2016年8–9月。

2021年9月7日 読書
※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆修正、補足ありです。



27. これも青空文庫から。「中学へ遅れて入学した私と、早く入学した弟とは同級だったのです。/火花を散らすような勉強を強いられる者と、酒色にふけって学校なんかろくすっぽ行かない者とその二人が一緒に一高の試験を受けたわけなんですが、弟が美事に及第して、私が(続く

27.1. 続き)落第したって別に不思議はないはずですのに、私は非常に憤慨して、彼を恨みました。」大倉てる子「鉄の処女」(1935)。大下宇陀児『鉄の舌』(1937)の題名や設定はこの作品から影響を受けている? ウィキを見ると作者(大倉)は何人かの作家に師事していて、その中には大下の名前も。

27.2. 「てる」は火へんに華。

26. 青空文庫にこんなのが。「それでも中学は相応に卒業したが、東京へ出て、高等学校の試験を受けることになってから、度々落第して、次第に神経質になった。無理な事をさせてはならないというので、傍から勧めて早稲田に入れることにした。それからは諦めて余り勉強をしない。」森鴎外「蛇」(1911)

25. 以前にも同じ内容でつぶやいているかもだけど、遠藤周作『一・二・三!』の初出は『北海タイムス』ほか1963年6月6日~12月12日、『灯のうるむ頃』(=『浮世風呂』)は『日本経済新聞』夕刊、1963年11月12日~1964年4月15日。(間違っていたらすみませんm(__)m。)

24. 曽野綾子「弥勒」(『文藝』1964年9月号→同名書、『たまゆら』新潮文庫など所収)。よく覚えていないけど、浪人生といえる人が出てきたような、出てこなかったような...。どっちだ?(^_^;)。(一応、ぎりぎり昭和30年代なので。)

23. 新田次郎「すっぱいくちづけ」(『壷鳴り』東都書房、1961.11、初出『オール讀物』1960年11月号)。以前ネットで知って図書館本で読んだ。季節は夏で、山村に来て勉強。障子の振動という怪現象に見舞われているのに(村全体が)、規則正しい生活w。40日以上も。理系っぽいかな。

22. 角田喜久雄「奇妙なアルバイト」。確認できないな。。↓ラジオドラマ版(1960年7月6日)では浪人生が主人公っぽい。
http://mezala.la.coocan.jp/radiodrama/rd1960.html
初出は『オール讀物』1960年6月(たぶん)、『推理小説ベスト20 探偵小説年鑑1961年版2』に収録。

21. 「東北大学かなんか知らんけど、そんなもん、オレは作者やでぇ、満点に決まっとるやないか」/そう語りつつも、用紙を手にした時の目つきは宙を彷徨っていた。」ー「宮本輝が挑む入試問題」『新潮四月臨時増刊 宮本輝』(1999)。1995年度文系前期国語の問題、出典は『螢川』。

20. 「中学2年の時、文学青年の、兄と慕うようになった(略)浪人生に(略)愛を告白され、(略)唇を塞がれた時は、喜びより(略)」「その時からこの人を憎んだ。それを知らない彼に富島健夫氏の『雪の記憶』を渡された」 藍川京「キスへの憎しみ 読むのが早すぎた一冊」『忘れられない一冊』

19. 「一年浪人して東大受験のために代々木の宿に泊まっていた折、鞄のなかに読みかけの『罪と罰』と未読の『白痴』とがあった。明日が試験の最終日という夜、大した根拠もないのに試験にはかならず合格すると思われ、気持ちが鎮静というか澄明というか、しんしんと落ち着き、『罪と罰』は読み終わっ(続く

19.1. 続き)ていたので、『白痴』の頁をめくりはじめた。結局、一睡もせずに読みふけった。その間、主人公のムイシュキン公爵にすっかり思い入れ、しとど涙にくれるのもいくたびか、といった調子であった。」西部邁「私を被告人にした『白痴』 「学生運動」に足を踏み入れるきっかけ」『忘れられない一冊』

18. 多岐川恭「黒いレジャー」という小説(『夜の装置』講談社、1963)に浪人生が出てくるようだ。↓の2003年7月18日のところ。 
http://ann.hi-ho.ne.jp/kashiba/0307y.htm
初出は『宝石』1962年6月。

