「浪人」は関係ないけれど、まぁいいか。

原田宗典「失透」
『処女』(幻冬舎、1997/幻冬舎文庫、1999)所収。同書に収録されている「「失透」の頃」」(<自作解説>)によれば、<これは十六歳、つまり高校二年の頃に書き上げ、翌年学研の学生小説賞に応募したところ、運好く賞を得たものである。>(p.33、文庫版)とのこと。作者は、1959年の早生まれ。「翌年」というのは、1976年? 収録雑誌・号数も書かれていないけれど、学研(学習研究社)の『高2コース』か『高3コース』か、そのへんになるのかな?(よくわからんです)。――両親は教育者、受験勉強(だけ)をしすぎたせいか、「ぼく」はだんだんと精神的におかしくなっていく、みたいな話。ちょっと既視感があったけれど、意外に面白かったです。そう、関係ないけれど、奥野健男の文芸時評集を読むと(だいぶ前に図書館で借りて読んだので書名が思い出せない)、文学の新人賞を誰か若い作家が受賞するたびに、毎度、僕は学研の文学賞(「学研コース文学賞」)の選考をしていて……みたいなことを言い出していて、ちょっと面白い。

盛田隆二「糠星」
『あなたのことが、いちばんだいじ』(光文社文庫、2010)所収。単行本(光文社、2005)と文庫とで収録作に異同があるらしいけれど、単行本のほうは未確認。初出は、旺文社の『高二時代』1971年12月号であるらしい。作者は、1954年生まれ。――原田宗典「失透」と同様、これも冒頭に“広辞苑攻撃”が(汗)。題名に使われた言葉の意味が引用されている。感想というかは、小説家デビュー以前の、しかも高校生が書いている小説なのでしかたがないかもしれないけれど、個人的には、面白いか面白くないか以前に読んでいて読みにくく感じるし、何を言っているのかよくわからない箇所もけっこうあった。季節は梅雨どきの6月、図書館で受験勉強をしている純一(苗字は守田)が、昨年=1970年、高校2年のときの出来事を思い出している。純一は、自分と似たような部分がある和泉(下の名前は逍)と親しくなる。和泉はクラスメイトだけれど、昨年(=1969年)デモに参加して逮捕されていて1年遅れている。で、なんていうか要するに学校からイエローカードを1枚もらっている状態にある(もう1枚で退学に)。しかし2人が通っている「K高校」にも、学生運動の波が押し寄せてきていて――和泉くんはどう出るか、どうなるか? みたいな話(というか、毎度、説明が下手で申し訳ない(涙))。

南木佳士「病院風景」
『臆病な医者』(朝日新聞社、1999/朝日文庫、2005)に収録されているエッセイ「三十年ぶりの再会」に全文が引用されている。手もとの文庫版で2ページにも満たない短いもの。初出は『高一時代』1967年12月号であるらしい。作者は、1951年生まれ。そういえば、南木佳士も盛田隆二と同じで、中学だか高校だかのときはサッカー部…だったっけ?(何で知ったのか思い出せないや(涙))。――内容は、題名そのままで、診察を待っている患者など、病院の風景が描かれている。最後は「僕」(霜田)が看護婦に名前を呼ばれて、終わり。

関係ないけれど、浅田次郎「銀色の雨」(『月のしずく』文藝春秋、1997/文春文庫、2000)の冒頭のへんには、次のような箇所がある。

 <つい二月前までの和也は、奨学金を受けて新聞販売店に勤める、青少年の鑑のような勤労学生だった。「青少年の鑑」という古くさい言葉は、去年の秋に「高一時代」の記事にとり上げられたとき、取材にきた記者が勝手につけたタイトルだ。(略)/肩から朝刊の束を提げて、夜明け前のアーケードを走る姿がグラビアにまでなった。(略)>(p.121、文庫版)

ヤ○ザの出てくる“任侠小説”というか、そんな感じの話なのだけれど、それはともかく。↑いま風にいえば、読モ(読者モデル)? 違うか(汗)。昔は、東大の合格発表を見に行くと、写真を撮られて『螢雪時代』や週刊誌(の表紙とかグラビアとか)に載って、親とかに見せると喜ぶ(?)みたいなことがあったらしいけれど。いまもそういう現象(?)はあるのかな? そう、あまり観たことがないけれど、TVのワイドショー番組のクルーが取材に来てそうだよね(東大に受かった勉強方法とか生活習慣とか、親の職業とか年収とかをずかずかと訊かれちゃうんでしょう? …ま、答えたくなければ答えなければいいだけか(汗))。言い忘れていたけれど、浅田次郎は、南木佳士と同じ1951年生まれ。

黒井千次「歩道」
武藤康史『文学鶴亀』(国書刊行会、2008)を読んで以来、読んでみたいと思っていた小説。最近になって『占領期雑誌資料大系 文学編Ⅳ 「戦後」的問題系と文学 1948・8-1949・12』(岩波書店、2010)という本に収録されていることを知る。初出は『螢雪時代』1949年5月号らしい。作者は1932年生まれで、投稿(というか懸賞小説への応募)をしたときは高校1年生、掲載されたのは2年生のときになるらしい(あ、まだ『高一時代』も『高二時代』も出ていない時代です)。で、普通というか、特に感想もないな(汗)。確かに広い意味でBLといえばBLなのかもしれない。「俺」(澄田)はクラスメイトで、一緒に帰ったりしている黒崎のことが好き。その彼から石鹸を売るアルバイトをしないかと誘われて、もちろん(?)一緒にする約束をする。でもそんなおり(?)「俺」は、黒崎がほかの同級生と親しくしているのを見て嫉妬したり。で、日にちが経って2人で石鹸を売り歩く日に……。戦後4年目? なかなか売れないようだ、石鹸。小説の最後、なんていうか「俺」は幻滅しているというか、黒崎くんへの愛情が無くなっただけでなく、人はみな孤独だ、みたいなことを語っている(…説明、下手ですみません(涙))。ちなみに選者は、南木佳士のほうは石森延男だったらしいけれど、こちらは(武藤本によれば)木村毅だったようだ。

関係ないけれど、井上ひさし『青葉繁れる』に次のような箇所がある。

 <そのころ[=高校1年の春(引用者注)]、稔は学校で一番背が低く、受験雑誌の「螢雪時代」の広告ページで見て取り寄せた「大映スターズの長身大投手スタルヒン選手も推奨する速効式背伸ばし器」というやつを、毎夜、自分の躰に付けて眠ることにしていたので、(略)。>(pp.7-8、文春文庫・旧版)

そんなものを買うなよ、そしてそんな広告を受験雑誌に載せるなよ! と思わなくもないけれど、なんていうか、受験雑誌、学習雑誌も意外といろいろな使い方ができそうな? 作中年は1952年で、主人公の稔くんたちは高校3年生。なので、↑は(1949年の1年後の)1950年の話。
 
手もとにあるのは文庫本『第二怪奇小説集』(講談社文庫、1977)で、この本には単行本情報が書かれていない。初出は、『週刊小説』1972年2月とのこと(「週刊」なのに「日」が書かれていない)。全9篇中の8篇目。収録作中いちばん短い一篇。手もとの文庫本で本文は7ページ、短篇というより掌篇かもしれない。感想はといえば、けっこう面白かったです。([追記]1975年に講談社から『遠藤周作ミステリー小説集』というものが出ているようだから、単行本はこれかもしれない。[追記(2021.09.13)]角川文庫『怪奇小説集 共犯者』(2021.8、元本は講談社文庫『第二怪奇小説集』)の「解説」(日下三蔵)によれば、この一篇の初出は『週刊小説』1972年2月18日号らしい。あと同解説によれば『遠藤周作ミステリー小説集』と文庫『第二怪奇小説集』では収録作に異同があるらしい。)

まず「私」が熊本で中年の女性マッサージ師から(その友達の話として)聞いた話、みたいな外枠あって。で、内側は、マッサージ師である「女」のアパートの隣の部屋には、熊本大学志望の2浪の青年がいて、「女」が夜遅く仕事から帰ってくると、その部屋の灯りがついていたり、自分の部屋にいると隣から口笛が聞こえてきたりする、みたいな話。「女」には青年と同じ歳くらいの、家を出て行ったきり音沙汰のない弟がいて、その青年を弟のように心配し始める。移動焼きイモ屋から焼きイモを買ってあげて、渡したり。――「中年」といっても、30代くらいかな。そう考えないと20歳くらいの弟がいる、という設定がちょっとへん。ネタバレしてしまうけれど、オチ(というか)は、『ただいま浪人』や「ニセ学生」(『怪奇小説集』講談社文庫)と同じような感じかもしれない。前者は“リアル姉弟もの”(最初、弟が浪人生)なので、その意味でもこの作品とは似ている。

読んでいるときにけっこう既視感があったのだけれど、本の後ろの「解説」(権田萬治)で、この一篇について<オー・ヘンリー風な小品>(p.240)と書かれていて。もっと似ているものがあるかもしれないけれど、そう言われればそうかもしれない。――関係ないけれど(このブログではいちど書いたような気もするけれど)、自分、小学校のとき、担任の先生が道徳の時間に、あのパン屋さんの話を読み聞かせてくれて――道徳の授業だからそのあと何か話し合ったのかもしれないけれど――オチというかがあまりに残酷すぎて(?)その後、折に触れてたびたび思い出していたせいか、ずっと記憶に残っている(これは一種のトラウマ?)。ちなみにそれがオー・ヘンリーの作品だとわかったのは、30歳をすぎて、たまたまある本を読んでいたとき。文学作品恐るべし? あ、この短篇=「口笛を吹く男」はそれほど残酷なオチではないです(たぶん)。それにしても(これもネタバレしてしまうけれど)遠藤周作の小説に出てくる浪人生は、ほんと大学に受かることがないよね(汗)。

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上の小説とは関係のない話。北杜夫との対談の一部を引用したいのだけれど――「狐狸庵VSマンボウ くたばれ!受験」というもの。何かに収録されているかもしれないけれど、いま手もとにあるのは、小説家のエッセイなどがあれこれ詰め込まれている(去年=2010年の夏ごろに古本屋にて購入)『教育読本 入学試験』(河出書房新社、1983)という雑誌のような本。初出は『週刊読売』1976年2月7日号らしい。対談ってちょっと引用しづらいんだよね…、まぁしかたがない。

  遠藤さんは、塾とかなにか行ったことないですか。
 遠藤 行かない。僕は、赤尾好夫信じて浪人三年しちゃった。保坂(弘司氏)の「古文の総合研究」とかやね。
  僕が記憶しているのは、「螢雪時代」。
 遠藤 それは「受験旬報」のあとね。
  よく、一高に合格した人の手記で、「すばらしい寮生活」とか出ていましたね。
 遠藤 受験生の小説が載っていて、僕も投稿したことがあるけど、山田風太郎さんや小島信夫さんもよく出してましたね。試験問題の勉強せずに、そちらのほうばかり読んでいた。
 (pp.58-9)

遠藤周作は『わが青春に悔いあり』(角川文庫ほか)というエッセイ集で、研数学館(という名前の予備校)に通っていた、みたいなことを書いているけれど、たぶん上の発言のほうが本当だと思う。要するに塾にも予備校にも通っていない。あと、↑いま読むとけっこう註が必要な感じ? 赤尾好夫は旺文社の創業者(初代社長)で、受験生にとっての(いま風にいえば)カリスマ的な存在。初めて聞いたけれど(調べていないけれど)、『古文の総合研究』という参考書は、たぶん旺文社から出ているもの。受験雑誌『螢雪時代』(旺文社)は、現在でも、売っている本屋さんには売っているからいいとして(?)、えーと、『受験旬報』が『螢雪時代』と名前を変えたのは、1941年10月号かららしい。当時すでに「旬刊」ではなく月刊になっていたから、だけでなく、覚え方は「戦争に行く用意(1941)」? とりあえず、書名から受験色を排したのかな? ――遠藤周作は(安岡章太郎と違って)中学4年のときも旧制高校を受験して落ちている、らしいのだけれど、とりあえず4年になるのは、1938年(=昭和13年)のことらしい。

  1938年 中学4年
  1939年 中学5年
  1940年 浪人1年目
  1941年 浪人2年目(いったん上智大学予科に)
  1942年 浪人3年目
  1943年 慶應義塾大学予科

