北杜夫 「異形」

2007年9月17日 読書
『星のない街路』(新潮文庫、1973)所収、8篇中の4篇目。この本には単行本情報が書かれていないけれど、初出(というか、雑誌掲載情報)は各篇の最後に書かれていて、この1篇は『新潮』の1959年7月号に載ったものらしい(あまり関係ないけれど、同誌の前月号には、途中までは浪人生小説の安岡章太郎「相も変らず」が掲載されている)。感想は、意外と面白かったというか、けっこう面白かったです。([追記]収録作がわからないけれど、『星のない街路』という文庫本は、中公文庫からも出ているみたい(1969年)。[訂正]1969年に出ているのは文庫ではなくて、単行本のようだ。中公文庫からも出ているのかな?)

終戦の翌年、季節は(山なので寒いけれども)秋。喬(たかし)は、受験に3度失敗しているという松本の高等学校(松高)に入ることは諦め、でも、登りたいと思っていたアルプスに、憧れの松高の帽子(旧制高校といえばやっぱり帽子か)をかぶって登っている。記念登山……ではなくてなんて言うのかな、残念1人パーティというか失恋旅行というか? どれも違うか(汗)。そもそも松本の高校を受験した理由が、山に登りたかったかららしい。

で、泊まろうと思って(寝ようと思って)足を踏み入れた山小屋で、花崎三郎と名のる、山高(山形の高校)の寮の炊事部委員で、全国の高校をまわっているという人物と出会う。タイトルの「異形」というのはたぶんその花崎のことで、どこか動物(獣)っぽくて、表情や声、言っていることなどが不気味で(?)普通ではない雰囲気を漂わせている。喬は花崎に帽子を見られて「あんた松高生じゃないか」と言われるのだけれど、思わず肯定してしまう、みたいな(よくある?)展開に。そのあとは――ネタバレしすぎてしまうから書けないけれど、その怪しさ満点な花崎が本当は何者なのか、みたいな。喬くんが何もされずに無事でいられるか、みたいなサスペンスな空気もあるかな。

後ろのほうで「テンプラ」という言葉が出てくる。帽子をかぶっているだけで、テンプラ(テンプラ高校生)なのかな? 「テンプラ学生」というのはふつう、学校にそこの学生のふりをして勝手に入り込んでいる人、くらいな意味? いずれにしても、だいぶ前からあまり聞かない言葉であるような。あと、受験というか松高を諦めた理由は――引用したほうが早いかも、

 <「いま会社に勤めてる。アメ公の会社で給料はいいんだ。初めは腰かけでもう一度高校を受けるつもりだったけど、会社にはいってみるとそういう気持ちはなくなっていくよ。僕はもう諦めたんだ。あとはせっせと働くよ」>(p.145)

いまでいえば外資系?(違)。働きながら勉強するという二足のわらじ(?)も大変だろうけれど(仕事で疲れて勉強どころじゃない、とか)、給料その他、現状もまんざら捨てたもんじゃない、みたいな感じなのかな? 仮面浪人の人がほかの大学を受験するのを諦めるとき、そのドロップアウト理由も、もしかしたら似たような感じが多い? いま通っている(籍のある)大学でもまぁいいか、みたいな?
 
「しょしん」ではなく「うぶ」? ほかの本でも読めるかもしれないけれど、図書館にあっていま手元にあるのは、『川上宗薫芥川賞候補作品集』(近代文藝社、1983)。収録作5篇がすべて落選作というある意味ですごい本なのだけれど(『笙野頼子三冠小説集』の逆?)、「初心」は2番目に収録されている。初出は書かれていなくて、別に調べたところ、これは1954年下半期の候補作であるらしい。たぶん雑誌掲載も同じ年であると思う。作中の年も水素爆弾の実験云々と言っているので、たぶん同じ年。

ストーリー自体はたいしたことがなくて。2度目の大学受験失敗後、心癒されるために訪れていた鎌倉の叔母のもとから東京へ戻ってみると、家に新しい女中が来ていて、要するにその子のことを好きになって、もう1人の女中や両親の目をかわしつつ、アプローチを試みるけれど…、みたいな話。「初心」なだけでなく初恋でもあるんだっけ? いずれにしても失恋で終わることが目に見えている感じ。文体というか文章は、個人的には読みにくい箇所がけっこうあったけれど、意外と古さは感じなかったです。

主人公・宏の志望大学は「最難関と言われる官立の大学」とのこと。官立(というか国立)で最難関であれば、常識的に考えて東大かな。志望理由は、その大学を出ていて実業界で成功している父親(沢田)がほかの大学を受けるのを許してくれないから、らしい。2浪に突入した理由は、そのことにも関係していて、

 <宏には、親の意向を黙殺してまで他の大学に入らねばならぬ根拠はどこにも見出せなかったが、と言って、最難関の大学を是が非でも突破しようという気組の方は更に薄かった。(略)それに、宏は、学科以外の本を沢山読み過ぎていた。>(p.80)

とのこと。本の読みすぎ(要するに勉強していないの)はいいとして、やっぱり将来の目標や夢がない感じではある。何かあれば動機付けになるだろうし、場合によっては両親(お母さんはクリスチャン)に反抗できたりするだろうけど。「性格」は若干お坊っちゃんっぽいのかな。個人的に女中(お手伝いさん)がいると聞くとどうも家が金持ち、みたいなイメージがあって(汗)。あまり関係ないか、ちょっと古めの小説を読んでいるとけっこう出てくるし(cf. 安岡章太郎「青葉しげれる」、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』など)。宏の女中への恋も、社会的な身分が違うからどうのこうの、といった感じではそれほどないような。でも、まぁそうなのか。貧しい漁村出身の女中(都留)は雇用主の息子に手を出したら首になってしまうらしい。

家族というか家には、繰り返しになるけれど、両親と女中2人(もともといる三千代と新しくきた都留)がいる。あと、そう、犬を飼っている(秋田犬、名前は…「レツ」か)。ぜんぜん関係ないけれど、犬を散歩させるときに「鎖」のままさせていている。リード(紐)に繋ぎなおしてあげればいいのにね。約半世紀も前の小説だからなのか、紐を「鎖」と言っているだけなのか(どっちでもいいけど)。季節は春くらいから最後、梅雨時期まで進んでいる。自宅浪人ではなく予備校へは通っている(時代的に予備校にはあまり女の子がいない? だから近場で?)。

勉強についてはあまり書かれていないような。してないと言えばしていないのかもしれない。最初のあたりの、水爆実験事件・騒動に対する宏の気分(<日本国中が大変なことになればよい>、p.81)は、あれと同じか、1999年の受験生が「恐怖の大王」の降臨を望んだり、降って来なかった結果、残念がったりする気分。要するに勉強したくない、という現実逃避?(な、だけではないような?)。
 
『岬』(文藝春秋、1976/文春文庫、1978)所収、4篇中の1篇目。これもストーリーというか、表面的な動きの部分だけを説明しても意味がない小説であると思うけど、説明すれば、貨物運送会社で夜勤のアルバイトをしながら予備校に通っている「ぼく」のところに、過激派である兄(異母兄、25歳。大学生…ではないんだっけ?)が“潜伏”しにやってくる。アルバイトが公休日であるその翌日、兄とアパートの隣の部屋に暮らす斎藤(主人公とは同じ予備校でアルバイト仲間)と3人で喫茶店に行き、朝食をとっていたところ、この近くにいるらしい占い師を探している(自殺した兄と行方不明の妹に会いたいから)と言う女に話しかけられ、一緒に探し歩くことになるーみたいな話。「ぼく」が住んでいるアパートには睡眠薬を飲んで自殺した吉田はまという占い師がいたらしいけど、探しているのはその人ではないかと「ぼく」が言っても、その女は違うと言って納得しない、みたいな話。

同じ作者による同じく肉体労働浪人生小説「十九歳の地図」よりは、なんていうか、ちょっと風通しがよくて(あくまで比較した場合)読みやすくてよかったです。家族や異性が出てきていちおう会話や行動があるからかな。新聞配達だと「朝」は仕事であるけれど、夜勤であると仕事終わりだからかな。あと、こちらの小説のほうが主人公が(同じく比較した場合)勉強している感じがして、浪人生小説っぽいかもしれない。最初のへんで、暇つぶしであれ、いちおう1度予備校にも足を運んでいるし(校舎に貼られた模試の結果順位を見て、5階建校舎の屋上に行って、玄関で配られたビラをちぎってまいている)。勉強は、小説だからしかたがないけれど、この小説でも、具体的に何をどう勉強しているのやらよくわからない。あ、でも、「ぼく」(下の名前は「福善」)はジャンパーのポケットに「英語の単語カード」を入れて持ち歩いている。具体的な単語はいくつか出てくるのだけれど(しょっぱながabandonであるのはお約束か)、単語数を600語と言っていて、これはちょっとどうなのかな、リングで留めるよくあるタイプの小さな長方形のカードであれば、600語なんて無理ではないかと思う(6束くらい必要?)。それとは違うものなのかな(というか、そんなことどうでもいい)。受験アイテムつながりでは、斎藤くん(1浪の主人公とは違って3浪、21歳)は、『短期決戦・物理のテクニック』という参考書を使っているらしい。実在するのかどうか知らないけれど、まぁ、ありそうな書名かな。

「ぼく」の志望大学は、よくわからないけれど、「一流の大学」っぽい。父親は中学3年のときにオートバイの事故で亡くなっていて、母親はそのあとお座敷の仲居(という名の売春婦)をしているらしい。予備校の駅前の学生援助会で紹介されたというアパート(「富士見荘」)があるのは…というか、占い師を探し回っているのは、私鉄沿線の街。予備校もその私鉄の駅から乗り換えずに行けるようだ。隣の部屋は、一方は斎藤くんが住んでいるのだけれど、もう一方の隣は、つがっている男と女の女の声が聞えてくることがある、みたいな小説にはよくあるパターン。隣の松根善次郎の家からは朝、読経の声が聞こえてきたり、その妻と娘が喧嘩している声が聞こえてきたりする。あと、そう、「はずかしい仕事」をしてきたと言う女(自称「りかちゃん」)と一緒に占い師を探しているのが、3月12日のことらしいのだけれど、この主人公には、入試直前の受験生に見られるはず(?)の焦りがあまり感じられない。兄やその女と行動をともにしていることには、ちょっといらだっている感じだけれど、勉強できる時間が奪われてしまう、みたいなことではいらだっていない感じ。別にそういう人がいてはいけないというわけではないけれど。

(どうでもいいことだけれど、兄がアパートに来た日=3月11日?の夜にはアルバイトへは行ったのかな? なんとなく行っていないような。翌日が休みなだけで、その日は休みではないのでは? それとも連休?)
 
内容的には無関係であると思うけど、作者が同じなので2篇一緒に取りあげておきます。

「ぼくの出発」(『新潮』1980年7月号)
遊びに来ていた近所の女の子(由美、6歳)にいたずらをしたと疑われ、以前から関係がよくなかった家族――父(おやじ)や兄(兄貴)、そして兄嫁(みどり)――からさらに疎まれ、2度目の大学受験に失敗している「ぼく」は、あさっての朝、N県S町にあるT学園という「全人教育」を施している学校へと厄介払いされることが決まっている。そんなタイム・リミットの迫っている主人公の丸1日が描かれている小説なのだけれど、うーん…、どうなのかな、微妙といえば微妙な小説かもしれない。

これは新潮新人賞(第12回)の受賞作(2作)の1作なのだけれど、選評の中で佐伯彰一は「サリンジャー、また「赤頭巾」のヴァイオレンス版、タッチの荒い当世版」(p.78)という言葉を使っている。“浪人生小説”といえばやっぱり、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』なのだろうか。でも、選者の中でいちばん浪人生小説が得意そうな安岡章太郎がこの作品にケチ(?)をつけているのが、ちょっと解せない(選者はほかに大江健三郎、河野多恵子、三浦哲郎)。『ライ麦』&『赤頭巾』と比べるとどうなのかな? まず、1人称小説で1人称が「ぼく」ではあっても、両者ほど語りが“饒舌”という感じではない。『ライ麦畑でつかまえて』といえば、大人や大人を模倣する若者への反抗と、子どもが持つイノセンス(無垢)への憧れ、それを守ってあげたいみたいな感じ…だったっけ? 

