※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆訂正ありです。
*
51. センター試験の話題をいまだに引きずってしまう(泣)。進適といえば、三好京三(1931年早生まれ)の『なにがなんでも作家になりたい!』(2003)には「進学適性検査だけは受けた、その時の写真」が載っている(p.111)。受験票の左のほう。学生服を着た若い頃の著者の写真。
51.1. 野坂昭如との対談で阿部牧郎(1933年生まれ)が「その知能テストで思い出すのですが、ぼくらのときは同じような進適(=進学適性検査)があったけど、たとえば作家の五木寛之さんや筒井康隆は、どちらも九十八、九点で全国一だったそうですよ。でもあれは知能というよりも、(続く)
51.2. (続き)要領の競争という気がしますね。」と口にしている(「ぼくたちの受験生時代ー若いときこそチャレンジできるー」『螢雪時代』1978年4月号。『教育読本 入学試験』河出書房新社、1981に収録)。阿部は1浪して京大だけど、五木・筒井はそんなに勉強ができたのになぜ私大に?
51.3. ウィキペディアに「知能検査」という項目があって「・1946年に(略)アメリカ教育使節団が(略)日本の教育を指導した。/(略)/・1947年に(略)高等教育の学校の入学試験で知能検査が開始された」とある。野坂昭如(1930年生まれ)が受けたという「知能テスト」はこれ? 進適の前身。
50. 谷沢永一は受験学参を蔑視しない人?(学参にもよるか)。確か「早稲田中学講義録」についても書いていたと思う(『紙つぶて』?)。中学校に行きたくても行けなかった人向けの通信講座というか。/そういえば、開高健は小野圭(小野圭次郎)の参考書を使っていたようだ(『青い月曜日』)。
49. RT>蓑田胸喜という人。ウィキペディアによれば、「熊本県(略)に生まれる。八代中学校を経て、第五高等学校(略)に学ぶ。(略)/1917年(略)、東京帝国大学に入学する。」。たしかに高校受験が何年かあとなら『受験と学生』とか『考へ方』などが。(『白鷺』というのは1926年?)
48. 『青春の一冊』(文春文庫)に収録されているエッセイ、谷沢永一「佐藤正彰訳『覚書と雑考』鼇頭」の最後の段落は次のとおり。「そのうち佐藤正彰の文体感覚の一端が、或いは厳父の学識に発するかと推察し、佐藤正範の『受験漢文研究』『最新研究 漢文解釈法』(続く)
48.1. (続き)『受験と学生 漢文解釈要法』『増訂 漢文解釈研究法』を入手し得た。しかしセイバン先生の説くところ「漢文を解釈するには、生硬な直訳語を避けて、円熟な意訳語を用ひて解くことが肝要である」と。もちろん適切至極な訓戒であるのだが、些か釈然とせぬ次第、(続く)
48.2. (続き)そこで『最新研究 国文の解釈』(大正13年訂正22版)も開いてみた。先生ここでは身を乗り出し、「我が国小説家の泰斗として、学問博学、思想雲湧、才藻富贍の曲亭馬琴が、終生の心血を濺いだ八犬伝六巻の大文章は」と、勇躍して漢文調に遊んでおられるのであった。(続く)
48.3. (続き)なお『受験適用 現代文要解』『最新研究 国文法の要領』は残念ながら未だ手に入らない。」。お父さんより、ヴァレリーを訳している仏文学者の息子のほうが有名? 谷沢永一が手に入っていないと言う『現代文要解』が、『「国語」入試の近現代史』では取りあげられていたと思う(たぶん)。
47. 『「国語」入試の近現代史』(講談社選書メチエ、2008)は持っているというか、読んだことがあって。『駿台式!本当の勉強力』(2001)とは異種同根の本というか。本当に「異種」かもしれないけど。(入不二基義『時間は実在するか』(2002)ほど「異種」ではないだろうけど。)
46. そういえば、石川巧『「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想』(ちくま新書、2010)という本。欲しかったんだけど、買いそびれたままになっちゃったなぁ。まぁいいか。(副題、アマゾンの表紙画像を見ると「思想」ではなくて「歴史」と書かれている。どっちが正しいんだろう?)