山田風太郎が、私にはよくわからないのだけれど、中学校を卒業したのが1940年(=昭和15年)の3月? あ、遠藤周作と同じなのか。でも、この人はなんだかんだで3浪どころか4浪?(→東京医学専門学校=いまの東京医科大学)。とりあえず、遠藤周作はリアルタイムで、山田風太郎の『受験旬報』に掲載された“受験小説”を読んでいた可能性がある。遠藤自身が投稿していたという発言は、ちょっと真偽がわからない。ちなみに安岡章太郎は、1940年にはもう浪人3年目(→慶応予科)。小島信夫はもう少し歳が上で、1932年(=昭和7)年に中学卒業、3浪(→一高)。本人が書いているものによれば、投稿(応募)していたのは、受験雑誌『考へ方』(考へ方研究社)。『受験旬報』に投稿していたかどうかはわからない。――ん? あ、あと北杜夫がいたか(忘れていた)。手短にいえば、1944年(中学4年で)松本高校不合格。で、いったん医専(医大)に入るも、松高が諦めきれずに中学5年に復学。翌年=1945年、松本高校合格。――こんな感じかな。要するに一応、浪人はしていない。

そう、関係ないけれど、北村薫・宮部みゆき編『とっておき名短篇』(ちくま文庫、2011)というアンソロジーに、北杜夫の「異形」という小説が収録されていて(いちばん最後に)。編者2人よる巻末の「解説対談」を読んでいてちょっと思ったのだけれど、時代が戦後すぐのこの小説、「食べ物」とか「男と女の関係」とかよりも、旧制高校に対する強い憧れのほうが、若い人がいま読むとかなり「?」な感じかもしれない(そんなこともない?)。
 
 
[追記(2017.09.11)]「保坂弘司」という人。Wikipediaに項目があって(※今日現在)、それを見ると1906年生まれ(1983年没)で、「国文学者、学燈社社長、昭和女子大学名誉教授。新潟県生まれ。早稲田大学国文科卒。欧文社(旺文社)に勤務、国語漢文部長。1948年學燈社を創業、受験雑誌『学燈』を創刊し、自著のほか、(略)」などと書かれている。學燈社って旺文社から枝分かれした出版社なの?(知らなかった...)。あと、このWikipediaには書かれていないけど(※今日現在)『若人』(のち『若い人』)という雑誌も創刊しているらしくて(1955年創刊らしい)、『若人』といえば、旺文社の赤尾好夫に『若人におくることば』という著書があるから(一応持っているけど、未読です。旺文社文庫の)何か関係があるのかな? ま、若者向けの雑誌の名前として『若人』ってそのままだから、普通に思い付くだろうけど。(国語系というか、小説家の遠藤周作がこの人の名前をあげている理由もなんとなくわかるような気が。『古文の総合研究』という参考書、検索しても出てこないから、うろ覚えというか、......なんかそれも遠藤周作らしいけど(汗)。)
 
手もとにあるのは、中公文庫版(1973)。単行本は、中央公論社から1963年に出ているようだ。講談社の遠藤周作文庫からも(上下巻で)出ている。何か全集のたぐいでも読めると思う。あ、もともと新聞連載だったらしい。――で、毎度似たようなことばかり書いているけれど、読むのが遅いから、こういう厚い本(400ページを越えている)は時間がかかっちゃってしようがない(涙)。メモを見ると、自分、2週間以上読んでいたっぽいな。でも、字がそれほど詰まっているわけではないし、とても読みやすかったし、何よりけっこう面白かったからいいけれど。※以下、ネタバレ注意です、すみません。

 <風が吹く。今年も憂鬱な大学入試の季節がやってきた。だがまたしても失敗して浪人生活四年目を迎えた二人の青年、「なあに、学歴だけが人生やない」と、ヤケクソまじりに盛り場にくり出し、奇妙な人物X氏と知り合い、マレー奥地のジャングルに元日本兵を探しに出かけることになった。さて、そこで起った数々の謎の事件――。傑作『沈黙』『死海のほとり』の作者が、独特のユーモアとペーソスをもって人間愛を追求する青春小説。>(表紙カバー・後ろより)

「二人の青年」というのは、尼子猪之介と丸山順太郎。小説は東大の合格発表の前日から始まっていて、2人は泊まっていた宿(「天城屋」)で部屋が隣どうしだったことから知り合いに。2人のうち、関西弁の順太郎(腹話術ができる)のほうがよく喋るので、口数が少なく空手が得意な猪之介を(というか物語を)引っぱっていく感じ。2人とも3浪なのだけれど、翌日の合格発表ではともに不合格。そのあと不良の(?)女子高校生たちと知り合ったり、「奇妙な人物X氏」に話しかけられたりする。で、その「X氏」=のちの通称「男爵」の誘いで、3人は、世間の人にとって<本当に癪に障ること、本当に義憤をおぼえることを世間から駆逐>するために現代の「三銃士」を結成する。で、最初の(?)依頼をしてくるのが、クラブ(・カナリヤ)のママ・三浦万里子。復員せずにマレー半島に残っているかもしれない兄のことを、一緒に探しに行ってくれ、という。――内容紹介はもうこれくらいでいいでしょうか?(汗)。あ、<昭和三十六年度合格者発表>(p.24)とあるから、作中年は、昭和36年=1961年でいいと思う。東大生の樺美智子さんが亡くなったのっていつだっけ?(ど忘れしちゃったよ(涙))。

で、やっぱり50年も前の話、現在よりも外国がずっと遠い感じ。行きは(飛行機だと旅費が3倍くらいかかるとのことで)船旅。4人のうち、順太郎&猪之介は戦争当時、幼かったのだけれど、この旅で、なんていうか戦争の傷痕をたどっていっている?(ちょっと違うか)。そう、途中、ヴェトナムに立ち寄っている(上陸している)のだけれど、ヴェトナム戦争ってまだ起こってないんだよね?(あいかわらず歴史オンチが炸裂…(涙))。マレー半島に上陸してからは、ちょっと“冒険小説”というか、“秘境冒険もの”みたいな感じも。人を襲ってくる虎が出たりとか。そう、「浪人」とか「虎」以外にも、医者(医療)とか、あちこちに遠藤周作要素が見られる……って、当たり前か。そうそう、殺人事件が起こっていて――マレー人の樵(きこり)が殺されていて――、結局、犯人もわかるのに、その人物がただ放置されているのが、個人的にはなんだかちょっと“もやもや”が残ってしまう感じ。それ以外のこと、例えば「男爵」の正体とかは、「ペーソス」で済むかもしれないけれど。

あ、“浪人”がらみのことについてぜんぜん書いていないや。なんていうか、3浪してダメなら、ひとまず、受験生をやめてみる(受験勉強から離れてみる)というのも、1つの(逆説的な?)方法かもしれないね。また受験生に戻ることになるにしても、就職等することになるにしても。個人的にはお薦めできない気がするけれど、おもいきって海外を放浪したり、するのもいいのかもしれない。――あ゛ー、今日も、浅くてつまらないことを言っちゃってるな(涙)。

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(※以下、以前書いて書き込んで、削除してあったものを、少し書き直して再書き込み。リサイクル…ではなくて、手抜きです、すみません。)

いつの間にやらこのブログの教科書的な本になっている竹内洋『立志・苦学・出世 受験生の社会史』(講談社現代新書、1991)に次のような箇所がある。

 <(略)明治のおわりあるいは大正のはじめから少なくとも昭和四〇年代まで六〇年以上にもわたって受験雑誌は絶大な影響をもった。それに関してこんなエピソードがある。某有名作家が車で新潮社へいく途中に旺文社をみつけた(新潮社と旺文社は近くにある)。そして隣の席の編集者に「ここが旺文社? 旺文社の建物の床一枚くらいは、おれの受験時代の金だな」といった、というエピソードである。この作家がそうであったように、いまの中年以上の上級学校進学者でこの種の雑誌のお世話にならなかった人はいないはずである。>(p.88)

竹内洋って学者(教育社会学)なのだけれど、エッセイストの才能もあるよね。こういうエピソードというか人の逸話というかを語り直すのがうまい。あまりちゃんと読んでいないけれど、以前(もうだいぶ前のことか)新聞の書評にも取りあげられていた『学問の下流化』(中央公論新社、2008)も、中身の半分以上は“読書エッセイ”という感じ。――それはそれとして、ちょっと個人的に気になるのは、<某有名作家>というのは誰なのか、ということなのだけれど、60年以上もの時間の幅(生年の差)があるし、意外と誰でも(どんな作家でも)言いそうな冗談という気もするし、ちょっと見当がつかない。と、思っていたら、最近、遠藤周作のエッセイ集『お茶を飲みながら』を読んでいたら、次のような箇所があった。

 <新潮社の近くに旺文社という受験雑誌の出版社があるが、あの横を通るたび私は、チェッといつも舌打ちをする。この出版社の柱の一本ぐらい私が浪人時代、寄附をしたような気になるからだ。あの時五年近く、私はこの旺文社に随分、お金を払ったものである。(略)>(p.14、集英社文庫版)

「浪人時代」というエッセイで、初出は『新潮』1964年6月号らしい。<五年>と言っているのは、中学4年から勉強していて(4年のときにも受験していて)卒業後3浪しているから。――で、どうなのかな? 類似性からいって上の<某有名作家>=遠藤周作、としてしまってもいい?(うーん…、ちょっと断定は難しいような)。

O社(ある小説に<某文社>という表記が載っていて、個人的にはそれがお気に入り)は、いわゆる受験産業として(元)受験生から悪口や文句を言われたり、逆に「合格できたのはあなたのおかげ」とか感謝されたり、いろいろかもしれないね。――あ、どちらでもない感じだけれど、O社といえば、常盤新平(1931年生まれ)のエッセイ集『そうではあるけれど、上を向いて』に収録されている「洋書売場の美女」というエッセイが面白い(初出は『飛翔』1986年3月号)。

 <横寺町五十五番地という旺文社の所番地には中学生のころからなじんでいた。「ユース・コンパニオン」を講読していた。高校では友人の一人が一年のころから「蛍雪時代」を取っていた。/旺文社の洋書売場に出かけたのは、昭和二十八年である。卒業論文の参考書を探しに行ったのだろう。そこで、素敵な美女に会った。(略)>(p.200、講談社文庫版)

中学、高校というのは新制? 昭和28年に大学4年(22歳?)と言っているから、新制っぽいな。自分もいま、毎度買っている月刊誌があるけれど、出版社がある場所にはぜんぜん興味がない。――それはともかく、この人(個人的には直木賞作家というよりアーウィン・ショーの翻訳者というイメージ)は、建物の内部にまで入っている。
 
(※ちょっと愚痴や文句が多めだったので、いったん削除しました。もし再読できたら(たぶん当面は無理だと思いますが)また改めて感想を書きたいです。2015.12.13)
 
角田光代「カリソメ」
『福袋』(河出書房新社、2008/河出文庫、2010)所収、8篇中の6篇目。角田光代のほかの小説でもそうだけれど、この小説でも、主人公にぜんぜん共感ができなくて。内容については、私が下手な説明をするよりも、文庫カバー(後ろ)のところを引用したほうが早い。<(略)。家を出ていった夫の同窓会に、代理出席した離婚間近の妻。そこで知った夫の過去とは!? 自分の心や人生の“ブラックボックス”を思わず開けてしまった人々を描く、八つの連作小説集。>とのこと。裏のない表は表ではないし(表のない裏は裏ではないし)その時点で表と裏という区別が消滅して――そんなことはどうでもいい。主人公というか視点人物は、会社員の翠(いくつ? すぐには見つからないな…、あ、5年前に28歳と言っているから33歳くらい)。同窓会は大学時代のもので、夫(=水谷友彦、奥さんよりも2つ歳上、職業が作中でブレている?)は、大学4年間、東大を目指して“仮面浪人”をしていたことがわかったりする。

 <「仮面浪人って、すごい言葉よね」/ひとりが笑いながら言うと、みなどこか遠慮しながらも、しかし次々に口を開いた。/「自分で言うのがすごいよな」/(略)>(p.157)

確かにすごい言葉かも。私が最初に耳にしたのは(高校生のときではなくて)浪人中、予備校に通っていたときで、どういう話の流れだったか忘れたけれど、それを口にした相手(予備校の同じクラスの誰かだったと思う)に、思わず「何それ?」と聞き返してしまった覚えがある。関係ないけれど、逆の言葉ってなんだろうね? 「素顔浪人」? 「素浪人」…は違うか。「真顔浪人」「すっぴん浪人」「素面(しらふ)浪人」…違うよな(汗)。そもそも「仮面浪人」ってどういう意味? 大学生という仮面を着けているけれど、その下は浪人生みたいな? これって、例えば「仮面夫婦」という言葉とは「仮面」の意味が逆だよね(cf.「仮面大学生」)。――それはともかく、この人、「代返王」であったにしても、よく留年せずに4年間で卒業できたな、レポートも試験もあっただろうし。現実問題(?)、浪人カミングアウト(=来年以降、他大学を受ける宣言)をした時点で、ほかの同級生たちは代返の協力をしてくれなくなりそう気もする。かなり愛されるキャラクターだったのかな? でも、一般論として思うに、世の中(私もそうかもしれないけれど)「いまの自分は本当の自分じゃない」と言い続ける人ってかなり多くない? (勤めている会社を「すぐに辞めたい」「もう辞める」と言っていた高校のときの同級生と、たまたま約5年後に再会したら、まだ同じ会社でふつうに仕事をしているらしくてびっくり、みたいな。)

