読書メモ(あまり読んでいないけれど)。
2014年2月25日 読書
四修についてもう少し。
高見順の自伝小説『わが胸の底のここには』(単行本は1949年?)でも書かれているけれど、たまたま中村光夫『時の壁』(新潮社、1982.6、初出は『新潮』同年2月号)という小説本を持っていてーーたまたまというか、以前、何か書評集(だったかな)を読んでいて、中学5年生が主人公らしいと知って、あとで古本屋で購入したものだけれど(いや、そんなことはどうでもよくて)、最初のほうに次のような箇所がある。
<新学年の教室は、どこか荒々しい活気にみちていたが、四年終了で高等学校に入学できる制度のおかげで、五十人の級友のうち約十人の「中途退学者」が出たせいか、この「最上級生」の教室だけは、どこか自嘲、自棄の雰囲気がただよっていた。/「どうせおれたちは敗残者だ」「気の利いた奴は今頃白線をまいた帽子をかぶっているさ」こんな言葉が折りにふれて、彼らの口から出た。/>(p.24)
どうなのかな、、クラスの5分の4もの人が残っているのに、これほど「敗残者」意識が強くなるかな? 合格できるという自信が(多かれ少なかれ)あった人が多めなら(進学校というか、旧制中学はたぶん進学するのが基本だろうし)、まあそういう気分にもなるか。「自分なんて落ちて当然!」みたいな人ばっかりなら、もっとふつうにただの新学年が開始される? 「荒々しい活気」ーー現在の浪人生が通う(通い始める4月ごろの)予備校の雰囲気とは、けっこう共通するものがある? 違うのはクラスメイトがみんな昨年度も同じ学校いた、ということかな(当たり前だけれど)。あ、例えば、高校3年生の受験生どうし、3人くらいの仲良しグループのなかで、自分以外の2人(以上)が早々と推薦で進学が決まってしまう、とか。ぜんぜん似てないか(推薦で内定が出ても、その人が学校からいなくなるわけではないし)。『わが胸の~』では下級生からの目線を気にしていたりもするけれど、それはともかく、上の引用箇所は次のように続いている(大丈夫だろうか、今日は引用率は?)。
<教師たちはいくぶん腫物にさわるように彼らを扱って、本校の教育方針は五年で中等教育を完成することにあるのだから、学校としては彼等にこそ大きな将来を期待すると事毎にくりかえした。/父兄のなかにはこういう説教を真にうけて中等教育の完成は同時に高校入試への合格を意味すると呑気に考える者もいた。彼らは子供たちが「浪人」というあいまいな身分に陥ることを何よりもおそれていた。中学五年生というのはそれにくらべればはるかに響きがよい。しかし(略)>(同頁)
教師・学校の言い分は、中学校は5年まで通って完成です! ーー教師らしいうまい言い訳?(言い逃れ?)。息子が1度受験に失敗している保護者たちは、でもその言葉にすがって(?)、しかも勝手に(?)じゃあ5年まで通えば、高校にも自然と受かるだろうとか自分を納得させ、知り合いなどから「お子さんはいま?」などと聞かれれば、「中学生です(5年だけどね)」と答える、みたいな? ーーこれもどうなんだろうね、とりあえず「浪人(生)」よりは「中学5年生」のほうが「響きがいい」というのは、わかるかな(わかるけれど、ある意味、釈然としない)。そう、この中学校はこのとき、浪人生が通ってくる補習科は設けてなかったのかな? で(?)その5年生の授業が、具体的にはどんなものだったかといえば、ーー上の続きから引用したほうがいいか(ああ引用が多すぎ(涙))、
<しかしそれは世間態だけのことであり、彼ら自身の敗北者意識はやわらげられはしなかった。これから彼らが経なければならぬ苦しい勉強の期間は、一年ですむという保証はどこにもなかったし、そこを抜けでた者には羨望の眼ざしが注がれた。/>(同頁)
浪人生ではなくて中学5年生だけれど、来年も受からないのではないか、みたいな気持ちは、現在の浪人生(大学受験浪人)が持っているかもしれない気持ちと同じか。先に「抜けでた者」が羨ましいーーというのは、クラスや学年を見渡せば、誰がいなくて誰がいるか(5分の1の面々と5分の4の面々)がわかりやすいから、現在の予備校生よりも、合格者への羨望の気持ち強くなりがち?(うーん、そんなこともないか)。で、はい、授業の話、