大人への反抗・反感などは、父親をはじめ家族へのそれとして現れている。というか、基本的に言語によるコミュニケーションが欠けているかな、この主人公は。そんなことを言ったら小説として成り立たないかもしれないけれど。逆に、子どもに何か救いを見ているかといえば、近所の女の子(名前が「由美」というのが微妙に『赤頭巾』?)に対しては、もう少し一緒にいたら手を出していたかもしれない、みたいな危ない(?)ことも言っていて、小さな子(特に女の子)の中にイノセンスを見ている感じではない。でも、主人公は小さいころに母親が亡くなっていて母親の愛情には飢えているようで、親と一緒の子ども(親の愛情が注がれた子ども)を羨ましく感じているような場面がある。

そう、大人といえば、「ぼく」が家を出て最初に足を向けるが、なんとなく去年通っていた予備校(「S予備校」)なのだけれど、その近くにある本屋で、偶然、諸岡という予備校講師(男)と会う。その講師は「おやじ」の大学の後輩で、「ぼく」は個人教授も受けていたようだ。詩を書いたりもするらしく、気分にむらがあって、要するにちゃんと大人になれていない大人というか。去年、その諸岡の家でキスを強要されたりもしたらしいけれど(微妙にBL?)、「ぼく」はその予備校講師に対しては共感と反感の両方の感情を抱いている感じ。なんていうか、この諸岡みたいな予備校の先生って、実際にもいそうな感じがして、個人的にはちょっと怖い、かな(どういう授業をしているのかわからないけれど、いま21世紀、予備校の教壇に立っているとしたら不人気爆発?)。ちなみに、大学受験(2度目)に失敗した理由は、本人曰く、<(略)ぼくの堕落の一番の原因がS予備校の諸岡にあるとも思っている>(p.108)とのことで、よくわからないけれど、大学合格には“師”とのめぐり合わせも大事、ということなのかもしれない。

“ヴァイオレンス”に関しては、最後の場面(ちょっとネタバレしてしまうけれど)そうでもしなければ話を終わりにできなかった(「ぼく」が「出発」できなかった?)のかもしれないけれど、例えば『ライ麦』の「僕」(ホールデン・コールフィールド)が、小学校の壁に卑猥な言葉を書いた犯人がわかったとしても、たぶんその犯人を衝動的に殴ったりはしなかったと思う。内に秘めた暴力というか鬱屈した感じといえば、出かける前に、想像して変形させた(?)脳内兄嫁をお肴にひとりエッ○をしているし、微妙に中上健次の「十九歳の地図」も混じっているのかな?(関係ないか)。

浪人がらみの話では、ほかに、主人公は諸岡と喫茶店(<ボン>)で話をしたあと、デパートの屋上に行ってから去年予備校で一緒だった明子という女の子の家へ行く。明子は、模擬テストではいつもトップで、講師みんなが太鼓判を押すほど合格が確実だったのに大学には受からなかったらしい(受けたのはT医大)。具体的に何が原因で不合格になったのか、書かれていないけれど、まぁそういう人もいるだろうね。小説としては、その明子の部屋で2人がいちゃついている(?)場面が、なんていうか、いちばんほのぼのしている(「明子」だけに明るい?)感じだったかな。

「他人の領分」(『新潮』1980年10月号)
ユキという1人の女の子について、彼女が東京で下宿を始める先の叔母さんと、地元の高校で同級生だった彼氏とが交互に語っている小説。自分の気持ちをほとんど口に出さない姪/彼女に「わたし」も「俺」も振り回されている感じ。ユキは社会人というか働き始めているのだけれど、「わたし」もいちおう社会人で、「俺」のほうは浪人生。この「俺」は、比較的“饒舌”に語っているかもしれない。話は「わたし」(叔母さん)に関しては、1人称小説によくある、だんだんと語り手の狂気が読者にわかっていくような話かな。主な登場人物が3人いて、要するにお互いの認識のずれや、それゆえ必要なはずであるコミュニケーションもない、みたいな感じかもしれない。もちろん(?)いちばん悪いのは無口な(年齢は18歳でも)思春期の女の子のようなのユキだろうけれど。

ネタバレしてしまうけれど、これも後半、微妙に「○○小説かよ!」と言いたくなってくる話かも。特に「俺」視点では「△△告知」されてしまうわけだし。あれ、地元ってどこだっけ? 「裏日本の地方都市」――もっと具体的に書かれた箇所があったかもしれない(「ぼくの出発」のN県というのは新潟県?)。ユキが身を寄せている叔母さんの家は、「常磐線沿線のA市」とのこと。それはいいとして、「俺」はやっぱり家の人から東京で1年浪人することは許されなかったのだろうか、とりあえず夏期講座を受けるため(という口実で彼女の近くにいるために)上京している。ちょっと引用させてもらうと、

 <S予備校では、今まで見たこともないような難しいテキストといばりくさった講師連中が待っていた。寮にもどれば、かたっくるしい規則ととりすました寮生。>(p.66)

とのこと。予備校の名前がまた「S予備校」だな。「難しいテキスト」で授業にはついていけているのかな。というか、申し込む前に難易度によるコース分けみたいなものはなかったのか? あと、よく知らないのだけれど、こういう夏期講習(講座)を受ける生徒だけを受け入れている専用の予備校の寮ってあるの?(よく覚えていないけれど、高校3年生小説、川西蘭「春一番が吹くまで」ではたしか、浪人生もいる予備校生向けの下宿かなんかを借りていたような)。

現役のときに受からなかった理由は、受験生としては大事な時期に恋愛にうつつを抜かしていたから?
 
新潮社、1996。文学作品ですとか言われれば、そうですかとは思うけれども、なんだろうね、こういう小説は? 個人的にはよくわからないです。とりあえずデジャ・ヴュな感じはする、というか、具体的な名前は思いつかないけれど、昔なんとなく読んだことがある、いくつかの有名な作品のパロディーっぽいというか、劣化コピー的な感じがするというか、一読、そんなような印象を受ける。たんに自分の読みが浅いから、小説の底も浅く感じるのかもしれないけれど。※推理小説ではないですが、以下、いちおうネタバレ注意です。

配置されている文学的な要素(?)じたいに既視感がある、のはしかたがないとして、それらの関連性みたいなことが小説を浅く感じさせるのかな?(わからんです)。文学的な要素というのは、列挙すれば、土地(田舎、方言)や自然災害(大規模な地滑り、現在もゆるく続いている)、宗教――お寺(親鸞『歎異抄』の講演会など)や神社(山の中にある古いもの)、占い師(不気味で預言者的)――、戦争(残留孤児、中国での戦争体験)や人種(中国人、ブラジル人、日本国旗)、女の子・女性(への犯罪的な/残忍な行為)など。小説というのはその手のものを混ぜ合わせれば、簡単に文学チックになってしまうのかなんなのか。

季節は初秋、東京から母方の祖父が暮らす北陸の田舎町、氷江(ひえ)に来て、名門寺院である称光寺に“ホーム・ステイ”している潮子(しおこ、遠藤潮子)が、その寺が経営する保育園の遠足に参加していたとき、不注意で(?)草むらで用を足していた園児、ユキちゃん(ユキコ)から目を離してしまい、見つかったときにはスカートは濡れていてパンツははいておらず、体には腹部と腿にまたがって血のにじんだ歯型がついている。――という、始まりはちょっとショッキングな感じなのだけれど、その後は最後のへんまでたいしたことは特に起こらない小説かな。あらすじを書いても意味がない気がするけれど、潮子視点でいえば、かつての大規模な地滑りによって廃村になっている国見という所で1人暮らしをしている変わり者の祖父(嘉吉)に会いに行って、心を開かせられるかどうか、とか、いなくなった女の子を捜すのに手を貸してくれた地元の土木業者(小川工業)の常務である杉田のことを、潮子は好きになるのだけれど、なんていうか、2人がどうなるのか、とか、そんなような話もある。

終始1つのテーマがある小説なのかよくわからないけれど、1つの筋(話の筋)はないのではないかと思う。いちおう、潮子、杉田、嘉吉のほかに視点人物としては、女の子に歯を立てた、残留孤児の母を持つ中国出身の太一(いちおう高校生)、太一を見逃してあげた、杉田と同じ会社で働く初老の男、瀬尾、潮子の祖父、嘉吉の面倒を見たりしている民生委員の高畠がいる。まぁ、孤独であるらしい太一くんがどうなるのか、とか、お祖父さんが娘にも孫にも心を開かない理由は? とか、そういうことも気になって読み進められる小説でもあるかもしれない。そう、視点が複数ある小説は、やっぱり登場人物どうしの認識のずれ、気持ちのずれみたいなものが書かれていることが多いのかな。この小説でもそうで、例えば潮子と杉田の気持ちはずれている(/いく)感じ。

潮子は浪人生であるようなないような、小説ではよくある状態にある。

 <(略)予備校通いにも身が入らず夏期講習も休みがちだったあげく、来年また受験する気にもなれそうもなくて、行く手がみえないという気分に襲われ出したころ、ふと氷江という土地に行ってみたい、と思った。>(p.7)

東京の予備校にまだ籍があるにしても、これでは、浪人生であると断定はできないか。それゆえ“浪人生小説”としても認定できないような。また、次のようにも考えている。

 <来年の夏、わたしは何をしているのだろう? 大学にでも行っているのだろうか? そんな、つまらない。氷江にいつまでもいたい。はっきり、そう思ってから、自分でおどろいた。>(p.44)

つまらないのか。好きになった相手、杉田と会話をしているときの心中なので、杉田から離れたくないゆえ、なのかもしれないけれど、それでも浪人生という感じはしない。ほかにも、自分のことを<学生でもなければ勤めもしていない風来坊の身分>(p.97)と説明している箇所もある。風来坊…って? 浪人生に「風来坊」というイメージってある? どうでもいいか。でも、事件(?)を起こしてマスコミ報道で取りあげられたりすれば、こういう人も良かれ悪しかれ、なぜか「浪人生」という肩書きがつけられてしまう(世の中って?)。

ちなみに潮子の家族としては、氷江の国見出身の母親のほかに、サラリーマンの父親(娘との関係は淡白らしい)と歳の離れた弟がいるらしい。作中の年は、細川首相がまだ首相を辞めていないようだから、……っていつ?(汗)。雑誌掲載年&単行本出版年が1996年なので、それくらい?
 
