2016年6月。

2021年9月5日 読書
※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆修正、補足ありです。



11. 大下宇陀児。デビュー作(「金口の巻煙草」『新青年』1925年4月)が一高生小説なのに検索しても一高入学年が出てこないな。大正10年(1921年)に九州帝国大学卒なことはわかるけど。検索のしかたが悪いのかな...。図書館に行って年譜の載っている本を確認した方が早いかも(^_^;)

11.2. (おととい図書館に行ってきた)大正3年に中学卒業、大正6年に高校卒業らしい。高校(一高)は現役合格で、留年もしていない感じ。ところで(?)権田萬治『日本探偵作家論』の大下宇陀児の章は「残酷な青春の鎮魂歌」と題されている。「青春ミステリの系譜」では重要な作家になるのかな?
※これは7月3日のツイート。

10. 尾崎翠が小学校の代用教員をしていたのは大正3年(1914年)7月初旬から大正6年(1917年)(何月?)。芹沢光治良が小学校の代用教員をしていたのは(1学期だけらしいけど)大正4年(1915年)。鳥取と静岡ではずいぶん距離があるけど、時期は被っている。漁村という共通点もあるかな。

9. そういえば、昨日の夜(日付でいえば今日)ぼけっと「ライブB♪」を観るともなく観ていて。誰か「19のままさ」(浜田省吾)についてちょっと触れていたかも。TEE? (関係ないけど、ベッキーはもう戻ってくればいいのにね。微妙に冠番組だし(「B」)月1回深夜だし。)

8. 林芙美子「落合町山川記」
http://aozora.gr.jp/cards/000291/card42333.html

7. 「私はカバンを枕にして横たわった。(略)涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにした程だった。私の横に少年が寝ていた。河津の工場主の息子で入学準備に東京へ行くのだったから、一高の制帽をかぶっている私に好意を感じたらしかった。」川端康成「伊豆の踊子」

7.1. 「伊豆の踊子」はほとんど事実だそうで、「少年」にもモデルが。蔵前の高工(現・東工大)受験生らしい。11月上旬(大正7年の話)に上京して「入学準備」というのは予備校通いかな? その前にこの年の入試はどうしたんだろう? でもこの人、翌年(大正8年)ちゃんと受かっているようだ。

7.2. 大正7年(1918年)の9月から川端は一高の2年生に。その年の秋(10月の終わり頃から11月初旬)に伊豆へひとり旅。「少年」はいくつだったんだろう? 川端とはそれほど違わないよね。(あ、「伊豆の踊子」の初出は『文藝時代』大正15年(1926年)1・2月号。)

7.3. 「高工」とあとテキトウな言葉を組み合わせてネット検索してみたら、なぜか「梶井基次郎」がたくさん出てきた。大正8年(1919年)の3月下旬、大阪高工を受験して落ちているらしい(下旬だから中学校を卒業してからかな)。でも、そのあと三高(7月入試)には受かっているらしい。

7.4. グーグルブックスを検索したら「大谷晃一著作集, 第 2 巻」という本が。 「(略)と箒次郎の符案をのぞき込む:麓次郎が病気だつたことが樺認できる。大阪高工/の入学試験は三月下旬に行われた。その年の離争串は十借に遽した。碁次郎は兄と/同じ(略)」 基次郎はどこへ?(笑)。

7.5. 久米正雄「受験生の手記」
http://aozora.gr.jp/cards/001151/card52934.html
初出は『黒潮』大正7年3月号で、『学生時代』同年5月に収録。「作者附記」から計算すると(作者の一高入学は明治43年で、その2、3級下だから)、作中年は明治45年(1912年)か大正2年(1913年)くらい。

7.6. 「私」(久野健吉)ではなくて松井くんの話。「松井は二部が志望だつた。そして今年も高等學校を受ける前に、四月には高工を受驗する筈だつた。四月と云へばもう二ヶ月ほどしかない。それだのに彼はさう際きはだつて、勉強してゐる樣子もなかつた。」/(続く)

7.7. (続き)3月ではなくて4月になっている。入学は何月なのかな? ちなみに、久米正雄には(弟ではなくて)お兄さんがいて、明治38年ごろに高工(蔵前の。現・東工大)に入学しているらしい(p.31、小谷野敦『久米正雄伝』)。

