中町信 『湯煙りの密室』
2008年3月9日 読書講談社ノベルス、1992/講談社文庫、1995。中町信ってずっとなんとなく気になっていた作家の1人だったので、とりあえず今回1冊読めてよかったです。こんな機会(どんな機会?)でもなければ一生読まなかったかもしれない。文体というかはちょっと古いというか、登場人物がカタコトでしゃべっている感じがちょっとするかな。会話だけでなく地の文もか。――ま、それはそれとして、※以下、いつものようにネタバレなどにはご注意ください。
<ニセの大学合格通知で人生を狂わされた受験生が、温泉地・指宿で殺された。人の出入りの途絶えた露天風呂から消えた犯人とおぼしき人物はどこへ行ったのか? 事件の真相を探る受験生の姉に、真実を告げようとした友人も殺害される。事件の謎は深まるばかり。文体トリックの名手が読者の仕掛けた罠とは。>(文庫カバーより。)
ひと言でいえば、弟を殺されて姉が犯人探しをするというか、そんな感じの内容。プロローグなどを除いて、視点はずっとそのお姉さん(八千草洋子、出版社勤務)にある。家庭環境がよくわからないけれど、弟(英彦、2浪していた予備校生)と埼玉県は大宮市で2人暮らししているっぽい。で、日本では試験が冬に行なわれることが多いから、試験日に雪が降ったりすることも確率的に低くないよね(清水義範『学問ノススメ』など参照)。電車は全面的に動かない、タクシーその他も捕まらないとなったら、ふつう大学側が十分な救済措置を取ってくれるかと思うのだけれど、そんなこともないのか。試験開始を1時間も遅らせてやっただろう?(何の文句がある?)的な大学もあったりして(汗)。それで、2年も浪人して、雪による混乱のなか、試験はどうにか受けられたものの、偽りの内容の電話のせいで大学入学を棒に振ったとなると、やっぱりもう受験勉強はいやだ、みたいなことにもなるのも当然?
<「なら、もう一年やり直してみる?」/「気の遠くなる話だね、三浪なんて。もうたくさんだ。たくさんだよ、浪人ぐらしは」/(略)/「でも、それしかないんじゃないの?」/「大学は諦める。働きながら、音楽の勉強でもやろうかと思って」>(p.33)
時間が経って冷静になれば、考えも変わってくるかもしれないけれど。事実、本人が受験はやめると宣言しているのに、亡くなったあと、お姉さんのほうは弟が3浪すると考えていたふしがある(p.257、「つまり、英彦が三浪生活を余儀なくされたのは……」)。そもそも、この小説では(ネタバレしてしまうけれど)この英彦くんにも原因がないわけではなく、というかだいぶ非もあって、自業自得なことなのだけれど。そういえば(これもネタバレしてしまうけれど)、出てくる浪人生がみんな死んでしまうな、この小説(涙)。高校から予備校まで英彦の同級生で友達でもある津山吾一(英彦と同じ理由で“受験に失敗”)、説明は省かせてもらうけれど、大沼素子(1浪して“受験に失敗”、2浪することを決めている)、あと、前年に自殺しているという牛島友美(1浪→“受験に失敗”)。――合計4人も死ぬことになるのか。なので、“浪人生小説”として読んでも、微妙な感じです。浪人生にかぎらないけれど、こういう形で(どういう形で?)人が死んでいく小説って、犯人がだんだんとわかってしまうよね? ふつうまだ死んでいない人のなかに犯人がいるわけだから。あ、だんだんとわかっていくのは、推理小説としてはそれでいいのか(汗)。
<ニセの大学合格通知で人生を狂わされた受験生が、温泉地・指宿で殺された。人の出入りの途絶えた露天風呂から消えた犯人とおぼしき人物はどこへ行ったのか? 事件の真相を探る受験生の姉に、真実を告げようとした友人も殺害される。事件の謎は深まるばかり。文体トリックの名手が読者の仕掛けた罠とは。>(文庫カバーより。)
ひと言でいえば、弟を殺されて姉が犯人探しをするというか、そんな感じの内容。プロローグなどを除いて、視点はずっとそのお姉さん(八千草洋子、出版社勤務)にある。家庭環境がよくわからないけれど、弟(英彦、2浪していた予備校生)と埼玉県は大宮市で2人暮らししているっぽい。で、日本では試験が冬に行なわれることが多いから、試験日に雪が降ったりすることも確率的に低くないよね(清水義範『学問ノススメ』など参照)。電車は全面的に動かない、タクシーその他も捕まらないとなったら、ふつう大学側が十分な救済措置を取ってくれるかと思うのだけれど、そんなこともないのか。試験開始を1時間も遅らせてやっただろう?(何の文句がある?)的な大学もあったりして(汗)。それで、2年も浪人して、雪による混乱のなか、試験はどうにか受けられたものの、偽りの内容の電話のせいで大学入学を棒に振ったとなると、やっぱりもう受験勉強はいやだ、みたいなことにもなるのも当然?
<「なら、もう一年やり直してみる?」/「気の遠くなる話だね、三浪なんて。もうたくさんだ。たくさんだよ、浪人ぐらしは」/(略)/「でも、それしかないんじゃないの?」/「大学は諦める。働きながら、音楽の勉強でもやろうかと思って」>(p.33)
時間が経って冷静になれば、考えも変わってくるかもしれないけれど。事実、本人が受験はやめると宣言しているのに、亡くなったあと、お姉さんのほうは弟が3浪すると考えていたふしがある(p.257、「つまり、英彦が三浪生活を余儀なくされたのは……」)。そもそも、この小説では(ネタバレしてしまうけれど)この英彦くんにも原因がないわけではなく、というかだいぶ非もあって、自業自得なことなのだけれど。そういえば(これもネタバレしてしまうけれど)、出てくる浪人生がみんな死んでしまうな、この小説(涙)。高校から予備校まで英彦の同級生で友達でもある津山吾一(英彦と同じ理由で“受験に失敗”)、説明は省かせてもらうけれど、大沼素子(1浪して“受験に失敗”、2浪することを決めている)、あと、前年に自殺しているという牛島友美(1浪→“受験に失敗”)。――合計4人も死ぬことになるのか。なので、“浪人生小説”として読んでも、微妙な感じです。浪人生にかぎらないけれど、こういう形で(どういう形で?)人が死んでいく小説って、犯人がだんだんとわかってしまうよね? ふつうまだ死んでいない人のなかに犯人がいるわけだから。あ、だんだんとわかっていくのは、推理小説としてはそれでいいのか(汗)。
西村京太郎 『おれたちはブルースしか歌わない』
2008年2月5日 読書
講談社、1975/講談社文庫、1982/講談社ノベルス、2002。画像はノベルス版、手元にあるのは文庫版。――思ったよりは面白かったけれど、でも、うーん…、微妙かな。推理小説としても。※毎度書いていますが、以下、ネタバレにはご注意ください。
<若い音楽グループが作った自信作が、いつの間にか誰かに盗まれ、しかもその曲はヒットチャートを急上昇中。アタマにきた若者たちが、いささか弱い推理力とオンボログルマを動員して犯人さがしに狂奔すると、やがて奇妙な殺人劇が。青春特有の野望と傷つきやすい心理とを巧みに本格推理に組み込んだ長篇。>(文庫カバーの後ろより。)
1人称は「おれ」で、いわゆる“1人称饒舌体”かといえば、いちおうそうかもしれない(19歳なので、“ティーンエイジ・スカース”とも言えるかもしれない)。ちゃんと読んだことがないのだけれど、見た感じでは、小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』よりこちらのほうが『ライ麦畑』&『赤頭巾ちゃん』に似ていると思う。小峰元ほど、若者の風俗的なアイテムがちりばめられていないので、そのぶん古くなっていない気も。
「おれ」(矢島喜一郎)は、亡くなった両親が残してくれた渋谷区にある小さな家で1人暮らし。バンドというかグループサウンズ「ザ・ダックスフント」の練習場にもなっているその家で、半年前から飼っていた犬(ダックスフントの「ロン」)が突然いなくなり、メンバー全員(5人)で探すのだけれど、見つからず。そういえばそのロンがやってきた前夜には通りの向かいで死亡事件があったことを思い出して、そちらを調べてみると、被害者の娘が、父親(私立探偵)を手伝って静岡に手紙を書いたことがある、みたいなことを言う。それとは別口で、「おれ」がたまたま聴いた「ラジオ静岡」で、自分たちの曲(『シンデレラの罠』)にそっくりな曲が流れ、ヒットチャートの上位に入っている、……みたいなことで、もともと行く計画だったのを前倒しして、5月の連休(今でいえばゴールデンウィーク?)に、メンバー1人の叔父が経営している静岡の旅館(もともと武家屋敷)に行くことに。そこで連続殺人が起こって、……みたいな話。
「おれ」はいちおう浪人生(2浪)なのだけれど、この小説も例によって(?)、浪人だからどうのこうの、という話は、ほとんどないかな。なくはないのだけれど、個人的にあまり興味を引かれない、というか。どんな大学を受けてどんなふうに落ちたのか、とかそういう説明もないので、浪人中の受験生が読んでも、精神的にも実用的にも、ほとんど役には立たないと思う(というか、小説ってそうやって読むものじゃないけれど(汗))。そう、経済的にはどんな感じだったっけ? 両親が家のほかに56万円の預金を残してくれていて、あと、1ヶ月アルバイトして1ヶ月働かない、みたいな生活を繰り返している、のか。預金には手を付けていないらしいので、2度の大学受験の費用とかはそのアルバイト代とかでどうにかなった? 合格した場合の入学金・年間の授業料は、大丈夫なのか?(うーん…)。いずれにしても、この主人公の理想的な進路は、大学とかではなく、バンド(GS)でのプロデビューとかなので、どうでもいいことかもしれないけれど。あ、でも、その場合、連続殺人事件のあと(ネタバレしてしまうけれど)、またメンバーを集めなくてはいけないか。そもそも主人公を入れて5人のメンバーが、もともとどういう関係だったのかが、ぜんぜん書かれていないな、この小説。(そういえば、家族関係みたいなものも、あまり書かれていない小説だったかな。人が亡くなれば、報道関係の人たちがやってくる前に、家族がやってきそうな気もするけれど。)
関係ないけれど、「西村京太郎」というのはペンネームだったのか、知らなかったです。「解説」(二上洋一)で本名が書かれていて、主人公の名前(「矢島喜一郎」)というのは、それを2文字換えたものになっているようだ。旅館=武家屋敷で殺人事件が起こると、「おれ」から「(和製)コロンボ」とあだ名されてしまう刑事が登場してくるのだけれど、こちらの名前は「西川一郎太」。説明はいらないと思うけれど、本名ではなく筆名のほうが2文字変わっていて、最後の2文字の順番も入れ替わっている。
<若い音楽グループが作った自信作が、いつの間にか誰かに盗まれ、しかもその曲はヒットチャートを急上昇中。アタマにきた若者たちが、いささか弱い推理力とオンボログルマを動員して犯人さがしに狂奔すると、やがて奇妙な殺人劇が。青春特有の野望と傷つきやすい心理とを巧みに本格推理に組み込んだ長篇。>(文庫カバーの後ろより。)
1人称は「おれ」で、いわゆる“1人称饒舌体”かといえば、いちおうそうかもしれない(19歳なので、“ティーンエイジ・スカース”とも言えるかもしれない)。ちゃんと読んだことがないのだけれど、見た感じでは、小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』よりこちらのほうが『ライ麦畑』&『赤頭巾ちゃん』に似ていると思う。小峰元ほど、若者の風俗的なアイテムがちりばめられていないので、そのぶん古くなっていない気も。
「おれ」(矢島喜一郎)は、亡くなった両親が残してくれた渋谷区にある小さな家で1人暮らし。バンドというかグループサウンズ「ザ・ダックスフント」の練習場にもなっているその家で、半年前から飼っていた犬(ダックスフントの「ロン」)が突然いなくなり、メンバー全員(5人)で探すのだけれど、見つからず。そういえばそのロンがやってきた前夜には通りの向かいで死亡事件があったことを思い出して、そちらを調べてみると、被害者の娘が、父親(私立探偵)を手伝って静岡に手紙を書いたことがある、みたいなことを言う。それとは別口で、「おれ」がたまたま聴いた「ラジオ静岡」で、自分たちの曲(『シンデレラの罠』)にそっくりな曲が流れ、ヒットチャートの上位に入っている、……みたいなことで、もともと行く計画だったのを前倒しして、5月の連休(今でいえばゴールデンウィーク?)に、メンバー1人の叔父が経営している静岡の旅館(もともと武家屋敷)に行くことに。そこで連続殺人が起こって、……みたいな話。
「おれ」はいちおう浪人生(2浪)なのだけれど、この小説も例によって(?)、浪人だからどうのこうの、という話は、ほとんどないかな。なくはないのだけれど、個人的にあまり興味を引かれない、というか。どんな大学を受けてどんなふうに落ちたのか、とかそういう説明もないので、浪人中の受験生が読んでも、精神的にも実用的にも、ほとんど役には立たないと思う(というか、小説ってそうやって読むものじゃないけれど(汗))。そう、経済的にはどんな感じだったっけ? 両親が家のほかに56万円の預金を残してくれていて、あと、1ヶ月アルバイトして1ヶ月働かない、みたいな生活を繰り返している、のか。預金には手を付けていないらしいので、2度の大学受験の費用とかはそのアルバイト代とかでどうにかなった? 合格した場合の入学金・年間の授業料は、大丈夫なのか?(うーん…)。いずれにしても、この主人公の理想的な進路は、大学とかではなく、バンド(GS)でのプロデビューとかなので、どうでもいいことかもしれないけれど。あ、でも、その場合、連続殺人事件のあと(ネタバレしてしまうけれど)、またメンバーを集めなくてはいけないか。そもそも主人公を入れて5人のメンバーが、もともとどういう関係だったのかが、ぜんぜん書かれていないな、この小説。(そういえば、家族関係みたいなものも、あまり書かれていない小説だったかな。人が亡くなれば、報道関係の人たちがやってくる前に、家族がやってきそうな気もするけれど。)
関係ないけれど、「西村京太郎」というのはペンネームだったのか、知らなかったです。「解説」(二上洋一)で本名が書かれていて、主人公の名前(「矢島喜一郎」)というのは、それを2文字換えたものになっているようだ。旅館=武家屋敷で殺人事件が起こると、「おれ」から「(和製)コロンボ」とあだ名されてしまう刑事が登場してくるのだけれど、こちらの名前は「西川一郎太」。説明はいらないと思うけれど、本名ではなく筆名のほうが2文字変わっていて、最後の2文字の順番も入れ替わっている。
小峰元 『ピタゴラス豆畑に死す』
2008年2月5日 読書講談社、1974/講談社文庫、1975。乱歩賞受賞作『アルキメデスは手を汚さない』は、最近(といってもけっこう前?)文庫で復刊されたようだけれど、この受賞後第一作は復刊されていないようだ。で、面白かったといえば面白かったけれど、こういう中途半端に古い本を、夜中にひとりで読んでいたりすると、自分の中の時代感覚がおかしくなってくる(涙)。それはそれとして、※推理小説なので、以下、いつも以上にネタバレにはご注意ください。
<幻の動物ツチノコを求めて大和で変死したセイケンの高校生。死因はツチノコによる咬毒死? 古老はツチノコの祟り説を譲らない。続発する変死の謎を解く鍵は意外や意外、ピタゴラスの定理と江戸小咄にあるというのだが……。/現代の高校生群像を描いては他の追随を許さない乱歩賞作家の青春推理第二弾。>(文庫カバーの後ろより)
これだけでは「なんこっちゃ?」だな(汗)。登場人物が多くて、年齢もいろいろなのだけれど、いちばん生き生きと描かれているのは、“高校生群像”ではなく、株取引に興じている大人たちであるような…。で、主人公(というか)の1人として、辻本雅美という浪人生が出てくる(金沢から上京して浪人中)。ちょっとネタバレしてしまうけれど、女子浪人生(「女浪人」)です。そういえば、自分のことを「風来坊」とも言っていたと思うけれど、最初のほうで、「浪々の身」という言葉を使っている。現在ではあまり通じない言葉かな、例えば、浪人生が「何しているの?」とか社会的な身分を訊かれて、「え、まぁ、少なくとも今年は、浪々の身で…」みたいな台詞を返しても、「はぁ?」とか反応されてしまいそうな気が。中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』というエッセイ集に、エッセイのタイトルとしてその言葉が使われている。1952年生まれの中島らもが浪人していたのは、『ピタゴラス〜』・単行本の1974年より……前になるのか。でも、ちょっと前なだけなのか。語彙としてどうなのかな?(わからんです)。あと、浪人中の女の子が出てくる小説、というのは、そもそも相対的に数が少ないのだけれど、男性作者が1974年の時点で、作品に登場させているということが、ちょっと注目に値するかもしれない(高校生・女子が夏期講習で予備校に通う場面のある、中沢けい「海を感じる時」が1978年?)。あ、でも、女子浪人生が男の子っぽいという設定は、お約束というか、ちょっとステレオタイプな感じがする、かな。山林地主の「古老」(本間彦左衛門)に言い寄られたりもしているけれど。というか、ぜんぜんあらすじとかを説明していないな(汗)。ま、いいか。
ところで、『試験にでる英単語』(青春新書、1967)の改訂版(1975)に、「改訂に際して」と題する文章が載っていて、著者の森一郎が次のように語っている。
<その間、いろいろなnicknameのもとに、本書の名は青春小説や論文の中に引用され、ラジオのディスク・ジョッキーや、かえ唄にまでしばしば登場するようになってしまっては、著者としては光栄と思うところを通り越して、むしろ面はゆく迷惑にさえ感じている昨今である。>(p.5)
論文やラジオ、替え歌は措いておいて、ここで言われている「青春小説」というのが、何を指しているのかが、個人的にずっと気になっていて。で、ちょっと微妙なのだけれど、『ピタゴラス〜』に……こういうのは引用すれば一目瞭然か、
<念のため。「マメタン」とは旺文社、赤尾好夫の「英語基本単語熟語集」、「シケジュク」とは青春出版社、森一郎の「試験に出る英熟語」。いずれも正式名称では受験生に通じ難い。愛称「マメタン」なら、高校生から定年期のオジサマにまで判る。それでも通じない人は、生涯、受験英語に縁のなかった人であろう。さらに念のため。ここ数年、シケジュク、シケタンがマメタンを急追して人気急上昇中である。沓野に言わせると、/「マメタンは分が厚い。ジーパンのポケットに入れると、ヒップの線がくずれるのでゲス。その点、シケタンは薄いのでヒップ・ラインによく馴染みやして」/カッコいいというのだから、学参出版社も、やりにくくなった。>(pp.242-3)
とある。有名な参考書の移行期というか。……それはともかく。出版された時期も大丈夫であるし(1975年以前)、いちおう森一郎のいっている「青春小説」(の1つ)に該当しているのではないか、と思う。うーん…、でも、やっぱり微妙? もっと『でる単』がちゃんと出てくる青春小説ってありそうなんだけれどなぁ…。私にはわからんです(涙)。上のゲス言葉でしゃべっている沓野(沓野正之)というのは、奈良の高校生たち(堂島高校・妖怪研究会、飛鳥高校・生物研究会)といっしょにツチノコを探すために、東京からやってきた高校3年生(浅草高校・落語研究会)。雅美は、その沓野くんと電車内で知り合って付いて来たらしい。
あと、受験がらみでは、浪人生の雅美とは関係ないけれど、「ヨウケン」(妖怪研究会)の顧問として千葉忠宏という予備校講師(大阪にある「曽根崎予備校」の理事長)も出てくる。受験や予備校がらみの話も少し書かれていて(p.197のあたりとか)、面白いといえばちょっと面白いかな。以前、ほかの小説の感想を書いているとき、少し触れたような気がするけれど、「6334制」ではなく「63324制」(p.197)という言葉が出てくる。2=予備校2年。そう、予備校講師といえば、この『ピタゴラス〜』(単行本1974年)は、予備校講師たちが描かれている小説、城山三郎の『今日は再び来らず』(1977)よりも先に出版されている…のか(へぇ〜)。
