文 学 会
上野の三宜亭の広間では、既に百人に近い高等学校の学生が集まって、来賓の到着を待っていた。文芸部の主催で開かれた文学会へ、三木先生を初め、当時評判の新進作家松崎、藤原、滝田の諸氏を招いて、一夕の談話を乞う筈になっていたのである。
幹事と云う名目の下にある久能らは、初めは人数の集まらぬのを憂慮していたのが、今度は余りに大人数になり過ぎるのを心配し出した。畑は三木先生に、集まる人数は多くて二三十人でしょうと云って置いた言責上、可なり狼狽〔ろうばい〕していた。これではしんみりした座談どころの話ではない。彼らは止むを得ず、もう一室を借りなければならなかった。
「広告が効き過ぎたね」「人数を制限すればよかった」一度の周章の後に、平気になった委員たちは、鈎〔かぎ〕なりに曲って二三室を埋めている出席者を数えるともなく眺めたりした。しかし彼らは、彼らの第一着手の事業が、意外の反響があるのに悦んでいるのも事実だった。
「三木先生は写真やなんかで大抵見当がつくが、松崎ってどんな人だろう」
「『秘密』が実話だとすると、女装が出来る位だから、綺麗〔きれい〕な人に違いないね」
「何でも六代目に似ているそうですよ」
こんな話が、出席者の中でも、中央部を占めて一団になっている、文芸部関係者の間に取り交わされていた。
「遅いね。どうしたのだろう。何か都合が出来たのじゃあるまいかね」
「そんなことはないよ。役所から帰って、衣服を着かえて、夕飯を食べてからお出になるんだろうから、一時間かそこいら遅くなるのは当たり前だよ」
「余りに人数が多いので、中途からお帰りになったんじゃあるまいね」
「まさか」
委員の間ではこんな事が云い交わされていた。
暫くすると玄関に一台の俥〔くるま〕が曳〔ひ〕き込まれた。
「おいでになったようだぜ」こう云った畑の言葉に一座は急に黙った。委員らと四五の先輩が出迎えた。
「遅くなって――」と云いながら鷗村先生は童顔と云うのに近い頬のあたりに笑〔えみ〕を湛〔たた〕えて入って来た。そして一座をずっと見渡して、傍の畑を顧み、「ひどく沢山いるね」と小声で云いながら眉をひそめた。
「意外に沢山になって申し訳御座いません」畑は恐縮して陳謝した。
先生は又もとの晴れ晴れしい顔になって設けの席についた。黒の紋附羽織に茶の袴〔はかま〕を穿〔は〕いて思ったよりも小柄な先生は、親しみのある中にも、涼冷〔クールネス〕がどことなく発散しているように、久能には思われた。
「近頃こういう処〔ところ〕には余り出ない事にしているんだが、座談ならと云うんで、うっかり引受けて了ってね」先生はこう云いながら、自身を中心として視線を集中させている幾重もの顔の輪を見渡した。背後の方の人々は立っても見えないので、伸び上って、人の頭の谷底に、一基の机を前にして坐っている先生の、髪をうすく撫〔な〕ぜつけた頭を覗〔のぞ〕き込んでいた。先生はちょっとあきれたと云うような表情で、一巡〔めぐり〕こう云う周囲を見たが、やがて又例の傍観者の微笑を眼のほとりに湛〔たた〕えて、さて徐〔おもむ〕ろに話の糸口を待っているのであった。
やがてそこへ待ちかまえていた松崎氏が鉄磁色の羽織にぴかぴか光る茶縞の袴〔はかま〕を穿〔は〕いて、黒い大きな眼を見開くようにして入って来た。その後からは、血色のいい坊ちゃん坊ちゃんした五分刈頭の藤原君が、人数に恥じた仕方なしの笑を、浮べようか浮べまいかと迷った顔で、続いて来るのであった。
それと前後して、戯曲家の滝田氏も、その小さな体を茶の洋服に包んで、座席の中心である机の横に座を占めることになった。
