連作短篇集(全7篇)。集英社、2001。最初の1篇「ホーム、スイートホーム」は、予備校生の「僕」(和哉)が母親を殺して、ビルの空室に持ち込んで冷蔵庫の中に詰めておく、みたいな話。もうこの時点で何か現実に起こった悲惨な事件とかも想起してしまって、なんていうか、首を傾げざるを得ないけれど、小説としては(特にミステリーなどでは)ありがちなことかもしれない。でも、出会った少女(香月)とともに、ときどきその蓋を開けて、なかを見て勇気(?)を得たり、母親の腐敗ぐあいを観察して記録したり……というのは、どうなんでしょうね? グロテスクで倒錯的な感じかもしれない。それと、内容もさることながら文章のリズムがどうも自分には合っていない気がする。読んでいると気持ちが悪くなってきて、悪い酔い方をしそうな感じ。というわけで、もう、早々に放棄です、最後まで読んでいません。(関係がないけれど、そういえば、昔、柳美里の『ゴールド・ラッシュ』という小説を薦める人がいたので、読んでみたけれど、後にも先にもそのときだけは、薦めた人のセンスをかなり疑った覚えがある。)ちなみに、季節は夏(8月)、親を殺しても夏期講習には通っている。医学部志望らしい。現役のときに落ちた理由は、書いてあったっけな、……読み直さないとわからない。落ちたときは、父親は「許さない」と、母親は慰めながらも「ため息」を。癖のようになっているそのため息が嫌で、殺したらしい(同情の余地なし?)。

あと、5篇目の「アイル・リメンバー・ユー」も語り手(「僕」、クラハシ)が予備校生。語られている予備校の雰囲気がいまいち、自分がイメージするそれとは違っている気がする。予備校といってもいろいろあるだろうから、知らないけれど。
 
角川書店、1991/角川ホラー文庫、1993。♪くるー、きっとくるー、みたいな歌じゃなかったっけ? ……何かと間違っているかな。ずいぶんと話題になった同名の映画の原作。いまさらな感じではあるけれど、読んでみたらとても面白かったです。けっこう引き込まれました。※以下、ネタバレにはご注意ください。

 <同日の同時刻に苦悶と驚愕の表情を残して死亡した四人の少年少女。雑誌記者の浅川は姪の死に不審を抱き調査を始めた。/――そしていま、浅川は一本のビデオテープを手にしている。少年たちは、これを見た一週間後に死亡している。浅川は、震える手でビデオをデッキに送り込む。期待と恐怖に顔を歪めながら。画面に光が入る。静かにビデオが始まった……。恐怖とともに、未知なる世界へと導くホラー小説の金字塔。>(文庫カバー)

「四人の少年少女」のうちわけは、少年2人と少女2人なのだけれど、少年2人が浪人生(1浪+2浪)で、少女2人が高校生(ともに3年生)というのは、例によってジェンダー的にどうなのか? という気がしないでもない(パターンその…いくつだっけ? 男女ペアの場合、浪人生役は男のほうに振り分けられる)。少年の1人(1浪)はバイクに乗って信号待ちをしているときに亡くなるのだけれど(傾向その…いくつだっけ? 浪人生の交通手段はバイクである?)、初めて読んだのは――別にたいしたことではないけれど、もう1人の少年(2浪)は少女1人と一緒にレンタカーのなかで亡くなっているところを発見される。レンタカーを利用するくらいだから、自分の自動車はたぶん持っていないとは思うけれど、車の免許を持っているあたり、小説では珍しいかもしれない。

原付を除くバイクにしても、自動車にしても、高校を卒業して予備校が始まるまでの間に免許をとるくらいなら許せるけれど、そうでなければ、教習を受ける時間がもったいない、受験勉強に当てようよ? みたいなことを思うのは、外野としては当然……ですよね? だいたい亡くなり方が、9月5日は平日らしい、場所はどっかの山麓、ジーンズとブ○ーフを膝まで下げたまま、その隣にはパ○ティを同じく膝まで下げたままの人が、というのはどうなのか?(というか、誰に対していらいらしているのかと言えば、とうぜん作者に対して)。週刊誌記者(新聞社勤め)である主人公が調べるから素性ははっきりとしていて――名前は別にいいか、予備校はともに「英進予備校」、バイク少年のほうが1971年生まれ、住所は品川区、もう1人のほうが1970年生まれ、渋谷区。……電車を利用すればいいような場所だよね、都内であるし。

物語は、上で「とても面白かった」と書いたけれど、浅川がビデオの謎の映像を見たあたりからどんどん面白くなるかな。それまでは意外と退屈な感じだったかもしれない(いま思い出すと)。狂気をもった感じの、高校の同級生の竜司が出てきて、相対的に浅川がまともなんだな、と思えてきて、それでだいぶ楽に読めるようになった気がする。だいたい高校生の姪――妻の姉の娘が亡くなったわりにちょっと冷たいよね、冷静さが必要とされる記者であるにしても。書かれていないけれど、自分にもいちおう小さな娘がいるわけだし、事件というか問題が解決した暁には、記事とかにする前に、姪が亡くなった事情を義姉夫婦にちゃんと話してあげてほしい。竜司に言われるまでもなく想像力がちょっと足りない感じはする、浅川くん。そう、あまり関係ないけれど、その姪に関して、乱暴な言葉遣いやコップに注いだコーラの一気飲みはいいけれど、両親がナイトゲームを観戦に行ったからといって「プロ野球ニュース」を見ようとするかな(おっさんくさい)。

だいぶネタバレしてしまうかもしれないけれど、読んでいてちょっと混乱したのは(これもたいしたことではないけれど)、山村貞子が劇団に入ってやめたのが25年前で、療養所にお見舞いに行っていたのが30年近く前、と書かれていたから、頭の中で時間が逆になってしまって…。具体的に年(年代)も書かれているから、間違わない人は間違わないのだろうけれど、劇団→療養所の順なんだよね。というか、それが当り前か、亡くなってから劇団に入れないし。人によって性格を演じ分けていたという竜司についても、辻褄があっているのか、と疑問が残っていて…、めんどくさいけど、軽くあちこち読み直したほうがいいのかも、個人的には。よく知らないけれど、続編があって3部作になっていたり、以前の話があったりするらしいけれど、どうしよう、気にはなるけれど、とりあえずそれらはパスです。
 
講談社文庫、1997。『パソコン通信殺人事件』というノベルス版(講談社ノベルス、1990)が改題されて、大幅に加筆修正されたものらしい。推理小説としてはちょっとどうなのかな、と思うけれど(警察の捜査能力ってゼロ?)、浪人生小説(そんなジャンルはないけれど)としてはけっこう面白いかもしれない。面白いというか、心理状態などが書かれていてわりと興味深い。※以下、毎度すみません、ネタバレにはご注意ください。

 <一本の線だけで結ばれている、宙に浮かんだような若者たち。深夜のパソコン通信に嵌る小田切薫の周りで次々殺人事件が起こる。それぞれの道を歩む高校の同級生たちは、友情と嫉妬が複雑に絡み合い……。オンライン社会の若者の心の揺れを描く、直木賞作家の傑作ミステリー。(略)>(文庫カバー)

「ネカマ」と言えば早いのかな。最初、名前(ハンドルネーム)から性別を誤解されて、そのまま訂正せずに女性のふりをし続けているらしい主人公は、夜な夜な「ステイション」という場所へアクセスして、ちやほやされているというか、たくさんの人との会話(チャット)を楽しんでいる。どうでもいいことだけれど、「KAHORU姫」というと、バレーボールの菅山選手を思い出してしまうな(でも、Hが多いか)。

薫くんは3浪生で、20歳。主人公を浪人生にしたのは、浪人生=何者でもない、まだ何者にもなっていない、みたいなイメージからなのかな。何者かになりやすい、なりたいと思っている、といった感じ…? 冒頭が、女子高校生がトイレで着替えて化粧をしている場面なのだけれど、ほかの人(キャラクター)を演じるみたいなことがテーマの小説かと思ったら、そうでもないような…。でも、まったくそうでもないこともないのか(わからない)。その高校生たち(2人)が、第1の殺人というか刺されて倒れる男性を目撃するのだけれど、その場所が新宿駅。オンラインの「ステイション」と現実のステイション(駅)、という対比なのだろうけれど、エンタメ系の小説でこういうことをやられると、ちょっとわざとらしく感じる。(あとから振り返ってみると、1つ歳下の幼なじみの女の子の名前が「まこと」というのも、ちょっと意図的な気が。)

ネタバレしてしまうけれど、新宿駅を変装して歩いている場面があって(オン/オフ的に象徴的?)、文体は1人称饒舌体とかではないけれど、もう1人の薫くんを思い出す人も多いかもしれない。以前にも書いたことがある気がする、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の「僕」(庄司薫)は、本当に浪人生なのか? という疑問が自分の中で再燃してしまう。シリーズのぜんぶ(4冊)を読んでいないのでわからないのだけれど(ちゃんと読めばいいのかもしれないけれど)、とりあえず1作目の『赤頭巾ちゃん〜』の段階では違うよねぇ、むしろ高校3年生。薫くん(薫クン)のことを「永遠の浪人生」と呼びたくなる気持ちは、なんとなくわかるけれど、その場合の「浪人生」という言葉は、少なくとも常識的なそれとはちょっと違っている、ことには注意したい。――関係ない話はいいとして。

