島田荘司 「進々堂世界一周 シェフィールド、イギリス」
2010年11月19日 読書
“50”が共通のお題になっているアンソロジー『Anniversary 50 カッパ・ノベルス創刊50周年記念作品』(カッパ・ノベルス、2009)に収録されている一篇。作者名・50音順に並べられていて、この一篇は4篇目(全9篇)。内容というかは、京大志望の予備校生である「ぼく」が、京都大学近くの「進々堂」で海外放浪帰りの御手洗さんから旅先での話をよく聞かせてもらっている、みたいな外枠があって。いまの季節は秋、今回(?)のお話の舞台はイギリス、知的障害をもつギャリーという青年(重量挙げの選手)についてのエピソードが御手洗さんから語られる。――ちょっとネタバレしてしまうけれど(※以下注意です、すみません)、地震が起こって丸く収まってしまう……みたいな展開は、けっこう既視感があった(何か昔のTVドラマとかアニメとかでよくあったパターン? …違うか)。というか、そういえばミステリ(推理小説)だと思って読み始めたのだけれど、結局ミステリではなかったな(定義がよくわからないけれど)。ヴォランティアや障害者差別の問題が描かれていて(ミステリではなくても)いわゆる社会派?
たぶん連作中の一篇で、読んでいるとすでに“アメリカ編”がありそうな感じがするのだけれど、どこかで(何かで)読めるのかな?(見つからないな…)。あと、本題というか、浪人生の「ぼく」に関しては――小説に東大浪人ではなく京大浪人が出てくることはわりと珍しいと思う――、御手洗さんの話は、<受験相談なんかよりずっと身になった>(pp.142-3)と言っていて、世界一周ぶんの話を聞かされた暁には、受験勉強なんて放り出して、お師匠(?)と似たような放浪の旅に出発してしまいそう? ちなみに作中年は――これもネタバレになってしまうかもしれないけれど、モントリオール五輪が再来年、と言っているから(検索しないとわからないや(汗))えーと…、1974年でいい?(あ、昭和50年ではなくて昭和49年だね)。
たぶん連作中の一篇で、読んでいるとすでに“アメリカ編”がありそうな感じがするのだけれど、どこかで(何かで)読めるのかな?(見つからないな…)。あと、本題というか、浪人生の「ぼく」に関しては――小説に東大浪人ではなく京大浪人が出てくることはわりと珍しいと思う――、御手洗さんの話は、<受験相談なんかよりずっと身になった>(pp.142-3)と言っていて、世界一周ぶんの話を聞かされた暁には、受験勉強なんて放り出して、お師匠(?)と似たような放浪の旅に出発してしまいそう? ちなみに作中年は――これもネタバレになってしまうかもしれないけれど、モントリオール五輪が再来年、と言っているから(検索しないとわからないや(汗))えーと…、1974年でいい?(あ、昭和50年ではなくて昭和49年だね)。
乾くるみ 『蒼林堂古書店へようこそ』
2010年11月19日 読書
徳間文庫、2010。ゆるそうでゆるくないというか、落語家の三題噺ではないけれど、毎度うまく話をまとめてくる感じ(←意味不明?)。※以下いちおうネタバレ注意です。
<書評家の林雅賀[はやしまさよし]が店長の蒼林堂古書店は、ミステリファンのパラダイス。バツイチの大村龍雄[おおむらたつお]、高校生の柴田五葉[しばたごよう]、小学校教師の茅原[ちはら]しのぶ――いつもの面々が日曜になるとこの店にやってきて、ささやかな謎解きを楽しんでいく。かたわらには珈琲[コーヒー]と猫、至福の十四か月が過ぎたとき……。(略)>(カバー背より。[カッコ]はルビ)
途中から五葉くんの同級生の木梨くん(木梨潤一)も加わる。私にはあいかわらず推理小説の素養というか教養というかが欠けているのだけれど――なので、以下何かおかしなことを言っていたらごめんなさいね(?)、で、えーと、この小説は、ミステリについて語られたり(舞台が古書店だから小説の内容だけでなく「本」としての面についても語られたり)、メンバーの誰かによって持ち込まれたいわゆる“日常の謎”(とはちょっと違う気もするけれど)をみんなで解いたり……といった“ミステリ談義小説”というか。“謎”はたいてい最後には、店主(マスター)の雅さんが解決してしまうので、いわゆる“安楽椅子もの”という感じも。長さでいえば短篇というより掌篇かな、でもいわゆる連作短篇集です(全14篇)。各篇の最後には、見開き1ページの「林雅賀のミステリ案内」も付いている。そう、その「案内」の5(「長編連作とつなぎの作品」)に、
<全何作という長編連作シリーズは必ず「刊行順に」「全部」読んでいただきたい。>(p.127)
と書かれている。この小説――長篇連作ではなく短篇連作だけれど――を読み終わったあとに、『ミステリ作家の自分でガイド』(本格ミステリ作家クラブ編、原書房、2010)という本を読んでいて、この『蒼林堂~』が“林家の四兄弟シリーズ(林家四部作)”の第3作、ということを知る。――ほんと先に言って欲しいよね(涙)。作者のファンでない人のためにも、本のどこかに書いておいてくれないと(ああ恨み節)。
1. 『林真紅郎と五つの謎』(光文社→光文社文庫) 四男=真紅郎(しんくろう)
2. 『六つの手掛り』(双葉社) 三男=茶父(さぶ)
3. 『蒼林堂古書店へようこそ』(徳間文庫) 二男=雅賀(まさよし)
4. ?
1, 2を読んでいないので内容については語れないけれど、書名を見るかぎり、数字も色も揃えたいのか揃えたくないのかよくわからないな。収録作の数が5篇、6篇ときて、次が14篇(まぁ7の2倍ではあるか)とか、タイトルに「紅」(赤)と「蒼」(青)はあるのに、第2作のタイトルは“色なし”であるとか(cf. 森博嗣『赤緑黒白』講談社文庫)。それになぜ弟(歳が下)のほうから刊行されているのか、もちょっと謎だ。
関係ないけれど、この本を読んでいて思い出した(p.53あたり)。乾くるみの『イニシエーション・ラブ』(文春文庫)を読んで面白かった人は、同じ作者の『リピート』(同)よりも、森博嗣『そして二人だけになった』(新潮文庫)のほうが面白く読めるのではないか、と個人的に思うのだけれど、どうなのかな? あ、「面白い」といっても様々な面がある…というか、いろいろな面白がり方があるか。どちらも似たような“騙された感”が得られる気がするのだけれど。個人的には。『イニシ~』が××的で、『そして~』が△△的なだけで、どちらも同じ構造……というのは言い過ぎか(というか伏字ではわからないよね(汗))。本の厚みもぜんぜん違うけれど、“恋愛”に関しても対照的な2作かもしれない(森作品のほうはロマンティックな感じ?)。(そういえば、最近、森博嗣もぜんぜん読まなくなっちゃったな…。“Gシリーズ”がまだ最初の2冊しか読めてないや(涙)。)
そう、(これもぜんぜん関係のない話だけれど)ミステリについてぜんぜん知らない人(私はそうです)には、乾くるみが文庫解説を書いている鯨統一郎の小説『ミステリアス学園』(光文社文庫)がお薦めかもしれない。本がどこかに行っちゃっていま確認できないけれど、たしか大学のミステリ・サークルだかミステリ研究会だかに間違って(?)入部した大学生が主人公で、そのサークルのメンバーが1人ずつ殺されていく、みたいな内容だったと思う。わかりやすくて勉強になった記憶が。(ミステリ好きの人には「お前はそんなレベルか!」とか言われちゃうかもしれないけれど、そんなレベルなのでしかたがない(涙)。)
本題というか。「8 鉄道模型の車庫」では、しのぶ先生が小峰元『ディオゲネスは午前三時に笑う』(講談社文庫)を売りに来る。同じ本を2冊買ってしまったという。――自分も少し前にこの作者の本を集めていたことがあるので(1か所に固めて置いてはいないけれど、たぶん揃っていると思う)、この章(というか1篇というか)は、ほんとに“あるある”で、ちょっと前のめりで読んでしまった(汗)。カタカナの偉人名などが入っているタイトルばかり――自分も重複して買っちゃいそうだったので、途中からリストを作って(紙に書いて)持ち歩いていたし。記憶力のいいマスターが思い出せなかった小峰作品の1つも、「そうそう、それがあった!」と妙に納得できてしまった(汗)。でも、持っているだけで小峰小説、まだ合計で6冊くらいしか読んでいないな…。あ、『ディオゲネス~』はたまたま読んであります。私は“列車事故”と言われるよりも、粗筋を言われたほうが思い出すな(しのぶ派です)。主人公から「チン浪」(「チンピラ浪人」の略)とあだ名される登場人物は(記憶で書いてしまうけれど)たしか東大を3ヶ月でやめていて、「浪人(生)」と言えるのかどうか、個人的にはよくわからない(なりゆきで歌手デビューしてしまうんだっけ?)。
<書評家の林雅賀[はやしまさよし]が店長の蒼林堂古書店は、ミステリファンのパラダイス。バツイチの大村龍雄[おおむらたつお]、高校生の柴田五葉[しばたごよう]、小学校教師の茅原[ちはら]しのぶ――いつもの面々が日曜になるとこの店にやってきて、ささやかな謎解きを楽しんでいく。かたわらには珈琲[コーヒー]と猫、至福の十四か月が過ぎたとき……。(略)>(カバー背より。[カッコ]はルビ)
途中から五葉くんの同級生の木梨くん(木梨潤一)も加わる。私にはあいかわらず推理小説の素養というか教養というかが欠けているのだけれど――なので、以下何かおかしなことを言っていたらごめんなさいね(?)、で、えーと、この小説は、ミステリについて語られたり(舞台が古書店だから小説の内容だけでなく「本」としての面についても語られたり)、メンバーの誰かによって持ち込まれたいわゆる“日常の謎”(とはちょっと違う気もするけれど)をみんなで解いたり……といった“ミステリ談義小説”というか。“謎”はたいてい最後には、店主(マスター)の雅さんが解決してしまうので、いわゆる“安楽椅子もの”という感じも。長さでいえば短篇というより掌篇かな、でもいわゆる連作短篇集です(全14篇)。各篇の最後には、見開き1ページの「林雅賀のミステリ案内」も付いている。そう、その「案内」の5(「長編連作とつなぎの作品」)に、
<全何作という長編連作シリーズは必ず「刊行順に」「全部」読んでいただきたい。>(p.127)
と書かれている。この小説――長篇連作ではなく短篇連作だけれど――を読み終わったあとに、『ミステリ作家の自分でガイド』(本格ミステリ作家クラブ編、原書房、2010)という本を読んでいて、この『蒼林堂~』が“林家の四兄弟シリーズ(林家四部作)”の第3作、ということを知る。――ほんと先に言って欲しいよね(涙)。作者のファンでない人のためにも、本のどこかに書いておいてくれないと(ああ恨み節)。
1. 『林真紅郎と五つの謎』(光文社→光文社文庫) 四男=真紅郎(しんくろう)
2. 『六つの手掛り』(双葉社) 三男=茶父(さぶ)
3. 『蒼林堂古書店へようこそ』(徳間文庫) 二男=雅賀(まさよし)
4. ?
1, 2を読んでいないので内容については語れないけれど、書名を見るかぎり、数字も色も揃えたいのか揃えたくないのかよくわからないな。収録作の数が5篇、6篇ときて、次が14篇(まぁ7の2倍ではあるか)とか、タイトルに「紅」(赤)と「蒼」(青)はあるのに、第2作のタイトルは“色なし”であるとか(cf. 森博嗣『赤緑黒白』講談社文庫)。それになぜ弟(歳が下)のほうから刊行されているのか、もちょっと謎だ。
関係ないけれど、この本を読んでいて思い出した(p.53あたり)。乾くるみの『イニシエーション・ラブ』(文春文庫)を読んで面白かった人は、同じ作者の『リピート』(同)よりも、森博嗣『そして二人だけになった』(新潮文庫)のほうが面白く読めるのではないか、と個人的に思うのだけれど、どうなのかな? あ、「面白い」といっても様々な面がある…というか、いろいろな面白がり方があるか。どちらも似たような“騙された感”が得られる気がするのだけれど。個人的には。『イニシ~』が××的で、『そして~』が△△的なだけで、どちらも同じ構造……というのは言い過ぎか(というか伏字ではわからないよね(汗))。本の厚みもぜんぜん違うけれど、“恋愛”に関しても対照的な2作かもしれない(森作品のほうはロマンティックな感じ?)。(そういえば、最近、森博嗣もぜんぜん読まなくなっちゃったな…。“Gシリーズ”がまだ最初の2冊しか読めてないや(涙)。)
そう、(これもぜんぜん関係のない話だけれど)ミステリについてぜんぜん知らない人(私はそうです)には、乾くるみが文庫解説を書いている鯨統一郎の小説『ミステリアス学園』(光文社文庫)がお薦めかもしれない。本がどこかに行っちゃっていま確認できないけれど、たしか大学のミステリ・サークルだかミステリ研究会だかに間違って(?)入部した大学生が主人公で、そのサークルのメンバーが1人ずつ殺されていく、みたいな内容だったと思う。わかりやすくて勉強になった記憶が。(ミステリ好きの人には「お前はそんなレベルか!」とか言われちゃうかもしれないけれど、そんなレベルなのでしかたがない(涙)。)
本題というか。「8 鉄道模型の車庫」では、しのぶ先生が小峰元『ディオゲネスは午前三時に笑う』(講談社文庫)を売りに来る。同じ本を2冊買ってしまったという。――自分も少し前にこの作者の本を集めていたことがあるので(1か所に固めて置いてはいないけれど、たぶん揃っていると思う)、この章(というか1篇というか)は、ほんとに“あるある”で、ちょっと前のめりで読んでしまった(汗)。カタカナの偉人名などが入っているタイトルばかり――自分も重複して買っちゃいそうだったので、途中からリストを作って(紙に書いて)持ち歩いていたし。記憶力のいいマスターが思い出せなかった小峰作品の1つも、「そうそう、それがあった!」と妙に納得できてしまった(汗)。でも、持っているだけで小峰小説、まだ合計で6冊くらいしか読んでいないな…。あ、『ディオゲネス~』はたまたま読んであります。私は“列車事故”と言われるよりも、粗筋を言われたほうが思い出すな(しのぶ派です)。主人公から「チン浪」(「チンピラ浪人」の略)とあだ名される登場人物は(記憶で書いてしまうけれど)たしか東大を3ヶ月でやめていて、「浪人(生)」と言えるのかどうか、個人的にはよくわからない(なりゆきで歌手デビューしてしまうんだっけ?)。
芦辺拓 『名探偵Z 不可能推理』
2010年11月18日 読書
ハルキ・ノベルス、2002。長さ的には短篇というより掌篇かな、連作短篇集(全18話)。※以下いちおうネタバレ注意です。毎度すみません。感想というかは、私はこの作者とは笑いのツボが違うのかもしれない、ぜんぜん面白くなかったです(涙)。この小説にかぎらず、読んでつまらなかった小説に関しては、いつも何がいちばん言いたいか、といえば(読むのがとても遅い自分)、とにかく「読み終わった!」ということがいちばん言いたい(汗)。
<髪形といい服装といい、ひと昔前のマンガが描く浪人生そのもの>(p.12・上段)
それで、≪名探偵Z≫こと乙名探偵(おとな・とるただ)は結局のところ、何者なの? 最後まで読んでもわからんかったよ(涙)。見かけだけが浪人生? 「第一話」以降も、事件の起こった「第一話」の家で暮らしているの? 表紙(カバー)と目次の下に主な登場人物のイラストが載っているのだけれど、乙名くんは、学生服を着ている(眼鏡はなし)。――『キテレツ大百科』な勉三さんもそうだけれど、浪人生が学生服を着ているのって、実際には(歴史的には)いつくらいまで? なんとなく昭和30年代前半くらいまでな勝手なイメージがあるのだけれど。個人的には。←「ひと昔前」の「ひと昔」ってどれくらい? みたいな話です。
もう少し感想を書いておこ。そう、最初から読んでいくと、表紙イラストでいちばん大きな≪少女怪盗Ψ(プシー)≫、が登場するまでがかなり長くない?(まぁいいか、ライトノベルじゃないんだし)。ほかには、えーと、Q市というところが舞台になっているのだけれど、全体的に(全話通じて)大学関係者とか資産家(の家)とか、あと(元)女優とかが出てくることが多かったかな。大学がらみの多さに関しては、なんていうか“SFオチ”というか“特撮オチ”みたいなものも多かったからかな。そう、あいかわらず推理小説(ミステリ)の血中濃度がかなり低いわたし、「第三話 26人消失す」を読んで(ネタバレになっちゃうかもしれないけれど)思い出したのは、森博嗣の「ぶるぶる人形にうってつけの夜」(『今夜はパラシュート博物館へ』)でした。だからなんだ? と言われても困るけれど(汗)。
ちなみに後ろの「あとがき――あるいは好事家のためのノート」を読むと、作者には<予備校時代>(p.255)があったようだ。表紙カバーの折り返しのところには、<82年同志社大学卒>とある。(最近わりと使っているのだけれど)『日本ミステリー事典』(権田萬治・新保博久監修、新潮選書、2000)をカンニングすれば、1958年(の5月、大阪市)生まれとのことで、計算すれば――1浪ということでいいのかな?
