同名TVドラマのノベライゼーション。文庫化されているのかな、とりあえずいま手もとにあるのは単行本です(ソニー・マガジンズ、2000)。「シナリオ」と「脚本」ってまったく同じ意味? わからないけれど、「脚本」は遊川和彦で、「シナリオ」をもとに小説化されたものらしい。この前(もうけっこう前かな)ドラマが平日の午前中に再放送されていて(あ、関東ローカルかも)その期間、たまたま古本屋に行ったら売っていたので、思わず購入してしまう(汗)。で、文章の駄目さ加減についてはご覧のとおり、人のことがぜんぜん言えないけれども、この本、たぶんノベライズド本としては最低の出来だと思う(逆にびっくりする)。とりあえず、お父さんの心理を地の文で説明するのはやめて欲しいな(小説の書き方本によく「説明ではなく描写を!」みたいなことが書かれているでしょ?)。

神崎家は、父、母、長女、次女、長男の5人家族。お父さん(=完一、TVドラマでは田村正和)は、病院(「神崎医院」)を開いている“町医者”。末っ子の正(ドラマではV6の岡田くん)も父親のあとを継ごうと、最初は医学部を目指して予備校に通っている浪人生……なのだけれど(というか古典的な設定=ベタだよね)、「5」(全11話中の第5話)ではついにお父さんとぶつかっている。――少し引用しておきたい(ご存じの方は田村正和、岡田准一の声でお読みください)。

 <「じゃ、どうする気だ? 医者になりたくないって、おまえ、ほかになにかやりたいことがあるのか」/「その質問に答えられないから、いままでズルズル予備校通って医学部入ろうとしてたけど、このままだと一生後悔することになると思うんだよ。俺、頭悪いから、時間かかるかもしれないけど、自分が本当になにをやりたいのかを見つけたいんだ。(略)」>(p.121)

その後、正くんはアルバイトをしながら“本当にやりたいこと探し”に。
 
TVドラマ(というか某有名番組)を担当の脚本家がノベライズした本、『ポプラ社版・NHK中学生日記30・恋のピエロ コンプレックス』(ポプラ社、1995。「コンプレックス」は副題)、3篇収録されているうちの最後のもの。いま手もとにあるのは図書館(の児童書のコーナー)から借りてきた本。絶版・品切れになっているらしく(本屋で注文したらないです、と言われた)、ブックオフなどで探しても見つからず。なんていうか、意外とオチがちゃんとあってふつうに面白かった、かな。思っていたよりも明るい話だったし、その点も個人的にはいいなと思ったです。あ、この1篇の、もともとのTVドラマ(1992年10月放送らしい)は、私は見たことがないです。(そもそも『中学生日記』って昔からあまり好きではなくて、いままでに5回も見たことがないと思う。)

舞台は名古屋市。主人公の橋本将昭は中学3年生、元サッカー部主将で夢はJリーガー。家族には両親と妹(紀夫、幸子、小学生の恵)がいる。そんな家に9月、浪人3年目のいとこ(母親の姉の息子の)大岩克仁が、同居するためにやってくる。東大医学部志望から偏差値をさげて名大医学部志望に変えて…みたいな理由かららしい。広くない家なので、寝起きや勉強は将昭の部屋に。ネタバレしてしまうけれど、お母さんには、勉強をする気のない中学3年の息子(受験生)の勉強をこの浪人生に見てもらおう、という思わくもあったらしい。一方、学校でも問題が発生というか、同じ高校に入ってサッカーをやろうと誓っていた仲間たち(4人組)が高校受験を前にばらばらに…。要するに悩める中学3年生という感じ? 主人公のキャラクターがけっこう好感がもてる。健康的というか、明るくてまっすぐな性格。

“浪人生小説”(浪人生が出てくる小説、くらいの意味)としてはどうなのかな? ネタバレしてしまうけれど、克仁くんは実は「鉄道オタク」で、夢は電車の運転手になることだということがわかる(主人公にそう語っている)。ほんと、勉強をがんばって大学に合格してくれる浪人生が出てくるふつうの(?)小説って、なかなかないよなぁ(涙)。そう、関係ないけれど、「Jリーグの選手(プロのサッカー選手)」とか「鉄道オタク」とかはいまでもわりと今風(?)かもしれないけれど、「O社の全国模試」(p.109)ってちょっと時代を感じてしまうかな、個人的には。旺文社が模擬試験から撤退したのっていつだっけ? ニュース(新聞だけかな)にもなったよね。作者は……1948年生まれか(ちょっと納得)。あと、「マーチ大学」(p.144)という言葉も使われている。中学生が読むとしたら少し説明が必要であるような。――引用させてもらえば、

 <「ぼくが名古屋にきたのは、名大の医学部じゃなくて、私立の城北大学に入ろうって決心したからなんだ」/「城北大学? でも、あそこは……」/「東大や名大にくらべりゃマーチ大学かもしれないよ。でも、工学部には鉄道機械科があって、全国からほんものの鉄道好きが集まってくる」/(略)>(p.144)

「マーチ大学」という1つの大学があるように読める? というか、私もよく知らないのだけれど、えーと…(間違えそうだな…)、MARCHのMは、明治のM。Aは何? あ、青山学院か。Rは……だめだ、めんどくさっ(涙)。書き忘れていたけれど、少なくとも小説ではお約束な設定、克仁くんの家は医者の家系らしい。
 
集英社コバルト文庫、1982。この作者の少女向け小説は今回初めて読んだ。四半世紀以上も前のコバルト文庫、古いといえば古いのだけれど、なんとなく予想していたよりは、ずっと面白く読めたです。文章もしっかりしていて安定感があるし、登場人物たちもわりと生き生きと描かれているし。でも、内容が(古いだけでなく)ちょっと表面的な感じがして、なんていうか読み終わっても、何かちょっと読み足りていないような気分に。これで終わりなのか、みたいな。“1人称オレ小説”のせいか、文章量に比して内容(量)が少ないからかな。ま、例によって私の感度が鈍いだけかもしれないけれど。

 <オレ、高校一年生。名前はしひろ。仲間の太郎とサム、この三人の頭文字を合わせてYMO[イモ]トリオって呼ばれてる。ある日突然、ふってわいた恐怖の借金50万円!! 事件はここからはじまった!! 金欠病に恋の病と、ヒトなみに青春の症候群[シンドローム]をしょいこんじまって、てんてこまいのシンドさだ。甲子園を目指しているよーな、熱血根性はガラじゃない。でもオレたち、ちからいっぱいビョーキしてんだぜ!!>(カバー折り返しより。太字は原文傍点、[括弧]はルビ)

語り手の「オレ」(榊原祥宏)、英会話の教材を買わされてしまった巨漢の黒川松太郎、美男子で成績優秀な本堂理の仲良し3人組は、松太郎の借金(ローン)を返すためにビルの清掃のアルバイトを始める。――“少女小説”だけでなく“少年小説”にもなっている感じかな。

「オレ」の姉の柊子(しゅうこ)が浪人生。このお姉ちゃんが最初に登場してくる場面が個人的には、う~ん…な感じなのだけれど(バスタオル姿で冗談とはいえ弟を誘惑している……なんだろう、少女漫画っぽいのとも違うような)、それはともかく、主人公が男子高校生でお姉ちゃんが浪人生、というケースは、小説では極めて珍しいと思う(珍しいというか、今回初めて読んだかな、過去ログを読み返してみないとわからないけれど)。でも、例によって女の子が浪人生の場合には、フォローがあるわけで、このお姉ちゃんというかこの柊子さんは、高校時代、開校以来ゆびおりの才女、であったらしい。そのせいで弟の「オレ」(姉と同じ「峯山高校」に通っている、勉強はできない)は、教師たちからその姉と比較されてしまっている。ではそんな才女がなぜ浪人中なのか(大学に落ちているのか)といえば、これも小説的、社会的なフォロー(女・子どもには優しくね?)という感じがしなくもないけれど、生理痛の薬を飲みすぎて試験中に寝てしまったから、らしい(同じコバルト文庫、薬といえば、男子浪人生だけれど、氷室冴子『雑居時代』にもちょっと似ている)。たんなる設定という感じだけれど、中学生の家庭教師を3件しているらしい。予備校には通っていないっぽいけれど、通信添削はしているらしい。

でも、個人的にはがっかりというか、小説ではありがちなことだけれど(※以下だいぶネタバレしてしまうけれど)、受験勉強なんてどうでもよくなってしまう。ティーン向けの雑誌(『ヤング・スペース』文々社)で送った小説のショートショートが入選して(8月号)、なんだかんだで作家デビューという方向に。どうでもいいけれど、その小説のタイトルがちょっと面白いかな。――『痴漢ひきうけ株式会社』。この本が出版されたとき(1982年)くらいだと、子ども向け小説(?)『宿題ひきうけ株式会社』(古田足日)ってまだけっこう読まれていたのかな?(講談社文庫だっけ)。というか、いまでもけっこう読まれていたらすみません(汗)。

(話が戻るけれど、以前ラジオを聴いていたら、夕方の情報番組の中だったっけな、産婦人科の先生が受験生向けに生理日のずらし方について喋っていて。私は女性でも受験生でもないので聞き流してしまったけれど、受験生で何か自分の体のことで不安に思っていることがある人は、お医者さんに相談してみるのもいいかもしれないね。←なんかふつうの意見ですみません(汗)。)
 
なんていうか各篇“色”にまつわっている短篇集『ライトグレーの部屋』(コバルト文庫、1990)に収録されている1篇(6篇中の4篇目)。いま手もとにあるのは図書館本。初出は本の後ろのほうによれば、<’89年『COBALT』冬号>とのこと。全体的な感想というかは、微妙といえば微妙なんだよな…、星2つくらいで。(星5つが満天の星空です。)※以下、いつものように、内容にまで踏み込んで書いていると思うので、ご注意ください。

翌日の大学受験のために上京した「ぼく」(上田幹彦・1浪)は、JRお茶の水の駅で赤い服を着た不思議な少女と出会う。翌日、試験で致命的な間違いをしたことがわかり、自殺まで考えながら街を彷徨していた「ぼく」、の前に再びその赤い服を着た少女が現れる――。宿泊するのがお茶の水の「Yホテル」って、作者がこの小説を「山の上ホテル」で書いていたら面白いけどね。それはともかく、「ぼく」が受験する(した)本命の私立大学は(ホテル近くのM大学などではなく)別の場所(別の駅)にあるとのこと。「Yホテル」にしたのは以前、その近くの予備校(まぁたいていの人はS台を思い浮かべるか)で模擬テストを受けた帰りに見かけて……みたいなことらしい(上京しなくても模擬テストなんてどこの地方都市でも受けられるのでは?)。試験後には新宿(大学があるのは新宿でもないらしいけれど)の雑踏を“漂っている”。(そう、試験の模範解答を試験会場(たいてい大学)の外で配っているのって、けっこう偏差値高めの有名な大学くらいだよね? どこの大学でもやっていることなのかな?)

