久米正雄「母」

2021年8月28日 読書
     母

 第一高等学校校長矢田部博造先生は七月十一日の朝、八時少し過ぎて茗荷谷〔みようがだに〕の邸〔やしき〕を出た。今日は学校に別して出勤を要すると云う程の事務がある訳ではない。只入学試験の第二日で、英語の課せられる日であるから何か受験生の様子に、参考になる点、又は他日講堂の訓話か人生訓の材料にでもなる事は無いかと、それを見に出かけたのである。勿論〔もちろん〕非常に平易な気持の先生の事ではあるし、英語は人も許す堪能を極めた先生であるから、人手が足りなければ書取りの読み手位にはなってやるつもりであったらしい。
 いつも時間を守りつけている先生は、今朝必然の事務で出るのでない安堵〔あんど〕の為〔ため〕に、何やかや家用に手間取って、八時を過ぎたのを少しく不快に思っている。そして俥〔くるま〕に揺られながら、書取りを読んでやるのに間に合えばいいと心で願っていた。それは必ずしも林田や沢柳などという教授連より立派に読めることを人に示したい為ではない。先生は、機会のある毎に自分の舌を動かして見て、吾れと吾が流暢〔りゆうちよう〕な外国語に聞き惚〔と〕れてみたいと云う、可愛い欲望を持っていたためである。
 ようやく校門に着いた。見上げると時計台の針は既に十五分を過ぎている。もう試験は始まったであろう。いつもより校内がひっそりしているように感ぜられる。先生は例によって慇懃〔いんぎん〕な礼をする髯〔ひげ〕の門衛に礼を返して、遅れたことを本能的に気恥かしいような思いをしながら、敷石の上を軋〔きし〕らして行った。
 ところが俥が正面の蓊鬱〔おううつ〕とした檜葉〔ひば〕の横をめぐって玄関を斜に見込んだ時、先生はふと見馴れぬ光景を認めた。それは門の処からは檜葉に隠れて見えなかったが、一人の清楚〔せいそ〕な中年の婦人が、傍に俥を従えて、玄関の傍にじっと立っているのであった。
 勿論夏の衣装ではあるし、そう云う方面は疎〔うとい〕い先生のことであるから、その婦人の、割合に地味な黒と鼠との間色を行った服装によって、地位身分を判断することはできない。只薄茶色の日傘の中に与えた一瞥〔べつ〕で、その婦人の顔容〔かおつき〕に、卑しくない緊〔し〕まりを見出した。外国婦人を細君にしている先生は、決して浮薄の意味からではなく、日本の婦人にのみある一種の道義的聯想〔れんそう〕を伴う、一種の美に気附いていた。先生は、近づいて、その婦人が割合に年を取っているのを発見した。と同時に、この種の賢母にある、眉宇〔びう〕の緊張から来る感じをもはっきり認めざるを得なかった。
 婦人の方では、近づいて来る先生の、よく婦人雑誌なぞで見馴れた顔を落着いた心で受取った。そして翳〔かざ〕していた薄茶の日傘を畳んで、丁寧に礼をした。
 先生は俥を下りると、丁寧に礼を返して、刹那〔せつな〕に何の為に婦人がここへ来ているかを思い惑いながら、機械的に石段を上って玄関へ入った。ところがその時ふとそれが受験生の母ではないかと云う推測が先生の心に起った。そしてそれの上にすぐ教育家的の物語〔ロマンス〕を聯想せしめた。
「嘆願に来たのかも知れない」先生はふとそうした女気をも忖度〔そんたく〕して見た。答案を調べる教師の処へ、稀〔まれ〕に私交などを辿〔たど〕って、そうした嘆願に来ることは、先生も話には聞いていたからである。しかしそれにしてもその種の哀願者には見られない落着がその婦人にはあった。……
「何にせよ、一応聞いてみてやろう」と先生は思い回〔めぐら〕した。「そこには何か面白い事情があるかも知れない」
 一旦玄関に入った先生は、又出て来て婦人に向った。婦人は一応窄〔すぼ〕めた日傘をまた開きもしないで先生の後を見送っていたらしかったが、先生の戻って来るのを見ると、ちょっとの間どぎまぎした。しかしその少しく汗ばんだ顔には先生の戻って来たのを、明らかに自分への用だと見て取った嬉しさが動いていた。
「何か御用なのですか」と先生は静かに訊〔たず〕ねた。そして有名な人が自分の名を云う時に感ずる一種の誇りで、「私は矢田部ですが」と附け加えた。
 婦人は答える前に一つ長い礼をした。それはあたかも今発表せられた矢田部という名に対して、殊に敬意を払ったかの如くであった。
「私は今日試験を受けに参っておるものの母でございますが――」とその婦人は女が系統を立てて話をする時によくする抑揚で云い始めた。「ちょうど昨夜から伜〔せがれ〕が少々発熱を致しまして、今朝も受験は見合したら宜〔よ〕かろうと云うのを押して出て参りましたので、ひょいとして試験場で卒倒でもして皆さまに御迷惑でも掛けては何ですから、そんな事があったら早速私が看護してやろうと思いまして、薬なぞを用意して参った次第なのでございます。……洵〔まこと〕にお恥かしい処をお目にとまって恐れ入ります」
 先生はその話をふむふむと点頭〔うなず〕いて聞きながら教育家の感動を抑え切れなかった。そして猶〔なお〕もその婦人の話を聞くと、彼女が某と云う海軍中佐の未亡人で、今の息子が十歳の時に夫を失い、それから十幾年と云うものを夫の恩給をたよりに自分の手一つで育て上げたと云う事が解った。その時先生はふと彼女の顔を見上げて、十数年の寡婦生活が刻んだらしい、きかぬ気を表わす眉間〔みけん〕の皺〔しわ〕と、頬に漂い残した女盛りの潤いのある光沢とを見定めた。
