ちょっと時間が空いてしまったけれど、少し前に読んだ小説です。短篇4つ、長篇1つ。
(図書館本)
・夢枕獏「妖精をつかまえた」
『ほのかな夜の幻想譚』(「幻想譚」には「ファンタジア」とルビ、コスミックインターナショナル、1995)。9篇中の9篇目。「あとがき」によれば、初出は『奇想天外』または『小説ジュニア』で、ネットで検索してみると、この1篇の最初の収録本は、コバルト文庫『キラキラ星のジッタ』(1980.12)であるらしい。ほかにも『風太郎の絵』(ハヤカワ文庫JA、1996.10)にも収録されている模様。ーふつうに面白かったかな。「あとがき」よれば、“ロマンチック・メルヘン”とのこと。「ぼく」=岡本優志(やさし)、浪人2年目、19歳。親元を離れて(経済的な援助なし)アルバイト生活。昭和19年(1944年)が35年前らしいので、たぶん1979年の話。季節は9月の終わりごろから10月。新聞の求人広告に「妖精を見つけてください」とあるのを見て、面接に行くと、依頼者は目の見えない年上の女性でー。採用というかが決まって「ぼく」が連れていかれるのは長野にある別荘で・・・という感じ。
・夢枕獏「蛇淫」
『雨晴れて月は朦朧の夜』(波書房、1996.6/角川ホラー文庫、1999.8)の単行本のほう。10篇中の1篇目。初出は何だろう? ほかにも『歓喜月の孔雀舞』(「孔雀舞」には「パヴァーヌ」とルビ、新潮社、1987/新潮文庫、1990/徳間文庫、2004)で読めるようだ。「あとがき」によれば「コワい」小説、ということになるのかな。具体的には、“入れ墨小説”というか、要するにホラー小説というかそんな感じだった。そういえば、彫られているのは「竜」ではなくて「蛇」だったなぁ(タイガー&ドラゴンではなくてタイガー&スネーク?)。「ぼく」=鳥隅涼一(とりずみ・りょういち)、浪人(たぶん1浪)、19歳。大学入試3校うち2校で答案を白紙で提出して浪人に。1年以上前に父親が亡くなっていて、母息子2人の家には、叔父(父親の弟)の白川が出入りするようになっている。一方では(というか)「ぼく」は以前から母親のことを女性として見ている。ー母親ではあるけれど、これも「妖精を~」と同じで“年上の女性もの”か(“浪人生小説”に多い)。
・玄月「チサト」
『めくるめく部屋』(講談社、2008.8)所収、7篇中の7篇目。初出は『小説現代』2008年5月号。読んではいけない小説を読んでしまったような(泣)。ひと言でいえば、なんだかんだで(1人の女の子にしか興味がないといっても)やっぱり“ロ×コン小説”という感じかもしれない。ネタバレしてしまうけれど、小学生で「私」の理想的(?)な少女だったチサト(会社の同僚の立花の1人娘)は、最後、数年経ってから再会すると、浪人生になっていて、受験のストレスなどで太っていて。ーやっぱり高校生や大学生ではなくて浪人生に設定されているのは、ネガティヴ・イメージの付与(増強)かな・・・。うーん。
(所有本)
・沼田まほかる「沼毛虫」
『痺れる』(光文社、2010.4/光文社文庫、2012.8)所収、9篇中の4篇目。初出は『小説宝石』2006年3月号。浪人中の「僕」(苗字は中嶋)が、ホームに入所している曾祖母(大祖母ちゃん)から聞いた話が語られる。ー火事のところで、思わず、うわっ!となってしまった。ふだんこういう小説をめったに読まないから(泣)。やっぱりいろいろなタイプの読んだほうがいいのかな。。ーそれはともかく、この小説では、うーん、まぁよくある「勉強していない浪人生=暇人」という社会的なイメージ(?)をたんに利用しているだけーということでいい?(違うか)。そもそも浪人(であること)はほとんど関係ない小説だし。メインの部分とのからみで。
・機本伸司『ぼくらの映画のつくりかた』
東京創元社、2014.7。これは長篇小説。読み終わってすぐに読書メーターのほうにちょっと感想を書いておいたけれど(正直にいってあまり面白くなくて・・・、読み終わるのにかなり時間がかかった)、えーと、とりあえず、表紙カバーの折り返しのところには、次のように書かれている。
