「ホラー・アンソロジー」だそうです、菊地秀之・乃南アサほか『舌づけ』(ノン・ポシェット、1998)に収録されている1篇。8篇中の3篇目。※以下、例によってネタバレ注意です。文章はしっかりしているけれど、ちょっと無駄も多いような気が。短篇小説というと鮮やかな幕切れ、みたいなものを期待してしまうけれど、そんな感じではないと思う。最後のあたり、なんとなく付け足している? 語彙的な面でも、冒頭のあたりで「模擬試験」という(画数が少なくはない)漢字4文字が何度か繰り返されている。(「模試」という略語が嫌いなのかな。あ、でも「宅浪する」という言葉は使われている。)

4浪中の人が出てくる小説は初めて読んだけれど、やっぱり4浪くらいになると設定が意図的、人工的な感じがする。灘家康希は、現役の受験のとき――これが不幸の始まりになるみたいだけれど――試験の直前に食中毒で入院し、試験日も高熱と下痢に襲われて、不合格になる。1浪、2浪のときは、今度は原因不明な感じで、試験前日や試験日に高熱や下痢、あと嘔吐に襲われて、不合格。3浪のときは、そもそも「三浪ともなると、他人の目が疎ましくなる。「まだ浪人なの?」と嘲られているようで、康希は誰とも会いたくなくなっ」(p.101)て、自宅浪人をしていたらしいけれど、試験の当日は、視線恐怖症というか対人恐怖症のような感じになって、試験会場から逃げ帰ってしまう。それで、4浪中。ひきこもりな感じで、家にやってくる家庭教師(大村清)とも、カメラとファックスを通じてやりとりしている(カメラは大村側からは見えない一方的なもの)。

康希は母親の章子と2人暮らし。早くに亡くなった父親が多額の遺産を残してくれたらしく、お金の心配はないらしい。勉強も「中学でも高校でも、成績はずっと学年で一番を通した」(p.100)とのことで、問題はないらしい。(現実問題、勉強不足で大学に落ちることのほうが多いのではないかと思うけれど、小説では勉強はできるけれど…みたいなケースがかなり多い。)志望大学は書かれていないのだけれど、だいたい中学で成績が1番であれば、高校はある程度の進学校に入るから、そういう高校で学年1番なら、ふつう本命は東大かそれに近いところくらいになるのではないかと思う。

小説として大きな仕掛けは2つある、というか、大きめな驚きは(驚くとしたら)2箇所あるかもしれない。それぞれ意外といえば意外かもしれないけれど、でも、どうもいまいちな気がする。自分が予想していた展開(ネタバレするから言わないけれど)よりはましだったけれど、なんていうか、ちょっと面白みに欠けるというか、個人的にはなんとなく萎える小説かな。そもそもホラー小説って何? 私としてはかなり謎なジャンルである。超自然的なことが起こらなくても(幽霊とか出てこなくても)、読者が怖がるような要素が入っていればホラーなのか。うーん…。ミステリーは読めるけれど、ホラーはやっぱり好きじゃないな。だいたい、現実的な小説(リアリズムの枠に収まるタイプの小説)のほうが好きだし。

あとは、そう、「受験地獄」という言葉が最後のほうで使われている。「受験競争」や「受験戦争」というと社会的なことで、「受験地獄」というと個人的なことになる?(西村京太郎『イレブン殺人事件』の「受験地獄」も個人的な感じである)。タイトルが「長い冬」だけれど、浪人生活を喩えるのに「冬」というのも昔からよく使われるのかな。大学に合格することを「春がくる」と言ったりするのも? 話が逸れてしまうけれど、竹内洋『立志・苦学・出世』(講談社現代新書)という本ではたしか(読み直していないのでうろ覚えだけれど)、受験生活が「灰色」という言葉で形容されることに注目していたと思う。「灰色」の対概念って何? 「薔薇色」?(「薔薇色の大学生活」?)。サクラサクだから「桜色」?(「桃色」?)。――なんでもいいか。とりあえず明るい色だろうね。([追記]米澤穂信『氷菓』の冒頭あたりがちょっと面白い。高校に入学した語り手が「薔薇色」について語っている。)

ちなみに、描かれているのは、夏(の前?)から試験日まで。
 
 
[追記]単著では『熱い視線』(徳間文庫、2010.5)に収録されている。
 
連作短篇集『シクラメンと、見えない密室』(ジョイ・ノベルス、2003/光文社文庫、2006)所収の最初の1篇。短いプロローグとエピローグを除いて全7篇、各章のタイトルの前には「月」が書かれていて、3月から始まって最後は9月まで進んでいる。※以下、ネタバレ注意です。自分で内容をまとめる自信がないので、例によって文庫の後ろ(カバー)の文章を引用させてもらえば、

 <扉を開けるとオジギソウが挨拶をしてくれる、花いっぱいの喫茶店。美しくミステリアスな店主[ママ]とその娘が、悩める客の持ち込む不可解な謎を、鮮やかに解き明かしてゆく。遠隔殺人、見えない密室、同時に4つの場所に出現した男……不可能を可能にする驚愕のトリックとは? /さらに最終章では、とんでもない大仕掛けが明らかに――。/柄刀マジックの真骨頂!>([括弧]はルビ。)

とのこと。個々の事件(謎)やその解決方法に興味が引かれたというよりも(“見えない密室”なんて期待してしまうとがっかり?)、個人的には、花を始めとして植物に詳しく、30代らしいのだけれど、年齢不詳な感じの店主、美奈(と店を手伝っている娘、奈子)がいったい何者なのかが知りたくて、最後まで読んだ感じである。喫茶店『美奈子』は逗子(神奈川県)にあるらしい。店内は植物で飾られているだけでなく、ママさんはお客の心身の状態に応じてハーブティーを出してくれたり、もちろん相談ごとなどにも耳を傾けてくれたり、……理想的な喫茶店の1つ、みたいな感じかな。将来こういう癒し系(?)のお店を開きたいと考えている人も多いのではないか。

それで、「傷とアネモネ」(3月)について。内容は――これも引用させてもらえば、「父親の自殺から一年もしないうちに、今度は母親が自殺未遂したとふてくされている浪人生の物語」(村上貴史による「解説」)だそうである。関係ないけれど、どうしてこう、父親がどっかへ行っちゃっている小説が多いのかな、世の中は?(現代の日本だけ?)。浪人生の直人(市谷直人、19歳)は、半年前から週に1,2回は『美奈子』に通っている。母親の利佳子は元ファッションモデルで、結婚後もそうした関係の仕事を続けていて、直人の面倒は家政婦まかせにしていたらしい。ちょっと違うような気もするけれど、やっぱり母-息子関係の話なのかな、これ。美奈さんの協力(推理など)によって利佳子の自殺の真相がわかり、直人は母親のことを見直すというか、おおげさに言えば“赦す”ような感じ。

2浪というか、まだ3月なので1浪と2浪のはざまぐらいな直人は(どうでもいいけれど)数学が得意らしい。「等差級数」「等比級数」がどうの、と言っている箇所を読んでも、得意なようには思えないけれど。あと、直人くん、もう、バイクだけでなく自動車の免許も持っているらしい、というか、バイクも自動車も持っているらしい。事業に失敗して自殺した父親――直人が現役で大学に落ちたときには舌打ちしたらしい――が残した借金はどうなったのかな。家族には降りかからなかったのか、母親がよほど稼いでいるのか。少なくとも、車など、アルバイトをして買ったようには思えない感じ。ちなみに、あとのほう(6篇目・7篇目)を読むと、大学はどうしたのか、出版社(雑誌社)に勤める編集者(記者)になっている。
 
連作短篇集『鋏の記憶』所収の最初の1篇(全4篇)。文庫は角川ホラー文庫から出ているようだけれど、手に入らず。例によって5,6件の古本屋を回って、なければない、という感じ。なので(?)手元にあるのは図書館で借りてきた単行本です(角川書店、1996)。これも、あまり期待していなかったせいか、意外と面白かったです。ミステリーとしては薄味な感じというか、シンプルな感じかもしれない。何か足りないような気がするけれど、何が足りないのかわからない。普通といえば普通です。よくわからないけれど、5段階評価なら2.6くらいにしておきたい。※以下、ネタバレには注意してください。サイコメトリーができるのなら(物からそれに以前触れた人などを読み取れるのなら)、積極的にどんどん使って早く事件を解決しちゃえばいいのに、みたいなことも思うのだけれど、そう単純な話でもないのか(というか、そんなことしたら小説にならないか)。

「三時十分の死」は、旅行から戻ってきた住み込みの家政婦(川上ウメ子)が、ロンドンに行っているはずの主人(相良利一郎)が殺されているのを発見したことから始まっている。その犯人候補の1人として登場してくるのが、隣の家に住む浪人生、津田良明(19歳)。ひどい猫の毛アレルギーの相良が以前、野良猫を退治するために庭に毒入りの餌を撒いておいたのを、津田の家で飼っていた猫があやまって食べてしまい、それで恨みをもっているらしい(関係ないけれど、アレルギーで喘息が出て人間のほうが危ないにしても、勝手に毒入りの餌を撒いて動物を殺したら、それは動物愛護法に触れるのではないか?)。もう1人、あやしい人物として、相良にペンションを始めるためのお金を借りようとしていた甥(の稲垣順平)が出てくるのだけれど、花屋に勤めるその彼女(青木早苗)の友達が、サイトメトラーな高校生、桐生紫(ゆかり)。両親が亡くなって祖母と暮らしていたのだけれど、その祖母も亡くなっていまは東京で、従兄で刑事の桐生進介と2人で暮らしている。←例によってぐだぐだな内容紹介(涙)。なんていうか、紫のキャラクターが薄すぎるのかな、日頃(?)何を考えている人なのか、とかよくわからない。進介とくっつくのか、とちらっと思わせておいて、その点は結局、放置しちゃっている感じ。(知らないのだけれど、もしかしたらシリーズものの1冊なのか?)