中央公論新社、2006。角田光代の書くもの(小説、エッセイ、書評その他)が嫌いなので、何か暴言を吐いてしまいそうな予感がするけれど、でも、この小説は意外と面白かったです。いらいらはするけれど(主人公を後ろからどつきたくなる)、読みやすかったし、いちおう最後まで読み通せました。※以下、いつものようにネタバレしていると思うので、読まれていない方は、ご注意ください。

内容はひと言で言えば(型にはめていいのなら)家族小説。崩壊と再生というよりは、変化? 少なくとも心理的には、いったんバラバラになっている感じ。「私」(谷島里々子)には、「ぴょん吉」と呼びかけている脳内弟(?)もいるけれど、両親のほかに3人の姉(有子、寿子、素子)がいる。姉妹それぞれが描かれているので“4姉妹もの”という感じでもあるかもしれない。『若草物語』とは違うけれど、2番目の寿子(ことこ)はいちおう新人賞を受賞して作家デビューしている。タイトルの「飛行機」はとりあえず、「私」というか里々子(りりこ)がしばしば家の物干し台から眺めているもの。夜であれば明滅している感じ。描かれているのは、1999年の十五夜の翌日(秋)から1年くらい。高校3年生の主人公は(ネタバレしてしまうけれど)大学受験に失敗して、後半くらいから浪人生になっている。

関係ないけれど、「飛行機」といえば「私」は、中学から通っていたお嬢様女子校、Y女子学園(小中高一貫)を高校1年のときにやめて、都立I高校に転校した(で、そこにいま通っている)らしいのだけれど、以前通っていた女子校を喩えて、<ファーストクラスとビジネスクラスとエコノミークラスが目に見えて混在しているような雰囲気>(p.11)と語っている。1度も飛行機に乗ったことがないと言う「私」の言葉としては、若干不自然であるような気が。しませんか? 細かいところに突っ込みを入れているときりがないけれど、ほかにも、わかりやすいところでは、例えば「ABC」とか「非処女」とか。1982年生まれ(早生まれ)の高校生が使うような言葉ではないでしょう? 懐かしさ、昔っぽさを出している小説ではあっても、そんなもので出す必要はないし。(あまり関係ないけれど、コトちゃんが賞をとるのが、『小説飛雲』という雑誌の新人賞。「飛雲」には飛行機雲、という意味も? あるいは、飛雲→ひうん→悲運? それじゃ受賞してもあまり寿(ことぶき)な感じがしないな(汗)。そう、別の出版社の編集者、瀬谷が言う「ロビンソン一家」/「裏ロビンソン一家」って何? 飛ぶ雲のように漂う/漂わない家族? あと、これも関係がないけれど、80、81ページのへん、「黒い猫のぬいぐるみ」+「あわてて大人になんかなるなよ」って『魔女の宅急便』? アラレちゃんにバイキンマンで、時代錯誤的に、最後おばあちゃんの『とっとこハム太郎』でオチているのか。――うざっ! そもそも「ぴょん吉」からしてめんどくさいし。)

ストーリーは、結婚している1番上の有子(ありこ)が出戻って来たり、また家を出て行ったり、3番目の素子(もとこ)が家の酒屋をワインも売るようなおしゃれな店(「リカーショップヤジマ」)にすると言い出して実際にその方向で話が進んだり(家ではなく店だから“入れ物”ではないけれど、家族の変化にともなって家の表の顔(?)も変化しなければならないのか、なんなのか)、あと(ネタバレになってしまうかな)1人暮らしをしていた叔母さんのミハルちゃんが亡くなってお父さん(謙三)が三が日が明けるまで親戚たちには内緒にしておくようにと言い出したり、1番下の「私」には松本健という大学生(I大2年、もともと店のお客)が言い寄ってきたり、予備校の近くの喫茶店(「レインボーカフェ」)でアルバイトを始めてそこでアルバイトをしている大学生、篠崎怜二を好きになったり……など、人が多めに出てくるし、長篇だからまぁいろいろとある感じです。

大学に落ちた理由は、第1志望のI大学(どうして高校と同じイニシャルにした?)の試験前日には素子と一緒に有子の浮気調査のようなことをして、それが敗因にも繋がったようだけれど、受けた大学はすべて落ちたらしく、その他の大学(いわゆるすべり止め)の敗因は……よくわからないけれど、やっぱり家族がらみのこと(姉の出戻り、叔母の死など)で勉強に身が入らなかったから、という感じか? そもそもあまり勉強している雰囲気ではなかったけれど(だいたい進路、受験について考え始めたのが「恐怖の大王」が降臨して来なかったから? ――なんていうか、やんなっちゃうよね)、浪人してからも雰囲気的にはあまり変わらない小説。家族のことだけでなく、好きになった篠崎怜二のことが頭を占めている感じ。予備校がらみのことでは、高3のときは高校の友達、千夏(加古川千夏、I大合格)と一緒に通っているのだけれど、浪人してからは、予備校では友達ができないらしい。――少し引用しても大丈夫かな、たいした箇所ではないし、

 <私は今、十八年間の人生のなかでもっとも孤独である。孤独であるよ、ぴょん吉。/教室は満席だ。(略)隣に座るのは、毎日違う顔だ。話しかけると、ぎょっとしたような顔をする。この場で友達を作ることはどうやら無理な相談らしいと、四月も終わりになって気がついた。>(p.164)

予備校は前年(高3のときに)通っていたところとは別なのかな、同じなら友達でなくても1人くらい知り合いがいそうだけれど。思うに(自分の経験+想像から言って)たぶん5月、6月くらいになると生徒が来なくなって空いてくる授業も出てきて、そうするとみんな座る席もだいたい固定されて、仲良くなれる人とかも出てくると思うんだけれど。そんな都合よくはいかないかな。予備校選びも難しいというか、通ってみなければ雰囲気みたいなことまではわからないかもしれない。勉強以外のもろもろは1年くらい我慢すればいい、みたいに考えている受験生も多いのかも。(堀田あけみの『ボクの憂鬱 彼女の思惑』のように、誰か男の子が話しかけてあげればいいのにね。でも、そのためにはもっと死にそうな顔をしていないとダメか。) コースは「私大文系コース」らしい。必要な受験科目は、英語と日本史と小論文? 理系度ゼロだな。というか、少なくて楽そうだ(だからかえって勉強しない?)。

「私」は最後、いちおう成長している感じ。これもネタバレしてしまうけれど、「ぴょん吉」はいなくなって(早い段階からいなくなりそうな感じだけれど)、いちおう大学進学の新しい目的(p.288、<篠崎怜二をはるかに上まわるいい男と恋愛すること>。――めんどくさ…)も見つかったようで、なんていうか、そりゃ良かったですね、ってなもんです。

[追記]その後、文庫化される。中公文庫、2009。
 
『船上にて』(立風書房、1997/講談社文庫、2001/光文社文庫、2007)所収。手元にあるのは講談社文庫のもの。2/8。短篇だけれど、“ストーカー小説”みたいな感じかな。この作者の小説も今回、初めて読んだけれど、なんていうか、ちょっと微妙…。見かけはちゃんとしている感じなのだけれど、意外とゆるい、ような気が。設定とか。少なくともこの1篇に関しては、どこが面白いのか、よくわからなかったです。※ミステリであるし、以下、ネタバレをしているのでご注意ください。そういえば、少年法っていつ改正されたんだっけ? いま19歳で人を殺すと、どれくらいの罪が課せられるの? もちろんケースによって違うだろうけれど。

予備校には通っていないのかな、浪人生の橋川雪彦(家は病院で、やっぱり医学部志望らしい)は、高校の同級生、林田みどりの姉、ゆかりにひと目惚れして以来、手紙をたくさん出したりと、つきまとうようになっている。で、エスカレートしていって、ついに林田家に入り込んでゆかりを襲う――のだけれど、ゆかりにバットで反撃されてしまう。家に入れた理由は書かれていたけれど、でも、どうして部屋にバットが置いてあるの?(どこかに書かれていたっけ?)。あと(話がとっちらかってしまうけれど)妹のみどりの話し方が、性格が男っぽいのはいいけれど、…ちょっとどうなのかな、これ。例えば、お姉さんが吸っているメンソールの煙草をもらって<「姉さん、よくこんな鼠のすかしっ屁みたいなもの吸ってられるね」>(p.40)とか。いらっとするというか、雪彦くんとは違う(?)理由で嫌いになりそうだ、この女の子。そう、正反対の性格なお姉さんも、いざとなったら意外とバイオレンスな感じで、それも、個人的にはクエスチョン・マーク。

雪彦くん、「努力には慣れている」(p.37)そうで、夏休みの宿題は最後の日に残したりはしない性格らしいけれど、それなら、大学受験はどうして失敗したのかな? 合格しにくい医学部、しかも一流どころを受けたから、なのか。話が戻ってしまうけれど、ストーカー化した理由というか経緯というかもいまいち説得力に欠けているような。林田みどりが言うように「思いつめるタチ」で、受験に失敗して「ちょいとネジが狂った」のだろうか。うーん…。だいぶネタバレしてしまうけれど、1974年4月20日生まれで、今度の4月20日に20歳になるというのなら(作中の月は3月、4月くらいだから)2度目すなわち1浪時の大学受験の結果はどうなったの? という疑問もある。浪人生であるという設定だから、受かっていないわけか。というか、そのせいもあって婚約者がいて自分のものにならない人を襲った?(うーん…)。とりあえず、4月20日ではなくて別の月日にしたほうがよかったのではないかと思う。

家(&病院)はどこだっけ? やっぱり東京か。本籍は「東京都新宿区」とのこと。
 
※ミステリー(というよりオチのあるホラー?)なのだけれど、ちょっとネタをわってしまいたいので、読まれていない方は、以下、十分にご注意ください。

『フリークス』(カッパ・ノベルス、1996/光文社文庫、2000)に収録されている1篇(3篇中の1篇目)。手元にあるのは文庫本。「あとがき」や「解説」に「中編集」とあって、この「夢魔の手――三一三号室の患者――」も中篇小説らしいのだけれど、少なくともこの1篇に関しては、長さ的にはやっぱり短篇といった感じ。作者が中篇(中編)と言っているのだから、別に中篇でかまわないけれど。

で、綾辻行人、初めて読んだけれど、文章がとても読みやすい。1冊だけでは判断できないけれど、でも、世の中の作家が、全員これくらい読みやすい小説を書いてくれればいいのに、とか思ってしまったです。感想としては、やっぱり(?)最後のオチがいまいちかな。推理小説を読みなれていないので、よくわからないけれど、こんな最後なら、いわゆる“夢オチ”のほうがまだましであるような。途中の、タイトルにも関係している、7歳のときの日記で、誰が主人公(神崎忠)の首を絞めたのか、に関してのほうが意外性があったです。二重体児!(びっくりだ――というか、こんちくしょーな感じだ(涙))。

いまは梅雨入りしたくらいの時期、「僕」は「浪人生(しかも今年で三浪目)」(p.8)であると言っていて、本人がそう言っているのだから、別に「浪人生」ということでいいんじゃない? ――なんだか投げやり(汗)。基本的に「浪人生」は自称でかまわないと思う(「予備校生」のほうは、基本的には予備校に籍がないといけないと思うけれど)。小説は、「僕」が病院の精神病棟に入院している母親のお見舞いに来たらしいあたりから始まっている。最後まで読むと、いまがわざわざ梅雨入りの時期である必然性はあるのかないのか、よくわからない。事件があったらしい昨年の6月からずっと、日課の儀式は行なっているのだろうか。であれば、昨年の6月から主人公の頭の中では、現在は翌年の6月くらいになっているのだろうか。あるいは、1年くらい経って儀式が始まって、本当はいまはもっと時間が経過した後(数年後)なのだろうか。←私は何か変なことを言っています? でも、何が事実(としての要素、マテリアル)であるのか、確定しづらくないですか、この小説? そんなことを言ったらホラー小説の何割かはたいていそうかもしれないけれど。ただ、それなら、個人的にはいっさいが夢であった、みたいなめんどくさくないオチのほうがましである気がする。
 
集英社文庫コバルト・シリーズ、1983。なんとなくもっといらいらする小説かと思ったけれど、意外とさらさらと読めてよかったです。なんか最近、小説の評価基準がいらいらするかしないか、みたいなことになっているな(汗)。いらいらしても、面白い小説は多いけれど。※いちおう以下、ネタバレ注意です。

