集英社文庫、1988。速水ねこみち。←ちょっと言ってみたかったので(汗)。どうでもいいけれど、表紙が怖い。感想は、なんていうか、やっぱり微妙…かな。ひと言でいえば“化け猫小説”というか、“猫娘小説”? 改行が多くて下のほうが白い本であるし、内容的にも意外と動きがあって(動的な感じで)読みやすくてよかったけれど。※以下、いつものようにネタバレ注意です。

 <麹町、富士見町、飯田町…承久年間、地下九尺の深さに張りめぐらされた木製の上水路。いまや地上げ屋暗躍の古書店街。文雅洞にバイト中の柏木圭太も、いつしか黒い渦に巻き込まれてゆく。そして、行く先々で出会う獣の感触は、いったい何か!? 愛猫家自認の著者が、江戸時代の資料を材に描く、まさに恐怖の“猫”シリーズ、書き下ろし第2弾!! /解説・中野昭慶>(表紙カバーより)

御茶ノ水・神田のあたりが舞台であると、土地や建物、人間とかが何かに憑かれていることが多いのかな? この小説では魔物とかではなくて(cf.いわなみちくま『悪魔のシッポ』)“猫”だけれど。古い本がたくさんな古書店街、戦火をまぬがれた古い建物、地下に残る江戸時代の木製給水パイプ……。過去と繋がっているのも当然というか、何か時代を越えた存在が出てきてもしかたがないか(よくわからないけれど)。

「品川の都立高校」を卒業しているという圭太くんは、父親の転勤で博多に引っ越すことになった両親にはついていかなかったとのことで、本郷の高台にあるアパート「睦美アパート」でひとり暮らしをしている。チベット語を覚えてヒマラヤの山へ行って絵を書きたいという夢をもっていて(“浪人生小説”にしては夢がはっきりしているな)、今年の春は「東京外語大学のモンゴル語学科」を受験したけれど、落ちてしまったらしい。それで、今年は…というか、いま季節は夏で、夏期講習中なのだけれど、午前中(8時半~12時半)は駿河台にある、戦前からある予備校の老舗らしい「帝国塾ゼミナール」へ通い(クラスは「国立文系午前の部Gクラス」とのこと)、午後(2時~8時)は、その予備校の数学講師で彼のクラスの担任でもある小池恭一(「東大経済卒、二十七歳」)に紹介してもらった、神田・古書店街の外れにある古本屋「文雅洞」でアルバイトをしている。で、その古書店の店主には人妻の娘がいて、予備校でも女の子と知り合ったりで、なんだかんだと起こる。←テキトー(汗)。

「帝国塾ゼミナール」というのは、よくわからないけれど、すごい名前だな(汗)。「塾」と「ゼミナール」で、ちょっと頭痛も痛くなっているような? 圭太はアパートからその予備校へは(JR御茶ノ水駅のほうからではなく、1つ隣の)水道橋駅のほうから徒歩で通っているらしい。←あいかわらず東京の地理・地名に疎いです(涙)。略せば「帝ゼミ」? は、たぶん実在するS台が多かれ少なかれモデルになっているのだろうけれど。都内や近郊の都市、あと名古屋・仙台・博多にも分校があって、圭太が通っているのはその本部とのこと。京都や大阪にはないのか(そんなことはどうでもいいか(汗))。隣には「某婦人雑誌のビル」があるらしい(林真理子『本を読む女』にちらっと出てくる「主婦之友」社?)。いずれにしても、御茶ノ水のあたりがこれほど詳しく書かれている浪人生小説は、初めて読んだかもしれない。でも、「これほど」といっても、それほどでもないし、S台生におすすめできるかといえば、内容的にもできないような。――授業料やアルバイト代についても具体的に書かれている。

 <夏期講習の授業料は前期後期あわせて20日間で8万。1日あたり4,000円の計算になる。その金を圭太はアルバイトの中からきりつめて払った。だからむだにするのはいやだった。>(p.61)
 <1日4,800円で27日分、129,600円。そこから税金を1割天引きされた。約10万の金がはいった。>(p.174)

見づらいので漢数字を適当にアラビア数字に直した(たいして変わらないか)。午後はアルバイトで、午前中しか通えないわけで、夏期講習にかぎらず、いままでも↑のようなスケジュールだったのかもしれない。本の出版年は…1980年代の後半か、午前中だけで4千円というのは、安いのかな? うーん…、ちょっとわからないな。正確には、収入は1割引で……11,6640円か。アパート代が3万くらいすれば、6千円くらいしか残らないよね。食事代その他がなくなってしまう。というか、親からの仕送りはゼロなのかな?(書かれていない)。でも、その古書店のアルバイトを首になってしまうので(ネタバレしてしまうけれど、そのあと古書店自体も火事になってしまう)、これからどうするのかな、圭太くん。

本人も口にしていたと思うけれど、けっこうもてている。登場人物の紹介も兼ねて挙げておけば、私立大学に通う高校の同級生で友達の三橋邦彦(お金持ちの息子)の妹・三橋朝子(「R女学院高等部の一年生」)、予備校の授業で出会う謎の(?)自称高校生・石毛みどり(「名門女子校」の「清村学園」)、文雅洞の店主である森川氏の娘で実家に戻ってきている九法洋子(26歳)……。小説的には圭太の次に重要な人物である洋子も、やけにもてている。三橋邦彦、文雅洞でバイトをしていたことがあって元婚約者である小池恭一講師、不動産業(いわゆる地上げ屋)を経営する現在の夫である九法一正氏(苗字は「くのり」と読む)、そして柏木圭太本人も。――おおざっぱにいえば、やっぱり取り合う感じで、圭太と洋子でうまくいけばめでたしめでたしかもしれないけれど(ネタバレしてしまうけれど)、最後、圭太は洋子のことを諦めて終わっている。でも、そのことによって成長をしている?(成長小説になっているかな?)。微妙なところか。別にどちらでもかまわないけれど。

話が前後するけれど、上の授業料代について書かれている手前のところには、

 <若い威勢のいい教師の授業がはじまった。/長文読解。/ジョージ・オーウェルのアニマル・ファーム。/エアコンもきいていて、眠気が襲ってきた。>(p.61)

とある。石毛みどりと出会う場面のなのだけれど、それはともかく。1980年代後半、『アニマル・ファーム』(『動物農園』)ってどうなのかな? 古いといえば古いと思うけれど、予備校のテキストや英語の参考書に載っているぶんには、まぁふつうか。(個人的に好きな小説、南木佳士「火映」(『神かくし』所収)にも「アニマルファーム」が出てくる。浪人生ではなく、高校3年生(1969年?)の話だけれど。)

誤植というかなんというか。店主の森川氏の下の名前は「敬作」なの?「平介」なの? 九法氏の部下の1人・パナマ帽の男の苗字は「山田」?「阿久津」or「寺島」? 両親がいるのは「博多」であるはずなのに「仙台」となっている箇所がある。ほかにもいろいろとありそうだけれど、もう読み直す気力がない。
 
手もとにあるのは、祥伝社文庫(2002)。後ろの解説(細谷正充)によれば、ノベルス書き下ろし(ノン・ノベル、1979)で、文庫は以前にほかからも出ているらしい。読みにくくはなかったけれど、約400ページ、読むのが遅いので、今回もだいぶ時間がかかったです(涙)。※以下、ネタバレ注意です。

 <錦鯉誘拐、身代金として五百万――これが事件の発端だった。つづいて多摩川土手で炎上した車から若い男の死体を発見。北多摩署の蟹沢警部補は、相馬刑事と共に靴底をすり減らしながら男の身許を洗う。ところが、若い女の全裸死体が発見され、にわかに捜査は混迷し始めた。やがて捜査線上に浮かんだ三人目の容疑者とは……。粘りと執念が光る警察推理小説の白眉。>(表紙カバーより)

素人探偵・私立探偵ミステリーだけでなく、“警察小説”もこうしてときどき読んでいるのだけれど、いまだに警察組織がどうなっているのやら、ぜんぜん覚えられない(涙)。役職名とか上下関係とか(たぶん一生覚えられないな)。あと、読んでいて思ったのが、警察はあれこれ書類が多すぎるよね、こんなに書かなくてはいけないのか。たいへんだ(というか、手抜きされていいかげんに書かれているものも多そう)。名前どおり平家蟹のような顔をしているらしいカニさんこと蟹沢――下の名前は石太郎、奥さんと高校生の2人の息子がいる、48歳――の得意技は、複数の事件の間のカニ歩き(横歩き)。捜査はのんびりしているというか、かなり地味というか。粘っているといえばそうなのかもしれないけれど。そういう意味ではあまり急いで読むような小説ではないかもしれない。あ、捜査の進展は“偶然”にもけっこう助けられている。ほかの登場人物というか、ちらっとしか出てこない人にもちゃんと名前(固有名詞)が与えられている小説で、出てくる人がすごく多く感じる(というか、実際に多いのだろうけれど)、ま、とりあえずカニさんとペアを組んで行動することが多いのは、これも名前どおり馬面のウマさんこと、相馬(独身、下の名前も出てきていたような…、すぐには見つからないな)。

2つの事件(会社員の女性が被害にあった強盗致傷事件と女子中学生が被害にあった強盗強姦未遂事件)を抱えているときに、錦鯉がいなくなった、という電話がかかってくる。それがあとで誘拐事件に発展する。宝石会社と金融会社の社長・財津儀四郎が庭の池で飼っていて、盗まれた錦鯉というのは、農林大臣賞を受賞している2200万円もする昭和三色。――ちょっとネタバレしてしまうけれど、この小説を読んでいていちばん驚いたというか、ちょっとショックだったのは、その錦鯉のゆくえ。蟹沢たちも驚いているけれど。そのあと2件の殺人事件が起こる。見つかるのは、車ごとの焼死体(野田啓六)とマンションの一室の絞殺体(皆川夏子)。――というか、本題に入っていいですか(汗)。

