片岡義男 「愛してるなんて とても言えない」
2009年3月24日 読書
同名書(集英社文庫コバルトシリーズ、1979)の最初に収録されているいちばん長い1篇(全4篇中の)。ひと言でいえば、“バイク小説”。もしくは、ボーイ・ミーツ・ガールな始まりの“青春恋愛小説”といった感じ。感想はといえば、微妙といえば微妙だったかな…。同じコバルト文庫つながり、以前読んだ“浪人生小説”、落合恵子の「九月の科白」(『恋の途中下車』)よりは、だいぶ読める、とは思ったけれど。片岡義男なので(?)全体的にちょっと透明感があるというか、こざっぱりした感じの短篇小説だと思う。[追記]新書版が出ているようだ(コバルト・セレクション、1989)。画像はそれ。
季節は4月のよく晴れた日、場所は東北へと向かう自動車道のサービス・エリア。真っ赤な自動車(シヴォレーのカマロ)に乗ってきた男が、同乗してきた女に暴力を振るい始める。それに巻き込まれて倒されたオートバイ(6500CC二気筒)の持ち主が、今度はその男を殴り倒す。で、余った女から乗せて、と言われてバイクに乗せて、その女と自動車道を北上、遊んだりしたあと、夜はそのまま那須高原のホテルに泊まって、みたいな…、要するにバイク、ケンカ、オンナといった、男の子が好きそうな要素を3拍子そろえたような小説、かもしれない。全体的に3回(かな)描かれている喧嘩は、けっこうバイオレントな一方的なもので、相手がぜんぜん抵抗せず、逃げ出そうとしたりするにもかかわらず、殴る蹴る、なもの(うーん…)。那須から帰った翌日から東京で一緒に暮らし始めるその女の子は、実は(内容を書きすぎてしまうけれど)映画のポルノ女優であるのがわかり、なんと(?)浪人生である男の子(主人公といってもいい)も1度、撮影隊の一行について行って撮影に参加したりもしている。←ね、こういうところも世の男子が喜びそうな話になっているでしょう?(そうでもないか)。ストーリー的には、好きになった女性・女の子に、おまけとして恐いお兄さんやらおっさんやらがついてくる、みたいなお約束小説、であるような。あ、でも(ネタバレしてしまうけれど)、喧嘩が強いからなのか、“青春小説”であるわりに(“青春小説”にありがちな)最後、主人公が振られて終わるとか、女の子を諦めるとかしていない、この小説。
ヨースケこと、北村洋介くん(18歳)は、浪人生とはいっても、あまり大学に行きたいとは思っていない模様。去年というか昨年度は、父親に言われて東大を受けたらしい。――このお父さんが個人的にはちょっと謎かな。エミーこと、恵美子(19歳、芸名はみどり恵美子)との会話でヨースケは次のように言っている。
<「おやじが、大学なら東大だというから」/「ほんとに?」/「ほんと。受けないと真剣に暴力をふるうから」/(略)/「来年は?」/「受験かなあ」/「また東大?」/「こんどはランクをさげろって、おやじはいっている」/(略)>(p.24)
マジな暴力を振るってでも、頭がいいわけでもない息子に東大を受けさせて、やれ落ちたと思ったら今度は受かるところを受けろ、みたいな親父さんっていったい?(汗)。とりあえず、思考というか発言が首尾一貫している感じの人ではない。家族には少なくともあとお母さんがいるらしい。そう、家族には東京の友達のところにいる、と嘘を言っているらしいのに、実のところ転がり込んでいるエミーの部屋(古いマンション)の電話番号を、家の人には教えてしまっているらしい。お母さんがかけてきて女の子が出たら、友達という嘘がばれちゃうよね。まぁどうでもいいけれど。あ、その前にこの人の実家はどこにあるの? 那須(栃木県)のホテルで本人が、<荒川のすこしこっち>(p.18)と言っているのだけれど、東京都でなければ埼玉県ということ?(あいかわらず地理に疎い(涙))。
勉強状況についても書いておかないとかな。これも引用したほうが早いな(引用率はだいじょうぶかな)、
<ヨースケは、いまからでもかよえる予備校を見つけてきた。国語と英語の講座だけなのだ。十二月いっぱいまでつづく。/予備校に対してさほど期待はしていないのだが、かよえば勉強のリズムくらいはできるだろう、と思った。>(p.46)
「いま」は何月? 5月くらいかな。2教科だけ(少な!)って早くも私立志望に変えた感じ? 小説的には結局、12月までは通えないっぽく終わっているけれど、それはともかく。マンションがある場所も予備校がある場所もよくわからないのだけれど、リズム=勉強・生活の習慣は予備校のおかげなか、通い始めてから、ちゃんとできあがっている模様。
<ヨースケは、まじめにかよった。ほかに、することがないからだ。午後からだから、気晴らしにはちょうどいい。/朝の九時には、ヨースケは起きる。冷蔵庫のなかの買いおきで朝食をつくり、昼間で部屋にいる。テキストを持って昼に部屋を出て、予備校へいく。最初の講義が終わってから、近くで昼食だ。そのあと、さらに二種類の講義とテストを終え、帰る。>(pp.62-3)
このあと夜の話も続くのだけれど、さすがに引用しすぎなので省略させてもらって。予備校というところは、気晴らし気分で来られては、ほかの予備校生や先生とかがちょっと嫌がるかな。テキストは鞄とかに入れずに、素手で?(違うか)。そういう細かいことはともかく、<なんとなく>(p.63)ではあれ、けっこうちゃんと勉強している感じ(でしょう?)。この人の場合、女の子と一緒に暮らしていても、すれ違い生活的な面もあって(エミーはナイトクラブでも働いている)、そのこと(=同棲生活)が勉強の邪魔にはなっていない感じ。経済的には、彼女に家賃を払っている気配がないし、親からの仕送り(もらっている気配もないけれど)も少なめで生活できるから、結果としてはむしろ親孝行になっている? でも、そう、大きなオートバイを買うお金は誰が出したの? 受験生が自分でアルバイトをして買ったとか? それとも、親が意外とお金持ちな? ――ま、どうでもいいか。あと、そう、毎日テストがあるのはいいけれど、この予備校、土曜日が休みらしい。日曜日はあるらしいのに。ちょっと変なところだな。
ちなみに、ヨースケよりも10ヶ月歳上というエミーは、高校3年のときに学校を中退して山梨から東京に出てきたらしい。(というか、今回もぐちゃぐちゃな紹介文、感想文になってしまったな…。←愚痴です。というか、中身がぐちゃぐちゃなのはどうしようもないにしても、対象が短篇なのに、自分、文章を書くのにあまりに時間がかかりすぎ。今回は3時間以上も書いたり消したり、していたような(涙)。)
季節は4月のよく晴れた日、場所は東北へと向かう自動車道のサービス・エリア。真っ赤な自動車(シヴォレーのカマロ)に乗ってきた男が、同乗してきた女に暴力を振るい始める。それに巻き込まれて倒されたオートバイ(6500CC二気筒)の持ち主が、今度はその男を殴り倒す。で、余った女から乗せて、と言われてバイクに乗せて、その女と自動車道を北上、遊んだりしたあと、夜はそのまま那須高原のホテルに泊まって、みたいな…、要するにバイク、ケンカ、オンナといった、男の子が好きそうな要素を3拍子そろえたような小説、かもしれない。全体的に3回(かな)描かれている喧嘩は、けっこうバイオレントな一方的なもので、相手がぜんぜん抵抗せず、逃げ出そうとしたりするにもかかわらず、殴る蹴る、なもの(うーん…)。那須から帰った翌日から東京で一緒に暮らし始めるその女の子は、実は(内容を書きすぎてしまうけれど)映画のポルノ女優であるのがわかり、なんと(?)浪人生である男の子(主人公といってもいい)も1度、撮影隊の一行について行って撮影に参加したりもしている。←ね、こういうところも世の男子が喜びそうな話になっているでしょう?(そうでもないか)。ストーリー的には、好きになった女性・女の子に、おまけとして恐いお兄さんやらおっさんやらがついてくる、みたいなお約束小説、であるような。あ、でも(ネタバレしてしまうけれど)、喧嘩が強いからなのか、“青春小説”であるわりに(“青春小説”にありがちな)最後、主人公が振られて終わるとか、女の子を諦めるとかしていない、この小説。
ヨースケこと、北村洋介くん(18歳)は、浪人生とはいっても、あまり大学に行きたいとは思っていない模様。去年というか昨年度は、父親に言われて東大を受けたらしい。――このお父さんが個人的にはちょっと謎かな。エミーこと、恵美子(19歳、芸名はみどり恵美子)との会話でヨースケは次のように言っている。
<「おやじが、大学なら東大だというから」/「ほんとに?」/「ほんと。受けないと真剣に暴力をふるうから」/(略)/「来年は?」/「受験かなあ」/「また東大?」/「こんどはランクをさげろって、おやじはいっている」/(略)>(p.24)
マジな暴力を振るってでも、頭がいいわけでもない息子に東大を受けさせて、やれ落ちたと思ったら今度は受かるところを受けろ、みたいな親父さんっていったい?(汗)。とりあえず、思考というか発言が首尾一貫している感じの人ではない。家族には少なくともあとお母さんがいるらしい。そう、家族には東京の友達のところにいる、と嘘を言っているらしいのに、実のところ転がり込んでいるエミーの部屋(古いマンション)の電話番号を、家の人には教えてしまっているらしい。お母さんがかけてきて女の子が出たら、友達という嘘がばれちゃうよね。まぁどうでもいいけれど。あ、その前にこの人の実家はどこにあるの? 那須(栃木県)のホテルで本人が、<荒川のすこしこっち>(p.18)と言っているのだけれど、東京都でなければ埼玉県ということ?(あいかわらず地理に疎い(涙))。
勉強状況についても書いておかないとかな。これも引用したほうが早いな(引用率はだいじょうぶかな)、
<ヨースケは、いまからでもかよえる予備校を見つけてきた。国語と英語の講座だけなのだ。十二月いっぱいまでつづく。/予備校に対してさほど期待はしていないのだが、かよえば勉強のリズムくらいはできるだろう、と思った。>(p.46)
「いま」は何月? 5月くらいかな。2教科だけ(少な!)って早くも私立志望に変えた感じ? 小説的には結局、12月までは通えないっぽく終わっているけれど、それはともかく。マンションがある場所も予備校がある場所もよくわからないのだけれど、リズム=勉強・生活の習慣は予備校のおかげなか、通い始めてから、ちゃんとできあがっている模様。
<ヨースケは、まじめにかよった。ほかに、することがないからだ。午後からだから、気晴らしにはちょうどいい。/朝の九時には、ヨースケは起きる。冷蔵庫のなかの買いおきで朝食をつくり、昼間で部屋にいる。テキストを持って昼に部屋を出て、予備校へいく。最初の講義が終わってから、近くで昼食だ。そのあと、さらに二種類の講義とテストを終え、帰る。>(pp.62-3)
このあと夜の話も続くのだけれど、さすがに引用しすぎなので省略させてもらって。予備校というところは、気晴らし気分で来られては、ほかの予備校生や先生とかがちょっと嫌がるかな。テキストは鞄とかに入れずに、素手で?(違うか)。そういう細かいことはともかく、<なんとなく>(p.63)ではあれ、けっこうちゃんと勉強している感じ(でしょう?)。この人の場合、女の子と一緒に暮らしていても、すれ違い生活的な面もあって(エミーはナイトクラブでも働いている)、そのこと(=同棲生活)が勉強の邪魔にはなっていない感じ。経済的には、彼女に家賃を払っている気配がないし、親からの仕送り(もらっている気配もないけれど)も少なめで生活できるから、結果としてはむしろ親孝行になっている? でも、そう、大きなオートバイを買うお金は誰が出したの? 受験生が自分でアルバイトをして買ったとか? それとも、親が意外とお金持ちな? ――ま、どうでもいいか。あと、そう、毎日テストがあるのはいいけれど、この予備校、土曜日が休みらしい。日曜日はあるらしいのに。ちょっと変なところだな。
ちなみに、ヨースケよりも10ヶ月歳上というエミーは、高校3年のときに学校を中退して山梨から東京に出てきたらしい。(というか、今回もぐちゃぐちゃな紹介文、感想文になってしまったな…。←愚痴です。というか、中身がぐちゃぐちゃなのはどうしようもないにしても、対象が短篇なのに、自分、文章を書くのにあまりに時間がかかりすぎ。今回は3時間以上も書いたり消したり、していたような(涙)。)
短篇集『恐怖の日常』(ハヤカワ文庫JA、1989)の最初に収録されているもの。※以下、読まれていない方はネタバレにはご注意ください。毎度すみません。
<最近よく、意味のない不安に襲われる。今年こそ大学に合格しなければ、という焦りのせいだろうか。それとも、山奥の家でひとり、受験勉強などしているせいか。ママは出かけている。麓のほうからは、不愉快な雷鳴が轟いてくる。そして突然、ぼくの日常を乱す、忌まわしい闖入者が現われる……淡々とした筆致が恐い「山の家」ほか、全9篇を収める、新しき世代による新しき時代のための恐怖小説集。>(表紙カバーより)
ホラー小説は好きではないのだけれど、これくらいならまだ許せる範囲……というか、私が苦手なのは“心理ホラー”みたいなもので、この小説はあまりそういう感じのものではないかもしれない。「淡々とした筆致」というか、ちょっとぎこちなく感じたり、登場人物がはりぼてのように思えたりしたけれど、それはともかく。ひと言でいえば、“浪人生小説”というより“ひきこもり小説”という感じかな。その点に関してはちょっと考えさせられる小説だったような…。主に食べ物を運んできて生活を可能にしてくれる人(この小説では母親)が歳をとったり、遅かれ早かれ亡くなったりすれば、なんていうか、本人はとても困るわけで…。それは“ひきもり小説”のパターンの1つかもしれない。だいぶ前に図書館で借りて読んだもので、よく覚えていないけれど、<21世紀文学の創造>(岩波書店)というシリーズの何巻目かで、作家の高橋源一郎が詩人の谷川俊太郎とかと小説(競作小説?)を書いていたと思うけれど、それも似たような話だった気がする。要するに親が死んでしまって、この主人公はどうなってしまうのか、みたいな終わり方。
受験がらみのところでは、「ぼく」が砂時計(!)を見ながら英文解釈の問題集を解いている箇所があって、その問題集には、ああ懐かしい(?)バートランド・ラッセルの文章が載っている、らしい。作中の現在あるいは<20年以上も前>(傍点付き、p.40)がいつなのかわからないけれど、本のカバーの袖のところを見ると、とりあえず作者は1950年生まれらしい。薫くん(『赤頭巾ちゃん気をつけて』)と同じ学年か1つ違いくらいか。姫野カオルコ『終業式』には次のような箇所がある。
<ユングって作家の名前? 受験出題率の高い作家の一覧表にはこの人の名前は見当たりません。不必要なことに時間を割くのはいけないと思う。ユングとかいう人のを読むより小林秀雄や江藤淳を読んだほうが受験のためになります。外国人作家ではラッセルが出題率が高いそうです。わたしは家の人にたのんで新聞を読売から朝日に変えてもらいました。朝日の社説は入試出題率が高いですから。>(角川文庫、p.89)
高校3年生が同級生に書いた、1977年2月4日付けの手紙の一部。「現代文といえば小林秀雄」というお約束(?)が通じなくなったのも、いつくらいからなのかな?(私にはわからんです)。江藤淳の文章が使われている問題は(例によって本が部屋のなかでゆくえしれずで確認できないけれど)たしか橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の作中に引用されていたと思う(あ、でもほかの文芸評論家と間違っているかもしれない)。ユング本人が書いたものは、いまも昔もほとんど出題されていないかもしれないけれど、いちおうその系列の人・河合隼雄の文章は、昔のことはよくわからないけれど、少し前くらい(1990年代とかかな)にはよく使われていたのではないかと思う。いまでもときどき見かけるのでは?(受験産業の関係者ではないので知らないけれど)。――現代文の話はいいとして、英語というかラッセル。哲学者で名文家としても知られていた人らしいけれど、個人的には(私は1970年代中頃生まれ)なんとなく哲学者で奇人、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインに悩まされた先生(師匠というか)というイメージしかない。(最近見かけた“ラッセル”に関する極端な例としては、斎藤兆史『日本人と英語――もうひとつの英語百年史』(研究社、2007)の「私の英語学習・教育体験(昭和四四~平成十九年)――あとがきに代えて」があって、読んで面白かったです。というか、個人的にはいらいらしながら読んでいたけれど。著者は1958年生まれ。お暇な方は参照されたしです。)