あとがない試験に失敗した主人公を、赤い服を着た少女は「ユウミセ」というものに誘っている。――パターンでいえば、東京の(というか田舎暮らしの私がどうして東京について説明しなければならないんだか(涙))お茶の水とか水道橋とか神田とか、そのあたりは“過去”とつながっている、みたいな感じかな、この小説も。あ、違うか、あかね色の黄昏時――過去というより時間が流れていない感じ? でも、“浪人生小説”としては(浪人生とはいっても、試験前日から始まっている小説だけれど)行きたかった大学に合格できる見込みがほぼなくなって、悲愴感に溢れていたところを少女(「おにいちゃん」と呼ばれている……萌え?)が要するに慰めてくれるあたり、というのは……どうなのかな? (同じ状況に置かれたリアルな浪人生の前には、お化けのようなものだろうが、幻覚のようなものだろうが、ふつう現れませんから!(涙)。)

本人は東京の大学に進みたいけれど、親は地元の国公立大学を薦める。――これもパターンといえばパターンだけれど、実際、とても多いケースだと思う(自分も地方の三流国立大学卒なのでわかるけれど、特に女の子に多いような気がする。あ、私が文系だったからかな。男の子の場合なんて、親から「車/バイクを買ってやるから」みたいなことを言われて、納得させられちゃったりとか(汗))。それはともかく、「ぼく」の話。前年は本命の東京の私大と、親が進める地元の難しい大学の2つを受けて、両方とも落ちているらしい。で、今年は地元の国公立大学のレベルをさげることにして、予備校ではその大学(正確には公立大学らしい)のコースにも通っていたらしい。で、結局(ネタバレしてしまうけれど)、少女に「ユウミセ」に連れて行かれたあと(自殺などは思いとどまらせられたあと)、地元の公立大学を受けて合格してそこに通ったらしい。
 
ハヤカワ文庫からも出ているようだけれど、手もとにあるのは角川文庫(1981年)。本の後ろのほうを見ても、単行本については何も書かれていない。※以下、今回もネタバレ注意です、毎度すみません。

 <今年もまた大学受験に失敗し、沈んだ気持ちで入ったスナックで、良介は“女”のかすかな悲鳴を聞いてしまった。このことが、不思議な世界に迷い込むきっかけだった。/数日後、直径が5cmほどの金属の円筒が突然、彼に送られてきた。これが、なんとタイム・マシンだったのだ。/――そのマシンによって救い出された“女”は、遠い未来からやって来た時間監視局員で、ひな子と名乗った。そして、次に二人がテレポートしたのは幕末の京都。坂本竜馬暗殺の夜だった…。/奇妙な世界に巻き込まれた良介が活躍する長編青春SF。>(「ひな子」に傍点、表紙カバー折り返しより)

恐竜の時代や江戸時代に行ったり、人を助けたり、人などに襲われたり――アクションというか“動き”が多くてけっこう読ませられるし、なんとなく期待していたよりはずっと面白くてよかったです。ただ、飛火野耀『UFOと猫とゲームの規則』(1991)のあとに読んだせいか(たまたまそういう順番に読んでしまったのだけれど)ちょっと古い感じがしてしまう。あと、なんていうか、意外とセッ○ス&ヴァイオレンスかもしれない、この小説。しかもハードボイルド…ではなくて、なんていうか粗雑な感じ? 例えば“敵”と戦わなくてはいけないときに毎度、棒とか槍とかを振り回すだけ、しかもそれで相手を倒せている(!)こととか。主人公(ヒーローというか)はもうちょっと頭がよくてもいいのではないか、と思わなくもない。2浪のすえに大学に落ちばかりの主人公だから、そういう設定になっているのかな?(常識的に言って、学校の勉強と生きる知恵みたいなものは別では?)。ちなみに良介くんは、大学に落ちたあと3浪は許されず、家の金物屋(「小島藤作商店」)で父と兄に使われている。そう、上の内容紹介では、時間監視局員(の1人)が「ひな子」と書かれているけれど、本文中では「ヒナ子」という表記になっている。“女”としてはもう1人、時間密航者の「シャナ」が出てくる。もちろん(?)良介はどちらとも交わっている。

恐竜が闊歩している時代(空には翼竜が飛んでいる時代)に1人で置き去りにされたら、自分ならどうするかな、どうしようか…。良介みたいにトカゲは獲らないな、たぶん。とりあえず日本人としては(?)魚を獲ろうとは思うかな。獲ったどー! ってやつですね(違いますか)。というか、だから主人公の行動がぜんぜん参考にならない!(汗)。(いや、別にサバイバルのためのハウツー本ではないけれどさ。)

内容的にもなんていうか、知的なSFではないと思う、この小説。ちょっと考えると矛盾している箇所がたくさん出てきそう(めんどくさいから今回はあまり考えないようにしている(汗))。タイム・マシン(この小説ではポケットサイズ)自体がしょぼいのは、まぁしかたがないか。H.G.ウェルズにしてもドラえもんにしても、しょぼいといえばしょぼいし。原理やしくみもどうなっているのやらだし(涙)。

“浪人生小説”としての読みどころは(もう浪人生ではなくなってしまうけれど)冒頭の、とりあえず、落ちてしまった大学から家に帰る途中の場面、かな。というか、そこくらいしかないな。あ、全体的に(元)浪人生の暗いというか鬱屈した心理なども読みどころかもしれない。浪人がらみでは、あまり関係ないけれど、病気(だっけ)で実家に帰ってしまったらしい予備校のときの友達のアパートが出てくる(良介に利用されている)。そう、書き忘れていたけれど、良介の家があるのは、いちおう東京(もっと具体的に書かれていたっけな)。
 
角川スニーカー文庫、1991。文庫本だけれど、いま手もとにあるのは図書館で借りてきた本。これは当たりだったというか、けっこう面白かったです。※以下、いつものようにネタバレにはご注意ください。

 <僕は十八歳の予備校生だ。(だったと言った方がいいかもしれない)/ある晩、短い髪が金髪に光る少女、ミチルと出会った。その瞬間、僕の頭の奥深くで、カチリとかすかな音を立てて何かのスイッチが入ったようだった。/そのときは深く考えなかったのだが、これがそれから訪れることになる奇妙な世界への入り口だったのだ……。/独自のファンタジックワールドを紡ぐ著者の、書き下ろし長編!!>(表紙カバーの折り返しより)

明るいファンタジー小説ではないです。9月、「僕」は知り合ったミチルの家の庭で、ナカノ氏――ミチルの家を訪れた彼女と親しいおじさん――とともに自動車事故のようなもの(ちょっと違うか)に巻き込まれて、当初自分が誰かもわからない状態で、奇妙な別の世界に…。で、ある人物から頼みごとをされて(首都にいる病気の大統領に私のこの心臓を届けて欲しい、みたいなことを言われて)、途中でパーティを組んだりして(もとの世界で自殺しているらしいミキと一家心中をしているらしいゴトウさんとともに)その世界を旅することに。――その場所は地獄でも煉獄でもない、とのことだけれど、「僕」はいわば“地獄めぐり”のようなことをさせられている。途中、文字通り地獄にも落ちているし。

(だからというか、意外と梨木香歩の『裏庭』っぽいかもしれないな。あと、チェシャ猫のような猫が出てきたりとか、元の世界を夢に見たりとか、題名が思い出せないけれど、式貴士の何か短篇SF小説もばくぜんと思い出したりした。そういえば「オドラデク」ってなんだっけ? フランツ・カフカ……じゃなくて日本でいえば座敷わらしみたいなもの? あと、“僕小説”だからか、読んでいる間、村上春樹っぽいな、とは何度か思ったです。よくわからないけれど、実はこの作者=リアルなトビヒノ氏はけっこうすごい作家なのかな? うーん…。)

いつものように本題というか、思っていたより浪人がらみの話もあって、その部分はけっこう“浪人生小説”として読める。あ、ただ、最後に(ネタバレしてしまうけれど)「登場人物による「あとがき」」で、「僕」は<たぶん、大学へは行かない。>(p.270)と言っている。――プロフィール的なことも。「僕」(18歳、家族は両親と妹がいるらしい)は地方の高校を卒業して(「日本海ぞいの眠ったような町」から)上京、郊外の大きな団地で暮らす叔父さん(私大の助教授、専門は英文学でルイス・キャロル)夫婦のもとにやっかいになって、原宿の予備校に通っている(ということに小説の最初のほうではなっている)。浪人がらみのことではほかに、団地で2浪の受験生が小学生を殺して自殺している。……ちょっと伏線にもなっているのだけれど、やっぱりちょっと嫌な設定かな。縁起が悪いというか、私なら引っ越すか実家に帰ってしまうかも。予備校もあるし、そうもいかないか。