これもネタバレしてしまうけれど、女子中学生が奪われて犯人がお金にならないと判断して捨てたらしいディズニーの腕時計を拾っていた人物として、浪人生が出てくる。この浪人生はまたあとで、平屋を挟んだ向かいにあるマンションの、殺人事件が起こった部屋に出入りしていた人物の目撃者にもなっている。――自己紹介があるので、私が説明するよりも引用したほうが早い。

 <「学生かね、きみは?」/「浪人です……」(略)/「お茶の水の駿河台S予備校へ通っています。二浪ですよ。年は二十。名前は浜中浩一。気分がイライラしたり、頭がモヤモヤしたりしたときには気分転換のために三十分ほど走ることにしています」/(略)/「どこの大学をねらっているんだね?」/「東大です」/「へーえ」と蟹沢は唸って、「東大かね、えらいねえ」>(p.61)

小説に出てくる浪人生にしてはちゃんとしていて、落ち着いている感じかな。「S」ってなんだろう? 錦鯉が誘拐された財津家の次女の美加子は、本人によれば「多摩女子S美大の三年」とのことだけれど、ここにも謎の「S」が入っている(汗)。ありそうなところで、specialの略とか?(違うか)。それはそれとして、予備校はやっぱり実在するS台を意識しているのかな? 予備校がS台もどきだから東大志望なのか、東大志望だからS台もどきにしたのか。わからないけれど、まぁそんなところかもしれない。出てくる参考書の名前もちょっと微妙な感じ。「新」が入っている『古文新研究法』、「傾向」と「対策」が逆になっている『世界史問題集 対策と傾向』…。あと、ありがちなアドバイスかもしれないけれど、受験生は、勉強で頭が疲れたときには、この人のように走らなくてもいいかもしれないけれど、散歩とかをしてちょっと体を動かすといいよね、やっぱり。

住んでいるのは、国立市のマンション(「矢口マンション」)の3階。6畳1間に台所、洗面所、風呂・トイレ付きで、クーラーもあるらしい。2浪目で心理的には大変かもしれないけれど、環境的には恵まれている浪人生というか。郷里は甲府(山梨県)で、父親は同市で弁護士をしているらしい。本人はいちおう、判事(裁判官)志望らしいけれど、本当は新聞記者か刑事か消防士になりたい、みたいなことを口にしている。で、どうして事件がらみの目撃者になったかというと、双眼鏡で美しい被害者(ホステス、26歳)の姿を見るのが、<灰色の青春>(p.135)のなかで唯一の楽しみだったかららしい。部屋の中を覗いているのではないから、この浪人生の場合、罪は軽いというか、罪にはならないかもしれないけれど、なんていうか、ほかの楽しみを見つけようよ?(そういう問題ではないか)。というか、胸をときめかせていた女性が亡くなってしまって、今後、息抜き(?)はどうするのかな? いずれにせよ、大学はちゃんと受かったのだろうか、浜中くん?

ちなみに、作中の月は9月、最後のほうで10月に。年は「昭和五十X年」とされているけれど、蟹沢が、いま43歳の奥さん(陽子)と結婚したのが昭和30年5月で、奥さんが19歳のとき、と言っているので、43-19=24、30+24=54で、ノベルスが出版されている昭和54年(1979年)か、その1年前の昭和53年(1978年)ということになるかもしれない。
  
立風書房、2001/講談社文庫、2005。手もとにあるのは、後者です。※以下、いつものようにネタバレにはご注意ください。

文章については(ご覧のように)人のことがとやかく言える身分(?)ではないのだけれど、“騙し絵”で有名なM.C.エッシャーに対する中途半端な憧れを表明する以前に、自分自身の文章の非芸術性をなんとかしたほうがいいのではないかと思えるような、リズムが悪くて読みにくい文章であるかもしれない(もちろん主観だけれど)。内容的なことでは、例えば、いわゆる“団塊の世代”に対して苦虫を噛みつぶしたような顔を向ける世代、であるというのはしかたがないにしても、その批判がこれまた中途半端というか、稚拙な感じがするというか。

この小説の主人公を1人挙げろ、と言われたら、やっぱり“大阪という都市の一部”?(「人」ではないけれど)。明治、昭和(1970年前後)、平成と、同じ場所でも名前が変化していたりするし、こまごまとした地名がたくさん出てくるし、…要するに読んでいてめんどくさい。面白い小説であれば我慢して読むけれど、今回は辛抱できなかったです。しかも、500頁以上もある本、やっとこさ半分くらい読み終わったと思ったら、今度はなんと博覧会!(「第五回内国勧業博覧会」)の再現描写があって、必然的に展示館だの展示物だのの列挙ありで、それはそれは読むのがめんどうなことでした(涙)。要するに衣ばかりで中身のほとんどない海老の天ぷらみたいな小説?(別にエビフライでもいいけれど)。で、なんだかんだで最後まで読んで、真犯人(というか)の名前を聞いても、「あー、やっちゃってるよ(何を?)」とため息をついてしまうくらいな、がっかり小説でした。

弁護士で素人探偵の森江春策の頭には、作中で起こる、あるいはすでに起こっている大小いくつかの事件のほとんどすべてが、<密室>に思えてしまうらしいけれど、森江目線・時系列でいえば、まず、2000年の4月、大阪府豊中市の路上で男性がネクタイで首を絞め殺された事件=<路上の密室>の容疑者として汐路茂という男が逮捕され、その弁護を引き受けるというか冤罪を証明しようとする。で、被害者=宇堂祥吉と汐路氏の接点を調べると……というか、あまり詳しく書いても意味がないな。簡単にいえば、学生運動での警察機動隊との衝突と、1970年に河底トンネル(「安治川トンネル」)で起こった殺人事件=<水底の密室>にさかのぼり、さらには明治に大阪にもあったという外国人居留地(「川口外国人居留地」)での殺人事件=<河畔の密室>にまでさかのぼる、みたいな話。最後のほうでは(「プロローグ」でも描かれているけれど)誰かから脅迫された早船光太郎――路上での被害者・宇堂の大学の同級生で友人――に代わって森江が、その脅迫者の要求どおり“絵画”を持って水上バスに乗り込む、みたいな、どこが「密室」なのか説明を聞いても個人的にはさっぱり理解できない事件=<水上の密室>も起こっている。

いつものように本題というか。路上事件の目撃者として山松信之という浪人生が出てくる。事件が起こったのは10時過ぎであるらしいけれど、いまどきそんな早い時間であれば、小学生でも起きているだろうし、どうして小説的に、浪人生を目撃者に抜擢したのかがよくわからないけれど、それはそれとして。

 <「ちょうど、僕はこの机で勉強中――というかほんまのとこはボォッとしていて、何気なく顔を上げたとたん、男の人が二人、争っているのが見えたんです。(略)」>(p.154)

 <(略)しかも、これでは貴重な夜の勉強時間が――サボることはままあったけれど――台なしではないか。>(p.330)
 <(略)それにしても、何もこんな時間にしなくても昼間なら予備校がサボれるのにと思ったが、(略)>(p.331)

いちばん上は森江が最初に会いに行った場面、下の2つはその浪人生目線の箇所で、警察関係者が家(2階の部屋)に来て再現実験(というか)をしている場面から引用。まだ4月だというのに呆けていたり、さぼることばかり考えていたり、なんていうか、気合いの足りない受験生だな。大丈夫だろうか、来年の入試は? ま、心配するだけ損か。いちばん下、予備校ではなくて夜の勉強がさぼれているのだからそれでいいのでは? ちなみに、長男らしいです。2階の自分の部屋は6畳らしい(どうでもいいか(汗))。そういえば、最初に森江が訪ねたときに平日の昼間から家にいた理由が書かれていない(予備校はふつうにさぼったのか?)。

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文章について少し具体的に言ったほうがいいかな。例えば最初の文(「プロローグ」の冒頭)は、

 <灰色の都市に架け渡された灰色の橋の真下に、輝くような純白の船が差しかかろうとしていた。>(p.7)

となっている。これを音読すると私は必ずどこかでつっかえてしまうのだけれど、それはなぜ? うーん…。「灰色」という言葉の繰り返し、「灰色の橋」の「は」の繰り返し(頭韻)、「架け渡された」「輝くような」「差しかかろうと」の「かk」または「かg」の繰り返し(これも頭韻)――表現効果を考えているとはとても思えない、テキトーな書きぶり? そうでもないか(わからない)。改行されて続く2文目は、<川は満々と青黒い水をたたえて流れ、(略)>(同頁)となっているのだけれど、色彩的なイメージ的にも、灰色の背景に灰色の橋、その下に白い船、その船の下には青黒い川――現実でもそうなっているのかもしれないけれど、イメージを喚起させる言葉、として微妙な感じがしないでもない。とにかく、まだ読まれていない方は、冒頭だけでなくこのレベルの文章がずっと続くことを覚悟して読まないといけない。
 
シリーズものの1冊でこの巻は短篇集、『桜闇 建築探偵桜井京介の事件簿』(講談社ノベルス、1999/講談社文庫、2005)に収録されている2篇。全10篇中の5篇目、6篇目。(9篇目もまだ合格前で、定義によっては浪人生かもしれないけれど、まぁいいや。)※毎度すみません、今回も以下、ネタバレちょっと注意です。