7.7.1. 当時の高等学校の「二部」って工学部に当たるところ?(何かに書かれていた気がするけど忘れてしまった)。文脈的には工学部でよさそうだけど。

7.8. 野尻草雄『一高ロマンス』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937827/2
大正6年の何月? 奥付では7月、アマゾンでは1月(「1917/1/1」)。微妙...。7月なら川端くん、受験生中には無理かな。前年に『中学世界』で連載されていたものらしいので、そちらは読んでいるかも。

7.9. 小谷野敦『川端伝』にこう書かれている。「川端は、東大の先輩で鎌倉文士であった大佛次郎(略)を尊敬していたらしい。ある集まりに、大佛も来ると思っていたら欠席と分かって、がっくりするという記述がある。(略)その大佛は、川端の追悼文で(略)」(p.295) 。いつからなのか、謎の尊敬。

7.10. 高田里惠子『学歴・階級・軍隊』に次のように書かれている。「ちなみに、1916年に『中学生活』という受験雑誌に連載され、のちに単行本となった大佛次郎(略)の『一高ロマンス』でも(略)。『一高ロマンス』は一高受験を希望する中学生に人気が高く、よく読まれていたという。」(p.202)。

7.11. (続き)『中学生活』ではなくて『中学世界』。博文館の雑誌だし(?)。「受験雑誌」と言い切るのもよくないかも。それはともかく、人気があったらしい。もちろん一高志望の中学生全員が読んでいたわけではないだろうけど。

6. 海苔巻きと学生マント。「海苔巻き」って意味深?(考えすぎかな...)。ご飯や具が黒い海苔にくるまっている。>RT

6.1. 正確には「海苔巻のすし」のようだ(新潮文庫『伊豆の踊子』)。

5. 山田風太郎が『受験旬報』とその後継誌『螢雪時代』に投稿した(応募して当選、掲載された)小説は、『橘傳來記―山田風太郎初期作品集』(出版芸術社、2008)という本で読める。ありがたい1冊。(山田風太郎は浪人中の日記や書簡もあるんだよね。)

5.1. そういえば、山田風太郎と遠藤周作は中学校の卒業の年が同じなんだよね。山田風太郎はたぶん一応4浪、遠藤周作は一応3浪。

4. 探していたのだけど、これだ。見つかった。 「【新・仕事の周辺】直木賞作家・中島京子 古新聞古雑誌を眺める妙味」(産経新聞)
https://web.archive.org/web/20101201172506/http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100808/bks1008080831010-n1.htm
https://web.archive.org/web/20101023225957/http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100808/bks1008080831010-n2.htm

3. 尾木直樹氏が海城高校に勤めていたのは、Wikipediaによれば1972年4月~1976年3月らしい。1980年(11月)に2浪の人は、高校入学はたいてい1976年(4月)? 金属バット事件の少年とは入れ替わりになるみたい。(RT)
※何をリツイートしたのかわからない。

3.1. 「入れ替わり」って変かな、「入れ違い」のほうがいいかも。というか、だいたい通じればいいや(^_^;)

2. 今日、某総選挙の話題を振られて、知識もなくて素っ気ない対応しか取れず、自分のコミュ力の無さすぎに改めてがっかり(泣)。前からすごくいい人だとはわかっていたけど、個人的な話の最初がなぜまゆゆ推しとかそんな話? これはこの前「指原カイワイズ」を見てしまった天罰かも(違)。

1. 昨日(日付でいえば今日)「指原カイワイズ」を見たあと、テレビをあれこれ見ていたら、松岡正剛が出ていた(「オトナの!」)。1944年早生まれ。よくわからないけど、S台四谷校に通っていたらしい(1962年くらい?)。↓O井師の思いで。
https://1000ya.isis.ne.jp/0580.html

1.1. 「駿台予備学校のあゆみ 師たちの回顧/英語科 奥井潔先生(故人)にきく」Internet Archiveは怒られるかな?
https://web.archive.org/web/20071117181741/http://www.sundai.ac.jp/ayumi/chp82.htm
S台で教え始めたのは1953年からっぽい。千代田予備校との関係もわかる。
 

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