西村京太郎 『東京発ひかり147号』
2009年7月18日 読書
ノン・ノベル、2001/祥伝社文庫、2004/徳間文庫、2008。これもぜんぜん期待せずに読んだせいか、意外と面白かったです。推理というか論理(ロジック)についても、最初から期待していないし。※毎度すみません、以下ネタバレ注意です。
<多摩川の川原で殺害された予備校生は予知能力者だったのか? 彼の自室のカレンダーに残されていた奇妙なアルファベットの列。十津川警部たちがその解読を急ぐ中、美人宝石店社長が新幹線車中で殺され、はからずも予言は的中したのだ。やがて、予備校生が残したもう一つの予言の書が見つかり、再び連続殺人が。苦渋する警視庁、十津川が立てる大胆な推理とは!>(文庫カバーより)
最後まで読んで、主な登場人物(の関係)が何か図形的に整理できそうな気がしたのだけれど、実際には、無理かな?(やってみていないけれど)。でも、そう、結局のところヒミコ(さっそくネタバレしてしまうけれど)を中心に主な人物(警察関係者を除いて)がぜんいん繋がっていたわけで、別に三角形とか四角形みたいな整理はしなくてもいいか。預言者や占い師に関しては3段活用というか、ホップ、ステップ、ジャンプみたいに出てくる? 最初に出てくるのが…というか出てきたときにはすでに亡くなっているのが中原要、予備校生・19歳。高校生のときに地元(長野県)のTV局によって超能力少年に仕立てあげられた過去がある。2番目に出てくるのが要と同じ歳くらいのミューこと小田中みゆき(フリーターという話もあるけれど、何をしているのかよくわからない)。彼女も高校生のときに霊感少女として新聞で取りあげられた過去がある。で、ラスボスというか、最後に登場してくるのがヒミコこと向井佐千子(年齢不詳?)。政財界に知られた儲かっているらしい占い師。要&ミューは彼女を尊敬していたらしい。あと、そう、ぜんぜん関係ないけれど、十津川警部が携帯電話を使えていてびっくり。電子メールも出てくるし、1930年生まれの西村京太郎、意外と若いな。
浪人生の要くんについてもっと書いておかないと。調布のマンションに1人暮らし(「五階建ての五階の角部屋」とのこと)で、旅行が趣味。勉強には関心がないらしく(それゆえ入試問題の予言もできないらしく)あまり勉強もしていないらしい。マンションの住人や予備校の仲間からは礼儀正しくて大人しい、みたいなことが言われている。あとでわかるのだけれど、TV局のでっちあげがばれたりして、両親が東京へやっかいばらいをしたらしい。両親は諏訪湖の近くで、おみやげ屋をしているとのこと。もうかっているのかな、仕送りは月に20万円もしているらしい(マンション費がいくらなのかな?)。いちおう7つ歳上のお兄さんがいるらしい。殺されたのが3月7日なのに、大学入試――どこの大学を受けたとか、これから受けるとか、受けたのなら合否とか――についてぜんぜん書かれていない。刑事たちが予備校に要のことを聴きに行っているのだけれど、3月7日以降にもなると、本当なら生徒はあまり予備校には来ていないかもしれないね。
ちなみに2回しか出てこないけれど、喫茶店のウェイトレスとして予備校生が出てくる。
<マネージャーは、その娘を、呼んでくれた。十九歳で、予備校生だという彼女は、/「今年の受験も、失敗したから、もう一年、予備校生です」/と、あっけらかんとした顔で、いう。>(p.162、祥伝社文庫)
点が多い文章だな(汗)。↑もう3月初旬ではないからかな。このウェイトレスの子を入れると、同じ歳くらいの人が3人になるのか(あ、要は亡くなっているけれど)。殺された宝石店の経営者・伊原久美にも3人のスポンサー(パトロン)がいたし、3人ずつで括るといいのかな?(というか、何のために?(汗))。
<多摩川の川原で殺害された予備校生は予知能力者だったのか? 彼の自室のカレンダーに残されていた奇妙なアルファベットの列。十津川警部たちがその解読を急ぐ中、美人宝石店社長が新幹線車中で殺され、はからずも予言は的中したのだ。やがて、予備校生が残したもう一つの予言の書が見つかり、再び連続殺人が。苦渋する警視庁、十津川が立てる大胆な推理とは!>(文庫カバーより)
最後まで読んで、主な登場人物(の関係)が何か図形的に整理できそうな気がしたのだけれど、実際には、無理かな?(やってみていないけれど)。でも、そう、結局のところヒミコ(さっそくネタバレしてしまうけれど)を中心に主な人物(警察関係者を除いて)がぜんいん繋がっていたわけで、別に三角形とか四角形みたいな整理はしなくてもいいか。預言者や占い師に関しては3段活用というか、ホップ、ステップ、ジャンプみたいに出てくる? 最初に出てくるのが…というか出てきたときにはすでに亡くなっているのが中原要、予備校生・19歳。高校生のときに地元(長野県)のTV局によって超能力少年に仕立てあげられた過去がある。2番目に出てくるのが要と同じ歳くらいのミューこと小田中みゆき(フリーターという話もあるけれど、何をしているのかよくわからない)。彼女も高校生のときに霊感少女として新聞で取りあげられた過去がある。で、ラスボスというか、最後に登場してくるのがヒミコこと向井佐千子(年齢不詳?)。政財界に知られた儲かっているらしい占い師。要&ミューは彼女を尊敬していたらしい。あと、そう、ぜんぜん関係ないけれど、十津川警部が携帯電話を使えていてびっくり。電子メールも出てくるし、1930年生まれの西村京太郎、意外と若いな。
浪人生の要くんについてもっと書いておかないと。調布のマンションに1人暮らし(「五階建ての五階の角部屋」とのこと)で、旅行が趣味。勉強には関心がないらしく(それゆえ入試問題の予言もできないらしく)あまり勉強もしていないらしい。マンションの住人や予備校の仲間からは礼儀正しくて大人しい、みたいなことが言われている。あとでわかるのだけれど、TV局のでっちあげがばれたりして、両親が東京へやっかいばらいをしたらしい。両親は諏訪湖の近くで、おみやげ屋をしているとのこと。もうかっているのかな、仕送りは月に20万円もしているらしい(マンション費がいくらなのかな?)。いちおう7つ歳上のお兄さんがいるらしい。殺されたのが3月7日なのに、大学入試――どこの大学を受けたとか、これから受けるとか、受けたのなら合否とか――についてぜんぜん書かれていない。刑事たちが予備校に要のことを聴きに行っているのだけれど、3月7日以降にもなると、本当なら生徒はあまり予備校には来ていないかもしれないね。
ちなみに2回しか出てこないけれど、喫茶店のウェイトレスとして予備校生が出てくる。
<マネージャーは、その娘を、呼んでくれた。十九歳で、予備校生だという彼女は、/「今年の受験も、失敗したから、もう一年、予備校生です」/と、あっけらかんとした顔で、いう。>(p.162、祥伝社文庫)
点が多い文章だな(汗)。↑もう3月初旬ではないからかな。このウェイトレスの子を入れると、同じ歳くらいの人が3人になるのか(あ、要は亡くなっているけれど)。殺された宝石店の経営者・伊原久美にも3人のスポンサー(パトロン)がいたし、3人ずつで括るといいのかな?(というか、何のために?(汗))。
三浦浩 『俺は探偵だ』
2009年7月17日 読書
「探偵」には「ディック」とルビ。廣済堂出版、1992。『弔いの街』(『復活なきパレード』改題)、『消された依頼人』(『フリスコからの贈り物』改題)に続く「脱サラ探偵・柏木大介」シリーズの3作目。初出は『大阪新聞』1988年9月12日~1989年9月20日とのこと(奥付の前のページによる)。古本屋で手に入らず、いま手もとにあるのは図書館本。※以下、まだ読まれていない方はネタバレにはご注意ください。ひと言でいえば微妙かな…、この小説も。まだバブル経済が崩壊していない(バブル景気が終わっていない)ときに書かれたものだし、ある程度はしかたがないのかもしれないけれど。(というか、何が?)
季節は残暑、柏木大介調査センター(略して柏木事務所、JR中央線の中野駅近く)に宇野覚(さとる)という男が訪ねて来て、妻・美加の尾行を大介に依頼する、というところから話は始まる。大介には麻生知佐子という、彼の雇用主であり(夜、彼女の家で用心棒をしている)一応の探偵助手でもある少女がいる。「少女」というか、「代々木の予備校」に通う浪人生で、歳は18歳。で、その知佐子も手伝って、その尾行はすぐに終わるのだけれど――美加は仕事関係(推定)で外国人の男ポール・ティモシーと会っていたため、最近帰りが遅かったことがわかる――、その後、クライアントの宇野覚の死体が京都の琵琶湖疏水(そすい)で発見され、持っていた名刺から大介は警察(阿具根刑事たち)から疑われたりする。一方、友人の猪熊仁弁護士を通じて大介のもとに、脱サラした(というより首になった)ことがきっかけで離婚した(された)元妻・矩子(のりこ)から、会いたいという内容の手紙(文書)が届けられる。その元妻は町岡信夫という人と再婚して苗字が「町岡」に変わっていることなどもその文面からわかる。というか、こんなにあらすじを書く意味があるのかな?(涙)。
2人とも危険な目にはあっている。大介は自動車でひき逃げにあったり、それで痛めた後頭部をさらに「ヤーさん」に殴られたりしている。マ○ファナ好きのお嬢さん知佐子は、2度誘拐されて監禁されている。そう、長篇小説はあらすじを書くよりも登場人物表を作っておいたほうが、あとで読み返すときに便利だったりするけれど(そうでもない?)、えーと、だからほかに出てくるのは、大介とセッ○スをする関係であり、両親と姉夫婦を亡くしている知佐子の親権者である叔母の小池富久子(登場するのは1度だけか)、大介がひき逃げされたときの入院先・奈良の「S病院」の岡島医師と水石看護婦、その事件を取材に来てその後、協力者のような存在になっている「奈良新報」の社会部記者・小沼試郎、あとイソ弁(居候弁護士)である猪熊が勤めている「土持法律事務所」のスタッフ、原かすみ。……誰か重要なキャラを忘れている気もするけれど、まぁいいや(汗)。移動はけっこうしていて、東京と関西=京都、奈良、大阪、最後は鳥取にも飛んでいる。ただ、なんていうか全体的にロケーションがあまりよくないというか、ホテルとか小料理屋とか、建物(ビル)の中とか、主人公がそんなところばかり行くような小説かもしれない。
全体的に伏線はけっこう張られている小説で、そういう意味では(?)けっこう面白かったと思う。文体というか言葉遣いは、……いま思い出したのは読んでいる間、パトカーのことを「パト」、「パト」言っていたこと。最後まで慣れなかったです(涙)。約20年前に書かれたハード・ボイルド小説だから、そういうところは全部目をつぶってあげればいいのかもしれないけれど。そう、車つながりで、大介が乗っているぼろいカローラのことを「ボローラ」と言っているのは、個人的にはちょっとよかったかな。あ、そんな細かいこと以前に、知佐子の喋り方がカタカナまじり…。それも最後まで違和感がありっぱなしでした(涙)。例えば、文脈がないとわかりにくいかもしれないけれど、
<「ウン、ワカルヨ」>(上段、p.16)
<「こっちもいまからディナーの準備をしようと思ったところなんだナ」>(下段、p.16)
<「バスが動いている時間デース」>(同上)
という感じ。短い返事とか文末くらいならまだ許せるけれど、それ以外のところもけっこうカタカナ書き。
あと(言葉というかなんというか)事務所の冷蔵庫にはいろいろな種類のビールが入っているらしいけれど、小料理屋とかでもビールの銘柄がいちいち出てきて、若干うっとおしかったです、個人的には。私はお酒をほとんど飲まないので。文体・言葉は関係ないけれど、大介はパイポを吸っている(いまなら電子タバコか)。小説の途中では、何も詰めていないパイプも加えていて、しかもひき逃げされたさいにそれが折れて、折れたまま加えていたりもする。なんていうか、格好をつけているのかいないのか、いずれにしてもほかの登場人物や読者にカッコよく思われたいのか思われたくないのか、私にはさっぱりわからない(これも古い小説だから?)。
いつものように浪人生のプロフィール的なことを――。知佐子は名門の「S女子高」卒らしい。エスカレーター式で上の大学に行けるのに(この人もいわゆる外部受験か)、なぜか(理由はシリーズの2冊目を読めばわかるのかもしれないけれど)浪人している。中野区の家(「ケヤキの家」)でひとり暮らしをしているけれど、遺産があるのでいまのところお金には困っていない模様(というか、お金があるせいで監禁されてゆすられている)。大介は知佐子に無料で英語と数学の家庭教師をしている。36歳、もと有名企業に勤めていたとはいえ、よく予備校生に勉強を教えられるなぁ。そう、探偵事務所がつぶれたら(…ではなくて歳を取ったらか)学習塾を始めたい、みたいなことも言っている。あ、おっと忘れていたけれど、作中にもう1人、浪人生が出てくる。うぶというか、まじめな予備校生。
<「マリファナ、吸ったのがバレたら、受験できなくなりますか」/貞広勤は、一〇〇パーセント受験生だった。/「調べてみなければわからんが、ダマされたり強制的に吸わされた場合は、いいんじゃないか」>(下段、p.126)
「全力少年」という歌があったよね(スキマスイッチ)、「100パーセント受験生」か。知佐子とは……友達だったっけ? いちおう予備校で同じクラスで、同じ駅(中野駅)で降りるつながり。ネタバレしてしまうけれど、10月くらいから話がいっきに飛んでいて(浪人生が出てくる小説だ、と思っている者にとってはいい迷惑(涙)――そんなやつは私だけか(汗))、大介&知佐子がプチ合格祝いをしている場面に。ミッション系のJ大(の外国語学部)に受かっている。ちなみに、医学部志望らしい貞広くんは、2浪に突入とのこと。書き忘れていたけれど、作中年は1989年から翌年にかけて(9月から10月、話が飛んで4月)。
最後に文法的なことを少し。
<ホワイ・アー・ユー・テイル・ミー?>
「~を尾行する」という意味で「テイル(tail)」が使えるとか使えないとか、使えてもそれはアメリカ英語だとか、ちゃんとした英語では<ホワイ・アー・ユー・オン・マイ・テイル?>だとか、の以前に「テイル(tail)」に-ingが付いていないことのほうが、私にはずっと気になる(cf. Why are you tailing me?)。あと、これも細かいことだけれど、
<「彼にとっても、プラスになったはずです」/木暮は、先に帰った刑事のことを三人称でいった。(略)>(上段、p.254)
木暮が誰かは措いておいて「三人称」という箇所。先に帰った刑事は「白井」という名前だけれど、(「彼」ではなく)例えば「白井」と言っても、それは3人称だから。←何を言っているかわかります? 「三人称」ではなく「代名詞」(あるいは「人称代名詞」)にすれば、とりあえずおかしくはなくなるか(「木暮は、先に帰った刑事のことを代名詞で呼んだ」とか)。
季節は残暑、柏木大介調査センター(略して柏木事務所、JR中央線の中野駅近く)に宇野覚(さとる)という男が訪ねて来て、妻・美加の尾行を大介に依頼する、というところから話は始まる。大介には麻生知佐子という、彼の雇用主であり(夜、彼女の家で用心棒をしている)一応の探偵助手でもある少女がいる。「少女」というか、「代々木の予備校」に通う浪人生で、歳は18歳。で、その知佐子も手伝って、その尾行はすぐに終わるのだけれど――美加は仕事関係(推定)で外国人の男ポール・ティモシーと会っていたため、最近帰りが遅かったことがわかる――、その後、クライアントの宇野覚の死体が京都の琵琶湖疏水(そすい)で発見され、持っていた名刺から大介は警察(阿具根刑事たち)から疑われたりする。一方、友人の猪熊仁弁護士を通じて大介のもとに、脱サラした(というより首になった)ことがきっかけで離婚した(された)元妻・矩子(のりこ)から、会いたいという内容の手紙(文書)が届けられる。その元妻は町岡信夫という人と再婚して苗字が「町岡」に変わっていることなどもその文面からわかる。というか、こんなにあらすじを書く意味があるのかな?(涙)。
