2017年3–4月。

2021年9月10日 読書
※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆修正、補足ありです。



11. 関係ないけど、最近良くも悪くも(悪くも悪くも?)話題の金田法務大臣。Wikipediaによれば1949年秋田県生まれで、大学は「東京大学を受験するが不合格となり、浪人中の1968年に東大入試の中止が決定されたため、一橋大学経済学部に入学」したらしい。

10. https://54487.diarynote.jp/201006240949426258/

9. Wikipediaによれば、山本氏は1966年生まれ。千野氏は1965年生まれ。1つ違い。というか、全世代なのかもしれないけど。
※何の話かわからない(何かリツイートしているかも)。山本幸久『失恋延長戦』?

8. 三浦朱門の両親が少し気になる。朱門は大正15年1月生まれ。「東京府下豊多摩郡東中野で生まれる。父三浦逸雄は東京外語大学中退の文学青年、母小イシは元新劇の女優であった。(略)後、武蔵境に越す。」(『昭和文学全集22』の年譜)。Wikiによれば武蔵境に越したのは「2歳半ほど」のとき。

7. 少し前から田山花袋の『縁』(『明治の文学 第23巻 田山花袋』)を読んでいるんだけど、なかなか進まなくて。それほど読みにくいわけじゃないんだけど、基本的に文章を読むのが遅いので。いまやっと3分の1くらい(手もとの本で残り200ページくらい)。

7.1. ほかの自伝ものは知らないけど、名前、「蒲団」では時雄・芳子だったのが『縁』では清・敏子になっていて、ちょっとアナグラムっぽいかな。ときお・よしこ→きよし・としこ。「お」がなくなって「し」が2度使われているのか。(時雄の筆名「古城」は「少女病」『田舎教師』でも使われている。)

7.2. 田山花袋『縁』(明43)。おととい読了。断続的に読んでいて、読み終わるのに日数がかかりすぎて、手前の3分2くらいの記憶がかなり薄い(泣)。敏子(モデルは岡田美知代)のお兄さん(モデルは実麿)も少し出てくる。最後のほうに出てくる新しい女弟子のお国さん(水野仙子)がちょっと気になる。
※このツイートは5月21日。

6. 「大島博光年譜(1910年―1935年)」(大島博光記念館 Oshima Hakko Museum)
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-3257.html
1928年(昭和3年)10月、S台。ランボーを訳している人なのか。

5. >RT 何で読めるんだろう? 私も読みたいな。1958年生まれらしいので、2浪目は1978年かな。
※何をリツイートしたのかわからない。

4. そうだよね、青春小説といえば、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』なんだろうけど(読めと勧めている方を見かけた)いまだに読めていない(泣)。自分のなかで読む読む詐欺、読みたい読みたい詐欺が横行中...

3. 春先はほんとカオスだな...

2. 面白くないという三浦朱門、読んで確認したくなってきた。本屋よりも図書館に行ったほうが早いかな。(何か短編とかエッセイなら読んだことがあると思うんだけど、内容の記憶がぜんぜんない。あと『犠牲』という文庫本を持っていたはずなんだけど、見つからない。いま探してみたんだけど。)

2.1. 三浦朱門「冥府山水図」読了。『昭和文学全集22』で。意外と面白かった(^_^;)。読み始めてすぐ「ゆるい?」と思ったし、グラグラやフンフンなど擬音語も気になったけど。「私」だけは画家サイドの人間ではなく、芸術度の低い文章で芸術について書かれていても別に構わないのではないか、と。

2.2. 5人も絵を描く人、描いていた人が出てくるのに(老人/或る男→白石翁→衡山居士→鄭)1人も無頼な人、破天荒な人がいないという...。設定のせいか芥川龍之介や中島敦と比べたくなるけど、「地獄変」や「山月記」と違って、エゴが行方不明? 一方の「私」(父→私→息子)は世俗的な感じだけど。

2.3. 初出は「画鬼」という題で『新思潮』1951年4月らしい。ちなみに(あまりちなんでいないけど)、三浦朱門は旧制高校に入るのに浪人はしていないけど、四修で水戸高校を受けて落ちているらしい。で、5年のとき(昭和18年)高知高校に。(中学校は東京府立二中。)

1. 小谷野敦『恋愛の超克』所収「それでも言う「惚れたが悪いか」!」(初出『ユリイカ』1998年6月号)。著者が太宰治にはまった経緯が書かれていてちょっと面白い。高校1年の秋、高1向け雑誌で小説の募集があって、応募しようと思って、「(略)その前に選考委員の本を読もうと思ったのである。

1.1. 続き)選考委員は富島健夫、三浦朱門、奥野健男の三人だった。三浦の小説は面白くなかったし、富島は結局オナニーのネタになってしまうのだが、奥野の本で当時文庫版で出ていたのは角川の『太宰治論』だけだった。まさか太宰を読まずして太宰治論も読めないので、(略)」(p.86)。

1.2. 続き)こんなふうに太宰治に入っていく人は珍しい? というか、三浦朱門が高校生にばっさり切り捨てられているw。たぶん1978年の話で(小谷野氏は1962年生まれ)、コース文学賞、翌年(1979年)からは三浦朱門に替わって安西篤子だったようだ(p.299、『富島健夫伝』)。

4月



18. 辻元議員って牧野氏の教え子なんだよね。1960年生まれらしいので、いま57歳か。59歳の人とは話が合いそう?