ちなみに、あと、母親との会話の中で「豆単」(本文中では鉤括弧など何もなし)という言葉も出てきている。
<最近よく、意味のない不安に襲われる。今年こそ大学に合格しなければ、という焦りのせいだろうか。それとも、山奥の家でひとり、受験勉強などしているせいか。ママは出かけている。麓のほうからは、不愉快な雷鳴が轟いてくる。そして突然、ぼくの日常を乱す、忌まわしい闖入者が現われる……淡々とした筆致が恐い「山の家」ほか、全9篇を収める、新しき世代による新しき時代のための恐怖小説集。>(表紙カバーより)
ホラー小説は好きではないのだけれど、これくらいならまだ許せる範囲……というか、私が苦手なのは“心理ホラー”みたいなもので、この小説はあまりそういう感じのものではないかもしれない。「淡々とした筆致」というか、ちょっとぎこちなく感じたり、登場人物がはりぼてのように思えたりしたけれど、それはともかく。ひと言でいえば、“浪人生小説”というより“ひきこもり小説”という感じかな。その点に関してはちょっと考えさせられる小説だったような…。主に食べ物を運んできて生活を可能にしてくれる人(この小説では母親)が歳をとったり、遅かれ早かれ亡くなったりすれば、なんていうか、本人はとても困るわけで…。それは“ひきもり小説”のパターンの1つかもしれない。だいぶ前に図書館で借りて読んだもので、よく覚えていないけれど、<21世紀文学の創造>(岩波書店)というシリーズの何巻目かで、作家の高橋源一郎が詩人の谷川俊太郎とかと小説(競作小説?)を書いていたと思うけれど、それも似たような話だった気がする。要するに親が死んでしまって、この主人公はどうなってしまうのか、みたいな終わり方。
受験がらみのところでは、「ぼく」が砂時計(!)を見ながら英文解釈の問題集を解いている箇所があって、その問題集には、ああ懐かしい(?)バートランド・ラッセルの文章が載っている、らしい。作中の現在あるいは<20年以上も前>(傍点付き、p.40)がいつなのかわからないけれど、本のカバーの袖のところを見ると、とりあえず作者は1950年生まれらしい。薫くん(『赤頭巾ちゃん気をつけて』)と同じ学年か1つ違いくらいか。姫野カオルコ『終業式』には次のような箇所がある。
<ユングって作家の名前? 受験出題率の高い作家の一覧表にはこの人の名前は見当たりません。不必要なことに時間を割くのはいけないと思う。ユングとかいう人のを読むより小林秀雄や江藤淳を読んだほうが受験のためになります。外国人作家ではラッセルが出題率が高いそうです。わたしは家の人にたのんで新聞を読売から朝日に変えてもらいました。朝日の社説は入試出題率が高いですから。>(角川文庫、p.89)
高校3年生が同級生に書いた、1977年2月4日付けの手紙の一部。「現代文といえば小林秀雄」というお約束(?)が通じなくなったのも、いつくらいからなのかな?(私にはわからんです)。江藤淳の文章が使われている問題は(例によって本が部屋のなかでゆくえしれずで確認できないけれど)たしか橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の作中に引用されていたと思う(あ、でもほかの文芸評論家と間違っているかもしれない)。ユング本人が書いたものは、いまも昔もほとんど出題されていないかもしれないけれど、いちおうその系列の人・河合隼雄の文章は、昔のことはよくわからないけれど、少し前くらい(1990年代とかかな)にはよく使われていたのではないかと思う。いまでもときどき見かけるのでは?(受験産業の関係者ではないので知らないけれど)。――現代文の話はいいとして、英語というかラッセル。哲学者で名文家としても知られていた人らしいけれど、個人的には(私は1970年代中頃生まれ)なんとなく哲学者で奇人、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインに悩まされた先生(師匠というか)というイメージしかない。(最近見かけた“ラッセル”に関する極端な例としては、斎藤兆史『日本人と英語――もうひとつの英語百年史』(研究社、2007)の「私の英語学習・教育体験(昭和四四~平成十九年)――あとがきに代えて」があって、読んで面白かったです。というか、個人的にはいらいらしながら読んでいたけれど。著者は1958年生まれ。お暇な方は参照されたしです。)
ちなみに、あと、母親との会話の中で「豆単」(本文中では鉤括弧など何もなし)という言葉も出てきている。
丸谷才一 「だらだら坂」
2009年3月23日 読書
手もとにあるのは講談社文芸文庫版だけれど、『横しぐれ』(講談社、1975/講談社文庫、1978/講談社文芸文庫、1990)に収録されているいちばん短い1篇(全4篇中の2篇目)。これは、読み始めてすぐに面白いと思ったです。語り口がそう感じさせるのかな。話としては、個人的には村上春樹の『海辺のカフカ』をちょっと思い出す。
短いものだし読みやすいので私が説明するより読んでもらったほうが早いと思うけれど、いちおういつものように。「ぼく」(よくわからないけれど「部長」らしい)が過去に経験した喧嘩について誰かに語っている、という形をとっている小説で、その昔のことというのは、戦後5年目、大学の教養学部を受けて落ち、予備校に通うために上京して従兄のアパート(吉祥寺、6畳)に転がり込んでいたけれど、でも、「ぼく」はそこを出てほかのアパートに移るために予備校を休んで「内職」(いまでいえばアルバイトか)をしたりしていて、そうこうするうちにやっと郷里から仕送りが来て。そのお金を持って新宿の不動産屋が並んでいるところに物件を探しに行くと、道で若い3人組にかつあげされそうになって…、みたいな話。というか、あいかわらず内容紹介が下手だな(涙)。
戦後5年目=1950年の話というなら、岡松和夫が書いている小説(「百合鴎」など)の作中年の翌年か。「新宿の遊廓」(p.167)というのは、岡松和夫が書いているところと同じ場所?(よく覚えていないな、読み直さないとわからない)。よくわからないけれど、1950年というのは、新制大学になってから2度目の入試が行なわれた年?(違っている?)。
主人公は大学には翌年、あっさりと受かってしまったみたいだし、“浪人生小説”としてはいまいち、かな。作者というか丸谷才一も、中学(旧制)を卒業後、上京して予備校(城北予備校)に通っていたらしいけれど、時代的にはもっと前、1943年(昭和18年)のこと。翌年には、高校(新潟高校)に入学している。1浪くらいしかしていないと、3浪している安岡章太郎&遠藤周作ほどには、浪人時代に対する思い入れ(?)はないのかもしれない。
短いものだし読みやすいので私が説明するより読んでもらったほうが早いと思うけれど、いちおういつものように。「ぼく」(よくわからないけれど「部長」らしい)が過去に経験した喧嘩について誰かに語っている、という形をとっている小説で、その昔のことというのは、戦後5年目、大学の教養学部を受けて落ち、予備校に通うために上京して従兄のアパート(吉祥寺、6畳)に転がり込んでいたけれど、でも、「ぼく」はそこを出てほかのアパートに移るために予備校を休んで「内職」(いまでいえばアルバイトか)をしたりしていて、そうこうするうちにやっと郷里から仕送りが来て。そのお金を持って新宿の不動産屋が並んでいるところに物件を探しに行くと、道で若い3人組にかつあげされそうになって…、みたいな話。というか、あいかわらず内容紹介が下手だな(涙)。
戦後5年目=1950年の話というなら、岡松和夫が書いている小説(「百合鴎」など)の作中年の翌年か。「新宿の遊廓」(p.167)というのは、岡松和夫が書いているところと同じ場所?(よく覚えていないな、読み直さないとわからない)。よくわからないけれど、1950年というのは、新制大学になってから2度目の入試が行なわれた年?(違っている?)。
主人公は大学には翌年、あっさりと受かってしまったみたいだし、“浪人生小説”としてはいまいち、かな。作者というか丸谷才一も、中学(旧制)を卒業後、上京して予備校(城北予備校)に通っていたらしいけれど、時代的にはもっと前、1943年(昭和18年)のこと。翌年には、高校(新潟高校)に入学している。1浪くらいしかしていないと、3浪している安岡章太郎&遠藤周作ほどには、浪人時代に対する思い入れ(?)はないのかもしれない。
原田康子 「雀の学校」
2009年3月22日 読書
手もとにあるのは、集英社文庫から出ている『遠い森』(1984)で、その5篇中の5篇目に収録されているもの。この1篇の初出は、奥付の前のページによれば、<昭和三十八年八月「小説中央公論」に掲載>とのこと。昭和38年=1963年……というのは、けっこう古めか。それはともかく、原田康子ってやっぱりおもしろいな。文体とか雰囲気とかが好きかもしれない。いまはほかに読まなくてはいけない本がたくさんあって、はまってはいられないけれど(汗)。(角川文庫から出ている『輪唱』というのは買ってあって、これは早いうちに読もうかと思っている。)
「私」(「和島さん」とか「ノンちゃん」と呼ばれている)は、「北海日報」という小さな地方新聞社につとめている。入社5年目で、昨年、結婚したのを機に内勤に回してもらって、いまは校閲の仕事をしている。「私」のほかに「校閲のデスクの一画」(悪口で「雀の学校」とも)を占めるメンバーには、田辺君と有坂君という今年、高校を卒業したばかりの2人の少年(境遇や性格などが対照的)がいる。2人とも来年の春、大学を受験するらしく、新聞社は「腰掛け」であるらしい。田辺君(「お役人の一人息子」「明るくのんびりした少年」)のほうは今年も受験したらしく、仕事というかアルバイトをしながらだけれど、ふつうの浪人生という感じ、かもしれない。一方の有坂君(「樺太生まれで父親がなく、小さなきょうだいが何人か」「口数の少ない静かな少年」)は、今年は受験していないらしく、来年が初めてになるらしい(お金を貯めているのかな?)。個人的には1度も受験していない人を、浪人生とはあまり呼びたくないけれど、まぁ浪人生といえば浪人生かな。田辺君は東京の大学を志望、有坂君は土地(たぶん北海道)の学芸大学を志望しているらしい。(←だらだら書くくらいなら、p.152をそっくり引用してしまったほうが早かったかも(涙)。)
2人に関係する話としては、有坂君が文選工の宏ちゃん(泉宏子、17、18歳くらい)とゲラを使ってやりとりしているのを、田辺君が気づいて「私」に知らせ、「私」が有坂君に注意すべきかどうか迷う、みたいなことがある。楠本部長(よくいそうな感じの人だけれど、ちょっと不思議な雰囲気?)に相談したりもする。北海道で「文選工」というと、以前読んだことがある小檜山博『地吹雪』を思い出すけれど、あれは男の子(主人公)で大変そうだったけれど、こちらは(女子工員は4人ほどいるらしいけれど)若い女の子が手を汚して仕事をしているんだね。もっと大変だ。というか、結局、宏ちゃんはやめてしまう(やめてしまったらしい)けれど。
ちなみに、描かれているのは、10月から2月くらいまで。新聞社があるのは、よくわからないけれど(私が地理にうといせい)、道路を隔てた向かいに「根室本線の線路」があると言っている。場所はともかく、雀の子たち(?)である2人は、結局、大学には受かったのかな? 働きながらだから落ちてもしかたがない、といえばしかたがないかもしれないけれど。(そういうのは、人によって言い訳にできたり、できなかったりか。)
「私」(「和島さん」とか「ノンちゃん」と呼ばれている)は、「北海日報」という小さな地方新聞社につとめている。入社5年目で、昨年、結婚したのを機に内勤に回してもらって、いまは校閲の仕事をしている。「私」のほかに「校閲のデスクの一画」(悪口で「雀の学校」とも)を占めるメンバーには、田辺君と有坂君という今年、高校を卒業したばかりの2人の少年(境遇や性格などが対照的)がいる。2人とも来年の春、大学を受験するらしく、新聞社は「腰掛け」であるらしい。田辺君(「お役人の一人息子」「明るくのんびりした少年」)のほうは今年も受験したらしく、仕事というかアルバイトをしながらだけれど、ふつうの浪人生という感じ、かもしれない。一方の有坂君(「樺太生まれで父親がなく、小さなきょうだいが何人か」「口数の少ない静かな少年」)は、今年は受験していないらしく、来年が初めてになるらしい(お金を貯めているのかな?)。個人的には1度も受験していない人を、浪人生とはあまり呼びたくないけれど、まぁ浪人生といえば浪人生かな。田辺君は東京の大学を志望、有坂君は土地(たぶん北海道)の学芸大学を志望しているらしい。(←だらだら書くくらいなら、p.152をそっくり引用してしまったほうが早かったかも(涙)。)
2人に関係する話としては、有坂君が文選工の宏ちゃん(泉宏子、17、18歳くらい)とゲラを使ってやりとりしているのを、田辺君が気づいて「私」に知らせ、「私」が有坂君に注意すべきかどうか迷う、みたいなことがある。楠本部長(よくいそうな感じの人だけれど、ちょっと不思議な雰囲気?)に相談したりもする。北海道で「文選工」というと、以前読んだことがある小檜山博『地吹雪』を思い出すけれど、あれは男の子(主人公)で大変そうだったけれど、こちらは(女子工員は4人ほどいるらしいけれど)若い女の子が手を汚して仕事をしているんだね。もっと大変だ。というか、結局、宏ちゃんはやめてしまう(やめてしまったらしい)けれど。
ちなみに、描かれているのは、10月から2月くらいまで。新聞社があるのは、よくわからないけれど(私が地理にうといせい)、道路を隔てた向かいに「根室本線の線路」があると言っている。場所はともかく、雀の子たち(?)である2人は、結局、大学には受かったのかな? 働きながらだから落ちてもしかたがない、といえばしかたがないかもしれないけれど。(そういうのは、人によって言い訳にできたり、できなかったりか。)
宮部みゆき 「勝ち逃げ」
2009年3月22日 読書
『地下街の雨』(集英社、1994/集英社文庫、1998)所収、7篇中の5篇目。※いつものように今回も、以下、ネタバレにはご注意ください。感想はというか、率直に言ってつまらなかったです。そもそも宮部みゆきがあまり好きではなくて、マイナス・イメージがあるせいかもしれないけれど。そう、最初ミステリーかと思って読んでいて、でも、あまりそうではなくて…。全体的に無駄が多く感じるし、タイトルも中途半端な感じだし、あと、なんていうか、ちょっと女性向けの小説であったような…。内容は、ひと言でいえば“お葬式小説”? 親戚が一同に会したり、死者の生前の意外な面があらわになったり。
主人公というか唯一の視点人物は、佐山浩美。「会社」とあるのでたぶん会社勤め、いま9月初旬で、昨年成人式を迎えているらしいので21歳か22歳。母の伊佐子(45歳)のいちばん上の姉・勝子(54歳)が癌で亡くなって、小説の冒頭は喪服を買いに行く場面。そして勝子のきょうだい(勲伯父、奈津子伯母、伊佐子、真喜子叔母)などが集まるお通夜に告別式に。そんな場で浩美は真喜子叔母の2番目の夫・多田順次にしつこく言い寄られたりしている。で、話の変わり目(というか)になるのは、浩美が勝子のマンションの郵便受けで勝子宛ての古い手紙を見つけたこと。それが誰からのものか、誰がそれを入れたのかが“謎”になっている。
本題というか、浪人生について書いておかないと。2浪中の弟・一樹は、ありがちなことだけれど、口も性格も悪い(?)真喜子叔母から、
<「そんなことより、あんた、勉強しないと、また大学に落ちるわよ。今度落ちたら笑い事じゃないでしょう。今だって笑い事じゃないだろうけどさ」>(p.143、文庫)
と言われている。浪人生にとって要らない親戚だよね(そんなことを言ったら駄目か(汗))。お姉ちゃんとかに軽口をたたいていたりするので、けっこう明るい性格? どこの大学を受けたのか、受けるのかなど細かいことは不明(意外と登場回数は多いけれど、脇役だから)。勝子伯母さんのマンションは埼玉県川越市だけれど(亡くなったときは市立中学の教頭とのこと)、一樹含め佐山一家は東京に暮らしている模様。作中年は(昭和37年+29年で)1991年でいいのかな。(そう、主人公というか浩美は、年齢的にいって4年制の大学は出ていないようだ。高卒で働いているのかな? それとも短大とか2年の専門学校とか――ま、可能性はいろいろとあるか。)