2人とも危険な目にはあっている。大介は自動車でひき逃げにあったり、それで痛めた後頭部をさらに「ヤーさん」に殴られたりしている。マ○ファナ好きのお嬢さん知佐子は、2度誘拐されて監禁されている。そう、長篇小説はあらすじを書くよりも登場人物表を作っておいたほうが、あとで読み返すときに便利だったりするけれど(そうでもない?)、えーと、だからほかに出てくるのは、大介とセッ○スをする関係であり、両親と姉夫婦を亡くしている知佐子の親権者である叔母の小池富久子(登場するのは1度だけか)、大介がひき逃げされたときの入院先・奈良の「S病院」の岡島医師と水石看護婦、その事件を取材に来てその後、協力者のような存在になっている「奈良新報」の社会部記者・小沼試郎、あとイソ弁(居候弁護士)である猪熊が勤めている「土持法律事務所」のスタッフ、原かすみ。……誰か重要なキャラを忘れている気もするけれど、まぁいいや(汗)。移動はけっこうしていて、東京と関西=京都、奈良、大阪、最後は鳥取にも飛んでいる。ただ、なんていうか全体的にロケーションがあまりよくないというか、ホテルとか小料理屋とか、建物(ビル)の中とか、主人公がそんなところばかり行くような小説かもしれない。
全体的に伏線はけっこう張られている小説で、そういう意味では(?)けっこう面白かったと思う。文体というか言葉遣いは、……いま思い出したのは読んでいる間、パトカーのことを「パト」、「パト」言っていたこと。最後まで慣れなかったです(涙)。約20年前に書かれたハード・ボイルド小説だから、そういうところは全部目をつぶってあげればいいのかもしれないけれど。そう、車つながりで、大介が乗っているぼろいカローラのことを「ボローラ」と言っているのは、個人的にはちょっとよかったかな。あ、そんな細かいこと以前に、知佐子の喋り方がカタカナまじり…。それも最後まで違和感がありっぱなしでした(涙)。例えば、文脈がないとわかりにくいかもしれないけれど、
<「ウン、ワカルヨ」>(上段、p.16)
<「こっちもいまからディナーの準備をしようと思ったところなんだナ」>(下段、p.16)
<「バスが動いている時間デース」>(同上)
という感じ。短い返事とか文末くらいならまだ許せるけれど、それ以外のところもけっこうカタカナ書き。
あと(言葉というかなんというか)事務所の冷蔵庫にはいろいろな種類のビールが入っているらしいけれど、小料理屋とかでもビールの銘柄がいちいち出てきて、若干うっとおしかったです、個人的には。私はお酒をほとんど飲まないので。文体・言葉は関係ないけれど、大介はパイポを吸っている(いまなら電子タバコか)。小説の途中では、何も詰めていないパイプも加えていて、しかもひき逃げされたさいにそれが折れて、折れたまま加えていたりもする。なんていうか、格好をつけているのかいないのか、いずれにしてもほかの登場人物や読者にカッコよく思われたいのか思われたくないのか、私にはさっぱりわからない(これも古い小説だから?)。
いつものように浪人生のプロフィール的なことを――。知佐子は名門の「S女子高」卒らしい。エスカレーター式で上の大学に行けるのに(この人もいわゆる外部受験か)、なぜか(理由はシリーズの2冊目を読めばわかるのかもしれないけれど)浪人している。中野区の家(「ケヤキの家」)でひとり暮らしをしているけれど、遺産があるのでいまのところお金には困っていない模様(というか、お金があるせいで監禁されてゆすられている)。大介は知佐子に無料で英語と数学の家庭教師をしている。36歳、もと有名企業に勤めていたとはいえ、よく予備校生に勉強を教えられるなぁ。そう、探偵事務所がつぶれたら(…ではなくて歳を取ったらか)学習塾を始めたい、みたいなことも言っている。あ、おっと忘れていたけれど、作中にもう1人、浪人生が出てくる。うぶというか、まじめな予備校生。
<「マリファナ、吸ったのがバレたら、受験できなくなりますか」/貞広勤は、一〇〇パーセント受験生だった。/「調べてみなければわからんが、ダマされたり強制的に吸わされた場合は、いいんじゃないか」>(下段、p.126)
「全力少年」という歌があったよね(スキマスイッチ)、「100パーセント受験生」か。知佐子とは……友達だったっけ? いちおう予備校で同じクラスで、同じ駅(中野駅)で降りるつながり。ネタバレしてしまうけれど、10月くらいから話がいっきに飛んでいて(浪人生が出てくる小説だ、と思っている者にとってはいい迷惑(涙)――そんなやつは私だけか(汗))、大介&知佐子がプチ合格祝いをしている場面に。ミッション系のJ大(の外国語学部)に受かっている。ちなみに、医学部志望らしい貞広くんは、2浪に突入とのこと。書き忘れていたけれど、作中年は1989年から翌年にかけて(9月から10月、話が飛んで4月)。
最後に文法的なことを少し。
<ホワイ・アー・ユー・テイル・ミー?>
「~を尾行する」という意味で「テイル(tail)」が使えるとか使えないとか、使えてもそれはアメリカ英語だとか、ちゃんとした英語では<ホワイ・アー・ユー・オン・マイ・テイル?>だとか、の以前に「テイル(tail)」に-ingが付いていないことのほうが、私にはずっと気になる(cf. Why are you tailing me?)。あと、これも細かいことだけれど、
<「彼にとっても、プラスになったはずです」/木暮は、先に帰った刑事のことを三人称でいった。(略)>(上段、p.254)
木暮が誰かは措いておいて「三人称」という箇所。先に帰った刑事は「白井」という名前だけれど、(「彼」ではなく)例えば「白井」と言っても、それは3人称だから。←何を言っているかわかります? 「三人称」ではなく「代名詞」(あるいは「人称代名詞」)にすれば、とりあえずおかしくはなくなるか(「木暮は、先に帰った刑事のことを代名詞で呼んだ」とか)。
斎藤栄 「裸形の悪魔」
2009年7月17日 読書
『ガラスの密室』(双葉社、1983/集英社文庫、1985)所収、9篇中の2篇目。なんていうか吸引力(?)があってけっこう読ませられたけれど(場面が早く切り替ったりしてテンポがいいのかな)、でも、内容的には「何これ?」みたいな小説でした、個人的には。文庫の後ろの「解説」(宗肖之介)から引用させてもらうと(あ、その前に※以下、ネタバレごめんなさいです)、
<(略)性的不能ながら好色漢の病院長が、その変態的な性慾を満たすために借りているマンションの一室で看護婦とのSMプレイと、その暗い愉悦を覗き見る隣室の大学浪人の歪んだ慾望が引き起こす少女強姦事件。ほんらい無関係なはずの二つの異常な慾望が、やがて首なし死体の発見という陰惨な殺人事件に発展していくのだが……。>(p.347)
という感じ。「大学浪人」というのは、松川弘次・3浪。3浪なのに22歳らしい(いや、22歳でもいいけれど、高校で1年休学しているとか、1度留年しているとか、卒業後1年働いていたとか、何かひと言あって欲しい)。熊本から上京し、マンション(「京浜マンションの309号室」)でひとり暮らし。両親は何をしているのやら、仕送りはなんと月々30万円! 医学部(産婦人科医)志望とのこと。でも、このごろは勉強に身がはいらなくなっている、とのこと(ま、これは小説中浪人生のお約束か)。同じ作者の『完全誘拐』の(元)浪人生は、小学生を誘拐しても手を出さなかったのに、この短篇小説は…、あーあ、という感じ。その翌日、犯された小学生(4年生)は平仮名の多い遺書を残して飛び降り自殺をしてしまう。お母さん(細矢町子)は娘(京子)の遺書をヒントに、彼のマンションの部屋を突き止めるのだけれど、弘次は開き直った対応をしてくる。そう、このお母さん、「首なし死体」がらみでは結局、ぜんぜん復讐できていない感じ(うーん…)。あ、関係ないけれど、そのお母さん目線の箇所で、弘次のことが「大学生」と書かれている(p.68)。近所に聞き込みをしているというか、マンションのほかの住人に話を聞いているらしいから、もしかしたらご近所では大学生、ということで通っているのかな。
とにかく、ロ○コンというわけでもないんだろうし、自由に使えるお金もあるみたいだから、犯罪に走るくらいなら風俗へ行くべし! かな。
<(略)性的不能ながら好色漢の病院長が、その変態的な性慾を満たすために借りているマンションの一室で看護婦とのSMプレイと、その暗い愉悦を覗き見る隣室の大学浪人の歪んだ慾望が引き起こす少女強姦事件。ほんらい無関係なはずの二つの異常な慾望が、やがて首なし死体の発見という陰惨な殺人事件に発展していくのだが……。>(p.347)
という感じ。「大学浪人」というのは、松川弘次・3浪。3浪なのに22歳らしい(いや、22歳でもいいけれど、高校で1年休学しているとか、1度留年しているとか、卒業後1年働いていたとか、何かひと言あって欲しい)。熊本から上京し、マンション(「京浜マンションの309号室」)でひとり暮らし。両親は何をしているのやら、仕送りはなんと月々30万円! 医学部(産婦人科医)志望とのこと。でも、このごろは勉強に身がはいらなくなっている、とのこと(ま、これは小説中浪人生のお約束か)。同じ作者の『完全誘拐』の(元)浪人生は、小学生を誘拐しても手を出さなかったのに、この短篇小説は…、あーあ、という感じ。その翌日、犯された小学生(4年生)は平仮名の多い遺書を残して飛び降り自殺をしてしまう。お母さん(細矢町子)は娘(京子)の遺書をヒントに、彼のマンションの部屋を突き止めるのだけれど、弘次は開き直った対応をしてくる。そう、このお母さん、「首なし死体」がらみでは結局、ぜんぜん復讐できていない感じ(うーん…)。あ、関係ないけれど、そのお母さん目線の箇所で、弘次のことが「大学生」と書かれている(p.68)。近所に聞き込みをしているというか、マンションのほかの住人に話を聞いているらしいから、もしかしたらご近所では大学生、ということで通っているのかな。
とにかく、ロ○コンというわけでもないんだろうし、自由に使えるお金もあるみたいだから、犯罪に走るくらいなら風俗へ行くべし! かな。
道尾秀介 「□(ケモノ)」
2009年6月29日 読書
↑□ではなくて、けものへん(だけ)。文字化けするというか、点になってしまう。『鬼の跫音』(角川書店、2009)所収、6篇中の2篇目。ミステリー寄りのホラー、ホラー寄りのミステリー? 文章はとても新鮮な感じがするけれど、内容はそれほどひねられていない感じ、かな。話(物語)的には乙一とかのほうが面白いかも。※以下、毎度すみません、ネタバレ注意です。
祖母からもらった古い椅子の脚が折れ、その断面に言葉が彫られているのを「僕」は見つける。その椅子は刑務所作業製品で、書かれていた名前をインターネットで検索すると、昔(昭和40年)の事件について書かれたページが出てくる。名前は両親殺害事件の犯人のもの。で、彫られていた言葉の意味を知るために、「僕」は事件が起こった福島県の村を訪れる――。受験に失敗して3ヶ月、「僕」は予備校生、とのこと。家族=祖母・父・母・妹は頭がいいらしく、勉強のできない、しかも今年の受験に失敗した「僕」は、家族たちには「恥」に当たるらしい。――親子もの、兄弟ものでよくある設定かな。父親は有名な大学を出ているのに自分は有名な大学に入れないとか、3人兄弟で自分だけが勉強ができないとか。
過去の事件の真相には、読んでいて既視感がある…というか、人間関係(父親が若い後妻をもらって子どもが産まれて…みたいな)が、この前たまたま読んだ東野圭吾の「闇の中の二人」(『犯人のいない殺人の夜』)にも似ている。浪人生部分(?)については、まだ主人公が福島に出かける前から、こんな感じかなとオチの見当がついてしまったのだけれど。わかりやすいよね?(似たような小説ばかり読んでいるからかな)。
[追記]収録本はその後、文庫化される(角川文庫、2011.11)。
祖母からもらった古い椅子の脚が折れ、その断面に言葉が彫られているのを「僕」は見つける。その椅子は刑務所作業製品で、書かれていた名前をインターネットで検索すると、昔(昭和40年)の事件について書かれたページが出てくる。名前は両親殺害事件の犯人のもの。で、彫られていた言葉の意味を知るために、「僕」は事件が起こった福島県の村を訪れる――。受験に失敗して3ヶ月、「僕」は予備校生、とのこと。家族=祖母・父・母・妹は頭がいいらしく、勉強のできない、しかも今年の受験に失敗した「僕」は、家族たちには「恥」に当たるらしい。――親子もの、兄弟ものでよくある設定かな。父親は有名な大学を出ているのに自分は有名な大学に入れないとか、3人兄弟で自分だけが勉強ができないとか。
過去の事件の真相には、読んでいて既視感がある…というか、人間関係(父親が若い後妻をもらって子どもが産まれて…みたいな)が、この前たまたま読んだ東野圭吾の「闇の中の二人」(『犯人のいない殺人の夜』)にも似ている。浪人生部分(?)については、まだ主人公が福島に出かける前から、こんな感じかなとオチの見当がついてしまったのだけれど。わかりやすいよね?(似たような小説ばかり読んでいるからかな)。
[追記]収録本はその後、文庫化される(角川文庫、2011.11)。
藤村正太 「ドッグ・フード」
2009年6月28日 読書
何か他の本にも収録されているかもしれないけれど、手もとにあるのは、掌篇小説のアンソロジー『ミステリー傑作選・特別編4 57人の見知らぬ乗客』(講談社文庫、1992)。その43篇目(書名のとおり全57篇)。←1度しか数えていないけれど、あっていますか? ※今回も以下、ネタバレ注意です。すみません。
というか、タイトルの付け方があまりうまくないよね。だいぶネタバレしているような。そういえば、何かの本に世の中でいちばんネタバレの被害にあっている推理小説は、E.A.ポーの「モルグ街の殺人」みたいなことが書かれていたけれど、日本の小説でいちばん被害にあっているのは、たぶん宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではないか、と思う。本の中だけでなくTVを見ていても、けっこう平気で内容をしゃべっている人を見かける。あ、こんなふうに書くこと自体、ネタバレになってしまうかもしれないけれど(汗)。(関係ないけれど、清水義範による「モルグ街~」のパスティーシュ小説があって(これも本がどこかに行っちゃったな(涙)、記憶で書けば『世界文学全集』上・下、集英社文庫)、その“犯人”は意外すぎてびっくりします。笑えるし。)
市田尚平は狭き門・城西大学の理工学部を目指す2浪生。でも勉強の興が乗ってくる深夜、アパートの南側にある一色夫妻の家の犬(夫人・亜矢子が可愛がっているペロ)が吠えてうるさい。で、回覧板を渡すときに(アパート2階端の部屋なので彼が渡す)文句を言ったりする。――どうでもいいことだけれど、「城西大学」って実在するよね? そこは「城南大学」とか「城東大学」にしないと。
予備校には通っていないのかな? 問題(問題集の問題)について議論できる友人はいるらしい。<さる年生まれ>(p.336)と言っているけれど(だから犬とは犬猿の仲、という話)、この小説の初出が<ポケットパンチoh! 昭和51年10月号>(p.459)とのことだから、1976年から20年(2浪だから)を引くと1956年生まれ? ――あ、申年であっているな。要するに主人公は推定1956年生まれ。どこ出身で、どうしてアパートに1人暮らしなのか、など書かれていない。
あと、
<「(略)サイン・シータの2乗、プラス、コサイン・シータの2乗は……」>(p.334)
理系でしょう? 犬に思考を邪魔されようが、いちばん簡単な公式、そこは「……」ではなく無意識で1だろう。(あ、「2乗」って(sinθ)×(sinθ)ではなくて、sin(θ×θ)? それなら話は違うけれど。)
(ちなみに、同じ本に収録されている後ろから2篇目、渡辺啓助「三吉の食慾」は、主人公(一戸三吉)が住み込みで昼間、働いていて、夜「神田の夜学」に通っている苦学生。こういうおいしそうな“はらぺこ食べ物小説”は、ちょっとずるいよなぁ(汗)。あ、比喩表現もよい感じです。初出は<新青年 昭和25年2月号>(p.469)とのこと。)