「それで御子息は何部を御志望なのですか。試験票の番号はお解りではありませんか」と尋ねた。先生の心に、この母に対する同情と共に、その子を見て置きたいと云う好奇心が湧いたのである。
「一部の甲でございます。私はもう軍人の夫で懲〔こ〕りておりますので文官を志望させました」と婦人は心安くそんな事まで云った。番号は確か十六番かと存じます。何でも番が早い方がいいとか申して受附の最初の日に、非常に早く参りましたのです」
「ああそうですか英法の十六番ですね、ではちょっとお待ち下さい」と云い棄てて先生は試験のある分館の教室の方へ歩いて行った。そして取りつきの教室で、試験官に尋ねて、英法の十六番が試験している教室は何処かと小声で尋ねた。
 先生は受験生の注意を散らすまいと、爪尖〔つまさき〕で廊下を歩いて、尋ね知った教室まで来た。
 先生はそっと教室の戸を開けたつもりであったが、出来の悪い分館の戸はきゅうと軋〔きし〕った。その途端に受験生の大多数の上気した顔が錯綜〔さくそう〕した視線を先生に浴びせた。受験生の中には咄嗟〔とつさ〕に矢田部先生であると見て取ったものもあったらしい。この不安な緊張を見て取った先生は、手で何でもないと云う鎮静の身振りを示して、監督をしている体操の老教師に近づきながら、小声で聞いた。
「ここは英法の受験生ばかりかね」
 老教師は人のいい無遠慮な大声を出した。
「はあそうです。一部甲類の一番から四十番までの受験室です」
「もう書取りは済んだのかね」と先生は尋ねて、まだ済まなかったら、この教室で、ゆっくり原文を読んでやろうとさえ思った。
「はあもう済みました。先刻沢柳先生が読んでおいでになりました」
「ああそうですか」と先生は少し気落ちがして生徒の方を見渡した。もう受験生は一人として頭を上げてるものはない。微〔かすか〕な咳〔しわぶき〕の音と、鉛筆のさらさらするばかりである。先生はそれと思うあたりを物色した。が黒い頭を一様に垂れた列位の中にそれとはっきり見て取れる筈はなかった。それで静かに教壇を下りてすべての試験官がするように、机の間をぐるぐる廻って見ることにした。
 先生が番号を辿〔たど〕って第四列の三側目まで来ると、そこに十六番の受験生が熱心に筆を動かしているのを見出した。母に似た端正な顔だちであるが、成程蒼白〔あおじろ〕い顔の眼のあたりがぼっと上気に赤らんで、額に薄く汗が滲〔にじ〕んでいる。それへ中庭の枇杷〔びわ〕の緑が反映して余計蒼〔あお〕ざめているように見える。先生は静かに歩みをとめてその生徒の様子をじっと見た。そして割合に字面の揃〔そろ〕った答案の文字を安心に似た心持で見やった。
 受験生はその時ちょうど英文和解の第二題を書き終って、今まで心持斜にして書いていた答案を真直ぐにしながら、一応読み返してほっと息を吐いた。先生はそれを機〔しお〕に近づいて、静かに、
「どうだね、体の具合は何ともないかい」と聞いた。
 受験生は顔を上げて、不思議そうに先生の顔を眺めたが、右の言葉が明らかに自分に向けられたのを知ると幾らか狼狽〔ろうばい〕して、
「はあ、何でもありません」と答えた。
「そうか。じゃあ気をつけてしっかり書き給え」
「はあ」と猶受験生は理由を知らぬ好意の先生の顔にあるのを見守っていた。
 先生は何かもっと云いたいと感じた。しかし何も云わないで置くのが猶嬉しいような感じもした。それで再び生徒が筆を取り上げるのを見ると、黙って教室を出た。只出る時、教室の通風の具合を一応見分して、北の端の窓の上半が開けてないのを見、それを教官に注意することを忘れなかった。
「あれは毀〔こわ〕れているのです」と体操の教官は無邪気に弁解した。
「それじゃ早速小使に直させて置き給え」
 こう先生は云いすてて廊下へ出た。そして玄関の婦人の所へ晴ればれした顔をして帰って来た。
「お安心なさい。御子息は大変元気で答案を書いておいでです」
「まあ左様でございますか。それはどうも有難うございます。とんだ御迷惑を掛けまして」
 と婦人も笑いを湛〔たた〕えて御辞儀をした。そして再び上げた顔には黒眼が濡れて光っていた。
 先生は只何となく嬉しかった。そして殊に又一つ訓話の材料が出来たのを思うと、嬉しさが二倍するのを感じた。
 その後矢田部先生は講堂で右の話を予定通りに訓話した事は云うまでも無い。
 只それを聞いた当時の学生の自分は、家へ帰って何かの拍子にふとその話を母にした。それたら母は、
「私にはとてもそんな真似はできないよ」
 と云って自分の顔を見ながら微笑を洩らした。


※底本:久米正雄『学生時代』新潮文庫、四十五刷改版、1968年7月(初版、1948年4月)。
※どこか打ち間違いなどがありましたらご指摘いただけるとありがたいですm(_ _)m。
 

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