佐野洋 「五十三分の一」
2010年6月19日 読書
手もとにあるのは『婦人科選手 佐野洋推理傑作選』(講談社文庫、1978)、その9篇中の5篇目。単行本・初出についてはこの本には書かれていない。ほとんど読んだことがないのでよくわからないけれど、佐野洋の小説(ミステリ)って、なんていうか整っていて(端整で)いいな、と思う。主人公は浪人中の時田宏夫。遠縁にあたる野末薬局の2階に下宿して、いま予備校に通っている。その家には大作・多美子の父娘が暮らしている。多美子は薬科大学を卒業して、薬剤師の資格もある。で、ある夜、付き合っていた相手に振られて酔って帰ってきたその多美子に、宏夫くんはキスを奪われて――「惚れてまうやろ~」(by Wエンジン)になってしまうのも、しかたがないやね(汗)。でも、その場面を親父さんにも見られてしまって、翌日から(父娘双方から)無視されてしまう。で(推理小説ということもあるし)殺意を覚えて…みたいな話。“浪人生と下宿の娘(あるいは奥さん)”、“浪人生と年上の女性”というのはそれぞれ1つのパターンかな(似たような小説ばかり読んでいるので、そう思うのかもしれないけれど)。接吻されてしまったあと、宏夫は<以前から、彼女に魅かれていたのかもしれない>(p.145)と自分の本当の気持ちに気がつく(というか、事後的に記憶が変化した?)。
<彼女が七つ年上であり、薬科大学を出ているのに、自分は入学試験に落ち、現在浪人中だという、一種の劣等感が、多美子に対する思慕を曲げていたのであったようだ。>(同頁)
村山由佳『天使の卵』は9つ上だっけ?(よく覚えていないな)。「恋愛は大学に受かってから」みたいな(意識的な)自制ではなく、「劣等感」による(無意識的な)抑圧というか。前者(=自制)のほうが今風? ま、どちらも同じようなものかもしれないけれど。そう、薬屋さんって、考えてみれば理系なんだよね、なぜかいままであまり考えたことがなかった。あと、この主人公は予備校に、参考書の貸し借りをするような友達がいるようだ(北海道出身、本田)。
[追記(2016/09/15)]初出は『別冊小説新潮』昭和35年(1960年)11月らしい。(10月かも。季刊らしくて、秋号かも。あ、冬号かな?)
<彼女が七つ年上であり、薬科大学を出ているのに、自分は入学試験に落ち、現在浪人中だという、一種の劣等感が、多美子に対する思慕を曲げていたのであったようだ。>(同頁)
村山由佳『天使の卵』は9つ上だっけ?(よく覚えていないな)。「恋愛は大学に受かってから」みたいな(意識的な)自制ではなく、「劣等感」による(無意識的な)抑圧というか。前者(=自制)のほうが今風? ま、どちらも同じようなものかもしれないけれど。そう、薬屋さんって、考えてみれば理系なんだよね、なぜかいままであまり考えたことがなかった。あと、この主人公は予備校に、参考書の貸し借りをするような友達がいるようだ(北海道出身、本田)。
[追記(2016/09/15)]初出は『別冊小説新潮』昭和35年(1960年)11月らしい。(10月かも。季刊らしくて、秋号かも。あ、冬号かな?)
最近読んだ短篇小説・掌篇小説×6
2010年6月18日 読書以下すべてネタバレ注意です。すみません。
・佐野洋「時間を消す」
<大岡信の『折々のうた』に想を得た短編のシリーズ『折々の殺人』『折々の犯罪』>(文庫、p.6)に続く第3弾『折々の事件』(講談社、1993/講談社文庫、1996)に収録されている1篇(9篇中の6篇目)。デパートで案内係として働いている真田美和。その案内カウンターに(定休日を除いて)毎日、一人の若い男がやって来て「何々(の売り場)はどこですか」みたいなことを言って案内を請う。もちろん仕事なので邪険にもできず。で、この謎の男の本当の目的は…? みたいな話。男の意図は別として、プチストークされる主人公にとっては、緩やかな復讐をされているような? それはともかく、なんていうか、間接的に(?)「浪人中」という言葉も使われているけれど、高校中退で大検に合格していて…みたいな状態では、この小説も「浪人生」と言っていいのか悪いのか、私にはよくわからない。あ、でも年齢が20歳なのか。志望大学をちょっと高望みしているとか? そういえば、美和の恋人・小柳健夫は、彼女の役に立っていないよな。今後この微妙なストーカー(=高田大五郎)の退治の役に立つんだろうか?
・遠藤周作「奇襲戦法」
古本屋などで文庫本が見つからなくて、いま手もとにあるのは、ハードカバーの『遠藤周作第二ユーモア小説集』(講談社、1973)。その最初に「男と女」と題されて3話収録されているうちの「第一話」。(同書には「男と女」以外に短篇小説が11篇収録されている。)短大(甲府)を卒業後、東京の広告会社に勤め始めた今井フサ子。会社での隣りの席には“ホームベース顔”の藤堂という若い男性がいて、昼ご飯も食べず、ケチに徹している。フサ子はその藤堂に影響されて節約をし始める――。オチもあるというか、やっぱり遠藤周作は面白いと思う。あ、故郷にいる弟が浪人中という設定(p.19)。
・水上勉「立身出世」
手もとにあるのは、角川文庫『決潰』(1964)、その6篇中の5篇目。後ろの「解説」(奥野健男)によれば、この1篇の初出は<「若草」(昭和二十四年十二月)>(p.252)とのこと。「立身出世」というより「故郷に錦を飾ること」?(ま、同じことか)。「私」は、幼いころ盲目の祖母に残酷ないたずらをした悪ガキたちのリーダー・久七(苗字は松沢、地元=福井県の農村の金持ちの次男)がどうしているか、をその後ずっと気にしている。「私」と久七(「私」より3つくらい歳上)それぞれの人生の軌道が書かれていて、お互いに似ていたり似ていなかったり。なんていうか、憎んでいる相手が何か失敗すればいい、みたいな気持ちは誰にでもありますよね?(ない人もいるかな)、そんな感じ(違うか)。父親とその血の繋がっている弟の話だけれど、以前読んだことがある松本清張「父系の指」(初出は『新潮』昭和30年9月号)とか、戦前ではなくて戦後だし、早稲田ではなくて東大だけれど、井上ひさし『花石物語』とかも、ちょっと思い出したりした。あ、そういえば(どうでもいいけれど)、作中に「少年世界」(博文館の雑誌)が出てくる。九七がほかの子どもたちに付録などを自慢していたらしい。
・矢野徹「盗まれた東京」
手もとにあるのは角川文庫『桃色の川は流れる』(1981)。その10篇中の2篇目(この文庫本には、単行本や初出については書かれていない)。何が「盗まれた」のかといえば、人間たちの記憶。ある日突然、みんな記憶を失ってしまう。物質的なもの(建物、店で売られていた食料、自動車などなど)はそのままで、頭の程度だけ赤ちゃん同然に。で、偶然に支配されたり(犬に助けられたり)グループ間で争いが起こったりもするけれど、でも、だんだんと秩序ができてきて…、みたいな。そういえば久しぶりにSFを読んだような気がする。けっこう面白かったです。
<そのうちやがて、それぞれに分担が決められ、五十人が毎日十台の自動車に乗って、まわりの偵察に出た。学校が作られ、全員が毎日勉強をしなければいけないことにもなった。/面白いことに、教育長になったのは、何度大学の入学試験を受けても落第ばかりしていた高校浪人の青年だった。/その青年が教科書を見つけ、その順番を知ったからである。(略)>(pp.77-8)
思い出したのは…といっても、よく覚えていないけれど、筒井康隆「慶安大変記」(『アルファルファ作戦』)の最後のへんに、主人公がマンモス予備校に通いながら、その予備校が大学に昇格するのを期待して待つ、みたいな話、があったような。いわゆる万年浪人生であっても、天変地異やら何かの制度変更やらによって、大学生になれる可能性があるというか?(ちゃんと勉強して受かりそうな大学を受けて、受かったほうが早いよね、たぶん(汗))。
・木崎さと子「白い原」
『青桐』(文藝春秋、1985/文春文庫、1988)所収、2篇中の2篇目。感想というか、純文学系の小説は私にはもう無理です(涙)、最後まで読んでも要するに何が言いたいのか、さっぱりわからず。何も感じとれず(涙)。女性の子どもができないお悩み告白小説にはなっていないし、宗教的な深い(?)話がしたいわけでもなさそうだし…。それはともかく、冒頭のへん「私」(=田中、39歳か40歳)が電車に乗っている場面、
<(略)代々木で、予備校の講習帰りだろう、受験生達がどっと乗り込んできた。原宿から乗った少女達が、押されて嬌声を上げている。浪人生もたくさん混じっているだろう。年齢にふさわしい発散をとめた重苦しい息遣いで、車内のむし暑さは限度にきた。(略)>(p.144、文庫)
「浪人生」の描かれ方としては、夏場、電車内の温度・湿度を上げるうっとおしき若者たち?(うーん…)。よく知らないけれど、「渋谷→原宿→代々木→新宿」というのは、JR山手線? 「私」はこのあと新宿駅の(中央線の)ホームでかつて家庭教師をしていたことがある千花と会って(中央線の電車に乗り換えて)千花が信仰している宗教団体主催のお祭りに行く。
・横田順彌「みにくい日本人殺人事件」
短篇連作『奇想天外殺人事件』(講談社ノベルス、1984/講談社文庫、1987)の8篇目(ノベルス版は全10篇、文庫版は全11篇)。TVのニュースで(浪人生といえばやっぱり自殺?)浪人生が電車に「飛び込ん」でいる(笑)。「早稲田明治くん十九歳」「代々木の予備校」に向かう途中。この1篇だけでなく収録作がすべて、多かれ少なかれ“だじゃれ小説”になっているっぽい。お笑い芸人・鳥居みゆきのネタとか、TVドラマ『TRICK』…などとは違うか。ま、でも個人的に嫌いではないです、こういうの。出来の悪いパロディ小説と違って、ネタ元を知らなくても楽しめるからいいと思う。
・佐野洋「時間を消す」
<大岡信の『折々のうた』に想を得た短編のシリーズ『折々の殺人』『折々の犯罪』>(文庫、p.6)に続く第3弾『折々の事件』(講談社、1993/講談社文庫、1996)に収録されている1篇(9篇中の6篇目)。デパートで案内係として働いている真田美和。その案内カウンターに(定休日を除いて)毎日、一人の若い男がやって来て「何々(の売り場)はどこですか」みたいなことを言って案内を請う。もちろん仕事なので邪険にもできず。で、この謎の男の本当の目的は…? みたいな話。男の意図は別として、プチストークされる主人公にとっては、緩やかな復讐をされているような? それはともかく、なんていうか、間接的に(?)「浪人中」という言葉も使われているけれど、高校中退で大検に合格していて…みたいな状態では、この小説も「浪人生」と言っていいのか悪いのか、私にはよくわからない。あ、でも年齢が20歳なのか。志望大学をちょっと高望みしているとか? そういえば、美和の恋人・小柳健夫は、彼女の役に立っていないよな。今後この微妙なストーカー(=高田大五郎)の退治の役に立つんだろうか?
