講談社、2009。シリーズ3冊目。1、2冊目の内容がほとんど記憶の彼方…、本自体もどこへやらだし(涙)。文体とか、読んでいてけっこういらいらする。内容は意外とふつう(?)のミステリ小説というか。2話(2部)あるのだけれど、2つ目のほうは、TVの2時間ドラマにすればちょうどいい気が。垂里家、妹(次女)の空美はかなり登場してくるのだけれど、浪人生の弟(末っ子)・京一はほとんど出てこない。でも、時期的に入試の直前くらいにはなっているらしい(季節感がほとんどない小説だけれど)。大学受験がらみの話は、次の第4弾に期待したい(出るのかな…)。

[追記]文庫は『垂里冴子のお見合いと推理 vol.3』講談社文庫、2013.8。
 
光文社、2010。<大人の入り口に立って、なぜか僕は苛立っている。/直木賞&山本周五郎賞W受賞作家が、過ぎた日を克明に描いた青春小説!!>(帯文)。――苛立ちが伝わってこないんだよ!(あー、いらいらする(汗))。50歳を過ぎた小説家(「僕」=岩淵和也)がかつての浪人生時代について語っている、という形式が、ひょっとしたら“青春小説”と合っていないのではないか。例えば――どこでもいいけれど、

 <考えてみれば、浪人生ほど宙ぶらりんな存在はほかにない。大学受験を目指しているというだけで中途半端な状態が容認され、社会に出なくてもすむ免罪符となっているのだから、(以下省略)>(p.29)

おっさんによる説明(しばしば言い訳にしか聞こえない)ではなくて、浪人中の若者をそのまま描写してくれ、ってな話ですよ(涙)。あと、作者自身も3浪しているらしいけれど(*1)、そんなに長い期間浪人していたにもかかわらず、こんな程度の浪人生しか描けないのか、みたいなことも思ったです。

そう、読んでいてわりと早めに脱力したのは、節番号でいえば5から6になったところ。予備校の授業が始まる前日から、時間がいっきに半年も経っている。あとでその間の出来事についても語られているけれど、なんていうか、要するにこの作者にとって“浪人勉強生活”というのは、詳しく語るには値しない、ということなのかもしれない。全体的な物語としては、えーと、偶然が重なってナオミ(=桐生直美、前日譚にあたる『七夕しぐれ』参照)と再会できたあたりがピークで、あとはどんどん尻つぼみになっていくような。

ページ数的に多く描かれているのは1浪目のこと。仙台市でアパートに独り暮らしで予備校通い。予備校をさぼって行く場所は、ロック喫茶(「ロビンフッド」)など。あと、映画館に行ったり、家で小説を読んだり、か。それが2浪目までで(あ、幻と化したデビュー小説を書いたりもしているけれど)、3浪目は県北にある実家でいわゆる宅浪。時代は、えーと…、1977~1979年度か。ダメモトな感じで現役時代から(2浪目までかな)受け続けている第1志望の大学(国立一期校)は、名前は出てこないけれど、おそらく東北大学(しか考えられない、宮城県で旧帝大と言われれば)。主人公は理系なのだけれど、お父さんはその大学の文学部卒で、高校教師とのこと。

*1 作者自身による販促用エッセイ?「モラトリアムな私」(『小説宝石』2010年4月号、光文社)という雑誌掲載エッセイを読んで知る。

[追記]文庫本は、光文社文庫、2012.10。
 
『荒海』(福武書店、1982)所収、6篇中の5篇目。読んでいると、ちょっとさびしくなってくるかな。舞台はたぶん札幌、外は雪が降っている大晦日、「ぼく」は小さな居酒屋でママの志穂さんと2人きり。「ぼく」(予備校生)は付き合っていた彼女にふられたばかりだし、しかも、実家(貧農)は家出どうぜんで出てきているし、アパートに帰っても一人だし…、一方の志穂さんも、恋人=妻子ある医者がいるのだけれど、さすがに大晦日には来てくれないし、ほかの客が来るような気配もないし…、みたいな小説(?)。思うに、2人が肉体的に交わっていなければ、高校の教科書とかに載っていても変ではない小説かもしれないな。

ちなみに、作者(1937年生まれ)自身は工業高校卒業後、新聞社に就職して活字拾いの文選工をしながら、大学を諦めきれずに夜、予備校(「円山予備校」)に通ったりしていたようだ。←参考文献:エッセイ「学歴劣等感」(『夢の通い路』北海道新聞社、1999)。
 
連作集『幻日』(小学館、2003/小学館文庫、2006)所収、7篇中の5篇目。ひと言でいえばホラー小説、かもしれないけれど、けっこう実話らしいです。

実家は岩手県にある病院、「ぼく」(=岳彦、3浪して今は早稲田の商学部に)の代わりに――勉強せずに本を読んだりしている兄を見るに見かねて――医学部を目指している2浪中の弟=史郎(前年度は兄と同じアパートで暮らして兄と同じく「代々木のゼミナール」に、今年度は「仙台の医学部受験を専門とする予備校」に)が、私大(慶応など)受験のために上京して兄のアパート(前年度とは別の場所)にやってくる、みたいな始まり、冒頭は。ネタバレしてしまうけれど(しないか)、弟はその年(国立の)岩手医大に合格している。――全体的な感想としては、やっぱり怖いというよりも、亡くなっている弟の友人=広隆くんがかわいそうだなと思ったです(毎度、幼稚な感想で申しわけない(汗))。

お兄さん(「ぼく」)が大学3年のときが1972年らしいから、えーと、時代的には、

  兄(3浪)…1967年~1969年。
  弟(2浪)…1969年~1970年。

こんな感じか(「年」というか「年度」)。
 
鎌倉を舞台とした推理小説のアンソロジー『ミステリーガイド鎌倉』(角川書店編、カドカワノベルズ、1993)所収、9篇中の3篇目。本の後ろのほうによれば、この1篇の初出は『かっぱマガジン』昭和51年(1976年)11月号・12月号であるらしい。

タイトルは、そう呼ばれている泳ぎ方。いわゆる倒叙もので、浪人生(=長野光伸、東京で予備校に通う医学部浪人・2浪、のちに3浪)が自分のことを使用人のように扱う、養父的な存在である伯父さん(成金で貸しビル業、鎌倉に別荘があって週末ごとに釣り)に殺意を覚えて、殺そうとする話。

まだ2浪目のときに会話部分、伯父さんが主人公=光伸くんのことを21(歳)と言っている(p.103・上段)。伯父さんが間違えたのではなくて、作者(たち)が間違えているっぽい? あと、3浪目が始まったあたり、<六年間を過ごした世田谷の貸しビルの(略)>とあるけれど(p.113・下段)、6年というのはおかしい。高校のときに母親を亡くして(父親は幼い頃に亡くなっていて)身寄りがなくなって、疎遠だった伯父さんが現れて……みたいな話になっているから。仮に高校1年の最初の頃に母親が亡くなって伯父さんから資金援助を受け始めたにしても(伯父さんと同居し始めたにしても)、高校3年+丸2浪では、計5年にしかならない。――そういう細かいことだけでなくて、伯父さんが入院して契約がうんぬんのあたりも、時系列がおかしいと思う。本筋には関係がないことかもしれないけれど、論理が重視されるミステリなんだからさぁ…(涙)。

“浪人生小説”としては、<二期会>(予備校での2浪生グループ)という言葉がちょっと面白いと思ったけれど、それくらいかな。そう、別荘の近くに暮らす元漁師さんの言葉遣いに関して、鎌倉(神奈川県)の人ってこんなに訛っているのかな、とはちょっと思ったです(約35年前に書かれた小説だから?)。
 