17. 昭和30年代(1955年~1964年)はよくわからないけど(ほかの時代も同じだけど)、佐野洋「五十三分の一」という小説は、浪人生(上京して予備校)が主人公だったと思う。初出は『別冊小説新潮』1960年10月号。収録本は『婦人科選手』(講談社、1966、のち文庫)。

16. 松本清張「坂道の家」という小説。たぶん直接は出てこないと思うけど、浪人生がちょこっと。初出は『週刊朝日』1959年1月4日号~4月19日号。単行本は『黒い画集1』(光文社、1959)、文庫だと『黒い画集』(新潮文庫、文春文庫)に収録されているらしい。

15. なんかすごいな...。1977年7月12日放送らしい。>RT
※何をリツイートしたのかわからない。

14. Wikipediaの「河野典生」の項を見ると「遠い親戚に安岡章太郎がいる」と書かれていて。もっと近い親戚に有名な人はいなのかな? とか思ってしまう(どうでもよすぎる話(^_^;))。でも故郷つながり、小説家つながりだから「遠い」にしても書くに値することなのかも。

13. 古いといえば古い、河野典生『殺意という名の家畜』(1963)には一応、浪人生が出てくる。タイトルがなんかちょっとすごいな...。(宝石社、1963.9。のち角川文庫、双葉文庫。初出は『宝石』1963年6月~8月。)

12. これも以前に同じことを呟いている気がするけど、村山由佳『天使の卵』(1994)に「宇能鴻一郎」の名前が出てくる。作者は1964年生まれ。

11. 以前にもつぶやいているかな、天藤真「推理クラブ殺人事件」という小説。殺人事件が起こって現役の作家である顧問の先生が疑われる。「調べるとなると、とことん調べるのがサツの習性らしくて、当局ではどの古本屋にも出ていない先生の小説を、どこからか手に入れて急いで研究したようである。(続く

11.1. 続き)すると作品のあちらこちらに富健、宗薫顔負けのセックスシーンの描写がある。」(富健、宗薫には傍点。p.45、『犯罪は二人で』創元推理文庫)。初出は『高二コース』1976年7月号~8月号らしい。当時の高校2年生は(1959年生まれ?)富島健夫や川上宗薫を読んでいたんだろうか?

11.2. 引用した箇所、初出は『高2コース』1976年8月号ではなくて7月号のほうかな。区切りの番号が8まであるうちの4のところ(ページ数でいえばpp.33ー65のうちのp.45)。7月号なら発売は6月かな。関係ないけど、創元推理文庫『犯罪は二人で』の巻末解説は、末國善己。

11.3. この前、荒川佳洋著『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』(河出書房新社、2017.1)を読んだ。1975年に摘発を受けているらしい。川上宗薫も。1976年6月2日に起訴猶予処分。世間一般で(というか高校生の間で)どれくらい話題になったのか、少なくとも小説家にとっては大問題?

11.4. あと、後ろの詳細な「年譜」を見ると、1975年に『高1コース』で連載をしている(「相愛の条件」、11月から翌年3月まで)。前年から熱心に『コース』を読んでいた人なら「富健」を必ず知っているはずだね。ほかにも、当時コース文学賞の選考委員もしていたらしいし(1972ー85年)。

10. Googleブックスで出てくる、芹沢光治良『麓の景色』(角川小説新書、1955.12)。誰か(はつ子の弟の一男?)が新聞配達をしながら神田の予備校に通っている。「芹沢光治良文学館」(http://hi-ho.ne.jp/kstudio/kojiro/index.htm)によれば、初出は『スタイル』1955年1月。

10.1. 収録本を図書館で借りてきて読んだ。弟の一男が東大を受けて落ちている。家が経済的に苦しいので、就職を考えていたところ、姉の婚約者というかの安田(東大院生)が両親を説得してくれて、浪人できることに。朝夕新聞配達をしながら、予備校にも通って勉強している。(翌年の受験までは話が進まず。)

9. 以前にもつぶやいたかもしれないけど、安岡章太郎「逆立」(浪人はあまり関係がなかった気も)の初出は『三田文学』1954年10月号。川上宗薫「初心」の初出はその翌月号(『三田文学』1954年11月号)。川上宗薫って確か浪人はしてなかったと思う(宇能鴻一郎は1浪しているけど)。