<髪形といい服装といい、ひと昔前のマンガが描く浪人生そのもの>(p.12・上段)
それで、≪名探偵Z≫こと乙名探偵(おとな・とるただ)は結局のところ、何者なの? 最後まで読んでもわからんかったよ(涙)。見かけだけが浪人生? 「第一話」以降も、事件の起こった「第一話」の家で暮らしているの? 表紙(カバー)と目次の下に主な登場人物のイラストが載っているのだけれど、乙名くんは、学生服を着ている(眼鏡はなし)。――『キテレツ大百科』な勉三さんもそうだけれど、浪人生が学生服を着ているのって、実際には(歴史的には)いつくらいまで? なんとなく昭和30年代前半くらいまでな勝手なイメージがあるのだけれど。個人的には。←「ひと昔前」の「ひと昔」ってどれくらい? みたいな話です。
もう少し感想を書いておこ。そう、最初から読んでいくと、表紙イラストでいちばん大きな≪少女怪盗Ψ(プシー)≫、が登場するまでがかなり長くない?(まぁいいか、ライトノベルじゃないんだし)。ほかには、えーと、Q市というところが舞台になっているのだけれど、全体的に(全話通じて)大学関係者とか資産家(の家)とか、あと(元)女優とかが出てくることが多かったかな。大学がらみの多さに関しては、なんていうか“SFオチ”というか“特撮オチ”みたいなものも多かったからかな。そう、あいかわらず推理小説(ミステリ)の血中濃度がかなり低いわたし、「第三話 26人消失す」を読んで(ネタバレになっちゃうかもしれないけれど)思い出したのは、森博嗣の「ぶるぶる人形にうってつけの夜」(『今夜はパラシュート博物館へ』)でした。だからなんだ? と言われても困るけれど(汗)。
ちなみに後ろの「あとがき――あるいは好事家のためのノート」を読むと、作者には<予備校時代>(p.255)があったようだ。表紙カバーの折り返しのところには、<82年同志社大学卒>とある。(最近わりと使っているのだけれど)『日本ミステリー事典』(権田萬治・新保博久監修、新潮選書、2000)をカンニングすれば、1958年(の5月、大阪市)生まれとのことで、計算すれば――1浪ということでいいのかな?
西村健 『ゆげ福 博多探偵事件ファイル』
2010年11月18日 読書
講談社文庫、2009。連作短篇集というか。続き(続編)も書かれそうな感じ。
<博多中洲のラーメン屋台<ゆげ福>の息子・弓削匠[ゆげたくみ]は、ラーメンには目がない私立探偵。老舗ラーメン店の兄弟争いから起きた殺人事件や“替え玉”受験のプロ殺人事件を、体を張った捜査で解決してゆく。探偵になるきっかけとなった父親の失踪の謎に迫ろうとする匠に危険が迫る!>(表紙カバーより。[カッコ」はルビ)
いまいちおいしく召し上がれなかった小説だったというか、なんていうかこの手の小説(ハードボイルドな?)にあるはずの何かが欠けているような…。「何か」とは何か? ――それ(=秘伝のタレ?)がわかるようなら自分で小説を書いているかもしれない(汗)。そう、ありがちといえばありがちだけれど、読んでいて探偵の「俺」には、仕事(各種の調査)にとって都合のいい知り合いが多すぎだな、とはちょっと思った。あと、そう、肝心のラーメンが読んでいてあまりおいしそうじゃなかったです。――引用してもいい? 極端な箇所かもしれないけれど、
<「うん!?」と声が漏れた。スープを一口飲んだ時だ。/「おぉ」これは麺を一口啜った時。/「あぁ」チャーシューを一口齧った時。>(pp.44-5、「第一話 暖簾分け」)
主人公がラーメンをおいしく食べていることはわかるけどさ、映像のともなうTV番組じゃないんだから(涙)。本の後ろの解説(野崎六助)を読んでいて納得してしまったけれど、<一にツユ、ニにメン……>だし、<舌は二の次。嗅覚こそが奥義だ>そうだ。だいたい名前が「湯気」に通じる「弓削」だもんね(?)。
“替え玉受験のプロ殺人事件”は、「第二話 途上」で扱われている(あ、全8話です)。「俺」――高校1年のときにラーメン屋台を出していた父親が失踪していて高校中退――は、後見人的な存在であるヤ○ザの親分(籠島久義)から、愛人との間にできた息子・加賀谷成明の大学受験の世話を頼まれる。そこで、予備校を経営している(小沼陽助)に連絡すると、替え玉受験のプロ・羽島信吾を紹介され――。受験じたい(あ、大学は博多商大)はうまくいくのだけれど、受験の帰りに「俺」の事務所を訪れた羽島は、そのあと路上で殺害されてしまう――みたいな話。成明は7度大学受験に失敗しているらしい。歳はいくつ?(どこか書かれていたっけな…、すぐには見つからないな)。7浪なら24歳か25歳か(もう試験シーズンらしいから25歳の可能性のほうが高いか)。でも(?)「俺」が直接話をしたり、調べたりしてみると、父親の前ではしおらしく好青年だった成明は、父親からもらっているお金で自由に遊んでいる感じで、性格も悪く、大学に行く気もぜんぜんないらしい、ことがわかる。――そうだよね、経済的な心配もなくて、どこの大学でもいいなら7浪はしないよね(そんなこともない?)。
[追記]続篇が読めていない(泣)。結局、3部作になったのかな?
『博多探偵ゆげ福 はしご』(2013.1)
『博多探偵ゆげ福 完食!』 (2015.9)
<博多中洲のラーメン屋台<ゆげ福>の息子・弓削匠[ゆげたくみ]は、ラーメンには目がない私立探偵。老舗ラーメン店の兄弟争いから起きた殺人事件や“替え玉”受験のプロ殺人事件を、体を張った捜査で解決してゆく。探偵になるきっかけとなった父親の失踪の謎に迫ろうとする匠に危険が迫る!>(表紙カバーより。[カッコ」はルビ)
いまいちおいしく召し上がれなかった小説だったというか、なんていうかこの手の小説(ハードボイルドな?)にあるはずの何かが欠けているような…。「何か」とは何か? ――それ(=秘伝のタレ?)がわかるようなら自分で小説を書いているかもしれない(汗)。そう、ありがちといえばありがちだけれど、読んでいて探偵の「俺」には、仕事(各種の調査)にとって都合のいい知り合いが多すぎだな、とはちょっと思った。あと、そう、肝心のラーメンが読んでいてあまりおいしそうじゃなかったです。――引用してもいい? 極端な箇所かもしれないけれど、
<「うん!?」と声が漏れた。スープを一口飲んだ時だ。/「おぉ」これは麺を一口啜った時。/「あぁ」チャーシューを一口齧った時。>(pp.44-5、「第一話 暖簾分け」)
主人公がラーメンをおいしく食べていることはわかるけどさ、映像のともなうTV番組じゃないんだから(涙)。本の後ろの解説(野崎六助)を読んでいて納得してしまったけれど、<一にツユ、ニにメン……>だし、<舌は二の次。嗅覚こそが奥義だ>そうだ。だいたい名前が「湯気」に通じる「弓削」だもんね(?)。
“替え玉受験のプロ殺人事件”は、「第二話 途上」で扱われている(あ、全8話です)。「俺」――高校1年のときにラーメン屋台を出していた父親が失踪していて高校中退――は、後見人的な存在であるヤ○ザの親分(籠島久義)から、愛人との間にできた息子・加賀谷成明の大学受験の世話を頼まれる。そこで、予備校を経営している(小沼陽助)に連絡すると、替え玉受験のプロ・羽島信吾を紹介され――。受験じたい(あ、大学は博多商大)はうまくいくのだけれど、受験の帰りに「俺」の事務所を訪れた羽島は、そのあと路上で殺害されてしまう――みたいな話。成明は7度大学受験に失敗しているらしい。歳はいくつ?(どこか書かれていたっけな…、すぐには見つからないな)。7浪なら24歳か25歳か(もう試験シーズンらしいから25歳の可能性のほうが高いか)。でも(?)「俺」が直接話をしたり、調べたりしてみると、父親の前ではしおらしく好青年だった成明は、父親からもらっているお金で自由に遊んでいる感じで、性格も悪く、大学に行く気もぜんぜんないらしい、ことがわかる。――そうだよね、経済的な心配もなくて、どこの大学でもいいなら7浪はしないよね(そんなこともない?)。
[追記]続篇が読めていない(泣)。結局、3部作になったのかな?
『博多探偵ゆげ福 はしご』(2013.1)
『博多探偵ゆげ福 完食!』 (2015.9)
小池真理子 「獣の家」
2010年11月17日 読書
“記憶と家”がテーマになっている連作集『記憶の隠れ家』(講談社、1995/講談社文庫、1998)所収、6篇中の2篇目。ちょっと怖くて、まだこの2篇目までしか読んでいない(汗)。でも、自分が苦手なタイプのホラー小説(おどろおどろしかったり、心理描写ばっかりだったり)ではないので、投げ出さずに読めることは読める。そう、小池真理子ってやっぱり小川洋子にちょっと似ているよね。キャリアからいえば逆か、小川洋子が小池真理子に似ているのかもしれない(例えば1篇目の“刺繍”とか)。――なんていうか、俗世を超越している感じの、何を考えているのかわからない3歳年下の妹・珠緒。3人称小説だけれど、兄の昌彦によって(昌彦目線で)20年前の出来事などが語られる。そういえば、今年(2010年)の秋は、夏の猛暑が影響しているらしいけれど、毒キノコ騒動(?)があったよね。クリタケとニガクリタケってそんなに似ているのかな?(後者、「苦い」どころか死に至るんだね…)。当時高3だった昌彦(医学部志望)と友人で同級生の望月は、動揺から(?)大学不合格、浪人に。昌彦は東京の予備校に。
重松清 「サクラ、イツカ、サク」
2010年11月17日 読書
それぞれ12篇収録されていて冬・春・夏・秋の4冊(4巻)あるらしいけれど、これは、最初の冬=『季節風 冬』(文藝春秋、2008/文春文庫、2010)に収録されている1篇(12篇中の12篇目)。そもそも重松清(の小説)が嫌いだし、タイトルはダサい(?)しで、ぜんぜん期待していなかったけれど、意外と面白かったです。
舞台というかは、合格発表が行なわれている大学(=城北大学、そこそこレベル以上の大学で偏差値高め、受験生にも人気があるらしい)。「僕」は昨年入学した、今度2年に上がる在校生。大学8年目でもうすぐ放校になるマルオ先輩といま「バンザイ隊」のチームを組んでいる。――私は知らなかったけれど、有料おめでとう隊(?)にはいろいろとあるんだね(汗)。「胴上げ隊」(アメフト部・柔道部)に「バンザイ隊」(映画サークル)、そして「花吹雪隊」(宝塚研究会)…。そんなとき、でも(?)ベテランであるはずのマルオ先輩が、不合格になった女の子に声をかけてしまう。ごめんなさいジュースを買いに行った先輩に代わって「僕」が、その子を慰めるはめに――みたいな話。言葉(方言)から同郷であることもすぐにわかる。
そういえば(この小説とは関係のない、個人的な思い出ばなしです)自分の場合、2浪目の後半くらいからほとんど勉強していなくて。最終的に「もう地元の大学を受ければいいか」みたいな投げやりな気分で、1校だけ受けて受かって(大学というものに初めて受かったので嬉しかったことは嬉しかったけれど)、合格発表も(地元だから)大学まで見に行ったのだけれど(人出も少なくてすごく地味な感じだった)、その帰りがけに校門から続いている道を――たぶんバス停に向かっていたんだと思うけれど――とても早足に「号泣」と言っていいくらいな泣き方で泣きながら歩いていく1人の女の子を見かけて…。さすがにそのときは、いいかげんな自分と立場を変わってあげたいな、みたいなことは思ったけれど。
非合法の(?)学生アルバイトといえば、合格電報(合格・不合格通知電報)のアルバイトもあったよね(いまもあるのかな?)。あ、考えてみれば、そちらのアルバイトの稼ぎ時(?)は、合格発表日ではなくて、入試の当日…になるのか。そう、“受験文化”の継承というか、「サクラサク/サクラチル」といういまでも使われる言葉は、もともと電報の文句だもんね(違ったっけ?)。(ネタバレしてしまうかもしれないけれど、干刈あがた「マスク」(『物は物にして物にあらず物語 借りたハンカチ』集英社、1989)という短篇(掌篇)では、主人公が最後にそのアルバイトをしている。あと、東野圭吾のエッセイ集『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫)を読むと、合格電報ならぬ“合格電話”というものもあったようだ。いまやインターネットな世の中だし、そんな電報も電話も古きよき時代の産物?)
