深沢夏衣『夜の子供』
図書館本。講談社、1992.12(初出『新日本文学』1992年春号)。「在日文学」くらいの事前情報しかなくて、読む前にはちょっと身構えてしまったけど(よくないよね...)、読み始めてみたらぜんぜん抵抗なく読めた(それでいいのか悪いのかわからないけど)。主人公の考えていることや悩んでいることが、明快な文章(比喩なども使われているけど、けっこうシンプルな文体)で書かれていた。ただちょっと思ったのは、この小説には帰化者ではない、ただの(?)日本人が直接登場してくることがなくて、そのせいで私(ただの日本人というか)は何かを問われたり、責められている感じがしない......のかな? と。(それはそれでよくないことかもしれなくて、やっぱり自分の立場や姿勢はちゃんと決めたほうがいいのかもしれないけど。)
1992年の作品だけど、作中の時代は1970年代の半ば(たぶん)。主人公の葉山明子(28歳、中学2年のとき家族で帰化)は〈ぱるむ〉という季刊の雑誌を任されている。なんていうか、図式的に整理するのはよくない小説になっていると思うけど、顔をあまり出さない編集委員の3人(イ氏、ソン氏、ク氏)が在日1世で、事務所で仕事をしたり営業で書店を回ったりしている若いスタッフの3人(ウチョル、ヨンイル、スファン)は2世で、明子はその間で板挟みに......みたいな図式的な整理をするのはだから、よくないのかも(泣)。事務所には若い2世たちが出入りをしていて、熱く議論などを交わしていたりするのだけど(明子は少し距離を置いているんだけど)、そのうちの1人にスンジャという浪人生がいて、明子に個人的に話を聞いてもらったりしている。(主人公以外が男性ばっかりになってしまうから女性を1人登場させたのかな? とはちょっと思ったけど。)
スンジャは高校2年のとき自分が朝鮮人であることを告げられたそうだ(高校2年というのは早いのか遅いのか、それとも適切なのか、...どうなんだろう? もちろん人によって、家庭によって違うだろうけど)。本人にとっては大学受験よりも家族との関係(特に父親との関係)が問題のようで、好きでもない相手と寝ているとも言っていてーーまぁ自傷行為の1種だろうね。明子は大学に入ることを勧めるんだけど、結局、本人は受験には失敗したらしく、在日社会のなかで働き始める。大学受験はやめるようだけど、でも(?)職場の年配の人たちに日本語を教えるように。ーー大学生活よりも大事なことは世の中にはたくさんあるというか、本人が満足できればそれでいいよね(なんかテキトウなまとめになってしまった(汗)、すみません)。
浪人は関係ないけど、そういえば「コトバ」がキーワードの1つになっていたと思う。雑誌〈ぱるむ〉は明子が携わってから結局、2号出しただけで休刊になっているけど、こうして1つの小説本(もちろん言葉でできている)は残されている、というか。
あと、
〈Y[=Y・MまたはY・J(引用者註)]の遺稿集に飾られた在日作家の序文「二つの祖国所有者の叫び」で、作家は次のように書いていた。〉(p.77)。
という箇所があって。ネットで検索してみると、この「Yの遺稿集」は、山村政明/梁政明(リャン・ジョンミョン)の『いのち燃えつきるとも』(大和書房、1971)で、序文を書いている作家は、李恢成のようだ。主人公は引用して、疑問を投げかけているけど、作者は1943年生まれなので、1935年生まれの李恢成とはひと回りも違わないんだよね。それでも、か...。もちろん年齢や世代だけじゃないしね。(1971年って李恢成が芥川賞を受賞する前? 後? ...あ、「砧をうつ女」の発表は1971年下半期だけど、芥川賞の受賞は翌年の1972年だから後になるのか。)関係ないけど、このへん、以前読んだ干刈あがた「樹下の家族」での樺美智子さんへの呼び掛け(?)とか、小説ではないけど、高野悦子『二十歳の原点』での奥浩平氏(『青春の墓標』)への愛(?)とかをちょっと思い出すかな。