この小説も浪人生だからどうのこうの、みたいな話はほとんどないのだけれど、浪人生というと、やっぱり(?)体は痩せていて顔は青白くて、夜遅くまで起きている、みたいなイメージ? 推理小説だからあやしげに、みたいな理由もあるかもしれないけれど。次の話(2篇目、表題作)では、進介の高校のときの同級生の漫画家(二瓶乃梨子)が出てきて、やっぱりちょっとステレオタイプといえばステレオタイプな感じがするかな、人物が。アシスタントが急病になって紫に手伝ってくれ、と電話してくる――なんか最近、ほかの小説で似たような場面を読んだばかりな気が。読んでいていらいらはしないけれど。
 
連作集『家族芝居』(文藝春秋、2005)所収。「プロローグ」などを除いて主に3篇収録されているうちの最初の1篇。佐川光晴って(例によって)初めて読んだけれど、ほのぼの系? ほのぼのした小説は好きなのだけれど、でも、これは何かちょっと足りないな。何が足りないんだろうな(わからないです)。でも、読みやすいから最後まで(1篇だけでなくぜんぶ)読んでしまったけれど。老人グループホームを主な舞台としていて(そうでもないか、2篇目、3篇目はむしろ外へ出ている)、書名も考え合わせると、「擬似家族もの」という感じかな。入所者は少し増減するけれど7人、「大家族」という感じかもしれない。

冒頭、次のように始まっている。

 <ぼくは将来医者になることを志望してはいるが、残念なことにまだ浪人中だ。ただし、成績はすこぶる良い。今回だってすべり止めに受けた北大の医学部にはしっかり合格していたのに、オヤジが地元に残るくらいなら浪人させてやるから東京に出ろというので、そんなことは早くに言ってくれと思ったが、やむをえず手続きをしなかったのだ。>(p.10)

浪人生小説(そんなジャンルはないけれど)として読んでも、たいして面白くなさそう、という感じの始まりである。たいていの浪人生は成績がふるわなくて(本番で点数が取れなくて)落ちてしまうのではないか、と思うのだけれど、浪人生小説から現役受験生も唯一学べそうな、不合格体験談が、これでは(受かったのに行かないみたいなケースでは)聞くことができない。それにしても、国立大学が「すべり止め」ってどうなのかな、ふつう私立大学だよね。前期、後期あるから可能ではあると思うけれど。いずれにしても、北海道大学(2002年の話らしい)に行けたはずの誰か1人が、この親子のせいで落ちちゃったんだよね、かわいそうに。

「ぼく」(アキラ、上杉瞭)は、大学で演劇をやっていて中退後もしらばくやっていた、いとこの善男さん(後藤善男)が運営する老人グループホーム(「八方園」)を手伝いながら、そこに住まわせてもらっている。予備校にも通っている(八方園では1日3時間の勉強時間などは確保させてもらっている)。それで、全体としては、善男さんの抱えている狂気みたいなものがわかりにくいし(小説の最後、オチもいまいちかな)、入所者のお婆さんたち(善男さん曰く「婆ぁども」)も狂言回しとしてちょっともの足りなく思うし。「ぼく」もちょっといい人すぎるというか、感情が平板すぎるような…。なんていうか、でも、家族小説であればこういう感じで(これくらいのほのぼのぐあいで)むしろいいのかもしれない、わからないけれど。家族小説だから(?)アキラと善男の家族についても、詳しく書かれている(アキラによって語られている)。

「ぼく」について見てみると、いちおう成長はしているかな。成長小説といえば成長小説なのかもしれない。「ぼく」は善男さんの仕事を見たり手伝ったりしながら、「婆ぁども」を見たりもして、だんだんと医者志望の理由がはっきりとしてくる、といった感じ。ネタバレしてしまうけれど、次の1篇を読むと、東京医科歯科大学の学生になっている。(そういえば、「子どものしあわせ」の「子ども」って誰? 花ちゃん?)
 
 
[追記]収録本は『あたらしい家族』と改題されて文庫化(集英社文庫、2015.11)。ちゃんと確認はしていないけれど、ちょっと設定が変わっているような? 文庫版では現役受験での北大は落ちたことになっているっぽい。
 
講談社文庫、2007。単行本『大きな玉ネギの下で〜story of 85’〜』(講談社、2005)が若干改題されたものらしい。ロックバンド(なのか?)爆風スランプのヴォーカルを(最近ではTVでワイドショーのコメンテーターなども)つとめるサンプラザ中野による「小説ほぼデビュー作」。※以下、例によってネタバレには注意してください。

 <一九八五年、北関東の県立高校3年生木島夕子は、都内の予備校生・辻島衆二と文通を始めた。手紙の言葉だけを頼りに純真な恋を育てた二人は、共通のファンであるロックバンドの武道館公演の席で初めての待ち合わせをするが――。爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」に秘められたせつなさあふれる物語。>(文庫の後ろより。「辻」は点がもう1つ。)

亡くなった母が箱にしまっていた手紙の束が出てきて、それについて「私」(伽耶)が叔母から話を聞く、という外枠というか外側の話があるのだけれど、叔母(たち)によって語られる内側の物語(1985年4月〜)は上の説明のような感じ。亡くなった母親が木島夕子。あと、前半の盛り上がりどころは、歌やラジオを聴いてファンになったロックバンド「爆pスタンプ」が初の武道館コンサートをすると聞いて、それを宣伝するために文化祭で、クラスメートで友達の雅子と、雅子が想いを寄せている隣のクラスの飛田くん(トビー)たちと一緒にコピーバンドをするところ。

20年も前の1985年が主な舞台であるにしても、オーソドックスというか、かなり古風な小説かもしれない。個人的には明るい小説が好きなので嫌いではないけれど、ちょっと牧歌的な感じ、もする。“悪意”がほとんどない小説なので、講談社文庫ではなくて、講談社青い鳥文庫に入れて小中学生に読んでもらうといいような小説かも。(あまり関係ないけれど、世代的には……どうなるのかな、自分はたぶん「私」(夕子)たちではなく、夕子の8つ歳下の妹、美智と同じくらいの世代。なので、わかるようなわからないような…。小学生くらいからTBSの音楽番組「ベストテン」はなんとなく見ていたけれど、爆風スランプといえば記憶が、♪走るー、走るー、俺たち(「RUNNER」)からかな、やっぱり。光GENJIが出てきたのっていつだっけ? ――それはそれとして。)

本題。上で引用した文庫カバーの宣伝文を読むと、浪人生が出てくる…と思えるけれど――ネタバレしてしまうけれど、残念ながら出てこないっす。伏線みたいなものもわかりやすい小説なので、わりと早めに、こりゃ出てこないな、と知れてしまう(涙)。浪人生が出てこない小説をとりあげてもしかたがないのだけれど、ただ、この小説は高校3年生たちが主役だから、卒業にあたって、受験の結果、浪人する人も出てきている。これもネタバレしてしまうけれど、美術大学志望だったトビー飛田くんは、家庭の事情から歯学部を目指さなくてはいけなくなって、勉強がとても大変に。小説では(歯学部志望じたい珍しいかな)医学部志望から美大志望に変えるケースはけっこう目にするけれど、美大志望→医科・歯科系志望というのはちょっと珍しいかもしれない。高校3年の、しかも途中から歯学部志望に変えたのではそうは簡単に受からないよね、やっぱり。一方の「私」というか早大志望の夕子のほうは……ちょっと引用させてもらうと、

 <浪人がほぼ確実になった。そういえば爆pスタンプのサンちゃんも、一浪の末に早稲田に受かったのだった。私も焦らずに、来年頑張ればいいや、と思った。>(p.295)

この軽いノリは何?(汗)。確かに夕子は夕子でこのあと大変なことが待っているにしても、シリアスな飛田くんと比べるとちょっと楽観的すぎるような。

関係ないけれど、「北関東」というのはちょっとざっくりしているな(でも、横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』とかもそうか。「北関東新聞」だっけ?)。プロフィールを見ると作者は山梨県出身らしい。いずれにしても、この人=リアル・サンちゃんは純粋な人っぽいから、この精神(?)のまま、どんどこ小説を書いていって欲しいなと思う。たくさんのジャンルの小説を読みまくったりもすれば、そのうち玄人受けするような傑作も書けるのではないか。楽観&希望だけれど。
 