8. 『作家の自伝 80 中上健次』(1998)に載っている年譜(栗坪良樹)の1964年、18歳のところに「文芸部の有力な部員として活躍し、副部長として文芸部機関誌『車輪』の編集に携わった。小説「赤い儀式」(29号、12月)や詩などを発表した。(続く

8.1. 続き)この年の夏、大学受験の準備のため東京の予備校の講習を受講した。」と書かれている(p.254)。高3の夏休みに上京して予備校→受験浪人が主人公の処女作執筆、という流れ? あ、誕生日は8月2日らしい(同年譜によれば)。関係ないか(^_^;)

7. 原田康子「素直な容疑者」(同名書所収、作品社、1980.2。のち講談社文庫、角川文庫)の初出は『別冊婦人公論』1963年1月。浪人生(男子)視点の小説。ちょっとフランス文学っぽいかも。フランス文学をぜんぜん読んだことがないけど(^_^;)

6. 原田康子『輪唱』(東都書房、1958.8、のち角川文庫)。三姉妹の三女が東大志望の予備校生。初出は『週刊女性』1958年1月5日~7月6日。安岡章太郎「青葉しげれる」(初出『中央公論』1958年10月)よりも少し早いし、女子浪人生が登場する小説としては相当早いかも。

5. 原田康子『挽歌』。未読だけど、文庫本(新潮文庫)を持っていたような...。見つからない(泣)。わからないけど、芸大(美大?)志望の浪人生が出てくるっぽい。初出は『北海文学』1955年6月~1956年7月で、単行本は東都書房、1956年12月。文庫は角川文庫と新潮文庫。

4. ネットで適当に検索しているとたまに出てくる、映画『偽大学生』(1960)。ニセ学生は4浪らしいけど、原作の大江健三郎「偽証の時」(初出『文學界』1957年10月)のほうは違う?

4.1. 「偽証の時」(1957.10)。以前ぱらぱらしたことはあったけど、落ち着いて読んでみた(pp. 377ー404, 『筑摩現代文学大系 86 開高健・大江健三郎集』)。T大寮に監禁されている「贋学生」が浪人生かは不明だった。何者か素性が明かされず。視点は19歳の女子学生の「私」に。

3. なんとなく思い出した。以前、出版社が「赤本」の創刊号を探しているというニュースがあったけど、あれは結局どうなったんだろう?

2. 「赤い儀式」が読みたい。まだ本屋にあるかな...。>RT

1. そういえば以前、槇村さとる『ピーナッツ戦線』(の文庫版の表題作)というマンガを読んでいて、「何この先生、「国語入試問題必勝法」!?」と思ったら、次のページにそれが参考文献として書かれていた、みたいなことが。

1.1. マンガ図書館Z、志名坂高次『受験の帝王』(1~4)というマンガのキーワード(登録タグ)に「清水義範」というのが入っていて、ちょっと笑える。書名にはあまり心惹かれないけど、そのうち読めたら読んでみたいな。

9月



11. そういえば(何が「そう」なのか自分でもわからないけど(^_^;))、数年前に大島弓子『綿の国星』(の文庫版)を買ったままいまだに読んでいない。小説と違って漫画のいいところは、服装が一目瞭然だったりするよね。ま、我らが(?)勉三さんは学生服だけど。

10. Wikipediaによれば、小山ゆう『がんばれ元気』は全28巻で、『週刊少年サンデー』に1976年から1981年にかけて連載されていたものらしい。アニメ化もされているようだ。浪人生は何巻から出てくるんだろう? ボクシング同様、浪人生活も美化されているのかな?

9. 同じTBSのドラマ、『岸辺のアルバム』(1977年6月24日~9月30日)と『ムー』(1977年5月18日~11月9日)は放送時期がかさなっている。『寺内貫太郎一家』(1974年1月16日~10月9日)はもう少し前か...。※参考文献はWikipediaです。

8. 三浦哲郎『驢馬の鈴』の初出は、単行本(文藝春秋、1979.8)に「本書は、京都新聞ほか地方紙に昭和52年6月22日から昭和53年3月4日まで連載された。」と書かれている。連載開始はTVドラマ『岸辺のアルバム』の第1話放送の2日前。

