群ようこ 『都立桃耳高校 神様おねがい!』
2008年11月19日 読書
新潮文庫、2000。ほかになに篇があるの? わからないけれど(あとで検索しておかないと)これが高校1年生篇だから卒業までにあと2冊?
<神様おねがい! アイツの隣に席替えしたいの……。時は1970年、よど号がハイジャックされるわ、大阪で万博は始まるわ、ジミ・ヘンは死ぬわで、もう大変!だったあの頃も今も、高校生の願いは変わらない。深夜放送に眠い目をこすり、創刊されたアンアンを読みながら大福の誘惑に涙を浮かべるちょっと太めのロック少女タヤマシゲミが、文庫書下ろし小説に登場!>(カバー背のところより)
「都立高校」といってもいろいろあるんだね(当たり前か)、ここはみんなあまり勉強をしていないらしい、のんびりとした高校。「恋愛の桃耳」とか言われているらしい。「私」は新しく作られた「地理歴史研究部」に入ることになって、放課後とかはその部室でみんなとお茶を飲みながらお菓子を食べたり、な日々。そこにある日、タチバナさんという卒業生――東京医科歯科大学を目指す2浪生――が現れる。この部屋はもともと落研が使っていた場所だという。
<(略)桃耳高校から医学部に入るなんて、ほとんど奇跡に近いことだと、入学して間もない私たちでさえ気がついていた。二年どころか五年計画でないと無理だろう。(略)>(p.98)
すでに5浪まで決定? ご愁傷様です(?)。この卒業生はもう1度、今度は文化祭の前に現れて、部室にいる人の前で落語をしてみせるのだけれど、みんなから首をかしげられる、みたいな微妙な反応をされて、しょげて帰る、みたいなことに。で、帰ったあとはけっこうな言われ放題?
<「でも、下手に下手とはいえないですよ」/(略)/「あーあ、かわいそ。これじゃ来年もだめかもしれないなあ」/私たちはタチバナさんに未来がないような気がした。>(p.151)
引用がちょっと強引かな。でも、どうして落語が受けなかっただけで、大学まで落ちなければいけないの? 言われすぎ、かわいそすぎる(汗)。あまり関係がないけれど、一般に、現役受験生(高校生)は浪人生に対して冷たい、と思うのだけれど(できれば想像を避けたい否定的な明日の我が身?)、その浪人生が自分の高校の先輩であったりすると、抱くのは、憎しみや敵愾心みたいなものではなく、同情とか憐憫みたいなものになる、のかな。嫌いな先輩なら話は別かもしれないけれど。いずれにしても、この小説では、大学受験からはまだ遠い高校1年生ばかりが居合わせているから、あまり関係がない。
そう、最初のへん、高校受験のことから書かれているのだけれど、私はこの小説を読んで初めて、東京都の「学校群制度」というのがどういうもなのか、ちょっとわかった気がした。すぐに忘れちゃいそうだけれど(汗)。あと、浪人がらみのことでは、中学3年のときのこと、「私」は庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』――主人公の薫くんは“永遠の浪人生”と言われることが多いけれど、個人的には浪人生であるとは思っていないので、“名誉浪人生”とでも呼んでおきたい――を友達に貸したまま返されず(また貸しまた貸しで行方知れずに)諦めてもう1冊買ったらしい。あ、タチバナさんって薫くんと同じ学年だな、たぶん。1970年で2浪ということは、1969年には1浪。
([追記]続きは「放課後ハードロック!篇」の1冊のみ。高校2・3年生篇。)
<神様おねがい! アイツの隣に席替えしたいの……。時は1970年、よど号がハイジャックされるわ、大阪で万博は始まるわ、ジミ・ヘンは死ぬわで、もう大変!だったあの頃も今も、高校生の願いは変わらない。深夜放送に眠い目をこすり、創刊されたアンアンを読みながら大福の誘惑に涙を浮かべるちょっと太めのロック少女タヤマシゲミが、文庫書下ろし小説に登場!>(カバー背のところより)
「都立高校」といってもいろいろあるんだね(当たり前か)、ここはみんなあまり勉強をしていないらしい、のんびりとした高校。「恋愛の桃耳」とか言われているらしい。「私」は新しく作られた「地理歴史研究部」に入ることになって、放課後とかはその部室でみんなとお茶を飲みながらお菓子を食べたり、な日々。そこにある日、タチバナさんという卒業生――東京医科歯科大学を目指す2浪生――が現れる。この部屋はもともと落研が使っていた場所だという。
<(略)桃耳高校から医学部に入るなんて、ほとんど奇跡に近いことだと、入学して間もない私たちでさえ気がついていた。二年どころか五年計画でないと無理だろう。(略)>(p.98)
すでに5浪まで決定? ご愁傷様です(?)。この卒業生はもう1度、今度は文化祭の前に現れて、部室にいる人の前で落語をしてみせるのだけれど、みんなから首をかしげられる、みたいな微妙な反応をされて、しょげて帰る、みたいなことに。で、帰ったあとはけっこうな言われ放題?
<「でも、下手に下手とはいえないですよ」/(略)/「あーあ、かわいそ。これじゃ来年もだめかもしれないなあ」/私たちはタチバナさんに未来がないような気がした。>(p.151)
引用がちょっと強引かな。でも、どうして落語が受けなかっただけで、大学まで落ちなければいけないの? 言われすぎ、かわいそすぎる(汗)。あまり関係がないけれど、一般に、現役受験生(高校生)は浪人生に対して冷たい、と思うのだけれど(できれば想像を避けたい否定的な明日の我が身?)、その浪人生が自分の高校の先輩であったりすると、抱くのは、憎しみや敵愾心みたいなものではなく、同情とか憐憫みたいなものになる、のかな。嫌いな先輩なら話は別かもしれないけれど。いずれにしても、この小説では、大学受験からはまだ遠い高校1年生ばかりが居合わせているから、あまり関係がない。
そう、最初のへん、高校受験のことから書かれているのだけれど、私はこの小説を読んで初めて、東京都の「学校群制度」というのがどういうもなのか、ちょっとわかった気がした。すぐに忘れちゃいそうだけれど(汗)。あと、浪人がらみのことでは、中学3年のときのこと、「私」は庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』――主人公の薫くんは“永遠の浪人生”と言われることが多いけれど、個人的には浪人生であるとは思っていないので、“名誉浪人生”とでも呼んでおきたい――を友達に貸したまま返されず(また貸しまた貸しで行方知れずに)諦めてもう1冊買ったらしい。あ、タチバナさんって薫くんと同じ学年だな、たぶん。1970年で2浪ということは、1969年には1浪。
([追記]続きは「放課後ハードロック!篇」の1冊のみ。高校2・3年生篇。)
村山由佳 「ひとりしずか」
2008年11月18日 読書
連作短篇集『星々の舟』(文藝春秋、2003/文春文庫、2006)の3篇目(全6篇)。※以下、ネタバレ注意です、毎度すみません。主人公というかは、大工の棟梁である父親の仕事(「水島工務店」)を手伝っている水島沙恵、現在34歳。高校2年の夏のこと、彼女は付き合ってくれと言われた知り合いの知り合いの浪人生(田辺孝一)と付き合ってみることにしたけれど、最初のデート(映画、買い物や食事)の帰りに、<いいじゃんか。もったいぶるなよ>(文庫、p.157)とか言われ、強姦されてしまう。付き合う前に相談されて、とりあえず付き合ってみれば、と助言していた次兄の暁(1つ歳上)は、電話番号からその浪人生の下宿を突き止めてぼこぼこに…したらしい。で、お兄ちゃんサイドからいえば、好きだった妹を慰めているうちにミイラ取りがミイラに…というか、兄と妹、越えてはいけない一線を超えてしまうわけですよ(?)。
<<お兄ちゃん……>/(略)/<おにいちゃん……っ>>(p.172)
小さい「っ」で昇天です(汗)。兄目線で読めば多少の“妹萌え”も可能かも。両親は再婚で、とりあえず2人はそれぞれの連れ子。
この1篇だけでなく全体的に脇役に対してちょっと愛が足りていない感じがする小説(集)だけれど、このちょい役の(でもトリックスター的に重要な?)浪人生に対しても、多少そんな感じかもしれない。勉強のほうはどうなのかな? <受験勉強? 進んでるわけないじゃん>(p.156)と本人が口にしているとおり、あまりしていないかもしれないな。最初から襲うつもりではなかったにせよ、女の子(歳下でよく知らない相手)と付き合おうとしている時点で、時間がいくらあっても足りない受験生としては失格というか。でも、もしかしたら暁お兄ちゃんに殴られたあとは、改心してちゃんと勉強するようになったとか?(それはないか)。結局、受験の結果はどうだったんだろうね? 受けてないかもしれないしな。――どうでもいいか、そんなこと(自分も愛が足りない(汗))。訴えられたらそれ(=大学受験)どころじゃなかっただろうし。
そういえば(この前、南木佳士『冬物語』所収の「ウサギ」という短篇を読んでいて思い出したけれど)昔、『ひとつ屋根の下』という“両親のいない兄弟姉妹同居ドラマ”みたいなのがあって(フジテレビ)、たしかそのなかでも、妹が家に帰る途中、路上で見知らぬ高校生だか浪人生だかに犯される、みたいな回があったような…。たしか模擬試験の結果が悪くてむしゃくしゃしていた、みたいな理由で。大森望・豊﨑由美『文学賞メッタ斬り!』という対談本では、この小説集(『星々の舟』は直木賞受賞作)のことが、<ものすごくベタ。出来の悪いテレビドラマみたい。>と言われているけれど(単行本、p.39、大森氏の発言)、TVドラマ的な想像力で書かれている小説なのかもしれない。私は読んでいる間、TVドラマっぽいとは思わなかったけれど。「ベタ」なのはデビュー作(とされる)『天使の卵』からしてそうだもんね、この作者。
ちなみに、“受験生小説”という感じではないけれど、同じ本の5篇目「雲の澪」では、長兄・貢の娘、高校3年生の聡美が視点人物になっている。“誕生日小説”って多いけれど、これはアンハッピーな18歳のそれ。
<<お兄ちゃん……>/(略)/<おにいちゃん……っ>>(p.172)
小さい「っ」で昇天です(汗)。兄目線で読めば多少の“妹萌え”も可能かも。両親は再婚で、とりあえず2人はそれぞれの連れ子。
この1篇だけでなく全体的に脇役に対してちょっと愛が足りていない感じがする小説(集)だけれど、このちょい役の(でもトリックスター的に重要な?)浪人生に対しても、多少そんな感じかもしれない。勉強のほうはどうなのかな? <受験勉強? 進んでるわけないじゃん>(p.156)と本人が口にしているとおり、あまりしていないかもしれないな。最初から襲うつもりではなかったにせよ、女の子(歳下でよく知らない相手)と付き合おうとしている時点で、時間がいくらあっても足りない受験生としては失格というか。でも、もしかしたら暁お兄ちゃんに殴られたあとは、改心してちゃんと勉強するようになったとか?(それはないか)。結局、受験の結果はどうだったんだろうね? 受けてないかもしれないしな。――どうでもいいか、そんなこと(自分も愛が足りない(汗))。訴えられたらそれ(=大学受験)どころじゃなかっただろうし。
そういえば(この前、南木佳士『冬物語』所収の「ウサギ」という短篇を読んでいて思い出したけれど)昔、『ひとつ屋根の下』という“両親のいない兄弟姉妹同居ドラマ”みたいなのがあって(フジテレビ)、たしかそのなかでも、妹が家に帰る途中、路上で見知らぬ高校生だか浪人生だかに犯される、みたいな回があったような…。たしか模擬試験の結果が悪くてむしゃくしゃしていた、みたいな理由で。大森望・豊﨑由美『文学賞メッタ斬り!』という対談本では、この小説集(『星々の舟』は直木賞受賞作)のことが、<ものすごくベタ。出来の悪いテレビドラマみたい。>と言われているけれど(単行本、p.39、大森氏の発言)、TVドラマ的な想像力で書かれている小説なのかもしれない。私は読んでいる間、TVドラマっぽいとは思わなかったけれど。「ベタ」なのはデビュー作(とされる)『天使の卵』からしてそうだもんね、この作者。
ちなみに、“受験生小説”という感じではないけれど、同じ本の5篇目「雲の澪」では、長兄・貢の娘、高校3年生の聡美が視点人物になっている。“誕生日小説”って多いけれど、これはアンハッピーな18歳のそれ。
土屋隆夫 『華やかな喪服』
2008年11月17日 読書
光文社、1996/カッパ・ノベルス、1998/光文社文庫、2000。あと創元推理文庫から出ている全集のようなものでも読めたと思うけれど、とりあえずいま手もとにあるのは光文社文庫です(画像はノベルスのもの)。例によって、この本もページ数が多くて(本文の最後は451ページ)読み終えるのがけっこうしんどかったです。けっして読みにくい小説ではない(というかむしろ読みやすかった)けれど、個人的に本を読むのにやたら時間がかかるという事情があって……という言い訳も、もう飽きるくらいしているな(汗)(←過去ログ参照です)。で、長いこと読んでいたせいもあってか、意外と全体的に“ほのぼの小説”だったような?(違いますかね? そんな小説ではないのかも)。※以下ネタバレ注意です、すみません。
<北條由紀は、生後4ヵ月の娘紗江とともに、男に誘拐されてしまった。由紀は、夫から離婚を迫られていた。理由も言わず、行き先も告げない男の真意は何なのか、恐怖と不安が募る。しかし、男が見せる横顔に由紀の心は次第に変わっていく。/男と女の愛、兄と妹の愛、そして殺人事件が絡み合った結末は、それぞれの思いに哀しく彩られていた――。>(カバーの後ろのところより)
読んでいてまず思ったのは(つまらない感想で申し訳ないけれど)1日何度もの授乳や突発的な病気など、“子育て”というのはやっぱり大変だなぁ、ということ。自分には子どもがいないので、そういうお母さん的な苦労がぜんぜんわかっていないというか(自分が赤ん坊のときのことは当然、記憶にないです)。小さい子の面倒は、旦那でなくても誰か手伝ってくれる人がいると、だいぶ助かる感じだよね(誰かいればいいけれどね、うーん…)。でも、そう、育児書を何冊か読んだことがある程度な「男」が、赤ちゃん(紗江)の扱いがとてもうまいのが、なんとなく納得がいかない。(たまたまだけれど、実はこの小説の前に、宮下奈都「日をつなぐ」(『コイノカオリ』角川文庫)という、主人公が途中から子育てに突入している短篇作品を読んだばかりで、その記憶も残っているというか、頭のなかでちょっとごっちゃになっているかも。)
由紀は「男」の「横顔」だけでなく、「男」が文学的な知識を持っていることなどにも惹かれていく。「兄と妹の愛」というのは、禁断の…とかではなくて、ふつうの(?)“兄妹愛”です。「誘拐」は、自動車に乗せられて、埼○県熊○市の自宅からうろうろと移動して、群○県内に入ってもうろうろとして(おおざっぱには東から西へ移動している)また○谷市に戻ってくる。4日間だっけな、休憩と宿泊はラブ○テルで。でも(トラベル・ミステリーではないけれど)「男」がガイドブックを持っていて、観光名所にはあまり寄らないながらも、観光案内的な感じになっている。そう、私は知らなかったのだけれど、温泉地である伊○保(会話に出てくるだけでそこまで行っていないけれど)には徳富蘆花の記念館があるらしいよ。なぜそんなところに? と思ったらその理由も書かれている(「『不如帰(ほととぎす)』の舞台になっているから」(p.206)らしい)。あと、赤○山といえば、すっかり忘れていたけれど、国定忠治で有名だったよね(♪今宵限り~)。高○市ではビジネスホテルに泊まって、「男」が駅で買ってきただるま弁当を2人で食べている。←推測だけれど、作者も観光ガイドブックだけで、現地を見ることなく書いているのかもしれない。
けっこう早めに擬似夫婦的・擬似家族的な感じになっているその3人(2人と赤ちゃん)が移動している一方で、東京の大泉警察署では、江森警部補(江森卓也)が無断欠勤のうえ、ゆくえ知れずになっているらしいことがわかって、署長と刑事課長が探し始める、みたいなことに。それには江森警部補が以前、指揮をとった「亀辰事件」が絡んでいるのではないか、みたいなことを推測して……それはともかく。ちらっとした出てこないけれど、署長の長男が「代々木の予備校」に通う「浪人一年生」とのこと。でも、最近は予備校に通わず、サックスを習いに行っているらしい。(少なくとも小説では)よくある父親の夢(希望)と息子の夢がずれている、みたいな話かな、これも。高卒で出世に苦労した署長お父さんは、息子には「警悟」と名前を付け、一流大学の法学部を出て、警察に入って上級幹部になってほしいと願っている。でも、息子=警悟くんのほうは、大学に落ちたことがきっかけで方向転換したのか、(お母さんによれば)いまは、将来はサックス奏者になりたいと思っているらしい(高校時代に吹奏楽団に入っていて、都内のコンクールで優秀な成績を収めているらしい)。大学は、高校の推薦があれば全員合格な、最近地方に新設された音大でいい、みたいなことに。――捨てぜりふがあるのでいつものように(?)拾っておこうか。予備校に通うように言った父親に対して、