「迷宮に死者は棲む」
微妙といえば微妙な小説かな。雰囲気的にいえばもっと煮詰めて水分を飛ばしてほしいと思う。誰に語りかけているのやら1人称小説で、内容というかは、1998年4月、浪人生の「ぼく」(蒼)は、問題集(「W大文学部入試問題集」)で勉強することを条件に許されて、京介と深春の尾道への旅行に同行している。歴史的な建築物でもある宿では、外で雨が激しく降っていて…、みたいな話(どういう話だよ?(汗))。最後のほうまで読んで私は、深春の元同級生・松尾氏(松尾秀樹)の言動の理由がよくわからなくなったのだけれど。要するにたんなる八つ当たり? お姉ちゃんは深春のことを……もうどうでもいいか(この小説もちゃんと読み直さないと駄目だ(涙))。本題に入らせてもらうと、蒼(あお)くんは、浪人生であることに関して京介からは心配されて、深春からは(表面的には)からかわれているような感じ。大学に入学できていない理由は――引用させてもらえば、

 <ぼくは一昨年編入して二年間通った都内の私立高校を無事卒業し、しかし大学入学のキップは手にすることなく、半ば確信犯的に一浪の身となった。/真面目に受験に取り組む気がまったくない、わけじゃない。去年はいろいろあって気持ちが落ち着かなかったし、W大の文学部にしか入るつもりはないとはいっても、どこか他が受かったりして迷うののも面倒だ。だから思い切って一年浪人することにしたんだ。(略)>(p.253、文庫)

と語っている。高校が卒業までに4年かかっているから1浪でも3年で卒業した人よりは1歳上か。それはともかく、この人、いちおう大学を受験して落ちてはいるのかな? <大学入学のキップ>を手にしていない、と言っているから受験はしているのか。<半ば確信犯的に>というのは、個人的にはちょっとむかつくのだけれど、どうですか? カッコをつけているだけとも読めるけれど、ただ、やっぱり<真面目に受験に取り組>んだにもかかわらず、落ちて浪人している人が上の箇所を読むと、失礼に感じるのではないか。<いろいろあって>というのは、いくつかの大変な事件(刑事事件?)が起こったりしたのかもしれない(同シリーズのほかの作品を読めばわかるかと)。

「永遠を巡る螺旋」
「永遠」は「とわ」と読ませている。これも微妙…。しかも、けっこう長いし(涙)。蒼と深春は、京介宛てに不審な封筒が送られてきたことを知って彼の身を案じるけれど、京介はいま、ある作家と編集者(呉あかりと樫田篤子)のフランスへの取材旅行に通訳として同行していて…、みたいな話。小粒な“ダ・ヴィンチの謎”というか、京介のジャンボール城に関する語りが、だいぶ長くてうんざり(涙)。空間的な想像力もなく、世界史的な知識もほとんどない自分がいけないのかもしれないけれど。深春が本屋でBL小説を眺めている場面があるけれど、こちらの1篇のほうが、京介が離れているせいか、蒼くんの“京介LOVE”な感じがはっきりと出ているような。あ、その前に、節(1~13)によって視点人物が替わる小説なのだけれど(1人称または3人称――京介パート以外は1人称かな)、浪人生の蒼が出てくるのは、本人または深春が語り手になっている箇所。浪人生がらみの話はほとんどないのだけれど――あ、こんな自己紹介があったっけ。

 <「らしいね」/と答えたのはぼく、蒼、十九歳。ただいま花の浪人生。>(p.328)

昔のコバルト文庫みたい? あるいは、K社のホワイトハートではなくてティーンズハートみたいな? そう、このときどき見かける<花の浪人生>とか<花の予備校生>みたいな言い方って何? いまだに謎なのだけれど(汗)。ちなみに、蒼くんは予備校にも通っている模様。どこにある予備校かは書かれていないけれど、“W大LOVE”な(?)この小説の設定であれば、予備校街・高田馬場がぴったりとくるかもしれない。

文章についても少し。それほど読みにくくはないのだけれど、なんていうか、あまりうまくはないと思う。例えば、こういうところ。

 <鋭利な刃物かカッターと定規を使って>(p.339)
 <見ればどれも色もかたちも違っている>(p.343)
 <握った拳を畳に叩きつけた>(p.379)

同じ音のある種の連続はやっぱり読みにくいよね。「かか」「…も…も…も」「たた…たた」。完全に視覚的に読むなら(頭の中で音読に近いこともせずに読むなら)ぜんぜん気にならないかもしれないけれど。
 
連作集『解体諸因』(講談社、1995/講談社文庫、1997)所収。「最終因」の1つ前の「第八因」。※以下、今回もネタバレ注意です、すみません。全体的な感想というか、読み終わる前に、久しぶりにまともな推理小説を読んでいるなぁ、と感じていた。内容(?)的にも、自分の趣味とはずれているけれど、けっこう面白かったです。スラップスティックというか、コミカルというか。(推理)小説といっても、なぜかこの1篇だけ、戯曲(舞台用の脚本)の体裁で書かれている。なので、舞台を見ているような読み心地です。早くも話が逸れてしまうけれど、実際に舞台化できるのかな、この短篇? 警部(主任)・刑事部長(チョウさん)・刑事の3人が死体のそばで――いちばん下っ端の刑事が関係者を連れて来たり、連れ出したりしているけれど――ずっと喋り続けている感じで、あまり動きはないような。殺人が連続して起こって関係者がたくさん出てくるから(総出演者数は30人以上?)、高校の文化祭でのクラスの出し物とかに適しているかも。道徳的に内容には問題があるかもしれないけれど。(あ、そんなことをいったら『ハムレット』だってそうか。)

この1篇の連続殺人というのは、2番目の被害者の胴体のそばに1番目の被害者の(断髪されてビニール袋に入れられた)頭部が、3番目の胴体のそばには2番目の被害者の頭部が……とずれて発見される事件。種明かしの前に「読者(観客)への挑戦状」みたいな場面があるけれど、考えてみてもさっぱりわからず。――“解答”を読むと、これはもう、かなりパズルだよね(涙)。それはそれとして、本題というか。5番目に見つかた死体(胴体)に関係して、目撃者として1人の浪人生が出てくる。名前は下のほうは不明で、宇津木。3月13日の時点で来年4度目と言っているので、3浪目に突入したばかりくらいか。話し方を見ると(読むと)年齢のわりにはちょっと幼い感じ。バイクがストレス解消法らしいけれど、それはともかく。事件に関する重要な目撃者になり得たのは、もちろん(?)向かいのアパートに暮らす被害者(藁谷志保、職業は水商売)を日頃、覗き見ていたから。午前2時過ぎに帰宅して、寝る前にスケスケの下着姿で体操をする――見るなというほうが無理?(わからないけれど)。言い訳は受験生の定番、例によって「息抜き」。双眼鏡での覗きも写真による隠し撮りも勉強のあいまの「息抜き」――まぁこの小説は面白いからいいけれど(汗)。そういう問題ではないか。
 
バイク小説集(とやっぱり言いたくなる)『ラストラン』(ポプラ文庫、2009)に収録されているいちばん短い1篇(全5篇中)。単行本は…というか、本の後ろのほうに、<本書は1985年にCBSソニー出版で刊行された「いつか風が見ていた」に「遠い風の音」を加え改題したものです。>と書かれている。この1篇の初出は「解説」(池上冬樹)によれば、<「ブルータス」八一年四月一日号>らしい。

いやま伝説となっているZⅡ(ゼッツー)のエリという美人女性ライダーについて、オートバイ雑誌の編集者からご存じですか、という電話がかかってきて、「ぼく」はいまから6,7年前に知り合いであったその歳上の女性について、思い出している。という形で書かれている小説。最後にちょっとミステリー的な(?)サプライズがあるけれど、短いせいか、全体的に何かもの足りないような気も…。

昔…というか、1975年でも(原付バイクではない)オートバイに乗れるのは、いまと同じで18歳からでしょう? 「ぼく」は、ライダーたちが集まるボニーという喫茶店(明治通りの渋谷と原宿の中間にあるらしい)に出入りするようになるのだけれど、19歳の浪人生(一浪)であるといちばん歳下だからね、いじられるとまではいかないけれど、子ども扱いされているというか。「ぼく」は店主(オーナー)の南さんやエリから「健坊」と呼ばれている。坊や扱い。「ぼく」が乗っているのは――何だっけ?(ページをめくって……ありました)「CB400F」とのこと。私はバイクにも自動車にも疎いのだけれど、これは浪人生が乗っていてもいいような車種なの? それよりも購入代金はどうやって?(まぁどうでもいいか)。あ、でも、<ぼくはあの夏を、自分がバイクを捨てた夏、として記憶している。>(p.111)と語っている。何月生まれなのかな、健坊は? 高校を卒業してから乗るようになったのであれば、8月の第1土曜日の時点では、まだ半年も乗ってないことになる。

この小説も(物語的に)浪人生だからどうのこうのこうの、みたいな話はないのだけれど、ま、人との会話には、よく現われている感じ。例えば、こんなところ。

 <「受験生が遊んでいていいのか? 二浪はしたくないんだろう」/「放っておいてくれよ」ぼくは答えた。「この暑さだもの。やってられないよ。今晩は走り回って頭を冷やすよ」>(p.114)
 <「こら、予備校生。そんなことでサイコウガクフを目指せるのか」/「心配してくれなくなっていいったら」ぼくは言った。「それより、どう? 走ってみる気になった?」>(p.123)

上が南さん、下がエリ。「息抜き」という言葉は口にしていなかったと思うけれど(一字一句読みなおさないとわからないけれど)、エリを誘うのに「今晩だけ」みたいなことを言っているので、同じことかもしれない。ちなみに、「最高学府」というのは、「東京大学」という意味ではないです(一般常識かな、私は高校生くらいのときに間違って覚えていたけれど(汗))。小説のパターンとしては、好きだった人(憧れの女性)が自分の前からいなくなる、みたいな話だけれど、「ぼく」は多少、成長しているかもしれない…というか、それより浪人生の「ぼく」は大学には受かったのかな? 電話がかかってきた6、7年後の現在は、<同僚たちが黙々と図面に鉛筆を走らせてい>(p.104)るようなオフィスにいるらしいから――これは建築関係の設計事務所みたいなところ? 大学はちゃんと出ているかもしれない。
 
