電撃文庫、2012.2。ちょっと小粒な感じ? でも、ふつうに面白かったです。思うに、高校の図書館に置いておくといいような小説かも。あれば進路相談(進路指導)室でもいいかな。あ、でも、読むなら1、2年生くらいのうちに読んだほうがいいかと思う。3年になってからでは、いろいろと間に合わなくなっているかもしれないから。――高校3年の夏休みあけ、「俺」(=桜井真人)が進路希望調査書を前にして、推薦or受験で悩んでいると、推薦を選んだ場合の未来の“俺”と受験を選んだ場合の未来の“俺”が現われて――2人とも24歳な6年後の俺なのだけれど、大学デビューに成功した(女の子と十分遊んだりした)、でも現在は派遣切りにあって…というチャラ男な『推薦』は、受験のほうを勧め、それに対して1浪していい大学に入ったものの、彼女がいない(大学も理系で女子が少なかった)というガリ勉な『受験』は、推薦のほうを勧め……みたいな捻れた(?)話を聞かされて、「俺」は進路をどうするのか? という悩ましい状況に。一方、学校では同じく進路に迷っていたことがきっかけで、言葉を交わすようになったクラスメイトの『氷の女王』こと高瀬涼を、「俺」はクラスに溶け込めるように工夫するというか、応援するというか…みたいな話も。

設定としてはどうなのかな? 自分の部屋で何か悩んだりしていて、突然アンビリーバボーな(?)存在がやって来てしまうのは、たぶんフィクションではお約束だし(とか言いつつ、いま『ドラえもん』しか思い浮かんでいない(汗))、無骨な(?)敬語しゃべり、ロボットしゃべりする女の子(この小説では、高瀬さんの家は道場)を、1人称な男の子が手助けする…みたいな話も、ライトノベルでは多い気がするし(とか言いつつ、いま1作も思い浮かんでいない(涙))。あと、そう、未来人な「俺」は、「俺」にしか見えていない――というのは、設定的には、「俺」(たち)以外に人にとっては、未来組は透明人間と同じ? この小説では、銭湯の女風呂をのぞきに行ったり…みたいなベタで下品な(?)まねはしていないけれど。というか、相手に見えないので外に出かけると、車に轢かれるのが怖いらしい(妙に納得)。

で、どうなのかな、高校卒業後の進路…。読み始めてすぐに(最初のうちは)自分なら24歳で定職に就いているほうがいいな、と思ったけれど。30歳くらいでモテ期が到来するかもしれないし(40歳かもしれないし、60歳かもしれないし、死んでからかもしれないけれど)、仕事が忙しいならお金を貯めてからどこかに転職(あるいは何か企業)するという手もあるだろうし。というか、むしろ24歳の“俺”ではなくて60歳くらいの自分が10人くらい来てほしいやね(汗)。そう、「俺」は高校に入学以来、彼女がいないどころか、<女子と楽しく遊んだりした記憶すらない>(p.10)と語っているけれど、明るくて人気者のクラスメイト・寿ゆかりとは仲がいいわけだし、それならいままでに楽しく遊べる異性の友だちくらい、作ろうと思えば簡単に作れたのではないか、と思える(そんなこともない?)。

あと(これは書いておかないと)『受験』によって、過去の(といっても5年前の)浪人中の話(仮に受験を選択した場合の「俺」の<未来黒歴史>の序盤)も少し語られている(p.22)。両親や同級生に気を使われたり、先に大学生になった友人たちが楽しそうに見えたり、……ま、小説と現実とを問わず、よくある話かな。ちょっとネタバレしてしまうけれど、高3の「俺」はなんだかんだで(?)結局、勉強をし始めていて、そういう意味では“受験生小説”としても読めるかと思う、この小説。そう(だいぶネタバレしてしまうかな)試験を受けるのに、受験票だけでなく学生証も失くしてしまったら、例えば保険証でもいいのでは? …あ、写真が付いていないとダメなのかな? 高校生でも原付バイクの免許を持っている人もいる…だろうけれど、少数派か。どうすればいいの? とりあえず、大学(試験会場)か高校にすぐに電話して、事情を説明したほうがいいかも。(そういえば――個人的な思い出ばなしです、昔、浪人中に模擬テストを受けていたとき、かなり困ったことが生じて、前にいた問題を配布したりしていた人に、これこれで…みたいに事情を話して、ガン無視されたことがある。その人ひとりしかいなくて、結局、諦めてそのまま帰宅したけれど。世の中には目の前にあるトラブルですらなかったことにしたい、責任をとりたくない大人が多いので、いたいけな若者の方々は要注意です。そういう問題じゃないか(汗)。)

どうでもいいけれど、タイトルに使われているような、話者の「俺」を含まない「俺ら」という言葉は、言語学的に(日本語学的に)ちょっと面白い? あ、でも、SF設定の時点で、自然言語(日常言語)ではなくなってしまうか。
 
双葉社、2012.3。夢は画家、でも予備校での勉強(?)に身が入らなくなっている美大志望の浪人生・瀬尾大介。バイクの事故で入院中の姉・奈留(なる)に代わって、彼女の職場「フォーチュン・ハウス」(@新宿の雑居ビル)でタロット占いをすることに。売り上げナンバー1の姉=ルーナの妹、エメリアとして。女装をさせられて。するとそこに見覚えのある会社員・樟(ゆずり)由美が客として現われて…。占ってほしいのは、最近、告白されたという「彼」とどう付き合えばいいか、みたいなことで――。まだ9ヶ月も残っているけれど、早くも今年(=2012年)のワースト・ワンが出てしまったかも(涙)。もちろんオレ基準というか「※個人の意見です」だし、文章の駄目さかげんとか(ご覧のとおり)人のことは言えないけれど。とりあえず、この小説を読まれたほかの方の感想がとても知りたいな、いま。
 
講談社X文庫ティーンズハート、1992(※今回も以下いちおうネタバレ注意です)。シリーズ13作目らしいけれど、私は手前の巻をまったく読んでいないです。面白かったというか、ちょっと感傷的で、せつなさもあるけれど、ユーモアもあって…みたいな感じの小説(毎度、下手な説明だな(涙))。そもそもこの小説のような、ちょっと可愛らしい系の“浪人生小説”じたい世の中にあまりないので(そんなこともない?)けっこう貴重だと思う。浪人=ザ・男の世界だからね(1990年代、もうそれほどでもないか)。――いまだによくわからないけれど、千晶・浪人生編は次の4冊でいい?

  『悲しみがいっぱい』 13作目(13冊目)
  『恋愛国の恋愛姫』 15作目(16冊目)
  『抱きしめてエンジェル』 16作目(17冊目)
  『素顔にKISSして』 17作目(18冊目)

手前の『五月物語』(11作目)と『五月日記』(12作目)もだけれど、なぜか『恋愛国の恋愛姫』が売っていなくて…(あ、いや、どこかネット古書店で買えば買えるのかもしれないけれど)。このシリーズ、たぶんいま合計で10冊ちょっと持っていると思うけれど(ばらばらに置いてあるので、1ヶ所に集めてみないとわからないけれど)、それで半分くらい? もう集めるのがめんどくさいから(ネットで買うのも)、誰か復刊してくれないかな(涙)。そういえば、森奈津子や折原みとには復刊(再刊)されているものがあるよね? ――それはそれとして、本巻(13作目)について。

 <すべては、あたしの橙林学院大学受験の失敗から始まったの。/あたしと一緒に受験したホシオは、補欠だけど合格してた。エイリアンのくせに。/あたしの名前は、百武千晶。18歳の乙女。/ホシオと同じ大学に行くために。/あたし、決めたの。浪人。/1年間の、孤独な地下生活。/暇なし、娯楽なし。/たしかに、辛そうな気がする。/いや、辛くないわけがない……。>(表紙カバー折り返しより)

この<孤独な地下生活>(本文ではp.28)という言葉、ちょっといいな(汗)。<穴熊生活>と書かれている小説も読んだことがあるけれど。それはともかく、ホシオと合格発表を見に来た「あたし」は結局、掲示板に自分の受験番号が見当たらなくて、涙をこぼしている。で、受かっていた滑りどめの3流大(ホシオいわく2流半)を蹴って、橙林志望の浪人生に。――カップルで大学に合格発表を見に行く、というのは意外と小説では見かけない場面かな…(そんなこともないか、けっこう描かれているかも)。あと、落ちているのがわかってシンプルに(?)泣く、というのも(現役受験、浪人受験問わず)小説ではあまり見かけないような…?(最近記憶力がなくて、何かあれこれすっかり忘れている気もするけれど。男の子よりも、泣きやすい女の子のほうが落ちにくい、というのもあるかもしれない)。というか、今日も細かく書きすぎているかな(汗)。

そのあと描かれているのは、高校の卒業式(式じたいは退屈なものらしいけれど)や、通い始める予備校(意外な人物がいたり)など。面白いのは…というか、タイトルにも関係するところだけれど、友達のマキ(=坂本真希、某短大の家政科に)がガラス製の青い小瓶をくれて、悲しいことがあったらビーズを1個ずつ入れてね、みたいな…。読んでいてなんじゃそりゃ? とは思ったけれど、意外といい感じです(汗)。浪人生活は悲しいことだらけ…なのか? でも、浪人生活(勉強生活)自体も悲しいのかもしれないけれど、やっぱり想いを寄せる相手=ホシオがらみでもっと悲しいことが…。ホシオくんが大学でケバい感じの大学生(「六本木女」)に言い寄られてるのを、ESPなるもので察知した「あたし」は橙林に乗り込んでいって(?)。ネタバレしてしまうけれど、“浪人生小説”のお約束=“変身”“変装”みたいなことに。ホシオのほうも(その六本木さん以外の)ある女性のことが好きになって…、主役の2人の関係に危機が――みたいなことに。ま、とりあえず“恋愛小説”な感じ?(ほとんど読んだことがないんだけれど、少女漫画っぽいのかな?)。

ほかに浪人がらみの箇所では、頭がいいというか、実力はあったのに落ちてしまったらしい谷口くんの言っていることが、ちょっとよかったかな(pp.94-8)。季節は、えーと、作中の最後は、6月にまだなっていないくらい?
 
