2016年5月。

2021年9月4日 読書
※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆訂正、補足ありです。



14. https://www.sundai.ac.jp/about/principles.html
ここに「1930年、駿台予備学校に改称し、東京府より各種学校として認可されました。」とあって、一瞬「あれ?」と思ったけど、これでいいのか。ん? あ、やっぱり間違っているのか。どっちだよ!(泣)。恐るべし「学」のあるなし問題。

14.1. あ、ぜんぜん違う、あさってなことを言ってしまった(泣)。「学」のあるなしは置いておいて、1930年には「駿台高等予備校」になっているらしいです(いくつか前のRT)。「予」か「豫」かも気になるけど、もういいです。

14.2. 中途半端なことを言ってしまったよ(泣)。「予」か「豫」だけでなく、「台」か「臺」かもあるね。

14.3. 以前、相当迷った末に購入してしまった『學生』昭和25年(1950年)2月号=第34巻第2号(研究社)。もちろん古本。そこに出ている広告です。左の囲みの左下のあたりをご覧ください。「臺」と「豫」。「學」なし。「学校法人」もない。
※画像省略。

14.4. 青木雨彦『男と女の泣きボクロ』(集英社文庫)というエッセイ集に「私立のなかでも、早稲田に決めたのは、当時、たまたま読んだ新庄嘉章というひとの、早稲田大学を紹介した文章に、井伏鱒二さんの『休憩時間』という小説が引用してあったからだ。(略)/新庄さんの文章は、(続く

14.5. 続き)たしか「螢雪時代」に対抗して創刊された「学生」とかいう雑誌に掲載されていた。」と書かれている(p.328)。国会図書館のサイトを見ると、確かに『学生』35巻1号(1950年4月号?)の目次に、 「特集 新制大学案內大学 今昔物語――早大の卷 / 新庄嘉章」 というのがある。

14.6. 続き)この『学生』(研究社)はもともと1918年創刊の『受験と学生』で、1932年創刊の『受験旬報』=『螢雪時代』よりも古い。『学生』は何年か読物雑誌になっていて、1950年1月号からまた受験雑誌に戻る。だから著者は以前の『学生』を知らず、リニューアルを創刊と勘違いしたのかも。

14.7. 私はたまたま第2号(2月号)だけ持っているんだけど、国立国会図書館デジタルコレクションでは第34巻(1950年1~3月号?)は欠巻になっていて、目次が見れない(1, 3月号?の)。

14.8. あー、何を言っているかわかりにくいかも。「1, 3月号?の」と言ってしまったのは、2月号は持っているので。あと、その2月号の編集後記に「新年号より新発足した本誌は四月号よりまた一段の飛躍を試みんと考えている」とある。4月号を創刊号と勘違いしたのかな?

14.9. 昔のベストセラー、波多野勤子『少年期』(1950)は、母子の往復書簡で、息子さんは中学4年のとき一高受験生に。「朝八時から十二時まで研数、十二時半から四時半までは、駿河台の一高受験科、帰ってきてから十一時ごろまでは、(略)」ー昭和23年(1948年)元旦の手紙。掛け持ちしている。

14.10. (続き)「駿河台の一高受験科」という言い方をしている。1948年(1月)、最後の旧制高校受験生で、しかも中学4年生なのでぎりぎり間にあった学年(1つ下の学年はもう受験できない)。ただ、この年に合格しても1年しかいられなくて、翌年(昭和24年)新制大学を受け直さないとだけど。

14.11. そういえば(出版年でいえば13年後)、玉井美知子編『お母さん合格よ』(秋元書房、1963)という日記本がある。文庫版(1976)を持っているけど、未読です(^_^;)。高校2年の4月から始まっていて(何年の話かは不明)、お茶の水の予備校に通っている(たぶんS台だよね)。