・遠藤周作「奇襲戦法」
古本屋などで文庫本が見つからなくて、いま手もとにあるのは、ハードカバーの『遠藤周作第二ユーモア小説集』(講談社、1973)。その最初に「男と女」と題されて3話収録されているうちの「第一話」。(同書には「男と女」以外に短篇小説が11篇収録されている。)短大(甲府)を卒業後、東京の広告会社に勤め始めた今井フサ子。会社での隣りの席には“ホームベース顔”の藤堂という若い男性がいて、昼ご飯も食べず、ケチに徹している。フサ子はその藤堂に影響されて節約をし始める――。オチもあるというか、やっぱり遠藤周作は面白いと思う。あ、故郷にいる弟が浪人中という設定(p.19)。
・水上勉「立身出世」
手もとにあるのは、角川文庫『決潰』(1964)、その6篇中の5篇目。後ろの「解説」(奥野健男)によれば、この1篇の初出は<「若草」(昭和二十四年十二月)>(p.252)とのこと。「立身出世」というより「故郷に錦を飾ること」?(ま、同じことか)。「私」は、幼いころ盲目の祖母に残酷ないたずらをした悪ガキたちのリーダー・久七(苗字は松沢、地元=福井県の農村の金持ちの次男)がどうしているか、をその後ずっと気にしている。「私」と久七(「私」より3つくらい歳上)それぞれの人生の軌道が書かれていて、お互いに似ていたり似ていなかったり。なんていうか、憎んでいる相手が何か失敗すればいい、みたいな気持ちは誰にでもありますよね?(ない人もいるかな)、そんな感じ(違うか)。父親とその血の繋がっている弟の話だけれど、以前読んだことがある松本清張「父系の指」(初出は『新潮』昭和30年9月号)とか、戦前ではなくて戦後だし、早稲田ではなくて東大だけれど、井上ひさし『花石物語』とかも、ちょっと思い出したりした。あ、そういえば(どうでもいいけれど)、作中に「少年世界」(博文館の雑誌)が出てくる。九七がほかの子どもたちに付録などを自慢していたらしい。
・矢野徹「盗まれた東京」
手もとにあるのは角川文庫『桃色の川は流れる』(1981)。その10篇中の2篇目(この文庫本には、単行本や初出については書かれていない)。何が「盗まれた」のかといえば、人間たちの記憶。ある日突然、みんな記憶を失ってしまう。物質的なもの(建物、店で売られていた食料、自動車などなど)はそのままで、頭の程度だけ赤ちゃん同然に。で、偶然に支配されたり(犬に助けられたり)グループ間で争いが起こったりもするけれど、でも、だんだんと秩序ができてきて…、みたいな。そういえば久しぶりにSFを読んだような気がする。けっこう面白かったです。
<そのうちやがて、それぞれに分担が決められ、五十人が毎日十台の自動車に乗って、まわりの偵察に出た。学校が作られ、全員が毎日勉強をしなければいけないことにもなった。/面白いことに、教育長になったのは、何度大学の入学試験を受けても落第ばかりしていた高校浪人の青年だった。/その青年が教科書を見つけ、その順番を知ったからである。(略)>(pp.77-8)
思い出したのは…といっても、よく覚えていないけれど、筒井康隆「慶安大変記」(『アルファルファ作戦』)の最後のへんに、主人公がマンモス予備校に通いながら、その予備校が大学に昇格するのを期待して待つ、みたいな話、があったような。いわゆる万年浪人生であっても、天変地異やら何かの制度変更やらによって、大学生になれる可能性があるというか?(ちゃんと勉強して受かりそうな大学を受けて、受かったほうが早いよね、たぶん(汗))。
・木崎さと子「白い原」
『青桐』(文藝春秋、1985/文春文庫、1988)所収、2篇中の2篇目。感想というか、純文学系の小説は私にはもう無理です(涙)、最後まで読んでも要するに何が言いたいのか、さっぱりわからず。何も感じとれず(涙)。女性の子どもができないお悩み告白小説にはなっていないし、宗教的な深い(?)話がしたいわけでもなさそうだし…。それはともかく、冒頭のへん「私」(=田中、39歳か40歳)が電車に乗っている場面、
<(略)代々木で、予備校の講習帰りだろう、受験生達がどっと乗り込んできた。原宿から乗った少女達が、押されて嬌声を上げている。浪人生もたくさん混じっているだろう。年齢にふさわしい発散をとめた重苦しい息遣いで、車内のむし暑さは限度にきた。(略)>(p.144、文庫)
「浪人生」の描かれ方としては、夏場、電車内の温度・湿度を上げるうっとおしき若者たち?(うーん…)。よく知らないけれど、「渋谷→原宿→代々木→新宿」というのは、JR山手線? 「私」はこのあと新宿駅の(中央線の)ホームでかつて家庭教師をしていたことがある千花と会って(中央線の電車に乗り換えて)千花が信仰している宗教団体主催のお祭りに行く。
・横田順彌「みにくい日本人殺人事件」
短篇連作『奇想天外殺人事件』(講談社ノベルス、1984/講談社文庫、1987)の8篇目(ノベルス版は全10篇、文庫版は全11篇)。TVのニュースで(浪人生といえばやっぱり自殺?)浪人生が電車に「飛び込ん」でいる(笑)。「早稲田明治くん十九歳」「代々木の予備校」に向かう途中。この1篇だけでなく収録作がすべて、多かれ少なかれ“だじゃれ小説”になっているっぽい。お笑い芸人・鳥居みゆきのネタとか、TVドラマ『TRICK』…などとは違うか。ま、でも個人的に嫌いではないです、こういうの。出来の悪いパロディ小説と違って、ネタ元を知らなくても楽しめるからいいと思う。
山川健一 「鏡の中のガラスの船」
2010年6月17日 読書
同名書(講談社、1981/講談社文庫、1987)所収、2篇中の1篇目。この小説も意味がわからなかったです(涙)。もう文学系(純文学系)の小説を読むのはやめようかな…。主人公は最近大学には行っていないけれど、J大の学生の「僕」(杉本浩一)。時代は1972年ことらしい、J大ではM評議会によるリンチ殺人が起こったばかり。ロックバンドのメンバー2人(山本、吉田)はブラジルに行ってしまい、同棲していた彼女(律子)もアパートを出て行ってしまっていて、「僕」はいまはアルバイトもしないで、谷中遊園地で本を読んだりしている。そこで出会うのが(あとでキーパーソンにもなる)ライオンの檻の前で絵を描いている少女(ナカノ・ルミコ=中野留美子、18歳)。「音楽の高校」を卒業していて、音大に進学するか迷っているという。浪人生ではなくて(小説にはよくある?)浪人未満な存在というか。――読書量の少ない自分としては、やっぱり村上春樹を思い出してしまったけれど、それは時代的な(空気の)せいかな。
作者は1953年生まれ、千葉県出身。1972年には大学(早稲田と慶応の文学部)に落ちて浪人している(途中から田端のアパートでひとり暮らし、予備校には通っていなかったっぽい、アルバイトはしている)。翌年、早稲田の商学部と同志社の文学部に受かって前者に入学。詳しいことは、エッセイ集『みんな十九歳だった』(講談社文庫)や、1972年(~1973年)の日記、自筆年譜が収録されている『ぼくは小さな赤い鶏』(三椎社・講談社)など参照です。
作者は1953年生まれ、千葉県出身。1972年には大学(早稲田と慶応の文学部)に落ちて浪人している(途中から田端のアパートでひとり暮らし、予備校には通っていなかったっぽい、アルバイトはしている)。翌年、早稲田の商学部と同志社の文学部に受かって前者に入学。詳しいことは、エッセイ集『みんな十九歳だった』(講談社文庫)や、1972年(~1973年)の日記、自筆年譜が収録されている『ぼくは小さな赤い鶏』(三椎社・講談社)など参照です。
日野啓三 「ランナーズ・ハイ」
2010年6月17日 読書
いま手もとにあるのは図書館本、『きょうも夢みる者たちは……』(新潮社、1988)所収、2篇中の1篇目。初出は『新潮』1987年1月号らしい。夜の東京都心、皇居まわりランニング。今日は5人の男女が走ることに。もちろん(?)お互いに顔は知っていても素性は知らないもの同士。そのうち3人の、走っている最中の、頭の中実況中継みたいな小説(?)。1人目はいちばん後ろを走っている「男」(49歳、大手商社の幹部社員)、2人目はいちばん前を走っている(頭のなかでの自称)「ポール」(大学受験生=たぶん浪人中の予備校生)、3人目は紅一点、だんだん遅れて「男」に追い抜かれたりする「わたし」(高校卒業後、田舎から上京していまは社会人?)。――最初は(「男」目線の最初のほうは)静かでひんやりしていて、無機質な感じがいいな、とちょっと思ったけれど、そこはやっぱり純文学系の小説(?)、想像に幻想(イメージに妄想というか妄念に)……詩的な文体だったりして、読んでいてぜんぜん頭に入ってこない(涙)。皇居の森にお濠の水(の捉え方)、鎌にカマイタチに、自称宇宙人に想像妊娠……もうめんどくさいから「電波」のひと言で済ませてしまうか(汗)。結論としては――こういう小説を読むよりも(できるだけ無心で)家の近所でも走って汗を流して(シャワーを浴びて)すっきり、みたいなほうが健康にはいいかもしれない。
ポールくんは、教師をしている母親と(ローンが残っている)マンションで2人暮らしらしい。テレビゲームの比喩(?)が出てくるけれど、1980年代後半な若者の雰囲気は出ている? 大学受験に対しては消極的というか、<おふくろがうるさいから一応大学の試験は受けるけど、通る可能性もないし、通る気もない>(p.50)と考えている。
ポールくんは、教師をしている母親と(ローンが残っている)マンションで2人暮らしらしい。テレビゲームの比喩(?)が出てくるけれど、1980年代後半な若者の雰囲気は出ている? 大学受験に対しては消極的というか、<おふくろがうるさいから一応大学の試験は受けるけど、通る可能性もないし、通る気もない>(p.50)と考えている。
後藤明生 『挾み撃ち』
2010年5月19日 読書
単行本は河出書房新社から(1973年)、文庫は集英社文庫、河出文庫、講談社文芸文庫から出ている模様。手もとにあるのは講談社文芸文庫版(1998年)。←古本屋ではなく新刊本屋でだいぶ迷ったすえに購入、高かったです(あいかわらずの貧乏買い(涙))。ほかに何か文学全集のたぐいでも読めるかもしれない。