『Railway Stories』(ポプラ社、2010)所収、10篇中の4篇目。ローマ兵とかカルタゴとか、感傷的なもの言いとか――この、村上春樹をダメにしたような小説はいったい?(涙)。まぁそれはそれとして。この1篇のレイルウェイは、ぐるぐるしている山手線。くるくるペン回し――俗にいう“浪人回し”がこれほど(それほどでもないけれど)意味をもっている浪人生小説は逆に(?)珍しいかも。小説家である「ぼく」が電車でうとうとしながら、約15年前に3年くらい付き合っていた彼女=絵美について思い出している。出会いは、「高田馬場の予備校」の自習室。「僕」は札幌から上京してアパート、彼女のほうは東京が地元(自由が丘の女子高卒)。同じ大学志望、朝7時から夜10時すぎまで――って、自習室ってそんなに開いているの? でも、それだけ勉強すれば2人とも翌年、大学に合格するのは当然か。

ちなみに作者は、本の後ろのほう(奥付の上)によれば、<1957年、札幌市生まれ>。

[追記]文庫は『さようなら、僕のスウィニー』ポプラ文庫、2014.4。
 
『小説新潮』2010年4月号の特集の1つ、「あの官能をもう一度/官能クラシックス名編再録」として(再)掲載されている3篇のうちの1篇(川上宗薫と野坂昭如に挟まれている)。初出は、<別冊小説新潮 昭和47年新春特別号>(p.262)とのこと。

昭和9年(1934年)生まれ、今年36歳になる作家・「湯野君」が初体験のことなどを回想している。<十九歳の年に、湯野君は東京に出てきた。東大を受けて落ち、高円寺に下宿して、浪人生活をすることになった。>(p.262・下段)。浪人中なのになぜかピアノを習っている湯野君。初エッチの相手は、家のピアノを貸していた近所の奥さん=定江さん(苗字は宮下、コックをしている夫と小さな子どもがいる)。特に美人というわけではないし…、なんていうか、理想と現実というか? 思うに、そもそもこの小説を読んで(下ネタになってしまうけれど――エロ小説について触れるのに下ネタにならないほうが変かも(涙))、世の男性たちは果たしてぬくことができるのだろうか、ちょっと疑問。森鴎外『ヰタ・セクスアリス』は、別に官能小説というわけではないよね?(ちゃんと読んだことがないので知らないけれど)。ちなみに大学(東大!)は翌年さくっと(?)受かってしまったようだ。あ、書き忘れたけれど、浪人中、予備校にも通っている模様。

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早生まれでなければ、1934年に19(歳)を足して、1953年? 竹内洋『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1994)という本の後ろに付いている年表の、その年のところには、

 <――大学受験の予備校・講習会など急増。東京の予備校はこの年前後で十数校増加、駿台予備校の競争率約一〇倍>

という記述がある(p.366)。この年の前後、大江健三郎、倉橋由美子(仮面浪人?)、三木卓、李恢成……どうりで浪人している作家が多いと思った(汗)。この前ブックオフで買ってみた本というか、文学全集の端本だけれど、『筑摩現代文学大系94 柏原兵三 高井有一 坂上弘 古山高麗雄集』(筑摩書房、1977)の柏原兵三(1933年生まれ、「徳山道助の帰郷」で芥川賞受賞)の年譜、の1952年(昭和27年)のところには、

 <大学受験に失敗。当時、次兄が父の事業所を借り受け、神田に予備校を設立。そこに通う。(略)>

とある(p.469・上段)。「十数校増加」のうちの1校は、このお兄さんが増やしちゃった犯人か。どうでもいいけれど、ちょっと予備校の名前が知りたいな。そういえば、Yゼミっていつ頃できたんだろう? 

あ、そう、今年(2010年)はあまり出ていなかったような気がするけれど、私の家は一応、関東地方なので、新聞に東京の予備校の広告が出ていて、某M予備校――たぶん小説、北重人『鳥かごの詩』で触れられている(主人公が通っているK予備校ではなくてその近くにある)M予備校――の広告には、57年の伝統が…、みたいな宣伝文句が書かれていたような気がする(とっておけばよかったな、たぶんもう処分しちゃったよ)。2010年から57年を引けば、1953年。そこも「増加」した1校なのかもしれない。(ちなみに、だいぶ前に図書館で借りて読んで、内容はぜんぜん覚えていないけれど、波多野勤子・波多野文彦『受験期』(ポケット文春、1965)という本では、そのM予備校に通っていた浪人生の日記が読める(たぶん)。)

[追記]芥川賞全集(文藝春秋)に付いている年譜によれば、宇能鴻一郎は1934年7月生まれ。でも、浪人していたのは(1953年ではなく)1954年のことらしい(1浪→東大)。略年譜すぎてよくわからないけれど、この人も(後藤明生とかと同じで)大陸からの引き揚のために1年ロスしているっぽい。あ、あと予備校に通っていたかどうかも書かれていない。
 
いま手もとにあるのは、『極楽|大祭|皇帝 笙野頼子初期作品集』(講談社文芸文庫、2001)。これは、『極楽 笙野頼子初期作品集〔Ⅰ〕』(河出書房新社、1994)が文庫化されたものらしい。文庫後ろの年譜(「作成・山﨑眞紀子」とある)によれば、この1篇(「皇帝」)の初出は、『群像』1984年4月号であるらしい。――読み始めたものの、2ページ目くらいでもう読む気がせず(涙)、あとは無理やり拾い読み、といった感じの読書に(無意味な行為)。

26歳の青年である「彼」は、かつて、高校卒業後1年の宅浪を経て、寮に入って予備校に通っていたことがある。小説の前半くらいで、その予備校生活、寮(個室)生活について語られている。笙野頼子なので(?)“妄想”が入っているけれど。えーと、キーワードは“自由”? 

 <生まれ故郷から離れた密室――彼が最初それを手に入れたのは、社会的に黙認されたモラトリアムのための集団、この予備校に通うようになってからであった。それは外界と調和しながら閉ざされるという、彼にとっては最も幸福な時期だったかもしれなかった。>(pp.168-9)

この小説とは違う意味でだと思うけれど、個人的に予備校生時代、浪人生時代が自由だった、という意見には賛成できる。

後ろの年譜を(再び)見てみると、作者自身も高校卒業後の2年間(1974年~)「名古屋の予備校」の寮に入っていたことがあるらしい。たしかに読んでいると、ここの部分は実際に予備校に通っていないと書けないだろうな、と思える箇所が多々ある(学生番号についてとか、p.174の教室内の様子とか)。――想像するに予備校の寮に入っても、友達ができなかったり、友達を作らなかったりする人もいるわけで、この小説(の一部)は、そういう方にお薦めできる小説……とは言えないか、やっぱり(汗)。浪人中に読むと、変な(?)影響を受けそうな小説、のようにも思える。
 
同名書(講談社、1970/講談社文庫、1973)所収、3篇中の1篇目。または『われら青春の途上にて|青丘の宿』という書名の本(講談社文芸文庫、1994)所収、3篇中の1篇目。――最近、何を読んでも淡々と読み終えてしまうのだけれど、えーと、特にこれといった感想もないな、今回も。なんとなく予想していたより、ふつうの(?)青春小説だった、かな。