唯野未歩子「ばら色の、ばら」
連作短篇集『きみと澄むこと』(新潮社、2010)所収、8篇中の4篇目。この4篇目までしか読めていないけれど、全体的にどこが面白いのやらさっぱり…。ちょっと気になったのは、物を指す言葉とかの“列挙”が多いことかな。2篇目なんて、タイトルからして「無印良人」だし。1篇目では箱庭うんぬんと言っているし、ものものしい感じ(?)が内容と合っているのだろうけれど。透明感があったり、色づかい(?)とか、趣味はいいと思うけれど、個人的に、そもそもなんていうか商品的な物質主義、みたいなものが好きではなくて。あと、このブログでは繰り返し書いているけれど、“頭の中身小説”みたいなものがどうもここ数年、苦手な感じで……言い訳か(涙)。――4篇目の「俺」(幼なじみの女性からは「曜ちゃん」と呼ばれている)は、10年以上前の話、美術大学(日本画科)に入学するまでに2浪している。

永井するみ「瑠璃光寺」
北村薫・宮部みゆき選『推理短篇六佳撰』(創元推理文庫、1995)の4篇目に収録されているもの。事件が起こってロジカルに解決、みたいな推理小説ではなくて、ちょっと心理サスペンスみたいな感じ? ひと言でいえば“魔性の女もの”というか。意外と読みやすかったな。香月亮(こうづき・りょう)は、隅田川を走る船の上から女性が転落したのを目にする。で、2週間後、上野での同僚たちとのお花見の帰り、高校時代からの友人・桂木笙(かつらぎ・しょう)が出展している日本画の展覧会に立ち寄ると、その女性=澄江(すみえ)がいて…。澄江の夫は、画家である佐湖雅道(さこ・まさみち)で、2人の間には娘が1人いる(名前はみどり)。タイトル(読み方は「るりこうじ」)は、桂木が出展していた(描いた)絵で、そのもと(お寺)は山口市にあって――そんなことはどうでもいいか。

 <友人の桂木は高校を出た後、四浪して芸大に潜り込み、未だに何年目かの大学院生生活を続けている。高校時代から専ら興味は電気系統のことばかりで、迷わず工学部へ進んだ亮と、高校も出席日数ぎりぎりしか出てこずにひたすら絵筆を握り続けた桂木との付き合いは、本人達が予想していた以上に長く、つつがなく続いてきた。>(p.174)

特別な理由がないかぎり浪人は3浪が上限(限界)だと私は思っているのだけれど、4浪しちゃっているよね、この人。芸大(東京芸大)とか東大とかなら4浪くらいしてもいい、と思わないこともないけれど、やっぱり就職が困るだろうしね(年齢に関してなら、留年の場合でも同じだろうけれど)。よく知らないないけれど、大学院に逃げるというのも1つの方法?(それって問題の先送り?)。でも、この人、学校をさぼって絵ばかり描いていたのなら、実技試験はかなり得意だったのかな?(それでも4浪?)。

奥泉光「三つ目の鯰」
『石の来歴』(文藝春秋、1994/文春文庫、1997)所収、2篇中の2篇目。表題作も面白かったけれど、このカップリング作もふつうに面白かったです。この作者、やっぱりストーリー・テラーだよね、物語性が高い。でも、そのせいか、逆に“だじゃれ”が少ない感じかな。室井光広とか多和田葉子とか、笙野頼子とかと比べると、言葉が(懐疑の対象などではなく)物語の道具と化しているような? あと、そう、舞台を取り囲んでいる“自然”がしっかりしていて、そうなると内容のほうも安定するよね?(そんなこともないかな…。NHKの朝ドラのナレーションが年配の人であると、ヒロインに多少不幸なことが起っても安心して見ていられる、みたいなことと同じ?)。――「ぼく」は大学生で、卒論がどうこう言っているから、えーと、4年生?(ちゃんと読み直さないとわからないな)。

 <ぼくがミッション系の大学に入ったのは、たまたま試験を受けてみたら合格したからにすぎない。浪人の身分でありながら、映画館とジャズ喫茶に入り浸り、まるで勉強しなかったぼくには、大学を選ぶなどという贅沢はありえなかった。しかし、その「たまたま」の結果、ぼくはキリスト教に触れ、(略)>(p.163、文庫版)

という感じ。2浪もしているとやっぱり選択の余地が減ってしまうんだね(うーん…)。でも、人生、あれこれ塞翁が馬というか、結果オーライというか?(というか結果的にしかわからないよね、人生の良し悪しは)。ちなみに「ぼく」のお父さんは――この小説は亡くなった父親の骨を墓に納める(まく)場面から始まっていて――、四修(中学4年修了)で海軍機関学校に入っているらしい。優秀だよね、やっぱり。頭のよさや真面目さは、子どもには遺伝しなかったのかな。ところで、この小説はいつの話? 気にせずに読み終わっちゃったよ(汗)。お父さんは終戦のとき28歳、「ぼく」はお父さんが39歳のときの子ども……だから、えーと、作中年は1980年?

安岡章太郎「夕陽の河岸」
同名書(新潮社、1991/新潮文庫、1994)所収、6篇目(いちおう全10篇中)。若くして亡くなった友人のGについて「私」が回想している。「私」とGとは同じ学校には通っていないけれど、学年が同じ。愛称が二人とも「ショウちゃん」――ま、広い意味での“分身譚”かな。小学校卒業の年、Gは優秀だったにもかかわらず、受験した学校をことごとく滑ってしまう。結局、なんとかまだ募集をしていた中学校に入る。で、中学1年のとき、みんなの憧れの的(?)陸軍幼年学校に合格。――山中峯太郎『星の生徒』という小説は知らなかったな。というか、世の中(?)知らない小説ばかりだけれど。私が知らないだけで、いろいろとありそうだね、獅子文六『海軍』とか、そういう類のものが。Gが亡くなったのは、昭和13年(1938年)、士官学校本科に進む頃。その当時、「私」は中学校を卒業して浪人1年目。映画館に通ったり、予備校仲間と徹夜で麻雀をすることもあったり、らしい。試験(現在であれば高校受験や大学受験)がその人の「運命」を左右する――その通りだとは思うけれど、何が自分にとって良い(良かった)のかというのは、結局のところ、結果的にしか(あとで振り返ってしか)言えないわけだから。うーん…。そういえば、ぜんぜん関係ないけれど――川(河)つながりといえば川つながりか、この前、朝日新聞社会部『神田川』(新潮文庫、1986)という本を読んでいて知ったのだけれど、その昔、作家の高橋三千綱はデビュー前に「山の上ホテル」に少しの間、勤めていたことがあって、お客さんな安岡章太郎に自費出版した随想集を「読んでください…」と渡したことがあったらしい。でも思うに、安岡氏ってそういうのを読んであげるような性格かな?(まっすぐゴミ箱に捨てられちゃっていないことを祈るしかないな)。そう、高橋三千綱って、芥川賞受賞前にも1度候補になっているんだっけ? 2度の選評で安岡選考委員がどう書いているのか、ちょっと知りたいな。
 
手もとにあるのは、阿刀田高選『恐怖の花』(ランダムハウス講談社文庫、2007)というアンソロジー。『掌の小説』(新潮文庫)に収録されているものらしい。純文学系のホラー小説? 読み終わっても、頭にだいぶもやもやが残ってしまう感じ(涙)。まんまだけれど「白い馬って何?」とか、ちょっと考え込んでしまう。――それはともかく、次のような箇所が。

 <それを思い出したのは、眠れぬ真夜なかに、とつぜんであった。息子が大学の入学試験に落ちて、毎晩二時三時まで勉強をしているのが、野口は気にかかって寝つけなかった。眠れぬ夜がつづくうちに、野口は人生のさびしさに出合った。息子には来年があり、希望を持って、夜も寝ない。しかし、父親は床のなかでただ起きている。息子のためにではなく、自分のさびしさをおぼえたのであった。さびしさにつかまると、それははなれてくれないで、野口の奥へどこまでも根を入れて来る。>(pp.152-3)

午前3時までって、けっこう勉強しているほう? でも、微妙に(間接的に)お父さんの安眠妨害になってしまっているのか。このさびしいお父さんにとっては、「息子の未来=自分の未来」とはならないようだ。そういえば、ぜんぜん関係ないけれど、うちはいま猫を8匹くらい飼っていて、そのうちの一匹だけ、ときどき自分と一緒に寝ることがあるのだけど、猫と寝ると、猫の夢を見てしまうというか、猫が見ているのと同じ夢を見てしまう気がして…。電波な話?(汗)。電波というか動物な話だけれど。言語化すれば、「今日はねずみを獲って食べておいしかったにゃあ、むにゃむにゃ…」みたいな悪夢(涙)。

これもあまり関係ないけれど、思うに作家別の日本文学ベスト10を決めるとしたら、そこに必ず入ってくるような人たち――例えば、鴎外や漱石、谷崎に川端に三島、あと芥川とか、太宰とか……ずるずる挙げていたら10人超えちゃうな(汗)、でもそういうビッグ・ネームな人たちは、たぶん“浪人生”をあまり描いてきていないよね? なんでやろ? ――この問題はペンディングというか、また今度ゆっくりと考えてみることにして。そう、この前、チャイナ・ファンタジー…ではないか、太宰治「竹青」を読んでみたら(青空文庫で)意外と面白かったです。

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ちなみに、川端康成は浪人していない。現役で一高に入っている。ただ、いちおう予備校には通っている(何かの本にはすぐに行かなくなった、みたいに書かれていた記憶もあるけれど)。大正6年(1917年)、中学卒業後(当時の入試は7月)、上京して(浅草の従兄の家から)明治大学の予備校(=たぶん明治高等予備校)に通っていたらしい。――ノーベル文学賞作家・世界のカワバタが、S台の山崎寿春の授業を受けていたら(大学受験史的に)ちょっと面白いかと思うのだけれど、可能性としては低いかな…。S台の前身、東京高等受験講習会の開設は……なんでだろう、本によって大正6年になっていたり、大正7年になっていたりする(涙)。いずれにしてもニアミス?([追記]私は何か勝手な誤解をしていたらしい、その講習会を開いたあとも山崎寿春は、明治大学をやめていないようだ)。思うにこの大正6年とか7年とかって、けっこう微妙で重要な時期かもしれないな。有名な受験雑誌『考へ方』(考へ方研究社)や『受験と学生』(研究社)が創刊されたり、久米正雄の小説「受験生の手記」(『学生時代』)が発表されたり…。それはともかく、少し引用しておけば(上が6年、下が7年)、

 <父は明治大学の教授と予備校の教師という二つの職をこなしながら、大正五年、(略)「受験英語」を発刊した。(略)/(略)翌六年には、英語(英文解釈・和文英訳・書き取り)と数学(代数・幾何・三角関数)の二科目を設定した「東京高等受験講習会」を開設しているのだ。>――山﨑春之『教育界のトップブランド「駿台」 親子二代に引き継がれた「愛情教育」』(財界研究所、2003)、p.26

 <だが、大正七年に公布された大学令によって各私立専門学校が大学として認可されたことにより、学校経営が安定する一方、文部省の監視も厳しくなり副業としての予備校経営は次第に衰退する。そして、それに代わって新たに登場するのが、大正七年開設の東京高等受験講習会(現在の駿台予備学校)に代表される受験指導専門機関としての予備校である。>――石川巧『「国語」入試の近現代史』(講談社選書メチエ、2008)、p.146

。明大のことがわからないけれど、中央大学の予備校(=中央高等予備校)が廃校になったのは、大正9年のことらしい(竹内洋『立志・苦学・出世――受験生の社会史』講談社現代新書、1991、p.29)。上のほうの本によれば、山崎氏(お父さんのほう)が予備校を作った理由は、大学生より予備校生のほうがよく勉強するから、みたいなことらしいけれど(勉強を教えたい教師が、勉強熱心な生徒(だけ)を教えたいと考えるのは自然か)、個人的にいまいちよくわからないのは、そもそも私大では予科生と予備校生を1つの教室でいっぺんに教えていたの?(入り口は違うけれど、なかに入ると一緒みたいな?)。天野郁夫『大学の誕生(上) 帝国大学の時代』(中公新書、2009)という本の最後のへん(第五章)に「「私立大学」予科の実態」という小見出しの付いている箇所があって。それを読むと、予科とはほとんど名ばかりで(官立の高校を目指す)浪人生が多く通っていたようだ。じゃあなんで(同じ私大の)予備校には通わずわざわざ予科に通うの? みたいな疑問が…。世間体を気にしたりとか、徴兵猶予の特典があったりするから?(よくわからんです)。