<「ふん、予備校なんて、役に立ちゃしねえよ。あんなもの、いっそ火でもつけて燃しちまえばいいんだ」>(p.50)
と返している。“小説中浪人生語録”としては、どう? ちょっと微妙か(汗)。鉄筋コンクリート造りとかだと、燃えにくそうだし(そういう問題じゃない)。そんなことよりも、↑これを聞いて署長は、最近、大泉署管内で起こった2件の放火事件(文房具店と学参も扱っている本屋)の犯人を、次のように推測し直す、
<素行不良者や、補導歴のある高校生などではなく、むしろ、高校または大学受験に失敗し、現在は塾や予備校に通って、失意の日々を送っている学生たちに、捜査の目を向けるべきではないか。特に、地方から出て来て、アパートで一人暮らしをしながら浪人生活を送っている連中は、徹底的にマークする必要がある。(略)>(p.54)
浪人生というだけで犯罪者扱いかよ!(汗)。「特に」以下もどうして「特に」なのか、よくわからない。(ちなみに、この浪人生とはぜんぜん関係がないけれど、予備校の先生――現在は理事長――もちらっと出てくる。名前は木村信太郎、予備校は岩手県の「盛岡第一予備校」。)
<北條由紀は、生後4ヵ月の娘紗江とともに、男に誘拐されてしまった。由紀は、夫から離婚を迫られていた。理由も言わず、行き先も告げない男の真意は何なのか、恐怖と不安が募る。しかし、男が見せる横顔に由紀の心は次第に変わっていく。/男と女の愛、兄と妹の愛、そして殺人事件が絡み合った結末は、それぞれの思いに哀しく彩られていた――。>(カバーの後ろのところより)
読んでいてまず思ったのは(つまらない感想で申し訳ないけれど)1日何度もの授乳や突発的な病気など、“子育て”というのはやっぱり大変だなぁ、ということ。自分には子どもがいないので、そういうお母さん的な苦労がぜんぜんわかっていないというか(自分が赤ん坊のときのことは当然、記憶にないです)。小さい子の面倒は、旦那でなくても誰か手伝ってくれる人がいると、だいぶ助かる感じだよね(誰かいればいいけれどね、うーん…)。でも、そう、育児書を何冊か読んだことがある程度な「男」が、赤ちゃん(紗江)の扱いがとてもうまいのが、なんとなく納得がいかない。(たまたまだけれど、実はこの小説の前に、宮下奈都「日をつなぐ」(『コイノカオリ』角川文庫)という、主人公が途中から子育てに突入している短篇作品を読んだばかりで、その記憶も残っているというか、頭のなかでちょっとごっちゃになっているかも。)
由紀は「男」の「横顔」だけでなく、「男」が文学的な知識を持っていることなどにも惹かれていく。「兄と妹の愛」というのは、禁断の…とかではなくて、ふつうの(?)“兄妹愛”です。「誘拐」は、自動車に乗せられて、埼○県熊○市の自宅からうろうろと移動して、群○県内に入ってもうろうろとして(おおざっぱには東から西へ移動している)また○谷市に戻ってくる。4日間だっけな、休憩と宿泊はラブ○テルで。でも(トラベル・ミステリーではないけれど)「男」がガイドブックを持っていて、観光名所にはあまり寄らないながらも、観光案内的な感じになっている。そう、私は知らなかったのだけれど、温泉地である伊○保(会話に出てくるだけでそこまで行っていないけれど)には徳富蘆花の記念館があるらしいよ。なぜそんなところに? と思ったらその理由も書かれている(「『不如帰(ほととぎす)』の舞台になっているから」(p.206)らしい)。あと、赤○山といえば、すっかり忘れていたけれど、国定忠治で有名だったよね(♪今宵限り~)。高○市ではビジネスホテルに泊まって、「男」が駅で買ってきただるま弁当を2人で食べている。←推測だけれど、作者も観光ガイドブックだけで、現地を見ることなく書いているのかもしれない。
けっこう早めに擬似夫婦的・擬似家族的な感じになっているその3人(2人と赤ちゃん)が移動している一方で、東京の大泉警察署では、江森警部補(江森卓也)が無断欠勤のうえ、ゆくえ知れずになっているらしいことがわかって、署長と刑事課長が探し始める、みたいなことに。それには江森警部補が以前、指揮をとった「亀辰事件」が絡んでいるのではないか、みたいなことを推測して……それはともかく。ちらっとした出てこないけれど、署長の長男が「代々木の予備校」に通う「浪人一年生」とのこと。でも、最近は予備校に通わず、サックスを習いに行っているらしい。(少なくとも小説では)よくある父親の夢(希望)と息子の夢がずれている、みたいな話かな、これも。高卒で出世に苦労した署長お父さんは、息子には「警悟」と名前を付け、一流大学の法学部を出て、警察に入って上級幹部になってほしいと願っている。でも、息子=警悟くんのほうは、大学に落ちたことがきっかけで方向転換したのか、(お母さんによれば)いまは、将来はサックス奏者になりたいと思っているらしい(高校時代に吹奏楽団に入っていて、都内のコンクールで優秀な成績を収めているらしい)。大学は、高校の推薦があれば全員合格な、最近地方に新設された音大でいい、みたいなことに。――捨てぜりふがあるのでいつものように(?)拾っておこうか。予備校に通うように言った父親に対して、
<「ふん、予備校なんて、役に立ちゃしねえよ。あんなもの、いっそ火でもつけて燃しちまえばいいんだ」>(p.50)
と返している。“小説中浪人生語録”としては、どう? ちょっと微妙か(汗)。鉄筋コンクリート造りとかだと、燃えにくそうだし(そういう問題じゃない)。そんなことよりも、↑これを聞いて署長は、最近、大泉署管内で起こった2件の放火事件(文房具店と学参も扱っている本屋)の犯人を、次のように推測し直す、
<素行不良者や、補導歴のある高校生などではなく、むしろ、高校または大学受験に失敗し、現在は塾や予備校に通って、失意の日々を送っている学生たちに、捜査の目を向けるべきではないか。特に、地方から出て来て、アパートで一人暮らしをしながら浪人生活を送っている連中は、徹底的にマークする必要がある。(略)>(p.54)
浪人生というだけで犯罪者扱いかよ!(汗)。「特に」以下もどうして「特に」なのか、よくわからない。(ちなみに、この浪人生とはぜんぜん関係がないけれど、予備校の先生――現在は理事長――もちらっと出てくる。名前は木村信太郎、予備校は岩手県の「盛岡第一予備校」。)
高橋たか子 『天の湖』
2008年11月17日 読書
新潮社、1977。図書館から借りてきた本([追記]文庫も出ているみたい。→新潮文庫、1984)。面白い面白くない以前に、この本も何を言っているのかが頭になかなか入ってこなくて(それほど読みにくい小説ではないけれど)、しかたがないからだいぶ飛ばし読みをしてしまったです。文学作品というか純文学系の小説(たぶん)なので、表面的な話の流れだけを追ってもあまり意味がないかもしれないけれど。
章ごとに視点が変わる形式で書かれていて、全7章。奇数章の視点人物は、大学生の関勲平(23歳)。東大(文科三類)の受験に2回失敗して、3回目は2つ下の弟が東大(文科一類)を受験するので自分は諦めて、早稲田1本に絞ったらしい。現在はその早稲田大学の3年生(最初2月から始まっていてすぐに4年生になるけれど)。一方、偶数章の視点は、勲平の弟(東大生の環)をヌー○モデルとしている女流画家・山岡唯子(42歳)が担当。
勲平お兄ちゃん、他人とのコミュニケーションや、「愛」に飢えているというか、そんな感じ。家族については、自分が東大に受からなくて受かった弟のことを恨んでいるという感じではなく、両親(父=弁護士、母=大学の教育学の教授)が小さい頃から自分よりも弟のほうをひいきするというか、弟だけを可愛がって大事にしていること、に疑問を感じている模様。クールな環も兄に対してとりあえず冷たい感じ。ネタバレしてしまうけれど、小説は最後、勲平が父親(名前は勲)が所有する猟銃で環を打ってしまう場面で終わっている。一高(東大みたいなもの)に自分は落ちて弟は受かって、最後に自殺してしまう“兄弟小説”、久米正雄「受験生の手記」(『学生時代』)とはけっこう違っているかな。やっぱり歳が1つではなく、2つ離れているからか(関係ないか)。兄が弟に自分の好きな人をとられるみたいな話もないし。あと、たしかに弟は兄に対して冷たいのだけれど、画家の唯子との会話から弟(裸です)自身の言い分みたいなものも、聞ける。
でも、兄弟2人とも大学4年なのに来年のことをぜんぜん口にしていないな。あ、弟のほうはそのまま弁護士になるのか。そういえば、1969年に東大は入試を中止している――という事実があるのだけれど、この小説はそれを無視していない?(いや、以前その点があやしい小説を読んだことがあるから)。お兄ちゃん、1975年に大学4年生か。大丈夫だな、関係ないです。1969年(4月)には高校3年生。薫くん@『赤頭巾ちゃん気をつけて』の1学年下だね。
章ごとに視点が変わる形式で書かれていて、全7章。奇数章の視点人物は、大学生の関勲平(23歳)。東大(文科三類)の受験に2回失敗して、3回目は2つ下の弟が東大(文科一類)を受験するので自分は諦めて、早稲田1本に絞ったらしい。現在はその早稲田大学の3年生(最初2月から始まっていてすぐに4年生になるけれど)。一方、偶数章の視点は、勲平の弟(東大生の環)をヌー○モデルとしている女流画家・山岡唯子(42歳)が担当。
勲平お兄ちゃん、他人とのコミュニケーションや、「愛」に飢えているというか、そんな感じ。家族については、自分が東大に受からなくて受かった弟のことを恨んでいるという感じではなく、両親(父=弁護士、母=大学の教育学の教授)が小さい頃から自分よりも弟のほうをひいきするというか、弟だけを可愛がって大事にしていること、に疑問を感じている模様。クールな環も兄に対してとりあえず冷たい感じ。ネタバレしてしまうけれど、小説は最後、勲平が父親(名前は勲)が所有する猟銃で環を打ってしまう場面で終わっている。一高(東大みたいなもの)に自分は落ちて弟は受かって、最後に自殺してしまう“兄弟小説”、久米正雄「受験生の手記」(『学生時代』)とはけっこう違っているかな。やっぱり歳が1つではなく、2つ離れているからか(関係ないか)。兄が弟に自分の好きな人をとられるみたいな話もないし。あと、たしかに弟は兄に対して冷たいのだけれど、画家の唯子との会話から弟(裸です)自身の言い分みたいなものも、聞ける。
でも、兄弟2人とも大学4年なのに来年のことをぜんぜん口にしていないな。あ、弟のほうはそのまま弁護士になるのか。そういえば、1969年に東大は入試を中止している――という事実があるのだけれど、この小説はそれを無視していない?(いや、以前その点があやしい小説を読んだことがあるから)。お兄ちゃん、1975年に大学4年生か。大丈夫だな、関係ないです。1969年(4月)には高校3年生。薫くん@『赤頭巾ちゃん気をつけて』の1学年下だね。
樋口有介 『風少女』
2008年11月16日 読書
文藝春秋、1990/文春文庫、1993/創元推理文庫、2007。関東は左上の県、県庁所在地が舞台になっている小説。去年(2007年)創元推理文庫版を購入して(表紙の写真はJRのR線?)そのままずっといわゆる“積ん読”状態だったのだけれど、この前……といっても、もう1ヶ月以上も前のことかな、朝日新聞の地方面に「郷土ゆかりのほん」と題された現在も続いている不定期連載コラムがあって(けっこう見逃してしまうので、毎回読んでいるわけではないけれど)そこで南木佳士の『ダイヤモンドダスト』がとりあげられた次の回(たぶん)にとりあげられていたのが、この小説本。で、なんとなく読むように促された感じがしたので、今回読んだ次第です(←どうでもいい話やな、というか、読むまでに1ヶ月以上も経っている(汗))。私はM市民ではないけれど、なんていうかいちおうの生活圏なので、やっぱりどうしても“地元萌え”みたいなことが多くて。そういう意味では冷静には読んでいなかったというか、ふつうではない読み方をしていたかもしれないです。
内容は、推理小説などでけっこうよくある“元同級生たちはどうしているかな?小説”というか、文章軽めでミステリー度の低い青春(やり直し?)ミステリーみたいな感じ。語り手兼主人公の「ぼく」(斎木亮)は21歳の大学生で、まだけっこう若いけれど。季節は空っ風な2月で、出てくるたいていの同級生たちとは、約6年ぶりに会う形になっている。※以下、ネタバレ注意です(毎度すみません)。
<父危篤の報を受けて帰郷した斎木亮は、中学時代に好意を寄せいていた川村麗子の妹・千里と偶然に出会う。そこで初めて知った、麗子の死。事故死という警察の判断に納得のいかない二人が、同級生を訪ね、独自の調査をはじめると……。(略)>(カバーの後ろのところより)
家に着くとお父さんはすでに亡くなっていて、「ぼく」(斎木亮)は初七日までは実家に滞在することに。どうでもいいことだけれど、途中までは1日で1章(1章が1日)になっているっぽい(「章」という言葉はなくて数字のみだけれど)。いつも書いているようなことも書いておけば――、浪人生は出てこない小説なのだけれど、元不良である「ぼく」は、高校受験と大学受験には1度ずつ失敗しているらしい(高校はM市の隣I市の高校、大学は東京・渋谷にある三流の大学とのこと)。元同級生の1人、中学校では学級委員の1人だったという氏家孝一は、東大受験に3度失敗しているらしく、いまは、受験を諦めて繁華街の外れH川沿いでスナック『青猫』を開いている。――出てくる元同級生はどれくらいいたんだっけな…。書き出してしまうか。
斎木亮(「ぼく」): 高校浪人1年→I市の高校→浪人1年→東京・渋谷の三流大学
川村麗子: M女学園(=M女)→東京の短大→会計事務所
氏家孝一: 高校(どこ?)→東大浪人2年→スナック『青猫』
竹内常司: 高校(どこ?)→東京の大学(立教の英文科)
桑原智世: M女→新M病院(看護婦)
野代亜矢子: 市女(=M市立女子高校?)→M市の隣T市の大学(上越女子大の家政科)
亀橋和也: M市の工業高校→家の自動車修理工場(『亀橋自動車』)
田中由美子: 市女→家のスーパー
会話のなかで名前だけ出てくる人たち(意外と多い)を除けば、こんなものか。結局、ほとんど、容疑者候補の4人(氏家、竹内、桑原、野代)くらいだな。…あれ、看護婦さんって高校卒業してすぐになれるんだっけ?(高校にもよるか)。あと、氏家くんと同棲しているその桑原さんが、
<「(略)氏家くんはあんなこと[=東大に3度落ちたこと(引用者注)]で終わる人じゃないの。わたしとしては群大の医学部へ行って、お医者になってもらいたいの。(略)>(p.164)
と言っているけれど(あとで反対の意味のことも言っているけれど)、その医学部には合格に暗黙の年齢制限があって(訴えられていたよね)、来年受けるとしても4浪になってしまうから、点数がとれても受からないかもしれない。というか、作中年はいつくらい? 単行本が出ているのは……1990年か。それくらいなのかな。あ、あれ、氏家くんは文系ではなくて理系だったのか。
そう、高校ではなくて中学校の同級生だから、同じ市内でも、みんな家がわりと近くなっちゃうはずなのだけれど、うまくちらばされている感じ。亀橋(自動車)は引っ越しているし、麗子は(亡くなっているけれど)アパート、氏家&桑原は桑原さんのアパート…。亮の家族(母、姉、妹)は同じところに住んでいるのだけれど、それ以外の(家族・同級生以外の)登場人物もけっこう離れているか。新しい家を建てたという県警に勤める誠三叔父さん(片桐誠三)、市外だけれど、『青猫』でアルバイトをしている専門学校生の安部清美、電話でのみの主演(?)麗子の短大のときの友達、水谷小夜子…。亮の実家の周辺に集中しているようで集中していない(というのがよくわかるのも、地元だからだな(汗))。
内容は、推理小説などでけっこうよくある“元同級生たちはどうしているかな?小説”というか、文章軽めでミステリー度の低い青春(やり直し?)ミステリーみたいな感じ。語り手兼主人公の「ぼく」(斎木亮)は21歳の大学生で、まだけっこう若いけれど。季節は空っ風な2月で、出てくるたいていの同級生たちとは、約6年ぶりに会う形になっている。※以下、ネタバレ注意です(毎度すみません)。
<父危篤の報を受けて帰郷した斎木亮は、中学時代に好意を寄せいていた川村麗子の妹・千里と偶然に出会う。そこで初めて知った、麗子の死。事故死という警察の判断に納得のいかない二人が、同級生を訪ね、独自の調査をはじめると……。(略)>(カバーの後ろのところより)