あと、「僕」は大学生になっている高校のときの同級生2人とお酒を飲んでいる。以前にも書いたけれど、浪人生がやってはいけない行為の筆頭に挙げられるのが、こうした大学生と遊ぶ、ということだよね、たぶん。あとでたいてい後悔することに(涙)。――そんな細かいことではなくてもっと大きなことで、何か書くべきことがあったような…。というか、もう1度ちゃんと読み直したいな、この本。図書館本ではなくて、手に入れたいのだけれど、ブッ○オフとかで探しても見つからないんだよね(涙)。
 
小学館、2005/小学館文庫、2007。手もとにある文庫本には表紙カバーが2枚も付いている(微妙…)。タイトルのせいか、読むのにちょっと抵抗があったけれど、読み始めてみたら中村航だったというか、これが中村航版の『セカチュー』(片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』)ということなんだろうか、よくわからないけれど。中村航(ほかに2冊しか読んだことがないけれど)って、やっぱり男の子受けしそうな小説という感じがする。そうでもない?(いいかげんなことを言っていると女性ファンに怒られるかな)。あと、やっぱり村上春樹っぽいところもあるよね、例えば<バイクの修理には牛丼がよく似合う>(p.26)みたいな言い方とか、謎の(?)<箱>とか。これも読む人の感じ方によるか。読んでいてリズムが心地いいし、頭の中のネジが1本外せれば、すごくはまれそうな気もするけれど、いまのところは淡々と読んでしまう、私の場合。もちろんまったく泣けていない。

 <実家で飼っていた愛犬・ブックが死にそうだ、という連絡を受けた僕は、彼女から「バイクで帰ってあげなよ」といわれる。ブックは、僕の2ストのバイクが吐き出すエンジン音が何より大好きだった。/四年近く乗っていなかったバイク。彼女と一緒にキャブレターを分解し、そこで、僕は彼女に「結婚しよう」と告げる。彼女は、一年間(結婚の)練習をしよう、といってくれた。愛犬も一命を取り留めた。ブックの回復→バイク修理→プロポーズ。幸せの連続線はどこまでも続くんだ、と思っていた。ずっとずっと続くんだと思っていた――。>(カバー背より)

全文を引用しなくてもよかったか。それはともかく。ブックは「僕」が大学浪人中の春に、図書館の駐輪場の脇に(たぶん)捨てられていて、家に連れて帰って飼い始めた(当時は)幼犬。「僕」はブックと浪人生活の1年間を一緒に過ごしている。「僕」が勉強しているときには、同じ部屋(陽のあたらない2階の部屋)でブックは寝ていて、散歩の代わりにバイクで一緒に河原(揖斐川、実家は岐阜県)に行ったり、している。小説といえば小説、石黒謙吾「裏口にいた犬」(『犬がいたから』)のように犬が話し相手になっているわけではなくて、えーと…、遊び相手という感じ?(あいかわらずのボキャ貧だな、自分(汗))。とりあえず大学に合格できた理由の何割かは、そのブックにあるのかもしれない。そう、以前にもこのブログで、この小説について触れてちらっと書いたような気がするけれど、受験雑誌(たぶん)の『大学への数学』が出てくる。

前半も、読んでいて犬の容態が心配な小説だけれど、後半はもっとねぇ…。ネタバレするからあまり書かないほうがいいか。ちなみに作者じしんは浪人していそうで(?)浪人していない。大学(芝浦工大)では1年留年しているようだけれど。あと塾講師の経験もあるようだ。←参考文献:「中村航のリレキショ」(『野性時代』2008年12月号、角川書店)。
 
掌篇集『ハヅキさんのこと』(講談社、2006/講談社文庫、2009)所収。掌篇小説なのでとても短いです。手もとにあるのは文庫版で、本文はたったの7ページ。後ろの「初出一覧」によれば、この1篇のそれは、<「室内」二〇〇〇年八月号(「白熱灯に邪魔をされ――肝心な時に失敗ばかり」改題)」>(p.227)と書かれている。「肝心な時」といえば、最初に思いつくのはやっぱり大学受験、なのだろうか。マブチ青年――「わたし」の友人の貴夜子が勤める法律事務所で働く40歳近いいわゆる司法浪人生(司法試験浪人)――は、大学に入るのに4浪しているらしい。国立法学部志望から結局、私立文学部に変えて入学、大学3年のときから司法試験を受け始めて、現在に至るらしい。ま、模試では成績がいいのに(「ゴウカクカクジツ」が出ているのに)本番ではダメ、みたいな話は、小説ではお約束中のお約束というか。ただ、この小説では(すべては太陽が悪い、とかではなくて)すべては白熱灯のせい、みたいなことを本人が言っている…あたりがほかの小説とはちょっと違うかもしれない。

英語の「ジンクス(jinx)」は縁起の悪いものにしか使わない言葉らしいけれど、例えばなんだろうね、試験会場に行く途中で黒い猫が目の前を横切るとか?(何か漫画で描かれていそうだな)。そういえば、自分もなくはない、ジンクス。信じてもらえないかもしれないけれど(車を運転するようになってからはそれほどでもなくなったけれど、昔から)風が激しく吹いている日は外出すると運が悪いことが多くて…というか、やっぱり信じてもらえないよな(汗)。あと、そう、川上弘美にしてはつまらない下ネタがどこかにあったような…。これか、<両親の情熱の結果みたいな名前をつけられているにしては、貴夜子はそちらの方面はさっぱりであるらしい。>(p.149)。情熱? とりあえず、全国の「貴夜子」さん(あまりいないかな)には謝ったほうがよくないか。
 
手もとにあるのは、角川文庫(1974年)。単行本情報が書かれていないけれど、「解説」(八木義徳)の冒頭で、<原田康子の出世作『挽歌』につづく第二作目の長篇小説で、これは昭和三十三年一月から同年七月まで「週刊女性」に連載されたものである。>と、初出については書かれている(p.272)。昭和33年(1958年)の7月までということは、主人公が浪人生の小説、安岡章太郎の「青葉しげれる」が『中央公論』昭和33年10月号に掲載なので、それよりもちょっと前、ということになる。内容はひと言でいえば、“3姉妹恋愛もの”という感じの話で、末の娘(通子)が東大受験に失敗して東大を目指している予備校生。いまのところ、私が知っている女子浪人生(変な日本語だな…)が登場する小説のなかでは、この小説がもっとも古いもの。(探せばもっとあれこれ出てきそうだけれど……というか、何か知っている方がいらっしゃったら教えてください。)

で、感想はといえば、なんていうか、これも中学生くらいの人にお薦めな小説、かな…(感想じゃないな(汗))。昭和30年代産だからかなんなのか、主人公たちはそれぞれ悩んだりもしているけれど、それほど悲惨なことが起こるわけでもなく、いま読むと“ほのぼの恋愛小説”に思えてしまって。とりあえず(同じく“北海道小説”な三浦綾子とは違って)どろどろな昼ドラの原作にはあまり向いていないような。――カバーの折り返しのところに書かれている紹介文よりも、解説文中のそれのほうがちゃんとしているかな。

 <さて、この『輪唱』は内藤家の三姉妹を主人公として、釧路の町とその周辺の自然を背景とした小説である。長女の泉は不器用で内気な芸術家肌の娘、次女の麻子は開放的で気立ての明るい通信社勤めの娘、三女の通子は頭の働きの敏活な大学受験浪人と、それぞれの性格設定がなされた上で、泉と塩沢謙吾、麻子と西田晴夫、通子と江口二郎という三組の“愛”の形が描かれている。/しかし、(略)>(pp.271-2)

なぜか、地の文では男性たちはずっとフルネームで呼ばれているのだけれど、あともう1人、お父さん=内藤荘一郎、の過去の話もあったり(絡んできたり)もする。あ、家にはほかにお手伝いさんのきぬ(お婆さん)がいる。小説の始まりは10月……だったっけ、それくらい。通子と江口二郎は高校のクラスメートで、2人とも成績優秀というか、3年間、首席を争っていたらしいけれど、でも、2人とも東大を受けて不合格になって(小説の始まりの時点ではすでに)同じ予備校に通っている(一緒に帰ったりする仲)。ネタバレしてしまうけれど、最後のほう、2人とも東大に受かっている。そのへんも登場人物たちに対して作者が甘いのか、なんなのか。でも、精神的なショックがあったり、関係が変わったりもするけれど、10月くらいまでちゃんと(淡々と)勉強していたわけだから、まぁ、受かりそうな感じはする。

女の子受験生が理系(「理類」)志望というのも、特にこの時代(昭和30年代)としては珍しいかもしれない(そうでもない?)。通子は物理学を勉強したいらしい。ちなみに、お父さんは建築家(<土木建築業、内藤組の経営者>とのこと、p.6)。あ、江口くんのほうは、文類の志望。ほかに浪人がらみというか、大学受験がらみでは、また例の(古めの小説ではよく登場する?)「標札」の話もちらっと出てくる。通子の気持ちがその後、激変する(?)重要な場面かもしれないけれど、それはともかく。通子が姉・麻子の婚約者(になっている)西田晴夫と話している箇所、

 <「西田さんは試験前のオマジナイを信じますか」/とややたって通子は低くきいた。/「オマジナイ? よその家の標札を失敬すると合格できるって話ですか」/「はい」/「あいつは気休めだな」/「気休めだって、気が休まって受験できたらいいでしょう」/「そりゃ、そうだが」/(略)>(pp.197-8)

「気休め」がいいとか悪いとかではなく、人の家のものをとったらそれは泥棒でしょう?(汗)。ほかに“浪人生小説”としての読みどころは、大学(東京大学だけれど)に落ちたときの話や、受かったときの話など、かな。そう、最初のへんで、通子がモーツァルトを聴いている。<この柔らかな曲を聴いていると、解析や英文法の問題が詰め込まれた頭が、洗われたような気分になる。>(p.13)。――洗われちゃ駄目だろう、受験生(汗)。でも、勉強にはモーツァルトがいい、みたいな話をよく(それほどよくでもないか)聞くけれど、本当なのかな?