3浪ということもあるだろうけれど、この小説は、かなり浪人、浪人と言っていて、浪人生小説としては貴重な1冊(サンプル)であるような気がする。「浪人(生)」という言葉にくっ付いている修飾語を分類するだけでも、ちょっと面白いかも(やらないけれど)。ただでも、なんていうか、「勉強しなければならない」というオブセッション(強迫観念)であれば、理解しやすいとは思うのだけれど(中高生の定期テスト前でも同じこと?)、“浪人生アイデンティティ”が高いというか(それならたいていの浪人生がそう言えるか。さらに3浪ともなると?)「浪人生」をスティグマ(烙印)として抱えてしまうのかなんなのか、自分が浪人生であることを常に意識しているような状態、というのはどうなのかな、ちょっと理解しがたい? 何かにつけてそれを浪人(であること)に結び付けている。少なくとも浪人したことがない人には、わかるようなわからないような? ←自分でも何が言いたいのかわからないけれど(汗)。でも、高校生や大学生が、何かにつけて自分が高校生や大学生であることを、意識しているかといえばそうではないと思う。もちろん人によるだろうけれど。

でも、浪人生である自分を卑下したり、自嘲したり、とか、そういうマイナスな利用(?)だけでなく、甘えというか言い訳としても使えるらしい、

 <「俺、今日の予定をこなさなきゃならないんだよ」/「あ、そうか――。ごめんね、大変な時に」/まことは急に表情をくもらせて、次の言葉を探しているらしかった。水戸黄門の印籠みたいだ。浪人生は勉強という言葉を口にすれば大抵のことは許されるらしい。>(p.66)

病気というか仮病みたいな感じ? ちょっと違うか。「烙印」ではなく「印籠」になっている。

ほかに読みどころとしては(たくさんあるのだけれど)、例えば母親のことや大学生になっている高校のときからの友達たち(2人は現役で、1人は2浪して大学生)のことをどう見ているのか、とか。あと、これも詳しいことは省略してしまうけれど、「3浪ともなれば」(?)勉強は夏が過ぎてからでいいらしいし(要するにしていない)、予備校もほとんど通わなくていいらしい。描かれているのは、5月から9月(10月?)まで、最後の「エピローグ」で時間が飛ぶのでわかるのだけれど、結局、翌年「地方の医大」に受かったらしい。個人的には、もう1年くらい浪人させてあげてほしかったかな。2浪のときに志望を文系に変えていて、また理系に戻して、それで(地方のであれ)医学部に受かるかな? 人間って覚えたことを忘れる動物ですよ? 秋から勉強を始めても、センター試験まで3ヶ月くらいしかない。よほど記憶力がいいのか、集中力があるのか。事件に巻き込まれて成長、みたいなことはわかるけれど、ちょっとお後の都合がよろしい感じである。
 
(※ちょっと愚痴や文句が多めだったので、いったん削除しました。もし再読できたら(たぶん当面は無理だと思いますが)また改めて感想を書きたいです。2015.12.13)
 
講談社X文庫ホワイトハート、1998-。何冊出ているのか知らないけれど、3冊目までで個人的には用が足りるので、とりあえず3冊買ってあって――というか、ライトノベルなBL系、私のようなおっさんが買うような本じゃないよね、古本屋でレジの店員さんが若めの女性でした(あー)――、今のところ、最初の1冊『まるでプラトニック・ラブ』(1998)は読了。読みやすくていいのだけれど、基本的に他人事というか(別に他人事だからじゃないか)終始、気乗りがしない感じでした。※以下、ネタバレ注意です。

IZAMと吉川ひなのが結婚したのって、どれくらい前のことだっけ? あいかわらず時代感覚が頭の中でごっちゃごちゃ。往時のIZAM(♪めるてぃーらぶ、くらいかな)をもっと細身に、ずっと可愛らしい感じにしたらしい桜庭環は、女装した格好で山手線をぐるぐるしていたところを、予備校の数学教師でプレイボーイの久住陽介に「拾われる」というか、そんな感じ。高校を半年で中退して家出中らしい環(たまき)は、いとこで大好きな、体の関係もある俊也のもとに押しかけて、一緒に暮らしているのだけれど、いまは一時的に追い出されているというか、そんな状態にある。――こんなことを言い出したらきりがないだろうけれど、まず環のようなほとんど女の子に見える男の子はめったにいないだろうし、久住(くずみ)のような、相当な数の女子生徒や受付のお姉さんに手を出している講師もいないだろうし。だいたい俊也が3つ年下の環に最初に手を出したのが、環が12歳のときって…(逮捕だな、こりゃ)。

俊也が通っていて久住が教えている予備校は、代々木にある「Y学院」。池袋や仙台に支店…じゃなくて分校というのかな、があるし、やっぱりなんとなくYゼミがモデルっぽいかも(東京の予備校というと、やっぱり昔は神田のへん、今は代々木のへんというイメージ?)。「医学部志望特別クラス」に所属する、もちろん医学部志望でもある俊也は、「群馬県にある大病院の跡取り息子」(p.51)だそうである(これもよくあるパターン“医者縛り”)。関係ないけれど、環も同じ家で暮らしていたというか、いわゆる出戻りの叔母さんが俊也の家に連れて帰ってきた子どもで、出身は同じであるし、上京してまだ1年も経っていないし、「東京BOYS」というより「群馬BOYS」な感じ? 奥付の上のところを読むと、作者は福島県出身で前橋市在住らしい(そういえば、福島県出身の野村美月のデビュー作が『赤城山卓球場に歌声は響く』。意外と相性がいいのかな、福島と群馬。…たまたまか)。俊也がいま住んでいるのは、小説浪人生の定番、格安おんぼろアパートではなく、下北沢のマンションらしい。親に歯向かわないかぎり、お金の心配はないのかもしれない。あと、現役のときに落ちた理由って、なんだっけ? ――書かれていないのか。成績は悪くないらしい。描かれているのは11月くらいから。合否などは3冊目を読むとわかる。3冊目の「あとがき」をカンニングすると、その巻は「俊也の自立がテーマ」とのことで、俊也について考えるのであれば、そこまでは読んだほうがいいのかも。

ほかにちょっと気になるのは、浪人生ではないから無視してしまってもいいのだけれど、久住の講師としての仕事。意外にちゃんと書かれている気はするけれど、例えば、授業中に「豆テスト」(ちょっと懐かしい言葉だな)をしたり、模擬テストの試験監督をしたり――そういうことは、人気のある先生はあまりしないんじゃないかな。あ、でも、学校にもよるのか。とりあえず、スーツのポケットに花を差しておいて素晴らしい解答をした生徒に渡す、みたいなパフォーマンスをしている講師はいないんじゃないかな。うーん…、でも、これも、日本中を探してみればいるのかも。

環については、男を追いかけての高校を中退が気が引けたのか、久住の部屋にいる間、洋裁というか服飾に目覚めて(やっぱり女性作家が書く小説って似てるよね、料理か裁縫か、ってなもんです?)、そのためには、久住の奨めのようなこともあって、大検を目指したほうがいい、目指す、みたいなことを考える。関係ないけれど、大検予備校、あるいは予備校の大検コースに通う人は、年齢的には同じくらいな場合でも、浪人生というよりも、高校生に近いのかな。すでに社会人の人もいるだろうし、そういう場合はむしろ社会人に近い、というか、実際に社会人であるのか。1人も知り合いがいないので、よくわからんです。

(そう、どうでもいいけれど、最後のへん、高速道路を運転中にごそごそするのは単純に危ないよね。この前、読んでいた小説では、空き缶を平気で投げ捨てていたし、学校の先生みたいなことは言いたくないけど、ちょっとめんどくせえね、小説って。)
 
タイトルの最初、Rの左肩に4分の1くらいの大きさの★。コバルト文庫、2001。とりあえず、いい歳をしたおっさんが読むような小説ではないよね…。※以下、ネタバレ注意です。

話は「あたし」(月岡和央)がふられる場面から始まっているのだけれど、高校の同級生どうしで付き合っていて、女の子のほうが予備校生に、男の子のほうが大学生になっていて、しかも、浪人中の女の子のほうがふられてしまう、という小説はたぶん初めて読んだと思う。いわゆるライトノベルをほとんど読んでいないのでわからないけれど、けっこう珍しいケースなのではないか。見かけるのは、たいてい男女がその逆になっているケース。まぁ、自分が男性だから被害妄想的にそう思っているだけかもしれないけれど。ただ、この小説では、2人が通っていた高校は仙台らしいのだけれど(「仙台青葉高校」)、「あたし」も一緒に上京しているので、よくあるタイプの、浪人生=地元/大学生=東京みたいな遠距離恋愛状態にはなっていない。ふる側の優太については、「あとがき」で作者がフォローも入れているのだけど、ほかに好きな子ができたから、というのが、別れを切り出した一応の理由らしい。

逆算するとふられたのが6月くらいかな、さすがに高校1年のときから3年間も依存的に付き合っていたとなると、ふられたショックは大きいらしく、ミシンを衝動買いして、ダダダダ……と、現実逃避的にというか、優太を忘れるためにアパートにひきこもって洋服を作り続ける。なんと2、3ヶ月も!(ちょっとすごい)。そう、高校のときの同級生、同じ予備校に通うケロミ(井上千波)が心配して訪ねてくるのが2ヶ月後、というのはちょっと遅いよね、友達ではなかったにしても。1人暮らしって危ないというか、例えばベッドから落ちて肋骨を骨折するとか(それなら歩けるか)、よくわからない理由で心臓発作を起こすとか(それならよほどタイミングがよくないと意味がないか)、何が起こるかわからないから。で、お母さんも洋服だらけの部屋に訪ねて来るのだけれど、「あたし」は最初は逃げ回っていて、でも、下の部屋の「海坊主」(広井くん)の勧めというかアドバイスもあって、ちゃんと向き合うことに。

服飾関係という新しい目標も見つかって、その関係の友達もできて、母親(父親は亡くなっている)とはちゃんとぶつかって、その結果、ちゃんと許しももらえて――ちょっとうまく行きすぎな気もするけれど、主人公のキャラクターのせいか、あまり悪く言えない気がする。「あたし」というか和央は、考えていることや行動がまっすぐで、謙虚というかえらぶらない性格。なによりも、服を作っているときや、服をインディーズ店に並べてお客さんの反応を見たりするときの喜びというか、一喜一憂みたいなものが伝わってきて、読んでいてちょっと好感を持ってしまう(というか、自分はなんてちょろいおやじなんだろうね…)。物語としても、盛りあがるところはちゃんと盛りあがっていて、うまく出来ているなと思う。そう、ピンポイントでは、あの場面がいちばん好きかもしれない、都庁広場で海坊主くんと一緒に叫んでいる場面。ちょっと青春?