家に着くとお父さんはすでに亡くなっていて、「ぼく」(斎木亮)は初七日までは実家に滞在することに。どうでもいいことだけれど、途中までは1日で1章(1章が1日)になっているっぽい(「章」という言葉はなくて数字のみだけれど)。いつも書いているようなことも書いておけば――、浪人生は出てこない小説なのだけれど、元不良である「ぼく」は、高校受験と大学受験には1度ずつ失敗しているらしい(高校はM市の隣I市の高校、大学は東京・渋谷にある三流の大学とのこと)。元同級生の1人、中学校では学級委員の1人だったという氏家孝一は、東大受験に3度失敗しているらしく、いまは、受験を諦めて繁華街の外れH川沿いでスナック『青猫』を開いている。――出てくる元同級生はどれくらいいたんだっけな…。書き出してしまうか。
斎木亮(「ぼく」): 高校浪人1年→I市の高校→浪人1年→東京・渋谷の三流大学
川村麗子: M女学園(=M女)→東京の短大→会計事務所
氏家孝一: 高校(どこ?)→東大浪人2年→スナック『青猫』
竹内常司: 高校(どこ?)→東京の大学(立教の英文科)
桑原智世: M女→新M病院(看護婦)
野代亜矢子: 市女(=M市立女子高校?)→M市の隣T市の大学(上越女子大の家政科)
亀橋和也: M市の工業高校→家の自動車修理工場(『亀橋自動車』)
田中由美子: 市女→家のスーパー
会話のなかで名前だけ出てくる人たち(意外と多い)を除けば、こんなものか。結局、ほとんど、容疑者候補の4人(氏家、竹内、桑原、野代)くらいだな。…あれ、看護婦さんって高校卒業してすぐになれるんだっけ?(高校にもよるか)。あと、氏家くんと同棲しているその桑原さんが、
<「(略)氏家くんはあんなこと[=東大に3度落ちたこと(引用者注)]で終わる人じゃないの。わたしとしては群大の医学部へ行って、お医者になってもらいたいの。(略)>(p.164)
と言っているけれど(あとで反対の意味のことも言っているけれど)、その医学部には合格に暗黙の年齢制限があって(訴えられていたよね)、来年受けるとしても4浪になってしまうから、点数がとれても受からないかもしれない。というか、作中年はいつくらい? 単行本が出ているのは……1990年か。それくらいなのかな。あ、あれ、氏家くんは文系ではなくて理系だったのか。
そう、高校ではなくて中学校の同級生だから、同じ市内でも、みんな家がわりと近くなっちゃうはずなのだけれど、うまくちらばされている感じ。亀橋(自動車)は引っ越しているし、麗子は(亡くなっているけれど)アパート、氏家&桑原は桑原さんのアパート…。亮の家族(母、姉、妹)は同じところに住んでいるのだけれど、それ以外の(家族・同級生以外の)登場人物もけっこう離れているか。新しい家を建てたという県警に勤める誠三叔父さん(片桐誠三)、市外だけれど、『青猫』でアルバイトをしている専門学校生の安部清美、電話でのみの主演(?)麗子の短大のときの友達、水谷小夜子…。亮の実家の周辺に集中しているようで集中していない(というのがよくわかるのも、地元だからだな(汗))。
片山恭一 『きみの知らないところで世界は動く』
2008年11月16日 読書
新潮社、1995/ポプラ社、2003/小学館文庫、2007。いま手もとにあるのは文庫本です。彼女(とか奥さんとか)の気持ちがわからないんです、みたいなよくある小説? あるいは、食欲と性欲は繋がっている、みたいな話をよく聞くけれど、「食」と「性」=「生」みたいな小説?(ってどういう小説だよ(汗))。よくわからないけれど、「海」は、「この世」と「あの世」を繋ぐ聖なる(?)場所なのか、なんなのか。――どうでもいいか。同じ作者の『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)もそうだったけれど、この小説も読み終わってすぐ、読み返したくなったです。別に面白かったからではなくて、意味がわからなくてだいぶ不満足感が残っていて(涙)。
<いたって普通の健全な高校生であるぼくと、恋人のカヲル、破天荒な言動ゆえに学校内の有名人である友人のジーコ。不思議な絆で結ばれた3人は70年代、青春の日々を謳歌していた。/しかし、大学に入学した頃から、カヲルは心身に不調をきたし始める。(略)>(カバー後ろより。)
3人は高校の同級生。1977年、高校を卒業して「ぼく」(本名不明)とカヲル(苗字は「小林」)は大学生に。カヲルは県庁所在地M市の郊外にある大学に、「ぼく」はそのM市まで夜行で12時間もかかる場所の大学に。一方、大学受験に全敗したジーコ(天本コージ)はM市の中心地にある予備校に。予備校の寮は5階建て――ということなどは、「ぼく」宛ての手紙でわかるのだけれど、ジーコのほかの寮生(予備校生)に対する発言が、読んでいてちょっと…。結局、大学に行くつもりがなくて、あとで実際に予備校も中退(?)して、肉体労働アルバイトに専念してしまうからかもしれないけれど……というか、少し引用させてもらえば、
<ここの連中は(というのは寮の連中はってことだけど)、みんな『ポパイ』を読んでイーグルスを聴いている。つまり大学には入れなかったけれど、気分は大学生ってわけだな。(略)>(p.166)
<ここでは誰もが、受験勉強のせいで考える能力を麻痺させている。少なくとも、おれにはそうとしか思えない。いや、何も考えない口実のために受験勉強をしているのかもしれないな。(略)>(p.167)
といった感じ。難しい本も読んでいて(例えば、3人がばらばらになってすぐくらいにはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』という本を読んでいる)、頭もいいのだろうけれど、他人(=ほかの予備校生)がステレオタイプにしか見えていないというか。引用の後者、人生において浪人生のときが、ある種の難しいことをいちばん考えていた時期だった、という人も意外に多いのでは?(私なんかもそうかもしれないけれど)。
ちなみに、この予備校(の授業?)には出席確認のためにタイムカードがあるらしい。で、出席率が悪いと親に連絡がいくらしい。入学金&授業料さえいただければあとは来ようが来まいがお好きにどうぞ、みたいなぼったくり系(?)の予備校と較べてどう? ――自己管理が苦手な人にとってはそういう予備校(親に連絡がいく学校)のほうがいいかもね。そう、時代的に1977年では、磁気カードみたいなもの(コンピュータとつながっていて生徒を管理しやすそうな)がまだ使われていないのは当然か。
話が戻ってしまうけれど(別に戻るわけではないか)、「ジーコ」といえばやっぱり「神様」? ――なんていうか、やっぱりよくわからない小説だな(汗)。そう、「ぼく」が大学生だし、高校の同級生のカヲルが入院することになる病気が(よくわからないけれど)精神からくる摂食障害のようなもので、そういう意味では、村上春樹の『ノルウェイの森』に似てると言われていた『世界の中心で~』よりも、もっと『ノルウェイの森』っぽいかもしれない。あ、でも、『ノルウェイ~』と『世界~』の両方をちゃんと読み直してみないとわからないな。『世界~』みたいに蛍は出て来なかったけれど。
あと、「M市」ってどこ? 作者が愛媛県出身らしいからそのへん?
<いたって普通の健全な高校生であるぼくと、恋人のカヲル、破天荒な言動ゆえに学校内の有名人である友人のジーコ。不思議な絆で結ばれた3人は70年代、青春の日々を謳歌していた。/しかし、大学に入学した頃から、カヲルは心身に不調をきたし始める。(略)>(カバー後ろより。)
3人は高校の同級生。1977年、高校を卒業して「ぼく」(本名不明)とカヲル(苗字は「小林」)は大学生に。カヲルは県庁所在地M市の郊外にある大学に、「ぼく」はそのM市まで夜行で12時間もかかる場所の大学に。一方、大学受験に全敗したジーコ(天本コージ)はM市の中心地にある予備校に。予備校の寮は5階建て――ということなどは、「ぼく」宛ての手紙でわかるのだけれど、ジーコのほかの寮生(予備校生)に対する発言が、読んでいてちょっと…。結局、大学に行くつもりがなくて、あとで実際に予備校も中退(?)して、肉体労働アルバイトに専念してしまうからかもしれないけれど……というか、少し引用させてもらえば、
<ここの連中は(というのは寮の連中はってことだけど)、みんな『ポパイ』を読んでイーグルスを聴いている。つまり大学には入れなかったけれど、気分は大学生ってわけだな。(略)>(p.166)
<ここでは誰もが、受験勉強のせいで考える能力を麻痺させている。少なくとも、おれにはそうとしか思えない。いや、何も考えない口実のために受験勉強をしているのかもしれないな。(略)>(p.167)
といった感じ。難しい本も読んでいて(例えば、3人がばらばらになってすぐくらいにはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』という本を読んでいる)、頭もいいのだろうけれど、他人(=ほかの予備校生)がステレオタイプにしか見えていないというか。引用の後者、人生において浪人生のときが、ある種の難しいことをいちばん考えていた時期だった、という人も意外に多いのでは?(私なんかもそうかもしれないけれど)。
ちなみに、この予備校(の授業?)には出席確認のためにタイムカードがあるらしい。で、出席率が悪いと親に連絡がいくらしい。入学金&授業料さえいただければあとは来ようが来まいがお好きにどうぞ、みたいなぼったくり系(?)の予備校と較べてどう? ――自己管理が苦手な人にとってはそういう予備校(親に連絡がいく学校)のほうがいいかもね。そう、時代的に1977年では、磁気カードみたいなもの(コンピュータとつながっていて生徒を管理しやすそうな)がまだ使われていないのは当然か。
話が戻ってしまうけれど(別に戻るわけではないか)、「ジーコ」といえばやっぱり「神様」? ――なんていうか、やっぱりよくわからない小説だな(汗)。そう、「ぼく」が大学生だし、高校の同級生のカヲルが入院することになる病気が(よくわからないけれど)精神からくる摂食障害のようなもので、そういう意味では、村上春樹の『ノルウェイの森』に似てると言われていた『世界の中心で~』よりも、もっと『ノルウェイの森』っぽいかもしれない。あ、でも、『ノルウェイ~』と『世界~』の両方をちゃんと読み直してみないとわからないな。『世界~』みたいに蛍は出て来なかったけれど。
あと、「M市」ってどこ? 作者が愛媛県出身らしいからそのへん?
平山瑞穂 『忘れないと誓ったぼくがいた』
2008年10月15日 読書
新潮社、2006/新潮文庫、2008。表紙カバーはアニメ風…ではないか、どう呼ばれているのか知らないけれど、絵です。で、ジャケ買いといえばジャケ買いだったかもしれない。表紙をきっかけにして手に取ってぱらぱらとしてみたら、「受験」という文字が何度か見えたので、購入してみることに。
高校3年生の語り手(「ぼく」)が中学3年生くらいの精神年齢であるような…。これも片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001/小学館文庫、2006)くらい売れれば、みそかすな感想が書かれたりする…ような小説かもしれないけれど。メガネを買いに行ってアルバイト店員として出会って、好きになった女の子が(※言い忘れていた、以下ネタバレ注意です、毎度すみません)、よくわからないけれど、<消える>という現象に見舞われていて、その消える間隔がだんだんと長くなって、みたいな…。『世界の~』のような病気とは違うけれど(実は<消える>その子は同じ高校の1つ下の2年生、語り手と歳は同じだけれど)、要するに同じようなものでしょう、“難病もの”と? こちらの性格のせいなのか、せめて消える理由、消えるようになったちゃんとしたきっかけみたいなものを、やっぱり説明して欲しかったなと思う。(そういうのを説明する気がない小説って増えている? いちおう恋愛マンガっぽい、なぜ戦争が起こっているのか不明な、高橋しんの『最終兵器彼女』あたりがいけなかったのかな? [追記]『最終兵器彼女』よりも、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の影響かな。)
文章というか文体についても、体言止めとか鉤括弧の使われ方とか、なんていうかちょっと安っぽい小説、という印象を受ける。日本語もちょくちょく変だよね? 決定的に変、というのではなくて、なんていうか正しい使い方なのかそうではないのか、グレーゾーンな感じのものがいくつかある。作者(男性?)が帰国子女であるというなら、しかたないあきらめるけれど。「ぼく」(=葉山タカシ)は、あまり頭がよろしくない感じ(失礼)なのに、消える少女=織部あずさ(フランスからの帰国子女、両親はいまフランスに)にかかわって、勉強どころではなくなるまでは、志望大学がW大(の社会科学系学部)だって。そんなに偏差値があるのかよ、ちょっとびっくり(うーん…)。帰国子女たくさんな、通っている都内の進学私立高校って、けっこういいところなのかな。――それはともかく、今回もほかの現役受験生を勇気づけるような“名言”をひらっておこうか。
<このままじゃマズいってことは、自分でもよくわかってる。でもぼくは、それが見えないふりをしているのだ。/受験なんて、とどのつまり、浪人すればやりなおせる。でも、今を逃したら、二度と取り返しがつかないことだってあるかもしれない。>(文庫、p.235)
これを、超自然的な問題を抱える彼女(というか想いを寄せる相手)がいる場合ではなくて、ふつうの彼/彼女がいる場合にあてはめていいのか、がたぶん大問題だよね。来年の1年間あるいは将来そっくりと、いま身近な、目の前にいたりする好きな人とを天秤にかけて…、というか、そんなことはどうでもいいか(汗)。ネタバレしてしまうけれど、最後の10分の1以下くらい(少ないけれど)が浪人生編。「ぼく」はあずさとのかかわりから影響を受けて、進路を変更して(非日常的な出来事を経由して本当にやりたいことが見つかる――というのも小説のパターンだけれど)結局、「N大芸術学部」に落ち着いたらしい。
[追記(2015/02/05)]少し加筆修正しました。ネットで感想を読んでみると、この小説、とても評判がよくて、ーもういちど読み直してみようかな。
高校3年生の語り手(「ぼく」)が中学3年生くらいの精神年齢であるような…。これも片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001/小学館文庫、2006)くらい売れれば、みそかすな感想が書かれたりする…ような小説かもしれないけれど。メガネを買いに行ってアルバイト店員として出会って、好きになった女の子が(※言い忘れていた、以下ネタバレ注意です、毎度すみません)、よくわからないけれど、<消える>という現象に見舞われていて、その消える間隔がだんだんと長くなって、みたいな…。『世界の~』のような病気とは違うけれど(実は<消える>その子は同じ高校の1つ下の2年生、語り手と歳は同じだけれど)、要するに同じようなものでしょう、“難病もの”と? こちらの性格のせいなのか、せめて消える理由、消えるようになったちゃんとしたきっかけみたいなものを、やっぱり説明して欲しかったなと思う。(そういうのを説明する気がない小説って増えている? いちおう恋愛マンガっぽい、なぜ戦争が起こっているのか不明な、高橋しんの『最終兵器彼女』あたりがいけなかったのかな? [追記]『最終兵器彼女』よりも、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の影響かな。)
文章というか文体についても、体言止めとか鉤括弧の使われ方とか、なんていうかちょっと安っぽい小説、という印象を受ける。日本語もちょくちょく変だよね? 決定的に変、というのではなくて、なんていうか正しい使い方なのかそうではないのか、グレーゾーンな感じのものがいくつかある。作者(男性?)が帰国子女であるというなら、しかたないあきらめるけれど。「ぼく」(=葉山タカシ)は、あまり頭がよろしくない感じ(失礼)なのに、消える少女=織部あずさ(フランスからの帰国子女、両親はいまフランスに)にかかわって、勉強どころではなくなるまでは、志望大学がW大(の社会科学系学部)だって。そんなに偏差値があるのかよ、ちょっとびっくり(うーん…)。帰国子女たくさんな、通っている都内の進学私立高校って、けっこういいところなのかな。――それはともかく、今回もほかの現役受験生を勇気づけるような“名言”をひらっておこうか。
<このままじゃマズいってことは、自分でもよくわかってる。でもぼくは、それが見えないふりをしているのだ。/受験なんて、とどのつまり、浪人すればやりなおせる。でも、今を逃したら、二度と取り返しがつかないことだってあるかもしれない。>(文庫、p.235)
これを、超自然的な問題を抱える彼女(というか想いを寄せる相手)がいる場合ではなくて、ふつうの彼/彼女がいる場合にあてはめていいのか、がたぶん大問題だよね。来年の1年間あるいは将来そっくりと、いま身近な、目の前にいたりする好きな人とを天秤にかけて…、というか、そんなことはどうでもいいか(汗)。ネタバレしてしまうけれど、最後の10分の1以下くらい(少ないけれど)が浪人生編。「ぼく」はあずさとのかかわりから影響を受けて、進路を変更して(非日常的な出来事を経由して本当にやりたいことが見つかる――というのも小説のパターンだけれど)結局、「N大芸術学部」に落ち着いたらしい。