45. そういえば、関係ないと思うけど、山田詠美『無銭優雅』(幻冬舎、2007のち文庫)に出てくる予備校講師の名前が北村栄。(文庫版、豊島ミホが解説を書いていたので、買ってしまったんだけど、未読です。積ん読本多し(泣)。)
44. 「講義2 ブラームスはお好き?ーー国語」(『駿台式!本当の勉強力』講談社現代新書、2001)に出てくる小説は、フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』、山田詠美「眠れる分度器」(『ぼくは勉強ができない』)、川端康成「夏の靴」(『掌の小説』)。
43. 野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』は1964年刊(白水社)。あー、東京オリンピックの年だね。白水Uブックス版(新書版)は1984年? そんなにあとになってからだったのかな? ちなみに、野崎訳の前には、1952年に橋本福夫訳『危険な年齢』が出ている。←ほとんどウィキペディア情報。
42. タイトルがなんかなんか的な(?)沢部ひとみ『評論なんかこわくない』(飛鳥新社、1992)のほうが『~開発講座』(1993)よりも早いみたい。そういえば、確か岡田寿彦『論文って,どんなもんだい』(駿台文庫、1991)にも『ライ麦~』が。
41. ニュースを見ていて、本からそんなに引用していいのか、と思ったけれど、ぜんぜん人のことが言えない(泣)。「もしも君が、ほんとうに現代文の実力をつけたいなら、まず、キーワードはどこにあるとか、チャチな選択肢の見分け方とか、今までの読書体験はどんなだったかとか、(続く)
41.1. (続き)そういった《国語入試問題必勝法》式のくだらないことから聞きたがるかもしれないけど、実をいうと僕は、(略)」ー「“イイタイコト”をつかまえて」『現代文読解力の開発講座』(1993)。デビッド・~式ではなくてーというか、パロディの中にパロディが得意な某作家の「国語~」が。
40. 「そのうえ、学力共通一次は、遠からず廃止の運命にあることは歴史が証明している。昭和23年に“大学進学に対する素質・能力を科学的に検出する”と称して始めた進学適性検査は29年に廃止された。そして10年後の38年には似たような共通能研が始まって、43年にポシャってしまった。(続く)
40.1. (続き)そして性こりもなく、またも10年めの54年に共通一次の発足だ。二度あることは三度ある。数年でチョンだ。大人たちは10年サイクルで入試改革ゴッコを楽しんでるんじゃないの。/が、恋愛共通一次は違う。」ーー小峰元『パンドラの恋愛能力共通一次テスト』(1979)。(続く)
40.2. (続き)「おれ」が予言した通り、共通一次は10年続いて1990年からセンター試験に。違いは私大が参加できるという点くらいだけど。で、今やセンター試験も終了が決まっているわけだけど、歴史を振り返れば(たぶん戦前も含めて)例外的にずいぶん長く続いた制度だと言える。今年は2016年。
39. ここ!という線引きはしづらいけど(異論はたくさんあると思うけど)、受験生時代がだいたい1976, 7年より前なら「『豆単』世代」、それ以降なら「『でる単』世代」と言ってもいいかも。『でる単』(または『シケ単』)だけでなく、ラジオの深夜放送とかいろいろあるだろうけど。
38. 小説と関係ないツイートばっかりに(泣)。小説に限定しないほうがいいかも。1965年~1976, 7年。「過渡期」という言葉はよくないな。「移行期」とかのほうがいいかも。 『69』には『豆単』が、『さよなら快傑黒頭巾』や「黄金比の朝」(作中年は?)にはabandonが出てくる。
37. エッセイストの玉村豊男さんは1945年、東京生まれ。高校は都立で、1浪(S台)して東大。『人生おこがま指南』(中公文庫)に載っている年譜の、1964年のところには「(略)予備校の屋上でよく相撲をとった。東京オリンピックはテレビで見る」とある。屋上で相撲ーー牧歌的な?
36. 薫くんより1学年下の(『69 sixty nine』という作品もある)村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は1976年刊(講談社)。初出は『群像』1976年6月号らしい。(村上龍の本名は龍之介。1952年早生まれ。1952年は辰年。1892年生まれの芥川龍之介とは60歳違い。)
35. 中上健次「黄金比の朝」の初出は『文學界』1974年8月号? あと、ウィキペディアの「庄司薫」の項に「1975年、『中央公論』新年号から24回にわたり『ぼくの大好きな青髭』を連載。1977年7月、『ぼくの大好きな青髭』を中央公論社から刊行」とある。薫くんシリーズ(四部作)の最後。
34. 誰かが書いていたと思うけど、「青春小説」の流れって、昭和40年代(1965~1974年)、あるいは1970年代(1970~1979年)を過渡期とすると、うまく説明できるらしくて。昭和40年代のほうがいいような気がするけど、後ろのほうは中間をとって1976, 7年でもいいと思う。
33. なんとなく言い出しにくかったんだけど、TVのニュースにもなっていた某問題集をこの前、買ってしまって(^_^;)。13日のお昼前くらいだったかな、本屋に寄ったときに。自主回収の報道が出るよりも前。もともとこの著者の参考書をわりと買っていて、『生きる』のあとの2冊も持っていたので。
33.1. 漢字というと川上弘美『いとしい』を思い出す。大塚英志もどこかで引用してい
たけど。
・
「せんせい、こないだ机の整理してたら、小学校のときの漢字のテストが出てきた」 考えあぐねていると、ミドリ子は唐突にそんなことを言う。 「おもしろかったです」 「なにが」聞くと、
(続く)
33.2. (続き)
「あのね」と始める。
「暗い夜
銀色の世界
美しい声
短所を直す
ごま油を買う
歌って歩く
小屋を作る
幸せになる」
ミドリ子はとなえた。
「え」
(続く)
33.3. (続き)
「そういう書き取りでした」
ごまあぶらをかう、うたってあるく、こやをつくる、しあわせになる、ミドリ子はささやくように繰りかえした。ささやきながら、
「せんせいまたね」と言って、スカートをひらめかせて去っていってしまう。
・
性的な表現は含まれていないけど(^_^;)。