17. 憂楽帳:春の出会い - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170330/ddf/041/070/032000c

16. べっぴんさん、私は1度も観ていないけど、「蛍光時代」という書名だったらしい。よく覚えていないけど、中島京子『小さいおうち』では「窓雪時代」だったかな。確か「窓」が含まれていたような気が。>RT
※何をリツイートしたのかわからない。

15. 何か工事をしているみたい。ロシア文学とか文壇バー?とかはともかく。作中の現在がいつだったか覚えていないけど、1973年10月刊(単行本書き下ろし)らしい。1961年早生まれの島田雅彦は1979年にS台。最短で6年後くらいか。でも、S台生(お茶の水の)は方向的にあまり橋を渡らない?
※工事というのはJR御茶ノ水駅のこと。

14. 名作の現場:第23回 後藤明生『挟み撃ち』 案内人・島田雅彦(その2止) - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20170204/ddm/014/070/014000c?utm_source=dlvr.it

13. 後藤明生『挟み撃ち』は面白かったな。安岡章太郎『私説聊斎志異』は読んでいるんだけど、よく覚えていなくて。「僕、蒲松齢!」みたいな話だっけ?(違うような...)。

12. 「年譜」(「清岡卓行の世界」)
http://k5.dion.ne.jp/~kiyooka/chronologie.html#anchor4
1945年のところ、「...暗澹たる戦局のなかを一高後輩の原口統三、江川卓とともに渡満。」。あぁゴーゴリを訳している人か。

11. 百目鬼恭三郎って丸谷才一と同じで、高校に4年、5年で落ちて1浪して入っているらしい(参考文献は『教育読本 入学試験』所収の「運」。初出『螢雪時代』1978年5月号)。入った高校は新潟高校だろうけど、落ちたのはどこだろう? あと大学(東大)に入るのにも1年浪人しているらしい。

11.1. 丸谷才一は4年と5年で水戸高校を受けて落ちている。

10. 中野孝次。Wikipediaに「「職人の子に教育は不要」との父親の考えから旧制中学に進学できなかったが、1日14時間の猛勉強で専検に合格して旧制中学卒業資格を取得し、旧制第五高等学校(略)に入学。」とあるけど、専検ではなくて高検だったような...。卒業ではなく四修に相当するほう。

10.1. 専検=専門学校入学者検定試験、高検=高等学校高等科入学資格試験。あと、旧制中学は5年制で、大正8年からだっけかな、四修(=4年修了)で上の学校を受けられた。

9. 伊藤和夫『英文解釈教室』。初版(1977.2)から改訂版(1997.6)になったとき、鈴木長十師による「序」(推薦文)がなくなっていて、ちょっと切ない。

8. そういえば、いつの間にかよく行く本屋でも『総合英語Evergreen』(いいずな書店、2016.12)を見かけるようになった。アマゾンレビューを読むと『Forest』とほぼ同じ、などと言われているけど、まぁそうだろうね、実質的にその本の改訂版だろうから。第8版に相当?

8.1. 先々月、青木淳悟「僕ボードレール」(『群像』2月号)を読んだけど、ピンとこなかった(私に純文学は無理(泣))。人生というレールとボードレール? 高3生のYゼミエンド。書名として?『コンプリート高校総合英語』が。自分もそれだったなぁ。東京の私立高の「僕」と違って地方の県立だけど。

7. Wikipediaを見ると、山崎寿春と岡田實麿はどちらも1878年生まれで同い歳だね。岡田實麿、1907年(明治40年)から一高教授らしいけど、いつから予備校でも教え始めたんだろう? (というか、こんな内容のツイートばかりですみませんm(_ _)m。)

6. 鹿島茂『神田神保町書肆街考』(筑摩書房、2017.2)の「駿台予備校」(pp.236―44)を斜め読み。どういうこと? 昭和2年開設のS台の前身は、大正7年開設の東京高等受験講習会と言われいるけど、明治40年開校、昭和2年閉校の明治高等予備校も引き継いでいる、みたいな?

6.1. 大正7年ではなく明治40年のほうを採れば、もっと古くなるな、S台。山崎寿春が教え始めたのは明治44年かららしいけど。あと、私大の予科と予備校はやっぱり一緒に授業をしていたのか。いままではっきりと書いてある本に出会わなくて。

6.2. 東京高等受験講習会の開設。川端康成は大正6年、中学校を卒業後に上京して、明治高等予備校と日土講習会に通っていたらしいけど、そういう受験生の存在を知ったら明治高等予備校で教えている先生は、自分たちで土・日に講習会を始めたいと思うかも。収入的に?