舞台というかは、合格発表が行なわれている大学(=城北大学、そこそこレベル以上の大学で偏差値高め、受験生にも人気があるらしい)。「僕」は昨年入学した、今度2年に上がる在校生。大学8年目でもうすぐ放校になるマルオ先輩といま「バンザイ隊」のチームを組んでいる。――私は知らなかったけれど、有料おめでとう隊(?)にはいろいろとあるんだね(汗)。「胴上げ隊」(アメフト部・柔道部)に「バンザイ隊」(映画サークル)、そして「花吹雪隊」(宝塚研究会)…。そんなとき、でも(?)ベテランであるはずのマルオ先輩が、不合格になった女の子に声をかけてしまう。ごめんなさいジュースを買いに行った先輩に代わって「僕」が、その子を慰めるはめに――みたいな話。言葉(方言)から同郷であることもすぐにわかる。
そういえば(この小説とは関係のない、個人的な思い出ばなしです)自分の場合、2浪目の後半くらいからほとんど勉強していなくて。最終的に「もう地元の大学を受ければいいか」みたいな投げやりな気分で、1校だけ受けて受かって(大学というものに初めて受かったので嬉しかったことは嬉しかったけれど)、合格発表も(地元だから)大学まで見に行ったのだけれど(人出も少なくてすごく地味な感じだった)、その帰りがけに校門から続いている道を――たぶんバス停に向かっていたんだと思うけれど――とても早足に「号泣」と言っていいくらいな泣き方で泣きながら歩いていく1人の女の子を見かけて…。さすがにそのときは、いいかげんな自分と立場を変わってあげたいな、みたいなことは思ったけれど。
非合法の(?)学生アルバイトといえば、合格電報(合格・不合格通知電報)のアルバイトもあったよね(いまもあるのかな?)。あ、考えてみれば、そちらのアルバイトの稼ぎ時(?)は、合格発表日ではなくて、入試の当日…になるのか。そう、“受験文化”の継承というか、「サクラサク/サクラチル」といういまでも使われる言葉は、もともと電報の文句だもんね(違ったっけ?)。(ネタバレしてしまうかもしれないけれど、干刈あがた「マスク」(『物は物にして物にあらず物語 借りたハンカチ』集英社、1989)という短篇(掌篇)では、主人公が最後にそのアルバイトをしている。あと、東野圭吾のエッセイ集『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫)を読むと、合格電報ならぬ“合格電話”というものもあったようだ。いまやインターネットな世の中だし、そんな電報も電話も古きよき時代の産物?)
高橋源一郎 「キムラサクヤの「秘かな欲望」、マツシマナナヨの「秘かな願望」」
2010年11月16日 読書
『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』(朝日新聞社、2005/朝日文庫、2010)の最初に収録されているいちばん長い一篇。「いくつか」というのは収録作数でいえば5つ。久しぶりにこの作者の小説を読んだけれど、あいかわらずこんなような小説を書いていたんだね。あいかわらず読んでいて(かなり読みやすいけれど)いらいらするし、面白くないし…。ま、あれこれと考えさせられはしたけれど。でも、あれこれ考えても自分(もてないです、もちろん)の人生、あるいは世界平和(?)にとって何の役にも立たないだろう、と思う。
<日本一「もてない男」は、時には有名大学を、時にはスターになることを目指し、女にもてる道を模索する。そして「JJ」をこよなく愛し、性交経験3回の「もてない女」と出会ってしまう。ふたりの欲望の果てに何がある? 性交についてぐるぐる考えてしまうユーモアたっぷりの物語。>(文庫カバーより)
高橋源一郎版『1Q84』? ――ぜんぜん違うか(汗)。小説(あるいは創作された物語全般において)最後に第3者が出てきて上から目線(?)で……みたいな解決方法(解決になっていないけれど)を私は認めたくない。それならまだ地震とか台風とか何か激しい自然現象でも起こったほうがまし。――それはともかくちょっと思ったのは、AVに出演しようとするよりも、お笑い芸人を目指して専門学校(養成所)に入学するとかすればいいのにな、ということ。いまお笑い芸人、男女ともすごくもてそうだよね。ま、もてるまで行かなくてもすごく愛されそうだし。TVにたくさん出れるほど売れなくても、身体的な特徴(コンプレックスな部分)とかを笑いに変えられそうだし、自分の身近な人に笑ってもらえるだけでも、それは一種の“救い”になるのではないか。あ、それだけでは「性交」が困るか。しばらくは(売れるまでは)先輩芸人から安くていいお店でも紹介してもらえばいいのでは? ←かなりテキトーなことを言っています、すみません。
本題というか。神奈川県の県立高校卒・キムサクくん(本名スズキイチロー)の大学受験に関しては、こんな感じ。
<その年(東大に二年連続して落第した次の年)、キムラサクヤは、慶応にも青山学院にも合格しなかった。その翌年、キムラサクヤは、慶応と青山学院の他に、都内のおよそ十の私立大学を受験した。だが、キムラサクヤを受け入れてくれる大学は存在しなかった。さらに、翌年、大学受験をはじめて五年目に、ようやく、キムラサクヤは、埼玉県のある私立大学に合格した。/そこは、願書を提出し、日本語を理解することさえできれば、よほどのことがない限り、誰でも合格できる大学であった。>(p.24)
なかなか塁に出れないイチローくん、やっとセーフティバントで……つまらない比喩はやめておこう(汗)。最後に入れた大学にはすぐ幻滅して(?)中退。そもそも現役受験のときには担任教師から、東大は絶対無理、という意味合いの太鼓判を押されている。――ところで、東大に入れればもてるのかな? 『もてない男』の小谷野敦(1浪、東大卒)はなんて言っていたっけ?(忘れちゃったよ)。恋愛にかぎらず“こんなはずじゃなかった灰色の東大生生活小説”みたいな小説も、探せばたくさんありそうだけれど。
<日本一「もてない男」は、時には有名大学を、時にはスターになることを目指し、女にもてる道を模索する。そして「JJ」をこよなく愛し、性交経験3回の「もてない女」と出会ってしまう。ふたりの欲望の果てに何がある? 性交についてぐるぐる考えてしまうユーモアたっぷりの物語。>(文庫カバーより)
高橋源一郎版『1Q84』? ――ぜんぜん違うか(汗)。小説(あるいは創作された物語全般において)最後に第3者が出てきて上から目線(?)で……みたいな解決方法(解決になっていないけれど)を私は認めたくない。それならまだ地震とか台風とか何か激しい自然現象でも起こったほうがまし。――それはともかくちょっと思ったのは、AVに出演しようとするよりも、お笑い芸人を目指して専門学校(養成所)に入学するとかすればいいのにな、ということ。いまお笑い芸人、男女ともすごくもてそうだよね。ま、もてるまで行かなくてもすごく愛されそうだし。TVにたくさん出れるほど売れなくても、身体的な特徴(コンプレックスな部分)とかを笑いに変えられそうだし、自分の身近な人に笑ってもらえるだけでも、それは一種の“救い”になるのではないか。あ、それだけでは「性交」が困るか。しばらくは(売れるまでは)先輩芸人から安くていいお店でも紹介してもらえばいいのでは? ←かなりテキトーなことを言っています、すみません。
本題というか。神奈川県の県立高校卒・キムサクくん(本名スズキイチロー)の大学受験に関しては、こんな感じ。
<その年(東大に二年連続して落第した次の年)、キムラサクヤは、慶応にも青山学院にも合格しなかった。その翌年、キムラサクヤは、慶応と青山学院の他に、都内のおよそ十の私立大学を受験した。だが、キムラサクヤを受け入れてくれる大学は存在しなかった。さらに、翌年、大学受験をはじめて五年目に、ようやく、キムラサクヤは、埼玉県のある私立大学に合格した。/そこは、願書を提出し、日本語を理解することさえできれば、よほどのことがない限り、誰でも合格できる大学であった。>(p.24)
なかなか塁に出れないイチローくん、やっとセーフティバントで……つまらない比喩はやめておこう(汗)。最後に入れた大学にはすぐ幻滅して(?)中退。そもそも現役受験のときには担任教師から、東大は絶対無理、という意味合いの太鼓判を押されている。――ところで、東大に入れればもてるのかな? 『もてない男』の小谷野敦(1浪、東大卒)はなんて言っていたっけ?(忘れちゃったよ)。恋愛にかぎらず“こんなはずじゃなかった灰色の東大生生活小説”みたいな小説も、探せばたくさんありそうだけれど。
小池昌代 「大東京地下新世界」
2010年11月16日 読書
そのうち何か本に収録されるとは思うけれど、早めに(いまのうちに)触れておきたいと思って。『小説宝石』(光文社)2010年11月号の「特集 官能の甘いささやき」のうちの1篇。「大」とか「新」とか、大風呂敷を広げている(?)わりになんとなく閉じている感じ? ネタバレしてしまうけれど、地下には河原があって、コーヒーゼリーのようなものが…。なんていうか、説得力はあるのかな?(うーん…)。とりあえず、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』とか、「かえるくん、東京を救う」(『神の子どもたちはみな踊る』)とかを思い出してしまう。
3度目の受験に惨敗――女子で2浪しているというのは、少なくとも小説では少数派だと思う。しかも2浪目も落ちているし。ただ、あまりショックを受けていない感じとか、悲愴感が感じられない点とか、今風といえばちょっと今風かもしれない。そういえば、男の子と違って女の子は、将来の心配をあまりしない傾向がある?(あ、とりあえず小説の話です)。でも(?)、実家(秋田県)の父親の会社が倒産して、資金援助の無くなった「わたし」(=ユキ、21歳)は、ぼろアパートに引っ越して、受験も(もううんざりとのことで)やめて、ほかにすることもなく新宿の西口地下で人間観察――。作者じしんが詩人でもあるのだけれど、それはともかく。その場所で自作の詩集を売っている少女(=綽名・スコット、18歳)と出会って「わたし」の部屋での同居生活が始まる。――なんていうか、いわゆるふつうの(?)官能小説を期待して、この雑誌を買ったオジサンとかは、とてもがっくり? …まぁそれはともかく。少女=スコットはあとでホームレスだったということがわかる。これも一応、小説でたまに見かけるパターン、「浪」つながり、浪人生と浮浪者のカップリングというか。
詩集に関しては、1960年代、1970年代どころか、岡松和夫「百合鴎」の作中年なんて、1950年代だっけ? だいぶ前に読んでよく覚えていないけれど、主人公は新宿の路上で女性から詩集を買っている(たぶん)。そう、新宿で人を「待つ」みたいな話で思い出したけれど――また村上春樹だけれど、『ねじまき鳥クロニクル』という小説に、主人公がベンチに座って(ドーナツを買って食べたりして)一日じゅう通行人を見つづける、みたいな場面があって。個人的にちょっと(というかけっこう)好きな場面。←この話、以前にもこのブログで書いたような記憶が…(あぁ既視感)。
3度目の受験に惨敗――女子で2浪しているというのは、少なくとも小説では少数派だと思う。しかも2浪目も落ちているし。ただ、あまりショックを受けていない感じとか、悲愴感が感じられない点とか、今風といえばちょっと今風かもしれない。そういえば、男の子と違って女の子は、将来の心配をあまりしない傾向がある?(あ、とりあえず小説の話です)。でも(?)、実家(秋田県)の父親の会社が倒産して、資金援助の無くなった「わたし」(=ユキ、21歳)は、ぼろアパートに引っ越して、受験も(もううんざりとのことで)やめて、ほかにすることもなく新宿の西口地下で人間観察――。作者じしんが詩人でもあるのだけれど、それはともかく。その場所で自作の詩集を売っている少女(=綽名・スコット、18歳)と出会って「わたし」の部屋での同居生活が始まる。――なんていうか、いわゆるふつうの(?)官能小説を期待して、この雑誌を買ったオジサンとかは、とてもがっくり? …まぁそれはともかく。少女=スコットはあとでホームレスだったということがわかる。これも一応、小説でたまに見かけるパターン、「浪」つながり、浪人生と浮浪者のカップリングというか。
詩集に関しては、1960年代、1970年代どころか、岡松和夫「百合鴎」の作中年なんて、1950年代だっけ? だいぶ前に読んでよく覚えていないけれど、主人公は新宿の路上で女性から詩集を買っている(たぶん)。そう、新宿で人を「待つ」みたいな話で思い出したけれど――また村上春樹だけれど、『ねじまき鳥クロニクル』という小説に、主人公がベンチに座って(ドーナツを買って食べたりして)一日じゅう通行人を見つづける、みたいな場面があって。個人的にちょっと(というかけっこう)好きな場面。←この話、以前にもこのブログで書いたような記憶が…(あぁ既視感)。
岬兄悟 「夢メビウス」
2010年11月15日 読書
“夢”がテーマになっている連作集『夢幻漂流者』(「ナイト・ウォーカーズ」という副題、徳間文庫パステルシリーズ、1990)所収、全5篇中の5篇目。本の後ろのほうによれば、この1篇の初出は『SFアドベンチャー』1990年5月号であるらしい。――読んでいてわりとすぐに思ったのは、別に「メビウス」(の輪)でなくても、たんなる円でいいのではないか、みたいなこと。ま、でも、夢と現実が地続きになっていたり…、ということでたんなる円よりは、イメージ的に合っているのかな。
というか、その前に「メビウスの輪」ってみなさん(?)知ってます? 意外と知らない人は知らないかと思うのだけれど、えーと…(文系アタマの私が説明していいんだろうか(汗))、帯状のものというか、何か細長い長方形のもの(紙など)の片端をひとひねり=半回転(180度回転)させて、もう一方の端とくっつけてできたものが、それ。ぱっと見、ねじれている…かな。表側の面を指でなぞっていくといつのまにか裏側に、裏側をなぞっていくといつのまにか表側に…みたいな性質や、この小説とは関係がないけれど、帯の真ん中を(紙製のものなら)カッターとかで切って輪っかを2つにすると、バラバラにならずにつながったまま(鎖状)になる、みたいな性質もある。