NHK出版、2004。手元にあるのは図書館から借りてきた本。この本、とても欲しいのだけれど、えーと、1600円もするのか…(うーん)。文庫化されないかな。NHK出版は無理だろうから(?)清水作品が得意そうな講談社文庫が拾うとか。というか、どこでもいいので文庫化して欲しい。それとは別に、図書館の本について触れるのはどうも気が引ける、みたいなこともあって。脱税しているとかではないけれど。※以下、例によってネタバレ注意です。

途中、『ウルルン滞在記』が挟まっている(『世界タリラン滞在記』)。パスティーシュ作家、清水義範の本領が発揮されているというか、うまいです。でもこの小説、全体的に何かTVで見たことのあるような話が多いかな。冒頭が主人公の竹沢遥祐(18歳)がゲーム・センターで時間を潰している場面なのだけれど、そのあと駅のホームで線路に落ちた男性を助けたことから、3ヶ月で1億円を使いきるという、その人=瀬戸川忠(55歳)が提案するリアルなゲームを実行することに。これは『黄金伝説』の、1ヶ月1万円で生活する、みたいなものの逆っぽい(そうでもないか)。そもそも、瀬戸川以外に登場する主な人物が、上京してきたばかり、かけだしのアイドルというか、女優の卵みたいな女の子であるし。その子=笹沢真由(遥祐と同じ歳)は、ウルルンならぬタリランしているだけでなく、描かれてはいないけれど、NHK朝ドラマのオーディションも受けている(関係ないけれど、これは、人気が翳ってきたタレントを描いた小説『スタア』の逆っぽい?)。

ひと言でいえば、成長小説なのだけれど、今回は細かいことは省かせてもらって(読んでください……と言ってしまうと、感想ブログとして元も子もない(汗))。冒頭あたりというか、主に第一章の、予備校生遥祐の心理の描かれ方も、実際の浪人生が読んでどう思うかは別として、やっぱりうまいと思う。ちょっとわかりやすすぎるきらいはあるかもしれないけれど。遥祐くん、たんに将来なりたいこと、したいことがないというだけでなく、両親が2月に離婚していて(母親と妹の久美は浜松に)そのショックが尾を引いている。そのために勉強に身が入っていない状態。「ゲーム」が始まってからは受験勉強はお休みに。舞台はほとんど東京で、描かれているのは7月から……最後は時間が飛んだりして12月か。入試までは描かれていないけれど、今年というか年が明けて来年の入試は、落ちてもしかたがない、みたいなことを本人は言っている。

派手なことが起こったりしないので(ゲームの結果もちょっとうやむやな感じ?)、もの足りなく感じる人もいるかもしれないけれど、個人的にお薦めはお薦めです。5段階評価なら(個人的に清水義範が好きなので)ちょっとおまけして3.2くらいで。(やっぱり手に入れて、もう1度ちゃんと読み直したいな。感想をもう少し詳しく書き直したい。というか、どうしてNHK出版から出ているの? ――ラジオ講座のテキスト『新基礎英語』の2と3に連載されていたらしい、けれど、そんな所への小説連載のきっかけっていったい?)
 
中央公論新社、2001。これはとてもお薦めです。個人的には今まで読んだことがある主人公が予備校生の長篇小説の中で(ってそれほど読んでいないけれど)清水義範の『学問ノススメ』に次ぐベスト2かな、今のところ。でも、長篇小説といっても、主人公(「僕」)が浪人生なのは半分だけ。2000年の話と1990年の話が交互に進行していく形で書かれた小説で、1990年のほうが浪人生パート。予備校の、特待生向けに作られた寮に入っている生徒たちが描かれた、青春予備校生群像という感じの話。

寮(「桜花寮」)は、1階が食堂とか寮生向けの特別授業用の教室とかになっていて、2階と3階にそれぞれ5部屋、計10人の生徒が入寮している。「僕」(アキラ=小泉晶)と特に仲がいいのは、リュータ(神山流太)とヨージ(甲斐陽司)の2人なのだけれど、10人の浪人生を描き分けているのは、ちょっとすごいと思う(『学問ノススメ』よりも多いかな)。いちおう2階の人たちが早稲田大学志望で、3階の人たちが東京大学志望になっているのだけれど、私のような三流大卒な人が読んでも(?)嫌味がない感じというか、主人公は聞き上手ないい人だし、全体的に悪意がない小説かもしれない。基本的に、肩の力が抜けた(?)明るい小説です。

浪人生小説のつねで、予備校の授業はさぼったり寮も抜け出したり、あと、煙草は吸っていたりするけれど、アキラたち3人は(きっかけはどうあれ)早朝ランニングをしたりで、健康的な感じ。主人公のアキラくんは、とりあえず早大(の教育)志望ということにしていたのだけれど、悩んだりした結果、本当にやりたいこと、進みたい方向が見つかって――ちょっと話がうますぎる(都合がよすぎる)気もするけれど、でも、そういうところもよいのかもしれない。1年間が描かれているので、大学の合否についてもちゃんと書かれている。

書き忘れたかな、予備校は、高田馬場にある「山の手学院」とのこと。実在していないと思うけれど、とてもありそうな名前? 10人の出身地は、茨城や栃木、長野、あと秋田とか、東京より北が多いかな。あれ、アキラの出身はどこだっけ?(読み直さないとわからないな、高校のときは房総=千葉だっけ?)。そもそも1浪向けの寮らしく、全員が1浪。そう、予備校生でも雀荘で学割がきく、みたいなことが書かれていたけれど、自分も遠くの大学を受験しに行くときに、予備校で学割(学割違い?)を発行してもらった記憶がある。距離にもよるけれど、ちょっとは安くなるよね。

10年後の2000年パートのほうは、リュータが海外で亡くなったという噂が耳に入って、その真相を確かめる、みたいな話。アキラは、かつての寮生たちに連絡を取って、会ったり、電話で話したりする。要するに、一同に会さないけれど、同窓会的な感じになっている。これもやっぱり、10人全員のその後が書かれている。――そういう意味で、浪人生にもお薦めな小説かもしれない。自分のその後(10年後)はどうなっているのか、とか多少参考にできそうな感じで。ただ、「懐かしい」という感じで書かれているから、浪人生が読んでも懐かしく思うかもしれない。というか、懐かしく感じるのは、私がいい歳だからなのかな。――いずれにしても、お薦めな小説です。
 
河出書房新社、1999/河出文庫、2002。ほのぼのした小説のようで、ほのぼのしていないというか、読んでいるとちょっと落ち着かなくなる気もする。どうでもいいけれど、女の子=サワ(サワコシ)の話し方が、なんとなくアイドル・タレントの安田美沙子に似ているような気がして、頭の中で声を当てはめて読んでみたのだけれど、かえって違和感が大、失敗しました(涙)。内容は、

 <男の子と女の子――つなげれば即席の永遠ができあがる。美大の予備校に通うイツオとサワ。その二人の日常に突如現れた年上の女性、ナカツカハルミ。三島賞受賞第一作のキュートでせつない長篇恋愛小説。>(文庫カバー)。

だそうです。夢(たぶん)とか、ノイズ的な文章が挟まれていたりもするのだけれど、基本的には男の子=イツオ(ツオちゃん)の視点で書かれている。「美大の予備校」とあるけれど、本文中では「画塾」と呼ばれている。目白にあるらしい。授業というか、デッサンをしている場面は出てくる。2人はサワのアパートで、半同棲状態にある。アパートがあるのは、高円寺(貧乏ではないけれど、“中央線沿いアパート小説”みたいな感じ?)。なんていうか、2人の会話は、噛み合っていないのだけれど、1つのところに収斂していくような、ちょっと不思議な感じがする。相性がいいのかよくないのか、よくわからない…。私は男なのでわからないけれど(と言い訳をしつつ)、女性が読むとふつう、イツオはサワの気持ちをわかってねーな、みたいなことを思うのかな、この小説? 2人の前に現れるナカツカハルミ(ハルミねーさん)は、「解説」(湯山玲子)では、「一般的な尺度で言えば、“不思議ちゃん”のなれの果てのような、変わった人物」(p.240)と言われているけれど、電波というかちょっとSFが入っているのかな。クラインの壷とか宇宙とか、川端康成の「片腕」とか。

受験に関係しそうなことでは、イツオくんは2浪らしいのだけれど、ハルミとの会話で、出遅れた、と言っている。「普通はみんな、高校一年ぐらいから美術学校に行ったり、個人授業を受けたりするみたいなんですけど、そんなこと全然知らな」(pp.61-2)かったらしい。本当にそうなのかな、小説では(デッサンとかも含めて)1年くらい勉強しただけで、美大に合格しているケースがあるけれど。でも、遅れをとっているわりには、ふつうの(?)浪人生と同じように、あまり勉強していない様子。ちなみに、イツオは「将来はグラフィックデザイナーになって、レコード会社のデザインルームに勤めたい」(同ページ)らしい。