ちょっとユーモア小説というか、読んでいる間は、とても面白かったです。だじゃれも多いけれど、だじゃれが面白いわけではなくて…、言葉の繰り返しが多くて、それはちょっと癖になる感じもするかな(よくわからないけれど)。それ以外の感想は、えーと…、特にないな(汗)。というか、最近、何を読んでも感想が出てこないのだけれど、それはともかく。そう、最後まで読んでも(そういえば、久しぶりに講談社文芸文庫が最後まで読み通せたな)「わたし」が20年前に大学受験に失敗したあと、どうして東京(正確には埼玉県の蕨町)に下宿していたのか、当時そこで何のために何をしていたのか、がよくわからない。アルバイトをしたり、知人と飲んだり、「亀戸三丁目」に行ったりしていたのはわかるけれど。「浪人ちゅう」という言葉も使われているけれど、試験準備、受験勉強をしている気配がまったくない!(涙)。
<二十年前に北九州から上京した時に着ていた旧陸軍の外套の行方を求めて、昔の下宿先を訪ねる一日の間に、主人公の心中には、生まれ育った朝鮮北部で迎えた敗戦、九州の親の郷里への帰還、学生時代の下宿生活などが、脱線を繰り返しながら次々に展開する。/他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動を、独特の饒舌体で綴った傑作長篇。>(カバー裏より)
ありがちだけれど、微妙にずれている? <他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動>という箇所は、個人的にはガン無視しておきたい(汗)。あ、本の後ろについている解説(武田信明「不意撃ち/挟み撃ち」)はちゃんとしています。なんていうか、やっぱりとりあえずは“戦争小説”として読まれやすい話?(うーん…)。
どうでもいいことだけれど、<早起きは三文の得>にあたるカタカナ書き英語、<ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム>について、どっちもどっちだけれど、wormは、ふつう「ウォーム」よりも「ワーム」だよね?(そんなこともない?)。あと、これもどうでもいいことだけれど、カタカナつながりで、<ライオンという筆名を持ったさる高名な流行作家>(p.21)というのは、獅子文六でいい? 「お茶の水橋」ではなくて「お金の水橋」が出てくる小説――って、何のことだろう? 「わたし」(1952年に高校卒業)が高校生のときに新聞連載されていた、というのだから、えーと…、『てんやわんや』か『自由学校』のどちらか?(ぜんぜん読んだことがない)。あ、獅子文六ってあのへん(どのへん?)に住んでいたことがあるらしい。――いまカンニングしていたのは、『現代日本の文学 30 獅子文六集』(学習研究社、1970)の後ろの「年譜」。その昭和21年(1946年)のところに、
<十月、四年ぶりに東京に転入し、神田駿河台の主婦之友寮に仮寓する。>
とある。(ちなみに、『挾み撃ち』では中学1年生の「わたし」が引き揚げる前に穴を掘って『陸軍』という雑誌を燃やしているけれど、『現代日本の文学30 ~』所収、獅子文六の『海軍』には、その片割れ、雑誌『海軍』のほうが出てくる。)
浪人ということでは、ほかに下宿先の石田家の長男(栄一)が当時、浦和高校の2年生で、1浪して東大に、とのこと。浪人中に交流のあった高校の同級生で友人の久家(くが、現在銀行員)が3浪して一橋大学、とのこと。あ、「わたし」に関しては、翌年(1953年)大学を受験したのかどうかすら書かれていない(それとも、書かれていたのに見落としたかな)。
ちょっとユーモア小説というか、読んでいる間は、とても面白かったです。だじゃれも多いけれど、だじゃれが面白いわけではなくて…、言葉の繰り返しが多くて、それはちょっと癖になる感じもするかな(よくわからないけれど)。それ以外の感想は、えーと…、特にないな(汗)。というか、最近、何を読んでも感想が出てこないのだけれど、それはともかく。そう、最後まで読んでも(そういえば、久しぶりに講談社文芸文庫が最後まで読み通せたな)「わたし」が20年前に大学受験に失敗したあと、どうして東京(正確には埼玉県の蕨町)に下宿していたのか、当時そこで何のために何をしていたのか、がよくわからない。アルバイトをしたり、知人と飲んだり、「亀戸三丁目」に行ったりしていたのはわかるけれど。「浪人ちゅう」という言葉も使われているけれど、試験準備、受験勉強をしている気配がまったくない!(涙)。
<二十年前に北九州から上京した時に着ていた旧陸軍の外套の行方を求めて、昔の下宿先を訪ねる一日の間に、主人公の心中には、生まれ育った朝鮮北部で迎えた敗戦、九州の親の郷里への帰還、学生時代の下宿生活などが、脱線を繰り返しながら次々に展開する。/他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動を、独特の饒舌体で綴った傑作長篇。>(カバー裏より)
ありがちだけれど、微妙にずれている? <他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動>という箇所は、個人的にはガン無視しておきたい(汗)。あ、本の後ろについている解説(武田信明「不意撃ち/挟み撃ち」)はちゃんとしています。なんていうか、やっぱりとりあえずは“戦争小説”として読まれやすい話?(うーん…)。
どうでもいいことだけれど、<早起きは三文の得>にあたるカタカナ書き英語、<ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム>について、どっちもどっちだけれど、wormは、ふつう「ウォーム」よりも「ワーム」だよね?(そんなこともない?)。あと、これもどうでもいいことだけれど、カタカナつながりで、<ライオンという筆名を持ったさる高名な流行作家>(p.21)というのは、獅子文六でいい? 「お茶の水橋」ではなくて「お金の水橋」が出てくる小説――って、何のことだろう? 「わたし」(1952年に高校卒業)が高校生のときに新聞連載されていた、というのだから、えーと…、『てんやわんや』か『自由学校』のどちらか?(ぜんぜん読んだことがない)。あ、獅子文六ってあのへん(どのへん?)に住んでいたことがあるらしい。――いまカンニングしていたのは、『現代日本の文学 30 獅子文六集』(学習研究社、1970)の後ろの「年譜」。その昭和21年(1946年)のところに、
<十月、四年ぶりに東京に転入し、神田駿河台の主婦之友寮に仮寓する。>
とある。(ちなみに、『挾み撃ち』では中学1年生の「わたし」が引き揚げる前に穴を掘って『陸軍』という雑誌を燃やしているけれど、『現代日本の文学30 ~』所収、獅子文六の『海軍』には、その片割れ、雑誌『海軍』のほうが出てくる。)
浪人ということでは、ほかに下宿先の石田家の長男(栄一)が当時、浦和高校の2年生で、1浪して東大に、とのこと。浪人中に交流のあった高校の同級生で友人の久家(くが、現在銀行員)が3浪して一橋大学、とのこと。あ、「わたし」に関しては、翌年(1953年)大学を受験したのかどうかすら書かれていない(それとも、書かれていたのに見落としたかな)。
佐野洋 「灰色の軌跡」
2010年5月19日 読書
『奇しくも同じ日に……』(講談社文庫、1987)所収、9篇中の8篇目。この1篇の初出は(本の後ろのほうによれば)『問題小説』1974年2月号らしい。※以下、ネタバレ注意です、毎度すみません。で、感想はといえば、意外と面白かったです。特に人間関係のサプライズ(というか)が。友夫(苗字は岸、週刊誌の編集部に勤める)は、付き合っている信江(苗字は玉井、編集部の元アルバイトで大学生)から相談ばなしを聞かされる。高校時代からの友人(「片岡富士子」)が父親の留守中に見てしまった日記に、その昔、その父親(「片岡」)が犯した(もちろん捕まっていない)犯罪=殺人を告白する内容が書かれていて…、みたいな。作中年がわからないけれど、発表年の1974年だとすれば、24年前は1950年になる。たしかにまだ戦後の占領期。こちらの浪人生は<旧陸軍歩兵用の外套>(後藤明生『挾み撃ち』)ではなくて、<米軍払い下げの軍靴>(p.255)をはいていたらしい。「片岡」くん、岡山から上京してまだ新婚の兄夫婦と同居して、予備校に通っている。性欲というか、欲望が鬱積して勉強に手がつかなくて…、みたいな話は、少なくとも“受験生小説”ではパターンかな。
<予備校にも、日常の挨拶をする程度の友人がいないではない。しかし、そこに通っている学生のほとんどは、東京の高校を出た者であった。/片岡には、最初から、自分が田舎者と見られているのではないか、という意識があり、心から打ちとけて、彼らの仲間に入って行く気になれない。>(p.227)
相談までできるほどの相手はいない、みたいな箇所。当時の平均的な(?)予備校の、学生(生徒)における地方出身者の割合ってどれくらい、だったんだろうね?(わからんです)。(ちなみに、浪人生は出てこないけれど、“男子受験生とその性欲”ということでは、極端な例かもしれないけれど、松本清張「歯止め」(『黒の様式』新潮文庫ほか)など参照です。そういえば、後藤明生『挾み撃ち』でも浪人中、女性のあとをつけていたっけな。)
ネタバレしてしまうけれど、結局のところ、いとこ?
<予備校にも、日常の挨拶をする程度の友人がいないではない。しかし、そこに通っている学生のほとんどは、東京の高校を出た者であった。/片岡には、最初から、自分が田舎者と見られているのではないか、という意識があり、心から打ちとけて、彼らの仲間に入って行く気になれない。>(p.227)
相談までできるほどの相手はいない、みたいな箇所。当時の平均的な(?)予備校の、学生(生徒)における地方出身者の割合ってどれくらい、だったんだろうね?(わからんです)。(ちなみに、浪人生は出てこないけれど、“男子受験生とその性欲”ということでは、極端な例かもしれないけれど、松本清張「歯止め」(『黒の様式』新潮文庫ほか)など参照です。そういえば、後藤明生『挾み撃ち』でも浪人中、女性のあとをつけていたっけな。)
ネタバレしてしまうけれど、結局のところ、いとこ?