32. 「デューク」ってTVドラマ版なら見たことがある(国語1っていつからいつまであったのかな? 「冬への順応」も国語1だっけ?)。オムニバスというかで、光原百合「十八の夏」(初出は『小説推理』2001年12月号らしい)のドラマが見たくて。
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2277/
31. 喫茶店、小池真理子(1952年生まれ)の『無伴奏』(1990)はクラシック(バロック音楽)、熊谷達也(1958年生まれ)の『モラトリアムな季節』(2010)はロック。同じ仙台市で、7年くらい違い。(あ、村上龍は1952年早生まれだから、学年は小池真理子より1つ上なのか。)
30. 以前、井上靖『北の海』を読んでいて、当時の旧制高校受験生は具体的にどんな「参考書」を使っていたのかな? と書名が気になったことがあって。中学校の学年でいえば2学年上、高見順『わが胸の底のここには』に参考書の名前が列挙されている箇所がある。引用してみる。
30.1. 「然し、――その頃、そうした耽読と同時に、受験参考書もとにかく耽読していたのだが、その参考書のひとつの、当時藤森の「考へ方」などとともに有名な南日の「英文和訳法」に、こんな英文があった(引用者註:「藤森」「南日」に傍点)。同書の三六八頁に、(続く
30.2. 続き)/The very facility of obtaining books is causing them to be less valued than once they were./巻尾の訳文を見ると「書籍が容易に得らるてふ事実こそまさしく其価値を往時よりも(続く
30.3. 続き)減じつゝあるなれ」とある。私と同年輩の当時の受験生諸君は、この訳文を見て、うたた懐旧の情に襲われるのではなかろうか。塚本の「国文解釈法」「漢文解釈法」というのもあったじゃないか(引用者註:「塚本」に傍点)。そういう諸君の声が耳に聞こえてくるようだ。(続く
30.4. 続き)では、塚本哲三先生編「諸官立学校入学試験国語問題釈義」全一冊、正価金八拾銭というのを諸君は覚えておられるか。漢文にも同じ題のものがあった。学習院教授南日恒太郎先生の受験参考書には「和文英訳法」正価金三十銭というのもあった。(続く
30.5. 続き)神田乃武先生校閲、南日恒太郎先生著「難問分類、英文詳解」正価金三十銭というのもあった。妻木忠太先生編「最新日本歴史解釈」はどうだ。故博言博士イーストレーキ先生、早稲田大学教授増田藤之助先生共編「英和比較、英文法十講」はどうだ。(続く
30.6. 続き)苦しかったが懐しい受験生生活よ。/こうした受験参考書を買うだけで手いっぱいの、否、それすら思うように買えなかった私は「書籍が容易に得らるてふ事実」からよほど遠かった。従って私が図書館から借りたり同級生から借りたりして読んだ本は、数は少くても、(続く
30.7. 続き)私にとって価値は多い読書と成った。」科目が文系に偏っているかな。理系なのは数学の藤森(良蔵)だけ。久米正雄「受験生の手記」(1918)や菊池寛『半自叙伝』に出てくる南日の『英文解釈法』は『難問分類英文詳解』が改訂されたもので、(続く
30.8. 続き)それがさらに改訂されたものが『英文和訳法』らしい。でも、『英文解釈法』も並行して売れたらしい(pp.88-9、江利川春雄『受験英語と日本人』)。
『難問分類英文詳解』1903年
『英文解釈法』1905年
『英文和訳法』1914年
29. Wikipediaにある「山川京子」のところ。なんで旧姓が田中ではなくて松本なんだろう? ↓これは田中と書かれている。
https://mainichi.jp/articles/20150830/ddl/k21/040/049000c
28. (続き)「田中嘉三郎」でネット検索してみると(著書もあるみたいだけど)、『山川弘至書簡集』 というのが出てくる(義理の息子さん?)。「西田」は住んでいた場所から?
https://shiki-cogito.net/library/ya/yamakawahiroshi-shokanshu.html
27. (続き)その家族が住んでいた)に寄宿した。/翌年1954年の7月に一家が上京、当初は練馬区関町の借家に住んでいたが、(略)」と書かれている。この叔父さん、小説「父系の指」(初出『新潮』1955年9月号)では「西田民治」という名前で出てくる。(続く)
26. Wikipediaで「松本清張」を見てみると、「1953年12月1日付で朝日新聞東京本社に転勤となり[44]、上京する。当初単身赴任となった清張は、まず杉並区荻窪の田中家(田中嘉三郎は清張の父である峯三郎の弟。嘉三郎はすでに死去していたが、(続く)
26.1. お父さん、峯三郎でなくて峯太郎だな。誰か直してあげて。
25. (続き)中野静という人、近デジで参考書が1冊読める(大正9年のもの、なぜか上巻のみ)。Googleブックスで検索してみると(著作権的な問題があるかな...、Googleブックス情報)お父さんは中野保という人で、長野で数学を教えていたらしい。親子2代で数学の先生だったようだ。
25.1. 「中野塾のあった場所と開校年が知りたい。 | レファレンス協同データベース」
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000080856
Googleブックス、よく見えないから勘違いをしてしまった(言い訳)。お父さんは数学を教えていたわけではない? 何を教えていたんだろう?
24. 某掲示板に「昭和11年の日記出て來たから一日づつ載っける」というのがあげられている。読むとこの日記の人、中野静の中野塾に通っている(ほんとは話が逆で「中野塾」などを検索したら出てきた)。その11年前かな、大正14年(1925年)に藤枝静男が通っていた名古屋の予備校。(続く)
23. 手もとにある新潮文庫『学生時代』(たぶんブックオフで購入)の奥付を見てみたら、昭和51年(1976年)の59刷だった。けっこう古いなー。「新潮文庫の(限定)復刊」全百冊のものって、古本屋で意外と(?)見かける気がする。棚に入っているとあずき色でかなり地味だけど。
22. あと『久米正雄伝』に「新潮文庫の『学生時代』は、94年に69刷が出ているが、その後、品切れとなった。」とある(p.541)。この1994年のって「新潮文庫の復刊」全百冊のうちの1冊かも。1つ前の68刷のほうが気になる。『学問ノススメ』(89-90)が出た頃には手に入ったのかな?
