2017年1–2月。

2021年9月9日 読書
※以前ツイッターで書いたものです。少し加筆修正、補足ありです。



7. >RT 岩波文庫『聊斎志異』(上下)のアマゾンレビューを読むと「そういう話ばっかり」っぽい。作者の年齢は森見登美彦(1979年早生まれ)の1つ上らしいので、1978年の遅生まれなら1浪目は1997年。上巻が1997年1月(下巻は翌月)に出ているようだからこれで丁度いいような...
※何をリツイートしたのかわからない。

6. 前野ひろみち「満月と近鉄」(『ランボー怒りの改新』星海社FICTIONS、2016.8)。主人公は浪人生というかいわゆるワナビで、生駒山の麓のアパートで小説を書いているんだけど、1人の女性と出会って...。「何を読んでるのかと私が訊くと彼女は文庫本の表紙を見せた。(続く

6.1. 続き)『聊斎志異』という本だった。受験勉強中の若者のところへ美人の女がやってきていちゃいちゃするのだが、その美人は決まって幽霊か狐である。ようするにそういう話ばっかりだという。「こんなん読んでたら阿呆になるで」と彼女はけらけら笑った。」(p.159)。(続く

6.2. 続き)読んだことがないのでわからないけど、そんな話ばっかりではないのでは?(笑)。でも、まぁ浪人生はあまり読まないほうがいいような?(阿呆になりたければ別だろうけど)。

6.3. 文庫化されていたみたい。『満月と近鉄』角川文庫、2020.05。
※このツイートは2020年7月。

5. Wikipediaの「光クラブ事件」の「首謀者・山崎晃嗣」のところ、「旧制木更津中(略)から一高を経て1942年に東京帝国大学法学部に入学するが、学徒出陣により(略)」とあるけど、1942年ではなくて1943年かも。

5.1. 1940年中学卒業。1浪して一高。浪人中は城北高等補習学校(城北予備校)に通っていたらしい。安岡章太郎(3浪目)や清岡卓行(9月から)と同じ。(安岡章太郎は一高ではなくて慶応予科。)/高校は半年繰り上げ卒業で、1943年10月東京帝大入学。

5.2. 「年譜」(「清岡卓行の世界」)
http://k5.dion.ne.jp/~kiyooka/chronologie.html#anchor4
清岡卓行。1940年旅順高校を3ヶ月でやめて、東京へ出て予備校に。浪人(1浪)というより再受験? /あー、1943年6月に一高を休学しているのか...(大連に帰郷)。

5.3. 安岡章太郎「青葉しげれる」(初出『中央公論』1958年10月号)。順太郎、不合格通知が届いて3浪が決まる。旺文社文庫『青葉しげれる』(1976.11)の解説を清岡卓行が書いているのだけど(「秀才の奇妙な怠惰」)、作者と同じ年に同じ予備校に通ってたみたいなことは書かれていない。

5.4. 「おそらく日本の文学において、これらの四つの短篇小説[=「青葉しげれる」に始まる〈順太郎もの〉]ほど、受験のための浪人生活における、また、その結果である合格後の生活における、いわば情熱的な倦怠のポエジーに、持続的につらぬかれた作品群は、どこを探してもほかには見つからないだろう。」

5.5. 違和感...。解説全体的に。あとこの文庫には未収録の「聊斎私異」(初出『文學界』1970年1月号)にも触れられている(比較対象としてというか)。ロングバージョンの『私説聊斎志異』(朝日新聞社、1975.1。初出『朝日ジャーナル』1973.9―74.2)が出ているのに、短いほう。

5.6. 「年譜」(「清岡卓行の世界」)
http://k5.dion.ne.jp/~kiyooka/chronologie.html#anchor4
清岡卓行。1944年のところに「9月、東京大学仏文科入学。」とあるけど、10月でなくて9月? 原口統三が4月に入学したときには一高生でいいのか...。

5.7. 中村稔『私の昭和史』(青土社、2004)。昭和18年(1943年)、四修では一高に落ちていて、翌年(昭和19年)合格。「五中からは毎年一高に三十名内外が合格していた。」(p.228)。府立一中や四中がどれくらいなのかわからないけど、たぶん全国平均からいえばかなり多いよね。