話が戻ってしまうけれど(戻らないか)、喪服といえば、入院中の伯母が亡くなるまで購入を控えていた姉に対して、一樹くんは<「どうせ要るもんなんだから、早めに買いに行っときゃよかったのに」>(p.137)と言ったらしいけれど、弟くんはすでに購入してあったのかな? 清水義範の小説『学問ノススメ』では、1浪中の主人公(男の子)が友達のお父さんが亡くなって、高校のときの制服を着てお葬式に行く場面があったと思うけれど、高校を卒業している浪人生としては、それにはちょっと抵抗があるかもしれないね。高校のときの制服とか、誰かから借りてきたものとかではなく、どうせ遅かれ早かれいつか必要になるものだから(特に男子浪人生は?)思い切って買って、それを着て行ったほうがいいかもね。(あ、制服のない高校に通っている人は、高校のときに困ったりもするのか。中学校のときの制服を着ていく…わけにはいかないか、やっぱり。)
主人公というか唯一の視点人物は、佐山浩美。「会社」とあるのでたぶん会社勤め、いま9月初旬で、昨年成人式を迎えているらしいので21歳か22歳。母の伊佐子(45歳)のいちばん上の姉・勝子(54歳)が癌で亡くなって、小説の冒頭は喪服を買いに行く場面。そして勝子のきょうだい(勲伯父、奈津子伯母、伊佐子、真喜子叔母)などが集まるお通夜に告別式に。そんな場で浩美は真喜子叔母の2番目の夫・多田順次にしつこく言い寄られたりしている。で、話の変わり目(というか)になるのは、浩美が勝子のマンションの郵便受けで勝子宛ての古い手紙を見つけたこと。それが誰からのものか、誰がそれを入れたのかが“謎”になっている。
本題というか、浪人生について書いておかないと。2浪中の弟・一樹は、ありがちなことだけれど、口も性格も悪い(?)真喜子叔母から、
<「そんなことより、あんた、勉強しないと、また大学に落ちるわよ。今度落ちたら笑い事じゃないでしょう。今だって笑い事じゃないだろうけどさ」>(p.143、文庫)
と言われている。浪人生にとって要らない親戚だよね(そんなことを言ったら駄目か(汗))。お姉ちゃんとかに軽口をたたいていたりするので、けっこう明るい性格? どこの大学を受けたのか、受けるのかなど細かいことは不明(意外と登場回数は多いけれど、脇役だから)。勝子伯母さんのマンションは埼玉県川越市だけれど(亡くなったときは市立中学の教頭とのこと)、一樹含め佐山一家は東京に暮らしている模様。作中年は(昭和37年+29年で)1991年でいいのかな。(そう、主人公というか浩美は、年齢的にいって4年制の大学は出ていないようだ。高卒で働いているのかな? それとも短大とか2年の専門学校とか――ま、可能性はいろいろとあるか。)
話が戻ってしまうけれど(戻らないか)、喪服といえば、入院中の伯母が亡くなるまで購入を控えていた姉に対して、一樹くんは<「どうせ要るもんなんだから、早めに買いに行っときゃよかったのに」>(p.137)と言ったらしいけれど、弟くんはすでに購入してあったのかな? 清水義範の小説『学問ノススメ』では、1浪中の主人公(男の子)が友達のお父さんが亡くなって、高校のときの制服を着てお葬式に行く場面があったと思うけれど、高校を卒業している浪人生としては、それにはちょっと抵抗があるかもしれないね。高校のときの制服とか、誰かから借りてきたものとかではなく、どうせ遅かれ早かれいつか必要になるものだから(特に男子浪人生は?)思い切って買って、それを着て行ったほうがいいかもね。(あ、制服のない高校に通っている人は、高校のときに困ったりもするのか。中学校のときの制服を着ていく…わけにはいかないか、やっぱり。)
山田風太郎 「鬼面」ほか
2009年3月21日 読書
『山田風太郎ミステリー傑作選⑩ 達磨峠の事件<補遺篇>』(光文社文庫、2001)という本には、受験雑誌『螢雪時代』(旺文社)の前身『受験旬報』の懸賞小説(「受験(短篇)小説」の募集)で1等に入選したものが6篇収録されている。
「石の下」昭和15年(1940年)2月上旬号
「鳶」昭和16年(1941年)3月号
「鬼面」昭和15年(1940年)4月号
「三年目」昭和15年(1940年)10月号
「白い船」昭和16年(1941年)4月号
「陀経寺の雪」昭和16年(1941年)1月号
小説処女作であるらしい「石の下」以外の5篇には、浪人生が登場している。しかも、2番目の「鳶」以外の4篇は、語り手または主な視点人物が(も)浪人生になっている(4番目の「三年目」では小学校の代用教員)。デビュー前の作品なので小説としての欠点はあるかもしれないけれど、読んでみてどれも面白かったです。古いものだからか少年が書いたものだからか、個人的にはちょっと懐かしい感じもした(あ、作者は1922年の早生まれ)。今回は全作レビューはパスさせてもらうことにして(すみません)、この中で“浪人生小説”として個人的にいちばんおすすめなのは、3番目に収録されている「鬼面」かな。主人公は浪人1年目、従兄が浪人4年目(一高志望)で、なんていうか、多浪生の悲哀とその(ふだんは鬼のような)父親の愛情が描かれているもの。家族の死とか戦争とか、代用教員(いまでいえばアルバイトしながらの浪人生活?)などがからんでこないので、いまふつうの人(?)が読んでこれがいちばんわかりやすいような。でも、そうでもないか(わからない)。友達どうし浪人生3人組が出てくる最後の「陀経寺の雪」も、わりと薦められるかな(宮本輝「星々の悲しみ」をちょっと思い出す)。
「解説・解題」(日下三蔵)に本人が書いたエッセイが引用されていて、そのなかで(孫引きになってしまうけれど)、
<(略)それから[=中学5年の春、最初に掲載されてから(引用者注)]つづけて約六篇、途中で誌名が変わってから三篇ばかりのせてもらったと記憶する。>(p.783)
と語っている。1篇+約6篇? うろ覚えだけれど、以前何かの本で略年譜を見ていたら、『受験旬報』に掲載されたのは計8篇、と書かれていたような記憶が。であれば、何等当選かはわからないけれど、上の6篇以外にあと2篇存在しているのかもしれない。『螢雪時代』に掲載された3篇というのは、昭和17年11月からの日記『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)によれば、
「国民徴用令」
「勘右衛門老人の死」
「蒼穹」
というタイトルのもの。3篇とも昭和18年(1943年)。ほかの2篇がよくわからないけれど、2番目のものは7月号らしい。ただ、これらが収録されている本はいまのところない模様([追記]『橘傳來記――山田風太郎初期作品集――』出版芸術社、2008に収録されている)。話が前後してしまうけれど、同日記の、大学に入ったばかり昭和19年(1944年)4月18日のところには、上の5番目の「白い船」に書いたことと同じようなことが現実にも起こった、ということが書かれている。あと、浪人生も小説も関係ないけれど、「解説・解題」で触れられている「中学生と映画」(『映画朝日』昭和15年2月号)という投稿エッセイは、『昭和前期の青春』という本に収録されている。
ちなみに、同書(『山田風太郎ミステリー傑作選⑩ ~』)の“受験小説”6篇のあとには、『螢雪時代』の姉妹誌『高校時代』の昭和29年(1954年)10~12月号に掲載された「信濃の宿」という小説が収録されている。主人公たちは新制の高校3年生。あ、1954年って『高校時代』が創刊された年かな。何月号が創刊号? ――ま、細かいことはいいか。
「石の下」昭和15年(1940年)2月上旬号
「鳶」昭和16年(1941年)3月号
「鬼面」昭和15年(1940年)4月号
「三年目」昭和15年(1940年)10月号
「白い船」昭和16年(1941年)4月号
「陀経寺の雪」昭和16年(1941年)1月号
小説処女作であるらしい「石の下」以外の5篇には、浪人生が登場している。しかも、2番目の「鳶」以外の4篇は、語り手または主な視点人物が(も)浪人生になっている(4番目の「三年目」では小学校の代用教員)。デビュー前の作品なので小説としての欠点はあるかもしれないけれど、読んでみてどれも面白かったです。古いものだからか少年が書いたものだからか、個人的にはちょっと懐かしい感じもした(あ、作者は1922年の早生まれ)。今回は全作レビューはパスさせてもらうことにして(すみません)、この中で“浪人生小説”として個人的にいちばんおすすめなのは、3番目に収録されている「鬼面」かな。主人公は浪人1年目、従兄が浪人4年目(一高志望)で、なんていうか、多浪生の悲哀とその(ふだんは鬼のような)父親の愛情が描かれているもの。家族の死とか戦争とか、代用教員(いまでいえばアルバイトしながらの浪人生活?)などがからんでこないので、いまふつうの人(?)が読んでこれがいちばんわかりやすいような。でも、そうでもないか(わからない)。友達どうし浪人生3人組が出てくる最後の「陀経寺の雪」も、わりと薦められるかな(宮本輝「星々の悲しみ」をちょっと思い出す)。
「解説・解題」(日下三蔵)に本人が書いたエッセイが引用されていて、そのなかで(孫引きになってしまうけれど)、
<(略)それから[=中学5年の春、最初に掲載されてから(引用者注)]つづけて約六篇、途中で誌名が変わってから三篇ばかりのせてもらったと記憶する。>(p.783)
と語っている。1篇+約6篇? うろ覚えだけれど、以前何かの本で略年譜を見ていたら、『受験旬報』に掲載されたのは計8篇、と書かれていたような記憶が。であれば、何等当選かはわからないけれど、上の6篇以外にあと2篇存在しているのかもしれない。『螢雪時代』に掲載された3篇というのは、昭和17年11月からの日記『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)によれば、
「国民徴用令」
「勘右衛門老人の死」
「蒼穹」
というタイトルのもの。3篇とも昭和18年(1943年)。ほかの2篇がよくわからないけれど、2番目のものは7月号らしい。ただ、これらが収録されている本はいまのところない模様([追記]『橘傳來記――山田風太郎初期作品集――』出版芸術社、2008に収録されている)。話が前後してしまうけれど、同日記の、大学に入ったばかり昭和19年(1944年)4月18日のところには、上の5番目の「白い船」に書いたことと同じようなことが現実にも起こった、ということが書かれている。あと、浪人生も小説も関係ないけれど、「解説・解題」で触れられている「中学生と映画」(『映画朝日』昭和15年2月号)という投稿エッセイは、『昭和前期の青春』という本に収録されている。
ちなみに、同書(『山田風太郎ミステリー傑作選⑩ ~』)の“受験小説”6篇のあとには、『螢雪時代』の姉妹誌『高校時代』の昭和29年(1954年)10~12月号に掲載された「信濃の宿」という小説が収録されている。主人公たちは新制の高校3年生。あ、1954年って『高校時代』が創刊された年かな。何月号が創刊号? ――ま、細かいことはいいか。
中江有里 「結婚写真」
2009年2月1日 読書
同名書(NHK出版、2006)所収。200ページくらいなので中篇、あるいは長めの短篇という感じ。タイトルに関して、読み始めてわりとすぐ自分が「お見合い写真」と勘違いしていたことに気づいた。ウェディング・ドレスなどを着て撮る写真のことなんだね(当たり前か)。中身はひと言でいえば、“母娘小説”。母と娘の関係が描かれている小説というのは、女どうしだからか(そして自分が男だからか)読んでいて怖くなるイメージがあるけれど(*注)、この小説はそれほど怖くはなかったです。なんていうか、全体的に地に足がついている感じがして、それが意外とよかったかもしれない。例えば、娘の満(みつる)が朝食で、パンを焼いて半分に切って、片方にはジャムをぬってもう片方にはチーズをのせて食べている――似たようなことを私もよくやります(汗)。半分ずつ味を変えたくなるよね?(ならないですか?)。それはともかく、とりあえず日常的な食べ物ですね、食パン。全体的に小説(作品)としての突込みどころはたくさんあるような気がするけれど、それはまぁいいか。
視点人物となっているのは、娘の片桐満、母親の和歌子、和歌子の彼氏の林の3人。でも、ほとんど母娘の2人か。言葉としてはあまり使われていないけれど、それぞれの1人称(の言葉)は「わたし」、「私」、「俺」となっている。満(みつる)は最初、女子中学校の2年生、一方の和歌子(アラフォーというか最初はジャスト40歳)は、足を棒にして保険の営業をしている。母親が娘に付き合っている彼を紹介して…、みたいな展開は“母娘小説”の定番の1つかな。お母さんは夫とはだいぶ前に離婚していて、いまはマンション(といっても築20年近く)で母子2人暮らし。満が学校でイジメにあうというか、クラスメートからシカトされるのだけれど、インターネットが絡んでいるあたりは、今風だな、と思ったです。そういえば、「学○裏サ○ト」という言葉はいつごろから耳にするようになったんだっけな(…思い出せない)。最初のへんでは、呼び出されて平手で殴られたりもしているけれど、でも、あまり深刻なことが起こっているように感じない小説であるような…。そうでもないかな(わからないけれど)。
本題というか。それほど出てくるわけではないけれど、小説的に重要といえば重要? 満と幼なじみで、兄妹のような関係にある、同じマンションに暮らす浪人生が出てくる。名前は洋(よう)ちゃん(上の名前は……「上村」か)。片桐家と同じく、母子2人暮らしらしい。で、まず思ったのは、すごく明るいわけではないけれど、これほど屈託のない、暗さのない小説中浪人生もめずらしいな、ということ。“妹”目線であれ。結局(少しネタバレしてしまうけれど)翌年、合格したのが「体育大学」とのこと。体を使うような実技試験もある(あった)のかな? 少なくとも、精神的に内にこもって勉強するような性格ではない(なかった)のかもしれない。そう(これもネタバレしてしまうけれど)その後、大学は中退して海外に行ってしまったらしい。ちなみに(?)浪人中、同じ予備校に通っているらしい彼女(安達ひとみ)がいる。でも(これもネタバレか)満目線でいえば、幼なじみの男の子(といっても5つ歳上)に対する恋心に気づく、みたいなことも、小説的にはお約束か。ただ、読んでいてあまりベタな感じはしなかったけれど。受験がらみのことでは、あと、高校受験だけれど、満自身も翌年、中学3年で受験生になっている。
(ちなみに、カップリングの、表題作よりもだいぶ短い1篇の「納豆ウドン」――会話が大阪弁だし、こちらのほうが面白かったかな――は、主人公が受験に失敗して第2希望だった学校に甘んじて通っている女子高校生。家はお弁当屋で、父親に乗せられて近くの学習塾の生徒向けに「受験生弁当」を考案することに。生徒からのイジメにあって――それが直接のきっかけではないらしいけれど――学校を辞めた元中学校音楽教師も出てくる。ネタバレしてしまうけれど、元学校教師はやっぱり、塾で勉強を教えたいと思うものらしい。)
*注 あまり思いつかないけれど、例えば2人暮らしのものとしては、中沢けい「海を感じる時」とか、小川洋子『ホテル・アイリス』とか。よく覚えていないけれど、栗田有起「ハミザベス」もそうだったかも。2人暮らしではないけれど、山本文緒『群青の夜の羽毛布』、川上弘美『いとしい』(どちらもお姉さんがいたと思う)も、たしか母娘関係が描かれていたと思う。
[追記]その後、文庫版が出る。小学館文庫、2010(表題作のみ収録)。
視点人物となっているのは、娘の片桐満、母親の和歌子、和歌子の彼氏の林の3人。でも、ほとんど母娘の2人か。言葉としてはあまり使われていないけれど、それぞれの1人称(の言葉)は「わたし」、「私」、「俺」となっている。満(みつる)は最初、女子中学校の2年生、一方の和歌子(アラフォーというか最初はジャスト40歳)は、足を棒にして保険の営業をしている。母親が娘に付き合っている彼を紹介して…、みたいな展開は“母娘小説”の定番の1つかな。お母さんは夫とはだいぶ前に離婚していて、いまはマンション(といっても築20年近く)で母子2人暮らし。満が学校でイジメにあうというか、クラスメートからシカトされるのだけれど、インターネットが絡んでいるあたりは、今風だな、と思ったです。そういえば、「学○裏サ○ト」という言葉はいつごろから耳にするようになったんだっけな(…思い出せない)。最初のへんでは、呼び出されて平手で殴られたりもしているけれど、でも、あまり深刻なことが起こっているように感じない小説であるような…。そうでもないかな(わからないけれど)。