21. (続き)東中野に愛人でも住んでいたのだろうか。」(pp.371-2)。いたら鎌倉から通っていたのかな? 知らないけど、下落合=目白文化村、上落合=落合文士村? 尾崎は1919年に日本女子大に入学、寮が目白。昭和2年(1927年)から7年まで上落合。そこで『第七~』(昭和6)も。
20. 健吉と三五郎の比較に意味はあるかな? とりあえず共通点は上京者で予備校生、あと失恋者。小谷野敦『久米正雄伝』(2011)という厚い本に尾崎翠の名前は出てこない。でも(?)こんな箇所が。「しかし久米はこの[=昭和2年連載『青眉』の]後も、東中野に住むヒロインを使うのだが、(続く)
19. 「五月二十五日 晴/今村隆氏菊池の本の装幀の見本を持ってくる。出来思わしからず。装幀なぞ引き受けなければよかったと思う。午後塚本八洲来たる。一高の入学試験を受ける由。」ー芥川龍之介「我鬼窟日録」(1919)。義弟の家は鵠沼? 「受験生の~」(1918)は読んでいるかな?
18. 1917年、尾崎は小学校の代用教員を辞めて最初の上京。渋谷道玄坂の三兄(帝大農科在学中)のところに。そこには東京音楽学校志望の従弟もいたらしい(p.86、川崎賢子『尾崎翠 砂丘の彼方へ』)。(あ、農科は本郷じゃなくて駒場なんだよね。)
17. いま受験シーズン。受験生に「落ちる」とか「すべる」とかは禁句ーというのは、明治時代からあるのかな? それなら三五郎に気安く「丸善で『ドッペル何とか』買ってきて」とか言ってはいけない? というか、『ドッペル何とか』と勝手に略したのは本人のほうだったかも。
16. 尾崎翠『第七官界彷徨』(1931)。語り手は小野町子。2人の兄は小野一助、二助。いとこは佐田三五郎。名前だけは夏目漱石みたいだよね。小川三四郎(『三四郎』)、長井代助(『それから』)、野中宗助(『門』)。あと、長野一郎、二郎(『行人』)とか。
15. 「『坊ちゃん』と『田舎教師』は先生と生徒の関係だった!?」
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n250125 #知恵袋
15.1. 消えている(泣)
14. 『田舎教師』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000214/card1668.html
13. おととし(2014年)何かテレビで林先生(林修氏)が『田舎教師』を取りあげたらしいけれど(知らなくて見逃してしまった)、林清三(こちらも林先生)は小学校のオルガンで練習、一方(?)佐田三五郎は以前の住人が置いていった、音が狂っているピアノで練習。
12. ああもうやめたいこんなつぶやき(泣)。でもとりあえず100ツイートまではがんばろう。
11. 小説に出てくる浪人生といえば? やっぱり「ぴいくん」?(人によって違うに決まっている(^_^;))。高田崇史『試験に出るパズル』(講談社ノベルス、2004のち文庫)からの「千葉千波の事件日記」。作者は1958年生まれらしい。『ぼく勉』山田詠美(1959年早生まれ)と同学年だよね。
10. 忘れていたけど、高橋源一郎が1951年早生まれで、薫くんと同学年なんだよね。浪人はしていないけど。もちろん(?)東大は受験できず、京大に落ちて横国。高橋氏は、山田詠美が特集された『文藝』2005年秋号で、「ぼくも勉強ができない」というエッセイを書いている(pp.100-3)。
9. 「ティーンズハートの花井文体は、官能小説にもヒントを得ていた!! なーんてね。」(p.81、同書)。花井愛子は1956年生まれ。関係ないけど、川上弘美は1958年早生まれーー1学年下か。(川上「一実ちゃんのこと」はやっぱり「ローニン」と「クローニング」がかかっている?)
8. (続き)間違いなく40代以上であろう。」(p.80)。なんか引用していて苛々してくる(泣)。単純計算で2005年に40歳の人は1965年生まれ? 『天使の卵』(1994)の主人公が宇能鴻一郎の名前を知っているというのは、どうなんだろう? ちなみに、村山由佳は1964年生まれ。
7. 花井愛子『ときめきイチゴ時代』(2005)に次のような箇所が。「主語と述語のみの短文。会話多用。改行バリバリ。擬音擬態語たっぷり。体言止め。/ーーこれって......。/宇能鴻一郎センセイの、官能小説じゃんっ!!/と、ね。/いまウケてくださったかたは、(続く)
6. 庄野潤三『明夫と良二』(1972)。以前、図書館で借りて読んで、ちょっと欲しいけれど、岩波現代文庫にも講談社文芸文庫にも収録されていない(児童向けだから?)。お父さん視点の小説。確かお兄ちゃんの明夫くんが村上龍と同学年だったと思う(わからない、1年ずれているかも)。
6.1. 講談社文芸文庫から出たみたいだね。2019年2月。
5. そういえば、山田詠美編のアンソロジー『せつない話』(光文社、1989のち文庫)には、田辺聖子「恋の棺」(『ジョゼと虎と魚たち』所収、角川書店、1985のち文庫)が採録されている。年上の女性目線。
4. 『天使の卵』の文庫版(集英社文庫、1996.6)で解説を書いているのは、村上龍。確認してないけど、たいしたことは書かれていなかった覚えが。村上は2浪(一応)してムサ美。ベストセラー『限りなく透明に近いブルー』(1976)は、浪人中の(?)体験がもとになっている(要出典?)。
3. 平均するよりも、9人中5人が浪人している、とか言ったほうがよかったかも。
2. 芥川賞の現在の選考委員はみんな大学に入学している。小川・川上・堀江が0浪、島田・高樹・宮本・山田が1浪、奥泉・村上が2浪。(村上を2浪とするのはちょっとまずいかも。)平均すると、8割る9で、0.888...浪。1浪を下回っちゃうな。
1. そういえば(今ごろ思い出した)『学問ノススメ』には確か『父帰る』が出てくる。大道寺くんが口にする。(ぜんぜん関係ないけど、村山由佳『天使の卵』(1994)にはちらっと宇能鴻一郎の名前が出てくる。)
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51. センター試験の話題をいまだに引きずってしまう(泣)。進適といえば、三好京三(1931年早生まれ)の『なにがなんでも作家になりたい!』(2003)には「進学適性検査だけは受けた、その時の写真」が載っている(p.111)。受験票の左のほう。学生服を着た若い頃の著者の写真。
51.1. 野坂昭如との対談で阿部牧郎(1933年生まれ)が「その知能テストで思い出すのですが、ぼくらのときは同じような進適(=進学適性検査)があったけど、たとえば作家の五木寛之さんや筒井康隆は、どちらも九十八、九点で全国一だったそうですよ。でもあれは知能というよりも、(続く)
51.2. (続き)要領の競争という気がしますね。」と口にしている(「ぼくたちの受験生時代ー若いときこそチャレンジできるー」『螢雪時代』1978年4月号。『教育読本 入学試験』河出書房新社、1981に収録)。阿部は1浪して京大だけど、五木・筒井はそんなに勉強ができたのになぜ私大に?