8篇収録されている短篇集。語り手は基本的にハイ・ティーン、高校生から大学生くらいの男の子。仲のよい男友達がいたり、マスターがお兄さんくらいの年齢の、行きつけの喫茶店などがあったりして、好きになる女の子あるいは付き合っている女の子が出てきて……女の子とうまくいかない話よりはうまくいって終わる話のほうが多いかな、どの1篇かに「青春抒情小説」みたいな言葉が出てきたけれど、そんな感じかもしれない。ひと昔前の(70年代後半から80年代前半の?)薄味の青春恋愛小説みたいな感じかも。最初の4篇は、北海道は札幌市が舞台。6篇目は彼女が札幌にいるけれど、6篇目から8篇目は東京に舞台を移している。浪人生が登場するのは、いちおう5篇目から7篇目。6篇目と7篇目は予備校生が語り手。

「風の影はセリリアン・ブルー」(5篇目)
北大生の「ぼく」(神崎諒)は去年の冬休みに、上智大生の水沢有希と知り合って(いちおう高校が同じだったらしく、正確には再会して)いまは遠距離で付き合っているような、そうではないような。この夏、彼女が帰省している間にキスをしたい、したほうがいいのではないか、みたいな状態にある男の子、なのだけれど、なかなかできないみたいな話。なんていうか、ちょっと懐かしいかな、こういう小説。昔、読んだことがあるようなないような。で、そんな「ぼく」の友達として、2浪中の吉沢という高校のときの同級生が出てくる。「ぼく」の家に遊びにきて、曰く「……おれ、大学受けるの止めたさ」(p.165)。脇役だけれど、大学受験ドロップアウト系? やめた理由は、自分は受験向きではないから、とのこと。高校のときから得意だったギターに専念するらしい。そんな会話のあとで「ぼく」たちはいつものように野球ゲームに興じている(余韻というかこれが抒情か?)。ドロップ・アウトして音楽の道を選ぶ浪人生が出てくる小説としては、清水義範『学問ノススメ<自立編>』など参照。小説ではないし、ちょっと古いけれど、ミュージシャンが19歳くらいのときに何をしていたかについては、宇都宮美穂『19(ナインティーン)』(ソニー・マガジンズ文庫、1994)なんかも参考になるかもしれない。大学受験なんて関係がない無頼な(?)音楽関係者が多し。見習うべし?

「雪の翼はミルクセーキ・ホワイト」(6篇目)
<年がめくれて80年代がひょっこり顔を出すと、さすがに予備校はサッキ立ってくる。>(p.180)と始まる短篇。通っている予備校が渋谷の「道玄坂予備校」ってなんかちょっとすごいな(そうでもない?)。「おれ」(=三井聖)の志望は、予備校仲間の2人――女好きで軽めの(?)風見と九州出身で道玄坂予備校3年目の「会長」――と同じで、早稲田の政経。よくわからないけれど、3人とも勉強はしていない感じ。「おれ」は5篇目の話とは逆に、北海道に高校のときから付き合っている(ようないないような?)彼女、青井碧(北国大生)を残して来ている。――今邑彩「恋人よ」(『時鐘館の殺人』)を読んでも思ったけれど、この人も上京しないで地元で浪人すればよかったのにね。1979年、Yゼミ(札幌校)ってもうあったんじゃなかったっけ? 大学に合格してもしなくても、少なくとも(彼女のほうが大学を卒業するまでの)3年間は離ればなれなわけだよね。「おれ」というか聖(せい)のほうが、早稲田を諦めて北海道の大学を受けれるとかすればいいのか。大学受験よりも恋愛のほうが大事!……なこたない? そう、3浪生「会長」のほうは、早稲田をやめて地元の自宅から通える博多のR大を受ける、と言い出している。3浪というのは、なんていうか、夢(第1志望)を諦めさせる時期なのかな、だいたい浪人自体が、3浪くらいが上限であるような気がするし(大学全入時代の昨今は2浪くらい?)。でも、試験日がかぶっていなければ、受けるだけは受ければいいのにね、早稲田。というか、いちおう受けるのかな。

「あしたもサルビア気分」(7篇目)
これも微妙に……別に微妙にではないか、昔よくあったような話かもしれない。Aくんは、BくんとCさんが好きどうしであると思っていて、Cさんからは身を引いているのだけれど、実はCさんはBくんではなくAくんのほうが好きである、みたいな。ネタバレしてしまうけれど、この前読んだ小室みつ子『彼女によろしく』とか、昔のTVドラマなら『東京ラブストーリー』とか(たしかそんなような話じゃなかったっけ? 織田、江口、有森)。家は儲かっていない開業医で、Y予備校(これも渋谷のへん?)の医歯進系クラスに通う「おれ」(石野聖)は、父親と進路で対立して、ただいま家出中。高校3年のときになんとなく気があっていた仲間の1人、現在はS大文学部英文科に通う才色兼備な円のところ(女子寮!)に転がり込んでいる。――医学部に進むのをやめるのはいいとしても、友達(のちに彼女?)が通っている大学学部を新しい志望にするっていうのはどうなのかな? なんか腑に落ちない。でも、そういえば、自分が浪人しているときにいたな、「どうして○○大を受けるの?」と聞いたら、「友達の××が通っているから。あいつが受かるならオレも受かりそうだから」みたいなことを言っている人。別に珍しくはないのかも。「おれ」というか聖(しょう)には、2ヶ月前に予備校の夏期講座で知り合って、付き合っている(ようないないような?)高校3年生の女の子――河合留美、家は儲かっているらしい開業医――がいるのだけれど、医学部進学をやめると言ったところ、ふられてしまうというか、顔はよくないみたいだけれど、予備校の模試で連続5回1位、東大医学部も間違いないらしい三橋克彦(長野県出身?1人暮らし?)に電光石火で乗り換えられてしまう。この女の子もちょっと変なのかな、そんなに焦らなくても大学に入ってから跡取り婿養子を探せばいいのにね(あ、あれ? 別に結婚相手を探しているわけではないのか)。あと、大学受験は関係ないけれど、高校のときに気の合っていた仲間のもう1人で、聖が円が好きだと思っている相手、B大生の久保に誘われて、聖くんはB大の学園祭(いま季節は秋なのか)で手相見をしている。――占いって簡単にできるぼろ儲け出し物なのかな、少し前に読んだ小説、いちおうサークル(易学研究会)に入っているけれど、高須智士「運命を辿って」(『君を、愛している』)なんかも儲かっている感じだし。そう、書き忘れていたけれど、小室みつ子『彼女によろしく』のお父さんもなかなかいい人だったけれど、この短篇のお父さんもなかなかいい感じです。
 
『出社拒否宣言』(立風書房、1995)として出ていた単行本(?)が改題されたものらしい文庫、『敢えて出社せず』(ノン・ポシェット、1999)所収の1篇。7篇中の6篇目。小説としてはどうかと思うのだけれど、だいぶ前に読んだことがある同じくお父さん小説、重松清の「かさぶたまぶた」(『ビタミンF』)よりはまだましであると思う、タイプがぜんぜん違う小説だけれど。※内容をけっこう書きたいので以下、ネタバレ注意です。

父親(日野文太)は、勉強していないらしい浪人2年目になる息子(俊太)を、母親(紀美子)に頼まれたりもして、勉強するように説得を試みるのだけれど、うまくいかない。そうこうするうちに息子というか俊太は、去年予備校で知り合ったいまは大学生になっている彼女(三上由紀)のもとに転がり込んでしまって家に帰ってこない。お父さんというか文太は(お母さんもだけれど)家に戻るように俊太を説得に行き、でも、やっぱりうまくいかない。俊太くんはどうやら小説を書いていたらしく(だいぶネタバレしてしまうけれど)、何度目の応募かわからないけれど、新人賞(「文芸現代」の新人賞)を受賞することができて、会社(東西デパートの池袋支店)では出世コースから外れているお父さんも、ちょっと鼻たかだかみたいな、最後はほぼハッピー・エンドで終わっている。←あいかわらず下手なまとめでもうしわけない(涙)。

お父さん目線だけれど、大学だけが人生じゃないさ、みたいな話なのかな、これ。浪人生小説としては明らかに、ドロップアウト系。『文芸現代』という雑誌がどれくらいの知名度がある小説雑誌なのかわからないけれど、とりあえず新人賞が受賞できれば、ちょっとうだつはあがる感じだよね。下手したら女の子に食べさせてもらうような無職か、フリーターみたいなことになっていたかもしれないし。この人の場合、小さい頃から家庭新聞みたいなものを書いたりとか、才能はあったような感じだけれど。でも、やっぱり小説としては(?)ちょっと結果オーライな気はする、うーん…。話が戻るけれど、主人公というかお父さん的には――後ろの解説(成田守正)から引用させてもらえば、

 <「息子の学歴」は、大学進学とは別の選択で自身の道を切り開いた息子に、親が教えられるというもの。サラリーマン社会では大企業であるほど、学歴がものをいう。そのことを知っていればこそ親は子供をいい大学に入れようとする。しかしそのときすでに、親は子供に会社の論理を押しつけているともいえる。>(p.282)

。お父さんというか文太は、家庭の事情で大学へは行かせてもらえなかったらしい。俊太のお兄さん(雄大)も少し出てくるのだけれど、そちらは文太の意にだいたい沿っている感じ(O大に現役合格、いまは山下電機に勤めている社会人2年目)。でも、お父さん本人が出世できないから(いまの仕事はお客とのトラブル解消係)、息子には、という身代わり願望的なことだけでなく(それならはわかるけれど)、ほかの社員との人間関係(見栄のようなことも含めて)も関係していて、そちらに対してはちょっとどうなのかな、とは思う。すなわち、会社の論理というか世間の論理な感じ? 例えば、同僚や上司から息子さんは何をしているんですか、と聞かれて、しぶしぶ、いや浪人です(えへへ?)みたいに応えなくてはいけないバツの悪さ――確かにめんどくさいか。ある程度、名の知れた大学に入っていてくれれば…、みたいなことは思ってしまうかな、確かに。というか、人のことはぜんぜん言えないな、自分も浪人していたとき、両親に対して肩身の狭い思いをさせていたような記憶がとてもある。職場、親戚、隣近所――世間というかで。
 
『依存姫』(主婦と生活社、2002)所収。4篇中の2篇目。予備校を半年で辞めてフリーターをしている女の子が、1人のホストにはまってどんどんお金が必要となり、風俗店でも働くようになるみたいな、ある意味ではダメになっていく過程が描かれた小説。話自体は、TVのドキュメンタリー番組とかによくありそうな感じ、かな。最後のほうはかなり痛々しい感じになっています。本のタイトルにある「依存」という言葉では、個人的にはずれてしまうようにも感じるけれど、どうなのかな。でも、まぁ「依存」といえば「依存」なのかもしれない。ホスト依存症?