<実際に行われる授業も、内容は「四年終了程度」のくりかえしであり、予備校と同じ、模擬試験の連続であった。/手垢のついた教科書で昨年と同じ問題と取りくまされたが、学生たちは別に文句は云わなかった。「浪人」を逃れる道がこれ以外にないことを彼らは身に沁みて知っていた。>(同頁)
言い方はよくないかもしれないけれど、受験勉強の奴隷になっているというか。これなら学校に行かず、自分で勉強しても同じ、とか思ってしまう人が出てきてもおかしくないな。でも、いずれにしても、やる気になれなくても、自分でやる気を出してやるしかない、というか。ところで、この小説に書かれていることは、いつの話なのか? といえば、小谷野敦『私小説のすすめ』(平凡社新書、2009.7)という本に次のような記述がある。
<1982年の長編『時の壁』(新潮社)は、1931年(昭和6年)から32年を舞台として、私小説風に作られているが、主人公は中学の5年生で、実際の中村より4つほど年下に設定されており、(略)>(p.106、見づらいから漢数字はアラビア数字に直した)
作中年は1931年(から翌年)であるけれど、作者が実際に中学5年生だったのは、1931-4=1927年(昭和2年)ということ? で(?)、北村薫『いとま申して 『童話』の人びと』(文藝春秋、2011.5/文春文庫、2013.8)という本がある。手元にあるのは文庫版。そう、本屋で単行本が売られているのを見てーー時代が近い津野海太郎『したくないことはしない 植草甚一の青春』(新潮社、2009.10)は単行本で買ってしまったのだけれどーー、欲しかったのだけれど、我慢して、昨年、文庫化されたときすぐに(そんなすぐではなかったかも)手に入れて読んだのだけれど、えーと、内容はーー引用したほうが早いか。
<父が遺した日記に綴られていたのは、旧制中学に学び、読書と映画を愛し、創作と投稿に夢を追う父と友人たちの姿だった。そして彼らが夢を託した雑誌「童話」には、金子みすゞ、淀川長治と並んで父の名が記されていたーー。著者の父の日記をもとに、大正末から昭和初年の青春を描く、評伝風小説。>(表紙カバーより)
という感じ。お父さんの若き日の日記を、著者がほかの資料などを使ったりして、紐解いていく、みたいな本なのだけれど(個人的にはいい本だと思うけれど、手放しで人に薦めていいものやら、ちょっとわからない)、お父さんは、1926年(大正15年)に中学5年になっている。で、なぜなのか、四修(中学4年修了)で受験したかどうかについては、この本にはまったく書かれていない。元になっている日記でもそうなのかもしれないけれど。うーん。。あ、「中学校」といっても学校によって色々と違いがあるんだろうけれど。5年生のときのことで、こんな箇所がある。
<学校に行くのは好きだったが、この頃は遅く行って、途中で帰って来てしまうことが多い。しかも、《余り気にいらない時間は出ない事にしてゐる。例へば漢文、地理、化学、物理等。そして大抵、外ノ組へ話しに出掛ける》。/おいおい、出席時数の確保は大丈夫なのかーーと心配になる。しかし、受験を控えた最高学年の秋ともなると、他の生徒達にもそういう例があるようだ。お目こぼしがあったのかも知れない。>(p.155)
「最高学年」というと、いまの高校の3年生と対応しそうだけれど、でもそういう「最高学年」だからではなくて、旧制中学の5年生だからではないのか? と思うのだけれど、違うのかな?(よくわからない)。季節は違うけれど、『時の壁』(の上で触れた箇所)の印象が強いせいで、私はそう思ってしまうのかもしれないけれど。関係ないけれど(なくはないか)、このお父さん、浪人はせずに翌年の1927年(昭和2年)に慶応の予科(の文科)に合格して、入学しているのだけれど、同級生に丸岡明(こちらは2浪しているけれど)がいるんじゃないのかな?(いない?)。([追記]そういえば、以前読んだ井上靖『北の海』でも四修での受験についても触れられていてーーあ、主人公は大正15年、中学校を卒業して、いまは浪人生。だから中学校の学年でいえば『いとま申して』の主人公(?)の1つ上に当たる。で、なんでだろう、『いとま~』で四修での受験の話が出てこないのは、ちょっと不自然なレベル?)