来賓と来賓との間に久濶〔きゆうかつ〕の挨拶なぞがあった。そして各々落着く席へ落着くと、ふと話の口が途断〔とぎ〕れた。それをつなぐのは畑の役目であった。彼は話題を求めて、さしあたりの自由劇場を選んだ。
「先生は『寂しき人々』をどう御覧になりました」
「うむ。あれかね。あれはついに見に行かなかった。イブセンなぞはひどく自分の芝居を見るのを嫌ったそうだが、僕は異〔ちが〕った意味で見に行かないのだ」
「どんな理由でです」その時先生の傍に坐っていた、スバルに詩をよく出した佐々野が、他人よりも一倍も親しさを先生に対して感じていると云うような顔で口を出した。
「なに、つまり俗務が忙しいからさ」先生はこう云って自分から例の微笑をした。そこここにそれに応じた笑声が起った。これがこの場合、皆の心に先生に対する心易さを与えた。そして質問がつぎつぎ起った。
「先生、あの後のヨハネスは死ぬんでしょうか」誰かが今までの話題の一線上を離れまいとするかの如く追跡した。
「さよう。僕の解釈では先ず心中だと思うね」
それから暫くの間は演劇の話が盛〔さか〕った。
「先生は独逸〔ドイツ〕においでの時分ああいう芝居を御覧になりましたか」
「いや、余り芝居も見なかったよ。それに何しろ古いことだからね。あの時分の伯林〔ベルリン〕には電車もなかった位だ。芝居でも今のように新しいものが盛んではなかったのだ。ハウプトマンなぞはまだ売り出さなかったし、劇団はあの擬古的なイルデンブルフが独占していると云った時分だからね」
「でも思いの外古いもんですなア」誰かが感嘆するように云った。
「それとも、だから僕の訳している短篇の作家でも、戯曲の作家でも、大抵は僕より若いよ。考えてみれば妙なものさね。親爺が息子のものを有難がって訳しているような訳だからね。シュニッツラア、ホフマンスタアル、みんな十以上も若い」こう感慨めいて云った先生の顔はふと前の松崎氏に落ちた。
「時に、君は幾つだったけね」
皆の好奇心は輝いた。
「七です」松崎氏はゆっくりと答えた。
「二七か。若いなア」先生はこう云いながら、新時代を麾〔さきまね〕くと云ったような奨励の微笑で、松崎氏を見、更にその背後にある、一群の青年の顔を見渡した。
それから話は暫く松崎氏との対話に移った。
「近頃は忙しいだろうね」先生は訊〔たず〕ねた。
「原稿の催促が猛烈なんで困っています」
「今月の『悪魔』は少しお急ぎになりましたね」傍から滝田氏も云った。
「ええお終〔しま〕いで急いで了いました」
「君は原稿を何時〔いつ〕書くのだね」三木先生は訊ねた。
「夜でないと、どうしても書けないんです」
「ふむ。君もやはりアブノルムな仲間だね。バルザック党だ。しかしそういう癖を着けて了うと不可〔いけ〕ないね」先生の顔には、ちょっと師匠らしい温情が表われて又消えた。
暫くは最近の文壇の月旦や、海外の騒壇の噂〔うわさ〕で持ち切った。それが済んだ時、文科三年の秀才の満井君が恐る恐る先生にこう云い出した。
「先生。何かしら一つ系統立ったお話が願えないでしょうか」
先生はひょいと首を上げた。そして微笑を湛えながらも、「何もないよ。座談でいいと云うからそんな用意はして来なかった」と云い放った。
久能らは何となく満井君の学究的な態度に、同情もしたが、一方三木先生に不快を与えたらしい点でひそかに憎みもした。そして更に、先生の傍にいて、さも親しいらしく構えながら、マドロス・パイプから濃い煙草の烟〔けむり〕を無遠慮に先生の顔へ吹きかけていた佐々野君を、この場合の幹事らしい心配で憎まざるを得なかった。
皆は又何か話題を見出して、先生により多くを喋〔しやべ〕らせる必要を感じた。
するとその時この要求の下に於てか否か、滝田氏が突然こえ訊ねた。