++++++++++++
作者の小峰元って、受験生(高3が多い)が主人公になっている小説を多く書いていて、“受験生小説”について語るには(?)、本当はぜんぶ読んだほうがいいのかもしれないけれど、時代的にいまさらな感じがしてしまって…。私には無理です(涙)。次の2作はそもそも、受験雑誌に連載されていたものらしい。
『パスカルの鼻は長かった』 ←『高3コース』1974年4月〜1975年3月。
『ヒポクラテスの初恋処方箋』 ←『螢雪時代』1976年4月〜1977年3月。
浪人生が出てくるかは、ちゃんと読まないとわからないな。あまり関係がないけれど、『パスカル〜』の「解説」(二上洋一)で名前が出てきている、松本清張の『高校殺人事件』も受験雑誌…とは言わないか、姉妹誌である『高校コース』に連載されていたもの(連載時のタイトルは「赤い月」。いつ? 60年代?)。ちなみに、『ヒポクラテス〜』の2年後に『螢雪時代』で連載されていたのは、三田誠広の『高校時代』(連載時は「僕はどこへ行く」、1978年4月〜1979年3月)。その約10年前には、小説ではない(?)けれど、小松左京の『やぶれかぶれ青春記』(旺文社文庫、1975)(の表題作)が連載されていたようだ(1969年4月〜11月)。
[追記]再文庫化された光文社文庫版『高校殺人事件』(2011)の後ろのへんによれば、この小説が連載されていたのは、『高校上級コース』1959年11月~1960年3月、『高校コース』1960年4月~1961年3月まで、らしい。
<幻の動物ツチノコを求めて大和で変死したセイケンの高校生。死因はツチノコによる咬毒死? 古老はツチノコの祟り説を譲らない。続発する変死の謎を解く鍵は意外や意外、ピタゴラスの定理と江戸小咄にあるというのだが……。/現代の高校生群像を描いては他の追随を許さない乱歩賞作家の青春推理第二弾。>(文庫カバーの後ろより)
これだけでは「なんこっちゃ?」だな(汗)。登場人物が多くて、年齢もいろいろなのだけれど、いちばん生き生きと描かれているのは、“高校生群像”ではなく、株取引に興じている大人たちであるような…。で、主人公(というか)の1人として、辻本雅美という浪人生が出てくる(金沢から上京して浪人中)。ちょっとネタバレしてしまうけれど、女子浪人生(「女浪人」)です。そういえば、自分のことを「風来坊」とも言っていたと思うけれど、最初のほうで、「浪々の身」という言葉を使っている。現在ではあまり通じない言葉かな、例えば、浪人生が「何しているの?」とか社会的な身分を訊かれて、「え、まぁ、少なくとも今年は、浪々の身で…」みたいな台詞を返しても、「はぁ?」とか反応されてしまいそうな気が。中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』というエッセイ集に、エッセイのタイトルとしてその言葉が使われている。1952年生まれの中島らもが浪人していたのは、『ピタゴラス〜』・単行本の1974年より……前になるのか。でも、ちょっと前なだけなのか。語彙としてどうなのかな?(わからんです)。あと、浪人中の女の子が出てくる小説、というのは、そもそも相対的に数が少ないのだけれど、男性作者が1974年の時点で、作品に登場させているということが、ちょっと注目に値するかもしれない(高校生・女子が夏期講習で予備校に通う場面のある、中沢けい「海を感じる時」が1978年?)。あ、でも、女子浪人生が男の子っぽいという設定は、お約束というか、ちょっとステレオタイプな感じがする、かな。山林地主の「古老」(本間彦左衛門)に言い寄られたりもしているけれど。というか、ぜんぜんあらすじとかを説明していないな(汗)。ま、いいか。
ところで、『試験にでる英単語』(青春新書、1967)の改訂版(1975)に、「改訂に際して」と題する文章が載っていて、著者の森一郎が次のように語っている。
<その間、いろいろなnicknameのもとに、本書の名は青春小説や論文の中に引用され、ラジオのディスク・ジョッキーや、かえ唄にまでしばしば登場するようになってしまっては、著者としては光栄と思うところを通り越して、むしろ面はゆく迷惑にさえ感じている昨今である。>(p.5)
論文やラジオ、替え歌は措いておいて、ここで言われている「青春小説」というのが、何を指しているのかが、個人的にずっと気になっていて。で、ちょっと微妙なのだけれど、『ピタゴラス〜』に……こういうのは引用すれば一目瞭然か、
<念のため。「マメタン」とは旺文社、赤尾好夫の「英語基本単語熟語集」、「シケジュク」とは青春出版社、森一郎の「試験に出る英熟語」。いずれも正式名称では受験生に通じ難い。愛称「マメタン」なら、高校生から定年期のオジサマにまで判る。それでも通じない人は、生涯、受験英語に縁のなかった人であろう。さらに念のため。ここ数年、シケジュク、シケタンがマメタンを急追して人気急上昇中である。沓野に言わせると、/「マメタンは分が厚い。ジーパンのポケットに入れると、ヒップの線がくずれるのでゲス。その点、シケタンは薄いのでヒップ・ラインによく馴染みやして」/カッコいいというのだから、学参出版社も、やりにくくなった。>(pp.242-3)
とある。有名な参考書の移行期というか。……それはともかく。出版された時期も大丈夫であるし(1975年以前)、いちおう森一郎のいっている「青春小説」(の1つ)に該当しているのではないか、と思う。うーん…、でも、やっぱり微妙? もっと『でる単』がちゃんと出てくる青春小説ってありそうなんだけれどなぁ…。私にはわからんです(涙)。上のゲス言葉でしゃべっている沓野(沓野正之)というのは、奈良の高校生たち(堂島高校・妖怪研究会、飛鳥高校・生物研究会)といっしょにツチノコを探すために、東京からやってきた高校3年生(浅草高校・落語研究会)。雅美は、その沓野くんと電車内で知り合って付いて来たらしい。
あと、受験がらみでは、浪人生の雅美とは関係ないけれど、「ヨウケン」(妖怪研究会)の顧問として千葉忠宏という予備校講師(大阪にある「曽根崎予備校」の理事長)も出てくる。受験や予備校がらみの話も少し書かれていて(p.197のあたりとか)、面白いといえばちょっと面白いかな。以前、ほかの小説の感想を書いているとき、少し触れたような気がするけれど、「6334制」ではなく「63324制」(p.197)という言葉が出てくる。2=予備校2年。そう、予備校講師といえば、この『ピタゴラス〜』(単行本1974年)は、予備校講師たちが描かれている小説、城山三郎の『今日は再び来らず』(1977)よりも先に出版されている…のか(へぇ〜)。
++++++++++++
作者の小峰元って、受験生(高3が多い)が主人公になっている小説を多く書いていて、“受験生小説”について語るには(?)、本当はぜんぶ読んだほうがいいのかもしれないけれど、時代的にいまさらな感じがしてしまって…。私には無理です(涙)。次の2作はそもそも、受験雑誌に連載されていたものらしい。
『パスカルの鼻は長かった』 ←『高3コース』1974年4月〜1975年3月。
『ヒポクラテスの初恋処方箋』 ←『螢雪時代』1976年4月〜1977年3月。
浪人生が出てくるかは、ちゃんと読まないとわからないな。あまり関係がないけれど、『パスカル〜』の「解説」(二上洋一)で名前が出てきている、松本清張の『高校殺人事件』も受験雑誌…とは言わないか、姉妹誌である『高校コース』に連載されていたもの(連載時のタイトルは「赤い月」。いつ? 60年代?)。ちなみに、『ヒポクラテス〜』の2年後に『螢雪時代』で連載されていたのは、三田誠広の『高校時代』(連載時は「僕はどこへ行く」、1978年4月〜1979年3月)。その約10年前には、小説ではない(?)けれど、小松左京の『やぶれかぶれ青春記』(旺文社文庫、1975)(の表題作)が連載されていたようだ(1969年4月〜11月)。
[追記]再文庫化された光文社文庫版『高校殺人事件』(2011)の後ろのへんによれば、この小説が連載されていたのは、『高校上級コース』1959年11月~1960年3月、『高校コース』1960年4月~1961年3月まで、らしい。
竹本健治 『クレシェンド』
2007年12月11日 読書
画像と自分が読んだ本の表紙とが違うな。角川書店、2003。なんだかよくわからないけれど、ページが由良由良、布流布流(ゆらゆら、ふるふる)しすぎ!(涙)。※以下いつものようにネタバレ(たぶんしていると思います)にはお気をつけください。言語文化論というか、日本文化論みたいなことについての、真面目な大学生が書いたレポートのような話はどうでもいいから(よくないか(汗)、大いに関係しているのだろうけれど)、主人公が見るようになった幻覚のようなもの――最後には外在化、現実化もしている――が、結局のところ、どんな理由からどういう条件で起こるのか、とか、主人公と似たような性格の日本語を母語とする人間ならごまんといるだろうに、どうしてこの人だけに幻覚(?)が起こるのか、とか、もっときちんと(読者に対して)言語化して教えて欲しかったと思う。私だけが読めていないのかもしれないけれど、個人的にはだいぶ不満が残る小説でした。
最近まで大学(恒河大学)の研究施設であった会社(コンピュータ・ソフトの会社『アプリカ』)の地下2階に資料を探しに行って、幻覚(?)を見る恐怖体験をした主人公、矢木沢孝司(年齢は30歳近く)はそのあと、出入りしているサロンのような場所(『スタジオスーパーノバ』)で、そのことについてほかの人たちに話すのだけれど、その場に叔父さんと来ていた真壁岬という浪人中の女の子がいて……みたいな感じで浪人生が登場してくる。北海道から出てきた色白の美人でフレームなしの眼鏡をかけていて、冷静で知的、でも冷たくはなく、理の通った丁寧な話し方をする……まぁ、小説だからどんな設定でも許してあげて(汗)。矢木沢の話に興味を持ったらしく、自分にはそうすることが必要だから、みたいなことで(?)以降、調べごとなど、あれこれ協力的な行動をとってくれる。関係ないけれど、主人公がしている仕事がゲーム製作で――そのゲーム(RPG、仮タイトル『ゴー・イースト』)の内容と小説自体も微妙に重なっているのだけれど――、ヒロインの名前が「岬」だから、滝本竜彦『NHKへようこそ!』をちょっと思い出す、かな。しかも、ネタバレしてしまうけれど、岬は北海道で引きこもり同然の状態にあったらしい。東京にいる理由はそれを見かねた叔父さんが連れ出した、という経緯らしい。
高校は卒業できているようだけれど、去年=高校3年のとき、……あまりネタバレしすぎてもまずいかな、小説的にはまたそんな話か、みたいな既視感がある理由です。それで大学受験には失敗したのではなく、受験じたいしなかったらしい。勉強はできないわけではない、というよりむしろできるようで、具体的には<恒河大学あたりなら、今すぐ受験しても受かる自信はあります>(p.68)と言う岬に対して、八木沢は、<関東で私学の十指に数えられる恒河大学が楽勝なら、東大や慶応でも充分に圏内のはずだ>(同頁)と頭のなかで語っている。個人的には、関東の私学で例えば偏差値ランキング的に第10位の大学(関東というかすべて東京の私大だろう)に余裕で合格できるとしても、東大までが合格圏内であるとはとても思えないのだけれど、どうだろう?(まぁいいか)。高校は女子校で寮に入っていたらしい。どうでもいいけれど、中学・高校では6年間、図書委員だったそうである(中高一貫の私立全寮制な女子校?)。あとのほうでだけれど、大学では哲学を勉強したいと言っている。そういえば、小説では初めて見かけたかもしれない、哲学志望の浪人生。八木沢が精神分析というか心理カウンセリングというかを受けるのだけれど(天野医師)、その手のことにも興味があるっぽいから、ジャック・ラカンとか? この小説的には、言語学志望とかでもいいのにね(ソシュールがあやしげな(?)アナグラムに凝っていたのは有名な話)。あと、神話(学)って大きな括りでは何? 宗教学? 社会学? そんな学部・学科でもいいかもしれない。
ちなみに、描かれているのは、春(初夏)から9月くらいまで。そういえば、いちおう未成年の少女と頻繁に会ったり、しまいには小笠原にある無人島でいっしょに生活したりするのに、主人公は顔を知っている彼女の叔父さん(多岐川)に対してなんの断りもしていないような? まぁ、性格もしっかりしている岬が、ちゃんと説明して許可を得ているのかもしれないけれど。あと、そういえば、ゲーム製作も結局、途中で放り出してしまったのか。主人公が担当していた、シナリオ作家の宮本沙門(ジュブナイル作家)にはちゃんと謝ったのかな?
[追記]文庫は角川文庫、2017.11。購入した。「解説」(東雅夫)によれば、初出は『KADOKAWAミステリ』2001年1月号~2002年7月号らしい。
[追記2]『緑衣の牙』(光文社文庫、1998.3。『眠れる森の惨劇』カッパ・ノベルス、1993.8改題)には高校生の真壁岬が出てくるらしい。あと、画像が自分の読んだものと違った理由は、単行本は箱入りだったらしくて(ネット情報)、たぶん私が図書館で借りて読んだのは、箱がなくてむき出し状態だったからかもしれない。よくわからないけど。
最近まで大学(恒河大学)の研究施設であった会社(コンピュータ・ソフトの会社『アプリカ』)の地下2階に資料を探しに行って、幻覚(?)を見る恐怖体験をした主人公、矢木沢孝司(年齢は30歳近く)はそのあと、出入りしているサロンのような場所(『スタジオスーパーノバ』)で、そのことについてほかの人たちに話すのだけれど、その場に叔父さんと来ていた真壁岬という浪人中の女の子がいて……みたいな感じで浪人生が登場してくる。北海道から出てきた色白の美人でフレームなしの眼鏡をかけていて、冷静で知的、でも冷たくはなく、理の通った丁寧な話し方をする……まぁ、小説だからどんな設定でも許してあげて(汗)。矢木沢の話に興味を持ったらしく、自分にはそうすることが必要だから、みたいなことで(?)以降、調べごとなど、あれこれ協力的な行動をとってくれる。関係ないけれど、主人公がしている仕事がゲーム製作で――そのゲーム(RPG、仮タイトル『ゴー・イースト』)の内容と小説自体も微妙に重なっているのだけれど――、ヒロインの名前が「岬」だから、滝本竜彦『NHKへようこそ!』をちょっと思い出す、かな。しかも、ネタバレしてしまうけれど、岬は北海道で引きこもり同然の状態にあったらしい。東京にいる理由はそれを見かねた叔父さんが連れ出した、という経緯らしい。
高校は卒業できているようだけれど、去年=高校3年のとき、……あまりネタバレしすぎてもまずいかな、小説的にはまたそんな話か、みたいな既視感がある理由です。それで大学受験には失敗したのではなく、受験じたいしなかったらしい。勉強はできないわけではない、というよりむしろできるようで、具体的には<恒河大学あたりなら、今すぐ受験しても受かる自信はあります>(p.68)と言う岬に対して、八木沢は、<関東で私学の十指に数えられる恒河大学が楽勝なら、東大や慶応でも充分に圏内のはずだ>(同頁)と頭のなかで語っている。個人的には、関東の私学で例えば偏差値ランキング的に第10位の大学(関東というかすべて東京の私大だろう)に余裕で合格できるとしても、東大までが合格圏内であるとはとても思えないのだけれど、どうだろう?(まぁいいか)。高校は女子校で寮に入っていたらしい。どうでもいいけれど、中学・高校では6年間、図書委員だったそうである(中高一貫の私立全寮制な女子校?)。あとのほうでだけれど、大学では哲学を勉強したいと言っている。そういえば、小説では初めて見かけたかもしれない、哲学志望の浪人生。八木沢が精神分析というか心理カウンセリングというかを受けるのだけれど(天野医師)、その手のことにも興味があるっぽいから、ジャック・ラカンとか? この小説的には、言語学志望とかでもいいのにね(ソシュールがあやしげな(?)アナグラムに凝っていたのは有名な話)。あと、神話(学)って大きな括りでは何? 宗教学? 社会学? そんな学部・学科でもいいかもしれない。
ちなみに、描かれているのは、春(初夏)から9月くらいまで。そういえば、いちおう未成年の少女と頻繁に会ったり、しまいには小笠原にある無人島でいっしょに生活したりするのに、主人公は顔を知っている彼女の叔父さん(多岐川)に対してなんの断りもしていないような? まぁ、性格もしっかりしている岬が、ちゃんと説明して許可を得ているのかもしれないけれど。あと、そういえば、ゲーム製作も結局、途中で放り出してしまったのか。主人公が担当していた、シナリオ作家の宮本沙門(ジュブナイル作家)にはちゃんと謝ったのかな?
[追記]文庫は角川文庫、2017.11。購入した。「解説」(東雅夫)によれば、初出は『KADOKAWAミステリ』2001年1月号~2002年7月号らしい。
[追記2]『緑衣の牙』(光文社文庫、1998.3。『眠れる森の惨劇』カッパ・ノベルス、1993.8改題)には高校生の真壁岬が出てくるらしい。あと、画像が自分の読んだものと違った理由は、単行本は箱入りだったらしくて(ネット情報)、たぶん私が図書館で借りて読んだのは、箱がなくてむき出し状態だったからかもしれない。よくわからないけど。
萩生田宏治 『小説 神童』
2007年12月10日 読書
[原作]さそうあきら[脚本]向井康介、双葉文庫、2007。脚本をもとにしているらしいのだけれど、成海璃子・松山ケンイチ主演映画の、監督自身によるノベライゼーション。映画も見ていないし、原作の漫画も読んでいないので異同はよくわからないけれど、この小説だけでも十分話はわかるし、意外と…というかけっこう面白かったです。泣きはしなかったけれど、ちょっと感動(?)です。あ、でも、文章が最初のほうはちょっと読みにくかったかな。下手というか、癖があるような気が。途中からほとんど気にならなくなったけれど。
<言葉を覚える前にピアノが弾けた、13歳の「神童」成瀬うた。でも、最近のうたはピアノに素直に向き合えない。いっぽう、音大ピアノ科を目指して浪人中の19歳、菊名和音。耳はいいのに、肝心のピアノはなかなか上達せずにいる。偶然の出会いから、うたは和音にピアノを教えることになり……。珠玉のクラシック映画『神童』の脚本ノベライズ。>(表紙カバーの後ろより。)
「神童」とか「音楽」(そのもの)というよりは、壊されそうなピアノを助けたりとか、ピアノの妖精みたいな感じ?(違うか)。前半のいちばんの盛りあがりどころはたぶん、和音(ワオ)くんが「栄光音楽大学」のピアノ科を受験する、その試験の最終日(自由曲での実技試験)。浪人は1年しか許されていなくて、落ちたら家の青果店(「菊名青果店」)を継がなくてはいけない状況で、ピアノの天才うたちゃん(得意技はグー・パンチ)と知り合えて本当によかったよね、この人。入試まであと5ヶ月しかない(半年きっている)時点で。本当ならいまごろ八百屋さんになっているところだよ。(お父さんもお母さんもいい人そうで、同じように野菜を売ったりするのなら、職業として悪くないと思うけれど。大学を卒業して、就職できなかったりした場合に継いでも遅くないか。)
そういえば、音大受験生がちゃんと出てくる小説(といっても元々漫画、映画)は初めて読んだのだけれど、やっぱり大変そうというか。中学生くらいからピアノを始めても遅いんだね(美大受験・東大受験なら中学生からの対策で十分間に合う?)。なのに浪人中に週1回、音楽教室に通っているだけでは、そもそも時間的にぜんぜん足りなかったのでは?(そのほかは家での練習だけでしょう?)。中学といえば、和音がピアノを始めるきっかけとなったのは、同級生の相原コズエ(現在は栄光音大生)のピアノ、を聴いたこと。高校も同じなんだっけ?