浪人生小説としては、大学進学をやめてしまうので、ドロップアウト系というか。進路変更系と言っても同じだろうけど。そう、専門学校ではなく、大学でも服飾は学べるのではないだろうか。専門学校の入学試験では今まで勉強してきたことが、だいぶもったいなくなっちゃうような。――それは別にいいか。和央の、進路変更前の志望大学は「A大」で、母親と同じ弁護士になるつもりだったらしいから、たぶん法学部志望。現役のとき、優太と同じ大学を受けたと言っているので、優太くんがいま通っているのは、そのA大? 受験に失敗した理由は、ちゃんとは書かれていないのだけれど、

 <あたし、プレッシャーに弱いのかなあ? 受験の時だって、模試では一応合格ラインだったのに、本命の入試ではおなかを下すし、滑り止めもことごとく落ちてしまった。>(p.75)

という感じ。お母さんから小さいころ、水泳大会の前に「本番に弱いのよね」(p.77)とも言われたことがあるらしい。「本番に弱い」というのは、現実はともかく、小説ではよくある不合格理由であると思う。アパートは、代々木にある予備校生専用のアパート。木造2階建てで6部屋あるらしい(男女混合らしい)。場所柄、学校はやっぱりYゼミ?

ちょっと話が戻ってしまうけれど、お母さんが、娘が服飾関係に進むことを反対するのは、その家(家庭)の特別な事情があるらしく、別に娘をどうしても自分と同じ職業(弁護士)に就かせたい、とは考えていない感じである。このあたり、たぶん主人公を女の子ではなく男の子に設定していたら、親が医者で家の跡を継がなければならないから医学部志望、でも、本人は本当は美術系に進みたい(画家とかデザイナーになりたい)と思っている、みたいなありがちな(つまらない?)話になっていたかもしれない。もう1人の予備校生、家は関係ないけれど、海坊主くんは実際、医学部志望であるし。
 
講談社、1979/講談社文庫、1985。古本屋(ブックオフを含む)で文庫本が手に入らなくて、単行本を図書館で借りてきて読みました。性的な意味合いを含んでいそうなタイトルのわりに、なんていうか、恋愛的なこととかも含めて、全体的に淡白な感じの青春ミステリーという感じ、かな。※以下、毎度毎度のネタバレ注意です。

終戦の翌年(ということは1946年?)、季節は暑めの初夏。主人公の伊波弘道(18歳)はあるきっかけから、パン○ンの女の子たちと知り合い、池袋の闇市に出入りしている。物語は、その女の子たちの世話役である京子姉さん(井出京子)が殺されたことに始まるのだけれど、闇市という、いままでどこで何をしていたのか、来歴がわからない(もちろんお互いに穿鑿もしない)人たちが集まっている場所を舞台にして、でも、けっこうオーソドックスな殺人事件(とその解決編)が展開されている、といった感じ。――浪人生活よりも、闇市で扱われている商品とかに詳しくなりそうな小説だけれど、いちおう浪人生に関係しそうなことについて、以下少々。

「二浪ということになるのだろうか……」(p.130、上段)と書かれているけれど、考えようによっては1浪という感じかもしれない。弘道は、旅順(中国)でゆくえ知れずの(元)軍医のお父さんの影響からか、医者志望。中学4年のときには、戦時中の非常措置で第一次(2段階なのかな)は内申書審査だけだったらしいけれど、受けたのはすべて医科大学の予科で、ぜんぶに落ちたらしい。あ、そうか、この人は中学は5年まで通って卒業したのかな、それがわからない。当時、中学4年で受験に失敗したら、中学校にはもう通わずに、そのまま浪人しちゃってもよかったのかな?(入試制度がさっぱりわかっていない自分…)。それで、翌年(作中では今年にあたる)、第一次には学科試験が復活していて、でも、準備不足、勉強不足のために(?)また失敗したらしい。中学では「クラス中の注目を集めていた主席生徒」(p.130、上段)だったらしく、別に勉強ができないというわけでもないらしい。――それはともかく、もし中学5年まで通っていれば1浪という感じかもしれない。通っていなくても、現役受験が内申書だけで門前払いでは、それほど受験した気分にもならなかったのではないか(そんなこともないか)。

弘道は、華族の生まれというよりも、性格的な問題かと思うけれど(でも性格は環境から作られるのか――わからないけれど)、弘道くんは(保田梨枝の言うとおり)おっとりしているというか、余裕のある感じである。受験生にありがちな将来の不安とかはないのかな、この人。そういうことについては、ぜんぜん書かれていない。目白(下落合)にある家は空襲で焼けてしまって、庭にあった植木の道具小屋を改築して、そこにお母さんと2人で住んでいるらしい。父親はゆくえ知れずだし、経済的にもけっして楽ではないらしいけれど、お母さんはのんびりしたものらしい(息子の性格はこの母親に似たのかな)。家には勉強スペースがほとんどないらしく「上野図書館」へ通っている。予備校へはたぶん通っていない(いわゆる自宅浪人生?)。といっても、誘惑に負けて(?)池袋で電車を降りてしまうことも多く、あまり勉強をしていない模様。――勝手なイメージで、終戦直後の受験生はみんな必死になって勉強していたはず、みたいに思っていたけれど、どうもそんなこともないらしい。

 <もう空襲のサイレンも鳴らない。高空に光るB―29の編隊や、その爆音におびやかされることもない。こうして怠けていても、人びとの非難の目が浴びせられているのではないかと、気にすることもない。>(p.81、下段)

平和ぼけとはいかないまでも、ほっとしちゃっている感じである。ただ、戦争ではなく、それ以外の殺人によって顔見知りの人たちが殺されて、犯人も知っている人だったりして(要するに非日常的な出来事を経由して)、たぶん、この主人公は秋以降、ちゃんと勉強するようになった(=日常回帰した)のではないか、と思う。浪人生が簡単に戻れる場所なんて、勉強、くらいしかない(?)。
 
『学生時代』所収。単行本は1918年に新潮社から出ているらしい。文庫は新潮文庫からも出ているけれど(1948年かな)、手元にあるのは旺文社文庫のもの(1975年)。何か文学全集のたぐいでも読めるかと思う([追記2013/10/09] だいぶ前から青空文庫でも読めるようです)。とてもお薦めですというか、浪人生小説としては古典(の1つ)という位置付けになるだろうか、わからないけれど。ただ、この小説も、浪人生にはちょっと薦められない気がする。それが残念。※以下、今回もネタをばらけさしてもらいます。結末を知りたくない方はご注意ください。といっても、この本も文庫カバーに載っている紹介文の時点でかなりネタバレしているけれど。

 <一高入試に再度失敗して弟に先を越され、恋でも弟に敗れて自殺する兄の苦悩を描き、その間、入学した級友への羨望や弟への嫉妬など心理を掘りさげて、破滅への道を歩む重苦しい受験生の青春を浮かびあがらせた『受験生の手記』。(略)>

「入学した級友への羨望」ってどこに書かれているの? あ、書かれているか(記憶力が…)。「私」(久野健吉)は、田舎から出てきたわりに知り合いがたくさんいる様子。それはいいとして、↑「自殺する」とまで書かれている。自殺の原因は、例によって複合的な感じである。受験に失敗し(もちろんショックを受ける)、しかも弟の健次は受かっているし(弟への敗北1)さらに自分が想いを寄せていた女の子(義兄の姪の澄子さん)を弟にとられてしまう(弟への敗北2)。直接のきっかけみたいなもの(引き金を引いたの)は、遊蕩児(遊び人)の浪人生、佐藤のところへ行って酒を飲まされ、酔っ払ったまま売春宿へ連れて行かれたこと(童○喪失?)。「酒+女」によって惨めさをより深める、みたいなありがちなパターンだけれど、翌朝、実家へは帰らずに途中下車して、猪苗代湖で入水自殺である。――自殺してしまうような小説はちょっと、浪人生には薦められないよね。

健吉くん、迷いながらも結局、去年と同じく一高(いまでいえば東大)を受けるのだけれど、家はいちおう医者で、受験するのは「三部」(たぶん医学部)。東大志望とか医者の息子で医学部志望とか、いまでも通じるステレオタイプな受験生像、かもしれない。というか、そんなことよりも、このお兄さん想いでない弟は何?(清水義範の『学問ノススメ』の弟を見習って欲しい)。弟だけでなくて、そのほかの家族とか受験生仲間とか、健吉くんのためになるような存在がほとんど見当たらない。要するにけっこう孤独な戦いだったかも。あ、お姉さんとか受験生仲間の松井くんとかは、比較的ましなほうか。