6月、家を出て上京してきた南洙(ナムス、先月19歳に)は、兄たち5人――兄以外には、部屋の借主のジョング、南洙たちの従兄弟である一郎と次郎、影が薄い感じの日本人の風さん(風太郎)――と一緒に暮らし始める。高円寺駅近くのアパートで4畳半の部屋。……4畳半で大人6人はつらいよね。そして(?)朝鮮戦争が終わって就職難な状況、しかも履歴書の本籍地を偽ることをしないせいか、南洙は、仕事がなかなか見つからず、結局、次郎たちがしているニコヨン(日雇い労働)をすることに。8月、やっと予備校(新宿の近く、夜の部)に通えるようになり、とりあえずニコヨンの仕事を減らし、今度は土方の仕事(下水道工事)を始めることに。そこで春治(しゅんじ)という少年(17歳)と知り合う。南洙は、春治に対して初めて会ったような気がしない――。なんていうか、“民族”の問題よりも、まず“家”の問題が先にあるような? お父さんが(愛情や期待をもって)息子に鞭をふるう、という…。

ちゃんと確認してみないとわからないけれど、小説中、「浪人(生)」という言葉は一度も使われていなかったと思う。でも、高校を卒業していて、大学入学を目指して勉強しているといえば、わりと典型的な“浪人生”だよね。働いているにしても。で、“浪人生小説”としては、どうのなのかな? 民族(差別)、肉体労働、受験勉強――ある意味では“三重苦”であるはずなのに、意外とふつうの(なんというか、口当たりが柔らかいとでもいうか)青春小説として読めてしまう。1つには、文体のせいもあるかもしれない。

あと、作中年は、どこかに「戦後10年」みたいなことが書かれていたから(あ、登場人物の台詞の中か)、1955年でいい? ちょっとずれているような気も…するけれど、歴史オンチの私にはよくわからない。ちなみに、講談社文庫版の後ろに付いている(自筆の)「年譜」によれば、作者は、1955年(昭和30年)の<六月、東京に出>て、<昼働き夜は代々木学院に通>っていたそうだ(p.246)。この年、20歳だったらしいので(7月生まれ)、小説の主人公とは1年ずれている。(略年譜すぎてよくわからないけれど、作者は、小学校の入学が1年遅れているのかな?)
 
同名書(文藝春秋、2010)所収、2篇中の1篇目。読んでいる間はなんとなく面白かった(なんでだろう?)けれど、読み終わってみれば「だから何?」という気分に。内容的には、えーと、眼鏡は顔の一部です……じゃなくて、なんかそれっぽい言葉があったような…、思い出せない(汗)。ひと言でいえば、自動車など、何に乗っているか(乗り物)はその人自身を表す、みたいな小説かもしれない。自転車をこいで予備校やアルバイト先に通っていた主人公の「彼」は、バイト仲間のレイラから中古の(「彼」と同い歳くらいの)ビートを譲り受けることに。自転車から自動車へ、というヤドカリ的な成長譚? と同時に「1家に1台」(東京)から「1人1台」(地方)へ、という脱-家族的な自立譚?

でも、車を維持するにはやっぱりお金がかかる、みたいな。「彼」(バイト仲間からは「ベイダー」と呼ばれている)が車をもらう前、バイト仲間の1人・ブヨは、ホストもしている同じくレイラから、お客の美人デ○ヘル嬢・ユナを紹介されて、彼女にはまってしまったらしく、高額な料金(1回4万8千円)を稼ぐためにアルバイトの量(シフト)を増やし、夜はコンビニでも働き始める、みたいな状態に。車が恋人です……じゃなくて、「ブヨ→ユナ→レイラ」と流れたお金がどうなるかといえば、レイラは自動車レースに出たりもしているらしく、要するに自動車(ガソリンやタイヤ)に消費されるらしい。それはバイト代をビートにかけなければならなくなった主人公も他人事ではなく、要するにすべては車である! という話(違いますか違いますね(汗))。そのほかのバイト仲間を含めて、乗っている自動車それぞれ、

  「彼」(ベイダー) …ビート
  ケン …ムーヴ
  ブヨ …シーマ
  レイラ …ランエボ
  ザキさん …自動車ではなく原付(スーパーカブ)。
  ユナ …クーペ

車種だけでなく、車内をどんなふうにしているかや、車中でどんな音楽をかけているか、もその人(所有者、運転者)を表しているというか。作中の季節は初夏から夏にかけてで、最後、上の6人で(5台に分乗というか、ザキさんがケンの車に乗って、ほかの人は自身の車を運転して)江ノ島に行くことに。

「彼」は、理由がわからないけれど、東京の家族(両親と中学生の弟)のもとを離れて、地方の県の叔父さん(ナオユキ叔父さん、独り者?)の家に仮住まいしている。予備校(全国チェーンのところらしい)は駅の近くにあって、その駅から東京圏までは高速鉄道で、約1時間らしい。志望大学は東京の大学らしい(改めてなぜ地方の予備校に?という疑問が…)。アルバイトは母親には「気分転換程度」と言ってあるらしい。あ、「彼」のアルバイトは新興開発地で新興開発をしているゼネコンの下請け業者の、交通整理係。バイト仲間たちよりは楽な仕事をしているっぽい。なんていうか、高校生でも大学生でもフリーターでも社会人でもない浪人生という主人公の宙ぶらりん、な状況は、ほかの設定とうまくあっている…といえばあっているのかな。浪人生(予備校生)が浪人生(予備校生)らしく描けているかは別として。そういえば、書かれていないのだけれど、「ベイダー」というあだ名の由来はなんだろう? インベーダー・ゲームとかじゃないよね…。でも、「インベイダー」(invader)なら「侵入者」だな。

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どうでもいいことだけれど、この小説(が収録された本)を私が知ったのは出版社(文藝春秋)が出していた新聞広告で、そこには次のように書かれていた。

 <ホンダ・ビートを手に入れた予備校生とデリヘル嬢。/北関東から湘南へひた走る彼らの青春群像小説。>

内容とのずれ方がちょっといらっとする。小説家って自分の作品が読者や書評家から“誤読”されると怒ったりすると思うのだけれど、こういうインチキ宣伝文句(?)に対しては抗議したりしないのかな?(他人事だからどうでもいいのだけれど)。そう、作品中には「北関東」という言葉は使われていないし、どこからそう判断しているのか、私にはわからない。新幹線が通っていない県、みたいなことが書かれているけれど、北関東は3県とも通っているよね?(G県在住で、出不精の私にはI県がいまいちよくわからないけれど)。([追記]どうやら茨城らしい。知らなかった、新幹線は通っていないのか。)

あと、これもどうでもいいことだけれど、帯にも書かれている<第142回芥川賞候補作>と言う言葉。――宣伝になっているの? あ、受賞作なしに終わった回らしいから多少なってはいるのか。でも、新聞の記事(取って置いてよかった、朝日新聞・2010年1月19日付)よれば、受賞作が出なかった理由は(池澤夏樹が会見で説明したらしい)、まず候補5作のうち、選考委員たちが推す作品が、

  藤代泉「ボーダー&レス」
  舞城王太郎「ビッチマグネット」
  松尾スズキ「老人賭博」

の3作に分かれたかららしい。もう1作、大森兄弟「犬はいつも足元にいて」は(純文学では)初の兄弟共作として話題になっていたらしい。ということは、羽田圭介「ミート・ザ・ビート」は、最下位の5番手、って感じだったのかもしれず…、なんていうか、帯&新聞広告の<芥川賞候補作>という文句は、文字通りたんなる“候補作”である、という意味にとらなければならない? というか、選評が読みたいな。そういえば、いままでに一度も買ったことがないな、『文藝春秋』。