<しかし、コズエにしてみれば、あの頃、和音と親しく時間を共にしていたのは、受験を前にしての一時の息抜きでしかなかった。>(p.77)
なんていうか、この2人はちゃんと付き合ってはいなかったみたいだけれど(全体的に恋愛要素の少ない物語)、一般に(?)受験生どうしで付き合っていて女の子のほうだけ受かって、結果、別れることになった場合、上のような理由もあるのかもしれない。つまり、受験=非常事態(?)だからしばらくの間、手を取り合っていただけ、みたいな。そういえば、和音くんはいい人だからか、耳がよいのに、相原コズエ(『アタックNO.1』っぽいな)のピアノとうたのピアノのどちらがどうとか、みたいな比較はしていないな。
<言葉を覚える前にピアノが弾けた、13歳の「神童」成瀬うた。でも、最近のうたはピアノに素直に向き合えない。いっぽう、音大ピアノ科を目指して浪人中の19歳、菊名和音。耳はいいのに、肝心のピアノはなかなか上達せずにいる。偶然の出会いから、うたは和音にピアノを教えることになり……。珠玉のクラシック映画『神童』の脚本ノベライズ。>(表紙カバーの後ろより。)
「神童」とか「音楽」(そのもの)というよりは、壊されそうなピアノを助けたりとか、ピアノの妖精みたいな感じ?(違うか)。前半のいちばんの盛りあがりどころはたぶん、和音(ワオ)くんが「栄光音楽大学」のピアノ科を受験する、その試験の最終日(自由曲での実技試験)。浪人は1年しか許されていなくて、落ちたら家の青果店(「菊名青果店」)を継がなくてはいけない状況で、ピアノの天才うたちゃん(得意技はグー・パンチ)と知り合えて本当によかったよね、この人。入試まであと5ヶ月しかない(半年きっている)時点で。本当ならいまごろ八百屋さんになっているところだよ。(お父さんもお母さんもいい人そうで、同じように野菜を売ったりするのなら、職業として悪くないと思うけれど。大学を卒業して、就職できなかったりした場合に継いでも遅くないか。)
そういえば、音大受験生がちゃんと出てくる小説(といっても元々漫画、映画)は初めて読んだのだけれど、やっぱり大変そうというか。中学生くらいからピアノを始めても遅いんだね(美大受験・東大受験なら中学生からの対策で十分間に合う?)。なのに浪人中に週1回、音楽教室に通っているだけでは、そもそも時間的にぜんぜん足りなかったのでは?(そのほかは家での練習だけでしょう?)。中学といえば、和音がピアノを始めるきっかけとなったのは、同級生の相原コズエ(現在は栄光音大生)のピアノ、を聴いたこと。高校も同じなんだっけ?
<しかし、コズエにしてみれば、あの頃、和音と親しく時間を共にしていたのは、受験を前にしての一時の息抜きでしかなかった。>(p.77)
なんていうか、この2人はちゃんと付き合ってはいなかったみたいだけれど(全体的に恋愛要素の少ない物語)、一般に(?)受験生どうしで付き合っていて女の子のほうだけ受かって、結果、別れることになった場合、上のような理由もあるのかもしれない。つまり、受験=非常事態(?)だからしばらくの間、手を取り合っていただけ、みたいな。そういえば、和音くんはいい人だからか、耳がよいのに、相原コズエ(『アタックNO.1』っぽいな)のピアノとうたのピアノのどちらがどうとか、みたいな比較はしていないな。
渡邊睦月・村上桃子 『東京少年』
2007年12月10日 読書
リンダブックス、2007。堀北真希主演の映画の、脚本(渡邊睦月)がもとになっているらしいノベライズドな本。なんていうか、内容にも文体にも深みがぜんぜんないような…。最後まで読んでも、ただ読み終わったという感じです。
<幼い頃に両親を亡くしたみなとには何でも話せる文通相手のナイトがいた。でも、彼のことは顔を見たこともなければ、同じ年の「男の子」ということ以外は何も知らなかった。そんなある日、みなとはシュウと出会い、恋に落ちる。「ナイト、あたし好きな人ができたみたい!」みなとはさっそくナイトに自分の気持ちを込めた手紙を送るが……。>(カバー後ろより。改行はつめました。)
おおざっぱにいえば(まんまだけれど)“三角関係もの”? 1人称×3というか、最初のうちは文通しているらしき2人が語り手となっていて(「私」と「俺」が交互に語っている)、あとのほうではもう1人(「俺」=シュウ)も語り手として加わっている。――そんな説明は要らないですか(汗)。コンビニで働くフリーターの藤木みなと(19歳、両親は亡くなっていて祖母の菊江と2人暮らし)が好きなるのが、コンビニのお客で、予備校生の唐沢シュウ(2浪、予備校近くのマンションで1人暮らし、父親は病院のたぶん院長先生)。それを手紙で知ったみなとの文通相手のナイトは嫉妬するというか、みなとからシュウを遠ざけようとする。
浪人がらみの話でちょっと面白いと思ったのは、ナイトがシュウを「(医者の)バカ息子」だと決めつける、その決めつけ方かな(p.55のあたり)。もちろんシュウくん側にもちゃんと言い分というかはあって、あとのほうである程度、父親との関係などは語られている。たいていの小説では、“医者の息子”という設定はたんなる設定(書き割り)になりやすいのだけれど、この小説では(たぶん映画でも)いちおう、病院も父親も出てくるので、それほどいいかげんな設定というわけではない、けれど、父親が医者である浪人生という設定じたいに、「またそれか」な古くささとか既視感はあるかもしれない。(あと、ストーリーにはある程度、有機的に絡んでいるけれど、シュウくんの趣味が写真=芸術系、というのも、個人的には「またか」な感じ。)
最後、痛みやらせつなさを伴いつつ、いちおうハッピー・エンディングになっているけれど、その後、この2人はどうなったのかな? 意外と早々に別れていたりして。――そんな夢のないことを言ったらあかんか(汗)。浪人生(男)と大学生(女)ではうまく行かないものも、大学生(男)とフリーター(女)ではうまく行くのかもしれない。
ちなみに、描かれているのは冬(年は明けている)から春くらいまで。舞台となっているのは、タイトルから判断して(本文からもわかるかもしれないけれど)たぶん東京。
<幼い頃に両親を亡くしたみなとには何でも話せる文通相手のナイトがいた。でも、彼のことは顔を見たこともなければ、同じ年の「男の子」ということ以外は何も知らなかった。そんなある日、みなとはシュウと出会い、恋に落ちる。「ナイト、あたし好きな人ができたみたい!」みなとはさっそくナイトに自分の気持ちを込めた手紙を送るが……。>(カバー後ろより。改行はつめました。)
おおざっぱにいえば(まんまだけれど)“三角関係もの”? 1人称×3というか、最初のうちは文通しているらしき2人が語り手となっていて(「私」と「俺」が交互に語っている)、あとのほうではもう1人(「俺」=シュウ)も語り手として加わっている。――そんな説明は要らないですか(汗)。コンビニで働くフリーターの藤木みなと(19歳、両親は亡くなっていて祖母の菊江と2人暮らし)が好きなるのが、コンビニのお客で、予備校生の唐沢シュウ(2浪、予備校近くのマンションで1人暮らし、父親は病院のたぶん院長先生)。それを手紙で知ったみなとの文通相手のナイトは嫉妬するというか、みなとからシュウを遠ざけようとする。
浪人がらみの話でちょっと面白いと思ったのは、ナイトがシュウを「(医者の)バカ息子」だと決めつける、その決めつけ方かな(p.55のあたり)。もちろんシュウくん側にもちゃんと言い分というかはあって、あとのほうである程度、父親との関係などは語られている。たいていの小説では、“医者の息子”という設定はたんなる設定(書き割り)になりやすいのだけれど、この小説では(たぶん映画でも)いちおう、病院も父親も出てくるので、それほどいいかげんな設定というわけではない、けれど、父親が医者である浪人生という設定じたいに、「またそれか」な古くささとか既視感はあるかもしれない。(あと、ストーリーにはある程度、有機的に絡んでいるけれど、シュウくんの趣味が写真=芸術系、というのも、個人的には「またか」な感じ。)
最後、痛みやらせつなさを伴いつつ、いちおうハッピー・エンディングになっているけれど、その後、この2人はどうなったのかな? 意外と早々に別れていたりして。――そんな夢のないことを言ったらあかんか(汗)。浪人生(男)と大学生(女)ではうまく行かないものも、大学生(男)とフリーター(女)ではうまく行くのかもしれない。
ちなみに、描かれているのは冬(年は明けている)から春くらいまで。舞台となっているのは、タイトルから判断して(本文からもわかるかもしれないけれど)たぶん東京。
大谷羊太郎 「消えた爆走音」
2007年10月17日 読書同名書(廣済堂文庫、1988)所収、8篇中の3篇目。手元にあるこの文庫には、単行本・ノベルス情報が記載されていない。1篇しか読んでいないのでわからないけれど、全体的に文章はしっかりとしている印象。※以下、例によってネタバレにはご注意ください。
<深夜、新進ファッション・デザイナー浅路広子が絞殺された。時同じくして、オートバイの爆走が現場付近の静寂を破って走り抜け、ある地点を境にプッツリ跡絶えていた。音を頼りの追跡が滞る中、特別捜査本部は、広子の親友で女優の梅原佐和子から、広子が轢き逃げ事件を起こして何者かに脅迫されていたことを突きとめた。だが、証人で鋭敏な聴覚をもつ浪人生・小山好郎の“発見”によって、事件は予想外の結末を…!?>(後ろのところより。)
以前『食いタン』というTVドラマがあったけれど(日本テレビ系、原作は漫画)、それが“舌”を使って犯人逮捕への手がかりを得るような感じだったのに対して、雰囲気はぜんぜん違うけれど、この短篇小説では“耳”を使って…、みたいな感じかな(“鼻”なら警察犬がいるか)。「かなりの音楽マニアであり、ステレオで耳を鍛えたという」予備校生・小山くん(18歳)は、刑事たちを前に「あの音をもう一度聞いたら、すぐに分かります」と言う。――どういうマニアで、どういう鍛え方をしたのかよくわからないけれど、こういうのは耳でも舌でも、記憶力(脳)もよくないと駄目だろうね。……というか、そんなことはどうでもいいか(汗)。あ、英語のリスニング・テストには多少役に立ちそう?(あまり関係ないか)。
予備校があるのは「神田淡路町」とのこと。具体的にこのあたり、みたいなことも言えそうな感じ。「模擬入試」が終わったあと、小山くんは、裏通りに面している予備校の玄関口から「お茶の水駅」に通じる歩道を進んでいる。――何か実在する予備校を踏まえているのかな? あいかわらず地図とか、調べる気ゼロです(汗)。事件のあったマンションはどこにあるんだっけ? 「練馬区谷原」か。彼の家はその近くにあるはずだけれど、最寄の駅とかはどこだろうね? 季節は最初に「秋晴れ」とあるので、たぶん秋。時間経過は、数日くらい? 短篇だからか、犯人が逮捕されるのが早いな。
<深夜、新進ファッション・デザイナー浅路広子が絞殺された。時同じくして、オートバイの爆走が現場付近の静寂を破って走り抜け、ある地点を境にプッツリ跡絶えていた。音を頼りの追跡が滞る中、特別捜査本部は、広子の親友で女優の梅原佐和子から、広子が轢き逃げ事件を起こして何者かに脅迫されていたことを突きとめた。だが、証人で鋭敏な聴覚をもつ浪人生・小山好郎の“発見”によって、事件は予想外の結末を…!?>(後ろのところより。)
以前『食いタン』というTVドラマがあったけれど(日本テレビ系、原作は漫画)、それが“舌”を使って犯人逮捕への手がかりを得るような感じだったのに対して、雰囲気はぜんぜん違うけれど、この短篇小説では“耳”を使って…、みたいな感じかな(“鼻”なら警察犬がいるか)。「かなりの音楽マニアであり、ステレオで耳を鍛えたという」予備校生・小山くん(18歳)は、刑事たちを前に「あの音をもう一度聞いたら、すぐに分かります」と言う。――どういうマニアで、どういう鍛え方をしたのかよくわからないけれど、こういうのは耳でも舌でも、記憶力(脳)もよくないと駄目だろうね。……というか、そんなことはどうでもいいか(汗)。あ、英語のリスニング・テストには多少役に立ちそう?(あまり関係ないか)。
予備校があるのは「神田淡路町」とのこと。具体的にこのあたり、みたいなことも言えそうな感じ。「模擬入試」が終わったあと、小山くんは、裏通りに面している予備校の玄関口から「お茶の水駅」に通じる歩道を進んでいる。――何か実在する予備校を踏まえているのかな? あいかわらず地図とか、調べる気ゼロです(汗)。事件のあったマンションはどこにあるんだっけ? 「練馬区谷原」か。彼の家はその近くにあるはずだけれど、最寄の駅とかはどこだろうね? 季節は最初に「秋晴れ」とあるので、たぶん秋。時間経過は、数日くらい? 短篇だからか、犯人が逮捕されるのが早いな。
竹内志麻子 『そこで そのまま 恋をして』
2007年10月17日 読書集英社文庫コバルト・シリーズ、1987。まだ半分弱しか読んでいないけど、もう別に読まなくてもいいような…。挫折気味です。表紙カバーの折り返しのところの紹介文(?)は次のとおり。
<あたし、夕花子。バニーガールのバイトしながらひとり暮らししてたけど、冬が来たからウサギをやめてネコ(無職)になったの。/時々「来いよ」とTELかけてきてSEXするオトコ(28歳・放送作家)がいるのだけど、彼はデバートガールと同棲中なんだ。/そんなある日、葉介という純情な(?)予備校生と知りあった。彼ったら、大学やめて、ケーカンの試験を受けるといいだしたの……。>
主人公は皮膚感覚的に、時代の空気的に生きていて、“思考”があまりない感じ(まぁ人のことは言えないけれど)。文体的には、昨今はやりの“ケータイ小説”といい勝負? 短文・改行多しです。「あたし」(雨宮夕花子)が1つ年下の雪室葉介(2浪)と知り合ったのは、「ウサギ」になる前、予備校の近くの喫茶店でアルバイトをしていたとき、とのこと。美少年らしい葉介のその時の格好が、ジャージの上下にサンダルばきで「わかば」を吸っていた(しかも長髪)って、80年代の予備校生としてどうよ?(どうでもいいですかそうですか)。「大学やめて、ケーカンの試験を受けるといいだした」というか、警官の試験に受かってから事後報告的な感じ。葉介くんによれば、9月の半ば頃に自転車の盗難にあって(実は盗難ではなかったらしいけれど)そのさいにお巡りさんから、試験を受けることをすすめられたことがきっかけ、らしい。2浪の秋(O県警に採用されるのは12月だからもっとあとか)に大学受験をやめるかな、ふつう? まがりなりにも2年近く浪人生活を送ってきただろうに。なんていうか、行き詰まっているときに違う“にんじん”を目の前にぶらさげられると、ついそっちのほうに…、ということもあるか(一般論として)。そちらのほうが天職(天“進路”?)かもしれないし。そう、大学生になるより警察官になるほうが倍率的にはたいへんらしい、知らなかったです(知らなかったというより意識したことすらなかった。まぁ大学の入りやすさはピンキリだろうし)。ちなみに、放送作家の霜田幹夫と知り合ったのは、喫茶店の前、レコード店でアルバイトをしていたとき、とのこと。最後まで読んでいないのでわからないけれど、とりあえず本妻候補、デパートに勤める種雨子(しゅうこ)が接触してきて、「あたし」は負けた感じになっている。
<あたし、夕花子。バニーガールのバイトしながらひとり暮らししてたけど、冬が来たからウサギをやめてネコ(無職)になったの。/時々「来いよ」とTELかけてきてSEXするオトコ(28歳・放送作家)がいるのだけど、彼はデバートガールと同棲中なんだ。/そんなある日、葉介という純情な(?)予備校生と知りあった。彼ったら、大学やめて、ケーカンの試験を受けるといいだしたの……。>
主人公は皮膚感覚的に、時代の空気的に生きていて、“思考”があまりない感じ(まぁ人のことは言えないけれど)。文体的には、昨今はやりの“ケータイ小説”といい勝負? 短文・改行多しです。「あたし」(雨宮夕花子)が1つ年下の雪室葉介(2浪)と知り合ったのは、「ウサギ」になる前、予備校の近くの喫茶店でアルバイトをしていたとき、とのこと。美少年らしい葉介のその時の格好が、ジャージの上下にサンダルばきで「わかば」を吸っていた(しかも長髪)って、80年代の予備校生としてどうよ?(どうでもいいですかそうですか)。「大学やめて、ケーカンの試験を受けるといいだした」というか、警官の試験に受かってから事後報告的な感じ。葉介くんによれば、9月の半ば頃に自転車の盗難にあって(実は盗難ではなかったらしいけれど)そのさいにお巡りさんから、試験を受けることをすすめられたことがきっかけ、らしい。2浪の秋(O県警に採用されるのは12月だからもっとあとか)に大学受験をやめるかな、ふつう? まがりなりにも2年近く浪人生活を送ってきただろうに。なんていうか、行き詰まっているときに違う“にんじん”を目の前にぶらさげられると、ついそっちのほうに…、ということもあるか(一般論として)。そちらのほうが天職(天“進路”?)かもしれないし。そう、大学生になるより警察官になるほうが倍率的にはたいへんらしい、知らなかったです(知らなかったというより意識したことすらなかった。まぁ大学の入りやすさはピンキリだろうし)。ちなみに、放送作家の霜田幹夫と知り合ったのは、喫茶店の前、レコード店でアルバイトをしていたとき、とのこと。最後まで読んでいないのでわからないけれど、とりあえず本妻候補、デパートに勤める種雨子(しゅうこ)が接触してきて、「あたし」は負けた感じになっている。
桜木知沙子 『ワンダフル・ライフ』
2007年10月17日 読書白泉社花丸文庫、1999。BL小説を取りあげるのはこれで2度目。とりあえず以前読んだものよりは、エッチな場面(おえー)が少なくてよかったです。※以下、毎度すみません、ネタバレ注意です。
<北大医学部を目指す予備校生・森川友朗が下宿している「うぐいす館」。ここには「四月に入ると必ず合格する」というジンクスがあると聞いていたのだが、本当は「全員合格するか、全員一緒に落ちる」の間違いだった。焦る友朗は、下宿仲間の中でも四浪している浅羽集一の尻を叩くのだが、ちゃらんぽらんに見えていた彼には、実は隠された過去があったのだ…!>(表紙カバーより。)
わかりやすくてふつうの小説、という感じがするけれど、“浪人生小説”(そんなジャンルはない)として読むと、意外とちゃんとしていて、BLの要素がなければ、わりとお薦めできる小説かもしれない。とびとびな感じではあるけれど、ちゃんと1年間が描かれてもいるし。
下宿は、お約束のおんぼろ系(?)築40年で、おばさん(=東雲ツル、年齢的にはおばあさん)が1人で食事を出したりしている。入居者は、まっすぐな性格の主人公、友朗(医学部志望)と、友朗と同じく1浪で元気がとりえの井崎雄太(教育学部志望)、雄太と高校が同じで1年先輩で、ちょっと暗い感じがする梶村(「法学コース」・父親が弁護士、途中で進路変更)、そして友朗と同じ「医進コース」に所属する、当初はよくしゃべるハンサムな浅羽(4浪、父親が医者)の4人。読んでいるときはあまり気にならなかったけれど、キャラを立てやすい感じのばらけ方になっている…のかな。4人とも同じ予備校=「優駿予備校」(聞いたことがあるようなないような名前だな)に通っていて、札幌駅の北口のほうにある「うぐいす館」から駅の裏にあるそこまでは自転車で5分くらいらしい。朝の“自転車争奪戦”は、なんていうか、ちょっと青春が入っていてよいかもしれない。予備校に関しては、校舎の近くに10階建ての寮があって300人以上の寮生がいるらしいし(p.32のへん)、友朗たちのように下宿や、自宅などから通っている生徒もいるだろうから(札幌駅の近くだし)、比較的大きめの予備校なのかな? わからないけれど。