5.8. 年上の幼馴染みから参考書を沢山もらったそうで、「山崎貞『英文解釈法』をはじめとする受験参考書の山を眺めながら、ぼつぼつ受験勉強にとりかからなければならない、と(略)」p.222/「いまだに(略)題名を覚えているのは、私にはこの参考書がずいぶん難しかったからである。」p.223。

5.9. 南日恒太郎『英文解釈法』でもなく山崎貞『新々英文解釈研究』でもない、山崎貞『英文解釈法』という参考書が本当にあったのかな? と思って検索してみたら、中野卓『中学生のみた昭和十年代』(新潮社、1989)という本がかかる。昭和10年代だし、やっぱりあったのか...。

4. 以前どなたかが(いま検索しても出てこないんだけど)ちくま文庫での復刊、獅子文六、源氏鶏太の次は若山三郎では? みたいなことをつぶやかれていた記憶があるけど、いまのところ出ていない。阿川弘之は出たけど。(RT)
※何をリツイートしたのかわからない。

3. >RTに関して。日下圭介、予備校生が出てくる小説をけっこう書いているようだ(検索した)。あまり読めていないけど、「暗い光」(『ころす・の・よ』)はちょっとおすすめです。
※何をリツイートしたのかわからない。

2. ↓たくさんありそうだけど、いま何も思い浮かばないという...(^_^;)。というか、思い浮かんでもLINEをやっていないので回答できないけど。そういえば、黒田研二『カンニング少女』は受験の場面が描かれていたかも。
※何をリツイートしたのかわからない。

1. 斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書、2017)を読んでいたら、集英社文庫『伊豆の踊子』の橋本治による解説が少し引用されていて(p.28)、最後のほうに出てくる「少年」について「やがて自分と同じような一高生になるはずの少年」と書かれているようだ。

1.1. 自分もそうだったけど、やっぱり「一高(現・東大)志望なのかな?」と思っちゃうよね。でも、モデルがいて(「伊豆の踊子」はほとんど事実らしいので)、この「少年」(「河津の工場主の息子」)は実は(?)蔵前の高工(現・東工大)志望だったようだ。

2月



11. まだ読んでいないけど、永江朗『東大vs京大 入試文芸頂上決戦』(原書房、2017.1)。「現代の大学入試は戦前の高等学校入試に相当すると考えればわかりやすい」(p.9)と言っていてちゃんとわかっているのに、最初に1947年の旧制一高ではなく旧制東大の問題を持ってくるという...

11.1. (続き)「第1問は「日本文學史上に於ける價値高き作品もしくは作家を十えらびその理由を簡單に述べよ」というもの。/質問のあまりの大雑把さに驚愕する。なんだか暇をもてあましたフリーライターが思いつく雑誌の企画みたいだ。あるいは中年編集者の酒場のおしゃべり。」(p.12)

11.3. (続き)だから(?)こういう感想にもなってしまうというか...。主に旧制高校から進学する人が受ける試験なんだから、今でいえば大学の学期末試験の問題とか、あるいは大学院の入試問題とか、そういうのと比較するべきなんでは?(よくわからないけど。大学院を受けたことがないので)。

10. 文科省のサイトに「二十六年度には、旧制高等学校卒業者で旧制大学に入学できなかったいわゆる白線浪人対策として、新制国立大学への臨時編入学試験が文部省作成の問題により、全国一せいに実施された。これは、旧制大学が廃止されたため、新制大学の編入学という形をとらざるを得なく(略)」とある。

10.1. http://mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317752.htm

9. 澁澤龍彦はウィキによれば「本来、旧制高校卒業生はほぼ無試験で帝国大学に進める立場だったが、新しい学制が施行されたためにその特権的立場を喪失し、このため澁澤は東大仏文受験に失敗して、いわゆる白線浪人となった。」「1950年、2年の浪人生活を経て東京大学文学部に入学。」とのこと。

8. 『予備校の英語』(研究社出版、1997.12)によれば、伊藤和夫は1944年(昭和19年)、府立五中から四修で一高に(秀才だよね。あとこの年戦争の影響で試験科目に英語なし)。1947年、東大哲学科へ進む。在学中に病気をしたりして、1953年旧制東大の最後の卒業生に。