見づらいから少し改行して…、えーと、よく行く図書館にあった本だけれど、『日本の教育課題6 選抜と競争』(東京法令出版、1994)という本に、資料として松韻生「向陵一橋受験奮闘記」(『中学世界』明治43年=1910年)と題された、ちょっと長めの合格体験記(?)が収録されていて(pp.104-16)――少し引用したいのだけれど、その前に、この書き手(この文章、本当に実話かどうかわからない感じ?)は、中学卒業後、<神田の正則英語>(=たぶん正則予備学校)に通って、タイトルにもある2校、一高(向陵)と高商(一橋)を受けて落ちている。で、浪人生として中央大学の予備校に通う。

 <愈々9月に入つたので、始めは汽車で通つた。車中で高商の得意気な新入生に会ふと、癪に障つて堪らなかつた。中央には、高商の高島、長谷川の二氏、一高の村田、岡田の両氏、外語の浅田氏が講義をするので英語は何にとなく正則より愉快だ。其上数学には、快活な語気を強める根津氏が居る。此等の先生の時には、予備校生、予科生は雲集して来るが、真の中央大学予科生は九牛の一毛だ。他の先生の時でも講義録を貰う時だけ賑やかだが、講義が進行するに従つて生徒が段々消えて行く。(略)>(p.105左、原文の傍点はすべて外した。なくてもわかるので。)

これを読むと(予科生には本科にあがるために必修科目がいろいろあったかもしれないけれど)、やっぱり予備校生にも予科生にも同じ授業を受けさせていた感じ? ま、人気教師(講師、教授)と不人気教師ができてしまうのは、いまも昔も(どんな学校でも)変わらないか。あと、現在、国立大学の先生(「講師」ならいいのかもしれないけれど)が、ほかの学校で教えること(アルバイト)は禁止されている…と思うけれど、昔はそうではなくて――そういえば、久米正雄「受験生の手記」(小説です)には、一高の試験本番のとき(英語の書取のさい)に……これも引用しておこうか(今日も引用が多いな(汗))。

 <そのうち書取りの教師が来た。予備校で一、二度馴染のある、肩のいかつい黒川教授だった。発音をそう気取らないのが、嬉しかった。たいていわかるように感じた。が、(略)>

ってなことも起こりうる(もちろんテープレコーダーも普及していない時代、ちょっとラッキーな?)。ちなみに、芥川龍之介や久米正雄は一高に入るのに浪人はしていないけれど(しかもこの2人は推薦入学というか無試験入学)、同級生の松岡譲は中学卒業後、いちおう1年浪人していて(現役=中学5年のときは、頼んだ人が願書を出し忘れて受験そのものをしていないらしい)、上京して、中央大学の予備校に通っている(関口安義『評伝 松岡譲』小沢書店、1991)。あ、1909年(明治42年)の話。

あまり関係ないけれど、ついでに。松井慎一郎『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』(中公新書、2009)に次のような箇所がある。

 <当時、『中学世界』などの雑誌に掲載された合格体験記に見られるように、受験生の多くが、河合同様、日課表を作成したが、当初の計画どおり勉強できたのは、きわめて少数に限られていたようである。たとえば、その頃の一高受験を題材にした久米正雄の小説「受験生の手記」では、主人公の健吉と違って、最難関の一高第三部に現役合格することになる弟の健次をしても、(略)>(pp.48-9)

長くなるから「日課表」の例が出てくる前に切らせてもらうけれど、まず(読み終わったあとで、そう記憶が変わってしまう気持ちはよくわかるけれど)「第三部」を受験するのは、弟ではなくて兄のほう。ま、それはともかく、気になるのは<その頃の一高受験を題材にした>という箇所。ほかの本を読んでいても思ったことだけれど、小説「受験生の手記」の高校受験がらみの部分が、雑誌『中学世界』(博文館)の合格体験記の影響を受けている可能性について、たぶん考慮されていない。そんなことを言ってもしかたがないか(汗)。でも、『学生時代』所収のほかの短篇に『中学世界』が出てくるものがあるのに。あと、そう、上で触れた合格体験記(=「向陵一橋~」)では、書き手が自分(たち)のことを比喩的に「落武者」と呼んでいて、現在の意味での「浪人(生)」という言葉(の使用)が成立するまで、もう一歩という感じもする。
 
どうしていままで気づかなかったのか、『橘傳來記――山田風太郎初期作品集――』(出版芸術社、2008)という本が出ていた(あ、読み方は「たちばなでんらいき」)。「初期」というか、デビュー前に書かれた小説が13作収録されている。中学校の機関誌(『徳達』)に掲載されたものが4篇、雑誌『受験旬報』(旺文社)に掲載されたもの(懸賞小説に当選したもの)が6篇、『受験旬報』が『螢雪時代』と誌名を変えてから掲載された(当選した)ものが3篇収録されている。真ん中の6篇は、『山田風太郎ミステリー傑作選10 達磨峠の事件 <補遺篇>』(光文社文庫、2001)という本にも収録されていて、以前に読んであったけれど――それらは今回は措いておいて。最後の3篇中の2篇目が、作者の日記(『戦中派虫けら日記』ちくま文庫)を読んで、その存在を知って以来、個人的にずっと読んでみたいと思っていた「國民徴用令」(『螢雪時代』昭和18年5月号)という作品。読めてよかったです。感想というかは、あとの2篇――「勘右衛門老人の死」(昭和17年7月号…とこの本には書かれているけれど、たぶん昭和18年の間違い)、「蒼穹」(昭和18年10月号)――もそうだけれど、涙、涙? 「國民徴用令」は、鬼の目にも涙…ではなくて、軍人の目にも涙というか。私はそもそも山田作品をあまり読んだことがなくて、ほかの小説のことはわからないけれど、なんていうかこの3篇を読むかぎり、陸、海、空、それらの涯(はて)を風の眼(?)で見つめているような? ちょっと神がかってもいるかな。

以下、余談です。ごちゃごちゃ書いても得るところがないので、なるべく手短に(と自分に言い聞かせて)。以前このブログで私は、日記本(同上、昭和17年11月下旬以降のもの)しか読んでいない段階で、井上光晴の小説『乾草の車』(単行本は講談社、1967)の冒頭に出てくる(“引用”をまじえて紹介されている)<戦時中の受験雑誌に掲載された学生小説>というのは、山田風太郎「國民徴用令」のことだ、と断言してしまった記憶があるけれど、実際、読み較べてみるとだいぶ異なっている(当たり前か)。ただ、働きながら一高(いまでいえば東大)に合格した主人公が、職場というか工場全体に徴用令がかかっていて(本人の徴用を取り消すことができずに)入学を断念しなければならないという核の部分(メイン・アイディアというか)は同じ。設定としては、

  井上作中作 … 主人公=久雄、夜間中学生、両親と同居? 兄が戦死する、川崎の機械製作所。
  山田作品 … 主人公=蓮沼明人(あきと)、中学卒業後上京(1浪というか)、本人曰く「田舎の小地主の息子」、品川の海の見える機械工場。

という違いがある。でも、そうした違いよりも、一読、雰囲気がぜんぜん違っている。井上光晴の作中作のほうがシリアス度が高いかもしれないけれど、“小説”らしく感じるのは、やっぱり情というかが描かれている山田風太郎のほうかな。

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さらに余談。小説(フィクション)以外の話にもなるけれど――もっと面倒な話になりそうだけれど、まず、作家の井上荒野『ひどい感じ――父・井上光晴』に次のような箇所がある。

 <紀伊国屋ホールでの講演を記録した『小説の書き方』によれば、父がはじめて小説を書いたのは、小学校四年生のときだという。(略)/次が十六歳のときに書いた受験小説。軍需工場で働いている者が希望の学校にすすめないという当時の受験システムをテーマにしたもので、「その矛盾というか、危険な素材には、誰も触れなかったんですよ」「青春小説としてもわりに緊迫した、いい作品だと自負していますよ」と父は語っている。/(略)>(pp.54-5、講談社文庫)

これを読んで『乾草の車』の冒頭の作中作(部分的なもの)が、作者が16歳のときに書いた小説だと思ってしまうのは、たぶん私だけではないと思う(…言い訳です(涙))。井上光晴は1926年5月15日生まれらしい。16歳であるのは、1942年(昭和17年)5月15日から1943年(昭和18年)5月14日までということになる。繰り返しになるけれど、山田風太郎の「國民徴用令」が掲載されたのは、『螢雪時代』の1943年(昭和18年)5月号であるらしい。発売日は4月中? やっぱり微妙なんだよな…、よくわからないです。でも、「國民徴用令」を読んでからも、私の、ほとんど根拠なしの邪推は変わっていなくて、すなわち山田作品を『螢雪時代』で読んでショックと感動を受けた(?)“全身小説家”の井上が後年、それを(あるいはそれと似たものを)自分が書いたことにしている、というもの。書いたと言っているだけで、受験雑誌などに掲載されたと言っているわけでもないし。――本人もどこかで語っているかもしれないけれど、井上光晴が『螢雪時代』を読んでいた証拠というか、証言ならある。原一男『全身小説家――もうひとつの井上光晴像――』(キネマ旬報社、1994)という本に、崎戸時代の同級生へのインタビューが収録されていて、そのなかに、

 <参考書もたくさん持っとったし、あの頃の高い参考書を。『蛍雪時代』ていう受験雑誌がありますよね、あれを一人とっていましたもんね。あの頃、あの雑誌を読んでいるのは井上ぐらいやなかったですか。>(pp.136-7)

とある。時期的には……まぁ、もう細かいことはいいや(汗)。

あと――井上荒野『ひどい感じ』だけでなく、いつだったか、お父さんの講演録『小説の書き方』(新潮選書、1988)も古本屋で手に入れることができて、いま手もとにあるけれど――、「その矛盾」というのは、働きながら(苦学して)一高に合格できたのに入学できないという個人的な(?)矛盾だけでなく、戦争中、働かずに(予備校に通ったりして、好きなだけ?)勉強して合格できた者は入学できる、といった社会的な矛盾のことも指している(『乾草の車』の作中作でも同じ)。要するに(戦後60年以上経ったいま、受験生でもない自分が読んでいるからそう思うのかもしれないけれど)山田風太郎と違って井上光晴のほうは、ちょっと恨みがましい感じもする。「危険な素材」という話にもつながるけれど――『小説の書き方』からも少し引用させてもらえば、

 <戦後になって(略)『日本抵抗文学選』(一九五五、三一書房刊)というのが刊行されました。戦争中いかに文学者は抵抗したかという、アンソロジーです。ぼくはそれを読んで、「おかしいなぁ」と思いました。そんなのが抵抗文学だったら、おれの受験小説の方がよっぽど反戦・抵抗文学だっていいたかった。今もその気持ちは変わりありません。>(p.17)

とまで言っている。仮にどこにも発表されていない作品であるなら、もし書かれていたとしても、それは「抵抗」でも何でもないよね?(そうでもないか、誰かに見られてしまう場合もあるし)。逆に、山田風太郎の『螢雪時代』に掲載された3作が、『達磨峠の事件』(光文社文庫、2001)に収録されなかったのは、「時局」寄りだと判断されたから?(これは違うな、たんに分量的な問題とかがあったのかもしない)。山田日記(同上=『戦中派虫けら日記』)によれば――これも引用させてもらえば、

 <「国民徴用令」は自分でも思いがけない反響を呼んでいるらしい。旺文社ではこれを掲載するのに厚生省文部省その他いくつかの関係当局に問い合わせ、これが掲載されると毎日数十通の批評が旺文社に飛び込んでいるという。/「涙なくしては読めぬ」という手紙もあるという。/自分は慄然とした、そして恥じ入った。/ああ、純なるものの勝利だ。作者は読者に敗北したのだ。>

昭和18年6月28日の箇所(p.219、ちくま文庫)。読者に敗北…って、すでにプロの作家のようだけれど、それはともかく。何に関して上(?)へ「問い合わせ」たのかわからないけれど、やっぱり「危険」だと思われる危険性があったのかもしれない。この「國民徴用令」がぎりぎり(?)であったとすれば、井上光晴の(のちに振り返ってであれ)抵抗・反戦の自覚があった作品が、雑誌に載せてもらえるわけがないよね?(うーん、そんなこともないかな)。

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角川書店編集部編『列外の奇才 山田風太郎』(角川書店、2010)という本に、千野帽子「山田風太郎の小説は、青空に書かれている。/出張版『幻談の骨法』」というエッセイというか評論というかが収録されていて(pp.36-40)、その最初のへんに(あぁまた引用だよ、すみません)、