7. 山田太一『岸辺のアルバム』(小説)の初出は、単行本(東京新聞出版局、1977.5)の記載によれば、 東京新聞/中日新聞/北陸中日新聞/北海道新聞1976年12月15日~1977年5月27日です。放置ブログの解析を見たら、どなたか知りたい人がいるみたいだったので。

7.1. TVドラマ『岸辺のアルバム』の放送は、Wikipediaによれば、1977年6月24日~1977年9月30日(全15話)らしい。「多摩川水害」(実際の出来事)が起こったのは1974年9月らしい。

6. 夏目漱石関係で大塚楠緒子が浮上(?)したみたいに川端康成で浮上しないかな。国会図書館デジタルコレクションで読めるけど、紙の本で読みたい。講談社文芸文庫(最近ぜんぜん買ってないけど)に挟まっているアンケート葉書に読みたい、と書いて送ろうかな。>RT
※リツイートしたのはたぶん内藤千代子関係のもの。

5. 大野晋『日本語と私』という本。よく覚えていないけど、以前「内山常治」で検索していたら出てきて(たぶんGoogleブックス)、地元の本屋に売っていてすぐに手に入ったんだけど、そのあと「あ、大野晋は吉村昭と同じ中学校か!」と気づいた。(「だから何?」って話ですね(^_^;)。)

5.1. 2週間くらい前かな(今日も得意の「わず」です(^_^;))、吉村昭「光る藻」という小説を読んだ(『遠い幻影』所収、初出は『新潮』1994年1月号)。浪人生といえば無為徒食というイメージ? ただでさえそうなのに、戦後すぐの食糧難の時代。蛙。(北杜夫「異形」はコオロギだっけ?)

4. 『天皇の料理番』皇居で炊き出ししていたなぁ。佐藤健。震災、妻や子供たちが中に入れた唯一の? (RT)
※何をリツイートしたのかわからない。

4.1. あ、「唯一の」じゃ意味がわからないな...。「唯一の機会」とか「唯一の時」とか、...その辺りです。

3. 今年の集英社文庫「ナツイチ」の1冊、川村二郎『孤高 国語学者大野晋の生涯』に「大野は結局、五年生の一学期が終わったところで、開成中学を退学し、一高の受験に備えることにした。前回は英語で失敗したこともわかっていた。/開成中学で英語を習った千葉良祐に頼み、(続く)

3.1. (続き)週に一度、千葉の自宅に通って教わることにした。テキストはハマートンの『Intellectual Life』で、それを春から冬のはじめまでに読み終えた。」とある(p.64)。1学期が終わるのはふつう7月? 退学したのにその学校の先生に英語を習いに? 夏ではなく春から?

3.2. 大野晋『日本語と私』には「私は中学五年に当る年に合格できず、六年目になった。やむなく、中学で英語をお習いした千葉良祐先生にお願いして毎週お宅に参上。Hamertonの“Intellectual Life”一冊を春から冬の初めまでに読み終わった。」とある(p.54、河出文庫版)。

3.3. わかりやすい。なぜわかりにくくしたんだろう? それはそれとして、四修では受験していないのかな? 中退していなければ卒業に当たる年=昭和12年(1937年)に一高を受験して不合格。で、中学校の先生に英語を教わったりして、翌年=昭和13年(1938年)には一高合格。

2. 相変わらずよく見えない!(泣)でお馴染みのGoogleブックス。検索していたら三浦綾子『愛の鬼才―西村久蔵の歩んだ道』という本が出てきて。この西村という人は大正6年(1917年)二高に落ちて明治大学の予備校に通っていたっぽい。落ちてからなら重なっていないけど、川端康成と同じ年。

2.1. いまだに謎の言葉、スニペット表示。

1. ウィキペディアの「岡田實麿」。ちょっと短いな、もう少し詳しく知りたい。「1924年に一高を辞し明治大学予科教授に就任。大学の同僚となった山崎が1927年に駿台高等豫備學校を開校すると、同校にも出講し受験英語の指導に半生を捧げた。」と書かれている。明大予科教授に就任したのは何月?

1.1. ウィキペディアの同記事によれば、1878年生まれで、1943年に亡くなっているらしいので、「受験英語」に半生は捧げていても、S台で教えていた期間はそれほど長くない?(1927年かららしいので)。

8月
 

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