51.3. ウィキペディアに「知能検査」という項目があって「・1946年に(略)アメリカ教育使節団が(略)日本の教育を指導した。/(略)/・1947年に(略)高等教育の学校の入学試験で知能検査が開始された」とある。野坂昭如(1930年生まれ)が受けたという「知能テスト」はこれ? 進適の前身。
50. 谷沢永一は受験学参を蔑視しない人?(学参にもよるか)。確か「早稲田中学講義録」についても書いていたと思う(『紙つぶて』?)。中学校に行きたくても行けなかった人向けの通信講座というか。/そういえば、開高健は小野圭(小野圭次郎)の参考書を使っていたようだ(『青い月曜日』)。
49. RT>蓑田胸喜という人。ウィキペディアによれば、「熊本県(略)に生まれる。八代中学校を経て、第五高等学校(略)に学ぶ。(略)/1917年(略)、東京帝国大学に入学する。」。たしかに高校受験が何年かあとなら『受験と学生』とか『考へ方』などが。(『白鷺』というのは1926年?)
48. 『青春の一冊』(文春文庫)に収録されているエッセイ、谷沢永一「佐藤正彰訳『覚書と雑考』鼇頭」の最後の段落は次のとおり。「そのうち佐藤正彰の文体感覚の一端が、或いは厳父の学識に発するかと推察し、佐藤正範の『受験漢文研究』『最新研究 漢文解釈法』(続く)
48.1. (続き)『受験と学生 漢文解釈要法』『増訂 漢文解釈研究法』を入手し得た。しかしセイバン先生の説くところ「漢文を解釈するには、生硬な直訳語を避けて、円熟な意訳語を用ひて解くことが肝要である」と。もちろん適切至極な訓戒であるのだが、些か釈然とせぬ次第、(続く)
48.2. (続き)そこで『最新研究 国文の解釈』(大正13年訂正22版)も開いてみた。先生ここでは身を乗り出し、「我が国小説家の泰斗として、学問博学、思想雲湧、才藻富贍の曲亭馬琴が、終生の心血を濺いだ八犬伝六巻の大文章は」と、勇躍して漢文調に遊んでおられるのであった。(続く)
48.3. (続き)なお『受験適用 現代文要解』『最新研究 国文法の要領』は残念ながら未だ手に入らない。」。お父さんより、ヴァレリーを訳している仏文学者の息子のほうが有名? 谷沢永一が手に入っていないと言う『現代文要解』が、『「国語」入試の近現代史』では取りあげられていたと思う(たぶん)。
47. 『「国語」入試の近現代史』(講談社選書メチエ、2008)は持っているというか、読んだことがあって。『駿台式!本当の勉強力』(2001)とは異種同根の本というか。本当に「異種」かもしれないけど。(入不二基義『時間は実在するか』(2002)ほど「異種」ではないだろうけど。)
46. そういえば、石川巧『「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想』(ちくま新書、2010)という本。欲しかったんだけど、買いそびれたままになっちゃったなぁ。まぁいいか。(副題、アマゾンの表紙画像を見ると「思想」ではなくて「歴史」と書かれている。どっちが正しいんだろう?)