昔、何かに哲学者の中島義道が「時間」をテーマにした絵画を見ると雰囲気的なもの(?)が多くてがっかりする、みたいなことを書いていた覚え(だいぶうろ覚え)があるけれど、「時間」ではなく「数学」的な概念にしても(絵ではなくて小説にしても)なんていうか、逆にあまり難しいことを言われても(個人的には)理解できなくて困るけれど、全体的にもうちょっとどうにかならんのか? とは思わなくもない。いいかげんなものが多すぎるよね?(そうでもないかな…)。個人的に「幻想~」とか「ホラー~」とか形容される小説が苦手だから、そう思うのかな?(話が飛躍しているな…)。あ、思い出した、“メビウスの輪っかもの”、「輪」が大きすぎるけれど、森博嗣『捻れ屋敷の利鈍 The Riddle in Torsional Nest』(講談社ノベルス、2002/講談社文庫、2005)はちゃんとしていて(?)お薦めです(あ、シリーズものの1巻なので、これだけいきなり読んでもさしさわりがあるかもしれない。ネタバレとか)。
2浪目に入った「ぼく」(=喜久男)が予備校(本人曰く「二流予備校」@東京)の手続きを終えて、駅へと向かう途中、謎の女性を見かける。追いかけても、追いつけない。それから何日も追いかけてみるけれど、やっぱり追いつけない。でも、工夫をして(?)ついに出会えるのだけれど、それからはめくるめく性的な生活(?)が――。“浪人生小説”(そんなジャンルはないけれど)として注目すべき点は、要するに“繰り返し”、“ループ感”かな。一般に(?)浪人生、特に2浪以上の人は、勉強など、前年と同じことを繰り返さなければいけないから。来年100%受かるという保証もないまま、来年も今年と同じように落ちるのではないかという不安を抱えて…。文脈を説明しないといけないかもしれないけれど(省略して言っておけば)、作中で<永遠に浪人生>、<永遠の受験浪人>という言葉が使われている(p.244, p.248)。
(ちなみに、浪人&夢魔つながりでは、綾辻行人「夢魔の手」(『フリークス』)という小説もあったっけ。病院が舞台になっていたこと以外、何も思い出せないけれど(汗)。)
というか、その前に「メビウスの輪」ってみなさん(?)知ってます? 意外と知らない人は知らないかと思うのだけれど、えーと…(文系アタマの私が説明していいんだろうか(汗))、帯状のものというか、何か細長い長方形のもの(紙など)の片端をひとひねり=半回転(180度回転)させて、もう一方の端とくっつけてできたものが、それ。ぱっと見、ねじれている…かな。表側の面を指でなぞっていくといつのまにか裏側に、裏側をなぞっていくといつのまにか表側に…みたいな性質や、この小説とは関係がないけれど、帯の真ん中を(紙製のものなら)カッターとかで切って輪っかを2つにすると、バラバラにならずにつながったまま(鎖状)になる、みたいな性質もある。
昔、何かに哲学者の中島義道が「時間」をテーマにした絵画を見ると雰囲気的なもの(?)が多くてがっかりする、みたいなことを書いていた覚え(だいぶうろ覚え)があるけれど、「時間」ではなく「数学」的な概念にしても(絵ではなくて小説にしても)なんていうか、逆にあまり難しいことを言われても(個人的には)理解できなくて困るけれど、全体的にもうちょっとどうにかならんのか? とは思わなくもない。いいかげんなものが多すぎるよね?(そうでもないかな…)。個人的に「幻想~」とか「ホラー~」とか形容される小説が苦手だから、そう思うのかな?(話が飛躍しているな…)。あ、思い出した、“メビウスの輪っかもの”、「輪」が大きすぎるけれど、森博嗣『捻れ屋敷の利鈍 The Riddle in Torsional Nest』(講談社ノベルス、2002/講談社文庫、2005)はちゃんとしていて(?)お薦めです(あ、シリーズものの1巻なので、これだけいきなり読んでもさしさわりがあるかもしれない。ネタバレとか)。
2浪目に入った「ぼく」(=喜久男)が予備校(本人曰く「二流予備校」@東京)の手続きを終えて、駅へと向かう途中、謎の女性を見かける。追いかけても、追いつけない。それから何日も追いかけてみるけれど、やっぱり追いつけない。でも、工夫をして(?)ついに出会えるのだけれど、それからはめくるめく性的な生活(?)が――。“浪人生小説”(そんなジャンルはないけれど)として注目すべき点は、要するに“繰り返し”、“ループ感”かな。一般に(?)浪人生、特に2浪以上の人は、勉強など、前年と同じことを繰り返さなければいけないから。来年100%受かるという保証もないまま、来年も今年と同じように落ちるのではないかという不安を抱えて…。文脈を説明しないといけないかもしれないけれど(省略して言っておけば)、作中で<永遠に浪人生>、<永遠の受験浪人>という言葉が使われている(p.244, p.248)。
(ちなみに、浪人&夢魔つながりでは、綾辻行人「夢魔の手」(『フリークス』)という小説もあったっけ。病院が舞台になっていたこと以外、何も思い出せないけれど(汗)。)
森村誠一 『夢魔(ナイトメア)』
2010年11月15日 読書
手もとにあるのは、祥伝社文庫(2005)。後ろのほうに<(この作品(略)は、平成十五年二月、小社から新書判で刊行されたものです)>とある。内容の感想ではないけれど、読み終わった(ひと通り目を通した)ということを、今いちばん言いたい(汗)。※以下、いわゆるネタバレ注意です。
<京子、恵子、雅江の女子大生三人は、古代異族の末裔と言われる老婆を秩父に訪ね一泊した。翌朝、老婆は死んでおり、枕元に一億円余の入った鞄があった。一年後、主婦や社会人になった三人。大金をくすねる際、飼い猫に引っ掻かれた傷がいまだ癒えず、体に奇妙な変化も。さらに、彼女らの周囲に謎の男や警察の影が! 青春の罪に怯える女たちのホラー・サスペンス。>(文庫カバーより)
3人のうちの1人、雅江(姓は秋本)の就職先は、予備校。最初は事務で、でも急成長している予備校、英文科(名門の東都女子大)卒であることを買われて講師に。「受験天才」と題された章がある。倉林弘という予備校生が雅江の前に生徒として現れる。雅江は、倉林が雅江たちがりん婆さん(土門りん)の家にあった大金をネコババしたことを知っているのではないか、と疑う。
全体的に(あぁ愚痴が始まっちゃうよ)なんていうか「支離滅裂」と言えば言い過ぎかもしれないけれど、雑然としているというか、粗雑な印象を受けるというか、論理的ではない…というか、論理的かどうか以前に文章に問題があるのではないか、というか。予備校とはかくかくしかじかな所である、とか、予備校生にはこれこれこういうタイプの人がいる……みたいなことも書かれているのだけれど、このセンテンス(文)で言われていることは正しい、このセンテンスは事実的におかしい、ここはどちらとも言えない、みたいな…、なんていうか、読んでいてめんどくさいし、私はふだんならこの手の文章はそもそも読む気がしない(のでたぶん読まない)というか。――こんな説明では何が言いたいのかわからないか…(涙)、文章力については他人のことがぜんぜん言えません(すみません)。――少し証拠を見せたいのだけれど、長めに引用してしまうか。
<雅江は予備校に勤務して、受験生にいくつかのタイプがあることを知った。/一は、志望校を目指して一心不乱に勉強する生徒。/ニは、女子に多いタイプであるが、とりあえず大学へ行く以外に、ほかにすることがないので予備校に来る者。/三は、一型の亜種であるが、二次、三次志望校には合格したものの、第一志望に入れないために浪人をつづけている者。/四は、二浪、三浪のベテランで、かなりの実力は有するものの、受験技術が下手で、合格しない者。/五は、特定の志望校もなく、とりあえずどこにも行く当てがないので予備校へ来ている者。/六は、三の亜種であるが、どこを受けても合格せず、モラトリアムとして予備校を溜まり場としている者。/七は、高卒でいったん社会へ出たものの、進学したくなって予備校へ来る者。/八は、予備校を時間潰しの場所として来る者。モラトリアム型と多少複合しているが、志望校も特になく、大学と混同している者が多い。/(略)>(p.148)
個人的には「なんだこりゃ?」のひと言だけれど(汗)、えーと、まず「一」はいいか。次の「ニ」は、私には言っている意味がよくわからないな。大学に落ちてしまったけれど(落ちたのだからもちろん大学には通えないし)家にいてもしようがないので、通う必要はないけれど、予備校通い、みたいな? ――というか、1つずつ検討してもなんだか虚しい(涙)。とりあえず受験生のタイプ、といっても「なぜ予備校へ来ているのか」という理由(動機)によって予備校生が分類されている…のかな?(うーん…)。要するに(率直に言ってしまえば)そもそも分類=タイプ分けになんてなっていないんだよね、上の引用箇所。明らかな重複もあるし。…あ、あれ、「亜種」ってどういう意味だっけ? 「六」は「三」の亜種で、「三」は「一」の亜種、とのことだけれど、「一」はやる気がある系なのに対して、「六」はやる気がない系――矛盾しているけれど、いいの? あ、「八」は「六」と“複合”しているのか。というか、「八」ってけっこう「ニ」とかぶっている(涙)。よくわからないけれど、8種類が3種類くらいに減らせそうだ。――小説だから(分類の)重複・矛盾も許される、というご意見もあるかもしれないけれど、そんなことをいえば(?)小説的には、上のような随所に挟まれる解説(?)がストーリーとほとんど関係していない、ということは問題じゃないんだろうか?(汗)。3人組の1人・京子は大学卒業後、結婚相談所に勤めるのだけれど、「結婚相談所」についても、これこれあーだこーだ……みたいな“解説”があって、にもかかわらず、京子はすぐに結婚してしまい、それ以降、元の職場である相談所は、いちども登場してこない、とか。
倉林くんは、高校卒業後いったん社会に出ている。<高校在学中、暴走族に入り、鑑別所に二回送られている>(p.114)――これで高校は留年せずにストレートで卒業できたの?(まぁいいか)。埼玉県の秩父出身、いまは東京に下宿している。社会人として働いたときに貯めたお金が(まだ)あるらしい。年齢とかの数字は例によって(小説=フィクションではありがち)作中ですでに矛盾している気が、するけれど、雅江&弘はまとめると次のような感じ。
秋本雅江 / 倉林弘
(大学3年生 / 高校3年生)
大学4年生 / 社会人1年目
予備校講師1年目 / 社会人2年目
予備校講師2年目 / 予備校生1年目
そう、ネタバレしてしまうけれど、倉林が雅江に近づいてきたのは、結局、偶然ということ?(ちょっと脱力してしまう)。
<京子、恵子、雅江の女子大生三人は、古代異族の末裔と言われる老婆を秩父に訪ね一泊した。翌朝、老婆は死んでおり、枕元に一億円余の入った鞄があった。一年後、主婦や社会人になった三人。大金をくすねる際、飼い猫に引っ掻かれた傷がいまだ癒えず、体に奇妙な変化も。さらに、彼女らの周囲に謎の男や警察の影が! 青春の罪に怯える女たちのホラー・サスペンス。>(文庫カバーより)
3人のうちの1人、雅江(姓は秋本)の就職先は、予備校。最初は事務で、でも急成長している予備校、英文科(名門の東都女子大)卒であることを買われて講師に。「受験天才」と題された章がある。倉林弘という予備校生が雅江の前に生徒として現れる。雅江は、倉林が雅江たちがりん婆さん(土門りん)の家にあった大金をネコババしたことを知っているのではないか、と疑う。
全体的に(あぁ愚痴が始まっちゃうよ)なんていうか「支離滅裂」と言えば言い過ぎかもしれないけれど、雑然としているというか、粗雑な印象を受けるというか、論理的ではない…というか、論理的かどうか以前に文章に問題があるのではないか、というか。予備校とはかくかくしかじかな所である、とか、予備校生にはこれこれこういうタイプの人がいる……みたいなことも書かれているのだけれど、このセンテンス(文)で言われていることは正しい、このセンテンスは事実的におかしい、ここはどちらとも言えない、みたいな…、なんていうか、読んでいてめんどくさいし、私はふだんならこの手の文章はそもそも読む気がしない(のでたぶん読まない)というか。――こんな説明では何が言いたいのかわからないか…(涙)、文章力については他人のことがぜんぜん言えません(すみません)。――少し証拠を見せたいのだけれど、長めに引用してしまうか。
<雅江は予備校に勤務して、受験生にいくつかのタイプがあることを知った。/一は、志望校を目指して一心不乱に勉強する生徒。/ニは、女子に多いタイプであるが、とりあえず大学へ行く以外に、ほかにすることがないので予備校に来る者。/三は、一型の亜種であるが、二次、三次志望校には合格したものの、第一志望に入れないために浪人をつづけている者。/四は、二浪、三浪のベテランで、かなりの実力は有するものの、受験技術が下手で、合格しない者。/五は、特定の志望校もなく、とりあえずどこにも行く当てがないので予備校へ来ている者。/六は、三の亜種であるが、どこを受けても合格せず、モラトリアムとして予備校を溜まり場としている者。/七は、高卒でいったん社会へ出たものの、進学したくなって予備校へ来る者。/八は、予備校を時間潰しの場所として来る者。モラトリアム型と多少複合しているが、志望校も特になく、大学と混同している者が多い。/(略)>(p.148)