13. 「受験生の手記」(初出『黒潮』1918年3月号)に付いている「作者附記」に、「だからこの話は受驗制度が、今のやうに綜合的に改良されない、以前の事であると思つて貰ひ度い」とある。川端康成は1917年(大正6年)3月に中学校を卒業。7月に受けた入試は“総合的に改良された”もの。

13.1. 川端康成は浪人はしてないけど、中学校を卒業して上京して浅草のいとこの家に(1917年3月卒業で7月入試)。日土講習会と明治大学の予備校に通ったらしい。後者で山崎寿春の授業を受けていたらちょっと面白い? S台の前身、東京高等受験講習会の開設はWikipediaによれば1918年。

13.2. S台の前身、東京高等受験講習会の開設は、本によって1917年(大正6年)と書かれていたり、1918年(大正7年)と書かれていたりする。このへんの1年の違いは大きいような。大正半ば。でも、ネット上を見たりすると、後ろのほう(1918年)でいいっぽい?(いや、わからないけど)。

13.3. 1917年の4月から7月くらい、同じ日土講習会でもけっこういい時期に当たっているかも。以前、板倉聖宣『かわりだねの科学者たち』(1987)の藤森良蔵の章を読んでいて、そう思った記憶がある(よく覚えていないけど)。

13.4. 『学歴貴族の栄光と挫折』の表16(p.107、単行本)を見ると、大正6年前後の高等学校の入試は、明治41~大正5年は「単独(試験)選抜」、大正6~7年は「共通試験総合選抜」、大正8~14年は「共通試験単独選抜」。「総合」(的に)というのは、高校をぜんぶ合わせて、といった意味。

13.5. 秦郁彦『旧制高校物語』(文春新書、2003)に次のような箇所がある。「(略)大正7(1918)年名古屋で一緒に受験した池田勇人、佐藤栄作(略)は、第一志望ではない五高にまわされた。池田は前年、五高英文科へ合格したにもかかわらず辞退して翌年受け直し、またも五高へまわされ、(続く)

13.6. (続き)こんどは入る決心をしたという。入校を辞退したり、第七志望の第二志望科(たとえば医科がだめで農科へまわされる)へすべりこんだ者もいたにちがいない。」(p.76)。池田の「前年」が大正6年だけど、この年も第7志望校まで書けたのかな? 「名古屋」って八高?(第8まで書けた?)。

13.7. 大正6~7年の入試制度なら、健吉くんは第2志望科や第2志望以下の高校に合格して、死ぬことはなかったかもしれないし、松井くん(誰?)も都落ちをせずに一高で受験して、堂々と第1志望校を一高にすることができた、みたいな話です。(小説の成立に入試制度が関係しているので、必要な「附記」。)

13.8. ちなみに、中学4年修了(四修)での受験が可能になるのは(大正7年末に出された高等学校令によってで)大正8年からになるようだけど、最初のころはあまり機能していなかったのではないか、という感じがする(ちゃんと書かれている本が見つからないんだけど、なんとなく)。

13.9. 予備校オタク必携かどうか知らないけど、山崎春之『教育界のトップブランド「駿台」 親子二代に引き継がれた「愛情教育」』(財界研究所、2003.12)という本があって。次のような箇所がある。「明治から大正に移る時期、明治・専修・東洋・法政などの各私立大学では、イギリスで(続く)

13.10. (続き)「プレパラトリー・スクール」(Preparatory School)と呼ばれているような、大学に入るための学力を身につけさせる予備校を持っていた。その大学の予備校で学び、成績が上がったら大学に編入してあげましょうという制度である。」(p.24) 。(続く)

13.11. 中央、日本が抜けているかな(中央をはずしているのは意図的?)。なんか変だな。。著者は大正15年生まれで、予科は知っているだろうから、それと予備校が区別できないはずはないのに。あと、きれいごとというか、ほかの本によれば私大が予備校を付設していたのは、やっぱり商売の面が大きいらしい。