あたたかくもあるけれど、ぬるい家や地元を出て、東京へやっては来たものの(予備校は「お茶の水にある予備校」とのこと)、やっぱり退屈。――なんていうか、「生きている実感」を求めている若者は、気をつけたほうがいいよね。この人(「あたし」=文香)の場合は、ホストクラブのホスト(慎吾)だったわけだけれど、お薬とか、怪しい宗教とか、犯罪にも絡むような怪しい活動団体(cf.以前取りあげた遠藤周作の小説がちらっとそうかな)とか、実感がすぐに得られるよ、みたいな、接近をしてくる人たちがたくさんいそうだから、ビッグシティ東京は。あと、友達(春菜)と一緒に上京しているのだけれど、女の子2人ってどうなのかな? 忍び寄るもろもろの危険(?)に対してお互いがストッパーになればいいんだけれど、この人たちはなんていうか、ゆるゆるで、その逆な感じです。

ところで、ホストクラブ……にかぎらないか、お金を使えば使っただけその場で喜ばれる、というのはわかりやすいやね。例えば、受験勉強で単語を覚えれば覚えただけ、それがすぐに結果に反映されるかといえば、そうではないし。次に受ける模擬テストの結果が微妙によくなったりはするかもしれないけれど、結局のところ、大学は受かるか落ちるかで、地味な勉強をしても、すぐには「これで大学合格に一歩近づいた!」みたいな実感は得にくいかと思う。そういえば、最近はあまり聞かなくなったような気もするけれど、ほめるのが大事、みたいな子育て論・教育論がいっときはやったよね、1人で勉強していても誰も誉めてくれないもんな。

逆に(?)このホストの慎吾くんはかなりの長期計画です、1年以上もかけて主人公を完全に、自分の許にお金を運ばせるだけの存在に変えている。こういう人はどういう死に方をするのか、気にはなるけれど、それは措いておいて。そう、文香さんのほうも、だまされているにしても、やればなんでもできる、というか、かなり頑張れる性格なのにもったいない。努力が自分のところにゆくゆくちゃんと還元されるような頑張り方をしたほうがいい、と言うのは簡単だけれどね(うーん)。「あたし」はその後、どうなったのかな。まだ20歳だっけ? ――慎吾が誰かに刺されて死ぬとか、推理小説的な展開をとりあえず、期待しておきたい。
 
光文社、2005/光文社文庫、2007。だいぶ前に図書館で借りて1度読んで、今回、文庫(購入)で再読。とても面白いし、あちこちで笑えるのだけれど、なんていうか、ほとんど皮肉に感じてしまって…。藤野千夜も(多和田葉子とか伊井直行とかと一緒で)個人的には、素直に好きだと言えない作家かもしれない。でも、やっぱり面白いし、お薦めかと尋ねられたら、いちおうお薦め、みたいには答えると思う。5点満点なら4点くらい、かな。※いつものように以下、ネタバレにはご注意ください。

 <部屋に野菜の名前のついたアパート。A号室はアボカド、Bはブロッコリー、Cはキャロット、Dはダイコン。ドアの内側には微妙な問題が。大家の山本さんは四人家族。四十代の両親、予備校生の息子、高校生の娘、こちらもいろいろあって……。住人たちと大家さん、二つの視線は絡み合いすれ違い、それぞれに季節は巡っていく。芥川賞作家の傑作小説。(略)>(文庫の表紙カバーより。)

家族小説&アパート住人小説、という感じ? 大家さんの山本家の一員としては、あと、息子のタカシや娘のさやかが帰ってきたとき、鎖をジャラジャラさせて喜ぶ犬のシッポナがいる。――連作短篇集なのだけれど、本の後ろのところを見ると、「季節」というか作中の年月はだいたい初出(『小説宝石』)のそれと対応しているようだ。

 「アボカドの娘」 2001年12月号
 「ブロッコリーの日常」 2002年10月号
 「キャロットの二人」 2003年3月号
 「ダイコンの夢」 2003年10月号
 「アボカドふたたび」 2004年7月号
 「さよならベジタブル」 2004年10月号

結局4年くらい進んでいるのか。ちょっとネタバレしてしまうけれど、最初、予備校の午前部に通う浪人生だったタカシは、もう1年浪人して最後は私大の経済学部に通う大学生(2年生かな)に、高校生だったさやかは最後、浪人生になっている。息子だけではなく娘にも浪人させているあたり(さすがは藤野千夜?)ジェンダー的にはフェアな感じがする。でも、やっぱり娘というか女の子のほうが、ちゃんと勉強している感じ。このぶんではたぶん(もちろんわからないけれど)2浪はしないのではないかと思う。あと、浪人生としては、タカシの高校の同級生で予備校仲間だった鶴田(元音大志望、でも家が医者で医学部志望に)が、タカシが受かったあとも浪人(3浪)している。

浪人生小説としてはどこが読みどころなのかな? とりあえず読んでいてあちこち面白いことは面白いのだけれど。そう、どれくらい一般化できる話かわからないけれど、「キモイ」を連発する高校生の妹が、浪人生の兄に対して抱いている感情とかも面白い。あ、タカシに関してはいちおう、恋愛がらみの話が多いようだ(でも、恋愛小説としてはだいぶ無理をしないと読めないかな)。2篇目(「ブロッコリーの日常」)では、予備校で(1浪のときに)知り合って付き合っていた女の子(吉本ゆり、いま大学生)からふられていて、彼女を忘れられずに引きずっているのだけれど――引用してもだいじょうぶかな、ふられたさいの言葉が、これも面白いといえば面白い。

 <「タカちゃんはさー、なんかずるずるしちゃうタイプだから、私なんかと遊んでないで今年は勉強したほうがいいと思うんだよねー、だってやばいよね、もう二浪なんだしー、っていうか、普通しなくない? 二浪。まあねー、そういうのも偉いことだとは思うんだけど、文系はそのへんで限界だよねー、将来就職とかもできなくなっちゃうよー」>(p.43)

なんでこんな女の子がタカシの狭いストライクゾーンのど真ん中なのか(どうしてタカシの理想なのか)とか、読者の認識に疑問を生じさせる感じ?(だから面白くはあるけど、うーん…という感じ)。「っていうか、普通しなくない? 二浪」って、ある種の女の子らしい残酷な言葉だよね。この前まで一緒に遊んでいたくせに、もしかしたらそっちだって2浪していたかもしれないのに? なんていうか、人生の岐路に立っている浪人生をふるさいは、ふる側もある程度、相手の今後の人生に関わるようなことをしているんだ、みたいな認識が欲しいよね。……そんな重い話はいいや(汗)。タカシくんは、このあと2人の女の子(ミエ、高山カナ)と付き合っている。3人目くらいでよい人が見つかる、みたいなことも小説的にはパターンなのかな。そう、関係ないけれど、3人目のカナ(大学生だっけ?)と大学生になったタカシが出会う場所が、乃南アサ『あなた』の主人公、川島秀明がカンナと出会う場所と同じで、自動車教習所。二股、三股当たり前!みたいな秀明よりは、タカシくんの女性遍歴(?)のほうが好感が持てるかな、というか、タカシのほうがふつうなのか。(あと、これも関係ないけれど、タカシが逃げようとしている2人目の、最初専門学校生であるミエに対して、「くねくねしている」という形容がされていたと思うけれど、この、あまり好ましくない女の子に対する「くねくね」は、確か角田光代も使っていて、よくわからないけれど、慣用的な定番フレーズなのか?)

場所については、東京は東京らしい。具体的なアパートがある場所とか、さやかが通っている予備校の場所とか、これも東京に詳しい人ならちゃんと特定できるのかもしれない。(1のキャロットの2人、なつ美&美加が以前住んでいたのが、下高井戸だっけ? その隣の町ってどこ? やっぱり無理、私にはわからないです(涙)。)もっといろいろ書き忘れているような気がするけれど、まぁいいや。この小説、人がたくさん出てくるし、ごちゃごちゃしているし、いまさらだけれど、感想がちょっと書きにくいかもしれない。
 
角川文庫、1988。出版されたのが80年代の後半、やっぱりちょっと古さを感じるというか、空気、雰囲気に時代を感じるけれど、でも、それほど悪くないのではないか、と個人的には思う。ただ、「小説」としてはどうなのかな、ちょっと微妙といえば微妙であるし、さっぱりめ、薄めな感じではあるかもしれない。

男の子2人と男の子っぽい女の子1人の、仲のいい3人組がメインになっている小説なのだけれど、表紙カバーの折り返しのところの紹介文は――引用してみれば、

 <何んでもすぐにあきらめちゃうのっていうのはダメ。一生懸命頑張って、頑張って、頑張る男の子って素敵!/わたし菜々緒。気が強くてわがままみたいに見えるけど、女の子って本当は繊細で、心優しいものなんだよ。/吉郎、成章、菜々緒。三人とも浪人生。でもまだ人生は始まったばかり――。/三人トリオの恋と友情とうっとおしくも心楽しい浪人生活を描く、書下し青春ストーリー。>

となっている。この、本文の雰囲気とはまったく違う、しかも、本文では男の子1人(=吉郎)視点なのに、女の子視点に変わってしまっている文章はいったい何? 文章の悪さについては人のことがまったく言えないけれど、例えば「あきらめちゃうっていうはダメ」みたいな日本語も個人的には無理(涙)。なんだろう、昔の少女向けジュニア小説の文体なのかな、これ。あと、「一生懸命頑張って、頑張って、頑張る男の子って素敵!」というのは、本文のどのあたりと関係しているのやら…。あ、逆に受け取っているのか。本文中で菜々緒(関口菜々緒)が言っているのは、頑張らないやつは大嫌い、とか、やってみもしないうちから負けを認めているやつが嫌い、みたいなこと。もう1点、「吉郎」は、本文の初出のときには「よしろう」とルビがふられているのに、この紹介文では「よしお」となっている。お父さんが「伸郎」で「のぶお」だから混じってしまったのか。こういう漢字の読みの異なりは、何か別の小説文庫本の紹介文でも見かけた覚えがあるけれど、どうなのかな…? ま、たんなる誤植かもしれないけど。

で、浪人生小説としてはどうなのかな? 5月の初め、最初のあたりの浪人生トリオの会話の場面とかは、ちょっと読めるかもしれない。でも、大学を女の子(想いを寄せる異性)に喩えて「ふられる」――みたいな話は、やっぱり時代を感じてしまう。いまの18歳くらいの人は使うのかな、これ?(若くないのでわからんです)。「大学にふられる」みたいな言い方自体は(知らないけれど)もっとずっと昔からあったのではないかと思うけれど。あと、吉郎くん(根本吉郎)がちょっと考えている話題、浪人生というのはやっぱり不幸な存在、不運な存在なのだろうか? ――客観的には決められないだろうし、そう思うか思わないかは、どれくらい努力してどれくらいの自信を持って(現役のときに)大学を受けたかにもよるかと思う。具体的な名前が思い出せないけれど、この吉郎くん以上に不幸を感じている浪人生が出てくる小説が何かあったと思う。予備校については、3人とも同じところに通っているらしいけれど、模試の結果(成績)が張り出されているのを、眺める場面が描かれているくらい。

家族に関しては、吉郎はお母さんは亡くなっていて、お父さん(=伸郎、「のぶお」と読む)と2人暮らし。お父さんの恋人(片山則子)も出てきたりするのだけれど、再婚するかしないかみたいなこととかが受験勉強のさまたげになる、みたいなことにはなっていない。お父さんも、息子をけっこうほっといてくれる性格っぽい。成章くん(木田成章)のほうがちょっと大変らしく、1人息子で家というか父親のあとを継ぐことを期待されている(大学の商学部、または経営学を教えてくれる専門学校でも可)のだけれど、絵が描きたい(というか部屋中にすでに描いている)……みたいな小説にありがちな状況に陥っている、らしい。最後まで読んでもまだオヤジさんとはぶつかっていないままらしい。もう1人の菜々緒の家庭環境が、よくわからないな。妹(美緒)は、なんていうか、元気な高校生としてちらほら登場してきているけれど。そう、関係ないけれど、住んでいるのはマンションの5階らしいのだけれど、家族暮らしの部屋の向かいが、どうして大学生の1人暮らしの部屋なの?(広さが違うにしてもちょっと違和感が…ないですか?)。

ネタバレしてしまうけれど、恋愛がらみでは(というかそちらがメインか)、吉郎くんは、菜々緒の向かいに住んでいて吉郎が「ふられた」大学(R大)に通っている小倉加寿子(2つ歳上)に、想いを寄せるというか、彼女のことがちょっと気になって、付き合うまではいかないのだけれど、結局、ふられてしまう。加寿子(かずこ)は高飛車な感じで、ちょっと嫌な性格として書かれている感じだけれど、なんていうか、やっぱり浪人生の敵は大学生、みたいな感じなのかな?(特に現役で合格した人は、浪人生の気持ちがまったくわからない、みたいな?)。一方の成章くんのほうは、大学受験とは関係がないけれど、画材屋の店員の女の子(ちいちゃん=林千鶴)と、とりあえず付き合いだす……のだけれど、でも、みたいな感じ。成章については、最後、まだ結論が出ないまま終わっちゃっている。そういえば、全体的に、吉郎と成章が対照的に描かれていそうで、でも、そんな感じにはなっていないな(それほどではない感じ)。