「日本の社会劇と云うものは、これからどうなるでしょう」
先生は首をちょっと捻〔ひね〕って、そして又微笑しながら答えた。
「それは君たちの作るようになるさ」
当時やはり戯曲を書こうと思っていた久能は、一見皮肉にも似たこと言葉に、皮肉ではない意味を読みたく思った。そして心の中で一二度その言葉を繰り返し繰り返し、何かのモットオでも銘記するように胸の中へ収めた。
それから談話は幾度かの曲折と濃淡とを経て会が終りに近づくまで続いた。しかし久能はこの一語を、ひたすらに胸の中で育〔はぐく〕み立てて、他の言葉が入り込むのをさえ、拒〔こば〕むかの如くであった。
やがて参会の時刻が来た。そして先ず来賓が去り、参会者がどやどやと帰って了うと、軽い昂奮〔こうふん〕に眼の縁をぽっと赤らめた委員たちだけが残って、互に満足と疲労の顔を見合せた。やがて彼らも後片附けを済ますと、遅れて三宜亭を出た。――
三月初めの夜はまだ薄ら寒い風を上野の杜〔もり〕の奥から送っていた。戸外に出た久能はそれによって、身が緊まるように感じた。そしてふと歩を佇〔と〕めて、いつのまにか晴れ切った夜空を仰ぎ見た。そこには疎〔まば〕らに黒い杜の梢を越えて、冬の名残りに響くばかり冴〔さ〕えた星斗が、落ちて散らばっているのだった。彼は小さい自分の能力を顧み、それに比べて広い広い芸術の分野を思った。
「ほんとに僕らの作るようになるだろうか」
彼はこう呟〔つぶや〕いて、再び杳〔はる〕かなる前途と、そしてそれに伴う労作を思った。
※底本:久米正雄『学生時代』新潮文庫、四十五刷改版、1968年7月(初版、1948年4月)。
※どこか打ち間違いなどがありましたらご指摘いただけるとありがたいですm(_ _)m。
上野の三宜亭の広間では、既に百人に近い高等学校の学生が集まって、来賓の到着を待っていた。文芸部の主催で開かれた文学会へ、三木先生を初め、当時評判の新進作家松崎、藤原、滝田の諸氏を招いて、一夕の談話を乞う筈になっていたのである。
幹事と云う名目の下にある久能らは、初めは人数の集まらぬのを憂慮していたのが、今度は余りに大人数になり過ぎるのを心配し出した。畑は三木先生に、集まる人数は多くて二三十人でしょうと云って置いた言責上、可なり狼狽〔ろうばい〕していた。これではしんみりした座談どころの話ではない。彼らは止むを得ず、もう一室を借りなければならなかった。
「広告が効き過ぎたね」「人数を制限すればよかった」一度の周章の後に、平気になった委員たちは、鈎〔かぎ〕なりに曲って二三室を埋めている出席者を数えるともなく眺めたりした。しかし彼らは、彼らの第一着手の事業が、意外の反響があるのに悦んでいるのも事実だった。
「三木先生は写真やなんかで大抵見当がつくが、松崎ってどんな人だろう」
「『秘密』が実話だとすると、女装が出来る位だから、綺麗〔きれい〕な人に違いないね」
「何でも六代目に似ているそうですよ」
こんな話が、出席者の中でも、中央部を占めて一団になっている、文芸部関係者の間に取り交わされていた。
「遅いね。どうしたのだろう。何か都合が出来たのじゃあるまいかね」
「そんなことはないよ。役所から帰って、衣服を着かえて、夕飯を食べてからお出になるんだろうから、一時間かそこいら遅くなるのは当たり前だよ」
「余りに人数が多いので、中途からお帰りになったんじゃあるまいね」
「まさか」
委員の間ではこんな事が云い交わされていた。
暫くすると玄関に一台の俥〔くるま〕が曳〔ひ〕き込まれた。
「おいでになったようだぜ」こう云った畑の言葉に一座は急に黙った。委員らと四五の先輩が出迎えた。