あれ、ツオちゃんの家はどこだっけ? ――忘れちゃったよ(川崎だっけ?)。サワの実家は(これは見つかった)和歌山らしい。そういえば、サワって何浪なのかな、イツオと同じ? あと、サワってアルバイトをしているけれど、イツオってしていたっけ?(読み直さないとわからない、というか、最近もの忘れが早すぎ…)。

※スピンオフというか、『消滅飛行機雲』(新潮社、2001/新潮文庫、2005)に、続編(前編?)のようなもの(「パーマネントボンボン」)が収録されている。
 
<千波くんシリーズ>と言ったほうがいいのかな、“パズル小説”の短篇シリーズ。「日記」というか、1篇ごとにむりやり1ヶ月くらいずつ進めていっている感じ。

 4月~8月:
  『試験に出るパズル』(講談社ノベルス、2001/講談社文庫、2004)
 夏休み:
  『試験に敗けない密室』(講談社ノベルス、2002/講談社文庫、2005)※これは長篇。
 9月~1月:
  『試験に出ないパズル』(講談社ノベルス、2002/講談社文庫、2005)

4冊目の『パズル自由自在』(講談社ノベルス、2005/[追記]講談社文庫、2008)は、高校のときの回想があったり、「日記」としてはぐだぐだなような。

 <眉目秀麗にして頭脳明晰の天才高校生・千葉千波くんが、従兄弟で浪人生の“八丁堀”たちとともに難問、怪事件を鮮やかに解き明かす。たっぷり頭脳の体操が楽しめる上質の論理パズル短編五本に、「解答集」、森博嗣氏による解説までてんこ盛り! ご存じ『QED』の高田崇史が送る新シリーズ第一弾、待望の文庫化。>(1冊目の文庫カバーより。)

語り手の「ぼく」は、千波くんから「ぴいくん」と呼ばれている浪人生(本名はわかる人にはわかるらしい)。もう1人、「ぼく」のことを「八丁堀」と呼んでいる、高校のときの同級生で浪人生仲間の饗庭慎之介――その3人がメインのシリーズ・キャラター。ぴいくんは、いちおう小説的には『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンとか、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の薫くんとか、そのへんの末裔かもしれない。やっぱり勉強していない浪人生で、知的な薫くんよりもよほど「永遠の浪人生」と呼びたくなってくる。(語り手といえば、小学生の妹がいるのだけれど、その妹のことになると、ぴいくんは、いわゆる“信頼できない語り手”に! 笑えます。)浪人生の2人は、「代々木にある予備校」に通っている。といっても、かなりさぼっている感じ。予備校の中にいる場面はぜんぜん描かれていなくても、予備校の近くにある喫茶店やビリアード場にいる場面はかなり描かれている(あ、そのビリアード場は学割があるらしい)。

4冊合わせると、ページ数的には最長の浪人生小説になりそうな気がするけれど、どうなのだろうか(もっと長いのってある?)。嬉しいやら悲しいやら、浪人生ぴいくんのぼやきというか、屁理屈みたいなものを何度も聞くことができる。実際に浪人中の人が読んでどう思うかは、わからないけれど、とりあえず面白いです。――どこか1箇所くらい紹介してもバチは当たらない気がするけれど、どこがいいのかな、あまり長くならないところで、

 <カレンダーは、まだ七月。センター試験まであと半年もある。しかしこれも、半年というから長いような気がするんで、百七十日と聞くと少しあせってしまう。でも、四千八十時間と言われると、もっとあせってしまう。一日十二時間勉強したとして、二千四十時間だ。一時間で試験問題に三問、目を通したと仮定しても、わずか六千百二十問しか触れることができないのだ。しかし、七百三十四万四千秒と聞くと少し安心してしまうのはどうしてだろう。>(「≪七月≫誰かがカレーを焦がした」、p.225)

どうしてだろう、とか言われても…。いま引用しながら思ったけれど、ふつうに浪人生が言いそうなことから、もう一歩踏み込んでいる感じかな。たいてい「時間」に換算したあたりでやめそうだものね。もしかしたら、他の箇所でも、そういう感じ=論理的な踏み込みぐあい、がよいのかな。たんに不平・不満をユーモアにくるんで言っているだけのようにも読めるけれど。

数字といえば、あまり関係ないけれど、同じ1冊目に千波くんが指を折って2進法で数を数える場面がある。川上弘美の『いとしい』の冒頭にも出てくるのだけれど(指を曲げるか伸ばすかで0か1、なので、片手5指で31、両手10指で1023まで数えられる)、これ、昔(5、6年くらい前かな)少し練習して友達にやってみせたら、「それ、16くらいまでなら(仕事で)ふつうに使う」と言われてちょっとショックだったというか、まったく自慢にならなかった覚えがある。その友達は工学部出身なのだけれど、理系の人はわりとできるのかな、これ。作者の高田崇史は薬剤師(薬学部卒)だし、川上弘美は理学部卒だし。16くらいだったら2進法を使わなくても、昔、卓球(部活にちょっとだけ入っていた)の練習で審判をするときに片手で21(正確には20か)まで数えていたけどね(10まではふつうに指を折り曲げて数えて、11からは手の甲をひっくり返して同様に)。ほかに何か使い道があるかな? 1000以上数えても使う指に偏りがあるから、認知症防止(的なゆび運動)にはならないかな。子どもがお風呂で1000も数えていたらのぼせちゃいそうだし。

パズルは、私は8割くらいはちゃんと解いて読んでいたのだけれど、なんていうか、めんどうはめんどうかも。飛ばし読みしたくなる。個人的には、紙に書いて考えないとわからないタチで(要するに頭が良くない?)、寝っころがりながら適当に読めない娯楽小説っていったい? とか思いつつ、机に座って読んでいました。しかも、そもそもパズルが苦手というか、解けない解けない(涙)。――パズルを解いている時間があるなら勉強をしたほうがいい、みたいな意味で、やっぱり浪人生には薦めにくい小説なのかな。でも、面白いけどね。

[追記(2010/08/02)]少し加筆訂正しました。あと、ときどき検索されているので、書いておけば、「ぴいくん」の本当の名前(本名、フルネーム)について。私は違うヒントをもらってわかったのだけれど、こんなのでどうでしょうか(ちょっとわかりやすすぎるかな)、

  「受験生にとって縁起がよくない食べ物」

“浪人生”つながりでは、槇村さとるの、予備校生が主人公の漫画のタイトルにも使われている。
 
実業之日本社、2005。図書館で借りてはみたものの、ほとんど読まずに返却。上下2段組で1000ページくらいある小説。文章は読みやすそうだったけれど、ちょっとひよったです。なんとなく悔しいので、文庫化されたら(されるかな)必ずや手に入れて読みたい。タイトルどおり、「旅」をするみたいだから、受験勉強などはほとんど無関係な小説だとは思うけれど。(そういえば、本文の最初のページに、1年目(現役のとき)に落ちた理由はインフルエンザ、2年目は、本(図書館の)を読みすぎた、みたいなことが書かれていたと思う。浪人生がすぐに死んでしまうとか、すでに死んでいる、みたいな推理小説よりは多少ましかもしれない。)

ところで、この人(花村萬月)って、けっこうハイ・ティーンの青春小説(「性」が絡みの?)を書いているのかな。であれば、主人公のバリエーションとして浪人生(18, 19歳が多い)が起用されても、別におかしくはないか。
 
ノン・ノベル、2000/祥伝社文庫、2004。自分はエンターテインメント系の作家の書く小説の半分以上が苦手らしく、初めて読んだけれども、重松清もどうやら苦手のほうに入る感じである。この小説はエンタメ系という感じではないけれど、それでも面白くなかったというか、ダメでした。

 <一月十七日、阪神淡路大震災。三月二十日、地下鉄サリン事件。あの一九九五年から二〇〇〇年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカユキ、電車の一本の差でサリン禍を免れた三十五歳のヤマグチさん、長女が嫁ぐ五十七歳のアサダ氏。彼らの六年間の「五月一日」を定点観測し、各世代の「今」を問う斬新な日録小説。>(文庫カバーより。「日録」には「クロニクル」とルビ。)

作為的な設定だよね…。震災と薄く関係するタカユキ、地下鉄事件と関係する/しないヤマグチさん、とか。タカユキ、ヤマグチさん、アサダ氏の3人とも東京在住の男性で、年齢が約20歳きざみ、とか。作者が新聞を見ながら書いているらしい感じがするのも、小説としてはどうかと思う(そもそも小説もどきであるし、小説として読まないという手もある)。タカユキは、3泊4日のボランティア・ツアーから東京に戻ってきて、家に帰る途中、コンビニでスポーツ新聞を買って読んでいる。事情はどうあれ、高校生にスポーツ新聞を買わせるような小説を、個人的にはあまり読みたくない。ほかにも、登場人物たちに対しては同情してしまうというか、具体的には、新聞を読まされたり、ベストセラー本を読まされたり、流行の歌をカラオケで練習しなくてはいけなかったり、プロ野球の結果を気にしなくてはいけなかったり、している。タカユキなんて「たまごっち」をやらされちゃっているし…。かわいそうに。