個人的には「なんだこりゃ?」のひと言だけれど(汗)、えーと、まず「一」はいいか。次の「ニ」は、私には言っている意味がよくわからないな。大学に落ちてしまったけれど(落ちたのだからもちろん大学には通えないし)家にいてもしようがないので、通う必要はないけれど、予備校通い、みたいな? ――というか、1つずつ検討してもなんだか虚しい(涙)。とりあえず受験生のタイプ、といっても「なぜ予備校へ来ているのか」という理由(動機)によって予備校生が分類されている…のかな?(うーん…)。要するに(率直に言ってしまえば)そもそも分類=タイプ分けになんてなっていないんだよね、上の引用箇所。明らかな重複もあるし。…あ、あれ、「亜種」ってどういう意味だっけ? 「六」は「三」の亜種で、「三」は「一」の亜種、とのことだけれど、「一」はやる気がある系なのに対して、「六」はやる気がない系――矛盾しているけれど、いいの? あ、「八」は「六」と“複合”しているのか。というか、「八」ってけっこう「ニ」とかぶっている(涙)。よくわからないけれど、8種類が3種類くらいに減らせそうだ。――小説だから(分類の)重複・矛盾も許される、というご意見もあるかもしれないけれど、そんなことをいえば(?)小説的には、上のような随所に挟まれる解説(?)がストーリーとほとんど関係していない、ということは問題じゃないんだろうか?(汗)。3人組の1人・京子は大学卒業後、結婚相談所に勤めるのだけれど、「結婚相談所」についても、これこれあーだこーだ……みたいな“解説”があって、にもかかわらず、京子はすぐに結婚してしまい、それ以降、元の職場である相談所は、いちども登場してこない、とか。
倉林くんは、高校卒業後いったん社会に出ている。<高校在学中、暴走族に入り、鑑別所に二回送られている>(p.114)――これで高校は留年せずにストレートで卒業できたの?(まぁいいか)。埼玉県の秩父出身、いまは東京に下宿している。社会人として働いたときに貯めたお金が(まだ)あるらしい。年齢とかの数字は例によって(小説=フィクションではありがち)作中ですでに矛盾している気が、するけれど、雅江&弘はまとめると次のような感じ。
秋本雅江 / 倉林弘
(大学3年生 / 高校3年生)
大学4年生 / 社会人1年目
予備校講師1年目 / 社会人2年目
予備校講師2年目 / 予備校生1年目
そう、ネタバレしてしまうけれど、倉林が雅江に近づいてきたのは、結局、偶然ということ?(ちょっと脱力してしまう)。
横山秀夫 『影踏み』
2010年10月13日 読書
祥伝社、2003/祥伝社文庫、2007。連作形式で書かれていて、1篇読み終わるともう1篇、みたいな感じで結局、最後まで読んでしまった感じ。意識としてはそれほど面白かった気はしないのだけれど。なんていうか、倫理観というか道徳観というかが、微妙といえば微妙な小説かも。横山秀夫(の小説)も今回、初めて読んだのだけれど、自分がいままでに読んだもののなかでは、えーと、連作だったせいか、北森鴻にちょっと似ている気がする(もっと似ている作風の人がいるかもしれないけれど、読書量が少ないのでよくわからんです)。
<深夜の稲村家。女は夫に火を放とうとしている。忍び込みのプロ・真壁修一は侵入した夫婦の寝室で殺意を感じた――。直後に逮捕された真壁は、二年後、刑務所を出所してすぐ、稲村家の秘密を調べ始めた。だが、夫婦は離婚、事件は何にも起っていなかった。思い過ごしだったのか? 母に焼き殺された弟の無念を重ね、真壁は女の行方を執拗に迫った……。(「消息」より)>(文庫カバーより)
「消息」というのは最初の1篇。<焼き殺された>というのは、将来を悲観した母親が弟と無理心中を図って…、という感じ。その弟=啓二(双子の弟)はいま、修一の“脳内弟”になっている。啓二が亡くなったのは、浪人中というかフリーター中というか、空き巣を重ねていた時というか。兄の修一が大学1年で、本人は浪人のときに、3人で付き合っていた安西久子(現在は保育士)が兄のほうを選んで、その後、家に寄り付かなくなって…みたいなことが転落(?)の発端。そう、小説(フィクション)ではありがちだけれど、啓二が高校卒業してから亡くなるまでの(いくつかの)出来事が、ちゃんと時系列に沿った形で並べられない(少なくとも私の頭の中では)。あと、そもそも双子(一卵性双生児)なのに、弟が兄のことを<修兄ィ>というふうに「兄」を付けて呼ぶかな? TVを見ていても、出てくる双子はみんなお互いを名前で呼び捨てにしているような。あ、亡くなってから歳がだんだん離れていってしまうので、生前とは呼び方を変えたとか?(そんなことはないか)。弟は“永遠の浪人生”…とは言えないか、とりあえず“永遠の19歳”。ちなみに2人の誕生日は昭和42年(1967年)の1月18日(p.123)。主人公=修一は何歳だっけ? えーと…、小説の最初では、34歳?(その2年前、32歳のときに逮捕されている)。
<深夜の稲村家。女は夫に火を放とうとしている。忍び込みのプロ・真壁修一は侵入した夫婦の寝室で殺意を感じた――。直後に逮捕された真壁は、二年後、刑務所を出所してすぐ、稲村家の秘密を調べ始めた。だが、夫婦は離婚、事件は何にも起っていなかった。思い過ごしだったのか? 母に焼き殺された弟の無念を重ね、真壁は女の行方を執拗に迫った……。(「消息」より)>(文庫カバーより)
「消息」というのは最初の1篇。<焼き殺された>というのは、将来を悲観した母親が弟と無理心中を図って…、という感じ。その弟=啓二(双子の弟)はいま、修一の“脳内弟”になっている。啓二が亡くなったのは、浪人中というかフリーター中というか、空き巣を重ねていた時というか。兄の修一が大学1年で、本人は浪人のときに、3人で付き合っていた安西久子(現在は保育士)が兄のほうを選んで、その後、家に寄り付かなくなって…みたいなことが転落(?)の発端。そう、小説(フィクション)ではありがちだけれど、啓二が高校卒業してから亡くなるまでの(いくつかの)出来事が、ちゃんと時系列に沿った形で並べられない(少なくとも私の頭の中では)。あと、そもそも双子(一卵性双生児)なのに、弟が兄のことを<修兄ィ>というふうに「兄」を付けて呼ぶかな? TVを見ていても、出てくる双子はみんなお互いを名前で呼び捨てにしているような。あ、亡くなってから歳がだんだん離れていってしまうので、生前とは呼び方を変えたとか?(そんなことはないか)。弟は“永遠の浪人生”…とは言えないか、とりあえず“永遠の19歳”。ちなみに2人の誕生日は昭和42年(1967年)の1月18日(p.123)。主人公=修一は何歳だっけ? えーと…、小説の最初では、34歳?(その2年前、32歳のときに逮捕されている)。
津田耀子 「微笑みは五月の海」
2010年10月12日 読書
『少年の休日』(集英社文庫コバルトシリーズ、1978)所収、6篇中の3篇目。ひと昔前の小説、やっぱり時代を感じてしまう。口数の少ない静かなコミュニケーションというか。仁保明は予備校が終わると、いつも(?)海の近くの松林にある図書館へ。そこにはちょっとすれた感じ(?)の司書・沖津礼子がいたり、明のことが好きな少女・小森妙子がいたり。図書館の入り口には妙子が飼っている犬(「ノヴェンバア」)がいたり。――私は最近、小説に犬が出てくると死んでしまうのではないか、と疑うくせがあるのだけれど、この小説は犬ではなくて……、ハッピー・エンディングが好きなのに!(涙)。ほかに登場人物としては、予備校友達・山本三郎がいる(2回だけちらっと出てくる)。そう、ちょっと気になったのは、5月に今年(前年度)の入試の問題集って、もう出版されているのかな? 少し早い気がする(そうでもないか)。あ、作中月の5月と犬の名前の「11月」とは、きれいに半年(6ヶ月)ずれている(なぜ?)。奥付の上のところによれば、作者は昭和20年(1945年)生まれ。コバルト文庫つながりでは、落合恵子と同じ年生まれか(落合恵子のほうは早生まれ)。ちなみに2篇あと(5篇目)の「別れても哀しみはなく」の主人公も、大学に落ちている(翌年合格)。
柴田よしき 『求愛』
2010年10月12日 読書
徳間書店、2006/徳間文庫、2010。※以下、いちおうネタバレ注意です。毎度すみません。
<フリーランスの翻訳者・弘美は、自殺とみられた親友の死の真相をつきとめたことをきっかけに、探偵事務所の調査員となる。自殺願望の女子中学生、浮気疑惑のエリート医師夫人、砂場に生ゴミを埋める主婦……。ささやかな毎日を懸命に生きる女たちと関わって、弘美自身が掴んだ人生の真実とは……!? 深い感動を呼ぶサスペンス・ミステリー!>(文庫カバーより)
文章は読みやすいけれど、読んでいてちょっといらいらする。主人公はうっすら微妙に自分勝手な人? 短篇連作な感じになっているのだけれど、各篇に女性が登場してきて、でも、弘美さん、結局は毎度、自分のことに結び付けてしまう感じ。この作者の小説を読むのはこれで2冊目。以前読んだものもいまいちで、もしかしたら自分には向いていないのかも(涙)。――早めに本題に。ネタバレしてしまうけれど、3篇目の「悲しみの連鎖」に予備校生が出てくる。名前は桑名美夜、19歳。「TG(トランスジェンダー)」とのことで、体は女性、心と身なりは男性。「トランスジェンダー」ってたぶん、そんなに昔から使われている言葉ではないと思うけれど、でも、全篇を通じてあれこれと女性が登場してくるなかで、どうして唯一、浪人生だけがそんな設定になっているか、といえば、これはやっぱり「浪人生=男子」という古い(社会的な)イメージに縛られているからではないか? 理由はともかく、この小説も「小説に出てくる女子浪人生は男の子っぽく描かれる」という例の(?)パターンを踏襲している。
<フリーランスの翻訳者・弘美は、自殺とみられた親友の死の真相をつきとめたことをきっかけに、探偵事務所の調査員となる。自殺願望の女子中学生、浮気疑惑のエリート医師夫人、砂場に生ゴミを埋める主婦……。ささやかな毎日を懸命に生きる女たちと関わって、弘美自身が掴んだ人生の真実とは……!? 深い感動を呼ぶサスペンス・ミステリー!>(文庫カバーより)
文章は読みやすいけれど、読んでいてちょっといらいらする。主人公はうっすら微妙に自分勝手な人? 短篇連作な感じになっているのだけれど、各篇に女性が登場してきて、でも、弘美さん、結局は毎度、自分のことに結び付けてしまう感じ。この作者の小説を読むのはこれで2冊目。以前読んだものもいまいちで、もしかしたら自分には向いていないのかも(涙)。――早めに本題に。ネタバレしてしまうけれど、3篇目の「悲しみの連鎖」に予備校生が出てくる。名前は桑名美夜、19歳。「TG(トランスジェンダー)」とのことで、体は女性、心と身なりは男性。「トランスジェンダー」ってたぶん、そんなに昔から使われている言葉ではないと思うけれど、でも、全篇を通じてあれこれと女性が登場してくるなかで、どうして唯一、浪人生だけがそんな設定になっているか、といえば、これはやっぱり「浪人生=男子」という古い(社会的な)イメージに縛られているからではないか? 理由はともかく、この小説も「小説に出てくる女子浪人生は男の子っぽく描かれる」という例の(?)パターンを踏襲している。
朝倉かすみ 「みんな嘘なんじゃないのか」
2010年10月11日 読書
『声出していこう』(光文社、2010)の「第三章」(全6章)。この作者の小説は以前1冊読んだことがあって、それが面白かったので、ちょっと期待していたのだけれど(ハードルを上げてしまったせいか)この連作短篇集は、それほど面白くは感じなかったです。あと、昔はそうでもなかったけれど、最近(といってもだいぶ前から)広い意味で「意識の流れ」というか、登場人物の頭の中身が中心となっているような小説がどうも苦手になっていて…。主人公がもっとあれこれ動いてくれないと、頭に意味が入ってこない(←小学生レベルの頭ん中?)。ほかには、連作としての意外性(人と人とのつながりなど)も、もっと何かサプライズがあるのかと思っていたら、それほどでもなくて。うーん…。
帯の<うだつよ、上がれ!>という文句がちょっとぐっとくる(汗)。2008年10月20日、札幌市内の地下鉄の駅(イトーヨーカドーがあったり)で、刃物による無差別切りつけ事件が発生。犯人は捕まっていない。6篇とも、視点人物となっているのは、その駅やその隣の駅の近くで暮らしたり、働いたり(アルバイトやパートをしたり)学校に通ったりしている人たち。下は中学生から、上は50歳のドラッグストア店員まで計6人。――で、みんなうだつが上がっていないというか、要するにダサい(汗)。ダサさに関してはぜんぜん人のことが言えないので、(他人事として笑いつつも)だいぶ身につまされてしまったです。(このブログもそっくり削除してしまいたい気分になるけれど、まだしばらくは我慢しよう(汗)。)
3篇目(=「みんな嘘なんじゃないのか」)の主人公は、いちおう浪人生、最上幹基(もがみ・みきもと)・20歳。いちおう北大の法学部志望で、将来の“夢”は弁護士になること。でも、偏差値は40弱(北大は無謀すぎる…)。昨年は予備校に通っていて、今年は自宅浪人。ちょっとネタバレしてしまうけれど、家は商店街にあるラーメン屋で、母親が腰を悪くしてから(いまは12月で、10月から)アルバイトとしてその店を手伝っている。彼女はいないけれど、41歳のドラッグストア店員=裕子といちおう交際している。そう、最後――これもネタバレになっちゃうか――幹基くんが思い至った(思いついた)、2回りも歳上の裕子が自分のような人と付き合っている理由(もちろん本当かどうかは不明)が、ちょっと面白いというか。(ま、でも、これは推理小説によくある“疑わしきは浪人生”の変形ヴァージョンかな。)
ちなみに5篇目=「第五章 大きくなったら」の主人公(46歳)も昔、浪人している。3浪しても希望どおり大学には合格できず、就職。
[追記]その後、文庫化。光文社文庫、2013.8。
帯の<うだつよ、上がれ!>という文句がちょっとぐっとくる(汗)。2008年10月20日、札幌市内の地下鉄の駅(イトーヨーカドーがあったり)で、刃物による無差別切りつけ事件が発生。犯人は捕まっていない。6篇とも、視点人物となっているのは、その駅やその隣の駅の近くで暮らしたり、働いたり(アルバイトやパートをしたり)学校に通ったりしている人たち。下は中学生から、上は50歳のドラッグストア店員まで計6人。――で、みんなうだつが上がっていないというか、要するにダサい(汗)。ダサさに関してはぜんぜん人のことが言えないので、(他人事として笑いつつも)だいぶ身につまされてしまったです。(このブログもそっくり削除してしまいたい気分になるけれど、まだしばらくは我慢しよう(汗)。)