友朗と浅羽の“医学部志望動機ばなし”(?)みたいなことも、“受験生小説”としては読みどころなのかもしれないけれど、個人的にはあまり興味がないな、医学部がらみの話。そう、雄太くんの教育学部志望の理由というのが、<小学校の時に、出来なかったさか上がりを先生に教えてもらって出来るようになって以来の教育学部志望>(p.7)とのことで、いいかげんというか、この理由はちょっとどうなのかな、と思わなくもない。かなしいかな、教育学部は不人気だよね…、特に小説では(?)。雄太くんは、最後(ネタバレしてしまうけれど)「東京の学芸大」に受かっていて、そんなまともな大学(?)に合格させるなら、もっとまともな志望理由があってもよかったのではないか、と思う。そういえば、下宿の4人のなかで雄太だけ、予備校で何コースに通っているのかが(どこに所属しているのかが)書かれていない。あ、でも、主人公の友朗にしても、小さいころに医者におばあちゃんの命を救ってもらったから、みたいなことが医者志望のきっかけで、対比的に浅羽さんの「隠された過去」がらみの話がなければ、単純といえば単純な理由であるかもしれない。
あと、友朗(稚内出身)が同じく札幌に出てきている高校の同級生たち(大学生または社会人)と会って、ばつの悪い思いするとか、それとも関係するのだけれど、高校2年のときから付き合っている彼女(矢口明音、札幌の女子大に通っているらしい)とは結局、別れることになるとか、そういった“浪人生小説”にお約束な展開などもちゃんと(?)備わっている。でも、浅羽さん(実はかなり頭がよいことがあとでわかる)を除いて、みんな勉強はちゃんとこなしているみたいで、そのあたりがちょっと残念かな、浪人生小説として。模擬テストで悪い点数とかをとってへこみまくるとか、そんなベタな話も欲しかったような(そんやつは私だけか…)。そもそもみんな、2浪している梶村さんにしても、浪人生=受験敗者としての“挫折感”にかけているような気が…。あ、現役受験生と浪人生との違い、には、どこかで触れられていた気がするけれど。
細かいところにツッコミを入れてもあまり意味がないけれど、この小説、下宿とか予備校とか(あと夏期講習とか)の設定はけっこうちゃんとしているのに、勉強内容(みたいなこと)が嘘っぽくて、それもちょっと残念かも。具体的には、
<息をついてテキストを見た。今日は運動量原理の回だ。>(p.112、夏期講習で授業の始まる前)
<とりあえず一休みするかと、物理のテキストを閉じた。今まで見ていたデルタやベクトルが瞼の裏でちかちか踊る。>(p.128、下宿で夜、勉強しているとき)
<げっそりと常盤が肩を落とす。/「オレ最悪。数学、自然数かなりヤバいわ」>(p.162、模試が終わったあと、常盤=友朗の予備校の友達)
という感じの箇所。ほかの小説を読んでいても同じように思うことが多いけれど、上の箇所を見るかぎり、この作者が「物理」や「数学」が得意であるとは思えない。「デルタ」というのは“δ”とか“?”? 「ベクトル」って矢印(“→”)であるし、どういう「踊り」が瞼の裏でちかちか踊られているのか、ちょっと謎です。個人的には頭の中で、疑問符が乱舞してしまう(意味不明?)。いちばん下は「自然数」ではなく、「自然数の問題」とか言えば多少ましになるかな。「自然数」(1, 2, 3, ....)自体がヤバい人は、そもそも医学部なんて受けちゃ駄目だろうしね。(ネタバレしてしまうけれど、常盤くんは結局、好きな須田さん(須田久仁子)と一緒に札幌医大に合格している。)
うーん、受験がらみのことで書き忘れていることがたくさんあるような気がするけれど、まぁいいか。そういえば、舞台が北海道で、登場人物がぜんいん北海道出身(たぶん)なのに、方言が1度も使われていなかったような気が。(そういえば、この1年くらい、北海道小説を東京小説の次くらいにたくさん読んでいる気がする。氷室冴子『雑居時代』、窪田僚『ファースト スノウ キッス』、小檜山博『地吹雪』、札幌ではないけれど、佐々木丸美『崖の館』。上京しているけれど、佐川光晴『家族芝居』も主人公の実家・出身高校が札幌市ではなかったっけ? ――5、6作くらい別に多くはないか。というか、読んでいる本に統一感がぜんぜんないな(汗)。)
<北大医学部を目指す予備校生・森川友朗が下宿している「うぐいす館」。ここには「四月に入ると必ず合格する」というジンクスがあると聞いていたのだが、本当は「全員合格するか、全員一緒に落ちる」の間違いだった。焦る友朗は、下宿仲間の中でも四浪している浅羽集一の尻を叩くのだが、ちゃらんぽらんに見えていた彼には、実は隠された過去があったのだ…!>(表紙カバーより。)
わかりやすくてふつうの小説、という感じがするけれど、“浪人生小説”(そんなジャンルはない)として読むと、意外とちゃんとしていて、BLの要素がなければ、わりとお薦めできる小説かもしれない。とびとびな感じではあるけれど、ちゃんと1年間が描かれてもいるし。
下宿は、お約束のおんぼろ系(?)築40年で、おばさん(=東雲ツル、年齢的にはおばあさん)が1人で食事を出したりしている。入居者は、まっすぐな性格の主人公、友朗(医学部志望)と、友朗と同じく1浪で元気がとりえの井崎雄太(教育学部志望)、雄太と高校が同じで1年先輩で、ちょっと暗い感じがする梶村(「法学コース」・父親が弁護士、途中で進路変更)、そして友朗と同じ「医進コース」に所属する、当初はよくしゃべるハンサムな浅羽(4浪、父親が医者)の4人。読んでいるときはあまり気にならなかったけれど、キャラを立てやすい感じのばらけ方になっている…のかな。4人とも同じ予備校=「優駿予備校」(聞いたことがあるようなないような名前だな)に通っていて、札幌駅の北口のほうにある「うぐいす館」から駅の裏にあるそこまでは自転車で5分くらいらしい。朝の“自転車争奪戦”は、なんていうか、ちょっと青春が入っていてよいかもしれない。予備校に関しては、校舎の近くに10階建ての寮があって300人以上の寮生がいるらしいし(p.32のへん)、友朗たちのように下宿や、自宅などから通っている生徒もいるだろうから(札幌駅の近くだし)、比較的大きめの予備校なのかな? わからないけれど。
友朗と浅羽の“医学部志望動機ばなし”(?)みたいなことも、“受験生小説”としては読みどころなのかもしれないけれど、個人的にはあまり興味がないな、医学部がらみの話。そう、雄太くんの教育学部志望の理由というのが、<小学校の時に、出来なかったさか上がりを先生に教えてもらって出来るようになって以来の教育学部志望>(p.7)とのことで、いいかげんというか、この理由はちょっとどうなのかな、と思わなくもない。かなしいかな、教育学部は不人気だよね…、特に小説では(?)。雄太くんは、最後(ネタバレしてしまうけれど)「東京の学芸大」に受かっていて、そんなまともな大学(?)に合格させるなら、もっとまともな志望理由があってもよかったのではないか、と思う。そういえば、下宿の4人のなかで雄太だけ、予備校で何コースに通っているのかが(どこに所属しているのかが)書かれていない。あ、でも、主人公の友朗にしても、小さいころに医者におばあちゃんの命を救ってもらったから、みたいなことが医者志望のきっかけで、対比的に浅羽さんの「隠された過去」がらみの話がなければ、単純といえば単純な理由であるかもしれない。
あと、友朗(稚内出身)が同じく札幌に出てきている高校の同級生たち(大学生または社会人)と会って、ばつの悪い思いするとか、それとも関係するのだけれど、高校2年のときから付き合っている彼女(矢口明音、札幌の女子大に通っているらしい)とは結局、別れることになるとか、そういった“浪人生小説”にお約束な展開などもちゃんと(?)備わっている。でも、浅羽さん(実はかなり頭がよいことがあとでわかる)を除いて、みんな勉強はちゃんとこなしているみたいで、そのあたりがちょっと残念かな、浪人生小説として。模擬テストで悪い点数とかをとってへこみまくるとか、そんなベタな話も欲しかったような(そんやつは私だけか…)。そもそもみんな、2浪している梶村さんにしても、浪人生=受験敗者としての“挫折感”にかけているような気が…。あ、現役受験生と浪人生との違い、には、どこかで触れられていた気がするけれど。
細かいところにツッコミを入れてもあまり意味がないけれど、この小説、下宿とか予備校とか(あと夏期講習とか)の設定はけっこうちゃんとしているのに、勉強内容(みたいなこと)が嘘っぽくて、それもちょっと残念かも。具体的には、
<息をついてテキストを見た。今日は運動量原理の回だ。>(p.112、夏期講習で授業の始まる前)
<とりあえず一休みするかと、物理のテキストを閉じた。今まで見ていたデルタやベクトルが瞼の裏でちかちか踊る。>(p.128、下宿で夜、勉強しているとき)
<げっそりと常盤が肩を落とす。/「オレ最悪。数学、自然数かなりヤバいわ」>(p.162、模試が終わったあと、常盤=友朗の予備校の友達)
という感じの箇所。ほかの小説を読んでいても同じように思うことが多いけれど、上の箇所を見るかぎり、この作者が「物理」や「数学」が得意であるとは思えない。「デルタ」というのは“δ”とか“?”? 「ベクトル」って矢印(“→”)であるし、どういう「踊り」が瞼の裏でちかちか踊られているのか、ちょっと謎です。個人的には頭の中で、疑問符が乱舞してしまう(意味不明?)。いちばん下は「自然数」ではなく、「自然数の問題」とか言えば多少ましになるかな。「自然数」(1, 2, 3, ....)自体がヤバい人は、そもそも医学部なんて受けちゃ駄目だろうしね。(ネタバレしてしまうけれど、常盤くんは結局、好きな須田さん(須田久仁子)と一緒に札幌医大に合格している。)
うーん、受験がらみのことで書き忘れていることがたくさんあるような気がするけれど、まぁいいか。そういえば、舞台が北海道で、登場人物がぜんいん北海道出身(たぶん)なのに、方言が1度も使われていなかったような気が。(そういえば、この1年くらい、北海道小説を東京小説の次くらいにたくさん読んでいる気がする。氷室冴子『雑居時代』、窪田僚『ファースト スノウ キッス』、小檜山博『地吹雪』、札幌ではないけれど、佐々木丸美『崖の館』。上京しているけれど、佐川光晴『家族芝居』も主人公の実家・出身高校が札幌市ではなかったっけ? ――5、6作くらい別に多くはないか。というか、読んでいる本に統一感がぜんぜんないな(汗)。)
梶原杢太郎 『チキンライススープ』
2007年10月16日 読書角川書店、1995。この小説も読んでいて言葉が頭に入ってこない(涙)。右の耳から左の耳へ、というか右のへんの脳に入って左の脳へ移る前に消失してしまう、というか。すみません、なので3分の1くらい読んで挫折、読みきれなかったです。文体はちょっと詩的といえば詩的かな(あ、作者はミュージシャンの大江千里)。そういえば、久しぶりに海外が舞台になっている小説を読んだ気がする。といってもニューヨークで、主な登場人物たちは日本人だけど。
<なんだか、俺の体温は一向に下がらない/健と善、明美と渚。チェルーのアパートからスタートした4人の“live”は、思い思いのかたちでNYという街に馴染んでいった・・・・・。/あてもなく、癒されないさみしさを描く青春小説。>(帯より)
よくわからないのだけれど、「俺」(健)と善(善朗)の2人は、予備校のほかに(市ヶ谷の)英会話スクールに通っていたの? うーん…。ま、どうでもいいか。そこで男2人と女2人は知り合ったらしい。で、よくわからないけれど、NYへ行って、とりあえず最初は1つの部屋で共同生活をしていたらしい。恋愛小説といえば恋愛小説っぽいかな、明美とセッ○スする仲の「俺」は、善と付き合っていた渚(黒人のスポンサーがいるらしい)のことが好きで……みたいな話。(で、渚の双子の妹たちが彼女のもとにやってきたあたりで、わたくし、本を放擲です(汗)。)
あ、傍点付きの「浪人中退」という言葉が出てくるな。もう1度大学受験を考えるかどうかは別として、とりあえずはドロップアウト系、というか、とりあえずドロップアウト後が描かれている感じ。海外へ行けば(“逃げる”ではなく積極的にでも)どうにかなるかといえば、そんなうまい話はない、のかな? (そういえば、小説ではないけれど、フジテレビだったかな、渋谷区で起きた兄が妹を殺害してバラバラにした事件、の裁判を伝えるニュースのなかで、その被告人のことを「元予備校生」と呼んでいたと思う。事件そのものはともかく、そんな肩書きはちょっとないんじゃないかな。)
<なんだか、俺の体温は一向に下がらない/健と善、明美と渚。チェルーのアパートからスタートした4人の“live”は、思い思いのかたちでNYという街に馴染んでいった・・・・・。/あてもなく、癒されないさみしさを描く青春小説。>(帯より)
よくわからないのだけれど、「俺」(健)と善(善朗)の2人は、予備校のほかに(市ヶ谷の)英会話スクールに通っていたの? うーん…。ま、どうでもいいか。そこで男2人と女2人は知り合ったらしい。で、よくわからないけれど、NYへ行って、とりあえず最初は1つの部屋で共同生活をしていたらしい。恋愛小説といえば恋愛小説っぽいかな、明美とセッ○スする仲の「俺」は、善と付き合っていた渚(黒人のスポンサーがいるらしい)のことが好きで……みたいな話。(で、渚の双子の妹たちが彼女のもとにやってきたあたりで、わたくし、本を放擲です(汗)。)
あ、傍点付きの「浪人中退」という言葉が出てくるな。もう1度大学受験を考えるかどうかは別として、とりあえずはドロップアウト系、というか、とりあえずドロップアウト後が描かれている感じ。海外へ行けば(“逃げる”ではなく積極的にでも)どうにかなるかといえば、そんなうまい話はない、のかな? (そういえば、小説ではないけれど、フジテレビだったかな、渋谷区で起きた兄が妹を殺害してバラバラにした事件、の裁判を伝えるニュースのなかで、その被告人のことを「元予備校生」と呼んでいたと思う。事件そのものはともかく、そんな肩書きはちょっとないんじゃないかな。)
松原好之 『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』
2007年10月16日 読書集英社、1980。面白かったか面白くなかったか以前に、この小説も読んでいてなかなか意味が頭に入ってこなくて…。語られている内容が主人公の行動に比べて抽象的で、タイトルからもうかがえるけれど、表現もちょっと大袈裟な小説であると思う。そんなわけで(?)例によって表面的な話の流れだけを読んで、むりやりに読了です。主人公の「僕」(空知誠)は、賀茂川近くに下宿している京都大学理学部志望の予備校生。同じ下宿には偶然、高校のときに学園紛争のカリスマ的な存在であった男、吹石がいて(「僕」の実家、高校は静岡)、手紙の中で忠告をしてくれる友達(本田とよひこ、東大理?現役合格)や高校の英語教師(木下葉子)もいるのだけれど、主人公はその吹石にだんだんと影響されていく、みたいな話。←違ってますか? 下宿には浪人生ばかりが入居しているっぽい。名前が出てくるのは10人弱くらい? 最初のほうでは川原でソフトボールをしていると書かれていたり、友達友達みたいな感じではないけれど、とりあえず吹石が波風を立てる前まではみんな仲が悪い感じではない。あと、そう、「僕」と付き合うようになる短大生のユウコが、平手で殴られたりとか、最後のところとか、ちょっとかわいそうかな。ちなみに、描かれているのは春から翌年の入試日まで。
ところで、大森望・豊?由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版、2004)という対談本に次のような箇所がある。
<大森 すばる文学賞といえば、最初のころに、「京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ」(松原好之 第3回)っていう、タイトルも中身もものすごい作品がありましたね。当時、あまりのことに「なんじゃこれは」と話題になった。今となっては懐かしいなあ(笑)。/豊? この人消えてるんですか? /大森 うん、これ一作でしょう。ちょうど僕が大学に受かって京都へ来たばかりのころに出たんで、どれどれと思って読んだけど……とにかくもう、なんとも形容しがたいくらいすごい珍品でした。なんだったんだろうな、あれは。>(p.68)
誰が読んでもアレ(?)な小説かもしれないけれど、現役合格した現役京大生が、(時代はずれていても)ほとんど同じ歳の京大浪人生が主人公である小説を読む……というのはどんなもんだろうね? さくっとは感情移入ができないかもしれない。大森氏(1961年生まれ、SF翻訳家)は、「これ一作でしょう」と語っているけれど、まったく話題にならなかったにしても、いちおう同じ集英社からあと2冊小説が出ているようだ(『過激派はやさしい瞳をしている』『結婚式』)。([訂正]この2作は、本にはなっていない雑誌掲載作どまりのようだ。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
余分な話をしてもしようがないけれど、個人的にはこの『京都よ、〜』の前に、同じ作者の「再生不良性貧血」と題する小説を読んだことがあって。作者(1952年生まれ)は予備校講師で受験参考書も出しているらしいのだけれど、昔――といってもそれほど昔ではないか、受験雑誌『螢雪時代』の姉妹誌のような、学習記事を中心とした『螢雪アルシェ』(または『KEISETSU Arche』)という雑誌があったのだけれど、「再生〜」は、そこで連載されていたもの(1998年4月号〜1999年2月号。その2月号で休刊に)。内容はぜんぜん覚えていなくて――部屋の奥のほうからいま取り出して見てみると――、そう、主人公が予備校講師だったっけな、思い出しました(主人公は1970年生まれらしい)。でも、それ以外のことがぜんぜん覚えていない(汗)。とりあえず、「第一回」をざっと見てみたかぎり、受験生が読んでおもしろい小説であるとはとても思えない。若い女の子とかならまだしも、20代後半の男性が死亡確率50%の病気にかかってもなぁ…。ちなみに、私が読んだのは大学生のときで、家庭教師や小さな塾でアルバイトをしていたとき。
そういえば、塾でバイトをしていたときに、何かの折にほかの講師というか、別の大学に通っていた大学生に、「『アルシェ』って知ってますか?」と訊いたら、「ああ、日○教○フォー○ムね」と返されたことがあるのだけれど、その雑誌が休刊する前くらいは、執筆者の多くがその予備校講師団体所属の人になっている。『アルシェ』の連載記事は、“螢雪ライブシリーズ”として単行本化されていたのだけれど、ほとんど絶版?(薬袋善郎の「モヤモヤを残さない英文法」という連載記事が『TOEICテストスーパートレーニング 基礎文法編』として単行本化されていて、それはまだ手に入るかな。同様の形でほかにも命を保っている記事があるかも)。いま手に入る旺文社の参考書としては、執筆者が予備校講師であるし、“DOシリーズ”というのが中身的にはいちばん近いかな? ……えーと、ずるずるした話が続くけれど、昔、研究社から出ていた英語教師向け・受験生向けの雑誌に『高校英語研究』というのもあって(よく知らないけれど、前身は『受験と学生』。歴史のあった雑誌)、何かの折に人と話していたら、「晩年は駿台化していましたよね」と言われたことがあって。私は最後の1年しか知らないけれど(1996年3月号で休刊に)、執筆者の何人かがその予備校の講師または元講師で、そう言われれば確かにそうだったかもしれない。
同様に(?)以前、研究社から英語教師向けに『現代英語教育』という雑誌が出ていたのだけれど(休刊した『高英研』の代わりに購入していた感じ)、誰かがその雑誌について、「最後のころは予備校化していた」と書いていたのを読んだことがある(ネットでかな、あとで検索しておきます)。どういう意味でそう言っていたのかは覚えていないけれど、最後の1年(1998年度)にはその名もずばり、「予備校の流儀」という連載記事が掲載されていた。で、それを担当していたのがまた予備校講師の集団、○本○育○ォーラムなわけで。持ち回りというかリレー連載のような形だったのだけれど、まともな文章を書いている人(福崎伍郎とか薬袋善郎とか)もたしかにいて、でも、しかし――あぁやっと話が元に戻る(涙)、大森望が感じたことにもたぶん通じるかと思う、その中で一読、個人的に「なんじゃこれは」と思ったのが、松原氏の記事。「第10回 語学の大衆化と文法」(1999年2月号)、「第11回 知恵の塊としての文法」(同年3月号。その3月号で休刊に)。なんていうか、だらだらと野球の話とか書きやがって? これ、誰からも怒られなかったのかな…、とりあえず教育誌に載せていいような文章じゃないと思う。