最年少のタカユキに関する部分は、成長小説としても読めるかと思うのだけれど、そう、その前に、そのタカユキくんに関して、どうでもいいことだけれど、1995年の5月に15歳で高校1年生であれば、1980年の夏生まれというのは、たぶんおかしい。1979年4月から1980年3月の間に生まれていないと。――大学受験に関係する部分としては、1997年が高校3年生、1998年と1999年が浪人生。高校3年生のときのことだけれど、予備校の案内(パンフレット?)を取りに行こうとしていた場面がある。

 <進路面接のあとで町田に出て、河合塾の高校グリーンコースの講座案内を取りに行くつもりだった。別に河合塾に決めているわけではない。どこの予備校のどの講師がいいのかなど、なにもわからない。代ゼミや駿台や早稲田ゼミナールでもいいし、Z会や進研ゼミの通信添削でもかまわない。ただ、河合塾の五月期生募集の新聞広告のコピーが気に入っただけだ。/<自分を見つけに。>/ほんとうにそのコピーどおりの効果があるのなら、大学受験も悪くないかもな、と思う。/でも、それよかデートのほうが大事っしょ、とも思う。>(p.96)

「自分を見つけに。」なんてほとんど無内容なコピーに反応させられている登場人物には、やっぱり同情しておきたい。無自覚的な東京中心主義にも(これはしかたがないけれど)ちょっとうざさを感じる。地方に暮らしていれば予備校なんて駅の前に1件、みたいなこともあるだろうに。どこでもいい、なんて贅沢なことを言われてもね。そう、タカユキ、高校の同級生からの口コミ情報みたいなものだってあるのではないか、本当に予備知識がゼロなのかな。あまり関係ないけれど、通信添削については、高校生が出てくる小説で、乙会をしているものなら読んだことがある(貴志祐介『青の炎』、吉野万理子『雨のち晴れ、ところにより虹』の中の「こころ三分咲き」)。たまたまだろうけれど、S研ゼミをしているものはいまのところ読んだことがないと思う。S研ゼミだと中学生向けというイメージなのかな(そんなこともないか)。予備校と違って、通信添削であれば地域格差がほとんどなくてよいよね。

浪人のときは、代々木公園の近くの予備校に通っている。これも作者のご都合主義的な感じかもしれない。5月1日を描いた連作小説で、5月1日といえばメーデー、代々木公園、したがって町田とかではなく代々木みたいな? 具体的にはYゼミか、千駄ヶ谷のK塾かな(あいわからず東京の地理に不案内です)。家はどこなのか、通っていた高校からは、千駄ヶ谷よりも町田のほうが近いわけでしょう? ――別にどこでもいいか(ちょっとキレ気味)。2浪のときも予備校には通っているようだけれど、同じ予備校かどうかはわからない。1浪して大学に受からないとやっぱり大変、というか、1つ学年が下だった彼女の美奈子は遠くの大学(北海道大学)に受かって、離ればなれになってしまうし、父親はリストラにあってしまうしで、早めに受かるに越したことはないかも。2浪時、予備校をやめたいと言うタカユキに対して、美奈子はとにかく止めている(予備校って「やめます」と言って退学届を出すような学校ではないと思うし、やめるのは予備校ではなくて大学受験、か)。タカユキくん、でも、1浪目で受かっていたら、それほど「成長」できなかったかもしれないし、2浪してかえってよかったのかも。ちなみに、彼女とちゃんと別れる感じになるのは、タカユキが大学生になってからで、とりあえず浪人生小説によくある「大学不合格+失恋」みたいなことにはなっていない。

大学は、たぶん私立文系志望で、結局、法学部も経済学部も落ちたらしく、教育学部に落ち着いたらしい(2007年のいまごろはもう教師?)。どうでもいいけれど、「教育学部」がやけに下に見られているな。あと、こういう書き方を読むと、教育学部って文系、みたいな感じがするけれど、数学科(数学専攻)とかもあるだろうにね、何科に受かったのかな?(国語?社会?その他?)。というか、やっぱりしょうもない終わり方をしている、この小説。ヤマグチさんには小学生の娘がいて(仲直りできて?)、アサダ氏には娘にできた孫がいて、タカユキは教師を目指してもいいかな、みたいな。要するに、子どもに可能性(未来)を見て終わる、という新聞やおっさんが好みそうな発想である。まだ小さい息子や娘、あるいは孫がかわいい、というだけならわかるけれど。そう、1浪のときに出てくる予備校仲間の、元社会人の藤井さん(年齢的には3浪、新聞販売店に住み込んで新聞を配っているらしい)が大学に受かったのか受からなかったのか、は教えて欲しかったな。たぶん受かっていると思うけれど。

ところで、今年(2007年)の5月1日って何があったっけ? ……って、やっぱり新聞でも見ないとわからないな(汗)。[追記:TVドラマ『セクシーボイスアンドロボ』、ゲストは市川実和子、“かんにん袋”。爆弾カレー!]
 
『ゴットハルト鉄道』(講談社、1996/講談社文芸文庫、2005)所収。単行本は確認してないけれど、手元にある文庫本では、この「隅田川〜」は3篇中の最後に収められている。ストーリーを説明しても意味がある小説には思えないけれど、会社員をやめたマユコが、街娼のようなことをしている浪人生(2浪)のウメワカと知り合って……みたいな話。その2人が主人公というか、その2人に視点がある(2視点小説)。タイトルの「皺男」というのは、登場してくる皺だらけの謎の老人。「謎の…」とか言い出したら登場人物全員が謎な感じだけれど。「皺」はキーワードの1つっぽい。物語としては、最後まで読んでも、だからどうした?という感じかもしれない。多和田葉子の文章は(もちろん作品によって違うだろうけど)なんていうか、滑らかで読みやすいのだけれど、意味がわからないというか、とりあえず受験生が勉強の合間の息抜きとして気楽に読むには、あまり適していないかも。お薦めできないです。

ウメワカが街に出るようになった理由みたいなものは、ちゃんと説明すると長くなってしまうので、割愛してしまうけれど――こんな箇所は読んでわかりやすいかな、

 <去年始まった浪人生活を今年も繰り返さなければならないのだと分かった時、耐えがたく思われたのは、勉強しなければならないということではなく、浪人生活が始まってから積り積もった自分の性欲が、二十四時間営業のコンビニエンスストアで立ち読みする雑誌にだけ刺激されて、凡俗な空想しか生み出さなくなっていくことだった。>(p.178)

エ○雑誌? 立ち読みしづらそう…(そういう問題ではないか)。よくわからなけれど、予備校にいる女の子には嫌悪感があるようである。性欲どうのこうのは、別に浪人生に特有な話でもない気がするけれど、これも社会的なイメージが関与しているのかなんなのか(浪人生=暗くて欲求不満?)。中高生でも大学生でも同じな人は同じでしょう? とりあえず、理由はともかく自分が駄目になっていく感覚→「思い切ったことをやってやりたい」(同頁)、何かすごいことをしたい(?)みたいな気持ちは、ありがちかもしれないし、個人的にもわかるかな。そう、通学に使っているかどうかは不明だけれど、ウメワカくんはオートバイに乗っているようだ。バイクに乗っている小説中浪人生ってほんと多いよな。どうして? 

あと、これも小説ではよくあるかもしれないけれど、母-息子関係があまりよくないみたい。というか、息子が母親をうっとうしがっている。このウメワカ母子に特有な問題もあるようだけれど(小説的にはそちらのほうが大切?)、食べないときもあるのに夜食を作られたり、頼んでもいないのにコーヒーを持ってきたり……ありがちな話である。でも、じゃあ、母親は受験生の息子(娘でもいいか)に対してどう接すればいいのか。――大事な問題であるかも。私にはわからないけれど、その手の本って図書館とかでよく見かける気がする。やっぱり需要があるのかな。

〜・〜・〜・〜・〜・〜
大学生小説だけれど、三田誠広『僕って何』(河出文庫、1980)の最初のあたりには、大学生になりたてな次のような箇所がある。

 <田舎の高校で受験勉強ばかりしていたので、社会や、政治、学生運動に関する知識が自分でも情けないと思うほど欠如している。“英文解釈例題集”と“オリジナル数学問題集”の話しかしないクラスメート、わざとらしく父親の見ているテレビの音量をしぼったり、頃合いを見はからって夜食を運んできたりして、無言で受験勉強を強要する母親。これが僕の知っている世界のすべてだ。いったい今までの自分は、何のために、何を求めて生きてきたのだろう――。>(p.16)

検索していないし、わからないけれど、『英文解釈例題集』『オリジナル数学問題集』というのは、おそらく実在する学参ではないかと思う。学校が生徒に配りそうな感じのタイトルだよね。母親が家族(父親、兄弟)に対してTVの音量を小さくさせる、みたいな場面は何かTVドラマでも見たことがある(「○○が勉強してるんだから!」)。いずれにしても、良かれと思ってやっていることが、息子に対しては無言のプレッシャーになっちゃうわけだね(この小説では「わざとらしく」だから、なるというよりも「強要」、やっぱり故意にかけているか)。でも、逆に、口に出して勉強しろ、勉強しろみたいに言う親もふつうにうっとうしいわけでしょう? ――どうしたらいいんざんしょ?(汗)。いちばんいいのは、勉強に関しても合否に関しても子どもを信じて(もちろん会話をしないとか無関心になるとかではなく)以前と変わらない態度で接すること……ですかね?
 