本題というか。それほど出てくるわけではないけれど、小説的に重要といえば重要? 満と幼なじみで、兄妹のような関係にある、同じマンションに暮らす浪人生が出てくる。名前は洋(よう)ちゃん(上の名前は……「上村」か)。片桐家と同じく、母子2人暮らしらしい。で、まず思ったのは、すごく明るいわけではないけれど、これほど屈託のない、暗さのない小説中浪人生もめずらしいな、ということ。“妹”目線であれ。結局(少しネタバレしてしまうけれど)翌年、合格したのが「体育大学」とのこと。体を使うような実技試験もある(あった)のかな? 少なくとも、精神的に内にこもって勉強するような性格ではない(なかった)のかもしれない。そう(これもネタバレしてしまうけれど)その後、大学は中退して海外に行ってしまったらしい。ちなみに(?)浪人中、同じ予備校に通っているらしい彼女(安達ひとみ)がいる。でも(これもネタバレか)満目線でいえば、幼なじみの男の子(といっても5つ歳上)に対する恋心に気づく、みたいなことも、小説的にはお約束か。ただ、読んでいてあまりベタな感じはしなかったけれど。受験がらみのことでは、あと、高校受験だけれど、満自身も翌年、中学3年で受験生になっている。
(ちなみに、カップリングの、表題作よりもだいぶ短い1篇の「納豆ウドン」――会話が大阪弁だし、こちらのほうが面白かったかな――は、主人公が受験に失敗して第2希望だった学校に甘んじて通っている女子高校生。家はお弁当屋で、父親に乗せられて近くの学習塾の生徒向けに「受験生弁当」を考案することに。生徒からのイジメにあって――それが直接のきっかけではないらしいけれど――学校を辞めた元中学校音楽教師も出てくる。ネタバレしてしまうけれど、元学校教師はやっぱり、塾で勉強を教えたいと思うものらしい。)
*注 あまり思いつかないけれど、例えば2人暮らしのものとしては、中沢けい「海を感じる時」とか、小川洋子『ホテル・アイリス』とか。よく覚えていないけれど、栗田有起「ハミザベス」もそうだったかも。2人暮らしではないけれど、山本文緒『群青の夜の羽毛布』、川上弘美『いとしい』(どちらもお姉さんがいたと思う)も、たしか母娘関係が描かれていたと思う。
[追記]その後、文庫版が出る。小学館文庫、2010(表題作のみ収録)。
中村航 『絶対、最強の恋のうた』
2009年1月31日 読書
小学館、2006/小学館文庫、2008。手もとにあるのは文庫のほう。中村航ってやっぱり、なんていうかちょっとうそくさいよな…。それはともかくとして、これを書いているいまは2月(2009年2月)なので、もうすぐ大学に合格できて長かった受験生生活と、さよならできる浪人生も多いかと思うけれど、そういう(受験が終了した)方に、この小説の冒頭のところの10頁くらい(pp.6-15、「その一、スクランブル」の前半)がとてもおすすめです。予備校の祝賀会とそのあとのことが描かれている。祝賀会が終わってまず予備校の近くの川原へ、次にスクランブル交差点で合格したことを叫んだ人を胴上げしたり…。ちょっと、高校の文化祭が終わったあとのようなノリっぽいかな。でも、たいして仲がよかったわけではない(予備校だからね)仲間たちと、こういう形で喜びを分かち合えることができたら最高かもしれない(というか、やっぱり中村航はうそくさいと思う)。例えば、先に大学に受かっている友達とかに「大学、受かったよ」とか言っても、「おめでとうよかったね」のひと言で終わっちゃいそうだもんね(そうでもないか、仲の良さによる?)。
しまおまほ 「いいこと」
2009年1月31日 読書
アンソロジー『旅立ち。 卒業、十の話』(ダ・ヴィンチブックス、2008)の最後に収録されているもの。※毎回、書いていますが、今回も↓ネタバレ注意です、すみません。
20頁もないくらい短いものなので、私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、一応。二部の発表が残っているけれど、まだ進学の決まっていない美術予備校に通っていた「わたし」。せっかく予備校の友達に選んでもらった服や靴で着飾って参加した高校の卒業式では特に“いいこと”もなく。そのあと予備校の謝恩会(といってもお菓子をつまんだり、なもの)に出かけて行く。そこには現役で大学に合格した人(オイちゃん)、浪人していて合格が決まった人(ハズミ)、浪人が決まった人(アンチ)、3浪が決まった人(ヒラメくん)などいろいろな人がいたりする。
「わたし」はふつうの女の子という感じの設定になっているけれど、付き合いのあった予備校の友達たちは、美術予備校だからか、個性的な人が多いようだ(なかにはちょっと危ない女の子=ハズミもいたりする)。で、そのこととも関係があると思うけれど、ちょっと不思議に思ったのは、この予備校では、高校生(現役受験生)と浪人生が仲がいいんだなぁ、ということ。やっぱり美術予備校だからなのか、高校生と浪人生が同じ教室で勉強したり、絵を描くなどの課題をこなしたりするのって、けっこう珍しい? あ、それ以外の予備校でも夏期講習・冬期講習では、現浪混合授業になることが多いか。
ただ、当たり前だけれど、予備校にはまだ大学に合格していない人だけがいるわけで、結局、美大二部の大学生になれた「わたし」は、次のように言っている。
<浪人している友達に予備校まで会いに行くのはお見舞いみたいな気分であまり良いもんではなかったから、夏に1度しか行かなかった。>(p.232)
お見舞い気分…なのか。そういえば、自分が予備校に通っているとき大学に合格した(その予備校の)先輩の話から聞く、みたいな場が設けられていたことがあったような…。出席して聞いていたけれど(たぶん合格体験記&素敵な大学生生活みたいな話)これといって役に立った覚えがないな(当たり前か)。逆に、以前読んだ小説でも描かれていたけれど、高校で部活をしているときかなんかに、浪人してる先輩がふらっと遊びに来たりすると、ちょっとうざかったりするんでしょ?(涙)。(「逆に」というのは変だな。浪人生/大学生ではなくて、現役生/浪人生ということ。)
20頁もないくらい短いものなので、私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、一応。二部の発表が残っているけれど、まだ進学の決まっていない美術予備校に通っていた「わたし」。せっかく予備校の友達に選んでもらった服や靴で着飾って参加した高校の卒業式では特に“いいこと”もなく。そのあと予備校の謝恩会(といってもお菓子をつまんだり、なもの)に出かけて行く。そこには現役で大学に合格した人(オイちゃん)、浪人していて合格が決まった人(ハズミ)、浪人が決まった人(アンチ)、3浪が決まった人(ヒラメくん)などいろいろな人がいたりする。
「わたし」はふつうの女の子という感じの設定になっているけれど、付き合いのあった予備校の友達たちは、美術予備校だからか、個性的な人が多いようだ(なかにはちょっと危ない女の子=ハズミもいたりする)。で、そのこととも関係があると思うけれど、ちょっと不思議に思ったのは、この予備校では、高校生(現役受験生)と浪人生が仲がいいんだなぁ、ということ。やっぱり美術予備校だからなのか、高校生と浪人生が同じ教室で勉強したり、絵を描くなどの課題をこなしたりするのって、けっこう珍しい? あ、それ以外の予備校でも夏期講習・冬期講習では、現浪混合授業になることが多いか。
ただ、当たり前だけれど、予備校にはまだ大学に合格していない人だけがいるわけで、結局、美大二部の大学生になれた「わたし」は、次のように言っている。
<浪人している友達に予備校まで会いに行くのはお見舞いみたいな気分であまり良いもんではなかったから、夏に1度しか行かなかった。>(p.232)
お見舞い気分…なのか。そういえば、自分が予備校に通っているとき大学に合格した(その予備校の)先輩の話から聞く、みたいな場が設けられていたことがあったような…。出席して聞いていたけれど(たぶん合格体験記&素敵な大学生生活みたいな話)これといって役に立った覚えがないな(当たり前か)。逆に、以前読んだ小説でも描かれていたけれど、高校で部活をしているときかなんかに、浪人してる先輩がふらっと遊びに来たりすると、ちょっとうざかったりするんでしょ?(涙)。(「逆に」というのは変だな。浪人生/大学生ではなくて、現役生/浪人生ということ。)
石黒謙吾 「裏口にいた犬」
2009年1月30日 読書
『犬がいたから』(集英社、2007)の第1話(全7話)。小説としてはちょっとどうかと思うけれど、それには目をつぶるとして。※以下、ネタバレ注意です。
30年前の話。上京して仕送りなしの一人暮らし、予備校に通い始めた芸大浪人の「僕」は、当時ほとんど下火になっていた名曲喫茶の1軒でアルバイトを始めることに。そこの裏口にはジローと呼ばれている犬がいて。「僕」はくすねてきたサンドウィッチをあげたり、話を聞いてもらったり。――芸大受験の予備校は厳しいな、描いた絵(デッサンと油絵)をクラスで、うまい人順に張り出すらしい。
<僕の絵はいつも一番下の段の左端だった。他人とのレベル差は自分ではっきりわかっていたし、その敗北感から登校拒否状態。>(pp.15-6)
さぼって何をしていたかといえば、家で安酒、パチンコ、競馬とのこと。この人の場合、話を聞いてくれる“犬がいたから”よかったけれど(はぁ?)、そうではない人はこのまま“人生の浪人生”とかになってしまうよね…、どうすればいいのやら? そういうことはお金をとっている予備校がフォローするべきだと個人的には思うけれどね。合格を諦めてしまうというのは美大受験生にかぎらない話だろうし。
大学の合否などよくわからないけれど、「僕」は30年後にはCDのジャケット絵を描いたことがあるような人になっている。
([追記]美術(美大)予備校に通っていたことがあるらしい漫画家の西原理恵子は、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』という本(理論社、2008)のなかで、「寝たきり浪人」という言葉を使っている。言葉は何でもいいけれど、そうなっている人、なりかかっている人で、犬などの相談相手のいない浪人生の人は、その本(『この世で~』)を読んでみると、ちょっとくらいはやる気、元気が出るかもしれない。)
30年前の話。上京して仕送りなしの一人暮らし、予備校に通い始めた芸大浪人の「僕」は、当時ほとんど下火になっていた名曲喫茶の1軒でアルバイトを始めることに。そこの裏口にはジローと呼ばれている犬がいて。「僕」はくすねてきたサンドウィッチをあげたり、話を聞いてもらったり。――芸大受験の予備校は厳しいな、描いた絵(デッサンと油絵)をクラスで、うまい人順に張り出すらしい。
<僕の絵はいつも一番下の段の左端だった。他人とのレベル差は自分ではっきりわかっていたし、その敗北感から登校拒否状態。>(pp.15-6)
さぼって何をしていたかといえば、家で安酒、パチンコ、競馬とのこと。この人の場合、話を聞いてくれる“犬がいたから”よかったけれど(はぁ?)、そうではない人はこのまま“人生の浪人生”とかになってしまうよね…、どうすればいいのやら? そういうことはお金をとっている予備校がフォローするべきだと個人的には思うけれどね。合格を諦めてしまうというのは美大受験生にかぎらない話だろうし。
大学の合否などよくわからないけれど、「僕」は30年後にはCDのジャケット絵を描いたことがあるような人になっている。
([追記]美術(美大)予備校に通っていたことがあるらしい漫画家の西原理恵子は、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』という本(理論社、2008)のなかで、「寝たきり浪人」という言葉を使っている。言葉は何でもいいけれど、そうなっている人、なりかかっている人で、犬などの相談相手のいない浪人生の人は、その本(『この世で~』)を読んでみると、ちょっとくらいはやる気、元気が出るかもしれない。)
『優しく埋めて』(新潮文庫、1991)所収、9篇中の4篇目。内容とは関係がないけれど、新潮文庫ってほかの文庫本よりも紙が重いよね。この本を持ち上げるたびに、少しずっしりとした感触がある。※毎度すみません、以下、ネタバレ注意です。
文体も内容もけっこうシンプルなわりに、そこそこ面白かったです。電話が置き電話(固定電話)であることや、浪人生がちょっと暗い雰囲気であることには、やや古さを感じてしまったけれど。「暗い」といえば、雨は降ったり降っていなかったりだけれど、作中は梅雨の季節。以前読んだことがあるタイトルつながりの短篇、歌野晶午「盗聴」(『正月十一日、鏡殺し』)とは、ぜんぜん違っているかな。でも、他人どうしの会話のなかに“謎”があることは、共通しているか。
上京して予備校に通う「ぼく」は、たまたま知り合った男(橋川)からもらった盗聴器を、下宿(アパート)近くの、きっかけがあって入ることができた1人の女性(秋本恵子・OL)が暮らすマンションの部屋、の電話にしかけることに成功する。で、その電話の内容が録音されたテープを毎晩、就寝(午前零時半)前の楽しみとして聴いていると、その女性にも覚えのなさそうな謎の男(小倉栄三と名のる)とのやりとりが…、みたいな話。
ネタバレしてしまうけれど、第3者に死体を発見させたいだけであるなら、何かもっと簡単で安全な方法があったのではないか、と思ってしまう。なんていうか、まわりくどいやね(そうでもないのかな)。ほかにどんな方法があるのか訊かれても、まったく思い浮かばないけれど(汗)。
ちなみに「ぼく」は北陸の山国育ちで、家は農家とのこと。男ばかりの兄弟の間に挟まれているらしい(何人兄弟? 家業はお兄さん(たち)が継ぐのかな?)。仕送りが生活するのにぎりぎりらしく、盗聴先の部屋から5万円を盗んだりしている。性格は自分で<内気で、人見知りする>(p.155)と言ったりしている。で、合否はどうなったのかな? 描かれていないからわからないけれど、事件(?)が解決して入試までまだだいぶ時間があるし、予備校もちゃんと通っているようだから、まぁ大丈夫かもしれない。それとも、盗聴&窃盗という行為の天罰として不合格とか?
文体も内容もけっこうシンプルなわりに、そこそこ面白かったです。電話が置き電話(固定電話)であることや、浪人生がちょっと暗い雰囲気であることには、やや古さを感じてしまったけれど。「暗い」といえば、雨は降ったり降っていなかったりだけれど、作中は梅雨の季節。以前読んだことがあるタイトルつながりの短篇、歌野晶午「盗聴」(『正月十一日、鏡殺し』)とは、ぜんぜん違っているかな。でも、他人どうしの会話のなかに“謎”があることは、共通しているか。
上京して予備校に通う「ぼく」は、たまたま知り合った男(橋川)からもらった盗聴器を、下宿(アパート)近くの、きっかけがあって入ることができた1人の女性(秋本恵子・OL)が暮らすマンションの部屋、の電話にしかけることに成功する。で、その電話の内容が録音されたテープを毎晩、就寝(午前零時半)前の楽しみとして聴いていると、その女性にも覚えのなさそうな謎の男(小倉栄三と名のる)とのやりとりが…、みたいな話。
ネタバレしてしまうけれど、第3者に死体を発見させたいだけであるなら、何かもっと簡単で安全な方法があったのではないか、と思ってしまう。なんていうか、まわりくどいやね(そうでもないのかな)。ほかにどんな方法があるのか訊かれても、まったく思い浮かばないけれど(汗)。
ちなみに「ぼく」は北陸の山国育ちで、家は農家とのこと。男ばかりの兄弟の間に挟まれているらしい(何人兄弟? 家業はお兄さん(たち)が継ぐのかな?)。仕送りが生活するのにぎりぎりらしく、盗聴先の部屋から5万円を盗んだりしている。性格は自分で<内気で、人見知りする>(p.155)と言ったりしている。で、合否はどうなったのかな? 描かれていないからわからないけれど、事件(?)が解決して入試までまだだいぶ時間があるし、予備校もちゃんと通っているようだから、まぁ大丈夫かもしれない。それとも、盗聴&窃盗という行為の天罰として不合格とか?