手もとにあるのは、新潮文庫(1980年)。上下巻になっているものも出ているようだけれど、私が持っているのは(手に入ったのは)合本のもの。けっこう面白かったし、読みやすかったけれど、本文の最後が669ページ、とにかく読むのが遅いので、なかなか読み終わらなくてしんどかったです(涙)。単行本は、1975年に中央公論社から出ているらしい。文庫本は、中公文庫からも出ているようだ。で、ひと言でいえば、いろいろな人が出てきて、主人公にいろいろなことを言う小説かな。面白いキャラクターの人がけっこう出てくる。でも、人からあれこれと言われても、ずっとのん気でマイペースな主人公……。ちゃんと勉強していてお疲れぎみの浪人生に、意外とおすすめできる小説かもしれないな。反面教師としてというか、勉強の息抜きとして読めるかもしれない、ああこんな浪人生もいるんだ、みたいな(汗)。

 <高校受験に失敗し、母校へ柔道の練習に通う洪作の前に、ひとりの高校生が現われた。<練習量がすべてを決定する柔道>という四高柔道部の彼の言葉に魅了された洪作は、まだ入学していない金沢の高校へとひとり出かけてゆく。――柔道に情熱のすべてを注ぎこんだ若き日の奔放な生活を、過ぎ去った青春への鎮魂の思いをこめて描く。『しろばんば』『夏草冬濤』につづく自伝的長編。>(カバー後ろより)

大正15年(1926年)3月、洪作(苗字は伊上)は沼津中学を卒業。昨年(四修)と同じく今年も静岡高校を受験して失敗。友達(藤尾、木部、金枝)は東京や京都(の私大予科)に散ってしまうけれど、洪作は、そのまま沼津で浪人生活を送ることに。というか、夏(8月)を過ぎてから勉強すればいいくらいの、のん気な考えでいる。そんなとき落第して卒業できなかった遠山から誘われて、柔道部に参加、母校に通い始める。そんな洪作を見て周りの人たち――特に宇田(化学の先生)は、台北(台湾)にいる両親(と弟妹)のところで勉強するようにと強く勧める、のだけれど、洪作はいっこうに乗り気にならない。そんなとき、蓮実という四高生が柔道場にやって来て、寝技中心の柔道で洪作や遠山を打ち負かし、四高に来て柔道をしないか、勉強なら金沢ですればいい、と洪作を誘う(というか、浪人生を誘惑(?)したらあかんよね(汗))。寝技中心の柔道=「練習量がすべてを決定する柔道」に惹かれた洪作も、行きたいと思うのだけれど、周りから説得もあって、やっぱり台北に行くことに。

でも、その前に郷里の湯ヶ島の親戚たちのところに挨拶まわりをしに行く。この親戚たちのキャラクターがまた面白いのだけれど、それはともかく。その後いったん沼津に戻って(あ、沼津ではお寺に下宿している)今度は、台北に行く前に四高の柔道部を訪ねようと思って、金沢に。←この時点でやっと小説の半分くらいかな(涙)。そのあとは、四高の柔道部の人たち(杉戸、鳶など――面白いキャラたち)との交流などが描かれている。夏期猛練習にも参加。で、なんだかんだで小説の最後、ようやっと台湾に向かう場面になって終わっている(汗)。要するにちゃんと受験勉強を始めるまでの数ヶ月(半年弱)が描かれている、という感じ。人とか柔道以外では、なにかとよく食べている小説かもしれない。洪作の送別会と称して、とか。あ、恋愛(というか)についても少し書かれていて、それも読んでいて面白かったです。タイトルの「北の海」は、四高の寮歌の一節に出てくる言葉――つまり日本海のことで、洪作は沼津に戻る前に1度、訪れている(杉戸、鳶、大天井との4人で、運送屋のトラックに乗せてもらったり、帰りにだいぶ道に迷ったり、ちょっと珍道中みたいな感じ?)。

“浪人生”ということでは、四高柔道部に出入りしながら受験勉強をすること、今年で4年目らしい大天井という人(蓮実によれば23、4歳)が出てくる。3浪目か4浪目? 体は丈夫そうでも、いわゆる“万年浪人生”という感じ、かもしれない。というか、高校3年になったときにすでに練習時間が6年分――みたいな人がふつうに試合(「高専大会」)とかに出てもいいの?(汗)。洪作くんの中学卒業までのことは(3部作の)前2作を読めば、詳しくわかると思うけれど(私は読んでいない)、中学受験も1度失敗しているらしい。(小学校の)高等科に1年通ってから中学に入ったらしい(その1年は「浪人」とは言えないかな。入学したのは浜松中学で、2年のときに転校したらしい)。

あまり時代を感じさせない小説であると思うけれど、でも、受験がらみのことでいえば(細かいところだけれど)、(「ノイローゼ」ではなく)「神経衰弱」とか、終わりにする・しあげる、みたいな意味で「参考書をあげる」といった言葉は、使われている。そう、「参考書」は具体的に書名を知りたいなと思ったけれど(大正末にどんなものが使われていたのか、気にならないですか?)、「参考書」としか書かれていない。そういえば、日本でいちばん高い山は富士山ではないらしい、知らなかったです。なに山だっけ?――どこに書かれていたか、見つからず(涙)。ま、そういうところに時代を感じたりはするか。

あと、本人も語っているけれど、洪作がいまのような性格になったのは、小さいころ、おぬい婆さん(曾祖父のお妾)と2人で土蔵で暮らしていたことがある、ということと、家族と離れて親の目の届かないところで自由に暮らしてきたことに原因があるらしい。
 
↑しんにょうには点がもう1つ。『そこに君がいた』(新潮文庫、2002)に収録されている5頁弱ほどのエッセイ。本の後ろのほうに、<本書は書き下ろしに、ベネッセ・コーポレーションから発行された「Challenge」の平成六年二月号から七年一月号まで連載された「そこに君はいた。」を加えたものです。>(p.195)とある。よくわからないけれど、この1篇は、浪人時代の話(広い意味で大学受験がらみの話)なので、書き下ろしではないほうかもしれない。

いま4月(2009年)なので、上京したりしてこれから初めて電車で予備校に通う、という人も多いのかな? 参考になるのかどうかわからないけれど(たぶんならないと思うけど)、このエッセイでは、辻少年が1、2ヶ月で予備校に通わなくなった、そのきっかけのようなものが書かれている。電車でいつも見かける女の子にある日、筆談というかノートを使って声をかけて(<『満員電車は辛いね』>、p.128)、言葉を交わすうちに(漫画とか小説とかドラマではよくある話かもしれないけれど)どこの学生か訊かれ、ふと志望校の名前を書いてしまう。すると、彼女のほうは、自分は予備校生で、来年先輩の大学を受けるつもりです、と書いてくる。しかも、予備校は「僕」が通っているところ、みたいな…。「僕」は翌日から予備校には通わず、前日無理して買ったギターを家で練習していたらしい。――S研ゼミの人がどうしてエッセイの連載を辻仁成に依頼したのか、ちょっと疑問に思わなくもないけれど、それはともかく。いつも同じ車両に乗っていて同じ予備校であれば、降りる駅もその先の道も同じだろうから、もっと早くに気づいていそうな気もするけれどね、そんなこともないのか。でも、別にカッコをつけていないで(?)そのままふつう予備校に通えばよかったのにね。学校のなかで会ったら、この前つい嘘をついてしまったことを謝るとか、すればいいのに。うーん…、そう言うのは簡単だけれど(汗)。ま、将来どうしてもしたいことがあるとか、どうしてもこの大学に行きたいとか、その類の強い動機付けがないと、そんなことにもなりがちかもしれない。ちなみに、著者は1959年生まれで、卒業した高校は函館。東京では田無に住んで、電車は西武新宿線を使って、予備校は高田馬場とのこと。(小説家ではたしか、山川健一も浪人時代は田無だったと思う。)

自分も1浪のとき、上京して、満員電車で予備校に通っていたけれど、やっぱりあまり快かった思い出はないね。それにそう、予備校って学校によって始まる時間が違うから、予備校生ばかりのところに下宿していたのだけれど、ほかの予備校に通っている人は、自分が通っているところよりも1時間目(1限目)が始まるのが少し遅くて、もう少し空いている電車で通っていたようだった。というか、ふつうそんなことまで調べて予備校や、住むところを選ばないもんね(汗)。そういえば、同じ予備校に満員電車が嫌だからと言って、朝、けっこう早く来て教室で勉強している女の子がいたけれど、起きられれば早い時間にずらすという手もあるか。あ、女の子の場合は、痴漢の被害に遭ったりとか、押されたときに体型的にふりだったりとか、男の子以上に大変そうだな…、満員電車。1つのいけないパターンは、最初の授業を受けなくなってしまう(「切って」しまう)ことかな。だんだんと予備校自体から足が遠のいてしまいそうだから。
 
『ブルーハーツ』(ピュアフル文庫、2009)の最後に収録されている「特別編」(文庫オリジナルらしい)。入院した伯母に代わって本屋の「店主兼店員」をしている予備校生の「わたし」は、いつも立ち読みをして帰っていく高校生くらいの男の子のことが気になっている。――この小説も、主人公兼語り手が浪人生であることが、小説上、ほとんど無意味かもしれない(汗)。小説として読み終わってみて、それほどつまらなかったというわけではないけれど。