高見順の自伝小説『わが胸の底のここには』(単行本は1949年?)でも書かれているけれど、たまたま中村光夫『時の壁』(新潮社、1982.6、初出は『新潮』同年2月号)という小説本を持っていてーーたまたまというか、以前、何か書評集(だったかな)を読んでいて、中学5年生が主人公らしいと知って、あとで古本屋で購入したものだけれど(いや、そんなことはどうでもよくて)、最初のほうに次のような箇所がある。
<新学年の教室は、どこか荒々しい活気にみちていたが、四年終了で高等学校に入学できる制度のおかげで、五十人の級友のうち約十人の「中途退学者」が出たせいか、この「最上級生」の教室だけは、どこか自嘲、自棄の雰囲気がただよっていた。/「どうせおれたちは敗残者だ」「気の利いた奴は今頃白線をまいた帽子をかぶっているさ」こんな言葉が折りにふれて、彼らの口から出た。/>(p.24)
どうなのかな、、クラスの5分の4もの人が残っているのに、これほど「敗残者」意識が強くなるかな? 合格できるという自信が(多かれ少なかれ)あった人が多めなら(進学校というか、旧制中学はたぶん進学するのが基本だろうし)、まあそういう気分にもなるか。「自分なんて落ちて当然!」みたいな人ばっかりなら、もっとふつうにただの新学年が開始される? 「荒々しい活気」ーー現在の浪人生が通う(通い始める4月ごろの)予備校の雰囲気とは、けっこう共通するものがある? 違うのはクラスメイトがみんな昨年度も同じ学校いた、ということかな(当たり前だけれど)。あ、例えば、高校3年生の受験生どうし、3人くらいの仲良しグループのなかで、自分以外の2人(以上)が早々と推薦で進学が決まってしまう、とか。ぜんぜん似てないか(推薦で内定が出ても、その人が学校からいなくなるわけではないし)。『わが胸の~』では下級生からの目線を気にしていたりもするけれど、それはともかく、上の引用箇所は次のように続いている(大丈夫だろうか、今日は引用率は?)。
<教師たちはいくぶん腫物にさわるように彼らを扱って、本校の教育方針は五年で中等教育を完成することにあるのだから、学校としては彼等にこそ大きな将来を期待すると事毎にくりかえした。/父兄のなかにはこういう説教を真にうけて中等教育の完成は同時に高校入試への合格を意味すると呑気に考える者もいた。彼らは子供たちが「浪人」というあいまいな身分に陥ることを何よりもおそれていた。中学五年生というのはそれにくらべればはるかに響きがよい。しかし(略)>(同頁)
教師・学校の言い分は、中学校は5年まで通って完成です! ーー教師らしいうまい言い訳?(言い逃れ?)。息子が1度受験に失敗している保護者たちは、でもその言葉にすがって(?)、しかも勝手に(?)じゃあ5年まで通えば、高校にも自然と受かるだろうとか自分を納得させ、知り合いなどから「お子さんはいま?」などと聞かれれば、「中学生です(5年だけどね)」と答える、みたいな? ーーこれもどうなんだろうね、とりあえず「浪人(生)」よりは「中学5年生」のほうが「響きがいい」というのは、わかるかな(わかるけれど、ある意味、釈然としない)。そう、この中学校はこのとき、浪人生が通ってくる補習科は設けてなかったのかな? で(?)その5年生の授業が、具体的にはどんなものだったかといえば、ーー上の続きから引用したほうがいいか(ああ引用が多すぎ(涙))、
<しかしそれは世間態だけのことであり、彼ら自身の敗北者意識はやわらげられはしなかった。これから彼らが経なければならぬ苦しい勉強の期間は、一年ですむという保証はどこにもなかったし、そこを抜けでた者には羨望の眼ざしが注がれた。/>(同頁)
浪人生ではなくて中学5年生だけれど、来年も受からないのではないか、みたいな気持ちは、現在の浪人生(大学受験浪人)が持っているかもしれない気持ちと同じか。先に「抜けでた者」が羨ましいーーというのは、クラスや学年を見渡せば、誰がいなくて誰がいるか(5分の1の面々と5分の4の面々)がわかりやすいから、現在の予備校生よりも、合格者への羨望の気持ち強くなりがち?(うーん、そんなこともないか)。で、はい、授業の話、