場所は例によって、東京。“東京小説”、ちょっと世の中に多すぎだよね。もっと地方が舞台の浪人生小説を読みたいな。描かれているのは5月の初めから、えーと、夏くらいまで?(ちゃんと読み直さないとわからない)。あと、書き忘れたことは――、そう、菜々緒さんは、浪人生小説の定番、バイクに乗っている。吉郎くんのほうは、レースにも出られるような自転車。志望も書き忘れたかな、よくわからないけれど(どこか書かれていた? 見落としたかな)、吉郎も、英語が得意な菜々緒も、なんとなく私立文系っぽい。

これ、続編って出ていないのかな、出ていれば読みたいな。
 
河出書房新社、1990/河出文庫、1993。対照的な性格の双子の姉妹それぞれによって、相手に対する気持ちやら、それに絡んだ自分の気持ちやらが語られているような小説。愛情とか憧れや尊敬とかコンプレックスとか、依存心みたいなものとか。

 <ボクは山中美奈、18歳。四人姉妹の三番目。女の子なのに自分のことを「ボク」ってよぶのは、ボクが一卵性双生児の片割れだから。いつも隣に、同じ顔をして同じ服を着てお揃いのリボンまでつけた妹の美穂がいるという状況では、ボクが自己主張しなければボクはボクとして認めてもらえない。で、「ボク」とよぶことにしたのだが、ボクの前に予備校生の本多が現われて…>(文庫表紙カバーより)

この姉(「ボク」、美奈)によって語られているのは前半の「ボクの憂鬱」。後半の「彼女の思惑」は、視点というか語り手を替えて双子の妹(「私」、美穂)によって語られている。前半後半(の2篇)とも同じ時期のことが書かれているのだけれど、なんていうか、芥川龍之介の「籔の中」のような証言がずれていて面白いみたいな感じではないです。

妹というか美穂の側から言うと、同じ予備校に通う本多くん(本多一臣)と仲良くなって、好きになるのだけれど、本多くんのほうは姉の美奈ちゃんを好きになって。でも、少女漫画にあるような(って本当にあるのか?)恋のライバルどうし、三角関係みたいなことではないらしく、美奈ちゃんであれば喜んで協力する、みたいなことを言っている。でも(ネタバレしてしまうけれど)結局、美奈ちゃんは自分の気持ちに素直に(?)本多くんをふってしまう。――お姉さんの側からすると、最後まで読むとそんなふうに読めるのだけれど、もう社会人(和裁の会社に勤めている)であるし、20歳も近くなっているし、「ボク」という1人称を捨てるか捨てないか、みたいな話でもあるのかな(違うか)。(単行本が翌年に出ている、松村栄子『僕はかくや姫』の表題作って、最後どうなるんだっけ? 女子校に通う高校3年生が主人公の小説。……思い出せないや、「僕」を捨てるんだっけな。)

お姉さんのほうは措いておいて。妹の美穂は、小さい頃から大人しい性格で、受験に失敗したのは緊張のせいらしい(滑り止めでも試験の1ヶ月前からどきどきしてしまうらしい)けれど、浪人中に好きな男の子ができたり、それと絡んで、活発な双子の姉のことを少しまねたりもして(「美奈ちゃん化計画」)、自分に自信をつけるというか、そんなような感じで、結局(これもネタバレしてしまうけれど)大学には無事に合格する、みたいな話かな。現役受験のときには、本命の国立大学を、学校の先生からだいじょうぶと太鼓判を押されていたにもかかわらず、落ちてしまって。そうしたら、先生が家まで謝りに来たらしい(そこまでする教師っているのかな?)。学力的には問題がないわけだし、緊張といっても、精神的な病気まではいっていないわけだから、受かるのも当然は当然かもしれない。ちなみに、現役のときは第1志望には落ちたけれど、滑り止めに受けた私立の大学3つには合格していたらしい。でも、高い授業料とかを考えると、1年浪人して国立のほうが親に負担をかけないと判断して、浪人することに決めたらしい。(たまに見かける、生涯獲得賃金みたいなことを考えて、私立でも現役で入ったほうが得、みたいな計算もあるけどね。ちょっとというか、だいぶ古いけれど、小峰元の小説には1年浪人するといくら損するのか具体的な金額も書かれていたような。)

そういえば、浪人生の女の子が主人公の小説で、1年くらいというか、ちゃんと大学受験+合格発表まで描かれている小説って、これくらいしか読んだことがない気がする。もしかしたら珍しいかもしれない(だとしたらどうして? やっぱり浪人の世界はマッチョな世界なのか、なんなのか)。そう、女の子はやっぱり得だなと思ったのが、本多くんに初めて話しかけられるのは図書館なのだけれど、それ以前に本多くんは予備校で同じ授業のときには近くの席に座っていたらしい。その理由というのが、下心がなくはなかったみたいだけれど、「私」というか美穂が死にそうな顔をしていたから、だそうだ。これが男女逆であればたぶん、ありえないよね? 教室に死にそうな顔をしている男の子がいたら、女の子全員が避けて座りそうだものな。でも、この本多くんがちょっと変わっているのかな、そうでもないか。でも、意外と紳士的な男の子な感じがする、なんていうか、丁寧な話し方とかがつがつ(?)していない感じとか。

あと、浪人生が主人公の小説ではよくあるパターンだけれど、主人公をいやな気持ちにさせる大学生が登場している。高校のときの同級生ですでに大学生になっているいちおうの友達、木本と本屋でばったり会ってしまう。――相手の“攻撃”を見てみようか、

 <「でもさ、大学生ってのも、そんないいものじゃないしい。お金かかるしさあ。下手な服じゃあ、恥ずかしくて学校にもいけないしい。大変だしねえ、勉強の方も。つきあいもこなさなきゃいけないし。美穂が羨ましいくらい」>(p.158)

自分が大学生でまだ浪人している元同級生に対して絶対に言っちゃいけないような言葉ってあると思うんだけれど、そのうちのいくつかが見られる感じ。「大学生もいろいろ大変だ」とか、「浪人生がうらやましい」とか。大学生にとってそれが事実や本心であるとしても、言うべき言葉ではないと思う。お金持ちの人が貧乏人に対して「金持ちも楽じゃない、税金を払うのが大変だ」みたいなことを言うのと似ているかな。貧乏な私――冗談抜きで明日の我が身はネット難民かもしれん――なんか、怒るでほんまにおいこらってなもんです。あと、清水義範の「続・イエスタデイ」では、同人誌を作っている浪人中の主人公が、そんなことをしている場合ではないだろう、みたいなことを元同級生から手紙で言わたりしている(言われなくてもわかってるってば!)。でも、美穂はこのあと相手に言い返したり、彼女には大学生になっているもっとまともな友達(宮内由起江)もいたりする。

家があるのってどこかな、ちゃんと読めばわかるかもしれないけれど、作者が堀田あけみだからなんとなく名古屋っぽいのかもしれない。会話には方言は使われていないけれど。作中の年代は、姉パートの始まりで、<女の子が自分を「ボク」と呼ぶのは、十年くらい前の流行だと思う。あの頃は松本ちえこがそういうタイトルの歌、歌ってたものな。>(p.9)と言っているので、(私にはよくわからないけれど)わかる人にはわかるのかもしれない(でも、ふつうに単行本の出版年くらいでいい?)。

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ぜんぜん関係ないけれど(どうしても書いておきたいことがある)、この感想を書こうとしているときに、コーラの入ったコップを左ひじで思いっきり倒してしまって。床に積んであった文庫本80冊くらい(40冊くらい×2山)が、コーラにまみれてしまって(涙)。しかも、けっこう横からかぶってしまって、ページを開くところとか、だいぶ茶色くなっちゃったよ(あーあ)。まだ読んでいない新刊のものとか、気に入っているものもけっこうあったし、よくある話かもしれないけれど、ひさかたぶりの大ショックな出来事でした。
 
ジグザグノベルズ、2006。まあまあよくできたエンタメ系の小説という感じ。期待していなかったせいか、意外と面白かったです。読みどころは、アクション・シーン? 個人的にはそれがちょっと長く感じてしまって…。あ、※以下、いつものようにネタバレ注意です。

内容はサイズミックなあとのサイキックというか、エモーションというよりはモーションというか。「首都圏大震災」の2年後、国による「フェニックス計画」でだいぶ復興してきた東京を舞台に、「前編」は「超能力研究所」の生き残りの1人で、「念動力(サイコキネシス)」の能力を持つ18歳の予備校生、日向みつきが、同じく生き残りであり、別の超能力を持つ昭月綾と大地瑶子の助けを借りて、巻き込まれた(というより自分から首を突っ込んだ)事件を解決する、みたいな話。「前編」よりも長めの「後編」は、復興計画を立案して成功したものの、いまは閑職(?)に移動させられている官僚、久瀬隆平が、みつきたちと出会って、本人のミスのせいなのだけれど、彼女たちとともに各国の諜報機関から狙われる、みたいな話。「前編」は、特に犯人――みつきと同じ予備校に通っているらしい松本泰紀(2浪、バイクに乗っている)――の犯行の理由とか、TVの2時間ドラマっぽい感じがする。「後編」は、カー・チェイスとか、空を飛びながら(みつきは空も飛べる)戦闘機から逃げる場面とか、ちょっと(というかだいぶ?)ハリウッド映画っぽいかもしれない。あるいは、何かアクション・シーンのあるアニメっぽくもあるかな。

去年というか今年(昨年度)、大学に落ちたのは、失恋のせいであるらしい。試験前に受験生が失恋する小説って何かほかにもあった気がするけれど、これほどはっきりと書かれているものは初めて読んだかな。同じ予備校に通う国立大学志望の男の子を好きになり、自分も同じ大学にいこうと猛勉強して、偏差値、成績的には指導員(チューター)から太鼓判を押されるほどあがったらしく、心配はまったくなかったものの、センター試験の直前に告白したところ、「俺に用事? あんた、誰?」(p.18)のひと言で失恋してしまい、そのショックから「夜も眠れず食事も喉を通らず、著しく体調を崩したままで」(p.18-9)試験を受けて、その結果、浪人が決定した、とのこと。うーん…、「淡い恋心」ではしかたがないのかもしれないけれど(?)、「あんた、誰?」とか言われたら、平然と「これこれこういう者です、好きです」とか言い返せばいいのにね。というか、そもそもそんなものの言い方をする男の子をどうして好きになったのやら、ちょっと疑問。

あと、同じ大学に入れそうになったから(やっと彼と釣り合ったから)といって、だいじな試験前に告白しちゃダメだよね、どうして大学に入ってからにしかなったのか?(「同じ予備校に通ってましたよね?」とか言って接近?)。それに、センター試験に失敗したとしても、その男の子と同じ大学に行く必要がなくなったわけだし、ほかの大学を受ければ(志望を変更すれば)合格して浪人しなくてもよかったかもしれないのに。(そのあたりのことについて――国立の2次試験とかについてぜんぜん書かれていない。)浪人していても、成績的にはなんの問題もない、下がらなければいいというのは、浪人生小説の1つのパターンではあるけれど。でも、そう、猛勉強の結果、得たものもあって、それは目を悪くして、眼鏡(!)らしい。空飛ぶ眼鏡キャラ……ってどうですか?(萌えですか?)。地味な性格で目立たず、人から顔を覚えてもらえないけれど、でもよく見れば可愛い、というのは、ちょっと少女漫画っぽいかな。