こんなところは“浪人生小説”として面白いかな。

 <もうすぐバレンタインデーなのに、浮かれ気分になれない十九歳。/十九歳は文学的な年齢だ。/けど、地図を描ける時代じゃないんだよなあ。/別に爆弾抱えてるわけじゃないんだけどさ、中上健次とかの時代みたいに、いっそ鬱々とした青春だったらよかったのに、なんて思っちゃうんだよね。>(p.214)

19歳って「文学的な年齢」だったんだ、知らなかった(汗)。これは、歌手のYUIが<窓ガラス割るような気持ちとはちょっと違ってたんだ はじめから自由よ>(「My Generation」)とか歌っているのと同じようなもの?(cf.尾崎豊「卒業」)。それはともかく、もう2月? ぜんぜん勉強していないっぽいけれど、勉強しようよ…(というか、ほんと小説中浪人生に「勉強しろ」と言うことほど虚しいことはないな(涙))。あとで(ネタバレしてしまうけど)ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が出てくるので、中上健次(といっても、↑は「十九歳の地図」だろうけど)は、その伏線のようになっているのかもしれない(考えすぎか)。

あと、最初のへんにちらっと、石川達三『私ひとりの私』が出てきているけれど(書名だけだけれど)、それは(高校受験ではなくて)中学校受験については少し書かれている。「私」は東京府立一中(のちの都立日比谷高校)を受けて落ちている。
 
読む本のリスト(私的な、手書きぐちゃぐちゃなもの)にあったので読んだのだけれど、どうも間違って読んでしまったっぽい。浪人生が出てこなかった、というか、浪人生とはいいにくい感じの人が(人なら)出てくる。いま手もとにあるのは、講談社文庫の、表紙(カバーの表紙)の左上に「新装版」と書かれているもの(2003)。奥付の前のページによれば、単行本(?)は1975年に講談社から出ているようだ。

 <心躍る夏休み。6年生のリナは、たった一人で旅に出た。不思議な霧が晴れた後、きれいだけれど、どこか風変わりな町が現れた。めちゃくちゃ通りに住んでいる、妙ちきりんな人々との交流が、みずみずしく描かれる。『千と千尋の神隠し』に影響を与えた、ファンタジー永遠の名作! 講談社児童文学新人賞受賞>(表紙カバー後ろより。)

けっこう古いからか、ファンタジーにしては、なんていうか、地に足が着いている感じがする。つまらなくはなかったけれど、なんていうか微妙、でした。でも、自分が小学校のときとかには、学校図書館にこういう本が並んでいたのではないか、と思えて(ほとんど本を読まない子どもだったので、読んでいないけれど)ちょっと懐かしかったというか、ノスタルジーというか。

「霧の谷」には「めちゃくちゃ通り」に沿って6軒の家があるのだけれど、うち1軒は、リナ(上杉リナ)が滞在することになる下宿「ピコット屋敷」で……というか、そんなに詳しく説明する必要はないか(汗)。リナは、ピコットばあさんに言われて「食いぶち」(「生活費」)を稼ぐために、まず最初は、ナータの本屋(古本屋?)へ手伝いに行くのだけれど、そこにお客の1人として、「学生」が現れる。どうも外の世界と繋がっていて(その町が必要なら“距離がなくなる”らしい)、どちらからもお客が来るらしいのだけれど(繋がっている感じは『ハウルの動く城』っぽい?)、それはともかく、その「学生」は「数学の参考書」を求めていたはずなのに、なぜか結局、「まえからよみたかった詩集」を買って(というかもらって)行く。で、この人は本人曰く、<夏休みちゅう、予備校へかよってる>(p.73)とのことなので、予備校生は予備校生でも、浪人生というよりは高校生である確率が高いような…。浪人予備校生(変な日本語? 高卒予備校生というか)にも「夏休み」はあると思うけれど、そういう人はふつう、夏休み以外にも予備校に通っているわけだから。リナは、その学生から<なんとなく、ぎすぎすした印象>(p.75)を受けたらしい。ぎすぎす、という言葉は浪人生にふさわしい形容? そうでもないか。現役受験生(高校生)でも、そういう感じを帯びそう。――ま、別に小説的にはどちらでもいいのだけれど(汗)。
 
理論社、2006。ときどき行く本屋にずっと置かれていて、買っておかないとなくなりそうだったので購入。でも、大島真寿美だからそのうち角川文庫かピュアフル文庫で文庫化されるかもしれない(涙)。感想というかは、つまらなくはなかったけれど、ちょっともの足りなかったかな。ひと言でいえば、少人数家族で育った子どもが多人数家族にごやっかいになる、みたいな、児童向け小説にはよくありそうな話?(毎度「ひと言」になっていない(汗))。自然が豊かな田舎にある大家族というわけではないし、子どもが精神的に傷ついているというわけでもないあたりは、今風なのかもしれないけれど。うまく言えないけれど、癒しとか成長とかではなくて、自分の家族をほかの家族と比べて(一緒に住まないとできにくいこと?)相対化して見つめ直す、みたいな?(なんかぜんぜん違うような気も)。

具体的な内容は――両親は以前、家庭内別居をしていて、でも、家族3人、それぞれの軌道をもつ彗星のように(?)うまくいっていたのだけれど、父親は昨年、福岡に栄転、今度は母親が4ヶ月の予定で上海に出張することに。で、どうすればいいのか迷った「私」(柳瀬依子、高校2年生)は、結局、高校のクラスメイトで友達の梢(北村梢)による、うちにおいでよ、という提案に乗ることに。元警察官で夜警をしているお父さん、剣道の素振りをしたり立って新聞を読んだりする背筋が伸びているジイジ、頭がちょっとぼけているらしく不思議な話を聞かせてくるバアバ、犬のさぶちゃんと会話ができるらしい中学生の妹、多美ちゃん(もちろんさぶちゃんも家族)、あと表・裏のない明るい性格の梢に、子どもたちをしかることができるお母さん、そして、勉強をしていなそうな、部屋でビデオを見たりしている浪人生のお兄ちゃん、拓巳くん。――このブログ、毎回話をむりやり“浪人生”に持っていっているのだけど、いいのかな?(汗)。ま、文章が下手だからしようがない。あと、もう1人「私」にとって大事な人物としては、(登場してはこないけれど)家庭の事情で台湾に行ってしまったクラスメイトの男の子、沖田くん(オッキー)がいる。「私」はその沖田くんに手紙を書いたりする。

で、そんな(?)いつも誰かがいるような、賑やかで(それほどでもないかな)平和な家なのだけれど、年末のある日、家族全員をぽかんとさせるような“爆弾発言”を拓巳くんがしてしまう。ネタバレしてしまうけれど、大学へ行くのをやめてお笑い芸人になるという。――こういうあたりも今風な小説という気がする。でも、拓巳くんのめざすお笑いは、あまり今ははやらなそうなもの…。時間が前後してしまうけれど、昨年度は、妹たちによれば――引用したほうが早いか、

 <「拓巳くん、中学から男子校でさ、まずまず上位の成績だったのに、同系列の大学へ行くのをやめて、外部受験に挑んで失敗しちゃったんだよね」>(p.66)

とのこと。中高大エスカレーター式の学校?(私立?)。ちなみに、描かれているのは11月から1月くらいまで。あと、大学受験がらみでは、書き忘れていたけれど、もう1人、受験生が出てくる(少しだけれど)。梢の好きな相手、隣の家の厚志くん(高校3年生)。

[追記]文庫本は、小学館文庫から(2011.12)。
 
朝日新聞社、1998/新潮文庫、2001/集英社文庫、2007。手もとにあるのは新潮文庫版。なんていうか、こういう小説を好んで読むような大人の女性って、会えばたぶん、私は苦手な相手だな、と思ってしまうと思うけれど、それはそれとして。読んでいてけっこう面白かったです。話というかストーリー的にはたいしたことが起こらなかったけれど、文章がけっこう端整であるし、なんていうか、全体的に好印象というか。個人的には「ゴールド・フィンガー」(なんだよそれ)とか、ちょっといらっとさせられることもあったけれど。※以下、内容にまで踏み込んでいますので、読まれていない方はご注意を。

 <孤独なピアニスト響子がかつての“恋人”透子に再会した。家族に温もりを求めてシングルマザーとなり赤ん坊の桐人を育てている透子に対して、変わらぬ情熱を抱きながらも子供の存在を受け容れられない響子。そんな三人の不安定な関係が、透子の突然の死によって崩壊した時、響子の前に謎の青年が現れた……。山本周五郎賞作家が新しい“家族”のかたちを問う、とびきり切ない愛の名品。>(カバーの後ろより。)

「謎の青年」というのは(別にそれほど謎ではなくて)、透子(成島透子)が桐人のベビーシッターを頼んでいたオカマ(というのは差別用語らしい)の美容師、照ちゃん(高橋照光)のこと。最後(だいぶはしょりすぎかな)「(レズ)ビアン」の「わたし」(石狩響子、ガリ)とオカマの照ちゃんが桐人と3人で一緒に暮らす、みたいなことで終わっている(cf.タイトルの「聖家族」)。――で、あと、もう1人青年が出てくるのだけれど、それが浪人生の弘くん(成島弘)。ほとんど出てこないかと思ったら、意外と登場回数が多かったです。いい子らしいというか、父親がいない桐人のことをよく思わず、たらい回しにする親戚たちのなかでほとんど唯一の救いというか。少し引用しても大丈夫かな(このブログ、引用多すぎ(涙))。

 <わたしのマンションに透子の遺品の段ボールの山を運んでくれたのは、弘くんといういとこで、現在二浪中の青年だった。出来が悪いと大人たちが噂していたが、めったにお目にかかれない一本筋の通った男の子で、受験勉強よりもボランティア活動に熱心なあまり二浪の憂き目を見ているらしい。(略)>(p.91)