いちおう予備校にも通っている。約90年前に書かれた小説でも、予備校観みたいなものはいまと大差ない。

 <けれども閑暇[ひま]だから、予備校へだけは行くことにした。そこでの講義は、実力をつけるというよりも、いかに能力を活用すべきかを教える、whatよりもむしろhowの方に重きを置いた。学校としては実に変則的なものだと思った。しかし講義は面白かった。漫然と聞き流していても面白かった。予備校は遊び半分に行くべき処だ。それでも十分効用はある。知らず識らず受験生の頭脳を刺戟する、狡猾にする、そして最もよい事には、ややもすれば不規則になりやすい受験生生活に、まず学校らしい体制を備えた、一つの規律を与える機関となる。――とにかく私にとっては、予備校は一つのいい暇潰し場所でなければならなかった。>(pp.12-3、[括弧]はルビ)

howというのは、内実はともかく、「受験技術」「受験テクニック」と言い換えても大丈夫そうで、いまでも通じる話かもしれない。予備校生小説では、予備校の授業はたいてい退屈なものとして描かれるのだけれど、この小説では面白い、と言われている。遊び半分に通っているから落ちるんだよ、しっかり予習・復習をしないと、みたいなことを思うのは結果論かな。予備校に通ったほうが、生活のリズムがちゃんとする、みたいなことも現在でも通じる話かと思う。そういえば、「頭脳を刺戟する、狡猾にする」みたいな話で思い出したけれど、昔ちょっと知り合った人が、東京の予備校の先生はしゃべるのが速い人が多くて、授業についていくのが大変だった、みたいなことを言っていたのだけど、そういう速さ(マシンガン・トーク?)についていけるようになると、ふだんの思考するの速度、問題を解くスピードなんかもあがったりするのかな。(そう、こんなことを言い出したらきりがないけれど、いちおう注意というか、ちょっと気になるのは、作者自身は推薦で一高(旧制第一高等学校)に入学しているらしいので、少なくとも浪人生としては予備校に通っていないということ。要するに浪人生活や予備校に関しては、伝聞や推測が混じっている可能性が高い。)

健吉くんは1月に上京しているのだけれど(弟は中学を終えてからで、4月の初め)、入学試験は7月にある。このあたり、いまの入試制度の感覚でいると、ちょっとわからないかもしれない、サクラサクもサクラチルもないし。浪人生なのだから、下宿とか金銭とかの問題がなければ、もっと早く上京してもよかったのにね。あ、お父さんが上京自体に反対していたんだっけ。でも、去年受けて落ちたときにそのまま東京に居座ってしまえばよかったのに。(関係ないけれど、東京はまだ「都」じゃなくて「府」? 作中の年代は書かれたのよりも前で、大正の初めくらいになるのかもしれない。「作者付記」から考えると、久米正雄が高校に入学した年の1910年に2、3年足せばいいのか、やっぱり大正の初めくらいか。)入学試験も、ちょっと実況中継的に、小説としては詳しく書かれている。去年というか現役のときに落ちた理由は、英語でpromotionという1語がわからなかったから、らしい。今年(1浪)で落ちた理由は、なんだろうね、読者それぞれが判断すればいいのかもしれない。

話が戻ってしまうけれど、何も死ななくてもよかったのにね(天国…じゃなくて、天国の手前で高野和明『幽霊人命救助隊』みたいなことになっていればいいけれど)。そもそも、「不合格(挫折)→勉強(努力)→合格(成功)」みたいな、わかりやすいふつうの小説はないのかな? 大学受験では、努力のパートが絵にならないからダメなのか。
 
講談社、2006。なんていうか、寄木細工な感じというか、全体として、ちょっとちぐはぐな印象を受ける、かな。新鮮といえば新鮮に感じるけれど、個人的にはこういう昔を舞台にした推理小説(のようなもの)をあまり読んだことがないので、たんに目くらましにあっている気がしなくもない。5段階評価ならちょっと厳しめに…2くらいでいいですか? 「いいですか?」と言われても困るか(汗)。※以下、いちおう推理小説なので(いちおう…じゃないですね、乱歩賞受賞作)、いつも以上にネタバレにはご注意ください

あまり関係ないけれど、テレビ朝日の深夜の短い番組で、坂を一気にかけのぼる、みたいなのがあって、2、3回見たことがあるのだけれど、なんていうか、あれは本当にどう見ればいいのか、首をひねってしまう(悩みませんか?)。たくさんあるらしい東京の坂にも興味がないし、アイドルの女の子が走ったりぜえぜえしたりする姿にも萌えないし。誰か萌えポイントがどこにあるのか教えて欲しい。というか、とりあえず東京のちゃんとした地図が欲しいな、古いのと現在のと1冊ずつ。自分が暮らしている国の首都なのに、地名があまりにぱっぱらぱー、です。

この小説を読んだきっかけは、と言えば、『ダ・ヴィンチ』(雑誌)か何かに主人公が予備校生、みたいなことが書かれていたからなのだけれど、読んでみたら予備校生は予備校生でも、浪人生ではなかったです、現役受験生。主人公の内村実之は、一高(=第一高等学校、いまで言えば東大みたいなもの)を受験するつもりなのだけれど、その試験が7月にあるんだよね。3月に中学(もちろん旧制)を卒業すると、奈良県の田舎から上京して予備校に通い始める。ただ、お父さんが東京で失踪していたり、(元)帝大生のお兄さんが謎の言葉(「三年坂」に絡む)を残してくれたりで、それらを調べる目的もあるから、純粋に勉強のために上京したのではなく、そういう意味ではちょっとふつうの(?)受験生とは違うかもしれない。時代的には(明治30年代)、立身出世のため、勉強意欲まんまん、みたいな上京の理由のほうがわかりやすいかもしれないけれど、そうではない感じである。そう、上京する前に肉体労働のアルバイトでお金を貯めているし、上京してからもお金の心配が出てくると、大変なアルバイトを始めるしで、いちおう「苦学生」という印象かもしれない。で、ネタバレしてしまうというか、だいぶ先を読まないとわからないことだけれど、結局、受験には失敗して(あまり描かれてはいないけれど)浪人生活に突入している。あ、東京でのアルバイトは試験が終わってから始めるのか。で、そのまま浪人時にもしている(以前、このブログでこの小説について間違ったことを書いてしまった気がする)。

ところで、いま予備校に1年通うとするといくらくらいかかるの? 自分のときのことが思い出せない(でも、どちらかと言えば貧乏な家、両親にとても迷惑をかけたです)。下宿代や入試費用など、もろもろを含めていくらくらいかかる、みたいなことを計算しなくてはいけないから、という理由もあるだろうけれど、小説に具体的に金額が書けてしまえるのは、昔(100年以上も前)の話で、生々しくならないからかもしれない。ほぼ同時代を舞台とした小説で、予備校代が書かれた小説は見たことがない気がする。探せばあるかもしれないけれど。(ほとんど読んでいないし、大学受験のための予備校ではないけれど、深沢美潮『フォーチュン・クエスト外伝2 パステル、予備校に通う』という小説では、<予備校に通うために必要なお金っていうのが、一万二千G。>とのこと。仮に現在の話であるにしても、こういう場合(よくわからないけれど「G」)も生々しくないのかもしれない。)

受験生小説としては――上で書いたようにあまり浪人生小説ではないのだけれど、どのあたりが読みどころだろうね…。実之くんが上京して受験するのが、19世紀最後の年、1900年(明治33年)なのだけれど、それくらいの年代の受験事情が知りたければ、本の後ろのほうに挙げられている参考文献のいくつかを読めばことが足りるような気もするし。でも、一般的に、小説のほうが流れ(物語)があったり、人を中心として書かれていたりするので、そちらのほうが読みものとしては面白いかとは思う。ちなみに、1900年というのは、久米正雄の「受験生の手記」の作中年よりも、たぶん10数年前。大学生小説、夏目漱石の『三四郎』が新聞に連載された年(1908年)よりも、10年弱前。(個人的には、清水義範が『春高楼の』という大学生小説を書いていて、それもお薦め。主人公が1900年に東京帝大に入学するあたりから話が始まる。大学生のほうが余裕があるせいか、受験生小説な『三年坂 火の夢』よりも、社会的な背景や風俗などがわかりやすくなっているので、併読してもいいかもしれない。)当然のことかもしれないけれど、下宿を探したり、予備校を選択したりするのは、いまよりもちょっと大変な感じである。事前情報がないので失敗してしまったり、と。現在のほうが逆に情報量が多すぎて、どれが自分にとってベストなのかがわからない、みたいなことがあるかもしれないけれど、それはまぁ嬉しい悲鳴みたいなものだから(?)。

同じ予備校の友達に誘われてほかの予備校の授業を「潜り」で受ける場面があるのだけれど、それは初めて読んだかな、小説で。実之くんは金銭的な都合で「新世紀学院」という予備校を選んで通っているのだけれど、その「潜り」で受けた予備校「開明学校」の授業の先生が、もう1人の主人公(?)である鍍金先生(高嶋鍍金)。一方的にだけれど、2人の最初の接点というか、物語的にはそんな感じ。――それはいいけれど、神田のあたりで予備校が複数あればそういうことにもなるよね、どこどこの何々先生の授業がわかりやすい、みたいな噂。じゃあ受けてみようか、みたいな。そういえば、関係ないけれど、その鍍金先生(英語講師)の言葉のなかで、「間投詞」が「インタージャクション」(p.68)になっている。敢えて書いているのかな? interjectionをいまカタカナで書くなら「インタージェクション」だよね。坪内逍遥の『当世書生気質』なんてもっと変な(?)ことになっていそうだし、どうってことないかもしれないけれど。

[追記]その後、文庫化。講談社文庫、2009。
 
『正月十一日、鏡殺し』(講談社ノベルス、1996/講談社文庫、2000)所収。7篇収録されているうちの1篇目。だいぶ前に文庫本を買って、なんとなく読む気がしなくて、ほうっておいたのだけれど、読んでみたら意外と(期待していなかったせいか)面白かったです。※これもどこまで内容を書いていいのか、さじかげんがわからないので以下、ネタバレにはご注意ください。