河出書房新社、1966。いま手許にあるのは図書館本。初出は『文藝』1964年9月号らしい。文庫は、新潮文庫『たまゆら』に収録されているようだ(地元ブックオフなどで探しても見つからず)。読みやすいし、誰々がこれこれして、という話はわかりやすかったけれど、全体的に薄味で――登場人物の思考や感情の底が浅いから?――何が言いたいのか、私にはぜんぜん感じとれず(涙)。私の読み(のほう)が浅いのだとは思うけれど。
18年経っているということは、戦後19年目=1964年? 主な視点人物は、戦争で息子を失っている初老の英文学者・調所修一郎(リュウマチで歩くのが苦痛)とその息子=輝一の友人(高校の同期)だった社会学者・高木士郎(40歳すぎ、もちろん戦争を生きのびている)。それで、その2人が分かりあえないという話(だけ)なら、単純でわかりやすい小説かもしれないけれど、そういう感じでもなく。高木は雑誌(≪世論≫)に憲法改正についての「論文」を発表していて、世間で良くも悪くも評判になっている。
本題というか。面倒なので粗筋もほかの人物紹介も省略してしまえば(ネタバレしてしまうけれど)、高木と間違えて瓜生恵(うりゅう・めぐむ、輝一と同じく高木の高校の同級生で友人)を刺し殺してしまうのが、浪人中の鵜月守(うづき・まもる)。実家は伊豆の農家兼駄菓子屋で、高校卒業後(でいいのかな)に小さな出版社の社長宅で書生をしていて、そのとき、その社長=松尾嘉根次から勧められて、大学(静岡大学の文理学部)を受験して失敗して――あ、1月から始まっている小説なので、高校3年時&前年に受験をしていなければ、小説上、最初に声だけで登場しているさいには、まだ「浪人生」とは言えないかもしれない――事件を起こしたとき(4月下旬か5月上旬?)には浪人生。あ、でも、この青年は大学に落ちた時点で、来年も大学を受験するつもりがあったのだろうか。なければその時点でも「浪人生」とは言えないかもしれない。作中では「大学浪人」という言葉が使われているけれど(p.137)。というか、どうでもいい話やな(汗)。
なんていうか、戦死者の意味付けや追悼の方法、弔い方については(さらに40年以上経っているいまでも)議論の尽きない大問題だろうけれど、とりあえずこの小説的には、1人の“浪人生”が犬死にさせられているということは、けっこう確かなことかもしれない。親(特に「母ちゃん」)がかわいそう。
18年経っているということは、戦後19年目=1964年? 主な視点人物は、戦争で息子を失っている初老の英文学者・調所修一郎(リュウマチで歩くのが苦痛)とその息子=輝一の友人(高校の同期)だった社会学者・高木士郎(40歳すぎ、もちろん戦争を生きのびている)。それで、その2人が分かりあえないという話(だけ)なら、単純でわかりやすい小説かもしれないけれど、そういう感じでもなく。高木は雑誌(≪世論≫)に憲法改正についての「論文」を発表していて、世間で良くも悪くも評判になっている。
本題というか。面倒なので粗筋もほかの人物紹介も省略してしまえば(ネタバレしてしまうけれど)、高木と間違えて瓜生恵(うりゅう・めぐむ、輝一と同じく高木の高校の同級生で友人)を刺し殺してしまうのが、浪人中の鵜月守(うづき・まもる)。実家は伊豆の農家兼駄菓子屋で、高校卒業後(でいいのかな)に小さな出版社の社長宅で書生をしていて、そのとき、その社長=松尾嘉根次から勧められて、大学(静岡大学の文理学部)を受験して失敗して――あ、1月から始まっている小説なので、高校3年時&前年に受験をしていなければ、小説上、最初に声だけで登場しているさいには、まだ「浪人生」とは言えないかもしれない――事件を起こしたとき(4月下旬か5月上旬?)には浪人生。あ、でも、この青年は大学に落ちた時点で、来年も大学を受験するつもりがあったのだろうか。なければその時点でも「浪人生」とは言えないかもしれない。作中では「大学浪人」という言葉が使われているけれど(p.137)。というか、どうでもいい話やな(汗)。
なんていうか、戦死者の意味付けや追悼の方法、弔い方については(さらに40年以上経っているいまでも)議論の尽きない大問題だろうけれど、とりあえずこの小説的には、1人の“浪人生”が犬死にさせられているということは、けっこう確かなことかもしれない。親(特に「母ちゃん」)がかわいそう。
津村節子 『春のかけら』
2010年5月17日 読書
手もとにあるのは集英社文庫(1993)。単行本は、講談社から出ている模様(1979年)。ひと言でいえば、意外とほのぼの“少女小説”みたいな感じ? センテンスが短めで、舌足らずな印象を受ける。――両親や学校(高校)よりも、喫茶店で知り合った彼=自称・浪人生の亮ちゃんを選んだ「私」(ケイ、恵子)は、どの仕事も長続きしない亮ちゃんに薦められて、生活のために夜の街(新宿)で男をお客としてとっている。それでも亮ちゃんから愛されている(と信じている)「私」は幸せを感じている(というか)。そんなとき(ネタバレしてしまうけれど)その亮ちゃんが突然死してしまう。で、糸の切れた凧というか、鵜飼いのいなくなった鵜というか、まだ若い「私」の運命はいかに? ――みたいな話(ちょっと違うか)。両親のもとに戻るのか、それとも同じ商売を続けて独りで生きていくのか、みたいな。「私」に調べようという気持ちがあまりないので、亮ちゃんの素性は結局、よくわからないまま(フルネームは宮沢亮太、故郷はたぶん岩手県)。そういえば、この小説も読んでいて食べ物とか、お風呂(温泉とか)がけっこうよかったな。あ、亮ちゃんが亡くなって「私」の唯一の友達が、お鮨屋のマスター=ヤスさんに。小説的にはキーパーソン(というか)になっている。
例えば、桜井亜美とかある種のケータイ小説が好きで読んでいる人が読むと、どう思うんだろうね、この小説は? 私にはわからないけれど、主人公の性格とか物語(ストーリー)とか、すごく素朴に感じてしまうかもしれないな。1979年って、高校生が書いたという触れ込みの中沢けい「海を感じる時」は、もう出ているんだっけ? あ、出ている(同名の単行本が1978年に講談社から)。ちなみに作者の津村節子は1928年、福井県生まれ。そういえば、作中でも夏に福井(の若狭)に行っている。
例えば、桜井亜美とかある種のケータイ小説が好きで読んでいる人が読むと、どう思うんだろうね、この小説は? 私にはわからないけれど、主人公の性格とか物語(ストーリー)とか、すごく素朴に感じてしまうかもしれないな。1979年って、高校生が書いたという触れ込みの中沢けい「海を感じる時」は、もう出ているんだっけ? あ、出ている(同名の単行本が1978年に講談社から)。ちなみに作者の津村節子は1928年、福井県生まれ。そういえば、作中でも夏に福井(の若狭)に行っている。
山本甲士 『ひなた弁当』
2010年5月17日 読書
中央公論新社、2009。隣りの市の市立図書館に行く途中に立ち寄った本屋(チェーン店)で手にとってみて購入。その図書館に着いて本を返してトイレでおしっこをしていたら、入ってきた知らない人(私よりは歳上っぽいおじさん)から「この近くにある本屋を知りませんか?」と訊かれる。「近く」がどれくらいなのか確認してみたものの、ぜんぜん地元ではないので(その図書館を利用することじたい2度目だし)、相手の期待にまったく応えられず、なんていうか、すみません(ここで謝ってもしかたがないか)。帰りにそこからいちばん近いブックオフにも寄る予定で、実際、寄って帰ってくる。ろくなものがゲットできず、探していた岬兄悟『ハートでジャンプ!』(ソノラマ文庫)がほとんど唯一の収穫でした。←どうでもいい話(汗)。※以下、毎度すみません、いちおうネタバレ注意です。
なんていうか、物(や知識)の手渡しに伴うわずかな温かさ、が感じられる小説というか、ささやかな物や情報が自然と他者に伝わっていくことの大切さ、が…というか、――毎度のことだけれど、ぜんぜんうまく言えていない。自分で言いつつ、そんな話だったっけ? と思う(汗)。漫画・アニメの『ドラゴンボール』に“元気玉”という攻撃技が出てくるけれど、同じように(?)草や木、魚などから少しずつ元気をもらって作られたお弁当、というか。でも、悪く言えば、気弱な中年リストラクチャードおじさんの脳内プチファンタジー実現物語というか?(悪く言いすぎか)。私なんて年長フリーターだからぜんぜん他人事とは思わず読んでいたけれどね(涙)。冒頭、芦溝良郎(今年50歳)は会社の親睦野球大会で手がすべってボールを常務の頭に当ててしまう。――小説的にはお話開始の笛(合図)という感じかもしれないけれど、なんていうか“伝達”の失敗にもなっている(主人公は相手に打たせようと思っていた)。公園で飛んできたフリスビーを返し損なうのも同じ。投げるのではなくて手で渡すべし? ――ま、そんなことよりも、とりあえず“お弁当”をちょっと食べてみたくなるよね(?)。あ、でも、私はノビルが苦手です。地元で人と話していると好きだと言う人が多いけれど。というか、私の好き嫌いはどうでもいいですか(汗)。魚関係は食べたことがないどころか、知らないものばかり…、そう、ドングリはちょっと食べてみたいな。
横峰…じゃなくて、芦溝(あしみぞ)パパには、奥さんと2人の娘がいる。奥さん(康世)は昼間、スーパーでパートをしている。上の娘の栄美(えみ)は首都圏の大学に通う大学3年生で、いまは家を出ている。下の娘の真美(まみ)は、浪人生で地元(加江瀬市)の予備校に通っている。――今どきの“父-娘関係”は、でも、こんな感じがふつうなのかな? 最初のへん、家でたまたまお父さんの裸を見てしまったさい、<「うわっ、変態っ」と吐き捨てて>(p.38)いる(笑)。しかも、父親のことを「あんた」呼ばわり…。でも、実はお父さんのことを心配していたりもする心優しい女の子? そう、今のままお弁当を売っているだけでは(奥さんのパートのぶんを合わせても)娘2人ぶんの学費はちょっとつらいよね? あ、お姉ちゃんのほうはあと1年強だし、アルバイトもしているか。ネタバレしてしまうけれど、真美さん(彼氏もいる模様)は最後のほう、浪人生ではなくなっているというか、進路変更をしている。美容師になりたいそうだ。小説的には替わりに(?)高校卒業後、ニート状態だったという少年が、浪人生になっているというか、大学(水産大学)を目指すと語っている。ちなみに描かれているのは、3月から12月くらいまで。
[追記]その後、文庫化される。中公文庫、2011.9。かなり早いよね、丸2年経っていない。
なんていうか、物(や知識)の手渡しに伴うわずかな温かさ、が感じられる小説というか、ささやかな物や情報が自然と他者に伝わっていくことの大切さ、が…というか、――毎度のことだけれど、ぜんぜんうまく言えていない。自分で言いつつ、そんな話だったっけ? と思う(汗)。漫画・アニメの『ドラゴンボール』に“元気玉”という攻撃技が出てくるけれど、同じように(?)草や木、魚などから少しずつ元気をもらって作られたお弁当、というか。でも、悪く言えば、気弱な中年リストラクチャードおじさんの脳内プチファンタジー実現物語というか?(悪く言いすぎか)。私なんて年長フリーターだからぜんぜん他人事とは思わず読んでいたけれどね(涙)。冒頭、芦溝良郎(今年50歳)は会社の親睦野球大会で手がすべってボールを常務の頭に当ててしまう。――小説的にはお話開始の笛(合図)という感じかもしれないけれど、なんていうか“伝達”の失敗にもなっている(主人公は相手に打たせようと思っていた)。公園で飛んできたフリスビーを返し損なうのも同じ。投げるのではなくて手で渡すべし? ――ま、そんなことよりも、とりあえず“お弁当”をちょっと食べてみたくなるよね(?)。あ、でも、私はノビルが苦手です。地元で人と話していると好きだと言う人が多いけれど。というか、私の好き嫌いはどうでもいいですか(汗)。魚関係は食べたことがないどころか、知らないものばかり…、そう、ドングリはちょっと食べてみたいな。