あ、書き忘れていたけれど、作中の時代は、たぶん同時代。安岡章太郎の「青葉しげれる」などとは違って(遠藤周作の『灯のうるむ頃』などと同じように)戦後になっている。戦後の浪人生。ちなみに作者は1928年(の早)生まれ。

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この前、壇ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮社、2004/新潮文庫、2006)という本を読んでいたら(文庫のほう)、「表札はどこへ行った?」という題のエッセイが載っていて(収録されていて)、お父さん、「壇一雄」表札も何度か盗まれているらしいです。エッセイの冒頭は、

 <表札が、受験生のお守りになるという「おまじない」は、どこへ行ってしまったのだろう。「いやぁ、表札を盗まれちゃってね」という話を、とんと聞かない。>(p.185)

と始まっている。著者によって推測されている理由はともかく(埋め込み式の表札が増えたとか)、とりあえず、<「いやぁ、表札を盗まれちゃってね」>という軽い物言いとか、鉤括弧が付いているけれど、この人も「おまじない」と言っていることとかが、個人的には注目に値するかと思う。
 
幻冬舎文庫、1997。200ページ弱のたいしたことのない小説なのに、読んでいてぜんぜん意味が頭に入ってこなくて。読み終わるのにだいぶ時間がかかってしまったです(涙)。読んだり読みやめたり、合計10時間以上も読んでいたような。少し具体的にいえば、小説の冒頭(Ⅰ.Melodyの出だし)は、

 <霧雨が銀の絹糸となって、セピア色のビスチェから出た肩を愛撫する。>(p.7)

という感じで、……これはよく言えば、詩的ナルシシスティック(自己陶酔的)というか? 要するに雨が強くなった、みたいなことでしょう、めんどくせえな(涙)。全体的に色彩を表す言葉や、宇宙規模(というか天体がらみ)のしょぼい比喩も多いです。※言い忘れていたけれど、今回もネタバレ注意です、すみません。

 <いつも見る、あの空を飛ぶ夢。そこで一緒に風をつかまえ、飛翔する「彼」は誰なんだろう。突然の自殺で恋人トモヤを喪った女子高生サキは、トモヤの<ほんとうの心>を探して、街を彷徨う。そして出会った、トモヤの生き写しのようなユウキ。ユウキこそ夢で見る「彼」なのか? 現在形の少女の切なさを描く待望の第三弾! 文庫書き下ろし。>(カバーより)

時間的なこと(年・月)に関しては矛盾する記述もある気がするけれど、…まぁしかたがないか、小説だから(涙)。現在予備校生の「あたし」(ナガセサキ)は、昨年すなわち高校3年生(1995年)の夏に、2年のときから付き合っていた同じ高校の同級生で恋人のトモヤ(タカミズトモヤ)が、自宅のマンションのベッドの上で自殺している、のを見つけてしまう。自殺した本当の動機を知るため、高校の同級生でトモヤの親友だった、いまは東大の医学部学生になっているミズホ(萩原瑞穂)と会って話したり、お墓参りに行ってそこでトモヤの母親(チエミ)に問い質してみたりする。そんなとき、ミズホからの急な電話で、大学病院の神経科に、通院しているらしいトモヤと瓜二つな人間――名前はユウキ(カゼシロユウキ)、高校生――が現われたことを知らされる。で、会いに行ったりするわけだけれど。一方、「あたし」には1回会うごとに10万円、という愛人契約をしているキシワダタカシという相手がいて(37歳、妻子ありのエリートサラリーマンとのこと)、そのキシワダさんへの電子メール(やや長め)が話の間に挟まれている、という形になっている小説。学生時代の恋人に似ていようがいまいが、たまに会うくらいの愛人としてだろうが、自分だったらこんなに“あたしあたしメール”を送ってくる人とは付き合わないな、たぶん。――それはそれとして。

でも、えーと…、特に感想もないよな(汗)。そう、この小説も語り手…というより小説的に作者の、ミズホくん――トモヤのことが好きだった(いまも好きな)ゲイで、クスリ漬けでジャンキー1歩手前から最後は本当に頭がおかしくなっている――に対する“愛”が足りていないような。ミズホ以下の脇役の人物たちに対しても、愛情が足りないような気がする。人はそれぞれ個人的な事情を抱えている、みたいなことが、あまり考慮されていない。(自分が世間的に脇役の脇役の脇役みたいな存在だから、否定されたくないために、この手の小説に対して毎度、そんなふうに思うのかな、わからないけれど。)

浪人生のプロフィール的なことも。書かれていないけれど、大学に落ちた理由は、恋人が自殺したことによる精神的なショックとか? 1人暮らしを始めているみたいだけれど、マンション(アパートだっけ?)の場所は? 予備校も、模擬試験を受けている場面がちょっとあるけれど、結局、あまり行っていない(行けていない?)。父親については少し書かれている(いまもかな、楽器メーカー勤務らしい)。だいたいの舞台は東京で、最後のほうは狂ったミズホからトモヤを守るために、トモヤと2人で南のほう(というか西のほう)に自動車で逃げている。たぶん無免許運転。あと、そう、ガソリンスタンドでアルバイトをしている。匂いが落ち着くらしい(シ○ナー替わりというわけではないよね?)。キシワダさんと月に2,3回会って20~30万円もらっているはずで、死んだ彼氏が好きだったもの(CDやら写真集やら小説やら)をあれこれと購入しても、毎月お金がだいぶ余っているかもしれない(どこが「貧乏浪人(生)」だよ?)。アルバイトといえば、あと、最初のへんで、キャバクラでバイトをしているらしい予備校の友達から電話がかかってきている。

少し繰り返しになるけれど、比喩などの詩的な表現や、ド○ッグとか愛人契約(要はセッ○ス&マネー)とか、そうしたちょっと抵抗感がある(私にはあるけれど)要素をとっぱらえば、かなりベタなストーリーしか残らない、この小説。いま『恋して悪魔(バンパイア)』というTVドラマが放送されているけれど(連続もの、フジテレビ系列・火曜日9時から)、加藤ローサ演じる高校教師は、高校時代に恋人が亡くなっていて、でも、生徒としてその(元)恋人とそっくりな男の子が現われる、みたいな話。このドラマでは現われるまでにけっこう年が経っているけれど、お話的にはほとんど同じ(でしょう?)。ドラマと小説の両方ともネタバレしてしまうけれど、瓜二つである理由は、小説はクローン人間落ちで、ドラマは吸血鬼落ち。あ、クローンというのは、トモヤもユウキも、トモヤの兄ということになっている、亡くなった赤ちゃんのクローン。吸血鬼のほうも説明がいる? 溺れて亡くなったと思っていたら、まだ呼吸があるうちに吸血鬼に首をかまれて、吸血鬼に。あ、“記憶喪失もの”にも似ているかな、亡くなっていたかと思ったら実は…、みたいな。(ちゃんと見たことがないけれど、何か韓国ドラマでもあったよね)。
 
『偶然の女』(ノン・ポシェット、1987)という文庫本に収録されているらしいけれど、ブック○フなどで探してみても見つからず。いま手もとにあるのは、図書館から借りてきた、山前譲編『さらに不安の闇へ 小説推理傑作選』(双葉社、1998)というソフトカバーの単行本。その8篇中の2篇目。初出というか掲載誌は、もちろん『小説推理』で、その昭和61年(1986年)7月とのこと。※以下ネタバレ注意です、毎度すみません。全体的な感想というかは、短篇小説なのにすごく伏線がはられていて、推理小説としてけっこう面白かったです。

『なんでも鑑定団』ならいくらの値段がつくのやら、とりあえず茶碗が砕ける。――茶会を開く予定の進藤早苗(化粧品会社の営業)は、美容院を経営している鵜飼(うがい)高子(金貸しもしているらしい)から借りていた萩焼(はぎやき)の茶碗を、こっそり飼っていた猫に割られてしまう。で、桐の箱に入れていったんは返却したそれを、高子の留守中に泥棒に見せかけて盗んで欲しい、と頼む相手が、大学受験に2度失敗しているらしい予備校生の浜村幹夫(20歳)。早苗のマンションの近くのアパートに下宿していて、レストランで顔をあわせるうちに(言葉を交わすようになり、同郷であることもわかって)親しくなったとのこと。で、なんだかんだで(?)その高子の部屋で彼女の死体が発見される。第一発見者というかは、妻とマンションの管理人をしている滝口孝一郎(70歳、奥さんは68歳)と、高子が雇っていたお手伝いの江間小夜子の2人。管理人の滝口が小説的には“探偵役”になっているというか、老人であるし元警察官でもあるので、事件を担当する松岡刑事からいろいろ話を聞くことができたり、といった感じ。