短篇集『遅れた時計』(毎日新聞社、1982/中公文庫、1990)に収録されている1篇。これも、文庫カバーの紹介文の時点でけっこうネタバレしている。

 <ひたむきに生きてはいても、なぜか少しずつ、人生の軌道からはずれてしまう人たちがいる。(略)、スリをやめることができない自分に絶望して死を選ぶ少年をみつめる「予備校生」など、人生の小宇宙を作り出す秀作10篇>

これを読むと、よくある浪人生自殺譚か、みたいな想像をしてしまうけれど、実際、どうだろうか、そうであるとも言えるし、ちょっと違うと言えば違うかもしれない。人物造形や考えていることは、けっこうステレオタイプであるとは思う。ただ、そのわりに小説として悪くないような気もする。吉村昭って以前エッセイ集を1冊読んだことがあるけれど、三浦哲郎とかと同じで(?)あまり悪く言えない人だよね、たぶん。――短い話なので私が説明するよりも読んでもらったほうが早い気がするけれど、いちおう内容をもう少し詳しく。

検事である主人公、柏原のもとに電車内で掏摸(すり)をはたらいた予備校生、徳永春夫が送られてくる。で、最初のほうは、彼を起訴すべきかどうか悩む、みたいな話。2浪で20歳になっているので、「少年」(本文では使われていない?)と呼ぶのは適当ではない気がするけれど、大学生未満はみんな子どもである、という認識なのか、精神的な面を汲み取って判断しているのかなんなのか。――それはそれとして、初犯であるとか、証拠が不十分であるとか、本人の供述どおり、過去にとった小銭入れ(3つ)が下宿から見つかるのだけれど、それらは被害届が出されていないとか、あと、過去の経験(以前起訴した男のこと)とか、春夫の将来や受験勉強のこととか、あれこれと考えて、柏原は春夫に、やっていない、と無実を主張し、釈放されることを勧める。ところが、春夫のほうは、ちゃんと刑罰を受けたい、みたいなことを言い、どうも譲る気がないようなので、結局、起訴をすることに。裁判を待つあいだ、春夫は、親が手続きをして許可が出たにもかかわらず、拘置所から保釈されるのも拒んだらしい、との噂も耳に入る。結局、裁判では「懲役八ヶ月、執行猶予二年の判決」が下る(あ、刑務所には入らないわけか)。月日は流れ(そんなに流れていないかな、年が明けて)、柏原が何気なく新聞を見ると、そこには春夫が電車に飛び込んで死亡したという小さな記事が。柏原は、きっとまたやってしまったんだな、みたいなことを思う。

「若者らしい潔癖さ」という言葉があったけれど、どれくらい若者に共通する感覚なんだろうか。たしかにわからなくもないけれど。あ、私が若いというわけではないです。でも、本当にやめたい、真剣に病気というか手癖を直したいと思っているなら、拘置所とか刑務所に一定期間入っていれば(罰せられれば)治る、みたいなことはふつう考えないのではないか。まぁ、人にもよるか。無意識的にそう思っているのなら、内省や自己分析、それ以外の想像もちょっと足りないような。小説の初出は……1978年(『オール読物』)か。まだ、心療内科へ行ってカウンセリングを受けたほうがいい、みたいな言説はそれほど一般的ではなかったかもしれない。最近では万引きも病気だから、みたいなことも、やめられない理由としてふつうに語られるけれど、当時はそんなことはあまり言われなかったのかも(であれば、しかたがないか)。というか、あまり死者に鞭を打つような発言はよくないよね(反省)。あと、ワイドショー的な発言をもう1つだけ、これは、被害者にとっても加害者にとっても、司法制度が役に立っていないケースかもしれない。主人公の柏原がいずれの選択をしても、どんな言葉をかけてあげても、春夫くんはたぶん同じ道を選んでいたと思われるから。

ステレオタイプ、みたいな話とも関係すると思うけれど、読んでいてちょっと違和感があったのが、柏原が常識や経験に頼って(?)春夫に対して「……なはずである」とか「……にちがいない」という推測をしばしばして、それが実際に本人に尋ねてみると当たっている、みたいな箇所。世の中というか、人の心はそんなに単純ではないのではないかと思う。そのへんがちょっとご都合主義に感じなくもない。

例によって最後に予備校生のプロフィール的なことを。推理小説ではないけれど、この小説でも内容的に当然、春夫の素性ははっきりとしていて――引用したほうが早いかな、

 <予備校生は、徳永春夫という地方出身の二十歳の男であった。両親は健在で、父は家具工場を経営し、恵まれた家庭環境と言える。浪人一年目は自宅で受験勉強を続けていたが、再び入試に失敗すると、上京して下宿し、東京の工業大学受験を目ざして予備校に通っているという。>(p.223)

お父さんの跡を継ぐ必要は特にないのかな、この人。経済学部でもないし。でも、工学部なら家具職人になったり(建築科じゃないし、何科? デザインみたいなところ?)、家具を作る機械を自由に操れるようになったり、何か新しい工具を開発したり(ゆるい想像だな…)みたいなことは可能か。そう、ちょっと古い小説であるし、長男かどうかって大事じゃないのか。どこかに書いてあったっけな…(そんなところには付箋は貼らないので、ちゃんと読み直さないとわからない…)。あと、「恵まれた家庭環境」というのは、金銭的な心配が不要、ということも含むと思うけれど、工場経営もそれほど楽じゃないのではないか(あ、これも平成不況以降の、現在の感覚なのかな)。
 
カッパ・ノベルス、1992/光文社文庫、1995/角川文庫、1999。手元にあるのは、光文社文庫。

大学受験の代名詞的な言葉の1つというか、「大学受験」と聞いて思い浮かべる言葉の1つが「傾向と対策」? 若い人はあまり使わない(使わなかった)セット・フレーズである気もするけれど。――それはそれとして。だいぶ前のことだけれど、赤川次郎に一時的に嵌ったことがあって、そんなときに誰かと話をして、嵌っている、と言ったら、アレは小学生が読む本だよ、みたいな牽制をされたことがあるのだけれど、今回、久方ぶりに読んでみて、あらびっくり(というほどでもないか)、文章というか文体はともかく、内容的にはとてもおっさん向けな感じである。※以下、ネタバレをしているのでご注意ください。

おなじみの片山家(片山兄妹と三毛猫のホームズ)に1月、予備校通いをするために田舎から出てきてやっかいになっている高校3年生の温水さゆりは、食いしん坊オチ担当(?)でおなじみの石津刑事に父親的なものを見出して、懐いていくというか、石津の腕に取りすがったりする。石津のほうは悪い気はしていない感じ。さゆりと同じような目的で、結婚してまだそれほどの年月が経っていない阿部夫婦のもとにやってきた“水田智子”は、阿部聡士(会社員)を誘惑、阿部はあっけないほど簡単にやられてしまう。本が妻・恋人であった初老の大学教授、大崎哲哉は、記憶喪失になっていた少女を拾って(またこの子の言うことが、やんなっちゃうんだけれどね…)彼女に恋をしてしまう。というか、捜索願いが出ているかもしれないのだから、とっとと警察に連絡しろよ…。おなじみ、女性恐怖症である片山刑事(義太郎)も、夫を若い女の子に取られた阿部の妻、初枝から、私って魅力がないですか、みたいなことを訊かれているし、大学の若い女性事務員、井口良子から(逆に)デートに誘われているような感じであるし。もてないおっさん(といっても30前後の人を含む)を慰めるための小説なのか、これは? とりあえず、小学生に読ませたらあかん小説なのではないか?