横峰…じゃなくて、芦溝(あしみぞ)パパには、奥さんと2人の娘がいる。奥さん(康世)は昼間、スーパーでパートをしている。上の娘の栄美(えみ)は首都圏の大学に通う大学3年生で、いまは家を出ている。下の娘の真美(まみ)は、浪人生で地元(加江瀬市)の予備校に通っている。――今どきの“父-娘関係”は、でも、こんな感じがふつうなのかな? 最初のへん、家でたまたまお父さんの裸を見てしまったさい、<「うわっ、変態っ」と吐き捨てて>(p.38)いる(笑)。しかも、父親のことを「あんた」呼ばわり…。でも、実はお父さんのことを心配していたりもする心優しい女の子? そう、今のままお弁当を売っているだけでは(奥さんのパートのぶんを合わせても)娘2人ぶんの学費はちょっとつらいよね? あ、お姉ちゃんのほうはあと1年強だし、アルバイトもしているか。ネタバレしてしまうけれど、真美さん(彼氏もいる模様)は最後のほう、浪人生ではなくなっているというか、進路変更をしている。美容師になりたいそうだ。小説的には替わりに(?)高校卒業後、ニート状態だったという少年が、浪人生になっているというか、大学(水産大学)を目指すと語っている。ちなみに描かれているのは、3月から12月くらいまで。
[追記]その後、文庫化される。中公文庫、2011.9。かなり早いよね、丸2年経っていない。
今野敏 『果断 隠蔽捜査2』
2010年5月16日 読書
新潮社、2007/新潮文庫、2010。シリーズ2冊目。大森署の署長になってもあいかわらず自分の考えを曲げない、組織内で“変人”ぶりを発揮している竜崎伸也。――読みやすいし、面白く読んだけれど、やっぱり1冊目(第1巻と言ったほうがいいか)のときより、薄味になっているような。シリーズものって、続編になると(続編になればなるほど)そうなりやすいのかもしれないけれど。あと、ちょっとネタバレしてしまうけれど、立てこもり事件でSATが突入するまでが、個人的にはちょっと長く感じたかな。
息子の邦彦くん、は、引き続き予備校生であるらしい。東大しか認めないと言う父親とは違う理由で、東大を目指すことに。これもちょっとネタバレしてしまうけれど、お父さん、宮崎アニメも見たことがないのか。
息子の邦彦くん、は、引き続き予備校生であるらしい。東大しか認めないと言う父親とは違う理由で、東大を目指すことに。これもちょっとネタバレしてしまうけれど、お父さん、宮崎アニメも見たことがないのか。
高嶋哲夫 『ファイアー・フライ』
2010年5月16日 読書
文藝春秋、2008。図書館本(文庫化されたら買います)。※以下、いちおうネタバレ注意です。
ひと組の男女に社長と間違われて誘拐された「私」(木島優二・43歳)。「組織」の命令に従って行動しているというその2人に、山の中の廃屋で拘束(軟禁)され、彼らとともにしばらく自然に囲まれた生活を送る。そんなときに「私」(セネックス工業の研究所の、いちおう主任)に関して、身に覚えのない億単位の研究費を横領していたという疑惑が報じられて――。「私」はいままで疑問を抱くことがなかった会社や家族について考えさせられるというか、そんな感じの内容(ちょっと違う?)。「私」目線だけでなく、3人称で刑事(=早河)目線の部分も挿入されている。
文章はそれほどでもないけれど(読みやすくてよかった)、話(ストーリー)と設定には古さというか、ちょっと懐かしさを感じるかな、個人的には。「私」は4人家族のお父さんで、長女が大学生、長男が浪人生(予備校生)、しかも美人の奥さんがいて(実は浮気していて)……みたいな、昔のTVドラマでよくありそうな家族構成(と展開)だと思う。仕事=連日に近い残業で疲れていたところ(都会で穢れていた?ところ)、降って湧いた時間=山の自然や食事によって癒されて…、みたいな話も、なんだかひと昔の前の小説っぽい。
父-息子関係はでも、意外と今風かもしれない(そもそも家族の3人がなんていうか、父親と、起こった事件に対して冷静・冷淡なのはかまわないけれど、ちょっと薄っぺらく描写されているような。あ、それは登場人物ぜんいんに言えることかも。いちばん身近な奥さんと結婚したのは約20年前だっけ? 決して短い時間ではないよね、うーん…)。「私」は乗り越えるべき父親として見られていないというか、息子=勇介(19歳)がお父さんにちゃんとぶつかっていっていないというか(そういえば、今野敏『隠蔽捜査』の父親は、けっこう昔のお父さんっぽいよね。父権がわりと強め)。勇介くん、性格はよさそうなのだけれど、居酒屋でアルバイトをしていて、結局、大学進学はやめてその居酒屋に就職するらしい。家はどこだっけ? ――横浜か。
そう、どうでもいいことだけれど、勇介くん、居酒屋でバイトをしているのに、喫茶店で「クリームパフェ」を頼んでいる。――それは別にいいけれど(汗)、ちょっと気になったのは、クリームパフェに普通、グレープフルーツって入っているの?(←ほんとどうでもいい話やな(汗))。オレンジとか(缶詰の?)みかんとかならわかるけれど、グレープフルーツだとちょっと酸味が強すぎやしないか(そんなこともない?)。しかも、パフェをスプーンではなくてストローで食べている? というか、甘いものを食べたくなってきっちゃったな(汗)。
あと、これもどうでもいいけれど、地元県民としてちょっといらっとしたのが、もう1人の刑事の台詞で――どこのページだかわからなくなっちゃったな(汗)、まぁいいか――、高崎から群馬に向かったんですかね? みたいな箇所があって。大学のキャンパス内を歩いていて「大学はどこですか?」と尋ねる、みたいな笑い話(?)があるけれど、それみたいだな(カテゴリー・エラーの例として使われるものだっけ?)。パフェにしても、要するにわりと頭の中だけで書かれてしまっている小説なのかな?
[追記]その後、文庫化される(文春文庫、2010.10)。上で触れた箇所は、<「犯人たちは、高崎から群馬に向かって逃げたんですかね」>(p.332)。
ひと組の男女に社長と間違われて誘拐された「私」(木島優二・43歳)。「組織」の命令に従って行動しているというその2人に、山の中の廃屋で拘束(軟禁)され、彼らとともにしばらく自然に囲まれた生活を送る。そんなときに「私」(セネックス工業の研究所の、いちおう主任)に関して、身に覚えのない億単位の研究費を横領していたという疑惑が報じられて――。「私」はいままで疑問を抱くことがなかった会社や家族について考えさせられるというか、そんな感じの内容(ちょっと違う?)。「私」目線だけでなく、3人称で刑事(=早河)目線の部分も挿入されている。
文章はそれほどでもないけれど(読みやすくてよかった)、話(ストーリー)と設定には古さというか、ちょっと懐かしさを感じるかな、個人的には。「私」は4人家族のお父さんで、長女が大学生、長男が浪人生(予備校生)、しかも美人の奥さんがいて(実は浮気していて)……みたいな、昔のTVドラマでよくありそうな家族構成(と展開)だと思う。仕事=連日に近い残業で疲れていたところ(都会で穢れていた?ところ)、降って湧いた時間=山の自然や食事によって癒されて…、みたいな話も、なんだかひと昔の前の小説っぽい。
父-息子関係はでも、意外と今風かもしれない(そもそも家族の3人がなんていうか、父親と、起こった事件に対して冷静・冷淡なのはかまわないけれど、ちょっと薄っぺらく描写されているような。あ、それは登場人物ぜんいんに言えることかも。いちばん身近な奥さんと結婚したのは約20年前だっけ? 決して短い時間ではないよね、うーん…)。「私」は乗り越えるべき父親として見られていないというか、息子=勇介(19歳)がお父さんにちゃんとぶつかっていっていないというか(そういえば、今野敏『隠蔽捜査』の父親は、けっこう昔のお父さんっぽいよね。父権がわりと強め)。勇介くん、性格はよさそうなのだけれど、居酒屋でアルバイトをしていて、結局、大学進学はやめてその居酒屋に就職するらしい。家はどこだっけ? ――横浜か。
そう、どうでもいいことだけれど、勇介くん、居酒屋でバイトをしているのに、喫茶店で「クリームパフェ」を頼んでいる。――それは別にいいけれど(汗)、ちょっと気になったのは、クリームパフェに普通、グレープフルーツって入っているの?(←ほんとどうでもいい話やな(汗))。オレンジとか(缶詰の?)みかんとかならわかるけれど、グレープフルーツだとちょっと酸味が強すぎやしないか(そんなこともない?)。しかも、パフェをスプーンではなくてストローで食べている? というか、甘いものを食べたくなってきっちゃったな(汗)。
あと、これもどうでもいいけれど、地元県民としてちょっといらっとしたのが、もう1人の刑事の台詞で――どこのページだかわからなくなっちゃったな(汗)、まぁいいか――、高崎から群馬に向かったんですかね? みたいな箇所があって。大学のキャンパス内を歩いていて「大学はどこですか?」と尋ねる、みたいな笑い話(?)があるけれど、それみたいだな(カテゴリー・エラーの例として使われるものだっけ?)。パフェにしても、要するにわりと頭の中だけで書かれてしまっている小説なのかな?
[追記]その後、文庫化される(文春文庫、2010.10)。上で触れた箇所は、<「犯人たちは、高崎から群馬に向かって逃げたんですかね」>(p.332)。
山本幸久 『失恋延長戦』
2010年4月27日 読書
祥伝社、2010。帯の<柴犬ベンジャミンの「近衛犬日記」>を見て購入。とても面白かったです。
<痛いよ。痛い。胸が痛くてたまらない。>(p.87)
失恋の延長=失恋の繰り返し?(同じ相手にずっと片想い)だけでなく、友情あり、わんこあり、現状や将来のことに悩んだり……な青春小説という感じ。テンションは低めだけれど、読んでいて笑えたり(小説を読んでいて久しぶりに笑えた気が)泣けたりする。特にわんこ小説、最後には(心の中で)涙、涙でした。――“浪人生が出てくる小説”(どんなジャンルだよ!)の今年(2010年)の上半期ベスト・ワンは、もうこれに決めてしまっていいや(まだ2ヶ月もあるけれど)。※以下、いわゆるネタバレ注意です。読まれていない方は、気をつけてください。
地方で両親(父さん、母さん)と暮らしている真弓子(苗字は米村)は、毎日、朝と晩に犬らしくない犬のベンジャミンを近くの海辺などに散歩に連れて行っている。おとぼけ(?)“近衛犬”のベンジャミンは、ご主人の真弓子さんがちょっとしたピンチに見舞われたりすると(偶然にも?)現れて、助けてくれたりする。描かれているのは、真弓子の高校1年のときから卒業後2年目くらいの間の出来事で、真弓子には、同級生で同じ放送部に入っている大河原くん(下の名前は健児)という片想いの相手がいたり、高校1年のときに同じクラスで(真弓子に学級委員の座を奪われて以来)自分のことをライバル視してくる、わが道をいく感じの(でも不器用で滑稽な)藤枝美咲という面倒な相手がいたりする。――登場人物をぜんいん紹介したくなってきたけれど、これくらいに(汗)。
SMAPはいつ6人から5人になったんだっけ?(ぜんぜん思い出せないや(汗))。でも、携帯電話の感じからして、時代はたぶん1990年代の後半くらい。女子高生ブームなんていうものがあったっけか。真弓子さんはその対極にあるような、暗いわけではないけれど、服装などおしゃれをするわけでもなく、地味でまじめな、学級委員に毎度、推薦されてしまうような受身的なキャラクター。――それが個人的には好きかもしれない。本文で「2浪」という言葉は使われていたっけな…、あ、いちおう夢の中で人から言われた言葉のなかにある(<「二十歳で二浪」>、p.198)。ご本人はちょっとあきらめモードに入っていたりするけれど、「2浪」と言ってよければ(途中からだけれど)初めて読んだかもしれない、“2浪女子”目線の小説。作者は男性作家だけれど。というか、どうでもいい話やな(涙)。“受験生小説”としては、キーワードを1つ挙げるとすれば、やっぱり「東京」か。地方の高校生(と浪人生)にとって大学受験=東京へ出られるか出られないかの勝負、みたいな。この小説では東京に行く前に、東京の権化=同じ部活の後輩で東京出身の蔦岡るいがやってきて、真弓子は大河原くんをとられてしまう(「とられる」というか、気づいたときには2人が付き合っている)。
わんこ小説、どうも「きょうのわんこ」口調で言いたくなっちゃうな、言っちゃうか。
柴犬ベンジャミンくんの片想いの相手は、ご主人の真弓子さんなのでしたー。
あ、片想いではなくて両想いか。
[追記]文庫は祥伝社文庫、2013.7。
<痛いよ。痛い。胸が痛くてたまらない。>(p.87)