今邑彩 『繭の密室』
2009年1月29日 読書
カッパ・ノベルス、1995/光文社文庫、2000。手もとにあるのはノベルス版。カバーの折り返しのところ(「著者のことば」)によれば、“貴島刑事もの”の4作目とのこと。で、けっこう読みやすかったけれど、なんていうか、推理小説としては普通でした(汗)。この前(といっても、けっこう前かな、メモを見てみると…2008年12月16日)この小説を原作としたTVドラマが、夕方くらいに再放送されていて(テレビ朝日)、時間的には見ることが可能だったのだけれど、放送しているのに気づくのが遅くて…、結局、最後のほうしか見られなかったです(涙)。ただ、それで原作を読みなさい、と言われたような気がして、今回、“積ん読”本の山から抜き出して読んでみた次第です。←どうでもいい話です(汗)。※以下、ネタバレ注意です。毎度すみません。
TVドラマでは中学校のときの元同級生3人組が、たしかそのまま浪人生3人組になっていたと思うけれど、原作小説では浪人生なのは、リーダー格でクールな、人を見下すような性格の江藤順弥だけ。父親は地元(静岡県浜松市)の大きな病院「江藤病院」の院長で、父も祖父も卒業しているK大の医学部を目指して現在、3浪目。下に歳の離れた弟が1人いる。いまは代々木にある瀟洒なマンションで1人暮らし。読んで見てもわからないけれど、場所がら通っている予備校はやっぱりYゼミ?(TVドラマではYゼミの建物が映っていたけれど)。ちなみに江藤くん以外の2人は、最初に死んでしまう前島博和がM大学経済学部3年(東中野のマンションから引っ越して中野のマンション)、次に死んでしまう坂田勝彦はR大学3年(学部は? 大久保のアパート)とのこと。3人とも中学は一緒だけれど、高校は別らしい。前島くん、去年=大学2年のときにサラ金に借金が300万円もあった、というのは、いったい何に使ったの? あ、300万借りたのではなくて、利子が膨らんでその金額になったのか。
前島くん転落死事件(8月下旬)と平行して起こっているのは…というか、中野署の倉田刑事(倉田善男)と警視庁の貴島刑事(貴島柊志)がその転落死を調べていくと、3人組の元担任教師・日比野功一の妹、日比野ゆかり(20歳、兄夫婦と小平市)の現在進行中の(?)誘拐事件に行き当たる。そういえば、どうでもいいことだけれど、20歳と21歳の人がよく出てくる小説だったような…。真犯人の動機は例によって“復讐”で、TVドラマではどうなっていたか忘れてしまったけれど、この小説では最後、いちばんの悪人もちゃんと(?)殺されている。犯人が刑事に止められる、みたいなありがちな寸止めにはなっていない。
“浪人生小説”というか、“受験(生)小説”としての読みどころは、貴島刑事が最初に江藤のマンションを訪れた場面と、最後の「エピローグ」かな。ネタバレしすぎてしまうというか、暴力は暴力しか生み出さない、その暴力のおおもとの発生源はなんとお母さん!(?) 「エピローグ」は母親目線になっている。順弥くんは、母親=江藤佳子に小学校5年のときから勉強専用の窓のない部屋で勉強させられていたらしい(最初は泣き喚いたけれどすぐに順応したらしい)。……これはどうなのかな? それくらいで中学3年になって自殺に見せかけて同級生を殺すようになるほど、性格が歪んだりするかな?(うーん…)。高校に入って成績が落ちた、というのもどういう理由があったのやら、わからない。そう、(以前読んだ半村良の小説でも書かれていた気がするけれど)父親が有名大学卒の医者で、自分がそれほどでもない場合、お母さんが息子(の頭の悪さ)に対して遺伝的な(?)責任を感じてしまうんだね。別にそれが息子を悪い方向へ導かないのなら、まったく問題はないわけだけれど。でも、このお母さん、息子を東京で3年も浪人させているから、過保護・過干渉というわけでもないのか。息子もいわゆるマザコン的な性格にはなっていない。
そもそも、タイトルに使われいる「繭(まゆ)」という言葉は、どう? 個人的には“勉強部屋”とはイメージがずれる、ように感じる。蚕(かいこ)くらいしか思い浮かばないけれど、「繭」って要するに“さなぎ”だっけ? 閉じ込められているというより、蝶(蛾)になるまで外敵から身を守るために、自ら閉じこもっている感じ? あ、“ぬくぬく”としたイメージはあるか。でも、親蚕(?)が繭を作ってくれるわけでもないし、やっぱり(ハムスターも出てきているし)イメージ的には「檻(おり)」「鳥かご」(本文でも使われていたような)くらいでよかったのでは? あ、でも、それだと外が見えてしまうか。よくわからん、というか、どうでもいいや(汗)。そういえば、受験という制度に対する批判はぜんぜん書かれていなかったっけな、この小説。ちゃんと読み直さないとわからないけれど。
これもどうでもいいことだけれど、TVのニュース番組や新聞の報道を見ていると、学校教師がけっこう事件を起こしていて、そういう人たちは学校を辞めたあと(辞めさせられたあと)どこでどうしているのか、と時たまに気になったりするけれど(しないですか?)、この小説では、教え子を殴って辞表を出して退職した元中学教師・日比野さん、の現在の勤め先は、教育関係の出版社とのこと。そういうところで働ければ、教師の経験も役に立ったりするかもしれないね。再就職のきっかけは、大学の先輩が誘ってくれたことらしい。
そういえば(話がもうぐちゃぐちゃだけれど)、TVドラマでは江藤たちに自殺に見せかけて殺されたらしい吉本豊くんのお父さんが出てきていたと思うけれど、小説では名前だけで本人は出てこない。日比野ゆかりの過去の話があったり、意外と話としてはTVドラマのほうがよくできていたのかな、わからないけれど。
TVドラマでは中学校のときの元同級生3人組が、たしかそのまま浪人生3人組になっていたと思うけれど、原作小説では浪人生なのは、リーダー格でクールな、人を見下すような性格の江藤順弥だけ。父親は地元(静岡県浜松市)の大きな病院「江藤病院」の院長で、父も祖父も卒業しているK大の医学部を目指して現在、3浪目。下に歳の離れた弟が1人いる。いまは代々木にある瀟洒なマンションで1人暮らし。読んで見てもわからないけれど、場所がら通っている予備校はやっぱりYゼミ?(TVドラマではYゼミの建物が映っていたけれど)。ちなみに江藤くん以外の2人は、最初に死んでしまう前島博和がM大学経済学部3年(東中野のマンションから引っ越して中野のマンション)、次に死んでしまう坂田勝彦はR大学3年(学部は? 大久保のアパート)とのこと。3人とも中学は一緒だけれど、高校は別らしい。前島くん、去年=大学2年のときにサラ金に借金が300万円もあった、というのは、いったい何に使ったの? あ、300万借りたのではなくて、利子が膨らんでその金額になったのか。
前島くん転落死事件(8月下旬)と平行して起こっているのは…というか、中野署の倉田刑事(倉田善男)と警視庁の貴島刑事(貴島柊志)がその転落死を調べていくと、3人組の元担任教師・日比野功一の妹、日比野ゆかり(20歳、兄夫婦と小平市)の現在進行中の(?)誘拐事件に行き当たる。そういえば、どうでもいいことだけれど、20歳と21歳の人がよく出てくる小説だったような…。真犯人の動機は例によって“復讐”で、TVドラマではどうなっていたか忘れてしまったけれど、この小説では最後、いちばんの悪人もちゃんと(?)殺されている。犯人が刑事に止められる、みたいなありがちな寸止めにはなっていない。
“浪人生小説”というか、“受験(生)小説”としての読みどころは、貴島刑事が最初に江藤のマンションを訪れた場面と、最後の「エピローグ」かな。ネタバレしすぎてしまうというか、暴力は暴力しか生み出さない、その暴力のおおもとの発生源はなんとお母さん!(?) 「エピローグ」は母親目線になっている。順弥くんは、母親=江藤佳子に小学校5年のときから勉強専用の窓のない部屋で勉強させられていたらしい(最初は泣き喚いたけれどすぐに順応したらしい)。……これはどうなのかな? それくらいで中学3年になって自殺に見せかけて同級生を殺すようになるほど、性格が歪んだりするかな?(うーん…)。高校に入って成績が落ちた、というのもどういう理由があったのやら、わからない。そう、(以前読んだ半村良の小説でも書かれていた気がするけれど)父親が有名大学卒の医者で、自分がそれほどでもない場合、お母さんが息子(の頭の悪さ)に対して遺伝的な(?)責任を感じてしまうんだね。別にそれが息子を悪い方向へ導かないのなら、まったく問題はないわけだけれど。でも、このお母さん、息子を東京で3年も浪人させているから、過保護・過干渉というわけでもないのか。息子もいわゆるマザコン的な性格にはなっていない。
そもそも、タイトルに使われいる「繭(まゆ)」という言葉は、どう? 個人的には“勉強部屋”とはイメージがずれる、ように感じる。蚕(かいこ)くらいしか思い浮かばないけれど、「繭」って要するに“さなぎ”だっけ? 閉じ込められているというより、蝶(蛾)になるまで外敵から身を守るために、自ら閉じこもっている感じ? あ、“ぬくぬく”としたイメージはあるか。でも、親蚕(?)が繭を作ってくれるわけでもないし、やっぱり(ハムスターも出てきているし)イメージ的には「檻(おり)」「鳥かご」(本文でも使われていたような)くらいでよかったのでは? あ、でも、それだと外が見えてしまうか。よくわからん、というか、どうでもいいや(汗)。そういえば、受験という制度に対する批判はぜんぜん書かれていなかったっけな、この小説。ちゃんと読み直さないとわからないけれど。
これもどうでもいいことだけれど、TVのニュース番組や新聞の報道を見ていると、学校教師がけっこう事件を起こしていて、そういう人たちは学校を辞めたあと(辞めさせられたあと)どこでどうしているのか、と時たまに気になったりするけれど(しないですか?)、この小説では、教え子を殴って辞表を出して退職した元中学教師・日比野さん、の現在の勤め先は、教育関係の出版社とのこと。そういうところで働ければ、教師の経験も役に立ったりするかもしれないね。再就職のきっかけは、大学の先輩が誘ってくれたことらしい。
そういえば(話がもうぐちゃぐちゃだけれど)、TVドラマでは江藤たちに自殺に見せかけて殺されたらしい吉本豊くんのお父さんが出てきていたと思うけれど、小説では名前だけで本人は出てこない。日比野ゆかりの過去の話があったり、意外と話としてはTVドラマのほうがよくできていたのかな、わからないけれど。
辻真先 「村でいちばんの首吊りの木」
2009年1月28日 読書
いま手もとにある本は、図書館から借りてきた同名の新書(C★NOVELS、1994)。後ろのほうのあとがきなどによると、単行本のとき(中央公論社、1986)のタイトルは、『旅路 村でいちばんの首吊りの木』であったらしい。単行本でも同じであると思うけれど、3篇収録されているうちの1篇目がこの表題作。初出は(これも後ろのほうを読むと)『小説推理』の1979年7月号であるとのこと。その年の『推理小説年鑑』に選ばれたと言っているので(これも後ろのほうに書かれていること)別の本でも読めるかもしれない。※毎度すみません、以下たぶんネタバレを起こしていると思うので、まだ読まれていない方はご注意ください。
ぜんぜん期待していなかったからか、意外と面白く読めてしまったけれど、説明的なところはちょっと気になったかな。そういうのは親切、サービスであると思えばいいのかもしれないけれど。あとは、お母さんのほうはそれほど気にならなかったけれど、息子のしゃべり方(手紙だけれど)が最初、けっこう古くさく感じてしまって…。1970年代の末くらいの高校生の話し方って、現実の話、どんな感じだったんだろうね? 生まれてはいたけれど、わからないな。あと、そうそう、この1篇だけでなく本全体の間に挟まっているイラスト(挿画)がちょっと怖くて。私は左手で見えないように押さえて読んでいました(涙)。――それはともかく。最後の1つは違うのだけれど、ほとんど手紙(手紙文)で構成されている小説で、奥飛騨の可良寿(からす)という村で1人暮らしをしている母親と東京の高校に通っている受験生の二男=宗夫とがやりとりをしている、という形をとっている小説。息子のほうが聞き役になっている感じなのだけれど、母親の手紙の内容は、殺人事件の容疑者として疑いをかけられている、名古屋で予備校に通っていた長男=弘一(2浪で20歳)は犯人ではない、と母親である「私」は言いきれる、お前のお兄さんにはそんなことができわけがない、みたいな感じ。遠路はるばる自動車で受験勉強に励んでいるはずの長男のアパートへ毛布を届けに行くと、そこには誰もいなくて、手紙などをあさってみると1人の女性からのものがあって(弘一は昔からもてたらしい)、その女=久留島晴子のマンションへ行ってみると、片方手首から先がない彼女の死体が……みたいな話を、お母さんは二男への手紙で書いている。
浪人生のお兄ちゃんの話は間接的にしかされていないので、“浪人生小説”としてはいまいちかもしれないけれど、弟も受験生であるし、“受験小説”としてはそこそこおすすめできるかもしれない。受験生の兄弟は2人とも医学部志望。お金がないので公立の大学。息子が医者になることはお母さんの強い望みでもあるらしいけれど、もともと、お父さんが村に1人しか医者がいないせいで命を落としているから、という理由があって、母子で話し合って本人たちも医者を目指すことには納得している(していた)らしい。医者不足は廃村にも通じるらしく、家族の事情があるだけでなく、村の運命も背負っている感じ。現実的・一般的な話として、医学部の志望理由として自分の出身地の医者不足、というのはけっこう珍しい? 学校教師としてならわりと地元に戻ってきそうだよね、冬には雪深くなる過疎の村にでも。
<(略)村によっては、医学生に奨学金を出したり、町長さんがテレビから訴えたりしていますが、おいそれと来てはくれませんわ。>(上-下段、p.32)
「町長」ではなく「村長」? いま(2009年です)違う意味で医師不足が深刻になっているけれど、上のような方法、すなわち市町村単位でお金を出してお金に困っている“医者の卵”につば(というか首ひもというか)をつけておく、みたいな方法は、とれないのかな? そもそもそんなお金(医学生を支えるのだからけっこうな金額)はないか。あっても医学部卒業まで6ヵ年計画?――そんなに待てないよな。
2つ違いの兄弟で、上は名古屋で評判の予備校(2年目)、下は東京の一流の高校(3年生)――ということは、どういうこと? どういうこともこういうこともないか(汗)。えーと、お兄さんはどこの高校に通っていたのかな? それがわからない。2つ違いであると、お兄ちゃんが大学受験に失敗したから(失敗してから)弟が東京まで行かされたというわけではないのか。結果的に(ネタバレしてしまうけれど)お兄さんは大学には入れずじまい、弟は大学にちゃんと合格。この小説もやっぱり、受験=競争(観)みたいな感じで、よくわからないけれど、<人をおしのけてまでのしあがってゆく能力>(p.42、上段)が弟のほうにはあるらしい。あと、“競争”だけでなく、受験勉強=灰色の青春、みたいなことも書かれている。
最後まで読むと、お母さんがかわいそうだよね、この小説。二男はやっぱり、ちょっと自分勝手な性格であるような…。自分もだんだん歳をとってきたせいか、「大人」対「子ども」みたいなことになっていると、「大人」に肩入れしてしまうことが多いな、最近。
ぜんぜん期待していなかったからか、意外と面白く読めてしまったけれど、説明的なところはちょっと気になったかな。そういうのは親切、サービスであると思えばいいのかもしれないけれど。あとは、お母さんのほうはそれほど気にならなかったけれど、息子のしゃべり方(手紙だけれど)が最初、けっこう古くさく感じてしまって…。1970年代の末くらいの高校生の話し方って、現実の話、どんな感じだったんだろうね? 生まれてはいたけれど、わからないな。あと、そうそう、この1篇だけでなく本全体の間に挟まっているイラスト(挿画)がちょっと怖くて。私は左手で見えないように押さえて読んでいました(涙)。――それはともかく。最後の1つは違うのだけれど、ほとんど手紙(手紙文)で構成されている小説で、奥飛騨の可良寿(からす)という村で1人暮らしをしている母親と東京の高校に通っている受験生の二男=宗夫とがやりとりをしている、という形をとっている小説。息子のほうが聞き役になっている感じなのだけれど、母親の手紙の内容は、殺人事件の容疑者として疑いをかけられている、名古屋で予備校に通っていた長男=弘一(2浪で20歳)は犯人ではない、と母親である「私」は言いきれる、お前のお兄さんにはそんなことができわけがない、みたいな感じ。遠路はるばる自動車で受験勉強に励んでいるはずの長男のアパートへ毛布を届けに行くと、そこには誰もいなくて、手紙などをあさってみると1人の女性からのものがあって(弘一は昔からもてたらしい)、その女=久留島晴子のマンションへ行ってみると、片方手首から先がない彼女の死体が……みたいな話を、お母さんは二男への手紙で書いている。