というか、タイトルの付け方があまりうまくないよね。だいぶネタバレしているような。そういえば、何かの本に世の中でいちばんネタバレの被害にあっている推理小説は、E.A.ポーの「モルグ街の殺人」みたいなことが書かれていたけれど、日本の小説でいちばん被害にあっているのは、たぶん宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではないか、と思う。本の中だけでなくTVを見ていても、けっこう平気で内容をしゃべっている人を見かける。あ、こんなふうに書くこと自体、ネタバレになってしまうかもしれないけれど(汗)。(関係ないけれど、清水義範による「モルグ街~」のパスティーシュ小説があって(これも本がどこかに行っちゃったな(涙)、記憶で書けば『世界文学全集』上・下、集英社文庫)、その“犯人”は意外すぎてびっくりします。笑えるし。)
市田尚平は狭き門・城西大学の理工学部を目指す2浪生。でも勉強の興が乗ってくる深夜、アパートの南側にある一色夫妻の家の犬(夫人・亜矢子が可愛がっているペロ)が吠えてうるさい。で、回覧板を渡すときに(アパート2階端の部屋なので彼が渡す)文句を言ったりする。――どうでもいいことだけれど、「城西大学」って実在するよね? そこは「城南大学」とか「城東大学」にしないと。
予備校には通っていないのかな? 問題(問題集の問題)について議論できる友人はいるらしい。<さる年生まれ>(p.336)と言っているけれど(だから犬とは犬猿の仲、という話)、この小説の初出が<ポケットパンチoh! 昭和51年10月号>(p.459)とのことだから、1976年から20年(2浪だから)を引くと1956年生まれ? ――あ、申年であっているな。要するに主人公は推定1956年生まれ。どこ出身で、どうしてアパートに1人暮らしなのか、など書かれていない。
あと、
<「(略)サイン・シータの2乗、プラス、コサイン・シータの2乗は……」>(p.334)
理系でしょう? 犬に思考を邪魔されようが、いちばん簡単な公式、そこは「……」ではなく無意識で1だろう。(あ、「2乗」って(sinθ)×(sinθ)ではなくて、sin(θ×θ)? それなら話は違うけれど。)
(ちなみに、同じ本に収録されている後ろから2篇目、渡辺啓助「三吉の食慾」は、主人公(一戸三吉)が住み込みで昼間、働いていて、夜「神田の夜学」に通っている苦学生。こういうおいしそうな“はらぺこ食べ物小説”は、ちょっとずるいよなぁ(汗)。あ、比喩表現もよい感じです。初出は<新青年 昭和25年2月号>(p.469)とのこと。)
栗本薫 「袋小路の死神」
2009年6月28日 読書
短篇集『伊集院大介の冒険』(講談社ノベルス、1984/講談社文庫、1986)所収、7篇中の2篇目。手もとにあるのは、文庫のほう。あと、何かアンソロジー本にも収録されているみたいです。※以下ネタバレ注意です。今回は、いつもよりもネタバレしているかもしれないです(書いてみないとわからないけれど)。
山科警部がほかの署の刑事から聞かされた話を大介に語る、という形で書かれている小説。人から聞いた話にしてはやけに物語性豊かに語っている気がするし、事件解決には不必要な無駄な部分が多すぎる気がするけれど(何が無駄かは解決してみなければわからないけれど)、それはそれとして。3月25日の深夜、元暴走族のリーダー・大滝裕二(19歳)が道の前後から追われて、横道=袋小路に逃げ込んだところ、殺されてしまう、みたいな事件が語られる。動機がある人はたくさん。暴走族つながりの人たちに家族に――。
袋小路の突き当たりはビルの背で、右側はアパートの背。で、左側が民家のブロック塀なのだけれど、その家(=山浦家)には遅くまで起きている受験生の息子・康夫がいる。3月の下旬くらいに受験生、ということは、常識的にはその人は(もう/また)「浪人生」ということになるのか。うーん…、でも、これも「浪人生」の定義によるか。そう、宮部みゆきの『蒲生邸事件』の主人公のことが「予備校受験生」と書かれているのを見たことがあるけれど、それもなんか微妙な表現だな…。「予備校受験のために上京」という言い方はいいかもしれないけれど。
そう、これもあまり内容と関係ない話だけれど、……あれ、どこだっけ。あ、ここか。<「(略)これは、だからある意味じゃ、れっきとした密室殺人事件だとわたしは思いますね。路上の密室ですね」>(p.100)と言う山科警部に対して、伊集院が、
<「そうかんたんに密室ができたら、世の中密室殺人だらけになってしまいますよ。(略)」>(同頁)
と返している。この台詞を、この前読んでつまらなかった小説、密室、密室言っている『時の密室』(芦辺拓)の森江春策に聞かせてやりたい(汗)。
山科警部がほかの署の刑事から聞かされた話を大介に語る、という形で書かれている小説。人から聞いた話にしてはやけに物語性豊かに語っている気がするし、事件解決には不必要な無駄な部分が多すぎる気がするけれど(何が無駄かは解決してみなければわからないけれど)、それはそれとして。3月25日の深夜、元暴走族のリーダー・大滝裕二(19歳)が道の前後から追われて、横道=袋小路に逃げ込んだところ、殺されてしまう、みたいな事件が語られる。動機がある人はたくさん。暴走族つながりの人たちに家族に――。
袋小路の突き当たりはビルの背で、右側はアパートの背。で、左側が民家のブロック塀なのだけれど、その家(=山浦家)には遅くまで起きている受験生の息子・康夫がいる。3月の下旬くらいに受験生、ということは、常識的にはその人は(もう/また)「浪人生」ということになるのか。うーん…、でも、これも「浪人生」の定義によるか。そう、宮部みゆきの『蒲生邸事件』の主人公のことが「予備校受験生」と書かれているのを見たことがあるけれど、それもなんか微妙な表現だな…。「予備校受験のために上京」という言い方はいいかもしれないけれど。
そう、これもあまり内容と関係ない話だけれど、……あれ、どこだっけ。あ、ここか。<「(略)これは、だからある意味じゃ、れっきとした密室殺人事件だとわたしは思いますね。路上の密室ですね」>(p.100)と言う山科警部に対して、伊集院が、
<「そうかんたんに密室ができたら、世の中密室殺人だらけになってしまいますよ。(略)」>(同頁)
と返している。この台詞を、この前読んでつまらなかった小説、密室、密室言っている『時の密室』(芦辺拓)の森江春策に聞かせてやりたい(汗)。
最近読んだ短篇小説・掌篇小説×6
2009年6月27日 読書
感想など雑記。以下、すべてネタバレ注意です。書名の右のほうの分数は、例えば「4/6」であれば「全6篇中の4篇目」という意味。
・東野圭吾「もうひとつの助走」(『黒笑小説』集英社、2005/集英社文庫、2008。1/13)
筒井康隆(『大いなる助走』)というよりは清水義範っぽい? 1人の作家と3人の編集者が文学賞の選考会の結果を待つ。編集者の1人が灸英社の神田。ネタバレしてしまうけれど、息子が大学にすべて落ちて浪人決定、と思っていたら、妻からの電話で実は補欠合格で受かっていた、みたいな。この補欠合格=“一発逆転合格サプライズ”(?)は、漫画やTVドラマの定番というか。
・天藤真「採点委員」(手もとにあるのは、『天藤真推理小説全集17 犯罪は二人で』創元推理文庫、2001。10/12)
よくある“裏口入学もの”(ってどういうもの?)と違っていて、けっこう面白かったです。読んで思い出したのは、TVドラマ(映画版?)『TRICK』のなかで、お金をとって(500円だっけな)生まれてくる子どもの性別を当てる、外れたら返金する、みたいな話があって…。わかりやすい詐欺だよね。全員に男の子(または女の子)と予言する。でも、私の勝手なイメージでは、そもそも裏口入学を望む受験生(の親)というのは、合格のボーダーライン付近にいる受験生(の親)というより、それをだいぶ下回る、試験でぜんぜん点数がとれなそうな(偏差値が足りなそうな)受験生、という気がするけれど。そんなこともないのかな? どうしても(再)浪人したくない人(の親)もいるか。ちなみに(お父さん目線の小説なのだけれど)主人公夫婦の息子はお金を払ったのに1浪している。
・大森善一「六人の乗客」(『本格推理⑮ さらなる挑戦者たち』光文社文庫、1999、12/13)
バスの乗客6人。そのなかの1人を「あたし」は、予備校生と推測している。最後に6人全員とも「あたし」の推測と実態(職業など)がずれていると読者にはわかるのだけれど、この「予備校生」も実は……。6人のなかでいちばん落差があって(?)面白いです。
・橋本紡「りばあず・えんど ~めいどきっさばんざい~」(『リバーズ・エンドafter days』電撃文庫、2004。「口絵スペシャルノベル」とのこと)
「僕」は自宅浪人生? そういえば、自分が浪人しているとき、喫茶店とかファミレスで勉強するという発想がそもそもあまりなかったな。ファミレスでは2,3回勉強したことがあったけれど。あ、でも、思い出した、マク○ナルドではけっこう勉強させてもらった。ただ、ファーストフード店では、ウェイトレスはあまり席のほうには来ないよね。
・干刈あがた「秋のサングラス」(『物は物にして物にあらず物語 十一歳の自転車』集英社、1988/集英社文庫、1991。2/21)
拓也は1浪している大学1年生。同じ学生寮の先輩(西浜・3年)の言葉を借りて敷衍すれば、カントリー・ボーイがカントリー・ガール(大学のクラスメート・吉本節子)にふられ、さらにシティ・ウーマン(バイト先で知り合った高野睦美、妻子ある歳上男性と不倫中)にもふられる、みたいな話。顔はいいのに(それで寄ってくる女の子は苦手で)会話などがダメな地方出身の青年という感じ。同じ作者の「樹下の家族」は夫と子どもを持つ女性が沖縄出身の苦学浪人生と知り合う、みたいなことになっていたけれど、設定はそれとちょっと似ているかな。それはともかく(吉本さんとの)最初のデートのときにした話が――少し引用させてもらうと、
<「去年大学を受験するために一緒に東京に出てきた友達がいるんです。大学に落ちて僕は家に帰りましたが、そいつは東京に残って、アルバイトをしながら浪人していたんです。それが去年の秋、行方不明になったんですよね。どうもある宗教団体に入ったらしいから、上京したらそこに行って会って話してみてくれと、彼のお袋さんに頼まれたんです。(略)」>(p.25、文庫)
宗教団体に入って(たぶん)大学受験ドロップアウト――そういう浪人生もいるか。大学に入るという目的がある浪人生よりも、人生の意味(?)を見失った大学生のほうが危ないとは思うけれど、その手の宗教の勧誘。「行方不明」になっているくらいだし、↑あまりまともな宗教団体でないよね。
・奥泉光「その言葉を」(『滝』集英社、1990。1/2)
収録されている本は図書館で借りたもの。約20年前に出ているのか。中途半端に古い小説を読むと、いらいらすることが多いのだけれど、これはなんだかちょっとほっとする。高校のときの同級生=飛楽俊太郎のことが語られている。「僕」が飛楽(ひがき)と再会したのは、東北の田舎町で2浪して東京の大学に入った年=1976年、とのこと。「僕」は当時、川口(埼玉県)のぼろアパートに住み、近くのジャズ喫茶の常連に。浪人中の自身のことについてはあまり語られていない。ジャズにはまったことくらいか。
・東野圭吾「もうひとつの助走」(『黒笑小説』集英社、2005/集英社文庫、2008。1/13)
筒井康隆(『大いなる助走』)というよりは清水義範っぽい? 1人の作家と3人の編集者が文学賞の選考会の結果を待つ。編集者の1人が灸英社の神田。ネタバレしてしまうけれど、息子が大学にすべて落ちて浪人決定、と思っていたら、妻からの電話で実は補欠合格で受かっていた、みたいな。この補欠合格=“一発逆転合格サプライズ”(?)は、漫画やTVドラマの定番というか。
・天藤真「採点委員」(手もとにあるのは、『天藤真推理小説全集17 犯罪は二人で』創元推理文庫、2001。10/12)
よくある“裏口入学もの”(ってどういうもの?)と違っていて、けっこう面白かったです。読んで思い出したのは、TVドラマ(映画版?)『TRICK』のなかで、お金をとって(500円だっけな)生まれてくる子どもの性別を当てる、外れたら返金する、みたいな話があって…。わかりやすい詐欺だよね。全員に男の子(または女の子)と予言する。でも、私の勝手なイメージでは、そもそも裏口入学を望む受験生(の親)というのは、合格のボーダーライン付近にいる受験生(の親)というより、それをだいぶ下回る、試験でぜんぜん点数がとれなそうな(偏差値が足りなそうな)受験生、という気がするけれど。そんなこともないのかな? どうしても(再)浪人したくない人(の親)もいるか。ちなみに(お父さん目線の小説なのだけれど)主人公夫婦の息子はお金を払ったのに1浪している。
・大森善一「六人の乗客」(『本格推理⑮ さらなる挑戦者たち』光文社文庫、1999、12/13)
バスの乗客6人。そのなかの1人を「あたし」は、予備校生と推測している。最後に6人全員とも「あたし」の推測と実態(職業など)がずれていると読者にはわかるのだけれど、この「予備校生」も実は……。6人のなかでいちばん落差があって(?)面白いです。
・橋本紡「りばあず・えんど ~めいどきっさばんざい~」(『リバーズ・エンドafter days』電撃文庫、2004。「口絵スペシャルノベル」とのこと)
「僕」は自宅浪人生? そういえば、自分が浪人しているとき、喫茶店とかファミレスで勉強するという発想がそもそもあまりなかったな。ファミレスでは2,3回勉強したことがあったけれど。あ、でも、思い出した、マク○ナルドではけっこう勉強させてもらった。ただ、ファーストフード店では、ウェイトレスはあまり席のほうには来ないよね。
・干刈あがた「秋のサングラス」(『物は物にして物にあらず物語 十一歳の自転車』集英社、1988/集英社文庫、1991。2/21)
拓也は1浪している大学1年生。同じ学生寮の先輩(西浜・3年)の言葉を借りて敷衍すれば、カントリー・ボーイがカントリー・ガール(大学のクラスメート・吉本節子)にふられ、さらにシティ・ウーマン(バイト先で知り合った高野睦美、妻子ある歳上男性と不倫中)にもふられる、みたいな話。顔はいいのに(それで寄ってくる女の子は苦手で)会話などがダメな地方出身の青年という感じ。同じ作者の「樹下の家族」は夫と子どもを持つ女性が沖縄出身の苦学浪人生と知り合う、みたいなことになっていたけれど、設定はそれとちょっと似ているかな。それはともかく(吉本さんとの)最初のデートのときにした話が――少し引用させてもらうと、
<「去年大学を受験するために一緒に東京に出てきた友達がいるんです。大学に落ちて僕は家に帰りましたが、そいつは東京に残って、アルバイトをしながら浪人していたんです。それが去年の秋、行方不明になったんですよね。どうもある宗教団体に入ったらしいから、上京したらそこに行って会って話してみてくれと、彼のお袋さんに頼まれたんです。(略)」>(p.25、文庫)
宗教団体に入って(たぶん)大学受験ドロップアウト――そういう浪人生もいるか。大学に入るという目的がある浪人生よりも、人生の意味(?)を見失った大学生のほうが危ないとは思うけれど、その手の宗教の勧誘。「行方不明」になっているくらいだし、↑あまりまともな宗教団体でないよね。
・奥泉光「その言葉を」(『滝』集英社、1990。1/2)
収録されている本は図書館で借りたもの。約20年前に出ているのか。中途半端に古い小説を読むと、いらいらすることが多いのだけれど、これはなんだかちょっとほっとする。高校のときの同級生=飛楽俊太郎のことが語られている。「僕」が飛楽(ひがき)と再会したのは、東北の田舎町で2浪して東京の大学に入った年=1976年、とのこと。「僕」は当時、川口(埼玉県)のぼろアパートに住み、近くのジャズ喫茶の常連に。浪人中の自身のことについてはあまり語られていない。ジャズにはまったことくらいか。
寺久保友哉 『愛は炎のように』
2009年5月26日 読書
角川文庫、1987。作者の初めての書き下ろし長篇小説らしいけれど、単行本情報が書かれていない(文庫の書き下ろし?)。「ロマン」というか、詩的な小説? 全12節というか、12まで番号が振ってあって、まだそのうちの1までしか読んでいないけれど、これもいま取りあげておかないと一生、触れる機会がないかもしれないから。とりあえずということで。