「出来が悪い」と噂されているのは、お葬式というか、火葬場。この前読んだ宮部みゆき「勝ち逃げ」(『地下街の雨』)でもそうだったけれど、どこどこの息子は大学に受からなくて困ったもんだ、的な話は、やっぱり親戚一同が集まる場での定番の話題なのか?(やれやれ)。ボランティア活動を始めたのは、もともと透子に引きずりこまれたかららしい。「浪人生」といっても、あとで「わたし」に対して、大学受験はやめて青年海外協力隊に参加するつもり、と話している。しっかりしている性格らしいから(大学受験ドロップアウトでも)この人の場合、心配はいらないか。ちなみに、家は成増(ってどこ?)にあるらしい。(「わたし」のマンションは、吉祥寺。)
 
講談社、2005/講談社文庫、2008。読み始めてすぐ、粗雑な文章だな、と思ったけれど、でも(そのうちになれたし、厚い本でもないし)最後まで読めたです。内容は、ひと言でいえば“いじめ小説”かな(ちょっとノワール?)。主人公が暴力を振るわれているわけではないけれど――というか、そんなことは問題ではないか。読んでいて、自分の小学校から大学までのこと(特に中学校のときのこと)などいろいろと思い出したり、あれこれ考えさせられてしまって…。

 <中学のバレー部に、顧問教師の勧誘で入部してきた「あなた」に私は憧れ、一緒に帰宅できるともだちになれたことが嬉しかった。が、注目を浴びるほどにミスばかりを繰り返す私は、「笑ってんじゃねえよ!」というあなたの言葉に凍りつく。痛みという実体を伴った怒りの向かう先を凝視する、渾身の長篇小説。>(表紙カバーより。)

学校のクラスなら年度が変われば、組がえがあったりもするけれど、部活では無いからね。その部を辞めてしまうという手もあるかもしれないけれど。現在と過去が行き来している感じの小説で、↑は過去の話。「私」(浜田葉子)は現在、浪人2年目、東京の美大予備校に通っている(というか、通わなくなっている)。今日は大晦日で、雪が降り積もっている北海道の実家に帰省中。今井さんのことを「あなた」と呼びかけている意味(というか)は、最後でちょっとわかる感じ。

どうでもいいことだけれど、個人的にはこの小説を読んで初めて、美大予備校でどんなことをしているのか、ちょっとわかった。美大の入試の実技試験に出るような問題(課題?)とかについても。あと、美大(美術)予備校というのは、個性的な人が多いというイメージだったけれど、個性的であろうとすること自体が無個性的であったり、大学に受かるためには無個性的なほうがよかったり、するんだね。――予備校といえば、「私」は同じ予備校に昨年も通っていたらしいのだけれど、そのとき、友達だったという木原さん(途中から学校に来なくなってしまう)が、なんていうか、いまどうしているのかがちょっと心配。「私」より1つ歳上で、もともと医学部を目指していて(去年は医大予備校に通っていて)、医者である父親からよく殴られているという木原さん…。高校のときの話もけっこう悲惨というかなんというか。

そう、中学生のときの「私」といまの(予備校生の)「私」は繋がっている感じがするけれど、高校生のときの「私」といまの「私」があまり繋がっているように思えない。高校のときは、中学校のときの二の舞にならないように(?)友達を作ってふつうに学校生活を送っていたようだけれど、それがどうして予備校生活2年目にして、いまさら(?)中学校時代の話まで遡るのだろう? 浪人1年目で大学に合格していたら、人生は違う方向に向かっていたとか? あと、作中の時代はいつだろう? 全体的に、時代も時系列もあちこちでおかしな感じがする小説なのだけれど、まぁいつでもいいや。

ちなみに、東京での住まいは2階建てのアパートの1階で、ロフトがあってそこでは上の階の物音がよく聞こえるらしい。アパートの場所も予備校の場所も、東京に詳しければある程度、わかりそうな感じかな。
 

新井輝 <DEAR>

2009年3月31日 読書
富士見ミステリー文庫、2001-。5冊(5巻まで)出ているのかな? とりあえず4冊目まで読了です。

 『少女がくれた木曜日』(2001.3)
 『あの娘を信じる金曜日』(2001.9)
 『二人で見つめる土曜日』(2002.3)
 『貴方に言えない日曜日』(2002.12)

よくわからないけれど(だんだんとなれたせいか)1冊目よりも2冊目、2冊目よりも3冊目のほうが面白かったです(4冊目は3冊目ほどは。飽きたのか)。※いつものように以下、ネタバレにはご注意ください。そう、あとの巻を先に読むと、前の巻のネタバレになってしまうから、まだ読まれていない方は、1冊目から順に読まれたほうがいいかもしれない。

 <青山正吾は、確かな記憶もなく、巨大なチェス盤のような不可思議な世界に立っていた。立ち並ぶクラスメイトの彫像。光に包まれた少女がいる、そこは<生と死の間の世界だった。/少女――トーカは、正吾に語る。なぜ、彼がこの世界に召喚されたのか? 「正吾クンは、ある事故に巻き込まれて死んでしまったの。その死んだ一日を三回繰り返すうちに、事故を回避してくださーい」「?????????」/多くの謎に疑問を抱きつつも、日常に舞い戻る正吾。しかし彼は運命に抗えず、愛憎に纏わる殺人へと巻き込まれていく。タイム・ループ・ミステリー!>(1巻目の後ろのところより)

正吾くんが通っているのは、中学から大学までエスカレーターな「(私立)時輪台大学付属高校」。現在、高校1年生。家があるのは、東京都内の北の方の「時輪台」というところ。(言わずもがなだけれど、タイム・ループしそうなネーミングだよね、「時輪台」。)意外と登場人物の心理が書かれている恋愛小説、という感じかな。3回というのは上限なのだけれど、どの巻も3回まで同じ日を繰り返している。ちょっと思ったのだけれど、いったん死んで(殺されたりして)<精神と時の世界>に戻ったときに、もっと作戦を練るとかすればいいのにね、意外と無計画にもう1日に突入しているというか。

正吾の従姉妹で実の姉のような存在である、浪人生の高島優子(19歳)が出てくるのは、2巻目以降。正吾は「優姉(ゆうねえ)」と呼んでいる。おっとり不思議系なメガネっ娘というか、キャラクター的には面白いと思うけれど、ぜんぜん“浪人生”という感じがしない(やっぱりライトノベルと浪人生キャラとの相性はあまりよくないのかな、下手をすれば登場人物ぜんいんが浪人生だから……それはいいすぎか(汗))。正吾にはきょうだいがいなくて、でも、両親はいるのだけれど、小説的にはぜんぜん登場してこないから、なんていうか姉だけでなく、小説的には優子がお母さん的な役割も担っている感じ、かもしれない。大学はどこを受けたのかな? 具体的にはよくわからないけれど、高校は正吾と同じところで(高校のときは演劇部)、でも、付属大学へは進まずに外部受験をしたらしい。家は(正吾の家の近くで)「馬簾亭」という定食屋(洋食屋)をやっているらしい。そういえば、苗字が違うし、母方の従姉妹らしいけれど(正吾の母親のお姉さんが優子の母親らしい)、わりと近くに暮らしているんだね。予備校には通っていないのかな?(わからない)。4巻目で繰り返される1日は、バレンタイン・デーなのだけど、前日に好きな人に告白して振られた、みたいなことも言っている。――受験生はそんなことをしている場合ではない! と思うけれど、まぁどうでもいいか(汗)。3冊目ではスキー旅行に出かけているし(12月27日……って受験生はみんな勉強している時期だよ、たぶん)。

あらすじとか、ほかの登場人物とかについてぜんぜん書いていないけれど、まぁいいか。関係ないけれど、3冊目を読んでいたときのメモに「玄関の鍵を閉めたのは誰か?」と書かれているのだけれど、誰か書かれていなかったっけ?(ぱらぱら見ただけではわからないな、ちゃんと読み直さないと)。
 
ソノラマ文庫、1977/創元推理文庫、2004。ポテト(牧薩次)とスーパー(可能キリコ)の2人が探偵役となっている推理小説のシリーズ3冊目。1冊目から3冊目を合わせたものが出ているらしいけれど(『合本・青春殺人事件』)、手もとにあるのは、1冊ずつの創元推理文庫版。※以下、いつものようにネタバレにはご注意ください。毎度毎度すみません。どうでもいいけれど、最初に掲げられている「西郊高校校歌」というのは、歌詞はともかく、タイトル「こう」が多くて音読づらいよね(涙)。

探偵役の2人はこの3冊目で高校3年生に。高校3年生といえば、受験生だけれど、この小説、タイトルに「受験」と入っているわりに、“受験小説”として読んでも、ぜんぜんリアリティがないような気がする。そう感じるのは自分だけなの?(うーん…)。ま、あれこれと受験について語られているので、ちょっと興味を引かれたりはするけれど。あと、話(物語)もそうだけれど、頭の中で人物像(というか)がけっこうぼやける感じがして、なんていうか“キャラクター小説”としても読みにくかったような…。例えば、それ以外のことをすべて犠牲にして勉強しているような典型的なガリ勉タイプの人は、この小説には出てこない。最初に死んでしまう秀才の有原君(有原秀之)は、以前、同級生のキリコをデート(映画&食事)に誘ったことがあったり、以前から先輩で浪人生(1浪)の柚木さん(柚木孝)をからかっていたり。いつも参考書を読んでいる感じのギプス(柏しげ子)にしても、柚木さんと付き合っていたのだし(それでこの浪人生は高校のクラブ「古代史研究クラブ」に出入り)、ネタバレしてしまうけれど、彼女には実は…的な面もあったり。“映画断ち”をしてガリ勉に転じたというナベシン(田辺進一郎)にしても、それはたぶん一時的な状態だろうし。表と裏、みたいにはっきりとしているわけではなくて、性格がぶれているというか、そんな感じがしてしまう。ちなみに、有原君・ナベシン・柚木さんの3人は、一流の大学らしい「同友大学」(「どうゆう大学?」とか言いたくなるよね(汗)、ダジャレ病?)志望で、ギプスは、これも一流の大学らしい「徳武女子大」志望らしい。そもそも、ポテト&スーパーが「(私立の)西郊高校」に入った理由は、(スーパーによれば)<なんとなく、はいりやすくて学費の安い高校をさがしただけの話だ>(p.19)とのことだけれど、一流大学に入ろうとしている彼らの同級生たちは、どうしてそんな言われ方もするような高校に入学したのだろう? 最初から、もっとちゃんとした進学校に入っておけばよかったのでは?(ま、各自いろいろと事情はあるか)。