 <(略)。そういえば、戦時下の山田誠也青年にはずばり『蒼穹』という作品もあったのだが、ここでその時代の作品に触れる紙数はない。残念、またの機会に。>(p.36)

と書かれている。ふつうに読めば「その時代」=「戦時下」? 個人的にもちょっと「残念」だな、「またの機会」をあまり期待せずに待っていたい。
 
(※ちょっと愚痴や文句が多めだったので、いったん削除しました。もし再読できたら(たぶん当面は無理だと思いますが)また改めて感想を書きたいです。2015.12.13)
 
角川書店、2000/角川文庫、2010。手もとにあるのは、文庫版。地方にある偏差値の高い進学校・成箕(なるみ)中央高校という学校が、主な舞台となっている学園青春ミステリー。ほしおさなえ『ヘビイチゴ・サナトリウム』(創元推理文庫)を読んだあとに“学校墜死もの”つながり、という気軽な感じで読み始めたのだけれど、読んでいて何を言っているのやらさっぱり、ここ数年以内に読んだ小説の中で、意味不明さマックスだったかもしれない(涙)。なもので、読み終わるのに通常の3倍くらい時間がかかっちゃったよ(いや本当に)。早めに再読したほうがいいとは思うけれど、いまのところその気力がない…。以上、感想終わりです(感想になっていないな)。閉塞感が伝わってくる小説、

 <成央の校舎にかけられた首吊り浪人の呪い>(p.74)

高校生…というより現役受験生が、過年度卒業生たる浪人生を嫌悪するという図は、小説でもときどき見かける気がするけれど――、うーん、どうなんだろうね? 死ぬ気で勉強している高校生が、大学に落ちてもう1年(死ぬ気で)受験勉強するのを、まっぴらごめんだ、と考えているのは、当然すぎるほど当然か。ときどき(?)死ぬほど勉強して、大学に落ちて本当に死んでしまう人も出てくる? それこそ(むしろある意味では死んでいた)3年間が無駄になっちゃうよね。思うに、ほんとみんな(?)無責任に「頑張れ」「頑張れ」と言うけれど――ま、言われない場合も含めて、結果、成果が出なかった時の制度的な(システム上の)フォローがなさすぎだよね、世の中。ま、だから大学受験に関してなら、素直に予備校に“進学”すればいいわけか。そう、(私は恩田陸はほとんど読んだことがなくて比べられないけれど)「呪い」の中身は、作者は以前、双六(すごろく)をたくさん作っていたことがあるらしいけれど(『本格ミステリ大賞全選評 2001-2010』光文社、2010、p.492)、1年で何組→2年で何組→3年で何組(となると大学に不合格、とか)――というのは、パズルというよりはちょっと双六っぽいね。

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文庫が出版されてすぐに購入したわけではないのだけれど、私が書店で手にしたときにはまだ帯が付いていて、そこにはこの小説に対する谷川流(と長門有希)のコメントが引かれていて。私のなかではライトノベルと言われると、“涼宮ハルヒ”シリーズくらいしか読んでいなくて(そんなこともないかな)それくらいしか思い浮かばないのだけれど、『S BLUE ザ・スニーカー100号記念アンソロジー』(角川スニーカー文庫、2010)というアンソロジーの2篇目(全6篇)には、谷川流「涼宮ハルヒ劇場 ファンタジー編」というものが収録されている(あ、『ヴィーナスの命題』はたぶんライトノベルではないと思う)。で、このブログでは何度か書いているような気がする、ライトノベルと「浪人(生)」とは相性がよくないみたいな話だけれど、証拠の一つ(にはならないか)、最初のページには次のような箇所がある。

 <乗った電車の行き先が生徒指導室とか予備校の浪人生クラスとかになっていないことを祈るしか手だてはない。>(p.84)

「電車」というのは比喩で“暴走ハルヒ列車”というか。
 
角川書店、2007/角川文庫、2010。長篇『鴨川ホルモー』(産業編集センター、2006/角川文庫、2009)のスピンオフ短篇集らしい。ちょっと先が読めてしまうものもあったけれど(お話としてベタなものが多い?)全体的にけっこう面白かったです。そういえば、女性(女子大学生)の目線で書かれているものが多かったな。いちおう全作(全景)が恋愛小説になっている。「第四景 同志社大学黄竜陣」は、『鴨川ホルモー』では表立っては登場してこなかった1人の女の子(キーパーソンといえばキーパーソン)が語り手に。ボーイ・ミーツ・ガールではなくて(「第六景」もそうだけれど)“ガール・ミーツ・ヒストリー”という感じ? 現役受験の場面から始まっていて、「私」(=山吹巴)は1年浪人して、タイトルにもなっている大学に。この先生の授業が受けたくてこの大学に入ったのに…(浪人していなければ…)みたいな話は、飯田雪子『桜の下で、もういちど』(ハルキ文庫、2010)でも見られる。意外とありがちな? でも、現実の話、特定の大学の入学動機としては、それならかなりまともなほうだよね。勉強したいわけだから。関係ないけれど、「第三景 もっちゃん」は面白かったな。これもわりと早い時点でネタがわかってしまう感じだけれど。

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もっと関係のない話。『yom yom』(新潮社)という雑誌で、特定の著者の新潮文庫を全冊読むという「イッキ読み」企画があって、vol.14(2010年3月号)では、この作者が井上靖を選んで読んでいる(「悠久なる芋粥への挑戦/「井上 靖」をイッキ読み」、pp.347-50)。自伝的小説<洪作三部作>は、最後の『北の海』(上・下)になると急に面白くなるらしい。<洪作のキャラクターがまるで違っているのである。(略)どうしてこんなふうに、井上靖が自伝的主人公を変えてしまったのか謎である。>(p.350)。――ほんとどうしてだろうね? 私もちょっと気になるな。たしか前2作と同様に『北の海』も、もともと新聞連載で、これもうろ覚えだけれど、1960年代の終わりくらいに書かれたものじゃなかったっけ? 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年)とどちらが先だろう?(ま、どちらでもいいか)。スチューデント・パワーというか若者文化というか、そんな時代的な影響も少しはあるかもしれない。あ、探してみれば、「福田章二→庄司薫」と同じようにすでに誰かが論じているかもしれないよね。――それはそれとして、万城目氏は、次のようなことまで言っている。

 <特に金沢で四高の愉快な面々が加わってからの会話部分は、そのまま京都の大学生たちが主役の拙著『鴨川ホルモー』にスライドさせてしまっても違和感ないほどユーモアに充ち満ちていた。>(同頁)

少し注が必要かな、浪人中の洪作は、高校入学前に四高[=現在でいえば金沢大学]の柔道部の夏合宿(だっけ?)に参加している。で、その会話部分が…って、ほんとうかな? いま部屋のなかを探してみたら『北の海』(新潮文庫の合本版)は見つかったけれど、『鴨川ホルモー』(角川文庫)が見つからない(涙)。確認できません。あと、私は『北の海』しか読んでいなくて、前2作(2部)は買ったまま読んでいないのだけれど、

 <それにしても、何と高く険しい壁だったか。『しろばんば』『夏草冬濤』を忍んで忍んで読み切ったものだけに約束される『北の海』の世界。おそらくその道中はたどり着けず、途中で生き倒れた者たちで死屍累々の眺めだろう。南無阿弥陀仏。>(同頁)

とか言われた日には、『しろばんば』にしても『夏草冬濤』にしても、いまさら挑戦する気がしないよね?(涙)。教訓としては、シリーズものは順番に読んだほうがいいのか、やっぱり。そう、関係ないけれど、もともと新聞連載だったものは、本は厚いけれど読みやすいものが多い、というわりと良いイメージが個人的にはあるのだけれど、実際はそうでもない?(読みやすくても、長期連載だから全体的に無駄が多くなりがちだったり、新聞では横長だから本ではページの下のほうが白くなりやすかったり、みたいなマイナス面も?)。

[追記]「悠久なる芋粥への挑戦」は『ザ・万遊記』(集英社、2010.4→集英社文庫)に収録されているようです(単行本版にも入っている?)。
 
単行本は1975年に朝日新聞社から出ているらしい。いま手もとにあるのは、図書館から借りてきた講談社文庫版です(1980年)。あと講談社文芸文庫からも出ている模様。読み終わったけれど、いまいち全体的な印象が薄いんだよね…。なんとなく安岡章太郎の“落第生論”の集大成みたいな本かと思っていたら、それほどでもないような…。いちおう小説です。作家の「私」は、京都の寺(南禅寺)に滞在して長篇小説を執筆しようとしているけれど、うまく書けずにいる。そんなとき、あるきっかけがあって中国の怪異譚(物語集)『聊斎志異』をヒントに――作者の蒲松齢は科挙(郷試)の万年落第生であり、「私」もかつて高校浪人を3年している――自分流の小説を書こうと試みる。

 <中国清朝初の幻想的怪異譚「聊斎志異」の作者蒲松齢は、官吏の登龍門科挙の本試験に挑戦すること数十回、落第しつづけたまま未練を残して世を去った。その生きざまに心ひかれた著者が、自身の劣等感に塗りこめられた青春の自画像を重ね合わせ、人間を支配している大きな力を探って鋭い文明批判に結晶させた名作。>(表紙カバー後ろより)

別に複雑な構造になっているわけではないけれど、少し(部分的に)整理すれば、

 (1) 蒲松齢 → 『聊斎志異』 (創作方法1)
 (2) 太宰治 → 「清貧譚」/「竹青」 (創作方法2)
 (3) 「私」 → 「私」が書こうとしている長篇小説 (創作方法3)
 (4) 作者(安岡章太郎) → 私たちがいま読んでいるこの小説 (創作方法3’)

こんな感じかな。蒲松齢(ほ・しょうれい)の、少なくとも51歳(!)まで郷試(ごうし)を受け続けていたという経験や、家族(特に奥さん)や家系などが、その作品=『聊斎志異』にどう反映されているか、を、作家である「私」は(もちろん作品から)推測するわけだけれど、それは当然、“物語の創作論”にはなるよね。日本と中国では教育制度(具体的には狭い意味での入試制度)が異なっているし、「私」は戦争を経験しているし、松齢をそのまま真似する(?)わけにはいかない。そもそも「私」が『聊斎志異』を知ったきっかけは、太宰治「清貧譚」を雑誌で読んだことらしいけれど、太宰氏による『聊斎志異』の料理方法=「ロマンチシズム(の発掘)」(というよりファンタジー?)は、「私」がかつて惹かれた方法ではあるけれど、それは結局、捨てることに。――えーと、すみません、やっぱり私には整理できそうもない、今回はもう諦めます(というか、いつも諦めてばかりだな(涙))。そう、三高(いまでいえばたぶん京都大学)の帽子に似せた、予備校生(浪人生)向けの帽子って、本当にあったのかな?