浪人生のお兄ちゃんの話は間接的にしかされていないので、“浪人生小説”としてはいまいちかもしれないけれど、弟も受験生であるし、“受験小説”としてはそこそこおすすめできるかもしれない。受験生の兄弟は2人とも医学部志望。お金がないので公立の大学。息子が医者になることはお母さんの強い望みでもあるらしいけれど、もともと、お父さんが村に1人しか医者がいないせいで命を落としているから、という理由があって、母子で話し合って本人たちも医者を目指すことには納得している(していた)らしい。医者不足は廃村にも通じるらしく、家族の事情があるだけでなく、村の運命も背負っている感じ。現実的・一般的な話として、医学部の志望理由として自分の出身地の医者不足、というのはけっこう珍しい? 学校教師としてならわりと地元に戻ってきそうだよね、冬には雪深くなる過疎の村にでも。
<(略)村によっては、医学生に奨学金を出したり、町長さんがテレビから訴えたりしていますが、おいそれと来てはくれませんわ。>(上-下段、p.32)
「町長」ではなく「村長」? いま(2009年です)違う意味で医師不足が深刻になっているけれど、上のような方法、すなわち市町村単位でお金を出してお金に困っている“医者の卵”につば(というか首ひもというか)をつけておく、みたいな方法は、とれないのかな? そもそもそんなお金(医学生を支えるのだからけっこうな金額)はないか。あっても医学部卒業まで6ヵ年計画?――そんなに待てないよな。
2つ違いの兄弟で、上は名古屋で評判の予備校(2年目)、下は東京の一流の高校(3年生)――ということは、どういうこと? どういうこともこういうこともないか(汗)。えーと、お兄さんはどこの高校に通っていたのかな? それがわからない。2つ違いであると、お兄ちゃんが大学受験に失敗したから(失敗してから)弟が東京まで行かされたというわけではないのか。結果的に(ネタバレしてしまうけれど)お兄さんは大学には入れずじまい、弟は大学にちゃんと合格。この小説もやっぱり、受験=競争(観)みたいな感じで、よくわからないけれど、<人をおしのけてまでのしあがってゆく能力>(p.42、上段)が弟のほうにはあるらしい。あと、“競争”だけでなく、受験勉強=灰色の青春、みたいなことも書かれている。
最後まで読むと、お母さんがかわいそうだよね、この小説。二男はやっぱり、ちょっと自分勝手な性格であるような…。自分もだんだん歳をとってきたせいか、「大人」対「子ども」みたいなことになっていると、「大人」に肩入れしてしまうことが多いな、最近。
辻真先 『伊豆恋人岬殺しの眺望』
2009年1月28日 読書
「辻」のしんにょうには点がもう1つ。C★NOVELS、1992。いま手もとにあるのは、図書館で借りてきたもの。この本も、ブックオフとかでだいぶ探してみたけれど、いまだに見つかっていないです(涙)。それはそれとして、※以下、たぶんネタがばれていますので、まだお読みでない方はご注意ください。うまく言えないけれど、これも読んでいてちょっと気色悪く感じる小説だったような…。人形が出てくるからとかではなく、やっぱり文章・文体がそう感じさせるのかな…(わからないけれど)。ミステリーとしてはどうなのかな、この小説? とりあえず、個人的には微妙でした。
「あとがき」によれば、<本作はユーカリさんシリーズの一本>であるらしいけれど、<事実上の主役は、恋人岬にからむ駈け落ちコンビ>であるとのこと(ともにp.198)。学校が春休み中の大学生・綾川くるみはいま、伊豆高原で祖母・亀谷(かめがい)ユーカリが開いている人形制作のアトリエ“銀の鈴”に遊びに来ている。と、そこにユーカリの女学校時代の同級生で友達の仁科椿から、伊豆へ行くと書き置きを残して家庭教師と一緒に駈け落ちをした孫息子(庄太郎)を探して欲しいという相談の電話がかかってくる。一方(庄太郎目線に切り換えると)伊豆で駈け落ち中の2人は、観光船に乗っているときに恋人岬のところで男が女の首を絞めているらしき光景を目撃してしまい、逆に単眼鏡でこちらを見られたりして、その男(“あいつ”)からあちこちで追われるようなことに。
18歳の庄太郎くんは「浪人生」と呼ばれて、家庭教師までつけられているけれど、時期はまだ春分の日前の3月(3月中旬くらい?)であるらしい。ま、行くつもりがある大学をすべて落ちた時点で、もう浪人生かもしれないけれど。大学に落ちた理由は、祖母の椿に似て(?)優等生だけれど、素直で大人しく内気な性格なので、試験の本番では雰囲気にのまれてしまったから、らしい(←どこに書かれていたかわからなくなってしまって、いま記憶で書いているのだけれど(汗)。あっている?)。小説ではよくある不合格理由だけれど、そういう精神的に弱いだけの人は、家庭教師に習ったりするよりも、どこかお寺とかで滝にうたれたりするほうはいいのでは? みたいなことをよく思う。それはともかく、家族はといえば、お父さん(信之)は5年前に癌で亡くなっていて、お母さんの恒子は(生きているけれど)庄太郎が3歳のときの父親の再婚相手で、要するに継母。3歳下(4歳だっけ?)にはお母さん違いの弟・恭次郎がいる。
ネタバレしてしまうけれど、ミステリー的にいえば、最初から、結婚をしていて旦那がいるという大学4年生(まだ3年?)の家庭教師・伊島美里がだいぶあやしいよね? ま、それはどうでもいいか。庄太郎くんは結局、美里からだまされていたわけで、人(というか女)にだまされて要するに精神的に成長? 来年は大学にちゃんと合格できたかもしれない。あ、でも、家族が大変なことになって、それ(大学受験)どころではないとか?
「あとがき」によれば、<本作はユーカリさんシリーズの一本>であるらしいけれど、<事実上の主役は、恋人岬にからむ駈け落ちコンビ>であるとのこと(ともにp.198)。学校が春休み中の大学生・綾川くるみはいま、伊豆高原で祖母・亀谷(かめがい)ユーカリが開いている人形制作のアトリエ“銀の鈴”に遊びに来ている。と、そこにユーカリの女学校時代の同級生で友達の仁科椿から、伊豆へ行くと書き置きを残して家庭教師と一緒に駈け落ちをした孫息子(庄太郎)を探して欲しいという相談の電話がかかってくる。一方(庄太郎目線に切り換えると)伊豆で駈け落ち中の2人は、観光船に乗っているときに恋人岬のところで男が女の首を絞めているらしき光景を目撃してしまい、逆に単眼鏡でこちらを見られたりして、その男(“あいつ”)からあちこちで追われるようなことに。
18歳の庄太郎くんは「浪人生」と呼ばれて、家庭教師までつけられているけれど、時期はまだ春分の日前の3月(3月中旬くらい?)であるらしい。ま、行くつもりがある大学をすべて落ちた時点で、もう浪人生かもしれないけれど。大学に落ちた理由は、祖母の椿に似て(?)優等生だけれど、素直で大人しく内気な性格なので、試験の本番では雰囲気にのまれてしまったから、らしい(←どこに書かれていたかわからなくなってしまって、いま記憶で書いているのだけれど(汗)。あっている?)。小説ではよくある不合格理由だけれど、そういう精神的に弱いだけの人は、家庭教師に習ったりするよりも、どこかお寺とかで滝にうたれたりするほうはいいのでは? みたいなことをよく思う。それはともかく、家族はといえば、お父さん(信之)は5年前に癌で亡くなっていて、お母さんの恒子は(生きているけれど)庄太郎が3歳のときの父親の再婚相手で、要するに継母。3歳下(4歳だっけ?)にはお母さん違いの弟・恭次郎がいる。
ネタバレしてしまうけれど、ミステリー的にいえば、最初から、結婚をしていて旦那がいるという大学4年生(まだ3年?)の家庭教師・伊島美里がだいぶあやしいよね? ま、それはどうでもいいか。庄太郎くんは結局、美里からだまされていたわけで、人(というか女)にだまされて要するに精神的に成長? 来年は大学にちゃんと合格できたかもしれない。あ、でも、家族が大変なことになって、それ(大学受験)どころではないとか?
小室みつ子 <久里子シリーズ>
2009年1月27日 読書
コバルト文庫、1985-。これも、田中雅美<クラスメイト・シリーズ>(新潮文庫)と同じく、5冊(5巻)まで出ていて、そのあとが出ていないっぽい。各巻の本文の終わりには(「終わり」とかではなく)Here comes the waitin’ time.と書かれているのだけれど、5巻目が出ているのが1988年。ということは、現在までwaitしている人は、20年近くも放置されていることになるよね(涙)。
『シンデレラは待てない』(1985.10)
『スノウ・ホワイトが危ない』(1986.4)
『ピノキオはあきらめない』(1986.10)
『マーメイドは忘れない』(1987.5)
『ハート・ビートは止まらない』(1988.6)
いちおう5冊ぜんぶ手に入ったけれど(古本屋で1冊ずつしょぼしょぼと集めていてけっこう苦労した)、とりあえずまだ4冊目の最初のへんまでしか読んでいないです(あとで読んでおきます。そういえば、書く機会がなかったけれど、3冊目までしか読んでいなかった<クラスメイト・シリーズ>もいちおう5冊読了しています)。で、1冊目を読み始めたときには、何これ? と思ったけれど、だんだんと慣れてきて2冊目の途中くらいからは、わりと読めるようになって……そんなことはどうでもいいか(汗)。でも、ゆるいといえばゆるい小説なんだよね。「私」には「阿笠久里子(あがさ・くりこ)」という名前が与えられている(SF作家である叔父さんが付けたものらしい)のに、そもそもミステリー度が低すぎる、この小説シリーズ。
ネタバレしてしまうけれど、1、2巻目では千葉県T市の高校に通う受験生だった女の子3人組、の受験結果はといえば……まぁ細かいことはいいか、「私」=久里子は好きな徳丸吾一がいる城南大学に、三国章子(しょうこ)は私立のセイント女子大に通うことに、もう1人の神崎ますみは、いちばん滑り止めだったF大には合格したけれど、やっぱり第1志望のN大(の理工)を目指して浪人生に。ますみは大学生になれなかった(ならなかった)けれど、3人で約束していたとおり、章子を除いて「私」とますみは、東京で共同生活をすることに。――浪人生の、大学生との同居はどうなのかな? 個人的には絶対にやめたほうがいいと思うけどね、大学生を見ているとそれだけでいらいらしそう。あ、でも、この小説では大学生になった久里子は、スタートダッシュに失敗しているというか、なかなかサークルに入らず(入れず)、友達もできず大学生活をエンジョイしそこなっている。さえない大学生? それはそれで浪人生にとっては目に入れたくないような…。その前に、これは小説的ご都合主義というか、叔父さん(阿笠洋二郎)の紹介で2人には、いい部屋というか家――2階建ての離れで、1階にリビング・2階に2部屋、要するに2人には個室がある家――が見つかっている。
数学が得意なますみ(元バスケ部)は、料理も上手らしい。でも、<ますみの作ってくれた夕食は、サバの味噌煮、肉ジャガ、それにワカメの酢の物。お味噌汁は大根という、りっぱに家庭料理していた。>(p.75、3巻)というのは、どうなのかな…? たしかに「りっぱ」だと思うけれど、個人的には(私の好みを言ってもしかたがないか)、魚と肉(肉じゃがだから豚?牛?)がいっしょに出てくるのが嫌(汗)。あと、私は鯖の味噌煮があんまり好きじゃなくて。塩焼きでいいよね?(誰に聞いているのやら(汗))。あ、「私」のほうは替わりに洗濯物を担当している。
話が前後してしまうけれど、2巻目の最後の、ますみが「私」と章子に浪人する、と告げる場面がちょっといいかもしれないな。
<「だから、そういうことで、あたしひとり浪人生活にはいります」/「つらくて、長いゾ」/章子が念を押すようにいう。/「覚悟してる」/「予備校には、バスケ部なんてないわよ」/「それも知ってる」/ますみは神妙な顔をして頷いた。/「また太るわよ」/「う……」/ますみが真剣に困った顔になったので、思わず笑ってしまった。>(p.233)
これから浪人する、と言ったって別に戦争に行くわけでもないしね。そう、部活をやめてから(だっけ?)ますみは太ることを気にしている。高校時代の3人の、学校帰り行きつけの店は、お汁粉屋。ちなみに、ますみには高校の1年後輩、同じ部活だった彼氏(畑山くん)がいる。携帯電話がない時代(2巻目以降は1986年か)、1階のリビングの電話で千葉とやりとりしている模様。
なんていうか、結局、「浪人生」といっても、女の子だからか、小説的に(?)フォローがいくつかされていて、悲愴感があまりないよね。←今回もテキトーなまとめだな(汗)。
『シンデレラは待てない』(1985.10)
『スノウ・ホワイトが危ない』(1986.4)
『ピノキオはあきらめない』(1986.10)
『マーメイドは忘れない』(1987.5)
『ハート・ビートは止まらない』(1988.6)
いちおう5冊ぜんぶ手に入ったけれど(古本屋で1冊ずつしょぼしょぼと集めていてけっこう苦労した)、とりあえずまだ4冊目の最初のへんまでしか読んでいないです(あとで読んでおきます。そういえば、書く機会がなかったけれど、3冊目までしか読んでいなかった<クラスメイト・シリーズ>もいちおう5冊読了しています)。で、1冊目を読み始めたときには、何これ? と思ったけれど、だんだんと慣れてきて2冊目の途中くらいからは、わりと読めるようになって……そんなことはどうでもいいか(汗)。でも、ゆるいといえばゆるい小説なんだよね。「私」には「阿笠久里子(あがさ・くりこ)」という名前が与えられている(SF作家である叔父さんが付けたものらしい)のに、そもそもミステリー度が低すぎる、この小説シリーズ。
ネタバレしてしまうけれど、1、2巻目では千葉県T市の高校に通う受験生だった女の子3人組、の受験結果はといえば……まぁ細かいことはいいか、「私」=久里子は好きな徳丸吾一がいる城南大学に、三国章子(しょうこ)は私立のセイント女子大に通うことに、もう1人の神崎ますみは、いちばん滑り止めだったF大には合格したけれど、やっぱり第1志望のN大(の理工)を目指して浪人生に。ますみは大学生になれなかった(ならなかった)けれど、3人で約束していたとおり、章子を除いて「私」とますみは、東京で共同生活をすることに。――浪人生の、大学生との同居はどうなのかな? 個人的には絶対にやめたほうがいいと思うけどね、大学生を見ているとそれだけでいらいらしそう。あ、でも、この小説では大学生になった久里子は、スタートダッシュに失敗しているというか、なかなかサークルに入らず(入れず)、友達もできず大学生活をエンジョイしそこなっている。さえない大学生? それはそれで浪人生にとっては目に入れたくないような…。その前に、これは小説的ご都合主義というか、叔父さん(阿笠洋二郎)の紹介で2人には、いい部屋というか家――2階建ての離れで、1階にリビング・2階に2部屋、要するに2人には個室がある家――が見つかっている。
数学が得意なますみ(元バスケ部)は、料理も上手らしい。でも、<ますみの作ってくれた夕食は、サバの味噌煮、肉ジャガ、それにワカメの酢の物。お味噌汁は大根という、りっぱに家庭料理していた。>(p.75、3巻)というのは、どうなのかな…? たしかに「りっぱ」だと思うけれど、個人的には(私の好みを言ってもしかたがないか)、魚と肉(肉じゃがだから豚?牛?)がいっしょに出てくるのが嫌(汗)。あと、私は鯖の味噌煮があんまり好きじゃなくて。塩焼きでいいよね?(誰に聞いているのやら(汗))。あ、「私」のほうは替わりに洗濯物を担当している。
話が前後してしまうけれど、2巻目の最後の、ますみが「私」と章子に浪人する、と告げる場面がちょっといいかもしれないな。
<「だから、そういうことで、あたしひとり浪人生活にはいります」/「つらくて、長いゾ」/章子が念を押すようにいう。/「覚悟してる」/「予備校には、バスケ部なんてないわよ」/「それも知ってる」/ますみは神妙な顔をして頷いた。/「また太るわよ」/「う……」/ますみが真剣に困った顔になったので、思わず笑ってしまった。>(p.233)