関谷久高という浪人生(現役生ではない予備校生)が出てくるけれど、もうどうでもいいか。浪人生=暗くてあやしい、みたいなイメージ? ちなみに、現役受験生、温水さゆりについては、父親が5歳のときに亡くなっていて、母親は「小さな店」を開いているらしい(cf. 村山由佳『天使の卵』)。田舎の高校では秀才である、とのこと。志望大学(事件が絡んだりもするの)はK大。書いてあったかなかったか忘れてしまったけれど、私立っぽいかな。

〜・〜・〜・〜・〜・〜
あまり関係ないけれど、1月に上京している小説としては、私の知るかぎり、姫野カオルコ『ひと呼んでミツコ』がある。この小説は、高校のときに受験ずれしてしまった大学生小説として読むと、けっこう面白いかもしれない。文脈がないとわからないかもしれないけれど、こんな箇所も面白いかな。

 <「おまえなんか、英単語は“intellect【(略・発音記号)】”どまりなんだろ。idolとidleの違いの項で桜田淳子がたとえに引用されているところまで読んじゃいないんだな。桜田淳子は二代目で初代は吉永小百合なのを教えてやるよ、このブランド狂いの馬鹿女!」>(講談社文庫、p.38)

『でる単』のトリビアだな、せっかく教えてもらっても役立ちそうもない(涙)。intellectは、『豆単』ならabandonみたいなもの? 何語目?(1語目?)。
 
カッパ・ノベルス、2000/光文社文庫、2003。TVの2時間ドラマになっているものは、小さいころから何度も見たことがあるけれど、小説は今回初めて読みました、西村京太郎。なんていうか、赤川次郎と並んで、ひまつぶしに読むにはもってこいな感じ、かもしれない。改行たくさん、余白たくさんです。※以下、毎度すみません、けっこうネタバレしているのでご注意ください。

 <東京の浪人生・橋本眞人の部屋で同級生の撲殺死体が見つかった。時限爆弾を作っていたらしい橋本の行方を追う十津川警部は、京都駅爆破を予告する脅迫状が届いたことを知り、京都へ向かう。「自分たちで新しい駅舎を破壊しろ」という要求の真意を測りかねているとき、京都駅3番ホームで爆破が起きた!/好評「駅」シリーズ第8弾!>(文庫カバー)

そういえば、京都駅がちょうど工事しているときに1度行ったことがある。――それはいいとして。浪人生が出てくるといっても、受験勉強なんて関係ない小説である。どうやら高校のときの親友(この人も浪人生だったらしい)を殺したらしいし、爆弾を作って駅(というか駅長)を脅迫したりするのも、橋本くんであるらしいし。

ちょっと考えてみると、「家族」がけっこう悲惨な気がする。本人(橋本くん)は死んでしまうし、その前に両親は罪を犯したらしい息子のことで、いたたまれなくなって(?)自殺してしまうし、お兄さんもよくわからないけれど、死んじゃうし。そう、関係ないけれど、浪人生が都内のマンションで1人暮らし、にはなっているけれど、両親が父親のほうの仕事の都合で仙台に引っ越していて、兄も仕事で福岡支社に勤めているから、よくあるタイプの、上京して1人暮らし、とかにはなっていない。あ、そうそう、橋本くんはバイクに乗っている(ほんと浪人生はバイクが好きだよね…)。

ぜんぶで5章に分かれている小説なのだけれど、「第一章」のタイトルが「十八歳」。思想に飢えている歳、みたいな言葉を使っていたのは誰だっけな、忘れてしまったけれど、特に男の子なんかはそうかもしれない。でも、扇動するのが予備校講師とかではないから、まだ被害が少なくてよいかも。(よくわからないけれど○○先生はすごいらしい、みたいな、真偽の定かではない噂が飛び交うのが、そういえば(思い出してみれば)、予備校であったような。高校での成績がよくて浪人している理由が不明な(?)橋本くんのケースは違うかもしれないけれど、たいていの浪人生はいちど挫折しているわけだし、ある種のイズムが染み込みやすい状態かもしれない。危ないといえば危ないよね。)

あと、気になったのは「物理化学の参考書」(p.6)という箇所。作者が高校のときとかには、まだ「物理」と「化学」が分かれていなかったのか、とちょっと思ったけれど、違うのかな。大学受験用、みたいなことも言っていないし、時限爆弾を作るさいには「物理化学」(って何?)の知識が必要なのか。
 
文藝春秋、2004/文春文庫、2007。

 <浪人生の高岡裕一は、奇妙な断崖の上で3人の男女に出会った。老ヤクザ、気弱な中年男、アンニュイな若い女。そこへ神が現れ、天国行きの条件に、自殺志願者100人の命を救えと命令する。裕一たちは自殺した幽霊だったのだ。地上に戻った彼らが繰り広げる怒濤の救助作戦。傑作エンタテインメント、遂に文庫化! (略)>(文庫カバーより)

帯には「涙と笑いの」という文句もあって、読んでいて面白いことは面白いです。ページをどんどんめくりたくなる感じではなかったけれど、7週間という時間制限もあるし、100人という数値目標(数値条件)もあるし、けっこう飽きずに読めました。文章自体も読みやすいと思う。でも、ちょっとゆるいような気はするかな、子ども向けというか。読みどころは自殺志願者の救助だろうから、あまり文句を言ってもしかたがないのかもしれないけれど(書き忘れたけれど、※ネタバレ注意です)、あと、世界がどういう仕組みになっているのか、とかももう少し説明して欲しい。日本だけで年間約3万人もの人が自殺しているのに、どうしてこの4人でレスキュー隊を組むことになるのか、神(というより仙人っぽいな)の意図がなんなのかがよくわからない。そう、ありがちな疑問かもしれないけれど、人間は通り抜けられるのに(かさなれるのに)物体は無理、ということは、洋服はどうなっているの? ――あげあしとりか(汗)。

浪人生小説としては、自殺した浪人生の死後を描いている貴重な一品というか。正確には「元浪人生」だけれど。小説として面白いから許せてしまえるかもしれないけれど、でも、けっこうステレオタイプである、人物造形が。自殺をテーマにした(暗くならない)小説を書くに当たって、(元)浪人生を主役にするあたりからして、どうなのか? とはちらっと思う。裕一くんは、両親から「東大東大、勉強勉強」と言われていたらしく、でも、1浪しても結局、受からずに(心を打ち明けられるような、相談相手もおらず)、家(西荻窪の一軒家)の近所の公園で首吊り自殺したらしい。小説としては安易な(ステレオタイプな)行動に走ってしまった感じがしなくもない(けれど、こちらのほうが現実を反映しているのかなんなのか)。大学に受からなかっただけでなく、意中の異性(同性でもいいか)にふられるとか、ちょっと入り組んだ家族関係があるとか、スリの癖が治らない(笑っちゃいけない)とか、小説における浪人生の自殺の動機としては、何かプラスアルファがあってもいいような。

父親が息子に東大に入って欲しいと考えている(いた)理由も、例によって例のごとくな感じ(遠藤周作『ただいま浪人』など参照)。あと、やっぱりというか、自殺してしまうと残された家族(この小説では両親と妹)はかわいそうだよね。この小説ではそのへんがフォローされているからいいかもしれないけれど。
 
手元にある文庫には、単行本とか初出に関する情報が書かれていない。調べたほうがいい気もするけれど、とりあえず、短篇集『十八歳、海へ』(集英社文庫、1980)に収録されている短めの1篇。※以下、ネタバレ――という言葉が似合わない小説だけれど。ミステリーではないし――にはご注意ください。いつもと同じです。

隆男と美津子というのは、「僕」がよく行く新宿駅東口のジャズ喫茶で肩を寄せ合っていつもラリっているカップル。隆男の家からのお金が途絶えたらしく、その2人が始めた仕事のようなことが「心中未遂業」。――方法も書かないと話の説明もできないか。ひと言で言えば、アタリ屋にちょっと美人局を混ぜたような感じ? 女の子のほうを、誰か適当な男に口説かれるにまかせて食事とかに連れて行かせ、頃合いを見て男の子が現れて女の子を連れ帰る。そのあと、聞き出しておいた、口説いてきた相手の名前とかを手帳に書いておいて、致死量未満の睡眠薬を飲んで2人で自殺する。それはもちろん未遂に終わって、入院中の2人の前に現れた相手がショックを受けたり、良心の呵責を感じたりして、治療費、養生費をくれる、みたいな寸法。まぁあれこれと計算したら割に合わない犯罪(?)だよね。いや、そんなことはどうでもよくて。それで――2人が亡くなるのは冒頭で予告されているのだけれど、あるとき、「僕」は代々木の病院からの電話で呼び出される。院長と警察官の話によれば、隆男たちが致死量の3倍の薬を飲んで、「僕」のニックネーム(「ボス」)と住所を新しい手帳に書き残して、亡くなったという。いつ死んでもおかしくない2人だったのだけれど、涙が頬を伝う、みたいな話。2人が何を考えていたのか、「僕」に何を言いたかったのかは、もちろんわからないまま。――ミイラ取りがミイラになる…ではなくて、ひと言でまとめられる言葉があれば苦労しないか(涙)。というか、思うに、私が内容や粗筋をまとめたのでは、どんな小説でも台無しだよね…(すみません)。

2人とも18歳で「僕」と同じ歳、隆男のほうは親友で、美津子のほうとは寝たことがある。――「自殺」というのは青春小説の定番である、みたいなことを言うのは簡単かもしれないけれど、どうなんだろうね? 昔(個人的な話です)、18歳か19歳のとき、ある女の子が高校のときの同級生が事故で亡くなった、と言って1日中、暗く沈んでいることがあって。慰めることができなかったというか、本人は「ぜんぜん仲が良くなかったんだけれど、でも、あたしたちと同じくらいの歳で死んじゃったんだよ」みたいなことを言っていて…。うーん…、としか返せなかったのだけれど、そのとき私は、何をどう言えばよかったのかな? とにかく、他人の事故死ですらそうなのだから、他人じゃない人の自殺死となると、何を言っていいのやら、よくわからないかもしれない。別に、この語り手のボスくんを慰めたいとか、彼に同情しているとかではないけれど。