失恋の延長=失恋の繰り返し?(同じ相手にずっと片想い)だけでなく、友情あり、わんこあり、現状や将来のことに悩んだり……な青春小説という感じ。テンションは低めだけれど、読んでいて笑えたり(小説を読んでいて久しぶりに笑えた気が)泣けたりする。特にわんこ小説、最後には(心の中で)涙、涙でした。――“浪人生が出てくる小説”(どんなジャンルだよ!)の今年(2010年)の上半期ベスト・ワンは、もうこれに決めてしまっていいや(まだ2ヶ月もあるけれど)。※以下、いわゆるネタバレ注意です。読まれていない方は、気をつけてください。
地方で両親(父さん、母さん)と暮らしている真弓子(苗字は米村)は、毎日、朝と晩に犬らしくない犬のベンジャミンを近くの海辺などに散歩に連れて行っている。おとぼけ(?)“近衛犬”のベンジャミンは、ご主人の真弓子さんがちょっとしたピンチに見舞われたりすると(偶然にも?)現れて、助けてくれたりする。描かれているのは、真弓子の高校1年のときから卒業後2年目くらいの間の出来事で、真弓子には、同級生で同じ放送部に入っている大河原くん(下の名前は健児)という片想いの相手がいたり、高校1年のときに同じクラスで(真弓子に学級委員の座を奪われて以来)自分のことをライバル視してくる、わが道をいく感じの(でも不器用で滑稽な)藤枝美咲という面倒な相手がいたりする。――登場人物をぜんいん紹介したくなってきたけれど、これくらいに(汗)。
SMAPはいつ6人から5人になったんだっけ?(ぜんぜん思い出せないや(汗))。でも、携帯電話の感じからして、時代はたぶん1990年代の後半くらい。女子高生ブームなんていうものがあったっけか。真弓子さんはその対極にあるような、暗いわけではないけれど、服装などおしゃれをするわけでもなく、地味でまじめな、学級委員に毎度、推薦されてしまうような受身的なキャラクター。――それが個人的には好きかもしれない。本文で「2浪」という言葉は使われていたっけな…、あ、いちおう夢の中で人から言われた言葉のなかにある(<「二十歳で二浪」>、p.198)。ご本人はちょっとあきらめモードに入っていたりするけれど、「2浪」と言ってよければ(途中からだけれど)初めて読んだかもしれない、“2浪女子”目線の小説。作者は男性作家だけれど。というか、どうでもいい話やな(涙)。“受験生小説”としては、キーワードを1つ挙げるとすれば、やっぱり「東京」か。地方の高校生(と浪人生)にとって大学受験=東京へ出られるか出られないかの勝負、みたいな。この小説では東京に行く前に、東京の権化=同じ部活の後輩で東京出身の蔦岡るいがやってきて、真弓子は大河原くんをとられてしまう(「とられる」というか、気づいたときには2人が付き合っている)。
わんこ小説、どうも「きょうのわんこ」口調で言いたくなっちゃうな、言っちゃうか。
柴犬ベンジャミンくんの片想いの相手は、ご主人の真弓子さんなのでしたー。
あ、片想いではなくて両想いか。
[追記]文庫は祥伝社文庫、2013.7。
田中りえ 『おやすみなさい、と男たちへ』
2010年4月26日 読書
講談社文庫、1987。短篇集。アマゾンでこの本のレビューを小谷野敦(文芸評論家)が書いていて、古本屋で探してきて読んでみたのだけれど、これは当たりでした。お薦めです(浪人生が出てくるとか出てこないとかは関係なく)。この作者、ちょっと川上弘美っぽい? 文体とか自意識の在り方とか。(以前、三石由起子「ダイアモンドは傷つかない」を読んだときにチェックしておけばよかったな、この文庫本。)
収録作は――書き出しておけば、
「おやすみなさい、と男たちへ」
「プラスチック・ラブ」
「「アルファ」を読んで」
「じゃあね」
「四十一階の窓から」
「息ぬきだから」
「とべない鳥」
「まだ、スキ」
「西尾というヤツ」
の9篇。本の後ろのほうによれば、最初の5篇は同名の単行本(講談社、1982)の収録作と同じ、次の2篇は『セリ・シャンブル1 中沢けい・田中りえの部屋』(旺文社、1985)という本からで、最後の2篇はこの文庫書き下ろし、らしい。
「息ぬきだから」(つきあっていた歳上の男性と別れる話)と「とべない鳥」(飼い猫が傷つけた鳩を動物病院へ連れて行く話)の2篇は、語り手が予備校生(女子)。最後の1篇「西尾というヤツ」(知り合って3年になる西尾くんについての話)は、語り手はもう大学生になっているけれど、予備校時代のこと(出会い)から語られている。3篇とも長さ的には、短篇小説というよりは掌篇小説という感じ。“浪人生小説”、タイトル的には「息ぬきだから」がいいと思うけれど、内容的には「西尾というヤツ」のほうが好きかな、個人的には。そのほか、大学生が語り手になっている作品も、大学に入るのに浪人(1年か2年)しているという設定になっているものが多い。あ、あと、細かいところでは、2篇目の「プラスチック・ラブ」(2浪していていま大学4年生の「わたし」が、同じ歳の中学・高校のときの友達たち=男3人とお酒を飲んだりする話)では、移動中のタクシーでラジオから、DJが電話で浪人生(女の子)と話をしているのが聞えてくる、みたいな箇所がある。
肩ひじをはっていない感じの小説だし(けっこう心地よく読めるし)、あと、全体的にあからさまな感傷(性)がなくて良いというか。表題作を読むと、“妊娠小説”(斎藤美奈子による同名の著書参照)をパロディ化しているというか、相対化しているように読める箇所もある。中沢けい「海を感じる時」とか、「おやすみなさい、~」と同じく「早大文芸科卒業小説」(文庫カバー裏で使われている言葉)として書かれたものらしい見延典子「もう頬づえはつかない」や、卒業小説を大幅に改稿したものらしい小川洋子「揚羽蝶が壊れる時」(もともとのタイトルは「情けない週末」、小川氏は佐野元春のファン)とは、その点でも異なっている。
作者も2浪しているのかな? 著者紹介(奥付の上のところ)によれば、昭和31年(1956年)7月生まれで、昭和56年(1981年)4月に大学を卒業している。――最初から早大文芸科を目指していたのかはわからないけれど、大学入学までに浪人している可能性は高い。
+++++++++++++++++++
あまり関係ないけれど、予備校つながりで、伊藤和夫『予備校の英語』(研究社、1997)という本に、田中小実昌が書いたエッセイ?(『週刊朝日』1978年5月26日号)からの引用があって(pp.206-7)――ひと言でいえば、下の娘さん(大学2年生)が某大学の入試問題を「国語入試問題必勝法」式に解いて見せた、みたいな話なのだけれど、その娘さんがたぶん、田中りえ。なんていうか、小説から間接的に知れる作者(のキャラクター)と矛盾しないエピソードかもしれない。
(1978年には、田中小実昌の『ポロポロ』ってもう出ているのかな? ――あ、雑誌には掲載されているけれど、単行本(1979年らしい)はまだなのか。微妙な時期だな…。清水義範『国語入試問題必勝法』の単行本は、えーと、――1987年であってる? 持っているはずだけれど、例によってどっかにいっちゃったよ(涙)。それはともかく、意外と最近なんだね。…といっても、20年以上も前か。)
収録作は――書き出しておけば、
「おやすみなさい、と男たちへ」
「プラスチック・ラブ」
「「アルファ」を読んで」
「じゃあね」
「四十一階の窓から」
「息ぬきだから」
「とべない鳥」
「まだ、スキ」
「西尾というヤツ」
の9篇。本の後ろのほうによれば、最初の5篇は同名の単行本(講談社、1982)の収録作と同じ、次の2篇は『セリ・シャンブル1 中沢けい・田中りえの部屋』(旺文社、1985)という本からで、最後の2篇はこの文庫書き下ろし、らしい。
「息ぬきだから」(つきあっていた歳上の男性と別れる話)と「とべない鳥」(飼い猫が傷つけた鳩を動物病院へ連れて行く話)の2篇は、語り手が予備校生(女子)。最後の1篇「西尾というヤツ」(知り合って3年になる西尾くんについての話)は、語り手はもう大学生になっているけれど、予備校時代のこと(出会い)から語られている。3篇とも長さ的には、短篇小説というよりは掌篇小説という感じ。“浪人生小説”、タイトル的には「息ぬきだから」がいいと思うけれど、内容的には「西尾というヤツ」のほうが好きかな、個人的には。そのほか、大学生が語り手になっている作品も、大学に入るのに浪人(1年か2年)しているという設定になっているものが多い。あ、あと、細かいところでは、2篇目の「プラスチック・ラブ」(2浪していていま大学4年生の「わたし」が、同じ歳の中学・高校のときの友達たち=男3人とお酒を飲んだりする話)では、移動中のタクシーでラジオから、DJが電話で浪人生(女の子)と話をしているのが聞えてくる、みたいな箇所がある。
肩ひじをはっていない感じの小説だし(けっこう心地よく読めるし)、あと、全体的にあからさまな感傷(性)がなくて良いというか。表題作を読むと、“妊娠小説”(斎藤美奈子による同名の著書参照)をパロディ化しているというか、相対化しているように読める箇所もある。中沢けい「海を感じる時」とか、「おやすみなさい、~」と同じく「早大文芸科卒業小説」(文庫カバー裏で使われている言葉)として書かれたものらしい見延典子「もう頬づえはつかない」や、卒業小説を大幅に改稿したものらしい小川洋子「揚羽蝶が壊れる時」(もともとのタイトルは「情けない週末」、小川氏は佐野元春のファン)とは、その点でも異なっている。
作者も2浪しているのかな? 著者紹介(奥付の上のところ)によれば、昭和31年(1956年)7月生まれで、昭和56年(1981年)4月に大学を卒業している。――最初から早大文芸科を目指していたのかはわからないけれど、大学入学までに浪人している可能性は高い。
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あまり関係ないけれど、予備校つながりで、伊藤和夫『予備校の英語』(研究社、1997)という本に、田中小実昌が書いたエッセイ?(『週刊朝日』1978年5月26日号)からの引用があって(pp.206-7)――ひと言でいえば、下の娘さん(大学2年生)が某大学の入試問題を「国語入試問題必勝法」式に解いて見せた、みたいな話なのだけれど、その娘さんがたぶん、田中りえ。なんていうか、小説から間接的に知れる作者(のキャラクター)と矛盾しないエピソードかもしれない。
(1978年には、田中小実昌の『ポロポロ』ってもう出ているのかな? ――あ、雑誌には掲載されているけれど、単行本(1979年らしい)はまだなのか。微妙な時期だな…。清水義範『国語入試問題必勝法』の単行本は、えーと、――1987年であってる? 持っているはずだけれど、例によってどっかにいっちゃったよ(涙)。それはともかく、意外と最近なんだね。…といっても、20年以上も前か。)
丹沢秦 『ユリの木の空』
2010年4月26日 読書
ベネッセコーポレーション、1996。手もとにあるのは図書館本。いま読むとちょっと懐かしい感じの、家族に、学校にと悩める高校生青春小説みたいな? 苛立ち(というか)はちゃんと伝わってくる。意外と安心して読めてしまうのは、外枠というか、とりあえず物理的な世界がしっかりしているからかな。大きな木とか鳥の声とか、あと、田んぼ(田園風景)とか。舞台となっているのは、神奈川県でいい?(私にはよくわからない)。というか、内容以前に純文学系の小説(初出は『海燕』同年7月号)は、やっぱり文章じたいがいいよね、その点がダメなエンタメ系小説を読んだあとに読むと(具体的に何を読んでいたかは伏せておくけれど(汗))ちょっとほっとしてしまう。個人的には(ぶれまくりの私としては)必然、評価も高くなってしまう。
3人称1視点小説で、視点を担っているのは、高校2年生の宏(苗字は井上、数学が得意)。冒頭あたりは5月で、すぐに6月に(小説の最後は…何月だっけ、2学期は始まっている)。お父さん(高幸)が、継母と異母弟(尚子と健一)が暮らす東京へと引っ越していく朝から描かれている。で、その日から祖母(の千代)との2人暮らしが始まる。同じ日、学校をさぼって行った大きなユリの木がある城址公園で、浪人生の内山次郎(宏と同じ高校の卒業生・3浪、3つ上の姉が自殺している)と知り合う。宏は内山に自分自身を見出したりしている。ほかに主な登場人物としては、クラスメイトの木山隆子(りゅうこ)とも接近、親しくなっていく。