“浪人生小説”としては、よくある“浪人生が犯人かもしれない”もの、というか。ただ、この小説の場合、読者には浪人生(幹夫)は犯人ではないらしい、みたいなことがすでにわかっている(そこは推理小説、実は…、みたいな話があるかもしれないから、油断(?)はできないけれど)。でも、この小説も別に“浪人生”である必要はないかな。大学生でも専門学校生でもいいだろうし、社会人でもフリーターでもいいと思う。年齢的にも別に20歳でなければならない理由はないと思う。高校生でもいいかもしれない。あと、この小説も何浪なのか、が微妙にわからないな。というのは、事件が起こる(高子が殺された)のが、4月2日だから。幹夫くんは、今年(1月~3月くらい)の大学受験に失敗して2浪なのか、それとも早苗と知り合ったときにすでに2浪だったのか(すなわちいまは3浪なのか)がわからない。この前も書いたような気がするけれど、作中の月が3月、4月の場合、登場人物を漠然と“浪人生”には設定しないほうがいいと思う。より詳しい設定が必要になるから。

幹夫本人目線の箇所もある。――少し引用しておこうか。

 <入ろうかどうしようか、ためらった。窃盗という罪を犯すのだ。万一、捕まりでもすれば、進学の夢も消えるだろう。故郷で役人をしている父の顔に泥を塗り、母を嘆かせるに相違ない。/だが、早苗と約束をしてしまった。彼女のほうが三歳年上だけれど、抱き始めた感情は、もう恋といってもよさそうだ。>(p.87、下段)

ん? 微妙に古い感じがするな。「進学の夢」とか、お父さんが「役人」とか、お母さんを泣かせるとか、東京に出て立身出世…みたいな感じがするからかな。(ちなみに作者は1940年生まれ。)
 
双葉社、1993。図書館で借りてきた本。意外と読みやすくて面白かったです(※今回も以下、ネタバレ注意です、すみません)。この作者の小説は、短篇2篇以外は、その昔『神狩り』を読んだきりなのだけれど、“青春小説”が得意なのかな? この小説も、来月47歳になるお父さんが主人公なのに、青春小説っぽい。季節は夏だし(季節は関係ないか)、なんていうか、“青くさい”と思う。タイトルがらみのことでは、自分も男性なので、すべての男は獣、とか、どんな男性の中にも(女性にとって危険で、男性にも圧しきれない)“獣”がいる、などと言われると、瞬間的にちょっと抵抗を感じるけれど、でも、少し考えさせられる小説だったというか。大まかなストーリーは、裁判で無罪判決が出た息子が、本当に殺人事件の犯人ではなかったかを、お父さんが調べるような話。その前に息子が行方不明になり、同時に以前と類似の事件も起こって、息子の行方を探す、というような話、か。でも、“父-息子小説”というよりは、推理小説な感じかな(わからないけれど)。名前も書いておけば、お父さんは「工藤」(下の名前は…ちゃんと読み直さないと見つからないな)、息子は「芳雄」(苗字はもちろん工藤)。あと家族にはお母さんの「明子」がいる。

この小説も、年齢とか年(月)がヘンなところがある。裁判で重要な証言をしてくれた、高校で同じ部活(陸上部)だったという吉村徹は、芳雄の元同級生(同学年)だよね、2人の年齢というか学年というかが1年ずれている気がする。芳雄は事件当時、受験に2度失敗した(2浪の)予備校生(20歳)なのに、徹くんは大学3年生となっている(ずれていないように解釈もできるのかな? 私にはよくわからない)。そもそも、この小説も(過去の話であれ)大学受験生を登場させるのに3月(事件時点)とか4月(逮捕時点)とか、微妙な月が設定されていて、なんていうか、もう少しずらせばいいのにね。ほかにも、芳雄が逮捕された事件というは(爪が剥されて家に郵送されるという共通点のある)2件の婦女暴行殺害事件なのだけれど、その1人目の被害者は、当時16歳の女子高校生・牧村綾子。2人の誕生日が何月かわからないけれど、その綾子が16歳のときに芳雄くんが18歳のわけがないよね(cf.p.224)。綾子は殺害されたとき(3月の時点で)高校2年生ではなくて1年生だっけ?(これもちゃんと読み直さないと見つからないな(汗))。であれば、2歳違いというのは、なおさらおかしい。あと、どこかに息子が逮捕されてから2年近く(経っている)、と書かれていたと思うけれど(これもちゃんと読み直さないとどこだかわからないけれど)4月に逮捕されていて、いま季節が夏なのだから、2年“近く”というのはヘン。2年以上経っているはず。――疑い出すときりがないのだけれど、まぁ小説(フィクション)だから大目に見るしかないのかもしれない。

そんなことより、いつものように元浪人生のプロフィール的なことを書いておかないと。ただ、この人も、浪人2年目は、もう大学受験を諦めていたらしい。というか、3月中旬の時点でこの年は結局、どこの大学も受けなかったのかな? 友達には就職しようか迷っている、みたいなことも話していたらしい。そう、芳雄くんは大学受験だけでなく、高校受験にも失敗しているそうだ(浪人はしていないみたいだけれど、志望する高校に入れなかったらしい)。高校受験に失敗している人は、大学受験には慎重になるようなイメージがあるけれど、そんなこともないのかな? 受験に失敗した理由は、ありがちな感じだけれど、お父さんによれば、模試では合格ラインに達していたのに、気が小さくて本番に弱い、みたいなことらしい。父親がほったらかしで、母親が干渉的だった……というのもベタ(な設定)かな。ちなみに、家があるのは世田谷区。事件の1人目の被害者が見つかるのは、横浜…だっけ?

最後のほうに1箇所、引用したいところがあるけれど、ネタバレしすぎてしまって駄目か(涙)。そういえば、ある店の名前に使われている「アルカトラズ」ってどういう意味だっけ?(以前読んだ藤井青銅『アロワナ・ガール』という小説にも出てきていたと思うけれど、どこかに行ってしまって本が見つからないや(涙))。あ、なんとなく思い出した、地名だっけ。日本でいえば「網走」、『ハリー・ポッター』でいえば「アズカバン」、みたいな?
 
図書館から借りた本。三一書房、1990。19年前に出版された小説にしては、あまり古びていないと思う。この本も、書名でちょっと損をしているような?(なんていうか、売れなそう)。この作者、ホラー小説(というか角川ホラー文庫)や時代小説を書いているイメージがあったので、ちょっと心配していたのだけれど、思ったよりしっかりしている小説でよかったです。長さ・文体的に地の文と変わらないような会話部分があって、それは読んでいてちょっとめんどくさかったけれど。内容はひと言でいえば、“お受験もの”という感じかな、やっぱり。というか、“教育”全般について考えるための情報小説として、手もとに置いておきたいな、この本(例によってブックオフなどで探しても見つからず(涙))。教育に関する記述が、変に偏っていなくて、この手の小説(?)にしてはバランスがとてもいいような気が。読んでいて苛々しない。浪人生(大学受験浪人生)に薦められる小説か、といえば、浪人生が読んでもあまり得るところはないかな。「理想の教育とは?」みたいなことを考えている(考えなくてはいけない)教師志望の大学生が読むとよい、ような小説ではあるかもしれない(わからないけれど)。

3人称小説で途中で視点が交替したりするけれど、主人公と言えるのは、「国立学術大学」の教育学部国語科の助教授、小田島悠一(専門は近代文学)。前科長の岡倉教授(下の名前は道祐、中世文学)たちから押し付けられた科長として、教師志望である教え子たちの就職先を見つけるのに苦労したりしている。そんなとき、教え子の1人で「教職浪人」をしていた高梨(下の名前は圭、男子学生)は、ほかの先輩2人――予備校の講師・田辺一成と中学校教師の溝口秀昭――と一緒に塾を始めると言う。一方、悠一には、自身が勤める大学の付属中学校に通う今年中学3年になる娘、由加がいる。家族にはほかに、妻の奈美(元公立中学の音楽教師)、小学生の息子、冬樹がいる。大学の同じ学科には、……全員書いておくか。

  教授
   岡倉道祐(中世)
   朝比奈義則(上代)
  助教授
   佐中孜(近世)
   君川(中古) *下の名前が不明。
   小田島悠一(近代)  
  講師
   押味暎介(国語学)
  助手
   橋本剛(国語学)

言語学系が弱すぎ? それはともかく。学内で不遇な立場にある橋本助手のために、悠一が一肌脱ぐ、というような話もある。ただ、やっぱりメインのストーリー(というか)は、ネタバレしてしまうけれど、奥さんが娘の由加の付属高校進学のために文字通り一肌脱ぐ話というか、佐中助教授夫人(佐中葵)――息子が由加と同級生でPTAの役員をしたりしている――から紹介された美術教師(峠敏之)と云々、みたいなことに端を発する一家離散ばなし、かな。でも、“家族小説”として読むと、すごくベタな小説(になってしまう)かもしれない。内容をさらに書いてしまうけれど、奥さんが、動機は娘のためとはいえ、夫を裏切る浮気(のようなこと)をして、それが旦那の職場(での立場など)を危うくし、夫婦の会話を聞いてしまった娘は家出、奥さんは息子を連れて実家に、みたいな。(ある種の文科系学者を描いているという点では、筒井康隆『文学部唯野教授』や武谷牧子『英文科AトゥZ』などに、塾や予備校なども含めて広い意味での(公私を問わず)教育を描いているという点では、城山三郎『素直な戦士たち』『今日は再び来らず』や夏樹静子『遙かな坂』などに似ているかもしれない。『素直な~』は買ったまま未読、『遙かな坂』は上下巻で、上巻の半分くらいまでしか読んでいないけれど。)

学習塾がらみの話も多いけれど(娘が通っている「秀練塾」という学術大の卒業生が始めたという塾や、「能強ゼミ」や「J・P・S」という、大手チェーンの塾についての話など)、大学受験予備校についての話もけっこう出てくる。具体的に書いているときりがないというか、文字数が多くなりすぎてしまうので省略するけれど、高梨と一緒に学習塾(「田島塾」)を始める、予備校(「親愛ゼミナール」)の講師をしている(いた)田辺が語っている話とか、悠一が1度、名古屋で「松宮塾」という予備校――「上野予備校」と「親愛ゼミナール」と肩を並べる大手予備校――の講師(鎌田功)と会って交わしている話とか。