「遅くなって――」と云いながら鷗村先生は童顔と云うのに近い頬のあたりに笑〔えみ〕を湛〔たた〕えて入って来た。そして一座をずっと見渡して、傍の畑を顧み、「ひどく沢山いるね」と小声で云いながら眉をひそめた。
「意外に沢山になって申し訳御座いません」畑は恐縮して陳謝した。
先生は又もとの晴れ晴れしい顔になって設けの席についた。黒の紋附羽織に茶の袴〔はかま〕を穿〔は〕いて思ったよりも小柄な先生は、親しみのある中にも、涼冷〔クールネス〕がどことなく発散しているように、久能には思われた。
「近頃こういう処〔ところ〕には余り出ない事にしているんだが、座談ならと云うんで、うっかり引受けて了ってね」先生はこう云いながら、自身を中心として視線を集中させている幾重もの顔の輪を見渡した。背後の方の人々は立っても見えないので、伸び上って、人の頭の谷底に、一基の机を前にして坐っている先生の、髪をうすく撫〔な〕ぜつけた頭を覗〔のぞ〕き込んでいた。先生はちょっとあきれたと云うような表情で、一巡〔めぐり〕こう云う周囲を見たが、やがて又例の傍観者の微笑を眼のほとりに湛〔たた〕えて、さて徐〔おもむ〕ろに話の糸口を待っているのであった。
やがてそこへ待ちかまえていた松崎氏が鉄磁色の羽織にぴかぴか光る茶縞の袴〔はかま〕を穿〔は〕いて、黒い大きな眼を見開くようにして入って来た。その後からは、血色のいい坊ちゃん坊ちゃんした五分刈頭の藤原君が、人数に恥じた仕方なしの笑を、浮べようか浮べまいかと迷った顔で、続いて来るのであった。
それと前後して、戯曲家の滝田氏も、その小さな体を茶の洋服に包んで、座席の中心である机の横に座を占めることになった。
来賓と来賓との間に久濶〔きゆうかつ〕の挨拶なぞがあった。そして各々落着く席へ落着くと、ふと話の口が途断〔とぎ〕れた。それをつなぐのは畑の役目であった。彼は話題を求めて、さしあたりの自由劇場を選んだ。
「先生は『寂しき人々』をどう御覧になりました」
「うむ。あれかね。あれはついに見に行かなかった。イブセンなぞはひどく自分の芝居を見るのを嫌ったそうだが、僕は異〔ちが〕った意味で見に行かないのだ」
「どんな理由でです」その時先生の傍に坐っていた、スバルに詩をよく出した佐々野が、他人よりも一倍も親しさを先生に対して感じていると云うような顔で口を出した。
「なに、つまり俗務が忙しいからさ」先生はこう云って自分から例の微笑をした。そこここにそれに応じた笑声が起った。これがこの場合、皆の心に先生に対する心易さを与えた。そして質問がつぎつぎ起った。
「先生、あの後のヨハネスは死ぬんでしょうか」誰かが今までの話題の一線上を離れまいとするかの如く追跡した。
「さよう。僕の解釈では先ず心中だと思うね」
それから暫くの間は演劇の話が盛〔さか〕った。
「先生は独逸〔ドイツ〕においでの時分ああいう芝居を御覧になりましたか」
「いや、余り芝居も見なかったよ。それに何しろ古いことだからね。あの時分の伯林〔ベルリン〕には電車もなかった位だ。芝居でも今のように新しいものが盛んではなかったのだ。ハウプトマンなぞはまだ売り出さなかったし、劇団はあの擬古的なイルデンブルフが独占していると云った時分だからね」
「でも思いの外古いもんですなア」誰かが感嘆するように云った。
「それとも、だから僕の訳している短篇の作家でも、戯曲の作家でも、大抵は僕より若いよ。考えてみれば妙なものさね。親爺が息子のものを有難がって訳しているような訳だからね。シュニッツラア、ホフマンスタアル、みんな十以上も若い」こう感慨めいて云った先生の顔はふと前の松崎氏に落ちた。
「時に、君は幾つだったけね」