角川スニーカー文庫、1998。たぶん5年くらい前に古本で買ったものだけれど、電撃文庫から再刊もされている? どんなシリーズなのか事前情報なしで、いきなりこの巻を読んでみた(汗)。でも(?)かなり読みやすかったし、ここ最近、読んだ小説のなかでは、いちばん面白かったかもしれない。主人公はわりと明るくて元気な、夢を持って頑張っている女の子。ライトノベルかもしれないけれど、ちょっと児童文学っぽくもある? ※以下いちおうネタバレ注意です。

 <どうして、わたしだけ試験に落ちるわけ!? わたし、パステルは、冒険者を志してエベリンにやってきた。でも冒険者になるには、試験に合格しなければならないなんて……旅の途中で知り合った、ルーミィ、クレイ、トラップと成績はいいのになぜか冒険者になれないキットンといっしょにバイト生活をしながら、わたしは予備校に通うはめになった。今度こそ、テストに受かるかしら? 「フォーチュン・クエスト」はじまりの物語その2>(表紙カバーより)

浪人生は浪人生でも、受験した(/する)のは、どこか学校の入学試験ではなくていちおう資格試験。しかも、口絵の登場人物一覧みたいなものを見ると、詩人(バード)志望の「わたし」(=パステル・G・キング)はまだ14歳であるらしく、大学受験浪人(現代日本のそれ)と直接比べても、あまり意味はないかもしれない(そんなこともないか、心理面とかいろいろあるし)。えーと、エベリンは都市ゆえ物価が高いらしくて――ちょっとネタバレしてしまうけれど、「わたし」は午前中に予備校に通って、午後は、口数が少なく謎めいている女主人(リア・ボンド)のいる雑貨屋で店番などをして、そのあとは、滞在している宿屋の皿洗いもしている(皿洗いは、子どものルーミィを除いて全員)。「苦学生」という言葉は似合わないかもしれないけれど、でも、まぁそんな感じかもしれない。お金の問題は、ちょっと現実的だよね。単位は(「円」とか「ドル」とかではなく)「G」だけれど。

読み終わって、個人的には最初のレオナの話がいちばん印象に残っているかな…。せつなかったというか、ちょっと苦味(「わたし」にとっては後悔)が残る感じだったというか。「わたし」は「スンダン予備校」の詩人コースに通い始めるのだけれど、そのコースには「わたし」を含めて5人の生徒がいて、そのうちの1人がレオナ(本名はメリッサ・ギル)。詩人(志望)には美しい人が多いらしく、カップルのサキとドリは美男美女で、あとエンニオも美男子。でも(?)レオナさんは、「わたし」と同じくふつうな容姿らしい。あとでお嬢様であることもわかったりするのだけれど、詩人になる気はないらしく、「わたし」に自分の話を聞いてもらいたがってばかりいて…。「わたし」というかパステルは、バイトや勉強で忙しかったからしかたがなかったのかもしれないけれど。でも、もう少しどうにかならなかったのかな、と思ってしまう。

予備校風景というか、「わたし」は詩人志望の人向けの授業だけでなく、一般の授業も受けていて、それは、

 <一般の学科は、それこそ雑多な職業の人たちばかり。ファイターもいれば、魔法使いもいる……あ、ちがった。正確に言うと、ファイター志望もいれば、魔法使い志望もいる……だった。/だって、まだわたしたちは冒険者カード、もらってないんだもんね。/そう思うと、なんだか気楽。/隣の、いかにも大魔導師然とした白いヒゲのおじいさんも、筋肉むきむきのファイターおにいさんも、みーんな浪人生なんだもんね。/何だか、そう思うと、仲間! って感じで、すっごく親近感がわいてくる。>(pp.37-8)

という感じらしい。体型や容貌だけでなくて年齢もバラバラな感じ? でも、みんな浪人生仲間なのか(おー)。なかには性格の歪んでしまった万年浪人生が混じっているかもしれないよね(汗)。受験がらみでは、ネタバレしてしまうけれど、彼女のドリと違って歌(実技試験)に難のあるサキくんがね…。そう、読んでいて一瞬、これは何の歌だっけ? とか思ってしまったけれど、あぁ『ウルトラマン・タロウ』か、と(汗)。でも、「わたし」は(これもネタバレかな)は、結局、試験に受かるのだけれど(サキのことがあっても)、予備校(3ヶ月通った)の先生に合格の報告に行く場面なんかも、“受験生小説”としてはいい感じかも。読んでいて微笑ましい気持ちになるひとコマというか。
 
ファミ通文庫、2012.3。イラストは、karoryという人。アンソロジーなどを除いて野村先生単著では、数年ぶりに竹岡さん(竹岡美穂)以外の人によるイラスト? 舞台も『フォーマイダーリン!』以来の日本以外? ネタバレしてしまうけれど(※以下同様にずっとネタバレ注意です)、あと描きの背景は、もしかしてキーワードなひよこ豆?(笑)。そう、個人的にはどこかで鈴(シェリ)の絵を描いてほしかったな。――それはそれとして。感想というかは、そもそも個人的に(“男装もの”もそうだけれど)“女装もの”ってあまり好きじゃないんだよね…。ま、でも、この小説ではそれが“萌え”(女の子だらけの場所へ投入されて…)とか“女の子にないたい願望→充足”とかではなくて、コメディ(お笑い?)に通じていたりして――読んでいて後半は、けっこう面白かったかな(最初の主人公が巻き込まれていく感じは、ちょっといまいちだったかも)。

 <『グリンダ・ドイルを廃業する』そんな言葉を残して、“万能の天才”グリンダは、同盟国への派遣を目前に失踪した。このままでは国際問題に――というわけで身代わりとして白羽の矢が立ったのが、グリンダの双子の弟、つまりこの僕、シャールだった。いや無理! 僕男だし! 天才の姉と違ってニート予備軍の浪人生なのに! 抵抗も虚しく女装させられ、同盟国の王様一家の家庭教師をやることに……!? ファンタジー家庭教師コメディ待望の文庫化!>(表紙カバー後ろより)

「僕」(=シャーロック=ドイル、愛称シャール・17歳)は大学の予備科の受験に失敗して浪人中。「予備軍」なのはいいけれど(ダメ浪人生の現状認識として正しいかもしれないけれど)、この男の子、何度も「ニート志願」と言っていて――こころざしたり願ったりしたら駄目だろう、ニートを(汗)。というか、なりたければ来年の受験をやめる、と宣言するだけでいいのでは? あと、2、3回かな、「家事手伝い」とも言っていて――5歳で両親が亡くなっているらしいけれど、「手伝い」ではなくて「家事」自体はどうしていたのかな? 収入(あるいは食料調達)なら天才の姉・グリンダが、どうとでもしてくれそうだけれど。あやしいものを作って売ったりとか、ジャンケンしたりとか(笑)。そう、このお姉ちゃん(野村先生が描くところの“天才”)がけっこう面白いよね。逃走中、神出鬼没で奇行(?)が文字どおりに目立っている…。ほんともう捕まっていてもおかしくない(鬼ごっこか!)。あ、男女の双子って一卵性ではなくて二卵性だっけ? そんなに似ているのかな?(中学校のときに同学年に1組いたけれど、それぞれの顔がいまとなってはよく思い出せない)。話をちょっと戻すと、お城には「僕」好みの年齢と容姿(16, 7歳で可愛らしくて胸もゆたか)なのに世界をBL妄想の材料としか見られない、残念なメイドさん=アニスがいるのだけれど、家庭教師もメイド(和風にいえば家政婦さん)も身分的には、同じようなもの? 家庭教師は、国王一家からも「先生」付けで呼ばれているけれど。なので(?)「家事手伝い&浪人」から「家庭教師」に変身(?)というのは、別にそれほど不自然ではないかも。――いずれにしても、私にはきれいに分解(?)できないけれど、けっこううまくあれこれ設定がされている模様。

この無番号な第1巻では、第一王女・聖羅(せいら)姫がフィーチャーされている感じだったけれど、今後、けっこう気になる、お姉ちゃんの失踪の理由とか、国王(シザエル)と“遠い国”出身の王妃様(雪)のなれそめとか――も明らかになっていくかもしれない。そもそも正体がばれたら困る以外に、いまのところ何か“問題”があるわけでもないし(ロイヤル・ファミリーは最初からわりとうまくいっている感じだし)この小説、どこにゴールがあるのか私にはいまいちわからないけれど――ま、とにかく、続巻が出るのを待っていたい。
 
電撃文庫、2012.3。“青春恋愛大学生小説”第4巻。ちょっと薄めな本? でも(※以下ネタバレ注意です)、重々しいというか痛々しいというか、読むのがけっこうしんどかったな…、特に最初のほうが。というか、このブログでは何度も書いているけれど、“主人公の頭の中身が読者にダダ漏れ小説”が個人的にはちょっと苦手で…。主人公が家(マンションの一室)付近から離れるまでに半分くらい読まないといけないもんね(涙)。ほとんど覚えていないけれど(読むそばからどんどん忘れていくので)、前巻までよりも、なんていうか“文学度”もちょっとあがっている?(比喩を使ったりな心理描写とか)。

