※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆訂正ありです。
*
28. 日本推理作家協会賞を『金属バット殺人事件』と同時に受賞している松山巖『乱歩と東京』の第六章の註の7で「受験競争の激化を描いた小説に久米正雄の『或る受験生の手記』(大正七年)がある。(略)」と書かれている。そういえば、角川文庫版『学生時代』の解説でも「或る」が付いていたっけな。
28.1. 「或る」ではなくて「ある」だったかな。
27. そういえば、田中康夫はたいした根拠もなく『でる単』を否定して、『700選』を薦めていたと思う(『大学受験講座』、単行本は1988年)。1956年生まれで、S台に通っていたのは1975年のようだ。(『英文解釈教室』は出ていない時期だよね。初版は1977年2月。)
27.1. 『本の雑誌』2014年7月号の「坪内祐三の読書日記」の4月18日(金)のところに「ところで、注文してあった三冊とは(略)それから伊藤和夫の『英文解釈教室』(研究社)だ。伊藤和夫は駿台予備校の名物講師で、ちょうどこの本が刊行された年(昭和52年)に私も同予備校に(続く)
27.2. (続き)入学したから、当然この参考書を購入した(はず)と思うが、当時の私はこの本の凄さをまったく理解出来なかっただろう。なにしろ伊藤和夫は一高東大を通じてあのマサオ・ミヨシと同級で大親友だったのだから。」と書かれている(p.85)。(続く)
27.3. (続き)自分を何かすごいものに結びつけないではいられない心理(?)というのは、なんだろう、若い頃の自分を見せられているようで、ちょっと嫌です(泣)。伊藤和夫がすごいのはマサオ・ミヨシと知り合いだったから? この人、おそらくいま読んでも理解できないのではないかと思われる。
27.4. 入不二基義『足の裏に影はあるか?ないか?』(朝日出版社、2009)所収の「Memoranda 1991-1992」のうちの1つ「受験勉強のための装置」は必読かも。予備校の上位クラスにしか通じない話かもしれないけど。(著者は1958年生まれだけど、S台に通っていたのは1978年?)
26. あ、通読した覚えはないけれど、もしかしたら『僕の青春放浪』は持っているかも。頭の中にある、医学部志望とか上京して予備校とか、この本からの得た情報かもしれない。すっかり忘れていた(^_^;)。
25. 何か書いていると連想的にあれこれと思い出してくるけれど、どうも時代的には大正半ば(大正7年)、昭和30年、1970年、1980年、1990年の5つの年前後を繰り返しうろうろしてしまう(泣)。(あと、明治37, 8年前後もかな。)
24. 頭の中でどうも猪瀬直樹と田中康夫がごっちゃになってしまって(汗)。どちらかでも2、3冊くらい読んだことがあれば、区別ができるんだけど。私の場合。(猪瀬直樹は1946年生まれ。高校卒業後、1浪。もともと医学部志望で上京して予備校。あ、中上健次や宮本輝と同じ歳?)
23. 浅田次郎は1951年生まれらしいけど、小説ではよく年齢を1つ上に上げている?(なんでだろう?)。高校卒業後、いちおう浪人はしているんだよね(でも、自衛隊に)。1952年生まれの小池真理子も『無伴奏』では年齢を1つ上にあげているんだっけ。1969年に高校3年生。
(追記)浅田次郎『獅子吼』所収の「うきよご」に関連して。
22. 高須智士「見知らぬ街を歩いた記憶」( 『三田文学』1996年春季号→『君を、愛している』1997に)。たしか両親が薫くんと同じ歳と書かれていたと思う。三田文学新人賞佳作。伊井直行と室井光広がいるらしい選考座談会が気になる。
http://mitabungaku.jp/backnumber45.html
21. 安久昭男『悲しいことなどないけれどさもしいことならどっこいあるさ』(龜鳴屋、2015.1)に収録されているらしい「んー My Sweet Lord」(初出『早稲田文学』1983年2月号)の主人公は予備校生? (グーグルブックスで『文学界』の文芸時評?がかかるけど、よく見えない。)
20. 金鶴泳は1浪して(上京して予備校)東大。吉永哲郎『六月の風・十七歳の文学誌』(2006)で少し引かれているけど、この本によれば浪人中に書かれたメモが残されているらしい。1938年生まれだから、もし1冊の本として出版されていれば、時代的に『受験番号5111』と『受験期』の間。