「盗聴」といっても、いろいろな種類があるのかもしれないけれど、この人の場合は、自宅(多摩川べりにあるらしい)で無線を使って、近所のマンションで電話(コードレスフォンなど)で交わされる会話を盗み聞く、というタイプのもの。予備校で3浪の男に教えてもらった、とのこと。浪人生=暗くてあやしい、みたいなイメージ?。で、それにはまったせいで、主人公(「僕」)はもう1年浪人することになったらしい。

 <浪人も二年目ともなると予備校になんか行かない。(略)もはや習うことは習いつくしている。>(p.15)

そういう考えもあるかもしれないよね(確か周利重孝『夏の扉』もそんなようなことを言っていた気がする)。個人的には習うことなんて無限にあるような気がするけれど。でも、「僕」は、昼間はちゃんと「野毛にある区立図書館」で勉強しているらしい。ただ、夜はお楽しみ、というか趣味の世界に。

で、「カチカチドリを飛ばす」という暗号というか、隠語を使う会話を受信する。「僕」はあれこれと考えるわけだけれど――、謎が解けてみて、まぁ、意外といえば意外だったかな。場所のほうはもう少し長い小説のネタにも使えそうな感じかもしれない。小説の最後は、ちょっと強引な気もするけれど、成長小説っぽくなっていて、よいかもしれない。個人的に浪人生小説は成長小説であって欲しい、みたいな持論がなくもない。

関係ないけれど、ちょっと気になるのは、次のような箇所かな。

 <[(引用者注)「カチカチドリ」の謎を解くより]東大の入試問題の方がはるかに簡単だ。>(p.21)

むりやり受験生を演出しているような…。東大は問題が難しいというよりは、ほかの人よりも点数を取るのがたいへん、みたいな話もよく聞くけれど、どうなのだろうか。(貴志祐介『青の炎』には次のような1文がある。<完全犯罪の方法を考案するのは、『大学への数学』のDランクの問題を解くより、歯ごたえがあった。>何ランクあるんだよ、知らねーよ?(汗)。そんな雑誌、(たぶん)手に取ったことのない人のほうが多いだろうに。これよりは、東大=入るのが難しい、ゆえに問題も難しい、くらいな社会的なイメージのほうが、だいぶましか。)
 
幻冬舎、2004。話が長いから3割くらい削って欲しい、この小説。※以下、ネタバレ注意です。「俺」(宮本剛史)は1人で興信所を開いている私立探偵。最初のほうは、依頼されて大学入試センター試験でのカンニング作戦、後半は復讐っぽい感じで、ヤ○ザとも関係がある知的でクールな(?)イカサマ師との巨額ポーカー対決。どちらも小型カメラを使って外部モニターしながら、骨伝導式のマイクで当人に指示を出す遠隔的な方法。で、そうした機器の説明も、ポーカーのルールの説明もくだぐだしているし、実際の試験もポーカーも実況中継的な逐一な感じで、読んでいてうっとおしいし。もっと手に汗握る感じならわかるけれど、それほどでもないし。

芸術の才能はあるけれど、学科がダメダメな東京芸大志望の浪人生(2浪)の西村昌史は、主人公と、その協力者というか親友の忘れ形見である美人東大生(藤井加奈)の2人から、ことあるごとに、バカ、バカと言われながら顔を殴られたり、お尻を蹴りあげられたりする……。かわいそうといえばかわいそうだけれど、ちょっといらいらさせられるのは、繰り返し(ワン・パターン)のせいかもしれない。殴られる回数が多いのは、もしかしたら作者の文章力のなせるわざではないか、と疑ってしまう。それ以外にも、どういう効果を出したいのかよくわからない、変な(?)繰り返しが多いし。受験するのは西村息子で、ポーカーをするは元区議の西村父親、みたいな大枠的なことや、探偵さんの趣味が紅茶で、趣味ではないかもしれないけれど、対決相手のや○ざに近い人がこだわっているがワイン、という細かいことも。あと、そんなこと以前に主人公たちコンビに対してぜんぜん魅力が感じられない(のはどうして?)。あ、でも、ちょっとユーモアがなくもないか、例えば、

 <「剛史の頃は、センター試験なんてなかったでしょうに」/年寄りを哀れむような口調だった。あったさ、と俺は安っぽいプラスティックのテーブルを叩いた。/「ただ、共通一次って言ってたような気がする」/鳥がさえずるような声で加奈が笑った。>(p.50)

最初読んだときはちょっと面白いと思ったのだけれど、↑いま読み返してみたら別にそれほどでもないな。

描かれているのは12月くらいから。昌史(まさふみ)くんが通っている予備校は、代々木にある「川田塾美術アカデミー研究所」(Yゼミ+K塾?)。都内最大の美術予備校らしい。センター試験はけっこう具体的で、平成16年度(2004年度)のことらしい。入試会場は一橋大学で、英・国・日本史の3科目を受験する。そう、入試問題ってA4サイズだっけ? ……そこまで細かいことはいいか。かなりネタバレしてしまうけれど、カンニングは結局、失敗することとなって、大学進学は諦めてしまう。本当に才能があればもっと別の道がありそうな気がするけれど、とりあえずテレビの製作会社のAD(いちおう美術スタッフ)として働き始めている。

ほかに受験関係のことでは、主人公が昔のときのことについてちょっと触れているくだりで、“出る単”を暗記していたと言っている(p.32)。37歳だから1967年くらい生まれ? まだ『試験にでる英単語』が下火になっていない世代かもしれない。

(文句ばかりになってしまうけれど、名前が意外とまぎらわしい。主人公の剛史(たけし)も「つよし」とも読めそうだし、人物は登場してこないけれど、いとこが高志(たかし)だったりするし、「たけし」「たかし」のせいか、浪人生の昌史(まさふみ)をどうも「まさし」と読んでしまうし。そんなやつは私だけか。でも、端役、昌史くんの予備校の先生の名前が「沢口」で、対決する敵の本当の名前も「沢口」というのはどうなのか? 確かにそういう微妙な偶然があったほうが現実的かもしれないけれど。)

[追記]文庫は幻冬舎文庫、2007。
 
早川書房、1990/光文社文庫、2006。ふつうに面白かったです。ちょっと懐かしい感じがする。SFにかぎらず小さいころってぜんぜん本を読んでいなかったから、なんだろう、昔見ていたTVアニメとかかな(具体的な作品名を挙げられないけれど)、そのたぐいの記憶が喚起されるのかもしれない。とにかくちょっと懐かしい感じです。いま読んでも別に古くさくないと思うし、特に中学生くらいの人にお薦めかもしれない。

で、これもどれくらいのネタバレなら許されるのか…。例によって文庫のカバー(後ろ側)の紹介文を引用してしまったほうが早いか。

 <全宇宙のスーパー・ヒーローが終結した「超人サミット」会場が、爆弾テロに襲われた!/奇跡的に生き残ったのは、アルバイト青年の脳のみ。バラバラになった48超人のパーツがツギハギされ、ここに気弱な最強ヒーロー・怪傑ミイラ男が誕生した! 美少女天才科学者と共に、彼は日夜、宇宙の平和のために闘うのだった。読めば元気が湧く爆笑スペースオペラ!>

吹原和彦は、ズヴゥフル大学(の宇宙社会学部比較文明学科)の受験に失敗。木星の近くにあるらしい星、ズヴゥフルV(「ヤミナベ・ポリス」はそこの中心の、自由貿易都市の通称)に行くだけで両親の遺産を食いつぶしたらしく(「遺産」ということは両親は亡くなっているのか)、地球へ帰るための旅費がない(鉄砲玉というか無計画だな…)。そこで、ヤミナベ・ロイヤルホテルでボーイのアルバイトをしていたところ(あとのほうで「苦学生」という言葉が出てくるけれど、そんな感じ?)、悪の組織“希望なきパンドラ”による、超人たちの集まりを標的にした爆弾テロに巻き込まれてしまう。要するに、浪人生小説としては事件や事故に巻き込まれて、以降、大学受験なんて関係なくなっちゃう系の話である。宇宙の正義や平和が任されてしまうわけだから、それも仕方がないか。

どうでもいいけれど、大学受験に関しては、地方会場があれば(地球受験ができれば)よかったのにね。あるいはインターネットのようなもので、地球の家から受験できるとか。
 
講談社、1972/講談社文庫、1974。何がいちばん言いたいかというと、とにもかくにも手元にある文庫本で750ページを超えるこの小説を、どうにか読み終えた、ということである。比較的会話や改行が多い小説であるし、けっして読みにくいわけではない、というか、むしろとても読みやすいのだけれど、個人的な悩みとしてとにかく文章を読むのが遅いという事情があって…。1日あたりかなり長い時間読んでいながら読み終わるのに計6日かかりました(涙)。(あと、花村萬月『たびを』という小説を図書館で借りて来たのだけれど、1000ページくらいあって、どうしようか、もう読む気がしない。)

この本も、後ろの宣伝文というか紹介文の時点で、かなりのネタバレをしている。

 <東大受験に失敗した浪人の信也は、無気力で空虚な日常から脱出しようと、家出してスナックに勤める。一方、姉の真理子は、中年の男優との恋に悩みつつも、平凡な結婚に踏み切る。人生という学校に合格していない浪人たちが、生きることと生活することの違いを自覚していく過程を描いた感動的長編。>