“落第生”に関しては、私は、いままでに安岡章太郎のエッセイ(集)をばらばらといくつか読んでいるので――『なまけものの思想』(角川文庫)、『とちりの虫』(光文社文庫)、あと『僕の昭和史』(新潮文庫)も持っているな――それらの繰り返しに感じてしまって。…ま、当たり前か。キーワードを挙げれば、「運命」、(それと矛盾していそうだけれど)「怠惰(なまけ者)」、あと(比喩的な意味での)「虫」か。

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関係ないけれど、村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文藝春秋、1997/文春文庫、2004)を読み直していたら、安岡章太郎「ガラスの靴」(雑誌掲載は1951年)をとりあげた章の、次のような箇所が目についた。

 <安岡氏は初期の様々な短編小説の中で、自分を「弱者」として規定して小説を作り上げているわけですが、よくよく読んでみると、主人公たちは弱者でもなんでもない。彼らはただ単に「外から見れば、客観的には弱い立場に見える」というところにいるに過ぎないわけです。それは従来の私小説的弱者とはまったく違ったものです。作者は計算してその弱者的立場を誇張しているのです。非常に意識的であり作為的です。>(文庫版、p.102)

偽装弱者? ――小説家って、ふつうデビュー作からそれほど意識的に計算して小説を書いているものなの? うーん…、小説を書かない(書けない)自分にはよくわからんです。「初期」っていつくらいまでだろう? でも、万年落第生というか、旧制高校浪人を3年している人、というのは「弱者」だったのか。いままで気づかなかった。ただ、偽装…じゃなくて「外から見れば、~」という話だけれど――そう、安岡氏の小説に対して「優等生による嘘」とか「貧乏自慢と同じだ」とか言っている人もいたと思うけれど(いなかったっけ?)、えーと、作家・河野典生は、筒井康隆との対談で次のようなことを述べている(同じものが河野氏の本にも収録されているようだけれど、手もとにあるのは筒井康隆『トーク8<エイト>』徳間書店、1980/徳間文庫、1984。の文庫のほう)。

 <河野 ぼくは安岡章太郎さんとははるかな遠縁だけど、安岡さんとは血の繋がりのあるおばあさんのところに、浪人のころ一年間下宿していたんです。そのおばあさんは、もう亡くなったけれども、若いころチャンバラを目撃したというくらいで、たいへんな年齢なんだ。けれども、ぼくは文学少年なんだもので、「章ちゃんみたいにならないでよ」ってよく言っていた。だから、安岡さんですら、親戚中のたいへんな厄介者だったらしくてね。つまり、文学をやる、小説を書くなんていうと、まず安岡さんが頭に浮かぶらしくて、「章ちゃんみたいにならないでよ」って、頭に吹き込まれながら毎日書いてたんだ。こいつは、まだ安岡さんには言ってない。いつか言ってやろうと思ってるんだけどね。>(pp.93-4)

話し言葉は引用すると長くなって困るな(涙)。それはともかく、これまた縁起がいいのやら悪いのやらな所で浪人していたもんだよね、この人。1935年の早生まれだから、浪人中というのは、安岡章太郎が芥川賞を受賞しているかしていないかくらいのときかな?(受賞は1953年)。なんていうか浪人生どころか、↑小説を書く人たちも、ある意味で社会的な「弱者」な感じだよね。
 
「Long Long Ago」という副題のようなものが付いている『再会』(新潮社、2009)所収、6篇中の3篇目。※以下、いつものようにネタバレ注意です。小学校教師の「私」。学校ではバスケ部で名コンビだった小島くんと石川くんが、石川くんが中学受験をするということで仲が悪くなってしまう。一方、「私」には先天的な病気を抱えている弟のユウちゃん(「私」と同じく団地育ち、団地暮らし)がいて、今度、勤めている作業所の社長の娘さんと結婚することに。で、ユウちゃん側のキーパーソンが現在2浪中の、受験が間近に迫っている予備校生(第1志望は京都の大学、法学部志望)なわけだけれど、それはともかく。なんていうか悪く言えない小説だろうし、“泣ける小説”だとは思うけれど、「私」のキャラクター(性格設定)が個人的にはちょっと…。守る人がいて強くなったり(たくましくなったり)するのは、いいと思うけれど、強さ(たくましさ)とずうずうしさはちょっと違うよね? 小学校教師の児童に対する態度・対応も、実際問題、この小説に描かれている感じでいいのかな? 人探しの方法にしても(推理小説ではないことはわかっているけれど)もっと賢い方法があったんじゃないか? うーん…。でも、いずれにしても、私の完全な負け(?)だと思う。重松清には勝てない。

[追記]上の単行本はその後、『ロング・ロング・アゴー』と改題されて文庫化(新潮文庫、2012.7)。
 
『季節風 春』(文藝春秋、2008/文春文庫、2010)所収、12篇中の4篇目。なんだかNHKの単発のTVドラマみたいだな。※以下、いつものようにネタバレ注意です。高校を卒業して3人は島(瀬戸内海)を離れることに。「僕」(ヒロシ)は東京の大学(ワセダ)に、フミヤは大阪で就職、タカは広島の予備校に。そのことを島に残っている先輩のトオルさんたちは、承知してくれそうもない。そんなとき「島」じたいにも変化が――。酒に酔っ払って本音……というのは、直木賞受賞作『ビタミンF』(新潮社、2000→新潮文庫)所収の「かさぶたまぶた」(酔っ払った息子にお父さんが殴られる)と同じだよね。そう、広島の予備校といえば浜田省吾の歌がある、「19のままで」。別に場所は関係ないか(汗)。あと同書=『季節風 春』には、あまり“浪人”は関係がないけれど、妹目線で、大学生活がうまく行かずに実家に戻っているお兄ちゃんが描かれている「お兄ちゃんの帰郷」という一篇も収録されている(10篇目)。(どうでもいいけれど、「文庫版のためのあとがき」の最後のあたりを読んでいて、私は重松清に対してちょっとブチ切れです。)

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※誰も読んでいないと思うけれど、一応。昨年(2010年)いっぱいでこのブログをやめる(放置する)と以前、どこかに書いたような覚えがあるけれど、やっぱりもうしばらく続けます。まだこのブログのために買った本(すべて文庫本)が20冊弱くらい残っているし、あと、2ヶ月くらい前かな、久しぶりに隣りの市の市立図書館に本を借りに行ったら「いま引越し中です」とか言われてしまって(どこに引っ越すのか知らないけれど、ちゃんと利用できるようになるのは3月だか4月だかとのこと)そういう形で昨年中に読めなかったものも少しあるので。
 
岩波少年文庫、1980。図書館で借りてきた本。「あとがき」の最初に、<『明夫と良二』が岩波の創作児童文学の一冊として出版されたのは、昭和四十七年(一九七ニ年)の四月でした。>とある(p.289)。この前読んだ「絵合せ」(同名書所収)と同じで(内容も文体もほとんど同じ感じかもしれない)、読んでいて面白いのだけれど、さすがに似たような話の繰り返しでちょっと飽きてくるかな…。

内容というかは、もの書きをしているお父さん目線の“家族小説”。短い話が連ねられていて、連作掌篇集という感じかな。季節的には、春くらいから始まっていて(梅雨の時期を挟んで)最後は8月の、近くの神社でお祭りがある日まで描かれている。タイトルにもなっている兄弟の上にはお姉さんが1人いて、小説の途中でお嫁に行っている(といっても、実家からそれほど遠くないところの借家に引っ越している)。予備校に通っている長男・明夫の受験結果を知るには、続編を読まないとダメかな? 別にすごく知りたいというわけではないけれど(汗)。ちゃんと勉強はしているようだから、ふつうに受かりそうな? そう、高校3年まで運動部に入っていた人は、浪人中、体がなまるのをどうするかちょっと困るよね。私はいわゆる帰宅部だったので実体験的にはよくわからないけれど。明夫くんは元サッカー部で、家で弟と体操(というか筋トレ)をしていたり、土曜日には仲間と集まってサッカーをしたりしている。
 
いま手もとにあるのは、講談社文芸文庫から出ている同名の本(1989年)。講談社文庫(1977年)を底本としているらしい。講談社から出ている同名の単行本(1971年)とは収録作が異なっているようだ。何か文学全集のたぐいでも読めるかもしれない。――それはそれとして。

 <グリム童話が不思議に交叉する丘の上の家。/“姉がひとり、弟が二人とその両親”――/嫁ぐ日間近な長女を囲み、毎夜、絵合せに興じる五人――/日常の一齣一齣を、限りなく深い愛しみの心でつづる、/野間文芸賞受賞の名作「絵合せ」/「丘の明かり」「尺取虫」「小えびの群れ」など全十篇収録。>(表紙カバーの後ろより)

表題作はいちばん最後に収録されている。ちょっと不思議だけれど、読んでいるだけで面白いです。やっぱり文体の力? すごくシンプルな文章だけれど。内容は、父親(「彼」)の視点で、家族に関係する日常のエピソードともいえないエピソード(現在のことだけでなく過去のことも)が連ねられているだけ、というか。淡々としているといえば淡々としている小説かもしれない。そう、お父さん目線小説で、娘が嫁に行くとなれば、ふつう“お涙ちょうだい小説”みたいになるよね?(って、ならないかふつう(汗))。

絵合せ(カードゲームといえばカードゲーム?)をするとき、中心となっているというか音頭をとっているのが長男の明夫(苗字は井村、元サッカー部)。受けた大学のどこにも受からず、予備校に通っているらしい。読んでいると近くに予備校はなさそうな感じがするけれど、けっこう遠くまで通っている? 受験勉強は一応、ちゃんとしているような印象…は受けるけれど、よくわからないな。作中年はたぶん(犬年であるようだし)1970年でいいと思う。

1つ前に収録されている「カーソルと獅子座の流星群」は、お姉さん(和子)が家を出て行ったあとの話。もう冬になっている。そう、お兄ちゃん、意外と弟(=良二、中学3年・陸上部)をいじめている? たわいのない感じだけれど。あ、夜の2時くらいまでは勉強しているのか。
 
『三田文学短篇選』(講談社文芸文庫、2010)所収、13篇中の9篇目。短いものだけれど、けっこう面白かったです。避暑地が舞台になっている(というと何か誤解されそうだけれど)意外とさわやかなボーイ・ミーツ・ガール小説?(ちょっと違うか)。中学校(旧制)卒業後、浪人2年目の夏のこと。前年、予備校で一緒だったF君(いまはH大学の予科生)に誘われて、気乗りはしなかったものの、避暑地のK高原へ。着いた日の翌日、F君の家(いちおう別荘)のご近所さんご一行とA牧場までハイキングに出かける。F君のだぶだぶな半ズボンを借りて穿いていた「僕」は、道中、ハチの巣を踏んでしまい、ハチに刺されまくって足が腫れてしまう。その時、同じく一団から遅れてきた少女(大学生)と知り合う――。太っているのが女性ではなくて男性(=F君)なんだね、この小説は。“浪人”がらみのこと(浪人生活や心理など)については、冒頭で少し書かれている(あ、本文中で「浪人」という言葉は使われていなかったと思う)。初出はもちろん『三田文学』で、その1954年10月号であるらしい。1954年下半期の芥川賞候補作・川上宗薫「初心」――こちらは新制高校を卒業している浪人生が主人公、「浪人」という言葉も使われていたと思う――も、掲載誌が『三田文学』らしいのだけれど、何月号に載ったものなの?(ちゃんと調べないとわからないな…)。ま、別にどちらが先でもかまわないか。それよりも、安岡章太郎が最初に書いた“浪人生小説”は何なのか、それが知りたい。

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関係ないけれど、同じ本には、石坂洋次郎「海をみに行く」(1927年2月号)という一篇も収録されている(4篇目)。大学の卒業が近くなっている「私」には、予科のときに結婚した妻(フク子)と幼い子ども(ハルキチ・3歳)がいる。もちろん(?)経済的に苦しくて、奥さんは居候している「私」の友人・室田に出て行ってもらいたがっている。――なんだかんだで最後に「私」は、室田と海(芝浦)を見に行く。

 <「うみぎしの芝生にいねて君とわれ、恋とりかわす六月の空」――黄色い鳥打帽子をかぶって神田の受験学校に通ってた頃作った歌だ。今来てみれば、工場や倉庫がガタピシと薄汚く立ちならんで昔の面影は更になく、あアあの人も嫁いでしまった。>(p.95)

芝生の上で恋を取り交わして短歌まで作っている浪人生? ――そんな暇があったら勉強せいや!(あぁ怒っちゃダメ怒っちゃダメ(汗))。しかも大学に入ってからほかの相手と結婚しているし…。ちなみに『青い山脈』『陽のあたる坂道』な作者の石坂洋次郎は、1900年(明治33年)1月・青森県生まれ。1918年(大正7年)中学校を卒業する年、慶応大学(の理財科)を受験して失敗。上京して正則予備校に通っている(翌年、慶応・文学科の予科に入学)。なので(?)上の<神田の受験学校>はその正則予備校のことだと考えても、あまり問題はないと思う。

小説を読んでいても(別に探しているわけではないけれど)けっこう出てくる気が。最近見かけたもの2作、

 <此男の勤めて居る雑誌社は、神田の錦町で、青年社といふ。正則英語学校のすぐ次の通りで、(略)>(田山花袋「少女病」、初出は『太陽』明治40年=1907年5月)
 <茂木さんは大学を出ていなかった。大学どころか小学校を出て、あとは斎藤博士の正則英学塾に学んだだけである。>(源氏鶏太「英語屋さん」、同名の単行本は東方社、1954)

道(通り)の目印になるくらい世間的に有名だったの? <斎藤博士>というのは、もちろん(?)斎藤秀三郎のこと。別にそれほど昔の話でもない…というか、やっぱりだいぶ昔の話か(汗)。一昨年(2008年)の年末くらいに(『新々英文解釈研究』と同時に)復刊された英文法の参考書、山崎貞『新自修英文典』(増訂新版、毛利可信増訂、研究社)の「はしがき」には(あ、私は2冊とも買ってしまったのだけれど。お値段各3,000円+税、高かったよ(涙))、

 <編者は正則英語学校に学び、同校に教え、同校の教授法を信ずるものであるから本書の組織、材料などの点において同校に負うところの多いことはいうまでもないが、(略)>

とある。これが書かれたのは<大正十年晩秋>とのことだから、大正7年の石坂氏は、英語をヤマテイ先生に習っていたりする?
 