45. そういえば、関係ないと思うけど、山田詠美『無銭優雅』(幻冬舎、2007のち文庫)に出てくる予備校講師の名前が北村栄。(文庫版、豊島ミホが解説を書いていたので、買ってしまったんだけど、未読です。積ん読本多し(泣)。)
44. 「講義2 ブラームスはお好き?ーー国語」(『駿台式!本当の勉強力』講談社現代新書、2001)に出てくる小説は、フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』、山田詠美「眠れる分度器」(『ぼくは勉強ができない』)、川端康成「夏の靴」(『掌の小説』)。
43. 野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』は1964年刊(白水社)。あー、東京オリンピックの年だね。白水Uブックス版(新書版)は1984年? そんなにあとになってからだったのかな? ちなみに、野崎訳の前には、1952年に橋本福夫訳『危険な年齢』が出ている。←ほとんどウィキペディア情報。
42. タイトルがなんかなんか的な(?)沢部ひとみ『評論なんかこわくない』(飛鳥新社、1992)のほうが『~開発講座』(1993)よりも早いみたい。そういえば、確か岡田寿彦『論文って,どんなもんだい』(駿台文庫、1991)にも『ライ麦~』が。
41. ニュースを見ていて、本からそんなに引用していいのか、と思ったけれど、ぜんぜん人のことが言えない(泣)。「もしも君が、ほんとうに現代文の実力をつけたいなら、まず、キーワードはどこにあるとか、チャチな選択肢の見分け方とか、今までの読書体験はどんなだったかとか、(続く)
41.1. (続き)そういった《国語入試問題必勝法》式のくだらないことから聞きたがるかもしれないけど、実をいうと僕は、(略)」ー「“イイタイコト”をつかまえて」『現代文読解力の開発講座』(1993)。デビッド・~式ではなくてーというか、パロディの中にパロディが得意な某作家の「国語~」が。
40. 「そのうえ、学力共通一次は、遠からず廃止の運命にあることは歴史が証明している。昭和23年に“大学進学に対する素質・能力を科学的に検出する”と称して始めた進学適性検査は29年に廃止された。そして10年後の38年には似たような共通能研が始まって、43年にポシャってしまった。(続く)
40.1. (続き)そして性こりもなく、またも10年めの54年に共通一次の発足だ。二度あることは三度ある。数年でチョンだ。大人たちは10年サイクルで入試改革ゴッコを楽しんでるんじゃないの。/が、恋愛共通一次は違う。」ーー小峰元『パンドラの恋愛能力共通一次テスト』(1979)。(続く)
40.2. (続き)「おれ」が予言した通り、共通一次は10年続いて1990年からセンター試験に。違いは私大が参加できるという点くらいだけど。で、今やセンター試験も終了が決まっているわけだけど、歴史を振り返れば(たぶん戦前も含めて)例外的にずいぶん長く続いた制度だと言える。今年は2016年。
39. ここ!という線引きはしづらいけど(異論はたくさんあると思うけど)、受験生時代がだいたい1976, 7年より前なら「『豆単』世代」、それ以降なら「『でる単』世代」と言ってもいいかも。『でる単』(または『シケ単』)だけでなく、ラジオの深夜放送とかいろいろあるだろうけど。
38. 小説と関係ないツイートばっかりに(泣)。小説に限定しないほうがいいかも。1965年~1976, 7年。「過渡期」という言葉はよくないな。「移行期」とかのほうがいいかも。 『69』には『豆単』が、『さよなら快傑黒頭巾』や「黄金比の朝」(作中年は?)にはabandonが出てくる。
37. エッセイストの玉村豊男さんは1945年、東京生まれ。高校は都立で、1浪(S台)して東大。『人生おこがま指南』(中公文庫)に載っている年譜の、1964年のところには「(略)予備校の屋上でよく相撲をとった。東京オリンピックはテレビで見る」とある。屋上で相撲ーー牧歌的な?
36. 薫くんより1学年下の(『69 sixty nine』という作品もある)村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は1976年刊(講談社)。初出は『群像』1976年6月号らしい。(村上龍の本名は龍之介。1952年早生まれ。1952年は辰年。1892年生まれの芥川龍之介とは60歳違い。)
35. 中上健次「黄金比の朝」の初出は『文學界』1974年8月号? あと、ウィキペディアの「庄司薫」の項に「1975年、『中央公論』新年号から24回にわたり『ぼくの大好きな青髭』を連載。1977年7月、『ぼくの大好きな青髭』を中央公論社から刊行」とある。薫くんシリーズ(四部作)の最後。
34. 誰かが書いていたと思うけど、「青春小説」の流れって、昭和40年代(1965~1974年)、あるいは1970年代(1970~1979年)を過渡期とすると、うまく説明できるらしくて。昭和40年代のほうがいいような気がするけど、後ろのほうは中間をとって1976, 7年でもいいと思う。
33. なんとなく言い出しにくかったんだけど、TVのニュースにもなっていた某問題集をこの前、買ってしまって(^_^;)。13日のお昼前くらいだったかな、本屋に寄ったときに。自主回収の報道が出るよりも前。もともとこの著者の参考書をわりと買っていて、『生きる』のあとの2冊も持っていたので。
33.1. 漢字というと川上弘美『いとしい』を思い出す。大塚英志もどこかで引用してい
たけど。
・
「せんせい、こないだ机の整理してたら、小学校のときの漢字のテストが出てきた」 考えあぐねていると、ミドリ子は唐突にそんなことを言う。 「おもしろかったです」 「なにが」聞くと、
(続く)
33.2. (続き)
「あのね」と始める。
「暗い夜
銀色の世界
美しい声
短所を直す
ごま油を買う
歌って歩く
小屋を作る
幸せになる」
ミドリ子はとなえた。
「え」
(続く)
33.3. (続き)
「そういう書き取りでした」
ごまあぶらをかう、うたってあるく、こやをつくる、しあわせになる、ミドリ子はささやくように繰りかえした。ささやきながら、
「せんせいまたね」と言って、スカートをひらめかせて去っていってしまう。
・
性的な表現は含まれていないけど(^_^;)。