<子供のころからの映画好きが高じ、将来は映画監督になることを夢見る、浪人生の奈緒。彼女は映画製作について学ぶべく、地元の自主映画サークル「シネ・フィスト」に飛び込む。ところが、「シネ・フィスト」は今まで一度も作品を完成したことがない、想像を絶する弱小サークルだった! 「哲学ミステリー」を作ることにして自主映画コンテストを目指すものの、「自分とは何か」というテーマにつまずくわ、メンバー同士は衝突を繰り返すわ、さらには・・・・・・ 果たして奈緒は、癖者ぞろいのメンバーとともに、映画を完成させられるのか? 『神様のパズル』の著者が贈る、青春エンタテインメント!>
「癖者」は漢字は「曲者」? 「~するわ、~するわ」の「わ」は、「は」でなくていいんだっけ?(私もふだん「わ」で書いているかな)。ー「私」(=見城奈緒、最終的なあだ名はチイ)は、一応、東京の芸術大学の映画学科志望の浪人生で、2浪目に入っている。なんだろう、美術系ではないけれど、こののんびりした感じとかは、やっぱり小説では(漫画でもかな)よく見かける“美大浪人”という感じかもしれない。美大浪人ではないと2浪女子(女子で2浪)という設定が、男女差が薄くなってきている21世紀な現在でも、ちょっと可哀想な感じになってしまう?(←言っていること、わかりにくい?(涙))。東大浪人や医学部浪人よりも、美大浪人のほうがなんとなくむさ苦しさも少ない?(偏見か)。あと、「自分とは何か」か。「浪人生=高校生でもなく大学生でもなく、何者でもない」というあたりが、主人公が浪人生に設定されている理由?(関係ないか)。「私」は家にいるときに哲学的なことを考え初めても、わりとすぐに寝てしまっている(汗)。(そういえば、だいぶ前に作者のデビュー作『神様のパズル』を読んだことがある。大学生小説で、2浪している人(元2浪生)が出て来ていなかったっけ? これもネガティブイメージの付与だったような覚えが。そう、現実には偏差値が高めの大学でありそうな、“元浪人生差別、いじめのようなもの”が描かれた小説を読んでみたいな。いままでぜんぜん読んだことがないから。)
(図書館本)
・夢枕獏「妖精をつかまえた」
『ほのかな夜の幻想譚』(「幻想譚」には「ファンタジア」とルビ、コスミックインターナショナル、1995)。9篇中の9篇目。「あとがき」によれば、初出は『奇想天外』または『小説ジュニア』で、ネットで検索してみると、この1篇の最初の収録本は、コバルト文庫『キラキラ星のジッタ』(1980.12)であるらしい。ほかにも『風太郎の絵』(ハヤカワ文庫JA、1996.10)にも収録されている模様。ーふつうに面白かったかな。「あとがき」よれば、“ロマンチック・メルヘン”とのこと。「ぼく」=岡本優志(やさし)、浪人2年目、19歳。親元を離れて(経済的な援助なし)アルバイト生活。昭和19年(1944年)が35年前らしいので、たぶん1979年の話。季節は9月の終わりごろから10月。新聞の求人広告に「妖精を見つけてください」とあるのを見て、面接に行くと、依頼者は目の見えない年上の女性でー。採用というかが決まって「ぼく」が連れていかれるのは長野にある別荘で・・・という感じ。
・夢枕獏「蛇淫」
『雨晴れて月は朦朧の夜』(波書房、1996.6/角川ホラー文庫、1999.8)の単行本のほう。10篇中の1篇目。初出は何だろう? ほかにも『歓喜月の孔雀舞』(「孔雀舞」には「パヴァーヌ」とルビ、新潮社、1987/新潮文庫、1990/徳間文庫、2004)で読めるようだ。「あとがき」によれば「コワい」小説、ということになるのかな。具体的には、“入れ墨小説”というか、要するにホラー小説というかそんな感じだった。そういえば、彫られているのは「竜」ではなくて「蛇」だったなぁ(タイガー&ドラゴンではなくてタイガー&スネーク?)。「ぼく」=鳥隅涼一(とりずみ・りょういち)、浪人(たぶん1浪)、19歳。大学入試3校うち2校で答案を白紙で提出して浪人に。1年以上前に父親が亡くなっていて、母息子2人の家には、叔父(父親の弟)の白川が出入りするようになっている。一方では(というか)「ぼく」は以前から母親のことを女性として見ている。ー母親ではあるけれど、これも「妖精を~」と同じで“年上の女性もの”か(“浪人生小説”に多い)。