内容も少し書いておけば、――記憶がちらっと戻ったことで(自宅ですっ転んで唇がアナゴさん状態、そして発熱して熱暴走中の)多田万里の頭のなかで、恋愛小説の王道=三角関係が本格的に始動している。葛藤というか。後半は、本人に自覚があってもいろいろと残念なお嬢様(弟へのストーキング&嫌がらせも判明)=いちおう彼女である加賀香子(こうこ)を海へ連れて行くためにアルバイトを……みたいな展開に。香子は万里のバイト計画には反対だけれど、万里はこっそりと…みたいな。ばん子(ブスでもエロい)は、やな子だけでなくにじ子も連れて行ってあげればよかったのにね、にせダンディ坂野からお金がゲッツできるこのバイト(笑)。あ、脳内彼女にはお金がかからないのか。どうでもいいけれど、悪魔の角ってこんなバッファローみたいなのだっけ?(あ、牛魔王…って悪魔だっけ? ←『ドラゴンボール』の話)。そう、大学生なら学生課(学生向け窓口)とかにいけば、もっと学生らしいバイトが紹介されているのでは? あやしい薬を飲むだけで1万円(変なところから変な毛が生えてきても文句がいえない)とか、デパートの屋上で全身タイツor着ぐるみを着てバク転する、とか、『ためしてガッテン』のVTRで試されちゃうのとか、いろいろな職種がありそうだよね(あ、薬学部でも体育大でもなく、万里は『コンパクト六法』を持たされちゃっている法学部生)。そういえば、自分も昔(もう忘れてもいいくらいの年齢だけれど、いちおう地方の大学の教育学部でした)行けなくなった人のピンチヒッターで、3回だけ学童保育の助っ人お兄さんをやったことが…。子どもが苦手なのにひたすら子どもと遊ぶ(汗)。しかも、管轄が市役所なのであってなきがごとしの時給…。

そう、ちょっと思ったのだけれど、おまけんサークルって、踊るだけでいいの? 夏場は(海水浴とか山にキャンプとかじゃなくて)全国各地のお祭りを研究して回ればいいのに。週末&お盆に東京あたりの花火大会だけで20ヶ所制覇! とか。微妙な違いを学園祭で展示・発表!(誰も読まない!)とか。お金がかかって電車が駄目なら自転車で行く! とか。…無理か(汗)。あと、細かいところだけれど、読んでいてまたか、と思ったのは(高樹凛『明日から俺らがやってきた』を読み終わったばかり)、ライトノベルでは3人寄れば「どうぞどうぞ」なの?(出典はダチョウ倶楽部なの?)。この小説では万里&二次元くんで、綾波レイごっこもしている(らしい)。――で、結局(?)、全体的に面白いことは面白いのだけれど、やっぱりもっと動きがほしいかな、個人的には。万里&リンダは元陸上部、例えば東京マラソンに参加してみるとか?(←私は最近、野村美月『ドレスな僕が~』も読んだばかり(汗)。他意なし)。そう、あと今後(?)に関しては、「NANA先輩」の本名はちょっと気にはなるかな(記憶力がなくてわからないけれど、まだ出てきていないよね?)。クレヨンしんちゃんと同じでカスカベ出身(違う?)の、万里の心強いお隣さん。

(いま春先だから少し真面目な話も。友達が2週間くらい来ないから訪ねてみたら死んでいた、みたいな話は自分も聞いたことがあるし、高校生と違って大学生は、数日欠席しても学校から連絡が来たりしないから、これからひとり暮らしを始める大学生はそのへん(?)気をつけたほうがいいです。玄関を出てすぐに倒れるくらい具合が悪かったら、救急車を呼んだほうがいいかもしれない。あ、呼ぶ場合には、電話で「歩けますか」と聞かれたら、はっきりと「歩けません」と答えたほうがいいと思う。「どうにか…」みたいな中途半端なことを言うと、「じゃあ、自分で近くの病院まで行ってください」と言われてしまうから。それで歩いて行こうとして結局、無理で途中で死んだとしても、消防署員の誰ひとりとして罪悪感を感じない可能性があるし。あ、東京とかの都市ならタクシーを呼ぶという手もあるか。そのほうが(つべこべ言われずに)すぐに来てくれそう。あと、特に新入生は、急性アルコール中毒にも注意。自分も大学1年のとき、ある新歓コンパの席で「おととしのこのコンパで飲んで、救急車で運ばれた」と言う3年の先輩(本人)と一緒になったことがある。そんなふうに(?)あとで笑い話にできればいいけどね。)
 
『世界で一番ロマンチックな海』(角川文庫、1993)所収、6篇中の6篇目。奥付の手前のページによれば、この1篇の初出誌は『野性時代』1993年1月号らしい。ちょっとミステリ要素もあるし、※以下いちおうネタバレ注意です。面白かったというか、久しぶりにちゃんと浪人生が主人公になっている小説を読んだ気分――だけれど、けっこう最近もいくつか読んでいたっけかな(記憶力なさすぎ(涙))。「匂い」がキーワードというか、けっこう雰囲気が良い小説だったかもしれない。ひと言でいえば“浪人生・ミーツ・年上の女性”という感じの話。季節はもう秋で、主人公の心的温度(テンション)はあまり高くない感じ…だけれど、けっこう青春小説だったと思う。

四谷の予備校に通っている浪人生の「ぼく」(=新庄、母親からは「謙ちゃん」と呼ばれている)。生まれ育って、現在も両親と暮らしている家は、井の頭公園の南のへんにあって、そこは狭い道のためにあまり車が入って来ない静かな住宅地。「ぼく」は大学受験に失敗して以来、家の近くの植物(木や花)に目が向くようになっていて(植物図鑑も購入するほど)、例えば初秋のころには金木犀が香ったり――。で、ある残暑な夜、母親から頼まれて、父親の晩酌用(?)のビールを三河屋へ買いに行く途中(まっすぐに向かわずに遠回りをしている)、ご近所の家(藤森さんち)の敷地に完成したまま、留守宅になっていた家の前で、香水の匂いをかぐ。……ちょっと細かく書きすぎている?(汗)。その「匂い」は、予備校で一緒の子(=岡田光代)がたまたま試供品(テストペーパー)を持っていたことで、<エルメスの「カレーシュ」>とわかって、「ぼく」は新宿のデパートで同じものを買い求めて……って、やっぱり細かく書きすぎているな(涙)。で、えーと、匂いのもとの年上の女性=ご近所の若奥さん、の旦那(藤森さんの息子)が自動車の事故で亡くなるのだけれど、「ぼく」はその女性が車のタイヤをいじっている場面や、男性とホテルで会っている現場を目撃していて(後者、見たというかあとをつけたのだけれど)――要するに女性が夫を殺したのではないか、というミステリーな部分と、「ぼく」は女性から旅行に誘われて行くことになるのだけれど(電車で温泉宿へ)、女性を疑っている自分(秘密を知っているかもしれない自分)は、彼女に殺されてしまうのではないか、というサスペンスな部分とがある。

“浪人生小説”としては――どうなのかな? 大学受験に失敗して以前よりも空が青く見えたり、星のきらきら度が増しているように感じたり…みたいなことは、少なくとも小説を読んでいると、たまに見かけるかな。浪人生が井の頭公園を歩く…という場面がある小説も、過去に2度くらい読んだことがある気が。でも、この小説では“浪人”という設定は、ほとんど背景化している感じ?

 <(略)大学受験に失敗したことも、ある意味では岐路だったかも知れないが、一度くらい受験に失敗したからと言って、ぼくの人生が変わるとは思えなかった。/その意味で、ぼくがまっすぐ三河屋へ行かずに、家を出て右に曲がったのは、ぼくの人生で初めての岐路だったのだ。(略)>(pp.151-2)

「そのひと」と出会えたのは浪人したからだ、みたいな発想にはなっていない(汗)。この主人公は(少なくとも小説ではわりとメジャーな?)“浪人=たいしたことではない”派かな。――受験結果がネタバレしてしまうけれど、もう1箇所引かせてもらうと、

 <ぼくは、結局、その年の大学受験には失敗した。二年浪人をして、ぼくは、大学に入ったのだ。/母に用を言いつけられて、三河屋へ行くのに遠回りしたように、ぼくは、人生でも遠回りをしてしまった。でも、ぼくは、家を出て左に行かずに右に行ってしまったことを、少しも後悔していなかった。まわり道をしなければ、得ることの出来なかった人生。>(pp.213-4)

たしかに浪人=人生のまわり道…ではあるけれど、それよりも具体的な道の選択(右に行くか左に行くか)のほうが、ポイントが高い…みたいな?(ちょっと違うか)。そう、どうでもいいけれど、「三河屋」という言い方がちょっと古いやね? 1993年(約20年前)の時点でも、あまり使われなくなっていたのではないかと思うけれど(あ、『サザエさん』には出てくるか、三河屋さん)、うーん、でも、この小説の場合、場所的にOKな感じなのかもしれない(流行を追っているような場所ではないというか、家は戦後すぐにお祖父ちゃんが買って10年前にお父さんが立て直した、とのこと。あ、お祖父ちゃんって亡くなっているんだっけ? 3人家族っぽい)。

予備校に友達が1人いて(丸山)、早稲田に友達が1人いる(相川=電話でのみ登場)という設定は、最近たまたま読んだ小説と同じだな(ま、どうでもいいか)。あ、早大は「ぼく」の受験予定校の1つに入っているらしい。あと、触れようかどうしようか迷ったのだけれど(下ネタになるから)、相手が年上の女性であると、なんていうか、<「あなたは、何もしなくていいの」>(p.211)的なことになっちゃうのかな、やっぱり(汗)。というか、ほかのこと(自分の身が危ないとか)に思考をとらわれていたにしても、一緒に旅行、と言われた時点で、童貞の「ぼく」はもっとドキドキ(?)したりしてもよかったのでは?(そういう小説ではないか)。

ちなみに別の本(『日本幻想作家事典』)で調べてみると、作者は1937年生まれらしい。この小説を読んだだけの印象では(いいかげんな想像だけれど)もっとずっと若い感じがする。
 

今邑彩 「蒸発」

2012年2月29日 読書
『鬼』(集英社文庫、2011.2)所収、全9篇中の8篇目。単行本版(集英社、2008)には収録されていないらしい2篇のうちの1篇。※以下ネタバレ注意です。予備校には通わなくなっている予備校生の「おれ」(=一郎)が、二日酔いの状態で目を覚ますと、母親と寝たきりの祖父が家からいなくなっている。翌日には父親も、会社の人から電話があって、昨日から無断欠勤しているという…。「おれ」目線ではさしあたって家族が蒸発。――個人的には読み始めて早々に“家族皆殺し系”? とか思ったけれど、それは「おれ」によって早めに否定されている。ネタバレしてしまうけれど、要するにちょっとしたSF小説? でも、なんていうか個人的には(例によって)設定に対していまいち納得できなくて…。「この世」と「その世」と「あの世」の“消える/現われる関係”に対称性がなくない?(別になくてもいいのか)。あ、お祖父ちゃんが登場する場面は、ちょっとかっこよかったかな。で(?)最後、“女は強し”みたいな感じで終わっている(なんか微妙…)。続きというか、(元)浪人生の人生サバイバル編が読んでみたいな。そういえば、この作者の浪人生が出てくる小説を、私はいままでにいくつか読んだことがあって(内容はあまり覚えていないけれど)、自業自得的に悲惨な目に遭う浪人生が多い?(そうでもなかったっけか)。あと、「おれ」は(回想場面があって)消える前日にお父さんから「穀潰し」と罵られている。アルバイトはしようと思えば可能だろうけれど、“浪人”といえばやっぱり無為徒食なイメージ?(同じ頻度でゲームセンターに通っていても、大学生であれば親から怒られない?)。
 