浪人生がらみの話では、橋本助手が悠一に語るところによれば、岡倉教授には東大浪人4年目になる息子(2人兄弟の次男)がいるらしい。最初の1、2年は予備校に通わせたり、家庭教師を雇ったりしていたらしいけれど、いまでは岡倉自身が勉強を教えているらしい。「らしい」というか、悠一が岡倉の家を訪ねたとき、1度ちらっと出てくるし、岡倉自身の口から息子のことについて聞いてもいる。そう、そのとき、岡倉が息子に「文Ⅲ」を勧める理由について語っていて(p.46)、読んでいて思わず納得してしまった(汗)。――それはそれとして。学内政治にも長け、学外にもコネクションがたくさんあって、自身の定年退職後のこととまで計算して行動してきた(いる)人が、自分の息子のことになるとけっこう視野が狭くなってしまうのかな? それこそ、子どもが産まれたときから東大に入れたいと思っていたら、もっとほかにいろいろな方法があったのではないか、と思わなくもない。要するに4浪(さらに5浪)というのは、後手後手に回っている感じがする。

ほかに浪人がらみの箇所で、読みどころと言えそうなのは、過去の話だけれど、田辺と結婚して塾を手伝い始める麻也子――田辺とは約10歳違いの22歳、予備校での教え子――の受験生のときの話、があるか。浪人がらみというより(ネタバレしてしまうけれど)これも不正合格がらみ。ちなみに主人公の悠一も大学(東大・文Ⅲ)に入るのに2浪しているらしい。というか、年齢はいくつだっけ? 書いてあったようななかったような(汗)。大学在学中に学園紛争があったらしい(名古屋で会った予備校講師も学園紛争が理由で企業に就職しなかったらしい)。あと、高梨くんも学術大に入るのに1浪しているらしい。

ところで、2,3年前(だっけ?)に発覚した大分県(だっけ?)の教員採用試験の不正事件は(私はもちろんTVのニュースなどを通じてしか知らないけれど)、誰が依頼しているのかとか、口利きのしくみが本当に明らかになって、ある意味ではとても面白かったよね(←すみません、他人事なもんだから(汗))。この小説のなかでも、小中学校の校長の子どもは採用されやすい、みたいなことが書かれていて、噂を超えた噂というか、公然の秘密というか、昔から知っている人は知っているんだよね…。自分も(よく覚えていないけれど)中学校のときに通っていた塾に、1人教え方がうまい先生がいて、毎年教員採用試験を受けて落ちているらしかったけれど、その先生に対してほかのある先生がぼそっと、「あれはコネが必要だからなぁ」みたいなことを言っていて。「えっ?(試験にコネ?)」と思ったことがある。ふつう思うよね?

そう、そもそも国立大学に付属校なんて要らないんじゃないの? 小学校も中学校も高校も。あ、幼稚園も。必要な理由がわからない。例えば、大学教師(学者、研究者)が、高校では国語のこういうことは、こういう教え方をすると理解されやすいかもしれない、みたいなことを研究するさいに、出向いたりして実験する(というと語弊があるかもしれないけれど)というのならまだわかるけれど、そんなことをしている気配がまったくない。この小説の大学教師たち。

書き忘れていたけれど、描かれているのは、大学の夏休み前くらいから翌年の4月まで。…あっと、タイトルにもなっているのに、娘(=由加)についてほとんど触れていないな。まぁいいか、高校入試より大学入試のほうに関心があるのだから(汗)。アンバランスだな…。

[追記]もしかしたら私は「助教授」と「助教」を一緒にしてしまったかもしれない。持っていないとこういうとき困る。同じ本を2度と借りてくるのはちょっと嫌なんだよなあ...。
 
角川書店、1987/角川文庫、1990。つかこうへいの小説、初めて読んだけれど、けっこう面白かったです。筒井康隆とか伊井直行とかにちょっと似ているかな。いろいろな人が出てきて、筋が通っているようないないようなことを言ってくる、みたいな。この小説も、ひと言でいえば“家族小説”かな。ある意味では“お金小説”とも言えるけれど。(そう、弟の裏口入学にではなく「私」の芥川賞ゲットに対してお金を使っていたら、筒井康隆の『大いなる助走』みたいになっていたかもしれない。地方の飲み屋に集まる同人誌仲間たちもちらっと出てくるし。)

小説家として成功できずにいる「私」(=森田一郎、31歳、私大文学部卒)は、両親が勧める、というより家が農協に借金をしていて断れないお見合いを口実に、東京で同棲中の恋人(水野レイ子、スチュワーデス、30歳前)を残し、5年ぶりに愛知県は鳳来村(ほうらいちょう)に帰郷する。地元一帯、その中でも特に森田家は、ウナギの養殖で当たった“ウナギ成金”。家に帰ると、父親に反抗している弟(サトル、28歳)が養殖池に向かって散弾銃(!)をぶっ放したりしている。弟は歯医者の卵で、“コネ”(裏口入学)で入学した大学(豊橋医科歯科大学)に通う5年生。「私」のきょうだいには、ほかに高校生で新聞部に所属する妹の由紀がいる。家にはあと、森田家をウナギの養殖で成功させた功労者で、「私」の小説のよき理解者である善太郎さん(京大卒、51歳)という使用人がいる。ほかに重要な人物としては……別に全員書き出さなくてもいいか。おおざっぱに言っておけば、レイ子の元旦那の持田さんと2人の子どもの敬介君や、弟もお見合いをするのだけれど、2人のお見合い相手やその家族、妹が付き合っている相手、「私」や弟の元同級生なども出てくる。

弟が4浪してコネ入学にいたる経緯は、……ぜんぶ引用するわけにはいかないか(汗)。まず、歯医者で話を聞いたことがきっかけで、お父さんが子どもたちの誰かを歯医者にしようと思って、家族の前でそう口にする。当時、「私」は高校3年で、弟のサトルは高校1年、妹はまだ小さい。お父さんは頭がいい「私」に期待していたけれど、「私」は自分にはほかにやりたいこと(小説家になりたい)があるから、という理由で逃げ続けるというか、理不尽な父親と対立し続ける。で、それを見かねた、兄よりもずっと成績がよくない弟が、自分が歯医者になる、と言い出す。

 <弟は家庭教師を五人もつけて必死に勉強した。/現役不合格。これには口をはさむものは誰もいなかった。浪人一年、二年、このまま一生浪人をつづけるんじゃないかと、誰の胸にも不安が先になった。>(pp.58-9、文庫)

家庭教師5人か…、私立の歯学部でもいいだろうに、高校1年から勉強して浪人1、2年でも受からないのか(うーん…)。浪人3年目は、お父さんは、弟の高校のときの担任・川口先生(鳳来寺の住職でもある)から、コネを探すしかない、みたいなことを言われ、「名古屋医科歯科大の卒業生の増田という男」(p.59)に頼んだけれど、あえなく失敗する(たんなる「卒業生」なら頼んでも意味はないよな、やっぱり)。浪人4年目は、代議士(「私」が当時から付き合っていたスチュワーデスのレイ子、の同僚の父親)に頼んで、結局、3000万円を支払って新設の大学に合格。――「相場は一点が百万円らしい」(p.64)って本当かな? ま、いくらでもいいか(汗)。こんなところも小説(というか漫画)っぽいかと思う、

 <(略)密約をもらい、弟は安心したのか、おかしなもので、そのときから一心不乱に受験勉強を始めた。そのすさまじいエネルギーに、弟は日に日に頬がこけ、目はおちくぼみ、ともかくもと受けてみた他の二つの歯学部の模擬テストでも合格ラインに入り、寄付金の打診を受けたほどだった。>(p.64)

要するに弟は(あとで)裏口入学をしてしまうけれど、実力+寄付金でほかの歯学部に入れたかもしれないし、お金を払って入った大学にしても(お金は取られたけれども)実は実力で合格点に達していた可能性もある。

裏口入学を扱ったほかの小説(あまり読んだことがないけれど)といちばん違うのは、父親が(弟自身も)コネ探しに奔走していたので、近所じゅうが弟が大学にコネで入学したのを知っている、という点かもしれない。噂とかではなくてはっきりと知っているという…。「私」と妹は一応、常識がある感じ。合格祝いの席に現われた、弟のコネ入学を祝う川口先生に対して、妹(当時は中学生かな)は、

 <「先生! あなたは教育者として恥ずかしくないのですか?」>(p.70)

と叫んでいる。先生はそそくさと帰る、みたいな。あるいは小説の後半で、妹は高校の新聞部に弟を招いて、自分がコネで大学に入学して歯医者になることをどう思うか、と詰問したりしている。で、新聞部の面々は(読者もか)コネ入学した学生のほうがそうでない学生よりよく勉強する、などと、正直に話す弟の側にも、一理あることを認めざるを得ない感じになっている。“元受験生小説”としては読みどころの1つかもしれない。

妹といえば、“妹が妊娠しているのではないか”みたいな話があるのも、“家族小説”の定番の1つかもしれない。そう、関係ないけれど、お父さんは何歳だっけ? ――見つからないな(涙)。お母さんは56歳か。弟が4浪目である5年前は、単純計算で51歳か。弟の浪人中(1~4浪)は、両親とも50歳前後という感じ? この小説では上にお兄さんが1人いるけれど、それくらいの年齢がふつうなのかな、浪人生の親は。(浪人がらみの話では、あと、弟の元同級生の村瀬孝太郎という人が出てくるけれど、…まぁいいか、省略です。)
 
光文社、2002/光文社文庫、2004。けっこう面白かったです。ここ最近読んだものの中では、いちばん楽に、自然と最後まで読み通せる小説だった。自分(の頭の中)が庶民的にできているからなのか、なんなのか。

