井上ひさし『青葉繁れる』に次のような箇所がある。

 <そのころ[=高校1年の春(引用者注)]、稔は学校で一番背が低く、受験雑誌の「螢雪時代」の広告ページで見て取り寄せた「大映スターズの長身大投手スタルヒン選手も推奨する速効式背伸ばし器」というやつを、毎夜、自分の躰に付けて眠ることにしていたので、(略)。>(pp.7-8、文春文庫・旧版)

そんなものを買うなよ、そしてそんな広告を受験雑誌に載せるなよ! と思わなくもないけれど、なんていうか、受験雑誌、学習雑誌も意外といろいろな使い方ができそうな? 作中年は1952年で、主人公の稔くんたちは高校3年生。なので、↑は(1949年の1年後の)1950年の話。
 

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