19. RT>波多野勤子・波多野文彦『受験期』(ポケット文春、1965)。浪人生研究(何それ?)の貴重な資料? 大塚のM予備校。(長男の『少年期』(1951)と比べてぜんぜん売れなかったのかな?)
18. うろ覚えだけど、『マイクロ・エシックス』(昭和堂、1993.9)という本で、「予備校」という項目を確か熊野純彦(哲学・倫理学)が担当していて。映画『ダイアモンドは~』(1982.5)では生徒役だった田中美佐子がTVドラマ『予備校ブギ』(1990.4-6)では先生役に。(続く)
18.1. (続き)その間(1982年~1990年)が「予備校ブーム」だったと言えるかもしれない、みたいなことを書いていたと思う。面白いけど、個人的には「予備校」だけじゃないので...。1976, 7年~1994年くらいでいいような気が。でも、後のほうは1994年ではちょっと遅いかな。
18.2. 『予備校ブギ』(1990)で生徒の1人だった織田裕二が先生になる『奇跡の教室』は2014年6月28日放送だったようだ(単発ドラマ、日本テレビ)。24年? (関係ないけど、『東京ラブストーリー』で医学部中退の江口洋介は、のちに『白い巨塔』で名内科医に。無免許の疑いがある。)
18.3. 本を処分してしまった気もしていたけど、この前ひょっこり出てきたので、引用しておきます。4ページのエッセイで、下に注の欄があってそこ(注の1の途中, pp. 174–5)。
18.4. 「一九八二年、『ダイヤモンドは傷つかない』(藤田敏八監督)が登場、その映画のなかで予備校講師に憧れる女学生を演じた田中美佐子が、一九九一年には予備校教師をテレビ・ドラマで演じている(『予備校ブギ』)。この間の十年が、いわゆる「予備校ブーム」であったといえるかも知れない。」
18.5. Wikipediaの「三石由起子」のところ、「1983年藤田敏八によって映画化され」と書かれているけど、1982年だよね。最近、なぜかWikipediaに惑わされることが(泣)。(1983年で合ってるのかもしれないけど、もし間違っているようなら、誰か直してあげて。)
17. 「15年ほど前に読んだSF小説(日本の)を探しています。」
http://okwave.jp/qa/q3819841.html
面白そう。読んでみたい。数年前に読んでよく覚えていないけど、浪人、おじさん、女子高生というだけなら、飛火野耀『UFOと猫とゲームの規則』(1991)に似ている。
16. 以前、四方田犬彦『ハイスクール1968』(2004)を読んでいて「誰?」と思った(けれど、そのまま調べることもなかった)芥川賞候補作家が、S台の飯田康夫師のブログを読んでいたらわかった。今ごろになって(^_^;)。
http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/52156171.html
16.1. (続き)「現代国語の担当教師は噂によると、井上靖と同じ年度に芥川賞を争ったという元文学青年で、予備校の売店には彼が自費出版したという短編小説集が他の受験参考書とともに売られていた。もっとも予備校生のなかでそれを手にとって見る者はいないようで、気の毒なことに(続く)
16.2. (続き)何冊も積まれたその書物の一番上のものは、表紙がすっかり色褪せて捲れあがっていた。この教師はひどく神経質な印象をわたしに与えた。」ー四方田犬彦『ハイスクール1968』(pp.223-4、単行本)。この著者の見方かもしれないけど、せつないな(泣)。自費出版という辺りとか。
15. 伊藤伸平『はるかリフレイン』というマンガ。もともと1997年度に進研ゼミ『高1チャレンジ』で連載されていたものらしい。学年誌の『高1コース』(学研)も『高一時代』(旺文社)もすでになくなっている時代だから、その当時の高校1年生向け、というのは貴重かも。
14. 名作なんでは?とは思うけど、内容的に人に勧めにくい気がする、小檜山博『地吹雪』(1980.8)。主人公が同じもの2編。初出は表題作が『文藝』1980年10月号、もう1編の「雪虫」が同誌1982年2月号。働きながら夜、予備校。(作者、庄司薫と誕生日が近いな。4日違い。)
13. 赤川次郎「駈け落ちは死体とともに」の初出は『週刊プレイボーイ』1979年3月13日号。(西村京太郎「受験地獄」『週刊小説』1979年3月30日号よりも早い。)あと、式貴士「窓鴉」の初出は『奇想天外』1979年4月号。(どちらが先かよりも、この時期多いということのほうが大事かも。)
12. 西村京太郎「受験地獄」の初出は『週刊小説』1979年3月30日号らしい。時事問題を取り込んだとかなのかな? これを原作とした最初のテレビドラマ版(『火曜サスペンス劇場』)は1982年1月12日に放送されたらしい(Wikipedia情報)。この年の共通一次直前くらい?