[追記(2015/02/05)]少し加筆修正しました。ネットで感想を読んでみると、この小説、とても評判がよくて、ーもういちど読み直してみようかな。
朝日新聞出版、2008。ひと言でいって、微妙、かな…。予備校の1つの女子寮を舞台としたテンション低めの青春小説。主にそこに入居している4人の女の子の1年が描かれている。――なんていうか、4人とも“ダメ女子浪人生”? いや、ダメなのはかまわないけれど、個人的には、もっとテンションが高い小説なら、もう少し面白く読めたかもしれない(うーん…)。寮があるのは東京の郊外で、最寄の駅は京王線のS駅らしい。寮生(ぜんぶで22名らしい)はそこから電車に乗って予備校(大手らしい)に通っている模様。そういえば、予備校講師は出てくるけれど(1人の女の子が付き合っている相手……やれやれ?)、予備校自体がぜんぜん出てこないな、この小説。全体の構成というかは、連作短篇集みたいな感じで、「エピローグ」を除いて章ごとに視点人物が替わって――目次を見てもらったほうが早いかも。
永原あおい 春
吉川咲 夏
貴島礼奈 秋
松元多英 冬
エピローグ
といった感じ。寮生でほかに固有名詞が与えられているのは、吉川咲と同郷の山田由美子。あと寮の関係では、管理人さんにも名前があって、柳田夫妻(柳田夫人と柳田氏)。4人の浪人生(あるいは由美子を入れて5人)のキャラクター設定は、出身地、志望大学・学部、性格など、ばらけ方がちょっと不自然な感じもしなくない。あおいは北海道のさいはての町出身で、礼奈は奄美大島出身とか、咲は美大志望で、礼奈(奨学生)は東大の理Ⅲ志望とか。あおい・咲・礼奈は1浪なのだけれど、ちょっと謎めいている多英は……ネタバレしてしまうからそれは読んでもらうとして。書き分けるためにしかたがないのかもしれないけれど、それほど人物相互の距離をとる必要性、必然性が感じられない。性格だけある程度違っていればいいような。
タイトル的には“花束”=百合の花束、花物語というか、(BLならぬ)GL的なものを期待して読む人もいるかもしれないね。でも、そういう人は、期待はずれだったり、美少年どうし漫画を描いて手売りしている人(多英)が出てきたりして、がっくり? それより自分の場合には、同じく予備校の寮(寮生たちや寮生活)が描かれた竹内真の『風に桜の舞う道で』の“女の子版”かと思って期待して読んでしまって…。ぜんぜん違うし面白くないしで、残念無念です(涙)。竹内真はエンターテインメント系の作家だけれど、この小説の作者はあとから調べたら純文学系なんだね(文學界新人賞受賞でデビュー)、知らなかった。そういうことは先に言って欲しい(汗)、読み方が変わることはないけれど、場合によってはそれで早めに諦めがつくので。
作家といえば、女性作家だからしかたがないのかもしれないけれど、この小説も、衣食住の「衣」と「食」が詳しめに描写されている。そういうのって必要なの?(斎藤美奈子『文学的商品学』でも読み直してみようかな)。個人的には食べ物描写は、おいしそうに描かれているかどうかで、良し悪しを判断しています(そういう問題ではないけどね(汗))。あと、これも自分が男性だからか、“生理”について書かれると一瞬、引いてしまうんだよね。そう、話がちょっと逸れるけれど、あからさまに血の滴るようなそれを描くと、文学度(?)が増すみたいな、ちょっと勘違いをしている純文学系の女性作家って多くない?(であればどうにかして欲しいのだけれど)。逆に男性作家はもっと描いたほうがいいというか、書かなくてもいいからもっと気を使ったほうがいいかもしれない。そういえば、生理を描ける男性作家って、村上春樹くらいしかいないような。
あまり文句ばっかり言っていても怒られそうだから、えーと…。最後の、寮生たちがばらばらになってく感じはよかったかな。大学の学生寮とはたぶん違って、受験生であると受験大学とか入試の日程とか、合否とかのせいで足並みがそろわないから、ばらばらになっちゃうよね。その点がうまくフォローされているというか。あと、自分の場合も浪人の最初の年は上京して、予備校生ばかりがいる賄い付きのところで生活していたので、読んでいて感覚的にわからないこともないというか、部分的に萌えることはできたりもするけれどね。例えば箸と湯飲み茶碗を持って食堂に降りていく、ところとか。……けっこうあったと思うけれど、ほかに具体的な箇所が思い出せないな(涙)。そういえば、この小説、セッ○スは出てくるけれど、受験生の定番アイテムの1つ(?)煙草を吸っている人がいないというか、少なくとも寮内で誰かが煙草を吸っている場面が1度も出てこなかった気が。
そう、寮生がけっこうお互いの部屋を行き来している、のだけれど、予備校の寮ってたいてい相手の勉強の邪魔にならないように、出入りが禁止されているのでは? ほかの寮と較べて(?)ゆるいところらしいけれどね。あと、書き忘れていたけれど、作中の時代は……いつ? 携帯電話どころかポケットベルも出てこない時代。作者が1976年生まれらしいので1995年くらいの話かもしれない(その年くらいにはもうポケベルは普及していたはずだけれど)。関係ないけれど、1976年生まれって、三浦しをんとか鹿島田真希とか、BL系の豊作どし? ほかに同年生まれ、には誰がいるんだろう? えーと、朝比奈あすか(『憂鬱なハスビーン』)、川上未映子(『乳と卵』ほか)、万城目学(『鴨川ホルモー』ほか)……読んだことがない作家ばかりだけれど、むしろ逆にぜんぜん共通点がないような…。当たり前か。←参考文献:「特集 作家ファイル1998~2008」(『文藝』2008年夏号、河出書房新社)。
話が戻ってしまうけれど、竹内真の『風に桜の舞う道で』(中央公論新社、2001/新潮文庫、2007)の“女子版”みたいなものが読みたいんだけど、個人的には。誰か書いてくれないかな。別に予備校の寮が舞台になっていなくてもいいから、豊島ミホ(『青空チェリー』ほか)に女の子予備校生4,5人(あるいはそれ以上)が出てくる恋愛小説、みたいなものを書いて欲しいな。だいたい大学に入るのに浪人している女性作家が少な過ぎるよね。小池真理子、山田詠美……あと誰がいるの? エッセイで書いていた気がするけれど、たしか山崎ナオコーラは1浪しているんだよね。高樹のぶ子とか笙野頼子とかも浪人しているんだっけ。でも、やっぱり、複数の女子浪人生を描けそうなのが、豊島ミホしかいないような…。
あと、個人的に“ダメ女子小説”というと、藤田香織(書評家)とか角田光代とかが、書評を担当するイメージがあるのだけれど、この小説(『花束』)がもし文庫化されて解説が付くようなら、藤野千夜(『ベジタブルハイツ物語』など)を強く希望です。←そういうのは誰に訴えればいいの? 出版社=朝日新聞社?(うちは朝日新聞を購読していますよ? …関係ないか(汗))。というか、今回もぜんぜん小説の感想を書いていないよな(涙)。
永原あおい 春
吉川咲 夏
貴島礼奈 秋
松元多英 冬
エピローグ
といった感じ。寮生でほかに固有名詞が与えられているのは、吉川咲と同郷の山田由美子。あと寮の関係では、管理人さんにも名前があって、柳田夫妻(柳田夫人と柳田氏)。4人の浪人生(あるいは由美子を入れて5人)のキャラクター設定は、出身地、志望大学・学部、性格など、ばらけ方がちょっと不自然な感じもしなくない。あおいは北海道のさいはての町出身で、礼奈は奄美大島出身とか、咲は美大志望で、礼奈(奨学生)は東大の理Ⅲ志望とか。あおい・咲・礼奈は1浪なのだけれど、ちょっと謎めいている多英は……ネタバレしてしまうからそれは読んでもらうとして。書き分けるためにしかたがないのかもしれないけれど、それほど人物相互の距離をとる必要性、必然性が感じられない。性格だけある程度違っていればいいような。
タイトル的には“花束”=百合の花束、花物語というか、(BLならぬ)GL的なものを期待して読む人もいるかもしれないね。でも、そういう人は、期待はずれだったり、美少年どうし漫画を描いて手売りしている人(多英)が出てきたりして、がっくり? それより自分の場合には、同じく予備校の寮(寮生たちや寮生活)が描かれた竹内真の『風に桜の舞う道で』の“女の子版”かと思って期待して読んでしまって…。ぜんぜん違うし面白くないしで、残念無念です(涙)。竹内真はエンターテインメント系の作家だけれど、この小説の作者はあとから調べたら純文学系なんだね(文學界新人賞受賞でデビュー)、知らなかった。そういうことは先に言って欲しい(汗)、読み方が変わることはないけれど、場合によってはそれで早めに諦めがつくので。
作家といえば、女性作家だからしかたがないのかもしれないけれど、この小説も、衣食住の「衣」と「食」が詳しめに描写されている。そういうのって必要なの?(斎藤美奈子『文学的商品学』でも読み直してみようかな)。個人的には食べ物描写は、おいしそうに描かれているかどうかで、良し悪しを判断しています(そういう問題ではないけどね(汗))。あと、これも自分が男性だからか、“生理”について書かれると一瞬、引いてしまうんだよね。そう、話がちょっと逸れるけれど、あからさまに血の滴るようなそれを描くと、文学度(?)が増すみたいな、ちょっと勘違いをしている純文学系の女性作家って多くない?(であればどうにかして欲しいのだけれど)。逆に男性作家はもっと描いたほうがいいというか、書かなくてもいいからもっと気を使ったほうがいいかもしれない。そういえば、生理を描ける男性作家って、村上春樹くらいしかいないような。
あまり文句ばっかり言っていても怒られそうだから、えーと…。最後の、寮生たちがばらばらになってく感じはよかったかな。大学の学生寮とはたぶん違って、受験生であると受験大学とか入試の日程とか、合否とかのせいで足並みがそろわないから、ばらばらになっちゃうよね。その点がうまくフォローされているというか。あと、自分の場合も浪人の最初の年は上京して、予備校生ばかりがいる賄い付きのところで生活していたので、読んでいて感覚的にわからないこともないというか、部分的に萌えることはできたりもするけれどね。例えば箸と湯飲み茶碗を持って食堂に降りていく、ところとか。……けっこうあったと思うけれど、ほかに具体的な箇所が思い出せないな(涙)。そういえば、この小説、セッ○スは出てくるけれど、受験生の定番アイテムの1つ(?)煙草を吸っている人がいないというか、少なくとも寮内で誰かが煙草を吸っている場面が1度も出てこなかった気が。
そう、寮生がけっこうお互いの部屋を行き来している、のだけれど、予備校の寮ってたいてい相手の勉強の邪魔にならないように、出入りが禁止されているのでは? ほかの寮と較べて(?)ゆるいところらしいけれどね。あと、書き忘れていたけれど、作中の時代は……いつ? 携帯電話どころかポケットベルも出てこない時代。作者が1976年生まれらしいので1995年くらいの話かもしれない(その年くらいにはもうポケベルは普及していたはずだけれど)。関係ないけれど、1976年生まれって、三浦しをんとか鹿島田真希とか、BL系の豊作どし? ほかに同年生まれ、には誰がいるんだろう? えーと、朝比奈あすか(『憂鬱なハスビーン』)、川上未映子(『乳と卵』ほか)、万城目学(『鴨川ホルモー』ほか)……読んだことがない作家ばかりだけれど、むしろ逆にぜんぜん共通点がないような…。当たり前か。←参考文献:「特集 作家ファイル1998~2008」(『文藝』2008年夏号、河出書房新社)。
話が戻ってしまうけれど、竹内真の『風に桜の舞う道で』(中央公論新社、2001/新潮文庫、2007)の“女子版”みたいなものが読みたいんだけど、個人的には。誰か書いてくれないかな。別に予備校の寮が舞台になっていなくてもいいから、豊島ミホ(『青空チェリー』ほか)に女の子予備校生4,5人(あるいはそれ以上)が出てくる恋愛小説、みたいなものを書いて欲しいな。だいたい大学に入るのに浪人している女性作家が少な過ぎるよね。小池真理子、山田詠美……あと誰がいるの? エッセイで書いていた気がするけれど、たしか山崎ナオコーラは1浪しているんだよね。高樹のぶ子とか笙野頼子とかも浪人しているんだっけ。でも、やっぱり、複数の女子浪人生を描けそうなのが、豊島ミホしかいないような…。
あと、個人的に“ダメ女子小説”というと、藤田香織(書評家)とか角田光代とかが、書評を担当するイメージがあるのだけれど、この小説(『花束』)がもし文庫化されて解説が付くようなら、藤野千夜(『ベジタブルハイツ物語』など)を強く希望です。←そういうのは誰に訴えればいいの? 出版社=朝日新聞社?(うちは朝日新聞を購読していますよ? …関係ないか(汗))。というか、今回もぜんぜん小説の感想を書いていないよな(涙)。
竹野雅人 「死躰たちの夜と朝」
2008年10月14日 読書収録本がわからず、図書館に行って雑誌『海燕』(1994年5月号)からコピーをとってくる(借りられないので)。タイトルにある「死躰たち」という言葉には、本文中では「ゾンビ」とルビが振られている。「ゾンビ」とルビが振られているのは、その言葉だけではないけれど。
内容というかは、ひと言でいえば“団地小説”です。東京の外れにある、住人の間にゾンビの噂が広がっていて、なぜか外部の人による自殺の名所となっている団地。実際に小説の途中からは――ネタバレしてしまうけれど(※以下、ネタバレ注意です、すみません)、団地の人たちがどんどんとゾンビ化していって、中学2年生の明夫(視点人物の1人)やその同級生で同じ団地外の塾に通う陽子、浪人生の広司(視点人物の1人)の身にも危険がせまってくる。――で、感想はといえば、最後まで読んでも、B級ホラー映画以下のどこが面白いのやらな、微妙な純文学系小説というかなんというか。別に“団地”がどういう場所なのかとか、そこにどういう恐怖(?)が潜んでいるのかとか、そういうことが知りたいわけでもないし。うーん…。ゾンビ化する前に、お父さん(明夫の)はすでにある意味ゾンビ、みたいな話とかも、個人的にはいらないな。
文章・文体的には、意図があってそう書かれているのだろうけれど(どんな意図か知りたくはないけれど)「頭痛が痛い」みたいな表現がけっこう多い、のがちょっと気になるかな。ごらんの通り、文章についてはまったく人のことは言えたものではないけれど(汗)。でもちょっとね…。そう、↓ここの箇所など個人的にはふつうにむかつく、のだけれど、どうですか?
<コーヒーの自動販売機の、湯気が上がっているカップの中のコーヒーの写真のパネルの中の蛍光灯が切れかかっているらしく、ちかちかとまばたきを繰り返していた。>(p.103、下段)
数えてみると8つ? 「の」の8連発だよ(涙)。
中学生の明夫から望遠鏡で生活をのぞかれてしまっている、浪人生の広司(苗字は宮本)は今年の春から、団地のなか(ではなくて、近所だけかな)で唯一の3浪生とのこと。ご近所からの浪人生への視線というのは、棟が並んでいるような団地と一戸建て住宅が並んでいるようなところとでは、やっぱり違うのかな? あまり変わらないような気もするけどね。ま、20歳を過ぎているのだから、いやなら出て行けばいいだけ……というか、そんなことを言ったら元も子もないか(汗)。よくわからないけれど、昼間からレンタル・ビデオ屋(団地のなかにはショッピング・アーケードもある)に行くような生活をしているのに、予備校には通っているっぽい。そう、乗り物は高校時代かららしい、原付バイク(エンジンがかかりにくい)に乗っている。
内容というかは、ひと言でいえば“団地小説”です。東京の外れにある、住人の間にゾンビの噂が広がっていて、なぜか外部の人による自殺の名所となっている団地。実際に小説の途中からは――ネタバレしてしまうけれど(※以下、ネタバレ注意です、すみません)、団地の人たちがどんどんとゾンビ化していって、中学2年生の明夫(視点人物の1人)やその同級生で同じ団地外の塾に通う陽子、浪人生の広司(視点人物の1人)の身にも危険がせまってくる。――で、感想はといえば、最後まで読んでも、B級ホラー映画以下のどこが面白いのやらな、微妙な純文学系小説というかなんというか。別に“団地”がどういう場所なのかとか、そこにどういう恐怖(?)が潜んでいるのかとか、そういうことが知りたいわけでもないし。うーん…。ゾンビ化する前に、お父さん(明夫の)はすでにある意味ゾンビ、みたいな話とかも、個人的にはいらないな。
文章・文体的には、意図があってそう書かれているのだろうけれど(どんな意図か知りたくはないけれど)「頭痛が痛い」みたいな表現がけっこう多い、のがちょっと気になるかな。ごらんの通り、文章についてはまったく人のことは言えたものではないけれど(汗)。でもちょっとね…。そう、↓ここの箇所など個人的にはふつうにむかつく、のだけれど、どうですか?