これから浪人する、と言ったって別に戦争に行くわけでもないしね。そう、部活をやめてから(だっけ?)ますみは太ることを気にしている。高校時代の3人の、学校帰り行きつけの店は、お汁粉屋。ちなみに、ますみには高校の1年後輩、同じ部活だった彼氏(畑山くん)がいる。携帯電話がない時代(2巻目以降は1986年か)、1階のリビングの電話で千葉とやりとりしている模様。
なんていうか、結局、「浪人生」といっても、女の子だからか、小説的に(?)フォローがいくつかされていて、悲愴感があまりないよね。←今回もテキトーなまとめだな(汗)。
日向章一郎 『蟹座の君を忘れたくないから』
2009年1月27日 読書コバルト文庫、1993。「あとがき」によれば、「星座」シリーズの第9弾らしい。※以下、ネタバレ注意です、すみません。いちおうミステリーです。
<リョウは修学旅行先の岡山でノリミそっくりの少女、雅と出会った。浪人中だという雅は偶然にも幹世やリョウの友人・沢野のペンフレンドだった。上京してきた雅に会った沢野は、何者かに襲われ怪我を負う。麦倉先生へのちょっとした嫉妬から、リョウと探偵することになったノリミは、雅が代々木周辺の高校生と文通したがっていたことを知る。そうするうちに幹世までが何者かに襲撃されて!?>(カバーの折り返しより)
この作者の小説を読むのはこれで2冊目。読んでいて気色悪く感じるというか、ちょっといらいらさせられるんだよね…。例えば――やっぱり固有名詞がわかりやすいかと思うのだけれど、それらのイメージ的な統一感というか、なんというか。上の紹介文と関係するところでいえば、大野ノリミと大江雅がどれくらい似ているか、みたいな箇所で「中山美穂」とZARDのヴォーカル「坂井泉」を持ち出していることとか。改めて考えてみればそれほど変なとりあわせでもないような気もするけれど、一瞬、いらっとしてしまう、私の場合は。うーん…。ZARDといえば、主人公の/…というかこの巻ではほとんど視点人物となっている山本リョウは、尾崎豊のファン(信奉者)らしいのだけれど、ウォークマンで最近(当時)流行り始めたZARD(の「眠れない夜を抱いて」)を聴いているとか。これも別に変ではないか(汗)。どうしていらいらするのかな、そういう細かいところよりも、小説の全体的な雰囲気のせいなのかな(わからんです)。
固有名詞つながりで、受験がらみのことでは、有名な英単語集『でる単』の名前が出てくる箇所がある。リョウが別の高校に通っている沢野の家に遊びに来ている場面。
<「沢野はぼちぼち、受験勉強始めた? <でる単>とか<野村の古典>とか?」/「う、うん……。ま、少しずつ、ね」/なんだか煮えきらない返事だ。>(p.36)
沢野くんは別なことに意識がいっている模様。それはともかく、作中年は1992年くらいかな、『でる単』はもう、ちょっと古いよね、たぶん。後者の参考書は『でる単』と肩を並べられるくらい有名なもの? 私は初めて聞く名前だけれど。実在は……しているみたいです(検索しました)。固有名詞つながりでもう1つ、これは実在はしていないと思うけれど、地方在住の予備校生・雅さんと東京の高校生たちとの文通をとりもった、というか、雅さんが文通相手の募集を出したのが、<受験雑誌<ハイスクール・マガジン>の<読書のいこい>の欄>(p.86)とのこと。『ハイスクール・~』って、ちょっと浪人生が買いにくそうな誌名だよね、いつごろ募集の手紙(?)を出したのかわからないけれど。(というか、これも、雑誌名はカタカナ英語なのにコーナー名が「読書のいこい」という和風なもの――やっぱりちょっといらいらするな(涙)。)
大学受験がらみのことでは、ほかにリョウ&ノリミが、代々木駅で電車を降りて、無名の予備校生たちとすれ違う、みたいな場面がある(pp.55-)。それをきっかけにノリミがリョウに対して、<「リョウ君は、どこの大学受けんの?」>と話し始めている。高校2年生のお2人、あまり予備校生を否定的に見ていない感じ。予備校生=浪人生、というイメージを持っていないのか、あるいは小説上、雅という女子浪人生が登場してくるからか、それとも2人が通う高校が代々木にあるという予備校生が珍しくないお土地がらのせいなのか、よくわからないけれど。(高校生ではなく大学生2人だけれど、村上春樹の『ノルウェイの森』でも、たしか日曜日にお茶の水のへんを主人公とその女友達が歩いていて、模擬テストを受ける受験生たちとすれ違って、話題が勉強のことになる、みたいな場面があったと思う(←記憶で書いている)。“受験生”は、高校2年生にとっては未来、大学生にとっては過去か。)
大学受験に関係があるといえばあることで、細かいところだけれどもう1つ。それは、as soon asの後ろに現在完了って使ってもいいんだっけ? みたいなこと。というか、これも引用しないと説明ができないな(汗)。
<「(略)。もし、沢野が本当に死んだんなら、<AS SOON AS YOU HAVE LOOKED AT ME>――おれの顔を見るやいなや、って感じでそのことに触れるはずだ。今の椎名は、余裕がありすぎるよ」>(pp.61-2)
ほかの部分も英語にすれば、「もし~なら、…はずだ」となっているから、as soon asの節は“仮定法”の中に入る形になるのか。でも、ここはふつうに過去形(haveなしのlooked)でいいんじゃないかな。そう、小峰元の小説にも出てきていたと思うけれど、as soon as ~(~するやいなや)って、好きな人が多いよね。好きというか、中学・高校で習った英語で覚えていることは? みたいなことを訊かれて、答えられるほとんど唯一のことだったりする人も多い?
本題というか、予備校生・雅さんについて触れておかないと。10月に3週間東京の友達(上京している高校の同級生、大学生)のところに滞在して人探し……浪人生のすることではないかな、やっぱり。岡山(雅の家は岡山市)の予備校事情は、どんな感じなんだろうね? あ、1990年代前半くらいの話。現実の話はとりあえずいいか。浪人生だからどうのこうの、みたいな話もあまり出てこなかったと思う。そう、ネタバレするからあまり書けないけれど、過去の話で浪人生(男)と高校生(女)が付き合っていた、みたいな話は出てくる。
(“浪人生”とは関係ないし、どうでもいいことだけれど、細かい事情はどうであれ、生徒に手を出して学校を辞めた高校教師のとりあえずの再就職先(というか当座のアルバイト先)の人気第1位は、やっぱり学習塾なのだろうか。いいことなのか悪いことなのか、よくわからないけれど。この小説では、高校では国語教師だっけ? 中学生になら塾では、あと英語と数学くらい教えられるのかな。)
<リョウは修学旅行先の岡山でノリミそっくりの少女、雅と出会った。浪人中だという雅は偶然にも幹世やリョウの友人・沢野のペンフレンドだった。上京してきた雅に会った沢野は、何者かに襲われ怪我を負う。麦倉先生へのちょっとした嫉妬から、リョウと探偵することになったノリミは、雅が代々木周辺の高校生と文通したがっていたことを知る。そうするうちに幹世までが何者かに襲撃されて!?>(カバーの折り返しより)
この作者の小説を読むのはこれで2冊目。読んでいて気色悪く感じるというか、ちょっといらいらさせられるんだよね…。例えば――やっぱり固有名詞がわかりやすいかと思うのだけれど、それらのイメージ的な統一感というか、なんというか。上の紹介文と関係するところでいえば、大野ノリミと大江雅がどれくらい似ているか、みたいな箇所で「中山美穂」とZARDのヴォーカル「坂井泉」を持ち出していることとか。改めて考えてみればそれほど変なとりあわせでもないような気もするけれど、一瞬、いらっとしてしまう、私の場合は。うーん…。ZARDといえば、主人公の/…というかこの巻ではほとんど視点人物となっている山本リョウは、尾崎豊のファン(信奉者)らしいのだけれど、ウォークマンで最近(当時)流行り始めたZARD(の「眠れない夜を抱いて」)を聴いているとか。これも別に変ではないか(汗)。どうしていらいらするのかな、そういう細かいところよりも、小説の全体的な雰囲気のせいなのかな(わからんです)。
固有名詞つながりで、受験がらみのことでは、有名な英単語集『でる単』の名前が出てくる箇所がある。リョウが別の高校に通っている沢野の家に遊びに来ている場面。
<「沢野はぼちぼち、受験勉強始めた? <でる単>とか<野村の古典>とか?」/「う、うん……。ま、少しずつ、ね」/なんだか煮えきらない返事だ。>(p.36)
沢野くんは別なことに意識がいっている模様。それはともかく、作中年は1992年くらいかな、『でる単』はもう、ちょっと古いよね、たぶん。後者の参考書は『でる単』と肩を並べられるくらい有名なもの? 私は初めて聞く名前だけれど。実在は……しているみたいです(検索しました)。固有名詞つながりでもう1つ、これは実在はしていないと思うけれど、地方在住の予備校生・雅さんと東京の高校生たちとの文通をとりもった、というか、雅さんが文通相手の募集を出したのが、<受験雑誌<ハイスクール・マガジン>の<読書のいこい>の欄>(p.86)とのこと。『ハイスクール・~』って、ちょっと浪人生が買いにくそうな誌名だよね、いつごろ募集の手紙(?)を出したのかわからないけれど。(というか、これも、雑誌名はカタカナ英語なのにコーナー名が「読書のいこい」という和風なもの――やっぱりちょっといらいらするな(涙)。)
大学受験がらみのことでは、ほかにリョウ&ノリミが、代々木駅で電車を降りて、無名の予備校生たちとすれ違う、みたいな場面がある(pp.55-)。それをきっかけにノリミがリョウに対して、<「リョウ君は、どこの大学受けんの?」>と話し始めている。高校2年生のお2人、あまり予備校生を否定的に見ていない感じ。予備校生=浪人生、というイメージを持っていないのか、あるいは小説上、雅という女子浪人生が登場してくるからか、それとも2人が通う高校が代々木にあるという予備校生が珍しくないお土地がらのせいなのか、よくわからないけれど。(高校生ではなく大学生2人だけれど、村上春樹の『ノルウェイの森』でも、たしか日曜日にお茶の水のへんを主人公とその女友達が歩いていて、模擬テストを受ける受験生たちとすれ違って、話題が勉強のことになる、みたいな場面があったと思う(←記憶で書いている)。“受験生”は、高校2年生にとっては未来、大学生にとっては過去か。)
大学受験に関係があるといえばあることで、細かいところだけれどもう1つ。それは、as soon asの後ろに現在完了って使ってもいいんだっけ? みたいなこと。というか、これも引用しないと説明ができないな(汗)。
<「(略)。もし、沢野が本当に死んだんなら、<AS SOON AS YOU HAVE LOOKED AT ME>――おれの顔を見るやいなや、って感じでそのことに触れるはずだ。今の椎名は、余裕がありすぎるよ」>(pp.61-2)
ほかの部分も英語にすれば、「もし~なら、…はずだ」となっているから、as soon asの節は“仮定法”の中に入る形になるのか。でも、ここはふつうに過去形(haveなしのlooked)でいいんじゃないかな。そう、小峰元の小説にも出てきていたと思うけれど、as soon as ~(~するやいなや)って、好きな人が多いよね。好きというか、中学・高校で習った英語で覚えていることは? みたいなことを訊かれて、答えられるほとんど唯一のことだったりする人も多い?
本題というか、予備校生・雅さんについて触れておかないと。10月に3週間東京の友達(上京している高校の同級生、大学生)のところに滞在して人探し……浪人生のすることではないかな、やっぱり。岡山(雅の家は岡山市)の予備校事情は、どんな感じなんだろうね? あ、1990年代前半くらいの話。現実の話はとりあえずいいか。浪人生だからどうのこうの、みたいな話もあまり出てこなかったと思う。そう、ネタバレするからあまり書けないけれど、過去の話で浪人生(男)と高校生(女)が付き合っていた、みたいな話は出てくる。
(“浪人生”とは関係ないし、どうでもいいことだけれど、細かい事情はどうであれ、生徒に手を出して学校を辞めた高校教師のとりあえずの再就職先(というか当座のアルバイト先)の人気第1位は、やっぱり学習塾なのだろうか。いいことなのか悪いことなのか、よくわからないけれど。この小説では、高校では国語教師だっけ? 中学生になら塾では、あと英語と数学くらい教えられるのかな。)
藤井青銅 『アロワナ・ガール』
2008年12月29日 読書
アニメージュ文庫、1992。ちょっとした青春小説という感じ。もう少し早く読みたかったな、似たような小説をすでにたくさん読んでいるような…。ちょっと古さも感じるけれど、でも、意外とおすすめな小説であるようなないような。――どっちやねん!(汗)。ま、微妙な小説ということで。※推理小説ではないですが、以下ネタバレ注意です、すみません。
<浪人中の水口勇は、バイト先のイベントで美しい瞳のモデル・黒崎緑と知り合う。緑はリッチな女子学生会館で管理されながら、しかし何不自由なく暮らす女子大生だった。緑に心魅かれた勇は、夜は囚われの身となる女子学生たちのために、要塞のような学生会館からの脱出計画を手伝うが――。/水槽のぬるま湯の中にいるような青春のいらだちを感じながら、自分の道を見つけだそうとする若者たちの姿を描く意欲作。>(表紙カバーの後ろのところより)
これはちょっと堅苦しいまとめかも。「僕」(水口勇)は、有名ゼミナールに籍はあるけれど、来年の受験は考えていないという、2浪中といえば2浪中の男の子。高校の同級生で友達の高梨(有名大学の2年生)から誘われて、イベント会社(『ユニバーサル・プロダクション』)でアルバイトを始めることになる。その面接のとき、行なわれていたイベント(「アイスクリームの日」がらみ@新宿)のキャンペンガールの2人に高梨は声をかけていて(要するにナンパしてあって)イベント終了後に4人でお茶を飲むことに。黒崎緑というのは、その女の子のうちの1人で(「僕」が気に入る)、モデル事務所に所属している大学1年生。池袋の「T女子学生会館」に入っている。もう1人の女の子=赤沼ミカ(高梨が気に入る)も、「科」は違うけれど、同じ事務所に所属する別の大学の1年生。(もう1人、重要な登場人物としては、高梨を雇っていて「僕」を雇うことになるクニさん(国本)という人が出てくる。クニさんが関わるイベントでは何かアクシデントが起こることが多く、彼は“アクシデント・クニ”と呼ばれているらしい。)
管理の厳しい女子寮暮らしの女子大生と浪人生のようなそうではないような男の子とは、本当に心理的に相通じるものがあるのかな?(うーん)。予備校の特待生(制度)に対してちょっと批判的なことが書かれているけれど、予備校にとって予備校生というのは、実際のところ、どの程度の「商品」になっているのか…。入学金と授業料を払ってくれればあとは、予備校に来ようが来まいがどちらでもいいみたいな、ある意味では無責任な予備校も多いような気が(汗)。「東大合格何名!」的な宣伝広告に貢献する特待生たちは、ある程度確保してあるから(そういう生徒はほかの予備校にも籍があったりする)、特待生ではない君が別に大学に受かろうが受かるまいがどちらでもいい、みたいな(涙)。――最後のほうからちょっと引用させてもらうと、
<「(略)。……受験生なんて学校や予備校にとってのアロワナなんだよ。きれいに育って、高く売れてくれなきゃ意味がないんだ。そして僕は、……二浪もしている僕は、ウロコがはげて、ヒレが破れて、高く売れないアロワナなんだよ」/(略)>(pp.185-6)
とのこと。この「アロワナ」というのは、「ヤ」で始まる自由業の人たちに、稚魚のうちに密輸入されて育てられて売られている熱帯魚。予備校も実際問題、ちゃんと生徒を大学に合格できる受験生として育ててくれるならいいけれどね、そうでなければ上のような批判(?)はそもそも的外れな言葉になってしまう。逆に、例えば予備校は休みっぱなし、自分の努力だけで東大に合格できたとしても、それは、非人間的な(?)例の予備校の数値(「合格何人!」)に還元されてしまうんだろうね、悲しいかな。
そう、小説よりも漫画でよくある気がするけれど、浪人生(もどき)のこの「僕」も、バイト先(というかクニさん)や女の子たちに、自分は大学生であると嘘をついている。1浪していていまは大学(「A大学」の)1年生である、と。漫画などと違うのは、何かのきっかけでばれてしまうとかではなく、自分から(もちろん心の中で何か変化があって)正直に本当のことを話していることかな。ちなみに(書き忘れていたけれど)「僕」の家は京王線の終点の駅にあるらしい。「王」=八王子?