小説だからあまり突っ込んでも虚しいけれど、みつきが浪人生であるという設定自体に、ちょっと無理がある気がしなくもない。15歳で「研究所」を抜け出して、それまで学生の経験がまったくなかった、って、小学校、中学校はどうしていたの? 施設には誰か勉強を教えてくれる人がいたのか? 「高卒認定試験」――「大検」と書かれていない小説は初めて読んだ、今年は2007年、今後増えていくとは思うけれど――に合格しているらしいけれど、そもそも小・中学校を出ていなくて、その試験は受けられるのか?(わからんです)。とにかく2、3年くらいで、ほかの高校生、浪人生と同じくらいの学力を身につけるのは、よほど頭がよくなければ、無理である気がする。

ストーリーとあまり関係ない話ばかり書いてしまったけれど、…まぁいいか。あと、いつも書いているようなことを何点か。そう、書き忘れていたけれど、いまはゴールデンウィーク目前の晩春。作中、あまり日数は進まない。家――養父母と3人暮らし――は八王子にあって、みつきは立川の予備校に通っている。どうして立川なのかな? 八王子にだって予備校はあるだろうにね。関係ないけれど、もっと都心にある予備校は、震災によって建物的な被害とか、けっこうあったのかな?(どうでもいいか)。学校には、けっこうちゃんと通っている模様。思うに、基本的に女子浪人生のほうがまじめだよね(偏見か?)。志望大学は、これもちゃんと書かれていないけれど、文系で、東大やお茶大よりは低いところらしい。アルバイトはコンビニで細々としているらしい(家の経済的な理由からか?)。将来の夢とか、就きたい職業については書かれていない(隆平との会話が多少というか漠然と参考になるかもしれない)。
 
「青い月」には「ブルームーン」とルビが。<スカーレット・パラソル>というシリーズの1冊目らしい。講談社、1990/創元推理文庫、2004。手元にあるのは文庫(後ろの解説によると「新版」らしい)なのだけど、携帯電話とかが出てくるので、時代的に考えてだいぶアップデートされている模様。それで、感想はといえば、うーん…、子ども向けの小説、という感じかな(感想じゃないか)。悪い意味ではなくて、児童文学というか児童書というか。私のようなおっさんが読むような小説ではないかもしれない。それほどつまらなくはなかったけれど。そう、最近、文字がけっこう詰まっている佐々木丸美の『崖の館』(同じ創元推理文庫から出ているだけで他意はない)を読んだばかりだからか、改行が多いのが最初、ものすごく気になったです。※以下、いつものようにネタバレ注意です、すみません。

 <愛梨を、将来オリンピック選手まちがいなし、っていわれるほどのスポーツ万能少女に育てたのは、自分の跡をついでもらおうというおばあ様の深謀遠慮だったとは! 彼女の家は代々、「奪うは悪、悪を制するが善、奪うを懲らすは正義」を家訓としてきた義賊の家系だったのだ。二代目・紅蝙蝠としてデビューしたスカーレット・パラソルの前に立ちふさがるは、名探偵・武市大五郎の孫!>(表紙カバーより)

怪盗vs.名探偵の2代目どうしの対決、という感じかもしれないけれど、(ネタバレしてしまうけれど)対決の場面自体は、ちょっと拍子抜けというか、漫画みたいな感じでした。浪人生、武市六平(ろっぺい)のほうもじいちゃんから探偵業を教わるのだけれど、スカーレット・パラソルこと、高校生の阿藤愛梨(あいり)が、おばあ様から泥棒業について教わる感じが、なんかちょっといいと思う(雰囲気的に梨木香歩の『西の魔女が死んだ』っぽさ、もあるかな)。そう、高校生のわりには、喩えに昔の映画をよく持ち出していて、映画(古典映画?)が好きなのかな、この人。

最初、愛梨の視点で最後まで書かれているのかと思ったら、途中から六平の視点に。通っている予備校は、高田馬場のへん? 文化の日に休日講習に出てバイク(浪人生小説の定番アイテム、バイク!)で家へ帰る場面で、「早稲田通りを、高田馬場から早稲田方向に向かってホンダ・シャドウスラッシャー四〇〇を走らせ」(p.127)ている。それとも、高田馬場はただ通りすがっているだけなのかな(別にどっちでもいいや)。そのまま家に帰っているので、家の場所もわかる(でも、説明しづらいな。ま、読んでください)。お母さんは喫茶店(『レベッカ』)を開いている。お父さんは山岳事故で亡くなっているらしい。おじいさんは探偵なのだけれど、開いている事務所は開店休業状態みたいな感じ。――それはそれとして。六平くんが去年大学に落ちた理由は、本人曰く「遊び過ぎた」かららしい。自分の「実力なら、絶対、だいじょうぶだと思った」そうで(成績的には十分受かるところを受けたのかもしれない)、過信もあった感じである。あと、受験生にとって大事な(?)夏には「受験勉強そっちのけでアルバイトして貯めた金でバイクを手に入れた」(p.129)そうで、バイクは「遊び」とも関係するのかもしれないけれど、アルバイト自体も敗因になっているのかもしれない(だいたい免許をとるだけでも、高校3年生、勉強時間を削られてしまうだろうし)。まとめれば、遊び+バイト+バイク+過信みたいな感じ? でも、今年は去年の倍は勉強しているそうなので、来年は期待ができるのかも(性格的にはもう1年くらい浪人しちゃいそうな気配だけれど)。

描かれているのは、文化の日(11月3日)の前日の20日前……細かいことはいいや(汗)。要するに10月から11月の初めくらい。なので、六平の合否はわからずじまい。後ろの解説(戸川安昌)で少し内容が書かれているのだけれど、シリーズ2作目の『聖夜は黒いドレス』では、まだ「現在一浪中」であるらしい。タイトルの「聖夜(ノエル)」って、1作目の翌月のクリスマスのことなのかな。(読めばいいのかもしれないけれど、本屋で注文したら、問屋にも出版社にもない、と言われてしまって。たった3年前に出た本がそんなに早く品切れ・絶版になるの? うーん…。インターネットであれば、どこか残っているオンライン本屋があるかもしれないけれど、拙者、アナログ人間みたいなものだから(涙)。そういえば、1作目はどうしたんだっけ? よく覚えていないけれど、古本屋で手に入れたのだったっけか。)
 
創元推理文庫、2006。もともとだいぶ前に講談社から出ていたものらしい(単行本、1977/文庫、1988)。1冊しか読んでいないのでよくわからないけれど、「<館>三部作の第一弾」であるとのこと。読みにくくはないと思うけれど、けっこう字が詰まっていて(これで650円ほどならお買い得かな)、読み終わるのに(例によってとても遅読なので)かなりの時間がかかってしまった。――それはそれとして、※以下、いつものようにネタバレにはご注意ください。

 <財産家のおばが住まう<崖の館>を訪れた高校生の涼子といとこたち。ここで二年前、おばの愛娘・千波は命を落とした。着いた当日から、絵の消失、密室間の人間移動など、館では奇怪な事件が続発する。家族同然の人たちの中に犯人が? 千波の死も同じ人間がもたらしたのか? 雪に閉ざされた館で各々推理をめぐらせるが、ついに悪意の手は新たな犠牲者に伸びる。>(カバー後ろより。)

少女趣味的というか、女の子的な甘ったるい語り口(川上弘美系でも小川洋子系でもない、あるいは両方混ぜたような感じ?)は、個人的にはそれほど嫌いではないのだけれど、詩や絵画・彫刻などについて語られたり、交わされたりする芸術論がなぜか読んでいてぜんぜん頭に入らなくて…。個人的にはかなり無理な感じ、高校や大学のときのつまらない授業を聞かされているような、しかも暖炉的な暖かさ(?)に包まれてどうも眠くなってくる。芸術論だけではなくて、文章が全体的に、修辞的にまわりくどくもなっている。日ごろ、翻訳ものの小説とかを読みなれていないから、こういう文章が読みにくく感じるのかもしれないけれど。

毎年、夏と冬におばさんの館に集まっているらしいいとこたちは、2年前の冬に亡くなっている千波ちゃんを除いて計6人。年齢的には、上は29歳の研さん(研一)・真一さんから、いちばん下は17歳(高校2年生)の「私」(涼子)まで。そういえば、千波ちゃんを入れて7人の血縁関係がどうなっているやら、最後まで読んでもわからない。少なくともその7人のなかにきょうだいはいないらしい(ということは、おばさんは7人以上きょうだい? それとも、亡くなった旦那さんの兄弟の子どもも含まれているのか)。それで――このブログは小説中浪人生を取りあげるブログ(やや嘘)なので――、年齢がいちばん近く、「私」が密かに(でもバレバレな?)想いを寄せているらしいのが、浪人生の哲文君。志望大学というか学部というかについては、親とかが医者なのかどうかはわからないけれど、おばさんや(登場してこないけれど)両親からは医学部に入ってほしいと思われていて、でも、本人はどちらかといえば美大に入りたいと思っているみたいな、小説ではよくあるパターン。ただ、そこらへんの浪人生小説とは違って、生前の千波ちゃんに触発されたり、鍛えられたりして(?)芸術についてあれこれ知識があったり、語ることもできたりと、けっこう具体的である。おばさんは、財産がある人ならではの(?)「はじめに好きな勉強をさせて次に医学の勉強をさせる」という大学を2つ行かせる案(もともとは千波ちゃんと研さんが考えたものらしい)も頭にあるようだけれど、ま、いずれにしても、哲文君、いま試験がかなり近いはずの冬なのに(館にいる間は息抜きという感じなのかもしれないけれど)せっぱつまった感じがまったくない。浪人生なら勉強しようよ?(みたいなことはあまり思わない小説だけれど、でも、やっぱり勉強しようよ?)。あと、そう、道化的な感じではないけれど、哲文君はいちおう事件について考えを披露したりする演説キャラになっている。

推理小説としてはどうなのかな、この小説。私は“ミステリ読み”ではないのでよくわからないけれど(と逃げておきたいけれど)、トリックとかがメインな小説が好きな人にとっては、やっぱり無駄が多いという感じかもしれない。その無駄に思える部分(少女趣味的修辞部分?)がよい人と思える人にはよいのかもしれないけれど。視点というか語りが「私」オンリーなので、その点では読んでいてちょっと単調な気がするかな。そう、千波くん……じゃなくて、千波ちゃんが書いていた事件日記がやっと見つかったと思ったら、その文体がいままでとほとんど変わりなくて、ちょっと脱力。

[追記]3部作の2冊目、『水に描かれた館』もやっと読み終わったのだけれど(※以下、ネタバレ注意です)、これは1冊目の2ヶ月後、たぶん3月下旬くらいの話らしいのだけれど、哲文君は精神科医をめざす医大生(札幌医大)になっているらしい(創元推理文庫、p.211など参照)。でも、それだとどこかおかしいような気が…。3月ではまだ大学が始まっていないよね。うーん、よくわからん(まぁいいか)。「私」(涼子)との年齢差はたしか3つだっけ? であれば、たぶん浪人期間は2年で終了。
 
講談社、2000/講談社ノベルス、2003/講談社文庫、2004。「続」ではないほう(正編というか)もこの『続・〜』のほうも、1話完結型のものが4篇(4章)収録されている。要するに連作短篇集というか、連作短篇シリーズというか。垂里家の長女、冴子がお見合いをするたびに事件が起こる、みたいな話。――それはいいのだけれど、事件が起こるまでが(お見合いをするまでが)けっこう長くてめんどくさい。いや、別に長いこと自体はいいのかもしれないけれど、その部分がたいして面白くない。読んでいてそれほどいらいらはしないけれど。もっと面白い小説なのかと期待していたので、それほどでもなかったというだけ、というか、(正編の文庫版解説を加納朋子が書いているのだけれど)なんとなく雰囲気的にいわゆる“日常の謎”系のミステリーかと思ってしまって、読んでみたら違っていて、がっかりな感じ。(正編の最初のほうの、お父さんのケーキに対する推理はいらないよね。これが日常系を連想させるのかな。)※言い忘れましたが、今回もネタバレにはご注意ください。