32. 「デューク」ってTVドラマ版なら見たことがある(国語1っていつからいつまであったのかな? 「冬への順応」も国語1だっけ?)。オムニバスというかで、光原百合「十八の夏」(初出は『小説推理』2001年12月号らしい)のドラマが見たくて。
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2277/
31. 喫茶店、小池真理子(1952年生まれ)の『無伴奏』(1990)はクラシック(バロック音楽)、熊谷達也(1958年生まれ)の『モラトリアムな季節』(2010)はロック。同じ仙台市で、7年くらい違い。(あ、村上龍は1952年早生まれだから、学年は小池真理子より1つ上なのか。)
30. 以前、井上靖『北の海』を読んでいて、当時の旧制高校受験生は具体的にどんな「参考書」を使っていたのかな? と書名が気になったことがあって。中学校の学年でいえば2学年上、高見順『わが胸の底のここには』に参考書の名前が列挙されている箇所がある。引用してみる。
30.1. 「然し、――その頃、そうした耽読と同時に、受験参考書もとにかく耽読していたのだが、その参考書のひとつの、当時藤森の「考へ方」などとともに有名な南日の「英文和訳法」に、こんな英文があった(引用者註:「藤森」「南日」に傍点)。同書の三六八頁に、(続く
30.2. 続き)/The very facility of obtaining books is causing them to be less valued than once they were./巻尾の訳文を見ると「書籍が容易に得らるてふ事実こそまさしく其価値を往時よりも(続く
30.3. 続き)減じつゝあるなれ」とある。私と同年輩の当時の受験生諸君は、この訳文を見て、うたた懐旧の情に襲われるのではなかろうか。塚本の「国文解釈法」「漢文解釈法」というのもあったじゃないか(引用者註:「塚本」に傍点)。そういう諸君の声が耳に聞こえてくるようだ。(続く
30.4. 続き)では、塚本哲三先生編「諸官立学校入学試験国語問題釈義」全一冊、正価金八拾銭というのを諸君は覚えておられるか。漢文にも同じ題のものがあった。学習院教授南日恒太郎先生の受験参考書には「和文英訳法」正価金三十銭というのもあった。(続く
30.5. 続き)神田乃武先生校閲、南日恒太郎先生著「難問分類、英文詳解」正価金三十銭というのもあった。妻木忠太先生編「最新日本歴史解釈」はどうだ。故博言博士イーストレーキ先生、早稲田大学教授増田藤之助先生共編「英和比較、英文法十講」はどうだ。(続く
30.6. 続き)苦しかったが懐しい受験生生活よ。/こうした受験参考書を買うだけで手いっぱいの、否、それすら思うように買えなかった私は「書籍が容易に得らるてふ事実」からよほど遠かった。従って私が図書館から借りたり同級生から借りたりして読んだ本は、数は少くても、(続く
30.7. 続き)私にとって価値は多い読書と成った。」科目が文系に偏っているかな。理系なのは数学の藤森(良蔵)だけ。久米正雄「受験生の手記」(1918)や菊池寛『半自叙伝』に出てくる南日の『英文解釈法』は『難問分類英文詳解』が改訂されたもので、(続く
30.8. 続き)それがさらに改訂されたものが『英文和訳法』らしい。でも、『英文解釈法』も並行して売れたらしい(pp.88-9、江利川春雄『受験英語と日本人』)。
『難問分類英文詳解』1903年
『英文解釈法』1905年
『英文和訳法』1914年
29. Wikipediaにある「山川京子」のところ。なんで旧姓が田中ではなくて松本なんだろう? ↓これは田中と書かれている。
https://mainichi.jp/articles/20150830/ddl/k21/040/049000c
28. (続き)「田中嘉三郎」でネット検索してみると(著書もあるみたいだけど)、『山川弘至書簡集』 というのが出てくる(義理の息子さん?)。「西田」は住んでいた場所から?
https://shiki-cogito.net/library/ya/yamakawahiroshi-shokanshu.html
27. (続き)その家族が住んでいた)に寄宿した。/翌年1954年の7月に一家が上京、当初は練馬区関町の借家に住んでいたが、(略)」と書かれている。この叔父さん、小説「父系の指」(初出『新潮』1955年9月号)では「西田民治」という名前で出てくる。(続く)
26. Wikipediaで「松本清張」を見てみると、「1953年12月1日付で朝日新聞東京本社に転勤となり[44]、上京する。当初単身赴任となった清張は、まず杉並区荻窪の田中家(田中嘉三郎は清張の父である峯三郎の弟。嘉三郎はすでに死去していたが、(続く)
26.1. お父さん、峯三郎でなくて峯太郎だな。誰か直してあげて。
25. (続き)中野静という人、近デジで参考書が1冊読める(大正9年のもの、なぜか上巻のみ)。Googleブックスで検索してみると(著作権的な問題があるかな...、Googleブックス情報)お父さんは中野保という人で、長野で数学を教えていたらしい。親子2代で数学の先生だったようだ。
25.1. 「中野塾のあった場所と開校年が知りたい。 | レファレンス協同データベース」
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000080856
Googleブックス、よく見えないから勘違いをしてしまった(言い訳)。お父さんは数学を教えていたわけではない? 何を教えていたんだろう?
24. 某掲示板に「昭和11年の日記出て來たから一日づつ載っける」というのがあげられている。読むとこの日記の人、中野静の中野塾に通っている(ほんとは話が逆で「中野塾」などを検索したら出てきた)。その11年前かな、大正14年(1925年)に藤枝静男が通っていた名古屋の予備校。(続く)
23. 手もとにある新潮文庫『学生時代』(たぶんブックオフで購入)の奥付を見てみたら、昭和51年(1976年)の59刷だった。けっこう古いなー。「新潮文庫の(限定)復刊」全百冊のものって、古本屋で意外と(?)見かける気がする。棚に入っているとあずき色でかなり地味だけど。
22. あと『久米正雄伝』に「新潮文庫の『学生時代』は、94年に69刷が出ているが、その後、品切れとなった。」とある(p.541)。この1994年のって「新潮文庫の復刊」全百冊のうちの1冊かも。1つ前の68刷のほうが気になる。『学問ノススメ』(89-90)が出た頃には手に入ったのかな?