7. 自分も以前、Wikipediaの「山田洋次」の項を読んでいて同じ疑問が。1949年最初の新制東大の入試を受けて不合格?→新制高校3年に編入? みたいなことが本当にできたのかな? (同じ年、岡松和夫は普通に浪人している。)>RT
※何をリツイートしたのかわからない。

7.1. 山田洋次。『教育読本 入学試験』(河出書房新社、1981)に収録されている「われら落第派」という雑誌記事(初出『週刊朝日』1974年2月8日号)には「★山口高校から、新制切り替えとなった最初の年、東大法学部を受験して落ち、翌年合格した。/(続く

7.2. 続き)☆(略)/浪人時代、郷里に帰ってヤミ屋や土方をやり、いろんな人間を知ることができた。(略)」と書かれている。「郷里」は山口? 東京ではない? うーん...やっぱりウィキに「1950年、東京都立小山台高等学校卒業」とあるのは本当かな? と思ってしまう。
※Wikipedia。いま見てみたけど(2021年9月)いつの間にか直されていた感じ。

6. 波多野勤子『少年期』って映画化されているのか。知らなかった。

5. 内容紹介に「戦後教育がはじまった1947年の東大の入試問題は(略)」と書いてある。何かもういやな予感がする...。本屋に売っていたら確認しておきたい。>RT
※リツイートしたのは永江朗『東大 vs 京大 入試文芸頂上決戦』(原書房、2017.1)という本に関係するもの。

4. 検索してみると、出典は丸谷才一「年の残り」で、もともと引かれている線のようだ。>RT
※何をリツイートしたのかわからない。「浪人生」は関係ないと思う。

3. 野上弥生子といえば、清水義範『学問ノススメ』に野上弥生子と野溝七生子の区別がつかないみたいな話があったような。

2. 細かいどうでもいい話だけど、『本の雑誌』の特集を集めた本、『特集・本の雑誌2 ブックガイド篇』(角川文庫)に次のような箇所がある。「A そういうきわめつけの作品ってある?/C 荒木一郎『ありんこアフターダーク』がいいですね。昭和40年代の

2.1. 渋谷・恋文横丁を舞台にジャズ喫茶に集まってくる不良少年たちの話。」(pp.299―80、特集が青春小説の1991年3月号)。これが気になっていて、文庫本が出たときに購入したんだけど(小学館文庫、2014.10。単行本は河出書房新社、1984.4)、帯には

2.2. 「大学なんて行かずにさ、バンドをやっていきたいんだ。/モダンジャズ喫茶〈ありんこ〉にたむろする愛すべき不良たち。東京オリンピック前夜を背景に描く、あの青春小説の傑作が甦る!」と書かれている。東京五輪(1964年10月)より前なら、まだ昭和30年代だよね。

1. 「干刈あがた・年譜」(干刈あがた資料館)
http://ne.jp/asahi/hikariagata/shiryoukan/nenpu0908.html
この年譜を見ると1960年、高校3年の3月から5月にデモや集会に参加。6月に樺美智子さんが亡くなる。翌年の1961年、浪人中に小田実『何でも見てやろう』。

1.1. 3月はまだ高校2年生か。間違ってしまった(私が)。

1.2. Googleブックスを検索すると、舟崎克彦『さよなら、あの日の動物たち』(時事通信社、1999.7)という本が出てくる。Wikipediaに3よれば著者は「1963年に高等科を卒業し、代々木ゼミナールで1年間の浪人生活を送る」。開高健がYゼミ生へ取材しているのと同じ年度。

1.3. 開高健「予備校という教育課程」(『ずばり東京 昭和著聞集 (上)』朝日新聞社、1964.5所収。初出『週刊朝日』1964年1月31日)。講談社文庫『小田実の受験教育』の解説(古藤晃)で触れられている「開高健のルポタージュ」というのはたぶんこれ。

1.4. Wikipediaの「樺美智子」によれば、1937年東京生まれで、中学から兵庫県の芦屋へ。県立神戸高校卒業後、「一浪して研数学館へ通ったのち[要出典]、1957年に東京大学」に入学。「要出典」だけど、1956年(昭和31年)に研数学館か...

1.5. 高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)で「奥くん」と親しみを込めて呼ばれている奥浩平『青春の墓標』(文春文庫)。1943年生まれ。1962年に高校卒業後、1浪している(横浜市立大に)。第2章が浪人中のもの。同じ女性への手紙。

1月
 

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