 <五十歳とは、憂鬱な年齢である――。昔ながらの商店街で民芸店を営むネジメハジメは憂鬱の種を山ほど抱えていた。妻の実家は借金まみれ、将来が心配な子供たち、愛人問題etc.。泥沼に追討ちをかけるように、ネジメは交通事故まで起こしてしまう。しかし、被害者の風俗嬢との出会いが彼の人生を大きく動かすことに……。ねじめ正一が初めて挑んだ「私小説」の傑作!>(文庫カバーより)

この程度の小説を「私小説」と言っていたら、世の中「私小説」だらけになってしまうような? 「あとがき」(文庫版)で虚実半々、みたいなことを言っているけれど、フィクション度はもっと高いかもしれない。内容的には、ひと言でいえば“借金小説”かな。次々と見つかる奥さん(美奈子)の大阪の実家の借金問題だけでなく、ネジメは酒乱の愛人(木下チカコ、もともと中学校の元同級生)にもお金を貸して逃げられているし、彼氏の借金を返すために働いている風俗嬢(青木ジュン、ネジメの運転する車に飛び込んで自殺未遂)には……というか、内容を書きすぎている(汗)。

子どもは男女1人ずついるのだけれど、このケースで、男の子ではなく女の子が浪人生というのは、小説ではとても珍しいと思う。というか、私は今回、初めて読んだかもしれない。娘の夏美が浪人している理由は(お父さん目線では)体が大柄なわりに気が小さくて……引用したほうが早いか。

 <そのくせ自信家のところもあって、高校の担任が勧めた推薦入学も滑り止めの受験もすべてことわった。ことわったあげく、やっぱり志望校に全部落ちて予備校通いが始まったわけだが、ネジメの見るところ、夏美には浪人生としての自覚が薄いようである。一浪して初志貫徹というより、次はいろいろ受験すればどこかに滑り込めるだろうと思っている節がある。(略)>(p.9)

現役受験失敗の…というか、浪人決定の理由は、要するに過信? 個々の大学に受からなかった理由も同じなのかな? 「浪人生としての自覚が薄い」というのは、なんとなく今風といえば今風かもしれない。昔の小説に出てくる浪人生でも、そういうタイプの人はかなり多いけれど。ちなみに一浪の結果というか、合否については(作中で時間は経過しているけれど)書かれていない。

“家族小説”としては、お父さんが不倫しているだけでなく、“娘が妊娠しているのではないか騒動”があるのも、お約束かもしれない。父親の愛人のキャラクターが、酒乱というか、それはけっこう面白く思ったけれど。そう、お父さんが息子に殴られてしまっているあたりも、お約束かな。みじめな気持ちになるよね。息子というか夏美の兄の鉄平は、売れていない俳優で、パチンコでお金を稼いだりしている。

あと、奥さんの両親(義理の両親)が借金のせいで、家(スポーツ用品店)を手放して上京してくるのだけれど、孫の2人(鉄平と夏美)がお祖父ちゃん、お祖母ちゃんに対して冷たい。ちゃんと(?)理由も書かれているから、納得できないこともないけれど。あ、書き忘れていたけれど、家と民芸店があるのは、東京の阿佐ヶ谷。

最後の屋久島での話は、吾妻ひでお『失踪日記』(漫画)をちょっと思い出した。
 
新潮社、1985/新潮文庫、1996。家庭内老人(高齢者)介護問題小説、みたいな感じ。おばあさんを殺したのは誰か、みたいなことで一応、推理小説としても読める。小説としての良し悪しはともかく、自分の家族(祖母、両親)のことなどを、あれこれと考えさせられる小説だった。手もとにあるのは文庫版だけれど、後ろの「解説」(沖藤典子)を読むと、ここ10年くらいの国の福祉政策の変遷なども少し知りたくなってくる。

森本家が暮らしているのは、横浜市の住宅地にある一軒家。おじいさんの亮作(87歳)とおばあさんのタツ(83歳)は離れなのだけれど、母屋には、会社員である息子の代志男(51歳)とその妻で主婦の律子(49歳)、私立大学1年の孫、鷹男(20歳)と同じく孫で高校3年生の直子(17歳か18歳)が暮らしている。――小説の冒頭は、1984年の梅雨明けが宣言された日(7月14日)。おばあさんが亡くなっていて、首に絞められたような痕があり、なんだかんだで(?)とりあえず夫の亮作が逮捕される。軽いボケというか痴呆症(いまでいえば認知症)が見られ、田上警部補(代志男と同じく51歳)たちは取り調べにも苦労したりする。痴呆症(認知症)を患い、半寝たきりだったおばあさんの面倒(下の世話など)を見ていたのは、義理の娘というか嫁、の律子。

ネタバレしてしまうかもしれないけれど、死にたかったり殺して欲しかったり、殺して欲しいと頼んだりする高齢者と、同居する高齢者に死んで欲しかったり自ら殺してしまいたかったり、殺して欲しいと頼まれたりする息子たち。――20年以上前に書かれた小説だけれど、同じ種類の問題は、いま現在も解決、解消せずに、家族まかせにされてそのまま引き継がれているように思う。どうしたらいいんだろうね…、本当に。

代志男は群馬県は板倉町の農家出身で、マイホームを建てることをきっかけに(マイホーム代の一部を負担してもらうことを条件に)地元から、妹夫婦と暮らしていた両親を引き取っている。上の2人の兄(源一郎、亮治)は若くして戦死、すぐ上の兄(名前は?)は幼くして病死していて、代志男は(その名前の通り?)四男。――小説的にはどうでもいいことかもしれないけれど、「板倉沼」とか、おばあちゃんが歌っていたという“藻採り唄”というのは本当にあるの? おじいさんの話し方も、群馬弁(上州弁)と老人語みたいなものが混じっていて、ちょっとぐちゃぐちゃになっている感じ。……そんなこともないのかな、おじいちゃん、明治の生まれだっけ?(うちの死んだじいちゃんよりも歳上か)。

最後に孫の鷹男が出てきてしゃべる場面がある。何この冷たい若者は? とか思うけれど、大人たちと比べて、素直で正直であるといえばそうなのかもしれない(<「だいたいおれ、はっきりいって、老人って生理的に嫌いなんですよ。老人って臭いでしょう。(略)」>、p.192)。お母さん目線の箇所などを読むと、鷹男くんが大学受験に2度失敗した(2浪した)理由も、祖父母と同居するようになったことが無関係でもない感じである。お父さん(“家族小説”の定番で、やっぱり不倫したりしていたらしい)は、えーと…、6月生まれか。息子が1浪目にちょうど50歳になっている計算。浪人生の親って、50歳前後くらいが多いのかな?
 
サンケイ出版、1975/新潮文庫、1983。今風にいえばノベライズというか。私はTVドラマは見たことがないです。よくTV番組のなかで流される懐かしの(?)映像のような形では、何度か見たことがあるけれど。断片的に。

 <(略)。口下手で怒りっぽいくせに涙もろい、日本の愛すべき“お父さん”とその家族をユーモアとペーソスで捉え、きめ細かな筆致で下町の人情を刻み、東京・谷中に暮す庶民の真情溢れる生活を描いた幻の処女長編小説。>(文庫カバーより)

お父さん、現在の目線でいえば“暴力お父さん”だけれど、そう、もっとドタバタしている話かと思ったら、意外とほろりとさせられる、というか、特に各はなし(全12章というか全12話というか)の最後のへんでしみじみとしてしまって。人情ばなし、というとちょっと違うと思うけれど。あと、季節感もあってよい感じです。

寺内家には、お父さんの貫太郎はもちろん、あと、お母さんの里子、姉の静江、弟の周平、お祖母さんのきんがいて、それに新しくお手伝いのミヨ子(相馬ミヨ子)もやってくる。――6人か。これもなんとなく見たことがある食事の場面(ドラマ)の印象から、もっと大人数のようなイメージがあったけれど、それほどでもないんだね。ほかには、お父さんが石工(いしく)というか、家が「寺内石材店」なので通ってくる石工の人たち(イワさん、タメ公など)も昼間はいたりする。あと、そう、お姉さん(静江)が治らない怪我で足を引きずっている、という設定も、断片的な映像からは知ることができなかったので、今回、読んでみてよかったというか。

山田太一『岸辺のアルバム』とは違って最初から浪人生(予備校生)の周平くん。3話目では、その周平の合格発表の一日が描かれている。家族はもちろんみんな心配したりしているのだけれど、本人には、大学の合否よりも気になることができて――すなわち、お姉さんの足の原因が自分にあるのではないか、みたいな考えに取り憑かれてしまう。小さい頃のことで記憶があいまい。ことの真相はともかく、大学は(ネタバレしてしまうけれど)結局落ちていて、2浪目に突入というか、まだ浪人生のまま。4話目では、勉強に集中するためにアパートを借りたい、と言い出している。これも結末は、…読んでもらうとして。ま、1人抜けてしまうと小説(/ドラマ)的に困ってしまうかもしれないし。そう、ちょっと意外だったのだけれど、(『岸辺のアルバム』とかとは違って)けっこう拳をあげてお父さんにはむかっている。

周平くん、マユミちゃんというガールフレンドもいるけれど、最後の12話目――「初恋」というタイトルが付いている――では、夏風邪に浮かされて(?)、夫との離婚の危機から寺内家に身を寄せにきた親戚の直子のことを好きになっている。「初恋」といえば歳上女性が定番? ツルゲーネフやな。恋の結末は言わずもがな、かな。そう、ちょっとページを戻して11話目の最初、のへんでは、周平は梅雨どきが苦手みたいな話で――少し引用しておけば、