13.12. 孫引きになるけど、千野帽子『読まず嫌い。』にこんな箇所が。「(略)ロバート・グレイヴズは『さらば古きものよ』(1929)でこう回想している。/イギリスの進学予備校やパブリックスクールでは、ロマンスは必然的に同性愛になる。異性は蔑まれ、(略)〔工藤政司訳〕」(pp.51-2)。→

13.13. →パブリック・スクールだけでなくプレップ・スクールもBLの温床! 進学できてからにすればいいのにね(そういう問題ではないか)。
※これは差別的な発言に当たるかもしれない。すみませんm(_ _)m。

13.14. 『新英語学辞典』(1982)のtranslationの項にこんな記述が。「アメリカの’prep school’を直訳して「予備校」とすると、それが一流校を目指す金持ち階級の師弟のためのエリート校であるという含みが伝わらなくなる。」一緒にしたらいけない、と?(イギリスのでも?)

13.15. 未読なのでよくわからないけど、水村美苗『私小説 from left to right』(手元にあるのは文庫版)にprep schoolの話が出てくる。友達(?)が交際し始めた相手(韓国人)が通っている。あ、アメリカの話です。

13.16. 村上春樹「イエスタデイ」の英訳、
Kitaru ... was attending a prep course to cram for the retake.
常套手段なのかな? prepとcramの両方が使われている。
http://newyorker.com/magazine/2014/06/09/yesterday-3

13.17. もう1つ、
... though Aki-kun’s in his second year of cramming for the entrance exams, ....
He skips exam-prep school a lot, too.
prepの前にexam-。

12. 蓮實重彦は1浪して東大。1955年、研数学館(の数学コース)に通っていたらしい。(Wikipediaの「研数学館」の項、和田芳恵の名前は載ってないのか。)

12.1. 辻仁成は1浪だっけ? 確か上京して高田馬場の予備校。早めに行かなくなってしまったらしいけど。大学は成城大学(中退)。(1959年生まれらしいので、浪人年は1978年? この作家も1980年前後か。)

11. 以前、ある小説(ラノベ寄りの)を読んでブログに感想を書いて、数ヶ月後にほかの人の感想も知りなくなって、検索して出てきたものを読んでいたら、「ネットにこれこれこういう批判的な感想がある。そういう小説じゃないから!」みたいなことが書かれていて。(続く

11.1. (承前)もちろん反省すべきはこちらです。だって恋愛小説を読んで恋愛部分をほぼすべて無視して感想を書いていたんだから!(汗)。世の中にそう言って(「そういう小説じゃないから!」と言って)くださる方がいてよかった、ありがたいです。

10. 「浪人(生)」という言葉が定着する以前は(以後も?)「落(ち)武者」という言葉がけっこう使われていたんではないか、と。比喩的に。大杉栄『自叙伝』(1923)では、学校の中退者に対して使われている。
http://aozora.gr.jp/cards/000169/card1273.html

10. 1. 近デジに『大学受験の告白』(1916/大正5)という本がある。なんと著者名が「荒武者」(笑)。(あ、高校受験じゃないんだね。)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941340

10.2. Googleブックスで検索すると、佐々木邦の全集が出てくるんだけど、『凡人伝』(1946)でいいのかな、「落武者」という言葉が使われている。(青空文庫では作業中、いま現在。)

9. 「君の「受験生の手記」を読んだ。君も確信のある作だろうから褒める方は省略するが、兄貴が弟の手紙を見る時に少しもstruggleのないのが僕には不服だった。そう云う点が外でもまだ少しある。そのせいかどうもあの兄貴には僕はあまり同情がない。(続く

9.1. 続き)精神的に何だか病者のような気がする。ああ云うlove affairを書くんならもっと実感を露骨にどんどん出して行けばいいのに。併し今月中の創作で一番いい事は確だよ。以上。」ー『芥川竜之介書簡集』(岩波文庫、p.227)。大正7年(1918年)久米正雄への手紙(葉書)。(続く