11. 『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』(1980.1)の初出は『すばる』1979年12月号。/Wikipediaの「松原好之」(1952年生)のところに「2000年に、蛍雪アルシェ(旺文社)に小説「再生不良性貧血」連載。」とあるけど、たぶん1998年(4月号~翌年2月号)。
10. 『遙かな坂』の初出は『サンデー毎日』1978年6月4日~翌年6月10日? Wikipediaの「夏樹静子」のところに「遥かな坂(1979年4月 毎日新聞社【上・下】 /(略)」とあるけど、下巻は6月のようだ。(6月1日らしいけど、連載の最後のへんよりも先になっちゃうのか。)
9. 以前ネットで小峰元のことを調べていて、ちょっと気になったんだけど、ウィキペディアの「司馬遼太郎」のところに「2年上に庄野潤三」とあるけれど、3年上かもしれない。大阪外国語学校に庄野は1939年入学、1941年12月卒業。司馬は1942年4月入学。そもそも同時に在学はしてないかも。
8. この前ちょっと気になって。ウィキペディアの「安岡章太郎」の「著書」のところに「『青葉しげれる』新潮社 1959 のち旺文社文庫」とあるけれど、単行本と文庫とでは収録作が違うので、ちょっと注意というか。(便利だけど、「のち」という書き方ってどうなんだろう?)単行本の収録作は(続く)
8.1. (続き)「青葉しげれる」「一年後」「相も変らず」「もぐらの手袋」「美しい瞳」「顔の責任」「茶色の馬」「緑色の豚」「鼻の中の目覚時計」。旺文社文庫版は最初の3作までは同じで、「むし暑い朝」「吟遊詩人」「秘密」「キリザンショ」「われらの隣人」。
7. 「直木賞のすべて」によると、第61回直木賞候補の利根川裕「B少年の弁明」(『中央公論』1969年6月号)の語り手(「ぼく」)は予備校生らしい。ちょっと気になる。掲載誌の『中央公論』もちょっと気になる。前月号(5月号)には『赤頭巾ちゃん~』。
6. 『ただいま浪人』(単行本は講談社、1972)の初出は『東京新聞』1970年11月28日~1971年10月28日。(と、私のメモには書いてあったんだけど、何を見たんだろう?(^_^;)。間違っているかもm(__)m。)とりあえず『赤頭巾ちゃん~』(1969)よりはあとだね。
5. うろ覚えだけど(一応、大学生のときに読んだ)池田由子・矢花芙美子『大学浪人の心理と病理』(金剛出版、1982.5)で、確か「東大信仰」という文脈で取り上げられていた小説は、遠藤周作『ただいま浪人』(1972)と城山三郎『今日は再び来らず』(1977)。
4. 佐瀬稔『金属バット殺人事件』(1984)の「第五章 浪人」はなんと(?)学校群制度の話から始まっている。私立高校のチャンスでもあり、生徒獲得のためには、ペン or バット?(有名大学への進学率(合格者数?)か甲子園出場か)みたいな。この学校はペンのほうで、(続く)
4.1. (続き)部活もなかったらしく、少年(逮捕時すでに20歳だけど)は仲間たちと学校で朝、草野球をしていたらしい。それはそれとして、著者は取材をしている(当たり前か)。「卒業生の一人が語る。/「ぼくがあの高校に入ったのは、昭和五十三年ですが(略)」」。(続く)
4.2. (続き)2学年下の卒業生。だから(?)当時、その高校がどういう所だったかを知るには、小谷野敦「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」(『童貞放浪記』幻冬舎、2008のち文庫)も併せて読むといいかも。(個人的にはこの小説のほうを先に読んだのだけど。)(続く)
4.3. (続き)「第六章 殺意」の冒頭は、2浪中のS台生から聞いた話。あと、参考文献にある『大学浪人の心理と病理』(1982.5)の著者に話を聞いている。ほとんどYゼミ系の本かな? (『受験生、こころの参考書』(1992)はS台系の本。あ、予備校がどこかはあまり関係ないだろうけど。)