高校生たちのことは措いておいて、浪人生=柚木さんについて触れておかないと。2件目の“事件”が起こるのが(※しつこいですが、ネタバレ注意です)スーパーと同じく大学受験は眼中にない大ちゃん(佐々部洋子)の提案で開かれたクリスマス・パーティー(「YYパーティー」)のとき、なのだけれど、参加者はいろいろ用意されている衣装を着ることになって――で、柚木さんの仮装は、といえば、

 <白い線のはいった丸い帽子に、マントをひっかけているのは、伊豆の踊子ふう旧制高校生の柚木さんだった。>(p.150)

とのこと。一高生スタイルをさせられている(!)。推理小説的には、この格好も伏線になっているのだけれど(びっくり)、それにしても、浪人生がかわいそうというか、もしかして浪人生をちょっとなめているのか?(涙)。というか、新制大学浪人生が旧制高校生ファッションをする、というのは、なんていうか、ちょっとずれていると思う。そういえば、本文中に「東大一直線」という言葉はあったから(p.141)、「同友大学」(略して同大?)というのは、東京大学(略して東大)とは別の大学であるはずだけれど、でも、やっぱり東大(昔でいえば、受験生にとっては一高とほぼ同義)がモデルになっているのかも。そういえば、同友大学は私立だっけ、国立だっけ? どこかに書かれていたような気がするけれど、見つからないな(たぶん国立だと思うけれど)。

「ずれている」といえば、3番目の“事件”が起こるのが、「代々木の予備校」に隣接しているというテレビアニメのスタジオ(アニメーターを志望している大ちゃんが出入りしている「クレージー・プロ」)。そこで柚木さんは死んでしまうのだけれど、どうせなら隣の予備校(Yゼミ?)で死なせてあげればいいのにね(あ、そのほうがかわいそうか(汗))。柚木さんがその隣のところに通っていたかどうかはわからないけれど、<「実力アップ」「合格率最高」を誇る予備校>(p.79)には通っていたようだ。勉強は、あと「中町図書館」というところでもしている。――その前に家はどこだっけ? 「中町」でいいのか。社宅アパートの5階とのこと。5人家族で、本人以外には、両親(昴士氏と小枝夫人)と祖父(雄六)、妹(麻美)がいる。全員、作中に登場してきていると思う。

昨年(昨年度)落ちたのは、勉強不足・学力不足とかではなく、「試験度胸」がなくて実力が発揮できなかった、みたいな(小説ではよくある?)理由かららしい。今年も「同友大学」合格ラインのぎりぎりのところにいるらしい(というか、この小説、柚木さんの性格だけでなく、そうした実力というか学力に関する記述も、いまいちぶれていない? うーん…)。ポテトから借りた探偵小説を<「なんだか、数学の参考書読んでるみたいで頭が痛くなってきた」>(p.86)と言って返したことがあるらしいけれど、そんなことを言っているようでは、東大レベルの(?)一流大学にはやっぱり受からないような…、よくわからないけれど。

ちなみに時間というか季節というかは、10月(の学園祭終了の翌日)から1月(まだ冬休み中)まで。なので、生き残っている受験生たちの合否は不明。(ソノラマ文庫から出ている同シリーズの続きを、だいぶ前から探しているのだけれど、地元のブッ○オフなどでは見当たらず。地元の図書館にも置かれていなくて、いまだに確認できていない。)
 
 
1. 南日恒太郎『英文解釈法』
2. 小野圭次郎『英文の解釈』(※書名がちょっと違うものも)
3. 原仙作『英文標準問題精講』
4. 伊藤和夫『英文解釈教室』
5. そのほか
※山崎貞『新々英文解釈研究』は除いた。

1.
久米正雄「受験生の手記」(『学生時代』)には次のような箇所がある。

 <南日の英文解釈法は、たいていの人が少なくとも五回は読み返すというから、もうそろそろ読み始めなければなるまい。去年はあれを一回、それもやっと読んだだけだった。>(旺文社文庫版、p.12)

『英文解釈法』は小説ではないけれど、菊池寛「半自叙伝」にも出てくる。あと、『英文解釈法』ではないけれど、高見順『わが胸の底のここには』には南日の『英文和訳法』がちらっと出てくる(列挙的に『難問分類英文詳解』と『和文英訳法』も)。

2.
小野圭『英文の解釈』が出てくる小説が見つからないけれど(いままでに見かけたことはないけれど)、中野孝次「雪ふる年よ」(『麦熟るる日に』)には次のような箇所がある。

 <知識の世界、万巻の書がある世界への渇望が、受験勉強という、極限された、それ自体無意味な知識獲得作業に拘束されていると、ときに耐えがたいほど強烈にぼくを襲った。ああ、こんな岩切の幾何だの小野圭の英語などのくだらない勉強からいっさい解放されて、心ゆくまで読みたい本が読めたら。(略)>(河出文庫、pp.137-8)

「岩切」=岩切晴二。あと、これも自伝的な小説かな、真継伸彦『林檎の下の顔』には次のような箇所がある。

 <教室にはちがった人種もいた。学校のゆきかえりには英語の単語カードをくり、自習時間にはふざける仲間を尻目に、英語の「小野圭」や数学の「岩切」や国漢の「保坂」など定評のある受験参考書に眼をこらしている連中である。(略)>(筑摩書房、p.178)

「保坂」=保坂弘司。

3.
原仙『英標』は、列挙的にだけれど、三木卓『柴笛と地図』に出てくるし、同じ作者の『馭者の秋』にもちらっと出てくる(ほかの小説に登場しているかもしれない)。あと、これも参考書列挙的にだけれど、姫野カオルコ『ひと呼んでミツコ』には出てくる。引用しておけば、主人公(大学生)の現役受験のときの話、

 <「わたしはね、あなた達のために『英文標準問題精講』のノルマを11ページもロスしたのよ!」>(講談社文庫版、p.22)

4.
伊藤『解釈教室』が出てくる小説は見かけたことがない(別に探しているわけではないけれど)。小説ではないけれど、TVドラマ版『東京大学物語』には出てくるらしい。私は原作(江川達也の漫画)とともに未確認。同名異本だと思うけれど、小説、高畑京一郎『ダブル・キャスト』には『英文解釈教室』という名前の参考書が出てくる。

5.
今後何かあれば。
 
 
最終更新:2015/04/07
 
本の中身がもっとインターネットで検索できるようになれば、こんなことはぜんぜん意味がないことだろうけれど。

・川西蘭『空で逢うとき』(河出書房新社、1980/河出文庫、1986)

 <気分はよくないが、口答えするのも疲れるから、よく動く母の口を見たまま口を閉ざしていた。“彼はカキのように寡黙な男だ”と頭の中で英作文の問題を解く。“ヒィ・イズ・アン・オイスター・マン”、思い出した。“新々英文解釈研究”の例題だ。>(pp.179-80、文庫)

「オブ・ア・」が抜けている。『豆単』とabandonほど強く結びついてはいないと思うけれど、『新々~』と言われると、このoyster(を含む文)を思い出すという人がけっこう多いみたいです。

  He is an oyster of a man.
  彼はかき(牡蠣)みたいな(寡黙な)人だ。

ちなみに作者は1960年生まれ。

・関川夏央「春の日の花と輝く」(『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』新潮社、1993/新潮文庫、1997)

 <「(略)それにな、高校生は[(引用者注)ヘンリー・ミラーの『南回帰線』より]山崎貞の新々英文解釈とかチャート式の数Ⅱとか、そういうのを読むべきなんじゃないの」/ここでいらいらしたらまた体温があがって発作がぶり返す。わたしはこらえた。(略)>(p.153、文庫)

「わたし」は高校2年生で、1つ上の先輩と話している場面。1965年頃の話らしい。当時は数学のチャート式と肩を並べるくらい、代表的な英語の参考書だったことが窺える。

・森内俊雄「橋上の駅」(『梨の花咲く町で』新潮社、2011)

 <そのころ、ラムの『エリア随筆集』を戸川秋骨訳で読んだ。原テキストと合わせて読んだ。山崎貞の『新英文解釈』を丸暗記した程度の学力では、読解が困難であったが(略)>(p.159)

書名がちょっと違っているので、別の参考書の可能性も? 1955年、「わたし」が浪人中の話。

・三木卓『柴笛と地図』(集英社、2004/集英社文庫、2006)

 <そう思って、英語には精をだそうと思った。たしかに読むのはおもしろい。で、豊三は山崎貞『新々英文解釈研究』(研究社)などという分厚い参考書を読んだ。前後関係がわからない文章などを眺めて、あれこれ想像するのが楽しかった。/だがどうもそれは、受験勉強ということではないようなのである。(略)>(p.571、文庫)

1953年、主人公は高校3年生。ほかの参考書と比べてそれほど厚くはなかったのではないかと思うけれど。心理的な厚み(重さ)?