 <(略)朝から雲が重い。そのせいか、頭も重い。夏がそこまで来ているのに、カッと照らないでモタモタしている半端なところは、「浪人」に似ている。(略)>(p.240)

これは勉強しなくちゃな強迫観念(オブセッション)とはちょっと違うかな。もう少し軽い感じ? 上に続いて、庭に蝸牛(かたつむり)を見つけた周平は、

 <「蝸牛枝に這い、すべて世は事もなし」/たしかイギリスの、ブラウニングの詩の一節だった……。>(同頁)

みたいなことを言っている(言っているのは括弧の中だけか。三人称小説)。けっこう知的な浪人生、というよりは、たまたま知っていただけか。あ、ギターを引くらしいから作詞・作曲とかもするのかな。
 
リトルモア、2002/新潮文庫、2008。ページ数がそれほどないし、ちょっともの足りない小説だったかな、個人的には。

 <愛に見放されていた高校時代、みすずが安らげるのは、新宿の薄暗いジャズ喫茶だけだった。そこには仲間たちがいる。亮、テツ、タケシ、ヤス、ユカ。そして彼らと少し距離をおく、岸という東大生。ある日、みすずは岸に計画を打ち明けられる。権力に、頭脳で勝負したいというのだ――。三億円事件には少女の命がけの想いが刻み込まれていた。世紀を超えて読み継がれる、恋愛小説。>(文庫カバーより)

1968年12月に起こった、いわゆる三億円事件の犯人(の1人)は、高校3年生の少女だった、みたいな話。犯人だけでなく、奪われた三億円のゆくえについても、1つの回答が与えられている。小説的にはそれだけではなくて、人間関係の(?)サプライズのようなものもあるけれど、…そう、亮&岸以外のジャズ喫茶(“B”)の仲間たちをもう少し描いて欲しかったかな。宮崎あおい主演の映画版では、タケシが浪人生、という設定になっているの? 少なくとも小説ではよくわからない。「私」(中原みすず)が新宿にある“B”に出入りするようになった1966年6月の時点で、3、4ヶ月前に地方から上京してきて、最初に現われたときには高校の制服を着ていたそうだ。作家志望で、仲間たちの中では例外的に(早大生を偽ったりして)学生運動にも参加しているらしい。――仮に高校を卒業していれば、大学生ではないのだから、ま、「浪人生」という設定になるのもしかたがないか。(あ、この小説は別に浪人生が出てくるから読んだというわけではなくて、“三億円事件”とか“初恋”とか、以前よく読んでいたブログの人が好きそうな話だな、と思って。文庫化されたときに買ったまま積ん読状態だった本。)

「私」の境遇は、児童文学っぽいというか、世界子ども名作劇場(?)みたいな感じもある。幼いころに父親が亡くなって母親が家を出て行き、親戚じゅうをたらい回し。いま一緒に暮らしている家では、叔母さんが典型的な“継子いじめ”をしている、みたいな。地図が読めず、方向音痴というのも、女の子(少女)っぽいよね。そう、高校3年生の「私」は、三億円強奪の計画&実行のさなかでも、受験生で、“事件”を起こしたあと、早稲田大学を受験している。東大が入試を中止した年(『赤頭巾ちゃん~』の薫くんと同学年だな)で早稲田も受験が厳しくなっていたらしい。結果は――隠すほどでもないけれど、読んでもらえばいいかな。その前に、東大生の岸くんは、勉強も教えてあげればよかったのにね。「私」は塾にも通っていない模様(通わせてもらえない?)。

いちおうオートバイ小説でもある(白バイだけれど)。“女の自立譚”にはなっているかな? ま、なっているか(斎藤美奈子『文学的商品学』参照)。そう、最後に短歌が出てくる章(「章」というか番号のみ)があって、雰囲気はぜんぜん違うけれど、以前読んだ、俳句が出てくる水原佐保『青春俳句講座 初桜』(角川書店、2006)をちょっと思い出した。
 
相互に関連はないけれど、それぞれ“幼なじみ”に対する想いが描かれている連作短篇集、『夏が僕を抱く』(祥伝社、2009)に収録されている1篇。6篇中の4篇目。久しぶりに読んだけれど、豊島ミホってやっぱりいいな、と改めて思ったです。この1篇だけでなく全篇が好きかもしれない。似たような(?)ほかの女性作家の小説とどこが違うのかな? …わからんです。全体的に漫画っぽいといえば漫画っぽい、とは思うけれど。書名(=5篇目のタイトル、唯一の男性目線小説)は、ちょっと村山由佳っぽくて嫌だな(「夏」に「僕」に「抱く」に)。

「あたし」(=有里)は地元(埼玉県)の私立大学に通う大学1年生。付き合い始めたサークルの先輩=将チン(小染将也)と今度のクリスマスを一緒に過ごすことに。一方、「あたし」には三軒隣に住んでいる、岬という名の同じ歳の幼なじみ(難関大学を落ちて浪人中)がいて…、みたいな話。いわゆる三角関係ではなくて(そうとも読めるかもしれないけれど)、幼なじみとの関係(距離)を変えたくないというか、幼なじみに甘えてはいけない、みたいな話(なんかぜんぜん違うような。そんな話だったっけ?(汗))。そう、最後まで読んで、将チン先輩の過去に何があったかはちょっと気になったかな。

岬くんの容姿はひと言でいえば「ヒゲデブメガネ」となるらしい(「ヒゲ」と「メガネ」は本人の選択らしいけれど)。でも、持つべきものは幼なじみというか、梅雨に入ったころに「あたし」が久しぶりに岬の家を訪ねたときの話があって、部屋のなかで岬はくさって(腐って?)いて、「あたし」は部屋の窓を開け放って…、みたいな。「あたし」がいなければ落ちるところまで(再浮上できない地点まで)落ちていたよね、この浪人生(汗)。あ、でも「あたし」が来ないからくさっていたのか。

最近、昔の(2、30年前の)三文推理小説ばかり読んでいたせいか、会話とかもすごく新鮮に感じる。21世紀はちゃんと訪れていたんだなぁ、としみじみ思う(意味不明か)。

(ちなみに同じ本の2篇目「らくだとモノレール」では、「あたし」の幼なじみというか友だちのらくだ(高校3年生)が予備校に通い始めている。)

[追記]上の作品の収録本はその後、文庫化(祥伝社文庫、2012.7)。
 
女性作家8名による、それぞれJ-POPの1曲がお題となっている短篇集(というか、要するにアンソロジー)『Love Songs』(幻冬舎、1998/幻冬舎文庫、1999)に収録されている一篇(8編中の3篇目)。この1篇は、RCサクセション「エンジェル」(作詞・作曲は忌野清志郎)で書かれている(各篇の最初には歌詞が掲載されている)。けっこう考えさせられる小説だったかな(うーん)。うまく言えないけれど、「私」の自分を変えられない感じについて、とか。

季節は夏の終わりか、夏が終わって残暑くらい? 同時に付き合っていた3人の彼氏に振られた「私」は、温泉旅行にしぶしぶ弟と一緒に行くことに。その弟=ヒロユキは、道中、「私」を苛々させ続けているというか、まず、電車のなかでは缶ビールを飲み散らかし、旅館に着いてからも飲み続けていたりする。あ、「私」も飲んでいるけれど。その旅行の間、「私」(弟は「りっちゃん」と呼んでいる)は、付き合っていた彼氏たちとのことや、弟との昔のことなどを(頭の中で?)語っている。…という感じの小説。(毎度、うまく説明できていないけれど(汗)。)

「私」は彼氏たちのことを便宜的にそれぞれ「松、竹、梅」と呼んでいるけれど、3人の間に上下(優劣)はないらしい。この小説では「私」の話の中に出てくるだけで、直接(元)彼氏たちの誰かが出てくるわけではないけれど、角田光代の小説は、なんていうか人物配置が平面的(フラット)だよね。私が過去に読んだ小説でいえば(以前にも書いたような気がするけれど)、「東京」(『だれかのことを強く思ってみたかった』)では「私」を含めて同日に生まれた3人が描かれていたし(「同日生まれ」「幼なじみ」という平面上の3人)、『夜をゆく飛行機』では「私」を含めた4人姉妹が描かれていたし(「姉妹」「家族」という平面上の4人)。『ぼくとネモ号と彼女たち』は「ぼく」が3人の女性を1人ずつ車に乗せていく、みたいな話だったし(「車の助手席」という平面上の3人)。だからどうした? と言われても困るけれど(汗)。

そう、“姉弟もの”ということでは、「まどろむ夜のUFO」(同名書所収)――記憶で書けば、高校3年の弟が予備校の夏期講習を口実に東京にいる大学生の姉のアパートに転がり込む話――と比べてもいいかもしれない。
 
そんなことより、元カレ3名と対置させられている、浪人生(一応)のヒロユキについて書いておかないと。――これは引用したほうが早いかな。「私」は弟のことを「だめ男」だと思っている。

 <目を覆いたくなるような成績で高校をでて部屋を借りたのが二年前、どうしても大学にいきたいと言いだして予備校に通いはじめ、今年の春の入試もすべて落ちた。まだ予備校に通っている。名前だけ在籍していれば数年後自動的に大学生になれると信じているかのように、勉強もしていないし、予備校にだってろくにいっていない。(略)>(p.75、文庫)

高校3年のとき(現役のとき)には受験はしているのかな、この人? この書き方だとよくわからないな。2年前に卒業しているということは、とりあえず高校卒業後、今年で3浪目という感じか。志望大学・学部などは不明。彼女というか、<常時恋人はいるらしい>(同頁)とのこと。

そういえば、最後まで読んでも、最後に出てくる「月」以外に、曲とどうリンクしているのか、さっぱりわからない小説だったな。(私の読み方が悪いのかな?) 
 

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