3篇目(=「みんな嘘なんじゃないのか」)の主人公は、いちおう浪人生、最上幹基(もがみ・みきもと)・20歳。いちおう北大の法学部志望で、将来の“夢”は弁護士になること。でも、偏差値は40弱(北大は無謀すぎる…)。昨年は予備校に通っていて、今年は自宅浪人。ちょっとネタバレしてしまうけれど、家は商店街にあるラーメン屋で、母親が腰を悪くしてから(いまは12月で、10月から)アルバイトとしてその店を手伝っている。彼女はいないけれど、41歳のドラッグストア店員=裕子といちおう交際している。そう、最後――これもネタバレになっちゃうか――幹基くんが思い至った(思いついた)、2回りも歳上の裕子が自分のような人と付き合っている理由(もちろん本当かどうかは不明)が、ちょっと面白いというか。(ま、でも、これは推理小説によくある“疑わしきは浪人生”の変形ヴァージョンかな。)
ちなみに5篇目=「第五章 大きくなったら」の主人公(46歳)も昔、浪人している。3浪しても希望どおり大学には合格できず、就職。
[追記]その後、文庫化。光文社文庫、2013.8。
伊藤たかみ 『そのころ、白旗アパートでは』
2010年10月11日 読書
講談社、2010。連作短篇集。ありがちな“アパート住人小説”? すごくつまらなかったというわけではないけれど、それほど面白かったというわけでもなく、…うーん。そういえば、私は小説に関しては、基本的に“文庫派”なのだけれど、最近、単行本もぽつぽつと買って読んでいて。だから(?)しみじみ思うに1,500円(税別)はかなり高いよね…、この小説は内容から勝手に値段を付ければ、ずばり400円! という感じ。屋台のたこ焼き価格。誰か伊藤たかみの小説に対して「B級純文学」という言葉を使っていなかったっけ? それを半分パクれば、この小説は「B級エンタメ系小説」という感じかも。微妙です。微温的というよりずっと平熱な感じがする(意味不明?)。
アパートがあるのは、例によって(?)東京で、荻窪と阿佐ヶ谷の両駅から同じくらいの距離にある、住宅街のなか。小説家の加藤(202号室)、医学部浪人の藤井寺(203号室)、勤労(?)留年中大学生のフトシ(201号室)という20歳台後半の3人がメイン・キャラになっている(「キャラ」という言葉で十分だ)。で、全6篇中4篇目までが(ちょっと印象とはずれる気がするけれど)言葉で無理やり大雑把に括ってみれば、視点人物の、1人の女性との出会いと別れが描かれている、という感じ(やっぱりちょっと違うか)。「お金」や「貧乏」がちゃんとキーワード(?)になっているのも、とりあえず4篇目までかもしれない。というか、“貧乏住人”というより“貧乏ごっこ住人”ばっかりだよね?(あ、フトシくん以外は)。5、6篇目になると、ザ・ありがちな設定、アパートの取り壊しが決まっていて、3人は今後どうするのか、みたいなことでいわゆる教養小説(成長小説)っぽくもなっている(そう、3人とも20台後半という高年齢なあたりは、設定が今風?)。なんていうか、この小説(あるいは作者)、言葉に対する意識(センス)も低い気がする(しり取り、「白旗/白鳩」、「しらこ/しろこ」など)。そう、幽霊のような貧乏神とか、本の文字を食べる謎の虫とか、そういう非日常的なアイテム(?)の扱いも、なんだかぜんぜん面白くなかったよな…(私は村上春樹とか川上弘美とか小川洋子が好きなんです。…それはともかく)。あと、アパートは1階と2階で8部屋ずつだっけ? 16人くらい全員登場させればいいのにな。16人はちょっと多いか。でも、とりあえず、登場してくる住人が少なすぎだと思う。
2篇目と最後の6篇目がいちおう浪人生の藤井寺くん目線。前者は1人称で「僕」、後者は3人称で「藤井寺」。後者は(2重の意味で?)もう大学受験が終わっているので「浪人生」とは言えなくなっているかもしれないけれど。藤井寺くんは、金沢市出身、親は小さな病院を開いていて、2人の兄は医者になっている。――なんていうか、この作家も設定がぶれる人?(それほどでもないのか)。数字でいえば、藤井寺くんは一度入った大学を卒業間際で辞めて医学部浪人に、2篇目の時点で上京してもう6年、今年26歳だという。あと、<今年二十八歳になるはずの加藤氏、ひとつ下のフトシ氏>という箇所もある(p.47)。フトシ氏は(同じく2篇目の時点で)2浪3留の大学生。――それほどおかしいというわけではないか。中退した大学には実家から通っていたんだっけ?(ちゃんと読み直さないとわからない(涙))。とりあえず、上京して6年ではなく「4年」にすれば不自然ではなくなるかも。数字以外では、最初の1篇(まだ売れていない作家・加藤氏目線の1篇)を読むと、藤井寺くんは、親には受験していると嘘を付いている(要するに受験していない)みたいなことが書かれているけれど、それって、最後の6篇目と矛盾しない?(まぁどうでもいいか、考えるのがめんどくさくなった(涙))。
どうでもいいけれど、藤井寺くん(下の名前は保隆)は何浪だろう? 大学ではたぶん留年していないから、えーと…、4浪くらいかな。具体的には(?)、
19歳~22歳 大1~大4(中退)
23歳~26歳 1浪~4浪
(参考)フトシ
19歳~20歳 1浪~2浪
21歳~24歳 大1~大4
25歳~27歳 1留~3留
という感じ。
アパートがあるのは、例によって(?)東京で、荻窪と阿佐ヶ谷の両駅から同じくらいの距離にある、住宅街のなか。小説家の加藤(202号室)、医学部浪人の藤井寺(203号室)、勤労(?)留年中大学生のフトシ(201号室)という20歳台後半の3人がメイン・キャラになっている(「キャラ」という言葉で十分だ)。で、全6篇中4篇目までが(ちょっと印象とはずれる気がするけれど)言葉で無理やり大雑把に括ってみれば、視点人物の、1人の女性との出会いと別れが描かれている、という感じ(やっぱりちょっと違うか)。「お金」や「貧乏」がちゃんとキーワード(?)になっているのも、とりあえず4篇目までかもしれない。というか、“貧乏住人”というより“貧乏ごっこ住人”ばっかりだよね?(あ、フトシくん以外は)。5、6篇目になると、ザ・ありがちな設定、アパートの取り壊しが決まっていて、3人は今後どうするのか、みたいなことでいわゆる教養小説(成長小説)っぽくもなっている(そう、3人とも20台後半という高年齢なあたりは、設定が今風?)。なんていうか、この小説(あるいは作者)、言葉に対する意識(センス)も低い気がする(しり取り、「白旗/白鳩」、「しらこ/しろこ」など)。そう、幽霊のような貧乏神とか、本の文字を食べる謎の虫とか、そういう非日常的なアイテム(?)の扱いも、なんだかぜんぜん面白くなかったよな…(私は村上春樹とか川上弘美とか小川洋子が好きなんです。…それはともかく)。あと、アパートは1階と2階で8部屋ずつだっけ? 16人くらい全員登場させればいいのにな。16人はちょっと多いか。でも、とりあえず、登場してくる住人が少なすぎだと思う。
2篇目と最後の6篇目がいちおう浪人生の藤井寺くん目線。前者は1人称で「僕」、後者は3人称で「藤井寺」。後者は(2重の意味で?)もう大学受験が終わっているので「浪人生」とは言えなくなっているかもしれないけれど。藤井寺くんは、金沢市出身、親は小さな病院を開いていて、2人の兄は医者になっている。――なんていうか、この作家も設定がぶれる人?(それほどでもないのか)。数字でいえば、藤井寺くんは一度入った大学を卒業間際で辞めて医学部浪人に、2篇目の時点で上京してもう6年、今年26歳だという。あと、<今年二十八歳になるはずの加藤氏、ひとつ下のフトシ氏>という箇所もある(p.47)。フトシ氏は(同じく2篇目の時点で)2浪3留の大学生。――それほどおかしいというわけではないか。中退した大学には実家から通っていたんだっけ?(ちゃんと読み直さないとわからない(涙))。とりあえず、上京して6年ではなく「4年」にすれば不自然ではなくなるかも。数字以外では、最初の1篇(まだ売れていない作家・加藤氏目線の1篇)を読むと、藤井寺くんは、親には受験していると嘘を付いている(要するに受験していない)みたいなことが書かれているけれど、それって、最後の6篇目と矛盾しない?(まぁどうでもいいか、考えるのがめんどくさくなった(涙))。
どうでもいいけれど、藤井寺くん(下の名前は保隆)は何浪だろう? 大学ではたぶん留年していないから、えーと…、4浪くらいかな。具体的には(?)、
19歳~22歳 大1~大4(中退)
23歳~26歳 1浪~4浪
(参考)フトシ
19歳~20歳 1浪~2浪
21歳~24歳 大1~大4
25歳~27歳 1留~3留
という感じ。
双葉社、2010。※以下、ネタバレ注意です。この小説も結局のところ、女性の心理(心の奥底)が描かれている感じ(帯の文句もそんなふうに書かれている)。でも(?)、全体的にけっこう好感が持てる小説だったような。具体的には、目黒刑事の捜査(方法)が丁寧だったりとか。ただ、ストーリー的には、何かもうひとひねりあるのかと思っていたら、そのまま終わっちゃった感じ。文体は粉状にした骨のような、さらさら文体?(それほどでもないか)。改行が多め…なのは、エンタメ系の小説だからしかたがないか。そう、個人的にいまだにピント来ていない、嵐の人気はやっぱりすごいの?
内容というか構成というかは、コンビニでアルバイトをしていた上京苦学予備校生の高村小夜(本名は古森、京都府出身、20歳)が自宅アパートで殺されて、下谷署の刑事=目黒一馬が捜査をしていく3人称パートと、「私」(=吉崎好恵)が自動車事故で亡くなった夫(建築設計事務所の社長)の散骨をしようとしている1人称パートとが、だいたい交互になっている感じ。――この小説も例によって(?)予備校生が殺されたのが3月28日(2009年)という、“浪人生”にとっては微妙な時期…。コンビニの名前は「ニコリマート」。「日暮里(にっぽり)」にあるから「に(っ)こり」? 作中のコンビニ・オーナー(=菊池、たぶん名付けた人)の趣味として、なのかもしれないけれど、私にはこの作者のだじゃれのセンスが、いまいち理解できない(汗)。目黒と相棒の山名刑事とのやりとりとか、最後のほうの<「小夜、さよなら」>(p.317)とか。予備校の名前は「日暮里スタディ」。もともと塾だったようだ(ま、学習塾なら「なんとかスタディ」ってわりとありそう、かな)。バイト代(給料)は、月に14万円前後。……貯金するどころか、予備校の授業料とアパート代と食費など、足りていたのかな? 東京だからアパート代がかなりしそう。しかも、14万円ってコンビニであれば、けっこう働かないとだよね。週にどれくらいの時間? 予備校に通う時間や、家での勉強時間はちゃんと取れていたのか、この人は?
(関係ないけれど、一般論として思うに、とりあえず受験料と入学金だけ調達して、自分のしたいこと(この人の場合は民俗学)ができる、自分の学力・偏差値でできるだけ入りやすい国公立大学(授業料が安いから)を探し出して受けて、さっさと合格して、大学に受かったらすぐさま休学の手続きをしてしまうという手もある。復学したときに受ける講義とかが、同級生たちとずれちゃったりするけれど、休学の間、授業料を払う必要はなくなるから。休学にして、その間アルバイトに専念してお金(授業料)を貯めればいいと思う。(いや、実は私はそうしていたことがある。1年生のときではないけれど、半年休学して力仕事のアルバイトをして、残り半年分の授業料を捻出。私の場合、実家暮らしだったのでお金を貯めるのに半年もかからなかったけれど。)入学金&授業料が貯まらないからといって、2年も3年もアルバイトをしながら浪人していたら、予備校代はもったいないし、ちゃんと継続的に勉強をしていないと習ったことも忘れていくし。なんていうか予備校生だと、大学生よりも社会的な立場も不安定だしね。高校卒業後、できるだけ早く大学に入ってしまったほうが得策かもしれない。…当たり前か。)
そう、生きている浪人生も1人、ちょっとだけ出てくる。第1発見者で、予備校の友達・畑中敦子。お気楽浪人生という感じかな。いままで1浪で、今度2浪(…ということでいい?)。実家は富山で、質屋をやっているらしい(高級マンション住まい、金の心配なし)。この人は、最後のお別れ会(?)には呼ばれていなかったっけ?(呼んであげればよかったのにね)。
[追記]その後、文庫化される(双葉文庫、2013.6)。
内容というか構成というかは、コンビニでアルバイトをしていた上京苦学予備校生の高村小夜(本名は古森、京都府出身、20歳)が自宅アパートで殺されて、下谷署の刑事=目黒一馬が捜査をしていく3人称パートと、「私」(=吉崎好恵)が自動車事故で亡くなった夫(建築設計事務所の社長)の散骨をしようとしている1人称パートとが、だいたい交互になっている感じ。――この小説も例によって(?)予備校生が殺されたのが3月28日(2009年)という、“浪人生”にとっては微妙な時期…。コンビニの名前は「ニコリマート」。「日暮里(にっぽり)」にあるから「に(っ)こり」? 作中のコンビニ・オーナー(=菊池、たぶん名付けた人)の趣味として、なのかもしれないけれど、私にはこの作者のだじゃれのセンスが、いまいち理解できない(汗)。目黒と相棒の山名刑事とのやりとりとか、最後のほうの<「小夜、さよなら」>(p.317)とか。予備校の名前は「日暮里スタディ」。もともと塾だったようだ(ま、学習塾なら「なんとかスタディ」ってわりとありそう、かな)。バイト代(給料)は、月に14万円前後。……貯金するどころか、予備校の授業料とアパート代と食費など、足りていたのかな? 東京だからアパート代がかなりしそう。しかも、14万円ってコンビニであれば、けっこう働かないとだよね。週にどれくらいの時間? 予備校に通う時間や、家での勉強時間はちゃんと取れていたのか、この人は?