<コーヒーの自動販売機の、湯気が上がっているカップの中のコーヒーの写真のパネルの中の蛍光灯が切れかかっているらしく、ちかちかとまばたきを繰り返していた。>(p.103、下段)
数えてみると8つ? 「の」の8連発だよ(涙)。
中学生の明夫から望遠鏡で生活をのぞかれてしまっている、浪人生の広司(苗字は宮本)は今年の春から、団地のなか(ではなくて、近所だけかな)で唯一の3浪生とのこと。ご近所からの浪人生への視線というのは、棟が並んでいるような団地と一戸建て住宅が並んでいるようなところとでは、やっぱり違うのかな? あまり変わらないような気もするけどね。ま、20歳を過ぎているのだから、いやなら出て行けばいいだけ……というか、そんなことを言ったら元も子もないか(汗)。よくわからないけれど、昼間からレンタル・ビデオ屋(団地のなかにはショッピング・アーケードもある)に行くような生活をしているのに、予備校には通っているっぽい。そう、乗り物は高校時代かららしい、原付バイク(エンジンがかかりにくい)に乗っている。
“安積警部補シリーズ”の1冊らしい、連作短篇集『陽炎 東京湾臨海署安積班』(角川春樹事務所、2000/ハルキ・ノベルス、2003/ハルキ文庫、2006)の表題作。8篇中の8篇目。手もとにあるのは、文庫が手に入らなくて、ノベルス版です。※以下、毎度のことですが、けっこうネタバレしているので、読まれていない方はご注意ください。
こんなの書いてみました、みたいな中途半端な“青春小説”?(だいぶ前に読んだことがある森詠「ハーバー・ライト」(『七つの恋の物語』)よりは面白かったかな。←たんにいま思い出しただけで、比較対象としての選択に他意はないです)。個人的には、「寒い、寒い」と言い続けている小説はあまり好きではないけれど、「暑い、暑い」としきりに言っている小説はけっこう好きかも。すべては太陽のせいというか?(出典はアルベール・カミュの『異邦人』…ではなくて、郷ひろみ?)。
東京には空がないだけでなく海もないらしい、夏といえば海で泳いでいたという四国出身の予備校生、坂崎康太は、海を見るためにお台場へ。そこで痴漢に間違われて、逃げる途中で車どうしを衝突させてしまったり、老人にぶつかってしまったりで、最後は女の子(エミ)を人質にとって屋上だかテラスだかに立てこもることに。そんな彼を、陽炎(かげろう)が立ちのぼるなかでも揺らがない(?)おなじみ安積警部補が説得する、みたいな話。そう、何か違う種類の小説になってしまうかもしれないけれど、立てこもるまでがもっとスラップスティックになっていてもいいような…。それはともかく。
康太くん、何もかもどうでもいい、みたいな気持ちになっているわりに、受験のことを気にしている模様。
<「捕まるわけにはいかない。受験ができなくなるくらいなら、ここから飛び降りて死ぬ」/(略)/「警察に捕まったら、受験に響くんだよ。俺たちはみんなぎりぎりところで競争してんだ。些細なマイナス要因が致命傷になるんだ」>(p.192、上段)
「受験に響く」というか、就職と違って大学受験ではあまり前科は問われないと思うのだけれど、逮捕されて長いこと拘束されてしまえば、物理的に試験自体を受けられなくなるよね、そのことを気にする方が自然であるような…。あと、単行本の出版年は……2000年か、受験イコール競争という考えなんだね(うーん…)、しかも主語が「俺たち(みんな)」になっている。作者の生年は……1955年か。ま、この小説にかぎらず、小説を読んでいて“大学受験観”が古く感じてしまうのは、ほぼ毎度のことだけれど。小説のテーマは“友達”? ヤマンバギャル(!)が化粧を落としたら、あらかわいい、みたいな、そういうのとかも、個人的にはいらないな。
こんなの書いてみました、みたいな中途半端な“青春小説”?(だいぶ前に読んだことがある森詠「ハーバー・ライト」(『七つの恋の物語』)よりは面白かったかな。←たんにいま思い出しただけで、比較対象としての選択に他意はないです)。個人的には、「寒い、寒い」と言い続けている小説はあまり好きではないけれど、「暑い、暑い」としきりに言っている小説はけっこう好きかも。すべては太陽のせいというか?(出典はアルベール・カミュの『異邦人』…ではなくて、郷ひろみ?)。
東京には空がないだけでなく海もないらしい、夏といえば海で泳いでいたという四国出身の予備校生、坂崎康太は、海を見るためにお台場へ。そこで痴漢に間違われて、逃げる途中で車どうしを衝突させてしまったり、老人にぶつかってしまったりで、最後は女の子(エミ)を人質にとって屋上だかテラスだかに立てこもることに。そんな彼を、陽炎(かげろう)が立ちのぼるなかでも揺らがない(?)おなじみ安積警部補が説得する、みたいな話。そう、何か違う種類の小説になってしまうかもしれないけれど、立てこもるまでがもっとスラップスティックになっていてもいいような…。それはともかく。
康太くん、何もかもどうでもいい、みたいな気持ちになっているわりに、受験のことを気にしている模様。
<「捕まるわけにはいかない。受験ができなくなるくらいなら、ここから飛び降りて死ぬ」/(略)/「警察に捕まったら、受験に響くんだよ。俺たちはみんなぎりぎりところで競争してんだ。些細なマイナス要因が致命傷になるんだ」>(p.192、上段)
「受験に響く」というか、就職と違って大学受験ではあまり前科は問われないと思うのだけれど、逮捕されて長いこと拘束されてしまえば、物理的に試験自体を受けられなくなるよね、そのことを気にする方が自然であるような…。あと、単行本の出版年は……2000年か、受験イコール競争という考えなんだね(うーん…)、しかも主語が「俺たち(みんな)」になっている。作者の生年は……1955年か。ま、この小説にかぎらず、小説を読んでいて“大学受験観”が古く感じてしまうのは、ほぼ毎度のことだけれど。小説のテーマは“友達”? ヤマンバギャル(!)が化粧を落としたら、あらかわいい、みたいな、そういうのとかも、個人的にはいらないな。
原田康子 「素直な容疑者」
2008年10月13日 読書
2ちゃんねるの書き込みで薦められているのを見て(たしか夏樹静子を調べているときに検索にかかったんだったか)存在を知って読んだのだけれど、とても面白かったです、読んでよかった。内容よりも文体がいいのかな、これは。主人公というか視点人物は男の子だけれど、女性作家による若干舌足らずな文体というか。自分は川上弘美とかけっこう好きだから、それと同じような理由で気に入ったのかも(あ、でも尾崎翠には挫折しているけど)。いま手もとにあるのは、この1篇が表題作となっている角川文庫のもの(1986年)。7篇中の1篇目。後ろのほうを見ると、初出は<一九六三年一月「別冊婦人公論」>とのこと。いい感じに古いな。単行本は(これも同タイトルのものが)1980年に作品社から出ているようだ。でも、収録作は違っているらしいというか、角川文庫のほうがたんに2篇多いだけ?(単行本を確認しないとわからないな)。※以下、いちおうネタバレにはご注意ください。
<女の横で朝をむかえる、はじめての経験、充ち足りて、それでいて何かもの悲しい。夢うつつに目ざめた少年の目に突然、赤く汚れたシーツ、真赤な水をたたえた水槽がとびこむ……。名前も知らない女はすでに冷い。(「素直な容疑者」)他に北国の孤独な風景の中に微妙にゆれ動く女の愛と哀しみを描く「峠」「窓辺の娘」など六篇を収録。>(表紙カバーの折り返しより)
10月ののどかな朝のこと、明が起きると隣の女性が亡くなっている。その女性というのは、昨夜知り合って一緒に寝た「奥さん」(名前などはあとで警察が教えてくれる。→相川祐子、昨年旦那が亡くなっている未亡人、ピアノ教師、再婚の話がまとまっている)。寝た場所はその奥さんの家なのだけれど、その家にはほかに従妹(いとこ)の桃子(20歳)とお手伝いの幸子が暮らしていて、あと犬(ドーベルマン)なんかもいる。――そんなことはどうでもいいか(汗)。要するにこれも“疑わしきは浪人生”ものというか、一緒に寝ていた人が殺されていて自分の顔とかに血がついたりしていれば、やっぱり警察には疑われちゃうよね(汗)。でも(叙述トリックとかでなければ)読者には明くんが犯人ではないことはわかっている感じ。細かいことはたんだんとわかってくるのだけれど、フルネームは「庄司明」、19歳。浪人2年目で、医者(個人病院?)のひとり息子らしい。予備校に通っているかはたしか、書かれていなかったと思う(付箋紙を貼っておこうと思うのだけれど、いつも忘れちゃうな…)。志望している大学や学部もよくわからない感じ、だけれど、いちおう医学部なのかな? 札幌地検での検事(高村)とのやりとり、
<「医者になりたくなくて[父親に]反抗してたのかね」/「反抗というほどでもありません。でも、医者になるなら細菌学でもやりたいと思ってました」/「本当はなにをやりたかったんだ」/「さあ……。高校時代には地質学とか考古学をやりたいと思ってました」/(略)>(p.40、[括弧]は引用者による)
これも少なくとも小説ではありがちな、進路における医者の息子的な葛藤か。そう、哲学もそうだけれど、考古学なんかも、役に立たない学問の代名詞というイメージがあるのかな?(最近読んだ、平山瑞穂『忘れないと誓ったぼくがいた』でも、主人公のお兄さんが金沢の大学で考古学を勉強している、みたいな設定になっている)。「反抗」といっても、「地質学とか考古学」くらいであると、あまり理系からは離れていないよね。
どうでもいいことだけれど、地検の前、警察(「札幌中央署」)の取調室で、明は刑事から天丼と番茶を出されている。――カツ丼ではなくて天丼なんだね、いつごろから定番(?)がカツ丼になったんだろう? でも、最近はTVドラマを見ていても、ぜんぜん提供されていないな、食べ物とか、煙草とか。
(あ、以前読んだ笹沢左保「裏切りの雨」という短篇も、2chの同じスレッドで知ったんだったか。最近、読む小説(特に短篇小説)がネタ切れぎみなので、なんていうか、感謝、感謝。)
<女の横で朝をむかえる、はじめての経験、充ち足りて、それでいて何かもの悲しい。夢うつつに目ざめた少年の目に突然、赤く汚れたシーツ、真赤な水をたたえた水槽がとびこむ……。名前も知らない女はすでに冷い。(「素直な容疑者」)他に北国の孤独な風景の中に微妙にゆれ動く女の愛と哀しみを描く「峠」「窓辺の娘」など六篇を収録。>(表紙カバーの折り返しより)
10月ののどかな朝のこと、明が起きると隣の女性が亡くなっている。その女性というのは、昨夜知り合って一緒に寝た「奥さん」(名前などはあとで警察が教えてくれる。→相川祐子、昨年旦那が亡くなっている未亡人、ピアノ教師、再婚の話がまとまっている)。寝た場所はその奥さんの家なのだけれど、その家にはほかに従妹(いとこ)の桃子(20歳)とお手伝いの幸子が暮らしていて、あと犬(ドーベルマン)なんかもいる。――そんなことはどうでもいいか(汗)。要するにこれも“疑わしきは浪人生”ものというか、一緒に寝ていた人が殺されていて自分の顔とかに血がついたりしていれば、やっぱり警察には疑われちゃうよね(汗)。でも(叙述トリックとかでなければ)読者には明くんが犯人ではないことはわかっている感じ。細かいことはたんだんとわかってくるのだけれど、フルネームは「庄司明」、19歳。浪人2年目で、医者(個人病院?)のひとり息子らしい。予備校に通っているかはたしか、書かれていなかったと思う(付箋紙を貼っておこうと思うのだけれど、いつも忘れちゃうな…)。志望している大学や学部もよくわからない感じ、だけれど、いちおう医学部なのかな? 札幌地検での検事(高村)とのやりとり、
<「医者になりたくなくて[父親に]反抗してたのかね」/「反抗というほどでもありません。でも、医者になるなら細菌学でもやりたいと思ってました」/「本当はなにをやりたかったんだ」/「さあ……。高校時代には地質学とか考古学をやりたいと思ってました」/(略)>(p.40、[括弧]は引用者による)
これも少なくとも小説ではありがちな、進路における医者の息子的な葛藤か。そう、哲学もそうだけれど、考古学なんかも、役に立たない学問の代名詞というイメージがあるのかな?(最近読んだ、平山瑞穂『忘れないと誓ったぼくがいた』でも、主人公のお兄さんが金沢の大学で考古学を勉強している、みたいな設定になっている)。「反抗」といっても、「地質学とか考古学」くらいであると、あまり理系からは離れていないよね。
どうでもいいことだけれど、地検の前、警察(「札幌中央署」)の取調室で、明は刑事から天丼と番茶を出されている。――カツ丼ではなくて天丼なんだね、いつごろから定番(?)がカツ丼になったんだろう? でも、最近はTVドラマを見ていても、ぜんぜん提供されていないな、食べ物とか、煙草とか。
(あ、以前読んだ笹沢左保「裏切りの雨」という短篇も、2chの同じスレッドで知ったんだったか。最近、読む小説(特に短篇小説)がネタ切れぎみなので、なんていうか、感謝、感謝。)
寺久保友哉 「雀斑」
2008年9月30日 読書
そばかす。←自分があとで読めなくなりそうだから。『恋人たちの季節』(角川文庫、1986)所収、6篇中の5篇目。本の後ろのところによれば、初出誌は<「北大季刊・第25号」一九六三年十二月>で、大学在学中に発表されたものらしい(4篇目「美奈」も同じく大学在学中に発表されたものらしい。同誌同年六月)。ひと言でいえば“青春小説”だろうね。
3年前の話、主人公というか視点人物となっているのは、高校3年生の裕二(苗字は長沢)。2人の女の子――裕二の家に下宿し始める3つ歳上の大学生、玲子と、学園の男子たちの憧れの的である1学年下の朝子――が登場してくるのだけれど、玲子とは湘南へドライブ&浜辺で追いかけっこ、北海道ではジンギスカン&夜景、朝子とはあいあい傘に、お堀の池でボート相乗り、……書き出してみると意外とベタな感じ?(汗)。青春なんてベタなものに決まっているのかもしれないけれど。んで、男女3人でいわゆる三角関係というわけでもないし、男子が女子2人のうちのどちらを選ぶべきかと揺れている感じでもないし…。いや、揺れは多少あるか。女の子が2人出てくるとたいてい対照的に描かれるというか、この小説はそれほどでもないけれど、夏に帰省した玲子から北海道(札幌)へと誘われて、そこで玲子としてしまってからは、それこそ“実用”と“観賞用”っぽいことになってはいる。その後、玲子とは東京でまた1つ屋根の下。2浪していたお兄さん=研一が地方の大学に受かって部屋が空いたからといって、年頃の男子高校生がいる家に女の子を住まわせちゃダメだよね、お父さんお母さん(汗)。
裕二くんが10月になって志望を工学部から医学部に変えるのは、“観賞用”(?)の朝子の言葉がきっかけとなる。
<(略)「あなた、何処の大学受けるの」(略)/「未だ、わからない」/「あなた頭がいいんでしょ」/「…………」裕二は何と言ってみようもなかった。>(pp.140-1)
勉強ができる→医学部、みたいなことを言う人って多いやね、どうなのかな? 裕二はあとで玲子に日記を盗み見られて、医学部の志望動機が女の子(朝子)でいいのか、と問われている。ネタバレしてしまうけれど、裕二くんはナポレオンの5時間睡眠に対抗して3時間睡眠で勉強したりして、でも、結局のところ――その前に朝子が高校をやめて映画会社に女優として入るけど、その映画会社がつぶれて、みたいな伝聞的な話もある――受験した「T大の医学部」には不合格。……「T大」というのはやっぱり「東大」のこと? 自分も仲間もどうして落ちたのか理由がわからなかったらしいけれど(やっぱり頭はいいのか)、天下の(?)東大であれば勉強が十分であっても、落ちるときは落ちるかもしれない(知らんけれど)。
最後の1ページちょっとが浪人生。で、浪人の夏に朝子を見かけてうんぬん…、これもネタバレしてしまうけれど、その朝子の姿に幻滅したというか、そんなような理由でやっぱり医学部志望をやめる、みたいなオチ。そう、書き忘れていたけれど、タイトルに関連することでは、具体的には玲子の顔にそばかすがある。裕二が海に叫んだ「玲子のソバカス!」という台詞にはちょっと笑った。「そばかす」って真ん中に「ばか」が入ってるんだね、言われてみれば。
※『~季節』ではなくて、それよりも前に出版されている短篇集『恋人たちの時刻』(角川文庫、1986)には――私がぱらぱらと確認したかぎりでは――浪人生が出てくる作品は収録されていない模様。なのに、同名の映画では主人公が浪人生になっているらしい。
3年前の話、主人公というか視点人物となっているのは、高校3年生の裕二(苗字は長沢)。2人の女の子――裕二の家に下宿し始める3つ歳上の大学生、玲子と、学園の男子たちの憧れの的である1学年下の朝子――が登場してくるのだけれど、玲子とは湘南へドライブ&浜辺で追いかけっこ、北海道ではジンギスカン&夜景、朝子とはあいあい傘に、お堀の池でボート相乗り、……書き出してみると意外とベタな感じ?(汗)。青春なんてベタなものに決まっているのかもしれないけれど。んで、男女3人でいわゆる三角関係というわけでもないし、男子が女子2人のうちのどちらを選ぶべきかと揺れている感じでもないし…。いや、揺れは多少あるか。女の子が2人出てくるとたいてい対照的に描かれるというか、この小説はそれほどでもないけれど、夏に帰省した玲子から北海道(札幌)へと誘われて、そこで玲子としてしまってからは、それこそ“実用”と“観賞用”っぽいことになってはいる。その後、玲子とは東京でまた1つ屋根の下。2浪していたお兄さん=研一が地方の大学に受かって部屋が空いたからといって、年頃の男子高校生がいる家に女の子を住まわせちゃダメだよね、お父さんお母さん(汗)。