・玄月「チサト」
『めくるめく部屋』(講談社、2008.8)所収、7篇中の7篇目。初出は『小説現代』2008年5月号。読んではいけない小説を読んでしまったような(泣)。ひと言でいえば、なんだかんだで(1人の女の子にしか興味がないといっても)やっぱり“ロ×コン小説”という感じかもしれない。ネタバレしてしまうけれど、小学生で「私」の理想的(?)な少女だったチサト(会社の同僚の立花の1人娘)は、最後、数年経ってから再会すると、浪人生になっていて、受験のストレスなどで太っていて。ーやっぱり高校生や大学生ではなくて浪人生に設定されているのは、ネガティヴ・イメージの付与(増強)かな・・・。うーん。
(所有本)
・沼田まほかる「沼毛虫」
『痺れる』(光文社、2010.4/光文社文庫、2012.8)所収、9篇中の4篇目。初出は『小説宝石』2006年3月号。浪人中の「僕」(苗字は中嶋)が、ホームに入所している曾祖母(大祖母ちゃん)から聞いた話が語られる。ー火事のところで、思わず、うわっ!となってしまった。ふだんこういう小説をめったに読まないから(泣)。やっぱりいろいろなタイプの読んだほうがいいのかな。。ーそれはともかく、この小説では、うーん、まぁよくある「勉強していない浪人生=暇人」という社会的なイメージ(?)をたんに利用しているだけーということでいい?(違うか)。そもそも浪人(であること)はほとんど関係ない小説だし。メインの部分とのからみで。
・機本伸司『ぼくらの映画のつくりかた』
東京創元社、2014.7。これは長篇小説。読み終わってすぐに読書メーターのほうにちょっと感想を書いておいたけれど(正直にいってあまり面白くなくて・・・、読み終わるのにかなり時間がかかった)、えーと、とりあえず、表紙カバーの折り返しのところには、次のように書かれている。
<子供のころからの映画好きが高じ、将来は映画監督になることを夢見る、浪人生の奈緒。彼女は映画製作について学ぶべく、地元の自主映画サークル「シネ・フィスト」に飛び込む。ところが、「シネ・フィスト」は今まで一度も作品を完成したことがない、想像を絶する弱小サークルだった! 「哲学ミステリー」を作ることにして自主映画コンテストを目指すものの、「自分とは何か」というテーマにつまずくわ、メンバー同士は衝突を繰り返すわ、さらには・・・・・・ 果たして奈緒は、癖者ぞろいのメンバーとともに、映画を完成させられるのか? 『神様のパズル』の著者が贈る、青春エンタテインメント!>
「癖者」は漢字は「曲者」? 「~するわ、~するわ」の「わ」は、「は」でなくていいんだっけ?(私もふだん「わ」で書いているかな)。ー「私」(=見城奈緒、最終的なあだ名はチイ)は、一応、東京の芸術大学の映画学科志望の浪人生で、2浪目に入っている。なんだろう、美術系ではないけれど、こののんびりした感じとかは、やっぱり小説では(漫画でもかな)よく見かける“美大浪人”という感じかもしれない。美大浪人ではないと2浪女子(女子で2浪)という設定が、男女差が薄くなってきている21世紀な現在でも、ちょっと可哀想な感じになってしまう?(←言っていること、わかりにくい?(涙))。東大浪人や医学部浪人よりも、美大浪人のほうがなんとなくむさ苦しさも少ない?(偏見か)。あと、「自分とは何か」か。「浪人生=高校生でもなく大学生でもなく、何者でもない」というあたりが、主人公が浪人生に設定されている理由?(関係ないか)。「私」は家にいるときに哲学的なことを考え初めても、わりとすぐに寝てしまっている(汗)。(そういえば、だいぶ前に作者のデビュー作『神様のパズル』を読んだことがある。大学生小説で、2浪している人(元2浪生)が出て来ていなかったっけ? これもネガティブイメージの付与だったような覚えが。そう、現実には偏差値が高めの大学でありそうな、“元浪人生差別、いじめのようなもの”が描かれた小説を読んでみたいな。いままでぜんぜん読んだことがないから。)
コメント