出版社に勤めているお姉さんが、だいぶ歳上の子持ちの役者(これがまたいい人なんだ)ではなくて、お見合いで知り合った平凡な男性のほうを選ぶのにいったいどれくらい読めばいいんだよ? ほとんど終わりが近い(涙)。それで、よくある悩みと言えばよくある悩みなのかもしれないけれど、姉弟の2人とも生きがいのある、生き生きとした生(上では「生きること」)と、退屈だけれど、食べるものに困らないような、将来が約束された安定した人生(「生活すること」)とのどちらを選ぶか、みたいなことで心が揺れている。1970年代の初めくらいに書かれた小説で、ちょっと古く感じるかもしれないけれど、そのわりには共感して読めるかと思う。あ、でも、「家」とか「お見合い」とか、やっぱりいまでは通じない部分もあるかな。お父さんの権限みたいなものも、現代の平均(そんなものは数値化できないだろうけれど)よりは強そうな感じであるし。信也くんが東大志望なのは、学歴のせいで出世競争で悔しい思いをして来た会社勤めをしている父親(豊次)の強い希望でもある(このお父さん、でも、『岸辺のアルバム』よりは人間味があるかな)。息子のほうも父親の期待に沿おうとするのだけれど、結局、不合格。家に戻れず、そのまま住み込みで働き始めてしまう。とりあえず、浪人生小説としては、よくあるタイプの(?)ドロップ・アウト系である。

物語は、石井きょうだいのほかにもう1人、アメリカから日本人女性との間にできた娘を探しに来た、元米兵のロバート・オノラを中心にして進んでいく。人探し部分は、話としてはいちばんわかりやすいかもしれない。見つかるか見つからないかだし。そのロバートも、朝鮮戦争が始まって身ごもった女性(とお腹の子ども)を捨てた形になっていたり、胃のあたりに痛みがあるらしかったりと、悩みというか葛藤を抱えている。悲愴感もかなり漂っている。そう、「外人」という言い方にはやっぱりいま読むとちょっと違和感があるかな。でも、かなり繰り返されているからすぐに慣れるけど。

人がけっこう死ぬのは気になるけれど、まぁいい小説、であるということで、いちおうお薦めです。5段階評価で3くらいのお薦め度。――以下、受験関係のことについても少し触れておきたい。まず、いわゆる『豆単』が登場している場面がある。

 <(略)電車は意外に込んでいる。信也は(略)思い出したようにポケットから「豆単」と受験生の間で言われている英単語熟語集を出して読み始めた。/往復の電車の中でこの本を使ってやっている現在の勉強は、日本語の文例を見てはそれを英語に訳してみることである。英文和訳のほうは信也は多少、自信があったが、和文英訳のほうはどうも苦手で弱かった。だから、イディオムを日本文を見てすぐ思い出せるようにする勉強を電車の中で行なっているのだ。>(p.134)

あとで出てくるときは表記が、赤尾の豆タン、となっている。このブレはなに?(まぁいいか)。「すき間時間」というのかな、電車の中で単語集を勉強する、というのはふつうなことかもしれない(逆に自習室で単語集を勉強していたら、なんとなくほかの勉強をしたほうがいいのではないか、と思ってしまう。cf. 清水義範『学問ノススメ』)。英文和訳よりも和文英訳のほうが苦手、というのもわかる(それがふつうだと思う)。でも、イディオムうんぬん、の話がちょっとよくわからない。――と思っていたらちょっと先に具体例があって、

 <「彼は行って戻らなかった。私は声をあげて叫んだのだが……」/声をあげて叫ぶとはきれいな英語でどう言ったらいいだろう。/彼はニ、三の表現を考えて、そっと解答を見て安心した。考えていたイディオムだったからである。>(p.135)

確かに「声をあげて叫ぶ」という表現はいろいろありそうで、どれなのか迷いそうだ(「呼びとめる」みたいな意味だから、何? 私には正解がないからわからない(涙))。でも、その前に『豆単』というのは、そもそもそういう参考書だったっけ? という疑問がある。現在は『豆単』と『豆熟』の2冊に分かれているらしいけれど、どうも昔は一緒だったらしい。よく知らないけれど、熟語(イディオム)も単語と一緒にアルファベット順に並んでいたらしく、例えばbe about to 〜ならB(あるいはA?)のところに並んでいるような形。――それはわかるのだけれど、でも、例文(が本当にあるのかな)の日本語訳を見て英語に戻す、といっても、イディオムの先頭の単語の頭文字はわかっちゃうよね? アルファベット順だから。うーん…、よくわからないけれど、どこかおかしい気が。目の前で実践してもらえばわかるかもしれないけれど。(いまさらわかったけれど、小説から勉強方法は学べないことが多いね。最初からそういう目的で書かれた情報小説みたいなものなら別だろうけれど。)

あと、予備校(所属は「東大コース」)の場面が2箇所くらいあって(pp.120-, pp.221-)、それも取りあげようかと思ったけれど、文字数的にちょっと限界…。書き忘れたけれど、信也くんは文科志望(文系)。東京の土地鑑がほとんどないからよくわからないけれど、家はちょっと郊外らしい、予備校はどこだ? 駒場の近くかな(違っているかもしれない、東京に詳しい人ならわかるはず)。そう、ちょっと疑問というか、作中の時間は、前年の秋か冬くらいから始まっていて、受けるのはたぶん1970年度の入試だと思うのだけれど、信也くんは去年も東大を受けたと言っていて(1951年生まれ?)、そうすると1969年って東大の入試は行なわれていないから(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』参照)、なんだか矛盾してしまう。ま、細かいことはいいか。それで、結局、上で書いたように不合格になるのだけれど、「第一次」(2段階選抜らしい)には合格している。で、2次に落ちるわけだけれど、ショックを受けて、酒+女みたいなことは、受験生小説にかぎらず、よくあるパターンかもしれない。あと、そう、友達で予備校仲間だった後藤くんが、大学受験をやめて、画家を目指してニューヨークに旅立ってしまうけれど、友達が芸術系、というのもパターンの1つ。

感想がいつも以上にぐちゃぐちゃ…(と言い訳をしておきたい)。
 
講談社、2003/講談社文庫、2004。2003年の7月から9月にかけてTBS系で放送されたTVドラマのノベライゼーション。著作権はどうなっているのやら、脚本の小松江里子ではなく豊田美加という人が小説化している。

 <東協百貨店新入社員、柏葉東次の職場はデパ地下。同期のエレガとの恋が始まった頃、颯爽と、元カノが広告担当として現れた。女神の悪戯!? 終わったはずの恋もまた始まっていく。愛しさとやましさ、元カノVS今カノに翻弄される東次だが…恋に仕事に真直ぐな社会人一年生を生き生きと描く。人気ドラマ、ノベライズ!>(文庫カバー)

恋愛模様はひと昔前な感じがするけれど、ある程度ちゃんと仕事をしているあたりは好きかな。いま思うと(ドラマは7割くらいしか見ていなかったけれど)、「ラーメンフェスタ」とか、食べ物が出てくるので、放送時間が日曜日の夜、意外とおいしそうなドラマだったかもしれない。(そういえば、関係ないけれど、堀北真希の『鉄板少女アカネ!!』ってあまりおいしそうじゃなかったような。)

そんな働く「元カレ」こと東次くんの弟(裕二)が予備校生。ドラマでは斉藤祥太くんが演じていた。日本テレビ系『ハケンの品格』でもそうだったけれど、斉藤くんって(双子の兄弟の2人とも)軽いノリの役が多いような気が。それはともかく、ちょっと珍しいと思うのが、恋愛の対象が予備校のほかの生徒とかではなく予備校の事務員というあたりかもしれない。最初は友達たちとからかい目的で、田舎から出てきてあか抜けていない事務員の仁科弘枝(ドラマではソニン)を合コンやデートに誘うのだけれど、そうこうするうちに本気になってしまう。でも、弘枝にはダンス教室で知り合った10歳年上の千歳一(天野ひろゆき)という熱をあげている男がいて……みたいな感じ。(天野くん→とりえが社交ダンス、みたいな現実とのリンクもキャスティング、あるいは脚本が安易なのか何なのか。ソニンは……まぁいいか。いまごろどうしているのやらゴ○キ・ブラザー。あと、どうでもいいけれど、怒ると高知弁って、高知県出身なのはヒロスエのほう? 『ハケンの品格』でも、加藤あい演ずる森ちゃんが群馬出身、でも、本当に群馬県出身なのは篠原涼子とか、微妙なねじれが…。)

話が逸れるけれど、東次(書き忘れていたけれど、主役、TVドラマでは堂本剛)が働いているいわゆるデパ地下で、シューマイとかを売っている千歳さんは、弘枝から、最初はストーカーまがいなほど(?)アプローチされて、でも、悪い気はしていないみたいなんだけれど、問題があったというか、10歳年下であることをしきりに気にしている。今までもてたことがなくて自分に自信がない、その裏がえしにしてもちょっと違和感を感じなくもない。あとのほうで、実は東次の「今カノ」である早川菜央(内山理名)のことをちょっといいな、と思っていたみたいなことが書かれているけれど、早川さんだって8つくらい下になるのではないか。8歳差がよくて10歳差がいけない、と思うのはなぜ?(わからんです)。

広告会社に勤めていてデパートに出入りしている、東次の「元カノ」というか「前カノ」の佐伯真琴(ドラマでは広末涼子)と、彼女と組んで仕事をする(デパートの)企画宣伝部の藤枝さん(佐々木蔵之介)との年の差はいくつだっけ? ――あれ、同じくらいの8つ差だよ。飄々とした感じのプレイボーイ(?)藤枝さんは、冗談なのか本気なのかわからない感じで、真琴にアプローチするのだけれど、8歳差とか、年齢差はあまり気にしていない模様。このドラマ/小説では8歳差以下なら許されるのか何なのか。というか、藤枝さん(下の名前は何だっけ?――「徹」らしい)は10歳年下の子でもおそらく大丈夫だから、千歳さんは彼のところに相談にでも行けばいいのに。

年齢的なことをいえば、弘枝は20歳だから少なくとも4年制大学は出ていないはずで、予備校で働くなら大学受験を経験していたほうが有利ではないか、とも思うのだけれど、別に関係ないのか、採用基準。教室のあと片付けをしていたり漫画を没収していたり(何かテストの?)答案用紙を整理していたり、……雑用? 小学校の先生みたいな仕事内容かもしれない。それはそれとして、弘枝の精神年齢が高い(というよりやぼったい?)からそうは感じないかもしれないけれど、浪人生の裕二が19歳だから、実は1歳しか離れていないんだよね。年齢的には同じクラスの生徒や大学生を好きになったりするのと、それほど変わらないのかもしれない。