裕二くんが10月になって志望を工学部から医学部に変えるのは、“観賞用”(?)の朝子の言葉がきっかけとなる。
<(略)「あなた、何処の大学受けるの」(略)/「未だ、わからない」/「あなた頭がいいんでしょ」/「…………」裕二は何と言ってみようもなかった。>(pp.140-1)
勉強ができる→医学部、みたいなことを言う人って多いやね、どうなのかな? 裕二はあとで玲子に日記を盗み見られて、医学部の志望動機が女の子(朝子)でいいのか、と問われている。ネタバレしてしまうけれど、裕二くんはナポレオンの5時間睡眠に対抗して3時間睡眠で勉強したりして、でも、結局のところ――その前に朝子が高校をやめて映画会社に女優として入るけど、その映画会社がつぶれて、みたいな伝聞的な話もある――受験した「T大の医学部」には不合格。……「T大」というのはやっぱり「東大」のこと? 自分も仲間もどうして落ちたのか理由がわからなかったらしいけれど(やっぱり頭はいいのか)、天下の(?)東大であれば勉強が十分であっても、落ちるときは落ちるかもしれない(知らんけれど)。
最後の1ページちょっとが浪人生。で、浪人の夏に朝子を見かけてうんぬん…、これもネタバレしてしまうけれど、その朝子の姿に幻滅したというか、そんなような理由でやっぱり医学部志望をやめる、みたいなオチ。そう、書き忘れていたけれど、タイトルに関連することでは、具体的には玲子の顔にそばかすがある。裕二が海に叫んだ「玲子のソバカス!」という台詞にはちょっと笑った。「そばかす」って真ん中に「ばか」が入ってるんだね、言われてみれば。
※『~季節』ではなくて、それよりも前に出版されている短篇集『恋人たちの時刻』(角川文庫、1986)には――私がぱらぱらと確認したかぎりでは――浪人生が出てくる作品は収録されていない模様。なのに、同名の映画では主人公が浪人生になっているらしい。
村上桃子 「大きな謎の木の横で」
2008年9月30日 読書
20歳前後(20代前半が多いか)の女の子を語り手にした“アパート小説”集、『恋するマドリ もうひとつの物語たち』(リンダブックス、2007)に収録されている1篇(7篇中の6篇目)。“浪人生”はあまり関係がないけれど、ああこういうケースもあるのか、とちょっと思って。――受けた大学に1つも合格せず、予備校に通い始めていたのに、大学(受けたところの1つ)に採点ミスがあって、(本来の合格者の)希望者には5月からの入学を許可する、みたいなことを言われ、もちろん「私」(玲子)は、そこに<(略)入学しないわけがなく。>(p.167)。で、時期はずれで見つけたアパートはハズレだった…というか、窓からも見える大きな謎の木があって…、みたいな話。というか、内容については、短いものなので私が説明するより読んでもらったほうが早いかと思う。
経済的にはどうなのかな、このケース? 払ってしまった予備校代は戻ってこないだろうし、大学も入学金とかを免除してくれなそうだしね…。もちろん1年間浪人するよりは、入学してしまったほうが、お金的にはだいぶ助かるかもしれない(たいてい本人よりも親御さんが)。そうしたお金の話を別にすれば(例えばお金に困っていない人とかは)、どう? 連絡してきた大学が滑り止めの滑り止めみたいなところだったら、何をいまさら、お前のところなんて! みたいな逆ギレ(二度ギレ?)もあるか(汗)。採点ミスうんぬんとかの前に、そもそも本命(第一志望)に落ちて滑り止めに受かった場合、そこに行くか、本命を目指してやっぱり浪人するか、みたいな選択を迫られてしまうかもしれない。悩みどころ? (たしか奥田英朗『東京物語』の1篇「春本番」では、主人公が受かった滑り止め1校を蹴っていたと思う。←本がゆくえ知れずで、記憶。)
あと、それほど深読みではないと思うけれど、この「私」はちゃんと、2月だか3月だかに掲示板(合格受験番号一覧)なり合格通知なりを見て、「ああ大学に受かった!」みたいなことがなかったわけで、そういう意味では、大きな謎の木の謎が謎ではなくなったときが、なんていうかその時であるのかもしれない(意味不明やな(汗))。
経済的にはどうなのかな、このケース? 払ってしまった予備校代は戻ってこないだろうし、大学も入学金とかを免除してくれなそうだしね…。もちろん1年間浪人するよりは、入学してしまったほうが、お金的にはだいぶ助かるかもしれない(たいてい本人よりも親御さんが)。そうしたお金の話を別にすれば(例えばお金に困っていない人とかは)、どう? 連絡してきた大学が滑り止めの滑り止めみたいなところだったら、何をいまさら、お前のところなんて! みたいな逆ギレ(二度ギレ?)もあるか(汗)。採点ミスうんぬんとかの前に、そもそも本命(第一志望)に落ちて滑り止めに受かった場合、そこに行くか、本命を目指してやっぱり浪人するか、みたいな選択を迫られてしまうかもしれない。悩みどころ? (たしか奥田英朗『東京物語』の1篇「春本番」では、主人公が受かった滑り止め1校を蹴っていたと思う。←本がゆくえ知れずで、記憶。)
あと、それほど深読みではないと思うけれど、この「私」はちゃんと、2月だか3月だかに掲示板(合格受験番号一覧)なり合格通知なりを見て、「ああ大学に受かった!」みたいなことがなかったわけで、そういう意味では、大きな謎の木の謎が謎ではなくなったときが、なんていうかその時であるのかもしれない(意味不明やな(汗))。
佐藤正午 「糸切歯」
2008年9月29日 読書
これも“浪人生小説”という感じではないけれど、まぁいいか。短篇集『女について』(集英社文庫、2001)所収。この本は(単行本情報が書かれていないけれど)、講談社文庫『恋売ります』(1991)が改題されたものらしい。その8篇中の3篇目。個人的には運命の赤い糸であろうが、糸切り歯=もともとの意味での、文字通りな意味での糸を切る歯、みたいな発想じたいがおばあちゃん的な感じがしてしまって…(汗)。「切っても切れない関係」みたいな言い方があるよね、むしろそっちのほうな感じかな(というか、意味不明か(汗))。受験に失敗したばかりのとき、「ぼく」(18歳)は、叔母が経営する酒場(居酒屋?)で、高校で2年間同じクラスだった、でも顔と名前を知っている程度の、上司に連れられてきた銀行員(当時)の「彼女」と再会する。で、翌日、映画(『青春の蹉跌』!)を見たりして、最終的には彼女の家に。好きかと訊かれて「ぼく」は嘘をついて(少なくとも「ぼく」にとっては)初エッ○となる。
<彼女との出会いが、でたらめな浪人生活の皮切りになった。>(p.66)
これはなんだろう、受験の失敗以外にも何か内に圧されるものとかがあって、その「彼女」によってストッパーがはずれちゃったのかな?(うーん)。大学はどうやら翌年、<金さえ積めば誰でも受かる>(同頁)ところへ進んだようだ。この「金」って寄付金みたいなもの? どれくらい払ったのかな、両親がいない家っぽいけれど、難なく払えるくらい? ちなみに「ぼく」は大学を卒業して、作家に。
<彼女との出会いが、でたらめな浪人生活の皮切りになった。>(p.66)
これはなんだろう、受験の失敗以外にも何か内に圧されるものとかがあって、その「彼女」によってストッパーがはずれちゃったのかな?(うーん)。大学はどうやら翌年、<金さえ積めば誰でも受かる>(同頁)ところへ進んだようだ。この「金」って寄付金みたいなもの? どれくらい払ったのかな、両親がいない家っぽいけれど、難なく払えるくらい? ちなみに「ぼく」は大学を卒業して、作家に。
絲山秋子 「袋小路の男」
2008年9月29日 読書
同名書(講談社、2004/講談社文庫、2007)所収、3篇中の1篇目。いちおう“片想い小説”という感じ。面白いといえば面白かったです。「エグジット・ミュージック」という新宿にあるジャズバーで知り合った、同じ高校(これも新宿)の1つ先輩にあたる「あなた」(小田切孝)のことを、語り手の「私」は、あまり相手にされないながらも、12年間も思い続ける、みたいな話。その「あなた」というか小田切くんが2浪している。<あなたは私が知っている誰よりも頭がいいのに大学は二浪した。>(文庫、p.18)。語り手がいまいち信じられない人なのだけれど、信じるとすれば、大学受験を2連敗した原因は“不明”ということ? でも、高校をさぼってジャズバーで本を読んだりしているから、それが敗因かもしれない。――小田切くんの名言(?)をちょっと拾っておきたい。
<俺も早く大学に入りてえよ、とあなたは言った。なんでおまえが現役なんだ。おまえみてえなばかはいっぺん浪人して苦労してみた方がいいんだぞ。>(文庫、p.18)
同書の2篇目「小田切孝の言い分」は、タイトルからして、表題作に対するアンサー・ストーリーという感じ(読んでみると、そうでもない感じだけれど)。こちらは2人称小説ではなく、3人称小説…というよりは、語り手が2人な“1人称交互小説”といった感じ、かな。前篇の語り手「私」の名前が「大谷日向子(おおたに・ひなこ)」であることが判明。12年がさらに増えて18年に。――そう、小田切くんが、2浪だから大学に受かっても誰からも「おめでとう」と言われなかった、みたいなことを言っていて(p.70)。そういえば自分もそうだったよなぁ…と思い出したです(遠い目)。あと、小田切くん語るところによれば、受験生だった日向子に、ファミレスで勉強(英語と世界史)を教えていたらしい。1浪目の話? やっぱり勉強はできる人なのかな。受験も浪人も関係ないけれど、この小説もちょっと“妊娠小説”になっている。
ちなみに、小田切孝は作家志望…というか、いちおう作家デビューできている。そういう苦労話みたいなものもちょっとよかったかな。個人的にどうやらそういう挫折譚が好きらしい、と最近気づいた(汗)。そういえば、小説家になるなら、浪人しないよりはしておいたほうがいい、みたいなことを言っていた作家がいたような。遠藤周作だっけな。ストレートな学歴なんかより読書量と多方面での経験がもの言う職業なのかもしれない。
<俺も早く大学に入りてえよ、とあなたは言った。なんでおまえが現役なんだ。おまえみてえなばかはいっぺん浪人して苦労してみた方がいいんだぞ。>(文庫、p.18)
同書の2篇目「小田切孝の言い分」は、タイトルからして、表題作に対するアンサー・ストーリーという感じ(読んでみると、そうでもない感じだけれど)。こちらは2人称小説ではなく、3人称小説…というよりは、語り手が2人な“1人称交互小説”といった感じ、かな。前篇の語り手「私」の名前が「大谷日向子(おおたに・ひなこ)」であることが判明。12年がさらに増えて18年に。――そう、小田切くんが、2浪だから大学に受かっても誰からも「おめでとう」と言われなかった、みたいなことを言っていて(p.70)。そういえば自分もそうだったよなぁ…と思い出したです(遠い目)。あと、小田切くん語るところによれば、受験生だった日向子に、ファミレスで勉強(英語と世界史)を教えていたらしい。1浪目の話? やっぱり勉強はできる人なのかな。受験も浪人も関係ないけれど、この小説もちょっと“妊娠小説”になっている。
ちなみに、小田切孝は作家志望…というか、いちおう作家デビューできている。そういう苦労話みたいなものもちょっとよかったかな。個人的にどうやらそういう挫折譚が好きらしい、と最近気づいた(汗)。そういえば、小説家になるなら、浪人しないよりはしておいたほうがいい、みたいなことを言っていた作家がいたような。遠藤周作だっけな。ストレートな学歴なんかより読書量と多方面での経験がもの言う職業なのかもしれない。
北森鴻 「タクのいる風景」
2008年9月28日 読書
『屋上物語』(祥伝社文庫、2003)所収、8篇中の最後の1篇。本の後ろのほうに次のように書かれている。<(この作品『屋上物語』は、平成十一年四月、小社ノン・ノベルから新書判で刊行されたものに、「小説non 二〇〇一年一月号」に掲載された「タクのいる風景」を加えたものです)>。ということは、どういうこと? 新書判も出ているけれど、そちらには収録されていない1篇、ということか(でも、画像が新書のほうしか出てこない(涙))。――うどんスタンドのさくら婆ァも興行師の杜田もデパート屋上から去ってしまったあと、高校生だったタクは浪人生に。でも、短大生になった彼女を大学生にとられたり、まともに予備校に通わないことで両親から疎んじられたりして、彼はいま<センチメンタルジャーニーの途上>(p.258)にいる。東北は盛岡のやっぱりデパート屋上にいて、うどんを食べたりしている(あ、もともといたのは都内)。――もう冬だよね、この人も大学に入る気はあるのかないのか…。勉強をしていない浪人生は文字通り(ではないか)たんなるさすらい人で、実際にあちこちを放浪してしまう人がいても別に問題はないというか。あ、でも、その盛岡で事件(というか)にかかわるのだけれど、タクくんはさくら婆ァたちのおかげで(精神的な置き土産というかで)多少は成長している感じ。あと、“受験生小説”としては、この1篇の語り手はなんていうかグッドです。ほかにはないと思う。
これで読むのは2冊目、北森鴻って意外と面白いな。自分にとってのストライク・ゾーンど真ん中というわけではないけど。とりあえず、『親不孝通りディテクティブ』の続き(?)『親不孝通りラプソディー』が読みたいな。そう、誰も逆らえない感じのさくら婆ァは、キャラクター的に『親不孝通りディテクティブ』の「歌姫」が探偵役になった感じかもしれない(書かれたのは…というか、出版年は『屋上物語』のほうが先だけれど)。
これで読むのは2冊目、北森鴻って意外と面白いな。自分にとってのストライク・ゾーンど真ん中というわけではないけど。とりあえず、『親不孝通りディテクティブ』の続き(?)『親不孝通りラプソディー』が読みたいな。そう、誰も逆らえない感じのさくら婆ァは、キャラクター的に『親不孝通りディテクティブ』の「歌姫」が探偵役になった感じかもしれない(書かれたのは…というか、出版年は『屋上物語』のほうが先だけれど)。
集英社、1999/集英社文庫、2002。単行本が出たときに1度読んでいて、今回久しぶりに再読。“元浪人生殺人犯もの”というか。※以下、ネタバレ注意です。すみません。いちおうミステリーらしい。ミステリーというか、雑に言ってよければむしろ、メタフィクション(小説についての小説)という感じかもしれない。
<24歳のOLが、アパートで殺された。猟奇的犯行に世間は震えあがる。この殺人をめぐる犯罪記録、週刊誌報道、手記、供述調書……ひとり記憶喪失の男が「治療」としてこれら様々な文書を読まされて行く。果たして彼は記憶を取り戻せるのだろうか。そして事件の真相は? 言葉を使えば使うほど謎が深まり、闇が濃くなる――言葉は本当に真実を伝えられるのか?! 名人級の技巧を駆使して大命題に挑む、スリリングな超異色ミステリー。>(文庫カバーより)
「私」は「私」が「治療師」と呼ぶ男から「治療」と称して様々な文章を読まされる。「私」が読まされるだけでなく、読者も読まされるわけだけれど、それらはある1つの事件――井口克巳という22歳の大学生(といっても不登校、「海南経済大学」)が、藤内真奈美という24歳の会社員(事務用文具メーカー「TOKO事務機株式会社」)を殺害して、その局部を切り取って持ち去ったという事件――に関するものであることがわかる。
父親が歯科医(開業している)で、その期待に応えられず、大学は2浪して、無名の(?)私立大学へ、しかも半年くらいで通わなくなってしまう。医学部志望でもそうだけれど、志望者がみんながみんな、医者や歯医者になれるわけではないだろうから(cf.山崎マキコ『さよなら、スナフキン』)、なれないとわかった時点ではどう別の方向を見つければいいのかな? うーん…。何かフォローするような機関があってもいいような…。小学校、中学校、高校と、将来の夢を持つことはいいことだ、みたいな、おめでたい教育もなんとかしないといけないかもしれないけれど。あ、でも、いまは職業体験みたいなものもちゃんとあるか。体験してみてから選べる? ――家業を継がなくてはいけない人、継ぎたい人はあまり関係がないか。あ、継げないかもしれないから関係あるのか。
高校が同じで予備校のとき(1浪のとき)井口克巳と一緒だった吉川浩介くんの発言(作家の中澤博久がまとめた「取材記録」のなかの発言)が、なんていうか、それはちょっと言い過ぎではという感じが…。