H大医学部3年のとき。坂本朝夫は、同級生の曾我部直と同じアパートの2つ隣に住んでいたのだけれど、2人の間の部屋に歌手の卵で美人の小室佐知子(18歳)が引っ越してくる。――明らかに三角関係になりそうな予感が? 2人は抜けがけしないという協定を結んだりしている。朝夫と直(なお)が知り合ったのは、予備校。朝夫くんは一応“苦学浪人生”だったというか、父親が亡くなって(母親はもっと前に亡くなっている)、
<部屋を借り、予備校の一年分の月謝を支払ってしまうと、朝夫の手元に残った金は、十か月分の生活費にみたなかった。大学に無事合格したときのことを考えれば、その全部を使いきってしまうわけにはいかなかった。/月々の部屋代を、そのなかから払うとして、これまでの三分の1の金で、食いつないでいかなくてはならないのだ。>(p.16)
という感じ。下を見ていけばきりがないけれど、苦学生としては比較的恵まれているほうかな(私の主観的にはそう)。それはともかく、「食欲」に負けた朝夫は、すすきののホストクラブで氷を砕くアルバイトをしている。2週間働いて4ヶ月暮らせるくらいのお金を得ている。って、そんなにもらえるのか。
予備校の数学の授業中、朝夫は直から、彼のところに引っ越してこないか、と誘われている。あとで一緒に住み始めてから、直は<「君に金のないのは、一ト目みたときから、俺にはわかった。(略)」>(p.35)と言っている。浪人生どうしであると(片方が大学生とかでないと)男2人の同居生活もけっこううまくいくものなのかな? やっぱり性格的なもの(2人の相性)にもよるか。それはともかく、苦学している友だちに対して、ふつうなかなかそこまでの提案はできないよね、うちに来いよ、みたいな。逆にいえばそこまでの覚悟がないと、苦学生に手を差し伸べようなことはしないほうがいい、ということかな?(わからないけれど)。どうやらこの直くんにしても、佐知子(の歌)にしても、朝夫にとっては否定を肯定に変える力があるらしい。
細かいところだけれど、その数学の授業をしている<講師は二人が志望する大学の助教授だった>(p.28)とのこと。2人はその先生から私語を注意されて、そのあと直が言い返したりしていて――まぁそれはそれとして。ちょっと古い小説を読んでいると、ほんとよく、大学教師が予備校でアルバイトをしているけれど、国公立大学の助教授(というか准教授)は、たぶんいま予備校でのアルバイトはできないよね?(あ、「H大」が国公立大学だとは書かれていなかったかな? 読み直さないとわからないけれど、たぶんH大=北海道大学でしょう?)。国公立大学でも、講師レベルならアルバイトをしてもいいのかもしれないけれど。(作中年はたぶん、書かれたのと同時代くらい。)
H大医学部3年のとき。坂本朝夫は、同級生の曾我部直と同じアパートの2つ隣に住んでいたのだけれど、2人の間の部屋に歌手の卵で美人の小室佐知子(18歳)が引っ越してくる。――明らかに三角関係になりそうな予感が? 2人は抜けがけしないという協定を結んだりしている。朝夫と直(なお)が知り合ったのは、予備校。朝夫くんは一応“苦学浪人生”だったというか、父親が亡くなって(母親はもっと前に亡くなっている)、
<部屋を借り、予備校の一年分の月謝を支払ってしまうと、朝夫の手元に残った金は、十か月分の生活費にみたなかった。大学に無事合格したときのことを考えれば、その全部を使いきってしまうわけにはいかなかった。/月々の部屋代を、そのなかから払うとして、これまでの三分の1の金で、食いつないでいかなくてはならないのだ。>(p.16)
という感じ。下を見ていけばきりがないけれど、苦学生としては比較的恵まれているほうかな(私の主観的にはそう)。それはともかく、「食欲」に負けた朝夫は、すすきののホストクラブで氷を砕くアルバイトをしている。2週間働いて4ヶ月暮らせるくらいのお金を得ている。って、そんなにもらえるのか。
予備校の数学の授業中、朝夫は直から、彼のところに引っ越してこないか、と誘われている。あとで一緒に住み始めてから、直は<「君に金のないのは、一ト目みたときから、俺にはわかった。(略)」>(p.35)と言っている。浪人生どうしであると(片方が大学生とかでないと)男2人の同居生活もけっこううまくいくものなのかな? やっぱり性格的なもの(2人の相性)にもよるか。それはともかく、苦学している友だちに対して、ふつうなかなかそこまでの提案はできないよね、うちに来いよ、みたいな。逆にいえばそこまでの覚悟がないと、苦学生に手を差し伸べようなことはしないほうがいい、ということかな?(わからないけれど)。どうやらこの直くんにしても、佐知子(の歌)にしても、朝夫にとっては否定を肯定に変える力があるらしい。
細かいところだけれど、その数学の授業をしている<講師は二人が志望する大学の助教授だった>(p.28)とのこと。2人はその先生から私語を注意されて、そのあと直が言い返したりしていて――まぁそれはそれとして。ちょっと古い小説を読んでいると、ほんとよく、大学教師が予備校でアルバイトをしているけれど、国公立大学の助教授(というか准教授)は、たぶんいま予備校でのアルバイトはできないよね?(あ、「H大」が国公立大学だとは書かれていなかったかな? 読み直さないとわからないけれど、たぶんH大=北海道大学でしょう?)。国公立大学でも、講師レベルならアルバイトをしてもいいのかもしれないけれど。(作中年はたぶん、書かれたのと同時代くらい。)
渡辺淳一 『白夜 Ⅰ 彷徨の章』
2009年5月25日 読書
手もとにあるのは、新潮文庫(1993年)。単行本は中央公論社から出ていて(1980年)、文庫は中公文庫(1983年)や、最近ではポプラ文庫(2009年)からも出ているらしい。
<札幌の大学二年生、高村伸夫は専門課程の選択に悩み、雪に閉ざされた暗鬱なものからの脱出も夢見て、京都の大学の文学部に編入を試みる。が、それに失敗した伸夫は人間へのやみがたい興味から、同じ札幌の別の大学の医学部に進むことを決意する。解剖実習、お産見学の宿直、インターンのための上京など、とまどいにみちた清新な日々の心の軌跡を刻む自伝的長編五部作の第一作。>(表紙カバーより)
前年度(1年のとき)の話で、秋ごろから東大を目指して受験勉強をしていた、みたいなことが書かれている。きっかけは、夏休みに東京で東大を目指して浪人している仲間に会ったかららしい。伸夫は地元の名門高校の出身で、現役のときには東大を受けようかどうか迷ったらしい。――頑張っている人を見ると、頑張りたくなるというのはわかるかな。「人が羨ましい」のとはちょっと違うか。でも、国立大学に通っている場合、やめないとほかの国立大学が受けられないらしく、伸夫くんはそれで結局、諦めている(<自分の意気地なさに一人で腹を立てていた>とのこと)。いわゆる“仮面浪人”の人の末路(?)は、こういう感じが多いのかな? 要するにいま籍がある大学に通うようになるという…。望んでいる大学に受かるのが本人にとってはベストであるのは当然だろうけれど。そう、下田くん――主人公と同じ大学に通っていて東大を目指していて、大学をやめて受験してその年は落ちたらしい人――は、その後、東大には受かったのかな?
++++++++++++
“仮面浪人”について書かれている本ってあまりないような…。ほとんど読んでいないけれど、吉本康永『大学には入ったけれど――大学中退をめぐる親子の壮絶バトル』(三五館、2003)という本では、ある程度ページが割かれている(著者は予備校講師)。仮面浪人にかぎらず、いままだ5月(2009年5月)なので、大学をやめたいとか、そのたぐいの“5月病”に罹っている人にはおすすめな本かもしれない(中身をほとんど読んでいないのでわからないけれど)。
<札幌の大学二年生、高村伸夫は専門課程の選択に悩み、雪に閉ざされた暗鬱なものからの脱出も夢見て、京都の大学の文学部に編入を試みる。が、それに失敗した伸夫は人間へのやみがたい興味から、同じ札幌の別の大学の医学部に進むことを決意する。解剖実習、お産見学の宿直、インターンのための上京など、とまどいにみちた清新な日々の心の軌跡を刻む自伝的長編五部作の第一作。>(表紙カバーより)
前年度(1年のとき)の話で、秋ごろから東大を目指して受験勉強をしていた、みたいなことが書かれている。きっかけは、夏休みに東京で東大を目指して浪人している仲間に会ったかららしい。伸夫は地元の名門高校の出身で、現役のときには東大を受けようかどうか迷ったらしい。――頑張っている人を見ると、頑張りたくなるというのはわかるかな。「人が羨ましい」のとはちょっと違うか。でも、国立大学に通っている場合、やめないとほかの国立大学が受けられないらしく、伸夫くんはそれで結局、諦めている(<自分の意気地なさに一人で腹を立てていた>とのこと)。いわゆる“仮面浪人”の人の末路(?)は、こういう感じが多いのかな? 要するにいま籍がある大学に通うようになるという…。望んでいる大学に受かるのが本人にとってはベストであるのは当然だろうけれど。そう、下田くん――主人公と同じ大学に通っていて東大を目指していて、大学をやめて受験してその年は落ちたらしい人――は、その後、東大には受かったのかな?
++++++++++++
“仮面浪人”について書かれている本ってあまりないような…。ほとんど読んでいないけれど、吉本康永『大学には入ったけれど――大学中退をめぐる親子の壮絶バトル』(三五館、2003)という本では、ある程度ページが割かれている(著者は予備校講師)。仮面浪人にかぎらず、いままだ5月(2009年5月)なので、大学をやめたいとか、そのたぐいの“5月病”に罹っている人にはおすすめな本かもしれない(中身をほとんど読んでいないのでわからないけれど)。
舞城王太郎 「我が家のトトロ」
2009年5月25日 読書
『スクールアタック・シンドローム』(新潮文庫、2007)所収、3篇中の2篇目。単行本では『みんな元気。』(新潮社、2004)に収録されているらしい(文庫化で2冊に?)。とりあえず歌いにくいそうだよね、♪わがやのとっとろ、とっとーろ、…(汗)。なんていうか、わりと饒舌系だからつるつると読めてしまうのだけれど、でも、ちょっと注意して読まないといけない小説であるような。小説の冒頭では「リアル」という言葉が繰り返されているし、最初のほうの「僕」と濱田淳(会社の元同僚で売れない小説家)との会話はソクラテス(-プラトン)の対話篇ぽくなっているし。でも、ひと言でいえば“家族小説”なのかな、この小説。ふつうといえばふつうなのだけれど、面白かったのでちょっとおすすめです。
広告代理店に勤めていて広告の賞をもらったその日、「僕」(上口慎平、28歳)は“天啓”を受けて、脳外科医になることを決意し、会社を辞めて大学受験の勉強を始める。でも、以来いままで医学部には受からずにいる(今年33歳)。家には妻(りえ)と子ども(千秋)と猫(リスカ)がいる。――「医学部再受験」という言葉をときどき耳にするけれど、他人目線ではそんな状態にある人? あ、過去に1度も受けていないみたいだから「再」ではないか。どうでもいいけれど、脳外科医にならなくてはいけないという天啓がもたらされたのが頭(脳)であると考えると、何かSF小説とかホラー小説を連想する。例えば間違って脳に入ってしまった何かが自分を外に出してほしい、とか。私だけか(汗)。というか、逆に天啓が入ってきたのが脳だから脳外科医、という(小説的な)思い付きかもしれない。わからないけれど。
「僕」の戦績はといえば、ちょっと長いけれど引用させてもらうと、
<それから僕は四ヵ月後にセンター試験を受けて八〇〇点満点中五四〇点しか取れなくて二次試験なんて受ける気になれなくて個人指導塾に通って次の年にセンターで七〇〇点取って東大の二次試験で落ちて次の年はセンター七二〇点取ったけど東大と慶應の二次試験に落ちて去年は交通事故に遭って一ヵ月入院して試験どころじゃなくて今年は知り合いが自殺して葬儀があってそれを欠席してまで受けたのにまた落ちた(通夜には出た)。>(pp.86-7)
という感じ。脳外科医になりたい(だけな)のにどうして東大やら慶應やらを受けているのかがわからない。思ったよりも勉強の成果が出てしまって偏差値的に上をねらったとか? よく知らないけれど、東大の足切りラインって720点では大丈夫でも、700点ではちょっと足りなかったような…(テレビ東京『豪腕!コーチング』という番組の、「東大合格プロジェクト」というコーナーの結果発表の回を見たことがあって、年によって違うのだろうけれど、その年は710点台だったような記憶がある)。最初に受けた年を現役と考えれば、今年落ちて5浪目? 20代後半になって「個人指導塾」に通うのはちょっとつらいな、下手をしたら講師が歳下になっちゃうよね。今年の話で<春から新しい予備校に通うことにして>(p.151)と言っているので、少なくとも昨年は予備校に通っていたと思われる。先生と1対1の個別指導よりは、話を聞いているだけで済みそうな予備校のほうがましかな。あ、でも、教室にはひと回りも若い人たちがたくさん…。(こういうのは東京なら、いろいろな人がいるからまだいいけれど、出る杭は奇異な目で見られる、さびれた地方なんかだとつらいんだよね。)あと、「交通事故」というのは自転車に乗っているとき、ファミレスの駐車場から出てきた車に撥ねられたうえに踏まれて、両足を5箇所ずつ折ったらしい。試験前に交通事故で試験が受けられなかった、みたいなことは“受験生小説”ではたぶん、よくある話。“浪人生小説”では伊井直行『草のかんむり』がそう。
“家族小説”というか、子どもにも迷惑をかけているけれど、ひとまずやっぱり奥さんの理解と協力が必要だよね。お酒を飲んで帰ってきて暴れるみたいな旦那も困るけれど、5年も6年も勉強しているだけの旦那もとても困る…。ふつうの“浪人生小説”であると、親との関係が描かれていることは多いけれど、20代後半~30代前半の人の“再受験もの”では、そんなところ(=配偶者や子どもがいる点)も読みどころの1つではあるかもしれない。ちなみに、家があるのは――また付箋紙を貼り忘れたか(涙)、とりあえず東京です。
これもどうでもいいことだけれど、「気体に関するヘンリーの法則」(p.138)って何だっけ? 化学? 物理? どちらも勉強していたけれど、ぜんぜん覚えていないな。
広告代理店に勤めていて広告の賞をもらったその日、「僕」(上口慎平、28歳)は“天啓”を受けて、脳外科医になることを決意し、会社を辞めて大学受験の勉強を始める。でも、以来いままで医学部には受からずにいる(今年33歳)。家には妻(りえ)と子ども(千秋)と猫(リスカ)がいる。――「医学部再受験」という言葉をときどき耳にするけれど、他人目線ではそんな状態にある人? あ、過去に1度も受けていないみたいだから「再」ではないか。どうでもいいけれど、脳外科医にならなくてはいけないという天啓がもたらされたのが頭(脳)であると考えると、何かSF小説とかホラー小説を連想する。例えば間違って脳に入ってしまった何かが自分を外に出してほしい、とか。私だけか(汗)。というか、逆に天啓が入ってきたのが脳だから脳外科医、という(小説的な)思い付きかもしれない。わからないけれど。
「僕」の戦績はといえば、ちょっと長いけれど引用させてもらうと、
<それから僕は四ヵ月後にセンター試験を受けて八〇〇点満点中五四〇点しか取れなくて二次試験なんて受ける気になれなくて個人指導塾に通って次の年にセンターで七〇〇点取って東大の二次試験で落ちて次の年はセンター七二〇点取ったけど東大と慶應の二次試験に落ちて去年は交通事故に遭って一ヵ月入院して試験どころじゃなくて今年は知り合いが自殺して葬儀があってそれを欠席してまで受けたのにまた落ちた(通夜には出た)。>(pp.86-7)