話が逸れてしまうけれど、過去の芥川賞受賞作で、主人公が浪人生の作品って何かあるのかな?(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公は、浪人生ではなく高校生として私は認識している)。あるならネット検索ですぐに出てきそう……だけれど、出てこないな。ないなら、逆にいえば、主人公が浪人生の小説は芥川賞を受賞できない、みたいな?(何か呪いでも?)。


[追記]文庫は文春文庫、2015.9。作者が芥川賞を受賞したので文庫化? (2015年上半期、「スクラップ・アンド・ビルド」という作品で、すごく話題になった又吉直樹「火花」と同時受賞。)
 
1丁の拳銃が“主人公”となっている連作短篇集『殺意の漂流』(カドカワノベルズ、1984/角川文庫、1986/徳間文庫、1995/ハルキ文庫、2001/ジョイ・ノベルス、2009)に収録されている1篇(全8章中の「第五章」)。手もとにあるのは角川文庫で、後ろのほうによれば、この1篇の初出は『野性時代』の1984年5月号らしい。作中の年代もそれくらいになっているようだ。※以下だいぶネタバレをしているので、読まれていない方は注意です。すみません。

ひと言でいえば、1人の浮浪者と彼が持っていた拳銃によって、直接的、間接的に人の命が救われたり、駅に「自由の広場」ができて今後救われる可能性があったり、みたいな話。後ろの「解説」(郷原宏)で「人情ドラマ」という言葉が使われているけれど(p.352)、その手の“ちょっといい話”としても読める。

冒頭(「1」)での視点人物は、浪人2年目の遠藤安治(えんどう・やすじ)。不合格→街を彷徨、というのは、やっぱり小説ではありがちな? 合格発表、頼みの綱だったP大にも落ちて、親が待つ近県(森村誠一だから埼玉?)の家にも帰れず、あれこれと悩みつつさまよっている。そして日が暮れ、公園のベンチに座っていたところ、安治は浮浪者のグループに絡まれてしまう。この間、お前くらいの歳の若者に仲間の1人を殺された、という因縁を付けられて。で、あやうく殺されそうになっていたところを「中隊長」と呼ばれる、彼らのリーダー的な人物に助けられる。――“受験生小説”のパターンとしては、他殺よりも自殺のほうが多いかな、誰かが現れたり、何かが起こったりして、試験に落ちて自殺を考えていた受験生が思いとどまる、みたいな。この小説冒頭はそのバリエーションという感じかも。

次の節(=2、全部で6まで番号が振られている)では、種々雑多な人たちが利用する東京の巨大な駅、S駅(新宿駅?)で内勤助役をしている小畑佑三郎(おばた・ゆうざぶろう)が視点人物に。影の駅長という意味で「影長(チョウ)さん」と呼ばれている。この駅では、午前1時には構内の地下道に居座ろうとする浮浪者たちを外に出さなければならず、小畑は「中隊長」とも顔見知り。――内容紹介はこれくらいで(汗)。

「浮浪者」と「浪人生」というのは、「浪」という字が共通しているし(関係ないか)、作者の頭の中ではつながっているのかもしれない。

 <「あんな所[=保護施設(引用者注)]へ行くくらいなら死んだほうがましですよ。私ら落ちこぼれにゃちがいないが、役人の情けにすがって生きているんじゃありません。社会のこぼれ落ちた物を拾って生きているんです」>

という中隊長の台詞がある(p.211)。社会の落ちこぼれが浮浪者(ホームレス)なら、試験の落ちこぼれ(=落第生)が浪人生? 「試験」を「学歴社会」と言い換えれば、どちらも「社会」になっちゃうな。なんていうか、中隊長の“役割”は、社会からこぼれ落ちそうな(物ではなくて)人をもとの場所に返すような感じ? 家に帰れずにいた浪人生に対しても、駅に捨てられた赤ん坊(のちに施設へ=社会の側に)に対しても。

また冒頭の話だけれど、遠藤くんの頭のなか、2浪と3浪の違いについて書かれている(ほかの小説では見かけたことがないような気が)。私自身、2浪しかしていないので(受かるところを受けて勉強生活から逃げてしまったクチです。……情けない(涙))、3浪のことになるとちょっとわからないというか。ただ、1浪のときに入居していた予備校生ばかりの下宿(というか)では、3浪の人が何人かいたので、見かけ上の、雰囲気的なことなら、なんとなくはわかる。そう、3浪になると仲間がいなくなる、みたいなことを言っている(安治くんの頭のなか)けれど、いるところにはいる、というか。それにいまはインターネットな時代だから、探せばたくさんいそうだよね。

ちなみに安治くんは翌年、大学生になっている。
 
講談社、1981。手もとにあるのは図書館本(早く返さないと)。

内容は、東京の予備校に通う2人の男女――「ぼく」(星飼)と塩沢菜苗――が、主に貨物列車を乗り継いで最終的には沖縄にまで行く話。ひと言でいえばやっぱり“青春小説”…になるのかな。文体というかは、私だけかもしれないけれど、読んでいてぜんぜん意味が頭に入ってこない感じ(涙)。ちょっと詩的な感じで、2人が交わす会話には飛躍があったりする。(そういえば、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』って何年に出ているんだっけ? ――1979年か。もう出ているな。)最近、どうも文学系の小説が読めなくなってきているみたいで…、自分。たんに読解力・解釈力が落ちているだけでなくて、想像力もなくなってきているっぽい。田端操車場だっけ、最初に列車に乗り込む場面なんて、何が何やら、ぜんぜんイメージが浮かんでこない(涙)。あ、これは年のせいではなくて、頭に“鉄分”(鉄道オタクな知識)が欠けているせい?

“浪人生小説”として見ても、なんていうか別に主人公たちが浪人生である必要はぜんぜんないと思う。ま、ほとんどの“浪人生小説”がそうである、といえばそうなんだけれども。冒頭のへんを読んでいて、個人的には早くもがっかりというか、<御茶の水にあるS予備校>(p.5)とか言われると、私は某S台を思い浮かべてしまうけれど、この作者は、S台が基本的に指定席(制)であることを知らんのか! というか、ふつう知らないか(汗)。

 <[引用者注・菜苗とは]御茶の水にあるS予備校の同じ国立受験午前組の受講生として、何度か隣り合った椅子に腰かけたこともあった。>(p.5)

“席取り合戦”みたいなものも基本的にはない。(そんなことは、同じく芥川賞作家・南木佳士の小説を読めばわかるやろ? あ、1981年、まだ出ていないか(汗)。)

乗り継ぐ貨物列車への乗り降りは、もちろん不正行為で、乗るのは夜中だったりするわけだけれど、でも、読んでいて、いまいちスリルにもかけるような…。そんなこともない?(わからんです)。そういえば、道中や沖縄で言葉を交わしたりする人たちのなかに、悪意がある人というか、主人公たちを傷つけるような人たちが出てこなくて、それはなんとなくよかったかもしれない。あと、狭くて暗い貨車の旅が鹿児島で終わって(2人はいちど別れているのだけれど、またすぐに再会して)沖縄の海辺で、2人で(半)裸で追いかけあったり、抱き合ったりしている場面は、読んでいるこちらとしても開放感があって、よかったというか、ほっとしたというか。