5. 最近、田山花袋の「蒲団」を読んだのだけど、文学史の知識がなくて、謎の言葉がたくさん。「平面描写」とか「客観描写」とか、「新体詩」とか「自然主義」とか「ゾライズム」とか、「花袋せんべい」とか「田舎教師最中」とか。

5.1. 「...勤めている雑誌社は、神田の錦町で、青年社という、正則英語学校のすぐ次の通りで、街道に面したガラス戸の前には、新刊の書籍の看板が五つ六つも並べられてあって、戸を開あけて中に入ると、雑誌書籍のらちもなく取り散らされた室の帳場には社主のむずかしい顔が...」田山花袋「少女病」

5.2. 「総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。」/「「兄さんも御達者?」/「うむ、あれもこの頃は少し落附いている。」」ー田山花袋「蒲団」(明40)。女弟子のモデルの岡田美知代には兄が2人いたらしい。上のお兄さんが岡田実麿。当時はまだ東京(一高)ではなく神戸に。

4. 野坂昭如。Wikipediaには次のように書かれている。「17歳の時、下宿先の親戚の家で窃盗を働いて多摩少年院東京出張所に送致されるが、実父が保証人となり釈放され、旧制新潟高校に編入。なお、高校の上級生に丸谷才一がいた。/旧制高校在学中に学制改革が起き、(続く

4.1. 続き)1949年に新制新潟大学に入学するも3日で退学。(略)上京し果物屋でアルバイトをするが、1950年、シャンソン歌手を志して早稲田大学第一文学部仏文科に入学。」。「編入」というのはどういうことだろう? あと、入学時にはもう丸谷才一は卒業している?

4.2. 1947年、中学4年(四修)で三高を受けて不合格。少年院に入ったりして(中学校は卒業していない)翌1948年、最後の旧制高校の入試で(合格できても1年しかいられない)新潟高校に入学。1949年、新潟大学入学。...旧制新潟高校も新制新潟大学もちゃんと受験して受かっているのでは?

4.3. 丸谷才一。Wikipediaを見ると、新潟高校に1944年入学、1947年3月卒業。あと「(略)上京して東京の城北予備校に1年間通学(1943年4月から1944年春)。予備校時代に作家の安岡章太郎と知り合う。」とあるけど、本当に浪人中に安岡章太郎(大学予科生?)と知り合っている?

4.4. 「編入」という言葉がやっぱり気になる。1947年か1948年にもしどこかの学校に入っていれば1948年に「編入」でもおかしくないかな...。あと、1950年(たぶん)には東大も受けているらしい。「阿部 野坂さんは、大学は早稲田だけ受けられたのですか?/野坂 いや、(続く

4.5. 東大、慶応、早稲田を受けたんです。東大では英語の試験で(略)。(略)一方的に試験を放棄して、井の頭公園に行ってボートをこいでたんです(笑い)。慶応と早稲田は受かったのですが、(略)結局早稲田に(略)。」ー阿部牧郎との対談「ぼくたちの受験生時代」(初出『螢雪時代』1978.4)。

3. 「カフカと『聊斎志異』」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1399870123 #知恵袋

2.
また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。
ーランボオ「永遠」(中原中也訳)
http://aozora.gr.jp/cards/001296/card47296.html

1. 原口統三『二十歳のエチュード』。「一高入学後は上級生である清岡卓行のほか、橋本一明、中村稔と親交を結び、ランボーに傾倒する。」(Wikipediaの「原口統三」)。遺稿集って著作権どうなってるのかな? 青空文庫で読める。
http://aozora.gr.jp/index_pages/person740.html

1.1. 原口統三は浪人していない。1944年、卒業の年に大連一中から一高に(四修ではどうしたんだろう?)。中村稔も同じ年、府立五中から一高へ(前年、四修では落ちている)。橋本一明(『二十歳のエチュード』の登場人物というか)は高崎中学から一応1浪になるかな、1945年一高に(四修では?)。

1.2. 橋本一明。吉永哲郎『六月の風・十七歳の文学誌』(至誠社、2006)という本には「昭和19年当時、戦争の敗色濃い情勢下で、学籍のない者は中学校を卒業すると同時に軍か軍需工場へ進むしか道がなかった。橋本は第一高等学校受験に失敗したが、学籍を得るために(続く

1.3. 続き)慈恵医科大学予科に入学し、翌年、徴兵猶予の適用は理科学生のみであったので、第一高等学校理科乙類に入学した。しかし、(略)」と書かれている(p.197)。翌年(終戦の年)の10月、文科丙類に転学。...という感じ。浪人しているといえば浪人しているかな。

1.4. あ、違う。翌年ではなくて入学したその年。(昭和20年だから終戦の年というのは大丈夫。)

3月
 

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