年齢だけではなくて、年数的にもあちこち無理があるような。東次がアルバイトをしていたいわゆる海の家で知り合って、真琴と付き合い始めたのが(お互いに)大学3年の夏。それから半年付き合っていたと言うのだから、再会した時点(新入社員で7月くらいの時点)ではまだ2年も経っていない。それくらいなら焼けぼっくいに火がつくのも、不思議ではないというか。一方、早川さんのほうは、付き合い始めてまだ1ヶ月くらいなのにやけに東次に固執しているというか、東次のどこが好くて付き合い始めたんだっけ?(えーと…、ちゃんと読み直さないとわからない)。でも、恋敵が現れてくると、いまどき(?)22、23歳くらいでも、付き合って1、2ヶ月の相手であれ、親代わりの伯父さんに紹介したくなっちゃうのか(うーん)。

話がぜんぜんまとまらないけれど、最後に柏葉裕二のプロフィール的なことをもう少し。両親と兄とで4人家族。家はクリーニング店を営んでいる。最寄りの駅は「代官山」なんだけど、需要はあるのかな? たぶん裕福ではない家で、しかもお父さんが近くで洗濯やらアイロンがけやらの大変な仕事(力仕事)をしているを見ているにもかかわらず、浪人してしまったのか、裕二くん。お兄ちゃんがやっと私立の大学を卒業して働き始めたと思ったら、弟は予備校通いの、アルバイトはあまりできないだろう浪人生。恋愛どころじゃない、勉強を頑張れやというか、来年もう1度落ちたらクリーニング屋を継ぐべきだな。←ちょっと父親目線。そう、お母さんが千葉の実家に帰ってしまって両親が離婚の危機を迎えるのだけれど、母親を説得に行くのはお兄ちゃんのほうだし、そもそも原因が浮気などではないせいか、『岸辺のアルバム』みたいに大変なことにはなっていない。
 
文藝春秋、2004。こういうちょっといい話、みたいなものにどうも弱いらしい、自分は(汗)。でも、とても面白いと思ったし(物語自体よりも雰囲気が好きかもしれない)、とりあえずお薦めはお薦めです。(というか、私が薦めることになんの意味があるのかないのか、ほんとに1億総お薦め時代ざんすよね…。) 奥付の上のところにある作者紹介に「深く細やかな心理描写で定評がある」と書かれているけれど、「深さ」も「細やかさ」も私にはちょうどよく感じる。女性作家にありがちな、ぐだぐだと心理が書かれていて話が進行しないということもないし。※以下、内容についても書きますのでネタバレには注意してください。

主人公の七瀬九里子(21歳)は悩める普通にいい人といった感じ。服飾関係の専門学校を去年卒業して(就職しないで/できないで)ファミリーレストラン「ロンド」でアルバイトをしている。以前にも書いたかもしれないけれど、アルバイトであれ、ちゃんと体を動かして働いている小説ってけっこう好きかもしれない。あまり推理小説っぽくはないけれど、家の近くで犬が殺されることが続いたり、店で出した食べ物に何か(苦いらしい)が混入されているようだったりと、主人公の周りで事件らしきことが起こって、その解決のヒントやアドバイスを与えてくれるのが、そのファミレスにお客としてよくやってくるおじいさん。だいたいいつも同じ時間に来て、毎回同じ席に座ってちょっと古い新聞を読んでいる(注文するのはおかわり自由のコーヒー)。その老人(国枝さん)は介護ヘルパーの人や彼の家のご近所からは、認知症の徘徊老人っぽく扱われているらしいのだけれど、九里子と公園で会って話をする国枝老人には、古い新聞を読むファミレスでの雰囲気とも違って、まったく惚けている様子がない。なんていうか、ひと言で言えば、謎の老人、という感じである。――神様っぽい老人とか、犬とか、ちょっと小川洋子(『偶然の祝福』とか)っぽくて好きかもしれない。

家は犬が飼える一軒家で、両親と弟と(例によって?)4人家族。このお姉ちゃんは、自分も「ちゅうぶらりん」というか、就職浪人っぽい感じなので、気持ちがよくわかるということもあるのかもしれないけれど、あれこれ小説を読んでいると、浪人中の弟にけっこう優しいお姉さんが多いような気がする(最近読んだものでは、遠藤周作『ただいま浪人』とか)。弟の信(2浪)は、予備校には行っておらず(さぼりっぱなし?)ほとんど部屋にひきこもっているらしいのだけれど、そういえば「レンタルお姉さん」という言葉は聞くけれど、「レンタルお兄さん」という言葉は聞いたことがない。リアルお姉さん――役に立つことも立たないこともあるだろうね(わからないけれど)。兄と弟だと男性どうしだから競争みたいになっちゃうのかな。ひきこもるならご勝手に?(違うか)。あと、これは自分の経験からも思うけれど、たいていの予備校って授業をさぼっても家に連絡がこないし、浪人生ってひきこもり化しやすいかもしれない、一般的に。ただ、この小説の場合、「ひきこもり」といっても軽そうな感じではある。それで(…じゃ話がつながらないか(汗))、姉というか九里子は、信が早朝にどこかへ出かけていくことに気づいて、犬殺しの犯人ではないか、とちょっと疑い、そのことも国枝老人に相談したりする。――こういう書き方をするとやっぱりミステリーという感じがするよな。別にかまわないか。文学(純文学)系の小説ではないし、謎が放置されないというか、やっぱり「理」が勝っている感じがする(最後の場面とか)。

ちなみに、志望大学は、もともと国立を目指していたらしいけれど、隣の町にある私立のK大に変更するらしい。入試直前までしか作中の時間が進んでいなくて、結果はわからない。

[追記]続編(『ふたつめの月』)が出たので、いちおう弟くんの大学の合否はわかりました(でも、言わないほうがいいかな)。
 
『モーツァルト荘』(新潮社、1987/新潮文庫、1990)という、奥さんと2人できりもりしている高原のペンションを舞台にした連作短篇集のなかの1篇(6篇中の4篇目)。宿泊施設小説といえば――館内にモーツァルトの曲(ポップスとかではなく)を流しているくらいだから、TVドラマにありがちなドタバタ劇にはなっていないけれど――、やっぱり何らかの事情を抱えているお客さんが泊まりに来たりするわけで、この1篇もそんな感じである。ネタバレしすぎてしまうので、ちょっと核心部分が書けないけれど、鮮やかな印象も残るし(私だけか?)、ゆるめかもしれないけれど、個人的にはお薦めな短篇です。

季節は高原が新緑のころ、泊まっている2組の客のうちの1組(というか1人)が、東京から予約なしでやってきた女子学生、岩谷夕加里、19歳。女の子1人であるうえ、ちょっと暗い感じがするので、ご主人(尚作)は、変な気を起こさなければいいが、みたいに思っていたのだけれど、1泊目の晩には何事もなく。翌日、話をしていると、実は学生ではなく予備校生であることがわかり、悩みごとというか、暗かった理由もわかる。

母親が母校愛が強くて子どもに自分と同じ大学に入ってほしいと思っている、ほかの大学を受けることを許してくれない、みたいなケースは、個人的には初めて目にしたのだけれど、一般的には(現実的には)どうなのだろうか、別に珍しくもない? でも、その大学に入るには力(能力、学力)が足りなくて……みたいな話だから、例えば、親が開業医であとを継がなくてはいけないけれど勉強のできない私、などの場合でも、悩みとしては同種なものかもしれない。それで、どうなのかな、いちばんいいのは、(1)親(父親もらしい)とちゃんとぶつかること、かもしれないけれど、言うは易し行なうは難し、というか。いやいや予備校に通っていても、そもそも学力的に無理な大学なら受からない可能性が高いし。でも、(2)来年も落ちれば両親も諦めてくれる、という可能性がある。1年勉強しているふりをしてどうどうと大学に落ちる、とか(この人、真面目な性格っぽいからそれはできないか)。いずれにしても、問題がまったく解決・解消しないままであると、今度は書き置きを残して衝動的に2、3日高原へ、くらいでは済まないようなこと――自分自身を制御できない、しかも取り返しのつかないこと――が、起こってしまうやも。話が前後してしまうけれど、ご主人のアドバイスはといえば、

 <「僕も一浪して、予備校通いをしたんですがね。」と尚作はいった。「予備校通いが楽しいっていう浪人は、いないんじゃないかなあ。僕もいやいや通いましたよ、身の置き所がないような思いでね。でも、力は、こつこつやっているうちにすこしずつ溜まってくるもんですよ。」>(単行本、pp.141-2)

という感じ。よくわからないけれど、別にその大学に行きたくないわけでもないのだから(ほかにやりたいことがあるわけでもないのだから?)、(3)こつこつと勉強してそこに受かってしまう、というのが、本当は3方丸く収まる、いちばんの解決策なのかもしれない。ただ、もちろんそれが無理そうだから悩んでいるわけだけれど。これも、自分ではどうしても解決できないようなら(いれば)予備校の担任とか、予備校にカウンセラーがいればその人とか(まだ夏前だし高校のときの担任教師でもいいかも)、雑誌の相談コーナーとか、あるいは街角の占い師とか、誰か相談できる人/所に相談したほうが早いかもしれない。