3. 高橋留美子『めぞん一刻』の連載開始は『ビッグコミックスピリッツ』1980年11月号(創刊号)らしい。月刊誌で、だから五代くん(1浪)が浪人生なのはたった5ヶ月(5話)だけ? いわゆる金属バット殺人事件(こちらは2浪)が起こるのは、同年11月の末。『めぞん一刻』のほうが早い。
3.1. なんとなく11月の最後の日と覚えていたんだけど、30日ではなくて29日(の朝未明)らしい。ウィキペディアでは「神奈川金属バット両親殺害事件」として立項されている。(月刊誌の11月号はたぶん10月発売だから、前後関係は大丈夫だと思う。)
2. そういえば、SKYでいうと小説にS台生やYゼミ生はわりと出てくる気がするけど、K塾生は比較的少ない気が。『遙かな坂』の参考文献には「河合塾諸資料」というのが。あと、高校3年生だけど(どんな小説でもよければ)桜井亜美『alones』(2000)が千駄ヶ谷の予備校だったと思う。
1. 共通一次の開始は1979年。浪人生の場合、1978年の入試で受かっていれば...という感じだったかも。小説では、夏樹静子『遙かな坂』(1979)の息子が。あと、あまり描かれていないけど、鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』(2011)の予備校生部分が1978年度(京都の寮)。
1.1. 『めぞん一刻』は1981年の共通一次を受けている(第1巻)。『冬物語』(作中にちらっと『めぞん一刻』が)は2浪していて、共通一次とセンター(新テスト)の両方だったかな? 小説『学問ノススメ』は作者があとがきで入試制度は自分で作った、と書いていたと思う。ころころ変わるから、と。
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28. 日本推理作家協会賞を『金属バット殺人事件』と同時に受賞している松山巖『乱歩と東京』の第六章の註の7で「受験競争の激化を描いた小説に久米正雄の『或る受験生の手記』(大正七年)がある。(略)」と書かれている。そういえば、角川文庫版『学生時代』の解説でも「或る」が付いていたっけな。
28.1. 「或る」ではなくて「ある」だったかな。
27. そういえば、田中康夫はたいした根拠もなく『でる単』を否定して、『700選』を薦めていたと思う(『大学受験講座』、単行本は1988年)。1956年生まれで、S台に通っていたのは1975年のようだ。(『英文解釈教室』は出ていない時期だよね。初版は1977年2月。)
27.1. 『本の雑誌』2014年7月号の「坪内祐三の読書日記」の4月18日(金)のところに「ところで、注文してあった三冊とは(略)それから伊藤和夫の『英文解釈教室』(研究社)だ。伊藤和夫は駿台予備校の名物講師で、ちょうどこの本が刊行された年(昭和52年)に私も同予備校に(続く)
27.2. (続き)入学したから、当然この参考書を購入した(はず)と思うが、当時の私はこの本の凄さをまったく理解出来なかっただろう。なにしろ伊藤和夫は一高東大を通じてあのマサオ・ミヨシと同級で大親友だったのだから。」と書かれている(p.85)。(続く)
27.3. (続き)自分を何かすごいものに結びつけないではいられない心理(?)というのは、なんだろう、若い頃の自分を見せられているようで、ちょっと嫌です(泣)。伊藤和夫がすごいのはマサオ・ミヨシと知り合いだったから? この人、おそらくいま読んでも理解できないのではないかと思われる。
27.4. 入不二基義『足の裏に影はあるか?ないか?』(朝日出版社、2009)所収の「Memoranda 1991-1992」のうちの1つ「受験勉強のための装置」は必読かも。予備校の上位クラスにしか通じない話かもしれないけど。(著者は1958年生まれだけど、S台に通っていたのは1978年?)