<ええ。それで、[(引用者注)その週刊誌の記者は]浪人の時はどうだってきくから、浪人中は誰だって暗い気分で、少しは精神おかしくなってますよ、と言ったんです。/だからむしろおれとしては、浪人中にマトモな人間はいませんよ、ということを言ったんです。/誰だって、みんな変ですよ。自分はダメな人間だ、っていう気がして、ひとと話なんかしたくないし。/(略)>(p.150)
気持ちはわかるけれど、「誰だって…」というのはちょっと言い過ぎだろう。というか、この小説、犯人の犯行動機がわからないというより、わかりたくないみたいな感じで、それをどんどん遠ざけていくような感じになっているかもしれない。具体的には(?)「~という感情を持っているのは犯人(容疑者)にかぎらない」「~という環境に置かれているのは犯人にかぎらない」、さらに「~だからといって、誰もが犯人のように人を殺すとはかぎらない」という形で、井口克巳が誰からも理解されない地点にまで特殊化されてしまう、というか。……それはともかく。
兄に代わって歯学部に入るのか入らないのか、高校2年生の弟、冬樹によれば(これは中澤が先輩作家の須藤陽太郎に送った手紙のなかに書かれていること)、兄の克巳が変わったのは、最初の受験に失敗したころかららしい。家族との会話がほとんどなくなって、自分の部屋に母親が入るとなぐったりもしたらしい。――歯学部に入るには1浪くらいしかたがない、みたいなことを、本人もお父さんも考えていなかったのかな? うーん…。
あと、「供述調書」という公的な文書のなかでも、小中学校、高校、大学の名前は書かれているのに、予備校の名前が書かれていない。あ、でも、履歴書とかでもそうか。ふつう浪人していたときのことは飛ばして書く、かな。あ、同じ供述調書で、井口が、大学を不登校になった理由について語っているくだりで、<二浪していますので、同学年の学生が年下で、話が合わず、友人ができなかったのも原因のひとつです。>(p.220)と言っている。自分(2浪です)もそうだったというか、20歳前後で2年の違いというのはけっこう大きいよね(そうでもない?)。誰かが書いていたと思うけれど、1浪して大学に入っても、現役合格の人たちが幼く感じたりするらしい。大学に落ちた挫折感やら1年余分な孤独な(?)勉強やらが、人を年齢以上に成長させてしまうのか、なんなのか。
<24歳のOLが、アパートで殺された。猟奇的犯行に世間は震えあがる。この殺人をめぐる犯罪記録、週刊誌報道、手記、供述調書……ひとり記憶喪失の男が「治療」としてこれら様々な文書を読まされて行く。果たして彼は記憶を取り戻せるのだろうか。そして事件の真相は? 言葉を使えば使うほど謎が深まり、闇が濃くなる――言葉は本当に真実を伝えられるのか?! 名人級の技巧を駆使して大命題に挑む、スリリングな超異色ミステリー。>(文庫カバーより)
「私」は「私」が「治療師」と呼ぶ男から「治療」と称して様々な文章を読まされる。「私」が読まされるだけでなく、読者も読まされるわけだけれど、それらはある1つの事件――井口克巳という22歳の大学生(といっても不登校、「海南経済大学」)が、藤内真奈美という24歳の会社員(事務用文具メーカー「TOKO事務機株式会社」)を殺害して、その局部を切り取って持ち去ったという事件――に関するものであることがわかる。
父親が歯科医(開業している)で、その期待に応えられず、大学は2浪して、無名の(?)私立大学へ、しかも半年くらいで通わなくなってしまう。医学部志望でもそうだけれど、志望者がみんながみんな、医者や歯医者になれるわけではないだろうから(cf.山崎マキコ『さよなら、スナフキン』)、なれないとわかった時点ではどう別の方向を見つければいいのかな? うーん…。何かフォローするような機関があってもいいような…。小学校、中学校、高校と、将来の夢を持つことはいいことだ、みたいな、おめでたい教育もなんとかしないといけないかもしれないけれど。あ、でも、いまは職業体験みたいなものもちゃんとあるか。体験してみてから選べる? ――家業を継がなくてはいけない人、継ぎたい人はあまり関係がないか。あ、継げないかもしれないから関係あるのか。
高校が同じで予備校のとき(1浪のとき)井口克巳と一緒だった吉川浩介くんの発言(作家の中澤博久がまとめた「取材記録」のなかの発言)が、なんていうか、それはちょっと言い過ぎではという感じが…。
<ええ。それで、[(引用者注)その週刊誌の記者は]浪人の時はどうだってきくから、浪人中は誰だって暗い気分で、少しは精神おかしくなってますよ、と言ったんです。/だからむしろおれとしては、浪人中にマトモな人間はいませんよ、ということを言ったんです。/誰だって、みんな変ですよ。自分はダメな人間だ、っていう気がして、ひとと話なんかしたくないし。/(略)>(p.150)
気持ちはわかるけれど、「誰だって…」というのはちょっと言い過ぎだろう。というか、この小説、犯人の犯行動機がわからないというより、わかりたくないみたいな感じで、それをどんどん遠ざけていくような感じになっているかもしれない。具体的には(?)「~という感情を持っているのは犯人(容疑者)にかぎらない」「~という環境に置かれているのは犯人にかぎらない」、さらに「~だからといって、誰もが犯人のように人を殺すとはかぎらない」という形で、井口克巳が誰からも理解されない地点にまで特殊化されてしまう、というか。……それはともかく。
兄に代わって歯学部に入るのか入らないのか、高校2年生の弟、冬樹によれば(これは中澤が先輩作家の須藤陽太郎に送った手紙のなかに書かれていること)、兄の克巳が変わったのは、最初の受験に失敗したころかららしい。家族との会話がほとんどなくなって、自分の部屋に母親が入るとなぐったりもしたらしい。――歯学部に入るには1浪くらいしかたがない、みたいなことを、本人もお父さんも考えていなかったのかな? うーん…。
あと、「供述調書」という公的な文書のなかでも、小中学校、高校、大学の名前は書かれているのに、予備校の名前が書かれていない。あ、でも、履歴書とかでもそうか。ふつう浪人していたときのことは飛ばして書く、かな。あ、同じ供述調書で、井口が、大学を不登校になった理由について語っているくだりで、<二浪していますので、同学年の学生が年下で、話が合わず、友人ができなかったのも原因のひとつです。>(p.220)と言っている。自分(2浪です)もそうだったというか、20歳前後で2年の違いというのはけっこう大きいよね(そうでもない?)。誰かが書いていたと思うけれど、1浪して大学に入っても、現役合格の人たちが幼く感じたりするらしい。大学に落ちた挫折感やら1年余分な孤独な(?)勉強やらが、人を年齢以上に成長させてしまうのか、なんなのか。
上・下。双葉社、1994/双葉文庫、1996。正直に言ってぜんぜん面白くなくて、読み終わるのがかなりしんどかったです、上下巻合わせてなんと約1000ページ! 私は本を読むのがすごく遅いんだよね、はぁ…。※毎度書いていますが、以下、ネタバレ注意です。
「○○小説」とひと言でいうとしたら、やっぱり「家族小説」かな。9月21日(1991年)、主婦の高浜則子が車中で殺害される。――主な視点人物は2人いて、1人は則子の高校生の娘の真裕子(まゆこ)で、要するにお母さんが殺されて突然いなくなってしまって、自分は家族はどうなるかどうするか、みたいな話。もう1人は、容疑者として逮捕される真裕子が通う学校(私立M女子学園高校)の教師、松永秀之の妻である香織。こちらはなんていうか、私のせいではないのに、みたいなちょっと身勝手な性格で、人生を転落していくような面も。――全体的には女の子(女性)の成長物語というか、大なり小なり苦境に立たされている女の子(女性)の生きる道、というか? でも、何がどうなる・誰がどうするといった目に見えることより、心理的な動きが書かれているような小説。ただ、うーん…、犯罪被害者の遺族や加害者の家族の心理を描くにしても、読者にも想像力はあるわけだから、もっと省略して書いてくれてもいいような…。←あぁまた読むのがたいへんだった、みたいな愚痴に戻っているよ(汗)。そう、新聞記者にしても検事(裁判が始まるから出てくる)にしても、こんなに素人っぽい(あるいは新人的な)人っているのかな? だったら最初から素人(/新人)に設定すればいいのに。そんなことより、全体的に登場人物に聡明な人が1人もいない気が…。そういえば最初、ふつうの推理小説だと思って読んでいたからかな(名探偵はどこに?みたいな(汗))。メインキャラの女子高生にしても(元)教師の妻にしても、考えていることだけでなく、そもそも感性がちょっと鈍くない? それとも、読み取るほうの私の感度が悪いのか、なんなのか。
で、本題というか。則子の上の娘=真裕子の姉の高浜千種(ちぐさ)が2浪の浪人生。高田馬場にあるW学院という予備校に通っているらしい。「通っている」というか、お母さんが亡くなって少ししてから、ちゃんと通い始めている。5年前から(だっけ?)床や壁にしみや傷ができてしまう、家にある物にあたる系の家庭内暴力を発揮していて、お母さんが亡くなった日の当日も、うるせぇっ!ばばあ、的な定番文句をいくつか吐いて外出している。もちろん亡くなったあとで天国に(?)謝っている様子。そう、どこに書いてあったんだっけな、…見つからないや(涙)、たしか高校のときの同級生、というか3年生のときのクラスかな、その中でこの人だけが2浪していると書かれていたと思う。これはすごく悲しい情報だよね(涙)。女子校だから情報網が発達していて本人にまで到達しまうとか? あ、お母さんが元担任の松永(書き忘れていた、姉妹は同じ高校)にお姉ちゃん(千種)のことを相談したりしていたから、元担任から母親への直接情報なのか? というか、そんなことはどうでもいいや(汗)。あとは……読んでいたときのメモを見てみると、「姉視点(の箇所)がないのはなぜ?」とある。そういえば(書いたときの記憶はすでにない)どうしてなのかな? 新聞記者の建部(智樹)の関心も、最初はお姉ちゃんにあるのに、だんだんと妹のほうに移ってしまう。若いほうがいい、高校生という名のブランド?(違うか)。――話を戻して、正月は2日から予備校の「入試直前のゼミ」に通ったりしているお姉ちゃんの受験とその結果はといえば、<全部で十個以上の大学と学部を受けた。現役と一浪の時には国立を狙っていたのだが、今回は私立だけにしぼって>(下、p.148)受験して、<結局、三つの大学に受かり、三月に入ってから、ようやく姉は自分の行く大学を決めた>(同頁)とのこと。3大学の、それぞれいくつの学部に受かったのかわからないけれど、1学部ずつなら10分の3未満(3割未満)の合格率? それなら(仮定の話)学力的に2浪していても別に不思議ではないかもしれない。あるいはプライドが高くて高望みだったとか? ちなみに、大学に受かったあとは性格がさらにだんだんとソフト化している。
受験がらみのことでは、この年(1992年)、高校3年になっている妹の真裕子も、夏期講習で高田馬場にある予備校に通い出す(お姉ちゃんと同じところ?)。そこで友達ができて(ほかの高校に通う富田杏奈)、近くの「デジャヴュ」という店で2人の浪人生(森下研也・北野雅樹)とも知り合いになる(cf.『二十四時間』)。仲間4人でボーリングとかに遊びに行ったりとかして、そのうちの1人、研也からは告白されて(杏奈が研也のことが好きだということもあって)真裕子は好きにならない、と決めているけれど、家に送られたときに近所の公園でキス、みたいなことも。初めてのキスは浪人生の味――それはいいけれど(ちょっと言ってみたかっただけです(汗))、この研也くんに対しては、浪人生のくせに高校生と付き合っている場合か!とは多少言っておきたいな。でも(ネタバレしてしまうけれど)翌年(1993年)、真裕子は現役で大学に合格して、付き合いだした研也&杏奈は、なかよく2浪&1浪のコンビに。そう、夏期講習が終わっても予備校には通い続けている。志望は、農学部らしい。どうして農学部志望なのかは、母親が殺されたことに関係している。杏奈との会話、<「農学部って、そんなに多くないよねえ?」/「明治と、農大と、日大、あと玉川、かな」>(p.253)。これは偏差値順?(『あなた』にもそんな箇所があったような…)。農学部、たぶんもっとあるからやっぱり調べたほうがいいやね。
(毎度のことだけれど、文章がめちゃくちゃだな。読みにくくてすみません。誰も読んでいないかもしれないけれど。)
「○○小説」とひと言でいうとしたら、やっぱり「家族小説」かな。9月21日(1991年)、主婦の高浜則子が車中で殺害される。――主な視点人物は2人いて、1人は則子の高校生の娘の真裕子(まゆこ)で、要するにお母さんが殺されて突然いなくなってしまって、自分は家族はどうなるかどうするか、みたいな話。もう1人は、容疑者として逮捕される真裕子が通う学校(私立M女子学園高校)の教師、松永秀之の妻である香織。こちらはなんていうか、私のせいではないのに、みたいなちょっと身勝手な性格で、人生を転落していくような面も。――全体的には女の子(女性)の成長物語というか、大なり小なり苦境に立たされている女の子(女性)の生きる道、というか? でも、何がどうなる・誰がどうするといった目に見えることより、心理的な動きが書かれているような小説。ただ、うーん…、犯罪被害者の遺族や加害者の家族の心理を描くにしても、読者にも想像力はあるわけだから、もっと省略して書いてくれてもいいような…。←あぁまた読むのがたいへんだった、みたいな愚痴に戻っているよ(汗)。そう、新聞記者にしても検事(裁判が始まるから出てくる)にしても、こんなに素人っぽい(あるいは新人的な)人っているのかな? だったら最初から素人(/新人)に設定すればいいのに。そんなことより、全体的に登場人物に聡明な人が1人もいない気が…。そういえば最初、ふつうの推理小説だと思って読んでいたからかな(名探偵はどこに?みたいな(汗))。メインキャラの女子高生にしても(元)教師の妻にしても、考えていることだけでなく、そもそも感性がちょっと鈍くない? それとも、読み取るほうの私の感度が悪いのか、なんなのか。
で、本題というか。則子の上の娘=真裕子の姉の高浜千種(ちぐさ)が2浪の浪人生。高田馬場にあるW学院という予備校に通っているらしい。「通っている」というか、お母さんが亡くなって少ししてから、ちゃんと通い始めている。5年前から(だっけ?)床や壁にしみや傷ができてしまう、家にある物にあたる系の家庭内暴力を発揮していて、お母さんが亡くなった日の当日も、うるせぇっ!ばばあ、的な定番文句をいくつか吐いて外出している。もちろん亡くなったあとで天国に(?)謝っている様子。そう、どこに書いてあったんだっけな、…見つからないや(涙)、たしか高校のときの同級生、というか3年生のときのクラスかな、その中でこの人だけが2浪していると書かれていたと思う。これはすごく悲しい情報だよね(涙)。女子校だから情報網が発達していて本人にまで到達しまうとか? あ、お母さんが元担任の松永(書き忘れていた、姉妹は同じ高校)にお姉ちゃん(千種)のことを相談したりしていたから、元担任から母親への直接情報なのか? というか、そんなことはどうでもいいや(汗)。あとは……読んでいたときのメモを見てみると、「姉視点(の箇所)がないのはなぜ?」とある。そういえば(書いたときの記憶はすでにない)どうしてなのかな? 新聞記者の建部(智樹)の関心も、最初はお姉ちゃんにあるのに、だんだんと妹のほうに移ってしまう。若いほうがいい、高校生という名のブランド?(違うか)。――話を戻して、正月は2日から予備校の「入試直前のゼミ」に通ったりしているお姉ちゃんの受験とその結果はといえば、<全部で十個以上の大学と学部を受けた。現役と一浪の時には国立を狙っていたのだが、今回は私立だけにしぼって>(下、p.148)受験して、<結局、三つの大学に受かり、三月に入ってから、ようやく姉は自分の行く大学を決めた>(同頁)とのこと。3大学の、それぞれいくつの学部に受かったのかわからないけれど、1学部ずつなら10分の3未満(3割未満)の合格率? それなら(仮定の話)学力的に2浪していても別に不思議ではないかもしれない。あるいはプライドが高くて高望みだったとか? ちなみに、大学に受かったあとは性格がさらにだんだんとソフト化している。
受験がらみのことでは、この年(1992年)、高校3年になっている妹の真裕子も、夏期講習で高田馬場にある予備校に通い出す(お姉ちゃんと同じところ?)。そこで友達ができて(ほかの高校に通う富田杏奈)、近くの「デジャヴュ」という店で2人の浪人生(森下研也・北野雅樹)とも知り合いになる(cf.『二十四時間』)。仲間4人でボーリングとかに遊びに行ったりとかして、そのうちの1人、研也からは告白されて(杏奈が研也のことが好きだということもあって)真裕子は好きにならない、と決めているけれど、家に送られたときに近所の公園でキス、みたいなことも。初めてのキスは浪人生の味――それはいいけれど(ちょっと言ってみたかっただけです(汗))、この研也くんに対しては、浪人生のくせに高校生と付き合っている場合か!とは多少言っておきたいな。でも(ネタバレしてしまうけれど)翌年(1993年)、真裕子は現役で大学に合格して、付き合いだした研也&杏奈は、なかよく2浪&1浪のコンビに。そう、夏期講習が終わっても予備校には通い続けている。志望は、農学部らしい。どうして農学部志望なのかは、母親が殺されたことに関係している。杏奈との会話、<「農学部って、そんなに多くないよねえ?」/「明治と、農大と、日大、あと玉川、かな」>(p.253)。これは偏差値順?(『あなた』にもそんな箇所があったような…)。農学部、たぶんもっとあるからやっぱり調べたほうがいいやね。