ところで、大森望・豊?由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版、2004)という対談本に次のような箇所がある。
<大森 すばる文学賞といえば、最初のころに、「京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ」(松原好之 第3回)っていう、タイトルも中身もものすごい作品がありましたね。当時、あまりのことに「なんじゃこれは」と話題になった。今となっては懐かしいなあ(笑)。/豊? この人消えてるんですか? /大森 うん、これ一作でしょう。ちょうど僕が大学に受かって京都へ来たばかりのころに出たんで、どれどれと思って読んだけど……とにかくもう、なんとも形容しがたいくらいすごい珍品でした。なんだったんだろうな、あれは。>(p.68)
誰が読んでもアレ(?)な小説かもしれないけれど、現役合格した現役京大生が、(時代はずれていても)ほとんど同じ歳の京大浪人生が主人公である小説を読む……というのはどんなもんだろうね? さくっとは感情移入ができないかもしれない。大森氏(1961年生まれ、SF翻訳家)は、「これ一作でしょう」と語っているけれど、まったく話題にならなかったにしても、いちおう同じ集英社からあと2冊小説が出ているようだ(『過激派はやさしい瞳をしている』『結婚式』)。([訂正]この2作は、本にはなっていない雑誌掲載作どまりのようだ。)
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余分な話をしてもしようがないけれど、個人的にはこの『京都よ、〜』の前に、同じ作者の「再生不良性貧血」と題する小説を読んだことがあって。作者(1952年生まれ)は予備校講師で受験参考書も出しているらしいのだけれど、昔――といってもそれほど昔ではないか、受験雑誌『螢雪時代』の姉妹誌のような、学習記事を中心とした『螢雪アルシェ』(または『KEISETSU Arche』)という雑誌があったのだけれど、「再生〜」は、そこで連載されていたもの(1998年4月号〜1999年2月号。その2月号で休刊に)。内容はぜんぜん覚えていなくて――部屋の奥のほうからいま取り出して見てみると――、そう、主人公が予備校講師だったっけな、思い出しました(主人公は1970年生まれらしい)。でも、それ以外のことがぜんぜん覚えていない(汗)。とりあえず、「第一回」をざっと見てみたかぎり、受験生が読んでおもしろい小説であるとはとても思えない。若い女の子とかならまだしも、20代後半の男性が死亡確率50%の病気にかかってもなぁ…。ちなみに、私が読んだのは大学生のときで、家庭教師や小さな塾でアルバイトをしていたとき。
そういえば、塾でバイトをしていたときに、何かの折にほかの講師というか、別の大学に通っていた大学生に、「『アルシェ』って知ってますか?」と訊いたら、「ああ、日○教○フォー○ムね」と返されたことがあるのだけれど、その雑誌が休刊する前くらいは、執筆者の多くがその予備校講師団体所属の人になっている。『アルシェ』の連載記事は、“螢雪ライブシリーズ”として単行本化されていたのだけれど、ほとんど絶版?(薬袋善郎の「モヤモヤを残さない英文法」という連載記事が『TOEICテストスーパートレーニング 基礎文法編』として単行本化されていて、それはまだ手に入るかな。同様の形でほかにも命を保っている記事があるかも)。いま手に入る旺文社の参考書としては、執筆者が予備校講師であるし、“DOシリーズ”というのが中身的にはいちばん近いかな? ……えーと、ずるずるした話が続くけれど、昔、研究社から出ていた英語教師向け・受験生向けの雑誌に『高校英語研究』というのもあって(よく知らないけれど、前身は『受験と学生』。歴史のあった雑誌)、何かの折に人と話していたら、「晩年は駿台化していましたよね」と言われたことがあって。私は最後の1年しか知らないけれど(1996年3月号で休刊に)、執筆者の何人かがその予備校の講師または元講師で、そう言われれば確かにそうだったかもしれない。
同様に(?)以前、研究社から英語教師向けに『現代英語教育』という雑誌が出ていたのだけれど(休刊した『高英研』の代わりに購入していた感じ)、誰かがその雑誌について、「最後のころは予備校化していた」と書いていたのを読んだことがある(ネットでかな、あとで検索しておきます)。どういう意味でそう言っていたのかは覚えていないけれど、最後の1年(1998年度)にはその名もずばり、「予備校の流儀」という連載記事が掲載されていた。で、それを担当していたのがまた予備校講師の集団、○本○育○ォーラムなわけで。持ち回りというかリレー連載のような形だったのだけれど、まともな文章を書いている人(福崎伍郎とか薬袋善郎とか)もたしかにいて、でも、しかし――あぁやっと話が元に戻る(涙)、大森望が感じたことにもたぶん通じるかと思う、その中で一読、個人的に「なんじゃこれは」と思ったのが、松原氏の記事。「第10回 語学の大衆化と文法」(1999年2月号)、「第11回 知恵の塊としての文法」(同年3月号。その3月号で休刊に)。なんていうか、だらだらと野球の話とか書きやがって? これ、誰からも怒られなかったのかな…、とりあえず教育誌に載せていいような文章じゃないと思う。
小檜山博 『地吹雪』
2007年10月15日 読書河出書房新社、1982。小説としては面白かったです。意外にけっこうな名作? 北海道は札幌の自然・季節とかが色鮮やかな感じで(映像化しやすそう)、初出は文芸誌らしいけれど、大衆小説(エンタメ系小説)寄りの文体には、なんていうか“力”(“生命力”と言えばいいのか)がある感じで。――でも、性欲、性欲な主人公に対しては、あんたさー、みたいなこと(?)は思ってしまう、読んでいて頭の中でツッコみまくりでした(汗)。※以下、ミステリではないですが、かなりのネタバレしているので、ご注意ください。どうしようかな、2部構成になっているのだけれど、とりあえず別々にあらすじなどを。
「第一部 地吹雪」(初出:『文藝』1980年10月)
“活字拾い”として印刷工場で働きながら、夜、予備校に通う主人公の耕次(実家は貧しい畑作農家)は、自分の性欲に悩むのではなく(いちおう悩んではいるのか)それを向ける矛先のなさに焦っている感じ。高校の同級生で苫小牧の書店で働く彼女(千絵)は、手紙で受験勉強の応援をするばかりで、要するにやらせてくれない。そんなときねらいを定めたというか、耕次が手を出すことになるのが、新しく下宿しはじめた家の娘――2人姉妹の妹のほうで、名前は真砂子。短大卒で洋装店に勤めていて、旭川で高校教師をしている彼氏(婚約者)がいる。最初はむりやりな感じで、そのあとは両親や姉の目を盗んで2階の娘の部屋で、または近くの公園でやりまくりな感じ。←いや、だから主人公に対しては「あの、キミねぇ…」とか思うけれど。なにせ「光の束」が腰のあたりに集まってしまうのだからしかたがない?(なんじゃそりゃ…)。しかも、ネタバレしてしまうけれど、この小説も「妊娠小説かよ!」であるけれど、極めつけは1度子どもを堕したあと、その娘をもう1度妊娠させていること(ちょっとびっくり)。もしかしたら“妊娠小説”としても貴重な1品かも。最後はその娘というか真砂子が睡眠薬を多量に飲んで自殺をはかる、みたいな(小説とかTVドラマとかに)よくありそうな感じの終わり。主人公の心理もあまり書かれていないのだけれど(しゃべるとけっこう軽々しいのだけれど、基本的に口数が少ない感じ)、ちゃんとした婚約者のいる真砂子さんの気持ちがよくわからないな…。相手のやりたいようにやられていて(もう少し言葉を選んだほうがいいか(汗))耕次と同じ種類の性欲に突き動かされている、というわけでもないだろうし。耕次くんが好きであるにしても、その理由はいちど考え直したほうがよかったかもね。主人公に対しては同情ができるかな…、無理か。女癖が悪かったらしい父親の血を引いているとか、はあるみたいだけれど。
「第二部 雪虫」(『文藝』1982年2月)
「第一部」と似た話(構成も似ている?)だけれど、そこで描かれていない部分を補足している感じ(例えば職場のこととか、家族のこととか)。これもひと言でいえば“妊娠小説”。「第一部」の翌年の話で、今度は新しい下宿でそこの奥さん(高子)に手を出している。前年のようにやりまくりではなく、毎回拒まれて、でも、これで最後にするから、などと言いくるめてやっている。で、避妊のひの字も知らなそうな主人公の耕次に訪れる出来事といったら、当然、奥さんの妊娠(子宮外妊娠)。怒った旦那さんに殴られる殴られる。にもかかわらず、冷静に「あやまんないよ、おれ」(p.188)という台詞。――すごいのかすごくないのか、よくわからないな(汗)。でも、そんな、それどころではない状況でも東京へ大学(私立。三流大学?)を受けに行き、しかし、当然のことながら大学受験はそれほど甘くなく(?)試験ではぜんぜん問題が解けず、悲惨な感じに。最後の場面では苫小牧にいる彼女、千絵にも――いちど部屋で奥さんと重なっているところを見られているので、当然かもしれないけれど――ふられている。ただ、繰り返せば、こうしたストーリー自体が面白い小説ではないと思うけれど。ちなみに、奥さんには出張がちの夫のほかに3歳になる娘がいる。あと、こちらのほうの下宿には主人公のほかに2人の住人――彼女をよく連れ込んでいる「学生」(大学生)と、札幌の国立大学を受けるらしい3浪の「予備校生」がいる。
浪人生小説としては、主人公は“苦学浪人生”といえばそうかもしれないけれど、読んでいて思ったのは、他人から安易に「働きながら勉強しているなんてえらいわねぇ」とか言われることは、ちょっと嫌だね。プレッシャーになるからではなく(それもあるかな)、別に好きで印刷工場で働きながら勉強しているわけではないから。そう、最後まで読んで結局よくわからなかったのが、主人公が大学に入ろうとしている理由。“階級上昇”的な理由でもなさそうだし、“知”に憧れて、みたいなこと(中野孝次「雪ふる年よ」参照)でもない感じだし。大卒の人たちに対してあまりよい印象を抱いていない感じでもあるし。見返してやりたい、という理由もあまりないのでは?(でもあるのかな、わからない)。あと、職場でまわり(ほかの文選工)が高卒の人ばかりであると、大学受験をしようとするだけで、1人浮いちゃうんだね。ふつうの受験生にはないだろう、そんな精神的な障害も乗り越えないといけないのか(うーん…)。家族もあまり協力的ではないというか、母親からの手紙の文面は、お金を送ってくれとか、帰って来て畑仕事をしろとか、そんな感じ。
季節は2篇(2部)とも初夏くらいから始まっている。予備校は6時から9時までらしい(いわゆる「夜間部」?)。浪人生小説としてはパターンだけれど、この小説でもけっこうさぼっている感じ。行っても途中で帰ってきてしまったり。さぼってどこへ行くかといえば、ススキノ近し(?)オデン屋とか赤提灯とかに飲みに。勉強は英語と数学がよく出てくるかな、あとは古文だけ(?)。そう、作中年がこれまた、自分の歴史的な知識がないせいでわからない(涙)、沖縄の最初の知事が誕生したのっていつ? 沖縄返還・本土復帰と同じ年(1971年)でいいの? それよりも前?後? ちなみに作者は昭和12年(1937年)生まれらしい。世代的には作家でいえば大江健三郎(1935-)やなんかと同じくらいか。で、結局、この小説も、真面目にこつこつと受験勉強をしている浪人生には勧められないかな…。微妙です。でも、こんな破滅的な青春小説(?)を怖いもの見たさで読んでみるのも、一興かな。
「第一部 地吹雪」(初出:『文藝』1980年10月)
“活字拾い”として印刷工場で働きながら、夜、予備校に通う主人公の耕次(実家は貧しい畑作農家)は、自分の性欲に悩むのではなく(いちおう悩んではいるのか)それを向ける矛先のなさに焦っている感じ。高校の同級生で苫小牧の書店で働く彼女(千絵)は、手紙で受験勉強の応援をするばかりで、要するにやらせてくれない。そんなときねらいを定めたというか、耕次が手を出すことになるのが、新しく下宿しはじめた家の娘――2人姉妹の妹のほうで、名前は真砂子。短大卒で洋装店に勤めていて、旭川で高校教師をしている彼氏(婚約者)がいる。最初はむりやりな感じで、そのあとは両親や姉の目を盗んで2階の娘の部屋で、または近くの公園でやりまくりな感じ。←いや、だから主人公に対しては「あの、キミねぇ…」とか思うけれど。なにせ「光の束」が腰のあたりに集まってしまうのだからしかたがない?(なんじゃそりゃ…)。しかも、ネタバレしてしまうけれど、この小説も「妊娠小説かよ!」であるけれど、極めつけは1度子どもを堕したあと、その娘をもう1度妊娠させていること(ちょっとびっくり)。もしかしたら“妊娠小説”としても貴重な1品かも。最後はその娘というか真砂子が睡眠薬を多量に飲んで自殺をはかる、みたいな(小説とかTVドラマとかに)よくありそうな感じの終わり。主人公の心理もあまり書かれていないのだけれど(しゃべるとけっこう軽々しいのだけれど、基本的に口数が少ない感じ)、ちゃんとした婚約者のいる真砂子さんの気持ちがよくわからないな…。相手のやりたいようにやられていて(もう少し言葉を選んだほうがいいか(汗))耕次と同じ種類の性欲に突き動かされている、というわけでもないだろうし。耕次くんが好きであるにしても、その理由はいちど考え直したほうがよかったかもね。主人公に対しては同情ができるかな…、無理か。女癖が悪かったらしい父親の血を引いているとか、はあるみたいだけれど。
「第二部 雪虫」(『文藝』1982年2月)
「第一部」と似た話(構成も似ている?)だけれど、そこで描かれていない部分を補足している感じ(例えば職場のこととか、家族のこととか)。これもひと言でいえば“妊娠小説”。「第一部」の翌年の話で、今度は新しい下宿でそこの奥さん(高子)に手を出している。前年のようにやりまくりではなく、毎回拒まれて、でも、これで最後にするから、などと言いくるめてやっている。で、避妊のひの字も知らなそうな主人公の耕次に訪れる出来事といったら、当然、奥さんの妊娠(子宮外妊娠)。怒った旦那さんに殴られる殴られる。にもかかわらず、冷静に「あやまんないよ、おれ」(p.188)という台詞。――すごいのかすごくないのか、よくわからないな(汗)。でも、そんな、それどころではない状況でも東京へ大学(私立。三流大学?)を受けに行き、しかし、当然のことながら大学受験はそれほど甘くなく(?)試験ではぜんぜん問題が解けず、悲惨な感じに。最後の場面では苫小牧にいる彼女、千絵にも――いちど部屋で奥さんと重なっているところを見られているので、当然かもしれないけれど――ふられている。ただ、繰り返せば、こうしたストーリー自体が面白い小説ではないと思うけれど。ちなみに、奥さんには出張がちの夫のほかに3歳になる娘がいる。あと、こちらのほうの下宿には主人公のほかに2人の住人――彼女をよく連れ込んでいる「学生」(大学生)と、札幌の国立大学を受けるらしい3浪の「予備校生」がいる。
浪人生小説としては、主人公は“苦学浪人生”といえばそうかもしれないけれど、読んでいて思ったのは、他人から安易に「働きながら勉強しているなんてえらいわねぇ」とか言われることは、ちょっと嫌だね。プレッシャーになるからではなく(それもあるかな)、別に好きで印刷工場で働きながら勉強しているわけではないから。そう、最後まで読んで結局よくわからなかったのが、主人公が大学に入ろうとしている理由。“階級上昇”的な理由でもなさそうだし、“知”に憧れて、みたいなこと(中野孝次「雪ふる年よ」参照)でもない感じだし。大卒の人たちに対してあまりよい印象を抱いていない感じでもあるし。見返してやりたい、という理由もあまりないのでは?(でもあるのかな、わからない)。あと、職場でまわり(ほかの文選工)が高卒の人ばかりであると、大学受験をしようとするだけで、1人浮いちゃうんだね。ふつうの受験生にはないだろう、そんな精神的な障害も乗り越えないといけないのか(うーん…)。家族もあまり協力的ではないというか、母親からの手紙の文面は、お金を送ってくれとか、帰って来て畑仕事をしろとか、そんな感じ。
季節は2篇(2部)とも初夏くらいから始まっている。予備校は6時から9時までらしい(いわゆる「夜間部」?)。浪人生小説としてはパターンだけれど、この小説でもけっこうさぼっている感じ。行っても途中で帰ってきてしまったり。さぼってどこへ行くかといえば、ススキノ近し(?)オデン屋とか赤提灯とかに飲みに。勉強は英語と数学がよく出てくるかな、あとは古文だけ(?)。そう、作中年がこれまた、自分の歴史的な知識がないせいでわからない(涙)、沖縄の最初の知事が誕生したのっていつ? 沖縄返還・本土復帰と同じ年(1971年)でいいの? それよりも前?後? ちなみに作者は昭和12年(1937年)生まれらしい。世代的には作家でいえば大江健三郎(1935-)やなんかと同じくらいか。で、結局、この小説も、真面目にこつこつと受験勉強をしている浪人生には勧められないかな…。微妙です。でも、こんな破滅的な青春小説(?)を怖いもの見たさで読んでみるのも、一興かな。
徳間文庫、2006。後ろ(カバー)の紹介文・宣伝文よりも、最後のページの「徳間文庫の最新刊」に書かれている本書の短いコピーのほうが面白い。
<官能文庫大賞受賞作家の書下し。ホテルのバイトは股間も大忙し!>
ぐっとくるようなこないような…(汗)。官○小説ってだいぶ前にスポーツ新聞に載っているものを数回読んだことがあるくらいで、小説本を購入したのは今回が初めて(いや、本当に)。なので、よくわからないけれど、少なくともこの作家の文章は、とても軽い感じ。ただ、すみません、わたくし、第一章の途中までで挫折です(涙)。個人的には読むのがとても遅いので、話がなかなか前に進まなくて…。まだ胸を揉んでいるところかよ! とかね(ああ、とんでもない発言…)。別に心理描写とかがなくても、これなら動画とかを見たほうがいいや、とか思う。
話は、浪人中の主人公(森戸彰宏、18歳)が夏の間、住み込みで湘南あたりのホテル(『ホテル・マリーナ』)のアルバイトをしながら、たびたびエッ○をする、みたいな感じ。とりあえず1人目(第一章)は、20歳以上の歳上(でも若く見える)ホテルのオーナー(稲村夕梨子)が相手。ちなみに、受験に失敗して――受けたのは合格確実と言われた1校だけだったらしい――ひきこもりのような状態にあった主人公に、そのアルバイトを勧めたのは父親であるとのこと(p.10のへん)。春に受験に失敗して夏までひきこもり状態、って、この主人公もちょっとショックを受けすぎだな。大学・学部も特に入りたいところがある様子もないし、もっとたくさん受けておこうよ?
<官能文庫大賞受賞作家の書下し。ホテルのバイトは股間も大忙し!>
ぐっとくるようなこないような…(汗)。官○小説ってだいぶ前にスポーツ新聞に載っているものを数回読んだことがあるくらいで、小説本を購入したのは今回が初めて(いや、本当に)。なので、よくわからないけれど、少なくともこの作家の文章は、とても軽い感じ。ただ、すみません、わたくし、第一章の途中までで挫折です(涙)。個人的には読むのがとても遅いので、話がなかなか前に進まなくて…。まだ胸を揉んでいるところかよ! とかね(ああ、とんでもない発言…)。別に心理描写とかがなくても、これなら動画とかを見たほうがいいや、とか思う。
話は、浪人中の主人公(森戸彰宏、18歳)が夏の間、住み込みで湘南あたりのホテル(『ホテル・マリーナ』)のアルバイトをしながら、たびたびエッ○をする、みたいな感じ。とりあえず1人目(第一章)は、20歳以上の歳上(でも若く見える)ホテルのオーナー(稲村夕梨子)が相手。ちなみに、受験に失敗して――受けたのは合格確実と言われた1校だけだったらしい――ひきこもりのような状態にあった主人公に、そのアルバイトを勧めたのは父親であるとのこと(p.10のへん)。春に受験に失敗して夏までひきこもり状態、って、この主人公もちょっとショックを受けすぎだな。大学・学部も特に入りたいところがある様子もないし、もっとたくさん受けておこうよ?