シリーズ途中の短篇集『ベン・トー7.5 箸休め ~Wolves, be ambitious!~』(集英社スーパーダッシュ文庫、2011.7)の第5章(全9章)。浪人生というか実質ニートである田辺清吾。食事中にお父さんからは<「何もしなくても腹は減るんだな」>(p.204)みたいな嫌味を言われたり…(浪人生=ごく潰しのイメージ?)。ひと言でいえばボーイ・ミーツ・ガール…というより“ひと目惚れ”かな。コンビニに行く途中、バスから自分の理想とする女の子が降りてきて――制服やら、ネット検索やらで通っている高校やアルバイト先などもわかって。その子=井ノ上あせび(丸富大学付属高校1年)が働く地元密着型ゲーム・ショップで自分もアルバイトをすることに。――田辺くん、大学に落ちたりお腹が痛くなったりすると、自分の未来や過去を真っ黒に塗りつぶしてしまう性格? 逆に1つ良いことがあると、すべてが好転? …それはそれとして、この小説のわかりやすい教訓(?)は、大学に落ちたくらいで、気軽に「死にたい」と口にしてはいけない、みたいなことかな。どこかで天使や悪魔(あるいは天使かつ悪魔)が聞いているかもしれないし、1度口にしてしまったことは、どうやら取り返しがつかないみたいだし。

浪人生目線のライトノベルではヒロインが高校生、というのが定番?(ジャンル的な限界?)。古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」(同名書、電撃文庫)にしても、丸山英人「デコは口ほどにものを言う」(『隙間女(幅広)』電撃文庫)にしても、女の子が高校生またはそれに近い存在。あかつきゆきや『クリスタル・コミュニケーション あなたの神様はいますか』(電撃文庫)という小説もあるけれど、これはなんだか例外っぽいな(ヒロインはいちおう大学生)。結局、ライトノベルといえば“高校生”なんだろうか(うーん…)。
 
『或るろくでなしの死』(角川書店、2011.12)所収、7篇中の3篇目。この1篇しか読んでいないけれど(“小説”としてはいまいちどうかとは思ったけれど)、内容的にすごく考えさせられました。読んでいるあいだも、読み終わったあとも。この語り手の浪人生(のち大学生)が持っているのと同じような“エゴ”は、私のなかにもあると思うし、自分にとって都合のいいことや楽しいことを、適当な理由をつけて、本来するべき大事なことに優先させてしまうことも多いし、そのことによって(無意識にではあれ)誰か(例えば何も文句を言ってこない人など)をひどく傷つけていたり、場合によっては“殺す”ことにも繋がっていたり…するかもしれないし。なんていうかいい歳して(年齢に比して)社会的に未熟である、という自覚もあるし。できるだけ責任をとらなくてもいいような行動をあらかじめ選択していることも多いし。帯の辻村深月(作家)の言葉の中に<謝りたくなる>とあるけれど、自分もそうかもしれない。ごめんなさい。

予備校帰りの駅前で「俺」(=漢字不明で「かとうともひこ」)は、同じ田舎(海があって「~けん」という方言)から出てきた元同級生の小海(こうみ)に声を掛けられる。「俺」によれば、小海は<もともと頭の巧(うま)い女ではなかった>(p.59)そうで、小説ではよく見かける(?)敬語・丁寧語でしゃべる女の子(最初は)。アタマの問題は「俺」の側に対しても、あるレベルで言えそうな感じだけれど(そういえば<ズーデニ>って初めて聞いたかもしれない)それはともかく。よくわからないけれど(書かれていないから)兄や田舎から逃げてきたらしい小海さんは、東京にいる「俺」(=ともくん)を頼って近づいて来たのかな?(声の掛け方も、自分に気づくかどうかちょっと「俺」を試している感じ?)。そのあと「俺」は、予備校の近くにアパートを借りた小海と、なんていうか寝る(だけ)の関係になって――。「俺」が小海のことを100パーセント性的な対象として見ているかといえば、そうでもない(そこまでではない)感じだし、(ネタバレしてしまうかもしれないけれど)子どもができてからも(「こうみ」が子を産むってだじゃれか?)、<物(ブツ)>と読んでいるわりには、気にしていて情をかけたりもしているし(“妊娠小説”にありがちな、「本当に俺の子か?」みたいなことは尋ねていないし…それは関係ないか)。主人公に対して、例えば「鬼畜!」のひと言で済ませられたら、同じ嫌な(不快な)読後感であっても、もっと楽なものになるかもしれない(そんなこともないか…)。<南無(ナム)>という名前や、死刑囚に似ているみたいな話は、ちょっと謎で、解釈が必要な箇所?
 
 
[追記]文庫は、角川ホラー文庫、2014.10。
 
『愉悦の扉』(有楽出版社、1990/光文社文庫、1995)所収、全12話中の「第三話」。手もとにあるのは文庫版。後ろの「解説」(小森収)によれば、この小説集の初出は<月刊誌「ドンドン」で連載>(p.262)とのこと(聞いたことがないな、何かエ●雑誌?)。この1篇(1話)しか読んでいないけれど、意外と面白かったです(汗)。※以下、いちおうネタバレ注意です。

 <あの最中に第三者の存在がないと満足できなくなってしまった人妻。大人の玩具に妻を寝取られた夫。親友からあの話を聞いてすっかり自信をなくしてしまったOL。肉体関係を持つ三人の男に結婚を申し込まれた女。下着に異常な執着を感じるようになってしまった男。年上の女に変な教育をされた浪人生……。/現代人の艶かしくも悩める性の「告白」小説集。>(文庫カバーより)

告白は告白でも、手紙でセッ●スに関する相談をしている(相談内容を書いている)という形になっている。“1人称こちらに話し掛けてくる文体”というか。<年上の女に変な教育をされた浪人生>というのが、たぶん「第三話」の語り手のことだけれど、年上の女性よりも「ぼく」(2浪)のほうが積極的な感じ。――偶然も手伝って、なんていうかもう1つの穴のほうにも興味をもって、運のいいことに(?)相手の女性=<バイト先の大きな書店のレジ係のS子さん>(28歳・色白の美人)のほうも感じる体質らしく、それほど嫌がることもなく、「ぼく」は研究・開発に乗り出して(ちょっと擬人化されている? ア●スさんに「訓練と教育」をほどこす――具体的にはアウトだけでなくインもできるよ、みたいなことを言い聞かせたり(笑))結局、成功するわけだけれど、だんだんと「前」よりも「うしろ」のほうがよくなって、みたいな…。で、肝心の相談ごとはといえば、だったら相手が女性でなくても(ニューハーフでも男性でも)いいのではないか、こんな自分にとって恋愛とは何か、女性とは男性とは? みたいな哲学的な(?)ことを言い出している。

 <そんなことはシリませんなんて言わないで、どなたかぼくの悩みを解決して、ぼくの疑問に答えてほしいと思っています。/よろしくお願いします。>(p.131)

最後にだじゃれを言われてもなぁ(汗)。ちなみに、もう1箇所だじゃれがある。<「浪人は、みんなそんな屁理屈言うの?」/「お尻の話だから屁理屈でいいんだ。見せてよ。頼むよ」>(p.120)。もう一歩でおやじギャク?(もうすでにおやじギャグか)。

ところで、受験勉強はしているのかな、この浪人生? 長文の手紙や週1回くらいのお楽しみ(?)はまだしも、アルバイト――がいちばん時間をとられそうな気もする。勉強はけっこう得意そうな感じはするけれど。でも、興味がある特定の科目や、一部の分野だけが得意なそうな? なんていうか問題点を正確に把握してクリアしていく才能とか、まっすぐに(でも緩急を使い分けて)進んでいく能力…とかがある感じ(それなら早く大学生になったほうがいいかも)。予備校には通っていないのかな? あ、場所は東京っぽい。あと、経済的にはどう? 週に1回はホテルに行ける…。レジ打ちのS子さんも、たぶん正社員ではなくてバイト(パート)でしょう?(割り勘?)。2人とも家族と同居している? ――そんな非哲学的な(?)ことはどうでもいいか。
 
書き下ろしアンソロジー、井上雅彦監修『恐怖症 異形コレクション』(光文社文庫、2002)に収録されている1篇。うーん、つまらなかったというか、ぜんぜんピンと来なかったな、これは…。どう読めばいいんだろう?(※以下ネタバレ注意です、毎度すみません)。全体的になんていうか“必然性”が不足しているような? 話(ストーリー)がちゃんと流れていないように感じる(いまぱらぱらと読み返してみると、…そんなこともないか)。浪人3年目の良文(苗字は鳩山)は、干渉的な(?)母親(の甲高い声)から逃れるために、予備校通いを口実に現在は、上京して安アパートで1人暮らし中(実家は新潟県?)。夜は、好きなだけ(?)ビデオを見たりな日々。隣の部屋には彼女を連れ込んだりしている粗暴な(?)大学生(=小林司郎)がいたり、アパート近くの公園(『ひまわり公園』)には女性のホームレスがいたり…。一方、良文くんは、昔から“影”に対して恐怖を感じている。――大学に落ちた(落ち続けている)理由は、本人のせいではないらしい。

 <良文はすべてを他人のせいにした。俺は悪くない。勉強できないのは、隣の男のせいだ。現役合格できなかったのは、高校教師の指導力不足のせいだ。三浪もしたのは、予備校の講師が馬鹿なせいだ。自分が物を覚えられないのは、生まれつきだ。父と母が悪いのだ。>(p.78)