(毎度のことだけれど、文章がめちゃくちゃだな。読みにくくてすみません。誰も読んでいないかもしれないけれど。)
山崎マキコ 『さよなら、スナフキン』
2008年9月26日 読書
新潮社、2003/新潮文庫、2006。頭の中がマイナス思考な、おバカな(?)女の子の成長物語? ――小説としてはどうかと思うけれど(こんなの小説じゃないよな、ある意味)、個人的には、「わたし」(大瀬崎亜紀)に対して自分もそう、同じ、みたいな共感を覚えることが、けっこう多かったです。ただ、自分との違いは、この大瀬崎さんのほうが、ひきこもりぎみとはいってもコミュニケーション能力がけっこう高そうなところかな、大学でもアルバイト先でも。語彙は貧弱であるにしても、大人(社会人)としての常識に欠けるにしても。ま、ありがちかもしれないけれど(作中でも書かれていたような気がするけれど)、本人が思っているよりもこの人はダメ人間ではない、というか、私のほうがよほどダメダメです(涙)。
「第一章」の最初の太字見出し(って新書みたいだけれど)が「三浪の女」。でも読んでみると自称というか、1度大学(三流大学・薬学部)を2年に進級した時点で中退して、いまの大学(偏差値の低い大学・農学部)に入るまでに、年齢的に3浪にあたる、という話。実質的には2浪? 高校3年のときには(少なくとも)最初に通っていた大学には受かったはずだし、その大学を辞めた年にはたぶん受験できなかっただろうから、ちゃんと大学に落ちたのは(複数校受けたのなら、全滅したのは)大学を辞めたその翌年だけ? そう、その前に最初の大学を辞めた理由は、人間関係ゆらいの不登校…だっけな。大学に行くとゲロ吐いちゃうとかなんとか、書かれていたと思う。2年間、予備校には通ったり通わなかったりしていたらしい。そういえば、大学を辞めたことを親にはいつごろ言ったんだろう? 予備校代は出してもらっているはずだから。いま通っている2度目の大学は、場所とかがけっこう具体的に書かれていて、学校名がわかる人にはわかるっぽい(私は知らないし、あまり興味もない)。
予備校のときのことをちらっと語ることが2、3回あったと思う。少し引用してしまうと、
<「俺たちさあ、二浪で男だからまだいいけど、女だったら終わってるよな」/「そうだな。女で二浪しちゃったらなんていうかもう、おしまいでしょう」/ふたりは楽しげに笑いながら互いを励ましていた。(略)>(p.15)
予備校の本館前で耳に入ってきたという会話(言われたほう、ボキャ貧だな)。いわんや私なんて3浪だよ、みたいな箇所だけれど、1浪の男子が「2浪の女子は終わっている」みたいなことを言うのならわかるけれど、2浪の男子がこんなことを言うかな? …別に言ってもおかしくないか。ほんと、どんぐりたちの背比べだな(使い方が違う?(汗))。私(男です)の場合、2浪のとき、2浪の女の子に対してどう思っていたかな…。思い出せない。やっぱり自分も2浪なわけだから、同病相憐れむというか、そうした差別的なことは思っていなかったような…。面と向かってなら「そうなんだ、仲間だねぇ」くらいのことを言ったと思う。――もう1箇所、
<昔、予備校の授業で、文化というのはある面では恐ろしいものなんだよと話してくれた先生がいた。文化、それはよそ者を排除するために作られたものであると。>(p.135)
<予備校のころ、おなじクラスに何人もの男の子と同時に付き合うことから“八股[やまた]のお嬢”と呼ばれていた美人がいて、/(略)>(p.302、[括弧]はルビ)
予備校といっても私立理系の下のほうのクラスとか?(偏見?)。文化が恐ろしい、ってなんだろう? 文化相対主義とかレヴィ・ストロースとかじゃなくて?(わからん)。お相手が8人もいると、勉強時間はどうしていたかな?(うーん…)。ちゃんと大学には受かったのだろうか、その美人さん。――あともう1箇所、本人の話ではないけれど、大学のクラスメイトの1人、雀太郎(あだ名)くんがする身の上話(?)が、「わたし」が<いい話を聞かせてもらった!>(p.369)と言っているように、ちょっといい話かもしれない。ま、でも(ネタバレしてしまうけれど)本当に医者志望の人の大半が医者になれないのかな?(わからないけれど、だとすれば予備校の医学部コースあるいは医大予備校とかは、けっこうぼろい商売をしていることになるよね)。そう、雀太郎くんも2度目の大学らしいのだけれど、「わたし」と違って、高校卒業後にも浪人しているらしい(「徒町予備校」って実在する? どこかで聞いたことがあるような…)。
大瀬崎さん、実家はどこなのかな? 雪が降るようなところ…だっけ?(だから、どこ?)。皿を割るような不機嫌なお父さんがいて(お父さんは京都出身?)、お母さんとあと、ほとんど触れられていないけれど、お姉ちゃんがいるらしい。――細かいことはいいか。「わたし」は最後、大学の3年生か4年生くらいになっている。
この小説とはあまり関係がないけれど、一般に(?)登場人物が大学の1、2年生くらいで、その人にマイナスのイメージを与えたいときに(読者にそう思ってもらいたいときに)選択肢として、その人が大学に入る前に2、3年浪人していた、ということにする、みたいなことがあるのかな? 私は小説を書かないのでわからないけれど、だとしたら安易だし、浪人というものがわかってねえよ(?)みたいなことはなんとなく、言いたくなってくる。
「第一章」の最初の太字見出し(って新書みたいだけれど)が「三浪の女」。でも読んでみると自称というか、1度大学(三流大学・薬学部)を2年に進級した時点で中退して、いまの大学(偏差値の低い大学・農学部)に入るまでに、年齢的に3浪にあたる、という話。実質的には2浪? 高校3年のときには(少なくとも)最初に通っていた大学には受かったはずだし、その大学を辞めた年にはたぶん受験できなかっただろうから、ちゃんと大学に落ちたのは(複数校受けたのなら、全滅したのは)大学を辞めたその翌年だけ? そう、その前に最初の大学を辞めた理由は、人間関係ゆらいの不登校…だっけな。大学に行くとゲロ吐いちゃうとかなんとか、書かれていたと思う。2年間、予備校には通ったり通わなかったりしていたらしい。そういえば、大学を辞めたことを親にはいつごろ言ったんだろう? 予備校代は出してもらっているはずだから。いま通っている2度目の大学は、場所とかがけっこう具体的に書かれていて、学校名がわかる人にはわかるっぽい(私は知らないし、あまり興味もない)。
予備校のときのことをちらっと語ることが2、3回あったと思う。少し引用してしまうと、
<「俺たちさあ、二浪で男だからまだいいけど、女だったら終わってるよな」/「そうだな。女で二浪しちゃったらなんていうかもう、おしまいでしょう」/ふたりは楽しげに笑いながら互いを励ましていた。(略)>(p.15)
予備校の本館前で耳に入ってきたという会話(言われたほう、ボキャ貧だな)。いわんや私なんて3浪だよ、みたいな箇所だけれど、1浪の男子が「2浪の女子は終わっている」みたいなことを言うのならわかるけれど、2浪の男子がこんなことを言うかな? …別に言ってもおかしくないか。ほんと、どんぐりたちの背比べだな(使い方が違う?(汗))。私(男です)の場合、2浪のとき、2浪の女の子に対してどう思っていたかな…。思い出せない。やっぱり自分も2浪なわけだから、同病相憐れむというか、そうした差別的なことは思っていなかったような…。面と向かってなら「そうなんだ、仲間だねぇ」くらいのことを言ったと思う。――もう1箇所、
<昔、予備校の授業で、文化というのはある面では恐ろしいものなんだよと話してくれた先生がいた。文化、それはよそ者を排除するために作られたものであると。>(p.135)
<予備校のころ、おなじクラスに何人もの男の子と同時に付き合うことから“八股[やまた]のお嬢”と呼ばれていた美人がいて、/(略)>(p.302、[括弧]はルビ)
予備校といっても私立理系の下のほうのクラスとか?(偏見?)。文化が恐ろしい、ってなんだろう? 文化相対主義とかレヴィ・ストロースとかじゃなくて?(わからん)。お相手が8人もいると、勉強時間はどうしていたかな?(うーん…)。ちゃんと大学には受かったのだろうか、その美人さん。――あともう1箇所、本人の話ではないけれど、大学のクラスメイトの1人、雀太郎(あだ名)くんがする身の上話(?)が、「わたし」が<いい話を聞かせてもらった!>(p.369)と言っているように、ちょっといい話かもしれない。ま、でも(ネタバレしてしまうけれど)本当に医者志望の人の大半が医者になれないのかな?(わからないけれど、だとすれば予備校の医学部コースあるいは医大予備校とかは、けっこうぼろい商売をしていることになるよね)。そう、雀太郎くんも2度目の大学らしいのだけれど、「わたし」と違って、高校卒業後にも浪人しているらしい(「徒町予備校」って実在する? どこかで聞いたことがあるような…)。
大瀬崎さん、実家はどこなのかな? 雪が降るようなところ…だっけ?(だから、どこ?)。皿を割るような不機嫌なお父さんがいて(お父さんは京都出身?)、お母さんとあと、ほとんど触れられていないけれど、お姉ちゃんがいるらしい。――細かいことはいいか。「わたし」は最後、大学の3年生か4年生くらいになっている。
この小説とはあまり関係がないけれど、一般に(?)登場人物が大学の1、2年生くらいで、その人にマイナスのイメージを与えたいときに(読者にそう思ってもらいたいときに)選択肢として、その人が大学に入る前に2、3年浪人していた、ということにする、みたいなことがあるのかな? 私は小説を書かないのでわからないけれど、だとしたら安易だし、浪人というものがわかってねえよ(?)みたいなことはなんとなく、言いたくなってくる。
『だれかのことを強く思ってみたかった』(写真・佐内正史、実業之日本社、2002/集英社文庫、2005)所収、16篇中の16篇目。この1篇だけ単行本時の書き下ろし作らしく、ほかのものと違ってちょっと長くなっている。でも、それでも文庫本で20ページくらいの短いもの。ひと言でいえば、“上京組東京小説”…というよりは、“中央線沿線小説”な感じ? 「黄色い電車」って要するに総武線のことでしょう?
内容というかは、短いので私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、一応。「私」とヒラタカナコとH岡は、同じ日に同じ病院で生まれた子ども。母親たちは仲良くしているけれど、「私」たちは会えば会釈をするくらいで、ずっとよそよそしい関係が続いている。その3人が最後に顔をそろえたのは、1985年の秋。小さな町から3人それぞれの事情で上京する電車にて。――よくわからないけれど、上京が人生の(ある程度行き先が示された標識をもつ)分岐点というか。(なんていうか、短いものであっても、以前読んだことがある、同じ作者の別の長篇小説と人物配置みたいなものがたいして変わらないかもしれない。『ぼくとネモ号と彼女たち』では「ぼく」が3人の女性を1人ずつ車に乗せていくみたいな話だったし、『夜をゆく飛行機』では「私」を含めて酒屋の娘である4姉妹が描かれていたし…。Aさん(くん)、Bさん(くん)、Cさん(くん)、…という感じで、フラットというか。)
「私」の上京の理由は、予備校に通うため。「私」は偏差値の低い女子校に通っていたらしい。現役時の受験の結果はどうだったのかな? ぜんぜん書かれていない(短い小説だからしかたがないか)。それにしても、浪人生で「秋」から予備校に通うのって、特に何か事情がなければ、ちょっと遅いよね。しかも、時期はプロ野球の優勝チームが決まってからと言っていて(1985年は阪神が優勝)、9月といっても10月に近い感じ? あとのほうで上京の日が「寒い日」だったとも言われている。ま、予備校がよく募集している後期入学なのかもしれないけれど。(それならやっぱりふつう9月1日の入学な気がするけれど。)
で、「私」は2浪している。風呂&トイレ付き、でも電車の音&新聞屋の足音もあり、な予備校近くの木造アパート(窓からは「黄色い電車」が見える)に、予備校に通い始めて1ヶ月もしないうちにできた恋人、を連れ込んで、いちゃいちゃしたりしていたらしい。――そりゃ落ちるよね(それで受かる人がいたら、勉強のみ生活だったほかの浪人生から石をぶつけられてしまう?)。というか、その恋人とはどんな人で、どこでどうやって知り合ったのだろう?(それもわからない)。なんていうか、小説にはあまり描かれない(角田光代くらいしか描いていない)ある意味で本当にダメな“ダメ女子浪人生”かもしれない、この人。勉強ができるできないとか、勉強しているしていないとかは関係なく。ちなみに、大学に入っても1年留年しての卒業後も「私」の性格や生活はたいして変わっていない。就職せずにアルバイトをしつつ、恋人と付き合ったり別れたり…。(あれ、ん? 「私」の性別を女性と決めつけてしまってもいいのかな…。細かく読み直さないとわからないや(汗)。雰囲気的には大丈夫っぽいけれど。)
そう、受験的なことでは、共学の進学校に通っていてその中でも勉強のできたらしいヒラタカナコが、高校卒業後の秋に男を追いかけて上京する前に、いったんは地元の(?)大学に行ったのか否か、それとも就職したのか、とかについて書かれていない。――ま、要するに秋に上京、というのがそもそも不自然なんだよね。1人ならいいとしても3人ならなおさら。
内容というかは、短いので私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、一応。「私」とヒラタカナコとH岡は、同じ日に同じ病院で生まれた子ども。母親たちは仲良くしているけれど、「私」たちは会えば会釈をするくらいで、ずっとよそよそしい関係が続いている。その3人が最後に顔をそろえたのは、1985年の秋。小さな町から3人それぞれの事情で上京する電車にて。――よくわからないけれど、上京が人生の(ある程度行き先が示された標識をもつ)分岐点というか。(なんていうか、短いものであっても、以前読んだことがある、同じ作者の別の長篇小説と人物配置みたいなものがたいして変わらないかもしれない。『ぼくとネモ号と彼女たち』では「ぼく」が3人の女性を1人ずつ車に乗せていくみたいな話だったし、『夜をゆく飛行機』では「私」を含めて酒屋の娘である4姉妹が描かれていたし…。Aさん(くん)、Bさん(くん)、Cさん(くん)、…という感じで、フラットというか。)
「私」の上京の理由は、予備校に通うため。「私」は偏差値の低い女子校に通っていたらしい。現役時の受験の結果はどうだったのかな? ぜんぜん書かれていない(短い小説だからしかたがないか)。それにしても、浪人生で「秋」から予備校に通うのって、特に何か事情がなければ、ちょっと遅いよね。しかも、時期はプロ野球の優勝チームが決まってからと言っていて(1985年は阪神が優勝)、9月といっても10月に近い感じ? あとのほうで上京の日が「寒い日」だったとも言われている。ま、予備校がよく募集している後期入学なのかもしれないけれど。(それならやっぱりふつう9月1日の入学な気がするけれど。)
で、「私」は2浪している。風呂&トイレ付き、でも電車の音&新聞屋の足音もあり、な予備校近くの木造アパート(窓からは「黄色い電車」が見える)に、予備校に通い始めて1ヶ月もしないうちにできた恋人、を連れ込んで、いちゃいちゃしたりしていたらしい。――そりゃ落ちるよね(それで受かる人がいたら、勉強のみ生活だったほかの浪人生から石をぶつけられてしまう?)。というか、その恋人とはどんな人で、どこでどうやって知り合ったのだろう?(それもわからない)。なんていうか、小説にはあまり描かれない(角田光代くらいしか描いていない)ある意味で本当にダメな“ダメ女子浪人生”かもしれない、この人。勉強ができるできないとか、勉強しているしていないとかは関係なく。ちなみに、大学に入っても1年留年しての卒業後も「私」の性格や生活はたいして変わっていない。就職せずにアルバイトをしつつ、恋人と付き合ったり別れたり…。(あれ、ん? 「私」の性別を女性と決めつけてしまってもいいのかな…。細かく読み直さないとわからないや(汗)。雰囲気的には大丈夫っぽいけれど。)
そう、受験的なことでは、共学の進学校に通っていてその中でも勉強のできたらしいヒラタカナコが、高校卒業後の秋に男を追いかけて上京する前に、いったんは地元の(?)大学に行ったのか否か、それとも就職したのか、とかについて書かれていない。――ま、要するに秋に上京、というのがそもそも不自然なんだよね。1人ならいいとしても3人ならなおさら。