<実際に行われる授業も、内容は「四年終了程度」のくりかえしであり、予備校と同じ、模擬試験の連続であった。/手垢のついた教科書で昨年と同じ問題と取りくまされたが、学生たちは別に文句は云わなかった。「浪人」を逃れる道がこれ以外にないことを彼らは身に沁みて知っていた。>(同頁)
言い方はよくないかもしれないけれど、受験勉強の奴隷になっているというか。これなら学校に行かず、自分で勉強しても同じ、とか思ってしまう人が出てきてもおかしくないな。でも、いずれにしても、やる気になれなくても、自分でやる気を出してやるしかない、というか。ところで、この小説に書かれていることは、いつの話なのか? といえば、小谷野敦『私小説のすすめ』(平凡社新書、2009.7)という本に次のような記述がある。
<1982年の長編『時の壁』(新潮社)は、1931年(昭和6年)から32年を舞台として、私小説風に作られているが、主人公は中学の5年生で、実際の中村より4つほど年下に設定されており、(略)>(p.106、見づらいから漢数字はアラビア数字に直した)
作中年は1931年(から翌年)であるけれど、作者が実際に中学5年生だったのは、1931-4=1927年(昭和2年)ということ? で(?)、北村薫『いとま申して 『童話』の人びと』(文藝春秋、2011.5/文春文庫、2013.8)という本がある。手元にあるのは文庫版。そう、本屋で単行本が売られているのを見てーー時代が近い津野海太郎『したくないことはしない 植草甚一の青春』(新潮社、2009.10)は単行本で買ってしまったのだけれどーー、欲しかったのだけれど、我慢して、昨年、文庫化されたときすぐに(そんなすぐではなかったかも)手に入れて読んだのだけれど、えーと、内容はーー引用したほうが早いか。
<父が遺した日記に綴られていたのは、旧制中学に学び、読書と映画を愛し、創作と投稿に夢を追う父と友人たちの姿だった。そして彼らが夢を託した雑誌「童話」には、金子みすゞ、淀川長治と並んで父の名が記されていたーー。著者の父の日記をもとに、大正末から昭和初年の青春を描く、評伝風小説。>(表紙カバーより)
という感じ。お父さんの若き日の日記を、著者がほかの資料などを使ったりして、紐解いていく、みたいな本なのだけれど(個人的にはいい本だと思うけれど、手放しで人に薦めていいものやら、ちょっとわからない)、お父さんは、1926年(大正15年)に中学5年になっている。で、なぜなのか、四修(中学4年修了)で受験したかどうかについては、この本にはまったく書かれていない。元になっている日記でもそうなのかもしれないけれど。うーん。。あ、「中学校」といっても学校によって色々と違いがあるんだろうけれど。5年生のときのことで、こんな箇所がある。
<学校に行くのは好きだったが、この頃は遅く行って、途中で帰って来てしまうことが多い。しかも、《余り気にいらない時間は出ない事にしてゐる。例へば漢文、地理、化学、物理等。そして大抵、外ノ組へ話しに出掛ける》。/おいおい、出席時数の確保は大丈夫なのかーーと心配になる。しかし、受験を控えた最高学年の秋ともなると、他の生徒達にもそういう例があるようだ。お目こぼしがあったのかも知れない。>(p.155)
「最高学年」というと、いまの高校の3年生と対応しそうだけれど、でもそういう「最高学年」だからではなくて、旧制中学の5年生だからではないのか? と思うのだけれど、違うのかな?(よくわからない)。季節は違うけれど、『時の壁』(の上で触れた箇所)の印象が強いせいで、私はそう思ってしまうのかもしれないけれど。関係ないけれど(なくはないか)、このお父さん、浪人はせずに翌年の1927年(昭和2年)に慶応の予科(の文科)に合格して、入学しているのだけれど、同級生に丸岡明(こちらは2浪しているけれど)がいるんじゃないのかな?(いない?)。([追記]そういえば、以前読んだ井上靖『北の海』でも四修での受験についても触れられていてーーあ、主人公は大正15年、中学校を卒業して、いまは浪人生。だから中学校の学年でいえば『いとま申して』の主人公(?)の1つ上に当たる。で、なんでだろう、『いとま~』で四修での受験の話が出てこないのは、ちょっと不自然なレベル?)
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