とのこと。自分を責めすぎてノイローゼな状態になったり、自殺を選んだりするよりは、ある程度、人のせいにすることも必要なことだとは思うけれど、うーん、↑のようでは学力や成績が向上していかないよね、たぶん。というか、↑のような設定も物語(ストーリー)とあまり有機的に絡んでいない気がする。――そう、個人的にちょっと思ったのは、隣人は刺してしまったほうが(別に死ななくてもいいだろうし)最後の場面にもっと必然性が出てくるような気がする。そんなこともない? あと、(小説を読んでいるとたまに見かける)また浪人生とホームレスの組み合せ…。“浪人生”ってやっぱりそんなイメージなのかな?(「そんな」というのは、なんていうか社会的に漂っている感じというか)。ただ、でも、この小説ではその組み合せ方(?)にけっこうオリジナリティがありそうな…。受験がらみでは、現在、<センター試験まであと九ヵ月>(p.77)であるらしいのに、3ヶ月前に兄とドライブ(お兄さんの運転で)をしているらしい――1年は12ヶ月しかないわけだから、そのドライブは今年のセンター試験前後になるはず。(前なら)勉強の息抜きで、とか(後なら)もう2次試験は諦めて、とかなんとかひと言あって欲しい(この小説に対してそんな文句を言うやつは私くらいか(涙))。えーと、あとほかには…、“影”については何かひとこと言ったほうがいいのかな…。そう、私なら影(自分の影)に操られているのがわかった時点で、どんなもんか、とりあえずジャンプはしてみると思う。小学生レベルの発想?(汗)。でも、影だけ先に歩いて行ったらちょっと笑えるよね。
 
連作短篇集『邪神帝国』(ハヤカワ文庫、1999)所収、7篇中の1篇目。この文庫本、市内市外の地元ブック○フをぐるぐると回って(といっても6、7件)探してみたのだけれど、なんとなく売っていそうで売っていない(涙)。私が読んだのは図書館本です。すごく面白かったけれど、例によって何のために読んだのやら自分でもよくわからない(汗)。えーと、売れないオカルト作家の「わたし」(=「A――」)が、平田(=自称&あだ名が“伍長”)に初めて会ったのは、池袋の年季の入った(?)カクテル・パブで、そのあと場所を変えて「わたし」のおごりで一緒に飲みなおしたりする。平田によれば、彼は福島出身で、美大専門の予備校に通っている日芸志望の浪人生とのこと。アパートも追い出されて住所不定の貧乏画学生(あるいは画学生未満)。――2度落ちたと言っているから2浪? 高校は(工業高校の建築科は落ちて)夜間の普通科に通っていたらしい。高校が定時制の4年で、浪人が2年目だから、20歳か21歳か。どうでもいいけれど、日芸志望の浪人生が出てくる小説は今回初めて読んだかもしれない(結果的にそこに受かる受験生が出てくる小説は、以前、読んだことがある気がする)。よく覚えていないけれど、漫才コンビ・爆笑問題は、太田さんは現役合格だけれど、田中くんは1年浪人しているんだっけ?(同級生で同い歳というイメージがあるけれど)。――話を戻して、でも、3ヶ月後、平田から電話があって「わたし」が会いに行くと、もう受験はやめた、みたいなことに。<イラン人によるOL殺害事件>が起こったのは、いつだっけ?(あいかわらず自分、歴史全般に弱い(涙))。というか、あのアドルフ・ヒトラーも浪人していたことがあるの?(であれば、びっくりだな)。
 
アンソロジー『あなたに、大切な香りの記憶はありますか?』(文藝春秋、2008/文春文庫、2011.10)所収、8篇中の5篇目。

東京の出版社に勤める文芸畑の編集者である「私」。仙台市在住の作家(=「A」)との打ち合せが早めに終わって、30年ぶりに国分町へ足を運んでみることに。仙台市は「私」(宮城県の北部出身)がかつてアパート暮らしで、2年間予備校に通っていた場所であり(大学は東京の私大)、国分町にはその当時通い詰めていたロック喫茶がある。で、その店に行ってみるとマスターも含めてほとんど当時のまま――。読んでいてちょっと苛々するかな(涙)。なんていうか、主人公にとって都合のいい話ばかり?(うーん…)。適度にお酒も入っているみたいだし、50歳くらいの男性の一夜の夢(=幻)だと思って納得しておくしかない(個人的には)。

書名が疑問文になっているけれど、…いま何も思い出せないな(汗)。「香り」と言われて思いつくのは、家でテキトウに入れているコーヒーくらい。それこそ、ふと何かの匂いをかいで、記憶が喚起される=過去のことを思い出す…こともあるかもしれないけれど。
 
連作短篇集(短篇というより掌篇かな)『ビリジアン』(毎日新聞社、2011.2)所収、全20篇中の15篇目。この1篇だけでなく、全篇を読んだけれど、ぜんぜんピンとこなくて…(涙)。でも、つまらなかったとか、退屈だったとかいうわけではなくて、なんていうか“意味”がよくわからなかった、…というのが正直な感想かな(言葉が少しずれている気もするけれど)。そう、例によってお金のないなか、また単行本を新刊で買ってしまったのだけれど、(しおり代わりの)赤いひもが挟まっていた場所が、「赤」という1篇(12篇目)の前。なんか(小説の内容からしても)ちょっと微妙な気が…。

 <どこにでも行ける。その意志さえあれば。/黄色い日、白い日、赤い日――。映画、ロック、火花、そして街。10歳から19歳まで、誰かにいつか存在した、ある瞬間。>(帯より)

主人公というかは、すべて「わたし」(=山田解)。年齢順に配置されているわけではないけれど、文字どおり10代のときのことが点々と(?)描かれている。“色しばり”には、何か法則性みたいなものがある?(自分にはわからなかったです)。小学生から予備校生まで、場所はずっと同じ大阪市。「わたし」の目を通して観察される(?)街や空などは、全体的に終末的というか、廃墟っぽいというか、そんな印象を受けた。いろいろ楽しんだりもしているけれど、「わたし」はけっこう低温な感じ(運動は不得意で、何歳くらいまでかな、小さい頃は発作の起こる喘息を持っていたり…ということも読み進むとわかってくる)。家族についてはぜんぜん書かれていないけれど(小学生のときの話でも)、住んでいるのは9階であるらしい。――「わたし」は作者と同じで1973年生まれくらい?(ピナツボ火山の噴火っていつだっけ?)。生まれ育った場所はぜんぜん違うけれど、個人的には年齢(というか生年)が近いせいか、例えば<ナッツ・アンド・ミルク>(p.56、「火花2」)とか言われると、「おー!」とか反応できたりもする(おー!というか、グッド・チョイスだな…。小学生のときにやったまま、具体的にはほとんど覚えていないけれど、かなり好感度の高いのファミコン・ソフトだった覚えが)。そう、この小説を読むまでずっと忘れていたけれど、小学校4年のときかな、私もいっとき爆竹にはまったことが…。友達と道ばたで連日のようにやっていた記憶がある。ロケット花火はヤンキーがやるもの、みたいな認識はなかったけれど、たんにロケット花火よりも爆竹のほうが楽しかったんだよね、当時(汗)。空きビンを使ったり…みたいな、いま考えるとけっこう危ないこともしていたかも。そう、友達はおもいっきり火傷をしていたっけな(手に持ったまま火をつける場合には、必ず手袋をしたほうがいいです)。でも、自分たちは、大人に怒られたことはなかったよなぁ(田舎だからか?)。あと、読んでいて(いま思い出した箇所だけれど)小学生のときの話で、前の席に座っている絵のうまい男の子(=岸田)に「わたし」がノートで作った紙吹雪をかけて、先生(=西山先生)から<「岸田はスターか」>と突っ込まれている場面がちょっとよかったな(p.73、「金魚」)。

15篇目の「フィッシング」について。大阪市って川が多いの? 自転車で橋(=“坂”)を通ったりして予備校に通っている「わたし」。場所が具体的に書かれているから、予備校名もわかる人にはわかるのではないかと思う(私にはわからないけれど)。席が成績順になっている…と言われると、個人的は某大手予備校を思い出してしまうけれど、…それはともかく。同じ高校の人がいなくて、隣の席の女の子(たぶん成績が同じくらい)とその子と同じ高校の女の子2人と7階の食堂でうどんを食べたり、世界史の授業(女性の講師)が好きだったり…。で(?)、予備校の帰りに、釣りをしているルー・リード(全身黒づくめ)を見かける。…その前にこの1篇だけでなく、全体的にまともな仕事についていなそうな「おっちゃん」や、海外の映画俳優や有名ミュージシャンが現われてくることがあって。後者については、最初、「わたし」にしか見えないのかと思ったらそうではなくて、ほかの人(友達とか)にも見えている模様。電車内で隣り合ったマドンナは大阪弁をしゃべっていたり(13篇目「終わり」)して、…シュールといえばシュール? ――少し引用しても(小説中の浪人生による発言を拾っても)いい?