土屋隆夫 「潜在証拠」
2007年10月14日 読書土屋隆夫って1917年生まれ? 安岡章太郎(1920年生まれ)よりもちょっと上だな。ほかの本にも収録されているかもしれないけれど、手元にあるのは角川文庫から出ている『地獄から来た天使』(1976)。7篇中の2篇目。この小説もあまり期待していなかったせいか、意外と面白かったです。短篇小説だけれど、設定がけっこう細かい感じ。いや、細かいほうが個人的にはありがたいのだけれど、感想というかその設定を説明するのが、文章力のない自分としては、煩雑になってしまうから(涙)。※以下、ネタバレしているのでご注意ください。
冒頭、「おれが伊能正志を殺したのは昨夜のことであるが、(略)」(p.38)と始まっている。「解説」(中島河太郎)で「倒叙形式」と言われているけれど、“倒叙ミステリ”といえば、お約束はやっぱり“完全犯罪失敗もの”? 犯行の動機もシンプルに“復讐”。時間が戻って7年前(というのは昭和35年=1960年のこと)「ある官庁の外郭団体」に勤める「おれ」(鈴木雄吾)は、4月中旬、上司の尾上梅之介(O省からの天下り)から浪人生の甥を預かってくれないかと頼まれ、悩んだものの、出世がちらついたりして預かることに。あ、「おれ」は世田谷に借りている広めの家に妻の郁子(お見合い結婚、結婚5年目)と暮らしている。その甥というのは――引用したほうが早いか。上司の尾上曰く、
<「[引用注・甥は]T大を二回も失敗している。家は信州の造り酒屋で、二男坊だから跡を継ぐ必要のない男だ。なんとかT大を卒業させて、役所づとめをさせたいと、みんながやっきになっている。去年も、地方の予備校に通わせてみたが、ここでは実力のつかないことがわかった。今年は、上京させて、みっちり、受験勉強をさせたい。しかし、アパートや下宿住まいでは、どうしても生活が不規則になる……」>(p.43)
とのこと。予備校の寮に入れる、という発想はなかったのかな(まぁいいか)。どうでもいいことだけれど、設定として1年目に自宅浪人で、2年目に予備校通いという小説中2浪生は以前見かけたことがあったけれど、1年目に地方の予備校、2年目に東京の予備校、というフィクショナルな浪人生は今回初めて見かけたかな。そう、上の箇所を読むとこの人、2浪目という感じがするけれど(しますよね?)、語り手はあとで浪人生伊能のことを「二十二歳の青年」(p.48)と言っていて、個人的にはちょっと年齢的な疑問が残る感じである(まぁ、高校卒業後しばらくふらふらとしていたとか、理由はどうとでも付けられるか)。伊能くんの風貌は、青白い頬に長い髪、陰鬱な表情で若者らしい生気がない、とのことで(p.46のへん)、伏線になっているにしても、ちょっとステレオタイプな、ある種の浪人生像かな。
家族は、お母さんはいなくて、お兄さんはもう結婚しているっぽい(夫婦で酒造りを手伝っている?)。お金はあるらしい、伊能家には。その実家がある場所はもう少し具体的に書かれていて、浅間山の山麓にあるK町、とのこと。そういえば、姓が違うから「おれ」の上司の尾上(おのえ)は、伊能の母方の伯父さんなのかな? 父方でどこかに婿入りしている可能性もあるか。(この小説とはまったく関係がないけれど、信州でK町といえば――イニシャルが「K」の町なんて複数あるだろうけれど――、先日、水原佐保『青春俳句講座 初桜』(角川書店、2006)という、信州の小諸というところを舞台とした、高校生が主人公となっている日常系の推理小説を読んだばかりで。文章はちょっと拙い感じだけれど、瑞々しい新鮮な感じで、とてもよかったです。浪人生は出てこないけれど、お薦めです。)
ストーリーとしては、要するに伊能が来たことで妻との会話や夫婦の営みが今までのように自由にはできなくなり(笑っちゃいけない)、それをきっかけに夫婦関係がぎくしゃくとし(それが夏くらいの話)、気がついたら伊能と妻が渋谷のホテルで催眠薬を飲んで心中をしていた、みたいな(それが晩秋の)話。奥さんのほうは亡くなって、伊能のほうだけ助かる。そういえば、最初は母性を求めてであれ、浪人生が下宿先の奥さんに手を出すような小説も初めて読んだような気がする(娘さんを好きになったりする小説としては、小池真理子「彼方へ」など参照)。1年くらいすぐに過ぎると思って伊能を住まわせた主人公にとって、その浪人生と奥さんが1ヶ月くらいで心中するまでの関係に発展していた、というのは、皮肉といえば皮肉なのかもしれない。下宿代はもらっていて食事も出していたようだけれど、食事中に主人公と伊能とはどういう会話をしていたのだろうか、そのへんがよくわからない(あ、伊能の部屋に食事を運んでいたという可能性もあるか)。
そう、細かいところに突っ込んでもしかたがないけれど、これも年齢がらみのことで、警察から出張中の主人公への連絡のなかで奥さんが「中年の女性」(p.53)と言われている。35歳の「おれ」よりも5つ歳下である郁子さんはまだ30歳なわけで、なんていうか、失礼しちゃうよね、警察って?(具体的には「渋谷署」の誰かだな)。で、冒頭で予告されているとおり、7年後、殺害には成功するのだけれど、最後にもうひとひねり、主人公が驚くような展開がある、みたいなオチ。とりあえず完全犯罪はうまくいかない、というのは、この手の小説としてはパターンだけれど。(そのオチというかは、この前、読んだ小川勝己「老人と膿」にちょっと似ているかな。思い出してみればあれも、ぜんぜん気にせずに読んでいたけれど、倒叙ミステリ? “完全犯罪”な感じではないけれど、あちらは最後、成功して終わっている。)
こういう小説は、思うに長篇小説であれば、同じ復讐譚であっても、もっとじわじわと殺害にいたったりするのかな? 例えば策を練りに練って、まず、奥さんとの仲を裂いて(7年後の伊能は結婚している)、会社も首にさせて、殺害方法ももっと苦痛を味あわせるような残忍な方法で、とか。←なんかベタベタな想像力でもうしわけない(汗)。それはともかくとして、浪人生小説としては――、そう、心中自体がちょっと珍しいかな。ただ、心中といっても、自殺に近い感じなのかもしれない。視点が浪人生にあるわけではないので、よくわからないけれど、2人の遺書を読んだ語り手の「おれ」は、「(略)T大合格への自信を喪失した伊能が、周囲の期待と非常な激励に突きのめされて、郁子へ傾いていったことだけは理解できる」(p.56)と述べている。自信喪失&プレッシャー? 自信喪失というのは結果を悲観して(合格が無理だと思い込んで)、ということ? 上京して新しい予備校に通い出しても、受験勉強がはかどるようにはならなかったのだろうか、この人。
冒頭、「おれが伊能正志を殺したのは昨夜のことであるが、(略)」(p.38)と始まっている。「解説」(中島河太郎)で「倒叙形式」と言われているけれど、“倒叙ミステリ”といえば、お約束はやっぱり“完全犯罪失敗もの”? 犯行の動機もシンプルに“復讐”。時間が戻って7年前(というのは昭和35年=1960年のこと)「ある官庁の外郭団体」に勤める「おれ」(鈴木雄吾)は、4月中旬、上司の尾上梅之介(O省からの天下り)から浪人生の甥を預かってくれないかと頼まれ、悩んだものの、出世がちらついたりして預かることに。あ、「おれ」は世田谷に借りている広めの家に妻の郁子(お見合い結婚、結婚5年目)と暮らしている。その甥というのは――引用したほうが早いか。上司の尾上曰く、
<「[引用注・甥は]T大を二回も失敗している。家は信州の造り酒屋で、二男坊だから跡を継ぐ必要のない男だ。なんとかT大を卒業させて、役所づとめをさせたいと、みんながやっきになっている。去年も、地方の予備校に通わせてみたが、ここでは実力のつかないことがわかった。今年は、上京させて、みっちり、受験勉強をさせたい。しかし、アパートや下宿住まいでは、どうしても生活が不規則になる……」>(p.43)
とのこと。予備校の寮に入れる、という発想はなかったのかな(まぁいいか)。どうでもいいことだけれど、設定として1年目に自宅浪人で、2年目に予備校通いという小説中2浪生は以前見かけたことがあったけれど、1年目に地方の予備校、2年目に東京の予備校、というフィクショナルな浪人生は今回初めて見かけたかな。そう、上の箇所を読むとこの人、2浪目という感じがするけれど(しますよね?)、語り手はあとで浪人生伊能のことを「二十二歳の青年」(p.48)と言っていて、個人的にはちょっと年齢的な疑問が残る感じである(まぁ、高校卒業後しばらくふらふらとしていたとか、理由はどうとでも付けられるか)。伊能くんの風貌は、青白い頬に長い髪、陰鬱な表情で若者らしい生気がない、とのことで(p.46のへん)、伏線になっているにしても、ちょっとステレオタイプな、ある種の浪人生像かな。
家族は、お母さんはいなくて、お兄さんはもう結婚しているっぽい(夫婦で酒造りを手伝っている?)。お金はあるらしい、伊能家には。その実家がある場所はもう少し具体的に書かれていて、浅間山の山麓にあるK町、とのこと。そういえば、姓が違うから「おれ」の上司の尾上(おのえ)は、伊能の母方の伯父さんなのかな? 父方でどこかに婿入りしている可能性もあるか。(この小説とはまったく関係がないけれど、信州でK町といえば――イニシャルが「K」の町なんて複数あるだろうけれど――、先日、水原佐保『青春俳句講座 初桜』(角川書店、2006)という、信州の小諸というところを舞台とした、高校生が主人公となっている日常系の推理小説を読んだばかりで。文章はちょっと拙い感じだけれど、瑞々しい新鮮な感じで、とてもよかったです。浪人生は出てこないけれど、お薦めです。)
ストーリーとしては、要するに伊能が来たことで妻との会話や夫婦の営みが今までのように自由にはできなくなり(笑っちゃいけない)、それをきっかけに夫婦関係がぎくしゃくとし(それが夏くらいの話)、気がついたら伊能と妻が渋谷のホテルで催眠薬を飲んで心中をしていた、みたいな(それが晩秋の)話。奥さんのほうは亡くなって、伊能のほうだけ助かる。そういえば、最初は母性を求めてであれ、浪人生が下宿先の奥さんに手を出すような小説も初めて読んだような気がする(娘さんを好きになったりする小説としては、小池真理子「彼方へ」など参照)。1年くらいすぐに過ぎると思って伊能を住まわせた主人公にとって、その浪人生と奥さんが1ヶ月くらいで心中するまでの関係に発展していた、というのは、皮肉といえば皮肉なのかもしれない。下宿代はもらっていて食事も出していたようだけれど、食事中に主人公と伊能とはどういう会話をしていたのだろうか、そのへんがよくわからない(あ、伊能の部屋に食事を運んでいたという可能性もあるか)。
そう、細かいところに突っ込んでもしかたがないけれど、これも年齢がらみのことで、警察から出張中の主人公への連絡のなかで奥さんが「中年の女性」(p.53)と言われている。35歳の「おれ」よりも5つ歳下である郁子さんはまだ30歳なわけで、なんていうか、失礼しちゃうよね、警察って?(具体的には「渋谷署」の誰かだな)。で、冒頭で予告されているとおり、7年後、殺害には成功するのだけれど、最後にもうひとひねり、主人公が驚くような展開がある、みたいなオチ。とりあえず完全犯罪はうまくいかない、というのは、この手の小説としてはパターンだけれど。(そのオチというかは、この前、読んだ小川勝己「老人と膿」にちょっと似ているかな。思い出してみればあれも、ぜんぜん気にせずに読んでいたけれど、倒叙ミステリ? “完全犯罪”な感じではないけれど、あちらは最後、成功して終わっている。)
こういう小説は、思うに長篇小説であれば、同じ復讐譚であっても、もっとじわじわと殺害にいたったりするのかな? 例えば策を練りに練って、まず、奥さんとの仲を裂いて(7年後の伊能は結婚している)、会社も首にさせて、殺害方法ももっと苦痛を味あわせるような残忍な方法で、とか。←なんかベタベタな想像力でもうしわけない(汗)。それはともかくとして、浪人生小説としては――、そう、心中自体がちょっと珍しいかな。ただ、心中といっても、自殺に近い感じなのかもしれない。視点が浪人生にあるわけではないので、よくわからないけれど、2人の遺書を読んだ語り手の「おれ」は、「(略)T大合格への自信を喪失した伊能が、周囲の期待と非常な激励に突きのめされて、郁子へ傾いていったことだけは理解できる」(p.56)と述べている。自信喪失&プレッシャー? 自信喪失というのは結果を悲観して(合格が無理だと思い込んで)、ということ? 上京して新しい予備校に通い出しても、受験勉強がはかどるようにはならなかったのだろうか、この人。
岡松和夫 「道連れ」
2007年10月14日 読書フィクションの度合いはともかく、この作者(1931年生まれ)が浪人していた時期を描いた作品はぜんぶで何篇あるの? ――たくさんありそうな気がするのだけれど、探してみた結果、とりあえず3作確認できました。
「新宿仲通り」(『人間の火』文藝春秋、1981、7篇中の4篇目)
「道連れ」(『楠の森』福武書店、1984、7篇中の4篇目)
「雛」(『口紅』講談社、1987、8篇中の8篇目)
※いちおう以下、内容まで書いてしまいますので、まだ読んでいなくて、まっさらな状態で読みたい人はご注意ください。名前はそれぞれ違うけれど、3篇とも主人公は、浪人生(〜大学生)。1949年から翌年にかけての話で、主人公は九州から上京して従兄夫婦のところに下宿し、最初は日暮里の工場でアルバイトを、次に従兄が新宿に和風喫茶店を開くと、住み込みでそこの手伝いをしている(大学に合格してからは寮に)。「新宿仲通り」と「雛」は、赤線地帯で身を売る女性たち(やその1人に嵌ってしまった男性)を描いたものなので、それらよりは、浪人生仲間も出てくるし、“浪人度”が高そうな「道連れ」を、ここでは取りあげておきます。(「取りあげる」と言っても、いつものようにテキトーに感想を書くだけだけど。)
冒頭、次のように始まっている。
<もう三十年ほど昔になる。十代の終わりだった久我は、郷里から東京の大学を受験に来て親戚の家に泊めてもらったが、その夜から三日か四日続けて夢精してしまい、心も体もくたくたになった記憶がある。>(p.203)
この時点でなんかめんどくせえと思ってしまったけれど、読み進めてみたら意外とふつうの小説でした。ふつうというか、淡々としていてあまり小説ぽくない小説かもしれない。30年も前のことだからか、自分は性欲が強いのではないかという悩みや、性と愛情はどういう関係にあるのかという疑問(これも悩みか)などについても、けっこう冷静に語られている(書かれている)感じ。“青春小説”はテンションが高くないと、といったご意見もあると思いますが(それには私も賛成ですが)、これはこれで読んでいてつまらなくはないです。あと、全体的なことでは、何か不穏なことが起こりそうで起こらない小説だったかな。主人公の久我のほかには、OとKという同じ工場で働く浪人仲間(3人は高校が同じ)が出てくるのだけれど、OもKも人生を棒に振りそうになりながら、でもそういう方向には向かわない。
試験前日・期間中の連夜の夢精……だけが敗因ではないと思うけれど、浪人している主人公の久我は、浪人生は浪人生でも現在の大学受験浪人のイメージとは若干ずれるかもしれない。というのは、いちど旧制高校には通っているから(もちろん受験して合格していなければ通えない)。なのに、1年生のときに「学制切り替え」で(高校には1年しかいられず)新制大学を受験して、不合格→浪人という経緯を辿っている。でも、どうなのかな…、別にふつうの浪人生といえばふつうの浪人生かもしれない(というか「ふつう」って何?)。そういえば、この久我くんは、高校に入るのに浪人はしなかったのかな?(していれば作中で触れられているか)。例えば、旧制中学5年のときに旧制高校の受験に失敗して、しかたなく翌年の1年間を新高校3年生として過ごして、そのうえ新制大学受験にも失敗、みたいな悲惨な人も多かったのではないか(そんなこともない?)。そういう人が主人公の小説を、個人的には読みたいな。あ、久我くんたちの志望大学は、直接的には書かれていなかったと思うけれど、たぶん東京大学(久我とOは文系、Kは理系)。
浪人生3人は3人3様という感じ。でも、共通しているのは“お金”が足りないという状況かもしれない。主人公の久我くんは、お兄さんが仕送りもしてくれているし(それでも足りないらしいけれど)3人のなかではいちばん恵まれているっぽい。Kくんは、ひとまわりくらい年上の彼女(S子)が田舎から上京してきて、一緒に暮らすのにもっと給料のいい大変なアルバイトを始めなくてはいけなかったり、Oくんは、工場をやめて9月から予備校に通うために親戚などからお金を借りて、大学に入ってからだけれど、その借金のせいで自殺することまで考え、結局、大学は中退することになったり…。日暮里のつぶれそうな工場での3人の仕事は、シリカゲル作りの手伝いで、体力を消耗するだろうし、やっぱり“苦学浪人生”という感じかもしれない。主人公は、和風喫茶店時代には2階の屋根裏部屋の直立できないようなところで勉強している。合否については、Kくんだけが不合格になるけれど、別に受験していた「教員養成大学」には合格して(いろいろ考えた末にだろうけれど)そこに通うことにしたらしい。
「新宿仲通り」(『人間の火』文藝春秋、1981、7篇中の4篇目)
「道連れ」(『楠の森』福武書店、1984、7篇中の4篇目)
「雛」(『口紅』講談社、1987、8篇中の8篇目)
※いちおう以下、内容まで書いてしまいますので、まだ読んでいなくて、まっさらな状態で読みたい人はご注意ください。名前はそれぞれ違うけれど、3篇とも主人公は、浪人生(〜大学生)。1949年から翌年にかけての話で、主人公は九州から上京して従兄夫婦のところに下宿し、最初は日暮里の工場でアルバイトを、次に従兄が新宿に和風喫茶店を開くと、住み込みでそこの手伝いをしている(大学に合格してからは寮に)。「新宿仲通り」と「雛」は、赤線地帯で身を売る女性たち(やその1人に嵌ってしまった男性)を描いたものなので、それらよりは、浪人生仲間も出てくるし、“浪人度”が高そうな「道連れ」を、ここでは取りあげておきます。(「取りあげる」と言っても、いつものようにテキトーに感想を書くだけだけど。)
冒頭、次のように始まっている。
<もう三十年ほど昔になる。十代の終わりだった久我は、郷里から東京の大学を受験に来て親戚の家に泊めてもらったが、その夜から三日か四日続けて夢精してしまい、心も体もくたくたになった記憶がある。>(p.203)
この時点でなんかめんどくせえと思ってしまったけれど、読み進めてみたら意外とふつうの小説でした。ふつうというか、淡々としていてあまり小説ぽくない小説かもしれない。30年も前のことだからか、自分は性欲が強いのではないかという悩みや、性と愛情はどういう関係にあるのかという疑問(これも悩みか)などについても、けっこう冷静に語られている(書かれている)感じ。“青春小説”はテンションが高くないと、といったご意見もあると思いますが(それには私も賛成ですが)、これはこれで読んでいてつまらなくはないです。あと、全体的なことでは、何か不穏なことが起こりそうで起こらない小説だったかな。主人公の久我のほかには、OとKという同じ工場で働く浪人仲間(3人は高校が同じ)が出てくるのだけれど、OもKも人生を棒に振りそうになりながら、でもそういう方向には向かわない。
試験前日・期間中の連夜の夢精……だけが敗因ではないと思うけれど、浪人している主人公の久我は、浪人生は浪人生でも現在の大学受験浪人のイメージとは若干ずれるかもしれない。というのは、いちど旧制高校には通っているから(もちろん受験して合格していなければ通えない)。なのに、1年生のときに「学制切り替え」で(高校には1年しかいられず)新制大学を受験して、不合格→浪人という経緯を辿っている。でも、どうなのかな…、別にふつうの浪人生といえばふつうの浪人生かもしれない(というか「ふつう」って何?)。そういえば、この久我くんは、高校に入るのに浪人はしなかったのかな?(していれば作中で触れられているか)。例えば、旧制中学5年のときに旧制高校の受験に失敗して、しかたなく翌年の1年間を新高校3年生として過ごして、そのうえ新制大学受験にも失敗、みたいな悲惨な人も多かったのではないか(そんなこともない?)。そういう人が主人公の小説を、個人的には読みたいな。あ、久我くんたちの志望大学は、直接的には書かれていなかったと思うけれど、たぶん東京大学(久我とOは文系、Kは理系)。