文藝春秋、2000/文春文庫、2004。手もとにあるのは文庫のほう。この本も長いこと積ん読状態だったのだけれど、この前、橋本治『リア家の人々』(新潮社、2010)を読んだらつまらなくて、口直しにという感じで読み始めて。でも厚くて(読みやすいけれど、約500頁)まだぜんぜん読み終わってないです。←どうでもいい話(汗)。とりあえず清水義範、個人的に好きな作家で、文体的にも安心して読める。

 <激動の昭和を「普通の人々」は、こんなにも逞しく生きてきた。ニ・ニ六事件の迫る冬、少女は花占いに夢をはせ、優しかったあの子は南方の戦いで死に、焼け野原に立って一儲け企む奴もいた。懐かしい路地裏の匂い漂う清水版昭和史。健気な「昭和の子供」だった人にも、不況の平成をだるく生きている人にも。解説・嵐山光三郎>(表紙カバーより)

「成長の頃」と題された章(pp.370-98)では、百瀬貴久雄(明治44年生まれ)の3人の息子(娘は2人いる)の大学受験について書かれている。下の2人(昭範、和範)の話よりも、上のお兄ちゃん(風雄)の話が、なんていうかちょっと考えさせられる感じだったかな。昭和31年(1956年)に高校3年生。大学進学を希望するけれど、お父さんから地元(名古屋)の公立(国立か県立)でないとダメだと言われて、やる気(?)をなくして私大にも受からないような成績に。卒業後、いったん就職するけれど、力仕事をさせられたり、大卒社員との間に格差があったりで、半年で辞める。翌年(昭和33年)地元の私立大学を2校受けるも、不合格。で、これ以上、親の世話にはなれないと考えて、高校のときの親友(大学生)を頼って上京、アルバイトをしながら受験勉強を続ける。……ずるずる書いても意味がないか(汗)。

なんていうか“大学受験”とひと口に言っても、本人の性格もあるし、運やその時代の影響もあるし、いろいろなケースが(人によっては“ドラマ”も)あるというか。大学受験にかぎらず人生の(?)進路に関しては、みんながみんな、紆余曲折があっても落ち着くところに落ち着けばいいけれどね。…なんだか今日もテキトーなことを言っちゃっているか自分(汗)。すみません。
 
彌生書房、1996。手もとにあるのは図書館で借りてきた本。ひと言でいえば、なんだろう…、小説風の自伝的(体験的)教育エッセイ、という感じかな(別に無理やりひと言にまとめなくてもよかったか(汗))。著者=「わたし」が、過去の自分を「耕次」(苗字は中原)と呼んで、その「彼」が生まれてから旧制高校を卒業するまでに体験した“教育”(もろもろの学校だけでなく独学や軍隊でのそれも含まれる)などについて、ほぼ時系列に沿って語っている本。初出は――後ろのほうから引用してしまえば、<本書は、「総合教育技術」(小学館)に一九八七年四月から一九八八年三月にかけて連載された作品「心のかじけざるように」に一部加筆したものです。>(p.222)とのこと。私は一度も見たことがないけれど、学校の先生とか向けの雑誌? 感想というかは、とりあえず以前読んだことのある、この著者の自伝的な小説『麦熟るる日に』(河出文庫ほか)よりはわかりやすくてよかったです。

「浪人生」「浪人生活」という言葉がはっきりと使われているけれど、例によって(?)“「浪人」と言ってもいいのかいけないのか問題”がなくもない感じかな…。とりあえずその「浪人」にいたるまでを説明したほうがいいか。耕次くんは、1925年(大正14年)1月、千葉県市川市に生まれる。翌年から昭和なので人生がほぼ昭和の歴史と重なる。9つ歳上の兄が1人(のちに弟や妹も)。父親は栃木県出身で大工さん(のちに棟梁に)。えーと、時間をだいぶ飛ばして――小学校の尋常科を卒業する年、中学校への進学を希望するけれど、父親から「職人の子に学問はいらない」と反対されて断念、高等科(2年間ある)へ進学。卒業後は、いったん横須賀に新しくできた海軍航空廠技手養成所(これも学校で寄宿舎生活)に入るけれど、前期試験のあと退学してしまう。←これが1939年(昭和14年)・14歳のときの話。その後は、実家に戻って父親の仕事を手伝いながら(大工見習いと同じような仕事をしながら)「高検」の合格を目指して、勉強をする。最初は「専検」を受けようとしていたのだけれど――そう、「専検」と「高検」の違いがわかりやすく書かれていたので、ちょっと引用しておきたい。

 <秋になって耕次は受験雑誌で、専検(専門学校入学者資格検定試験)とは別に、高検(高等学校入学者資格検定試験)という制度があるのを知った。専検が中学校五年卒業者と同じ資格をうる試験なら、高検は四年修了者と同じ資格をうる試験で、前者が学科ごとに一つずつ試験をうけるのにたいして、後者は全部をひとまとめにうけられるのが違っている。>(p.114)

「秋」というのは1941年(昭和16年)の秋(でいい?)。で、耕次は、翌年(1942年=昭和17年)の3月下旬に「高検」を受験して(*1)合格する。それからは高校を受験するために予備校に通い始める。――ここも引用させてもらえば、

 <耕次は受験雑誌であらかじめ見当をつけておいた予備校に手続きをとり、四月の半ばから通い出した。それは歴史のある受験雑誌の出版社がその春開校したばかりの予備校で(略)。(略)講師には受験雑誌でも有名ないい先生をそろえていた。>(p.121)

といった感じ(?)。この本には予備校の名前は書かれていないけれど、中野孝次のある年譜には「英通社予備校」と書かれている。でも(よく覚えていないけれど)どこかで見たことがある本人による年譜(自筆年譜)には、<「英数学院」と言ったか>と書かれていたような記憶がある。本文でも「学院」「学院」と言っていて、わからないけれど(ちゃんと調べればわかりそうだけれど)とりあえず折衷しておけば、「英通学院」といった感じの名前かな?(いいかげんなことを言うと怒られそうだな、ちゃんとした人から(涙))(*2)。その予備校には1年では受からずに結局、2年通っている。1年目は松本高校(長野)に不合格、2年目は第五高等学校(現在でいえば熊本大学?)を受験して合格。この2年目の高校入試=1944年(昭和19年)は、試験科目として英語がなかったらしい(もちろん戦争の影響)。

“浪人中”の話で、読みどころ(注目ポイントというか)はけっこうあったと思うのだけれど、えーと、それまで独学していた耕次が、予備校に通うようになってから成績が上がっていく様子とか、あと時代は戦時下、ほかの予備校生=予備校仲間(耕次とは違って普通に中学校を卒業している普通の(?)浪人生が多いはず)についての話とか。ほかには、予備校講師に関して、頼まれたからしかたがなく教えてやっているんだという態度の有名な英文学者よりも、熱心に熱弁をふるって生徒に知識を伝えようとする万年予備校講師のほうが、生徒には人気があった、みたいな話――には(10年以上も前の、自分の予備校生時代を振り返ってみたりして)ちょっと納得させられる。他人事だけれど、予備校にかぎらず先生(教師、講師)には“熱心さ”は必要だよね。ま、空回りしてしまう場合もあるかもしれないけれど。

なんだか今日も中身のない文章を書いちゃってるな…(涙)。(↑気が向いたらそっくり書き直しておきたい。)

*1 よく知らないけれど、作家では井上光晴がこれくらいの時期に「専検」を受験していたと思う。買ったまま積ん読状態だけれど、小説では「地の群れ」の冒頭とか、あと「虚構のクレーン」でも、専検受験について触れられている。文芸評論家・柄谷行人は文芸時評で(のちに『麦熟るる日に』に収録される中野孝次「雪ふる年よ」を取りあげたさいに)椎名麟三について書かれた評論(=佐藤忠男「椎名麟三論」)を持ち出しているけれど(あ、いま手もとにあるのは『反文学論』講談社学術文庫、1991)、椎名麟三って時代も違うし(明治44年生まれ)、やっぱり中学校にいちど通っている(中学3年で中退、のちに専検受験)のと、1年も通わせてもらえずに小学校高等科卒(で、高検受験)では、思うに両者の置かれている状況はぜんぜん違うのではないか。

*2 菅原亮芳編『受験・進学・学校――近代日本教育雑誌にみる情報の研究』(学文社、2008)という本の後ろのほう、「資料編」の最初の表、「1 戦前日本における受験雑誌一覧および出版点数」(小熊伸一)を見ると、1934年に英語通信社というところから『進学指導』と『受験戦』という2つの雑誌が創刊されているようだ。――これらはぜんぜん関係ないかな?(汗)。創刊されてから10年にも達していないのでは(1942年-1934年=8年?)、まだまだ<歴史のある受験雑誌>とは言えないしな(そんなこともないか)。あ、<歴史のある受験雑誌の出版社>って、雑誌ではなくて出版社に歴史が?(うーん…)。一般に(?)「~通信社」という名前のところは、そもそも通信添削をしている出版社なのかな?

[追記(2011/04/20)]山田克己『予備校 不屈の教育者』(育文社、2009)という本によれば、中野孝次が通っていた予備校は「進学練成学院」といったらしい。というか、やっと名前がわかったよ(涙)。しかも、びっくりなのは、『わが少年記』に出てくる<数学の三井先生>という人に、吉村昭も「正修英語学校」(正修予備校)で習っているらしい。気づかなかったけれど、中野は戦中、吉村は戦後でも、考えてみれば時期は近いんだよね。

 ・中野孝次
  1942年(昭和17年) 高検合格。予備校に通い始める。
  1943年(昭和18年) 高校(松高?)不合格、また予備校に通う。
  1944年(昭和19年) 高校(五高)合格。
 ・吉村昭
  1945年(昭和20年) 中学卒業、進学の手続きをするも(無試験・内申書のみ)合格通知は届かず。終戦後、予備校に通う。
  1946年(昭和21年) 高校(六高)不合格、また予備校に通う。
  1947年(昭和22年) 官立高校はあきらめ、学習院高等科に。
 
新潮社、2010。どこが面白いのやらさっぱりわからなかったです(涙)。なんていうか登場人物たちにも、小説じたいにも中身がなさすぎるというか。「中身」とは何か? ――言っている自分にもよくわからないけれど(汗)。どこかに「Aではない。Bではなかった。ただCでしかなかった。Cだけであった」みたいなセンテンスがなかったっけ? 「否定の言辞が多い」みたいなフレーズもどこかに使われていた気がするけれど、この小説じたい全体的に否定文が多いよね?(それほどでもないか…)。ほかにも具体的に気になったのは(付箋を貼っていないのでどこだかわからないけれど)、いったん「AはAである」と言って、その次に「AはAでしかなかった」と言い換えている箇所がどこかにあったと思う(「AはAである。AはAでしかなかった」)。なんていうか、ある(在る、有る)物や事のことを、ある、とだけ言ってくれれば結構です、個人的には。

いちばんの主人公(?)は、砺波文三・59歳(のち60歳、明治41年生まれ)で、小説は奥さんの十三回忌が終わって家に戻った場面から、いちおう始まっているのだけれど、とりあえず、昔の60歳前後の人は、やっぱりいまの人よりも老いている(枯れている)感じ?(作者の橋本治は1948年3月生まれで、もう60歳を過ぎている)。それはそれとして、今回も早めに本題(?)に。富山県から上京して居候している甥(妹の子)・国分秀和について。最初、高校3年で翌年、東大を受験して(落ちて)浪人生に。砺波家には高校1年のときからお世話になっている。――ちょっと疑問に思うに、1967年(高3)や1968年(1浪)頃、こんな状況・雰囲気の受験生は東京にはたくさんいたのかな?(うーん…)。若干明るすぎるのがひっかかるな…。日本海側で雪の降る富山県出身。東京の高校を選んだ理由が、坊主頭が嫌で長髪にしたいから(!)。ま、東京じゅうを探せば秀和のような受験生もたくさんいたのかも。ただ、読んでいると個人的には、秀和くん、子どもの頃から東京出身&東京在住な感じがすごくする(“半東京の人”みたいな設定は『桃尻娘』シリーズの、高崎市出身・醒井さんと同じ)。あとは、いわゆる“団塊の世代”の受験に関してとか、学生運動の影響で1969年に東大が入試を中止したこととか……なんていうか別に新発見(?)もなかったかな。

(あまり関係ないけれど、夏目房之介『青春マンガ列伝』(マガジンハウス、1997。たしか少し改題されてちくま文庫に収録されていたと思う)という本で、青柳裕介「いきぬき」(『COM』1967年9月号)という漫画が取りあげられているのだけれど(私は未読です)、それを思い出した。主人公は2浪の地方出身者だそうで、内容も絵柄もすごく暗そうな感じ。――何が“現実”なのか、まだ生まれてすらいなかった私には、結局のところよくわからないけれど。)