26. あ、通読した覚えはないけれど、もしかしたら『僕の青春放浪』は持っているかも。頭の中にある、医学部志望とか上京して予備校とか、この本からの得た情報かもしれない。すっかり忘れていた(^_^;)。
25. 何か書いていると連想的にあれこれと思い出してくるけれど、どうも時代的には大正半ば(大正7年)、昭和30年、1970年、1980年、1990年の5つの年前後を繰り返しうろうろしてしまう(泣)。(あと、明治37, 8年前後もかな。)
24. 頭の中でどうも猪瀬直樹と田中康夫がごっちゃになってしまって(汗)。どちらかでも2、3冊くらい読んだことがあれば、区別ができるんだけど。私の場合。(猪瀬直樹は1946年生まれ。高校卒業後、1浪。もともと医学部志望で上京して予備校。あ、中上健次や宮本輝と同じ歳?)
23. 浅田次郎は1951年生まれらしいけど、小説ではよく年齢を1つ上に上げている?(なんでだろう?)。高校卒業後、いちおう浪人はしているんだよね(でも、自衛隊に)。1952年生まれの小池真理子も『無伴奏』では年齢を1つ上にあげているんだっけ。1969年に高校3年生。
(追記)浅田次郎『獅子吼』所収の「うきよご」に関連して。
22. 高須智士「見知らぬ街を歩いた記憶」( 『三田文学』1996年春季号→『君を、愛している』1997に)。たしか両親が薫くんと同じ歳と書かれていたと思う。三田文学新人賞佳作。伊井直行と室井光広がいるらしい選考座談会が気になる。
http://mitabungaku.jp/backnumber45.html
21. 安久昭男『悲しいことなどないけれどさもしいことならどっこいあるさ』(龜鳴屋、2015.1)に収録されているらしい「んー My Sweet Lord」(初出『早稲田文学』1983年2月号)の主人公は予備校生? (グーグルブックスで『文学界』の文芸時評?がかかるけど、よく見えない。)
20. 金鶴泳は1浪して(上京して予備校)東大。吉永哲郎『六月の風・十七歳の文学誌』(2006)で少し引かれているけど、この本によれば浪人中に書かれたメモが残されているらしい。1938年生まれだから、もし1冊の本として出版されていれば、時代的に『受験番号5111』と『受験期』の間。
19. RT>波多野勤子・波多野文彦『受験期』(ポケット文春、1965)。浪人生研究(何それ?)の貴重な資料? 大塚のM予備校。(長男の『少年期』(1951)と比べてぜんぜん売れなかったのかな?)
18. うろ覚えだけど、『マイクロ・エシックス』(昭和堂、1993.9)という本で、「予備校」という項目を確か熊野純彦(哲学・倫理学)が担当していて。映画『ダイアモンドは~』(1982.5)では生徒役だった田中美佐子がTVドラマ『予備校ブギ』(1990.4-6)では先生役に。(続く)
18.1. (続き)その間(1982年~1990年)が「予備校ブーム」だったと言えるかもしれない、みたいなことを書いていたと思う。面白いけど、個人的には「予備校」だけじゃないので...。1976, 7年~1994年くらいでいいような気が。でも、後のほうは1994年ではちょっと遅いかな。
18.2. 『予備校ブギ』(1990)で生徒の1人だった織田裕二が先生になる『奇跡の教室』は2014年6月28日放送だったようだ(単発ドラマ、日本テレビ)。24年? (関係ないけど、『東京ラブストーリー』で医学部中退の江口洋介は、のちに『白い巨塔』で名内科医に。無免許の疑いがある。)
18.3. 本を処分してしまった気もしていたけど、この前ひょっこり出てきたので、引用しておきます。4ページのエッセイで、下に注の欄があってそこ(注の1の途中, pp. 174–5)。
18.4. 「一九八二年、『ダイヤモンドは傷つかない』(藤田敏八監督)が登場、その映画のなかで予備校講師に憧れる女学生を演じた田中美佐子が、一九九一年には予備校教師をテレビ・ドラマで演じている(『予備校ブギ』)。この間の十年が、いわゆる「予備校ブーム」であったといえるかも知れない。」
18.5. Wikipediaの「三石由起子」のところ、「1983年藤田敏八によって映画化され」と書かれているけど、1982年だよね。最近、なぜかWikipediaに惑わされることが(泣)。(1983年で合ってるのかもしれないけど、もし間違っているようなら、誰か直してあげて。)