図書館本。講談社、1992.12(初出『新日本文学』1992年春号)。「在日文学」くらいの事前情報しかなくて、読む前にはちょっと身構えてしまったけど(よくないよね...)、読み始めてみたらぜんぜん抵抗なく読めた(それでいいのか悪いのかわからないけど)。主人公の考えていることや悩んでいることが、明快な文章(比喩なども使われているけど、けっこうシンプルな文体)で書かれていた。ただちょっと思ったのは、この小説には帰化者ではない、ただの(?)日本人が直接登場してくることがなくて、そのせいで私(ただの日本人というか)は何かを問われたり、責められている感じがしない......のかな? と。(それはそれでよくないことかもしれなくて、やっぱり自分の立場や姿勢はちゃんと決めたほうがいいのかもしれないけど。)
1992年の作品だけど、作中の時代は1970年代の半ば(たぶん)。主人公の葉山明子(28歳、中学2年のとき家族で帰化)は〈ぱるむ〉という季刊の雑誌を任されている。なんていうか、図式的に整理するのはよくない小説になっていると思うけど、顔をあまり出さない編集委員の3人(イ氏、ソン氏、ク氏)が在日1世で、事務所で仕事をしたり営業で書店を回ったりしている若いスタッフの3人(ウチョル、ヨンイル、スファン)は2世で、明子はその間で板挟みに......みたいな図式的な整理をするのはだから、よくないのかも(泣)。事務所には若い2世たちが出入りをしていて、熱く議論などを交わしていたりするのだけど(明子は少し距離を置いているんだけど)、そのうちの1人にスンジャという浪人生がいて、明子に個人的に話を聞いてもらったりしている。(主人公以外が男性ばっかりになってしまうから女性を1人登場させたのかな? とはちょっと思ったけど。)
スンジャは高校2年のとき自分が朝鮮人であることを告げられたそうだ(高校2年というのは早いのか遅いのか、それとも適切なのか、...どうなんだろう? もちろん人によって、家庭によって違うだろうけど)。本人にとっては大学受験よりも家族との関係(特に父親との関係)が問題のようで、好きでもない相手と寝ているとも言っていてーーまぁ自傷行為の1種だろうね。明子は大学に入ることを勧めるんだけど、結局、本人は受験には失敗したらしく、在日社会のなかで働き始める。大学受験はやめるようだけど、でも(?)職場の年配の人たちに日本語を教えるように。ーー大学生活よりも大事なことは世の中にはたくさんあるというか、本人が満足できればそれでいいよね(なんかテキトウなまとめになってしまった(汗)、すみません)。
浪人は関係ないけど、そういえば「コトバ」がキーワードの1つになっていたと思う。雑誌〈ぱるむ〉は明子が携わってから結局、2号出しただけで休刊になっているけど、こうして1つの小説本(もちろん言葉でできている)は残されている、というか。
あと、
〈Y[=Y・MまたはY・J(引用者註)]の遺稿集に飾られた在日作家の序文「二つの祖国所有者の叫び」で、作家は次のように書いていた。〉(p.77)。
という箇所があって。ネットで検索してみると、この「Yの遺稿集」は、山村政明/梁政明(リャン・ジョンミョン)の『いのち燃えつきるとも』(大和書房、1971)で、序文を書いている作家は、李恢成のようだ。主人公は引用して、疑問を投げかけているけど、作者は1943年生まれなので、1935年生まれの李恢成とはひと回りも違わないんだよね。それでも、か...。もちろん年齢や世代だけじゃないしね。(1971年って李恢成が芥川賞を受賞する前? 後? ...あ、「砧をうつ女」の発表は1971年下半期だけど、芥川賞の受賞は翌年の1972年だから後になるのか。)関係ないけど、このへん、以前読んだ干刈あがた「樹下の家族」での樺美智子さんへの呼び掛け(?)とか、小説ではないけど、高野悦子『二十歳の原点』での奥浩平氏(『青春の墓標』)への愛(?)とかをちょっと思い出すかな。
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