浪人生3人は3人3様という感じ。でも、共通しているのは“お金”が足りないという状況かもしれない。主人公の久我くんは、お兄さんが仕送りもしてくれているし(それでも足りないらしいけれど)3人のなかではいちばん恵まれているっぽい。Kくんは、ひとまわりくらい年上の彼女(S子)が田舎から上京してきて、一緒に暮らすのにもっと給料のいい大変なアルバイトを始めなくてはいけなかったり、Oくんは、工場をやめて9月から予備校に通うために親戚などからお金を借りて、大学に入ってからだけれど、その借金のせいで自殺することまで考え、結局、大学は中退することになったり…。日暮里のつぶれそうな工場での3人の仕事は、シリカゲル作りの手伝いで、体力を消耗するだろうし、やっぱり“苦学浪人生”という感じかもしれない。主人公は、和風喫茶店時代には2階の屋根裏部屋の直立できないようなところで勉強している。合否については、Kくんだけが不合格になるけれど、別に受験していた「教員養成大学」には合格して(いろいろ考えた末にだろうけれど)そこに通うことにしたらしい。
安岡章太郎 <順太郎もの>
2007年10月14日 読書
レビュー機能で探しても出てこないな(画像のあるほかの本のでいいか)。旺文社文庫版『青葉しげれる』(1976)の前半に収録されている4篇(8篇中の4篇)。事実関係がずれていたりして、厳密な続きものではないようだけれど、とりあえず、時間は(飛ぶけれど)進んでいて、3篇目の途中までが阿部順太郎、浪人中です。後ろの解説(清岡卓行「秀才の奇妙な怠惰」)が端整なわかりやすい文章になっていて、私がぐだぐだと感想を書く必要もないと思うけれど、一応いつものように。――カバーの折り返しの紹介文を引用しておけば、
<ここ数年来、阿部順太郎の心に「春」と「落第」とは切り離せない。彼、決してアタマは悪くないのにそれが一向に勉強へむかわず、予備校仲間と銀座裏の喫茶店にトグロを巻いたり、玉の井見物に出掛けたりの毎日……。日中戦争下の暗く閉ざされた時代を背景にした『青葉しげれる』以下の“順太郎物語”四部作を中心にした傑作短篇集。>
とのこと。多浪生にとって春は、不合格の季節なんだね…。順太郎くんは頭が悪くないだけでなく、去年は表彰されるほど無遅刻無欠席で予備校に通っていたらしい。浪人生活(3年目)や浪人仲間(山田、高木、後藤)、戦争(父親は陸軍大佐だっけ?)と…、あと↑で欠けているのは女性かな、主人公を縛りつけている感じの母親や、喫茶店や(玉の井だけでなく)売春街にいる女。
「青葉しげれる」(『中央公論』1958年10月号)
Z大学予科の不合格通知が来て3浪が決定する。たぶん1940年の話で(作者は1920年生まれ)個人的に驚いたのは、予備校とは別に徴兵が猶予される学校(ここでは「理数科学校」)の入学手続きをしていること。3浪では20歳を超えちゃうもんね…、というか、多浪生にはそんな手段が知られていたとは!? んで、その手続きのさいに同じ予備校で顔を知っていた2人、山田と高木(3浪、4浪が決定)と会って、喫茶店に行くなどして以降、友達付き合いをするように。小説としては、自分を束縛する母親から離れたい離れられない(逃げたい逃げられない)といった話題が大事なのかもしれないけれど、それはそれとして。浪人生小説としても、“戦争”と“浪人”が気分的に(灰色的に)通じている感じとか、(時代背景はともかく)1人の浪人生の行動や心理が描かれていて面白いです。「解説」とかぶらない箇所で、例えば細かいところだけれど(時代を感じるところで)次の箇所、
<(略)さすがの順太郎も予備校では三年間、同じ机に向かって同じ問題集をひろげ、同じ黒板にかかれた定冠詞の使用法だのトレミーの定理だのを、同じ顔ぶれの教師から聞かされることには倦き倦きして(略)>(p.29)
予備校での授業内容/学習内容の一端が知れる感じ。昔の参考書、山崎貞『新々英文解釈研究』はそういえば「冠詞」から始まっていたっけな。「トレミーの定理」ってなんだっけ? あとこの時代の人は、2浪目以降、予備校を変えたりしなかったのかな?(神田のへんにたくさんあるのに)。
「一年後」(『日本』1959年4月号)
戦地から戻った父親のいる北九州F市にいた母親が、伯母の家で暮らす順太郎に会いに戻ってくる場面から始まる。試験はだいぶ近づいているけれど、まだ1年は経っていない。これも主人公の心理面のほうが大事な作品だろうけど、浪人生小説としては、具体的な箇所では次の2点が個人的には目にとまったかな。1つは、回想的に語られている前年度受験したZ工大(=Z大?)の予科に不合格になった理由。苦手な数学をその大学のR教授のもとに習いに行って(入試問題が漏洩しちゃっているよ…、あーあ)第1次は合格するのだけれど、2次の面接で失敗する、みたいな話。もう1つは、山田や高木は顔を見せないのだけれど、順太郎はいちおう参加している予備校(「J予備校」)の「修了式」の場面。昔もいまも変わらないのか、<こうした学校の経営者には、新興宗教の教祖的な性格がみられる>(p.57)とのことで(要するに“カリスマ性”が必要なわけだね)、その教師兼経営者の水上曰く、
<「諸君は名誉あるJ予備校の生徒である。その誇りを諸君は忘れないでもらいたい。毎年、一高の入学者数の三分の一は本校出身者によってしめられている。(略)>(同頁)
東大合格者3分の1は多く言いすぎだろう…。でも、戦後だんだんとデータな世の中になっても、予備校のこうした“誇大広告”は変わらない、というか、むしろ巧妙になっている? 夏期講習を受けただけ、模擬テストを受けただけの受験生も勘定に入れたりとかして。上の引用のあと、その教師(経営者)は生徒たちに、将来“J校内閣”を組織してもらいたい、と語っている。微妙な学閥だな(汗)。政治家どうしの会話で「先生って○○予備校だったんですか、わたしもなんですよー。△△先生の英語の授業、受けてました? あれ、おもしろかったですよねー」くらいならあるか(というか、会話軽すぎ…)。
「相も変らず」(『新潮』1959年6月号)
大事な試験の前夜に高木の下宿に呼ばれていくと、温泉宿から連れ帰ってきたという女がいて、みんなで馬鹿騒ぎ。一睡もできなかったらしく、翌日の試験は悲惨な感じに。――浪人生小説としてはあと2点がポイント(?)かな。1つは、P大(予科)の医科を受けると母親には嘘を言って、本当は文科を受けて合格。嘘でもつかなければ、3年も続いている浪人生活に終止符が打てないよね(?)。関係ないけれど、作家の遠藤周作は父親に同種の嘘をついて、ばれたとき勘当されたのではなかったっけ? もう1点は、タイトルにも絡む心理的なことで、山田もだけれど、順太郎は大学に入っても、浪人時と精神状態はあまり変わっていないこと。どうしても入りたかった大学(旧制なら高校・大学予科)に努力して入れれば、現状すなわち新しい学校生活に満足もできるだろうけれど(期待はずれや、努力しすぎた“燃え尽き”はあるかもしれないけれど)、「しかたがない、この大学(旧制高校・大学予科)でいいや」と妥協して進学した場合は、本人の中で浪人生活に決着がつかないというか、どこか“不完全燃焼感”が残ってしまって、内的に(気持ち的に)浪人生活の灰色ぐあいが持続してしまう感じ? この小説の場合は晴れない雲、“戦争”というファクターもあるけれど。
「むし暑い朝」(『中央公論』1961年10月号)
退屈な大学生活から逃れるために、徴兵猶予の取り消しを言い出したものの、山田だけがして自分がそれをせず、要するに裏切ってしまった友人とどう接すればいいのか、という話と、もう1つ、ネタバレしてしまうけれど、喫茶店に勤める和子から「できちゃったの」と言われて、病院などをどうするか、といった“妊娠小説”な話。作者本人の経験は知らないけれど、大学生パートになって“妊娠小説”になっているのは、なんていうか、配慮? そういえば浪人生小説には基本的に“妊娠小説”が少ないような。なくはない(絶対量はある)けれど、もし比較的少ないとしたら、勉強でそれどころではないからか。
(お薦めなのだけれど、手に入れにくいかな…。1篇目と3篇目が収録されている新潮文庫『質屋の女房』は、私がよく行く新刊書店にはふつうに置かれていました。あるいは、安岡章太郎だから何か文学全集でも読めるかもしれない。)
<ここ数年来、阿部順太郎の心に「春」と「落第」とは切り離せない。彼、決してアタマは悪くないのにそれが一向に勉強へむかわず、予備校仲間と銀座裏の喫茶店にトグロを巻いたり、玉の井見物に出掛けたりの毎日……。日中戦争下の暗く閉ざされた時代を背景にした『青葉しげれる』以下の“順太郎物語”四部作を中心にした傑作短篇集。>
とのこと。多浪生にとって春は、不合格の季節なんだね…。順太郎くんは頭が悪くないだけでなく、去年は表彰されるほど無遅刻無欠席で予備校に通っていたらしい。浪人生活(3年目)や浪人仲間(山田、高木、後藤)、戦争(父親は陸軍大佐だっけ?)と…、あと↑で欠けているのは女性かな、主人公を縛りつけている感じの母親や、喫茶店や(玉の井だけでなく)売春街にいる女。
「青葉しげれる」(『中央公論』1958年10月号)
Z大学予科の不合格通知が来て3浪が決定する。たぶん1940年の話で(作者は1920年生まれ)個人的に驚いたのは、予備校とは別に徴兵が猶予される学校(ここでは「理数科学校」)の入学手続きをしていること。3浪では20歳を超えちゃうもんね…、というか、多浪生にはそんな手段が知られていたとは!? んで、その手続きのさいに同じ予備校で顔を知っていた2人、山田と高木(3浪、4浪が決定)と会って、喫茶店に行くなどして以降、友達付き合いをするように。小説としては、自分を束縛する母親から離れたい離れられない(逃げたい逃げられない)といった話題が大事なのかもしれないけれど、それはそれとして。浪人生小説としても、“戦争”と“浪人”が気分的に(灰色的に)通じている感じとか、(時代背景はともかく)1人の浪人生の行動や心理が描かれていて面白いです。「解説」とかぶらない箇所で、例えば細かいところだけれど(時代を感じるところで)次の箇所、
<(略)さすがの順太郎も予備校では三年間、同じ机に向かって同じ問題集をひろげ、同じ黒板にかかれた定冠詞の使用法だのトレミーの定理だのを、同じ顔ぶれの教師から聞かされることには倦き倦きして(略)>(p.29)
予備校での授業内容/学習内容の一端が知れる感じ。昔の参考書、山崎貞『新々英文解釈研究』はそういえば「冠詞」から始まっていたっけな。「トレミーの定理」ってなんだっけ? あとこの時代の人は、2浪目以降、予備校を変えたりしなかったのかな?(神田のへんにたくさんあるのに)。
「一年後」(『日本』1959年4月号)
戦地から戻った父親のいる北九州F市にいた母親が、伯母の家で暮らす順太郎に会いに戻ってくる場面から始まる。試験はだいぶ近づいているけれど、まだ1年は経っていない。これも主人公の心理面のほうが大事な作品だろうけど、浪人生小説としては、具体的な箇所では次の2点が個人的には目にとまったかな。1つは、回想的に語られている前年度受験したZ工大(=Z大?)の予科に不合格になった理由。苦手な数学をその大学のR教授のもとに習いに行って(入試問題が漏洩しちゃっているよ…、あーあ)第1次は合格するのだけれど、2次の面接で失敗する、みたいな話。もう1つは、山田や高木は顔を見せないのだけれど、順太郎はいちおう参加している予備校(「J予備校」)の「修了式」の場面。昔もいまも変わらないのか、<こうした学校の経営者には、新興宗教の教祖的な性格がみられる>(p.57)とのことで(要するに“カリスマ性”が必要なわけだね)、その教師兼経営者の水上曰く、
<「諸君は名誉あるJ予備校の生徒である。その誇りを諸君は忘れないでもらいたい。毎年、一高の入学者数の三分の一は本校出身者によってしめられている。(略)>(同頁)
東大合格者3分の1は多く言いすぎだろう…。でも、戦後だんだんとデータな世の中になっても、予備校のこうした“誇大広告”は変わらない、というか、むしろ巧妙になっている? 夏期講習を受けただけ、模擬テストを受けただけの受験生も勘定に入れたりとかして。上の引用のあと、その教師(経営者)は生徒たちに、将来“J校内閣”を組織してもらいたい、と語っている。微妙な学閥だな(汗)。政治家どうしの会話で「先生って○○予備校だったんですか、わたしもなんですよー。△△先生の英語の授業、受けてました? あれ、おもしろかったですよねー」くらいならあるか(というか、会話軽すぎ…)。
「相も変らず」(『新潮』1959年6月号)
大事な試験の前夜に高木の下宿に呼ばれていくと、温泉宿から連れ帰ってきたという女がいて、みんなで馬鹿騒ぎ。一睡もできなかったらしく、翌日の試験は悲惨な感じに。――浪人生小説としてはあと2点がポイント(?)かな。1つは、P大(予科)の医科を受けると母親には嘘を言って、本当は文科を受けて合格。嘘でもつかなければ、3年も続いている浪人生活に終止符が打てないよね(?)。関係ないけれど、作家の遠藤周作は父親に同種の嘘をついて、ばれたとき勘当されたのではなかったっけ? もう1点は、タイトルにも絡む心理的なことで、山田もだけれど、順太郎は大学に入っても、浪人時と精神状態はあまり変わっていないこと。どうしても入りたかった大学(旧制なら高校・大学予科)に努力して入れれば、現状すなわち新しい学校生活に満足もできるだろうけれど(期待はずれや、努力しすぎた“燃え尽き”はあるかもしれないけれど)、「しかたがない、この大学(旧制高校・大学予科)でいいや」と妥協して進学した場合は、本人の中で浪人生活に決着がつかないというか、どこか“不完全燃焼感”が残ってしまって、内的に(気持ち的に)浪人生活の灰色ぐあいが持続してしまう感じ? この小説の場合は晴れない雲、“戦争”というファクターもあるけれど。
「むし暑い朝」(『中央公論』1961年10月号)
退屈な大学生活から逃れるために、徴兵猶予の取り消しを言い出したものの、山田だけがして自分がそれをせず、要するに裏切ってしまった友人とどう接すればいいのか、という話と、もう1つ、ネタバレしてしまうけれど、喫茶店に勤める和子から「できちゃったの」と言われて、病院などをどうするか、といった“妊娠小説”な話。作者本人の経験は知らないけれど、大学生パートになって“妊娠小説”になっているのは、なんていうか、配慮? そういえば浪人生小説には基本的に“妊娠小説”が少ないような。なくはない(絶対量はある)けれど、もし比較的少ないとしたら、勉強でそれどころではないからか。
(お薦めなのだけれど、手に入れにくいかな…。1篇目と3篇目が収録されている新潮文庫『質屋の女房』は、私がよく行く新刊書店にはふつうに置かれていました。あるいは、安岡章太郎だから何か文学全集でも読めるかもしれない。)
いわなみちくま 『悪魔のシッポ』
2007年9月18日 読書
ジグザグノベルズ、2006。※いつものように以下、ネタバレ注意です。すみません。
東京は本郷の周辺が舞台となっている小説。とりあえず悪魔の恩返し、みたいな話。入院した叔父に代わって古本屋(「本郷懐古堂」)の留守居役をしている浪人生の大野智明(ともあき)が、年上だけれど、小さいころからの親友である羽山正直(まさなお、T大生・獣医学科)に頼まれて、正直の曾祖父が残した古書を引き取ることになるのだけれど、その古書の1冊から悪魔のしっぽ(というのはあとでわかる)が出てきて、直後、今どきの若者ふうの悪魔も現れて、ありがとうお礼がしたい、みたいなことを言われる。それで、とりあえず智明が予備校に行っている間、その悪魔=岳斗(がくと、819歳)に古本屋の店番をまかせる、みたいな展開。――羽山家の家系(4代)など、あれこれと設定は細かく作られているけれど、それに乗っかっているストーリーがちょっとしょぼい感じ。2篇というか2話入っていて、最初のほうは、ラ○ホテルで首なし死体が見つかって、どうやら犯人は悪霊らしい、みたいな既視感まんてんな話になっている。
ところで、読んでいてそれほどいらいらはしなかったけれど、ちょっと気色悪く感じるのはどうして? 小さいころいじめられているのをよく助けてもらったことがきっかけらしいけれど、主人公が男っぽい性格である菜摘(高校1年生、正直の妹)のことが好きであるとか、悪魔がハンサムな(?)高校生くらいの青年ふうであるとか、そのせいで主人公が中途半端に若干、女役を演じているからかな。そう、もちろんストーリーの都合上だけれど、岳斗と一緒に、1話目では悪霊にとり憑かれているらしい戸田女史(T大院生)の部屋に、2話目では拉致されてしまったらしい菜摘の部屋に侵入している。女性の部屋に入るというのは、この場合、男子読者の好奇心に応えるというよりも、微妙に“女の子になりたい願望”からなのかな?(違うか)。あと、子ども向けなライトノベル(たぶん)だからしかたがないとは思うけれど、主人公は本好きな性格であるわりに、発言や思考内容から判断して精神年齢が低いというか、幼稚であるとも思う。こんな浅い思考しかできていなくて(←人のことは言えないけれど(汗))、志望しているのが、国立最難関であるところのT大学、っていうのは、どうなんざんしょ? 舞台が本郷のあたりに集中しているから、その流れでそうなのかもしれないけれど、常識的に考えてちょっと無茶な設定をしてくれているよね。予備校でも家でもアルバイトのあいまでも死ぬ気で勉強していただきたい。さもなければ、5浪くらいする覚悟が欲しいです。でも、そう、こういう主人公は友達にするなら、けっこうよい相手であるような。正直がいい人なだけでなく、主人公もいい人である(たぶん)。
受験がらみのことをもう少し。現役のとき(といっても、まだ春なのでついこの前?)の不合格は、世界史以外のセンター試験での失敗が原因らしい。どこかにT大を受験した、とも書かれていたと思うので、センター(1次)では足切りされず、2次試験はいちおう受けることができたのかもしれない(あるいは、作者の頭の中には足切りの概念がないのかもしれない)。国立だけではなく私立も受けて(落ちて)いるらしい。通っている予備校は、水道橋にあるらしい(何で通っているのか書かれていたっけ? 読み直さないとわからないな。徒歩?)。アルバイト代は予備校代になっているらしい。小説家志望で(T大の)学部は文学部志望とのこと。作家になりたいのならW大くらいでいいのにね、どうしてT大?(わからんです)。勉強は数学が苦手と言っている(世界史はできるらしいから、典型的な文系アタマ?)。家はいまどき珍しい賄いつきの下宿屋(「弓町ハウス」、母親の由希子が食事を作っている)。入居者には社会人や大学生だけでなく、予備校生もいるらしいけれど、交流はないのかな?(歳が近いだろうにね)。登場しているのは大学院生の戸田のみ。
話が戻ってしまうけれど、やっぱりまがりなりにも古本屋の仕事をしていて、本好きであるというなら、もっと古書に関する薀蓄を披露してくれてもよさそうな気がするし、近代的なところとしてではなく、明治や江戸につながるような東京を舞台としているなら、表現(語彙など)にそれらしい工夫があってもいいような。文体と内容との落差(?)から主人公が幼稚に感じるのかな?(わからん)。あと、そういえば、どうでもいいけれど、岳斗くんのしっぽってふだんはどうなっているの? 服の上からは目立たない感じなのか、それとも人間に姿を変えた時点で消えちゃうのか(というか、どこかに書かれていたかもしれない)。
[追記(2016.03.09)] 現在、電子書籍で読めるようだ。→檜原まり子『本郷懐古堂奇譚 1』(2016)。1ということは、続編もあるのか...。いまだに紙の本しか読んでいないので(泣)。
東京は本郷の周辺が舞台となっている小説。とりあえず悪魔の恩返し、みたいな話。入院した叔父に代わって古本屋(「本郷懐古堂」)の留守居役をしている浪人生の大野智明(ともあき)が、年上だけれど、小さいころからの親友である羽山正直(まさなお、T大生・獣医学科)に頼まれて、正直の曾祖父が残した古書を引き取ることになるのだけれど、その古書の1冊から悪魔のしっぽ(というのはあとでわかる)が出てきて、直後、今どきの若者ふうの悪魔も現れて、ありがとうお礼がしたい、みたいなことを言われる。それで、とりあえず智明が予備校に行っている間、その悪魔=岳斗(がくと、819歳)に古本屋の店番をまかせる、みたいな展開。――羽山家の家系(4代)など、あれこれと設定は細かく作られているけれど、それに乗っかっているストーリーがちょっとしょぼい感じ。2篇というか2話入っていて、最初のほうは、ラ○ホテルで首なし死体が見つかって、どうやら犯人は悪霊らしい、みたいな既視感まんてんな話になっている。