<浪人中の水口勇は、バイト先のイベントで美しい瞳のモデル・黒崎緑と知り合う。緑はリッチな女子学生会館で管理されながら、しかし何不自由なく暮らす女子大生だった。緑に心魅かれた勇は、夜は囚われの身となる女子学生たちのために、要塞のような学生会館からの脱出計画を手伝うが――。/水槽のぬるま湯の中にいるような青春のいらだちを感じながら、自分の道を見つけだそうとする若者たちの姿を描く意欲作。>(表紙カバーの後ろのところより)
これはちょっと堅苦しいまとめかも。「僕」(水口勇)は、有名ゼミナールに籍はあるけれど、来年の受験は考えていないという、2浪中といえば2浪中の男の子。高校の同級生で友達の高梨(有名大学の2年生)から誘われて、イベント会社(『ユニバーサル・プロダクション』)でアルバイトを始めることになる。その面接のとき、行なわれていたイベント(「アイスクリームの日」がらみ@新宿)のキャンペンガールの2人に高梨は声をかけていて(要するにナンパしてあって)イベント終了後に4人でお茶を飲むことに。黒崎緑というのは、その女の子のうちの1人で(「僕」が気に入る)、モデル事務所に所属している大学1年生。池袋の「T女子学生会館」に入っている。もう1人の女の子=赤沼ミカ(高梨が気に入る)も、「科」は違うけれど、同じ事務所に所属する別の大学の1年生。(もう1人、重要な登場人物としては、高梨を雇っていて「僕」を雇うことになるクニさん(国本)という人が出てくる。クニさんが関わるイベントでは何かアクシデントが起こることが多く、彼は“アクシデント・クニ”と呼ばれているらしい。)
管理の厳しい女子寮暮らしの女子大生と浪人生のようなそうではないような男の子とは、本当に心理的に相通じるものがあるのかな?(うーん)。予備校の特待生(制度)に対してちょっと批判的なことが書かれているけれど、予備校にとって予備校生というのは、実際のところ、どの程度の「商品」になっているのか…。入学金と授業料を払ってくれればあとは、予備校に来ようが来まいがどちらでもいいみたいな、ある意味では無責任な予備校も多いような気が(汗)。「東大合格何名!」的な宣伝広告に貢献する特待生たちは、ある程度確保してあるから(そういう生徒はほかの予備校にも籍があったりする)、特待生ではない君が別に大学に受かろうが受かるまいがどちらでもいい、みたいな(涙)。――最後のほうからちょっと引用させてもらうと、
<「(略)。……受験生なんて学校や予備校にとってのアロワナなんだよ。きれいに育って、高く売れてくれなきゃ意味がないんだ。そして僕は、……二浪もしている僕は、ウロコがはげて、ヒレが破れて、高く売れないアロワナなんだよ」/(略)>(pp.185-6)
とのこと。この「アロワナ」というのは、「ヤ」で始まる自由業の人たちに、稚魚のうちに密輸入されて育てられて売られている熱帯魚。予備校も実際問題、ちゃんと生徒を大学に合格できる受験生として育ててくれるならいいけれどね、そうでなければ上のような批判(?)はそもそも的外れな言葉になってしまう。逆に、例えば予備校は休みっぱなし、自分の努力だけで東大に合格できたとしても、それは、非人間的な(?)例の予備校の数値(「合格何人!」)に還元されてしまうんだろうね、悲しいかな。
そう、小説よりも漫画でよくある気がするけれど、浪人生(もどき)のこの「僕」も、バイト先(というかクニさん)や女の子たちに、自分は大学生であると嘘をついている。1浪していていまは大学(「A大学」の)1年生である、と。漫画などと違うのは、何かのきっかけでばれてしまうとかではなく、自分から(もちろん心の中で何か変化があって)正直に本当のことを話していることかな。ちなみに(書き忘れていたけれど)「僕」の家は京王線の終点の駅にあるらしい。「王」=八王子?
名取なずな 『郵便です!』
2008年12月29日 読書
副題は「サクラサク頃、キミに逢いたい」。スーパーダッシュ文庫、2003。ぐだぐだではないのだけれど、なんていうか、ちょっとほのぼの系、といえば、そんな感じかもしれない。疲れたときとか読めば、多少、癒されもするような?(わからないけれど)。そう、いちおう成長小説です。※以下、ネタバレ注意です、毎度すみません。
この小説の主人公(松本勝)も浪人生であるような、ないような…。東京の大学を受けて落ちてしまったけれど、唯一救いが残されていて――すなわち、まだ会ったことがないメル友(女の子)と会う、ために上京する。親たち(家は農家らしい)には、東京のお兄さん(16歳上・医者)のもとで浪人生活を送る、みたいなことを言ってあるらしい。で、メトロ(地下鉄)がレトロ(昭和)に通じていたというか、桜が咲く季節、東京駅から地下鉄「丸の内線」に乗り換えて、待ち合わせの神社がある「枕坂」という駅で降りると、そこには懐かしい昭和の風景が広がっていた、みたいなことが。それでなんだかんだで(はしょりすぎか)勝くんはその世界の「枕坂郵便局」で、新人局員として働き始めることになる。郵便局員たち(1人を除く)の裏の仕事は“ジタマ”(字霊)というものの退治。
ライトノベルを読みなれていないせいもあると思うけど、こういうちょっと変な脱力系小説(?)もたまに読むと、意外と面白いと思えるね。しゃべるモモンガとか、スクーター(“ラビット号”)で空が飛べたりするはる子(大滝はる子)のジタマに対する武器というかが切手で、(「貼付(ちょうふ)!」と言って貼ったあと)「消印有効!」と言って効力が発揮される、みたいなこととか。
この小説の主人公(松本勝)も浪人生であるような、ないような…。東京の大学を受けて落ちてしまったけれど、唯一救いが残されていて――すなわち、まだ会ったことがないメル友(女の子)と会う、ために上京する。親たち(家は農家らしい)には、東京のお兄さん(16歳上・医者)のもとで浪人生活を送る、みたいなことを言ってあるらしい。で、メトロ(地下鉄)がレトロ(昭和)に通じていたというか、桜が咲く季節、東京駅から地下鉄「丸の内線」に乗り換えて、待ち合わせの神社がある「枕坂」という駅で降りると、そこには懐かしい昭和の風景が広がっていた、みたいなことが。それでなんだかんだで(はしょりすぎか)勝くんはその世界の「枕坂郵便局」で、新人局員として働き始めることになる。郵便局員たち(1人を除く)の裏の仕事は“ジタマ”(字霊)というものの退治。
ライトノベルを読みなれていないせいもあると思うけど、こういうちょっと変な脱力系小説(?)もたまに読むと、意外と面白いと思えるね。しゃべるモモンガとか、スクーター(“ラビット号”)で空が飛べたりするはる子(大滝はる子)のジタマに対する武器というかが切手で、(「貼付(ちょうふ)!」と言って貼ったあと)「消印有効!」と言って効力が発揮される、みたいなこととか。
宮部みゆき 『長い長い殺人』
2008年12月28日 読書
光文社、1992/カッパ・ノベルス、1997/光文社文庫、1999。※いつものように以下、ネタバレにはご注意ください。長篇というよりは連作短篇集で、各篇それぞれ別の財布が語り手となっている小説。なんていうか、以前読んだ北森鴻『屋上物語』もそうだったけれど、これも♪おデコのメガネでデコデコデコリーン、な読みごこち? 別に人が財布と会話できるようになるわけではないけれど。というか、デコデコ~を知らないですかそうですか(汗)。財布たちは(まじめに言うのもばからしいけれど)感覚としてはとりあえず視覚と聴覚があるみたいです。ただ、ポケットや鞄に入れられていることが多く、視覚はあまり役に立っていない模様。知能は、人語を解するところから判断して人間並みに発達、性格は(飼い犬ではないけれど)たいてい持ち主に似ている感じ。エピローグを除いて10篇収録されていて、最後の2篇に直接的・間接的に1人の予備校生(名前なし・20歳)が出てくる。あ、最後の1篇のお財布は、買ってあげたのがお母さんで、持ち主よりもお母さん的な性格になっている。読んでいて最初の1篇はあまり面白くなかったけれど、2篇目が“語りかけてくる文体”というか、読みやすい感じのもので、それ以降はけっこう最後まで面白く読めたかな。そう、4篇目(「探偵の財布」)が個人的にはどうもハード・ボイルド小説のパロディに思えてしまって、笑いどころなんてないのに笑えてしまう。
本題。なんていうか、中上健次の「十九歳の地図」とは違った意味で“危ない予備校生”というか。ワイドショーなどで連日のようにとりあげられていて、しかも犯人らしき人物までテレビ出演している、社会的な関心がとても高くなっている連続殺人事件の真犯人(実行犯)が実は自分であると名乗りでてくる予備校生――ネタバレしてしまうけれど、この人は結局、入院だか通院だかをさせられることになったようだ。受験勉強ばかりという狭く暗い世界から、妄想の力を借りて世間が関心を寄せる広く明るい世界へと脱出?
<「ああいう人間が――惨めでちっぽけで、世間からまったく顧みられることのない敗残者――それが、今度の事件の実行犯だろう」>(文庫、p.338)
ダッシュに挟まれた部分、一般的な浪人生のイメージと一致してしまう?(うーん…)。話がちょっとずれるけれど、結論めいたことをいえば、「息抜き」というと受験生が受験勉強をさぼるための言い訳であることが多いけれど(少なくとも小説では)、頭がへんになるくらいなら(小説はおいておいて、現実の話)やっぱり息抜きくらい必要かもしれないやね。結局この予備校生は大学には受かったのかな? ――と誰も心配していないようなことを心配してみる(汗)。
ちなみに、ほかに大学受験がらみでは、デカ長の娘が来年、大学に入学するらしい(まだ12月の時点だから、すでに受かっているとすれば私立?)。浪人経験(1年)がある高校の数学教師も出てくる。大学受験ではないけれど、25歳のとき司法試験をめざして2度失敗して(浪人期間は1年か)あきらめた男も出てくる。年齢的に近いところでは、上京して寮生活をしている19歳のバスガイドとその高校まで同じ学校で同級生だった短大生も出てくる。←ぜんいん名前はあるけれど、省略。
本題。なんていうか、中上健次の「十九歳の地図」とは違った意味で“危ない予備校生”というか。ワイドショーなどで連日のようにとりあげられていて、しかも犯人らしき人物までテレビ出演している、社会的な関心がとても高くなっている連続殺人事件の真犯人(実行犯)が実は自分であると名乗りでてくる予備校生――ネタバレしてしまうけれど、この人は結局、入院だか通院だかをさせられることになったようだ。受験勉強ばかりという狭く暗い世界から、妄想の力を借りて世間が関心を寄せる広く明るい世界へと脱出?
<「ああいう人間が――惨めでちっぽけで、世間からまったく顧みられることのない敗残者――それが、今度の事件の実行犯だろう」>(文庫、p.338)
ダッシュに挟まれた部分、一般的な浪人生のイメージと一致してしまう?(うーん…)。話がちょっとずれるけれど、結論めいたことをいえば、「息抜き」というと受験生が受験勉強をさぼるための言い訳であることが多いけれど(少なくとも小説では)、頭がへんになるくらいなら(小説はおいておいて、現実の話)やっぱり息抜きくらい必要かもしれないやね。結局この予備校生は大学には受かったのかな? ――と誰も心配していないようなことを心配してみる(汗)。
ちなみに、ほかに大学受験がらみでは、デカ長の娘が来年、大学に入学するらしい(まだ12月の時点だから、すでに受かっているとすれば私立?)。浪人経験(1年)がある高校の数学教師も出てくる。大学受験ではないけれど、25歳のとき司法試験をめざして2度失敗して(浪人期間は1年か)あきらめた男も出てくる。年齢的に近いところでは、上京して寮生活をしている19歳のバスガイドとその高校まで同じ学校で同級生だった短大生も出てくる。←ぜんいん名前はあるけれど、省略。
朝倉かすみ 『ほかに誰がいる』
2008年11月19日 読書
幻冬舎、2006/幻冬舎文庫、2008。ここ最近読んだ小説の中ではいちばん面白かったです。ひと言で言えば、異性ではなくて同性だけれど、相手に迷惑をかけないタイプの妄想ストーカー小説、みたいな感じ?(ひと言になっていないな(汗))。なんていうか、スーパーナチュラルではないけれど、けっこう呪術的というか。例えば(※すみません、以下ネタバレ注意です)「わたし」(本城えり)は、お風呂に入って利き手ではないほうの左手で、体の垢すりをしてから、毎夜、自転車に乗って恋い焦れる(?)「あのひと」=「天鵞絨(びろうど)」(賀集玲子)の家の近くの児童公園まで行く、とか。内容的なことだけでなくて、文章自体もそうなっているのかもね。比喩表現、多しです。(私が最近読んだ小説の中では、絲山秋子「袋小路の男」とちょっと似ているかな。あくまでちょっと。どうでもいいけれど、頭の左上のタマイって、「わたし」が少し真賀田四季みたいなことになっている(笑)。)
舞台は北海道は札幌市、最後のほうに隣の石狩市も。高校1年生の「わたし」は、浪人生を経て最後は大学生になっている。この小説も“浪人生小説”(そんなジャンルはない)としての読みどころはほとんどないかな。自業自得的に入院して、受験勉強どころではなくなっているし。予備校には入学手続きをしただけで1度も通わなかったのかな、この人。
<受験勉強を始めたのは、秋になってからだった。(略)わたしは、みかんを食べながら、受験勉強する。(略)酔って帰ってきた兄が、部屋をのぞきにくることがあった。/「受験は気合いだ。いいか、わかるか。気合いだぞ、気合い」/兄は、わたしを励ましているらしい。>(文庫、p.93)
秋からの勉強でよく受かったな。お兄さん(がいたのか)は、マッチョではないアニマル浜口……というか、いずれにせよ、ビタミンCが十分そうな妹は、聞く耳をもっていない感じだけれど(笑)。そういえば、受験は気合いだ、というタイトルの本って、たしかあったよね?(誰に訊いているのやら(汗))。最近はTVでもおなじみ、精神科医の和田秀樹は『受験は要領』だから違うし。あとで検索しておけばいいか。
舞台は北海道は札幌市、最後のほうに隣の石狩市も。高校1年生の「わたし」は、浪人生を経て最後は大学生になっている。この小説も“浪人生小説”(そんなジャンルはない)としての読みどころはほとんどないかな。自業自得的に入院して、受験勉強どころではなくなっているし。予備校には入学手続きをしただけで1度も通わなかったのかな、この人。
<受験勉強を始めたのは、秋になってからだった。(略)わたしは、みかんを食べながら、受験勉強する。(略)酔って帰ってきた兄が、部屋をのぞきにくることがあった。/「受験は気合いだ。いいか、わかるか。気合いだぞ、気合い」/兄は、わたしを励ましているらしい。>(文庫、p.93)
秋からの勉強でよく受かったな。お兄さん(がいたのか)は、マッチョではないアニマル浜口……というか、いずれにせよ、ビタミンCが十分そうな妹は、聞く耳をもっていない感じだけれど(笑)。そういえば、受験は気合いだ、というタイトルの本って、たしかあったよね?(誰に訊いているのやら(汗))。最近はTVでもおなじみ、精神科医の和田秀樹は『受験は要領』だから違うし。あとで検索しておけばいいか。