小説の最後のへんは、西表島にけっこう長く滞在(夏の終わりまで)。そもそも、2人が西というか南というかへの旅に出た動機・理由が、なんだかよくわからない。とりあえず家出ではない。「ぼく」=星飼君の実家は田端で、町田(中町)にアパート(プレハブ、3畳間)を借りているらしい。2浪らしい(高校受験も失敗しているようだ)。女の子のほう=菜苗も町田で(その前は相模大野にいたらしい)、1人暮らし。何浪かわからないけれど、20歳は越えていて、午後からは銀座の画廊でアルバイトをしているらしい(フランス人の家のメイドをしたり、デパートでネクタイを売ったりしていたこともあるらしい)。でも、「ぼく」が菜苗を(予備校の教室で)見かけるようになったのは、この4月から。あ、旅は7月中旬(第1日目が7月13日か)から当初は10日くらいの予定だったのに結局、夏の終わりまで。

思えば、浪人生が主人公の長篇青春小説が読みたい、みたいなことを常々口にしていたのだけれど、いざ見つかってみて、読んだら読んだで、あれこれと文句をつけている自分って、いったい?(すみません…)。文学作品というと(この小説がそうなのかどうかちょっと疑問が残るけれど)、無意識的に読み解かなければならない、みたいな気持ちにもなってしまって…、なんだろう、とりあえずキーワードとしては「鳥」とか、名前にも使われている「星」とか、があるかな。あと、タイトルにも入っている「島」もか。
 
幻冬舎、2009。浪人生時代が描かれた作者の自伝的な青春小説。持っていないのでわからないけれど、『色即ぜねれいしょん』(光文社文庫)が高校生編で、まだ単行本になっていない『小説宝石』(光文社)連載の「セックス・ドリンク・ロックンロール!」が大学生編? それはともかく、けっこうおすすめです、この小説。長篇小説ということもあるし、作者本人が実際に浪人していた(らしい)ということもあるし、ある種のダメ浪人生の心理が、わりとちゃんと描かれているような気がする。そういえば、2009年に出た浪人生が主人公の長篇小説は、結局、これと北重人『鳥かごの詩』(小学館)の2冊しか見つからなかったです(無念)。あと、ちょっとネタバレ(?)してしまうけれど、失敗と成功というか(挫折と栄光というか)、2浪の末にちゃんと大学に合格するまでが描かれているあたりも、個人的には好感がもてる。自伝的小説、たんに作者が昔、そうだったというだけかもしれないけれど。(主人公が2浪している『学問ノススメ』の作者、清水義範は実は1浪しかしていない。)

高校(中高一貫の仏教系男子校)卒業後、京都で美術研究所に通っていた美大浪人生(武蔵美または多摩美のデザイン科志望)の乾純(いぬい・じゅん)は、上京して西荻窪の親戚(老夫婦)のうちに居候して、夏期コースから御茶ノ水の美術予備校(御茶美?)に通い始める。そこで2つ歳上の上智大学の学生で、お金持ちの娘である金田美奈と知り合い、なんだかんだで結局、童貞を喪失……したのはいいけれど、今度は彼女との付き合いで勉強に手がつかなくなってしまう、みたいな話(ちょっと違うか)。青春小説にありがちというか、自作の曲(の歌詞)があいだにはさまっている。そう、本の帯に<リリー・フランキーさん激賞!!>とあるけれど、キャラクター的に“オカン”がいい味を出しているかもしれない(cf.『東京タワー』)。上京…については、京都の人って、なんとなく東京に対してもコンプレックスがないようなイメージ(東の方向はすべて田舎!とか)があるのだけれど、そんなこともないのかな? 時代とか、同じ京都でも場所によるのかな。

そういえば(話がちょっと戻ってしまうけれど)、美大浪人生をちゃんと描いている長篇小説っていままでに(私が読んだ範囲では)あるようでなかったような。村山由佳『天使の卵』(集英社文庫)は長篇というより中篇という感じだし、ちょっとネタバレしてしまうけれど、竹内真『風に桜の舞う道で』(新潮文庫)は絵とかの勉強はしていないし。主人公の純くんに共感できるかどうかはともかく、本当の美大浪人生が読んでも、細かい部分ではいらつかないかもしれない(わからないけれど)。大学受験に失敗するたびに、部屋に石膏(像)が増えていく、みたいなあたりも、リアル? (あ、これは、小説でもときどき見かける、前年の不合格通知を勉強机の前に張っておく、みたいなことのバリエーションか。)

2浪目は親戚の家を追い出される感じで、高円寺のアパートに。1浪目と同じ予備校に通っているのだけれど、母親が持ってきた話に乗って、多摩美(たまび)の先生が開いている教室にも通い始める(予備校にはいかなくなる)。個人的に音大はそんなイメージ(大学の先生について勉強、みたいなイメージ)があったけれど、美大もそうなの?(不正があるのかないのか、この小説は、そのへんの処理がうまい?)。“浪人生”ということでは、その先生(川原)には1浪の息子がいて、音楽(ギター、作詞作曲)をやっていて、なんていうかちょっと主人公の羨望の対象になっている。あり得たもう1人の自分というか。あと、もう1人、小説の最初のほうで、京都の美術研究所に通っていたときの話で、「ジョン・レノン」というあだ名の3浪生が出てきている。

小説中浪人生による名言…というか、引用したい箇所がけっこうあったけれど、今回はがまんしておきます。あ、書き忘れていたけれど、時代は(作中の固有名詞からもわかると思うけれど)作者が1958年の早生まれらしいので、1浪目が1976年、2浪目が1977年かな。そう、主人公は冬期講習(?)でYゼミ(現国語と英語)にも通っている。(以前にも書いたような気がするけれど、1977年度といえば、たしか文芸評論家の坪内祐三がS台に通っていた年。御茶ノ水だからどこかですれ違っているかもしれない。あと、有名人といえば有名人、麻原彰晃(松本智津夫)とのちの奥さんがYゼミで知り合ったのも、たしか1977年だったような。でも、2人とも冬期講習前にドロップアウト?)

[追記]その後、文庫化(幻冬舎文庫、2013.10)。
 
上・下、毎日新聞社、1979/角川文庫、1982/集英社文庫、1984。手もとにあるのは集英社文庫。初出に関しては、下巻後ろの「解説」(香山二三郎)に<昭和53年(1978)6月4日から翌6月10日まで一年間に渡って週刊「サンデー毎日」に連載された>とある(p.335、数字は原文では漢数字)。以前にも書いたような気がするけれど、個人的におすすめな小説です。

苗字がタイトル(題名)とかぶっている、逢坂一家。東大志望で1浪の息子(=剛、読み方は違うと思うけれど、「逢坂剛」では某作家と同じ名前になっちゃうよね)目線の箇所もあるけれど、ほとんどお父さんorお母さん目線の小説。お父さんの逢坂常平は、スーパー(「マイウェイ」)に勤めていて、単身赴任、九州(福岡県四王寺市)で地元商店街を相手に出店交渉にあたることに。お母さんの千鶴は、専業主婦というか、息子にかかる費用のため、内職はしたりしているのだけれど、(“いけない人妻”と言ってしまうと、イメージがずれる?)最初は息子のことを思って、私立鳳明大学の助教授(亡き弟の友人、粂浩之)に接近していったり、みたいなことに。――大雑把に書いてしまったけれど、読んでいて細かい設定がうまいな、と思うことが多かったです。