 <「わたし、そこの予備校に行ってるんですけど、今の自分て働いてないし、ノートに単語の練習とかしてると紙もお金も食べ物も消費してるだけや、って思うんです。もちろん一円も稼いでないですし、完全な消費者。なんも生み出してない」/「おれに愚痴るな」/ルーは言った。そらそうや、と思った。知らない人なんだから。(略)>(p.187)

浪人=無為徒食? もう少し会話は続くけれど、えーと(アルバイトはしようと思えばできるだろうけれど)、この“浪人生小説”も、要するにパターン的にいえば“浪人生&ホームレス”、“浪人生・ミーツ・ホームレス”の変形版っぽいかな(その前の、世界史の先生の話もちょっと関係している)。小説の最後は、仲のいい友達たち(みんな<絵を描く予備校>に通っている)と公園で会って、ご飯を食べたりしている。――で、(繰り返しになるけれど)最後まで読んでも、面白いといえばなんとなく(部分部分は)面白かったけれど、要するに何が言いたいのやら(言いたいことがあるのかすら)私にはよくわからなかったです。

ちなみに、18篇目の「赤の赤」は大学入試センター試験を受けた日(2日)の話。「わたし」(現役受験生)は、社会では「倫理・政経」を選択している。<善く生きる>――この作者の小説って意外と哲学系?(それほどでもないか)。あと、数学の問題、ルート(√)の中は1文字だと「2」の可能性が高い――みたいな話は、(このブログでは以前にも書いたような気がするけれど)そのままだと微妙な“テクニック”になってしまうから、例えば2を入れて逆算してみるとか(計算の途中でなければ、√に入れられるのは2, 3, 5, 6, 7の5通り?)、そもそも長さの問題であれば、図形やグラフを正確に書いておけば、例えば「こりゃ、√5=2.23…よりも小さいな」と範囲がしぼれたりもするし、…というか、関係ない話はいいや(汗)。2篇目の「ピーターとジャニス」は翌2月、京都の大学を受験した(明日もまた別の大学を受験することになっている)帰りの電車(阪急電車)で、<ピーター・ジャクソン>という名前の外国人(カナダから来たキリスト教会の人)から話し掛けられる話、最初のへんは。そういえば(これも以前、このブログは1度書いたような気がするけれど)、自分も浪人中(2浪目のときに)電車に乗っていたら、中東系の人にカタコトの日本語で話しかけられたことがあって。せっかく話し掛けてくれたのにこちらがうまく対応できなくて(「予備校」の説明がうまくできなかったり…とか)なんていうか申し訳なかったな…。こんなところでいまごろ謝っても仕方がないか(汗)。

[追記]文庫は河出文庫、2016.7。
 
『梨の花咲く町で』(新潮社、2011.11)所収。7篇収録されているうちの後ろから2番目(いちばん後ろには表題作)。初出は本の後ろのほうによれば<「季刊文科46」2009年10月>とのこと。まだこの1篇しか読んでいないけれど(貧乏人が買ってはいけない値段=1,900円+税もしたので、無理にでもぜんぶ読んでおきたいけれど)、作中で詩が引用されているだけでなく、地の文もちょっと詩的だったり、幻想的というか、観念的な部分もあったり(カントやキルケゴールも読まれたり)で、文学作品、自分には例によって意味がよくわからなかったです(涙)。別に“難解”という感じの小説ではないけれど。えーと、『リルケ書簡集』全4巻をきっかけにして…というか、池袋のジュンク堂書店で発見・購入したその複数巻の本が、最初のへん、過去のある時期を導入するための梯子(時の重なりを測るためのものさし)として使われている感じで(?)、その後、語り手の「わたし」は、過去=昭和30年前後(高校3年から1年の浪人を経て大学入学)くらいのことを、<誰か知らない親愛な人への報告、私信>(p.150)として語っている(←説明が下手で申し訳ない)。高校3年のとき「わたし」は、土佐堀(大阪市の北西部)のYMCAで開かれていた「詩のクラブ」(週1回・夜)に通い始める。そこで講師の先生(詩人)や席が隣り合った無口な女の子、あと医学生の兄妹と出会ったり…。無口な女の子(「わたし」も無口)とはちょっと交際したりもしている。というか、ある種の“恋愛小説”としても読める?(別に無理にそう読まなくてもいいか(汗))。

“浪人生小説”(そんな小説ジャンルはないけれど)としてはどうかな? 「わたし」は、大学に落ちたこと自体はそれほど気にしていない様子? そんなこともないかな…(あ、すべりどめ2校には受かっていたらしい)。でも(?)、浪人中に(高校時代からかもしれないけれど)ちょっと“死”に接近しているような? 受験失敗後(昭和30年=1955年の話)大阪では、淀川の滝のような場所(<蕪村ゆかりの毛馬の閘門>)を見に行ったり、6月には予備校通いを口実に上京、吉祥寺に下宿して(駒場に通いやすく入居者が東大生ばかりの<清風荘>)井の頭公園の針葉樹林などを散歩したり…。入水あるいは木で首吊りの願望?(違うか)。――浪人中の話で次のような箇所がある。

 <そのころ、ラムの『エリア随筆集』を戸川秋骨訳で読んだ。原テキストと合わせて読んだ。山崎貞の『新英文解釈』を丸暗記した程度の学力では、読解が困難であったが「夢の中の子供 幻想」は再読三読した。これはもはや随筆ではなかった。短篇の名作だった。もう少し生きていてもいいな、と思えた。>(p.159)

『新英文解釈』というのは、たぶんお世話になった人も多い、定番の英語学参『新々英文解釈研究』(研究社)と同じもの?(参考書って同じ著者のものでも、似たような書名のものが多いからよくわからんです)。作者(1936年生まれ)より1つ歳上、久世光彦の書評集『美の死 ぼくの感傷的読書』(筑摩書房、2001/ちくま文庫、2006)には次のような箇所がある。

 <学生のころ、大学受験の役に立つと友人に騙されて、C・ラムの「エリア随筆」を原文で読みかけたことがある。語学的には兎も角、何を言っているのか、まるで歯が立たなかった。たかが<随筆>と高を括っていたら、とんでもない。ほとんど<哲学>の領分だった。(略)>(Ⅲの扉うら、p.230・文庫版)

私は挑戦したことがないのでよくわからないけれど、どうやら随筆を超えた随筆、(少なくとも当時の)高校生・浪人生にはかなり難解な(でも挑戦しがいのある?)テキストだったようだ。――「わたし」は8月には大阪に戻って、また「詩のクラブ」に顔を出したり、題名(=「橋上の駅」)に関係することがあったり、再び同クラブには行かなくなったり…している。翌年(昭和31年=1956年)、第1志望かどうかわからないけれど、大学にはふつうに受かったようだ(また上京)。

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以前にも同じことを書いた気がするけれど(繰り返しになるかもしれないけれど)、昭和20年代後半(=1950年代前半)くらいの受験参考書に関しては、塚本康彦『受験番号5111 東大受験生の赤裸な日記』(カッパ・ブックス、1963)という本が、個人的にはお薦めです(私は持っていないけれど、地元の図書館にある)。主に浪人時代(昭和27年度=1952年度)の日記で、著者がいわゆる自宅浪人(予備校には通っていない浪人生)ということもあって、勉強に使われている参考書(の書名)がけっこう出てくる。小説では、高校時代が描かれている三木卓『柴笛と地図』(集英社、2004/集英社文庫、2006、作者は1935年生まれ)には、参考書の書名がわりと(それほど多いというわけではないけれど)出てくる。あ、昔の参考書に関することを知りたければ、学習雑誌・受験雑誌のバックナンバーを当たったほうが早い…かもしれないけれど、たぶんふつうの(?)図書館には置かれていないと思う。英語限定だけれど、昨年(2011年)江利川春雄『受験英語と日本人 入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社)という、昔の代表的な参考書を知るのに便利な本も出ている。参照されたしです。

ぜんぜん関係ないけれど(思い出した)、昨年(2011年)、尾高修也『近代文学以後 「内向の世代」から見た村上春樹』(作品社、2011.9)という本を購入して――最近、書名に「村上春樹」とあるだけで読む気が失せるけれど(玉石混交すぎるというか「石」な本が多すぎる)『赤頭巾ちゃん気をつけて』の庄司薫について書かれていたので興味をもって――、ぱらぱらと読んでいたら(時間がなくていまだに通読できていないけれど)次のような箇所が。

 <大学へ入る前の浪人中に、福田章二と神田でばったり出会ったことがあった。「僕は予備校の特待生なんだよ」といっていた。家へ来ないかというので後日訪ねた。音楽の話になると、ピアノを弾いてくれた。(略)>(p.196)

この本、ほかにも触れたい箇所(興味深い記述)がいくつかあるけれど、それはまた別の機会にして。この著者と庄司薫(=福田章二、1937年生まれ)は高校の同級生だったらしい。で、庄司薫って浪人していたのか、知らなかったです。以前、浪人していないのかと思って(何を読んでそう判断したのか思い出せないけれど)、このブログでも「していない」と書いてしまったような記憶が…。訂正しておきます。でも、ふつうに予備校(神田の?)に通って受験勉強していたのかな? なんだかイメージとずれる気も…。「特待生」というあたりは「ぽい」といえば「ぽい」けれど。
 
手もとにあるのはハルキ文庫版(2000年)。感想というかは、ふつうに面白かったかな。「青春」という言葉がけっこう使われていて、なんとなく想像していたよりも青春推理(青春ミステリ)でした。個人的に「青春小説」と言われると、男の子たちの群像劇、というイメージがあって、それにも合致する感じだけれど、ま、でも(?)、寮生活(いちおう全寮制)で寝食をともにしたり、もちろん授業で一緒に(同じ教室で)勉強していたり…もするわけで、自然とお互いに仲良くもなりそうだよね。もちろんみんながみんな仲がいい、という感じにはなっていないけれど。あと、天下の一高なので(?)面々が個性的であったりもするようだ(ほかの学校と比較できるわけではないけれど)。この学校出身者による自伝本(学生時代の回想を含むもの)は実際にたくさん出版されているだろうけれど、小説であると、なんていうか“動き”もあるから、生き生きとしていてよかったです。もちろん当時の学校生活、寮生活についても(雰囲気をともなって…というか、主観的な感じでも)ある程度、知ることができるし。(ただ、一高生たちの場合、それ=ある種の仲の良さが、将来における学閥というか、東大卒コネクションみたいなものに変わる可能性もあるから、なんの恩恵も受けていない無関係な人間(=私)としては、おえー、みたいな感想も言っておいたほうがいいのかもしれないけれど。)

 <時あたかも大東亜戦争を目前にしたある日、一高で発生した奇怪な人間消失事件――本館正面にそびえる時計台の中から一人の学生が忽然と姿を消したのだ。事件前日に彼を訪ねた一人の女と、一高生に扮した偽学生の影が見え隠れする中、事件は悲劇的な展開を見せはじめる……。暗い時代を背景に、名探偵・神津恭介の若き日を描いた表題作とその続篇にあたる『輓歌』、二つの本格ミステリーを収録した一冊。>(表紙カバーより)