という感じ。脳外科医になりたい(だけな)のにどうして東大やら慶應やらを受けているのかがわからない。思ったよりも勉強の成果が出てしまって偏差値的に上をねらったとか? よく知らないけれど、東大の足切りラインって720点では大丈夫でも、700点ではちょっと足りなかったような…(テレビ東京『豪腕!コーチング』という番組の、「東大合格プロジェクト」というコーナーの結果発表の回を見たことがあって、年によって違うのだろうけれど、その年は710点台だったような記憶がある)。最初に受けた年を現役と考えれば、今年落ちて5浪目? 20代後半になって「個人指導塾」に通うのはちょっとつらいな、下手をしたら講師が歳下になっちゃうよね。今年の話で<春から新しい予備校に通うことにして>(p.151)と言っているので、少なくとも昨年は予備校に通っていたと思われる。先生と1対1の個別指導よりは、話を聞いているだけで済みそうな予備校のほうがましかな。あ、でも、教室にはひと回りも若い人たちがたくさん…。(こういうのは東京なら、いろいろな人がいるからまだいいけれど、出る杭は奇異な目で見られる、さびれた地方なんかだとつらいんだよね。)あと、「交通事故」というのは自転車に乗っているとき、ファミレスの駐車場から出てきた車に撥ねられたうえに踏まれて、両足を5箇所ずつ折ったらしい。試験前に交通事故で試験が受けられなかった、みたいなことは“受験生小説”ではたぶん、よくある話。“浪人生小説”では伊井直行『草のかんむり』がそう。
“家族小説”というか、子どもにも迷惑をかけているけれど、ひとまずやっぱり奥さんの理解と協力が必要だよね。お酒を飲んで帰ってきて暴れるみたいな旦那も困るけれど、5年も6年も勉強しているだけの旦那もとても困る…。ふつうの“浪人生小説”であると、親との関係が描かれていることは多いけれど、20代後半~30代前半の人の“再受験もの”では、そんなところ(=配偶者や子どもがいる点)も読みどころの1つではあるかもしれない。ちなみに、家があるのは――また付箋紙を貼り忘れたか(涙)、とりあえず東京です。
これもどうでもいいことだけれど、「気体に関するヘンリーの法則」(p.138)って何だっけ? 化学? 物理? どちらも勉強していたけれど、ぜんぜん覚えていないな。
荻原浩 「押入れのちよ」
2009年5月24日 読書
同名書(新潮社、2006/新潮文庫、2009)所収、9篇中の3篇目。※以下、おもいっきりネタバレをしているので、まだ読まれていない方はご注意ください。
<失業中サラリーマンの恵太が引っ越した先は、家賃3万3千円の超お得な格安アパート。しかし一日目の夜玄関脇の押入れから「出て」きたのは、自称明治39年生まれの14歳、推定身長130cm後半の、かわいらしい女の子だった(表題作「押入れのちよ」)。ままならない世の中で、必死に生きざるをえない人間(と幽霊)の可笑しみや哀しみを見事に描いた、全9夜からなる傑作短編集。>(文庫カバーより)
細かいずれはともかく、固有名詞を少し足しておけば、恵太の苗字は「多村」、ちよのそれは「川上」。アパートではなくて一応マンションなのだけれど、「近藤不動産」から紹介された『月が丘マンション』(築35年)。内容はというか、この幽霊は、ジェントル・ゴーストというより“お茶の間幽霊”? ビーフジャーキーを食べてカルピスを飲み、テレビで『くいずみりおん』(活動弁士曰く、はいなるあんさー?)を見たりする。着物(振袖)を着ていて日本人形のようで、押入れの中から現われたり、箪笥の上にのっていたりする…。可愛らしいといえば可愛らしいけれど。でも、幽霊になるまでには聞くに堪えないつらい話があったりする。(単純には比べられないけれど、可愛らしい幽霊ということでは、川上弘美の連作短篇集『神様』に出てくるコスミスミコが個人的にはいまだにベストかな。)
マンションは3階建てで各階に3部屋ずつあって、恵太が入居するのは302。隣の301にはアジア系外国人がいる(「ヨマンさんとその十一人の仲間」)。――「住めば都はるみ」って、日本人に教わったのではなく、デーブ・スペクターみたいな、日本語のできるダジャレ好き外国人に教わったのでは?(汗)。反対隣の303には――最初に引越しそばならぬ引越しタオルを持って行ったとき、
<出てきたのは恵太より少し年上に見える男だ。不健康そうな生白い顔に度の強い眼鏡をかけている。ドアをほんの数センチしか開けようとしないが、背が低く、三○二と同じドアから奥まで見通せる細長い造りだったから、質素な勉強机と壁に貼られた美少女アニメのポスターと「早大入試まであと百五十日」と書かれた張り紙がのぞけた。どうやら年下らしい。>(p.90)
。1浪くらいでは済んでいなそうな浪人生という感じ? 夜中には突然の奇声やぶつぶつ言う声が聞こえたりするらしい。――それで、だいぶネタバレしてしまうけれど、恵太に見えたその男は(その男も)実は幽霊だった、みたいなことがわかる。個人的によくわからなかったのは、人を巻き込む形でガス爆発自殺をしたのは、いつなのか、ということ。「美少女アニメのポスター」が貼られているのだから、そんなに昔ではないのか。あ、その前にいまは、DVDや携帯電話(メールも)がある時代。恵太は<アポロの月面着陸の後に生まれた>(p.100)と書かれているけれど、「後」といってもだいぶ後かもしれない(いままだ28歳だから、1970年代前半というよりは後半か)。それはともかく、自殺した場所にそのまま居座っている(いた)のだから、いわゆる地縛霊? “浪人生登場小説”(そんなジャンルはないけれど)のサブジャンルとしては、“浪人生=アパートなどでのあやしい隣人もの”と“浪人生=受験ノイローゼ自殺もの”を足したような感じかもしれない。――まぁどうでもいいけれど(汗)。
そう、諺の知識に関して語り手と視点人物が乖離している箇所があるけれど(視点人物=恵太は諺をあまり知らないけれど、語り手は知っている、みたいな箇所)、私にはあまり意味があるようには思えない。こういうところは面白いのかな? うーん…。あと、気になったのは、ちよの生前のことがわかったあとでは、レンタルビデオの1本(『若妻うんぬん』)をちよが見たいと言うかな? とちょっと疑問には思った。あ、あれ、DVDではなくてビデオでいいんだっけ? ――いいのか。まだ現在ほどDVDが普及していない?
<失業中サラリーマンの恵太が引っ越した先は、家賃3万3千円の超お得な格安アパート。しかし一日目の夜玄関脇の押入れから「出て」きたのは、自称明治39年生まれの14歳、推定身長130cm後半の、かわいらしい女の子だった(表題作「押入れのちよ」)。ままならない世の中で、必死に生きざるをえない人間(と幽霊)の可笑しみや哀しみを見事に描いた、全9夜からなる傑作短編集。>(文庫カバーより)
細かいずれはともかく、固有名詞を少し足しておけば、恵太の苗字は「多村」、ちよのそれは「川上」。アパートではなくて一応マンションなのだけれど、「近藤不動産」から紹介された『月が丘マンション』(築35年)。内容はというか、この幽霊は、ジェントル・ゴーストというより“お茶の間幽霊”? ビーフジャーキーを食べてカルピスを飲み、テレビで『くいずみりおん』(活動弁士曰く、はいなるあんさー?)を見たりする。着物(振袖)を着ていて日本人形のようで、押入れの中から現われたり、箪笥の上にのっていたりする…。可愛らしいといえば可愛らしいけれど。でも、幽霊になるまでには聞くに堪えないつらい話があったりする。(単純には比べられないけれど、可愛らしい幽霊ということでは、川上弘美の連作短篇集『神様』に出てくるコスミスミコが個人的にはいまだにベストかな。)
マンションは3階建てで各階に3部屋ずつあって、恵太が入居するのは302。隣の301にはアジア系外国人がいる(「ヨマンさんとその十一人の仲間」)。――「住めば都はるみ」って、日本人に教わったのではなく、デーブ・スペクターみたいな、日本語のできるダジャレ好き外国人に教わったのでは?(汗)。反対隣の303には――最初に引越しそばならぬ引越しタオルを持って行ったとき、
<出てきたのは恵太より少し年上に見える男だ。不健康そうな生白い顔に度の強い眼鏡をかけている。ドアをほんの数センチしか開けようとしないが、背が低く、三○二と同じドアから奥まで見通せる細長い造りだったから、質素な勉強机と壁に貼られた美少女アニメのポスターと「早大入試まであと百五十日」と書かれた張り紙がのぞけた。どうやら年下らしい。>(p.90)
。1浪くらいでは済んでいなそうな浪人生という感じ? 夜中には突然の奇声やぶつぶつ言う声が聞こえたりするらしい。――それで、だいぶネタバレしてしまうけれど、恵太に見えたその男は(その男も)実は幽霊だった、みたいなことがわかる。個人的によくわからなかったのは、人を巻き込む形でガス爆発自殺をしたのは、いつなのか、ということ。「美少女アニメのポスター」が貼られているのだから、そんなに昔ではないのか。あ、その前にいまは、DVDや携帯電話(メールも)がある時代。恵太は<アポロの月面着陸の後に生まれた>(p.100)と書かれているけれど、「後」といってもだいぶ後かもしれない(いままだ28歳だから、1970年代前半というよりは後半か)。それはともかく、自殺した場所にそのまま居座っている(いた)のだから、いわゆる地縛霊? “浪人生登場小説”(そんなジャンルはないけれど)のサブジャンルとしては、“浪人生=アパートなどでのあやしい隣人もの”と“浪人生=受験ノイローゼ自殺もの”を足したような感じかもしれない。――まぁどうでもいいけれど(汗)。
そう、諺の知識に関して語り手と視点人物が乖離している箇所があるけれど(視点人物=恵太は諺をあまり知らないけれど、語り手は知っている、みたいな箇所)、私にはあまり意味があるようには思えない。こういうところは面白いのかな? うーん…。あと、気になったのは、ちよの生前のことがわかったあとでは、レンタルビデオの1本(『若妻うんぬん』)をちよが見たいと言うかな? とちょっと疑問には思った。あ、あれ、DVDではなくてビデオでいいんだっけ? ――いいのか。まだ現在ほどDVDが普及していない?
東野圭吾 「闇の中の二人」
2009年5月24日 読書
『犯人のいない殺人の夜』(光文社、1990/光文社文庫、1994)所収、7篇中の2篇目。なんていうか微妙といえば微妙な感じ…。うーん、星2つくらいで。←満点(満天?)は5つ星です。※以下、ネタバレ注意です。
12月初めの早朝、まだ寝ていた中学教師・永井弘美のもとに、担任をしているクラス(3年)の生徒・萩原信二から、弟が殺されたという電話がかかってくる。弟というのは、父親(啓三)の新しい妻である麗子(要するに継母)が産んだ子どもで、生後3ヶ月とのこと。――で、事件があったのが夜中だから例によって、事件がらみのことを目撃していたのではないかと思われる(警察にそう思われた)浪人生が登場してくる。名前は光川幹夫、2浪。でも、さすがは東野圭吾というか(個人的にあまり好きな作家じゃないけれど)、お約束であることを理解していてそこからちょっとずらしている感じ。
「丑三つ時ランニング」――真夜中に走っていると、それこそ職務質問されてしまいそう(汗)。小説的には、その浪人生自体が犯人である可能性もあるから、それでいいのかもしれないけれど。とりあえず夜中に走るなら、交通事故には気をつけたほうがいいかもしれない。それはそれとして、浪人生の幹夫くんについて。これからどこの大学を受けるとか、いままでにどこの大学を受けたとか、受験がらみの詳しいことはぜんぜん書かれていない。昼夜逆転生活で、予備校には通っていないっぽい。そう、口調がちょっとおっさんくさいかな。
<ジョギングのことを訊くと、彼はちょっと自慢気に、「青っちろい受験生なんて、はやりませんからね」と言った。>(p.78、文庫)
<(略)「僕はほとんど毎日あのあたりを走るんですがね、たまに、『あれっ?』と思うようなことがあるんですよ」>(p.79、同)
「青っちろい」とか「ですがね」とか。20年以上も前に書かれた小説だからしようがないのかな?(この1篇の初出は『小説宝石』1986年1月号らしい)。ちなみに「県警」と言っているから、とりあえず舞台は東京ではないようだ。
12月初めの早朝、まだ寝ていた中学教師・永井弘美のもとに、担任をしているクラス(3年)の生徒・萩原信二から、弟が殺されたという電話がかかってくる。弟というのは、父親(啓三)の新しい妻である麗子(要するに継母)が産んだ子どもで、生後3ヶ月とのこと。――で、事件があったのが夜中だから例によって、事件がらみのことを目撃していたのではないかと思われる(警察にそう思われた)浪人生が登場してくる。名前は光川幹夫、2浪。でも、さすがは東野圭吾というか(個人的にあまり好きな作家じゃないけれど)、お約束であることを理解していてそこからちょっとずらしている感じ。
「丑三つ時ランニング」――真夜中に走っていると、それこそ職務質問されてしまいそう(汗)。小説的には、その浪人生自体が犯人である可能性もあるから、それでいいのかもしれないけれど。とりあえず夜中に走るなら、交通事故には気をつけたほうがいいかもしれない。それはそれとして、浪人生の幹夫くんについて。これからどこの大学を受けるとか、いままでにどこの大学を受けたとか、受験がらみの詳しいことはぜんぜん書かれていない。昼夜逆転生活で、予備校には通っていないっぽい。そう、口調がちょっとおっさんくさいかな。
<ジョギングのことを訊くと、彼はちょっと自慢気に、「青っちろい受験生なんて、はやりませんからね」と言った。>(p.78、文庫)
<(略)「僕はほとんど毎日あのあたりを走るんですがね、たまに、『あれっ?』と思うようなことがあるんですよ」>(p.79、同)
「青っちろい」とか「ですがね」とか。20年以上も前に書かれた小説だからしようがないのかな?(この1篇の初出は『小説宝石』1986年1月号らしい)。ちなみに「県警」と言っているから、とりあえず舞台は東京ではないようだ。
草野唯雄 『京都殺人風景』
2009年5月19日 読書
トクマベルズ、1984/徳間文庫、1987。まだ読みかけです(いま120ページのところ、全体の3分の1弱くらい)。タイトルに「殺人」と入っているけれど、ふつうの犯人さがし推理小説ではない感じ。とりあえず「一章」を読み終わった段階では、殺そうとして人を殺したわけではないけれど、よくある“完全犯罪もの”みたいな展開になっている。ぜんぜん関係ないけれど、この作者は「女性」のことがわかっている(つもりな)のかな? なんていうか、女性視点が微妙な感じ。でも、20年以上前の小説だからその手のこと(女性観とか)にツッコミを入れてもしかたがないか。(人のことは言えないしな、たぶん。)
妊娠中の滝川由香(28歳)は、祇園祭りの日の夜、同じマンション(「南禅寺ハイツ」)の同じ階(2階)に両親と暮らしている浪人生に、路上で襲われる。必死で抵抗して突き飛ばしたところ、その浪人生(戸川澄夫)は疏水に落ちて、あとで死体となって発見される。こちらが被害者であるはずなのに(浪人生の親からは責められるようなことを言われ)、警察では話しても信じてもらえず、逆に殺人や過剰防衛を疑われてしまう。そして、似たような状況で今度は、浮気していることを開き直っている冷たい夫・稔(「大東建設の京都支社」の係長)を死なせてしまう。酔って帰ってきて入浴中だった由香に性的な強要をし、突き飛ばされて湯舟に頭をぶつけてしまう。で、前回のことがあるから警察に行くわけにはいかないし、…みたいな話。
本題というか。この浪人生はどうなのかな? ちゃんと殺された(?)のであれば、探偵役の人たちが人間関係とか周辺を調べてくれたりするのだけれど、こういうケースだと小説的には犬死にというか。でも、ま、近所の人妻に対してストーカーみたいなこともしていて、強姦未遂も犯しているわけだから、自業自得といえば自業自得か。両親(富造・菊江、特に母親のほう)も悪く描かれていて、この親にしてこの息子、みたいなことも言えるのかもしれない。由香によれば(というか由香目線の箇所だけれど)、澄夫は、
<二年前に高校を出て、それ以来浪人暮らし。(略)。/浪人といっても予備校にも行かず、ほとんど家に閉じこもっている得体のしれない若者だ。>(p.10)
とのこと。2浪? あ、いま7月だから丸2年であれば(算数的には)3浪か。