内山は最初、出会った宏に対して今年は予備校には通っていない、と言っているのに、最後のほう、宏は内山が予備校に通っている、みたいなことを言っている。作者のせいではなくて、宏くん、やっぱり(?)記憶力に問題があるのか、なんなのか。(内山くんの現役から2浪目までの受験結果については、p.19にまとめがある。)ネタバレしてしまうけれど、内山くんは、自殺するのではなくて、原付バイクに乗っていて交通事故死してしまう。――純文学系の長篇小説(それほど長くないから中篇小説かな)としては、以前読んだことがある……なんだっけな(おじいちゃん状態だな(涙))、あ、久間十義『海で三番目につよいもの』か、それとちょっと似ているかな。全体的な雰囲気や登場人物(身分、性格)の設定はぜんぜん違うけれど、「若者=男(の子)が男(の子)と女(の子)と親しくなって、親しくなった男(の子)が死んでしまう」みたいなあたりが。小説としては1つのパターンかもしれない。
ちなみに、奥付の上のところによれば、作者は1954年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒。
3人称1視点小説で、視点を担っているのは、高校2年生の宏(苗字は井上、数学が得意)。冒頭あたりは5月で、すぐに6月に(小説の最後は…何月だっけ、2学期は始まっている)。お父さん(高幸)が、継母と異母弟(尚子と健一)が暮らす東京へと引っ越していく朝から描かれている。で、その日から祖母(の千代)との2人暮らしが始まる。同じ日、学校をさぼって行った大きなユリの木がある城址公園で、浪人生の内山次郎(宏と同じ高校の卒業生・3浪、3つ上の姉が自殺している)と知り合う。宏は内山に自分自身を見出したりしている。ほかに主な登場人物としては、クラスメイトの木山隆子(りゅうこ)とも接近、親しくなっていく。
内山は最初、出会った宏に対して今年は予備校には通っていない、と言っているのに、最後のほう、宏は内山が予備校に通っている、みたいなことを言っている。作者のせいではなくて、宏くん、やっぱり(?)記憶力に問題があるのか、なんなのか。(内山くんの現役から2浪目までの受験結果については、p.19にまとめがある。)ネタバレしてしまうけれど、内山くんは、自殺するのではなくて、原付バイクに乗っていて交通事故死してしまう。――純文学系の長篇小説(それほど長くないから中篇小説かな)としては、以前読んだことがある……なんだっけな(おじいちゃん状態だな(涙))、あ、久間十義『海で三番目につよいもの』か、それとちょっと似ているかな。全体的な雰囲気や登場人物(身分、性格)の設定はぜんぜん違うけれど、「若者=男(の子)が男(の子)と女(の子)と親しくなって、親しくなった男(の子)が死んでしまう」みたいなあたりが。小説としては1つのパターンかもしれない。
ちなみに、奥付の上のところによれば、作者は1954年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒。
山田詠美 「微分積分」
2010年4月25日 読書
本屋で雑誌『文學界』(の2010年5月号、文藝春秋)を手にとってみたら、最初の小説が“浪人生小説”だったのでちょっとびっくり。「タイニーストーリーズⅢ」と題されて掲載されている4つの掌篇小説のうちの1篇。(単行本化されるまで、ここで取りあげるのは待とうかとも思ったのだけれど、短いからいいかな、と。こんな作業(?)をいつまで続けていられるのかわからないし。)
浪人中(2浪・予備校生)の「ぼく」(順也)には、父と母と成績優秀でその言動から家族に愛されている兄(達也)がいる。――なんていうか、山田詠美、古さと新しさ、あるいは大人っぽさと子どもっぽさがきれいに練り合わされている、というか。お話(?)じたいは、以前このブログで取りあげた(ような気がする)「声の血」(『色彩の息子』)とたいして変わらないように思う。血の繋がらない母親が兄や父に変わっているだけ、な感じ(またどうしてこんなに似た設定に?)。
タイトルがらみのことでは、この作者もかなり文科系っぽいというか、たぶん数学があまり得意ではないでしょう? であれば、「微分積分」なんて言葉を持ち出さなければいいのに。あと、思うに、この小説では間接的にだけれど、「ホームレス(浮浪者)」と「浪人生」は、やっぱりイメージ的に相性がいいのかな?(cf. 山川健一『追憶のルート19』所収「十二月の子供達」、森村誠一『殺意の漂流』の「第五章 自由の広場」)
[追記]その後、単行本が出る。→『タイニーストーリーズ』文藝春秋、2010。
[追記2]その後、文庫化。文春文庫、2013.4。
浪人中(2浪・予備校生)の「ぼく」(順也)には、父と母と成績優秀でその言動から家族に愛されている兄(達也)がいる。――なんていうか、山田詠美、古さと新しさ、あるいは大人っぽさと子どもっぽさがきれいに練り合わされている、というか。お話(?)じたいは、以前このブログで取りあげた(ような気がする)「声の血」(『色彩の息子』)とたいして変わらないように思う。血の繋がらない母親が兄や父に変わっているだけ、な感じ(またどうしてこんなに似た設定に?)。
タイトルがらみのことでは、この作者もかなり文科系っぽいというか、たぶん数学があまり得意ではないでしょう? であれば、「微分積分」なんて言葉を持ち出さなければいいのに。あと、思うに、この小説では間接的にだけれど、「ホームレス(浮浪者)」と「浪人生」は、やっぱりイメージ的に相性がいいのかな?(cf. 山川健一『追憶のルート19』所収「十二月の子供達」、森村誠一『殺意の漂流』の「第五章 自由の広場」)
[追記]その後、単行本が出る。→『タイニーストーリーズ』文藝春秋、2010。
[追記2]その後、文庫化。文春文庫、2013.4。
柴崎友香 「天気予報によると」
2010年4月25日 読書
長さでいえば短篇のというより掌篇のかな、アンソロジー『東京19歳の物語』(G.B.、2005)所収、10篇中の2篇目。この作者の小説も今回、初めて読んだけれど、会話と地の文、あるいは段落と段落がどうつながっているのか、けっこう読み直してしまうことが多かったかな。飛躍が多い? 頭に意味がすっと入ってこないというか。でも、意外と面白かったです。あと、ぎりぎり21世紀が訪れている感じ…というか、要するに新しい感じもして、その点もよかった。
この1篇の「東京」はとりあえずお台場で、季節は夏。冒頭、海の近くの芝生の上で「ぼく」(和義)と加奈子さん(主に加奈子さんのほう)はお昼ごはんを食べている。加奈子さんは友達(悟)の姉で、同棲していた彼氏にアパートを出て行かれたばかり。大阪からフェスを見るために東京にやってきた「ぼく」は、今晩その部屋に泊めてもらう予定――。暴走犬が出てきて話が急展開?(面白いからいいけれど)。野外フェスとか携帯電話とか、今風の関西弁とか、やっぱり読んでいて新しい感じ(新鮮な感じ)はするよな。描かれている浪人生じたいは――そもそも作者が描きたいのは19歳の少年よりも26歳の女性のほう?――小説にも昔からたくさんいるタイプというか、あまり勉強していない(バンドを組んだりしている)ちょっとお気楽浪人生。
そういえば、浪人生が一時的に上京する、という話の小説は、いままでに私が読んだことがある中には1つもなかったような。でも、何かすっかり忘れているものがあるような…(汗)。高校3年生なら(高3生が夏期講習を受けるために上京、みたいなものなら)はいくつか知っているし、ほかにもたくさんありそうだけれど。
この1篇の「東京」はとりあえずお台場で、季節は夏。冒頭、海の近くの芝生の上で「ぼく」(和義)と加奈子さん(主に加奈子さんのほう)はお昼ごはんを食べている。加奈子さんは友達(悟)の姉で、同棲していた彼氏にアパートを出て行かれたばかり。大阪からフェスを見るために東京にやってきた「ぼく」は、今晩その部屋に泊めてもらう予定――。暴走犬が出てきて話が急展開?(面白いからいいけれど)。野外フェスとか携帯電話とか、今風の関西弁とか、やっぱり読んでいて新しい感じ(新鮮な感じ)はするよな。描かれている浪人生じたいは――そもそも作者が描きたいのは19歳の少年よりも26歳の女性のほう?――小説にも昔からたくさんいるタイプというか、あまり勉強していない(バンドを組んだりしている)ちょっとお気楽浪人生。
そういえば、浪人生が一時的に上京する、という話の小説は、いままでに私が読んだことがある中には1つもなかったような。でも、何かすっかり忘れているものがあるような…(汗)。高校3年生なら(高3生が夏期講習を受けるために上京、みたいなものなら)はいくつか知っているし、ほかにもたくさんありそうだけれど。
都筑道夫 「ブルーフィルム」
2010年4月24日 読書
官能小説の短篇集『猫の目が変るように』(立風書房、1977/集英社文庫、1983)に収録されている1篇(全10話中の「第二話」)。浪人中の達彦(加賀見君)と私立女子高校の3年生の実紀とは、幼なじみで「しじゅう寝る仲」(p.37)にある。――“視点”はその2人を行き来する感じになっているのだけれど、それはともかく。実紀は好意を寄せている(恋敵もいる)自動車事故を起こした大学生のために、彼が必要としている10万円を都合してあげたい、みたいな事情にあって、達彦くんに1回5万円を払ってくれる大人な(?)相手を見つけて欲しい(今風にいえば援○交際だね)みたいなことを言ってある。で、達彦が紹介する相手は……内容紹介はこれくらいで(汗)。なんていうか、意外と面白かったです。エロさはどうかな…、頭に映像(イメージ)は浮かびやすかった気はするけれど。
「浪人ちゅう」というのは、残念ながら(?)たんなる設定という感じ。
<達彦は、目下、浪人ちゅうで、兄夫婦と同居している。達彦が占領している二階のひと間は、父親が郷里へひっこむまで、兄夫婦がつかっていた。だから、階下への屋内階段のほかに、直接、戸外へおりられるドアと階段がついている。>(p.40)
漫画とかでありがちなのは、敷地内にある離れ(の勉強部屋)かもしれないけれど、この小説では2世帯住宅っぽい、その2階になっている。家があるのは、夜の遅くなって騒々しくなってきた吉祥寺で、お父さんはその喧騒を逃れて郷里で図書館長、をしているらしい。
「浪人ちゅう」というのは、残念ながら(?)たんなる設定という感じ。
<達彦は、目下、浪人ちゅうで、兄夫婦と同居している。達彦が占領している二階のひと間は、父親が郷里へひっこむまで、兄夫婦がつかっていた。だから、階下への屋内階段のほかに、直接、戸外へおりられるドアと階段がついている。>(p.40)
漫画とかでありがちなのは、敷地内にある離れ(の勉強部屋)かもしれないけれど、この小説では2世帯住宅っぽい、その2階になっている。家があるのは、夜の遅くなって騒々しくなってきた吉祥寺で、お父さんはその喧騒を逃れて郷里で図書館長、をしているらしい。
昔のコバルト文庫やソノラマ文庫を別にすれば、今で言うところの今のライトノベルにはほとんど“浪人生”は出てこないよね? 基本、高校生ばっかりで。ま、私の探し方が悪いのかもしれないけれど。
日日日「月曜日に猫を拾う」(『狂乱家族日記 番外そのいち』ファミ通文庫、2006)
アパートの前で猫を拾って翌朝起きてみたらネコミミ少女が「お兄ちゃん」ってな話。いまさらだけれど、日日日(あきら)ってやっぱり面白いと思う。ネタバレするから説明しにくいけれど、えーと、「俺」(桂林道)は2浪していまは大学に通っている。――高校受験でも2年浪人していると言っているのに、年齢が20歳って変だよね?(ま、どうでもいいか)。
十文字青『ヴァンパイアノイズム』(一迅社文庫、2009)
ブックオフにて冒頭(「第1話」の)を読んで思わず買ってしまった小説(ぜんぜん読んでいないし、いつになったら読み始めるのか予定もなし)。その冒頭というのは、
<高校三年になってすぐ、とりあえず浪人しようと心に決めた。/そのころ僕は、体調を崩して学校を休んだ。/(略)>(p.6)
というもの。心身ともにダウナーな?