17. 「15年ほど前に読んだSF小説(日本の)を探しています。」
http://okwave.jp/qa/q3819841.html
面白そう。読んでみたい。数年前に読んでよく覚えていないけど、浪人、おじさん、女子高生というだけなら、飛火野耀『UFOと猫とゲームの規則』(1991)に似ている。
16. 以前、四方田犬彦『ハイスクール1968』(2004)を読んでいて「誰?」と思った(けれど、そのまま調べることもなかった)芥川賞候補作家が、S台の飯田康夫師のブログを読んでいたらわかった。今ごろになって(^_^;)。
http://blog.livedoor.jp/eg_daw_jaw/archives/52156171.html
16.1. (続き)「現代国語の担当教師は噂によると、井上靖と同じ年度に芥川賞を争ったという元文学青年で、予備校の売店には彼が自費出版したという短編小説集が他の受験参考書とともに売られていた。もっとも予備校生のなかでそれを手にとって見る者はいないようで、気の毒なことに(続く)
16.2. (続き)何冊も積まれたその書物の一番上のものは、表紙がすっかり色褪せて捲れあがっていた。この教師はひどく神経質な印象をわたしに与えた。」ー四方田犬彦『ハイスクール1968』(pp.223-4、単行本)。この著者の見方かもしれないけど、せつないな(泣)。自費出版という辺りとか。
15. 伊藤伸平『はるかリフレイン』というマンガ。もともと1997年度に進研ゼミ『高1チャレンジ』で連載されていたものらしい。学年誌の『高1コース』(学研)も『高一時代』(旺文社)もすでになくなっている時代だから、その当時の高校1年生向け、というのは貴重かも。
14. 名作なんでは?とは思うけど、内容的に人に勧めにくい気がする、小檜山博『地吹雪』(1980.8)。主人公が同じもの2編。初出は表題作が『文藝』1980年10月号、もう1編の「雪虫」が同誌1982年2月号。働きながら夜、予備校。(作者、庄司薫と誕生日が近いな。4日違い。)
13. 赤川次郎「駈け落ちは死体とともに」の初出は『週刊プレイボーイ』1979年3月13日号。(西村京太郎「受験地獄」『週刊小説』1979年3月30日号よりも早い。)あと、式貴士「窓鴉」の初出は『奇想天外』1979年4月号。(どちらが先かよりも、この時期多いということのほうが大事かも。)
12. 西村京太郎「受験地獄」の初出は『週刊小説』1979年3月30日号らしい。時事問題を取り込んだとかなのかな? これを原作とした最初のテレビドラマ版(『火曜サスペンス劇場』)は1982年1月12日に放送されたらしい(Wikipedia情報)。この年の共通一次直前くらい?
11. 『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』(1980.1)の初出は『すばる』1979年12月号。/Wikipediaの「松原好之」(1952年生)のところに「2000年に、蛍雪アルシェ(旺文社)に小説「再生不良性貧血」連載。」とあるけど、たぶん1998年(4月号~翌年2月号)。
10. 『遙かな坂』の初出は『サンデー毎日』1978年6月4日~翌年6月10日? Wikipediaの「夏樹静子」のところに「遥かな坂(1979年4月 毎日新聞社【上・下】 /(略)」とあるけど、下巻は6月のようだ。(6月1日らしいけど、連載の最後のへんよりも先になっちゃうのか。)
9. 以前ネットで小峰元のことを調べていて、ちょっと気になったんだけど、ウィキペディアの「司馬遼太郎」のところに「2年上に庄野潤三」とあるけれど、3年上かもしれない。大阪外国語学校に庄野は1939年入学、1941年12月卒業。司馬は1942年4月入学。そもそも同時に在学はしてないかも。
8. この前ちょっと気になって。ウィキペディアの「安岡章太郎」の「著書」のところに「『青葉しげれる』新潮社 1959 のち旺文社文庫」とあるけれど、単行本と文庫とでは収録作が違うので、ちょっと注意というか。(便利だけど、「のち」という書き方ってどうなんだろう?)単行本の収録作は(続く)