妊娠中の滝川由香(28歳)は、祇園祭りの日の夜、同じマンション(「南禅寺ハイツ」)の同じ階(2階)に両親と暮らしている浪人生に、路上で襲われる。必死で抵抗して突き飛ばしたところ、その浪人生(戸川澄夫)は疏水に落ちて、あとで死体となって発見される。こちらが被害者であるはずなのに(浪人生の親からは責められるようなことを言われ)、警察では話しても信じてもらえず、逆に殺人や過剰防衛を疑われてしまう。そして、似たような状況で今度は、浮気していることを開き直っている冷たい夫・稔(「大東建設の京都支社」の係長)を死なせてしまう。酔って帰ってきて入浴中だった由香に性的な強要をし、突き飛ばされて湯舟に頭をぶつけてしまう。で、前回のことがあるから警察に行くわけにはいかないし、…みたいな話。
本題というか。この浪人生はどうなのかな? ちゃんと殺された(?)のであれば、探偵役の人たちが人間関係とか周辺を調べてくれたりするのだけれど、こういうケースだと小説的には犬死にというか。でも、ま、近所の人妻に対してストーカーみたいなこともしていて、強姦未遂も犯しているわけだから、自業自得といえば自業自得か。両親(富造・菊江、特に母親のほう)も悪く描かれていて、この親にしてこの息子、みたいなことも言えるのかもしれない。由香によれば(というか由香目線の箇所だけれど)、澄夫は、
<二年前に高校を出て、それ以来浪人暮らし。(略)。/浪人といっても予備校にも行かず、ほとんど家に閉じこもっている得体のしれない若者だ。>(p.10)
とのこと。2浪? あ、いま7月だから丸2年であれば(算数的には)3浪か。
万城目学 『鴨川ホルモー』
2009年5月19日 読書
産業編集センター、2006/角川文庫、2009。けっこう期待して読んでしまったせいか、思ったよりはふつうでした。そこそこ面白かったくらいな感じ。自意識過剰な饒舌系の“俺小説”というわけではなくて、ちょっと好感が持てるし、文章も意外と読みやすくてよかったです。でも、話の展開とかにはけっこう既視感があったかな。※以下、いつものようにたぶん、内容にまで踏み込んでいると思うので、まだ読まれていない方はご注意ください。
京都大学1回生の「俺」(安部)は、葵祭でのアルバイトのあと、勧誘ビラをもらったことをきっかけに、後日、居酒屋で開かれた「京都大学青竜会」の新入生歓迎コンパに参加。そこで同席した同じく1回生の早良京子(の鼻)にひと目惚れをし、入会することに決める。で、その京大青竜会が何をするところなのか、がひとまずこの小説の面白いところで――ネタバレしてしまうけれど、1人100匹の小さな「オニ」を操ってほかの大学(京都産業大学、立命館大学、龍谷大学の計4大学がある)と10人対10人で対戦する。おおざっぱに言って、相手のオニを全滅させたほうが勝ち。――要するに内容的には、ライトノベルによくある“架空の部活もの”みたいな話かもしれない(「階段部」とか「カレー部」とか「SOS団」とかいろいろあるでしょう?)。あと、「俺」の恋のゆくえというか、サークル内恋愛みたいなことも、小説的には重要になっている(個人的にはこれがけっこうデジャヴュな感じ)。文体はあまりライトノベルぽくないとは思うけれど、アラレちゃん眼鏡(?)で大木凡人ヘアーの楠木ふみは、やっぱり「ツンデレ」と呼びたくなるかもしれない。どうでもいいけれど、天下の京都大学はやっぱり学部が多いよね、「俺」は総合人間学部(って何をするところ?)、帰国子女(といっても男)の高村は経済学部、早良京子は教育学部、楠木ふみは理学部(会長で3回生のスガ氏も理学部)、「俺」の苦手な芦屋は法学部、……あと、文学部に工学部もあるのか。
古都・京都という土地柄OKなのかもしれないけれど、固有名詞が、携帯メールを自然に使える世代の大学生が使うようなそれではない感じが…。単行本が出ている2006年の大学生が「大木凡人(おおき・ぼんど)」とか「ドジャースNOMO(のTシャツ)」とか竹内まりやの喧嘩の歌とかを知っているかな? うーん…。ちなみに、作者は1976年生まれらしい。固有名詞といえば、これもちょっとネタバレしまうかもしれないけれど、「安部」といえば安部晴明なら、「菅原」といえばやっぱり菅原道真? ――登場人物の名前の付け方も気になってくる。「楠木」という名前と京大校内にあるらしい(木の)クスノキにも何か関係が? とか。
本題というか。「俺」というか安部くんは、なんと、さだまさし好き!(そんなにびっくりしなくてもいいか(汗))。2浪しているらしいのだけれど、さだまさしが<二年間の浪人生活で、俺のメンタル面を誰よりも支えてくれた>(p.23)とまで言っている。そういえば、以前、放送されていたテレビ東京系列の『豪腕!コーチング』(タイトルあってる?)という番組の、芸能人が東大合格を目指すみたいな企画では、渡辺美里の「My Revolution」がかかっていたよね。よくわからないけれど、大学受験というとそんな(どんな?)イメージがあるのかもしれない。(あまり関係ないけれど、昔、受験雑誌を読んでいたら、受験生だか元受験生だかの人が、自分の好きな曲を1曲聴いてから勉強を始めている、と書いていて――自分もちょっと試してみたので、いまでも覚えている。私は続かなかったけれど、そうすると脳が起きるというか、勉強態勢に入れるのかな。O社・ラ講でいえば「大学祝典序曲」みたいな? ←いまの受験生は知らないか。私もよく知らないけれど(汗)。ただ1曲まるごと聴いてしまうと、曲にもよるだろうけれど、3、4分くらいかかって時間がもったいないと思う。)そう、私には実態(小説ではなくて現実の話)がよくわからないけれど、入試とても難関・京都大学で2浪くらいであれば、ふつうの人の部類に入るのかな? でも、青竜会のほかの1回生は、なんとなく現役で入っているっぽいけれど。
「俺」と同じで1回生の芦屋には、高校のとき3年間付き合っていた、いまは地元の予備校に通っている彼女がいるらしい。目指しているのは、<芦屋のいる京都の大学>(p.163)であるらしい。たぶん「芦屋のいる」という部分は、「大学」ではなく「京都」にかかる。何度か書いているような気がするけれど、浪人中の彼女/彼氏を振ってはいけない! とは思う(もちろん精神的な影響があるから)けれど、大学生のほうには大学生の事情が…というか、この小説では(これもネタを割くことになってしまうか)結局、実は振ってはいなかったみたいで、彼女のほうも翌年(京都の)同志社大学に合格できたらしく、特に受験に支障はなかったようだ。
最後に、小説にはよくあることなのだけれど、ちょっと使い方がおかしな文法用語があったので、触れておきたい。百聞は一見にしかずというか、これは引用しないと説明しづらいか。
<「お前いつになったら、その髪を切るの?」/「別に、特に予定はないけれど」/「違う。今のはタグ・クエスチョンだ。疑問の形をとって、要は切ってくれと言ってるんだ」>(p.118)
たぶん「タグ・クエスチョン」(tag question、付加疑問文)ではなくて、「レトリカル・クエスチョン」(rhetorical question、修辞疑問文)の間違いだろう。(谷川流とか米澤穂信であると、こうした文法用語がちゃんと使えていて、安心して読めるのだけれど。ま、英文法の参考書ではなくて、“小説”を読んでいるのだからしようがない。)
京都大学1回生の「俺」(安部)は、葵祭でのアルバイトのあと、勧誘ビラをもらったことをきっかけに、後日、居酒屋で開かれた「京都大学青竜会」の新入生歓迎コンパに参加。そこで同席した同じく1回生の早良京子(の鼻)にひと目惚れをし、入会することに決める。で、その京大青竜会が何をするところなのか、がひとまずこの小説の面白いところで――ネタバレしてしまうけれど、1人100匹の小さな「オニ」を操ってほかの大学(京都産業大学、立命館大学、龍谷大学の計4大学がある)と10人対10人で対戦する。おおざっぱに言って、相手のオニを全滅させたほうが勝ち。――要するに内容的には、ライトノベルによくある“架空の部活もの”みたいな話かもしれない(「階段部」とか「カレー部」とか「SOS団」とかいろいろあるでしょう?)。あと、「俺」の恋のゆくえというか、サークル内恋愛みたいなことも、小説的には重要になっている(個人的にはこれがけっこうデジャヴュな感じ)。文体はあまりライトノベルぽくないとは思うけれど、アラレちゃん眼鏡(?)で大木凡人ヘアーの楠木ふみは、やっぱり「ツンデレ」と呼びたくなるかもしれない。どうでもいいけれど、天下の京都大学はやっぱり学部が多いよね、「俺」は総合人間学部(って何をするところ?)、帰国子女(といっても男)の高村は経済学部、早良京子は教育学部、楠木ふみは理学部(会長で3回生のスガ氏も理学部)、「俺」の苦手な芦屋は法学部、……あと、文学部に工学部もあるのか。
古都・京都という土地柄OKなのかもしれないけれど、固有名詞が、携帯メールを自然に使える世代の大学生が使うようなそれではない感じが…。単行本が出ている2006年の大学生が「大木凡人(おおき・ぼんど)」とか「ドジャースNOMO(のTシャツ)」とか竹内まりやの喧嘩の歌とかを知っているかな? うーん…。ちなみに、作者は1976年生まれらしい。固有名詞といえば、これもちょっとネタバレしまうかもしれないけれど、「安部」といえば安部晴明なら、「菅原」といえばやっぱり菅原道真? ――登場人物の名前の付け方も気になってくる。「楠木」という名前と京大校内にあるらしい(木の)クスノキにも何か関係が? とか。
本題というか。「俺」というか安部くんは、なんと、さだまさし好き!(そんなにびっくりしなくてもいいか(汗))。2浪しているらしいのだけれど、さだまさしが<二年間の浪人生活で、俺のメンタル面を誰よりも支えてくれた>(p.23)とまで言っている。そういえば、以前、放送されていたテレビ東京系列の『豪腕!コーチング』(タイトルあってる?)という番組の、芸能人が東大合格を目指すみたいな企画では、渡辺美里の「My Revolution」がかかっていたよね。よくわからないけれど、大学受験というとそんな(どんな?)イメージがあるのかもしれない。(あまり関係ないけれど、昔、受験雑誌を読んでいたら、受験生だか元受験生だかの人が、自分の好きな曲を1曲聴いてから勉強を始めている、と書いていて――自分もちょっと試してみたので、いまでも覚えている。私は続かなかったけれど、そうすると脳が起きるというか、勉強態勢に入れるのかな。O社・ラ講でいえば「大学祝典序曲」みたいな? ←いまの受験生は知らないか。私もよく知らないけれど(汗)。ただ1曲まるごと聴いてしまうと、曲にもよるだろうけれど、3、4分くらいかかって時間がもったいないと思う。)そう、私には実態(小説ではなくて現実の話)がよくわからないけれど、入試とても難関・京都大学で2浪くらいであれば、ふつうの人の部類に入るのかな? でも、青竜会のほかの1回生は、なんとなく現役で入っているっぽいけれど。
「俺」と同じで1回生の芦屋には、高校のとき3年間付き合っていた、いまは地元の予備校に通っている彼女がいるらしい。目指しているのは、<芦屋のいる京都の大学>(p.163)であるらしい。たぶん「芦屋のいる」という部分は、「大学」ではなく「京都」にかかる。何度か書いているような気がするけれど、浪人中の彼女/彼氏を振ってはいけない! とは思う(もちろん精神的な影響があるから)けれど、大学生のほうには大学生の事情が…というか、この小説では(これもネタを割くことになってしまうか)結局、実は振ってはいなかったみたいで、彼女のほうも翌年(京都の)同志社大学に合格できたらしく、特に受験に支障はなかったようだ。
最後に、小説にはよくあることなのだけれど、ちょっと使い方がおかしな文法用語があったので、触れておきたい。百聞は一見にしかずというか、これは引用しないと説明しづらいか。
<「お前いつになったら、その髪を切るの?」/「別に、特に予定はないけれど」/「違う。今のはタグ・クエスチョンだ。疑問の形をとって、要は切ってくれと言ってるんだ」>(p.118)
たぶん「タグ・クエスチョン」(tag question、付加疑問文)ではなくて、「レトリカル・クエスチョン」(rhetorical question、修辞疑問文)の間違いだろう。(谷川流とか米澤穂信であると、こうした文法用語がちゃんと使えていて、安心して読めるのだけれど。ま、英文法の参考書ではなくて、“小説”を読んでいるのだからしようがない。)
滝井孝作 「邦男と二宮と」
2009年5月17日 読書
短めの短篇小説。けっこう淡々と読んでしまって面白いのやら面白くないのやらよくわからなかったな。手もとにあるのは『日本文学全集36 滝井孝作・尾崎一雄集』(集英社、1967)で、初出は『文藝春秋』昭和6年(1931年)9月号らしい。ところで、新聞配達と並ぶ苦学生のアルバイトの定番といえば? ――そう、人力車夫ですね(汗)。いちおう商売をしているけれど、実家が金持ちなおかげで、ほとんど何もせずに暮らすことができている邦男。その邦男を視点人物として、苦学して鉱山の医者になり、いまは町の県立病院に勤務している二宮との親交(腐れ縁?)などが書かれている小説。気のいいお坊っちゃん(?)邦男は、二宮のことを「ニガ手」だと思っているわりに、気の障るようなことや命に関わるようなことをされても、しばらくすると簡単に許してしまうというか。
2人は中学校の同級生(同窓生)らしいのだけれど、東京で共同生活をしていたことがあって、冒頭はそのときのことについて書かれている。
<東京時分の親交は、今思いだせば苦笑が出た。邦男は上京した年は父の言いつけに従い高商の入学試験をうけて落第して、受験生の一年間に早くも都会の遊蕩の味を知ったが、この時分に中学の同窓の二宮に遊蕩を叱責されて「俺といっしょに自炊しないか、貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」と言われたりして、ことばに従い芝の方の二宮の二階借へ移っていった。>
受験に失敗しても家に戻らなかったのか。東京の「高商」だからいまでいえば一橋大学? 一般に、家が商売をしていると(この人の場合、次男だけれど)親は経済学部を受けろ、みたいなことを言いがちかもしれない。「芝の方」ってどこ?(あいかわらず、東京やその近辺の地理に疎いうえに調べる気もない(汗))。2人の郷里もどこなのか(私には)よくわからないな。「遊蕩」というのは……とりあえず「馴染の女」もできているらしい(「遊蕩仲間」もいるらしい)。「貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」というのはどうなのかな? 「貧苦」「嘗める」の内実にもよるか。あまり栄養状態がよくなかったりすると、勉強する気力もなくなるし、勉強中に頭も回転しなくなるよね。そういえば、回想的で短い箇所だけれど、浪人生(いちおう)の男が2人で暮らしている小説というのも、いままで読んだことがなかった気がする。
二宮は「夜学」に通っていると言っているのだけれど、どうも素振りにおかしい点があるので、ある日、邦男は出かける前の二宮に尋ねる。すると、彼は涙を流して謝ってくる。
<「僕実際君をだまかいてすまなんだ、僕は、鉱山の役人の所から月五円送金がきて、君には毎月十分仕送りが来るように見せかけたが五円より収入がないので、君といっしょになれば何とかなると思ったが、じつは今まで内証で俥を挽いて不足を補っていたんで、このとおり毎晩……」と、包[=風呂敷包]の中から汗くさい紺の半被と股引とが出た。邦男は世間に苦学生の俥夫があることは聞いていても目の前の友がそれとは思わなんだ。>([括弧]は引用者による)
このあと邦男はお金を工面したりするけれど、それも長くは続かず、二宮はまた働き出す。で、そうこうするうちに二宮は不意に千葉のほうへ行ったきり、帰って来ない。共同生活は結局、5,6ヶ月続いたらしい。――そもそもどうして「鉱山の役人」からお金がもらえるの? のちに鉱山の医者になっているらしいからそれと関係するのか。5円というのはいまでいえばいくらくらい? その前にいつの時代の話なのかが(私には)よくわからない。苦学をしている浪人生は、やっぱり働いていること(アルバイトをしていること)を友だちやほかの浪人生に隠しがちなのかな…。うーん。