誼阿古『クレイジーフラミンゴの秋』(GA文庫、2007)
前作(『クレイジーカンガルーの夏』)のスピンオフとのこと。中学生たちが描かれている小説(というか、この本も未読)。ネタバレするというか、これもちょっと触れにくいけれど、最後に1通の手紙を使って登場人物たちのその後が書かれていて、とりあえずその送り手(手紙の)は2浪中。「YMCA」――私にはいまだに意味不明なアルファベット列――というのは、ここでは予備校の名前?
日日日「月曜日に猫を拾う」(『狂乱家族日記 番外そのいち』ファミ通文庫、2006)
アパートの前で猫を拾って翌朝起きてみたらネコミミ少女が「お兄ちゃん」ってな話。いまさらだけれど、日日日(あきら)ってやっぱり面白いと思う。ネタバレするから説明しにくいけれど、えーと、「俺」(桂林道)は2浪していまは大学に通っている。――高校受験でも2年浪人していると言っているのに、年齢が20歳って変だよね?(ま、どうでもいいか)。
十文字青『ヴァンパイアノイズム』(一迅社文庫、2009)
ブックオフにて冒頭(「第1話」の)を読んで思わず買ってしまった小説(ぜんぜん読んでいないし、いつになったら読み始めるのか予定もなし)。その冒頭というのは、
<高校三年になってすぐ、とりあえず浪人しようと心に決めた。/そのころ僕は、体調を崩して学校を休んだ。/(略)>(p.6)
というもの。心身ともにダウナーな?
誼阿古『クレイジーフラミンゴの秋』(GA文庫、2007)
前作(『クレイジーカンガルーの夏』)のスピンオフとのこと。中学生たちが描かれている小説(というか、この本も未読)。ネタバレするというか、これもちょっと触れにくいけれど、最後に1通の手紙を使って登場人物たちのその後が書かれていて、とりあえずその送り手(手紙の)は2浪中。「YMCA」――私にはいまだに意味不明なアルファベット列――というのは、ここでは予備校の名前?
佐藤了 『世界の危機はめくるめく!』
2010年4月23日 読書
ファミ通文庫、2008-。現時点(2010年4月)では、既刊5巻。いま5巻目を読んでいる最中です。けっこうどんどこ読める感じで、読むのが遅い自分としてはよかったけれど、なんていうか、内容的には(お話的には)いまいちというか。そもそもスカートを捲っている時点で、いわゆるパン○ラではないよね?(定義がわからないけれど)。お子様向けなライトノベルとしては、一線を越えてしまっているような。全裸も出てくるし。個人的にも、ほのぼのエ○ならいいけれど、オヤジ的な○ロになってくると、別にライトノベルを読まなくても…、みたいなことは思ってしまう(女の子キャラが増えると、ほかの小説なら「またかよ!」とか思ってしまうのだけれど、この小説にかぎっては、2巻目以降で女の子キャラが増えてちょっとほっとした。1巻目のままだと脳内エロ男子キャラたちに囲まれた、唯一の女子高生・穂香がかなり危ない!(汗))。ほかに内容的なことというかプロット的なことでは、1巻目で敵だった相手の剣が、2巻目以降で重要な意味を持ってくる、みたいな…、読んでいて計画性がないと感じる箇所がけっこうある。雰囲気的なことでも、1巻目は洋風な感じがするのに、2巻目以降がけっこう和風な感じになっていたり…。神社(巫女さん)とか、お涙ちょうだいな「兄妹岬」とか。あと、そう、最初に“戦隊ヒーローもの”っぽい設定にしたのなら、ちゃんと初期のメンバーだけで、かつ、最初に与えられた能力だけで、敵を倒して見せてほしいよね(雑魚キャラを登場させてでもいいから)。要するに文章がしっかりしているわりに、話がぐだぐだしている…のかな。
主人公というか、主な視点人物は、長野県の県(あがた)町というところで、高校に通っている宮田真吾。真吾をはじめ神様に選ばれた人たちが集合するのだけれど、そのなかの1人に浪人生(2浪、20歳前)の松川淳がいる。しゃべり方がな、なんと『裸の大将』なんだな!(笑)。おむすびではなくて妹フィギュア(「薫」という名前)をいつも手に持っているオタク、という設定。イラストではぐるぐる眼鏡にナップザック…。この浪人生(とその死んでいる妹)がクローズアップされているのは、第3巻。
主人公というか、主な視点人物は、長野県の県(あがた)町というところで、高校に通っている宮田真吾。真吾をはじめ神様に選ばれた人たちが集合するのだけれど、そのなかの1人に浪人生(2浪、20歳前)の松川淳がいる。しゃべり方がな、なんと『裸の大将』なんだな!(笑)。おむすびではなくて妹フィギュア(「薫」という名前)をいつも手に持っているオタク、という設定。イラストではぐるぐる眼鏡にナップザック…。この浪人生(とその死んでいる妹)がクローズアップされているのは、第3巻。
五十嵐雄策 『小春原日和の育成日記』
2010年4月23日 読書
電撃文庫、2009。「あとがき」に「新シリーズ」とあるけれど、2巻目がなかなか出ない。ひと言でいえば、超難関お嬢様高校合格大作戦! みたいな内容(言い方が古いですかそうですか(涙))。語り手(あまり使われていないけれど「俺」)=高校生の晴崎祐介は、築70年のアパート『桜乃日和荘』の管理人代行をしている。住人の1人、ほとんど文字通りに影が薄い『セピアちゃん』こと、中学3年生の小春原日和(こはるばら・ひより、14歳)から、ある日“おとなのじょせい”にしてほしいの、イコール姫乃宮女学院(高等部)に入りたいので協力してほしい、みたいなことを言われる。それにダメ住人トリオ――17歳ニート女子・23歳浪人生女性・45歳無職男性――も協力していくというか、それぞれに得意なこと(礼儀作法・楽器・写真)で日和にレッスンをつけ始める。
ライトノベルにありがちなことかもしれないけれど(谷川流“涼宮ハルヒ”とか)、この作者もけっこう言葉を言い換える人だね。ただ、それが個人的にあまり面白く感じなかったというか。例えば……わかりやすそうなところを挙げれば、祐介がお風呂に入ろうとしたら日和がいた、みたいな男子中高生へのサービスシーン(言い方が古い(涙))、
<いわゆる、某青色猫型ロボットアニメに出てくるシャワー好きサイレントパフューム娘状態。>(p.148)
漢字で書くと「静香ちゃん」だったっけ? こういう言い方、読んでいて面倒なだけでどこが面白いのやら、個人的にはさっぱりわからない(涙)。
我々の関心は、もちろん高校受験生の日和にではなくて、音大浪人5浪中の音色さん(美崎音色)にあるわけだけれど、うーん…、ま、どうでもいいんじゃないっすか(何が?)。5浪している理由は、<まともに試験が受けられたことがない>(p.106)からだそうだ。要するに小説にはありがちな、本人の能力(学力、音楽の才能)が欠けているわけではない、みたいな設定。具体的には――これは引用させてもらったほうが早い、本人曰く、
<「前の日についつい深夜映画を観ちゃって朝起きられなかったり、必勝を願って食べた夕飯のトンカツにあたってお布団から動けなかったり、間違えて日本地図を持っていったら迷子になって試験会場に辿り着けなかったりで、唯一受けられたのが予備校の入学試験だけなの~……しくしく……」>(同頁)
とのこと。ちなみに、日和の試験結果はわかるけれど、音色さんの今年(今年度)の受験結果については最後まで読んでも書かれていない(なぜ?)。(関係ないけれど、カバー折り返しの自己紹介(?)を読むと、もしかして作者じしんが司法試験浪人中?)
ライトノベルにありがちなことかもしれないけれど(谷川流“涼宮ハルヒ”とか)、この作者もけっこう言葉を言い換える人だね。ただ、それが個人的にあまり面白く感じなかったというか。例えば……わかりやすそうなところを挙げれば、祐介がお風呂に入ろうとしたら日和がいた、みたいな男子中高生へのサービスシーン(言い方が古い(涙))、
<いわゆる、某青色猫型ロボットアニメに出てくるシャワー好きサイレントパフューム娘状態。>(p.148)
漢字で書くと「静香ちゃん」だったっけ? こういう言い方、読んでいて面倒なだけでどこが面白いのやら、個人的にはさっぱりわからない(涙)。
我々の関心は、もちろん高校受験生の日和にではなくて、音大浪人5浪中の音色さん(美崎音色)にあるわけだけれど、うーん…、ま、どうでもいいんじゃないっすか(何が?)。5浪している理由は、<まともに試験が受けられたことがない>(p.106)からだそうだ。要するに小説にはありがちな、本人の能力(学力、音楽の才能)が欠けているわけではない、みたいな設定。具体的には――これは引用させてもらったほうが早い、本人曰く、
<「前の日についつい深夜映画を観ちゃって朝起きられなかったり、必勝を願って食べた夕飯のトンカツにあたってお布団から動けなかったり、間違えて日本地図を持っていったら迷子になって試験会場に辿り着けなかったりで、唯一受けられたのが予備校の入学試験だけなの~……しくしく……」>(同頁)
とのこと。ちなみに、日和の試験結果はわかるけれど、音色さんの今年(今年度)の受験結果については最後まで読んでも書かれていない(なぜ?)。(関係ないけれど、カバー折り返しの自己紹介(?)を読むと、もしかして作者じしんが司法試験浪人中?)