9.2. 続き)「受験生の手記」というタイトルなのに、受験生に関することは、ほとんどスルーな龍之介。松岡譲には「久米のことはうちゃって置くがいい」(同書、p.221)と書き送る龍之介。

8. 久米正雄は1910年(明治43年)現役で一高に。同級生の芥川と同じで無試験入学。なので、「受験生の手記」(1918)の受験生部分の話がどこから来たのか? みたいなことは思ってしまう。小谷野敦『久米正雄伝』のp.230に (続く

8.1. 続き)「(略)これ[=「受験生の手記」]はもちろん実体験ではなく、失恋事件を受験生にことよせたものだが、佐治祐吉に、俺は受験のことは知らないから話せと言って、佐治が話したことを書いたと、佐治が言っている(佐治・村松)。」と書かれている。後ろのほうの参考文献を見ると(続く

8.2. 続き)この発言は1962年の座談会のもので、久米正雄(1891-1952)が亡くなってからだいぶ経つ。一高、帝大と周囲に受験経験者(浪人経験者)ならたくさんいただろうし、執筆の直前ではなくても、松岡譲からも話を聞いていたのではないか、と思ってしまう。(続く

8.3. 続き)あと、雑誌『中学世界』に載っていた(不)合格体験記を参照している可能性もあるかもしれない。ただ、一高の合格体験記なら結局、一高生か元一高生が書いているわけで、もしそうだとしても、友人たちから直接聞いた話と区別ができないかも(鶏と卵どっちが先か的な)。

8.4. Wikipediaはないみたいで、コトバンクによれば、佐治祐吉は福島出身。健吉くんと同じ(おおー)。近デジで『恐ろしき告白』(1921)という短編集が読めるみたい。

8.5. なんか忘れていたけど(忘れちゃいけなかったな)、久米正雄は福島の中学校出身。主人公の名前は久野(健吉)だし、本人のほうがいいのかな?

7. そういえば、海老沢泰久『満月 空に満月』(文春文庫)という本もあったっけか。「博多で歯科大学入学を目指していた青年は、3度目の浪人中に、(略)」(カバー背より)。井上陽水は1948年生まれ。(著者は直木賞作家。)

6. 浜田省吾「19のままさ」という歌。予備校生ソングというか。(浜田省吾は一応、広島の英数学館らしい。そういえば、田家秀樹『陽のあたる場所』(角川文庫)という本。持ってたんだけど、どっか行ちゃったな(泣)。)

5. そういえば、内容をほとんど覚えていないけど、瀧井孝作「邦男と二宮と」(1931)という小説がある。ネタバレしてしまうかもしれないけど、苦学生の定番アルバイト、人力車夫の話が出てきたと思う(回想的にかな)。1931年(昭和6年)の作品だから、明治か大正の話ではないかと。

4. 外村繁は1浪して三高(いまでいえば京大)。中学卒業は1920年(大正9年)のようだ。青空文庫に『澪標』(1960)という自伝的な小説があるけど(私は未読です)、浪人中の話は飛ばされているっぽい。
http://aozora.gr.jp/cards/001499/card51277.html

3. 江戸川乱歩「百面相役者」(1925)。青空文庫では作業中になっている(いま現在)。小学校代用教員もの(回想的)。たんなる設定かな。。江戸川乱歩も横溝正史も、探せば何かもっといい作品がありそうな感じはするけど。

3.1. これいまはあるみたい。→図書カード:百面相役者 http://aozora.gr.jp/cards/001779/card57194.html #青空文庫

2. これも大正期、横溝正史「汁粉屋の娘」(1921)という小説が。(角川文庫『双生児は囁く』などに収録されている。)デビュー第2作? ぜんぜん読み返していないけど、確か主人公は浪人生でよかったと思う。

2.1. 第2作じゃないな。4作目くらい? よくわからん...

1. 谷崎潤一郎「金色の死」(1914)という小説。青空文庫では作業中になっている(いま現在)。岡村くんは一高に入るのに1年浪人している(どうでもよすぎる情報(^_^;))。
 

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