皆の好奇心は輝いた。
「七です」松崎氏はゆっくりと答えた。
「二七か。若いなア」先生はこう云いながら、新時代を麾〔さきまね〕くと云ったような奨励の微笑で、松崎氏を見、更にその背後にある、一群の青年の顔を見渡した。
それから話は暫く松崎氏との対話に移った。
「近頃は忙しいだろうね」先生は訊〔たず〕ねた。
「原稿の催促が猛烈なんで困っています」
「今月の『悪魔』は少しお急ぎになりましたね」傍から滝田氏も云った。
「ええお終〔しま〕いで急いで了いました」
「君は原稿を何時〔いつ〕書くのだね」三木先生は訊ねた。
「夜でないと、どうしても書けないんです」
「ふむ。君もやはりアブノルムな仲間だね。バルザック党だ。しかしそういう癖を着けて了うと不可〔いけ〕ないね」先生の顔には、ちょっと師匠らしい温情が表われて又消えた。
暫くは最近の文壇の月旦や、海外の騒壇の噂〔うわさ〕で持ち切った。それが済んだ時、文科三年の秀才の満井君が恐る恐る先生にこう云い出した。
「先生。何かしら一つ系統立ったお話が願えないでしょうか」
先生はひょいと首を上げた。そして微笑を湛えながらも、「何もないよ。座談でいいと云うからそんな用意はして来なかった」と云い放った。
久能らは何となく満井君の学究的な態度に、同情もしたが、一方三木先生に不快を与えたらしい点でひそかに憎みもした。そして更に、先生の傍にいて、さも親しいらしく構えながら、マドロス・パイプから濃い煙草の烟〔けむり〕を無遠慮に先生の顔へ吹きかけていた佐々野君を、この場合の幹事らしい心配で憎まざるを得なかった。
皆は又何か話題を見出して、先生により多くを喋〔しやべ〕らせる必要を感じた。
するとその時この要求の下に於てか否か、滝田氏が突然こえ訊ねた。
「日本の社会劇と云うものは、これからどうなるでしょう」
先生は首をちょっと捻〔ひね〕って、そして又微笑しながら答えた。
「それは君たちの作るようになるさ」
当時やはり戯曲を書こうと思っていた久能は、一見皮肉にも似たこと言葉に、皮肉ではない意味を読みたく思った。そして心の中で一二度その言葉を繰り返し繰り返し、何かのモットオでも銘記するように胸の中へ収めた。
それから談話は幾度かの曲折と濃淡とを経て会が終りに近づくまで続いた。しかし久能はこの一語を、ひたすらに胸の中で育〔はぐく〕み立てて、他の言葉が入り込むのをさえ、拒〔こば〕むかの如くであった。
やがて参会の時刻が来た。そして先ず来賓が去り、参会者がどやどやと帰って了うと、軽い昂奮〔こうふん〕に眼の縁をぽっと赤らめた委員たちだけが残って、互に満足と疲労の顔を見合せた。やがて彼らも後片附けを済ますと、遅れて三宜亭を出た。――
三月初めの夜はまだ薄ら寒い風を上野の杜〔もり〕の奥から送っていた。戸外に出た久能はそれによって、身が緊まるように感じた。そしてふと歩を佇〔と〕めて、いつのまにか晴れ切った夜空を仰ぎ見た。そこには疎〔まば〕らに黒い杜の梢を越えて、冬の名残りに響くばかり冴〔さ〕えた星斗が、落ちて散らばっているのだった。彼は小さい自分の能力を顧み、それに比べて広い広い芸術の分野を思った。
「ほんとに僕らの作るようになるだろうか」
彼はこう呟〔つぶや〕いて、再び杳〔はる〕かなる前途と、そしてそれに伴う労作を思った。
※底本:久米正雄『学生時代』新潮文庫、四十五刷改版、1968年7月(初版、1948年4月)。
※どこか打ち間違いなどがありましたらご指摘いただけるとありがたいですm(_ _)m。
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