“人間消失”に関しては、それほど派手ではなくて(?)真相を聞いてもああそうか、くらいな感じ(個人的には)。表題作の初出年は、昭和26年(1951年)でいい?(手もとの文庫本には「解説」も含め、その手の情報があまり書かれていない)。えーと、「私」=松下研三(あだ名は「ウルトラ」)によって、一高(=旧制第一高等学校、学制改革によっていまはもうない)時代の思い出(事件)が語られている。探偵役というかは、寮の同室者の神津恭介(かみづ・きょうすけ)。「私」からは「神津君」とか「ドクター」と呼ばれている。青春ミステリの語り手が食いしん坊…というか大食い、というのはちょっと面白いね。表題作は昭和13年(1938年)、「私」&神津恭介が2年生のときの話。併録作=続編のほうは、その翌年=昭和14年(1939年)の話で、落第した「私」はまだ2年生(2年の“裏”)、一方、天才の神津君(ピアノも弾ける)は3年(最終学年)に進学している。…あ、学校(寮も含む)は2年前=昭和10年(1935年)(の9月?)に本郷から駒場に引っ越している。一高の歴史において、昭和13年(~14年)は微妙な時代だったらしいというか、語り手によれば「過渡期」に当たるそうだ。そう、なんとなく学校の中だけで(事件が起こって犯人が逮捕されたりとかして)解決する話かな、と思っていたら、けっこう“外部”があったというか、敷地内に人が入ってくるだけでなく、一高生たちが外に出て行ったりもしている。

どうでもいいことだけれど、表題作のほうで、「浪人」という言葉が1箇所使われている。「私」が<渋谷道玄坂キネマ>で映画を見たあと<ビヤホール>に立ち寄ると、偶然、探していた謎の女がいて、一高生の格好をした男と話をしている…という場面。

 <だがどことなく、この男の格好には、一高の制服にそぐわぬものが感じられた。まるで借り物のような洋服、ぶきっちょなマントの着方、新入生だなと私は感じた。/しかし、それにしては、女に対する口のきき方が、えらく横柄なようにも思われる。これがもし、新入生だとしたならば、何年も浪人生活をつづけて、社会ですれきった人間に違いない。>(p.30)

「浪人(生)」ではなくて<浪人生活>だけれど。しかも、<社会(ですれきった…)>と言っているし、純粋な「受験浪人」(一高志望の万年受験生)という意味で使われている感じではない(ちょっと残念)。併録作のほうでは、<予備校>という言葉が使われている(p.177)けれど、これもどうでもいいか。(ときどき、旧制高校に対して、大学に入るための予備校(だった)と言う人がいる…ような気がするけれど、文字通り「予備の(予備的な)学校」、あるいはイギリスなどのプレップ・スクール(prep school)みたいなイメージなのかな? 少なくとも現在の大学受験予備校とはイメージ的には別ものだろう、旧制高校は。あ、歴史をさかのぼれば「大学予備門」というのもあったっけ。私はよく知らないけれど。)

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関係ないけれど(なくはないか)、以前TVを見ていたら(Eテレ以前のNHK教育の番組)ナレーションで「いっこう」と発音していて。そのあと、私も(「知らなかった、そうだったのか!」と思って)しばらく頭の中でそう読んでいたのだけれど、この本では「いちこう」とルビが振ってある。――どちらが正しいの? 「一高」だけでなく、ほかのナンバースクール(の略称)の読み方も、誰か教えてほしいな(「八高」まであるんだっけ?)。以前、何かを読んでいたら(『本の雑誌』の“ご当地小説”がらみの記事だったかも)「四高」に「よんこう」とルビが振ってあったけれど、(よく覚えていないけれど)中公文庫版の井上靖『北の海』の解説では「しこう」と読む、と力説(?)されていたような記憶がある。そう、あと、高校浪人(中卒浪人)ではなくて大学浪人(高卒浪人)のことを「白線浪人」と言うらしいけれど、読み方は「はくせんろうにん」でいいの? 以前、何かを読んでいたら「白線」に「しろすじ」とルビが振ってあって。もしかして「白線浪人」は「しろすじろうにん」と読む?

あと、これもあまり関係のない話だけれど、去年(2011年)文庫化された齋藤愼爾『寂聴伝 良夜玲瓏』(新潮文庫、2011.5)という本を、買ったままいまだにほとんど読んでいない(単行本は2008年に白水社から出ているようだ)――あいかわらず、積ん読本がなかなか減っていかない(涙)。TVでもおなじみ(それほど出演しているわけでもないか)瀬戸内寂聴さんは、昔、東京女子大学に入るのに浪人はしていないけれど、高女(徳島高等女学校)の最後の年の冬休みに、上京して<道玄坂の裏通りの昭栄塾>(p.64)に通っていたらしい。通っていたというか、寄宿舎があったようだ(同頁)。この予備校の名前、私は初めて目にしたのだけれど、有名なところ? …それはともかく、ほとんど出歩かなかったのかな? 表通りまで(?)出歩いていれば、昭和14年(の12月下旬から翌年にかけて)だから、一高・(2回目の)2年生のウルトラ松下くん(映画好き?)とどこかですれ違っているかもしれない。…もちろん冗談です(汗)。
 
光文社、2012.1。この作者の小説を読むのは『群衆リドル Yの悲劇’93』(光文社、2010.12)に続いて2冊目。こちらのほうが読みやすかったかな。2冊目だから少し読み慣れたのかも。舞台となっている島内、刑務所内も読んでいてイメージしやすかった気がする。でも、そう、個人的にいまだに「うげらぽん」や「ソラシド何々」の意味がわからないんだけど(涙)。前者は何語? 「たむらぱん」みたいなものかな?(←わかりにくいボケですみません(汗))。あと、小説的にはどうでもいいことだけれど(日本ではなくて「大日本帝国」だし)、1994年の夏ってもっとずっと暑かったような?(残飯なんてとても食べれないくらいに…)。ほかにも、登場人物の1人・ユカ(=渡辺夕佳)と私はけっこう生年が近いんだよね、だから例えば、高校で<複素平面>(p.41)は習っていないだろう! とか瞬間的に思ってしまう(センター試験でいえば、1997年度の入試から導入?)。あ、いや、「習った」とは書かれていないけれど。とりあえず、なんていうか(フィクションであっても)1990年代をもっと大事にしてほしい。※以下、いちおうネタバレ注意です。

 <天才的ショパニスト・八重洲清康。世界最高峰とまでいわれたショパニスト「イエ先輩」こと八重洲家康の祖父だ。先の大戦中、赤化華族の疑いをかけられ、獄死した、はずだった。その清康が、存命だという。/情報源の音楽雑誌編集者・波乃淵今とともに、家康が絶海の孤島・古尊島を訪れた時……。空前絶後の脱出劇再現が、開演のベルを鳴らしたのだった!>(帯文より)

御祖父ちゃんがかつてどうやって脱出したのか――は知られていないらしく、50年後の現在、イエ先輩は同じ場所、ほとんど同じ条件で(要するに“刑務所”に“収監”されて)その再現を強要される。SかMかでいえば明らかにドSなイエ先輩(外ではお寿司しか食べない)がなんと拷問まで受けている。――「読者への挑戦状」が付いている小説だけれど、私の頭では自力ではどうにもこうにも、さっぱりわからなかったです(涙)。御祖父ちゃんが持ち込みを許可された物品のリストが載っていて(pp.103-5)、なんていうか、冷蔵庫の残り物で高級料理を作れ、と言われているような気分…(ぜんぜん違うか)。読んでいて思ったのは、“脱獄もの”には違いないけれど(“孤島もの”でもあるかもしれないけれど)、塔に幽閉されているくらいに考えたほうがピンとくるかな、個人的には。イエ先輩(たち)が入れられるのは2階の独居房で、その外窓の下は岸壁で、海面まで5, 60メートルの高さ(人が落ちたら助からない)がある。で(?)、結局のところ(ネタバレしすぎてしまうかな)飛び道具にさらに飛び道具!!! それをわかれよ、とか言われてもとても無理(涙)。でも、なぜか(これは御祖父ちゃんのオリジナルではない、と言われているもの以外でも)けっこう既視感があったかな…、読書量が少ないので私にはわからないけれど、過去作品がいろいろと組み合わされている? …それはともかく、この小説の方法は実際に可能なのかな? 誰か実写でやって見せてほしいな(命綱や救命胴衣、ヘルメットなどは好きなだけ使用可)。あと、読んでいてちらっと思ったのは、現在の大炊御門(おおいのみかど)公爵の体力というか、腕力というか。けっこうなご老人だよね(1916年生まれ)。

ユカ目線(「あたし」)の箇所よりも、イエ先輩目線(「僕」)のほうが多かったと思うけれど、『~’93』では浪人生だったユカさんは(これもネタバレになってしまうけれど)今作では大学生に。2つある「プレリュード」の2つめの副題(主題?)は「桜」。本人によれば、<奇跡的に(イエ先輩のちからが無ければ絶対無理だったろう)東大文Ⅰに一浪合格した(略)>(p.20)そうだ。勉強を教えてもらった…というわけではなくて(遠距離だったしね、ネットも携帯電話も普及していない時代)、要するに♪愛は勝つ、みたいな意味?(違うか)。奇跡的に…か、前作を読んでいる者から言わせてもらえば、本当によく受かったな、この人。原秀則の漫画『冬物語』には1浪しても、彼氏のいる東大にまた落ちてしまう女の子が出てくると思う(ある意味リアル…。最後に読んでからだいぶ年月が経っているので、うろ覚えだけれど)。2人の仲もちょっと進展している。(ファーストキスは)<本郷の銀杏並木か、ディズニーランドか、あえて井の頭公園のスワンボートかって決めてたのに(略)>(p.73)――これは、三河女子&現役東大生の夢(?)としては、どうなんだろうね?(笑)。そう、ぜんぜん関係ないけれど、読んでいて個人的にいちばんウケたのは(バカップル漫才?ではなくて)、「朝ココア前」って何か、を尋ねた波乃淵(なみのふち)を、イエ先輩が完全に無視しているところ(p.312)。