[補足]『新々~』の改訂履歴。

  (1) 1912
  (2) 1915 著者による改訂。『新~』に。
  (3) 1925 同。以降『新々~』に。
   * 1930年、著者・山崎氏が亡くなる。
  (4) 1941 高見頴治による改訂。
  (5) 1951 同。
  (6) 1958 佐山栄太郎による改訂。
  (7) 1965 同。
  (8) 1971 同。
  (9) 1979 同。
   * 1990年、改訂者・佐山氏が亡くなる。
   * 2008年12月、(7)の復刻版が出る。

最終更新:2012/03/01
 
同じ人=松本正幸(50歳)が1篇ごとに視点を変えて描かれている連作短篇集『八つの顔を持つ男』(朝日新聞社、2000/光文社文庫、2004)のいちばん最後に収録されているもの。この1篇の視点人物は、予備校に通っている浪人生の息子。年齢的にはちょっと遅めだけれど、“反抗期もの”みたいな感じ?(それだとずれてしまうか)。気分転換の散歩と称して夜によくゲームセンターに遊びに行っていた浩康は、いつものように出かけようとしたところ、このごろ強制されたり命令されたりすることに憤りを感じるようになっていた父親から、夜に出歩くのはよくないと言われ、ついにキレて言い返してしまう。――ちょっと近藤史恵『賢者はベンチで思索する』の最初の話っぽいかな、内容を書きすぎてしまうけれど(※以下ネタバレ注意です、すみません)あとでお父さんは息子がもしかしたら、マンションの近所で昨年から起こっている連続放火事件の犯人ではないかとちょっと疑っていたことがわかる。

ふつうの(?)“浪人生小説”と違うところは、そのお父さんが学習参考書や図鑑などを出している教育関係の出版社(「旭教育図書出版」水道橋にあるらしい)に勤めている点で、浩康くんは、毎年、出版案内から選んで参考書をもらってきてもらえるらしい。お小遣いから参考書を買わなくてはいけない受験生としてはちょっとうらやましい? ただでも、いまは机の上にあるその参考書が父親を象徴しているようで、嫌であるらしいけれど。でも、ある程度教育関係のことに詳しいだろうに、このお父さん(というか連作的にはメインキャラの正幸だけれど)は、子どもの教育に対してはあまり口を挟まないタイプらしい。ま、学校とか塾・予備校などで直接、人を相手に教えている職業ではないからかもしれないね。あ、でも、お母さん(博子)はお父さんに対して次のようなことを思っている。

 <いろんな大学の入学試験問題集なんてものを作っているんだから、それらとのコネはあるだろうに、浩康をどこかの大学に入れるために一肌脱いでくれればいいではないか。私がなんとかしてやる、と言ってこそ父親なのに。>(文庫p.201、1篇前の「日常」)

大学別過去問集を出版すると、各大学とコネクションができあがるの? それによって例えば事前に問題(過去問ならぬ未来問?)がもらえたりしたら大問題だよね(汗)。その前に大学側も出版社からお金をもらったりしているのかな? だとしたら、それはそれで別の問題があると思うけれど。そう、このお母さん(お父さんと同じ歳)は、息子が浪人したことに対して、<こんなにガッカリしたことは五十年の人生で初めてだった(略)>(p.196)と言っている。あ、3人称小説だから「言っ」てはいないか。…それはともかく、50年って! ちょっと落胆しすぎだよね(汗)。

ストーリー的にはあと、正幸は会社の部下と不倫をしているのだけれど、(これもネタバレになってしまうけれど)息子は、その証拠のようなものを見つけてしまい、……これも引用したほうが正確かな、

 <浩康が父親を憎悪するようになったのはそれ以来だった。そして、何をしていても集中できず、しばらくは放心状態で、ただ息苦しく生きていた。浩康が受験に失敗したことの、大きな原因だったかもしれないくらいだ。>(p.262)

現実逃避としてますます勉強する…とかは無理? わからないけれど、一般論として息子としては、でも、お父さんの裏切り(?)のほうがお母さんのそれよりもショックは少ないかな?(cf. 山田太一『岸辺のアルバム』)。この小説ではあまり悲惨な結末とかにはなっていない。関係ないけれど、図書館とか本屋とかで適当に小説を手にとって冒頭のへんとかを読んでみたりすると、大学受験前に両親が亡くなってしまって、働かなければならなくなった、みたいな話ってけっこう多いような気がするけれど、そういう経済的な不運と比べて……どちらが不幸? って比べられないか(汗)。

ちなみに、家は<埼玉県浦和市の、埼京線武蔵浦和駅にほど近い>(p.88)のマンションで、予備校はお母さんに<浦和にある能輪ゼミ>(p.198)に通うと言っているので、たぶんそこに通っているはず。お父さんは東京まで通勤しているのに、息子は近場すませているんだね。書き忘れていたけれど、家族にはあと、今年(平成10年が去年だから、今年は平成11年=1999年)大学を卒業して働いているお姉さん(久美、去年22歳だから今年23歳になる)がいる。いま書いていて気づいたけれど、両親が2人ともいわゆる“団塊の世代”(1998年に50歳だから1948年生まれ?)にあたるから、息子たちは文字通りの“団塊ジュニア”であるみたい。息子のほうというか浩康くんは1980年生まれ、お姉ちゃんは1976年生まれくらい、か。
 
“単位”をお題とした連作集『単位物語』(朝日新聞社、1991/講談社文庫、1994)に収録されているもの(13篇中の2篇目)。この1篇のテーマは題名からも知れるように“温度”。短いものなので(手もとの文庫本で20頁もないので)全文を読んでもらったほうが早いかと思うけれど、いちおう物語(ストーリー)部分を説明すれば(※以下ネタバレ注意です)、浪人中の芳昭(よしあき)は、母親どうしの交流から小学校のときによく遊んでいた、同じ歳の幼なじみ・宮坂尚子(なおこ、短大1年生)と再会して、恋に落ちる。それによって(もちろん比喩的に)温度が高くなった芳昭は、気分転換と称して毎晩、自転車で2駅離れたところにある尚子の家まで行き、灯りがついた2階の彼女の部屋を見あげる。ということをしていたけれど、ある日、文字通りこれ以上の低い温度はないという-273℃=絶対零度の(というのももちろん比喩だけれど)出来事を体験することに……。この前、何か小説を読んでいたら(ライトノベルだっけな)「なになにと言った彼に対して、彼女は絶対零度の微笑を返した」みたいな表現が使われていて。そのときは、瞬間的にお寒い比喩だな、と思ってしまったけれど、別に変な言い方というわけでもないのか。あらゆるもの、世界全体が凍ってしまうような笑み…? そう、これも本作とは関係がないけれど、若い人に「バナナで釘が打てる」とか「薔薇がばらばらになる」とか言っても、もう通じないらしいよね(ああ歳はとりなくないな(涙))。
 
『追憶のルート19』(講談社、1987/講談社文庫、1989。「19」は「ナインティーン」と読む)所収、6篇中の6篇目。ぜんぜん期待していなかったせいか、この小説もけっこう面白く読めたです。後ろの「ノート/あとがきにかえて」ではこの作品について、<ダークでヘヴィな小説>(p.182、文庫)と書かれているけれど、2009年のいま読むと(?)それほど、ダークでもヘヴィでもないような気はするかな。ただ、やっぱり全体的に明るい話ではなくて、最後もハッピーな終わり方にはなっていない。

一応浪人生である英助(吉村英助)は、<ブルーズ>という店でアルバイトDJをしている美奈子(高校の2つ上の先輩、大学生)に近づきたいと思っているのだけれど、楽屋には美奈子の自称(?)彼氏というかの園田(英助の高校の同級生)がいて邪魔だったり、その前に会いに行ってデートに誘ったりする勇気がなかったりもして、願いはなかなか叶わない。一方、そんなおり、店の近くの路上で寝ていたホームレス(?)の「爺さん」と親しくなり、その姿や境遇などに自分自身を重ねて見たりする。――この小説も意外と吉村昭「星への旅」(同名書所収)と似ているかな(例によって本がどこかに行ってしまって確認できないけれど)。“虚無感”まではいかないけれど、「気力がない」とか言っているあたり。

 <(略)だが、たった今しなければならないことが、たった今見なければならないものがあるような気がして仕方がないのだった。いや、それは言い訳だ。自分には気力がないだけなのだ、と英助は思い直す。自分は、水平に広がった世界から、今、縦にこぼれおちて行こうとしているのだ。そのことを知っていながら、それをくい止めようと努力することができない。>(p.150)

スーパー・マーケットの魚売り場のアルバイト(午後3時から)には間に合うらしいけれど、朝は起きられないとも言っている。堕落というか、落ちるところまで落ちたいのかなんなのか。憧れの美奈子にしても爺さんにしても結局のところ、気力快復(?)には繋がらずじまい。で、“浪人生小説”としてはどうかな? うーん…。主人公が現役合格した大学生であったとしても、まったく同じ状態になっていたような気がしないでもない。でも、勉強する気が起きず、大学受験どころか、将来のこともどうでもよくなってしまっている浪人生には、意外とおすすめできる短篇であるような?(わからないけれど)。

ちなみに、季節は<あと一ヵ月もすれば、大学の入試がはじまる>(p.150)という、たぶん12月くらい(タイトルにもあるし)。舞台となっているのは、たぶん東京で、英助は4畳半のアパートで1人暮らし。祖父が亡くなっていて、男を連れ込むような母親と2人で暮らしていたらしいけれど、一緒にいたくなくて(受験勉強を理由にして)家を出たらしい。予備校にはいちおう籍はあるみたいだけれど、ぜんぜん行っていない模様。高校のときは陸上部だったらしい(それはどうでもいいことか(汗))。
 

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