2人の受験の結果というかは、二宮は(千葉の?)<医専の試験に受かったらしかった>とのこと。邦男本人は、中退してしまったらしいけれど、(東京の)「美術学校」に在籍していたらしい。
++++++++++++
人力車や車夫が出てくる小説については、十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫、2008)で少し詳しく書かれている(pp.246-56)。富田常雄『姿三四郎』には(読んだことがないので何の勉強をしているのかわからないけれど)苦学生の車夫が出てくるらしい。そういえば、その本(『近代日本文学案内』)では触れられていないけれど、山田美妙「花ぐるま」という、タイトルからして(?)人力車な小説もある。浪人生が出てくるのかと思って、だいぶ前に図書館で(収録されている本を)借りてみたのだけれど、ぱらぱらと拾い読みしたかぎりでは出てこない模様。
今東光『毒舌 身の上相談』(集英社文庫、1994)という、わりと質問者(相談者)に浪人生が含まれている人生相談Q&A本があるのだけれど、そのなかに「苦学している友人になにかしてやりたい」と見出しを付けられた予備校生からの相談がある。その内容はともかく、著者というか回答者が、回答のなかで、
<オレの中学時代の奴なんか、バイトで人力車夫しながら学校を出た。誰もそれを知らなかったんだよ。おめえも知らないことになっていることだし、知らんふりしといた方がいい。(略)>(p.74)
と言っている。回答者というか今東光は1898年生まれらしい。中学というのはもちろん旧制。誰も知らなかった、というのは、中学を卒業してから知った、ということ? そう、同じ中学生でも4年生とか5年生とかならいいかもしれないけれど、新聞配達と違って車挽きは夜だし、中学1,2年生くらいだとできない(できなかった)んじゃないの? そんなこともないのかな。そう、車を貸してくれるところが(子どもだからという理由で)貸してくれなそう。
2人は中学校の同級生(同窓生)らしいのだけれど、東京で共同生活をしていたことがあって、冒頭はそのときのことについて書かれている。
<東京時分の親交は、今思いだせば苦笑が出た。邦男は上京した年は父の言いつけに従い高商の入学試験をうけて落第して、受験生の一年間に早くも都会の遊蕩の味を知ったが、この時分に中学の同窓の二宮に遊蕩を叱責されて「俺といっしょに自炊しないか、貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」と言われたりして、ことばに従い芝の方の二宮の二階借へ移っていった。>
受験に失敗しても家に戻らなかったのか。東京の「高商」だからいまでいえば一橋大学? 一般に、家が商売をしていると(この人の場合、次男だけれど)親は経済学部を受けろ、みたいなことを言いがちかもしれない。「芝の方」ってどこ?(あいかわらず、東京やその近辺の地理に疎いうえに調べる気もない(汗))。2人の郷里もどこなのか(私には)よくわからないな。「遊蕩」というのは……とりあえず「馴染の女」もできているらしい(「遊蕩仲間」もいるらしい)。「貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」というのはどうなのかな? 「貧苦」「嘗める」の内実にもよるか。あまり栄養状態がよくなかったりすると、勉強する気力もなくなるし、勉強中に頭も回転しなくなるよね。そういえば、回想的で短い箇所だけれど、浪人生(いちおう)の男が2人で暮らしている小説というのも、いままで読んだことがなかった気がする。
二宮は「夜学」に通っていると言っているのだけれど、どうも素振りにおかしい点があるので、ある日、邦男は出かける前の二宮に尋ねる。すると、彼は涙を流して謝ってくる。
<「僕実際君をだまかいてすまなんだ、僕は、鉱山の役人の所から月五円送金がきて、君には毎月十分仕送りが来るように見せかけたが五円より収入がないので、君といっしょになれば何とかなると思ったが、じつは今まで内証で俥を挽いて不足を補っていたんで、このとおり毎晩……」と、包[=風呂敷包]の中から汗くさい紺の半被と股引とが出た。邦男は世間に苦学生の俥夫があることは聞いていても目の前の友がそれとは思わなんだ。>([括弧]は引用者による)
このあと邦男はお金を工面したりするけれど、それも長くは続かず、二宮はまた働き出す。で、そうこうするうちに二宮は不意に千葉のほうへ行ったきり、帰って来ない。共同生活は結局、5,6ヶ月続いたらしい。――そもそもどうして「鉱山の役人」からお金がもらえるの? のちに鉱山の医者になっているらしいからそれと関係するのか。5円というのはいまでいえばいくらくらい? その前にいつの時代の話なのかが(私には)よくわからない。苦学をしている浪人生は、やっぱり働いていること(アルバイトをしていること)を友だちやほかの浪人生に隠しがちなのかな…。うーん。
2人の受験の結果というかは、二宮は(千葉の?)<医専の試験に受かったらしかった>とのこと。邦男本人は、中退してしまったらしいけれど、(東京の)「美術学校」に在籍していたらしい。
++++++++++++
人力車や車夫が出てくる小説については、十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫、2008)で少し詳しく書かれている(pp.246-56)。富田常雄『姿三四郎』には(読んだことがないので何の勉強をしているのかわからないけれど)苦学生の車夫が出てくるらしい。そういえば、その本(『近代日本文学案内』)では触れられていないけれど、山田美妙「花ぐるま」という、タイトルからして(?)人力車な小説もある。浪人生が出てくるのかと思って、だいぶ前に図書館で(収録されている本を)借りてみたのだけれど、ぱらぱらと拾い読みしたかぎりでは出てこない模様。
今東光『毒舌 身の上相談』(集英社文庫、1994)という、わりと質問者(相談者)に浪人生が含まれている人生相談Q&A本があるのだけれど、そのなかに「苦学している友人になにかしてやりたい」と見出しを付けられた予備校生からの相談がある。その内容はともかく、著者というか回答者が、回答のなかで、
<オレの中学時代の奴なんか、バイトで人力車夫しながら学校を出た。誰もそれを知らなかったんだよ。おめえも知らないことになっていることだし、知らんふりしといた方がいい。(略)>(p.74)
と言っている。回答者というか今東光は1898年生まれらしい。中学というのはもちろん旧制。誰も知らなかった、というのは、中学を卒業してから知った、ということ? そう、同じ中学生でも4年生とか5年生とかならいいかもしれないけれど、新聞配達と違って車挽きは夜だし、中学1,2年生くらいだとできない(できなかった)んじゃないの? そんなこともないのかな。そう、車を貸してくれるところが(子どもだからという理由で)貸してくれなそう。
北重人 『鳥かごの詩』
2009年5月17日 読書清水マリコ 『HURTLESS/HURTFUL』
2009年5月14日 読書
副題というか、タイトルには片仮名で「ハートレス/ハートフル」と列記されている。MF文庫J、2009。表紙をめくるとインチキ発音記号が目に入ってくるし(違う意味でイタい)、最初のへん(p.15)に段落の頭が1文字下がっていないところがあるし…。イラストもあっていないな(ライトノベル、あっていると思えることのほうが珍しいけれど)。※以下、いつものようにネタバレにはご注意ください。←いちいち書いておかないとあとで文句を言われそうな気がするから。
予備校へ行く途中、駅のホームから線路に落ちた女性を助け、意識不明のまま入院中の兄・ゆずる。高校1年の弟・待中玲夫(まちなか・れお)は、兄がマスコミなどによって感動物語の主人公にされることに複雑な思いを抱いている。そんな玲夫の前に、ゆずるの中から「脱獄」してきたと言う、どうにか中学生に見えるくらいの1人の少女が現われる。玲夫は、兄の意識を回復させられるかもしれない「鍵」を探すために、同級生で小学校のころによく遊んだ飛沢蓉(とびさわ・よう)とともに、昔、3人で行った場所を訪れたりする。そして明らかになる6年前の過去――。空港(頻繁に空をゆく飛行機、緑と赤の点滅)、工場群(「鉄の森」、絶えないオレンジ色の炎)、海、運河・河口(暗く流れる川、堤防)といったどこか懐かしい(?)風景をもつ土地を舞台にhurtfulでhurtlessな物語が描かれている。……毎度、下手くそな内容紹介だな(涙)。
最初の少し=ゆずる目線のところは1人称(「おれ」)、あとはほとんど玲夫目線の3人称で書かれている――けれど、自由間接話法(描出話法)が自由に多すぎて、ほとんど1人称になっているような。「おれ」でも「玲夫(れお)」でも同じようなものかもしれないけれど。というか、最後のほうで「鉄の森」(=異界?)に入って自分と他者の境界がなくなっているので、文体がその伏線になっているような…。ただ、個人的には鉤括弧やダッシュの後ろが口に出して言っているのか頭の中だけで言っているのかわかりにくくて、それがちょっと嫌でした(涙)。
内容的には、全体的にこじんまりとまとまっている小説、かな。インターネットや携帯電話がある世界だけれど、閉じているといえば閉じているかもしれない。6年前に何があったのかわかってみても、しょぼいといえばしょぼいような…。ほかには――というか、今回はそれほど感想もないな(汗)。そう、読んでいるときに作者があまり若くないな、とはなんとなく思ったです(作者紹介のところに生年は書かれていないけれど)。漫画と同じでライトノベルって会話が読んでいて楽しい、みたいな印象があるのだけれど、この小説はふつうというか。別にそれがいけないというわけではないけれど、退屈は退屈かもしれない。キャラクター的には、不思議な女の子が現われるとか、同級生に丁寧語で話す女の子がいるとか、お約束は踏まえている感じ。そういえば、眼鏡率が高かったような。不思議な少女(玲夫が「脱子(だつこ)」と名付けている)以外の3人――ゆずる、玲夫、蓉は眼鏡をかけている。
そういえば、このお兄さんはどうして「夜の予備校」(p.12)に通っているのかな? 昼間は何をしているの?(わからない)。とりあえず、浪人している理由などは――引用させてもらうと、
<(略)ロクに勉強しないで受験して当然浪人して、自業自得なのにふさぎこむような人間だった。>(p.29)
と、弟の目には映っている模様。要するに勉強不足か。ちなみにお父さんは地元で小さな町工場を経営しているらしい。
予備校生がホームで人を助けるということでは、清水義範『バードケージ』を思い出す…かな。浪人生が意識不明ということでは、庄司薫『ぼくの大好きな青髭』を思い出す。浪人生が冒頭で死亡する、あるいはすでに死亡している小説は多いと思うし(例えば予備校生の兄であれば、辻真先「村でいちばんの首吊りの木」)、浪人生が失踪している小説も読んだことがあるけれど(矢口敦子『家族の行方』)、死亡でも失踪でも意識不明でもだいたい同じというか。出来てしまった“空白”をほかの人が埋めていく話になったりする。
予備校へ行く途中、駅のホームから線路に落ちた女性を助け、意識不明のまま入院中の兄・ゆずる。高校1年の弟・待中玲夫(まちなか・れお)は、兄がマスコミなどによって感動物語の主人公にされることに複雑な思いを抱いている。そんな玲夫の前に、ゆずるの中から「脱獄」してきたと言う、どうにか中学生に見えるくらいの1人の少女が現われる。玲夫は、兄の意識を回復させられるかもしれない「鍵」を探すために、同級生で小学校のころによく遊んだ飛沢蓉(とびさわ・よう)とともに、昔、3人で行った場所を訪れたりする。そして明らかになる6年前の過去――。空港(頻繁に空をゆく飛行機、緑と赤の点滅)、工場群(「鉄の森」、絶えないオレンジ色の炎)、海、運河・河口(暗く流れる川、堤防)といったどこか懐かしい(?)風景をもつ土地を舞台にhurtfulでhurtlessな物語が描かれている。……毎度、下手くそな内容紹介だな(涙)。
最初の少し=ゆずる目線のところは1人称(「おれ」)、あとはほとんど玲夫目線の3人称で書かれている――けれど、自由間接話法(描出話法)が自由に多すぎて、ほとんど1人称になっているような。「おれ」でも「玲夫(れお)」でも同じようなものかもしれないけれど。というか、最後のほうで「鉄の森」(=異界?)に入って自分と他者の境界がなくなっているので、文体がその伏線になっているような…。ただ、個人的には鉤括弧やダッシュの後ろが口に出して言っているのか頭の中だけで言っているのかわかりにくくて、それがちょっと嫌でした(涙)。
内容的には、全体的にこじんまりとまとまっている小説、かな。インターネットや携帯電話がある世界だけれど、閉じているといえば閉じているかもしれない。6年前に何があったのかわかってみても、しょぼいといえばしょぼいような…。ほかには――というか、今回はそれほど感想もないな(汗)。そう、読んでいるときに作者があまり若くないな、とはなんとなく思ったです(作者紹介のところに生年は書かれていないけれど)。漫画と同じでライトノベルって会話が読んでいて楽しい、みたいな印象があるのだけれど、この小説はふつうというか。別にそれがいけないというわけではないけれど、退屈は退屈かもしれない。キャラクター的には、不思議な女の子が現われるとか、同級生に丁寧語で話す女の子がいるとか、お約束は踏まえている感じ。そういえば、眼鏡率が高かったような。不思議な少女(玲夫が「脱子(だつこ)」と名付けている)以外の3人――ゆずる、玲夫、蓉は眼鏡をかけている。
そういえば、このお兄さんはどうして「夜の予備校」(p.12)に通っているのかな? 昼間は何をしているの?(わからない)。とりあえず、浪人している理由などは――引用させてもらうと、
<(略)ロクに勉強しないで受験して当然浪人して、自業自得なのにふさぎこむような人間だった。>(p.29)
と、弟の目には映っている模様。要するに勉強不足か。ちなみにお父さんは地元で小さな町工場を経営しているらしい。
予備校生がホームで人を助けるということでは、清水義範『バードケージ』を思い出す…かな。浪人生が意識不明ということでは、庄司薫『ぼくの大好きな青髭』を思い出す。浪人生が冒頭で死亡する、あるいはすでに死亡している小説は多いと思うし(例えば予備校生の兄であれば、辻真先「村でいちばんの首吊りの木」)、浪人生が失踪している小説も読んだことがあるけれど(矢口敦子『家族の行方』)、死亡でも失踪でも意識不明でもだいたい同じというか。出来てしまった“空白”をほかの人が埋めていく話になったりする。
林真理子 「二人の部屋」
2009年5月14日 読書
『Hayashi Mariko Collection 2 東京』(ポプラ文庫、2008)所収、4篇中の1篇目。20ページもない長さの短めの短篇。本の後ろのほうを見ると、この1篇の<出典>は、<「東京胸キュン物語」角川文庫>であるらしい。どこらへんが胸キュンなのか私にはさっぱりわからないけれど、最後まで読んでちょっと考えさせられたというか、文体はともかく(“小説”としては微妙だと思うけれど)内容的に小中学校の国語の教科書に載っていそうな話だな、と思ったです。ちょっと道徳的というか。
小説でも現実でもありがちな話だと思うけれど、お父さんが娘に対して厳しい。息子ではなく娘だからということで“地元縛り”、しかも経済的に(お父さんは<材木工場で帳簿づけをしている>)“国立大学縛り”、そして理由はわからないけれど(田舎で世間体があるとか?)“浪人禁止”。<運命>という言葉は大袈裟だと思うけれど、頭がよくて、東京に出たいと思っていた「私」は、しぶしぶ地元の国立大学を受けて、まったくの予想外で落ちてしまい(お父さんはダンボールの製造所の経理の仕事を見つけてくるし)、東京へ行くだけでもたいへん。
“苦学”というと、やっぱりまず、新聞配達というイメージ?