[追記] その後、文庫化(光文社文庫、2014.1)。
 
新潮社、1986/新潮文庫、1989。手もとにあるのは文庫版。副題ではないけれど、表紙の上のほうに小さめに「New grounds for living」とある(生きるための新しい根拠?)。読み終わってから(別の本で)知ったのだけれど、最後の「第五楽章」はあとから書かれたものらしい(芥川賞の候補になった部分は「第四楽章」まで?)。

 <人間ってのは、みんな未完成な模造品だね、誰もが誰かを演じてる――出来合いの「青春」を舞台にのせてドラマチックに演じきることを夢み、ついには、演技する自分を茶化すことにすら情熱を傾けてしまう永遠の青二才・亜久間一人。捉えどころのない「現代」をたくましく生き抜く自意識過剰な夢想的偽悪少年の、明るくねじれた自我の目覚めと初々しい愛と性の大冒険。新時代の青春文学。>(「たくましく」に傍点、カバー背より)

文学系の小説、例によって私には意味がわからんかったです(涙)。庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』に対しても思うけれど、こういうのなら、むしろ論文調で(評論として)書いてもらったほうが、個人的には理解できるかもしれない。でも、なんていうかある種のユーモアがあって、(何が言いたいのやらわからないながらも)面白いと思える部分もけっこうあったです。ボールのように持ち去られた頭部を胴体が追いかける夢の話とか、“バベルの塔”に登っていく夢の話とか(思い出せないけれど、夢以外の話でも)。そういえば、かなり外国(というかヨーロッパ)文学っぽい? 童話とかも出てくるし。あ、あと“三島由紀夫”も出てくるか。私は『仮面の告白』どころか、1冊も読んだことがないんだよね、三島作品(涙)。ある種の青春小説――的な部分も、この小説ではパロディ化されているかもしれないけれど、初恋(?)とか、オ●ニーやらセッ●ス(というか初体験)やらのことなども書かれている。ときどき(けっこうな頻度で?)なんていうか“まとめのポエム”が挟まっている(「詩」というより、ジャポン語で言うところの川柳っぽい?)。青春小説でときどき見かける、ギターを抱えて自作の歌を歌ってしまうのと同じようなもの?(違うか)。――時間的には1章(1楽章)ずつ、律儀に進んでいく感じで、「第一楽章」が生まれる少し前から小学校時代(父親の転勤で5年間東京を離れたり)、「第二楽章」が中学校時代、「第三楽章」が高校1・2年(山岳部)、「第四楽章」は高校3年を途中で中退して大学1年くらいまで。最後の「第五楽章」は“山岳小説”みたいことになっている(山登りというか、危険なロック・クライミング)。

「僕」(=いちおう名前は亜久間一人、読み方は「あくま・かずひと」)が高校を中退した理由は、何か問題を起こしたとかがもともとのきっかけではなく、

 <高校三年生、僕は人生十八年目にして、さなぎになってしまった。高校時代最後の憶い出に中退してみた。両親とは大喧嘩になり、弟からはバカだバカだといわれ続けた。教師も再三、無責任に僕を学校に引き留めた。>(p.133)

という感じ。記念中退…という言葉はないか。最近の高校なら(あ、「僕」は1960年生まれ)生徒が学校をやめたいと言い出しても、教師はあまり引きとめなそうな気もするけれど。あ、「僕」が通っている(いた)のは、<一流といわれる高校>(p.86)らしいので、中退者が1人でも多いと学校の看板に傷がつく…みたいな理由もあるのかな?(違うか)。正式な退学が夏休み明けで、(ネタバレしてしまうけれど)翌年の7月には大検(大学入学資格検定)を受けて合格。さらに翌年の3月には大学に合格。以前にも書いたような気がするけれど、大検(現在なら高認)が絡んでくると「浪人」と言ってもいいのかがよくわからなくなるんだよね…。別にレッテルはどうでもいいか。山岳部のトレーニングをしている「僕」の姿を遠くから見つめる謎の女=酒井ちづる(同学年、不思議キャラ)のほうは、ふつうに浪人生になっている(だからこの小説は“浪人生が出てくる小説”であるといえる)。「僕」は中退したあと、ちづるに月1回会ってくれるように頼んで、会っている(第二日曜日)のだけれど、――次の場面はなんとなくちょっとよかったかな、

 <さて、逢い引きの方はというと、二月は中止された。ちづるの私大の入試と重なったからだ。三月の逢い引きでは僕が彼女の慰め役になった。うなぎをおごるからとアサクサの有名な店に誘い、こういった。/「現役で合格したくなかったんだろ。僕と同じじゃないか」/「わたし、現役で合格したくありませんでした」と彼女は繰り返した。僕はちづるの落胆をおいしく食べ、ちづるは僕のように狡猾になった。うなぎは黙って二人に食われた。>(p.139)

同じ言葉を繰り返しているあたり、不合格がかなりショックだったのかな? 恋人…ではなくて、自分に(よくわからないけれど)好意を持っているらしい相手を慰めるのに、うなぎ屋――ってどうなのかな?(ちょっと微妙?)。鰻の肝吸いをすすりながら、相手の“落胆”をおいしく食べる――ま、どうでもいいか(汗)。でも、下手な慰めの言葉よりも、なんか元気が出そうな食べ物でもおごってもらったほうがましかもしれないね(人にもよるだろうし、落胆の理由や仕方にもよるだろうけれど)。2人は4月からは同じ予備校に通っていて、でも、月に2回しか会っていなかったようだ(でも、いつの間にやら月1から月2に増えている?)。大学には翌年、2人とも合格。ちづるさんのほうは、<トキオ郊外にある何とか女子大の教育学部>(p.145)。


[追記]作者は1961年早生まれ。1979年にS台。1浪→東京外大。
 
同名書(講談社、2008/講談社文庫、2011.10)所収。手もとにあるのは文庫版。また地元小説を読んでみる。<自分は醜いというコンプレックスを抱く野枝は、実家を出て群馬県のローカルFM局で人気番組を担当するようになる。誰からも干渉されない自由に閉じ籠もる野枝だが、その心の隙に気さくな方言で話す女医の沢音が入り込み……。横浜と会津出身の二人の女性の呼び合う心を描く「うつくすま ふぐすま」を併録。>(表紙カバーより)。

ご当地小説というと都道府県単位で整理されがちだと思うけれど、例えば同じG県であっても地域によってぜんぜん違うわけで、そういう意味では、主人公が県内(たぶん全域)向けラジオ放送局に勤めている(勤め始める)アナウンサーであるこの小説は、それこそ、ザ・ご当地小説といえるかもしれない。ただ、主人公の相馬野枝(のえ)は、中心となってリスナーたちに対してタクトを振るうような感じではないし、一部のリスナー同士は(県内にただ点在しているのではなく)直接、ある種のつながりを持っていたりすることも、読んでいるとわかってくる。あ、もちろん、読んでいるときには主に主人公の感情や心理を追っていたのだけれど(それほどおかしな読み方はしていないと思う)、個人的にはどうしても、場所や特産物(野菜とか)、言葉なんかに対してもいちいち反応してしまって…。

この作者が自然なG弁を使える(小説に書ける)ということは、以前「第七障害」(『イッツ・オンリー・トーク』所収)を読んだときにわかっていたけれど、この小説でもナチュラルなG弁(J弁)が増量されている感じで、なんていうかおー、すごいなぁ、と思えたりした(…毎度ボキャ貧ですみません)。地元県民としては、文字情報だから、頭の中でほぼ正しいイントネーションで読める(再生できる)ということが、ちょっと利点かな。そういえば、読んでいて最後のほう、医者の沢音(さわね、苗字は狩野)が口にする<おっかおっかいやつ>(p.137)という言葉の意味が、自分には一瞬わからなくて。おっか=おおか、おっかい=おっかない、で、かなり怖いやつ(DVD)みたいな意味?(あーねー、という感じ)。沢音さんが主人公に対して使うG弁は、ちょっと子どもっぽいかもしれない(性格のせいもあるのか、あまり似ていないと思うけれど、読んでいて谷川流<涼宮ハルヒシリーズ>の鶴屋さんを連想したりした)。

あとは、県民性――以前、日本が舞台で主人公が外国人に日本(東京など)を案内している小説を読んだことがあるけれど、個人的にはそれと同じような読み心地(?)だったかもしれない。東京都出身(大学卒業後は仙台のFM局に10年)の野枝に対する、ディレクターの石田(M市出身、G弁は使わない)やリスナーの1人・恐妻センター前橋(ラジオネーム)のG県をお薦めするような振る舞いは、読んでいてちょっと恥ずかしくなってくる部分も…。センターさんは、定番アイテムの『J毛カルタ』をプレゼントしたりしている。そう、逆に自分の場合、かなり出不精だし(友達もいないし)、もちろん知識としても知らないことも多いので、読んでいて(再発見ではなく)少し勉強にもなったりした。あと、どうでもいいけれど、あるリスナーからのメールに書かれている、10年前の浪人中に聴いていたという番組の担当者=<イシマル? イシモリ?>(p.75)といううろ覚えな人物は、石田さんのこと?(違うか)。

会社(「JOSHU-FM」)があったり、野枝や沢音(K市出身)が暮らしたりしているT市は無視して(なぜ無視していいのかといえば、私はM市周辺出身でいまはM市在住だからです(汗))M市については、<こんなにさびれた県庁所在地がどこにあるだろう。>(p.123)とのこと。個人的にはあまり笑えないし、主人公はコンプレックスとも関連して、なんていうか街(中心商店街あたり)と同化している様子だけれど――、でも、私も昼間の誰もいなそうな時間帯のH川沿い(けっこう薄暗い)で、今度コンビニで買ったパンでもしんみりと食べてみようかな。(以前にも書いたような気がするけれど、アーケードなB通りを出たところにある橋の上からのH川(狭い川)の眺めが、個人的には昔から好きなんだよね。Jパーキング/M文学館のへんよりも水面が近くない? …同じくらい? どちらでもいいけれど、特に雨上がりの、流れが速くて水があふれそうな感じの時がお薦め。落ちたらたぶん助からないと思う。)
 

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