あと(なかなか本題に入れないな)、なんていうか、和洋ごっちゃというか、和洋溶け合わずにごろごろと混ざっているような。例えばこれも正編の冒頭あたり、冴子の16歳離れている弟、高校生の京一が庭に椅子を出して桜(=和)が咲く下で翻訳ミステリー(=洋)を読んでいることとか。あと、わかりやすいところでは、いつも和服姿の冴子がプラスチックの眼鏡(=洋?)をかけていることとか、タイトルなんかも「お見合い」(といえば日本的?)と「推理」(といえば論理的な思考が得意そうな西洋?)の2つの言葉が同居しているところとか。家があるのは神奈川県の観音市、近くに米軍のベース・キャンプがあったり、次女の空美はそこの黒人兵士と付き合っていたりして、そもそもお土地柄からして和洋(日米?)ごっちゃな感じ、なのかな。個人的には、もっと溶け合っているような感じのほうが好き。あるいは、どちらか一方に統一されているほうが。

浪人生小説としての読みどころとしては、まず(『続・〜』の)1篇目、「湯煙のごとき事件」の冒頭。京一が掲示板を見上げて自分の受験番号が見つからない、という場面。正編があるからかもしれないけれど、大学に落ちた場面から始まる小説って、意外と少ないような気がする(そうでもない?)。あと、そう、合格発表は友達と見に行っちゃダメだよね、友達は受かっていて、京一くん、自分だけ落ちていてばつの悪いことになっている。家に帰ったあとの家族の反応とか、夕飯の席が(京一の今後のことで)家族会議化するとか、なんていうか、この小説、やっぱり“家族小説”という感じなのかな(そもそも、冴子のことを家族のみんなが心配するような小説であるし)。で、次女の空美の提案をきっかけに、残念パーティではなくて(両親は行けなくて)きょうだい3人で伊豆に温泉旅行に行くことに。そこでいちおう事件が…。というか、湯治? 受験の疲れや不合格の傷が温泉で癒されるって、理由はどうあれ、おっさん的な発想だよね。いけないってわけじゃないけれど。(さっそく春期講習へ! みたいなことは思わないか、ふつう。)

もう1つ、3篇目の「動く七福神」のほうは、全体的にお薦め。京一の仲間の予備校生が何人か出てくる。時期は、年の瀬=親しくしている古文講師(榎本彰)が開いた鍋パーティーから、年始=初詣とかまで。受験生小説では初詣は定番中の定番かな、お正月が描かれていれば。――ゲン担ぎや思い込み(?)みたいなことがテーマの1篇なのだけれど(受験生といえば、神頼みというイメージ?)、私は初めて聞いた、家の表札を4件盗むと試験通る=合格する、みたいなゲン担ぎって、本当に昔あったの? うーん…、聞いたことがないな(表札なんか盗まずに、某キッ○カットを食べてきっと勝つ、くらいで我慢しよう?)。だいぶネタバレしてしまうけれど、京一くんは想いを寄せている仲間の1人、真紀(岡田真紀)にふられている。そう、京一くんは私大志望らしい(センター試験は…受けたとは書かれていないのか)。あと、推理小説のたぐいを読んでいるとたまにあるけれど、この1篇も、七福神を動かした真犯人が捕まらないまま終わっている(こういうのってどうなの? 小説にもよるか)。
 

五條瑛 『J』

2007年7月30日 読書
徳間書店、2007。エンターテインメント系の小説としてふつうに面白い、と思って最初のうちはつるつる読んでいたのだけれど、途中から飽きてしまって。けっこう厚い小説なのだけれど(400ページを超える)、できれば半分くらいに縮められないのかな、こういうのは?(無理なのか…)。最近ちょっと小説を読むこと自体に飽きてきているので、そのせいもあるかと思うのだけれど、読みやすくても疲れてしまう。そう、読みやすいのだけれど(つるつるというかどんどん読めるけれど)、あまり先を知りたくなるような小説ではないかな。※以下、例によってネタバレにはご注意ください。

毎日のようにどこかでテロが起こっている東京。秋生(あきお、上山秋生)は将来の目標もなく、渋谷をぶらぶらとしている若者の1人なのだけれど、ある日、謎の女性――あとで「ジェイ」と名乗る――と知り合い、意志の強そうな彼女の影響からか、強くなりたいみたいなことを思うようになって、たまたま見かけたジムに入り、キックボクシングを始める。水を得た魚ではないけれど、そのジムには尊敬のできる憧れの先輩(久野)がいて、将来の目標(久野と試合をすること)もできて、要するに、秋生くんに注目すれば(1視点小説ではないのだけれど)、成長小説という感じかもしれない。なんていうか、言動の軽いふらふらとした悩める若者も、適切な場所さえ見つけられれば(あるいは、与えられれば)、急に、けっこう素直ないい子になってしまうのかなんなのか。秋生くん、いちおう予備校生らしいのだけれど、6月を最後に予備校には行っていないらしい。最初のあたりは10月くらいかな(描かれているのは最後、クリスマスまで)。ちなみに1人暮らしで、実家は横浜とのこと。一人っ子らしい。アルバイトもしていて、原宿のホテルで清掃係をしている。そう、受験がらみなことでは、秋生とはまったく関係なく、予備校の講師(山縣勇太)もいちおう登場している。都内の「大手ゼミナール」の講師とのこと(予備校といえば「何々ゼミナール」みたいなイメージなのか)。

全体的なこととしては、人がけっこう死ぬ小説、かもしれない。テロが絶えないような都市が舞台だからしかたがないのかもしれないけれど。あと、なんとなく女性が比較的、肯定的に描かれているのに対して、男性があまり肯定的に描かれていないような。男で肯定的に描かれているのって、秋生がかっこいいと思っている久野さんくらいか。ま、最近の小説は全体的にそんな傾向があるのかもしれないけれど。ネタバレしてしまうけれど、あまり肯定的には描かれていない時津寄子もライカも、憎める男を殺してから捕まったり死んだりしていて、そういうのはいったい何? 女は犬死(?)させられないみたいなこと? (関係ないけれど、ほかの人に対してもそう思うけれど、特にライカは最後、本当に死ぬ必要があったのかな? うーん。)

あと、そう、ぜんぜん関係ないし、人のことは言えないけれど、ときどき日本語がちょっと気になる小説だったかな。いちばん気になったのが「〜するかのように」というフレーズ。文脈的に使用法がちょっとおかしい所が2箇所くらいあったような。自分の日本語のセンスのほうがおかしいのかもしれないけれど。

[追記]その後、サブタイトルが付いた文庫版も出ている。『J 少女たちは破壊を謳う』徳間文庫、2012.4。
 
講談社ノベルス、1991。古本屋でけっこう探したのだけれど、見つからず。手元にあるのは図書館本です。※いつものように以下、ネタバレ注意です。

プロローグとエピローグを除いて全9章からなる小説なのだけれど、第一章の章題が「受験生、暁に死す」となっていて、冒頭は若者4人でアパートでお酒を飲んでいる場面なのだけれど、うちわけは大学生が3人で、浪人生が1人。――そりゃ、論理的な帰結として浪人生である田中くんが死んじゃうよね、かわいそうに(?)。とりあえずこの1章は(全体的にも)主人公と言える、W大生(理学部)の雷太(戸田雷太)の視点から書かれているのだけれど、なんていうか、複雑な気持ちがあるにしても、先に大学に合格した友達(中学から1浪まで一緒の友達)がまだ合格していない浪人生に対していかに冷たいかがわかる小説である。恋愛関係というか受験生どうしで付き合っている場合でもどちらかだけ浪人してしまうと関係がぎくしゃくしてしまうことが多いけれど(小説の話です)、友達関係・友情関係でもどうやら同じことが言えそうな? 少なくともこの小説では2人の関係に「亀裂が入りはじめている」(p.10、上段)そうだ。雷太と田中(田中良)のほかに、この雷太のアパートでの飲み会に参加しているのは、雷太とW大で同じゼミに所属するちえみ(麻生ちえみ、現役合格)と、雷太と田中の友達で、ほかの大学(文系)に通っているらしい鈴木(鈴木高雄)。要するに、雷太・田中・鈴木の高校時代の親友どうしの3人と、雷太が連れてきた歳が1つ下の女の子のちえみの計4人が飲んでいる。――第一章の1(第1節というか)の最後、

 <(略)。三人ともつい半年前まで受験勉強でいじめられていただけに、受験勉強の象徴ともいうべき田中の存在が、疎ましく感じられたのかもしれない。>(p.13、下段)

と言っているのは、やはり本音なのだろうか。忘れてしまいたい、あるいは美化してしまいたい過去を思い出させる存在……大学生にとっての受験生ってふつうそうなのかな? うーん…。浪人生はやっぱり分が悪いというか、逆に現役受験生にとっては目にしたくない明日の我が身かもしれないし。この小説ではでも、田中くんの絡み方が悪かったというか、絡んだこと自体が悪かったのだろうけれど。<「研究……か……ネッシー探求、か。いいよな、そんな遊びみたいなことをして、勉強になるんだから。俺なんか毎日、問題集と取っ組み合いだぜ」>(p.11、下段)。あ、書き忘れたけれど、日付が変わってただいま9月1日。親友といえども、浪人中に自分よりも一歩先に進んでしまった大学生とは会っちゃいけないやね、たぶん。ちょっと面白いのは雷太の言い分として、田中は去年、雷太よりも遊んでいた、という話。ま、田中くんのほうの言い分も、酔っ払っていないときにちょっと聞いてみたかったような気もするけれど、もう亡くなっちゃったか。

全体的な感想としては、とても読みやすい小説なのだけれど、かなりシンプルで先も読めてしまうし、底がネス湖ほどには深くない小説という感じ。タイトルに「殺人事件」とあるけれど、推理小説ではなくて(でも、最初のほうはちょっとそんな感じにも読めるかも)、表紙に「書下しパニック長編」とあるから、どうやら“パニック小説”らしい(ってそれはどんなジャンルやねん?)。ネタバレしてしまうけれど、だからストーリーはシンプルで、ネス湖へ研究旅行へ出かけた雷太たちが勝手に持ち帰ってしまった卵がどうやら孵化していたらしく、“ネッシー”らしき動物が人をどんどん食い殺していく、みたいなそれだけの話。1匹『ジュラシック・パーク』(映画)みたいな感じ? むごたらしさと犯人的には(ネタバレしてしまうけれど)E.A.ポーの「モルグ街の殺人」とか、そんなような感じ? そう、そのネッシーが人を殺す場面は気持ちが悪くて、すみません、ほとんど読み飛ばしてしまったです。私の場合、頭の中で実写で想像していることが多くて、こういう小説はちょっと無理。だいたい登場人物だって、目撃した人は吐いているしね。あと、雷太は弟も殺されたりして、けっこう危険な目に遭うわけだけれど、それ以外のゼミ生たちがほとんど危険な目に遭っていない=パニクっていないのはどうなのか、とちょっと思う。

あと……何か書き忘れたことはなかったっけ? 読んでいたときのメモを見てみると、「ネッシーがほのぼのしていない」「ネッシーが早く大きくなりすぎ」「W大生のご近所的評価が高すぎ」……どうでもいいことばかり(汗)。「怪獣映画」という言葉がどこか本文中にあったと思うけれど、個人的にはその手の映画(『ゴジラ』とか『ガメラ』とか?)は、小さい頃からほとんど見たことがないのだけれど、たいていの怪獣映画って、怪獣がやけに早く大きくなって、人をやたらに襲ってくる、みたいな感じなんだろうか。そうであれば、このネッシーも同じような感じかもしれない。というか、個人的には、こんなほのぼのしていない(?)ネッシーならいらない!? ――いずれにしても、1年半も浪人をしていた結末が、有名な幻の動物、あのネッシーに殺されるなんて、田中くん、なんてついてないんだろうね(笑っちゃいけない)。
 

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