21. (続き)東中野に愛人でも住んでいたのだろうか。」(pp.371-2)。いたら鎌倉から通っていたのかな? 知らないけど、下落合=目白文化村、上落合=落合文士村? 尾崎は1919年に日本女子大に入学、寮が目白。昭和2年(1927年)から7年まで上落合。そこで『第七~』(昭和6)も。
20. 健吉と三五郎の比較に意味はあるかな? とりあえず共通点は上京者で予備校生、あと失恋者。小谷野敦『久米正雄伝』(2011)という厚い本に尾崎翠の名前は出てこない。でも(?)こんな箇所が。「しかし久米はこの[=昭和2年連載『青眉』の]後も、東中野に住むヒロインを使うのだが、(続く)
19. 「五月二十五日 晴/今村隆氏菊池の本の装幀の見本を持ってくる。出来思わしからず。装幀なぞ引き受けなければよかったと思う。午後塚本八洲来たる。一高の入学試験を受ける由。」ー芥川龍之介「我鬼窟日録」(1919)。義弟の家は鵠沼? 「受験生の~」(1918)は読んでいるかな?
18. 1917年、尾崎は小学校の代用教員を辞めて最初の上京。渋谷道玄坂の三兄(帝大農科在学中)のところに。そこには東京音楽学校志望の従弟もいたらしい(p.86、川崎賢子『尾崎翠 砂丘の彼方へ』)。(あ、農科は本郷じゃなくて駒場なんだよね。)
17. いま受験シーズン。受験生に「落ちる」とか「すべる」とかは禁句ーというのは、明治時代からあるのかな? それなら三五郎に気安く「丸善で『ドッペル何とか』買ってきて」とか言ってはいけない? というか、『ドッペル何とか』と勝手に略したのは本人のほうだったかも。
16. 尾崎翠『第七官界彷徨』(1931)。語り手は小野町子。2人の兄は小野一助、二助。いとこは佐田三五郎。名前だけは夏目漱石みたいだよね。小川三四郎(『三四郎』)、長井代助(『それから』)、野中宗助(『門』)。あと、長野一郎、二郎(『行人』)とか。
15. 「『坊ちゃん』と『田舎教師』は先生と生徒の関係だった!?」
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n250125 #知恵袋
15.1. 消えている(泣)
14. 『田舎教師』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000214/card1668.html
13. おととし(2014年)何かテレビで林先生(林修氏)が『田舎教師』を取りあげたらしいけれど(知らなくて見逃してしまった)、林清三(こちらも林先生)は小学校のオルガンで練習、一方(?)佐田三五郎は以前の住人が置いていった、音が狂っているピアノで練習。
12. ああもうやめたいこんなつぶやき(泣)。でもとりあえず100ツイートまではがんばろう。
11. 小説に出てくる浪人生といえば? やっぱり「ぴいくん」?(人によって違うに決まっている(^_^;))。高田崇史『試験に出るパズル』(講談社ノベルス、2004のち文庫)からの「千葉千波の事件日記」。作者は1958年生まれらしい。『ぼく勉』山田詠美(1959年早生まれ)と同学年だよね。
10. 忘れていたけど、高橋源一郎が1951年早生まれで、薫くんと同学年なんだよね。浪人はしていないけど。もちろん(?)東大は受験できず、京大に落ちて横国。高橋氏は、山田詠美が特集された『文藝』2005年秋号で、「ぼくも勉強ができない」というエッセイを書いている(pp.100-3)。
9. 「ティーンズハートの花井文体は、官能小説にもヒントを得ていた!! なーんてね。」(p.81、同書)。花井愛子は1956年生まれ。関係ないけど、川上弘美は1958年早生まれーー1学年下か。(川上「一実ちゃんのこと」はやっぱり「ローニン」と「クローニング」がかかっている?)
8. (続き)間違いなく40代以上であろう。」(p.80)。なんか引用していて苛々してくる(泣)。単純計算で2005年に40歳の人は1965年生まれ? 『天使の卵』(1994)の主人公が宇能鴻一郎の名前を知っているというのは、どうなんだろう? ちなみに、村山由佳は1964年生まれ。
7. 花井愛子『ときめきイチゴ時代』(2005)に次のような箇所が。「主語と述語のみの短文。会話多用。改行バリバリ。擬音擬態語たっぷり。体言止め。/ーーこれって......。/宇能鴻一郎センセイの、官能小説じゃんっ!!/と、ね。/いまウケてくださったかたは、(続く)
6. 庄野潤三『明夫と良二』(1972)。以前、図書館で借りて読んで、ちょっと欲しいけれど、岩波現代文庫にも講談社文芸文庫にも収録されていない(児童向けだから?)。お父さん視点の小説。確かお兄ちゃんの明夫くんが村上龍と同学年だったと思う(わからない、1年ずれているかも)。
6.1. 講談社文芸文庫から出たみたいだね。2019年2月。
5. そういえば、山田詠美編のアンソロジー『せつない話』(光文社、1989のち文庫)には、田辺聖子「恋の棺」(『ジョゼと虎と魚たち』所収、角川書店、1985のち文庫)が採録されている。年上の女性目線。
4. 『天使の卵』の文庫版(集英社文庫、1996.6)で解説を書いているのは、村上龍。確認してないけど、たいしたことは書かれていなかった覚えが。村上は2浪(一応)してムサ美。ベストセラー『限りなく透明に近いブルー』(1976)は、浪人中の(?)体験がもとになっている(要出典?)。
3. 平均するよりも、9人中5人が浪人している、とか言ったほうがよかったかも。
2. 芥川賞の現在の選考委員はみんな大学に入学している。小川・川上・堀江が0浪、島田・高樹・宮本・山田が1浪、奥泉・村上が2浪。(村上を2浪とするのはちょっとまずいかも。)平均すると、8割る9で、0.888...浪。1浪を下回っちゃうな。
1. そういえば(今ごろ思い出した)『学問ノススメ』には確か『父帰る』が出てくる。大道寺くんが口にする。(ぜんぜん関係ないけど、村山由佳『天使の卵』(1994)にはちらっと宇能鴻一郎の名前が出てくる。)