全体的に言ってキーワードを1つだけ挙げるとすれば、やっぱり“学歴”かな。受験戦争(受験地獄)と流通戦争が描かれている、と紹介されることが多い小説らしいけれど、長篇小説なのであれこれと書かれている。そう、“大学受験の歴史”的には、第1回目の共通一次試験(1979年度)が描かれているあたりが、読みどころの1つかもしれない。読者のためもあるだろうけれど、詳しく具体的に書かれている(小説であるし、たんなるデータ的な資料よりは面白く読めるかと思う)。あ、浪人生なのに最初の共通一次を受けているということは、制度の移行措置(救済措置)はなかったのかな?(であれば、ある意味で不公平だし、浪人生がちょっとかわいそうだね。この小説によれば最初の年、東大は、結果的にいわゆる足切り、門前払いはなかったらしいけれど)。

息子の剛は、高田馬場の「青雲学院」という予備校に通っている(ちょっと歌いたくなるよね。…ならないか(汗)。♪せいうん、それはー、なんとかなひかりー)。マンモス予備校であるらしい。でも、元も子もないことを言ってしまえば、この小説、設定上、息子が浪人生である必要はあまりないと思う。高校3年生でもよかったのではないか。あとがない、という言葉が使われていたと思うけれど、家計的なつらさや、浪人していること自体のつらさなど、(東大志望で)1浪くらいでも、母子ともにあとがない→切羽詰っている、みたいな感じを出したかったのかな。剛は、東大の卒業生が経営している個人指導の私塾にも通い始めている。ネタバレしてしまうけれど、その若い塾講師(角倉豊彦)から剛くんは、“替え玉受験”を提案されている(小説的にはもうけっこう最後のほうになるけれど、読んでいて「どうするか」「どうなるか」みたいな、先が気になるところかもしれない)。

後ろの「参考文献」(p.332)のなかに(鉤括弧つきで)「河合塾諸資料」とある。たしかに作中にK塾がらみの言葉――「チューター」とか「東大オープン」(S台なら「東大実践模試」だっけ?)が見られる。作者の予備校がらみの取材先もK塾だったのかもしれない。

あと、地元(私の)がらみのことでは、お父さんが――引用させてもらうと、

 <逢坂のほうは、前橋の製材所の長男であった。彼も高校時代第一志望は東大だったらしいが、受験に失敗し、当時彼の父が長らく病床についていたなどの事情から、卒業前になって無性に東京へ出たくなり、都市銀行を受けて就職した。実家の製材所は今、弟がついでいる。>(p.59、上巻)

という設定になっている。学歴が重視されるというか、学閥が存在する銀行が嫌で、スーパーへ転職したら、そのスーパーにも、会社が大きくなるにしたがって学閥ができてくる、みたいな設定――は、うまいと思う。でも、東京が舞台の小説で、実家が北関東(特に群馬、栃木)というのはお約束……かもしれないけれど、ちょっといらっとする(これが地元の声?)。(地元で有名な国立大学卒、みたいな設定にもなっているのだけれど、であれば、群馬大学しかないわけで、当時は医学部、教育学部、工学部だけかな、うーん…、東京の銀行に就職できるのか? しかも、女子学生ではなくて男子学生だし。)

[追記]最近ある本を読んでいて知ったのだけれど、夏樹静子のお父さんは、上毛電鉄の初代社長らしい(びっくり)。であれば(子どもであっても)絲山秋子や横山秀夫などより、よほど“郷土ゆかりの作家”だと言えるかもしれない。(2011/01/25)
[追記]「五十嵐小太郎」でGoogleブックスの中を検索してみると(同姓同名の別の人も出てくるけれど)どうも社長ではなかったっぽいけれど、うーん...。ガセネタを書いてしまったかもしれない。すみませんm(__)m。上毛電鉄に関わっていたことは確かっぽいけれど、薄い関わり? (2015/04/15)
 
読売新聞社、1995/文春文庫、1998。先に言っておくと、今回もたいした感想はないです。手もとにあるのは文庫のほうで、初出は後ろの「解説」(郷原宏)によれば、<「週刊読売」平成7年(1995)1月12日号から7月23日号まで約半年にわたって連載され>ていたとのこと(p.332、数字は原文は漢数字)。作中の年・月もだいたいそれに沿っている感じ。

あまり関係ないけれど、思い出したことがあって。その昔、観光(といえば観光という感じ)で京都を訪れたときに、真夏の暑い日で、私は飲み物ばかり飲んでいたのだけれど、自動販売機でボタンを押して缶コーヒーをごろごろっと買ったら(UCCだったかな)、ラベルというか、缶の表面に「祝!遷都1200年」みたいなことが書いてあって、ちょっとびっくりした覚えがある。そんなこととはつゆ知らずに訪れていた(汗)。歴史オンチの私でも知っている、鳴くよ(794)うぐいす平安京、というやつですね、1200年前は。この小説の作中年はその翌年=1995年で、読むと(小説だから本当のことかどうかわからないけれど)遷都1200年に合わせて新しいホテルが建設されたりもしたそうだ、知らなかったです。今年=2010年は「なんと(710)きれいな平城京」(ま、覚え方はお好きに(汗))奈良が遷都1300年らしいけれど、宿泊施設事情はどうなっているのかな? 景気が悪いどころか最悪ななかで、新しく建てられる財力のあるところはあるのだろうか?(缶コーヒーはわからないけれど、何かセントくんイラスト付き期間限定ご当地食べ物なんかは、すでにたくさんありそうな?)。1995年といえば、もちろん(?)阪神淡路大震災についても少し触れられている。思うに一般に、時代設定をコンテンポラリー(同時代)にして、雑誌とかに小説の連載を始めてしまうと、世の中に何か大きな出来事が起こった場合に、それに触れないわけにいかなくなるよね(あ、特にこの小説の場合、舞台が京都という被災地に近い場所だし)。

 <北野天満宮で舞妓の豆千代が殺されて以来、京都西大路通りの由緒ある神社仏閣で次々と発生する殺人事件。容疑者はホテルオーナー、ゲーム機会社の社長、大学助教授、著名な人形師に服飾評論家など、古都を彩る名士ぞろい。果たして真犯人は? 日本画家の沢木と舞妓の小菊が活躍する傑作長編ミステリー。>(表紙カバーより)

バブル経済・バブル景気はもうはじけている(と作中でも言われている)けれど、けっこうバブリーな? 会話部分に京都弁が多いせいか、お金持ちがたくさん出てくるせいか、たんに私がお座敷や舞妓さんに(というか歴史ある京都じたいにほとんど)無縁なせいか、ちょっと浮遊感がある小説だったような。探偵役の2人(男女)の付き合いも、少し紗がかかっているというか、ちょっとあわあわとしている感じ(あ、手もとの文庫本の文字がちょっと大きめ、というのも、そう感じる原因の1つになっているかもしれない)。舞妓さんと付き合うのは、基本的には私的にであっても、お金がないと駄目な感じだね。…それはともかく。あと、そう、人が次々と殺されていくのに、その2人が直接、死体を目撃することがなくて……上品といえば上品な小説なのかもしれないな(死体と死じたいとどちらがリアルか? といのは愚問かもしれないけれど)。ミステリー的には後半になってやっと面白くなってくるかと思う(「ある秘密」と題された章以降)。ミステリーではない部分に関しては、最近記憶力がめっきり衰えてきたせいか、ザ・京都、お祭りとか伝統行事とかがたくさん出てきて、頭の中でごっちゃになって何が何やら…(涙)。雰囲気だけでなく、小物(?)的にも、花(梅や牡丹)とか人形とか着物とか、女性作家が書いているという感じはとてもする(少女趣味の延長的な大人の女性の趣味というか)。あ、でも、ちょっとびっくり、携帯電話が登場してくる。1995年ではたぶん早いほうだと思う。(何で読んだのか覚えていないし、ほかの作家と間違っているかもしれないけれど、山村美紗って小説に新しい家電を登場させるのが得意なんだっけ?)