[追記]その後、文庫化(新潮文庫、2013.1)。
 
ここ最近たまたま読んだ小説何作かについてテキトーにコメントなどを。以下すべてネタバレ注意です(毎度すみません)。

天藤真「背が高くて東大出」
手もとにあるのは、創元推理文庫から出ている同名の本(天藤真推理小説全集16、2001)。その最初に収録されている一篇(全10篇中)。本の後ろのほうによれば、初出は『小説宝石』1971年5月号であるらしい。ブラック・ユーモアらしいけれど、うーん…、個人的にはいまいち笑えなかったし、面白さもあまり感じられなかったです。「東大出」かぁ…、多少考えさせられはしたけれど、とりあえずどうでもいいや(めんどくさいので(汗))。そう、「ケチ」って、やっぱりユーモア小説の題材になりやすいのかな? …それもともかく。たいして複雑な(構造をした)小説ではないけれど、なんていうかその真ん中部分に関して。

 <彼は東大の助手で、ある関係研究所の所員。彼と知り合ったのはわたしの高校時代の親友で東大二年生だったマコの紹介である。(と書くとバレてしまうが、わたしは一浪で二年目も志望の医大に失敗し、目の玉が飛び出そうな入学金を父に積んでもらってやっと入学した裏口組だ)紛争前年の五月祭に招かれたときだった。>(p.10、最初の「彼」に傍点。)

「わたし」の父は、製薬会社の社長。「わたし」は↑の親友からは「ミコ」と呼ばれている。ミコとマコって、かつてのベストセラー大島みち子・河野実『愛と死をみつめて』みたいだよね(この往復書簡集の2人が知り合ったのは河野氏のほうが大学浪人中なのだけれど、…それはともかく)。東大紛争っていつだっけ? あー、ど忘れしちゃったよ(汗)。1968年だっけ? 2浪ということは、浪人時代は1966年と1967年か。たんなる設定という感じだけれど、この時代で女性(女の子)が2浪している(ことになっている)小説は珍しいかもしれない。なにせ「浪人」というのは、ザ・男の世界だからね(?)。いわゆる「団塊の世代」の大学受験に関しては、あれこれと本を読んでいると、人口が多かったからといって競争が激しかったとも思えないのだけれど(大学進学率との兼ね合いもあるし)、ただやっぱり、医学部受験は当時からすごく厳しかったのではないか、と思う。(そう思うのは、高橋克彦『小説家』(講談社文庫)や、医学部ではなくて歯学部志望だけれど、海老沢泰久『満月 空に満月』(歌手・井上陽水のプチ伝記本、文春文庫)を読んだことがあるせいかもしれない。)

[追記]というか訂正というか。2浪ではなくて1浪? 2度目の医大受験に失敗したのと同じ年に、入学金を積んで…? 彼と知り合ったのは「わたし」が私立薬大1年のとき、とのこと。親友のマコが大学2年のときだから、彼女が浪人していなければ、「わたし」は1浪、ということになる。どうして2浪だと思っちゃったのかな? まぁいいか(というか、すみません)。

若竹七海『クール・キャンデー』
祥伝社文庫、2000。この作者の小説を読んでいるといらいらしてしまって(涙)。意外と小説内の世界が殺伐としている? 舞台となっているのは、海が近くにある「葉崎市」(たぶん神奈川県)。語り手は、中学2年生の「あたし」(=杉原渚)。父親は会社をリストラされて蒸発、14歳離れている異母兄=杉原良輔(28歳)は結婚して家を出ていて、いまはデザイナーをしている母親と2人暮らし。小説の冒頭は『枕草子』のパロディになっているのかな、「あたし」が1年でいちばん好きな日は、誕生日の前日でかつ夏休み初日の前日でもある7月20日とのこと(いわく「イブイブ」――いとファニーな言葉やな(汗))。ところが今年のその日、入院中だった兄貴のお嫁さん・柚子――ストーカーにレイプされたショックで自宅マンションから飛び降り自殺――が亡くなったという知らせがもたらされる。あとでわかることだけれど、その日、兄貴の中学校のときの同級生(兄貴が生徒会の会長だったときに副会長)で、柚子に対してストーカー行為をはたらいていたらしい田所浩司も、トラックに轢かれて死亡している。誰かに車道へと押し出された可能性もあって、警察が調べている。さらに同じ日、「あたし」の同級生で友達のサチが“痴漢”に襲われている。その近くでは最近、小学生の女の子が痴漢に会う事件も発生している。――優秀でイケメン(?)、東大出で大手銀行に勤めている兄貴(陰で努力もしている努力の人だそうだ)と対照的な感じの設定にしたいにしても、アル中&ストーカーな田所浩司(死亡時・28歳)の設定は、これでいいのだろうか、と思わなくもない。

 <このひと、高校受験のときにインフルエンザにやられて志望校を滑り、大学受験にも三年続けて失敗して、ノイローゼになって、就職もしないで酒びたってたんだって。>(p.42)

両親は亡くなっていてアパートで1人暮らしをしていたようだ。↑2浪でやめたか、3浪の途中でドロップアウトしたか、という感じだけれど、小説ではありがちな「多浪→人生破滅」パターンに近いかも。良輔&田所の中学校のときの先輩(=中里澤哉、2つ上のいまは塾講師)が登場してきて、ちょっとフォローもされている。――これも少し引用させてもらえば、

 <「(略)。あいつも気の毒に。(略)親が過保護で、体力つけさせないから受験のたびに風邪ひいてさ。失敗続きでおかしくなっちまったんだよ。本来は杉原に負けず劣らず頭のいいやつだったのに、悲劇だな」>(p.93)

と言っている。うーん…、ちょっと話がずれるけれど、だいたい高校受験に失敗している人って、その後の大学受験では(健康面や志望校の偏差値ランクなどに)慎重になるイメージがあるのだけれど、どうなんだろうね?(人間は反省&後悔する生きものですよ?)。ま、とりあえず、↑受験には体力が必要、という点には賛成できるかな。そう、小学生を襲っていた痴漢は、「あたし」の活躍もあって逮捕されるのだけれど、その痴漢は<受験ボケの高校生>(p.130、会話文中)とのこと。この作品世界では、体力がないなどの理由で“受験”を乗り越えられない人たちはみんな(?)犯罪者になってしまうのか、なんなのか。というか、要するにこの小説、語り手(というより作者の?)“愛”が足りていない登場人物が多いのかも(特に脇役、ということになるけれど)。ちなみに最後の最後、小説のオチは“似たもの兄妹”みたいなことに。

山田詠美「花火」
まずいキャンディを食べさせられたあとのお口直しに、というか。手もとにあるのはアンソロジー『戦後短篇小説再発見3 さまざまな恋愛』(講談社文芸文庫、2001)。その10篇目に収録されている(全12篇)。単著では『晩年の子供』(講談社、1991/講談社文庫、1994)に収録されているようだ。初出は(ちょっと意外だけれど)『小説現代』の1989年9月号らしい。1浪までして東京の一流大学に入り、卒業後は東京の一流の会社に就職したものの、いまは辞めてホステスをしている姉(=頼子)は、夏休みにも実家に帰ってこない親不孝もの(?)、28歳。その姉の様子を見に行ってきてくれないか、と両親からお願いされた地元の大学(教育学部、現役合格)に通っている親孝行な「私」(19歳)は、その頼みを聞き入れて姉に会いに行くのだけれど、ホステス勤め&愛人暮らしをしている…というか、元の上司である高山さん(家庭あり)から生活の援助を受けてマンション暮らしな姉から、愛と性(恋愛やら肉欲やら)についてレクチャー(というか)をされてしまう。で、その晩、姉のもとに泊まって寝ていると、姉&高山さんのアレが始まってしまう、みたいな。「私」には、京二郎という幼なじみで教師をしている恋人がいるけれど、まだ潔い(?)関係にある。「私」と姉は小さいころ、プール帰りに痴漢に会ったことがある。そのときの姉いわく<「この人、いつも、こうしてるんだよ。可哀想な人なんだよ」>(p.213)。――関係ないけれど、「花火」って射精と結び付けられることが多い? それほどでもないか(汗)。(昔、あるコメディTVドラマで、夫婦の2人がベッドに入ったあと、リアルなロケットの発射の場面に切り替わるものがあったけれど。)

尾崎翠「初恋」
手もとにあるのは『尾崎翠集成(上)』(ちくま文庫、2002)。最近(2010年)この短篇(というより掌篇かな)が収録されている、アンソロジー『ちくま文学の森1 美しい恋の物語』が文庫化されたようなので(ちくま文庫)ちょっと触れておこうかと思って。「僕」が10年前の夏の“初恋”について語る、という形をとっている小説。「受験者」「受験生」「受験準備(中)」という言葉が使われているけれど、現役受験生か浪人生かよくわからないな。初出は1927年(『随筆』1927年7月号)とのことで、もう昭和だから(?)「浪人生」という言葉はあったはずだけれど、使われていない(初出がもっとあとの、同じ作者の「第七官界彷徨」でも使われていなかったような気がするけれど)。ちょっとネタバレしてしまうけれど、話のオチは要するに、俗に言う「幽霊見たり 枯れ尾花」みたいな?(ちょっと違うか)。個人的には、読み終わってしばらくしてから、なんとなく昔読んだことがある松尾由美『スパイク』(光文社文庫)という小説を思い出したりした(ま、オチが似ているといえば似ているかな)。

伊井直行『雷山からの下山』
新潮社、1991。結局、何が言いたいのやら、いまいちピンと来なかったです(涙)。伊井直行、例によって文章は読みやすかったけれど。あ、私が読んだのは図書館で借りて来たもので、でも、本じたいをすでに返してしまったので、以下、わずかなメモと記憶に基づいて書くしかないです。――で、えーと、3人称小説で、丸山昭さんと松本(秋彦)君という2人が視点人物になっている。2人はいちおう大家と店子の関係で、丸山さん一家の家も、管理しているアパートも「雷山(かみなりやま)」にある。丸山さんは会社(自動車会社)に勤めていて、奥さんと2人の子どもがいる。松本君は、大学卒業後4年勤めた会社を1年前に辞めていて、いまは就職活動(というか)をしている。――まだバブル景気が終わっていない時代、求人やら面接やら、こんな感じだったのか、みたいなことはちょっと思ったです。時代的な雰囲気とか。もちろん小説なので本当かどうかはわからないけれど。で、たんなる設定といえば設定だろうけれど、松本君は大学に入るのに1浪しているそうだ(ということはいま27、8歳? ――というか、年齢、どこかに書かれていたっけな? 読み直さないとわからないや)。丸山さんのほうは、「試験弱い」らしく、高校・大学・会社と第1志望には落ち続けてきたそうだ。大学は具体的には、東大と東工大に落ちて、早稲田の理工卒。ちなみに丸山さんの子どもの頃の話で、雷山には、男の子のアレをちゅーちゅー吸う痴漢のおじいさんが出るという噂が……この作者らしい設定というか、作り話というか(汗)。あと、松本君には細田さん(女性)という大学の先輩がいて、その人の家に行くのだけれど、炬燵で寝てしまっていると、彼氏(というかフィアンセというか)とのアレが始まってしまう。

森見登美彦『四畳半神話大系』
太田出版、2005/角川文庫、2008。手もとにあるのは文庫版。前評判(?)からちょっと期待しすぎたせいか、思ったよりは面白く感じなかったです(これなら同じく京都の大学生が語り手になっている万城目学『鴨川ホルモー』のほうが面白いと思う)。なんていうか冗長さがいいのかもしれないけれど、たんに冗長に感じてしまうこともあって…。ところで(どうでもいいことだけれど)「私」は浪人しているのかな? 「第一話」(全4話)で(ネタバレしないように言えば)神様と称する男が、<私は君のことなら何でも知っている>(p.18)と語っている箇所で、<中学時代>や<高校時代>、<大学に入ってから…>と並んで、一応、<浪人時代>という言葉も使われている。でも、大学3回生で21歳、とのことだから浪人していても1年か。いずれにしても(現役合格でも浪人合格でも)大学生にとっては、<幻の至宝と言われる「薔薇色のキャンパスライフ」>が送れるかどうかが問題…なのか。そういえば、吉田神社ってどこにあるの?

 <吉田神社といえば、合格祈願すれば必ずや落ちるといわれるほどに霊験あらたかな神社である。毎年多くの高校生大学生が合格祈願しては浪人留年の憂き目にあい、およそ琵琶湖半分の苦い涙を流してきたという。(略)>(p.107)

知らなかったです。私は神社を見かけると賽銭を投げて拝んじゃう癖があるのだけど(たいていの日本人はそうじゃない? …そんなこともないか)、浪人生を含む大学受験生のみなさん、拝む神様はちゃんと選びましょう(ちょっと“営業”妨害になっちゃうかな)。
 

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