8.1. (続き)「青葉しげれる」「一年後」「相も変らず」「もぐらの手袋」「美しい瞳」「顔の責任」「茶色の馬」「緑色の豚」「鼻の中の目覚時計」。旺文社文庫版は最初の3作までは同じで、「むし暑い朝」「吟遊詩人」「秘密」「キリザンショ」「われらの隣人」。
7. 「直木賞のすべて」によると、第61回直木賞候補の利根川裕「B少年の弁明」(『中央公論』1969年6月号)の語り手(「ぼく」)は予備校生らしい。ちょっと気になる。掲載誌の『中央公論』もちょっと気になる。前月号(5月号)には『赤頭巾ちゃん~』。
6. 『ただいま浪人』(単行本は講談社、1972)の初出は『東京新聞』1970年11月28日~1971年10月28日。(と、私のメモには書いてあったんだけど、何を見たんだろう?(^_^;)。間違っているかもm(__)m。)とりあえず『赤頭巾ちゃん~』(1969)よりはあとだね。
5. うろ覚えだけど(一応、大学生のときに読んだ)池田由子・矢花芙美子『大学浪人の心理と病理』(金剛出版、1982.5)で、確か「東大信仰」という文脈で取り上げられていた小説は、遠藤周作『ただいま浪人』(1972)と城山三郎『今日は再び来らず』(1977)。
4. 佐瀬稔『金属バット殺人事件』(1984)の「第五章 浪人」はなんと(?)学校群制度の話から始まっている。私立高校のチャンスでもあり、生徒獲得のためには、ペン or バット?(有名大学への進学率(合格者数?)か甲子園出場か)みたいな。この学校はペンのほうで、(続く)
4.1. (続き)部活もなかったらしく、少年(逮捕時すでに20歳だけど)は仲間たちと学校で朝、草野球をしていたらしい。それはそれとして、著者は取材をしている(当たり前か)。「卒業生の一人が語る。/「ぼくがあの高校に入ったのは、昭和五十三年ですが(略)」」。(続く)
4.2. (続き)2学年下の卒業生。だから(?)当時、その高校がどういう所だったかを知るには、小谷野敦「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」(『童貞放浪記』幻冬舎、2008のち文庫)も併せて読むといいかも。(個人的にはこの小説のほうを先に読んだのだけど。)(続く)
4.3. (続き)「第六章 殺意」の冒頭は、2浪中のS台生から聞いた話。あと、参考文献にある『大学浪人の心理と病理』(1982.5)の著者に話を聞いている。ほとんどYゼミ系の本かな? (『受験生、こころの参考書』(1992)はS台系の本。あ、予備校がどこかはあまり関係ないだろうけど。)
3. 高橋留美子『めぞん一刻』の連載開始は『ビッグコミックスピリッツ』1980年11月号(創刊号)らしい。月刊誌で、だから五代くん(1浪)が浪人生なのはたった5ヶ月(5話)だけ? いわゆる金属バット殺人事件(こちらは2浪)が起こるのは、同年11月の末。『めぞん一刻』のほうが早い。
3.1. なんとなく11月の最後の日と覚えていたんだけど、30日ではなくて29日(の朝未明)らしい。ウィキペディアでは「神奈川金属バット両親殺害事件」として立項されている。(月刊誌の11月号はたぶん10月発売だから、前後関係は大丈夫だと思う。)
2. そういえば、SKYでいうと小説にS台生やYゼミ生はわりと出てくる気がするけど、K塾生は比較的少ない気が。『遙かな坂』の参考文献には「河合塾諸資料」というのが。あと、高校3年生だけど(どんな小説でもよければ)桜井亜美『alones』(2000)が千駄ヶ谷の予備校だったと思う。
1. 共通一次の開始は1979年。浪人生の場合、1978年の入試で受かっていれば...という感じだったかも。小説では、夏樹静子『遙かな坂』(1979)の息子が。あと、あまり描かれていないけど、鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』(2011)の予備校生部分が1978年度(京都の寮)。
1.1. 『めぞん一刻』は1981年の共通一次を受けている(第1巻)。『冬物語』(作中にちらっと『めぞん一刻』が)は2浪していて、共通一次とセンター(新テスト)の両方だったかな? 小説『学問ノススメ』は作者があとがきで入試制度は自分で作った、と書いていたと思う。ころころ変わるから、と。