(関係ないけれど、一般論として思うに、とりあえず受験料と入学金だけ調達して、自分のしたいこと(この人の場合は民俗学)ができる、自分の学力・偏差値でできるだけ入りやすい国公立大学(授業料が安いから)を探し出して受けて、さっさと合格して、大学に受かったらすぐさま休学の手続きをしてしまうという手もある。復学したときに受ける講義とかが、同級生たちとずれちゃったりするけれど、休学の間、授業料を払う必要はなくなるから。休学にして、その間アルバイトに専念してお金(授業料)を貯めればいいと思う。(いや、実は私はそうしていたことがある。1年生のときではないけれど、半年休学して力仕事のアルバイトをして、残り半年分の授業料を捻出。私の場合、実家暮らしだったのでお金を貯めるのに半年もかからなかったけれど。)入学金&授業料が貯まらないからといって、2年も3年もアルバイトをしながら浪人していたら、予備校代はもったいないし、ちゃんと継続的に勉強をしていないと習ったことも忘れていくし。なんていうか予備校生だと、大学生よりも社会的な立場も不安定だしね。高校卒業後、できるだけ早く大学に入ってしまったほうが得策かもしれない。…当たり前か。)
そう、生きている浪人生も1人、ちょっとだけ出てくる。第1発見者で、予備校の友達・畑中敦子。お気楽浪人生という感じかな。いままで1浪で、今度2浪(…ということでいい?)。実家は富山で、質屋をやっているらしい(高級マンション住まい、金の心配なし)。この人は、最後のお別れ会(?)には呼ばれていなかったっけ?(呼んであげればよかったのにね)。
[追記]その後、文庫化される(双葉文庫、2013.6)。
瀬尾まいこ 『幸福な食卓』
2010年8月10日 読書
講談社、2004/講談社文庫、2007。手もとにあるのは、いつものように文庫本。帯は付いたままだし、おぼろげな記憶をたどると、文庫新刊で買ったまま(3年以上か)積んどく状態だったようだ、この本。感想というかは、最初、「中途半端な児童文学?」みたいな印象で読んでいたのだけれど、途中から面白くなって、読み終わってみれば全体的にけっこう面白かった、というような印象。というか、そんなことよりも(?)やっぱり新しめの本は、読みやすくていいやね。読むのが遅い自分としてはとてもありがたい(本が新しいせいではなくて、大江健三郎の小説を読んだあとに読んだせいかな、読みやすく感じたのは)。帯を見ると、映画(化されたもの)では北乃きいが「私」を演じているようだ。個人的にはぜんぜんイメージが合わないけれど。※以下だいぶネタバレさせてしまうような予感がするので、読まれていない方はご注意ください。
<佐和子の家族はちょっとヘン。父を辞めると宣言した父、家出中なのに料理を届けに来る母、元天才児の兄。そして佐和子には、心の中で次第にその存在が大きくなるボーイフレンド大浦君がいて……。それぞれが切なさを抱えながら、つながり合い再生していく家族の姿を温かく描く。(略)>(カバー裏より)
連作っぽい感じで、順に表題作、「バイブル」、「救世主」、「プレゼントの効用」の4話(4作)が並んでいる。時間はそれに合わせて、とびとびで1年ずつ進んでいる。「私」(=中原佐和子)は最初、中学2年生。――学校といえば「私」は、給食で出される鯖が苦手らしい(サバ、おいしいのにね)。学校が海に近いと言っているわりに、(兄の)直ちゃんが無農薬野菜を育てる仕事をしているからか、家の食卓にはあまり魚類がのぼっていないような? ――それはともかく「父さん」について。父さんが父さんを辞めるという宣言をして、仕事(中学校の社会科教師)も辞めて、大学の薬学部を目指して“浪人生”に。ネタバレしてしまうけれど、3度受験しても受からなかったようだ。2話目(再受験生2年目)には予備校でアルバイト(科目は社会?)をしていて、最後、そのまま“浪人生”をやめて予備校に就職(予備校講師が定職に)。――舞城王太郎「我が家のトトロ」(『スクールアタック・シンドローム』新潮文庫)は医学部志望だったけれど、なかなか受からないもんだよね、大学。社会人(再)受験生は大変だ。もし受かれば受かったでお父さん、6年間(薬学部だから)も大学に通わなくてはいけないし。
で、よくわからないけれど、「役割」の曖昧さがよかったり、悪かったりするのかな、この小説。なんていうか、「勉強」というものや「学校」というものが、けっこう当たり前に(当然のこととして)存在していて、そういう意味でも“世界”はけっこう安定しているような? お父さんが仕事を辞めてしまうのに、みんな経済的な心配も、さほどしていない感じ(「私」はまだ中学生だしね)。
小説的には(?)なんだろう、“勉学”が亡くなって、最後、お父さんが勉強(受験勉強)をやめるというか。――図式的な整理はしないほうがいいような気がするけれど(というか私にはできないけれど)、5年前(小説の最初の時点では)にお父さんが自殺をしていて、お父さんの命を「私」が助けた形になっていて、お父さんは娘に感謝しているというか、その時点で「父-子」の関係が部分的にちょっと逆転していて。父さんが父さんを辞めるのは、そのずれ・ねじれも含めて解消しよう(ゼロにしよう)としている感じ。教師を辞めるということは、「教師-生徒(中学生)」の関係もちゃらにするということだし。――ま、とにかくこの小説に何か教訓があるとすれば、家族がばらばらでも、食事はちゃんと摂ろう、みたいなこと?(違うか)。
<佐和子の家族はちょっとヘン。父を辞めると宣言した父、家出中なのに料理を届けに来る母、元天才児の兄。そして佐和子には、心の中で次第にその存在が大きくなるボーイフレンド大浦君がいて……。それぞれが切なさを抱えながら、つながり合い再生していく家族の姿を温かく描く。(略)>(カバー裏より)
連作っぽい感じで、順に表題作、「バイブル」、「救世主」、「プレゼントの効用」の4話(4作)が並んでいる。時間はそれに合わせて、とびとびで1年ずつ進んでいる。「私」(=中原佐和子)は最初、中学2年生。――学校といえば「私」は、給食で出される鯖が苦手らしい(サバ、おいしいのにね)。学校が海に近いと言っているわりに、(兄の)直ちゃんが無農薬野菜を育てる仕事をしているからか、家の食卓にはあまり魚類がのぼっていないような? ――それはともかく「父さん」について。父さんが父さんを辞めるという宣言をして、仕事(中学校の社会科教師)も辞めて、大学の薬学部を目指して“浪人生”に。ネタバレしてしまうけれど、3度受験しても受からなかったようだ。2話目(再受験生2年目)には予備校でアルバイト(科目は社会?)をしていて、最後、そのまま“浪人生”をやめて予備校に就職(予備校講師が定職に)。――舞城王太郎「我が家のトトロ」(『スクールアタック・シンドローム』新潮文庫)は医学部志望だったけれど、なかなか受からないもんだよね、大学。社会人(再)受験生は大変だ。もし受かれば受かったでお父さん、6年間(薬学部だから)も大学に通わなくてはいけないし。
で、よくわからないけれど、「役割」の曖昧さがよかったり、悪かったりするのかな、この小説。なんていうか、「勉強」というものや「学校」というものが、けっこう当たり前に(当然のこととして)存在していて、そういう意味でも“世界”はけっこう安定しているような? お父さんが仕事を辞めてしまうのに、みんな経済的な心配も、さほどしていない感じ(「私」はまだ中学生だしね)。
小説的には(?)なんだろう、“勉学”が亡くなって、最後、お父さんが勉強(受験勉強)をやめるというか。――図式的な整理はしないほうがいいような気がするけれど(というか私にはできないけれど)、5年前(小説の最初の時点では)にお父さんが自殺をしていて、お父さんの命を「私」が助けた形になっていて、お父さんは娘に感謝しているというか、その時点で「父-子」の関係が部分的にちょっと逆転していて。父さんが父さんを辞めるのは、そのずれ・ねじれも含めて解消しよう(ゼロにしよう)としている感じ。教師を辞めるということは、「教師-生徒(中学生)」の関係もちゃらにするということだし。――ま、とにかくこの小説に何か教訓があるとすれば、家族がばらばらでも、食事はちゃんと摂ろう、みたいなこと?(違うか)。
大江健三郎 『静かな生活』
2010年8月10日 読書
いま手もとにあるのは、講談社文芸文庫(1995年)。単行本は、講談社から1990年に出ているようだ。無理やりに読み終わらせた感じだけれど(何を言っているのかよくわからなかったけれど)、生まれて初めてこの作者の小説が最後まで読み通せたよ(涙)。本棚に文庫本があと4、5冊入っているけれど(『個人的な体験』以外は)読まなくてもいいように、早めに売ってしまおう(汗)。
<精神の危機を感じて外国滞在を決意した作家の父に、妻が同行する。残された三人の兄弟妹の日常。脳に障害を持った長男のイーヨーは、“ある性的事件”に巻き込まれるが、女子大生の妹の機転でピンチを脱出、心の平穏が甦る。家族の絆とはなんだろうか――。<妹>の視点で綴られた「家としての日記」の顛末、静謐なユーモアが漂う。大江文学の深い祈り。>(カバー背より。改行はつめた。字が出てこないのだけれど、「顛末」の「顛」の左側は「眞」)
ほかに登場人物としては、イーヨーが作曲を習っている(作曲した曲を見てもらったりしている)東欧文学者の重藤さんとその奥さん、などが出てくる。連作短篇集っぽい感じで、全部で6話(6作)。それぞれハッピーエンディングというか、ちょっと明るい方向で終わっている。イーヨーが「私」(=マーちゃん)を助けてくれる感じで。そもそも語り口もちょっと明るい感じ。――それはそれとして、大学生の「私」の弟が、「独立独歩の人」である予備校に通うオーちゃん。高校時代はオリエンテーリング部の部長をしていたらしい。どこかに「理科二類」志望みたいなことが書かれていなかったっけ?(見つからないな(涙))。受けるのは(受けたのは)やっぱり東大かもしれない(仏文科の「私」のほうは四谷の大学、とどこかに書かれていたと思う。上智大学かもしれない)。お父さん(=K、小説家)がお母さん(=オユーさん)を伴ってカリフォルニアに行くのは、秋学期からで、その前くらいから書かれているのだけれど、最後は年明けまで。オーちゃんはけっこうあっさりと大学に受かっている。というか、予備校の模試で合格確実、みたいなことになっていて、年末のクリスマスは合格の前祝もかねている(きょうだい3人で中華料理屋に)。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
関係ないけれど、大江健三郎(1935年早生まれ)は1浪して東大(文科二類)。浪人中(1953年)は、上京して正修予備校というところに通っていたらしい。この予備校は、たぶん吉村昭(1927年生まれ、2浪→学習院高等科)が通っていたと書いている正修英語学校と同じところだと思う(終戦後にその年と翌年)。吉村昭の年譜によっては、「正秀英語学校」となっていることがあるけれど、それはたぶん漢字の間違い。場所は御茶ノ水駅の近くにあったらしい。
大江健三郎が現役のときに東大に落ちた理由に関しては、何で読んだのか忘れてしまったけれど(だいぶうろ覚えだけれど)、物理の試験でぜんぜんわからない問題があって、残りの試験だか翌日の試験だかを受けずに、諦めて帰郷してしまったかららしい。
([追記] あまりに不正確なことを書いてしまったので、最後のところを大幅に削除しました。)
<精神の危機を感じて外国滞在を決意した作家の父に、妻が同行する。残された三人の兄弟妹の日常。脳に障害を持った長男のイーヨーは、“ある性的事件”に巻き込まれるが、女子大生の妹の機転でピンチを脱出、心の平穏が甦る。家族の絆とはなんだろうか――。<妹>の視点で綴られた「家としての日記」の顛末、静謐なユーモアが漂う。大江文学の深い祈り。>(カバー背より。改行はつめた。字が出てこないのだけれど、「顛末」の「顛」の左側は「眞」)
ほかに登場人物としては、イーヨーが作曲を習っている(作曲した曲を見てもらったりしている)東欧文学者の重藤さんとその奥さん、などが出てくる。連作短篇集っぽい感じで、全部で6話(6作)。それぞれハッピーエンディングというか、ちょっと明るい方向で終わっている。イーヨーが「私」(=マーちゃん)を助けてくれる感じで。そもそも語り口もちょっと明るい感じ。――それはそれとして、大学生の「私」の弟が、「独立独歩の人」である予備校に通うオーちゃん。高校時代はオリエンテーリング部の部長をしていたらしい。どこかに「理科二類」志望みたいなことが書かれていなかったっけ?(見つからないな(涙))。受けるのは(受けたのは)やっぱり東大かもしれない(仏文科の「私」のほうは四谷の大学、とどこかに書かれていたと思う。上智大学かもしれない)。お父さん(=K、小説家)がお母さん(=オユーさん)を伴ってカリフォルニアに行くのは、秋学期からで、その前くらいから書かれているのだけれど、最後は年明けまで。オーちゃんはけっこうあっさりと大学に受かっている。というか、予備校の模試で合格確実、みたいなことになっていて、年末のクリスマスは合格の前祝もかねている(きょうだい3人で中華料理屋に)。
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関係ないけれど、大江健三郎(1935年早生まれ)は1浪して東大(文科二類)。浪人中(1953年)は、上京して正修予備校というところに通っていたらしい。この予備校は、たぶん吉村昭(1927年生まれ、2浪→学習院高等科)が通っていたと書いている正修英語学校と同じところだと思う(終戦後にその年と翌年)。吉村昭の年譜によっては、「正秀英語学校」となっていることがあるけれど、それはたぶん漢字の間違い。場所は御茶ノ水駅の近くにあったらしい。
大江健三郎が現役のときに東大に落ちた理由に関しては、何で読んだのか忘れてしまったけれど(だいぶうろ覚えだけれど)、物理の試験でぜんぜんわからない問題があって、残りの試験だか翌日の試験だかを受けずに、諦めて帰郷してしまったかららしい。
([追記] あまりに不正確なことを書いてしまったので、最後のところを大幅に削除しました。)
宮原昭夫 「やわらかい兇器」
2010年8月9日 読書
手もとにあるのは、図書館から借りてきた『宮原昭夫小説選』(河出書房新社、2007)という本。後ろのほうによれば、初出は『文學界』1967年6月号で、単行本は『石のニンフ達』(文藝春秋、1969)、文庫は『駈け落ち』(集英社文庫、1981)に収録されているようだ(できれば文庫本が欲しいのだけれど、地元ブックオフでは無理っぽい)。感想はといえば、とりあえず面白くはなかったというか、うまく言えないけれど、ちょっと微妙な小説でした(うーん…)。※推理小説ではないですが、以下、いちおうネタバレ注意です。
予備校生の団加寿夫(2浪)が自殺する。1度目は失敗、2度目に成功。1度目のあと、同学年で“友人”の白井(いまは大学生)や姉の昌子(最初の節=「一」だけその姉目線)に語っていた話は、同じ予備校にいる巽響子という女の子が男に犯されて妊娠。手術をしたけれど、あとでほかの医者に行ってみると、もともと妊娠していなかった、すなわち想像妊娠で、悪徳医者にだまされていたことがわかって…、みたいな話。昌子はそのことと自殺とがどう関係するのか、弟に問い質したりしている。仕方がなく(?)加寿夫は、響子を犯した相手が姉の恋人である高尾――大学助教授で加寿夫&響子が通う予備校の講師――であるとも口にする。で、2度目の自殺=加寿夫の死後、予備校生の巽響子(「二」から最後まで響子目線)は、学校を通じて見知らぬ女性から呼び出され、喫茶店で会って話をする。喫茶店には高校のときの1つ上の先輩で(1浪して)いまは大学生の峯篤志にこっそりついて来てもらっている。響子はその女性=昌子から加寿夫のことを聞かされたり、質問されたりもするけれど、誰のことだかわからないし、身に覚えがまったくない。……粗筋、もうこれくらいで(汗)。最後のへんでは、加寿夫ノートも登場。
なんていうか、加寿夫くんは自殺することによって、自分のことに対して無理解だった周囲の人間に対して、いちおう“復讐成功”みたいなことになっているのかな?(よくわからない、加寿夫の意図・目的が)。というか、元も子もないことをいえば、そもそも設定的に、別に2人が予備校生ではなくてもいいような。例によって何のために読んだのやらだな…(個人的な話)。そう、響子が高尾先生の授業を受けている場面がある。定番といえば定番かもしれない、六条御息所の生霊のへん(@『源氏物語』)。ちなみに、加寿夫くんと似ていておどおど(?)しているお父さんは、落ちぶれた(?)高校教師。かつて司法官になりたくて資格試験に2度落ちているらしい(落第は遺伝する?)。お母さんは亡くなっている。一方、響子(1浪)のほうは、お父さんは法曹界の重鎮で、お母さんは三ヶ国語がぺらぺら、とのこと。このお母さんは作中に登場してくる。
そう、1967年に発表された小説で、主な主人公が女子予備校生というのは、かなり早いほうだと思う(あ、作者は男性作家だけれど)。この小説は芥川賞の候補にもなっているらしいけれど、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年、芥川賞受賞作)よりも、少し早いことにも注目しておきたい、個人的には。(よくわからないのだけれど、1967年であるとまだ、国公立大学の教授・助教授や、公立高校の教師が予備校でアルバイトをすることは、可能だった? というか、いつごろ禁止されたのかな?)