本題というか、ネタバレしないように書こうとすると触れにくいのだけれど、えーと、数人の犯人候補のなかから1人、この人が怪しいという人物がわかってくる。で、その人(2浪して東京のA大学の理工学部を卒業という経歴)の約30年前の予備校時代に何やら事件の謎を解く鍵が…、みたいな展開に。日本画家の沢木は、その人物と予備校(R予備校)で一緒だった人に会って話を聞いたりする。――時代によっても予備校のシステムや雰囲気にもよっても違うだろうけれど、例えば1クラス300人くらいの規模になれば、目立たなかった1人の生徒を覚えているクラスメートって、ゼロな可能性は高いよね。これはぜんぜん他人事ではなくて、私の予備校での姿を覚えている人なんて、1人でもいるんだろうか(涙)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・『受験戦争殺人時代』(C★NOVELS、1992/中公文庫、1995)

上の『京都西大路通り殺人事件』を読んだあと、拾い読みしたままほったらかしてあったこの小説もついでに読んでみたです。小説としてはどうかと思うけれど、なんていうか“受験小説”としてお薦めといえばお薦めかな。あ、教師目線の小説です。

 <高校三年の夏、女生徒がマンションの屋上から墜死した。受験の悩みか、イジメの問題か。だが担任教師の亜木子は、彼女が妊娠しており、死の直前に男から電話で呼び出されていた事実を知る。受験で歪んだ学校で、男性教師の不審な行動に疑いを抱く亜木子。彼女は、恋人の大手予備校講師田辺とともに、女生徒の死の真相に迫ろうとする……。教師の経験を持ち、受験生の母を体験した著者の力作長篇>(文庫のカバーより)

初出は後ろの「解説」(中島河太郎)によれば、<「中央公論」で、平成3年9月から翌年8月にかけて連載された>とのこと(p.287、数字は原文では漢数字)。※以下、ネタバレ注意です(すみません)。舞台は例によって京都で、主人公の亜木子(苗字は石田)は公立の進学校で3年生の担任をしている。読んでいて教員どうしの関係とか、学校の先生にはなりたくないな、と思ったりした(学校でなくても人の世、どこに行っても似たようなものかもしれないけれど)。浪人生は出てこないけれど、↑で書かれているように、亜木子の大学時代の同級生として、東京の大手予備校の講師=田辺が出てくる。その田辺からプロポーズされたりして、恋愛小説のような感じにもなっている。あと、息子が東大を落ちて浪人中の教師=学年主任の首藤(すどう)も出てくる。その息子も大学(京大)に受かってから一瞬だけ出てくるけれど。ほかに浪人がらみのことでは、別のクラスの生徒が1人東大に落ちて首吊り自殺をしているけれど、ほかの生徒たちは、東大や京大なら浪人するのが当たり前、と考えている感じ。この学校、学年の生徒の半数くらいが浪人するらしい(東大合格者数はもっとはるかに少なかったと思うけれど、私の出身高校も浪人率はそれくらいだったような)。

この小説を読むと(どれくらい現実を反映しているのかわからないけれど)進学高校の評価は、有名大学への合格者数なんだな、と改めて思わされた(うーん…)。ただ、それにしても、東大・京大、東大・京大…、あと早稲田とか慶応とか(関西だから)関関同立とか、そうした有名大学の名前ばかりでうるさいよな、この小説(涙)。東大、京大ばっかり気にしているから、門前払い(足切り)、門前払いうるさいし、センター試験の平均点、平均点うるさいし(涙)。世間的に無名な大学を受けた生徒もいるはずだし、高3クラスの担任教師なら来年(度)からどうなるのか、クラス全員の進路を等しく心配するのが筋なのではないだろうか。なんていうか、社会派ミステリー度が足りないのかな? あ、社会派ミステリーが弱者を描くものだとはかぎらないか。読みどころというわけではないけれど、1992年度(平成4年度)のセンター試験については、データ的にはけっこう細かく書かれている(初出が『中央公論』なんだよね…、この小説を面白く読んでいたのは、受験情報に疎いお父さんたち?)。

これもネタバレしてしまうけれど、(少なくとも小説上)いろいろな不正入学の手口があるなかで、やっぱり推理小説といちばん相性がいいのは、“入試問題漏洩”なのかもしれない。逆に言うと、予備校講師や塾講師がからんでくるミステリーは、入試問題の売買やなんかで関連のなさそうな人物どうしが裏でつながっていることが多い――とでも覚えておけば、読者としては犯人早期発見に多少、役に立つかもしれない(ぜんぜん論理的な方法じゃないけれど(汗))。
 
コバルト文庫、2007。シリーズ22冊目? この巻しか読んでいないけれど、祇園&囲碁&軽いBLみたいな内容。漠然とした感想としては、読みやすくていいのだけれど、なんていうか、スナック菓子を食べているような気分、になるというか。

 <囲碁部に入っている中学生・美希也は、学校を訪れた高校生プロ棋士の紫堂薫と再会した。美希也は舞妓「千代菊」として紫堂とは恋愛関係にある。でも紫堂は、千代菊が女の子だと信じている――男として紫堂と親しくなり、複雑な心境ながらも嬉しく思う美希也。そんなとき、芸舞妓さんたちが通う囲碁講座の講師役をめぐって大問題が発生! 美希也と千代菊、ふたつの立場で板挟み状態に……!?>(カバー折り返しより)

1人称「ぼく」小説で、けっこう語りかけてくる文体。それはともかく、紫堂と講師を争うのが、関西の高校生囲碁チャンピオンだった、いまは浪人中の稲盛亘(わたる)。囲碁・将棋サロンを開くことになった稲盛さんの息子。稲盛さんというのは……細かいことはいいか。亘くん、父親離れしたいけれど、父親の手のひらのうえで行動させられている浪人生、という感じ? コバルト文庫だからライトノベルといえばライトノベルなのかな、この小説もイラストがあっていない気が…。とりあえず、眼鏡キャラです。作中の時間経過は、5月1日から最後はゴールデンウィーク明けまで。月日がやけにゆっくり進んでいるシリーズ? そう、主人公が都おどり、都おどり言っていて、手前のほうの巻もちょっと読みたくなったです。あ、浪人中の亘くんが、もう1度、登場してくる巻もあるのかな? あとで探してみるか。
 
大和書房、2003。自伝的なエッセイ集。図書館でふと手にとってみて借りてきた本。欲しいな(文庫化されていないのかな?)。

「女になるとするか」「×姉妹にならなくてよかった!」の2篇が予備校のときの話。前者は小論文の先生を好きになった経緯や顛末(?)について、後者は友人たちとのことというか、初デートの苦い思い出というかについて。著者は1度入った大学を1年でやめてK合塾(東京)に2年通っていたらしい(2年目は別の校舎)。全体的な感想というかは、けっこう面白く読ませてもらったけれど、(小説を読んだときにも思ったけれど)この著者は精神年齢がけっこう低い? ま、それについてはご覧のとおり、人のことはぜんぜん言えないけれど(汗)。作者は1967年生まれ。

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K塾に通っていた小説家ってけっこう珍しい? そんなこともないかな、たんにみんな言わないだけで、実際にはもっとたくさんいそう。