関係ないけれど、尚作は高校卒業後、すぐに上京して働きながら夜間の大学に通っていた、みたいなことがどこかに書かれていた気がするけれど、浪人もしていたのか。
 
新潮社、1998/新潮文庫、2001。何この、ゲームセンターでのエッ○は? ――まぁいいか。

 <2030年。玉井潔は、60年前の<あの事件>のために死刑判決を受けた後、釈放された過去を持つ。死期を悟った彼は、事件の事実を伝え遺すべく、若いカップル相手に、自分たちが夢みた「革命」とその破局の、長い長い物語を語り始めた。人里離れた雪山で、14人の同志はなぜ殺されねばならなかったのか。そして自分達はなぜ殺したのか……世を震撼させた連合赤軍事件の全容に迫る、渾身の長編小説。>(文庫カバーより)

この「爺い(じじい)」の話を聞かされるのは、アパートの隣の部屋で生活している予備校生の阿南満也(あなんみつや)と、同じ予備校に通う女友だちの高取美奈(たかとりみな)の2人。読んでいると(玉井の話を聞いていると)その2人よりも自分のほうが影響を受けてしまいそうで…、実はかなりの飛ばし読みです(ちゃんと読まずに取りあげた小説はこれで2冊めか3冊め)。セッ○ス&バイ○レンスというか、バイ○レンス&セッ○スというか。あと、美奈がちょっと…、こんな女の子っているかな、2030年。

それと、勉強が終わって深夜のテレビを見ながらウィスキー(p.10のへん)って、なんだかおっさんみたいだな。例によって(?)バイク通学。英語(の読解)の勉強をしている場面や、最初のほうには日本史の授業を受けている場面がある。来年落ちたら家業(牧場)を継ぐ約束をしていて、あとはない、2浪はできないそうだ。学校がある街は、ハンバーガー店でもガソリンスタンドでも、同じ予備校の生徒がアルバイトをしていて、「予備校がなければこの街は機能しないようである」(p.299)って、どんな街だよ、いったい?(汗)。

アパートの隣人に恵まれない、というのは、浪人生にかぎらずあるかもしれないよね。どうすればいいのか。とりあえず、時間的に利用できるかぎり自習室を利用するとか。
 
古本屋でこの短篇が収録されている文庫本(複数あるようだ)をけっこう長いこと探していたのだけれど、結局見つからず。それで、近くの図書館に置かれていたのが、単行本(ハードカバー)の『アルファルファ作戦』(中央公論社、1976)だけだったので、いま手元にあるのはそれです。

現役受験生の「おれ」が、予備校生の姉(由井雪子)とその姉にふられた形になっている大学生(松平伊豆夫)をけしかけて、予備校対大学の喧嘩というか“戦争”を起こさせる、というような話。ドタバタな感じだし、シュールな感じでもある。――お薦めかと訊かれれば、…うーん、どうかな、個人的にはあまりお薦めしないです。ドンパチ、がどうも好きになれない。

後ろの「あとがき」に、

 <[(引用注)昭和四十二年の]『SFマガジン』十月号に書いた「慶安大変記」は、学研の学習誌に書いたものを書きなおした作品である。>(p.253)

とある。この「学研の学習誌」というのは『高○コース』かな。調べればわかるかもしれないけれど、語り手が高校3年生だから、少なくとも『中○コース』ではないような気が。というか、どれくらい書き直されているかわからないけれど、この短篇、中高生向けのお話という感じはちょっとしない、少なくとも「教育」的な話ではないような気が。勉強の息抜きとしての読みものとしても、ちょっとどうなのかな、と思う。

あと、自分の年齢的な問題があって時代背景がよくわからない(年齢のせいではなく教養がないだけか)。作中の年代は、いちおう昭和52年(1977年)らしいのだけれど(p.80)、書かれたのは、昭和42年(1967年)とのことで、その両方の年くらいの学生運動ってどんな感じだったのだろうか(1977年ってもうかなり下火でした?)。学生運動だけを考えても駄目か、社会的な事件とか、ほかにもいろいろとあっただろうし。

そう、時代的なことも関係するかもしれないけれど、女性差別的な発言が多い、この小説。姉・弟のきょうだいで、弟のほうではなく、姉のほうが浪人生という設定はちょっと珍しいかもしれないけれど、(逆に?)それはそういう女性差別的なことに由来するのかもしれない。(最後のあたり、姉については、なんだこのオチは? みたいなことも思う。)

最後に。どうでもいいと言えばどうでもいいことなんだけれど、予備校の規模が気になる。小説の冒頭は、

 <おれの家の隣に、大きな予備校ができた。『慶安予備校』という予備校で、鉄筋コンクリート八階建、建築面積千五百八十平方メートルという馬鹿でかい予備校だ。>(p.76)

となっている。これが姉の通っている予備校だけれども、それはいいとして。朝・昼・夕・夜の四部制で、学生は10万人もいるらしい。――ちょっと多すぎて収容しきれないような気がする。(平均すると10万÷4÷8=3125。各階に、例えば200人入る教室なら、16教室も必要になってしまう。というか、1580?ってどのくらい?)

[追記]その後、文庫版『アルファルファ作戦』(中公文庫)は手に入ったのだけれど、上の作品は『自選短篇集1ドタバタ篇 近所迷惑』(徳間文庫、2002)にも収録されていて、その後ろに付いている「自作解説」(というか日下三蔵氏による作者へのインタビュー)によれば、初出は「慶安の変始末記」というタイトルで『高三コース』1966年12月号であるようだ。作者は当時、Yゼミ近くの森ビルに住んでいたらしい。
 
同名書(河出書房新社、1974/河出文庫、1981)所収。全集か何かでも読めるのではないかと思う。いちおう最後まで読んだけれど(だいぶ前だけれど)、読んでいると変な影響を受けてしまいそうで、元気なときに読んだほうが賢明かもしれない。もちろん(?)ふつうに勉強してふつうに大学へ入ろうとしている浪人生には、あまりお薦めできない小説かと思う。

「地図」というのは、とりあえず、文字通りの意味では(比喩的な意味はあるだろうけれど)、ノートに作っている、新聞を配っているさいに気に入らない家とかがあると×印を付けたりするもの。×印の家へいたずら電話もしたりする。鬱屈しているというか、ふつふつとしているというか、ひと言で言ってしまえば、危ない少年、という感じかもしれない。自分のことは「新聞配達の少年」とも規定しているけれど、自分が「予備校生」であるとも繰り返し言っている。ただ、にもかかわらず、学校にはほとんど行っていないらしい。予備校のテキストとかノートとか、教科書、参考書などは頻繁に出てくるのだけれど。部屋(主人公は住み込みで働いている感じ)は30歳すぎの女々しい感じの男と相部屋で、お布団は汗やら精液やらが染み付いているものらしい。大学へ入ってどうなる? みたいなことも言っているし、苦学はしているかもしれないけれど、疲れていてそのうえ時間もないなかで勉強するといったいわゆる苦学生(のイメージ)ではない。いまどきの高校生とかが読んでどう思うのかはわからないけれど、青春小説といえば青春小説である。

季節は……最初は10月くらいか。大学はいちおう受けるのかな、この人(吉岡くん)。
 
大和書房、2003。まだ文庫化されていないのかな、だいぶ前に図書館で借りて読んで、改めて、古本屋で単行本を買ってしまったのだけれど。内容は、物語性も、深みもあまりないような気がするし、お薦めかと言われれば、うーん…ちょっと、という感じ。トラウマという感じではないけれど、ちょっと後ろ向きな小説でもあるかもしれない。何度も書いているような気がするけれど、明るい小説が好きなんです、拙者。※以下、いつものようにネタバレしているのでご注意ください。

予備校講師の川野(川野芳)が、借りたはずのマンションの部屋へ行ってみたところ、なかから学生風の若い男が出てきて、あなたは詐欺にひっかかったんですよ、みたいなつっけんどんなことを言う。それで、いろいろ考えた結果、ルームシェアをしないか、みたいなことを提案して、強引にいっしょに住み始める。場所は都内で、「T大」の近くらしい。――よく知らないけれど、いわゆるボーイズ○ブな、BL系な小説といえばそういえるのかもしれない。学生風の男は、真木(真木敦)と名のる予備校生で、実は川野が勤めている予備校の生徒であることがわかる(偶然なのだから仕方がない)。描かれている学校はなんとなく高校っぽいかな。クラスは「国立理系を狙う上位クラス」(p.29)とのこと。学校では大きな眼鏡を掛けていて、浮いた格好をしていたりする。眼鏡をはずすと実は的な……お約束か(汗)。1つ屋根の下からしてもうお約束だけれど。

真木は「S県出身」で、地元には元同級生の浦里(浦里亨)という恋人(?)がいるらしい。奥さんと別れてまだ数ヶ月の川野は、男には別に興味はなかったらしいのだけれど、バイ○クシャルらしい真木の兄(寧)にけしかけられたりして、ちょっとその気に。あと、そう、なんだかよくわからないけれど、お料理がおいしそうな小説かもしれない。そういえば、服装の記述も細かいかな。女の子向けの小説という感じがするけれど、ただ、学校の女子学生、山口さんはちょっと偽悪的な感じに描かれている。――なんていうか、どうも好感を持てる人物があまり出てこないような。川野にしても真木にしても。

現役のときに大学(T大、理系)に落ちた理由は、「二次試験の前日に急性盲腸炎で入院したから」(p.22)とのこと。よくわからないけれど、病気にしろ事故にしろ、試験当日のトラブルが理由で不合格になる(あるいはそもそも受けられない)みたいなケースは、漫画とかライトノベルとかで多いような気もする。試験って(日本では)冬に行なわれることが多いから、実際に風邪くらいならよくあるのかもしれないけれど。「急性盲腸炎」ってかなりの低確率? この小説は、いわゆるライトノベルではないかもしれないけれど。1浪しての結果(合否)も、書かれているけれど、それは伏せておいたほうがいいかな(ラスト2ページ)。

[追記]その後、文庫版が出る。だいわ文庫、2009。
 

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