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
この本(=『宮原昭夫小説選』)には、ほかに予備校講師(女性)が主人公の「変態」(『文學界』1981年4月号→『魑魅魍魎』河出書房新社、1982)や、たぶん作者の自伝的な小説である「癒える」(『海燕』1991年6月号)なども収録されている。「やわらかい兇器」よりも「癒える」のほうが面白かったけれど、まぁいいか。「癒える」の主人公(=伊庭葉二)は、高校2年のときに肺結核で4年間も休学している。で、高校卒業後、大学に入るまでに1年浪人している(たぶん作者も同じだと思う)。
予備校生の団加寿夫(2浪)が自殺する。1度目は失敗、2度目に成功。1度目のあと、同学年で“友人”の白井(いまは大学生)や姉の昌子(最初の節=「一」だけその姉目線)に語っていた話は、同じ予備校にいる巽響子という女の子が男に犯されて妊娠。手術をしたけれど、あとでほかの医者に行ってみると、もともと妊娠していなかった、すなわち想像妊娠で、悪徳医者にだまされていたことがわかって…、みたいな話。昌子はそのことと自殺とがどう関係するのか、弟に問い質したりしている。仕方がなく(?)加寿夫は、響子を犯した相手が姉の恋人である高尾――大学助教授で加寿夫&響子が通う予備校の講師――であるとも口にする。で、2度目の自殺=加寿夫の死後、予備校生の巽響子(「二」から最後まで響子目線)は、学校を通じて見知らぬ女性から呼び出され、喫茶店で会って話をする。喫茶店には高校のときの1つ上の先輩で(1浪して)いまは大学生の峯篤志にこっそりついて来てもらっている。響子はその女性=昌子から加寿夫のことを聞かされたり、質問されたりもするけれど、誰のことだかわからないし、身に覚えがまったくない。……粗筋、もうこれくらいで(汗)。最後のへんでは、加寿夫ノートも登場。
なんていうか、加寿夫くんは自殺することによって、自分のことに対して無理解だった周囲の人間に対して、いちおう“復讐成功”みたいなことになっているのかな?(よくわからない、加寿夫の意図・目的が)。というか、元も子もないことをいえば、そもそも設定的に、別に2人が予備校生ではなくてもいいような。例によって何のために読んだのやらだな…(個人的な話)。そう、響子が高尾先生の授業を受けている場面がある。定番といえば定番かもしれない、六条御息所の生霊のへん(@『源氏物語』)。ちなみに、加寿夫くんと似ていておどおど(?)しているお父さんは、落ちぶれた(?)高校教師。かつて司法官になりたくて資格試験に2度落ちているらしい(落第は遺伝する?)。お母さんは亡くなっている。一方、響子(1浪)のほうは、お父さんは法曹界の重鎮で、お母さんは三ヶ国語がぺらぺら、とのこと。このお母さんは作中に登場してくる。
そう、1967年に発表された小説で、主な主人公が女子予備校生というのは、かなり早いほうだと思う(あ、作者は男性作家だけれど)。この小説は芥川賞の候補にもなっているらしいけれど、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年、芥川賞受賞作)よりも、少し早いことにも注目しておきたい、個人的には。(よくわからないのだけれど、1967年であるとまだ、国公立大学の教授・助教授や、公立高校の教師が予備校でアルバイトをすることは、可能だった? というか、いつごろ禁止されたのかな?)
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この本(=『宮原昭夫小説選』)には、ほかに予備校講師(女性)が主人公の「変態」(『文學界』1981年4月号→『魑魅魍魎』河出書房新社、1982)や、たぶん作者の自伝的な小説である「癒える」(『海燕』1991年6月号)なども収録されている。「やわらかい兇器」よりも「癒える」のほうが面白かったけれど、まぁいいか。「癒える」の主人公(=伊庭葉二)は、高校2年のときに肺結核で4年間も休学している。で、高校卒業後、大学に入るまでに1年浪人している(たぶん作者も同じだと思う)。
八木義徳 「羽根のように」
2010年8月9日 読書
短めの短篇小説。手もとにあるのは、小学館から出ている『昭和文学全集』の第14巻(1988年)、そのpp.606-15(3段組)。初出は『新潮』1982年7月号らしい。よくわからないけれど、単行本では『遠い地平』(新潮社、1983)に収録されているようだ。
40数年前、20歳のときの話。札幌の学校を3年生のとき事実上退学させられ、兄を頼って上京。受験勉強をしなおすために2つの予備校――研数学館と駿台予備校へ行って、入会案内をもらう。<さすがに名の通った予備校らしく、どちらも何階建てかの堂々たる鉄筋コンクリートの建物であったが、私の眼には牢獄のように見えた。>(p.610・上)。そのあと、見つけた喫茶店に入ると、たまたま壁に「ロシヤ語講習会」@文化学院の案内のポスターが貼られていて、そちらに行くことに。兄には、<予備校へ行かなくても、受験勉強くらい下宿でもやれるし、やるつもりだ>と答えたらしい。……内容紹介はこれくらいで(汗)。
具体的に何年の話だっけ? 本の後ろに付いている作者の年譜を見たほうが早いか。えーと…、昭和6年(1931年)であるらしい。人にもよるだろうけれど、昭和初期はやっぱり左傾な傾向にあるよね…。あいかわらず歴史に疎すぎて私にはよくわからないけれど。(高校のときは2年から理系クラスで、社会は世界史しか勉強していない。しかも、受験に必要な科目のなかでは、その世界史がいちばん苦手だった。中学校のときに社会の授業で習ったことも、もうすっかり忘れている。)あと、当たり前かもしれないけれど、現在よりも語学と文学とが密接な関係(というかほぼイコールな関係)にあるな、と思ったりした。あ、思想もか。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
あまり関係ないけれど、2つの予備校の校舎といえば、坪内祐三『東京』(写真・北島敬三、太田出版、2008)という本に次のような箇所がある。
<白山通りにあった予備校研数学館が大正大学に買い取られたのはいつのことだろう。/私が浪人生時代、研数学館は、駿台や代ゼミや河合塾に比べて、二流の予備校の感じがしたが、戦前(いや戦後のある時期まで)は超一流の予備校だったという(例えばちくま文庫の『表層批評宣言』の巻末に載っている蓮實重彦の「自筆年譜」の昭和三十年の項に、「四月、東大の受験に失敗し、一年間、研数学館の数学コースに通う」とある)。/東京大空襲でも焼け残った戦前からの雰囲気あるたたずまいはかつてのその伝統を感じさせてくれた。/駿河台予備校のまったく味気ない校舎よりも私は研数学館の建物の方がずっと好きだった。>(p.330、「神保町」)
「例えば」が「例えば」になっていないけれど、それはともかく。著者がS台に通っていたのは、1977年(昭和52年)のこと。批評家だけでなく、昭和30年(1955年)前後に予備校に通いながら大学を目指していた小説家はけっこういるのだけれど、それもまぁそれとして。S台の校舎は、現在では御茶ノ水駅近くにばらばらとたくさんあって、↑の(味気ない校舎)はどれのことを指しているのか(いまでも存在しているのか)私にはわからない。
この前(といってもけっこう前か)、雑誌『考える人』2010年夏号をぱらぱらと見ていたら(特集が「村上春樹ロングインタビュー」とのことで本当に久しぶりに買ってみたよ、この雑誌)、ゆくゆく単行本化されると思うけれど、黒川創「きれいな風貌 西村伊作伝」という連載記事の、今回=「【第九回】悔いなき生活」(pp.242-52)という記事のなかで、あのあたり(?)が<東京大空襲でも焼け残った>理由について書かれていた。半分くらい孫引きになってしまうけれど、
<なお、戦争中に外務省情報部ラジオ室から転出して、この「日の丸アワー」の制作責任者(参謀本部嘱託)をつとめた池田徳眞によると、相次ぐ東京空襲下、神田界隈で、ここ駿河台一円だけが焼け残ったのには理由があったという。「それは後で分かるのだが、駿河台分室〔注・文化学院校舎のこと〕に俘虜を収容していることはアメリカ側も知っていたから、東京の爆撃に来たB29の東京の地図には、駿河台だけ赤く染めてあって、爆撃しないように命令が出ていたのである。」(池田徳眞『日の丸アワー』)>(p.246・中、「注」は原注)
とのこと。もちろん初めて知ったことだし、とても面白い…と言ったらいけないか、とても興味深いというか。「一円」には、研数学館も入るの?(地方在住者なので東京のことがよくわからん(涙))。少なくともS台(の当時の校舎)が焼けなかったのは、文化学院がらみのおかげというか?(ちなみに、空襲をまぬがれた建物に関しては、“浪人生小説”では――小説としてあまり面白くないかもしれないけれど、田中文雄『猫路』など参照です)。
40数年前、20歳のときの話。札幌の学校を3年生のとき事実上退学させられ、兄を頼って上京。受験勉強をしなおすために2つの予備校――研数学館と駿台予備校へ行って、入会案内をもらう。<さすがに名の通った予備校らしく、どちらも何階建てかの堂々たる鉄筋コンクリートの建物であったが、私の眼には牢獄のように見えた。>(p.610・上)。そのあと、見つけた喫茶店に入ると、たまたま壁に「ロシヤ語講習会」@文化学院の案内のポスターが貼られていて、そちらに行くことに。兄には、<予備校へ行かなくても、受験勉強くらい下宿でもやれるし、やるつもりだ>と答えたらしい。……内容紹介はこれくらいで(汗)。
具体的に何年の話だっけ? 本の後ろに付いている作者の年譜を見たほうが早いか。えーと…、昭和6年(1931年)であるらしい。人にもよるだろうけれど、昭和初期はやっぱり左傾な傾向にあるよね…。あいかわらず歴史に疎すぎて私にはよくわからないけれど。(高校のときは2年から理系クラスで、社会は世界史しか勉強していない。しかも、受験に必要な科目のなかでは、その世界史がいちばん苦手だった。中学校のときに社会の授業で習ったことも、もうすっかり忘れている。)あと、当たり前かもしれないけれど、現在よりも語学と文学とが密接な関係(というかほぼイコールな関係)にあるな、と思ったりした。あ、思想もか。
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あまり関係ないけれど、2つの予備校の校舎といえば、坪内祐三『東京』(写真・北島敬三、太田出版、2008)という本に次のような箇所がある。
<白山通りにあった予備校研数学館が大正大学に買い取られたのはいつのことだろう。/私が浪人生時代、研数学館は、駿台や代ゼミや河合塾に比べて、二流の予備校の感じがしたが、戦前(いや戦後のある時期まで)は超一流の予備校だったという(例えばちくま文庫の『表層批評宣言』の巻末に載っている蓮實重彦の「自筆年譜」の昭和三十年の項に、「四月、東大の受験に失敗し、一年間、研数学館の数学コースに通う」とある)。/東京大空襲でも焼け残った戦前からの雰囲気あるたたずまいはかつてのその伝統を感じさせてくれた。/駿河台予備校のまったく味気ない校舎よりも私は研数学館の建物の方がずっと好きだった。>(p.330、「神保町」)
「例えば」が「例えば」になっていないけれど、それはともかく。著者がS台に通っていたのは、1977年(昭和52年)のこと。批評家だけでなく、昭和30年(1955年)前後に予備校に通いながら大学を目指していた小説家はけっこういるのだけれど、それもまぁそれとして。S台の校舎は、現在では御茶ノ水駅近くにばらばらとたくさんあって、↑の(味気ない校舎)はどれのことを指しているのか(いまでも存在しているのか)私にはわからない。
この前(といってもけっこう前か)、雑誌『考える人』2010年夏号をぱらぱらと見ていたら(特集が「村上春樹ロングインタビュー」とのことで本当に久しぶりに買ってみたよ、この雑誌)、ゆくゆく単行本化されると思うけれど、黒川創「きれいな風貌 西村伊作伝」という連載記事の、今回=「【第九回】悔いなき生活」(pp.242-52)という記事のなかで、あのあたり(?)が<東京大空襲でも焼け残った>理由について書かれていた。半分くらい孫引きになってしまうけれど、
<なお、戦争中に外務省情報部ラジオ室から転出して、この「日の丸アワー」の制作責任者(参謀本部嘱託)をつとめた池田徳眞によると、相次ぐ東京空襲下、神田界隈で、ここ駿河台一円だけが焼け残ったのには理由があったという。「それは後で分かるのだが、駿河台分室〔注・文化学院校舎のこと〕に俘虜を収容していることはアメリカ側も知っていたから、東京の爆撃に来たB29の東京の地図には、駿河台だけ赤く染めてあって、爆撃しないように命令が出ていたのである。」(池田徳眞『日の丸アワー』)>(p.246・中、「注」は原注)
とのこと。もちろん初めて知ったことだし、とても面白い…と言ったらいけないか、とても興味深いというか。「一円」には、研数学館も入るの?(地方在住者なので東京のことがよくわからん(涙))。少なくともS台(の当時の校舎)が焼けなかったのは、文化学院がらみのおかげというか?(ちなみに、空襲をまぬがれた建物に関しては、“浪人生小説”では――小説としてあまり面白くないかもしれないけれど、田中文雄『猫路』など参照です)。