ところで、読んでいてそれほどいらいらはしなかったけれど、ちょっと気色悪く感じるのはどうして? 小さいころいじめられているのをよく助けてもらったことがきっかけらしいけれど、主人公が男っぽい性格である菜摘(高校1年生、正直の妹)のことが好きであるとか、悪魔がハンサムな(?)高校生くらいの青年ふうであるとか、そのせいで主人公が中途半端に若干、女役を演じているからかな。そう、もちろんストーリーの都合上だけれど、岳斗と一緒に、1話目では悪霊にとり憑かれているらしい戸田女史(T大院生)の部屋に、2話目では拉致されてしまったらしい菜摘の部屋に侵入している。女性の部屋に入るというのは、この場合、男子読者の好奇心に応えるというよりも、微妙に“女の子になりたい願望”からなのかな?(違うか)。あと、子ども向けなライトノベル(たぶん)だからしかたがないとは思うけれど、主人公は本好きな性格であるわりに、発言や思考内容から判断して精神年齢が低いというか、幼稚であるとも思う。こんな浅い思考しかできていなくて(←人のことは言えないけれど(汗))、志望しているのが、国立最難関であるところのT大学、っていうのは、どうなんざんしょ? 舞台が本郷のあたりに集中しているから、その流れでそうなのかもしれないけれど、常識的に考えてちょっと無茶な設定をしてくれているよね。予備校でも家でもアルバイトのあいまでも死ぬ気で勉強していただきたい。さもなければ、5浪くらいする覚悟が欲しいです。でも、そう、こういう主人公は友達にするなら、けっこうよい相手であるような。正直がいい人なだけでなく、主人公もいい人である(たぶん)。
受験がらみのことをもう少し。現役のとき(といっても、まだ春なのでついこの前?)の不合格は、世界史以外のセンター試験での失敗が原因らしい。どこかにT大を受験した、とも書かれていたと思うので、センター(1次)では足切りされず、2次試験はいちおう受けることができたのかもしれない(あるいは、作者の頭の中には足切りの概念がないのかもしれない)。国立だけではなく私立も受けて(落ちて)いるらしい。通っている予備校は、水道橋にあるらしい(何で通っているのか書かれていたっけ? 読み直さないとわからないな。徒歩?)。アルバイト代は予備校代になっているらしい。小説家志望で(T大の)学部は文学部志望とのこと。作家になりたいのならW大くらいでいいのにね、どうしてT大?(わからんです)。勉強は数学が苦手と言っている(世界史はできるらしいから、典型的な文系アタマ?)。家はいまどき珍しい賄いつきの下宿屋(「弓町ハウス」、母親の由希子が食事を作っている)。入居者には社会人や大学生だけでなく、予備校生もいるらしいけれど、交流はないのかな?(歳が近いだろうにね)。登場しているのは大学院生の戸田のみ。
話が戻ってしまうけれど、やっぱりまがりなりにも古本屋の仕事をしていて、本好きであるというなら、もっと古書に関する薀蓄を披露してくれてもよさそうな気がするし、近代的なところとしてではなく、明治や江戸につながるような東京を舞台としているなら、表現(語彙など)にそれらしい工夫があってもいいような。文体と内容との落差(?)から主人公が幼稚に感じるのかな?(わからん)。あと、そういえば、どうでもいいけれど、岳斗くんのしっぽってふだんはどうなっているの? 服の上からは目立たない感じなのか、それとも人間に姿を変えた時点で消えちゃうのか(というか、どこかに書かれていたかもしれない)。
[追記(2016.03.09)] 現在、電子書籍で読めるようだ。→檜原まり子『本郷懐古堂奇譚 1』(2016)。1ということは、続編もあるのか...。いまだに紙の本しか読んでいないので(泣)。
新井素子 『ハッピー・バースディ』
2007年9月18日 読書
角川書店、2002/角川文庫、2005。※毎度毎度書いていますが、以下いちおうネタバレには注意してください。
<あなたが傍にいてくれるからあたしはとっても幸せ。初めて書いた小説が新人賞を取って、ベストセラーになったのも、あなたが勧めてくれたから。だけどあたしを驚かす、一本の電話がかかってきて――。/大学の先輩だった公人と結婚したあきらは、家ではもちろん、仕事でも成功し、幸せな時間を過ごしていたはずだった。だが、たった一瞬の偶然の出会いがあきらの世界を壊しはじめる。(略)>(文庫カバーより。)
ホラー小説らしい。怖いといえば怖かったかな。人間の心って怖い、というような? 新井素子の小説だと思って読んでいたからいいけれど、例によって独特な感じの回りくどさ(?)がある。あまり関係がないけれど、思うに、ホラー小説って登場人物の心理をずるずると書きたがる女性作家にとって好都合なジャンルであるのかな(そんなこともないか)。視点は基本的に2視点で、旦那依存症のような状態のあきら(本名は沢木明)だけでなく、あるきっかけからあきらに対してストーカー化していく浪人生、裕司(市原裕司)の視点からも描かれている。浪人生小説として読むと、現役のときに落ちた理由と、母親との関係が読みどころかな。というか、どちらも浪人生活とはあまり関係ないか(汗)。
風邪をひいて試験を受けた1度を除いて中学、高校とずっと成績が1番だった裕司が、大学に落ちた理由は、なんと“東京”のせいらしい。――なんじゃそりゃ、な感じだけれど、余裕で合格できると踏んでいて1度も下見をせず、試験前日に上京したところ、まず人の多さに驚いて、次に、どうも異臭がする気がし出して(以前、地下鉄サリン事件があったことも思い出し)いったんそう思い始めると、とまらないというか、新宿のホテルについたときには「気息奄々って状態だった」そうだ。そして寝ているときには、乾燥したホテルの空調でどこかで染されたらしい風邪がこじれて、翌日の朝はラッシュに巻き込まれ、体調が悪いなかで試験を受けて……みたいな、要するに“試験”をあなどったというか、それをきっかけにして不運が重なった感じ。それで、いま――物語が始まるのが5月くらいなのだけれど、裕司は(表向きの理由としては)東京に慣れるために上京してアパートに1人暮らしを予備校に通っている。なので、予備校へはあまり行っていないらしい。まぁ勉強ができる人はそれでいいのかもしれない。
(そういえば、自分が高校3年のときには――予備校生のときにも――、学校で受験の前に受験の心得みたいな話をされて、そのなかにホテルの空調には気をつけよう、といった話があった記憶がある。タオルを濡らして干しておくといいとか、びちゃびちゃにならない程度に床に水をまいておくといいとか。関係ないけれど、勉強をするときに暗ければ、電気スタンドは(ホテルの従業員に)言えば持ってきてくれるから、と言われたことも覚えている。私はいまでもめったに旅行はしないけれど、受験生(特に高校生)のなかにも、泊まりなれしていない人が多いだろうから、いま思えば必要な注意事項なのかもしれない。裕司が通っていたのは「地元では一流とされている県立高校」(p.52)だそうだけれど、そんな話をしてくれる先生はいない(いなかった)のだろうか。)
母親との関係のほうは、要するに母親が子離れできていない感じ。東京の息子に電話をかけて、要件のはっきりしない、エンドレスな“ぐだぐだ”話をする、というか、裕司くんはそれを聞かされている。上京するということは親元から離れるということで、上京浪人生小説では親離れ/子離れが当然、問題になってくることなのかもしれない(東京でのアパート暮らし、いままで1人で生きてきたみたいな小説中浪人生も多いけれど)。前半と後半でおおざっぱには、あきらと裕司の幸運さ、幸せな状態が逆転するのだけれど、裕司が大学に合格したあと、あるきっかけ(たなぼた的な?)から母親の関心が自分から離れて、なんていうか束縛が解かれた感じになっている。大人になる、という点では、大学合格と親離れ(母親の子離れ)のほかに、あと大学生裕司には、彼女もできている(恋愛というのも人を大人にするざんすよね?)。
というか、浪人生小説としては、やっぱり途中で大学に受かっちゃダメだよね。いや、いけないってわけじゃないし、大学に合格して終わりな、ハッピー・エンディングな小説もそれはそれでどうかと思うけれど。どこか本文中で“努力信仰”という言葉が出てきたと思うけれど、個人的には勉強などの“努力”の部分が読みたい……と無意識で思っているのかな、自分でもよくわからないけれど。そのためには勉強が得意な、成績優秀な登場人物が主人公になっていたらあかんよね。たしかに浪人しているというだけでも、主人公にとっては不幸な状態なのかもしれないけれど。そう、ページ半ばにして、途中で大学に受かってしまう浪人生小説も、どちらかといえば女性作家によるものが多いような?(そんなこともないか。とりあえず、三石由起子「ダイアモンドは傷つかない」、乃南アサ『あなた』など参照)。要するに女性にとって大学受験が大人になるための装置(イニシエーション)として機能していないのかなんなのか。
<あなたが傍にいてくれるからあたしはとっても幸せ。初めて書いた小説が新人賞を取って、ベストセラーになったのも、あなたが勧めてくれたから。だけどあたしを驚かす、一本の電話がかかってきて――。/大学の先輩だった公人と結婚したあきらは、家ではもちろん、仕事でも成功し、幸せな時間を過ごしていたはずだった。だが、たった一瞬の偶然の出会いがあきらの世界を壊しはじめる。(略)>(文庫カバーより。)
ホラー小説らしい。怖いといえば怖かったかな。人間の心って怖い、というような? 新井素子の小説だと思って読んでいたからいいけれど、例によって独特な感じの回りくどさ(?)がある。あまり関係がないけれど、思うに、ホラー小説って登場人物の心理をずるずると書きたがる女性作家にとって好都合なジャンルであるのかな(そんなこともないか)。視点は基本的に2視点で、旦那依存症のような状態のあきら(本名は沢木明)だけでなく、あるきっかけからあきらに対してストーカー化していく浪人生、裕司(市原裕司)の視点からも描かれている。浪人生小説として読むと、現役のときに落ちた理由と、母親との関係が読みどころかな。というか、どちらも浪人生活とはあまり関係ないか(汗)。
風邪をひいて試験を受けた1度を除いて中学、高校とずっと成績が1番だった裕司が、大学に落ちた理由は、なんと“東京”のせいらしい。――なんじゃそりゃ、な感じだけれど、余裕で合格できると踏んでいて1度も下見をせず、試験前日に上京したところ、まず人の多さに驚いて、次に、どうも異臭がする気がし出して(以前、地下鉄サリン事件があったことも思い出し)いったんそう思い始めると、とまらないというか、新宿のホテルについたときには「気息奄々って状態だった」そうだ。そして寝ているときには、乾燥したホテルの空調でどこかで染されたらしい風邪がこじれて、翌日の朝はラッシュに巻き込まれ、体調が悪いなかで試験を受けて……みたいな、要するに“試験”をあなどったというか、それをきっかけにして不運が重なった感じ。それで、いま――物語が始まるのが5月くらいなのだけれど、裕司は(表向きの理由としては)東京に慣れるために上京してアパートに1人暮らしを予備校に通っている。なので、予備校へはあまり行っていないらしい。まぁ勉強ができる人はそれでいいのかもしれない。
(そういえば、自分が高校3年のときには――予備校生のときにも――、学校で受験の前に受験の心得みたいな話をされて、そのなかにホテルの空調には気をつけよう、といった話があった記憶がある。タオルを濡らして干しておくといいとか、びちゃびちゃにならない程度に床に水をまいておくといいとか。関係ないけれど、勉強をするときに暗ければ、電気スタンドは(ホテルの従業員に)言えば持ってきてくれるから、と言われたことも覚えている。私はいまでもめったに旅行はしないけれど、受験生(特に高校生)のなかにも、泊まりなれしていない人が多いだろうから、いま思えば必要な注意事項なのかもしれない。裕司が通っていたのは「地元では一流とされている県立高校」(p.52)だそうだけれど、そんな話をしてくれる先生はいない(いなかった)のだろうか。)
母親との関係のほうは、要するに母親が子離れできていない感じ。東京の息子に電話をかけて、要件のはっきりしない、エンドレスな“ぐだぐだ”話をする、というか、裕司くんはそれを聞かされている。上京するということは親元から離れるということで、上京浪人生小説では親離れ/子離れが当然、問題になってくることなのかもしれない(東京でのアパート暮らし、いままで1人で生きてきたみたいな小説中浪人生も多いけれど)。前半と後半でおおざっぱには、あきらと裕司の幸運さ、幸せな状態が逆転するのだけれど、裕司が大学に合格したあと、あるきっかけ(たなぼた的な?)から母親の関心が自分から離れて、なんていうか束縛が解かれた感じになっている。大人になる、という点では、大学合格と親離れ(母親の子離れ)のほかに、あと大学生裕司には、彼女もできている(恋愛というのも人を大人にするざんすよね?)。
というか、浪人生小説としては、やっぱり途中で大学に受かっちゃダメだよね。いや、いけないってわけじゃないし、大学に合格して終わりな、ハッピー・エンディングな小説もそれはそれでどうかと思うけれど。どこか本文中で“努力信仰”という言葉が出てきたと思うけれど、個人的には勉強などの“努力”の部分が読みたい……と無意識で思っているのかな、自分でもよくわからないけれど。そのためには勉強が得意な、成績優秀な登場人物が主人公になっていたらあかんよね。たしかに浪人しているというだけでも、主人公にとっては不幸な状態なのかもしれないけれど。そう、ページ半ばにして、途中で大学に受かってしまう浪人生小説も、どちらかといえば女性作家によるものが多いような?(そんなこともないか。とりあえず、三石由起子「ダイアモンドは傷つかない」、乃南アサ『あなた』など参照)。要するに女性にとって大学受験が大人になるための装置(イニシエーション)として機能していないのかなんなのか。
岬兄悟 「予備校生は悪夢を這う」
2007年9月18日 読書連作短篇集というか短篇シリーズで2巻出ているうちの1巻目『天使はデリケート 地上界天使スナッピィ・バニー』(角川文庫、1988)の、全4話中の「第四話」。3年前“愛”すなわち“天使”にとりつかれて“地上界天使”となったイラストレーターの綾乃さやかは、この現実の裏側にある異次元(亜空間)にはまりこんだ人たちを“愛のオルゴン・エナジー”によって救い出している。1話目を読み始めてすぐにへんな小説というか、かなり微妙な小説であることがわかって(涙)、どうにか第一話だけは読んだけれど、そのあと長いこと放置していた本。結局、真ん中の2話は飛ばしてしまって読んでいないけれど、なんだろう…、この小説は? 作者を思わせる語り手がちらついていたり、笑いどころ(ユーモア)とかがあったりと、マンガっぽいといえばマンガっぽいかもしれない。エッチな感じと下品な感じ(排泄系なそれ)とが滑らかにまじりあっている、というか。巻頭にカラー・イラストがついているのだけれど、ライトノベルの出版社(レーベル)から、現在こんなような小説って出ているのかな?(出ていないだろうな、たぶん)。この作者がほかにどういう小説を書いているのか知らないけれど、個人的には要するにひと言で言えば、キワモノです。
「第四話 予備校生は悪夢を這う」は、眠ると“腸の迷宮”(“腸迷宮”)に入り込んでしまう予備校生の入間元彦(いるまもとひこ、18歳)を、お約束どおりにさやかが助ける、みたいな話。この小説も受験がどうの、とかほとんど関係がない話で、浪人生小説として読んでも得るところはあまりないかと思う。そう、元彦は金沢から上京してきて、姉の胸子(きょうこ、24歳のOL)が友人から借りているマンションで一緒に暮らしているのだけれど、お姉さんと2人暮らしをしている男子浪人生が出てくる小説は、個人的にはたぶん初めて読んのではないかと思う(ほかに何かあったっけ? ――まぁいいか)。現役のときには「すべり止めを含めて六つ受験したすべての大学をつるんつるんすべった」とのこと。例によってというか、小説ではパターンだけれど、元彦くんもそれほど勉強はせず、予備校もしょっちゅうさぼっているらしい。作中の季節がよくわからないのだけれど、悪夢にうなされるようになったのは1ヶ月ほど前からとのこと。眠ると変なこと(?)になってしまうなら、眠らずにその時間を受験勉強に当てればいいのにね。って、迷路を抜け出すのに体力を使ったり、“出口”が現実のどこになるかわからないから戻るのも大変だったりで、受験勉強なんてし始めたらすぐ眠くなっちゃうか。ラストの場面では、まだしらばく受験勉強ができそうにない感じだけれど、大丈夫なのか、来年の大学入試は?(そんなことはどうでもいい小説か)。
「第四話 予備校生は悪夢を這う」は、眠ると“腸の迷宮”(“腸迷宮”)に入り込んでしまう予備校生の入間元彦(いるまもとひこ、18歳)を、お約束どおりにさやかが助ける、みたいな話。この小説も受験がどうの、とかほとんど関係がない話で、浪人生小説として読んでも得るところはあまりないかと思う。そう、元彦は金沢から上京してきて、姉の胸子(きょうこ、24歳のOL)が友人から借りているマンションで一緒に暮らしているのだけれど、お姉さんと2人暮らしをしている男子浪人生が出てくる小説は、個人的にはたぶん初めて読んのではないかと思う(ほかに何かあったっけ? ――まぁいいか)。現役のときには「すべり止めを含めて六つ受験したすべての大学をつるんつるんすべった」とのこと。例によってというか、小説ではパターンだけれど、元彦くんもそれほど勉強はせず、予備校もしょっちゅうさぼっているらしい。作中の季節がよくわからないのだけれど、悪夢にうなされるようになったのは1ヶ月ほど前からとのこと。眠ると変なこと(?)になってしまうなら、眠らずにその時間を受験勉強に当てればいいのにね。って、迷路を抜け出すのに体力を使ったり、“出口”が現実のどこになるかわからないから戻るのも大変だったりで、受験勉強なんてし始めたらすぐ眠くなっちゃうか。ラストの場面では、まだしらばく受験勉強ができそうにない感じだけれど、大丈夫なのか、来年の大学入試は?(そんなことはどうでもいい小説か)。
小川勝己 「老人と膿」
2007年9月18日 読書
<ハヤカワ・ミステリワールド>の1冊、『狗』(早川書房、2004)に収録されているいちばん短い1篇(2/5)。内容は……ページ数が少ないから読んでもらったほうが早いと思うけれど、年老いた漁師が針にかかった巨大なマグロを数日間の格闘のすえに釣りあげる、みたいなパード・ボイルドな話ではなく、(昔のことを回想する形で語られているのだけれど、)上京して予備校に通っている「わたし」が、コンビニや図書館へ行く道でしばしば出会う、近所に住んでいてどうやら認知症をわずらい、家族から虐待されているらしき老人を、ある作戦によってその家族(息子夫婦と孫息子)から救い出す、みたいな悪を懲らしめるような話。――と書くと高齢者に親切で介護的な“きれい”な話っぽいけれど、そうではなく。とりあえず「膿」は出てこないけれど、あまり“きれい”な話ではないです。
浪人生小説としては、読んでもほとんど得るところなし、かな。ただ、浪人生と言ってもついこの間までは、天下の(?)高校生で――この小説では女子高生で――あったわけで、人間ってそれほどすぐに変わるものではないから、なんていうか、ある意味で、浪人生というのは“高校生’(ダッシュ)”みたいな存在なのかもしれない。浪人生ではなく大学生でも同じかもしれないけれど。そう、この小説、1人称は「わたし」ではなく、「あたし」でもよかったのではないか。関係ないけれど、そういえば、男性作者による女子浪人生を主人公にした小説(かなり短いけれど)は、なんだか、久しぶりに読んだ気がする。というか、そもそも数が少ないのかな。橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の表題作以外に何かあったっけ? ――思い浮かばないな。
浪人生小説としては、読んでもほとんど得るところなし、かな。ただ、浪人生と言ってもついこの間までは、天下の(?)高校生で――この小説では女子高生で――あったわけで、人間ってそれほどすぐに変わるものではないから、なんていうか、ある意味で、浪人生というのは“高校生’(ダッシュ)”みたいな存在なのかもしれない。浪人生ではなく大学生でも同じかもしれないけれど。そう、この小説、1人称は「わたし」ではなく、「あたし」でもよかったのではないか。関係ないけれど、そういえば、男性作者による女子浪人生を主人公にした小説(かなり短いけれど)は、なんだか、久しぶりに読んだ気がする。というか、そもそも数が少ないのかな。橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の表題作以外に何かあったっけ? ――思い浮かばないな。