予備校生の「僕」は、学校へはあまり(ほとんど?)通っていないような感じであるけれど、例えばこんなところは、「僕」のスタンスや、予備校観、予備校生観みたいなものがわかるかな、

 <予備校は夏期講習を終え、大学入試までに残されたわずかな日数を最高度に消化しようとして、授業を念入りにやっていた。僕は他の予備校生と同じように明年の試験に不安を感じていた。だが不安など嘘だ。どうでもよい。/従順な山羊の仔のような予備校生にもなれるし、予備校などいつやめてもよい。僕の一等好きな事は、ジャズを聴くことだった。今、ジャズばかり聴いていれば、先々のことなどどうでもよい。ケセラセラ、なるようになるさ。ならなければ、ならないでよい。>(pp.51-2)

。9月くらいからラスト・スパート(?)をかけたのでは、入試前に息切れしちゃいそうだけれど。それはともかく、いつやめてもいい、どうでもいいと言うならさっさとやめて、大好きなジャズ絡みの仕事でも探せばいいのにね。どうしてやめないのか、そちらのほうがかえって疑問に思うくらいの言いよう? ちょっと古めの小説ではありがちかもしれないけれど、「従順な山羊の仔のような予備校生」というのは、自分だけは違う、自分とその他大勢、みたいな無意識的な区別が働いているようで、ちょっと癪に障る気がしなくもない。自分が排除されているようで。みんな黒板のほうを向いているけれど、1人だけ窓の外を見ている私(あるいは彼/彼女)みたいなことは、高校生小説のほうがありがちかもしれない。それと同じようなものか(ちょっと違うけれど、予備校生小説では松村栄子「窓」など参照)。どうでもいいけれど、従順なのは、山羊(やぎ)ではなくて、ふつう羊(ひつじ)? あ、でも、山羊のほうが紙を食べるから(?)受験生向けの比喩として合っているのかも。

(ちなみに、同じ短篇集に収録されている、「隆男と美津子」の次の1篇、「愛のような」には、予備校のときのことが回想されている場面がある。)
 
連作短篇集『ファイブ・ソングス』(CBSソニー出版、1988/角川文庫、1991)に収録されている1篇(5篇中の2篇目)。各篇のタイトルはそこから取っているらしいのだけれど、作詞家でもある作者が手がけている、TM NETWORK(TMN)の歌の詩(歌詞)と内容的にどう関係しているのか、もとの歌を(もちろん歌詞も)知らないので、個人的にはわからない。TMNだからたぶん世代的に耳にしていたとは思うのだけれど、ちゃんと聴いたことがない。※以下、いちおうネタバレにはご注意ください。これも、短めの話なので、私が内容を説明するよりも読んでもらったほうが早い気がするけれど、一応。

ロックシンガーの有藤奈緒(19歳)が、ライブ(ツアーの最終日)が終わったあと、高校のときの同級生で恋人でもあるらしい浪人生、シンと1ヶ月ぶりに会う、みたいな話。季節は……9月か。特に何が起きるわけでもなく、待ち合わせは、渋谷のはずれのゲームセンター、ラーメンを食べて、そのあとオートバイで、夜でなければ飛行機の離着陸が見える海の近くへ行く。――恋人どうしというよりは、気心の知れた友達どうし、みたいな感じかもしれない。表紙の印象のせいか、もっとクールな小説かと思っていたら、意外と温かめの小説でした。なんか最近(昔からという気もするけれど)ちょっといい話とか、性格的にいい人が出てくる話に弱いみたいで(汗)、そういう意味では悪くない話です。

よくある、高校を卒業して環境が変わって気持ちが離れてしまう、みたいな小説の逆をいくものとして――おおげさに言えば別れの危機を乗り越える話として、無理に読めばそう読めるかな。でも、思うに、奈緒が歌手になっている(周りは大人ばかりで、同年代のアイドルとは話が合わないらしい)からこの2人はうまくいくのであって(うまくいきそうなのであって)、もし彼女が大学生とかになっていたら、浪人中のシンくんとはうまくいっていたかな、とはちょっと考えてしまう。もちろん仮の話をしてもしかたがないけれど。

ちなみに、シンくんは酒屋の次男らしい。お父さんは、お兄さんが酒屋を継ぐから、「ちゃんと大学に入って、いいところに就職しなくちゃいけない」(p.48)と思っているらしい。次男も楽じゃないよね(?)。
 
いちおう連作らしい同名の短篇集(電撃文庫、2005)の表題作。7篇中の最初に置かれている。この小説を読んで、自分にはライトノベルが向いていないというか、ライトノベルはとりあえず<涼宮ハルヒ>(谷川流)だけを読みつないでいけばいいかな、と改めて思った次第です。※例によって以下、ネタバレ注意です

爆弾が女の子で――と言えば、あとはタイトルからもわかるとおり、“落ちもの系”というか、変わった女の子が落ちてきてお話が始まるみたいな、よくあるタイプの小説。短篇なので次から次へと落ちてくるみたいなことはない。季節はボーイ・ミーツ・ガールのつねで、夏(8月)。夏期講習ではなくて通常の授業があるのか、模擬試験の結果が思わしくなく、頭も良くないらしい「僕」(長島)が、お昼休みに(さらにそれを過ぎて)予備校の屋上で仰向けに寝転がっていたところ、空から高校2年のときのクラスメイトでちょっと好きだったりした女の子、広崎ひかりによく似た女の子が降ってくる。彼女は「ピカリちゃん」と名乗って、自分は“爆弾”であると言う。

広島、長崎をもじった人の名前とか「ピカリ」とか、ご年配の方(読んでいないか)からクレームが来なかったのかな、この小説。完全に名前負けもしているというか。あ、でも、この最新の人型爆弾は関東あたりがスッキリしちゃうくらいの、威力はあるらしい。そんな大変なものの爆発するしないが、「赤の他人」で、頭の良くない浪人生の1人の肩に掛かっているなんて、世の中、やんなっちゃうよね…(読んでいて萎え萎えだ)。あと、タイトルにもなっているくらいだから、少しツッコんでおけば、最後まで読んでも、ピカリが空から降ってくる必然性はほとんどないと思うし(爆弾だからとか、お約束だから、みたいなメタな理由ならいらない)、胸に時計がうまっている必要はもちろんないし、そもそも時計である必要すらないし(何か目盛りがあれば十分で、時刻の表示は必要ない)。

ライトノベルってほとんど読んだことがないのだけれど、たまに読むといつも、お約束の金太郎飴、みたいなことを感じてしまう。この小説でも、例えば高校のときの回想の場面、誰もいない放課後の教室で、広崎ひかりが胸を押さえてうずくまっているところを、長島くんが通りかかって心配する、みたいなくだりがあるのだけれど、これはあれだね、「お女中お女中、いかが召された?」「じ、持病のシャクが…」みたいな時代劇によくある古典中の古典、と同じレベル。いまのTVドラマでもたまに見かけるけれど、いまさらこんなことをやられてもなぁ、と思うのは当然でしょう?(そう思わないのは中学生以下の人?)。ピカリの話し方にしてもお約束な感じであるし、どこらへんにわりとオリジナル! という自信があるのかな、この小説は。

あと、どうでもいいことだけれど、「屋上の手すり」って何? 鉄とかでできた落下防止のための柵? それで煙草の火を揉み消しているけれど、吸殻はちゃんと灰皿に捨てたんでしょうね? でも、そう、浪人生小説としては、最初のあたりの「僕」と「僕」の彼女らしい1つ歳下の辰美(1浪)との会話が、ちょっとだけ面白いかな。勉強していないのを怒られるとほっとして、かえって勉強しなくなる、みたいな(そんなこと書かれていなかったっけ?)。この小説も、最後むりやり成長小説みたいな形で終わりになっている。成長といっても、外面的には、勉強するようになるだけ。浪人生の成長なんて、所詮そんな程度なのだろうか。
 
短篇集『東京夜話』(新潮文庫、2006。『とーきょー いしい あるき』(東京書籍、1996)という本が改題されたものらしい)所収。18篇中の4篇目。

これも、あまり“浪人生”は関係のない話だけれど(なんだか関係のない本ばっかりとりあげているような…)、「あのころ彼女は浪人生で、ぼくは家庭教師だった。」(p.46)という1文で始まっている。その彼女と3年半ぶりに再会して、お酒を飲んだり会話をしたりする、くらいの内容。シュールといえばちょっとシュールかな。でも、夢ほどは荒唐無稽じゃない感じ。

個人的にはいしいしんじって、どうもピントこない。川上弘美みたいなのは好きなのだけれど、でも、けっこう川上弘美っぽいよね、この人。うーん…。あと、クラフトなんとかの吉田篤弘とも近いのかな。
 

< 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索