あまり関係ないけれど、昨年(2008年)文庫化された本(小説といえば小説)、竹内薫・竹内さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』(中公文庫、単行本は1998年に徳間書店から)では、K塾の建物(千駄ヶ谷校)の近くを車(タクシー)で通っている。廣松渉(哲学者)といえばK塾、逆にK塾といえば廣松ーみたいな連想ができる人もあまりいないかな?(そんなこともないか)。竹内薫は、私の頭の中ではいまだに『NEWS ZERO』(日テレ)の科学解説おじさん。巨人ファンなんだよね。←どうでもいい話(汗)。
 
講談社、2006/講談社文庫、2009。以前、本屋の文庫新刊コーナーで川上弘美の掌篇小説集『ハヅキさんのこと』(講談社文庫)と一緒に置かれていて、つい手にとってみて買ってしまった本。初出が(最後の4篇を除いてすべて)『室内』という雑誌らしく、『ハヅキさん~』も、収録されている6篇がそうなので、家に帰ってからそれに気づいたのだけれど(文庫化の時期的には必然的なことかもしれないけれど)微妙な偶然だったというか、どうでもいい話ですね(汗)。

 <古本屋の小僧だった達ちゃんもついに独立。どことなく月島の雰囲気が漂う下町風の街・高円寺に古書店を構え、羽ばたきだす。本から薫る時代のにおいを伝えたくて、古書に携わってきた。夢を辿る途上に待っていた文学賞との出会い。だが、商売は畳まない。これは天職だから。自伝的長編小説、ついに完結。>(カバー背より)

小説というより、やっぱりエッセイ集(連作エッセイ)という感じなのだけれど、それはともかく。読んでいると、なんていうか、ちょっと淋しくなってくる感じ、かな(あいかわずぼんやりした感想でもうしわけない(汗))。

「同居人」とタイトルがついている箇所では、「私」が杉並区で古書店を始めたころに、予備校生(知人の弟)と同居していたときのことが書かれている。店番をしてもらう代わりに下宿(店の2階)代はとらない、みたいな。炊事など、気を使うこともあって男どうしの同居生活もたいへんだ、みたいな話かな(違うか)。もう1箇所、最近(初出時くらいかな)Kさんという方からもらった手紙が紹介の内容されている(「漢詩」、「誕生日」、「白い手」、「生卵」)。昔、月島の古書店で店番をしていた「私」から『マルクス=エンゲルス選集』8冊を買った、という……。そのKさんは当時(昭和38年=1963年)、上京していた浪人生。ちなみに作者は1944年生まれ。
 
メディアファクトリー、2009。個人的にこの手のタイトルの本はつい手にとってしまう癖があって、今回のようにときどき買ってしまうことも。帯の俳優・大泉洋による推薦文の下には<伝説的人気番組『水曜どうでしょう』(HTB)の“ミスター”こと鈴井貴之の、初!エッセイ的私小説。>とある。序章というかまえがきというかにも書かれているけれど(p.10)、やっぱり一応「小説」であるらしい。で、まだ4分の1くらいしか読んでいないけれど([追記]1週間後くらいに読了)、なんていうか、ひとことで言って、まじめ? よくわからないけれど、エッセイでも小説でも「大人」になってから書くと、こういう反省的なものになってしまうのかな? ま、「大人」の種類によるか。この人、芸能関係の人にしては文章が中途半端にうまくて、なんだろう、よくできた自費出版の自分史本を読まされているような感じが。自分も溜め息ばかり人間、自己嫌悪人間だから人のことは言えないけれど、読んでいてぜんぜんテンションが上がってこない(涙)。もうしばらく我慢して読み続ければ、面白くなってくるのかな?(うーん…)。([追記]最後まで読んでもテンションはあがらず(涙)。)

「僕」は1962年、北海道生まれ。1浪目は実家にいたのかな、札幌に出てきた2浪目(1982年)のあたりから話が始まっている。北大近くのアパートで1人暮らしをしながら予備校に通っている。でも、そのアパートの近くには、北大に通っている小中学校のときの友達(M本くん)のアパートなどがあって……詳しいことはもういいや、今回は省略です(汗)。ただ、そう、浪人中に社会人の彼女もいたらしい。あと、2浪目の受験で、滑り止め1校以外すべて落ちて(東京にも行けなくなって)札幌の街をさまよい歩いたりもしている(“受験生小説”のお約束: 受験に失敗→街を彷徨)。読んでいるとこの浪人2年目はけっこう濃い1年(浪人2年目)だよね。そうでもない?(でも、自分も20歳くらいのころは、いまよりずっと1年が長く感じていたような)。

([追記]上で触れた、浪人中に付き合っていた彼女とは遠距離恋愛ののちに別れているのだけれど、数年後にその彼女から結婚式の招待状が届いて、「僕」は参加している。“浪人”とは関係ない箇所だけれど、嘘っぽいというか小説っぽいというか、読みどころの1つかもしれない。ちょっと涙? 関係ないけれど、最後まで読むと、本人は否定しているけれど、この人、やっぱりけっこうもてる人だよね。)

[追記]その後、文庫化される(MF文庫ダ・ヴィンチ、2012.2)。続編(=『ダメダメ人間』)も出ているけれど、私は未読です。
 
太田出版、2009。ご存じ、人気脚本家クドカンによる自伝的な青春小説。なんていうか、ふつうに面白かったです。読んだことがないけれど、大槻ケンジとか、みうらじゅんとか、そんな感じの路線?(時代も高校も違うけれど、井上ひさし『青葉繁れる』にも通じるかな)。舞台となっているのは宮城県栗原市、描かれているのは主に高校1,2年のときのこと。主人公の「僕」(=宮藤シュンイチロウ)は1986年、男子校・月伊達(つきだて)高校に入学する。

読んでいてけっこう自分の高校――伝統はあっても全国的には無名の、地方の中途半端な進学男子校――のときのことを思い出してしまって。下駄とか手ぬぐいとかはもうなかったけれど(生徒手帳の校則に「下駄禁止」という謎の?記載はあったけれど)、雰囲気にはけっこう似たところがあったかもしれない。入学した最初の週だったか、数日連続で放課後、体育館に集められて校歌と応援歌(?)を、竹刀をもった応援団の人たちに“練習”されたこととか……ほんと長いあいだ忘れていたことを思い出しちゃったよ(涙)。なんていうか、高校時代にこの「僕」のように何か派手な思い出があればいいけれど、私には何もないからね(涙)。友達もいなくて暗かった記憶しかない。大学にも落ちているし。それはともかく。

「高三英作文」という授業をなぜ浪人生が受けているのやら、ネタバレしてしまうけれど、「僕」が童貞を捨てた(あるいは捨て損なった)相手として浪人生(早瀬ミカ)が出てくる。東京へ出るための正攻法、すなわち大学進学を思いついた高校2年の「僕」は、仙台で下宿して予備校の夏期講習に通うことに。下宿(72歳の未亡人が経営)はふすまを隔てて2人1部屋で、「僕」と同じ部屋には秋田出身、高校3年のアンラッキー(荒木)がいる。そう、仙台といえば“ハレとケ”のハレ、やっぱり七夕(祭り)なのだろうか。その前に仙台=都会じたいがハレの場かもしれない。――なんていうか、ちょっとびっくりな(?)新種の官能表現がある(pp.192-4)。

 「**」
 「・*」
 「*・」
 「・・」
 「**」
 「・*」

あ、縦書きじゃないと駄目だな。“顔”文字ならぬ……(以下自主規制)。ちなみに、「僕」は浪人はしていない。現役でいわゆる日芸(日本大学芸術学部)に。

[追記]その後、文庫化。文春文庫、2013.10。
 

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