<最初私は、新聞配達をしながら受験勉強をしようと思いたった。それで問い合わせの手紙を新聞社に出したりしたのだが、また親に反対された。たくさんの男の子たちと一緒に住み込むなど、とんでもないと言うのだ。/しかし私は、東京に行きさえすれば何とかなると思った。たくさんのアルバイトの種類があって、結構なお金がもらえるというではないか。>(p.13)
と「私」(村上広美)は語っている。女の子は大変だな…、住み込みの販売店では、飢えた狼の群れ(?)に1匹の羊を放つような感じになってしまうのか。たいていの人が同じ忠告をすると思うけれど、<東京に行きさえすれば何とかなる>という無計画な考えはぜったいにやめたほうがいいよね。東京ではなくてニューヨークとかでも同じかもしれないけれど、受験生であれば、進学も、ちゃんとした就職もできず、フリーター街道まっしぐら、みたいなことになってしまいそう。女の子ならだんだんと水商売に足を踏み入れていったり、とか(それが天職だとわかればそれはそれでいいと思うけれど)。でも、この人の場合、そういうことにはならず、運がいいのか、相談した東京にいる親友が、住むところ(自分が暮らす青山のマンション)と仕事(父親の会社の東京出張所)を一挙に提供してくれる。
時代がよくわからないのだけれど、1980年代?(親友の趣味が3、4年くらい前にはトシちゃんやマッチ、いまはアルフィーや井上陽水)。<私はもちろん東京の大学に行きたかったが(略)>(p.12)。こういうところの「もちろん」をもう少し展開してほしいと思う。時代的な要因――たいていの人が東京に憧れているのかもしれないけれど。でも、東京への憧れがあって上京できても、きらびやかな東京では、自分は何も持たない1人の女の子、というか。ちょっとした嘘を付いてしまうのもしかたがない? 「私」は、同じ歳の幼なじみで親友の雅子(井上雅子、私立高校からエスカレーターで大学生)の暮らしている青山のマンション(親の持ち物)に同居することになるのだけれど、予備校のクラスメイトに青山に住んでいるの? と聞かれて、ちょっと見栄をはって、そこが自分の父親のマンションだと答えてしまう。その嘘の顛末も含めてちょっと既視感がある感じの話だけれど。そう、最後まで読んで、こんな主人公に優しい親友っているのかな、とは思ったです(うーん…)。
あと、“浪人生小説”としては、こんなところが涙できるかもしれない(?)。
<十一時頃、予備校から帰る私は少しよろよろしている。毎晩深夜まで勉強しているので、睡眠不足がたたっているのだ。/マンションのドアを開けると、笑い声がどっと押し寄せてきた。雅子の友人が三人、パジャマ姿でワインを飲んでいる。>(p.21)
造り酒屋の娘がワイン……それは別にいいか(汗)。「深夜」というのは何時くらい? 3時くらいであるとしても、4時間しか勉強ができないのか。仕事が何時から何時まであって、<夜間の予備校>(予備校の夜間コース?)は何時から始まるのかな?(書かれていない)。そう、この人が通っている予備校には、働いている苦学生は少なくて、いわゆる仮面浪人(大学再受験の人)が多いらしい。ちょっと意外。昼間は大学に通って、夜は大学受験予備校に通っているのか。どのみち受かったら通っていた大学は辞めてしまうんでしょう? これは意味があるのかな。あ、来年受からなかったらもう諦める、その場合の保険、みたいな人もいるか。
話が前後してしまうけれど、小説の冒頭は、<ついこのあいだのことだと思っていたのに、考えてみると、もう一年以上たつ。>(p.11)と始まっている。最後まで読んでもこれを受けている箇所がない。つまり、「私」が現在どうしているのか(大学に合格できたかどうか、どこに住んでいるか)が書かれていない。
“上京苦学女子浪人生”が出てくる小説ってほかに何かあったっけ? ――思い出せないな、過去に読んだ小説の中にはないような…。今回初めて読んだかもしれない。
小説でも現実でもありがちな話だと思うけれど、お父さんが娘に対して厳しい。息子ではなく娘だからということで“地元縛り”、しかも経済的に(お父さんは<材木工場で帳簿づけをしている>)“国立大学縛り”、そして理由はわからないけれど(田舎で世間体があるとか?)“浪人禁止”。<運命>という言葉は大袈裟だと思うけれど、頭がよくて、東京に出たいと思っていた「私」は、しぶしぶ地元の国立大学を受けて、まったくの予想外で落ちてしまい(お父さんはダンボールの製造所の経理の仕事を見つけてくるし)、東京へ行くだけでもたいへん。
“苦学”というと、やっぱりまず、新聞配達というイメージ?
<最初私は、新聞配達をしながら受験勉強をしようと思いたった。それで問い合わせの手紙を新聞社に出したりしたのだが、また親に反対された。たくさんの男の子たちと一緒に住み込むなど、とんでもないと言うのだ。/しかし私は、東京に行きさえすれば何とかなると思った。たくさんのアルバイトの種類があって、結構なお金がもらえるというではないか。>(p.13)
と「私」(村上広美)は語っている。女の子は大変だな…、住み込みの販売店では、飢えた狼の群れ(?)に1匹の羊を放つような感じになってしまうのか。たいていの人が同じ忠告をすると思うけれど、<東京に行きさえすれば何とかなる>という無計画な考えはぜったいにやめたほうがいいよね。東京ではなくてニューヨークとかでも同じかもしれないけれど、受験生であれば、進学も、ちゃんとした就職もできず、フリーター街道まっしぐら、みたいなことになってしまいそう。女の子ならだんだんと水商売に足を踏み入れていったり、とか(それが天職だとわかればそれはそれでいいと思うけれど)。でも、この人の場合、そういうことにはならず、運がいいのか、相談した東京にいる親友が、住むところ(自分が暮らす青山のマンション)と仕事(父親の会社の東京出張所)を一挙に提供してくれる。
時代がよくわからないのだけれど、1980年代?(親友の趣味が3、4年くらい前にはトシちゃんやマッチ、いまはアルフィーや井上陽水)。<私はもちろん東京の大学に行きたかったが(略)>(p.12)。こういうところの「もちろん」をもう少し展開してほしいと思う。時代的な要因――たいていの人が東京に憧れているのかもしれないけれど。でも、東京への憧れがあって上京できても、きらびやかな東京では、自分は何も持たない1人の女の子、というか。ちょっとした嘘を付いてしまうのもしかたがない? 「私」は、同じ歳の幼なじみで親友の雅子(井上雅子、私立高校からエスカレーターで大学生)の暮らしている青山のマンション(親の持ち物)に同居することになるのだけれど、予備校のクラスメイトに青山に住んでいるの? と聞かれて、ちょっと見栄をはって、そこが自分の父親のマンションだと答えてしまう。その嘘の顛末も含めてちょっと既視感がある感じの話だけれど。そう、最後まで読んで、こんな主人公に優しい親友っているのかな、とは思ったです(うーん…)。
あと、“浪人生小説”としては、こんなところが涙できるかもしれない(?)。
<十一時頃、予備校から帰る私は少しよろよろしている。毎晩深夜まで勉強しているので、睡眠不足がたたっているのだ。/マンションのドアを開けると、笑い声がどっと押し寄せてきた。雅子の友人が三人、パジャマ姿でワインを飲んでいる。>(p.21)
造り酒屋の娘がワイン……それは別にいいか(汗)。「深夜」というのは何時くらい? 3時くらいであるとしても、4時間しか勉強ができないのか。仕事が何時から何時まであって、<夜間の予備校>(予備校の夜間コース?)は何時から始まるのかな?(書かれていない)。そう、この人が通っている予備校には、働いている苦学生は少なくて、いわゆる仮面浪人(大学再受験の人)が多いらしい。ちょっと意外。昼間は大学に通って、夜は大学受験予備校に通っているのか。どのみち受かったら通っていた大学は辞めてしまうんでしょう? これは意味があるのかな。あ、来年受からなかったらもう諦める、その場合の保険、みたいな人もいるか。
話が前後してしまうけれど、小説の冒頭は、<ついこのあいだのことだと思っていたのに、考えてみると、もう一年以上たつ。>(p.11)と始まっている。最後まで読んでもこれを受けている箇所がない。つまり、「私」が現在どうしているのか(大学に合格できたかどうか、どこに住んでいるか)が書かれていない。
“上京苦学女子浪人生”が出てくる小説ってほかに何かあったっけ? ――思い出せないな、過去に読んだ小説の中にはないような…。今回初めて読んだかもしれない。
いつだったか、ブック○フで読書雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)のバックナンバーを何冊か売っていたので、とりあえず5冊だけ買っておいたのだけれど(このブログ用というか、浪人生が出てくる小説を探すためです)、そのなかの1冊、2003年10月号(表紙は妻夫木聡)に作家の竹内真が音楽にまつわるエッセイを書いていて(「グッドバイから始めよう」、p.197)、それを読むとこの人は、やっぱり浪人(1年)していて予備校の寮に入っていたらしいです(予備校は東京で、寮は埼玉にあるらしい)。あ、「やっぱり」というのは以前、予備校の寮(東京)が舞台になっている小説『風に桜の舞う道で』を読んだことがあるから。エンタメ系の小説なので、本人の体験はあまり書かれていないかもしれないけれど、それはそれとして。逆に(?)小説家の書くエッセイは小説っぽいというか、このエッセイも(こういうと語弊があるかもしれないけれど)よくできているな、と思う。最初のほうは、浪人が決定した日、夜の東京をさまよい歩いた、カセットで買った渡辺美里をウォークマンで聴きながら、みたいな話。(こういうエッセイを自分も書けないかな…。この文章力では無理か(涙)。)
そう、この前読んだのだけれど、辻仁成「都会の歩き方」(『そこに君がいた』新潮文庫、2002)も、内容的に、それとちょっと似ている話。なれていない満員電車に乗ったせいで試験中に具合が悪くなって試験が受けられなくなる。<受験に破れたのではなく、東京という街にやぶれたような気がして仕方なかった。>(p.171)――なんか、新井素子の小説『ハッピー・バースディ』みたいだけれど、それはともかく。そのあと体調が回復するのを待って、<都会の正体を見極めてや>(同頁)るために、東京の街を歩いている。
そう、この前読んだのだけれど、辻仁成「都会の歩き方」(『そこに君がいた』新潮文庫、2002)も、内容的に、それとちょっと似ている話。なれていない満員電車に乗ったせいで試験中に具合が悪くなって試験が受けられなくなる。<受験に破れたのではなく、東京という街にやぶれたような気がして仕方なかった。>(p.171)――なんか、新井素子の小説『ハッピー・バースディ』みたいだけれど、それはともかく。そのあと体調が回復するのを待って、<都会の正体を見極めてや>(同頁)るために、東京の街を歩いている。
南木佳士 「上田医師の青き時代」
2009年5月13日 読書
南木佳士の小説を取りあげるのはこれで3度目。エッセイ集『医者という仕事』(朝日新聞社、1995/朝日文芸文庫、1997)の最後に掌篇小説・短篇小説があわせて3篇収録されていて、これはそのうちの最後のもの。長さ的に掌篇ではなくて、短篇かな、手もとの文庫本で36ページある。いちおう3人称で書かれている小説で、よく知らないけれど、「上田」というのは作者の本名をもじったものみたいです。
大学を卒業してから17年勤めた信州の病院をやめるにさいして、昔のことをあれこれ思い出している上田医師、42歳。特に病院に勤め始めた頃のこと(研修医時代のこと)が思い出されているのだけれど、ここで触れておきたいのは、あまり書かれていないけれど、いつものように浪人生がらみの話。3人の女性が出てくるのだけれど、そのうちの1人が(小学校ではなく)予備校のときに知り合った美智子(『ダイヤモンドダスト』所収「冬への順応」では「千絵子」、『冬物語』所収「ウサギ」では「清子」だったけれど、この小説では「美智子」)。数千人の生徒がいるのに(本当にそんなにいたのかな?)模擬テストの総合成績順で決まる席が、2学期も1学期と同じく上田の前だったことから親しく話すようになり、予備校の帰りに御茶ノ水の駅まで一緒に歩くようになったり。で、その子の言葉を励みにしてかなり勉強したらしいのだけれど、受験には失敗。彼女のほうは希望どおり東大の理科一類に。具体的には――「冬への順応」などと違って大学の名前も具体的に書かれているのだけれど、上田は予備校の進路相談で滑り込めると言われた東大の医学部から(美智子と交際を続けたいのと、でも、父親と継母と暮らしている家から離れたいのと、あと、2浪はしたくないのとで)1ランク下げて千葉大の医学部を受験。でも、そこには落ちて秋田大の医学部に入学する。
<秋田と東京。二人の仲は万有引力の法則にのっとって、距離の二乗に比例して離れていった。>(p.186)
大学で天文学を専攻したいと美智子さんが言っていたからかもしれないけれど、↑これを最初に読んだときに比喩の意味がよくわからなかった。「万有引力の法則」ってどんなのだっけ?(常識ですか?)。あ、でも、文脈的に、距離が大きくなるほど引き合う力が弱くなるというか、ある程度離れてしまうと引き合わなくなる、みたいな感じか(←なんとなくあっている?)。
そう、「コンプレックス」という言葉が使われていて(p.186)思い出したけれど、以前読んだ何かの本に「二期校コンプレックス」という言葉が使われていて。「東大コンプレックス」という言葉(cf.井上ひさし『花石物語』)に合わせるなら「一期校コンプレックス」と言ったほうがいいかもしれないけれど、それはそれとして。どれくらい一般的に使われている(いた)言葉なのかな? 二期校に入れば(当たり前だけれど)周りもみんな二期校の学生なのだから、ふつう周囲に対して劣等感を感じることはないわけだね。あ、自分(だけ)はこいつらと違う、みたいな思い(間違った優越感?)はあるかもしれないけれど。
病院に勤め始めて1ヶ月くらいのとき、美智子(都立高校の物理教師)から電話がかかってくる。<「結婚しようかと思って。ただ、どうしてもあなたのことが胸のどこかにひっかかってるもんだから、一度会っておこうと思ったの」>(p.188)。経験がないのでわからないけれど、こういう女性って多いのかな? この小説、男性の願望が入っていそうな気もちょっとするけれど。独身寮の部屋に出入りして上田の世話を焼いてくれる歳上の看護婦が出てくるのだけれど、こんなような女性も、いそうといえばいそうだし、いなそうといえばいなそうだし…。私にはよくわからんです。でも、この看護婦さん(詳しいことは読んでください)は結局、かわいそうだな、と思う。浅い感想で申し訳ないけれど(汗)。
大学を卒業してから17年勤めた信州の病院をやめるにさいして、昔のことをあれこれ思い出している上田医師、42歳。特に病院に勤め始めた頃のこと(研修医時代のこと)が思い出されているのだけれど、ここで触れておきたいのは、あまり書かれていないけれど、いつものように浪人生がらみの話。3人の女性が出てくるのだけれど、そのうちの1人が(小学校ではなく)予備校のときに知り合った美智子(『ダイヤモンドダスト』所収「冬への順応」では「千絵子」、『冬物語』所収「ウサギ」では「清子」だったけれど、この小説では「美智子」)。数千人の生徒がいるのに(本当にそんなにいたのかな?)模擬テストの総合成績順で決まる席が、2学期も1学期と同じく上田の前だったことから親しく話すようになり、予備校の帰りに御茶ノ水の駅まで一緒に歩くようになったり。で、その子の言葉を励みにしてかなり勉強したらしいのだけれど、受験には失敗。彼女のほうは希望どおり東大の理科一類に。具体的には――「冬への順応」などと違って大学の名前も具体的に書かれているのだけれど、上田は予備校の進路相談で滑り込めると言われた東大の医学部から(美智子と交際を続けたいのと、でも、父親と継母と暮らしている家から離れたいのと、あと、2浪はしたくないのとで)1ランク下げて千葉大の医学部を受験。でも、そこには落ちて秋田大の医学部に入学する。
<秋田と東京。二人の仲は万有引力の法則にのっとって、距離の二乗に比例して離れていった。>(p.186)
大学で天文学を専攻したいと美智子さんが言っていたからかもしれないけれど、↑これを最初に読んだときに比喩の意味がよくわからなかった。「万有引力の法則」ってどんなのだっけ?(常識ですか?)。あ、でも、文脈的に、距離が大きくなるほど引き合う力が弱くなるというか、ある程度離れてしまうと引き合わなくなる、みたいな感じか(←なんとなくあっている?)。
そう、「コンプレックス」という言葉が使われていて(p.186)思い出したけれど、以前読んだ何かの本に「二期校コンプレックス」という言葉が使われていて。「東大コンプレックス」という言葉(cf.井上ひさし『花石物語』)に合わせるなら「一期校コンプレックス」と言ったほうがいいかもしれないけれど、それはそれとして。どれくらい一般的に使われている(いた)言葉なのかな? 二期校に入れば(当たり前だけれど)周りもみんな二期校の学生なのだから、ふつう周囲に対して劣等感を感じることはないわけだね。あ、自分(だけ)はこいつらと違う、みたいな思い(間違った優越感?)はあるかもしれないけれど。
病院に勤め始めて1ヶ月くらいのとき、美智子(都立高校の物理教師)から電話がかかってくる。<「結婚しようかと思って。ただ、どうしてもあなたのことが胸のどこかにひっかかってるもんだから、一度会っておこうと思ったの」>(p.188)。経験がないのでわからないけれど、こういう女性って多いのかな? この小説、男性の願望が入っていそうな気もちょっとするけれど。独身寮の部屋に出入りして上田の世話を焼いてくれる歳上の看護婦が出てくるのだけれど、こんなような女性も、いそうといえばいそうだし、いなそうといえばいなそうだし…。私にはよくわからんです。でも、この看護婦さん(詳しいことは読んでください)は結局、かわいそうだな、と思う。浅い感想で申し訳ないけれど(汗)。